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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

心と体

2011年9月21日 (水)

俺の減量はWHOが主導した

世界保健機関(WHO)は現在、NCD(感染しない病気)に注目している。たとえば、ガンや心臓病、糖尿病などだ。人類がこれが原因で60%が死亡していることから、国連総会でもテーマになった。なぜ国連が介入するかというと、発展途上国などでもこれらの病気での死亡率が上昇しているからだ。背景には、肥満や喫煙、無理なダイエット、運動不足などがあるとされ、すべて環境に依存している。死亡原因として挙げるのはたやすいが、インドではたとえば、一家の主がガンになると、所得の30%を医療費に用いることになり、そのような主を抱えた家の半分は貧困に陥っているのだ。こうした現象が起きる以上、国連が介入しなければならないのだ。食品業界やアルコール業界には「塩分や糖分を抑える」「脂肪を抑える」食品の開発を要求するのはたやすい。しかし、タバコ産業に対しては、税金を課すなどの対応はあるものの、業界の利益そのものに介入することになるために、有効な介入の方法はほとんどないとされる。発展途上国が健全な発展をするためにも国連が介入しなければならない。もちろん、国連は「教育と健康」の分野で積極的に介入するわけだが、このNCDへの介入の優先順位は教育に比べれば高くはない。しかし、コストも、一人当たり年間1ドルしかかからない政策なのだ。そのような理由から、この「感染しない病気」の予防にWHOが取り組んでいるのだ。
フォーリンアフェアーズ「WHO:NCDが今は世界の死亡原因の上位を占める」





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2010年12月 3日 (金)

神の前で嘘をつけるか

バンジャマン・コンスタンという人が1797年に刊行したパンフレットで、「嘘をつかないで日常生活を送ることはできないのに、本当のことを言うのが義務だと主張するドイツの哲学者がいる」と指摘した。この「ドイツの哲学者」とはカントのことであった。「たとえば友人が殺し屋に追跡されて逃げ込んできたのでかくまっても、殺し屋たちに真実を告げなければならないのか」というのだ。カントはこれに答えて「そのとおりだ」という。しかし、カントは「友人を殺し屋に引き渡せ」と言ったわけではなかった。「あいつはここにいるか?」と聞かれたら、「(目の前には)いない」と答えろというのだ。宗教改革以降の、紛争の頻発でこの問題は切実なものだったようだ。たとえば、異端審問官に「あなたの信じている宗教は何か?」と聞かれたら「あなたと同じ宗教を信じています」と答える。審問官が「私はカトリックを信じている」と言うと「私はそれを信じています」というというのだ。プロテスタントでも「同じ宗教」には変わりはないし、審問官がカトリックを信じていることを信じていると答えることに嘘はない。こうした「みせかけ」「空とぼけ」に関しては聖書にも一定の根拠があるそうだ。復活したイエスは、弟子たちに対して目指していた村よりさらに先へと赴く様子をみせたし(『ルカによる福音書』24:28)、全知のはずであるのに、最後の審判の日がいつか知らないと弟子に述べている(『マルコによる福音書』13:32)(『マタイによる福音書』24:36)
これを論じたのは憲法学者の長谷部恭男である。謝罪広告を新聞に掲載するようにという判決が出ることがあるが、本当は悪いとは思っていない人間に「謝らせる」ことができるのだろうか。ごめんで済むなら済ませようと言う人もいるだろう。しかし「神の前で嘘をつく」ことを要求してしまうケースもあるのではないか。このような問題は哲学的な議論から説き起こしていく性質のものなのだ。
法学教室2010年12月号「続・Interactive憲法~B准教授の生活と意見」長谷部恭男

2010年10月28日 (木)

