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Foreign Affairs

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趣味

2015年11月 7日 (土)

司法試験の問題を解いてみました

「パワーポリティクス」
価値が民間から消え、愛国心や経済、政治を一人の人間が把握すると、民衆は国家に集まってくる。
背景には「嫉妬」があるとマックス・ウェーバーは分析した。
英語圏の大学が世界ランキング上位にあったため、英語圏の国へのパワーシフトを引き起こしたのがパワーポリティクスだったのだ。

平成24年公法系第一問。
観音とは聖徳太子のことであり、天皇家の次男である。
菩薩とは、仏陀の三人の弟子の一人である。
六道とは、起こらない人にはなにも教えることはない、という教えであり、十二縁起とは苦のメカニズムである。
まずは判例を挙げたい。
①墓埋法によりどの宗派の人も埋葬しなければならないが、創価学会の様式の様式の刻印は拒否できる。
②地鎮祭に市がお金を出してもいい。
③白山神社の夏祭りに市長が参加することは住民の幅広い支持を受けているものなので容認される。
④板まんだら事件では裁判所が教義にわたって判断を行わないとした。
⑤役員たる地位が訴訟物であっても教義を持ち出すことは許さない。

村の支出を争うのであれば住民訴訟しかない。
生活保護の女性のために役場と交渉して贅沢な暮らしをさせてしまったとする。
このような場合に弁護士が恐れるのは「住民の50分の一の署名による監査請求」である。
役場の会計の問題は監査請求から住民訴訟に行く。

私が思うに、教義について裁判所で争わなければ、寺の組織の統制が取れないのである。
多数派の考えを正統とみなすなどの方法があるはずである。
日本の宗教団体が分裂を繰り返したのは板まんだら事件が原因ではないかと私は考えている。


平成24年公法系第2問。
都市計画に処分性はない。
都市計画とは国家の地上戦を想定するかしないかなどの考えが働くことから、国民の権利を確定し義務を課するというものではないと思われる。
より詳細を詰めた土地区画整理事業に処分性が認められている。
抗告訴訟において、東京地裁民事第三部の藤山雅之は、やたら国を敗訴させるが、国が敗訴しても補助事業として国は粛々と仕事を続行することが可能である。
抗告訴訟と国家賠償法の違法性概念が異なることは指摘しておいてよいだろう。


平成24年刑事系第一問。 
甲は、抵当権を設定し、それによって一般条項による王者的判断を裁判官に仰がなければならないにも関わらず、登記を抹消して事実上抵当権つきの不動産をまっさらなものとして譲渡している。
これは、越権行為であるが、領得罪としての横領罪を構成する。
これが二重抵当である。
乙が詐欺罪を構成することも事案を丹念に拾わなければならない。
甲は、詐欺罪と横領罪の共同正犯が成立し、乙には詐欺罪の共同正犯が成立する。
あとは詳細な事実関係を研究する。

この共犯論に関しては俺もコバケンが何て言っていたか記憶が定かでない。
指摘が欲しいね。


平成24年倒産法第一問。
破産管財人Xは、破産財団の資金から債権者名簿を見て割り当てを決めるが、事案を見ながら故意否認、危機否認などの「否認」をして行く作業がある。
事案を見てほしい。
あと、開始決定の前に起きた紛争は、裁判所に「全面的停止命令」(停止命令)を出してもらって物事をシンプルにする必要がある。

平成24年経済法第一問。
価格を決定するための「合意」が認定できるのかを事案を拾って考える。
カルテルからの脱退も通告だけでは足りず、営業部長会の合意が必要だ。


予備試験の一般教養試験のヒント。

ゲーム理論とは「ゲームに均衡がとれていれば現場から逃げ出すものはいない」
という観点と、
「圧倒的なビハインドを背負ったときはチーム全体の利益を考えろ」という二点が基本だ。

