「責任」への尊敬の足りん奴だ
我々は人生のスタート地点は同じでも、ゴール地点は異なる。この現実に正義はあるのだろうか。
まず、先に進む人間には「嫉妬」という障害が立ちはだかる。
次に、不平等が生じたという人に対しては政府が何らかの助けを施す。
さらに、貧しい人は安くていいものを調達すればよいという「市場の助け」も存在する。
それ以外に「運が悪い」ことがあれば「保険」という仕組みで救済するしかない。
これは「保険」という仕組みがどれほど人間社会の哲学に重要であるかを示している。
それ以外に、不平等が生じたら「人生の選択肢」において何らかの選択をしているはずであるとする。選択には「責任」がともなうはずだ。我々人間は「責任への尊敬」をしなければこの不平等社会に正義をもたらすことはできないのだ。勝負の時に逃げない責任などいろいろあるだろう。
それ以外に、「遺伝的な不平等」がかりにあったとしたら「生まれる前」の不運と割り切っている。ここにアメリカ哲学の強さも弱さもある。基盤の弱点にこそ政治がある。不完全な理論こそが政治を育てると位置づけている。
アメリカの正義の割り切り方である。
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