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Foreign Affairs

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2021年11月28日 (日)

ストア~ヴェニスの商人。

「俺は幸せが苦手な男さ~ストア派」
皆さんは、コンビニエンスストアとか京急ストアとかを普通に利用していると思うが、 それらの思想的柱が「ストア派」である。
まず、「不幸への免疫がなく、不幸を極端に嫌う」ため、幸せすら苦手になってしまうのだ。
不幸を極端に嫌うと、プラトンの音楽作品や、アリストテレスが作った「女」を 平気でガンガン売るようになる。
カフェフラミンゴ

セネカ、エピクテートス、キケローなどのメンバーがおり、不幸を極端に嫌うために 幸せが苦手なタイプは、不幸のトラウマから逃げ出すように馬車馬のように働いた。
ヒトラーやチャウシェスクなど、独裁者と呼ばれた人はたいていそのような類だ。
女をガンガン売って品ぞろえをそろえ、格安で売る、そのような「ストア」が生まれ 客足が遠のくことはなかった。
キリスト教がある限り繁栄は続くだろう。
ムーンリバーが街に流れ、「これが繁栄だ」と思った。
共産主義のムチャクチャは「何かを間違えた」と思い、崩壊した。
ムーンリバー

「人気がなくなるのが寂しい」
そのような芸能人に国は「駄菓子屋経営」は支援している。
あとは「女は売り物」ということを理解させ、客足の遠のくことのない「安い品ぞろえの店」 を作らせればいいだけだった。
1980年代や1990年代の音楽作品は、ほとんど、二次著作権に対してオープンであったし、YouTubeを活用して、「お店」は経営できた。
「芸能人の寂しさ」を利用して「ストア」というものは作られている。
He's gone

「心の豊かさ」「音楽作品への抜群の解釈能力」が「ストア経営」に求められ、 人々は格安の品ぞろえだけではなく、「話をしに」店に現れた。
意味が理解できるのならば、明日にでも厚生労働省に「駄菓子屋を経営したいのですが」 と電話してみよう。
万物の起源は「火」(芸能人)というのがストア派の立場であり、 決して、庶民(水)が、駄菓子屋を経営できるわけではなかった。
やっぱりribbonはやめられない

人々が会いたがっている、それがダイエーやイトーヨーカ堂にまでなってしまうのだ。
店には、芸能人(火)と空気があったし、街の人々(水)は、日常(地)とは別の空気を味わいに店にやってきた。
オールライト

「芸能人に触りたい」という衝動を利用しない「開店」はなかなか難しいものがあり、ストア派は、万物の起源は「火」にあると考えたのだ。
人間は「男らしさ」に笑う生き物である。
店に来て「笑顔になる」ことが必要であった。
松田聖子や中森明菜から、モーニング娘。まで、安い品ぞろえのためなら何でも売った。
芸能人女性のインフラから「二次著作権」を得る力量がすべてだった。
セーフウェイ構想は30年戦争のあとの「ウェストファリア条約」からもたらされている。
何のための宗教改革だったのか?
それは、プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に触れられている。
女たちは「100万曲」は潜在意識に持っているとされ、お店の「主人」の歌も 当然知っていた。
買い物しているときには独占欲もあった。
独占欲

各「小売業者」は、自分たちなりの「シンドラーのリスト」と呼ばれる「芸能人名簿」 は持っていたが、 まだまだ、芸能界には可能性があった。
まあ、「仕事」において「話ができる」というのは最大の発明だったね(アナンダが分かった)。
モテたい奴は度胸があるし、それは天皇陛下である。
一方で、天皇陛下と会うと、女が大勢群がってくるために恐怖を感じる、これが通常の人である。
天皇陛下は金閣寺(火)であったし、通常の人は銀閣寺(水)であった。
火は、水をぶっかければ消えるであろうが、我々は「話すことができる」のである。
万物の起源が火なのか水なのかは争いがあるが、テレビがなければ我々は耳の治療もできなければ、夜ぐっすり眠ることもできない。
女が大勢群がってくるのが怖いのならば、ストア派ではない。
商売人は、女が大量に群がってくると「儲かる」ものである。
商売繁盛のために神棚にお祈りする人は多い。
背景には「アマテラス」があったし、それは松田聖子や中森明菜などの「CD音源」「ライブパフォーマンス」があった。
ストア派は、女が大勢群がってくると、食品や雑貨などを買ってもらい、儲けにつなげる。
神棚に二拍手など「アマテラスをよく勉強していないと」できないものだ。
霊的、超人間的なものではない。
これが「アマテラス巨大ビジネス」の正体である。
天皇陛下はモテるのが怖くはなかったし、ストア派(店の経営者)も客を歓迎していた。
「祈り」とは「人脈に関与したい」から行うものであり、それなりの勉強の裏付けのある営みである。
天皇陛下はモテるのが怖くはなかったし、ストア派(店の経営者)も客を歓迎していた。
「祈り」とは「人脈に関与したい」から行うものであり、それなりの勉強の裏付けのある営みである。
男が果てて終わるのが愛の営みだろうとエピクロス派は言うだろうが、エピクロス派の経験談をよく聞いて、音楽作品にして、女性アイドルを売って、安い品揃えを揃えて価格競争に勝つのがアマテラス崇拝である。
I'm lucky girl

