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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

スタンフォード哲学

2017年10月17日 (火)

金融女。

まず、「リサーチプロジェクト」にお金が必要であることと、「常にその時にみんなが興味がある話題」を研究しなければならないということが金融の問題で指摘できる。
金融というものは常に「リサーチプロジェクト」とともにある。
みんな「自分の小説とは違う話が聞きたい」と思っている。
金融というものは常に「言葉の査定」である。
男社会の話であり、常に「話し相手がモテることにつながる」話題を与え続けなければならない。
「心の風景」をモテる方向に持っていく話題が必要となる。
「一夜限りの英雄」であっても成熟した話題を話す必要がある。
それを男たちは毎晩続けなければならない。
そのために金融というものがあり、リサーチプロジェクトがある。
口先ばかりではなく、立体的な表現が求められている。
「女たちに何が起きているのか?」に敏感でなければならない。
我々は「女のからだ」に常に刺激を与えなければならない。
女の「小説」と異なる話題を出す、当たり前の話をする男はお金がないことがわかる。
「学習した言葉であること」「真実に近いこと」「エッチな話を含んでいること」
どうやったらモテるのか?それは「よく理解すること」だよ。
「知ることは孤立をなくす」
常に自信を持って生きることができるようになるのだ。
金もうけのために生まれたんじゃないぜ。

信じている「カップル」の世界が豊かになるんだよ。金もうけのために生まれたんじゃないのか?
どの男も「恋話」を交換したがっているし、それを彼女に話したがっていた。
パートナーが社会から孤立しないことが必要だった。
世の中は「パートナーの切り崩し」ルールが支配している。
そのためにカップルには話題が必要だったのだ。
本を読んでパートナーに話すけど、リアクションが悪ければ本を投げ出してしまうよ。
「話題は無限にある」ということを知らなければならない。
よく理解して、どのように自分を立体化させるかが重要だ。
最後に二人は抱き合ってしまうのだ。
「抱きつきたくなるような男はどのみちお金を持っているよね」
松田聖子 抱いて。

「最近の金融はどうだい?」というのは「女にモテてるか?」という意味だ。
「いったい何を考えているんだ?」という意味でもある。
「俺はお前の気持ちに同意できるのだろうか?」
「安定感がある話ならば真似をするだろうな」
男同士の話なんて「自信のあるやつの真似をするしかない」世界なんだよ。
みんな「言葉の実験」をやりあっているんだよね。
彼女にウケた話をしたならば、またあいつと会いたいと思うね。
最後には結婚するだろう。
これが金融の秘密なんだ。
「お前は信用できる。また新しい話を聞かせてくれ」
モーニング娘。 男友達。

どの男も「議論したいこと」が違うんだよ。
うまく上下させる力が金融には求められる。
「難しい話はしないでよ」と突き放されたら金融にはならない。
相手にビビって浮ついた話をするのならばもはや話にもならない。
すべての男が「家のカギをもっていて財産を求めている」ことを理解しなければならない。
「神、神」というよりも話題を上下させることができるかどうかが問われる。
まあ、そのあたりは交友関係などが必要であり、慣れなんだよ。
「人間ってだいたいこんな感じ」というものを掴まなければならない。
「四人の男を比べてみろ」
これが交友関係の鉄則なんだ。
それができるのならば六人でも八人でも同じだと悟るだろう。
手のつけられないほど調子のいい男も、とにかく落ち込んだ男も、だいたい「男四人」知っていれば対応できるものだ。
しかし、その男の人生はよく観察しておけよ。
そのような環境にあるのならば、日本の難しい勉強でもしておけ。
男四人の人生をまじまじと見つめることができないのならば、「カップルを二組」成立させてみろ。
男の真実と女の真実を知らないと到底できないことを知るだろう。
男女共通の話題と、新聞で読んだ話の区別がつくか?
この間にある虚しさを埋めるんだよ。
男はそもそも虚しくはないよ。
女と話すから「虚しさ」を埋める作業が必要なんだろ。
一人目の女が、「虚しさ」によって言葉を消費して別の女に伝えていることも知らないといけない。
男の言葉学習女たちによってどのように消費されているかを知るのが「羊の服を着ている」ということなんだ。
さて、男の話題は無限だということと、女の虚しさによって消費されているということから、金融というのは無限の可能性があることを知るだろう。
女というのはコンピューターみたいに頑丈にはできていないよ。
「消費」している。
男の言葉なんてあっという間に忘れているんだ。
だからカップルの形は無限にあるし、金融という学問があるんだ。
タンポポ 私の顔。

「あいつとまた会いたいな」と思われることが大事なんだよ。
女友達がいなければならないし、男友達は四人いなければならない。
この金融の基本が分かったから、ユダヤ金融資本では「仲良し三人組」は否定されたのだ。
「3の否定」がなされたことは知っておいたほうがいい。
いじめをやらなければ勃起しない奴なんていらないんだ。
四人の男の心の風景を一人の女に聞かせてやるんだよ。
「女友達四人、男友達三人」というシステムを組む金融マンもいるけど、だいたいこれで大銀行家はつとまるよ。
タバコ仲間なんてそんな感じだね。
「また会いたいな」それだけだよ。
モーニング娘。 ムキダシで向き合って。

2017年10月12日 (木)

いもうと女。

舜は、お父さんが羊を盗んだ(女兄弟にお風呂でいやらしいことをした)。
この舜の人生を救済する学問を儒学という。
そして、孔子が語った教えを信じることを「儒教」と呼ぶ。
孔子の教えを受けて王になったものたちの物語を「聖学」と呼ぶ。
舜のお父さんである堯の人生は「先王学」と呼ばれた。
勉強のことを「性理学」と呼び、勉強が発展することを「理学」「心学」と呼んだ。
人生の出発点を端的に示したCMを見つけた。
木村拓哉 フレッツ光。

妹が言っていた「うちで起こっていること」って何かな?
これを学ぶことがテーマだった。
ここで、妹の学校生活に関する学問である仏教と、女心を学ぶ神道は儒学と共存することとなった。
本当の「儒者」は中国や日本の「お風呂」という文化に興味を持ったルイ14世だったとされる。
ルイ14世は、儒学をフランス語、英語、ドイツ語に翻訳している。
ヘーゲルも「妹」という文化に興味を持った。
井上哲次郎はヘーゲルを学び「心技体」という陽明学や、季節の学問である朱子学を東京帝国大学に紹介している。
古典の研究とともに「井上三部作」と呼ばれた。
仏教が教育に関する教えであることはすでに述べたが、江戸時代に「家庭というもの、士農工商というものを考えて欲しい」という観点と「お風呂という文化」があったことから儒学は仏教を圧倒していった。
清朝末期に中国は「儒学を卒業する」と宣言している。
「一人っ子政策」のことだ。
「家庭で学ぶよりは大学で学べ」という考えを「新・儒学」と呼び、中国はそれを採用したのだ。
大学には女学である「道教」もあれば恋愛を語る「墨家思想」もあれば、処女を口説く「法家」もあった。
「百花斉放、百家争鳴」とは「ギリシャ哲学も学んだ方がいい」というムーブメントだった。
カントが「法を守らないと処女が抱けない」と考えたことから、「楊貴妃の牛乳風呂」の問題は、兄にとっては「もはや学問の域を超えているもの」と位置付けられ、東京帝国大学は論語に興味を失った。
孔子は、女子たちにもいじめられて「女嫌い」になった時期もあった。
次元大介。

女嫌いになった男には「偉人」「主人」「詩人」などの学問が義務付けられた。
中国の「一人っ子政策」とは異なる発想を東京帝国大学は持っていたのだ。
アメリカの方によりシンパシーを感じる「反中エリート」が出てくるようになった。
「家で起きてること何にも知らない」という問いかけの答えを大学に求めた。
初等中等教育には手が出せない問題であるという共通認識もあったり
この「兄の人生の苦しみを経験してみよう」というのが「正座」というものだとされた。
歴史を振り返れば6世紀に「高麗」がこの「お風呂」の学問で日本に優位に立っていた。
大化の改新は「儒学を学ぼう」というムーブーントであり、1912年に「年号というものを作った方がいい」という考えに日本国が至るルーツとなっている。
兄と妹の関係は「イザナギ、イザナミ」であるとも「スサノオ、アマテラス」の関係であるとも言われ、天皇が最も詳しいと位置付けられた。
「天下」で何が起きたかは古事記や日本書記に書いてあるはずだ。
木村拓哉 フレッツ光。

兄は「五行」という学問を求められ、その到達点は聖徳太子の「17条憲法」であった。
「和をもって尊しとなす」
兄は社会で存在感を示さなければ家庭内では妹に太刀打ち出来なかったのだ。
古事記や日本書記の奥義は「五行」にあり、神道や官僚、サムライへの教えとなっている。
1180年から1185年の「源平の合戦」もこの教えへの理解度が争われたのだ。
花園天皇や後醍醐天皇は「皇統の方がその話に詳しい」と主張したに過ぎない。
織田信長も安土城に孔子の絵画をたくさん描かせている。
江戸時代に女子の教育に「季節を愛する」朱子学を持ち込んだのが藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎であったし、男子に「心技体」という陽明学を持ち込んだのが中江藤樹、熊沢蕃山であり、ギリシャ哲学を持ち込んだのが山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠であった。
「妹と向き合った」という意味ではみんな儒学者だった。
文明開化の波が押し寄せるまでは「妹」は兄の地位を脅かす存在だったのだ。
17世紀から19世紀前半までを「前近代」「徳川時代」と明治政府は呼んだ。
女たちが「恋」を知っていたという意味では中世ではなかった。
プロトモダンとは「家族を解体しよう」という動きであるが「女兄弟の呪縛から男を解放しよう」というムーブメントだった。
1637年から1638年の島原の乱は、男を家庭内の苦しみから解放しようというキリスト教ムーブーントであり、松永尺五は「儒学の伝統を否定するもの」と考えたのだ。
教育熱心な国だったのは江戸時代からも変わらなかったが、臨済宗の「公案」のように、1人で考えをめぐらせて言葉を豊かにしろという教えもあった。
何かの発見ではなく「日常のコミュニケーションができればいい」と考えたのだ。
しかし、林羅山は「政治の基本」を教育しようという立場だった。
「妹はあまりにも政治的すぎる。横に読み、縦に読み、左から読み、右から読まないと太刀打ち出来ない」と考えたのだ。
伊藤仁斎も「五孟字義」においてそのことををまとめていたのだ。
伊藤仁斎は「政治的すぎる妹」との向き合い方をまとめ上げた。
木村拓哉 フレッツ光。