エホバの証人・輸血拒否の概略

「エホバの証人Jehovah's Witnesses」は、1870年代にアメリカで生まれたキリスト教系の宗教団体(団体自体は「ものみの塔watchtower」と称している)である。世界各地に広がっており、日本でも戦前の1920年代から「灯台社」という名のもとで活動していた。「兵役を拒否した日本人~灯台社の戦時下抵抗」という稲垣真美という人の著作がある。団体自体の発表している統計によれば、現在、日本には22万人弱の信者がいるという。「王国会館」と呼ばれる施設をもち、二人一組で個別訪問を行っていることはよく知られている。聖書中にある「血を食べてはならない」(創世記9章3,4節や申命記12章23-25節など)という教えは輸血によって血を体内に取り入れることにも当てはまるとする。「命を創造者からの賜物として尊重する人々は、血を取り入れることによって命を支えようとはしない」というのだ。平成4年に悪性の肝臓血管腫との診断を受けたエホバの証人の主婦が、輸血をしないで手術が行えるのは東京大学医科学研究所付属病院だけだと考え、9月に手術を行ったが、手術の際に出血がひどく、医者は輸血を行った。患者がこの事実を知ったのは、本件輸血の事実があったことを知った週刊誌の取材申込みが10月に病院にあったことから、11月の退院時に病院側が輸血の事実を告げたのだ。
法学教室2010年10月号「不法行為判例に学ぶ~社会と法の接点」大村敦志

2010年9月23日 (木)

三位一体(英文ウィキペディア参考)

この父・子・聖霊は聖書のどこに書いてあるだろうかと言う端的な問いがあると思うが、マタイ[28:19]などが代表的な例とされている。キリスト没後300年ほど経って開かれたニケーア公会議の際には、アリウス派が「キリストは預言者である」として神性を否定していたのだ。しかし、各宗派のメインストリームとして三位一体は位置づけられることになった。父なる神と、神の存在の現れとしての聖霊、そして人間として遣わされた子なるイエス。しかし、人としてのイエスの神性は増していった。
三位一体という言葉を最初に使ったのは、アンティオケのテオフィリスだとされる。彼は、「私は、神と言葉と叡智と、そして男が存在すると考えており、それは三位一体のようだ」と語った。これが三位一体という言葉の起源だろう。テオフィリスは2世紀の人物だが、3世紀に入ってタートゥリアンが「父、子、聖霊が一つのエッセンスとして一人の人格に宿った」とした。これがニケーア公会議で認められたようだ。ニケーア公会議では「神は神、光は光、大いなる神は大いなる神として存在し、作られたものではなく、一体となって父の中に存在する」というドクトリンが公表された。キリスト教の初期の段階では、聖霊は伝道を行ううえでの「神の力」を意味したようだ。「父、子、聖霊の名の下に伝道を推進すべきである」とされた。
ヨハネの福音書では「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」という。ことばはイエス・キリストを喩えているとされるが、神「とともに」あった、神「で」あった。という表現の「矛盾」も指摘されているようだ。
新約聖書においては「三位一体」という記述はないが、この考えを基盤にしているのは明らかであるとされる。キリスト教初期の伝道者たちは、神の力が自分たちにあると信じ、それを「聖霊」と呼んでいた。やがて、父と子、聖霊の教えを伝道する偉大なる任務を自分たちは担っているという確信に変わっていく。一方で、ユダヤ教などでは「神とキリスト」という対置がなされたこともあり、この三位一体という発想は必ずしも必然ではなく、一つの「考え方」として相対的に考えることも出来る。
旧約聖書においては、「主のことば」(詩篇[33:6])「主の霊」(イザヤ書[61:1])「知恵」(箴言[10:1])などの「3つのことば」がみられ、創世記18章でアブラハムの前に現れた人が三人であり、預言者や律法者であったことから、この3つのことばが「父」「子」「聖霊」と解釈されたのだろうとされている。しかし、旧約聖書から「三位一体」を導き出すのは「無理があるのではないか」というのが現在の通説のようだ。
三位一体を語る上で、ヨハネ[14:25-26]は重要な意味を持つ。イエスが「父があなたがたに聖霊をつかわし、すべてを話す」と言っているのだ。このことは、父と聖霊が別の存在であることを意味し、また、イエスとも異なる存在であることを意味するのだ。キリスト教社会の共通認識としては、これらを前提にしながらも、「父」も「子」も「聖霊」も「神」であるが、この三つは異なる存在であるとされるのだ。異なる存在でありながら、一つの神格に属するのだ。
ヨハネの手紙第三では、イエスの王国と、現在の社会の双方においてイエスは救い主であるとされている。このヨハネの手紙第三は何世紀にもわたり三位一体に関する論争の的となった。しかし、イザヤ[9:6]を参照して議論を終息させた。イザヤではイエスは「力ある神、永遠の父、平和の君」とされており、イエスの王国のみならず、現実社会にも君臨することが明らかになったのだ。
英語では「4番目のゴスペル」と書いてあったので「ヨハネの手紙第三」と解釈しましたが、皆さんの方が詳しいかも知れません。しかし、「現実社会にも君臨する」かどうかは、各宗派が「教義によって解決した」とされているようです。
後世の芸術家は、父と子、聖霊を、3つの人物として描いたりした。教会を守る彫刻としてそのような作品があるのだ。しかし、ヨハネ[10:30]で、イエスは「わたしと父とはひとつです」と言っている。いろんな角度から議論された歴史があるのだ。以上のことから、聖書の記述でもっとも影響力のある記述は、マタイ[28:19]なのだ。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け。」