30年戦争の間、ストアとキリスト教(死への崇拝・セックス崇拝)、そして「王位継承において死者の出ない世界」(ヒューマニズム)、さらに 皇帝(結婚カルトのボス)は論戦を繰り広げた。
ストアは商社や小売業を営んでいたし、富の源泉であったが、「死への崇拝・セックス崇拝」(キリスト教)を信じない者はおらず、あるいは「結婚」を監督する皇帝の信者も多かった。
30年戦争とはだいたいこのようなものであり、保守(高校時代は処女)と、リベラル(高校時代にセックスする)という二つの陣営が 女性たちの間に、「魔女狩り」を引き起こしていた。
エジプトの言い伝えに「19歳になるまで処女だったらシルバーリング(ポルシェ)をあげる」 というものもあった。
おそらくフランスのナポレオンがのちに言いふらしたものと考えられている。
シルバーリングに口づけを

ストア(商社や小売業)と、平和を愛好する反天皇制論壇(ヒューマニズム)、そしてキリスト教と皇帝が論点を整理していった結論が、「芸能界を作ろう」ということであった。
本来、政界(南朝)と芸能界(北朝)という南北朝正閏論というのが日本国にあり、世阿弥元清の花伝書などが知られていたが、 ヨーロッパが「芸能界」を認知したのは日本国よりも遅かった。
桓武天皇の「五弦の琵琶」(ギリシャ哲学への理解)などと日本人のクリエイティブな発想が 背景にあったものと思われ、 ヨーロッパのルネッサンスつまり「ヒューマニズム」の力の強さを物語っている。
「天皇制など死人を出すだけだ」(東京裁判史観)。
それでも、大河ドラマで「戦がなければ盛り上がらない」という発想は広く日本国に浸透していた。
ストアとキリスト教と結婚の三つを支配したオットー・ノイラーの前には「誰があんな人の遺産を手にするのかしら」と言って ヒューマニズムは一気に後退し、第一次世界大戦という総力戦が起きている。
30年戦争の結論はいずれにせよ、「王位継承で学んだトマス神学を背景に芸能界(フリーメーソン)を作ろう」ということであり、たとえば、モーツァルトのような作曲家がスターになったりしたのだ。
ストア(商社や小売業)・ヒューマニズム(反天皇制論壇)・キリスト教(死・セックス崇拝)、皇帝(結婚カルト・KCIA)が、「神・男・聖霊」の三位一体のもとに、「天皇」として現れ、皇位の安定的継承・伝統にしたがうこと・国民の理解という三つの要件のもとで、 運用されていった。
女性芸能人の歌の二次著作権を背景に、ストアが、会計学を構築するという発想は そのものが「ウェストファリア体制」であった。
フランスには大企業が、ドイツには金融が、オランダには農業が、イタリアには職人が 形成されていった。
すべてを学習したイギリスが「EU離脱」と言い出すのも、オックスフォードと移民の存在から 生じる問題だった。
ストア・教会・ヒューマニスト・皇帝の「腐敗した世界」の子供たちは「芸能界」を目指した。
月光