しかし、荻生徂徠の「弁明」はギリシャ哲学まで引用してあり、伊藤仁斎の時代を終わらせてしまった。
各大名たちも、荻生徂徠の弁明に対しては「洗脳ではないか?」と考えたのだ。
「はじめに言葉ありき」から始まる荻生徂徠の弁明は、妹の恋愛事情にまで立ち入っていた。
オリビアを聴きながら 杏里。

林羅山は「理」と呼ばれる「妹のパターン」と「気」と呼ばれる精神力を教えたに過ぎない。
孔子は「パターンは詩にすると300ぐらいかな?」としていた。
詩を丹念に聴くことを「気」と呼んだのだ。
伊藤仁斎は、その理と気という概念を用いて「古学」というものを完成させている。
「昔からそのような学問はあった」としたのだ。
伊藤仁斎と荻生徂徠の争いは「理」と「気」をめぐって展開されたのであり、その土俵を提供したのが林羅山だった。
そのような議論をしているうちに貝原益軒は「日本でも王の物語が書ける」と言い始めた。
林羅山と貝原益軒が「日本にも歴代の王(天皇)がいた」と指摘したのである。
それ以前は「ゴダイゴ」とか「ゴトバ」などという具合に呼び捨てにされていた連中だった。
「学があればサムライがしたがう」という文民統制のモデルが作られた。
サムライの心を「義」と呼んだ。
1703年には47士のように学のある大名のために命を捨てるものまで出た。
47人もよく「浪人」を集めたものだとみんなが喝采を送った。
理と気の探求に没頭したからこそ浪人たちが集まったのだ。
「理」には後悔や恐怖、憎しみ、欲望などの教えが満ち溢れており、それを知っているものには人望があった。
伊藤仁斎と荻生徂徠は「不動明王」を作ることで和解している。


広島生変図 平山郁夫。

心臓病には「医者の愛情」が必要だ。
ギリシャも中国も知っている、それはまるで「不動明王」のようだ。
さらに、「レッグエレベーション」と言って足をダラリとさせたり、足を投げ出したりすることが心臓に効く。
不動明王 瀬戸朝香 My home town.

腎臓が悪いのならばポカリスエットを飲んだり、肝臓が悪いのならば首にネックレスや数珠、チョーカーをつけてみるといい。
SPEED My graduation.

ポカリスエットCM.

のちに山崎闇斎のように垂加神道を作るものも現れた。
いずれにせよ「君子」というものがどういうものなのかが明確になったのは江戸時代の話であった。
クラスで、天国と地獄、話のわからないやつ、知識に飢えた者たち、そして天使たちのいる世界でいい成績をとるものは「鬼神」と呼ばれた。
陰陽師とは、暗い歌も明るい歌もよく理解しているもののことを言う。
最終的にこれらのことを最も正確に理解したのは吉田松陰であり、山鹿素行を記録係として、政治家伊藤博文を生み出している。
西周や中江兆民なども優れた政治家だった。
政治家に仕えるサムライたちは「武士道」というものを発展させていった。
いずれにせよ、東京大学を中心とする天皇制はゴールデンエイジを迎えるに至っている。

西田幾多郎は、金沢市に生まれたが、第四高等学校の「あまりにも抑圧的な」空気に耐えられず中退している。
東京帝国大学に入り、哲学の道を志した。
フッサールの現象学をやってみると、女の子は家庭で守られ、通学路で守られ、学校で守られるという具合におのずから「世界の広さ」は決まるだろうとした。
女子中学生や女子高校生に、さほど「冒険の機会」を世の中は与えていなかったのだ。
しかも、天皇制というものがあった。
近衛文麿に頼まれて「世界新秩序」を描いたが、西田幾多郎のことを「23歳まで健康に生きて、夢のように消えていった」と詩に描いた遊佐という女もいた。
エアー〜サラダデイズ 酒井法子。

女の子は「知識」の周りをうろちょろしているが、「走っている馬」にしか興味がなく、男は「走り続けなければならない」と語った。
しかし、男たちの野心は容赦なくぶつかり合った。
この、西田の「純粋な経験」は23歳で終わりを告げた。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ。

西田は23歳で目が覚めた(自覚)。
女に「おちんちんがない」(無)ことをどう考えたらいいのだろう?
彼は自分の鏡を見て、そこに「知性の塊」を見つけた。
フィヒテやショーペンハウエルなどを読むにつれ、「男である」ことを感じたのだ。
「男は鏡を見るから女の子にやる気をもらえるのだ」
鏡に映る自分の顔が世界にあるのだという意識がなければ女の子に興味が持てないだろうと考えた。
タンポポ 私の顔。

鏡を都合よく見ることは、世界を都合よく見ることだ。
それは、自分を否定しないためであった。
西田は歳を重ねるごとに世界を美しいものだと思えるようになった。
決して惹かれ合うことはない「処女」というものの美しさが分かるようになったのは歳をとってからだったのだ。
若い連中には「エロオヤジ」と言われるだけだったが、すべては「鏡」と「自覚」にあることをいずれ分かってもらえると思った。
年寄りは、中年女の美しさまで見抜く眼力があった(恋的直観)。
老婆にも「昔、ハンサムだった」ということを見抜く眼力があっただろう。
恋的直観がなければ「熟年カップル」は生まれないだろう。
老いさらばえた顔を丹念に鏡で眺めてみろ。美しさとは何かを知るだろう。
「自覚」とはそのようなものだ。
老境に「絶対的に染まる」とは美しいものに囲まれることを意味した。
能年玲奈 CM.

世界が美しさに囲まれた時に、神との関係は「私とあなた」の関係になる。
国も愛せるし、若者に「お国のために死んでこい」などと公然と言えるのも鏡を見たからだ。
西田が「世界新秩序」を作るために年寄りのこのような心理を利用したのは事実だ。
学問にしか興味がなかったために、国の行く末までは考えていなかったり
若者(ヘーゲリアン)が年寄りのいうことを聞くのを見て愚かだとすら思った。
「白人に美しさで負けている」と思い込むことがどれほど危険なものなのかを東洋の人間は知らなかった。
東洋人は「ただ座っていればいい」(只管打坐)と言われるのもこのためだ。
しかし、1939年に公表したこの研究も、戦争が終わると40年間、忘れ去られた。
人間には「若さ」だけではない世界があることを知り、ようやく西田は遊佐に「感謝」の手紙を書いている。
「私は夢のように消え去ってはいないよ」
東洋で「禅」を語るとはこのような世界観を語ることだ。
「有限の中に無限はあるか?」
それは、東洋人こそが見た目で白人に劣等感を持つことに無限があるという意味でもあった。
西洋と東洋の「出逢い」をこのように総括している。
好きになったらキリンレモン。

2世紀にわたる「鎖国」を終えたのちに、日本国は「なぜ西洋の教室はムンムンとした熱気に満ちているのだろう」と考えた。
これが京都学派だ。
田辺元や、西谷啓治などの論客がいた。
東京はすでに首都としての地位を築いていたが、「京都学派」という明確な指導者がいたのは古都である京都だった。
京都学派が見たのは西洋ではなく東洋であった。
言葉づかいや人間観、歴史や文化などの「関西」という概念を作り出したのは京都学派だった。
白人ほど鏡に映る顔は美しくないからこそ私にとって世界は美しいとした「禅」やそれを背景にした「新派」の舞台などが作られた。
「床上手な女」という舞妓さんもこの時に出来たものだ。
白人よりも私たちには世界が美しく見えるという京都の教えは「京都の女」を作り出した。
東京の連中はすでに西洋に蝕まれているとして「我々の女たちは美しいだろう」と猛烈にアピールした。
「我々の女たちは東洋から来た」
上田閑照はまだご存命だ。
1980年代に東京が踊り狂った。
しかし1990年代に「東洋から来た女たち」の逆襲が始まったのだ。
「愛国心とは京都を愛することにあるのではないか?」
舞妓さんへの道。

女たちが「下の名前で」呼びあうというのも京都学派が考えたことだった。
下の名前の方が苗字よりも多様だったからだ。
三木清はブルジョアとして、戸坂潤はマルクス主義者として彼女たちと向き合った。
三木清は「貧しい生い立ちの女」を知らなかったが、戸坂と並んで「左翼」と呼ばれた。
西谷啓治は1977年に「太平洋戦争が京都学派を作ったんだよ」と語っている。
ヨーロッパやアメリカは、京都に隠されたものが本来の日本であるとして、それを知りたがった。
21世紀に入って藤田正勝と大橋良介がその全体像を明らかにしている。
藤田は「西田幾多郎と田辺元が作ったネットワークのことを京都学派と呼んでいるんだよ」としている。
しかし、大橋良介は「京都の女たちと左翼グループのことなんだ」としている。
これは西田幾多郎の「金脈」に注目するかしないかの違いだろう。
たしかに大橋良介も、西田幾多郎とどう関わったか?京都大学に属していたか?仏教をどう思っているか?マルクス主義者愛国心を理解しているか?などを京都学派の特徴としている。
細雪 谷崎潤一郎。

西田幾多郎は、京都の女をプロデュースし、セールスに出して田辺元とのつながりを持った。
しかも、「禅」というイデオロギーを強烈にアピールし、「私たちが見ている美しい風景」を作り出した。
京都大学の学生たちはそのために「西洋と東洋の間」を揺れ動いていた。
辻村公一がハイデガーを持ち込んだりしたので、学生たちの間に混乱が起きた。
久松、下村、竹内などの「第2世代」から、現在は「第3世代」に受け継がれている。
長谷正当、堀尾勉、大峰顕、藤田正勝、森哲郎などを知らなければ京都の金融が分からないのだ。
つまり、これは「神道」ではないか。
細雪 谷崎潤一郎。

お風呂という文化をもつアジアにおいては、勉強や努力というものは「ダサい」(サイン)であり、「ダサいんだ」(タンジェント)であった。
しかし、勉強というものが「隠されたものを明らかにする」と考えられていた。
「女学」「女の口説き方」を学ぶ前に「勉強という方便」を知っているだけで、女は「隠されたもの」を明らかにした。
ハイデガーは「女学ってなんだ?」とアジアに向けてメッセージを出した。
「形而上学」=「女学」であることを勉強や方便があることによって日本の男は見失っていた。
1920年代に田辺元はハイデガーと出会って、このことを指摘された。
「僕は勉強さえできれば」
このために「宗教」=「女学」という発想が根付かずに「超自然的」な方向を宗教の世界が向いていたのだ。
CoCo メロディー。