ナッシュ均衡とは「そのゲーム構成は面白いじゃないか」というものだと考えればいい。

感染症に関しては、最初に地球ネットワークを構築したのは猿であり、人間は当然のごとく地球全体と繋がっているのである。
あとは、感染症とは「情」の学問であるとして、国や都市の名前で時代を感じるしかないだろう。

司法研修所で、二回試験をやっていて、「タバコが切れて苦しいんですけど。」と言ったら、
試験官が「銘柄はなんですか?」と言って買いにいってくれたという事案がある。

正解。
「お前、大文字の他者か?俺がタバコを買いに行くよ」

解説。
大文字の他者とは、赤ん坊が泣いたり叫んだりしたらおしめを代えてくれる大人をいう。
小文字の他者は「思うにまかせない赤の他人」をいう。

「一般教養」
移民とは「天才が居場所をなくして逃げる」ことだ。

エジプトの天才がカナーン(イスラエル)へ。

理想郷を求めて羊を飼うために農民を殺害して羊の縄張りを拡大し続けた理想郷を求めたムーヴメント(エンクロージャー)と、
恋愛空間を誤解したエリートの存在を「マルクス」が原罪と呼んでいる。
都会へ逃げたのだろうか?

ヴェールの着用禁止はフランスですでに法制化されている。
「イスラム女、そんなに純潔を主張したいか?」

「ジャニー喜多川さんを知っていますか?」
喜多川さんは、女性のマスターベーション動画を見て興奮する。
つまり、ホモセクシャルではないのだ。
さらに、「両刀使い」という線を洗ってみると、彼が、「子供がいる」のなら完全なノンケだと言っていい。
両刀使いは、「精子がでないトラウマ」を抱えていることを知らないといけない。
「両刀使い」は、精子がでないので、パートナー選びの「格が落ちる」ため、どんなハンサムボーイも、不細工な女と結婚する。
さらに、両刀使いは「攻撃性」を見せるのだ。
これが、ジャニーズ事務所の攻撃性につながっている。

平成22年法務省見解「知的労働者以外の外国人受け入れを認めない」
ブラジル人、お前は天才か?

「一般教養」
バカが、ロシアが譲るわけねえ。
「ブルーノ・バウアー」
1848年に直面したロシアのヘーゲル左派は、民の意思による君主制と、楽しいこと、美しいことを探求した。
女がいるから「無限のオレ」がいる。
治める男がもてはやされたが、学問があるから自分と世界がかけ離れる。
いっそのこと密教や、女の関心事に発想を特化した方がいいとした。
女は純粋でなければならないとし、社会主義奴隷を否定した。
これがロシアをワールドパワーにした。
やがて、「女はもっと自由だ」というムーブメントがソビエト連邦につながった。
純粋な女、これが荒れ地にロシアという国家を作った。
トルストイ、ドストエフスキー。

環境正義とは女性の支持を得るための政治手法。
人の悪口を言わずに影響力を高めたりする「エコロジー」の語感の違いを理解する。
年寄りはのちの世代を憎んでおり、のちの世代の心配などしない。
稀少資源の有効活用は経済学の基本であり、スモールにはとどまらない。

隣人愛とは、好きだという意味ではなく、お前は邪魔だから俺はなにか学ぶことがあるだろうという意味だ。
デカルトの我思う故に我ありというのは、人間は孤独になると自分のことは全部わかるという意味だ。
誰もが思うことだ。
あとは問題文をよく読んで勉強すればいい。

これは俺の考えだが、まず、「需要が価格を決める」ということと、
建設公債を出していても赤字公債を出さなければ資金ショートは起こさない、
という法則を丸暗記し、
建設公債を「部屋の固定費用」とし、赤字公債を「一部屋を貸すときに追加的にかかる費用」とし、
「追加的にかかる費用だけをとっておけば資金ショートは起こさないだろう」
と考えるしかないのかもしれないね。

労働市場に関しては「休みが多ければ真面目に働く」ということは指摘できるだろうね。
従業員募集という発想も減るのかな?