芸能界(フリーメーソン)が生まれ、喜び・欲望・恐怖・痛みが人々にもたらされたが、それよりも「メリット」の方が多く、ストア・教会・ヒューマニズム・皇帝の「四つだ」が芸能界を歓迎したため、 いじめは次第に拡散していき、 国民がセックスすれば財務省に税収効果がある、女性たちがジャニーズについて語り合う限り 国債をいくらでも発行していい(MMT)という二つを車輪として、「私の体を他の人と交換してほしい」というニーズまで満たし始めた。
財務省の誕生とともに「中世」は終わったのだ。
ポルシェは「ナポレオンの馬」である。
プレイバック

ストア・教会・ヒューマニズム・天皇制・政府、さらには自由民権運動を経た上での 「国会」ができたら、「もはや安らぎ」しかなかった。
行政として芸能界は存在した。
さらに「もっといじめをなくしてやれ」と言わんばかりに司法が作られた。
神とは、時にはクリスマスイブに雪を降らせてチェコスロバキアを併合したヒトラーであったし、古くは、王位継承における死者を三権分立でなくしたナポレオンであった。
すべては「芸能界」に反映され、「神・男」(アドナイ)は「聖霊」(女たち)と対話を続けた。
アドナイ

ブレダの開城の本当の勝者はスピノラではなく、敗北から学んだナッソーだった。
「芸能界さえあれば耐えられた戦いであった」とし、30年戦争を総括したからだ。
J-POPから、「女心」を深く掘り下げて語ることを「マキャベリズム」と呼び、それを「王子の仕事」としたのだ。
それはそのまま「ストア」が営業に用いたし、教会は祈ったし、ヒューマニズムは喜んだし、 天皇制は勢いづいた。
行政・司法・立法もここから学ぶことになった。
ウェストファリア体制とは「平和とは何かが分かった!」ということから成り立っていたし、勝者スピノラは、敗者ナッソーをたたえる平行四辺形で成り立っていた。
ブレダの開城

あとは教育制度(偏差値社会)が子供たちに根付けば、おのずと「性欲」「男性崇拝」 というものは生まれるものであり、 すべての宗教団体が「教育」に期待していた。
教育=性欲を育むものがあれば、おのずと「ストア」「教会」「ヒューマニズム」「天皇制」 そして「芸能界」さらに三権分立は成立するものと考えられた。
これが「ポルシェの馬車」(ポルシェはナポレオンの馬)と言われる由縁である。
クリスマスシンデレラ

セネカは、コルシカ島でネロの家庭教師になったが、その時に考えていたのが姉・マルシアと、母・ヒルビアのことであった。
家庭教師といっても「女とは何か?」について教えればいいだけだった。
マルシアは、ネロ暗殺に関与したことから自殺している。
私にとって、姉とは「浅香唯」であり、その交友関係は工藤静香や南野陽子に及んでいる。
姉は、私の息子を暗殺しようとして自殺しているのだ。
しかし、私は「ストア」を経営する上では、「浅香唯」というものは、その恋愛事情はほとんど知らず、しかし、「姉の心」が知りたくてアイドルを好きになったこともあり、南野陽子が下着姿で隣の部屋で寝てるなどのことが、十代の頃に日常の風景だったことから、このへんは香淳皇后の「資産」というほかはない。
セネカがネロの家庭教師になったとしても「教えることは浅香唯について」しかないと言っていい。
日本国で「セックスを神聖なものとした」のは浅香唯であり、「C-ガール」でそれは表現された。
C-girl

浅香唯は、母・ヒルビアが「自信がないときに」力を入れたアイドルであり、1990年に私が東大文一に入った時には「ヒルビアは興味をなくした」などいろいろな家庭の事情もあった。
しかし、祖母・香淳皇后の意向もあり、結構パワフルなアイドルであった。
おカネとは「金額が数えられて、女が買えて、すべての女に通用する」ものであるということをケインズは明らかにしたが、
浅香唯はこの「おカネ」を「人魚の涙」」と表現している。
このあたりが理解できれば「ストア」が理解できるし、皇室・ヒューマニズム・教会・三権分立などがどの世界でも「おカネがモノを言う」世界であることから、
人魚の涙が理解できればいいものと考えられている。
人魚の涙

プラトンが「音楽作品」を作り、最初は「神・男の完全性」しか歌えなかったものが、 アリストテレスのおかげで「女心」が歌えるようになった(レスボス島)。
そのことから、おカネ・セックスの誕生から、ギリシャ哲学は「千年先」を見通せるようになった。
千年天使