父と子、聖霊という三人組のいじめにも気がつかずに「仲良し」だと思っていたのだ。
いや、父と子と神聖なゴーストという理想の男という捉え方すらされた。
「女学」も知らないニヒリストしか日本の女の周りにはいなかった。
しかも、中途半端にちいさいおちんちんを見せることを嫌ったのだ。
「これはキリスト教ではない」
西洋ではそのように受け止められた。
「我々はこのようなつらい教えを信じているのではないのだ」と考えたのだ。
日本ではおちんちんと勃起が「心」によって金に変わることを知った。
松田聖子 ハートをロック。

アジアの女たちは、まるでこれらのことを見透かしているように「神秘」を演じていた。
「魔女が笑い、魔女だけが得をする」
これを何千年つづけるつもりだ。
セックスを「サプライズ」とみなすスーンヤターをどれほど経験したら気が済むのだろうか。
まるで、セックスと関わらないことを「無我」と呼んでいるようだ。
アジアンビューティー。

プラティーヤサムトパーダ(縁起)と呼び、まるでセックスをしたら予想通り、みんな教室から脱落していった。
エリートほど「真空妙」を知っていたのだ。
この東洋の「スーンヤター」のおかげで、どれほど日本人は損をしているのだろうか。
ここで、「処女」というものと「有無」という概念が結びついている。
荘子がこの概念を「王家の証」としたのは自然の成り行きだった。
「有無」がそのように仕向けたのだ。
西田幾多郎が、このことから「処女をセールスにかけよう」と思うのも自然の成り行きだった(トポロジー)。
吉永小百合。

女の「場所」(あそこ)は男と女がともに意識するものとなっている。
「キス」をするという表現が「胸を揉まれたりセックスしたりすることを意味する」という文化が生まれた。
女の「場所」は、人が生まれるところでもあったし、男が射精して死ぬところでもあった。
それは「知的な男が入り込む」というだけにはとどまらなかった。
宗教が「女学」を教えていないんだよ。
「女心は大きすぎる」なんてことは欧米で語られていることだった。
高橋由美子 ときめき。

「絶対」と「相対」は、女の「場所」との向き合い方から自ずと決まった。
相対主義が日本に根付いただけで「神は800人」という汎神論が生まれた。
また、男の有限性と女の「場所」の関係から、一度セックスしたら男が冷たくなるという「逆対応」という現象が見られた。
相対主義の立場に立つ男は「逆対応」をすることを知らなければならない。
冷たくしないで。

1930年には田辺元は、西田幾多郎を「教授」と呼んで仰ぎ見ていた。
哲学と宗教の分離をこのように明確に行った人はいなかったからだ。
女の「場所」は宗教となっていると西田哲学は位置づけていた。
わいせつ概念が欧米とは異なっていて「宗教的エクスタシー」をハードコアによって得られるとされたのだ。
このため、女たちは「わがままを言っても聞いてくれる」男に夢を託すようになっている(他力)。
西田哲学の女の「場所」の考え方は「絶対的無」と呼ばれ、なかなか批判が困難だったし、変なストイシズムを「悟り」などと呼ぶ連中もいた。
これらのことを共通認識にしたのが新仏教(鎌倉仏教)であるとされ、禅であった。
三度生まれ変わらなければ悟れない、つまり、お父さん、息子、孫が射精する頃には悟るだろうとした奈良仏教、そして、曼荼羅とお経という密教世界に対して、新仏教はさらなる発展を遂げたのだ。
このことを踏まえて、西谷啓治は「ニヒルな男ってなんだろうな」ということをニーチェを紐解くことによって探求している。
赤いスイートピー 松田聖子。

また、西谷啓治は若い頃に3年間いじめられた(徳)経験を持つ男のことをニヒリストと呼んでいるのではないか?としている。
そうなると、新仏教は儒学と結びつくことになる。
女子たちの「勉強ができる男」へのフェティシズムとはそれほどまでに強烈なものだった。
「冷たくされてもいいの」という女もいた。
ニーチェにとってそのような男は「狂人」であったが、日本の禅はそれをいともたやすく受け入れた。
ローラースケートをはいた猫 松田聖子。

スーンヤターと呼ばれるクラスをどのように近代化していくのか?
これが日本国のテーマとなった。
「虚無」「空の場」の近代化が求められたのだ。
ニーチェやハイデガーを受け入れた?それでは日ユ同祖論ではないか。
上田閑照は1980年代に活躍した哲学者だ。
「禅の国」「悟りの国」の膨張を目指したのだ。
「日本の女」を世界に売り込んだ。
また、上田は男に関しては「俺は若くない、俺は俺だ」というスローガンを用いた。
「俺は(女心を知っている)俺だ」という意味であり、これだけで日本の近代化がなされると考えたのだ。
ハードコアが広く知られるようになると「女心を知っている」ということはもはや男にとって絶対に必要なものとされたのだ。
この時ようやく日本は「水平線の向こう側」の知識を必要としたのだ。
外国に目を向けることを道元は「無我の境地」と呼んでいた。
日本の「教室」を離れて、本当のキリスト教社会の空気に触れることをこのようにたとえたのだ。
どうしても近代化が必要だったのは「方便」だけを愛する女たちがいたことから多くの問題が起きたためだ。
水平線でつかまえて 三浦理恵子。

さて、これらのことを語ったことから、日本国の哲学はソクラテス、プラトン、マルクス、ハイデガーを西洋から、孔子、韓非子、ガンディー、西田を擁することとなった。
戦争中だったこともあり、左翼活動が蔓延したのだ。
三木清はブルジョアとして、戸坂潤は貧困層の女を相手にすることにより、この二名は1945年に獄死している。
西谷啓治は「純粋に日本の性文化を愛することが禁じられたからであろう」としている。
大橋良介は「京都の側からの集団的レジスタンスであった」としている。
「国が戦争に負けてしまえばいいのに」という敗北主義ですらあった。
日本のファシズムへのカウンターとして日本の性風俗が涵養された。
1943年に矢次一夫が政府の側から西田幾多郎と接触した。
福沢諭吉やカント、アダムスミスに造詣が深かった矢次は、西田と「世界新秩序」を書くことにした。
この二人の活動に東条英機内閣総理大臣が共鳴したのだ。
天皇裕仁にも「世界新秩序とは何か?」が伝わった。
西田は「他民族の文化を否定すること、この文化を世界に拡散させること、植民地へ皇民化として教えること」に反対した。
「世界的世界」においてはこの文化は日本だけのものでなければならないと考えたのだ。
遊佐道子が今度は西田を「あなたはもっと世界に出て行くべきです」と説得する有様だった。
「皇室は世界の始まりと終わりを手にしようとしています。あなたの研究のおかげで過去を握り将来を握ったのです」と遊佐は語った。
民主的でありながら、それでも全体主義を握ったのは西田が最後だっただろう。
特高警察 赤狩り。

西谷啓治、高山岩男、高坂正顕などが「中央公論」や「世界」でしきりに西田幾多郎を書き立てた。
「シンポジウム」と呼ばれるキャンペーンだった。
この時に「まるでもともと日本にあったような文化」が作り上げられた。
まるで、ローマ帝国、大英帝国に次ぐと言わんばかりの「日本文化」が出来上がったのだ。
これが貴族院や皇室の「処女・童貞文化」であり、のちに禍根を残している。
「有無」「ありやなしや?」という二択を迫ることは西谷啓治も「近代化に十分耐えられる議論である」としている。
1942年2月に「大島メモ」というものが残された。
日本国がどのように西洋と向き合い、どのようにアジアの植民地を解放するかが記されていた。
それもすべて「京都学派」をいかに理解するかにかかっていた。
大島康正がその本当の意味を語ったのは1965年のことになる。
特高警察 赤狩り。

この、京都学派の「ナショナリズムを支持する側」と反体制の側の二つに分かれるという「どっちつかず」の立場が戦後の彼らの存続を決めた。
「京都学派は必ずしも戦争を支持したわけではない」と語られたのだ。
この「戦争toto」に勝ったから舞妓さんも京都に残った。
「中途半端にちいさいおちんちん」も美学とともに国際社会を生き残った。
藤田正勝は、平成の「失われた20年」を「京都学派のリハビリ」と説明している。
「戦争が日本国の文化を何をもたらしたのかを忘れてはならない」
アジアンビューティーと、処女というものの復権を目の当たりにするのに時間がかかった。
本当に日本の女子たちが美しくなるためには皇室からのメッセージも必要だった。
また、中華人民共和国というライバル国家がなければ日本国が本気で「女子力」というものを考えることもなかっただろう。
日本国において「漢」ではなく「洋」に影響を受けたと公言する政治家の登場を待った。
インド・中国・日本ルートが日本に「失われた20年」をもたらしていたからだ。
岡倉天心の「アジアはひとつ」という考えの後遺症とも言われた。
AKB48 #好きなんだ。

教室で、ヨーロッパやアメリカの話題が出るのが当たり前になるのをひたすら待った。
クラスの女子たちにこのことが影響を与えるからだ。
みんな「中国」しか見ていないのでは日本は沈没する。
たしかにヨーロッパはもはや世界の中心ではない。
それでもギリシャ哲学もキリスト教も見て欲しかったし、それをやらなければならない国だったのだ。
AKB48 願いごとの持ち腐れ。

2017年10月11日 (水)

一夏の経験女。

一夏の経験には屈辱しか残らなかっただろう。
しかし、とにかく「赤」かった。
3歳の子供にも自分の「好みの異性」はいるんだなと思ったし、しかし、3歳の子供は大人ではなかった。
しかし、一夏の経験を終えた後に、「そこのドアを閉めてくれる?」と言ったらいうことを聞いてくれる男ができた。
一夏の経験 山口百恵。

女の言うことを聞く男ができたために、周囲は「あの2人はあやしい」と噂しあった。
女がついてくる「四つの方法」が指摘されている。
「必要な情報を持ってきてくれること、しかもそれが本当だったと証明されたこと」
これは「道に迷った女」にとっての希望であった。
「自分が何をやっているかがわからない女にその意味を教えてやること」
おちんちんにトマホークのような憧れを持っているだけでセックスする女にその意味を教えてやるのだ。
唇がふれあえば Melody.

