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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2020年8月

2020年8月31日 (月)

月。

さて、サブルーナー(月が大きくなる)という話はさせていただいたか、ニュートンやヘーゲンの説明は、「英国王室が女心を語ったから」とするに
とどまったようだ。
アインシュタインは、「女心を知るということは、男女が惹かれ合う」ということだろう(一般相対論・ローレンツ変換)とし、
光の速さを本来、想定していなかったヘーゲンに対して、「男女が惹かれ合う」から月が大きくなったのではないか?とした。
「タケコプター」は、月に通信基地を設ければいいだけではない、地球上の「男女」の力を必要としている、としたのだ。
地球上(少なくとも日本国)の男女は惹かれ合った。
そこで、「地球の重力の謎」は、「地球の回転(自転)」に存在するものであるが、朝昼晩の日常を男女が過ごすというあたりに重力の謎があるように思われる。
ベートーベン 月光

アリストテレスは「ナイル川を下って北極星を目指す男女」を仕組んだが、今の日本国は、合唱コンクールや学園祭、運動会などを「偏差値」と共に消化し、最後に「告白する」というゲームを仕組んでいる。
あるいは「社会人」でも、広告・引き合い・商談・契約・履行・決済・アフターサービスというような「仕事」を男女が共に消化している。
これをやらないと、ソープの女では「気持ち良くない」という指摘は可能である。
児童虐待という「遠心力」もいまだ健在であるため、月が落ちてくるようなことは世界規模でみれば決してあり得ないが、日本国では、どの男女も「優しい気持ちになれた」のである。
2050年には世界の人口は90億人になろうとしている。
しかし、日本国においては「いじめる側の論理」が明かになり、マザーファックをやって精子がでなくなり、やけを起こして男でも女でも犯しまくった、とかカマを掘られて便座が鮮血で染まったとか、人間の「幸福の関心」にまで遡って「優しさ」を生み出したのだ。
SPEED You are the moonlight

「春はあけぼの」(枕草子)は、いかにも当たり前のようなことを書いているが、1730年から1750年までの間に「大英帝国が発明」したことを、日本国が鎖国のもとで「美・風土」としたものなのではないだろうか?
ケプラーが、「貴方を想っているのは私一人じゃないから」と言って、1680年には、だいたい哲学の方向性は定まってきていた。
デカルトの「恋の発見」「処女の発見」を受けて、2分の3ルールと呼ばれる
「それは親がいただいてしまえ」という児童虐待の文化が存在し、さらに「養子」という制度を理論化したコペルニクスは、「親がいただいてしまえ」をさらに2分の3とし、月を遠ざけた。
家庭内にも、世代を越えた男女が共存しており、「親がいただいてしまえ」という発送は抜けきらなかった。
水星・金星・火星・木星・土星というシステムが作られ、熱い惑星、冷たい惑星などが地球に風を送った。
rebecca queen of venus

【仏教スレより】
栄進は「宇宙」に興味あるようだが、宇宙の始まりが「ビッグバン」だとすると量子論の立場にたつことになる。
つまり、「どんな小さな命にも重さがある」という立場だ。
一方で、「阿弥陀如来信仰」(女子高生代表)というのは「ひも理論」に立脚している。
つまり、「宇宙の始まり」以前は、現在の宇宙の姿が「逆さに映し出されている」しかし、必ずしも「左右対称のように正確に映し出されているわけではない」とし、
「処女たちの祈りによって」「微調整できる」というのが阿弥陀如来信仰だ。
そこで、革命とは「オカマや両刀遣いを撲滅することである」という財務省の悲願は現実的ではなく、また、晃が「父」なら栄進は「子」であり、私が「聖霊」という「いじめの構造」は治らない。
ところが「四つだ」という立場にたち、笑っちゃ魚さんあたりが「四人目」をやってくれれば、
「ひも理論」にしたがった「阿弥陀如来信仰」を日蓮宗が受け入れるのではないか?
ご本尊さまさえ「阿弥陀如来さまである」とすれば革命は達成されたと見るべきなのではないか?と考えたのだ。
たとえば、芸能人として成功したら、役所は「生活保護」を薦めてくる。
有頂天から奈落の底に突き落とされるがごとくである。
ところが「女子高生たちがあなたの不老長寿をお祈りしています」という「生命保護」(生活保護ではない)とすれば「車の所有禁止」なども理にかなった説明が可能である。
ベーシックインカムというのは、晃と栄進が私にやったように、
「入社初日のひどいいじめ」さえなくせば実現できる。
生命保護とベーシックインカムを私はこのように構想している。
全国に会社は300万社ある。
しかし、法人税を納めているのは3万社だ。
どの会社も「入社初日のひどいいじめ」があるから法人税を納められないのだ。
法人税を納めている会社は、納めていない会社が作ったものを安く仕入れて、「高く売っているだけ」なのだ。
このあたりにもベーシックインカム実現の秘訣がありそうだ。
そこで「カネ・競争・時間」をお金の面では、ベーシックインカムとして解決すれば、あとは「スターには生命保護を」庶民には「阿弥陀如来信仰を」あたりで収めることをもって、「革命へのプログラム」(綱領)としようと考えている。
いじめの原因は「気が弱いけど素敵な人」の方が金持ちになるため、オカマや両刀遣いが、ケツの痛みとない交ぜになっていじめているだけだ。
「カネ・競争・時間」が原因だ。
そこでやはり、生命保護とベーシックインカムあたりが無難だと思っている。
マルクスが「女」を語ったときには(唯物論)、晃や栄進のような「性倒錯」に、「どうしょもねえな」という目に遭わされた(新左翼)が、
レーニンが「女」を語ったときにも「性倒錯」に同じ目に遭わされている(ネオリベラル)。
性倒錯が多いと、一部の者しか車に乗れねえな、というのを「小乗」と呼び、実際に、東南アジアは「ネオリベラル国家」と呼ばれ、普通に「娘や息子の貞操は親がいただく」ことになっている。
日本は、そのような意味で「大勢の人が車に乗れる」大乗という国なのだ。
なお、私の「生命保護」「ベーシックインカム」などの議論は、必ずしも「朝鮮人」だけの問題とはしていない。
1997年のアジア通貨経済危機の時に、タイの外貨準備高が枯渇し、タイと同じ「ドルペッグ制」をとる韓国にそれが波及している。
タイの女は髪が長く、ドルの信用を背景に「虐待をされていなかった」のである。
同じく、大韓民国も本来、ネオリベラル国家ではない「先進国」であった。
この辺は「芸能界」(ミクロ経済)を見るか、「庶民」(マクロ経済)を見るかの問題であり、有効性の認められる経済政策を模索する必要がある。
日本語しかできず、日本で生きていくことを宿命付けられている「在日」も、「政治的自由」は朝鮮政府に求めている。
政治的自由とは、「異性との交遊関係」のことであろうが、「落とせない女などいないという境地が悟り」というのも難しい宿題であろうか。
なお、日本国の「社会保障制度」は、困窮外国人を本来想定しておらず、在日には「準用」というかたちをとっている。
福祉とは本来、「女性と電話で話して小説を書き、地方自治に貢献する」ものである以上、在日にも「悟ってもらわなければ困る」という側面がある。
特に芸能人のミクロ経済の世界ではそうであろう。
なお、現在の日本国は「もはや治安にしか興味がない」とされ、移民政策として「芸能界」を活用している。
「男作りが先、女作りがあと」というのが移民政策だとするのならば、大相撲の世界で初めての在日である「力道山」と、芸能界では和田アキ子などを先駆けとし、実にうまく「朝鮮政策」を打ったことになる。
もっとも「サンフランシスコ平和条約における国籍一斉剥奪」には、「国籍選択させるべきではなかったか?」という当局の反省の弁も残されている。
なお、在日朝鮮人というのは、日露戦争の時に「アジア初の近代帝国」である日本国が「国境線を画定した」とし、日本国に朝鮮人が渡ってきたことに端を発する。
戸籍法は朝鮮人には施行されていない。
しかし、独自の文化が誤解されることが多かった。
関東大震災の時に「井戸に漢方薬を入れている」のが目撃され、それが「毒」と誤訳され、陸軍に虐殺されている。
コロナウィルスのトイレットペーパー買い占めなどを見ていると、このような話は決して過去のものとはなっていない。
また、日本国が終戦を迎えたときに「領土問題は日露戦争で解決済み」とし、日本人を励ますために「民族学校設立運動」を行ったが、日本政府の回答は「国籍一斉剥奪」だった。
この辺の「朝鮮人の説明責任の欠如」は、てんかんなどの病気から由来するのだろう。
ゼロに関しては、まず、映像をみてもらった方が早い。
この二本の動画を重ねてみてもらいたい。
女子マラソン「ゼロの瞬間」 スーフィズム
パソコンでご覧になっている方は、是非、二本の動画を「同時に」見てもらいたい。
「これが、ゼロの議論だ!」
今日、ニッポン放送ショウアップナイターで創価学会がスポンサーをやるだろ。
ジャイアンツ対DeNAが戦う。
私は、すでに「ゼロとスーフィズム」の理論で昨年、DeNAを二位に押し上げている。
創価学会は「特定の球団を応援するコンセンサスが得られていない」と聞いている。
もっと研究して、やっちゃえばいいのに。
もう「暗号」が劣化して無力化したので、昨年、私がDeNAで用いた暗号を全部ばらす。
同点の場面で攻撃する場合は「ゲーム理論」を用いる。
高井麻巳子 こわれかけたピアノ

大量ビハインドの時は「Qlair の 君住む街」つまり「女は男を追い越せない」というアキレスと亀を用いたが、ソニーに禁止権をかけられた。山崎康晃が出たときは「最後の瞬間は光よりも速い」(相対性理論)を用いた。 
相対性理論 恋は百年戦争

ミッドウェー海戦でも「ハヤシ」が暗号を乱打していただろ。
昨日、DeNA負けたな。
基本的には「ゼロ」アプローチにせよ「角度」アプローチにせよ、オペレーションを仕組んで「みんな仲良く観戦する」ことを「空」と呼ぶ。
あるいは、そのような「治める方法」を「道」と呼ぶ。
「処女たちの祈り」で結果を微調整するオペレーションは阿弥陀如来信仰と関わる。
微分というのは「現在のチームの勢い」を研究するものであり、
積分は「順位表」などのレコードとして新聞に載る。
ジャイアンツもライオンズも「球団経営会社」を立ち上げるそうだ。
まあ、私は「国家世俗性説」からこの世界に入ったので、喧嘩にならない「プロ野球の話」ができるようになればいいと思っている。 
誰もが、必ずしも栄進のように夢が叶うわけではない。
「志半ばで挫折して失意のもとにある」無神論者というのは本当にいる。
あまりいじめなさんな。
女でも「神に失望する」のは、レイプに遭ったときか、女嫌いの男に会ったときだとされる。
自分の局部を愛の概念で「管理」するのを「占有」(ポッセシオ)と言うが、栄進は「穴は皆同じ」と考えているため、無心論者には好かれるかも知れん。
自分のブラックホールで世界をコントロールするというのが「神を信じる」ためには必要だ。
MAX Give me a shake

まあ、呼吸をするためには「音楽作品」を聞くのが有効だ。
呼吸停止・心臓停止・瞳孔反応消失を「死」と呼ぶ。
音楽作品は、公約数的には「特定のパートナーを大事にする」「男は仕事をし、女は女ネットワークを作る」あたりを祝福している。
ブラックホールで世界をコントロールできない人は、無神論というかたちで、呼吸が弱くなり、失意のもとにいるのだろうか?
永作博美のアルバム「Here and Now」(英語で禅をこのように表現する)というのがある。
禅も、アムロ・レイの親父の酸素欠乏症のような病気を、「音楽を聴いて」治すのだろうか?
永作博美のアルバム「Here and Now」が聞きたければ、全曲、私がYouTubeにアップしている。
Feel Me

Drivin'

 エアメイル

Without You

 信じさせてください

恋と微笑と花

逢いにきて

このままでもう少し

 天使が胸に降りる時

アルバム「Here and Now」永作博美リリース1994年7月21日。
内藤大助デビュー1996年10月11日。
内藤大助は、トランクスに「永作博美」と刺繍している。
内藤大助は、ポンサクレック・ウォンジョンカムに勝ったボクシング世界王者であるが、彼の「心肺機能」を支えたのが「禅」だったのだ。

結局、日本国は「大学寮における成績で領土の広さを決める」という慣習から宗教というものが作られている。
女心に詳しい天台・真言、暴力的にクラスの輪を占拠している日蓮宗、「殴っちゃえばいいのに」という禅、女子会を繰り返す法然・親鸞。
各自が一理あるものであるが、「大学寮の成績で領土を決める」という歴史は踏まえないといけない。
「念仏無間地獄」「禅天魔」というのも「クラスの輪の中心の防衛のために」言われていることだと。
永作博美の「Here and Now」を、昨日、一日中聴いていたが、どうも眠りがよろしくない。
「退屈だから他の曲が名曲に聞こえる」あたりの扱いがいいのかもしれん。
なお、卒アルを見て、近所の生協に呼び出す先輩がいたが、 生協というと共産党か?
いずれにせよ、阿弥陀如来信仰も、「クラスの輪からはぐれていそうな奴」を狙っていたようだ。
「顔が左右対称」「声が低い」「笑顔」は避けていた。
笑顔を作るのがうまい男女は「セックスとの距離が近い」ことを意味する。
案外、電話が来ると不快感がぬぐえない。
もっと「趣旨を明確に」した方がいい。
菊池桃子 卒業

さて、布一枚をまとったブッダや、イエス・キリスト、聖徳太子の話をしたが、「女にやたら詳しい」男の「消費論」が出たのだ。 マルクスにとってはヘーゲル(新左翼)、レーニンにとってはスターリン(ネオリベラル)、そして、法然にとっては「日蓮」が、教祖たる男の、「消費論」を担った。 ヘーゲルもスターリンも日蓮も「性倒錯」だった。

 

2020年8月17日 (月)

ハイエク~定額給付金第二弾。

さて、いままで「文化と社会のありようをおカネに変える」方法を述べてきたが、それはすなわち、ノンケと性倒錯の研究がマルクス主義にあり、肉体を鍛えてぶっ飛ばせば問題にならないことではないかとするナチズムが存在した。

戦後になり、「おカネとクレジット」の研究が深まった。
ケインズは「おカネとは金額が数えられて、女が買えて、すべての女に通用するものである」としたが、ハイエクは「パートナーに忠誠を尽くすことからクレジットというものは生まれる」としている。
Cocco 強く儚い者たち

ケインズは庶民とおカネを重視し(マクロ経済学)、芸能事情通のように「熱愛報道・破局報道」など(ミクロ経済学)から「クレジットカード」というものを考えたハイエクと対立した。
ミクロ経済学とは芸能界の研究であり、マクロ経済学とは庶民の研究であることはここで明確にしておきたい。
「芸能界じゃなければ破局や不倫は問題になりにくい」ここにクレジットカードの秘密があった。
その代わり、芸能界は「言葉を選ばなければ」生き残っていけない世界だった。
芸能界は「公物管理」と呼ばれて、ソビエトは「計画経済」によって統制することで人々にクレジット(ルーブル)を与えたが、ケインズは庶民はおカネしか見ていないとしていた。
「彼氏」と呼んでセックスする相手を決めることそのものが「公物管理」(芸能界)によって強烈にアピールされ、クレジットを支えた。
松浦亜弥 元彼

「ノンケとか性倒錯は分かっていたけど、パートナーに忠誠を尽くすことがクレジットになることは分からなかった」世界はハイエクをそのように評した。
男は「勃起する限り」パートナーと別れることはないのに、なぜこのような詩を表現するのか?それがそのままクレジットカードにおカネとして流れ込んだ。
松田聖子 瞳はダイアモンド

女子高生にも分かる話をしようとしたケインズ主義に対して、ハイエクは「芸能界の交際や破局」を主婦層に提供し、「勃つ限り別れないようね」という立場(おカネ)と、失恋ソング(詩)の世界(クレジット)の世界を対置させた。
どの経済学者も名ゼリフを残している。
「社会の歯車になった方が国が豊かになる」(アダム・スミス)。
「果たしてこの企業は利益の最大化を求めているのかよく分からない」(フリードマン)。
ハイエクは30代中頃に「貿易をやる商社マンは外国でセックスしなければならない」ということを目の当たりにし、「クレジットの問題」に気付かされたとされている。
ケインズは「好景気と不景気の景気循環」を、政府のカネの量の違いに過ぎないと考えていた。
カントの「高校生金融」「女子高生への送金」の量(上からの革命)や、子供の虐待の防止からなる「下からの革命」などの動向によって政府のカネは決まってくる。
ハイエクはこれを「公物管理」(芸能界)による「特定のパートナーを大事にする」メッセージによってルーブルを支える(ルーブル委員会)という発想を持っていた。
「純潔」「交際」「結婚」「破局」など、クレジット(ルーブル)は常に芸能担当記者が支えていた。
誰もが若い頃は「漁り漁られ」を経験するだろうが、それでも公物管理は冷静にクレジットを見ていたのだ。
松田聖子 大切なあなた

「最後の制度的保障は皇室」とも言われている。
おカネとは「金額が数えられ、女が買え、すべての女に通用するもの」としたケインズと、「芸能界や皇室から由来するクレジット」としたハイエクは立場が明確に異なる。
「ブルーのインクはどこから来るのか?」
それは化学(多様な女)たちや、それを応援する野菜(男たち)からであろう。
高井麻巳子 約束

庶民(マクロ経済)はこれほど芸能界(ミクロ経済)に影響されやすいんだ。
ハイエクは笑った。
「特定のパートナーを大事にする」
これだけでルーブルは支えられるとソビエトの計画経済は語っていたのだ。
それは、性倒錯とかノンケとか、肉体派ノンケとか組織論などはあるだろうが、「大人の事情」「芸能界のありかた」に逆らうものは少なかった。
余談であるが、私は、ストレッチ運動をやっていて「呼吸ができない」と看護師に訴えた。
医学書を読んだら「音楽への感受性を磨け」と書いてあったが、「いろいろな女がいてもキョロキョロするな」という意味であることをハイエクに学んだ。
Melody you are only my love