短答式の刑法で「かすがい現象」というのがある。
人の家に上がって殺しと盗みをやった方が町でやるよりも罪が軽くなるのだ。
「よそ様の家」という学問が刑法に存在することは知っておいた方がいい。

2011年9月 5日 (月)

芸術の「独創性」について

カントは「ファインアートは天才がつくるものだ」としたが、「オリジナリティ(独創性)」に関しては、シブレイは「今の時代においては価値の一つの判断要素となっているに過ぎない」としているようだ。
絵画の評論に関しては、その感受性やたくみな表現力でその深度を深めたのはモンロー・ビアズリー(Monroe Beardsley)だとされる。評論の手法に関してはシブレイの本の第八章に書かれている。ビアズリーは、評論をするうえで3つの観点の重要性を指摘した。「作品の統一性」「複雑性」「その業界の価値が凝縮されていること」この3つを常に頭に入れていたとされる。
シブレイはこれに対して「ドラマティックさの凝縮」も存在するのではないかとした。たとえ単純なモチーフを描いたとしても、その業界での「誠実さ」「良心」「幅広い見識」を示すことは「ドラマティックさの凝縮」であり、なにも歴史的瞬間などを描くことのみを意味するのではないとしたのだ。
「それでもモナリザは独創的だ」
シブレイの「モナリザ論」を簡単に書きたいと思う。作品というのは、やはり誰が書いたか、いつの時代か、どういう背景があったか、を論じなければならないという視点が重要だ。モナリザはいろんな意味で時代に新しいものをもたらしている。色の配置や奥行、形、ラインだけでなく、背景にはダヴィンチの修練や技術が詰まっているのだ。たとえば、彼は、ブラシやパレットナイフというものをこの作品で絵画の世界に持ち込んでいる。そういう歴史的意義を研究するからこそ、模写とはエックス線を使ってまで区別しなければならないとするのだ。
芸術的評価というのは非常に面白いのです。ベニスの商人で有名な「シャイロックのセリフ」というのがありますね。「肉を何ポンド」がどうこうという。あれはなぜ歴史に残るセリフになったのでしょうか。答えは「あれほど憎しみの込められたセリフはいまだかつて表現されたことはない」と当時の人々に受け止められたからです。
私の学生時代の民法の先生、米倉明もその本質はご理解されていませんでした。一部の知識人だけが理解していたのです。
ピカソのキュービズムにせよ、印象派にせよ、いろんな画風はありましたが、「12トーンシステム」に支配されていたとされています。つまり、12トーンの絵の具しかなかったということなのです。それを混ぜ合わせることはできますが、分類としては「12トーンシステム」と呼ばれていたのです。
現代の画像処理技術はどうなんでしょうね。ご存知の方がいらしたら教えてもらいたいですね。
クラシック音楽というのも、作曲家は昔の人ばかりですね。なぜ現代にベートーベンに匹敵する作曲家は現れないのでしょうか。基本的な構図は「ハイドン・ベートーベン・ストラビンスキー・バルトーク」という「ハイドンカルテットと83人の後継者」が室内音楽の楽曲を作っています。当時の国家レベルの資金を投入してこれらの作曲家が音楽を作り上げたのです。そのため、「室内音楽において、同じ環境ならば、もはやこれ以上の作品は生まれない」と呼ばれる世界がクラシック音楽なのです。おカネの問題になってしまいます。

フランク・シブレイ「美へのアプローチ」


Approach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical AestheticsBookApproach to Aesthetics: Collected Papers on Philosophical Aesthetics

著者:Frank Sibley
販売元:Oxford Univ Pr on Demand
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2011年4月 4日 (月)