周囲の女たちは「自分たちがセックスをすることでどんな権力者も落とし穴に落ちる」ことを学習した。
これは、「評論家」の仕事であり、事件の解釈をするだけでもモテるよ。
女を寝取られた男にもはや言うことを聞かせたくないから他の男と寝たんだろう。
とにかく、トマホークに憧れているだけの女の評論家はモテるんだ。
セックス評論家が中学校にいれば、オカマにならなくて済む男もいた。
SPEED deep blue & truth

また、1人の女が起こした事件により「周りの女たちがきれいになった」と言うことが指摘できる。
私たちはもう子供ではないのね、と思ったのだろう。
「女たちがきれいになるんだろうな」と予測する評論家もいた。
1人の女のペニスエンビー(トマホークエンビー)から始まった出来事には常に評論家が必要だった。
セックスカルチャーを豊かにする評論家がいなければ、女は「公衆便所」と呼ばれるだけだった。
すべて「女たちを美しくする」ための議論なんだよ。
詩というのは役人を育てるためにある。
詩の意味をよく理解するものは、周りの女たちを美しくするし、成績優秀だった。
人の心をよく理解するものはいじめられなかったために、勉強もはかどった。
評論家として影響力を高めていくものがいたのだ。
「ヘンタイがいること」「普通の人間にはミステリアスに思える世界があること」
これを理解している者はいじめなかった。
「女たちを美しく描くことが大事だった」
女たちは自分の立ち位置を評論家に教わったのだ。
人の心が分かる評論家は中学生なのにレストランで食事をする金があった。
親に子供扱いされなかったからだろう。
「もっと話を聞かせてください」と言う者もいた。
セックスとは違う喜びがそこにはあったし「東大を目指している」と言っても誰も反発しなかった。
幸せにいちばん近い席 酒井法子。

ポアンカレは、いい噂も悪い噂も「積」となってその人の存在感になると言うライプニッツの考えを、カントと引き合わせた。
ナンシー大学の医学部に入ったが、やがて数学者として「積分」の研究をするようになった。
「勝負しなければ噂にはならない」として「ゼロ」を巧みに用いた。
人気者になりたかったスウェーデン国王から勲章ももらった。
また、「女を口説くのも勝負事である」として積分の対象に含めている。
三次元積分こそが本当の人間社会のありようであるとしている。
処女のピアノ算数から始まり、男女が複雑に織りなす幾何学模様などの世界は「噂」に満ちていた。
男女の問題に「重力」を加えるだけで、だいたい人間の限界も分かったし、幾何学模様も出来上がった。
「重力に耐えられない」男女がいたからセックスサークルが出来上がったのだ。
「あいつはこのヤマをしのげないだろうな」と思う奴は大抵、女に走っていた。
重力に耐えるだけで噂というのは作られていたのだ。
酒井法子 歌。

「女のからだに響かなければ噂というものは作られない」
複雑な男女の幾何学模様の間を噂というものは駆け巡るだけであることから三次元積分のヒントを得た。
ピアノ算数の時代にはない影響力があった。
測定しなければならない時期があるからピアノ算数からみんな始めたのだ。
ダンロップ社なんてのはタイヤを売っているのか噂を売っているのか分からない会社だね。
男女のネットワークを社外にまで張りめぐらせる仕組みを採用しているからだ。
ピアノ算数を卒業したら社会に出る基礎ができる。
「みんなには分からないこと」「興味が持てる話が限られていること」「勉強しなければ到達できないことがあること」「見た目がモノを言うこと」この四つを三次元積分においては理解しなければならない。
「みんなには分からないこと」というのは男にとっては「女との向き合い方」であった。
「興味が持てる話が限られている」というのは「哲学しか理解できない女」のことを言い、「音符でできている言葉」とも言われた。
「忍耐強い男にしか分からないこと」であるとも言えた。
そして、「音符でできている言葉」は発言者の見た目とともに幾何学模様に乗せられて拡散していった。
四月は風の旅人。

内科の知識の拡散力は凄かったね。
結局、医学の情報や哲学の情報の拡散力を測定するのが数学だったのだ。
知識というものは「重力に耐えたもの」という扱いを受けた。
あとは「幾何学模様の複雑さ」に呑み込まれるだけだった。
三次元積分というものは幾何学模様の複雑さも考慮しなければならなかった。
小さなムラであれば計算は簡単だったのだ。
「人と話さなければならない」という基本を理解しなければならない。
そうでなければ一方的に潰されるだろう。
引きこもって法律書を広げるのは「絶望的な」作業だった。


【つづく】

2017年10月10日 (火)

学校女。

現在の日本の学校教育は、1世紀にインドの北東部で生まれ、3世紀に中国に伝わり、その後、朝鮮半島を通じて6世紀に日本に入ってきたものだ。
クラスに「女の子の胸」が持ち込まれた共学であり、「勉強をみんなで仲良くやろう」ということを強烈なイデオロギーとする。
女性の胸を「Here and Now」と言い、学校教育の哲学は永作博美さんのアルバム「Here and Now」で歌われている。
永作博美 Feel Me.

大日経としてクラスメートの女子たちの夢が男子に託された。
クラスは「仏のフィールド」と呼ばれ、中国では700年間続いた後に義務教育は廃れてしまった。
しかし、日本においては「2000年続くシステムだろう」と言われている。
Drivin' 永作博美。

日本が教育熱心な国だったこともこの仏教の伝統を後押しした。
「浄土」とクラスのことを呼んで愛した先生たちがいたのだ。
蘇我氏と聖徳太子がこのシステムを日本に持ち込んだのであり、プロテスタントのような「クラスのアイドル」がいることも必要だとされた。
カール・バースは「日本は常に海外を意識しながら教室というものを作っていた」としている。
エアメイル 永作博美。

若さというものに西洋社会への憧れを持ち込み、それでいながら「国に都合のいい教育をする」というのが教室のあり方だった。
法然は「寅さん」みたいに妹を可愛がる侍を念頭に置いていたようだ。
中世に至ってもこの教育システムは「かなり永続的なものである」とされている。
Without you 永作博美。

クラスのほとんどが悟るという大乗がこの空間にはあった。
みんなの夢がクラスでぶつかり合い、妥協というものを知り、「苦のない世界って何だろう?」ということを考えて欲しかったのであり、決して授業を真面目に聞けとは言わなかった。
「国ってのはだいたいそんなもんか」ということが分かればよかったのだ。
やがて、クラスはいろんな試練を迎えることになるが、女たちは男に夢を託すようになった。
信じさせてください 永作博美。

先生は「伝説からの教え」(カルマ)を語れるようになった。
女子たちの期待を背に男子はそれを熱心に聞いた。
「仏とは何か?」
それを思う存分にクラスで語ったのだ。
次々に学校行事を作っては先生たちは「教え」を説いた。
恋と微笑みと話を 永作博美。

「仏のように謙虚な男」を作りたかったのかもしれない。
それを王朝は望んでいたのだ。
派手に振る舞う奴が虐められるのは分かっていたことだった。
海外に赴任してどのようなイメージを日本人が持たれるのかという点にも注目した。
我々にとっては当たり前のことのようにも思えた。
「仏のように忍耐強い男だな」
逢いにきて 永作博美。

「ナンマンダブ」と唱える婆さんはどんな人生を歩んできたのだろう?
日本国の2000年の伝統がそこにはあった。
男たちに夢を託し、妹のように愛される、それが学校だったのだ。
このままで もうすこし 永作博美。

「90日間、耐えてごらん?」
これが比叡山の教えだった。
「ナンマンダブ」と唱えるたびに異性のことを思い出して耐えられたのだ。
天使が胸に降りる時 永作博美。

女たちは「仏の道を極めようとする男の生き死にのために」頭を下げた。
彼女たちは阿弥陀としてヒロインになりたかったのだろう。
女たちは「男に夢を託すのが自分たちの運命である」という悟りがあったのだろう。
南無阿弥陀仏(ああ、阿弥陀仏陀様)と唱える念仏カルトは、仏教学派の中でも「最も成功した」存在となっている。
男のために祈ることで女たちは自由になれた。
男のために祈ることは仏陀の力を頼りにすることを意味したのだ。
「他力本願」これが浄土宗の女たちのアイデンティティだった。
しかし、女たちの声援の「リスナー」は確実にいた。
言葉でも文字でも男は大事にしていたのだ。
「キス」をするという文化もここから育まれた。
彼女たちは「キス」というものに対しても「ああ、阿弥陀仏陀様」という意味を込めたのだ。
南無阿弥陀仏は「禅勝房に示す御言葉」とされた。
「仏陀ならばいずれ女心も分かってくれるようになるのかな」
彰晃は「鎮西学派」を作った人物に過ぎない。
女性たちの声援を分けて欲しかったのだろう。
上空も一遍も同じ考えだった。
島国だったからこのような考えが根付いたんだろう。
みんな仲良くしなければならなかったし、中国のタンラン和尚も「日本にしか馴染まないだろう」と考えていた。
「島に生まれた意味と仏について考えるように」
これは女子たちへの宿題だった。
生まれて島に「染まる」から男子の取り巻きを演じたのだろう。
「おばあちゃんも同じ教育を受けてきたの」
この門は聖徳太子以来、5回ぐらい通り抜けたかしら。
ゴータマはサクヤムニを愛したでしょう?
勉強が「知恵」に変わるというのは神話に近かったけどね。
ただし、勉強ができる男は「覚めた人」だと思った。
勉強というのは「女心を知っているぞ」という技に満ちた方法(方便)と呼ばれた。
人生が続いていくのが分かっていたから方便というものは用いられた。
親鸞は「大人になった後、二人はどうなるのか?」を考えた。
「主人」だったのだ。
親鸞の世界においては方便は通用せず、アーナンダが「女心を教えろ」としつこく迫った。
親鸞はアーナンダへの教えを「自然」(じねん)と呼んだ。
「女たちは譲り合えないんだ」
セックスするだけなら「問題」とは呼ばない。
他の女とトラブルになるから「問題ばっか起こす」と呼ばれたのだ。
方便を用いる男もいずれこのことが分かるようになる。
アジャセ王子とダイバダッタが、アジャセの父親を牢屋に閉じ込めたのを見て、仏陀は父のバイデヒから「もっと自由に生きたらどうだ?」と言われている。
この「ラジャグラーハの悲劇」が日本の女たちを美しくしたとされる。
法然の弟子たちは、もはや「女心を知らない」では済まされなかった。
1893年に仏教の世界は「世界宗教会議」に出た。
ゴードンに「ゴスペルを作ったらどうか?」と言われたり、「未成熟なセックスにもっと罪深さを感じた方がいい」と指摘された。
一方で「地球の救世主だね」という声もあり、教育改革に取り組んだ連中もいた。
通学列車 モーニング娘。