「約束」「マーケットからの進退」を語る芸能人の方が日本国の「円」を強烈に支える力があった。
ケインズのように「女子高生にも分かる話をして、富を生み出す」「おカネとは金額が数えられ、女が買え、すべての女に通用する」ものとする発想から、ハイエクは「芸能界による恋愛論の発信・哲学の発信」へと円の基盤を切り替えていった。
最後の制度的保障は皇室である。
私の息子が地上波で「哲学講義」をするだけで定額給付金第二弾は簡単に打てる政策なのである。
地上波は、ルイ14世やビクトリア女王、ジョン・D・ロックフェラーが想像していなかったようなことが可能になるものであった。
盗みや詐欺など「グレートソサエティ」は想定していない。
私の息子の「哲学講義」を10分ぐらい聞けば、クレジットカードにおカネが充填されるのだ。
ハイエクは「金利とは人々がどれほど時間を愛しているかで決まる」としている。
マルクスは「人々がどれほどおカネを欲しているかで決まる」とし、カントが「クビにしたい上司がいるかで決まる」としたのに対し、ハイエクは「時間への愛」を金利の根拠としたのだ。
つまりは、一日中退屈していても飽きない性倒錯男が金利を下げているとしたのだ。
「忙しい、忙しい」
これが金利を上げる。
「ゼロ金利とは時間が止まっている状態なのかね?」
時間が止まっている連中には「何かやれよ」と言ってマネーサプライを増やすしかない。
私、もう体を売らなくてもいいのかしら?(インフレ)というのは経済の病気だ。
おカネを増やす方法はいくらでも政府は知っているが、男女が愛し合わなくなるというのは経済の病気としか言えない。
「もう体を売らなくても食べていけるのではないかしら?」と考える女には高いものを売りつけるしかない。
虎の尾をつかんで、噛みつかれないようにくるくる回り続けるのが経済運営なのだ。
恒久的に国民のクレジットカードにカネをぶち込むことは可能である。
しかし、男女が愛し合わなくなるというのは経済にとっては致命的なのだ。
日本国というのは世界第三位の経済大国ではあるが、ある意味、まだ「貧しさ」を抱えた国だ。
オカマに「財務省に怒られんぞ」と言っているうちは、まだ、経済発展の可能性がある。

これから、私は「人気」について語りたい。
人気の代表格は「不勉強と孤立」からもたらされるものである。
ハリケーンも歯の痛みも「不勉強」からもたらされるし、「殺人」「嘘」は孤立からもたらされる。
全能であり、全知であり、すべての快楽を知っている「神」を否定するものであるからウケるのだ。
「勉強しなくていい」「孤立していてもいい」
オウム真理教は平成の時代にそのようなメッセージを送り人気を誇った。
オウム真理教 水槽

 
話はこれで終わらない。
「孤立しながら修行の道に入る」ことからプリンスが登場したのだ。
「おカネが違う」「本当に上達する」「強くなれる」
このあたりはオウム真理教とは異なるものがあった。
ナジーム・ハメド

我々は、「笑い」だけでなく「人生の上達」も求めている以上、いつまでも「勉強しなくていい」「孤立していてもいい」という笑いだけでとどまることはできなかった。
バンパイアや魔女などは「医者」「弁護士」「薬剤師」「政治家」など多くの職業を生み出した。
「説明できない力」
これは令和天皇が持っている力のことである。
オウム真理教など「不勉強」「孤立」でしかなかった。
なんの「上達」ももたらさなかったからである。
「広義の悪」とオウム真理教は呼ばれ、「狭義の悪」とプリンスは呼ばれた。
しかし、「プリンスはイラン、イラク、北朝鮮を生み出してしまった」
これを、ジョージ・W・ブッシュは批判したのだ。
個人レベルで真似をするのと、国家レベルで「修正困難な」真似をするのでは意味が異なった。
北朝鮮 ミサイル

「悪」と呼ばれて国全体を豊かにしたいのならば、まず、国際社会で議論してからにしよう。
石原慎太郎も「個人レベルでプリンスの真似をして親と和解できた事例を知らない」と狭義の悪すら批判した。
女の子たちも「悪」「ダークサイド」の側にいる時の男を遠巻きに見守っていた。
ましてや女子高生ならば、ハンナ・アーレントぐらいの才媛でなければ、「上達のために悪を演じる」ということの意味は理解できないだろうと考えた。
ただの「不勉強」と「孤立」からくるものと区別がつかないからである。
「ヒトラー」と言った途端、「いじめていいカモ」と周囲は判断した。
しかし、「アイヒマン」の裁判を見て、ブレンダン・イングルは「プリンスを育てよう」と判断していた。
キャロルも、アイヒマンに影響され、企業のセールスを伸ばし、クリスマスに人々に物を贈り、「成績を見ながら」悪を演じた。
しかし、キャロルにも「あんな人に後継者などいないのにね」と周囲は批判的だった。
「不勉強」と「孤立」との区別がつかなかったからである。
「いつ、キャラ変更を決断するかだね」とも言われた。
50歳過ぎているのならば、ただの「不勉強」と「孤立」からは抜け出せない。
シュタイナーは、ヒトラーに「今のお前ならばその時期だ」と教えている。
もっとも、ミュンヘン一揆を起こされたときに逃げだしたけどね。
映像の世紀 長い

一向に「上達」しない「悪」はとうとう「サイコパス」と呼ばれて、マクノートンルールで許された。
私も、世界の有名人になり、マクノートンルールで許されたが、レーガン大統領暗殺未遂事件を起こしたヒンクリーにこれを適用した時に、アメリカ世論は激怒した。
マクノートンルールの優等生が令和天皇だった。
「上達」
それは信仰心であった。
「不勉強」「孤立」を正当化するためには「悪」は都合がいい。
しかし、信仰心がないのならば、世界を敵に回すだろう。
プロデューサーの中には「視聴率さえ取れればいいんだろう」と言って、足を机に投げ出すものもいた。
そこで「パンチパーマにサングラス姿で東大コース?」という可能性が示されたが、実は、もうひとつ人気の秘訣があり、「ベンチや家庭の見方と同じ目線でゲームを総括する」ということが可能性として指摘できる。
そうなると、「ヒステリー母ちゃんを持ってカマを掘られたことのある学校大好きな男の子」と「母親の無関心にさらされた、あるいは心の弱い母親を持った男の子」という二つの「ベンチ」が存在することになる。
世論は、「ベンチ(家庭)は彼をこのように見ていたのか?」という「ヒステリー型、無関心型、心が弱い型、神経質型」の四つを見ることができる。
それでインターエデュは成り立っているのだ。
東大受験メディアのある国では、子供たちも勉強しやすいものだ。
彼には自分の部屋がある、ということがまず分かる。
そのあとに「物が盗まれる可能性がある」ことも分かる。
「人と比べられること」「女性がいること」「周囲がそれを認めていること」の三つが部屋には必要であり、それがなければどんな立派な部屋でも「居場所がない」ことになる。
人気とは相対的なものである。
「俺、小野君に負けちゃったよ」などという話題が私の予備校時代には普通にあった。
「気が弱いけど素敵な人」(タイプA)ならば、母親の無関心や心の弱さが必要になってくる。
セロリのKISS ハッカの煙草

普通に「ママ、ママ」と言っていた子供がA型で、「おっぱい」と言っていた子供がB型で、ちんちんをしゃぶっていた子供がO型である可能性が指摘できる。
世の中には「お前がその部屋にいることは容認できないぞ?」ということが現実にあるのだ。
このあたりは、女性たちの支持や男友達に配るおカネなどで調整するしかない。
メディアや世論が「どのような背景を持った男なのか?」を支持しない限り、勉強や学問は成立しない。
「君主としての証拠をみせろ」
そのようなニーズがあるためブログというものはある。
証拠をみせて 工藤静香

どのみち人間は「自分の部屋」にいる限り、世論からいじめられている。
それを、女友達・女兄妹・カネでどのように認めてもらうかが勉強や学問の始まりである。
豪邸や城となると「女友達・カネ」が、その部屋にいることを認めてもらうために大変な作業が求められることになる。
クレムリン宮殿では「リトルコーナー」と呼ばれる一室に大統領はいるに過ぎない。
「女子高生にも分かる話をする」というケインズ主義は、このような意味で「自分の部屋」を女の子に持たせ、成績を向上させたのだ。
女たちは「マスターベーション」を「美しい経験」にしたがっている。
そのため「男の美しさ」は常に人気を持っていた。
「パンチパーマにサングラス姿の東大受験生」が成立しない理由も「女の子たちが美を男の子に求めている」ことが背景にある。
こう考えると、東大合格というのは案外難関である。
率直に言うと「令和天皇よりもGACKT?」とどの女たちも考えていた。
「オーガズムの強烈さ」
これを比べていたのだ。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

詩とメロディー、そして哲学に女たちは耳を傾けていた。
女たちの一番人気はモーツァルトであり、次にベートーベン、さらに、シューマン、最後にブラームスがいちばん「感じる」「セクシー」という証言があった。
どのアーティストも、アンディ・ウォーホールのような「ドキュメンタリー」を作っていたため、誰がもっともセクシーかを競い合っていたのだ。
男には分かりづらいが、このような動画が女にとっては「セクシー」だった。
笑顔、言葉、生き方が分かったからだ。
ウォーホール セクシー動画

ピカソのあまりにもストイックな、女日照り状態で描かれた「ゲルニカ」にも女たちは「素敵!」と言った。
ピカソを知っている女たちは「やっぱりGACKTじゃなく令和天皇だよね」と語り合った。
「歴史ってのはただのオーガズムじゃないのよ?」とも言われた。
セックスとは男にとって、女の「子供の気持ち」を味わうためにするものだ。
その「子供」が、GACKTであろうが令和天皇(おじさん・オーディン)であろうがどちらでもいい。
令和天皇(おじさん・オーディン)が日本国の、財務・金融を支えているのだ。
「おじさん」の気持ちを味わいたいというのも男が女におカネを払って行うのは当然であった。
森高千里 臭いものにはふたをしろ


さて、フロイトは「ヒステリーとは自分のおとぎ話を侵害されたときに起こすものだ」としていたが、ユングは「子供の頃に女の子が、性の対象として見られ、そして、アンソニーが落馬して死んだときのトラウマ」がヒステリーの原因であるとした。

9e8aa1f5807b47a0a11af4bacdcce523 アンソニー 動画

ユングは、「精神分析」という本の冒頭で「必ずしもすべての民族に捧げるものではない」としているが、子供の性概念は「2歳でメンスの兆候を確認し」「3歳4歳5歳で勃起の兆候を確認する」という性概念を「歴史上のもの」としていた。
このあたりは、先進国として1970年のミシェル・フーコーの「クリニックの誕生」を日本国が受け入れたことを知らないといけない。
なぜ、保育園・幼稚園はあるのだろうか?
夕日

「女という名のノイローゼをどのように枠にはめていくか」が文化の役割となった。
となると、キャンディキャンディを描いた人は、「原作者」と「ライター」は異なるが、原作者は「ミシェル・フーコーの日本名」として問題はないだろう。
保育園・幼稚園・小学校・中学校は「15歳での性概念の確立」をじっくりと攻めることになった。
目的は日本民族の「種の保存」以外にない。
一斉共同体主義と、男女別コース制(合憲)が確立した。
男女の違いは「栄養とトレーニング」の違いからもたらされる。
このような方法を「オナニズム」と呼び、日本国においては、生まれた時に何らかの「施術」を行っているのではないかと私は考えている。
「欲望のままに生きていきやすい」
それは義務教育が終わるのを待たなければならなかった。
男女は「歌が喧嘩していいと言っている」から喧嘩した。
松浦亜弥 そう言えば

さらに「男になるためには」「飢え」(リビドー)が必要であるとし、ホモセクシャルを排除することの困難さだけは課題として残された。
しかし、それも「気が弱いけど素敵な人」という概念をキケローが考えた時に解消に向かった。
ちんちんのデカさだけは「病気」みたいに扱う必要がある。
松田聖子 赤いスイートピー

オカマや両刀遣いの攻撃性だけは、ケツが痛い、という理由も含めて、ちんちんをデカくする方向に向かった。
「処女」として義務教育から送り出すのが国の役割となり、案外、男の子の扱いはいい加減だった。
我が国は、1970年にミシェル・フーコーを受け入れてベビーブームを乗り切ったが、日本政府は「もう一度やろう」とは考えていないんじゃないかな。
「荒れる学校」は「ちんちん切るぞ」と言って1970年代には沈静化していた。
日本国は「ちんちんを切るなどの保安処分は採用していない」というのが公式見解であるが、生まれた時に「何か?」をやっている。
オカマになると「女心に興味が持てない」などの側面があり、出世と関わったが、「女心のクリエイト大歓迎」と考えたのは日本政府だった。
令和天皇も日本政府の優等生だったのだ。
モーニング娘。セクシーボーイ

これらの研究を知らないで「母に紹介できる美女」をテレビで物色していると、いい加減、気がついたらアイドルと同じ病棟にいることになる。
男の「飢え」(リビドー)は、少年野球や少年サッカーで養った。
感想としては「ノーマルになるって大変だな」ということなのだ。
知恵遅れになるのも簡単だし、灘・開成に入ってカマを掘られるのも簡単なのだ。
このような「国家レベルの企画立案」ができるようになるまでは「両親のシンプルさ」が必要であるし、自分が中心となって家庭が動いていた、というような環境が必要になる。
あとは、仲間を作って、眠りながら夢を見ることだ。
私も本ブログで今まで「女のクリエイト」を主に行ってきたが、自分がやってきた道を振り返ると「ちょっと単純化しすぎたかな?」というぐらいユングは「難しい年頃」を相手にしてきたのだ。
15歳ぐらいで「性概念」は確立するが、女子高生になっても「ノイローゼ状態」は続く。
いかに、ノイローゼ状態を早く脱するかで、私も18歳の時に東大文一に合格したが、女子校でなければ「女子が東大に入ることは困難」な現状もある。
上からマリコ AKB48

「女とは生まれるものではなく、なるもの」である。
男は案外シンプルに男になっている。
女の子の「ノイローゼ」を考えると、成績だけで判断する東京大学と、「男女同数」入学させるメソジストのどちらにも分がありそうだ。

東大生と言っても、ノンケでクラスの隅にいた者や、カマを掘られたものがおり、そのような奴隷扱いを経験した者たちが政府を構成している。
そのような連中が「女性アイドルのクリエイター」をやって、「日本人女はだいたいこんな感じ」(エヴァ)という主権概念を構築したり、「娘のいる父親」として「女心」というものを生み出している。
あるいは、女性アイドルも「美の探求」をやり過ぎて病気になったりしている。
普通の男も、学歴の序列(スクールカースト)の存在からは自由ではない。
だれもが「自由ではない」のがこの国の「かたち」なのだ。
酒井法子 ダイヤモンドブルー

誰もが自由ではないこの国で、女性アイドルの歌を聴いているときだけ自由になれた気がした(後塵を拝す)。
女は所詮、塵から生まれ塵に帰っていくものだ。
女性アイドルの歌を私の息子(王子)が評論しているときだけは「神聖なおカネ」が降ってくることが分かった。
エジプトでは、ファラオは息子を部屋に監禁し、たまに部屋を訪れて、息子が何か発言したら「エジプト中に資料を探させた」のである。
(ヘロドトス「歴史」より)
息子は、女性アイドルの歌の評論をする立場にあり、国の富を握っていたが、それでも「自由であってはならなかった」のである。
すべて、ファラオが語った「女性アイドルの歌の評論」の人生を正当化するために息子が存在したからである。
統治する側もされる側も自由ではないということを熟知し、どこに「おカネが降るか」を理解しなければ、国家財政は豊かにはならない。
景気の循環も国家財政次第である。
ナイル川の氾濫や、その緑に群がる牛など、エジプトでも経済のコントロールは極めて難しかった。
エジプトはこのようなかなり人気のある「君主制」を構築したが、息子は「カナーンの地」を目指して逃げ出してしまった(出エジプト記)。
加藤登紀子 息子

専制君主制(父が女性アイドルの評論の記録を残す体制)が崩壊した時に、アダムの権威は地に堕ち、エヴァは主権としては存在できなくなった。
しかし、アダムの「神との契約」は、アリストテレスからホッブスに至るまで、常にキリスト教社会で研究されていたのだ。
創世記3:16において、神はエヴァに「痛みとともに産めよ増やせよ」と語っている。
アダムが「女性アイドルの歌の評論」をマスターすることがキリスト教の教えとなった。
そうでなければ、無政府状態が続くものと考えられたのだ。
創世記1:18において、神は「鳥や魚を作った。アダムの歌のモチーフをどんどん作った」とした。
「すべての生物多様性が君主・アダムに奉仕するために」
ロマンスかくれんぼ

生物多様性は神は主に「9月」を主戦場に行ったため、「女は10月に美しくなる」という伝説が生まれた。
野獣から果実の成熟まで、9月というのは極めて重要な意味を持ったのだ。
神がアダムを捨てて、ノアに「フルパワー」を与えるまで「神の9月の楽しみ」は続いた。
詩篇第八章において「汝はデイビッドから生まれたものである」と王がノアに歌うまで、君主制は続き、ダビデの時代からは民主制の時代となった。
アダムとかノアとかダビデとか「男が増えただけ」というだけの話であるが、女たちが「どの男が最悪のエリートか?」が議論できるだけでも民主制というものは成立する。
ノアには子孫も約束されたし、「比較できる男」が民主制にはあったために「フルパワー」を神は与えたものと考えられている。
放課後に落ち込んだ少女 おニャン子クラブ