1999年の「カリスマ」が生まれた理由

竹下一郎は、基本的に実話雑誌の編集長なのだが、入社当初、エログロナンセンスが常識だった実話雑誌の編集を任されたんだ。「好きなことをやってくれ」といわれたので、今までの記事を「つまらないからやめろ」と言って、自分が渋谷の恋文横丁でバラで集めた海外の膨大な資料を利用したんだ。当時のアメリカの雑誌と日本の実話雑誌の「情報格差」を「語学で埋めた」という点で俺の思想の基盤になった。竹下一郎で注目すべき点は、「背景に学問があった」という点だ。興行師的なライターはどんどん切り捨てていった。しかし、竹下自身が外国語ができずに「大学の学者をつかまえていた」と言っていた。この部分は俺は自分の語学力でフォローしたのだ。竹下一郎の「膨大な秘蔵資料」を、インターネット草創期の「アメリカのネットコミュニティー」に置き換えて実践したのが、俺が時代を制した理由だったのだ。背景には英語力と、ボクシングの知識、いろいろなものがあったんだ。基本はそういう図式なんだよ。黒騎士がどれだけ「勘違い」をしていたかがこれだけでも明らかだろ。俺は大人の仕事をしていたんだ。結局、竹下が出した「別冊実話特報」は、日本の雑誌市場でも初めての「重版」を記録したのだ。まさに、俺が時代を制したのと同じ構図だったのだ。竹下一郎氏は1999年当時のインタビューで「2年前に暮れまでもつまいと言われた」と語っていたので、俺は師匠と慕いながらも、葬儀には参列できなかった。俺が「自分の文章は権威である」とまで自信を深めた背景には、法学教室があったんだ。あの雑誌で文章に力を持たせる技術を覚えたんだ。一時代を築いた理由は「師匠がいた」ということだ。それを別の方法で実践したこと。ネット草創期のアメリカが背景にあったこと。いろんな条件が重なって皇室が俺の獲得に動いた。でも、俺は淡々と法学教室を読み続けたのだ。今ではジュリストも読んでいる。「俺をここまで育てた媒体だから」今でも読んでいる。真似したければ神を味方につけるんだな。1999年に俺に神が宿ったのは事実だ。3月に発言を連打し、5月にはWOWOWが俺の近所の取材活動を始めた。そのあとネット社会でどんな存在になったかはNHKで3時間ぶち抜きで報じられている。しかし、背景には時代が求めた「発想」があった。強運にも恵まれたのだ。
当時、俺の発言が、日本のボクシング界に爆弾を放り込む行為であるという自覚はあった。だから怖かったのは事実だ。しかし、俺があえて爆弾を投げ込んだ背景には「月下の棋士」という漫画があったのだ。23巻の音色という一冊だ。該当箇所はあえて伏せる。しかし、この国がどうにかなってしまう行為であることから、半分命がけだった。
「2ちゃんねるからの転載です~糖質談話」

2011年3月18日 (金)