2017年10月 5日 (木)

ウィーンの女。

ファイヤーベント(1924〜1994)は、6歳になるまでベッドルームとキッチンだけの暮らしをしていた。
学校に入って「外の世界は危険なものだ」と思うようになり、病気がちになったが、「読むことによって」健康状態が良くなることを知った。
学校で突然、演劇の舞台に上がり、女たちの歓声を浴びることの楽しさを知った。
彼はエンターテイナーとして生きようと決めた。
しかし、学校の先生たちは彼にいろんなことを教えようとした。
14歳の時にヒトラーの演説を聞いたが「デタラメなことを話しているのになぜ仲間ができるんだろう?」と思った。
1939年に戦争が始まり、彼はヒトラーのSSに入隊している。
1942年にSSから逃げ出したが、クリスマスの前にはユーゴスラビアの軍に志願している。
「フロントラインに行きたくない」
それだけの理由だった。
ポーランドの自転車メーカーに配属されたが、病院に送られてくるドイツ兵の階級がだんだん上がっていくのを目撃している。
21歳の時に戦争が終わり、23歳になるまで4度結婚し、様々な経験を積んだ。
23歳の時に人生経験を踏まえてウィーン大学に入っている。
物理学を専攻したためにウィーンサークルに所属できた。
女の子たちがいっぱいいた。
フレッジやラッセル、ホワイトヘッドなどがいた。
1948年にカール・ポバーと出会っている。
カール・ポパーが作った世界。

ポパーは「ファシズムとは何か?」をよく理解していた。
ヴィトゲンシュタインなどと「写真の研究」を行なっていたのだ。
また、ファイヤーベントのところにホリッチャーというマルクス主義者も近づいてきた。
エリートに「外の世界」を散々語った。
ファイヤーベントは、「女の子たちの映像の撮り方」をガリレオから遡って、ヴィトゲンシュタインなどの多くの論客と研究している。
ポパーは処女を可愛がりすぎだと思うに至った。
どうやったら「映像から男たちはやる気をもらえるのか?」これがテーマとなった。
「やはり、ストーリーに哲学がなければダメだよね」
ここで物理学の専門が生かされた。
「人間というのはあまりにも勝手なんだよ」
これが量子論の共通認識だったのだ。
この「コペンハーゲン解釈」を基本に「二大派閥」が同時進行するという考えを用いた。
この世界の「どこをカメラで切り取るか?」というのが映像を作る哲学だったのだ。
この構造を作らなければ「人間は好き勝手には動けない」と考えたのだ。
渡る世間は鬼ばかり。

この世界に「真剣勝負」と「勃起」を絡ませていくのだ。
これをファイヤーベントが考えたことから「処女」は脇役になってしまった。
「持論を語る者もいる」「女心を間違えてはならない」
しかし、みんな「処女を愛していた」これが「問題」なのだ。
男たちの努力を見てみるといい。それはもはや「神学」だった。
「偏差値」がこの世界に持ち込まれただろ。
派閥の後継者争いに常に有利に働くのが偏差値なんだよ。
存在を否定されたくないという経験論者が、どのように行動するのか?
そして社会に組み込まれた「仕組み」をどのように偏差値の高いものが動かしていくのか。
1960年代にカリフォルニア大学バークレー校で「学生たちの反乱」が起きた。
ロンドンとベルリンにもこれは波及した。
黒人やヒスパニックなどのマイノリティーが「俺たちにも勉強させろ」と言い始めたのだ。
すべてファイヤーベントの映像の影響によるものだ。
偏差値のないものは「とにかく影響されないこと」「寛大であること」だけで影響力を持つしかなかった。
1970年代に「相対主義」がはびこり、若者が台頭してきた。
尾崎豊 シェリー。

ファイヤーベントは、教壇でも悠然と振る舞い「あの相対主義者を見たか?あのような連中を潰すために私は講義している」と語ったが、顔は青ざめていた。
相対主義者のセックスまでは映像はコントロールできないのではないか?という焦りがあった。
家族を大事にしたり、いじめの研究をしてみたりしたけど、相対主義者が圧倒していったのだ。
映像の世界が壊されるかと思った。
「大学がレジャーランドになる!」
そのようにして偏差値の世界は「たまに頼りになる男」として落ち着いてしまった。
1990年代に「西洋の頼りになる男」の復権が模索された。
踊る大捜査線。

我々が必要としているのは医者なのだろうか?法律家なのだろうか?
その時代背景の中で「ヒーロー」を作っていった。
ファイヤーベントの「相対主義との戦い」はここで終わっている。

2017年10月 4日 (水)

公共事業女。

ダンテの詩とは、
自分たちの故郷の豊かさを山が邪魔している、その山を打ち抜くためには豊作だけでは足りずに、彼氏が「帝国の父」のもとに学びに行かなければならなくなった。
残された女のもとには野獣のような男しかおらず、ひたすら犯された。
暗い故郷を明るくするためには山を打ち抜かなければならない。
「帝国の父」は恋愛に詳しいらしい。
男たちの性欲にさらされて、訛りも嫌いになった。
故郷が神を見失うとはこのようなことなのかしら。
河合その子 青いスタスィオン。

「帝国の父」のもとに学びに行った彼への忠誠を尽くすにはモンスターが多すぎる。
地元の年寄りの無力さが憎かった。
父親は「帝国の神など怖くはない」と強がっただけだった。
やがて、故郷でのセックスは快楽に変わった。
どのモンスターも同じに思えるようになった。
そんな時に彼が帰ってきた。
バプティズムを受けていた。
「モンスターたちの心を学んだだけだよ」と彼は言った。
どの男たちも富に変わるんだ。
高井麻巳子 約束。

「いい風が吹いているな。すべての欲望や惨めさが富に変わるんだよね」
彼は言った。
「犬のような奴にはシェルターを与え、話のわからない奴には昔の自分を思い出している」
妻となった彼女に彼は語った。
彼女の惨めな人生は語れないことばかりだったからこそ、彼の言っていることの意味がわかった。
海岸線に家を建てた。
周囲が二人を認めているようだった。
欲望はモスクに集めた。ここが天国と地獄を教えてくれるからね。
町が豊かになったので、人々はモスクに頭を下げにきた。
船がぶつかったと言っては金儲けをしたのが彼だった。
エンターテイナーがいれば評論してみせた。
彼は「将軍」と呼ばれ、同じ境遇の他の町の将軍と交流を持った。
食べ物や紅茶のやり取りもした。
公共事業をやるたびに「誰がやったんだ?」と人々は語り合った。
その度に彼は「犬にエサを」やった。
これは芸術だったね。
彼は「先生」と呼ばれた。
町が黒い煙に包まれた。
理由が分からなかったので、どの街でも生きていけるさ、と言って二人は引っ越した。
やがて、煙が引いたので「山林が燃えて豹が怖かったけど消し止めた」という奴がいたので、のちに行われた選挙で苦労した。
いろんな経験をしないと故郷って生まれないんだなと思った。
刑務所のまわりにも「手柄」が取り巻いていたので選挙の時は緊張した。
犯罪の被害者の証言への同情にはとても敵わないなとも思った。
知識がある彼も、実際に痛い目にあった人には敵わなかった。
そこで犯罪被害者は寺院を建てた。
死を神聖化し、その息子が彼の敵になった。
精霊流し さだまさし。

まだ人生を知らない美しい女も怖かった。

「帝国の父」が死んだ。
三つのサークルができて密談が始まった。
ひとつは暴力を好み、もうひとつは分断作戦を好み、最後のひとつが田舎の政治の話を愛した。
殺しと浮気の話よりは「帝国の父」が田舎に何をもたらしていたのかを知って欲しかったんだよね。
殺しは寺院と結びつき、浮気はソドムとゴモラと結びついたので強かった。
「罰」がともなわなかったのは田舎の政治だけだったのが3番目のグループに優位に働いた。
「田舎に恋愛論をもたらそう」
これが哲学の起源となった。
3番目のグループが勝ったからだ。
しかし、後継者も自分の娘のわがままに翻弄されて、政治生命を維持するのは極めて難しいのが政治だと再び思った。
娘はそれを学習して「神のメッセンジャーだ」と言い始めたのだ。

人生を知らない娘、それが田舎で彼を恐れされた。
男たちは政治を忘れて美貌に見入ったのだ。
ロマンティックに背伸びして。

いずれにせよ地方自治は国に由来するという伝来説は「帝国の父」がいたから成立したのだ。
死にせよソドムとゴモラにせよ、ボロボロとこぼれるように化けの皮が剥がされていったからだ。
暴力は「父と子、聖霊」の三方向を向かなければならなかったし、死の学問もこの三つを相手にしなければならなかった。
子にはおちんちんがあったし、聖霊は幻となった。
まるで女神と戦争を強いられたかのように苦戦したのだ。
ソドムとゴモラは良心との戦いであり、生まれにも自信が持てなくなっていた。
疑心暗鬼と偽善、ドメスティックバイオレンスなどがともなった。
愛と学問、そしてモンスターたちの救いを与えたから三つめの小さなサークルが勝利を収めることとなった。
しかし、美しい女を利用したことから街が「左翼化」したのは認めなければならない。
「頭がいいやつは得するよな」と言って必ずしも知性を愛さなかったものもいた。
SPEED Deep blue&truth.