おカネ・セックス・千年王国この三つを理解することが重要である。
あとは「女の値段」=日本国の豊かさを高める必要があるが、福祉の世界においては、女をこき使うため「女など安い方がいい」という考えもあり、福祉に手厚い国が豊かであるとは限らないことも知る必要がある。
福祉の世界の女性の中には、まだ若いのに自分のことを「おばあさん」と呼び、周囲に配慮する人もいる。
喜びは多い方がいいが、どのようにしたら「千年王国」が「芸能界」と共存すべきかは難しい問題であり、
どうしたら心が穏やかになるのか(平和)などに配慮し、女の適正価値を決めていく必要がある。
京都と鎌倉の違いは「廊下の違いに過ぎない」と述べたが都市計画とは「芸能界の問題」という側面があり、箱根の山などあまり関係なかったりする。
まあ、工藤静香や南野陽子の友達である私の姉はいまだに根強い人気があり私も「姉妹には興味がなかった」という現状を越えて、マルシアの死後は研究を深めていかなければならない。
浅香唯の音楽作品は、「やたら明るい」という特徴があり、しかし、彼女自身は少年院入所を経験している(亡くなったから言っていいかな?)。
一学年下の弟であった私が中学校でどれほどひどいいじめ(仁)に遭ったかはまあ、私も多くは語らない。
しかし、高校時代の「アメリカ留学」には夢しかなかった。
四月の留学をおニャン子クラブは「春一番吹く頃に」で煽った。
春一番吹くころに

香淳皇后がなぜこのように芸能界で影響力を持っていたのかは、「美空ひばりと同一人物だった」などの研究がなされている。
私と紀宮の結婚は「多くの女性アイドルが私の花嫁候補として名乗りを上げてきた」から実現したものである。
王子様と雪の夜

小室圭さんには「ないもの」が、女性アイドルが我も我もと自分に殺到してくるという現象であり、
そのような女性アイドルを「宮内庁が制圧し、むしろ紀宮との結婚を強行する」という形を取らなければならなかった。
私の、いじめられ体験(仁)を知るアイドルは多く、その「根性」「精神論」は「もはや別格」と考えられていた。
奥田民生なども「花になる」という曲によって、私を讃える歌を歌って回った。
これだけの規模で回さなければ、なかなか実現しないイベントいうものはある。
花になる

平成という時代に「そういう男がモテるのか?」ということが話題になり、あらたな「人物像」を提示した私をリスペクトしたアーティストは多かった。
「孤独な太陽」などと歌われたが、ようするに「中国の舜」がモデルだと分かった。
孤独な太陽

聖徳太子の「本生話」の話はしたが、本能のままに生きた母・権力だけを求めた父のもとに生まれた仏陀に加えて、「中学でいじめられた」(仁)儒学が私に存在することは年寄りしか理解していなかった。
おばあさんから話を聞かされた主婦層が娘たちにそれを語ったため、アイドルが動いたものと思われる。
年寄りは「中国の思想」への造詣の深さを争っていたし、それは「舜」=中国の神であり、その論争に主婦層が巻き込まれ、女子たちに波及した格好となった。
みんな「思想」の話のネタに私を利用したに過ぎなかった。
孟子は「年寄りを年寄りとして扱え、若い連中を飼いならしてくれる」と言ったが、奥田民生にせよ、宮本浩次にせよ「自分ちのじいちゃんばあちゃんに愛されたかっただけ」という側面もあった。
ユングは「女性の胸はわたし」と述べたし、 おばあちゃんは夕日、娘は朝日と語った。
つまり、「ばあちゃんの言うことを聞いていれば胸が大きくなる」という女子たちの都合もあり、 じいちゃんばあちゃんからカネをもらいたかった奥田民生や宮本浩次と胸を大きくしたかった女子たちという構図も「情報伝達メカニズム」の研究として 理解しておかなければならない。
私のこの「情報伝達メカニズム」を利用して政府は「マイナンバー」というものを国民に浸透させた。
マイナンバーとは「中国の舜」へのリスペクトがなければ国民が受け入れるものでは到底なかった。
政府は住基ネットを広める際に「中国の舜を神として受け入れるか?」と国民に迫っていた。
そのキャンペーンの背後に私がいたのだ。
政府の哲学ブレーンはそう考えていたが、 東大には「各自治体横並びの反応」としか伝わっていない。
しかし、住基ネット・マイナンバーというのは「中国への憧れ」がなければ成り立たなかった。
マイナンバーのおかげで、理想の男性像は「桜木花道やルフィ」から「炭治郎」へといつしか変わっていった。
型破りな男よりも「真面目な優等生」となっていたのだ。
小室圭さんも「炭治郎」の役割を演じざるを得ず、「中国ではなくアメリカ」を明確に示すこともなかった。
feel like dance