創世記3:26において、神は、エヴァに「夫をあなたの快楽としよう」とし、これが女たちが「神・男の完全性を語ると爽快感がある」という宗教の誕生であろうと思われる。
ところで、アダムに「父」はいるのだろうか?
王室の権威とそれを子孫に伝えるエネルギーのことを「父」と呼んでいるようだ。
「聖霊」とは子供たちのことを指しているのだろう。
マタイ15:4で、「多くの男たちがおり、それでもなおイスラエルの王となったのはイエスキリストである」とされ、宗教の乱立とその制覇を伴ったのがキリスト教であった。
アダムとイエスキリストの違いは「多くの男たちに勝ったかどうか?」の違いだった。
音楽作品の制作を民間に開放し、その評論の腕もそれぞれの男が持っていたが、それでも「令和」という時代が成り立つのだから大したものだ。

たとえば、センチメンタル南向きに関してであるが、「友達と恋人の境界線はセックスしたかどうかである」ことを知らない女であることを表現している。
プラトニックな関係を「恋」と呼び、「仲間が多い、なにかやってくれそう」な男との関係を「セックスの難しさ」を知らずに表現している。
女性をいかに美しく描くかは、映画の基本でもある。
センチメンタル南向き 矢口真里

ペッパー警部に関してであるが、「精子は男にとって青い」ことを踏まえ、「紫色」と女が言っていることから、フェラチオをしたことが明らかになる。
国は子供の親である。
「もしもし君たち帰りなさい」としか国は若い男女に言うしかないではないか。
世代間セックスではないからである。
それにしても、鶴見川の氾濫を抑え込んだことにより、東京は千葉方面ではなく横浜方面に広がっていったが、大洋ホエールズ(横浜DeNAベイスターズ)の青いユニフォームは、性倒錯をなくすための国策か何かかね。
ペッパー警部 モーニング娘。

さて、本ブログをお読みの方に「哲学をやると何が変わるか?」という問いかけを行いたい。
ラカンはこの答えを「夢の内容が変わってくる」とし、これを「脳内革命」と呼んだ。
本来、脳内革命という本はあったが(春山茂雄著)、マスターベーションやセックスの肯定というあたりで落ち着いている本であった。
「どうやったら脳内革命は起きるのでしょうか?」という問いに明確には答えてはいない。
それは「哲学を知ること」「人間を知ること」から「夢の内容を変えていく」というところに本当の答えはある。
学生さんや生徒さんでも、本ブログを読むことで確実に脳内革命は起こせるのだ。
誕生日の朝 タンポポ

「気が弱いけど素敵な人」というのはどのように生み出したらいいのかは「カマを掘られていないノンケ」としたが、体内から汚い便が出てくることと密接に関わっている。
夫のDVをなくしたければ、まず、トイレをウォシュレットに変えてみるしかない。
松田聖子 赤いスイートピー

 

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2003年にアメリカ合衆国は、イラク戦争の備え、コリン・パウエルが、ピカソのゲルニカを大量に印刷している。
ナチスドイツが、スペインの内戦に介入し空爆した時の絵であるが、「誤った同盟を組むとどうなるか?」というメッセージが込められていた。
しかし、「なぜこの絵画が運気を上げるのか?」はCIAとKGBが「女ネットワークを発動するのに都合がいいからである」とその正体を明かしている。
クレア サマーラバー大作戦

ケビン・コスナーが、CIAでこの企画を立案したとされている。
絵画や映画を女たちが噂し合うことで女ネットワークを作ることが男たちの運気を上げるとしたのだ。
ケビン・コスナー

ピカソのゲルニカにせよ、私の「東大合格の条件」にせよ、女ネットワークを総動員したため、周囲の「子供のようにわがままな大人」は「ウープス!」と言ってカネを欲しがった。
「脳内革命」ができるようになれば周囲の「ウープス!」は増える。
「ウープス!」と周囲に言われる男は「新しい服を着た皇帝」とも呼ばれた。
主婦層を味方につけたため「女をだまし取ろう」という考えに満ちていた。
一度、「東大合格の条件」を書いてしまうと、あとは、金属を叩くハンマーが機械により行われ、水車が水で回るように自動的に物事が流れるため、周囲はひたすら「ウープス!」と言い続けた。
これを周囲に最初に言わせたのはユリウス・カエサルだとされる。
これは「従業員の誕生」とも呼ばれた。
Oops

「10月になぜ女の子が美しくなるのか」(伝説)を、概算要求時説からアプローチしたが、「概算要求の締め切りは8月31日である」という指摘を受けた。
そこで、新たなアプローチを考えた。
それは「就職あるいは進学の内定」説である。
元の曲。
放課後に落ち込んだ少女 おニャン子クラブ

 
これは、「アファーマティブアクション」と呼ばれるもので、1972年に「内定」という制度ができ、1980年代には「内定をもらった」ということが強烈な意味を持つようになったという沿革がある。
内定取り消しに「解雇権濫用法理」か適用されたり、HIV陽性のオカマが警察から内定取り消しを受けたことが合憲とされたりしている。
企業においては、「内定をもらう」ということは「セックス優等生」という承認を得たことになり、官庁の内定とは異なる意味合いを持つ。
企業の内定は「気が弱いけど素敵な人」という信仰の対象となる男であるが、警察はHIVの事件で「民間の側」に立つことを明らかにしている。
松田聖子 赤いスイートピー

一度、学生時代に企業の「内定」(アファーマティブアクション)をもらうと、いくらでも仕事があるため、なかには「内定の連絡を受けた」として記念撮影するものもいる。
1960年から1973年生まれを「ジェネレーションX」と呼ぶが、「内定」という制度は、日本国における「メシア信仰」と直結した。
「彼、学歴がなかったから」などという女たちの考えが、そのまま「終身雇用」となったのだ。
あるいは、アメリカ合衆国においては「黒人だから。ヒスパニックだから」時には「女だから」というかたちで、雇用とメシア信仰が「内定」をよって直結したのだ。
瀬能あづさ ジェネレーションX

アメリカ公民権運動や、ウーマンリブなどは「内定」(アファーマティブアクション)という名の、「男のセレクション」から排除された者たちが起こしたムーブメントである。
職場としては「セックスする覚悟がある。一生涯、付き合う覚悟がある」
ものであったから、採用には常に「女たちの目」があったし、病院や施設ではないのだから、わざわざ「トラブルメーカー」を抱え込む必要もなかった。
性倒錯の「攻撃性」だけはどこも歓迎しなかった。
そこで「女心を語るエリート」(政治家)は常に、「偏差値エリート、トラブルメーカー」としての官僚組織を叩き続けた。
女の子は「仲間が多い、なにかやってくれそう」な男に恋をしたが、いざ、そのような男の子と付き合ってみると、尺八ばかりやらされることになる。
この辺は「恋と愛のニュアンス」の違いというしかない。
「恋が愛にならないと知った」
三代目 J SOUL BROTHERS 恋と愛

 
アメリカ大統領選挙は、究極の「男のセレクション」であったし、日本国の天皇や内閣総理大臣もそうであろう。
「10月に新しい男が来るよ?」
この、アファーマティブアクションこそが「伝説」の答えだろう。
今は、「二月の勝者」のように、いかにも「セレクションは遅い」と考えられているが、「10月にはリストが組まれている」と考えるのが「伝説」を理解する上では必要な発想だ。
モーニング娘。好きな先輩

そこで、「医者や歯医者も」人々の「命の選別」をやっているのではないか?と噂になった。
「ジムクロウ法が東京大学の制服をなくした。電車のロイヤルシートをなくした」
これが、「内定」にまつわるアメリカの「命」への答えだったのだ。
医学部合格者を、事実上「内定」(伝説)で出しておきながら、患者には「命」を保障するというダブルトラックを採用した。
作家の世界にも、特許の世界にも「ダブルトラック」が存在するとされ、「大発見だ!」ということは事実上「ない」ことになった。
特許法上は、無効と取り消しの問題とされているが、「勝者は最初から決まっている」ことをダブルトラックと呼ぶのだ。
誰もが、医者に「命」を委ねていたため、クリントン政権は1994年から1995年にかけて会議を開き、「アパラチア山脈の黒人青年を救うべきか否か」を語り合った。
私は、オバマ=マイケル・ジャクソンという立場だったが、「クリントンが命を救った青年」説もあるのだ。
いずれにせよ、大統領になるぐらいだから、医学書ぐらい読めないと、簡単に政治生命は抹殺されるのが世界の指導者の現状である。

暑いですね。
やたら月が大きく見える。
rebecca Moon

 
これは、ニュートンや、ヘーゲン、ガリレオが予言した「繁栄の時代」の到来を意味する。
ちなみに、月が「サブルーナー」の軌道に入ったら、「ヘーゲンの時代」であり、イエスが存在する時代となる。
「月が大きい」「暑い」
で怯えているようならば人類に繁栄はない。
「サブルーナーの時代」
と割りきった方がいいのだ。
ラブ&ルーナーという伝説もある。
ちなみに、現在は2020年から「令和天皇の手によって」サブルーナーの時代となったが、世界史レベルでは1730年から1750年まで「ニュートン」(英国王室)の手によってこれが引き起こされている。
大英帝国の歩んだ道を、現在、日本国は進もうとしている。
「日本国は東洋のイギリス」
これは、国土交通省の立場でもある。
「月が大きくなった!」
これは、実は「太陽も月も楕円形の回転をしている」ということと関わる。
100年分のGLORY

夏の暑さ、冬の寒さも「人々の時間への愛」をコントロールしたければ「金利」を上げ下げするしかない。
ヘーゲンは「日本銀行の金融政策」と、気温や台風、大雪などを連動させることを「繁栄の神学」と呼んでいたようだ。
「男らしさ」(宗教)、「女心」(政治)が一体となって「産業」を構築しているのだとするならば、「工場が煙を吐き出す」時には男女の産業が過熱化するため、気温の調節のために金利を上げた方がいい。
恋をして、「夢中で春から冬を駆け抜ける」女がいるのならば「時間への愛」をしっかりと「金利」へと反映させなければ、暑すぎる、寒すぎるということになりかねない。
基本的には「上司の悪口」に夢中になったときに金利は上げる。
ニュートンは「人々は直線に動いている」という第三原則と、それでも「天皇」というセンターが確立することがある、ということから、月と太陽、そして「時間への愛」(金利)というものを考えていた。
基本的には「どのような経済政策が好ましいのか?」は、「海の潮の満ち引き」を見るしかない。

全知(All knowing)、全能(omnipotent)、オールパワフルな男も、思春期の女の子にはニーズがある。
基本的に「愛の対象となりたい」というものであり、この曲は秀逸。
田原俊彦 君に薔薇薔薇という感じ

 
さらに、愛の対象となりたいと思うだけでなく、時には「どのように生きたらいいか?」まで参考にすることがある。
夏の日差しにまっかっか、だけはやり過ぎた。
普通に「愛の対象になりたい」系の曲と「アイデンティティーを決める」曲の二つの流派がある。

Ninjin娘 田原俊彦

 
さて、ジャニーズや、男性ボーカルは「女の子を愛の対象にする」という流れと、「女の子に生き方(アイデンティティー)を教える」という二つの側面があるとしたが、一番、重要なのは「男の言葉がリズミカルであること」なのである。
フォークォータースリービート(4分の3)でなければ踊れないことをワルツは証明したが、小節ごとにリズムを変えて、女たちの歓声を浴びた曲もある。
Complex No more lies

洋楽のパクリを行わないと「名曲」というものは作れない。
DTIで適当に組み合わせるだけの金のあるブルジョアの道楽みたいなものだ。
技術面での評論にまで立ち入っても構わない。
シェークスピアの「ベニスの商人」において、「2024年に令和天皇の手によって」開発される予定の「タイムマシーン」のお陰で「死の概念が混乱する」とされている。
タイムマシーンの仕組みは「女は男に比べて快楽の記憶を鮮明に覚えている」ことから、空に戦闘機を飛ばし、女性たちの「記憶の回路」をつなげるというものだが、そのためには、ジャニーズの研究は欠かせない。
さて、ベニスの商人において、シャイロックは「殺してはならない。しかし肉一ポンド差し出せ」という「憎しみを込めた」判決を受けている。
なぜ「ユダヤ人への憎しみ」が込められているのだろうか?
それは「ユダヤ人は死の概念が混乱していて死なない」とされているからではないだろうか?
ましてや「ひも理論」を通じて不老長寿を女子高生に祈ってもらったり、案外、グローバルで見た「反ユダヤ」というのは皆さんが考えているものとは異なると思う。
「戦闘機」+「女性たちの記憶の回路」というタイムマシーンの仕組みも、完成したらドラえもんのタイムマシーンのように扱われるのだろうね。
他にも「地球の重力は地球の回転(自転)から生まれている」とし、それから自由である「月」に通信基地を設けて「タケコプター」を作ろうとか、月+水星・金星の三角形を用いて「どこでもドア」を作ろうとか企画しているが、スマホも「7G」ぐらいまでは見えている。
それでも「道路や鉄道」というものは必要だ。
「自分の心の地図」を見失わないためにも、道路や鉄道は必要なのだ。
しかし、コストは「情報を乗せる量」が重要であり、今でも電報というのはあるが、インターネット時代にならなければ「格安航空券」というのはなかったと思う。
さて、ジャニーズの音楽作品の特徴は、「女の子を愛の対象にする」「オールパワフルな男が女の子に生き方(アイデンティティー)を求める」さらに「男の言葉のリズムを用いる」という三つの方法があるとしたが、基本的に「ペニスエンビー」を背景にしたかなり暴力的な「去勢」が背景にある。
ところで皆さん、熱中症というものは「泥に感染するもの」とされているが、今日は「だるさ」を感じなかっただろうか?
「泥」とは「女社会」のことてあり、下手に「メランコリー」に共感すると、こっちまでだるくなってくる。
刑法というものは「モテる方法」を研究する学問であるが、「メランコリー」さえマスターすれば免許皆伝だ。
アジサイは「赤から紫へと」色を変えていくが、女になるために「ノイローゼ」になっている女の子は、「今、自分がどのような状態なのか?」を理解しないと成績も下がる。
孤立から「嘘」も覚えるが、女ネットワークの構築に失敗したらキャバクラで働くしかなくなる。
多数派工作のためにカネが動くのは女社会も同じである。
胸騒ぎのメランコリー 高井麻巳子

熱中症を治すためには「こまめな水分補給」は当然であるが、「天の声から変な声を聞いた」というのも案外有効だ。 スポーツの世界に「でたらめな指導者」がいても健康にはいいことになる。 「ママの小言百回」でもいい。 高橋由美子 わたし

 

 

2020年8月 7日 (金)

石原慎太郎の研究。

さて、「石原慎太郎の研究」と題したが、以後、「ニーチェ」と呼ばせてもらう。

ニーチェは「高校生金融の永遠のために」(キリスト教)奉仕するための教育を受けたが、令和天皇が「49歳の誕生日を」迎えるまで、世界と和解することはなかった。
その原点は「右翼であること」(カマを掘られたこと)つまり「悲劇の誕生」にあり、先生に恋し、令和天皇とのはるか遠い距離を感じ(自己疎外)、それでいて、「先生に裏切られて怒り狂った」(自己欺瞞)、若き日の怒りの日々を思い出す(自己批判)という世界であった。
右翼の世界にはとにかく「自己」という用語が多い。
ニーチェには「夜明け」つまり「太陽の季節」という小説があり、その後、「ゲイサイエンス」つまり「性倒錯」という論文があり、「ツァラトゥストラはかく語り」という本があり、さらに「善悪の彼岸」という本があり、最後に「仲間とは何か?」という本がある。
令和天皇は、着実にキャリアを積み重ねていったが、ニーチェは「22万文字読んだら踊るしかねえな」と語っている。
ニーチェの原点は「昭和天皇にカマを掘られる」(悲劇の誕生)ことにあったが、それ以降「恋した」先生に裏切られる(自己欺瞞)ことが彼のキャリアであり、ひたすら「天皇」を目指して絶望感に駆られ(自己疎外)、自らの生い立ちに怒りを感じる(自己批判)ものであった。
彼に必要なのは「自分の実績を点数にする」ことであり、みずからの「記録」を残すことであった。
今でもプロ野球の世界は、どんな「指導者」がいるか明らかではないため「記録」だけを丹念に残している。
モーニング娘。シャボン玉

医学の世界の「点数」もニーチェが作ったものである。
まるめ(包括払い)という介護保険制度とは全く異なるものが医者にはあった。
カントの「高校生金融」「女子高生の祈り」を信じるよりは、カマを掘られた男の「権力への意思」の方が強いと信じていた。
「自己欺瞞」「自己疎外」「自己批判」の三つから生まれる「怒り」を「アゴン」と呼んだ。
「青年の国を作る」
その石原慎太郎(ニーチェ)の言葉は「政府の手によって」国民に伝わった。
石原の言葉は「ゾロアスター」の言葉であったからである。
「青銅の蛇」という言葉もニーチェが考えたものだ。
令和天皇が王子の頃、ニーチェは「息子を天皇にするために」兄であるワーグナーと絶縁した。
ワーグナーは、平成から令和へと改元がなされる前日に命を絶った。
ニーチェにとって息子は、「カエサルでありナポレオンであり、ゲーテでありドストエフスキー」であった(超人)。
ワーグナーは「そういえば」などを作り、令和天皇を「息子へ」と望んでいたようだ。
ニーチェはワーグナーを殺した令和天皇のことを超人と呼んだのだ。
松浦亜弥 そういえば

ニーチェは「悲劇を知らぬもの」(ノンケ)を、「メシア」と見做し、女子高生たちに「彼は、エロビデオを見て女がセックスを嫌がっているじゃないかと考えやしないか、そのことに悩む女の子がいる」とし、これを端的に「アゴンの会」の資金源と見做した。
かつての、横浜ベイスターズは、CoCoが「応援する側」にまわり、私が「歌われる側」に回ることで運気が上がった。
CoCo メロディー

ワーグナーは、令和天皇を「養子に」するために多くの音楽作品を作り、ニーチェと大喧嘩している。
とにかく「歌のモデル」にするだけで、「男」が「領土を拡大」させていくのが分かった。
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様

 男の子や男に「女子高生のように大人からカネを流せ」などというつもりはない。
「歌のモデルにするだけで領土を拡大させる」現象が観測されたのだ。
モーニング娘。セクシーボーイ