2010年7月23日 (金)

理想郷を追い求めたテロ組織~オウム真理教

オウム真理教は1984年に麻原彰晃こと松本智津夫によって発足されたヨガ・サークル「オウムの会」(のちに「オウム神仙の会」)を母体とするもので、1987年に「オウム真理教」と改称され、1989年に宗教法人として設立登記されたものである。教団は積極的な組織拡大を行い、特に、医師や理工系の専門知識を持つものに勧誘を行った。1995年には信者の数は一万人を超えるわけだが、全国各地に活動拠点を設ける中で、山梨県の上九一色村に「サティアン」と称する大規模施設を建設し、出家信者の居住施設やサリンなどの実験室として使用された。このような教団が、徐々にテロ組織へと変貌していくことになる。教団は、麻原を独裁者とする理想郷を建設することを目標として、1990年に政治団体「真理党」を結成し、25人が立候補して全員が落選した。その後、国家権力の打倒を志向するようになるのだ。1989年には教団を脱会しようとしたものを殺害しており、さらには教団と対立した弁護士一家の殺害を実行していた。1995年までの間に元信者や元信者の家族などの殺害を実行するなどしていたのだ。1994年6月27日に、長野県松本市に教団を建設することに反対する裁判を妨害するため、官舎に向けサリンを噴霧し7人が死亡する「松本サリン事件」があり、1995年3月20日午前8時過ぎ、営団地下鉄日比谷線・千代田線・丸の内線(いずれも霞ヶ関を通る)の5本の電車にサリンを撒き、12名が死亡し、6000人が重症を負い、地下駅と地上で大パニックとなった。
「地下鉄サリン事件~その後」
この事件ののち、日本社会は一変したといわれる。「他者への憎悪」(森達也)、「暴力への回帰」(村上春樹)が蔓延する社会、すなわち、共存的な共同体が崩壊し、国民の不安感が蔓延する敵味方社会の到来である。オウム事件が現代社会の閉塞状況から出現したとすれば、人々が相互的に支援しあい、人々を社会に統合していく「ソーシャル・インクルージョン」「コミュニティの再生」などの道筋が重要であるとされる。
法学教室2009年12月号「地下鉄サリン事件」高橋則夫

2010年6月21日 (月)