国盗り物語

法学教室の2007年4月号~2008年3月号の連載「行政組織法・公務員法」宇賀克也をにらみながら、今後も各官庁に電話を打ち込むことにする。今晩はまだ時間があるので今までの総括を行いたい。
たとえば、県知事のようにかなり偉い人の権限とされている判断を、知事の名において、しかし実際には課長が処理する権限を内部的に委任しているような例は多く、これを「専決」と呼ぶのだ。この場合は「課長クラスを相手にすればいい」ことになる。
一方で「代決」というのがある。これは、決裁権者が出張または休暇その他の事故により不在であるとき、特に至急に処理しなければならない決裁文書について、局長の決裁事項であれば総務課長、課長の決済事項であれば総括課長補佐のように、決裁権者のあらかじめ指定する直近下位者が代理の意思表示をして決済することを意味する。代決したものは事後すみやかに決裁権者に報告しなければならないのだ。しかし、実際はこの代決が「内部代理」として用いられることが多く、軽微な事案では「常時代決」というのも行われている。しかし、あくまでも直近の部下がやることなのだ。
上司の違法な訓令にしたがった場合、「上司に言われた」という言い訳で常に懲戒処分を免れるというわけではない。形式要件を欠く訓令にしたがう義務は負わないのみならず、したがわない義務すら負う。宮崎県では、上司に犯罪行為に該当する訓令を受けた場合は、他の上司への相談や公益通報を義務付ける職員の倫理規定を設けている。この規定に違反した場合は懲戒処分の対象となる。(2007年9月施行)
大臣官房には「官房3課」と呼ばれるものがある。「文書・人事・会計」だ。
文書においては「内閣法制局」が代表例だ。法律面での重要な管理機能を果たす。
人事においては「総務省行政管理局」「人事院」が代表例だろう。
会計においては「財務省主計局」「財務省理財局」が重要な役割を果たす。
どの「総括管理機関」もこの「文書・人事・会計」の役割を基本として持っているのだ。
「ボトムアップの一例」
たとえば組織のボトムアップは以上のように行われる。
係長→業務担当補佐→法令担当係員→法令担当補佐→総括補佐→主管課長→総務課法令担当係員→総務課法令担当係長→総務課法令担当補佐→総務課総括補佐→総務課長→審議官→局長というルートで起案書が順次回覧されていくのだ。
この決済で組織の意思が確定していく。これが「稟議制」の基本だと言っていい。
内閣府には「防災担当」の政策統括官がいるようだ。特命担当大臣を補佐し、重要会議に関する会議の事務局としての職務も行っている。
内閣府は「知恵の場」・内閣官房は「戦略の場」と呼ばれるが、内閣官房は、内閣の統括機能全般を補佐し、その企画立案・総合調整機能は特定事項に限定されず、行政各部の施策のすべてにわたるとされる。なにかあったら内閣官房が頼りになるのはこの点にあると言える。
内閣府の「特別の機関」に「日本学術会議」というのがある、この日本学術会議は「学者の国会」とも呼ばれ、学問の尊重の観点から内閣総理大臣の所轄のもとにおかれ、職権行使の独立性を保証している。なにかあったらここに相談するのも手かもしれない。
以上、ポイントをまとめてみました。東京大学の宇賀克也先生に感謝します。

2011年3月15日 (火)

防災と行政の仕組み

2005年に「国民保護法」というのができていて、各行政全般の問い合わせはともかく、「自分の安全」に関する情報は「総務省-消防庁」が担当だ。その消防庁が国民目線で防災に果たした役割は大きい。
2009年に首相官邸の危機管理センターに「情報連絡室」が設けられた。消防庁は、国民保護や防災・地方自治体との連絡調整の役割を「国民保護・防災部」で行っていたが、この部署の「国民保護運用室」に「情報連絡室」を置いた。国民保護運用室は、地方自治体との連絡調整を行うものだ。国民が「電話相談」できる部署ではなく、行政としての連携を図る部署であり、警察・消防を中心とする災害対策を実施する場合は「応急対策室」あるいは「防災情報室」を設置する。このシステムは2009年に北朝鮮が弾道ミサイルを発射した時に出来上がった国民目線での災害対策システムだと言っていい。日本政府は、北朝鮮を巧みに利用して日本のシステムを構築したことになる。
すべての通信手段が麻痺したら、携帯で消防庁の「防災情報室」に電話を打ち込むしかないかもしれない。アメリカの2001年の9・11テロを受けて、消防庁は各都道府県に「危機管理指針」の策定を求めた。2009年に北朝鮮の弾道ミサイル落下の危険にさらされた岩手県はこの時策定した「危機管理対応方針」にしたがって対応している。一方で、災害に関しては「災害対策基本法」というのがあり、各都道府県は都道府県地域防災計画を作っている。岩手県の事例では危機管理指針にしたがった「総合防災室」が県内の防災の主導的役割を果たしている。しかし、危機管理指針は消防庁が都道府県に策定を求めた内部の指針であり、条例や行政の長の定めた規則ではないという側面もあるのだ。
現在は中央集権型の防衛法制にしたがって防災も行われており、これを地方自治型の警察法制に切り替えていかなければならないということは言えるであろう。「地元の電車が止まった」なんてことを中央政府に言ってみても無意味なのだ。地方自治型の方がうまく機能するのだ。
法律時報81巻9号「事態対処法制と災害対策法制~そのはざまの問題」市橋克哉