ただでさえ夢がぶつかり合っていて、境界線が確定しているのに、「アイドル」が歌のモデルにすると、「境界線画定」が有利に働くのだ。
タンポポ 王子様と雪の夜

妖怪みたいな男がうようよいる世界で、「アイドル」が境界線を確定してしまうのである。
モデルになった男は、その境界線の「実効支配へ」という行動原理をとった。 
平成の時代に、「令和」はすでに想定されていたし、秋篠宮や皇太子は「念頭にない」と判断されていた。
浜崎あゆみ To Be

繰り返しになるが、男子高校生や男に「おカネを送れ」とは言わない。
「アイドルが境界線を定めてくれ」というニーズがあるのだ。

ニーチェ(石原慎太郎)を深く理解する「アゴンの会」は今後も「歌のモデル」になり続けるであろうし、他の男よりも「広い縄張り」を持ち続けるであろう。
酒井法子 秘密のガーデン

「サクヤ会」「巫女会」「エンジェルチャペル」のアジア地域における覇権はこの曲で決まっていた。
アジアの純真

ニーチェとワーグナーの喧嘩がなければ令和天皇はいなかった。

小乗仏教の国を日本国が領土とすることはアメリカ合衆国が容認していない。
しかし、日本国はいまだ「世界経済を支える力を持っている」のである。
それも「サクヤ会」「巫女会」「エンジェルチャペル」があるからである。
ニーチェはあえて「アゴンの会」はプロ野球などのメジャースポーツの世界における予言とは何の関係もない、としている。
しかし、その「男」がどのような境界線を確定するかは「だいたい予測ができる」としている。
なにか「ふんわりとした感覚」で「ここまで進攻していいよ?」と言われるからである。
このような「境界線の確定」をアイドルが行うと、ときに「妥協の余地はない」として暴力沙汰が起きたため、ニーチェは「それはそのようなつもりはなかった」と言い訳めいたことを言っている。
しかし、当然、そのようなことは想定しなければならない。
案外、世の中は「やるかやらないか」に過ぎないという側面があり、アイドルによる「境界線の確定」の有効性はアゴンの会としても理解しているところである。
「青年の国を作るため」
石原慎太郎が想定していたのはこのような「若者の境界線画定」の問題なのだ。
今後、石原および「アゴンの会」のメンバーの境界線画定を歌った曲が量産されるであろうが、それはもはや「善悪の彼岸」にあるものであり、「ゲーテがヒトラーを生み出した」のと同じ意味を持つ。
それも「低きものを高みに引き上げる」女子高生の予言能力と言えばそれまでであるが。
酒井法子 エアメール

「アイドルの存在意義」ってそれしかないんじゃないか?とも言われている。

 

【宗教体験】
それは「深い経験」であるが「手順と苦労」のすえになされる経験である。
手順と苦労も経ずに、エレベーターを上ってスカイツリーからの風景を見ることは可能である。
令和天皇批判・安倍政権批判をするだけでも「深い経験」は可能である。
しかし、時の権力者はみな「手順と苦労」を経ている。
手順と苦労を経ないで深い経験をしようとするものは「プロレスかよ」と周囲に思われるだけである。
「大言壮語」(小林よしのり)というように「手順と苦労を経ないで深い経験をしようとするもの」は批判されてきた。
出雲大社や宮内庁が「プロレス体質」を脱却するまでに1000年以上かかるであろうし、天皇を輩出することもないだろう。
スカイツリー

ここで、「若者」と、その分野への適性について語りたい。
女性ピアニストならば「おじ」がいないことが挙げられる。
上原彩子でも、マルタ・アルゲリッチでも同じである。
ボクサーならば、「両親から自立しないと痩せられない」「両親がいないと眠れない」という具合に、世界への道は案外遠い。
勉強ならば「優秀な人に愛される(父・兄・先生など)」「兄弟の数が多いほどいい」「薬の量は少ないほどいい」「カネがあり健康である」つまりは「肝臓が元気」などの要素が指摘できる。
まあ、映画を見たり音楽を聴いたりして、「スランプ」を乗り越える「うまく成立したゲーム」が偏差値の世界なのである。
一方、「野球」は常に「胸の不快感」と向き合うスポーツであるため、「赤ん坊の頃、ギャンギャン泣いた」「手のかかる子だった」という親の証言を聞いてドラフトにかける。
心臓の脈というのは手首で触ると「ドッ、ドッ、ドドット」という五拍から成り立っている。
四拍目のの「ドッ」(Tウェーブ・QRSTUと脈は呼ばれる)が強いと「野球、サッカー、ラクロス、ホッケー」のどれかの選手だと分かる。
心配はいらない。
チキンハートでもやっていけるスポーツはあるからである。
ミスラブ探偵
いずれにせよ、「音楽、スポーツ。将棋」は「10年1万時間」という子供たちの時間で「指導者の腕比べ」がなされるものだ。
大人にとっても巨大ビジネスなのである。
「強心臓のスポーツに向いている男」を本来「Bタイプ」と呼ぶ。
酒井法子に「Bタイプが好き」という音楽作品もあった。
あとの「人生の酸いも甘いも」となると俳優になるしかないんじゃないだろうか。
歌手はもっと簡単で「BGMを聴く習慣」があればいいとされる。
しかし、「感受性の求められる仕事」は幻覚などの後遺症は強いとされる。
田中れいな 愛の炎

さて、日本国において21世紀に「民主党政権」というものがあった。
そもそもの原動力は「東京都白川区竹野町」に「原発を作る」という計画があったことから、古くは1980年代から馬場さん、太田さん、武田さんという三名が「レファレンダム委員会」というものを作り、公職追放つまり「近づく女を排除する」活動を行っていたことにある。
聖なる海とサンシャイン

それが、いよいよ21世紀になって「原発が東京にできる」となったら、日本中に大ブーイングが引き起こされたのだ。
小泉進次郎は「太鼓は鳴らされるは足は踏まれるわ」と当時の選挙活動を振り返っている。
この時に、日本政府は「原発に反対する勢力」を拉致し、北朝鮮のせいにしている。
小沢一郎が動いた。
小沢は、「仁義」ということを重んじるヤクザこそが最高の政治家であるとし、今の枝野だの玉木だのというヤクザを政治家にしている。
「仁義」がある以上、「ウケるから」というだけの理由でヤクザ社会の頂点にある小沢の批判は一切許さなかった。
そのような意味においては、財務金融の専門家である私・令和天皇の方がよほど民主的であり、自身を揶揄する連中を容認してきた。
しかし、「東京に原発を」「拉致」の二つが民主党政権を作ったのだ。
ポスト安倍に「石原慎太郎を」というのならば、もう一つエピソードを紹介したい。
「海を見たら裕次郎を思い出してください」という言葉があるが、日本国には「攻玉社」という中学高校がある。
これは「農業政策」であり、農家の次男坊三男坊を集めて、「メジャーリーグ進出」を行っていた昔で言う「海兵隊」なのだ。
アメリカ軍には日本人は軍曹までしか出世できない。
しかし、メジャーリーグとなるとどこまでも行ける。
アメリカのメジャーリーグにどこまで攻玉社が食い込んでいるのかの実態は公表されていない。
しかし、このことを知らないで「人間魚雷回転」などと言っているわだつみ会のメンバーがいるとするのならば「戦争を知らない」というほかはない。
メジャーリーグのベンチに「受け入れられる」キャラクターが重視され、大谷翔平や筒香とは一線を画する。
日本国の農業政策を理解する上でも「攻玉社」の存在は指摘しなければならない。
「日中韓の農業の全米並み」を目指しているからである。
日中韓FTAを締結することは優先順位は高いが、「対等であること、おカネになること、認め合うこと」が必要となってくる。
ところが、「対等」「認め合う」という要素は、「攻玉社という名の国策」が日中韓の農業を指導している以上、困難ではなかろうか?

フロイトの「夢判断」というのは、女の子たちに昨日見た夢を語らせ、ホワイトボードに「叶わぬ欲望」「法律・ルール」「罪」「少女時代の終わり」そして「外国」という五つの要素にストーリーを当てはめていく。
たとえば、私は「大学時代に戻りボクシングをやり、若い連中をのしていく、しかし、体重と年齢の違いに気がつく」という夢を見るが、「大学時代に戻る」というのが叶わぬ欲望であり、若い連中をのしていくだけの法則(法律・ルール)を身に着けたことを意味し、しかし、太った・歳をとったという「罪」を夢から見出すことが可能である。
スターダストメモリー 小泉今日子

そもそも、マルクスは「支配と従属こそが性欲の起源」であるとしていたが、レーニンは私のように「女」とはどのようなものかを鮮やかに描いた。
トロツキーは、マルクス・レーニン主義を背景に「ノンケだけの楽園」の税収効果を「クリスマス」などを通じて世界におすそ分けした。
しかし、スターリンの「粗暴な側面」とはクリミアで「オカマになった」というところにある。
人間は、悪いことがひとつあったら「いいことを三つ」欲しがる生き物である。
性生活・食生活・趣味などであろう。
しかし、性生活がうまくいかなかったスターリンは「いじめ」までをも「いいこと」に含めてしまうのだ。
これが「国民をいじめ、政治家を先生と呼ぶ」官僚機構の誕生の秘密であり、IKKOさんのように「どんだけ~!」(太いの?)という発言をテレビですると、「やめとけ、財務省が怒るで?」という突込みが可能になる。
これが、スターリンの「物象化論」であり、「ただひたすら文化的な」ものであった。
スターリンが第二次世界大戦で「リトルコーナー」から人の往来を絶やさず、ヒトラーの孤立を待ったのはさすがとしか言いようがない。
この「スターリンの相対主義」は、長いこと通説的地位を占めた。
IKKOさん

 
その後、フルシチョフが「豚追い」(女のケツを追っかけること)を告白するまでには物象化論は確立していた。
フルシチョフにも「流れ」はあったであろうが、その後、ブレジネフの時代には「両方を巧みに使い分けよう」という発想が芽生えたものと思われる。
尾崎豊 シェリー

ブレジネフは、「ヘンタイなど芸人にしてしまえ」と言って、基本的には「女」を語っていた。
しかし、「クローゼットとの向き合い方」「ヘンタイの惑星の恐怖」「性倒錯」などの研究を深めた。
マルクスが夢見た「税収効果200兆円」は、ブレジネフが完成させたのだ。
19世紀末に、マルクスの舎弟たちが「新左翼」と呼んでいたものが、ブレジネフの時代にはその富から「ネオリベラル」と呼ばれるようになっていた。
アメリカのバーモントの「コミューン」とはそのような「ある意味汚らしい」連中によって成り立っていた。
ハウスバーモントカレー

マルクスは「女」を語って「第一インターナショナル」を作ったが、共産党宣言は失敗した。
コミンテルン(第二インターナショナル)は「地方と都会の関係」に気がついていた。
「おかしい、なぜ男女の全体主義が機能しないんだ?」
それを明らかにしたのがスターリニズムだった。
マルクスは新左翼に、レーニンはスターリニズムに「芸能界でいじめられて」この問題に気がついたのだ。
プロレスを容認する民主主義と、「男女の圧力で押し切る」ナショナリズムなどを経て、国家社会主義とスターリニズムは「全体主義」を志向した。
産業革命(いい男談義・宗教、女談義・政治)から排除された連中が、新左翼を作り、革命を目指したという経緯もあった。
マルクス・レーニン主義は、単純に「ノンケの優等生」であり、IKKOさんのような存在が税収効果を阻害し、「財務省が怒る」程度の議論しか行っていなかった。
「オカマや両刀遣いが社会の底辺にいる」
このことと「階級闘争」がそのまま結びついてしまった。
国立大学は少なくともそのような連中に心を開いた。
階級闘争に敗れた者たちは「はた迷惑」な存在でしかなかった。
サルトルは、階級闘争の勝者であるオカマや両刀遣いを「右翼」と呼び、その他の「不老長寿を約束されたもの」を中道と呼び、普通の人を左翼と呼んだ。
それならば、市民としては「街宣車」を指差して笑っていいことになる。
1970年にミシェル・フーコーが「男の子と女の子」を生まれながらに明確にした(クリニックの誕生)。
セックスとは「産むため」(生産)ではなく「快楽のため」(消費)に行われるようになるとどうしてもこの問題と向き合わざるを得ない。
郷ひろみ 男の子女の子

レーニンの死後、ジノビエフとカーメネフは、レーニンの遺書を読み上げ「スターリンは粗暴な側面がある」としトロツキーを後継者にしていたことを「同志レーニンは正気を失っていた」とし、レーニンの妻・クリプツカヤを激怒させている。
それでも、スターリニズムはこのようなかなり強い基盤をもって体制がスタートしたのだ。

さて、話は前後するが、「夢」には「叶わぬ欲望」「ルール(今の方が詳しいのに)」「罪(歳をとった・太ったなど)」が反映されているとしたが、オーディン(応神天皇・ボディサットバ)は、これを「女の夢には三種類ある」とし「陸海空」を分けざるを得ないと考えていた。
貧乳女(空)・髪の短い女(海)・巨乳で髪の長い女(陸)の三つである。
陸の朝日新聞と、海空の読売新聞とも呼ばれた。
広島の原子爆弾はアメリカ陸軍が落としたものだ。
資金力や「ひも理論の微調整の力」が違ったのだろう。
日本でいうサクヤ会(陸)が、エンジェルチャペル(空)・巫女会(海)に勝ったことを意味する。
処女への祈りというよりも、「女たちの夢」を資金源にしたオーディンならば、サクヤ会・八幡ネットワークが「男をクリエイトする」のに都合がいい。
オーディンは、白馬の夢を女たちに見せ、軍の遠征の資金としていた。
また、オーディン(おじさん)というありふれた名前で呼ばれることで、いろんな「お父さん」に、妻とのまぐわいで「オーディン(おじさん)の気持ち」を味わわせた。
夢とセックスを手にしたという戦争の神(北欧の神話)であるが、どうやら20世紀の創作のようだ。
「フロイトに詳しすぎる」とされたのだ。
君の歌、僕の歌 CoCo

月と太陽も「陸海空の女たちがいなければ地球に落ちてくる」とし、ニュートンに詳しすぎるとされている。
月と太陽がなければ「地球に時間は存在しない」とし、人類以前の「地球」を想定せず、人類以前の宇宙も想定していなかった。
なぜ、私の文章はこれほどまでに洗練されているのだろうか?
人類の歴史とはそれほどまでに長いものだったからだ。
「平和とはおカネで買うものなのだ」
この記述も「カントに詳しすぎる」とされた。
いずれにせよ、「女の夢」「オーディン(おじさん)の気持ちを味わいたいから女とセックスるる」としたことから、戦争の神と呼ばれた。
オーディンは「男女に性欲があるから戦争ができる」とし、「つまりは死があるから、子孫を残したいから、性欲がある」とし、自分の「死んだときの姿」を木に首を吊った姿で描かせている。
性欲があるから人々は「笑う」のであり、「笑い」まで戦争に用いようとした。
志村けん コント

バルドゥールは、オーディンに「組織の頂点には情報など集まらない。おカネを払ってようやく断片的に聞こえてくるだけだ」と教えた。
インテリジェンスの始まりだった。
ロキは、オーディンに「あなたが戦争の神としての地位を維持できなくなれば、たちまち情報の渦に巻き込まれて庶民になるだろう」と教えた。
ラグナロックは「戦争で得た地域を食べ物で満たさなければ、それは神として失格を意味する」と教えた。
さらに、メイデン川で取れる「金」で「金額が数えられ、女が買え、すべての女に通用する」おカネというものを考え、すべての女に通用する口説き文句(絶対)もおカネであるとしたときに「ケインズに詳しすぎる」とされて、もはや神話ではねえな、と言われた。
また、オーディンは「他人にカネをやって損した気になってはならない」とした。
なぜならば「熱心な読者」を増やしただけだったからだ。
さらに「災害も戦争である」とし、「灯を絶やすな」と語っている。
「汝の住処はすなわち城なのである」とした。
新渡戸稲造は「武士道」においてこのことを語っていたようである。
「遊戯王」などというゲームの攻略法としても知られている。

仲のいい兄弟ほど人気のあるものはない。
しかも、兄弟の特徴として「同じ音楽作品を共有している」ということが指摘できる。
眞子ちゃん、佳子ちゃんにはこの曲を。
運命95 Melody

 
愛子ちゃんにはこの曲を。
少し自惚れて Melody

この二曲の特徴は「私がかつて聴いていた曲であること」「女の子が足を開く振付があること(御神楽)」という縁起のよさがある。
眞子ちゃん、佳子ちゃんは、お母さんが酒を飲まないため貧乳である。
愛子ちゃんは、お母さんが「保健室のアルコールまで飲んだ」ほどの酒豪であり巨乳である。
眞子ちゃん、佳子ちゃんは「巫女会」であり、祈れば願いが通じるし、愛子ちゃんは「男の夢を見る」ことから、男は資金調達が可能である(トリクルダウン)。
眞子ちゃんや佳子ちゃんは、ヘンタイのIKKOさんに同情的だったが、私の三人の娘や愛子ちゃんは「財務省が怒ってんぞ?」とIKKOさんに平気で突っ込みを入れた。
IKKOさんの「暴力的側面」を、サクヤ会は憎んでいたのだ。
眞子ちゃんや佳子ちゃんはIKKOさんの「暴力的側面」に興奮しやすい。
貧乳女は、男の強い腕、がなければ恋ができなかったのだ。
強引に連れていかなければならないのは貧乳女であった。
松田聖子 続・赤いスイートピー

ノンケ男は、オカマや両刀遣いの男をひたすら「治めようと」したため、女たちは、その「平和主義的姿勢」をみて「ノンケ」だと判断し、ノーマルセックスを想像した。
ノンケ男は非常にモテたが、性倒錯男は、その「戦っている姿勢」がモテた(階級闘争)。
潤沢な税収があれば所得再分配はできるわけであるが、オカマや両刀遣いの「暴力」が税収効果を下げるため、「どんだけ~」というと財務省が怒るのだ。
ニワトリ(性倒錯男)から先に手を付けても仕方がないため、卵(税収)から先に手を付けることにした。
アドルノは「叶わぬ欲望」「ルール」「罪」を夢の三要素としたフロイトを受けて、ニワトリが「俺も含めて誰の言うことも聞くなよ」と歌う「夢」をオンエアした。
竹原ピストル