いずれにせよ「神の国」ができたので、孫をみんなが待ち望んだ(天孫降臨)。
学者たちが「これで自由に研究ができる」として田舎の政治を愛したからだ。
山が平らになったので、境界線をめぐってさらなる学問が求められた。
「誰が世界の王なのか?」などと言い出すものもいた。
「世界の王と言っても働けないではないか?」「地獄へ送ってやろうか」
という議論がなされ、国際政治の学問が生まれた。
「短すぎる命」は寺院に送られた。
ソドムとゴモラは卑しいとされ「触らないで!」と言われた。
劉備玄徳のような学者が常に三国時代を制してきた。
しかし、学者は「ハレルヤ」「私たちと一緒に死んで」と言われた。
男たちの怒りとともにアレキサンダー大王が誕生したのだ。
アレキサンダー大王は常に周囲から「お父さんが怒ってるぞ」「女性の考えはどうなってる」と非難された。
男たちの怒りが収まらなかったのでとうとう戦争が始まった。
山に囲まれてモンスターたちがいるトロヤは案外、攻略が難しいことを知った。
トロヤは遅れた国だったかもしれないが、「森林を焼き払うことなどできない」と言って女性たちの支持を集めたのだ。
「自然を愛する王」
そう言うだけで難攻不落の国となった。
アレキサンダー大王は無口だったが「楽しい話を聞かせてくれ」といつも言っていた。
そのために「森で豹に噛まれて悶え苦しんだ人」の話を聞かせてやった。
バプティストの成功体験をもう一度、違う視点から話して聞かせたのだ。
森に火が放たれたのもバプティストの活躍が面白くなかった奴がやったことだと話して聞かせた。
そのまま、「自然を愛する王」は追い詰められていった。
7人の王が「自然を愛する王」を包囲したが、最も贅沢な部屋に住んでいたのがアレキサンダー大王だった。
戦争に勝ちさえすればアレキサンダー大王が女二人を囲っていて金や銀を与えていたり、部下を殺したりしても政治生命が脅かされないことを学習した。
彼の家族は宝石を愛したし、女たちはラテンのブルネットの美しさを語り合った。
REBECCA プライベートヒロイン。

「俺に人気がないのはなんでかね?お金では人気は買えないな」
これがアレキサンダー大王がの悩みだった。
王朝が安定すると「金持ちのまま死ぬというのはどういうことなんだ?永遠とはなんだ?」という問いかけをアレキサンダー大王がが周囲に語るようになった。
アレキサンダーの発言を周囲は聞いて陰謀を巡らすようになった。
娘は「戦争で人が死ぬとはなんて悲しいことでしょう?」と語った。
父の地方自治の活動の負の側面を見つけたり、アレキサンダーの戦争で起きたことを悲しみに変えていた。
周囲は娘に外国を旅させたり、贅沢をさせていたが「兄は人生の悲しみを知らない」と言って女帝の座を狙っていたようだ。
でも、お金目当てのモンスターたちには嫌気がさした。
「私に必要なのはロマンスなの」
お互いに殴り合っている男たちが、私と関係を持てば優位に立てると思ったみたい。
まるで売春婦のように扱われるなんて地獄みたい。
緑の少女 河合その子。

無政府女。

なぜ、割礼というものは行われるのだろうか?
答えは「皮オナニーをやるとセックスというものがよく分かるようになる」からである。
「政府はセックスというものを理解していない」と主張して女たちの支持を集める活動家を「無政府主義者」と呼ぶ。
特高警察 赤狩り。

しかし、政府のメンバーの多様化は、マルクス主義者やヘーゲル左派の野放図な活動範囲を確実に狭めていったし、音楽作品の普及は「恋愛とはどのようなものか」を完全に透明化させてしまった。
昔、政府がまったく掌握できなかった連中がいたのは事実であるし、その伝統は今でも「政府は固すぎる。私たちのセックスを理解していない」という日本国の伝統となっている。
宗教面においても、教団は「政府を真似して」教団組織を作っていたので「本当に私たちの恋愛事情を分かっているのかしら?」という疑いの眼差しが向けられた。
音楽作品をみんなで笑いながら聞く道教やスーフィズム、そしてドラマを楽しむ仏教の世界に疎いのが「お固い宗教家である」というイメージも根付いていた。
「カリスマとは高尚なものである」
このことから宗教家においても無政府主義者が暗躍することになった。
カトリックの影響力が宗教家に広く及んでいたことも背景にある。
日本国の神話に「性行為非公然性の原則」があったことから、カリスマを維持しようとした男はセックスの存在をひた隠しにした。
「オープン家族」とはデリダやドゥルーズ、フーコーが提示したものだ。
この「オープン家族」モデルがインターネットの世界に性を蔓延させたのだ。
国家がそのハンドルを握ることとなった。
「国がハードコアを許している」
このことはマルクス主義者に痛烈な打撃を与えた。
そこで、無政府主義は「女心ってどのようなものだろう?」という方向に向かい、政府とその「理解力」の競争を始めたのだ。
「政府の腰が重い」「有効な政策を打ち出せない」このことを狙って活動したのだ。
猫舌ごころも恋のうち。

やがて、無政府主義者は「権威」から排除されていくのを感じた。
性に奔放であるとまるで「爆弾を投げるニヒリスト」のように扱われたのだ。
「堅物」
それが権威だった。
人々も、自分たちは自由を謳歌しながらも堅物との社会契約を望んでいた。
「抑圧、暴力、腐敗」は憎むべきものだった。
エジプトのファラオは巨大なロッドを一生涯使わなかった、このことからピラミッドは作られている。
ルソーもその教育を採用したのだ。
クロポトキンやゴールドマンなどは「王になるつもりはない」としてかなり派手に女遊びをして秩序を乱した。
1910年にクロポトキンの影響で大逆事件が起きた。
王に近い連中が、それに歯向かって自由奔放に遊ぶ男たちを取り締まったのだ。
この時に「満場一致の民主主義の難しさ」を学習した。
部下の前で汚い言葉を使わない、食事も共にしないという統治機構の基本があったからこそ、大逆事件は生まれた。
しかし、リーダーはまるで精神科医のように「女心に詳しい」という心理学が統治機構を形成したのだ。
家庭が破綻した男を指導者にはしたくなかっただけなのかもしれない。
チョムスキーは「子供がデートする」ことを批判した。
格差や階級、エリート主義、人種差別、性差別が「子供のデートの禁止」から生まれた。
民族によってかなり全体主義的にこの問題は捉えられたのだ。
この時の記憶から大人になっても「風俗は悪である」と考えるエリートもいた。
まるで「違法なグループ」として出世しようとする男たちが風俗に行った。
統治機構が扱いに困ったのは事実なのだ。
反共労務管理の一部として、風俗通いする社員と向き合わなければならなかったのだ。
組織は「現状維持」を求めていたからだ。
権力の「中枢」は風俗通いなどしていなかった。
特高警察 赤狩り。

どの社会人も「政治生活」を送っていた。
「口説き文句」を考えては他者と「財布の交換」をしていたのだ。
ボルシェビズムは右翼のムーブメントだったが、「必要なことはなんでもやろう」という考えに至って、女を口説いた。
トルストイも「恋愛をする奴は平和だ」としており、ガンディーに影響を与えた。
「派手な女遊び」ではなく「恋愛」というものが提示されたのだ。
それは無政府主義の間に蔓延した暴力とは一線を画すものであった。
「国家に反発して」行うものでもなかった。
なぜキリスト教徒は「カエサルのものはカエサルのものに」と言ったのだろうか。
それは「特定のパートナーとしっかりと向き合う」という意味であり、女心というものをよく考え、そこで学んだものを権力者にお返しする、そういう意味においては「女遊び」を戒めるものであった。
無政府主義者はあまりにも戦術的すぎたのだ。
風俗は国家レベルで「革命ごっこ」「天皇ごっこ」を提供するものに過ぎない。
お金も払わなければならない。
そのようにして国は暴力というものを吸収した。
クエーカー教のハチソンが17世紀にマサチューセッツベイコロニーにおいて風俗店を営み、もはや王にはなれない男たちが女を口説いた。
無政府主義の理想郷の原型はここにあり、19世紀から1930年代のスペインなどで国に反発するものがお金を払って風俗に行った。
1960年代から1970年代にかけてセックスと革命の嵐が吹き荒れたが、国はもはや若者への「出世の道が閉ざされないだろうか?」という親心から眺めていたに過ぎない。
「空想的な革命ごっこ」に過ぎないのが女遊びだったのだ。
新宿鮫とて、もはや警察が完全に掌握していた。
特高警察 赤狩り。

2017年10月 2日 (月)

若い女。

若さとは「愚かさ」であるが、崇拝の対象でもある。
20世紀に入って、「若さへの崇拝」を利用した芸術作品が多く生み出されるようになった。
それは「絶対的な芸術」ではあったが、彼らが歴史に名を残すことを許さないという「絶対的な歴史」でもあった。
尾崎豊 シェリー。

若さとはエネルギーであり、無謀であった。
しかし、「女心」を知らなかった。
歴史に残るかどうかは「絶対的な歴史」という高い壁が立ちはだかったが、女たちはそれでも若さを愛した。
「時間と空間」が限られているのが若さであったためにみんな「相対主義」に立脚していた。
譲れないほどの「絶対」ももたずに、他人に自分を全否定されることすらあった。
そんな連中には「経験が必要」と大人たちは指摘していた。
まだ「場数」を踏まずにどうやって女を口説けというのか?
恋愛教科書があったとしても、経験とはなかなか合致しない、そのような悩みがあった。
同年代の女にはまだ「処女」もいた。
そのために男たちは「自己表現」をしなければならなかった。
何かの目的を持てと教わっていたので処女の女もなんだか病んでいた。
「誰があの女を落とすというのだろうか。」
病んでいる処女は「直感」に向かって言葉を投げかけなければ支離滅裂な答えをよこすんだよ。
ribbon わかってないね。

カントは「ルールを守る男だけが処女を抱ける」としていたが、それは「法律」というよりは何かの「法」だった。
心のルールがあったのだろう。
夢と希望はテーブルであり、肉体は木だった。
ピアノもあれば詩もあったし絵画もあった。
若さを表現する方法はいろいろあった。
軽音楽部に入ったら簡単に若さは表現できた。
詩も表現できるだろう。
しかし、どこかを漂っているような詩しか書けなかった。
計算つくされた「詩」はとてもではないけど書けない。
男はどのみち「自己表現」をする人生を歩む。
「完成された詩」も分からずにプレゼンができるであろうか。
「なんだ、やけに深刻そうだな」
そう思って聴いた詩の意味が分かる時が来るのだろうか。
その「人生の探求」は喜びであろう。
大人たちはそのような「可能性」を見ていたのだ。
それが「絶対的な歴史」への道のりだった。
分かる頃には周りには処女なんていなくなるだろうが、同年代の男の子は何も知らないから女は嘘をついた。
20世紀には知識はもはや巨大化していたからだ。
哀しい方の嘘 ribbon.