2011年1月 1日 (土)

中古車の買い方

中古車を購入する消費者として、瑕疵・欠陥がなく、自動車としての特定の性能、品質を持つ中古車の所有権を有効に取得し、引き渡しを受けることが最も重要である。
中古車は動産であり、中古車の購入契約は、動産の売買契約としての性質を有する。動産所有のためには対抗要件が必要であるが、自動車の場合は自動車登録ファイルに登録を受けたものでなければ運行の用に供してはならないとされる。自動車の登録は、車名、型式、原動機の型式、所有者の氏名または名称及び住所、使用の本拠の位置、取得の原因を記載した申請書などを提出することによってされ、所有者の氏名などの変更があった場合は変更登録の申請をしなければならない。また、自動車は、道路運送車両法の規定に基づき自動車検査証(車検証)の交付を受けていなければ運行の用に供してはならない。(軽自動車には車検証は発行されない)車検証には所有者の氏名などを記載することになっている。自動車には抵当権を設定することができ、その対抗要件は自動車登録ファイルへの登録である。自動車の売買や抵当権の設定において、不測の損害を受けないためにも前者の所有権確認が重要である。登録された自動車の場合は、登録、車検証の内容を確認するなどし、所有権の所在を確認して取引を行うことが事務処理上重要である。登録名を確認しただけでは所有権、抵当権を取得できないこともあるが、この場合は即時取得や所有者への権利の濫用の法理で保護されることがある。中古車の購入契約は、中古車の所有権移転と代金の支払いが対価関係に立つ有償・双務契約である。中古車を購入する場合は、その価格・車の状態などが気になるが、自動車の流通については中古車市場が形成され、需要・供給を基礎とした客観的な価格が形成され、自動車専門誌などでも公表されている。
中古車は、新車と比較すると、その性状、性能、品質、走行距離、修理・事故の経歴などの個性があり、その特徴を持つ自動車として特定される特定物である。つまり特定物売買なのだ。購入者も、実際に中古車の現状を確認するなどして十分に注意する必要がある。近年は、中古車の販売にあたって6か月間の保証を提供する販売業者が一般的であるから、その保証の範囲内では無償で修理してもらえる。また、販売業者の中には故障の修理だけでなく大幅に改造を加えて様々な装備を施して販売する者もいる。このような場合は販売業者は製造物責任を負う場合もある。
ローンを利用して中古車を購入する場合には、支払方法、支払を終えるまでの所有権留保、その間の処分の禁止、期限の利益の喪失、遅延損害金、代金不払いによる自動車の返還、売買契約の解除、損害賠償額の予定、連帯保証、債権譲渡、信用情報機関への登録などが決められることになる。
中古車の販売は、購入者が現物を自動車の型式、車名、車台番号、登録番号などで確認したうえで契約を締結するものであるが、このような確認を怠ると、自動車の同一性があとで問題になることがある。自動車の引き渡し・車検証の引き渡しは契約の締結・代金の一部の支払いの時に行われるのが通常である。外観から見てわからない自動車の状態のうち重要な事項は販売業者が積極的に説明するべきであるとされ、販売業者の評判、資力などを考慮して、どの販売業者から中古車を購入するかは重要なことなのだ。
自動車の購入、保有にあたっては、消費税、自動車税などの公租公課の負担や、修理、部品の取り換えなどの負担は購入者が行うことが通常であるが、修理代の負担に関しては契約書面で明確にしておくことが求められる。中古車には自動車損害賠償責任保険がかけられているが、販売業者が有する保険を購入者が承継することになるため、費用の負担も明確にしなければならない。裁判の管轄に関しては合意で決められるが、販売業者の本店などの所在地の裁判所に管轄が認められるのが通常である。
いずれにせよ、中古車を購入する場合は、さまざまな不具合、法的な問題に直面する可能性があり、法学部の出身者としては勉強の度合いが試される時であるといっていいだろう。
法学教室1997年12月号「民法実戦ゼミナール~中古車を買う」升田純