「どの女にも通用する口説き文句」(絶対)はおカネである。
つまり、私のブログは、どのスマートフォンでも読めるが「おカネ」である。
しかし、スターリニズムの相対主義はそのことを見失わせた。
「本が売れない」
本来、おカネでおカネを買うような出版業界からそのような悲鳴が上がった。
スターリンは「小説に描かれている男」という研究において、ひたすら「本が売れない」という問題と向き合っていた。
「気が弱いけど素敵な人って何だ?」
松田聖子 赤いスイートピー

オカマや両刀遣いたちが「明菜」にこだわるのも、「気が弱いけど素敵な人って何だ?」という問いかけに答えられないからである。
歴史的評価は、25対16で聖子は明菜に勝ったのだ。
ノーマルセックスの勝利であった。
「これで治安が維持できる」
日本政府は安堵のため息を漏らした。
政治コミュニティーは「常にソビエト連邦の歴史を忘れるな」と言われた。
階級闘争をする暴力的な男は「プロレタリアート」と呼ばれ「自分で考えない、おカネ目当て、仲間を求める」という特徴が指摘できた。
東京大学は階級闘争の場ではあったが、早稲田・慶応は平和的であった。
「気が弱いけど素敵な人」が教室の隅に移動することも分かった。
「性倒錯男」「貧乳・髪の短い女」がかなり暴力的に「みんなでワイワイ」やっていたのだ。

IKKOさんは、精子が出ないから思春期に暴れて「男も女も」掘り続けたが、もし人工授精して子供を作ったら、奥さんは、「オペラ座の歌手」みたいなケバケバのおばさんになるだろう。
IKKOさんは、「財務省の嫌われ者」「オペラ座の怪人」だったのだ。
オペラナイト

「いい結婚」「悪い結婚」から組織では派閥ができるが、「暴力的な夫」「子供がいない」などという悪い結婚も案外「性格」をともなうものであり、組織の派閥を見るうえで重要な指標となる。
精神障害者を大人しくさせたかったら、前頭葉の手術ではなく「ケツの手術」をした方がいい。
フルシチョフは、スターリンの死後、「シークレットスピーチ」というものを行った。
「俺はお前らがオックスフォードやソルボンヌ、ハーバードでキャンパスライフを楽しんでいた頃、豚を追っていた」と発言し、「ノンケの逆襲」を図ったのだ。
キリスト教総論で「ノンケの世界」は明らかにさせてもらった。
あるいは、「税収200兆円という革命」は、「古びた壁の向こう側」の話に過ぎなかったのだろうか?
CoCo Newsな未来

女の声援を受けている奴を殴ってはいけない(義経)。
弁慶の方が強かっただろうが、弁慶は義経の舎弟になっている。
このあたりは、おカネの都合というほかはない。
弁慶の方が好きじゃ

 
小学校の「おどけ」、中学高校の「セックス」から、大人になると「おカネ」という事情が生まれ、いくら「弁慶の方が好きじゃ」と言っても通らないものがあった。
義経は「ノンケの帝国(ナショナリズム)」の逆襲を行っていた。
「男らしい父」「女らしい母」「母の純潔」
このシンプルな構図から令和天皇はエリートとなっている。
弁慶の「混乱した地図」は、貧しさを生み出していた。
弁慶はいわば「官僚の息子」であり、マザーファッカーであり、父親にカマを掘られ、中卒として生きていた。
工場で働くか、グーグル社で働くかぐらいの「労働環境の違い」があった。
ノンケのエリートが友達にいれば、中年ぐらいでよくて霞が関には入れたが、なにしろ「統制」というものを知らなかったため、天皇陛下にご迷惑をおかけすることとなった。
「男らしい父」「女らしい母」「母の純潔」
このシンプルさがいちばん学問に都合が良かった。
あとは、看板講師に教わり、兄弟が多く、薬を飲まなければいいだけだった。
映画や音楽を聴いて気持ちを維持した。
「そんな人生は無産階級にはない」
これが階級闘争を生み出した。
階級闘争の象徴がミッドナイトカウボーイであったが、みんな「飽きた」と言ったため、ジェームソンは街を去った。
ミッドナイトカウボーイ

階級闘争は「ノンケの友達」の出世次第で霞が関には行けたが、マックス・ウェーバーは「ようするに戦う民主主義の構図なんだよ」と言った。
テレビでブレイクすれば霞が関にまかり通る存在になれる。
東大は「坊や」の行くところではなかった。
「階級闘争の結論」だったのだ。
「無駄がない、シンプルさ」を磨き上げた者だけが通ることができる門だった。
rebecca moon

「男らしさ」「女らしさ」「女の純潔」とは「宗教」「政治」であり、出生技術の向上のためにあった。
無産階級には子供はいなかった。
女子高生たちは「精液の美しさ」を知ったし、無産階級にとって、ケツの精液は「荷が重い」ものだった。
世の中の「難しい教科書」を読んだ後に「女子高生にも分かるように話す」ことが芸能界の支持を集める(ケインズ主義)。

さて、私は平成天皇(今の上皇)及び皇后(今の上皇后)の養子になったわけであるが、士師記のサムソンは「身内の死者と同じ数だけ宮殿に死人を出した」とされている。
アウグストゥスはカエサルの養子であったが、それ以降、ナポレオン法典に至るまで「養子」という制度はヨーロッパから姿を消している。
実は、「兄弟の数が多いほど東大に受かりやすい」ということと、コペルニクスつまり「自分の自画像を描いた人物」は密接にかかわっている。
私は少なくとも「自分は宇宙の中心ではない」ことを理解していたが、私の実の姉や弟は必ずしもそうではない。
私の実の姉や弟は50歳前後で故人となった。
実の姉や弟は私ほど学歴がなかったため「自分は宇宙の中心だ」「鏡を見ても光太郎とは変わらない」と考えていてようだ。
海の音を聞いていると、地球は宇宙の中心ではないことが分かる。
SPEED I remember

 
私の謙虚な学問への姿勢を見て、当時の皇太子(徳仁)や秋篠宮も「自分は宇宙の中心だ」と考えていた。
「鏡を見ても光太郎とは変わらない」とも考えたであろう。
コペルニクスはクラカウ大学で学位をとった形跡がなく、教会活動で学士に認定されている。
このようなコペルニクスの「凡庸な」経歴を見て、兄のゴッホは「自画像」を描いている。

 

 

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ゴッホ 沢尻エリカ

 

自分を「宇宙の中心ではない」と理解していた私と、「宇宙の中心である」「顔が大して変わらない」と考えていた、私の実の姉と弟、そして徳仁と文仁は、「いつ死んでもおかしくはなかった」のだ。
地動説は人を生かし、天動説は人を殺す。
世界は、地球・空気・火・水からできており、地球の周りには、月・水星・金星・太陽・火星・木星があり星があった。
プトレマイオスは「地球は宇宙の中心ではない」ことには気がついていた。
しかし、コペルニクス(テオ)が王室の養子になった時に、ゴッホは「天動説」を採用したのだ。
印象派ルノアールのように エレジーズ

印象派は「不可能などない」「最高に気持ちいいセックスとは何か?」を探求した。
しかし、「最高に気持ちいいセックス」も私が「ノクターン」「ラカン」「デリダ(子供の気持ちを味わいたいから男は女とセックスをする)」などを明らかにした。
「神社仏閣などが養子をとると、兄弟が”不可能などない””自分は宇宙の中心””顔が大して変わらない”という天動説の立場に立つ」ことが明らかになった。
バチカンは、教皇を事実上の「養子」として扱ったため、天動説の立場に立っている。
つまり、「兄弟を殺してから来い」と言われたきわめて特殊な職業なのだ。
ローマ法皇の兄弟たちが「印象派」を形成した。
徳仁も文仁も、「死ぬまで勘違いが治らない」だろう。
ナポレオン法典は「革命」を容認した。
養子をとるということはそれほど重要な意味を持ったからだ。
向井亜紀さんが「代理母」に子供を産むことを頼んだことがあるが「特別養子にすることは案外難しい」という嗅覚だけは忘れないでほしい。
代理母に兄弟がいるのならばそれは致命傷となりかねないのだ。
小野家に死人が二名出た以上、徳仁・文仁が「屍のように生きる。最終的に屍となる」のは明らかではないか?
それでも、周囲は彼らを踊らせ続けるだろう。
今回は、「音楽の共有」という発想を提示させていただいたが、それでも「踊り続ける」宿命にある。
SPEED Go Go Heaven

モーニング娘。の印象派ルノアールのように、も「御開帳」(御神楽)の一部を構成すると言っていい。

これもお神楽。「あまい恋の駆け引きは、言葉だけじゃ足りないから」というくだりを見てほしい。
SPEED Body&Soul

余談であるが、デビ夫人に「弟の自殺」について聞いてみたことがある。
「とにかく食べ過ぎだった」という大人の答えが返ってきた。
「天動説」「宇宙の中心」もそのように表現されたわけである。 

これもお神楽。女性チェロ奏者。
新倉瞳 愛の挨拶

意外と根が深い「御神楽」の影響力。
松浦亜弥 プリッツCM

あやまんJapan

神道というものが「沈みかけた太陽」「冬・日食」などを「アナオモシロヤ」ということをやって「太陽をもとに戻す」という岩戸神話を基盤にしていることから、このようなことを行うものと考えられている。
天皇家の次男である聖徳太子を「仏教の世界の神に」としたのが本地垂迹であり、観音信仰となっている。
千手観音から始まる曲。
ribbon サイレントサマー

クラスの輪のど真ん中は「性倒錯の暴力的支配」に満ちていた。
そこで、「ノンケ男」はクラスの隅に追いやられ「表情が変わるのが分かった」のである。
酒に逃げてきた女、などは髪が長く巨乳であった。
性倒錯女の暴力的側面から逃げたのだ。
ノンケの男女の幸せは「酒」にあった。
ふたり酒 川中美幸

私は酒は飲めないタイプであったが、酒そのものは嫌いではなかった。
性倒錯男女の暴力的側面から逃げたかったからだろう。
ブランデーをちびったりしていた程度ではあるが。
酒井法子 エアー~サラダデイズ

貧乳女でも酒を飲む人はいるが、寒くもないのに「寒い寒い」と言って「酒が足りない」ことを表現していた。
こういうのは「酒に逃げる」とは言わないだろう。
男が「群れのボス」になるためには「ラフ&タンブル」つまり「暴力」が必要になるが、それは「オカマ・両刀遣い」であることをも意味し、それが果たして、「知性」や「幸福」につながるものであるかは明らかではない。
いずれにせよ、酒に関しては「ノンケ」の「逃げるタイプ」と、性倒錯のひたすら飲むタイプがいるのは事実であろう。
どっちもアル中ではあるが。
モーニング娘。のリーダーだった中澤裕子は、「常に輪の中心にいた」「大酒飲み」というあたりからリーダーとしての素質があったものと思われる。
高橋愛は、巨乳であり、「輪の中心にいる」タイプではなかった。
「次期リーダー」と言われても、性倒錯女の暴力的側面にしり込みする側面を見せ、伸び悩んだ。
案外、「大人たち」も見る目がないものだ。
モーニング娘。21世紀

キムタクが中卒の検察官の役をやって有名なドラマ「HERO」において、キムタクは週刊誌に「着の身着のまま、ナメた言葉遣い」と報じられている。
衣料品業界は、間違いなく「オカマ、両刀遣い、そして女性」によって支えられている。
これらの存在は、まず「体へのフェティシズム」を持つことから、そのまま、「ファッション」へと関心が向けられている。
新田恵利 恋のミスマッチ

「全体主義の克服」は、「女性たちがファッションによって」行ったものと考えられている。
性的欲望は「服装、身だしなみ」におよび、ファッションの多様性が体制を決めた。
セックスとは「子孫を残す」(生産)という目的だけでなく「快楽のため」(消費)という側面を持つ。
女性に快楽を与えた男は、女性が「身だしなみのすべてのファッションチェック」を行ってくれる。
男は家庭から出てくる。
服装で「ヒステリーや神経質な女性がいる家庭か、心の弱い女性がいるのか、無関心な母がいる家庭なのか?」が分かった。
兄弟が多いと必ず「親が関心を持たない子供」というものは生まれざるを得ない。
だからこそ「もう勉強やめる」などというわがままも通用しない子供が出てくる。
「もう勉強やめる」と母親に言ってみたところで、また、「母に褒められたくなる」のが男の子というものだ。
家庭内の「細胞」として、男は洋服を着て表に出てくる。
complex Rambling man

「ヒステリー、神経質、心が弱い、無関心」という四つの要素しかないのが「おかんの買ってきた服」なのだ。
「母のヒステリー」から自由な男をそうではない男は憎んだ。
「無関心」というのも「マスターベーションが自由にできる」ということを意味し、悪くはないものだ。
動画 おかんの買ってきた服

「親の愛情」などという子供じみたことを言ってはいけない。
「ヒステリー、神経質、心が弱い、無関心」のどれかなのだ。

東大生のファッションチェックをしてみよう

いずれにせよ、「息子は母の性的欲望の対象である」ことだけは認めざるを得ない。
母親がヒステリーだと、息子はカマを掘られているし、母親が無関心だと、息子は自由にマスターベーションをしている。
東大生はこのどちらかの流派に属し、「心が弱い母親」というのは最優秀層を生み出している。
「昼間から風呂に入れる」などのメリットがあるからである。
いずれにせよ「お母さん」というものを生み出したのは「結婚」という制度を考えたカントである。
マルクスは「女」を語ったが、ヘーゲルは「オカマはファッショナブルでイケメンである」としている。
ヘーゲルが「クラスに溶け込むためにはファッショナブルでなければならない」とし、それは端的に「髪型」に表現された。
オカマや両刀遣いの「階級闘争」をよく理解していたのはマルクスではなくヘーゲルであったし、「髪型さえ整えてくれれば」という思いが、クラスの輪の中心にはあった。
アクティブな女たちも、クラスの輪の中心のイケメンに群がったし、「母」という存在を踏まえ、カント、マルクス、ヘーゲルを経て、貧困や階級格差はなくなるものと考えられた。

親の愛情に飢え、自由にオナって育った大津くん

ジャズが流行った時に「安い、速い」という発想が生まれた(ユニクロなど)。
ジャズがなければ、このような発想はなかった。
雨のニューオリンズ 国生さゆり

結婚や家庭、母といったものは、プライベートにおける社会契約であったし、「卒業・夏休み」というのは公における社会契約であった。
家に帰ると母のヒステリーが待っている、それならば、卒業や夏休みは極めて重要な意味を持った。
「夏休みに大化けした」というような男の子は、母の「無関心・心の弱さ」を推進力にしている。
東大に入るために「兄弟が多い方がいい」というのはこのあたりに理由がある。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

床屋・美容院、衣料品業界などが発展したため、「マルクスではなくヘーゲルを」という声が根強かった。
女たちが「風景がいい方がいい」としてこれを支持したのだ。
カントが「結婚」というものを考え、貧困撲滅のために動いてから、80年経過していた。
「ヒステリー母ちゃん」が「息子に合う服を」と言って洋服屋で一山あてたりもした。
新左翼やネオリベラルは「着の身着のまま、ナメた言葉遣い」の男が「試験に強い」ことに呆然とすることもあったが、ジジェクは「オカマや両刀遣いが階級格差をファッションによってなくしたことはもはや秘密である」とし、一億総中流社会の実現の背景に何があったかに沈黙を促した。
仕立てのいい洋服屋や、床屋は「ヒステリー母ちゃん」によって運営されていたし、創価学会の基盤でもあった。
「息子のファッションにうるさいヒステリー母ちゃんによって運営される洋服屋や床屋の富」がかつて貧しかった創価学会を豊かなものにし、共産党がマルクスだとするのならば創価学会はヘーゲルだった。
女子高生代表である阿弥陀如来ではなくファッショナブルな日蓮聖人がご本尊である、これにこだわる日蓮宗には彼らなりの理由があった。
夫が床屋や洋服屋という「仕事」をしていれば、妻は「女ネットワーク」を作ることで対抗した。
「ラカン派のジジェクって池田大作のことかい?」
フォーエバーセンセイ

「女の子特有の鬱、青年の鬱」を晴らすのは美の探求だろ?創価学会(ヘーゲル)にも分があった。
セオドア(テディ)・ルーズベルトは、「ファッションの大国」(米帝)の確立を経て、スペインと戦争しようとしていた。
スポーツによる体のフィットネスや肉体美なども鬱を晴らす。
「クラスの輪に溶け込むためにはファッションに敏感になることが必要」
本来、オカマや両刀遣いがそのようなルールを作っていたが、ノンケでもそれさえ理解できればよかった(精液経済)。
ルーズベルトは当然、「女子高生に祈ってもらう」(キリスト教)という発想を持っていたが、そこに「ファッション」を持ち込んだのだ。
カリスマ美容師・カリスマ店員などは「ヒステリー母ちゃん」に腕を磨かされている。
ティファニーで朝食を

ヒステリー母ちゃんを発信源とし、女子高生を資金源に、中学・高校・大学という「男女が一体となった」帝国主義が確立した。
ルーズベルトは「ペドロ・ロメロ」というボクサーをファッションリーダーとした。
鍛え上げられたロメロの肉体美と、ヨーロッパファッションブランドが結びついたからアメリカはスペインとの戦争に勝ち、国家の存続を決めた。
男なき「女たちによる女の消費」(読モなど)も進んだ。
リゾナントブルー モーニング娘。

アルチュセールは「国家の命運など所詮若者が握っているものだ」としている。
時間的・空間的制約(自然的関連性)を若者は持っているが、それでも「反対尋問する資格」を与えるなどして(法的関連性・伝聞法則)うまく生かしていかなければならない。
我々が恐れているのは、若者の才能を見落とすことであり(類型的誤判の危険性)、体を鍛えている若者の才能だけは見落とすべきではないと考えられている。
ヘンリー・フォードは「Do It Yourself」というノートを作って世界にばらまいた。
令和天皇が言っていることを簡単にノートにしてもらいたかったからである。
体を鍛えて、ノートに書いてあることを女の子に話すだけで「若者の才能の見落とし」(法的関連性)はなくすことができる。
ヘミングウェイは、「陽はまた昇る」においてニック・アダムズにそのような生き方をさせている。
ribbon 出逢えてよかった

