三国志。
三国志とは、「子供を天皇にしたら何が起きるか?」という物語である。
令和法皇は、劉備玄徳であったし、メディアは孫権であったし、安倍晋三は曹操であった。
曹操が、子供(太祖)を擁し、三国志のテーマは「愛国心」となった。
太祖は、呂布に殺されているが、呂布は、父親を長安で殺されたことから愛国心に目覚めたとされる。
太祖の命を狙う呂布など山ほどいるが、劉備玄徳の「蔵書」は必要であったし、孫権も影響力があった。
隋の煬帝が出てくるまで今の「三国志」を続けた方が落ち着きがいいし、私も、中国の古典を紐解くことができる。
曹操の、軍の展開は「速くて広い」とも言われた。
曹操は、太祖を養子にしたが、太祖の放蕩ぶりは「それでも王の器か?」と批判された。
太祖は「世界を平和にしてくれ」などと無責任なことを語っていた。
黄巾の乱が常に曹操を悩ませた。
太祖には董卓のような安易な政治家が近づいてきた。
娘を嫁に、これが董卓の考えであった。
董卓は、袁紹などの暗躍を許した。
数々の内戦があったため、孫権(メディア)を掌握するのは「夢のまた夢」のように思われた。
袁紹は、劉備を攻め落とさなければ活路が開かれないと煽られたが、劉備は、いい年したおじさんの割には「白馬に乗っている」とされ、女子たちに人気だったため、袁紹も、「口ほどにもない」有り様だった。
ひたすら「孫権に構ってもらいたい」だけの争いが続いた。
孫権は「劉備しか見ていなかった」し、曹操は劉備憎しという行動をとっていた。
この「天下の大乱」が、治まるときが来るとはにわかには信じられなかった。
大理には、賢い子供がいて、太祖をはるかにしのぐ叡知を養っていた。
いずれ劉備の娘の婿に行ったなるわけであるが、孫権は太祖よりも大理の子供たちの方をクローズアップしていた。
秋篠宮(明帝)は、征蝦大将軍にはなれたが、それでも孫権は関心を持たなかった。
メディアの寵児である劉備玄徳みたいになりたいと考えていたものたちの体たらくを描いたのが三国志だった。
神社の一宮会のような斎王もいたが、孫権は「政治力がない」とし、話題にも上らなかった。
人物伝がひたすら列挙されているのが三国志であるが、それにしても「メディアの遠さ」だけが分かった。
それにしても、日本という国を治めるためには、くだらない人間を「中国人」として描けばいいのかね。
ぺピン ブランキージェットシティ
気長に書いていきます。
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