また、「天皇には政治的権能がある」とする東京大学と 「儀礼的なもの」とする学習院大学の対立も指摘しておかなければならない。
私は東大閥に属し、小室圭さんは「学習院大学の側」に立った。
このへんは本人たちも「そのような生い立ち」という他はない。
もっとも「ドイツフランス法の立場」に立つ東京大学と、「英米法の立場」に立つ専修大学という対立では、私はなぜか「英米法」を支持し、東京大学のみに立脚するものではなかった。
スタンフォード大学を、日本国は「アメリカ合衆国によるガス革命」を背景に受け入れられるようになっており、 私も、その方がいいと考えていたのだ。
雅子さんは運が悪かった。
日本国が「ハーバード大学」を口にするとOPECにフルボッコにされる時代にキャリアを過ごし(人格否定発言)、私は、アメリカ合衆国のガス革命以降にスタンフォード大学で学んだ。
雅子さんは明らかに不貞腐れていたし、やる気をなくしていた。
皇室と国策はかなり深い関りを持っていた。
私はこのようにして、「つんくさん」と足並みをそろえるように情報伝達メカニズムを構築し、モーニング娘。の全盛期を支えたが、つんくさんは「タイミング」というものを口にしていた。
「年寄りが私の言動に怒った時」つまり「撒き散らす女がいなくなった時」を狙ってつんくさんはモーニング娘。の音楽作品をリリースしていたのだ。
年寄りに「思想」を語らせろ、ネタに困ったら「女・音楽作品」をリリースしろ、 これがつんくさんだった。
ナビが壊れた王子様

ホリエモン(堀江貴文)は、まだ東京証券取引所に「時間外立会取引」があった時代に、テレビ東京の「ASAYAN」でモーニング娘。が新曲をリリースするたびに、株価が上がることを熟知しており、私→年寄り→つんく→モーニング娘。というラインを 利用して「ライブドア社の株式分割」を繰り返し、ライブドアを大きくしていった。
私も歳をとってもはや「王子」ではない。
つんくさんもクリエイティブさを失った。
ホリエモンももはや表舞台から姿を消した。
「王子たちよ、これが私の時代だったのだ、天皇になることよりも今を楽しみなさい」
セネカはネロの家庭教師としてそのことを教えた。
ネロとは私の息子のことでもある。
As for one day

イエスキリストは仏陀だったと言っていた人がいたが、仏陀でもあり孔子でもあり、まあ、政財官の世界のキーパーソンのことを「キングオブキングス」と言うわけだ。
背景には「美徳」というものがあり、年寄りを怒らせることもあり、クリエイターが動くこともあり、女をばらまくこともあり、株価を利用する財界人もいた。
まあ、「キーパーソン」さえいれば、何か発言するたび、行動するたびに「女=カネ」をみんなが必要とし、このような情報伝達メカニズムが動員される(パレート均衡)。
ニコマコス倫理学とは、ナイル川を北極星に向かって川下りをする物語であるが、私は、つんくさんやホリエモンとともに川を下り、「ゼウス」となった。
川を下っていた頃の方が楽しかった。
息子には「東大法学部でよく勉強するように」としか言えない。
国内最高峰の教養がなければ、年寄りも動けないし、クリエイターも女たちも財界人も動けない。
幸福の科学の息子が東大法学部であることが知られているが、「東大までの人生」には動員力はない。
あなたの彼女