「若者の才能の見落とし」は常に文学者が抱えている問題だったのだ。
石原慎太郎の苦悩はここにあった。
始業のベルが鳴り、ボクシングのリズムもよくなる、そのようにヘミングウェイは描いた。
ファッショナブルな服装や髪形をするだけで革命って起こせるではないか?これがヘーゲルの考えであった。
ニック・アダムズのように「体を鍛えていて、女を口説くのがうまい」男が「ファッション」を身に着ければいい。
ヘミングウェイは「究極のエリート」を描いていた。
「抱かれたい男ナンバーワン」はこうやってできるとしたのだ。
マルクスが「女」を語り、新左翼が「オカマ」としてマルクス主義者をいじめることから始まり、アメリカ合衆国は「ノンケで女に詳しく、しかも鍛えられた肉体を持っている男」を構築したのだ。
オカマや両刀遣いの攻撃性とは異なる、アメリカ資本主義的男性像が作られていった。
少なくとも、アメリカ資本主義のもとで育った私は、オカマの橋本真也をぶん殴っている。
橋本は「アメリカ危ない!アメリカ危ない」と言っていた。
新左翼とアメリカ資本主義は、勝ったり負けたりの乱闘騒ぎを引き起こしたが、最終的には「どっちが女にモテるのか?」ということから、共産主義と資本主義の勝敗が見え始めた。
キッシンジャーが「分厚いノート」を持っていたのに対し、周恩来は手ぶらで現れた。
「女の口説き方」に関する情報交換に現れたキッシンジャーは拍子抜けし、周恩来は日本国をアメリカに明け渡した。
キッシンジャーと周恩来の会談は「アメリカ帝国主義対スターリニズムのオカマ」の殴り合いであったが、周恩来に「その気」がなかったのだ。
大学生=ブルジョア=ユダヤ人の解放はここで達成されることになった。
ミスターチルドレン

アメリカ資本主義は、オカマ=右翼とは異なる「ニューライトだよ」とサルトルは語った。
アメリカ連邦最高裁の、ギンズバーグ判事もグッドマン判事も「若者の才能の見落とし」(法的関連性)だけに注意を払っていたとされている。
日本国は朝鮮半島とは異なり、アメリカ高等教育を「洗脳」とは考えてはいなかった。
米韓関係はあくまでもリンチピンであり、日米関係はコーナーストーンであり続けた。
新左翼(ネオリベラル)は、米帝と、それを学習する土壌にある東京大学(日帝)を恐れていたのである。
Queen of venus

最後には、新左翼とニューライトの乱闘騒ぎになったが、オルフェウスとナルシウスの戦いであるとされた。
性倒錯男の攻撃性も、ノンケ肉体派の攻撃性も、スターリニズムとアメリカ資本主義の戦いであり、ノンケが「ファッション」を学習すれば解消される問題であった。
「オルフェウスは何を言っているんだ?誰か翻訳してくれ」
これがアメリカ資本主義の立場であり、「肉体へのフェティシズム、服装や髪形へのこだわり」を性倒錯(オルフェウス)は言っていたため、メンズノンノ、Men's EXなどを出版した。
新左翼は、「子供のころから時間が止まった男」(一次元男)という具合に、ゲイの研究を深め、「永遠の少年」などと呼ばれセールスを伸ばしたこともあった。
同級生の女の子が恋に破れようが結婚しようが「常に変わらない」男というモデルである。
松田聖子 時間の国のアリス

1980年代に、「心理学」が歌謡曲の中に入り込んできた(J-POP)。
ゲイ解放運動も起き、「振り向けばいつもそこにいる友達」として女たちにも重宝がられた。
「戦争と平和」のヘンリー・フォンダが知られている。
これも「スターリニズム」であろう。
瀬能あづさ 永遠に友達

一方、アメリカ資本主義(ニューライト)は、スターリニズムに対し、「処女全体主義がオカマを容認しないだろう」としている。
処女にフェラチオをさせるオカマはいるだろうが、とにかく、処女たちのセックス崇拝からすると、そのような性倒錯は「伊豆の踊子」で憎まれ役を演じ、東京帝国大学の「学生さん」(日帝)を賛美したのだ。
ベトナム戦争時に、伊豆の踊子(日帝)は強烈なキャンペーンをスターリニズムに対して行っている。
しかし、「台風が来る」という非常に不人気な戦争として終わっているのだ。
スターリニズムと台風、とんだ超大国が中国であった。
もっとも、指導部をプロレスで揶揄する「民主化運動」だけは弾圧されている。
性倒錯はプロレスを好むが、民主化運動だけは天安門事件、中国民主党事件、法輪功ムーブメントを経て鎮静化している。
もっとも、香港などではプロレスは根強い支持を誇っている。
日本国への「台風攻撃」は、ちょっとした爆風が吹くものであり、それに集中したいのだろう。
高橋英樹はゲーリー・クーパーを参考にしており、年老いた学生さんを演じる宇野重吉はジョン・ウェインを参考にしている。
伊豆の踊子

とにかく、第二次世界大戦の時から、各国が「戦争に負けちまえ」と考えるオカマ・両刀遣いがいたことから、現在に至るまで「株価なんて下がってしまえ」という男がいることまで理解している。
「この状態(株価)で戦争なんてできるわけがない」とニールセンは容赦なく報道した。
男が「ファースト」で、女が「セカンド」で、それを利用した「予言」がサードというシンプルなユダヤ教の予言の世界を提示すると、居場所を失う性倒錯が必ず敗北主義(戦争なんて負けちまえ)を持ち出す。
「権力闘争の殴り合いでは済まない」「国の敗北につながる」
これが性倒錯であった。
ブラックパンサー党などがゲイの撲滅のために動いたりしたが(ベトナム戦争時)、「平和につながっていいんじゃない?」などと「さぶ」を称賛する人もいた。
フルメタル・ジャケット

ヒッピー、男の長い髪は平和の象徴、という論陣も張られた。
伊豆の踊子(フォーディズム)つまり「経験したかしていないか」という議論だけは根強く残った。
ジョン・ウェインという「モテモテの哲学者」なのか、ゲーリー・クーパー(学生さん)かはともかく、戦争に負けたくないからフォーディズムを作ったのだ。
吉永小百合さんは「白黒から始まる」伊豆の踊子に「違和感を感じた」と証言しているが、これは「ベトナムと日本の違い」を表現したものであり、まさに国策であった。
伊豆や大島という「東京とのアクセスを必要としていた」地域で道普請を描いたりして、「東南アジア諸国のアメリカとのアクセスの必要性」を訴えた。
しかし、べ平連は日本でかなり大規模にできた。
日本国で「いいスピン」が起きなければアメリカはアジアに進駐することは困難であることをケネディは学習した。
女子高生にも分かるように「戦争への支持を訴える」という意味ではケインズ主義的であり、宮澤喜一が、川端康成とどのような関係にあるかは明らかではないが、宮澤は虎視眈々と自らの地位を固めていった(ニューライトの旗手)。
ブレトンウッズ協定で「アメリカシンパ」は明らかになっていたが、マーシャルプランを一気に動かし、アメリカの戦争に有利に世界を動かす手法も明らかになっていた。
令和天皇の即位にもマーシャルプランは用いられたものと思われる。
「結婚」という制度を考えたカントや、「女」を語ったマルクス、そして「夢」というものを語ったフロイトを背景に、「予言」というものはかなり切れ味を増したが、それにしても分からなかったのが「性倒錯」であった。
「ファッションに気をつけろ」とヘーゲルは言ったが、結婚前の女の団結を狙ったマルクス・フロイト主義(ユダヤ教)は、新左翼やネオリベラルの抵抗を受けた。
性倒錯の男は「吉永小百合に興味がない」「偶像崇拝に興味がない」と言った。
さて、マーシャルプランの存在が日本国でも認知されたことになるが、そこから「性倒錯の階級闘争」は新たな局面に入った。
まるで日本国のオカマや両刀遣いが「アメリカ合衆国」を敵に回したことを悟り、自滅に向かっているがごとくである。
東南アジアはいまだ「性倒錯国家」(ネオリベラル国家)であるがために「アメリカ合衆国へのアクセスが死活問題」とされている。
ケインズ主義(女子高生にも分かる話をすること)も、性倒錯男には分からないのだ。
東京大学の「横のものを縦にする」だけの学者などアメリカも必要としてはいなかった。
ケインズ主義を有効に使いこなせる人物を求めていたのだ。
ワーナーは、学校・教会・企業・住宅地などを総動員する力を持っている。
これらは皆、タイムズスクエアやスタジオアルタを発信源に動いている。
タイムズスクエア ライブ

アメリカの金融がマーシャルプランでどのように回転しているのかを知りたければタイムズスクエアのライブ映像はチェックしておこう。
一人の女の純潔に頼りすぎること(フォーディズム)の危険性はクレジットクライシスで学習済みである。
また、アメリカンイーグル(アメリカ軍)に「オカマはいない」ことはかなり大々的にアピールしている。
なにしろ「世界の警察官」とその「おカネの動き」を映し出しているからである。
ここの情報を世界に漏らしたマタイ・シェパード殺害事件も1998年にあったが、それ以降はかなりオープンになっている。
アメリカ合衆国の金融の動きが分かるスポットとして「ナイフにいちばん近い場所」と言われているため、どこまでライブ映像が本物かは明らかではない。
35兆円は「ここのメッセージで動かす」ということは明らかであるため、命の危険も当然あるだろう。
ヘミングウェイの「陽はまた昇る」にせよ、石原慎太郎の「太陽の季節」にせよ、最後にはこのことを明らかにしたものと考えられている。
スタジオアルタのホームページを見ると、なんだか「必死さ」をアピールしているが、案外、その正体は「Google社」なのではないか?
あれほど連絡のつかない会社が「お気軽にお問い合わせください」などと言っている。

さて、日本国は、アジア通貨危機(1997年)の時に、タイの外貨準備高が枯渇し、タイと同じ「ドルペッグ制」を採用している韓国にそれが波及したのを目の当たりにしたが、「新宮沢構想」により韓国を救い「世界で独りぼっちではなくなった」という経験をしている。
「世界で独りぼっちにならないためには韓国と仲良くすればいい」「そのうえでヨーロッパから学べばいい」ことが明らかになった。
問題は、従軍慰安婦や徴用工のように、「日本への怒りで夜も眠れない」人が韓国にいることである。
人生の健全性を持った人とは異なる論理が彼(彼女)らには存在し、個別的請求権は放棄していない。
つまり、その人生を日本国に広く知らしめる権利は放棄していないのだ。
人種差別撤廃条約においても日本国は「文明批評を封ずるものではない」という留保をつけている。
彼らには「仲間が必要」であり「女心」をおカネにする必要があり、そのうえで「よく眠ってもらう」必要がある。
しかし、徴用工として働いていた時に「カマを掘られた」のならば、果たして「女心」=カネに興味がもてるであろうか?
石原慎太郎はこのような人々を「三国人」と発言している。
中華人民共和国も、サンフランシスコ講和条約の当事国ではなく、中華民国がこの条約に署名しており、日中平和友好条約を踏まえ「サンフランシスコ枠組み論」という形で、彼らの「人生を日本国に広く知らしめる権利」(個別的請求権)を残した。
徴用工判決においては原告9名に「1000万円」の賠償を認めたが、なぜ「文学」「版権」という形で解消しないのだろうか?
「オカマ」であることが子供たちにバレたくないからであろう。
オカマであるのならば「女心」=カネにも興味を持てなくなっているため、韓国の裁判所が「1000万円」を提示したのも穏当であろう。
この「徴用工判決」に群がってきた3千人の韓国人は全員オカマである。
そうでなければ、電子書籍のようにデッドコピーが無尽蔵にあるデータを無料で送ればいいだけだ。
しかし、そのような文学に「興味が持てない」のであろう?
文学に興味が持てないのならば、本国で「万年平社員」であったことも想像に難くない。
「金持ち」「政財官界に人脈を持つ」人生に劣等感を感じて生きたのも「日本でカマを掘られた」からである。
「貧しい、夜眠れない、孤独」このような嫌われ者になったのも徴用工になったからであろう。
中国人はこのような「人生を日本国に広く知らしめる権利」(個別的請求権)は行使していない。
しかし、韓国人にはそのような人が3000人いるし、従軍慰安婦は20万人いる。
従軍慰安婦像には私もさすがに土下座させていただいた。
従軍慰安婦たちには「文学」=カネ、出世の機会などという問題はほとんど生じないからである。
しかし、徴用工たちの「カマを掘られたから貧しい、夜眠れない、孤独」という論点は、日本で版権にして、300億円(3千人分)に変える努力が必要だ。
オカマ=「肉」と呼ばれた人生を強制したことは気の毒に思うし、私もこのことを「個別的請求権」(人生を日本国に知らしめる権利)として認識し、あえて、石原慎太郎が「三国人」と切り捨てた問題をここに記しておきたい。
globe Joy to the love

徴用工判決に関しては、「オカマになって失ったもの」に対して「1000万円」とはずいぶん韓国の裁判所も柔らかいリアクションをしたものだと思うが、「出世の機会を失った、おカネを失った、眠れなくなった、仲間を失った」ということを、日本人に理解させれば「個別的請求権」(人生を日本国に広く知らしめる権利)は果たされる。
その「版権」はおのずと300億円を満たすであろう。
原告にチョヨンピルがいれば、問題は極めて簡単になるのだが。
釜山港に帰れ チョヨンピル

外交保護権はいわば著作権であり、個別的請求権は著作者人格権である。
私のこの記述に「同一性保持」「公表」「表記」の三つで見解があるのならば述べてもらって構わない。
外交当局に「議論するつもりがあるのかどうか?」の問題であり、たたき台となる論文は私がここに書かせていただいた。
「三国人」の問題はほとんどこれで斬れるはずである。
出世するためには「女を語り仲間を作る」必要がある。
それが「一人一千万円」で済むのであれば、世界史を語ったことにはならないし、「すべての時代のすべての経済を分析できる」と言われる日本国の名誉にもかかわるものだ。
日本の形

徴用工判決に、日本国の「25の企業」が震え上がった。
問題は、この論点を理解できる文学者がいなかったことから各企業が震え上がったということである。
また、アメリカ議会、アメリカ軍、赤十字、大学、企業を敵に回したら、日本国でビジネスができなくなるのだ。
あるいは、オカマは「韓国にとっても売国奴」であるため、賠償金額は1000万円で済んだものと思われる。
日韓双方の外交官も「オカマ」であることが多く、しかし、「階級闘争の勝者」であることから、外交レベルでの調整は難しいかもしれない。
ましてや、芸能界が解決することも困難であろう。
それが、民間人同士の対立につながってしまうのならば「文学者の責任」と言うしかない。
あるいは、徴用工問題の背景に「芸能界の大物」がいるとするのならば、本当に、チョヨンピルが怒っているという問題かもしれない。
韓国の芸能界の年寄りは1000万円で妥協するのだろうか。
それならば、韓国の福祉の問題と直結してしまう。
「類は友を呼ぶ」
もし、徴用工たちが韓国芸能界を形成してきたとするのならば、韓国の厚生労働の話でもある。
日韓の芸能界同士の対立が徴用工問題であるのならば、両国での解決法が模索されているはずである。
AKB48 teacher teacher

 

 

 

 

 

 

2020年8月 2日 (日)

マルクス主義~税収200兆円という革命。

話はカントから始めざるを得ない。

処女たちに「予言能力がある」とし資金を大量に流し込んだからである。
そこから、恩恵は主婦層にまで波及し、そこで「実質経済」(女の豊かさ)は飛躍的に向上した。
マルクスはこれを目の当たりにし、「いじめのないノンケの楽園」を目指し始めた。
ソビエトは「官僚」という名の性倒錯指導層を残した社会主義国家であったが、共産主義とは「いじめのないノンケの楽園」のことを言った。
これが「税収200兆円時代」「子供たちが虐げられない社会」のことでもあった。
セックスの対価としておカネを払わないと、女がノイローゼになって子供が虐げられる。
ぼくをぶたないで 高橋由美子

生産手段(主婦層)の共有とはつまり「音楽作品で女たちの支持を取り付けることで、税収を増やす」という意味であった。
私の母の「階級闘争」とは「マザーファッカーの禁止」「妹ファックの禁止」「オカマの禁止」などに満ちたものであった。
オノヨーコとして世界では知られている。
ビートルズ イマジン

マルクスの「資本論」を読んでいると、延々と「支配と従属」に関して記されている。
これが人間の「性欲の起源」だったからだ。
学校や会社で「支配と従属」を経験しないものは性欲がない。
さらには、都会と田舎という関係の「支配と従属」を経験しないものも性欲がない。
若い頃のマルクスはイケメンであった。
しかし、カントが流した富の恩恵を受け「マザーファッカーの禁止」「妹ファックの禁止」「オカマの禁止」などを経験し、「芸能界」(中道)に憧れるノンケ(左翼)というものを作っていった。
「芸能界には美男美女がいる」
これを強烈にアピールし、家庭内の「身近な存在」をあえてブサイクに描くことで、これらの目的と税収効果を狙ったのだ。
「美男美女を生み出す鎌倉仏教・禅」と左翼が結びつくのは必然であったし、エンジェルチャペルのようなキリスト教カトリック女が「貧乳を見られたくないから処女」という性倒錯右翼であることともつながった。
フォイエルバッハが「メッセージだけ送れば市場にいい影響があるから」とマルクスを諭した。
今の日本国もそうであるが、子供たちがOECD最下位に位置付けられるほど貧しいのだ。
そこで「たとえ実現しなくともメッセージだけは送ろう」とマルクスは考えた。
夢だけ見てる CoCo

マルクスの「芸能界主義」(観念論哲学)と「唯物論」(女主義)はここに成立した。
「都会には美男美女がいるのよ?」「学校や家庭には何もないのよ?」
これは中国では「上海倶楽部」と呼ばれた。
上海倶楽部 松田聖子

しかし、芸能人女は処女(予言能力を持つ)という立場の週刊新潮に対して、文春砲は容赦なく襲い掛かった。
交換価値(セックスによりおカネを払うこと)は「優しくすればいい」という基本があった。
子供(利用価値)を作るのにもおカネが必要だったのだ。
発展途上国の女の子が「掛け算を覚えるより先にレイプを経験する」という無神論にある限り、「アフリカはとにかく暑い」ものだった。
文化の問題であり、「理想の男を語り合うフォーラム」が形成されにくい地域であったからである。
マドンナもマイケルも「アフリカのアメリカ合衆国編入」を構想した。
マドンナは「バージンツアーがあるから」と言ってレコーディングには参加していない。
We are the world

制服組は本当に「労働」というものを行っていたが「肉体労働者」と呼ばれたり「ブルー」と呼ばれたりした。
背広組は、一日中「女とは何か?」(政治)「男とは何か?」(宗教)を語っていた。
政教分離が一体となって産業を支えていた。
ここに、「マザーファックの禁止」「妹ファックの禁止」「オカマの禁止」を越えた「レイプの禁止」という発想が生まれた。
「予言」「恋」とは異なる「下からの革命」が進行したのだ。
「レイプの禁止」「女嫌いの排除」だけでも「神」は生まれた。
しかし、「神などいない」という「常識」も求められた。
なにしろ、イギリスの二倍「大陸から離れた」日本国の「革命」を目指していたのがマルクスだったからだ。
午前中に女性労働者は「眠って」いた。
午後になってやる気を出して「男について」語り始めた。
仕事が終わったら「剰余価値」(子供たち)のことを考え始めた。
もっと気楽に働こうよ?
ママ大丈夫?