AID・人工授精の一つの方法

かつて、向井亜紀のスレで「AIDとは技術的にどうやるのか?」ときいたら、反応がなく、なんだか突拍子もない質問をしたのかと思ってしまったが、実情は誰も知らなかっただけのようだ。文藝春秋2010年6月号に詳細が載っていた。
「細い管を使って精子を子宮に注入するもので、体外受精に比べれば自然の受精により近い治療法だ。個人差はあるものの、私の経験からいえば、子宮注入の痛みは許容範囲で、診察台に乗ってものの数分で終了するため女性の身体的負担は少ない。男性の側は、3、4日禁欲をして精子の採取に臨む。本人がクリニックを訪れ、院内にある採精室で採ることも出来るし、クリニックから渡された容器に自宅で採取をして自分で持参してもいい。精子はフレッシュなものを使う場合もあるが、凍結したものを使用することも少なくない。採卵当日に精子を採取できるとは限らないためだ。事前にとった精子は何回分かに分けて凍結しておき、いざ受精する時に凍結したものを解凍して使用する」
「不妊治療のタブー」須藤みか
このAIDは、法律文献では「戦後間もなく行われていた」とされている。

2010年6月20日 (日)

避妊錠剤「エラ」

アメリカの食品衛生局(FDA)が、フランスが開発した「エラ」という薬を承認するかどうかの判断がせまられている。エラは、性行為の翌朝に女性が服用すると避妊の効果があり、その効果は5日間持続するのだ。この薬品はすでに22カ国で承認されている。しかし、化学成分が中絶薬である「RU-486」と似ていることから、中絶とどのように異なるのかの説明が求められている。RU-486は、胎児を子宮から分離させるものであるのに対し、エラは「受精の防止」である、としているようだ。また、RU-486の服用により、不妊になったりすることが報告されているが、エラの安全性を製薬会社は主張している。
ワシントンポスト6月17日付

2010年6月 4日 (金)

血液型鑑定~混ぜると固まる血は輸血できない

人を傷つけると血が出るのは当然だろう。また、分泌型の人は、唾液、精液、汗、尿などにも血液型は反映される。輸血を行う際に「混ぜると血が固まってしまう」ものは使えないのも当然だ。この「凝固」(凝集反応)が、実は血液型鑑定をやる上での核心部分なのである。犯罪現場で、班痕が見つかったら、捜査機関は「血痕か否か」「血液か否か」「人血か否か」を判断し、そして血液型を調べるという手順を踏む。具体的には、肉眼的検査、予備試験、本試験、人血試験の順で実施される。血液型を調べるには「吸収試験」「凝集阻止試験」などが行われることになる。
そもそも、「血液」とは何であろうか。
血球と呼ばれる細胞成分(有形部分)と、血漿と呼ばれる液体成分(無形部分)からなる。血球は、赤血球・白血球・血小板(割合は500対1対25とされる)に大別される。血漿は、循環する細胞外液であり、たんぱく質、ブドウ糖、脂質、ホルモンなど多様な物質を含んでいる。血漿中には血液の凝固に関わるフィブリノーゲンが含まれる。血液凝固が完了したのち凝結塊(血餅)を取り除くと黄色の液体が残る。これを「血清」という。血清は血液中の液体成分から血を凝固させる成分を失った部分であり、抗体(凝集素)が含まれている。赤血球の表面は膜になっており、抗原(凝集原)としての性質を持つ多様な物質がある。抗原の中には人によってあったりなかったりする種類のものがある。これを血液型抗原という。この血液型抗原のあるなしを判断する技術が血液型検査の核心と言ってもいい。血液型抗原は遺伝子に支配されている。
人の血液型は、この抗原に、特異抗血清(血液型判定血清)を混ぜた時に凝集反応(赤血球がお互いに結びついた状態)が起こるか否かで判断される
血液型の分類は、ABO式、MN式、Rh式など幾種かあるが、いずれも赤血球中の抗原と血液中の抗体の反応で判定されるのだ。
ABO式の特徴は、それぞれの型はその型が持っていない抗原に対応する抗体(凝集素)が血清中に存在するということだ。たとえば、A型の人の血液中、赤血球にはA抗原、血清には抗B抗体が存在する。換言すれば、血清中に存在する抗体を調べることによって各人の型が判明するのである。たとえば、抗A抗体は、A型の抗原のある赤血球(A型またはAB型)のみに反応し、他の抗原には反応しない。したがって、ABO式の検査では、まず赤血球につき抗原を調べ(表試験)、次いで血漿につき抗体の検査を実施し(裏試験)、これを照合した上で型判定を行うことになる。
法学教室1997年12月号「刑事手続法入門」三井誠