絵を描くこともできたが、何かが間違っていた。
なぜ「線と色」すら上手く描けないのだろう。
道具は揃えることはできたが、自分には何かが足りなかった。
「見たもの聞いたもの」
これが足りなかったのだ。
ダンテと自分は何が違うのだろう?
「絶対的な歴史」とは簡単に触れ合うことができたが、自分とどう違うのかは分からなかった。
「ひたすら吐き出す」のではなにも成長しないのだ。
ひたすら生きるしかない。
もし「絶対的な歴史」に興味があるのであれば、興味を持ち続ければいい。
いずれマクベスのような「権力者に擦り寄る美女」の意味も分かるようになるし、「ハムレット」のように「15歳の夜に決めた決意」が実現するのも感じるだろう。
若さは美しい。
誰が「絶対的な歴史」と本当に向き合っているのかも分からない。
「喜怒哀楽を忘れたらダメだよ」
怒りの日記を書いてもいいんだ。
毎日、よく眠ることだよ。
自分のプライベートは秘密にしておいたほうがいい。
そこに「絶対的な歴史」の秘密のすべてがあるからだ。
仕事でしっかりと「表現」する、しかも権威と自分を常に比較してみるという作業が大事なんだ。
ribbon 真夏のフェミニスト。

市民政府二論とは、勉強を好む連中や女に詳しい連中がいる「男女共学」の世界において非常に前向きな異性に対する考え方を提示したものであり、感受性の豊かな者が、本を読むことによって様々な実験を行っていく世界を示している。
それは「男女共学」の世界の「恋」を探求するものだった。
「優しくする」と言ってもいろいろあるだろうが、「女のつまらない話」をあえて好むことが求められる。
形や色や動きなどの感じ方の男女の距離感を否定してくれる人に恋した。
ニュートンは「男が女に合わせる」必要性を感じていた。
しかし、「ハズレくじ男」は女に合わせることを知らなかった。
ハズレくじ男が女に優しくしないで勉強を続けた結果、どの本も「女」について語っていることを知った。
硬派な裁判官も、刑事裁判においては「いかにモテる男になるか」を裁いたし、民事裁判においては「いかに女心を覚えてお金をもうけるか」を裁いた。
副業は裁判官には許されていなかったが、東大法学部の学生を身内から出すことは一族の豊かさを約束するものだと年寄りだけが理解していた。
民事と刑事を分けたのが「二論」だったのだ。
私は知恵の輪。

男女が共存している世界で起きる「事件」は民事にせよ刑事にせよ裁判官に「学習」をもたらす。
男女の痴話喧嘩ばかりが法廷に持ち込まれることを知り、「どの男を祝福すべきか」を知る。
男を祝福する学問が裁判であり、憲法(女の怒り)判断は極力避けた方がいい。
「別の方法はなかったのかな?」という問題が男にはつきまとう。
結論だけが裁判所に送られて来るが、「祝福すべき男」の考えていたことをすべて語らせるのだ。
女性観やフェティシズムなどすべてをガサ入れしてしまう。
刑事裁判記録はのちにすべて公表されることになる。
逮捕しちゃうぞ。

難しい「法律学」を勉強すると、どれほど「柔らかい」議論が待っているであろうか?
これが「ネイチャー」(勉強)と「サイエンス」(女学)の関係だ。
どっちが強い学問かというとサイエンスだよ。
しかし、これが分かるようになるまではネイチャーを学ばせられるんだ。
光から逃げるようにして勉強していた人間が太陽に向かい始めるのだ。
どんないびつな三角形も、「二つの正三角形になる」のだ。
風変わりな勉強家のおかげで、男二人を女たちが奪い合うようになる。
「勃起」に女たちは興味があったのだ。
正しい線を一本引いてみるだけの人生がネイチャーだった。
「人数に入らない男」が正しい線を引くのだろう。
まだセックスしていない若い娘たちはきれいな正三角形を二つ作るよ。
このユークリッドをうまく理解しながら高校生は学校生活を送るのだ。
避暑地の森の天使たち おニャン子クラブ。

財産がなければセックスできないだろ。
だからみんな勉強から人生を始めるんだ。
勉強で挫折すると勃起しなくなるだろ。
うまく「二つの正三角形」を作り続けるのが大事だな。
「人数に入らない男」が一番伸びると思うね。
女の子は「追いつかないノート」にため息をついて、正三角形を作るんだ。
「大人たちが教えているもの」
それが勉強だった。
しかも、はっきりとした「点数」まで出る。
勉強を続けていくためには、女子たちの祝福が必要であり、しかも、勉強の中にも「女学」の問題がねじ込められていなければならない。
恋愛論の交換は「お財布の交換」であることから、クラスメートの処女たちが勉強に理解を示していた。
テストの課題はたとえ狭くても「女学」の問題な必ず含められていた。
「感受性」という第三の学問を学んで欲しかったのだ。
サイエンスの世界で最後にモノを言うのが感受性だったからだ。
感受性がなければあまりにも学問は複雑すぎるのだ。
「曖昧な黄金」
それが学問だった。
「彼は人数には入らないのよ」という女たち。

論文なんてものは感受性で読むんだよ。
硬さや動きや形を読んでいくんだ。
光や熱や白さ、冷たさを味や色ではなく「喜びの中で光を見る」ように読むのだ。
すべての学者が実は「団結」しているのだ。
苦しみに耐えて文字を生み出している。
団結といっても共通点は「女を愛していた」と言うことなんだ。
重力に耐えるエネルギーなんてそれだけだよ。
それを喜びに変えていかなければ学問なんてできないだろうね。
男は「固い壁」に圧力をかけていかなければならない。
勉強さえしていれば女たちの取り巻きもできるだろう。
やがて「何のための知識なのか?」が分かるようになる。
重力の存在はあまりにも大きい。
しかし、その重力のある世界で動くための「衝動」を見つけていかなければならない。
「恋」というものをデカルトが考えたのはそのためだ。
モーニング娘。 Im luky girl.

運動量保存の原則はニュートンが考えたが、学ぶ子供がいるとすると、その分だけ授業についていけない子供が増える。
先生は子供全体を伸ばそうなどとは思っていない。
ひたすら「激しい脳の運動」を教室でやっていると周りが冷めていく。
いかに「自分中心」に授業をまわしていくかが大事だ。
体格のいい男がよく学んでいるので、体格で伸ばす男を選ぶのが正解ではある。
背の高い男には女が群がりやすいし、教室で「脳の激しい運動」もできる。
周囲はなぜか冷めていくのが分かる。
そのようにして勝敗は決まるのだ。
松浦亜弥 チョコレート魂。

2017年10月 1日 (日)

希望の党女。

学問ってどうやったら育まれるの?言葉とおちんちんってどのような関係があるの?
女たちは常にこのことに興味を持っていた。
女が男に力を与えることは分かっているけど、北ヨーロッパの「王室の女たち」は常に、「男たちに力を与えたい」と考え続けていた。
ただのアニマルから文化の水準を引き上げる、これは王室の仕事とされた。
文化を知らないことの惨めさを知っていたのがキリスト教ヒューマニズムの世界だった。
ヘブライ、ギリシャ、ラテンの聖書のすべてが女たちに彩られていた。
文化の前衛としてこれは位置付けられており、新訳聖書はエラスムスが書いた。
その新訳聖書は「すべての女たちを描いてやろう」というものであり、女たちは平和的に共存していた。
ルターのゴーストライターとして知られたのがエラスムスであり、そのテーマは「あらゆるタイプの女たちが男に力を与える」というものであった。
ポイズンの退屈。

それは、もはや「文学」の域を超えていたので「新訳聖書」と呼ばれた。
王朝(芸能界)ってどんなところなのだろう?
パリのモンターニュでエラスムスはそのことを研究していた。
しかし、そんな女々しい研究をしているエラスムスに女たちは資金を与えようとはしなかった。
エラスムスはイギリスに渡り、一人の弟子と友人たちに囲まれて、ひたすら「女たちが見せる人間らしい側面」を見ては聖書に加筆していった。
ルーベン大学でもパリ大学でも「異端」とされた。
これがプロテスタントの夜明けだったのだ。
「エクレシアに女たちが集えるようにしよう」
聖書とは神と男の関係を記したものではなかったのか?
エラスムスが卵を産み、ルターが育てた、マタイ3:2「悔い改めよ。王朝は目の前にある」これがエラスムスが女たちに真っ先にかける言葉となった。
悔い改めよとは失恋ソングの起源であり、なんら女たちに反省を迫るものではなかったのだ。
失恋ソングをプロテスタントが手にしたことにはカトリックフライブルクがいたく感銘を受け、ドイツを基盤としたことは「悔い改めよ」という言葉と共にあった。
優しさに帰れない。

失恋ソングとは「言葉の起源」であり、「文法家」がある言語を分けたに過ぎない。
ヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語しかなかったヨーロッパに「自由自在に」言語を生み出すことができた。
「暗くて存在しない闇」から言葉を生み出した方がより言語が豊かになった。
失恋ソングは、いじめや、カッコつけだけの男などの存在が背景にあり、女たちの夢がぶつかり合えば、あとは文法の上に乗せるだけでよかった。
この方法がわかったからこそ今日のように、一つの国に一つの言語を与えることができるようになったのだ。
言語を自在に生み出せる、これがわかった時にカトリックはエラスムスを「キリスト教ヒューマニスト」と呼ぶに至っている。
国境線を引けば言語を変えられる、これはのちに「30年戦争」へと発展している。
ロマンスかくれんぼ。