「朝起きるのがちょっぴり苦手です。お昼を食べて目が覚めるの」(渡辺満里奈)
新会員番号の唄 おニャン子クラブ

ランチというものが労働においてどれほど重要な意味を持つかを理解しないといけない。
午前中、ちょっと頑張ったら「先に上がっていいよ?」と言われるのだ。
それ以外は、女は「眠って」いた。
「八時間働いて楽に暮らせる社会」(日本共産党)
そりゃそうだ。ノンケだけの楽園を作るだけで税収が200兆円になるからだ。
マルクスほど「カントを崇拝した」人物はいなかった。
あとは「カントのために」マザーファッカーをなくし、妹ファックをなくし、オカマをなくし、レイプをなくす「下からの革命」を実践するのみであった。
「史的唯物論」とは、「処女たちの祈りこそが歴史を作ってきた」という意味であり、マドンナがモデルであった。
マテリアルガール マドンナ

カントの富さえ「下から支えれば」いじめのないノンケの楽園ができると考えたのだ。
これをフォイエルバッハは「メッセージだけでも有効」であるとした。
産業(女とは何か?男とは何か?を語り合うこと)を経たうえで、「適者生存」がなされるのであれば、そこには楽園ができるだろうと考えられた。
天使の館 酒井法子

背広組と制服組の「賃金の水準の同一化」をベーシックインカムと呼ぶのであり、まあ、働かなくてもおカネがもらえるという意味と大して変わりはないが、それでも家の修理とかはしてもらわないとね。
マルクスは「カントほど偉大な先生を私は知らない」とし、今まで何も語らずに、「中流家庭」を気取っていたブルジョワを憎んだ。
これらのことは「人間の条件」とも言われ、ユダヤ金融資本を形成していった。
ヒュームが「メジャースポーツに処女たちの祈りを噛ませる」ことを考えたが、カントの実践理性批判を、ニュートンと出会わせただけとも言われている。

アルザスの領有権をめぐってフランスとドイツが喧嘩していたことが知られているが(最後の授業)、フランスのアルザス領有権は完全に「アルジェリア統治」に依存していた。
まるで、アメリカ合衆国が「We are the world」を作ってアフリカのアメリカ編入を試みたような話を、フランスはアルジェリアで行っており、その資金とカトリック思想を利用して、アルザスの統治を行っていたのだ。
「最後の授業」でも当然、「処女性とは何か?」が語られているはずである。
「この学校にいじめがある限り、この学校はドイツのものなのである」
いじめとは「カトリックのアイデンティティ」であり、共産主義が克服しようとしたものであったが、処女性から莫大な富が生まれ、ドイツには「芸能界」があり、ドイツで共産主義ムーブメントが起きるたびに、アルザスの「学校」は領有権の問題と教育の現場の現実と直面した。
これが、アルチュセールを生み出した「最後の授業」であった。
学校のいじめの実態が、アルジェリアの領有権と関わってしまうのだから、ドゴールも大変な思いをしたであろう。
Parisが聞こえる 河合その子

「いじめのない楽園か」
アルチュセールは、アルザスの学校でそれを夢見て、フランス共産党に入党した。
まるで、カトリック=マドンナ、フランス共産党=マイケル・ジャクソンという図式が出来上がり、どの国も二大政党制はこの仕組みで動いているようであった。
1978年に、フランス左翼は選挙で大敗した。
日本国もこの時期に、共産主義を見限ったとされている。
マルクスがどれほど「マザーファックをやめろ」「妹ファックをやめろ」「オカマをやめろ」「レイプをやめろ」と言っても、そんなものは絵空事であり、いじめられる側が「イデオロギー」を見限ったのだ。
「いじめさえなければ働かなくてもいいことは分かっていた」
それでも、「いじめ」=仕事の起源はなくなることはなく、労働とはもはや「精神史的文脈」と呼ばれた。
アメリカの民主党にせよ、英国労働党にせよ「処女たちの予言能力」をうまく活用しながら「恋」と向き合っていた。
しかし、共産主義は明らかに「処女性の否定」に動いたのだ。
マルクス・レーニン主義とは、「カントの遺産を尊敬しながら国家財政を潤沢なものにしていく」ものではなかったのか?
20世紀中頃には、「そんなものは絵空事だ」と考えられるに至り、共産主義とは「性倒錯の研究である」(物象化論)と説明された。
フロイトの「思春期の女の子の鬱」(去勢)や、ラカンの「セックスの作法」などの研究が進み、ヘーゲルは仏教の影響も受けながら、「美男美女の作り方」を明らかにしていた。
テレビでは「笑い」「失業」「片思い」などがクリエイトされ続けていた。
カントの遺産が「いじめ」によって崩壊していくのも観測された。
結局、一部の「腐ったミカン」のせいなんだよね。
マルクスは「メッセージさえ出せば市場にいい影響がある」としたが、100年間様子を見たところ、「腐ったミカン」に台無しにされただけだった。
学校の教育現場がそのまま「領土問題」になることになったアルザスロレーヌ地方であったが、「最後の授業」の伝説をモデルに、金八先生は作られた。
「教師はなぜ命がけなのか?」
それが日本国にも「国家教育権説」として紹介された。
日本国は、ようやく「カントの富」を手にした。
エンジェルチャペルやサクヤ会、巫女会などの女子高生サークルのおかげである。
しかし、カトリック対共産主義、処女性対いじめ撲滅という図式にしてはならない。
あくまでも「陸海空」の三面構造がなければ、つまり「神道」がなければ崩壊するのがカントの遺産なのである。
従来の民事訴訟においては、女子高生コミュニティーで「処女であること」を放棄・認諾すると、三面構造の中の「移動線」が残るとされてきたが、現在は「メリーゴーランド構成」(兼子理論)が通説となり、サクヤ会・巫女会・エンジェルチャペルの内部の移動が案外自由化されている。
春の森の回転木馬 中嶋美智代

関東地方は徳川家康が「東照大権現」となり、関西地方は豊臣秀吉が「豊国大明神」となり存続してきた神道であるが、三面構造を令和天皇は巧みに構築し、「100年限界説」を打ち破ろうとしている。
税収は早かれ遅かれ「プライマリーバランス黒字化」は達成するだろう。
最後の授業

ルールもないのに、都合がいいときだけ「さあゲームの始まりです」などというと孤立だけが待っている。
孤立するということは「金銭面で締め上げられる」という意味だ。
新入社員に対して「さあゲームの始まりです」という今までの社員がいたのならば、新入社員の勝利である。
初日ぐらい「卑怯者」の存在に耐えたらどうか?
やがて、卑怯者が孤立することが分かる。
「彼らの論理」は三日で分かる程度の仕事だ。
なかには「半年すれば慣れるから」などという卑怯者もいるが気にしない方がいい。
貧乏人の特徴が「搾取する」ことにあるのだ。
初日で「落とせなければ」「この程度」とばれるのはみんな分かっていた。
全国3万社の「法人税を払っている会社」ではありえないことが、法人税を払っていない「300万社」には存在する。
彼女や奥さんがすでにいて「ちんちんを売りつけるつもりのない」新入社員が来たらみんながこれをやってしまう。
法人税を払えるか払えないかはこれだけの問題なのだ。
新参を「騙せるうちは騙しておこう」とみんな考えた。
この問題をクリアーしたらようやく「株」(女性社員)の取引が始まる。
「どう?今のパートナーより魅力的でしょ?」
どの女性社員もそのようにメッセージを送り始めた。
女たちが「話をしてあげた対価」を求め始めるのだ。
小説を書けない社会人はいない。
税収が潤っているかどうかは本屋を見ればわかる。
ああ、「心ある」人はもういないんだな。これが平成のバブルの崩壊であった。
我々が日々、空気のように吸っている「哲学」の本が消えてなくなり、ヨースタイン・ゴルデルの「ソフィーの世界」などが流行した。
新入社員に「初日の社交儀礼」の存在を教えるものもいなかった。
東大に入って「新歓コンパ」をやったが、大学すでに慣れているのに「またやろう」などという二年生がいてどっちらけになったりもした。
初日の社交儀礼(搾取)を見物したければ新歓コンパに出てみればいい。
返さなければならない奨学金やローンがあるものは「人気取り」に一生懸命だ。
「初日の社交儀礼」をなくすためにセーフティネットというものはある。
ボーナスや、家族サービス、その他の福利厚生を「子育てに都合よく」利用しなければならない。
新入社員への搾取対策が周囲にいい影響をもたらすのだ。
新入社員や新入生には「ジュースが一万円で」売れる。
それをやらずに「一年生優先」で奢る連中がいるのならばまだ良心的だろう。
「やってはならないこと」に敏感であるし、リクルートメントを必要としているのだ。
東大ボクシング部では「あとで殴る」目的でこのような運用がなされていたが、殴り返すのに半年かからなかった。
一年たったら追い出された。
レベッカ ボトムライン

初日にこのような「搾取」の問題を指摘できる「細胞」は恐れられたし、どの職場でも生きていけた。
マルクスは「300万社」の会社にこのことを知ってもらいたかった。
理解するかどうかはいまだ「100分の1」という現状があるからである。
社長が率先して搾取をするのならば間違いなく倒産する。
人の心が離れていくからである。
ネット上では、私を罵倒するものが多ければ多いほど私は増長をつづけたし、敵は失業者となった。
私は天皇になっている。
私は「人を治めるって何だろう?」と試行錯誤と哲学の研究を進めたし、多くの論文を残した。
「さあ、ゲームの始まりです」と言って、私から「エネルギー」を奪い取ろうとした連中は失業するか病気になるか死んだ。
ベーシックインカムというものがもしあるのならば「新入社員への搾取」のポイントを押さえるだけでいい。
ハローワークでそのことを周知徹底させなければならない。
「300万社」が「初日の搾取」の問題に気がつくかどうかがベーシックインカムのカギを握っており、「細胞」はそのためだけに動いていた。
この「300万社」のスウィートショップで作られたものを、大企業が安く買い取り、高い値段で世界に販売している。
気がつくかどうかなんだよね。

親の人生や子供の今後の人生について何も知らされない「代理母」というのは案外、代理母に対する「ひどい搾取」だということを理解していない人も多い。
出産というものは「母としての聖域」であることから、日本国内では認められていない。

「学歴」というものは、自分と異性の「遠さ」からもたらされる。
知識というものも同様だ。
勉強するご褒美として「女が近づく気がする」というのは、おカネでキャリアをコントロールするのと同じ効果が認められた。
学歴社会の構築は「女嫌いの排除」「レイプの禁止」「マザーファッカーの禁止」「妹ファックの禁止」など、「下からの革命」に一定程度貢献するものだ。
マルクスが「入るのに難しく、出るのは簡単」な大学ヒエラルキーを作ったのである。
学歴のない者は「異性が近く、知識を得る土台のない」人間である。
本ブログの読者もおのずと「高学歴者」に限られてこざるを得ない。
口説かなくてもセックスさせてくれる女がいるのならば、読む理由がないからである。
税収200兆円という革命も、学歴社会がなければ成立しない。
学生こそが「革命」を論ずるのであり、その頃、蓄えた知識で一生生きていく宿命にある。

芸術は現在、「真剣勝負」にしか興味がない。
阿弥陀如来=マドンナ=処女の「予言」か、マイケル・ジャクソン=男の「恋」かのどちらかである。
「昨日好きなプロ野球チームが勝ったのはこの絵のおかげだよ」
と偉そうに批評しても、彼は「私の方が気持ちいい」ことを知っているのかしら?
芸術には、男は「勃つ喜び」は感じても、実物の女がいなければ意味がないのだ。
松田聖子 妖しいニュアンス

レディマクベスが処女だと言って、王がレディをカネで買って一晩で丸裸にされて追い出され、野球チームが負けた男たちは一晩、王の家の前で罵声を浴びせたが、徹夜した結果、「一人の女に頼っていた自分たちがみじめになる」というマクベスや、ハムレットの、「父の墓を荒らす男」が、地球がもっとも天国に近いということを示し、女子高生たちに不老長寿を願われることがもっとも幸せなんだよということを示した物語など、シェークスピアは常に「処女性」を問題にしてきた。
ワシントンDCナショナルギャラリーにはこのような芸術に満ち溢れていた。
私がいたオレゴンの田舎の高校では、適当にスポーツや勉強をやってバンキットに出て終わりであったが、権力の中枢とは何かをワシントンDCでは示していたのだ。
風のインビテーション

ホメーロスのイリアスは「理想の男」を描いていたが、歌うのは当然「女」となり、さらには「処女」となっていた。
この曲は本物の処女が歌っている。ガン牌に聞くんすよ。と言って、パチンコのメトロノームやマージャンに用いる「ガン牌の小野」もいた。
秋色協奏曲

「聖母マリアを信じるか?」
それは「セックスからの遠さ」を意味する問いかけであった。
ベートーベンの交響曲第七番は聖母マリアと真剣勝負の関係をモチーフにしており、ナポレオンよりも自分の方が皇帝にふさわしいと信じて疑わなかった。
これから、横浜DeNAベイスターズの試合の40分前からこの曲を流そうかな。
のだめカンタービレなどがこの曲を取り巻くドラマとして知られている。
ベートーベン 交響曲第七番

「10人目の選手」としてのベンチやフロント、ファンはこのようなことを考えており、神社・場外馬券売り場、レストラン、美術館など様々な場所からファンは球場に集まってきた。
バークレー音楽大学が演奏し、カリフォルニア大学バークレー校がこれをドジャースの勝利につなげた。
どの「処女芸術」もベートーベンの交響曲第七番に「ガン牌」「メトロノーム」でかなわなかったため「ガン牌の小野」も、「評論家の数が違うのかな?」と首をかしげていた。
ベートーベンがあればマドンナもマイケルもいらねえな、一党独裁はこのように成立しうるが、そのためには「証明」が必要であった。
瑞金から延安までの「布教活動」は今でも伝説になっているし、「長征」の物語は、「沼地を手と手を取り合って眠った」などと大げさに語られている。
毛沢東の出生の秘密が「ベートーベンの交響曲第七番」にあった。

5c1e0a28fab9403eb1695fcb233f7054 ラザロ ゴスペル

聖ラザロにお祈りしても「願いは叶う」とも言われ、「イエスの友達でも同じか」というリアクションが世界で引き起こされた。
大日如来はアリストテレスの友達であった。
真言宗の論理は理解できるものがある。
これも「ラザロは与えることを知っている人だったからな」と、ガン牌の小野は首をかしげた。
これならば、二大政党制でも一党独裁でもないではないか?
芸術が政党を決めるのであり、メジャースポーツに絡まない政治家はいない。
マドンナとマイケルのアメリカ二大政党制は、ベートーベンやラザロと言った芸術作品によって「これもメジャースポーツに有効だ、あれも有効だ」という論争になり、少なくとも宗教は多元化した。
「処女」の予言能力と「恋」という軸は維持しつつも資金力は多元化したのだ。
さらには「日本の銀閣寺みたいな木造二階建てに住んでいれば夢は叶うのではないか?」と世界で噂になるほど、日本人は世界で夢をかなえてきた。
木造二階建てを購入すると、「車がどんどんバージョンアップしていく」のである。
中国人は、成田空港から成田エキスプレスに乗って、「延々と続く二階建て住宅」を呆然と眺めていた。
メジャースポーツにおける「予言」は女子高生や主婦層にとっては「上からの革命」であったが、「子供の虐待の防止」は下からの革命である。
上からの革命は日本銀行を豊かにし、下からの革命は財務省を豊かにする。
しかし、ベートーベンの交響曲第七番を聞く子供、イエスの友達・ラザロ、二階建て木造建築などは「だったら革命でも何でもねえな」という反応を引き起こした。
また、周囲に誘われて気が進まないけどベートーベンの交響曲第五番を聞きに行ったら、むちゃくちゃ運気が上がったという人もいる。
カラヤンはそのようにサブマリン的に信者を増やしていったのだ。
ベートーベン 交響曲第五番

ハーバード大学はそのような「運がいいだけのイエスの友達(ラザロ)」ばかりだった。
イギリスは「もっとも運気が上がる」ユニオンジャックを国旗として提示したが、日本国の「日の丸」の方が運気が良かった。
国旗国歌法を作るのには時間はかかったが。
君が代

 

