皇国日枝について。
「死にたくない年寄りの皆さんへ」
人間というものは「今後の予定」を立てないと「気」が乗らないものです。
そこで、歳をとったら「宗教に頼らない年寄りはいない」ということと、それならば、「自分を教祖にした宗教を作ればいい」ということから、私財を投げ打てる方は、私の父を中心とした「皇国日枝」という宗教団体の教会をご自宅に作っていただけないでしょうか?
教義は「美空ひばりを愛せること」以外に特にありません。
各自で信者を導いてください。
「皇国日枝」という教会は、たとえば、サッカーワールドカップで、ベルギーは、日本戦のその後の旅行の日程まで組んでいたことから2点ビハインドを跳ね返せたなどが理論の基盤にあります。
「皇国日枝」については、まちこさんの分派行動にも該当しますが、私の父はまちこさんの叔父にあたります。是非、各自で教会を作ってみてください。
皇国日枝に関しては一応、NHKを中心に私の父をさらに中心に展開していきたいと考えています。
興味がおありの方はNHKさまに電話してみてください。
NHK 0570066066
一橋慶喜公のように「人生の苦しみ」をみんなの前で吐露するのもいいだろう。
さらに、教祖さまには「女子高生の付き人」が必要となる。
このあたりは、NHKの人脈次第だろう。
また、「死の直前に流して欲しい音楽」を信者の皆さんの前で何度も考えるのもいい。
信者の皆さんにはもてなしをしよう。
音楽作品の吟味をしながら「一回きりの人生だ。輪廻転生はしない」(解脱)という誓いの言葉を年寄りは述べよう。
信者さまは「年寄りの巻き添えを食って死ぬ人がなくす」ことと「医学的アドバイス」を年寄りにするのが仕事となる。
メシは無料だ。
若頭が「人生は裁くものではない。音楽とともに解脱を!」と叫ぶ。
ご家族さまはこのような「秘跡」には参加しない方がいいかもしれないね。
本来、「ICU」とは「集中治療室」という意味ではなくこのような「秘跡」を意味した。
お年寄りの生まれ変わりの赤ん坊の写真などを用意しておくのもいいだろう。
なお、「ICU」の「招集権」は、お年寄りが握るものと思われる。
おカネとの相談だ。
「もう、六週間生きられないんじゃないかな?」あたりが判断基準となる。
生存したらいったん解散しよう。
この、「皇国日枝」は、アメリカではテキサス、バージニア、メリーランドに広まり、「年寄りの寿命を15年伸ばした」とされている。
ご家族さまは「ICU」は外で待機する(みやこもり)のが常識だろう。
オランダ、ベルギー、ルクセンブルクにおいて、このような「皇国日枝」が合憲とされている。
しかし、すべての国が信教の自由を認めているわけではない。
日本国では「NHK」が推進するしかない。
「ご家族さま」は、年寄りが「食べる、飲む」をやめたら「音楽」を流そう。
音楽を仲間と共有する、これが「皇国日枝」のエネルギーである。
「疲れを取るだけの目的」でICUを活用するという贅沢な人がいてもいい。
「お酒を飲む人」に本来、ICUは有効であるとされ、飲まない人ならばなおさら有効だ。
また、「根性」というものが「父」「母」さらには祖先からもたらされるものであるため、そのような「自分史」をICレコーダーに吹き込んでNHKに「奉納」するのもいいだろう。
自分一人ではなかなか「根性」というものはつくものではない。
また、他人の「根性」と向き合う人は、しっかりと手洗いなどをして、その人だけの「根性」が自分に悪影響を与えないようにする必要がある。
「根性なんて持つものではない」という人もいるのだ。
いっぽんどっこの唄
根性のあるやつに限って「太っている」ものだ。
NHKとしても、よそ様の「根性」をお預かりする上では「感染」しないように気を付ける必要がある。
また、結婚というものが「ふたつの根性のぶつかり合い」であることから、サラダや果物でそれらを「和解」させる必要がある。
あなたにサラダ
誘導尋問というものは「自分の先生に疑いを持たせるような周囲の発言」を言うが、根性と誘導尋問はうまくバランスを取らなければならない。
「心ない叔父」「地元の主婦層」などには気を付けなければならない。
なお、刑事訴訟においては、検察側から被告人への誘導尋問は認められていない。
弁護士との信頼関係が断ち切られるような尋問ならば「誘導尋問です」「認めます」というやり取りが行われる。
一方、被告人側から検察への誘導尋問というものは一向にかまわないとされている。
刑事訴訟というのは「フェアプレーの研究」であり、たとえば、大学入試の場合は出題者を「検察」とし、受験生を被告人とする。
「どんな先生に教わってもいいよ?」という意味である。
「年表」
皇国日枝に関しては「中年世代」も忘れてはならない。
「彼ら」と言われ過ぎて、昔のことがよく思い出せないのだ。
「激動の年」「劇場型政治」そんなものばかりで「年表」がない。
いまさら日本史の教科書を開くこともなければ、戦国時代か明治維新の話しか「歴史」が聞こえてこない。
「これからも何かあるんだろうな?」と思うのであれば、テレビも「年表」はもっとふんだんに活用した方がいい。
記憶がなければ中年世代というのは「簡単に勃たなくなる」から。
「子供の読み書き計算など親に教えてもらえ」
と思うのが大学生だろうが、なにしろ中年世代には「分からない」のである。
年表を見ないこと、「激動」「劇場」がどれほど前頭葉にダメージを与えているかは、東大入試国語の「漢字テストのあまりの簡単さ」で判断できる。
自分が人生のどこにいるかが分からないと、夜中に無呼吸症候群になる。
寝る前に日本史の教科書の年表を読む(見る)といいだろう。
居眠り運転もたいていそのような「中年」がしでかすものだ。
笑って床に転んでも、一分から二分意識が明確ではなく、顔や首が衰えていく。
「年表」
これがなければ「自分は歳をとった」という感覚がもてないのだ。
2000人に1人は「夢遊病患者」が昼間に町を歩いているとされる。
さらに「目の反応が鈍り近くのものが見えづらくなる」のが中年世代だ。
文字を読むときに眼鏡を変える人を見たら「激動の時代」「劇場型政治」に慣れ親しんだ人だと思うしかない。
薬局に行くと「ピンホールアパラタス」と呼ばれる「目の検査をする紙」が貼ってある。
あれで「異常」がだんだん出てくるのもそのせいである。
まあ、感動の再生産で満足しきった中年は「記憶を失い」「目を悪くし」「眠れずに」そのうち直腸が悲鳴を上げて血の混じった下痢をするようになる。
また、年表を見失うと、まるで「コイン」のようなできものがお肌に出るようになる。
ガン、心臓病、脳卒中の原因も「年表」を見失うことにある。
さて、年寄りに「人生の苦しみを語らせる」ということが「ICU」の研究であったが、周囲は「辛気臭い空気が嫌い」と考えるとされている。
医者というのは「死んでいく人間の文化的水準が下がっていくのを見るのがつらい」という仕事である。
文化的水準が下がったら「ご家族さま」の助けを得なければ、医者も聞こえよがしに「奇跡だね」などと言って、死を促す。
「カネか神」しか女を集める「道具」はない。
死んだ遺体の「爪の長さ」を見れば分かるが「爪を整える女性がいなくなったから死んだ」という側面が指摘できる。
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