「言語を作り出せる」
それは素晴らしい学問だったが、ヨーロッパという文化圏がそのことをどのように受け止めるのか?
アカデミズムの側はかなり懐疑的に見ていたようだ。
しかし「カトリックの教えから排除された女たちはいないか?」エラスムスはそこに目をつけた。
我々は多様な女たちから力を与えられてはいないだろうか?
集団があって、いじめがあって、闇がある、ぶつかり合った女たちの夢の隙間を利用して言葉を生み出したことはエラスムスの才能とも言え、カトリックが「排除してきた女たちがいる」ことを強烈に批判するものであった。
「国語教育とは性教育である」
男とは生まれるものではなくなるものだ、そのように女の側から指摘された。
言語を作った女たちは「ニューマザー」と呼ばれ、言葉を作る作業は男のことを考えているから楽しかったと彼女たちは語った。
ヨハネ1:1始めに言葉があった。
これはプロテスタントの教えだったのだ。
やがて、エラスムスは言語を作るというアフォリズムの達成のために戦争を望むようになった。
教えと言語を一体化させて国を分割しようとしたのだ。
教えとは「性教育」しかなかった。
イギリスで目撃した女たちからそれを学習していたのだ。
より女たちが快適に過ごせる空気を作りたかったのだろう。
私と神(男)の関係、そしてより快適な暮らし、それをキリスト教社会にもたらすのにも「言語」というものを利用しようと考えたのだ。
国を分ける象徴を「ピエタ」と呼ぶのであれば、それは男との関係や社会での居心地の良さにしかそれは見当たらなかった。
カトリックは、エラスムスを「ユダヤ人」と罵倒した。
異端、魔女狩り、あらゆる罵倒を浴びせてきた女たちに国が与えられてしまう。
1530年にはすでに理論的にはヨーロッパの国づくりが可能であるとされていたのだ。
ひとりぼっち。

男は夜の街に落ちていきそうになることがある。
しかし、夜の街では男は「おちんちんと計算以外は白紙である」と扱われ、みんな同じ待遇を受ける。
「知性」以外、噂になることはない。
子供が夜の街に落ちて行っても得るものはない。
黒革の手帖は「大人の口説き文句」だけがひたすら記されており、それはビジネスの学問であった。
言葉の序列は社会の序列だ。
女たちは必死で男の言葉を手帳に書き記していた。
口説き文句は「生きることに前向き」な言葉であったし、人生の目的すら示していた。
夜の街で宇宙を語ることも女たちに人気があった。
宇宙を語ると「おちんちんと計算」だけではなく男たちの争いも治った。
SPEED Another sweet field.

夜中に「太陽の10倍輝きたい」という星(男)たちの言葉を記したのだ。
医者は特にモテた。
太陽の下の地球というものを感じさせたのは医者の言葉だった。
世界最古の職業とは古代バビロニアの寺院に仕えた売春婦のことを言う。
男社会で生きている証拠、それすら女を打ち負かすことはできない。
色や甘さ、苦味などで言葉を表現してくれなければ私は彼の言葉を手帳には記さなかったでしょう。
スポーツのテクニックや、大人たちの知恵をどのように色や甘さ、苦みにたとえるのかしら。
女子高生がクラスの男子の言葉を書き貯められるかは分からなかった。
夜にならないと言葉は饒舌にはならない。
男の下半身が、本音を語らせるのも夜だった。
夜の男たちはみんな熱病に冒されたように病んでいた。
男に何が隠されてあるのかがわかったから。
日本では黒革の手帖と呼んだけど、イギリスでは「ホワイトペーパー」と呼んだ。
松田聖子 上海倶楽部。

昼間はどんなお仕事をなさっているの?色や甘さ、苦味にたとえてみてちょうだい。
私にはそれしか分からないから。
そして私は嘘をつくでしょう。
女の嘘を見抜けるかしら。
あなたはまるで大声で叫んでも恥ずかしくないような言葉を残してくれた。
「私は動物ではない」と思えたわ。
生き物がどうやって群れを作るのかも分かった。
アリストテレスは多くの男女を集めて北極星を目指してナイル川を下った。
地球の円周をはかるためだった。
男女は、夜中にひたすら語り合った。
本を読んだと言う男もいたが、果たして私に通じるかしら。
エピクロス派は、人間のあらゆるムチャをやってみたが、それ以降、人間が知らないことはなくなった。
壁をぶち破ろうが暴れようがエピクロス派がすでに経験したことだからやめときな。
ひたすら興奮する方向に人間が向かうこともなくなった。
すべての武勇伝はエピクロス派が経験したのよ。先人たちに敬意を払いたければ自慢しないでね。
祖先たちに敬意を払っているかどうかはそれでわかるの。
愛の炎 田中れいな。

昼間、散々いじめられてきたのかしら。
そんなこと女の世界にもあるものよ?
もう、何も新しいものはないのかしら。
「おちんちんと計算」だけの男を見ているとそう思うこともあるの。
もっといじめられて面白い話を聞かせてくれればいいのに。
優しさを知っている人はいじめられているわ。
いじめは精神医学の起源なの。
だから私は太ったメガネの男に可能性を感じた。
新しい話に常に敏感で、芸術に詳しいから。
その人の受け売りさえ話していれば私の知らない世界も分かった。
全部、手帳に記したわ。
ヨーロッパ中世に流行したのがこのような「夜の街」だった。
でも、今はこのような「黒革の手帖」を書き記すためにこの仕事があることをみんな忘れているでしょう。
お酒を飲んでお金を取るだけ。
手帳を書くために話を聞く、それができる環境を作るために警察の管轄になっているのにね。
お金はしっかりともらわなければダメね。
話の信憑性も薄れてしまうから。
女たちが作った「言葉」を男たちはこのように夜の街で語り続けた。
しょせん、言葉のマスターは男だよね。
電話でね 高橋愛。

幸せ女。

二人の女を同時に愛すると、女の側が男に「不幸になれ」と望むものだ。
それは非常に残酷な感情である。
女は「その日の夜」のことしか考えていないので「何が起きるかわからない」というリスクがあるのだ。
幸せですか モーニング娘。

男の力量を見て「他に女がいるかもね」と考えている。
私に何を語ったのか?
それを他の女にも語っているだろうから、男を見て「他の女の存在」を想像している。
私に語ったことへの独占欲もあった。
見た目や「性の考え方」などを見ながら「これはモテるだろうね」と判断している。
よく知っている男でなければ独占欲など生じるわけがなかった。
小さな出来事の積み重ねだ。
だんだんその想いは残酷なものに変わっていった。
1950年代から1960年代にかけて、それは数学となり、独占欲は男の言葉を欲しているのかお金を欲しているのかの区別が女にはできなくなった。
政治意思というものが恋愛論になった頃に、男の言葉を愛したのかお金を愛したのかがわからなくなったのだ。
やたら女心に詳しい人ね、と思ったらお金をドンと支払ったりするものだから、彼がどのように力をつけていくのか?どのような蓄積を持っているのかをかなり時間をかけて見守った。
男なんて皆同じと思ったら大間違いよ?
1ヶ月で1ドルくらいは変わってくるものなの。
その異変を女は注意深く見ているの。
「なぜ私とセックスしたがるのだろう?」
女は考えたし、セックスしたがらなければ「その気」にさせなければならない。
女だって世間知らずではなかった。
その言葉が社会でどのような意味を持つのか?どのレベルのものかは分かっていた。
信用できるかどうかも分かっていた。
独占欲 モーニング娘。

数学は、自分がその世界でどの位置にいるのかを示すし、時にはGPSのように本当に居場所まで特定する力を持っている。
男を追跡するのに用いられることがあるのだ。
「尾行」なんてものは女の数学を用いれば簡単にできる。
プラトンは数字を詩にしただけだった。
しかし、ライプニッツは「積分」というものを考えて、男の心の大きさを測った。
女たちの悪口などの噂話を集めて「積」としたのだ。
「まったく話題にもしなかった」
そのような下層階級の男もいた。
「積」が出せる男を想像して自分を慰めたりもした。
心は数学でできているとも言われた。
「セックスした男かしていない男か」
このこと自体、数学だった。
算数から覚えるのは「セックスしていない男しかいない」からである。
やがて、ヒルベルトは「同じ空間を男と共有してみる」という考えを持つに至った。
セックスしていない男という算数から入って、安全な場所を隠しながら男と時間を共にするのだ。
この「ピアノ算数」を学ぶ時期が女の子は結構長い。
続けるって大事だね。
ピアノ算数だけでも多くのことを学べる。
やがて、男の子とはいろんなものが変わっていき、「私の中の何かが壊れる」ような男とも出会う。
何かが壊れたらまるで賠償を求めるように「抱いてもらいたい」と考えるようになる。
お金を支払われたのならばセックスしなければならないと思っているのだろう。
初めて唇を重ねた夜 松浦亜弥。

ピアノ算数から入って、男に何かを壊される時、ようやくカップルに何らかの発信力が生まれる。
しかし、男の子には解けない問題だ。
ツェルメロフランケル理論、つまり「優しくするだけで解ける」問題が男の子には解けないのだ。
絶対解ける問題。

「性というものをどう考えているの?」
この問いかけに「壊れる」女がいるのだ。
しかし、ピアノ算数をやっている時期は「お勉強ができる男の子」に心を壊されることがある。
男の子は「自分の周りに群がるグルーピーのような女の子」を意識するようになる。
しかし、それでは「両想い」にはならないだろう。
勉強ができるだけでは「女心」までは分からない。
これはピアノ算数の段階であり、男の数々という数学の世界の入門編なのだ。
「両想いになってはいけないのは分かっていた」
セックスした時は純粋に嬉しかった。
でも、私は何も計算できない女だったということも知った。
なぜならばセックスした男が後先を考えていなかったことを知ったから。
私の魅力に気付かない鈍感な人。

まだ、まわりをチョロチョロしていた頃の方が楽しかったわ。
男を覚えるようになって、詩の意味を知り、やがて男の数は複素数になった。
男へのときめきがなくなったのを感じたわ。
ときめきを感じないということは「お金の匂いを男に感じなくなる」という意味だった。
やがて、女の子としての柔軟性を失い、ヒステリーも覚えた。
ドラマの影響かしら。
男を覚えるとドラマが好きになるのよね。
「ドラマのような恋がしたい」なんて思ってヒステリーを起こしていた。
男の意味が分からなければストーリーは追えないものよ?
現実から目を背けたくなるからかもね。
彼ともドラマを演じたりしてみた。
「男ってこうあるべき」という信念のようなものが芽生えるとヒステリーも起こすわね。
「現実を知っている女」
それがドラマを見る女だった。
弱気な男を憎んだりもした。
一方で、ドラマに無頓着な男が好きになったりもした。
男の無限はドラマにはなかった。
学問の世界はドラマのように単純ではなかったから。
テレビなんて見ない男の方が頭がいいと思うこともあった。
赤いスイートピー 松田聖子。

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