 
論文「リベラリズム」試しに読んでみよう。

辞書。
thing ちんちん。
value 女性の局部。
Liberals 高校時代にエッチする立場。
Freedom 譲れない夜。
Hobbes 王子であることを語った人。
Rousseau 教育によって性欲をためることを語った人。
Kant 女の口説き方を語った人。
theory 神学・男性崇拝。
Locke 二人の女による一人の男の奪い合いを語った人。
concept 人気。
Politics 女心を語ること。
Hegelians イケメン。
self 胸を大きくする方法。
Mill 論文がエロ本に見える人。
Republican 民の支持のある君主制。
citizen 処女に愛されたい人々。
Skinner 女の子をスマホで口説いて親から小遣いをもらうことを考えた人。
practice 処女。
property セックス。
rights おカネ。
capital 男。
second 女。
means 悪意。
welfare 恋愛。
Justice セックス。
Rawls 女の値段は株価であるとした人。
reason 女の体。
Ethics 楽しいこと。
substance 勃起。
nature 勉強。
basic 結婚。
authority 顔を決める人。
contract 夏休み・卒業。
sovereign 日本人女の「顔」。
the rule of law 人間の本性(法の支配)
think (オーガズムを)感じる。
peace 誰も目立たない世界。
Paradigm 既婚者のルール。
idea 女二人に男一人。
interest オーガズムから得られるもの。
Coercion 束縛。
social 知識が拡散していく空間。
subject 女。
resources 女たち。
moral 仲間。
libertarians リベラル女と結婚する男。
economic 男女が愛し合う。
「心の目で見て?」
幸せですか

「リベラリズム」 端的に言うと、「多くの男たちが女を奪い合って傷つくこと」を知っている人をリベラルと呼ぶ。 まあ、B'zのファンは皆、リベラリズムに立脚している。 もう一度キスしたかった

リベラリズムに立脚すると、男は表情が変わり、自分が愛する女の「過去の男すべてを」失恋させてやろうと考え、学問や仕事に励むようになる。 王子が司令塔となって知性をばら撒き、「天皇になる前にやるべきことがあるんじゃないの?」と言うのがリベラリズムである。 1215年のマグナカルタでこの理論が固まった。 マグナカルタが確立したおかげでウィリアム王子をメディアが追いかけた。 「王子は知性の司令塔」 これがマグナカルタであった。 学問は「長い目で見た快楽」である。 つかの間の、取り巻きに囲まれてモテたいなどと言うものでは決してなかった。 国家に挑戦する宗教団体からの攻撃に常にさらされていた。 王子としての実績がなければ君主は務まらなかった。 古典的には「ラグビーをやって男仲間が多い」などというスポーツを利用したものが存在した。 好きになってもくれない 

しかし、「周囲に溶け込むのはスポーツで」というのはあくまでも古典的な発想であった。 人生の「やるべきこと」に照準を合わせ、「学問の力によって」女性たちの支持を集めるという、ラグビーなどとは遥かに規模の異なるものとなった。 女性たちの支持はそのまま「資金力」となったため、資本主義のもとでの政界にも王子は影響を与えた。 ロールズは、「天皇制さえうまく回ってくれれば国は豊かになる」としている。 女性にモテたいから天皇になるのではなく、女性たちにモテるから天皇になるのである。 どのイベントに参列しても、そのため「カメラ」が王子を追った。 全人類は平等であるという圧力により、イベントは一気に発信力を高めたのだ。 ご公務は「国民との交流」という位置づけであるが、日々の修練が試される場でもある。 天皇制支持と不支持の間で乱闘騒ぎになったこともあった。 なんであの人はモテるのだろう?ということから読者が増えたため、ご公務は案外重要な仕事となっていた。 天皇制を支持しないものに「V」(バガボンド)という焼き印を押した天皇もいたそうだ。 そのような刺青はまあ、見たことはないが。 1960年から1980年代にかけて、このような激務を人格的統治者に世襲で押し付けていいのだろうか?と論争になった。 女にフラれたくないのは男の本能だよ、親父の人生を正当化しない息子はいない、などとされ、世襲はおおむね国民の支持を得ている。 大都会で大々的に王子が「防衛戦」を行うのか、政府が勝手に決めるのかは議論があるが、できることならば、防衛できるものなのならば、大都会の君主であってもらいたいものだ。 野蛮なものを押さえつけるためには都会型君主が必要だとも言われる。 個人的なコネとか媚びを売るとかを覚える前に「強くなれ」というのが現代の君主制というものだ。 このように「リベラリズム」というものは「都会型」で「オープン」な形で強さを求めるものであるが、中には「身内だけで」物事を処理したがるグループもある。 そのあたりは「国民的アイドル」かそうでないかの違いがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石原伸晃に1票を。
自民党に寄付をお願いいたします。

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