2010年5月24日 (月)

女性用バイアグラ(ピンクバイアグラ)

ドイツの製薬会社が「フリバンセリン」という女性用バイアグラを開発した。本来、十人に一人の女性が「性に興味がない」症状を起こしているとも言われるが、専門家によると、興味がなくなるときは自然になくなるもので、病気ではない、という人もいる。しかし、女性によってはやはり薬に頼ってでも性生活が必要であるという人もいるようだ。男性用バイアグラがブレイクしたのは1998年だが、これは女性にも若干効果がある。しかし、フリバンセリンは、男性よりも性欲のメカニズムが複雑だとされる女性に効果のあるものだ。今は、研究段階で、プラシボなども活用した実験が行われている。めまいやだるさを訴える人も若干存在するようだ。女性の性の問題は昔から存在したものであり、その問題を巨大製薬会社が自分たちの問題にしてしまったという指摘もある。「女性を満足させる」というのは「数々の詩人・哲学者・それぞれの世代の男」を悩ませてきた問題に過ぎないという指摘もある。
参考:ワシントンポスト電子版5月24日付
注)なお、フリバンセリンはドイツの製薬会社が日本での特許の取得を試みたものの、特許庁がこれを認めなかった。「うつ病の研究により明らかになった薬理作用であるが、いまだ明確ではない」という趣旨だったようだ。しかし、裁判になってドイツの製薬会社の主張が認められたようだ。「知財高裁判例

2010年4月30日 (金)

肝炎対策~国の政策

わが国のB型C型肝炎ウイルスの感染者は約350万人、患者は約60万人と推定され、肝炎は国内最大の感染症と呼ばれている。肝炎は感染時期が明確でなく、自覚症状がないことから、適切な治療を行わないまま放置すると慢性化し、肝硬変や肝がんといったより重篤な疾病に進行するおそれがあり、生命を危険にさらす。感染経路には、輸血による感染、母子感染、性交渉による感染など、様々な経路が存在するが、薬害肝炎事件では、出産時や手術時に止血剤として用いた血液製剤にC型肝炎ウイルスが混入していたことにより多くの感染者が出た。また、予防接種の注射針の使いまわしによって多くのB型肝炎感染者が出た。肝炎治療には費用がかかるうえに、長期の休養が必要だ。仕事への影響は大きい。また、肝炎ウイルスは空気感染をしないので、職場での感染はないと思われるが、その理解が不十分で、内定取消しや解雇といった差別も起きている。
肝炎対策は従来から行われていたが、平成18年に最高裁で予防接種禍事件での国の責任が認められ、さらに大阪地裁でC型肝炎訴訟の国の責任が一部認められたことから、国会が動き出した。平成20年4月からB型・C型肝炎のインターフェロン治療の医療費助成が始まった。平成21年11月30日に「肝炎対策基本法」が民主党政権下で成立した。市町村民税の金額にあわせて、月額1万円・3万円・5万円にインターフェロン治療の自己負担額が設定された。今後も、医療費助成は拡充の方向で、さらには助成対象に核アナログ製剤治療を追加することが予定されている。
ジュリスト2010年4月1日号「肝炎対策の推進に向けて」剣持慶久

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