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Foreign Affairs

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2021年9月 4日 (土)

病気。

池田大作式夫婦生活は、すでに紹介したが、このことが全米に与えた影響は大きく、「病気」という概念が変わってしまった。
本来、「私は子孫を残せないのかな?私は動物なのかな?」という気持ちや、「仕事ができない、コミュニケーションが取れない」あたりが病気とされ、「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならない」ことから病気になるとされていたが、最近は、病名を大雑把に「心の病気」「精神の不調」「心の不調」「精神の病気」と表現し、「ようするにオーガズムの感度の問題」とし、「人間は違っていた方が気持ちいい」と表現するようになった。
パジャマでドライブ

私の「恋愛三部作」を受けて、坂道シリーズなどは「違うから気持ちいい」としてその単純化を批判した。
そもそも、家庭という閉鎖的空間に閉塞感がさほどなくなっていたことから、「違うから気持ちいい」と言えるようになったのだ。
時代は「どの女がいちばん気持ちいいか?」を見始めた。
恋愛三部作という単純化を経て、「気持ちよさ」を見始めたのだ。
坂道シリーズだけでも「推しメン」がいるのに、神宿とかNiziUとか「違うから気持ちいい」と言って「女心ならすでに出揃っている。私たちは気持ちいい女を目指しているの」と言われるようになった。
Poppin shakin

現在の医学は、三次元の自分の体をスマホで撮影して二次元にする「放射線治療」の可能性がどこまで拡散するかを見ている。
メンタルな問題も含めてである。
DSM4-TRとDSM5が、まるで「4G」か「5G」かのどちらが正統かを争うように放射線治療をめぐって争っている。
この動きは「4Eムーブメント」と呼ばれている。
テクノロジーを考えた「MOMA」と、令和天皇が水面下で争っている。
ヒポクラテスは、プラトンの詩を参考に「歌のモチーフにすれば人は健康になる」と考えていたし、漢方医学も、道教の影響のもとに同じように考えていた。
医者は多くの「セックス」を扱っている。
病気というものは、ケガと変わらないほどの「患者に対する侮辱」である。
他の人との「悪い違い」を「ちょっとした違い」に変えていく必要があるし、音楽作品のモデルという具合に「他者との違い」を芸術に昇華できる範囲内におさめる必要があった。
性欲というものを甘美なるものにする必要もある。
周囲も音楽作品を共有してしまえば、自分の存在は「常識」となる。
みんな「痛み」が嫌いだった。
痛みが積もり積もって病気になっていた。
「やり方」を間違えているのだ。
そのあたりは「マクノートンルール」として「正しい学び方」を教えなければならない。
「やり方を間違っている者」に国の指導者など務まらないのだから。
醜く貧しく、ユーモアのセンスもないネガティブな連中の話を聞くよりも君主の話を聞いた方がいい(進歩主義)。
セクシーボーイ

痛みの少ない生活が病気を治す。
また、「痛みには原因がある」とするのであれば、「やり方」「読むべき本」を変えていかなければならない。
そこで、文壇・論壇・政界は、「病人を癒す」という意味においてはキリスト教・仏教双方の立場から「ゲーム」を確立した。
中東地域は「家庭」であり、アジア地域は「職場」である。
家庭からも職場からもつまはじきものにされたものがアフガニスタンにいる。
それならば、「ユニークな本」を書いて、ユニークな人になってもらって家庭や職場に帰ってもらうほかはない。
「取り残された人がいる」「自衛隊法改正」という問題では必ずしもない。
また、高市早苗も、時代背景を考えると「高市早苗は気持ちいい」というキャッチフレーズが一番好ましい。
まあ、「ふたりの女を同時に愛する」というのも病気の原因になる。
幸せですか

一人の女とセックスすると、どうしても「ライバル女」が寄ってくる。
そこで病気になるかどうかが「なぜ勉強しなければならないのか?」という答えだろう。
赤ん坊は、本来、母乳を飲むと下痢をする。
それでも母親は「愛情」を与え続けて「大男」に仕上げる。
背の高さと健康も深く関わっている。
石破茂178センチ
岸田文雄174センチ
河野太郎171センチ
褒めてくれる母親がいなくなれば、男は学ぶことをやめる。
身長は「母親の深層心理における愛情」なのだ。
水疱瘡の時もせっせと下着を取り換えてくれたであろう。
Wild horses

河野太郎はワクチン接種済み(統制派)という強い立場にあり、ワクハラと呼ばれるようなことがまかり通っているが、ワクチンの危険性を知るもの(皇道派)との対立を得意の外交や防衛にまで持ち込みかねない。
本来ならば、ワクチン接種は「クリニカルリサーチに参加しませんか?」と言って接種後の追跡調査までしっかりやって公表すべきだったが、そのまま家に帰して寝込ませてしまったからね。
医学の世界で一番やってはならないことが「騙し討ち」なのだ。
昔はそういうのがまかり通っていたが、今は現代であり、ワクチンの騙し打ち感は前近代的なものだった。
医者はそれぞれが専門の「科」をもって完全競争の世界に入っていくが、完全競争の側が庶民の判断力を納得させるのに失敗した。
完全競争の側(医者・政治家)と庶民の判断力の調和をうまくとりながら物事は進めていかなければならない。
その調和がとれなかったのだから、同じような事例は今後も繰り返し起きかねない。
政治というものは「他人のために判断する」ものだ。
完全競争の側にいる人間を誰もが味方につけたがる。
しかし、「ワクチン打て打て」という政治家を世論は味方につけたくないと言ったわけだ。
ワクチンに関しては「将来の見通しを語る局面」と「過去を振り返る局面」の二つを常に考えなければならない。
菅総理辞任ならば、一度は「過去を振り返らなければ」ならない。
このまま「将来の見通し」を語って突進する状況ではない。
庶民に「分かる範囲でいいから」と常に考える余裕を与えてあげるのが専門家だ。
ところが「分かる範囲でいいから」というものを全く絞り切れなかった。
男性崇拝というものは常に女たちの「仲間づくり」の背景にあるが「分かる範囲」を「プロのレベル」にまで引き上げてあげなければならない。
政府がやれというからやったというのでは、なかなか女性たちの「言論フォーラム」(噂するカナリアたち)が生まれない。
緊急事態宣言というものも果たして「噂するカナリアたち」というものを踏まえた「経済政策」と位置付けられるものかは明らかではない。
シルバーリングに口づけを

何事も「選ぶ」「分かる」「楽しい」「モテる」「気持ちいい」という段階を踏ませて問題を解かなければならない。
大学入試そのものがそうだからである。
コロナ禍もそのような「解答法」を政府が用意しなければならない。
そこには「38点の答案」「64点の答案」などが存在しなければならず、「0点」(負け組)「100点」(勝ち組)だけをこのプロセスで生み出してはならない。
アップル社が、このような「多様性を認める」「点数にばらつきがある世界」を生み出すのがうまい。
ワクチンを打とうが打つまいが人生であり、人それぞれが人生にどのような点数をつけようが自由だと割り切った方がいい。

 

 

 

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