0e11e5f950364b21b7e1cf161fa54345 ゲルニカ 歌

誰かが、「ピカソのゲルニカを見ると運気が上がるんすよ」と言ったときに、メジャースポーツは「もうマドンナやマイケルの時代じゃねえな」と言い始めた。
まあ、「女から遠ざかって、処女に憧れた」というピカソの個人的な事情もあったであろうし、ラザロの場合は「運が良かったからイエスの友達になれた」ということもあっただろうが、芸術は運気を上げるとして、絵画の値段を一気に釣り上げた。
テレビが生み出すマネーもこれを理解しないとなかなかスポンサーはつかないだろう。
芸術はこのように「阿弥陀如来さま」=女子高生を取り巻きながら複雑に発展していった。

ルターは、阿弥陀如来に代表される「女子高生」の現状を赤裸々に語った。
「男性崇拝」を基本にしながら、「夢がぶつかり合っていて柔軟性に欠けること」や、「母とのライバル関係」「父親とクラスメートの男の子の比較の問題」などをSPEEDによって歌にしたのだ。
ノンケの女子(神の長い巨乳女・ソウル)と、レズビアン(貧乳女・神の短い女・ボディ)の存在を指摘し、ボディがソウルを「いじめている」ということも明らかにした。
SPEED Body&Soul

「行き交う人もまた罪人なり」
いつもの仲間も、令和天皇ほど賢くはなかった。
クラスの中心でみんなでワイワイやっている連中は「オカマ」「両刀遣い」「レズビアン」であり、それに気がついて「変わり始めている私」がいた。
SPEED Steady

「神」とは貧乳女が語るものであった。
その貧乳女(レズビアン)が、みずから「いじめ」をやるものだから、巨乳で髪の長い女は「いいも悪いも興味がな」かったのだ。
SPEED Go Go Heaven

「縁起物」の女子高生たちの「論理」を明らかにしたのがルターであった。
オカマや両刀遣いはSPEEDには興味がなかったが、多数派は実は「ノンケ」だったのだ。
SPEEDは一気にブレイクした。
女子高生であったSPEEDは、ファンとともに「運気が上がる」のを感じた。
女子高生サークルの間でも、巨乳で髪の長い女はいじめられるが、貧乳女の「神」や、髪の短い女からのいじめよりも「男運がいい」ことを知った。
SPEED Wake me up

SPEEDは、いわば「ジャックリーの乱」「ワットタイラーの乱」とも呼べるものであり、巨乳で髪の長い女たちが「ノンケ男の支持を受ける」かたちで進められたものだ。
ルターは、ノンケでSPEEDを支持するものは政治家に、性倒錯は官僚へと誘導した。
「仲間とは違うサイン」
それは、思春期の頃には多数派を演じていた「性倒錯」が、後退していくことを意味したし、SPEEDは、あくまでも、ノンケの男女を支持基盤とし、トロツキーの「下からの革命」「子供の虐待防止」「クリスマスのお祝い」とも結びついた。
SPEED White Love

女子高生の「男性崇拝」(宗教)をここまで強烈にアピールしたユニットはなかったし、大人たちは自分たちに「お辞儀」をする女子高生に「運気」が上がることを感じた。
ルター派のすべてがうまく回転し始めるのを感じた。
SPEED My graduation

ラザロ(イエスキリストの友人)にとって、青年ルターの「焦燥感」だけを見て、あまく見ていたという事実がある。
ルターと女子高生の「必要十分条件」(相思相愛)が成立したのが青年ルターの焦燥感なのであり、それに気がつかなかった者たちは「ルター」(令和天皇)よりも俺の方が頭がいい、と大変な勘違いを犯した。
SPEED Alive

性倒錯官僚機構に「ルター派」は決して浸透しなかったし、運気が上がるとお勧めすることはできない。
ルターは焦燥感を脱したら、ビッグマネーを手にした。
焦燥感だけを記憶していたラザロは、ルターのビッグマネーを手にしたいと考え、周囲にバカにされたが、ルターは「ラザロ騎士団」として生活保障をするだけの寛大さがあった。
SPEED All my true love

本来マイノリティの「性倒錯」「官僚機構」は平成の時代に「ノンケの撲滅」を試み、ノンケたちは株価の下落(日経平均株価7千円程度)に悲鳴を上げていた。
ところが「小野光太郎は焦燥感を乗り切った」のである。
SPEEDは、1999年に、小野光太郎の「ノストラダムスの大予言」を目の当たりにし、もうやることはないとし、解散を表明している。
ITバブルが到来した。
ところが、アメリカの通信産業の規制緩和の成功を目の当たりにしたプリンストン大学の研究員・竹中平蔵は、インターネットの世界を「恋」「民の力」に委ねた(新自由主義)。
そのキャッチフレーズは「政治家に任せても官僚に任せても駄目になるのならば、民に任せて駄目になろう」というものであり、令和天皇が到底容認できるものではなかった。
令和天皇は「神(天皇)の見えざる手」を行使し始めた。
どの政党も「官僚叩き」に大忙しであったが、令和天皇は「予算の獲得方法を指導する」というやり方で官僚機構と向き合った。
性倒錯を叩くノンケという図式は、大人社会ではウケるだろうが、それだけでは国家統治の全体像は見渡せないのだ。

ルターが哲学に与えた影響力は強く、とにかく「髪の長い巨乳女」の心理がいちばん「儲かる」ことを証明したため「グラビアアイドル」の定番も確立した。
なにしろ「心」が一番わかりやすかったし、セールスも伸びた。
官僚機構の研究は「ヘンタイの惑星の恐怖」などという物象化論という世界になり、主流はノンケであることも明らかになった。
物象化論は「官僚などの権力をいじめる方法」として研究が進んだのだ。
SPEED I remember

女たちに「精液とは美しいもの」という認識が広まり、青年実業家は常に「AV男優」として会社の資金集めを行い起業した。
カネと女が集まってこその会社であり、女が受付にいて、内部でAVを作ろうが、阿弥陀如来さまに祈ろうが、ビジネスとして成り立ったのだ。
起業したばかりの会社は「売春宿」と皮肉られたが、精神医学(錬金術)を知らなければそれ以外に「おカネになる理由」はなかった。
会社がうまくいけば献金して「罪の告白」をすればいいだけだろう。
「妻を犯した」などという平社員などカネにならない。
もっと多くの罪を犯した「政財界の大物」がカネになった。
牧師も「女は欲望と交換の対象である」という具合に、政財界の大物にうまく語りかけなければならない。
おのずと「口を割る」のが男というものだ。
「ツーシーターで彼女を夜明けの海に連れていくのも簡単だ」
SPEED Lovely friendship

神道の側は「天照大神」を前面に押し出し、巫女会を作ったし、キリスト教は「イエスキリスト」を前面に押し出し「エンジェルチャペル」を作った。
仏教は「サクヤ会」を作った。
エキュメニカルと呼ばれるものは「処女の支持基盤を持つ」というビジネスの方法であり、起業家はそもそも「学校」などの文部科学行政と癒着していなければならなかった。
AV男優出身という悪口も言われなかったし、「怖いバカ一代のオヤジ」と言われなくて済んだ。
いろんな「起業の形態」はあった。
発起設立と募集設立である。
発起設立は文教族がやることであり、募集設立は「街でのナンパ」から始まるものだ。
いずれにせよ、金融(精神医学)のドイツと、大企業のフランスは国を分けざるを得なかった。
エキュメニカル(女子高生パワーに頼る資金集め)が、ルターによって行われ、ドイツという国を作った。
フランスは「AV男優出身の起業家」が、カトリックに多額の献金を行うことから成り立っていた。
ドイツとフランスは常に戦争をしていたし、イタリアには職人が集まり、オランダには農場が広がり、ヨーロッパのかたちができてきた。
日本国は「韓国と仲良くし、その向こうにヨーロッパを見なければならない」国であり、アメリカ合衆国や中国とは本来仲が決していいものではない。
それは「お国柄」というものである。
「ヨーロッパを深めれば日本という国が分かる」「その入り口は韓国にある」ことを理解しなければならない。
韓国で躓いているうちは世界の指導者にはなれないのだ。
韓国に指導を仰いだ起業家は多い。
韓国の方が「ヨーロッパとは何か?」を理解するのが早かった。
「気象コントロールを学習する必要性に駆られていた」からであろう。
SPEED 熱帯夜

さて、カントの登場である。
「AVだけではメジャースポーツには勝てないよ?」
この一言が重く響いた。
エキュメニカルを基盤に女子高生に祈らないと勝てない世界が成立したのだ。
カントは「募集設立」つまり、街で女の子に声をかけてAVを撮影するという起業の方法を痛烈に批判した。
発起人組合というものを概念しながら引き受けられる債務を明らかにし法人というものを作っていくが、債権はAVや文教を基盤に明らかであった。
しかし、「新しい仕事を見つける」と債務が生まれざるを得ない。
引き受けられる、この仕事ならうまくいくと考えたら「法人格」を得て、利益を翌年まで持ち越せるようにし、子会社をどんどん作っていった。
オックスフォード大学が「ヨーロッパのすべてが分かった」とし、イギリスの「EUからの離脱」を考えたのだ。
今でも、ヨーロッパは「日本国の友人」であり、ビジネスの基本を教えてくれた恩師である。
日本国に「モーニング娘。」が誕生した。
神道である。
処女非処女論争をネットで行いながら、日本国の青年実業家に「募集設立したならば女の子をアイドルに」ということを教えた。
日本国にある外国製品はすべてWTOルールにしたがって輸入したものだ。
イタリアのブランド物もあれば、フランスの水もある。ドイツの車もある。韓国の家電製品もある。アメリカの車はない。
信用できる友人かどうかはWTOルールがそのまま示していた。
「永田町がビジネスを分かってくれない」
永田町の官僚化が進行していた。
官僚ってのは「性倒錯貧乏人がなるものなんだよ?」
田中れいな 愛の炎

ここで「官僚派」と「党人派」の違いを指摘しておきたい。
官僚派は、官庁同士の人材交流から「文教」とのつながりを持っており、発起設立に向いている。
党人派は、「女子高生の基盤」を持たず、「AV男優」から始める募集設立に向いている。
どちらにせよ、「官僚派と党人派のはざまで」女子高生をどのように扱うべきかを論じたのが「神道」である。
「犯される!」
このことから女子高生たちは団結し、巫女会を作ったのだ。
亀井絵里 片思いの終わりに

女が神に失望するときというのは「女嫌いの男に会った時」と「レイプに遭った時」だけだ。
そこで、レイプに直面すると「世界に終わりが来てしまえばいいのに」と考えてしまう女がいるのではた迷惑なのだ。
このことから、巫女会というものはできている。
そこで、そのような女の社会復帰のために「車」を用意した。
「私を助手席に乗せると、カローラもフェラーリに化けるわよ?」
このあたりは、インドチベット仏教の世界戦略を、神道も借用している。
「八百万の神」それは「車の部品の数」を言い、ナポレオンのキャリアの原動力は「量子論」であり、ミジンコみたいな人間、であり「恋」であった。
ナポレオンもマイケル・ジャクソンとなんの代わり映えもせず、純潔妻と予言をうまく使い分けただけであった。
モーニング娘。愛車ローンで

神道の、愛国心と関わった世界においては、どの男の子も「女を邪険に扱った記憶を持っていた」のである。
「個と公の明確な分離」「政策からの女の排除」が儀式において進行し、宮司さんは「ポリシーメイクは天皇の専権」と位置づけ、天皇の「女性観」をそのまま教義とした。
あくまでも、「どの神道系の男の子も女をキックダウン(邪険に扱った)したことのある愛国者である」ことからスタートしていた。
「それがカッコいいと思ったけど嫌われた」
このことから「天皇を師と仰ぐ」基盤が生まれた(八百万の神と愛国心の問題)。
晴れた日のマリーン 後藤真希

若き日の「愛国心という過ち」を、風流無譚事件において、16歳の少年が「中央公論社社長宅を襲撃し二名を殺害」した事件においては「昭和天皇の女性観ではこの少年の矯正は困難」とし、逆送および起訴を認めるという天皇家の屈辱が判決で下されている。
これを目の当たりにした西原博史教授は「人格的統治者とは疑わしきもの」と少年に慰めの言葉を送っている。
どの子供も「権威に頼りたい」と考える年頃はある。
野球もサッカーもできなければそれは「愛国心」へと向かわざるを得ない。
しかし、その子供の「矯正」も天皇の仕事となっていることを司法当局は認め、天皇とは「男がなるもの」「誰にでも務まるものではないもの」というハードルを設けた。
人間同士が同じ力で押し合うことの困難さを理解していなければ天皇は務まらない。
このあたりから、アベノミクス三本の矢の一つである構造改革も私は起案させてもらった。

女たちは、仲間に「男」が加わると、ボディ(レズビアン)を「子」とし、ソウル(ノンケ)を「父」とする習性を持っている。
セックスの時に痛がったり、貧乳をみせるのを嫌がったりする女の子を「子」とし「男」=聖霊の前に立たせるのだ。
これも女の自己防衛なのだろう。
「父と子と聖霊」を「男と勃起と女の癒し」としたのがフィリピンカトリックであるが、女社会では「勃起はみな同じ」という考えが根付いていた。
痛い・快楽はみな同じであったからである。
しかし、フェラチオしか求めない男もいる(オカマ)。
パートナーにするのならばそれは問題であるが、社会においては「勃起するかしないか」しか見えなかった。
名前も聞かずに「穴があったら入りたい」のがオカマである。
名前を聞いてきたのならば「ノンケ」だと分かる。
渚のピテカントロプス 酒井法子

レズビアン女が「しゃぶる分には痛くない」として「サイズ」を言いふらしたため、男の側も「アーッ!知性が私の中に入ってくる」という女の発想を見失っていた。

女が、「彼、子供過ぎんのよ」と語るだけで、口でしゃぶりに女が寄ってきた。
フェラチオとは「会話」である。
「子供と話したい」
女はそう思ったのだろう。
レインボーピンク

ここで「エンジェルチャペル」(貧乳)、「巫女会」(神が短い)、「サクヤ会」(髪が長く巨乳)という一応の区別は可能である。
セックスできる体に「するな」というつもりはさらさらない。
それでも「祈り」は通用するからね。
「神の短い女でも貧乳女でも、知性の前には、ちんちんを欲する」ものだ(10%の女性)。
足先から頭まで、なぜ高いヒールを履くのか(唇が自分よりも上にある男を女はカッコいいと思うこと)と、髪の長さの理解度までを満たすのが哲学であり本ブログの趣旨であるが、哲学を語れば女はエンジェルチャペルでも巫女会でも「落ちる」と考えられている。
SPEED Confusion

しかし、巫女会(神道)には、可愛らしいショートヘア女はいるが、仏教(サクヤ会)よりも難しい。
場合によっては、キリスト教(エンジェルチャペル)よりも難しいかもしれない。
どうしても痛がる女には、ヒスロン、プロベラ、ルトラールという薬を処方するしかない。
孫子の兵法においては「もつれた戦いにおいては高くて狭い道を制するように」とある。
戦をするうえで、将軍(天皇)は常に「巫女会」を念頭に置いている。
いちばん「高くて狭い」のがショートヘアの女だったからだ。
また、余談であるが、兵法の歴史の中でも「曹操ほど速くて広い」展開能力を持った将軍はいなかったとされている。
「女」を語るのも戦である。

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さて、ここで、タージ・マハルについて触れておきたい。
ガンディーやタゴールが「ヒンズー教」というものを作ったが、国家元首となった自分が一番手を焼いたのが「ブラザー」(兄弟)の存在であった。
兄弟というと「音楽を共有する」「マンガを共有する」などの特徴があり、私のように「音楽作品」を仕事として扱うとなると、時には兄弟に教えられた音楽作品もあったりする。
逆に、私が、秋篠宮に教えた音楽作品もある。
秋篠宮が「オタク?」そりゃ運気が上がりそうだ。
兄弟は、音楽作品という「素材」を共有しているという意味のいては「資金力は同じ」と考えられた。
光太郎さんほどの学歴がないため、見たこと聞いたことすべてが運命。
それが秋篠宮家のアイデンティティである。
ベートーベンの交響曲第五番のオープニングからライブが始まった。
「目の前にあるものすべてが運命」「言葉数が少ない」「人気が先行し、あとは減点方式」
秋篠宮家の「資本・株式」(男・女)を自在に操ったのは光太郎であった。
Melody 運命95

同じ「兄弟」で同じ音楽作品を聴いていても、「キュレーターとしての才能」(学歴)の違いだけで、天皇になれるかなれないかが決まった。
兄弟というのは本来、このような「笑顔」で見守られるものであった。
眞子ちゃん、佳子ちゃんという「姪」もいた。
秋篠宮に足りないのは「周囲からの悪意」であった。
「ブラザー。売ってっくれよ。喧嘩」
アイドルグループ「Melody」は、シェークスピアの研究から作られており、作品を作るための資料はサザエさんと全く遜色のないものであった。
Melody 世界中の頬御笑みを集めてもかなわない

眞子ちゃん、佳子ちゃんが歌っても「運気が上がる」効果が明らかになったため、彼女たちは「本当は処女なのではないか?」と噂になった。
Melody 少し自惚れて

眞子ちゃん、佳子ちゃんの「ご利益」が有名になり、秋篠宮一家は「タージ・マハル」という居場所を見つけた。
Melody Oh Please

愛子さまも、お父さんが光太郎の「兄弟」だったため、この曲を歌った。
西田幾多郎が「皇族はみんな処女」と言ったが、もう「昔の愛ちゃん」はどこにもいないことを悟った。
雅子さんの方が案外「おおらか」であり、紀子さんが「モンスターペアレント」だったのかな?とみんなが噂し合った。
Melody 青空をあげたい

女の子たちに宿題です。
彼氏と別れても、女が「忘れないでね」と思うことはあるでしょうか?
忘れないでね 田中有紀美

「二度と思い出したくない」
そんな別れ方ばかりではないだろうか?
「カップルを取り巻く男友達や女友達が減った」りすると、カップルは「発信力」を失い、「すれ違い」が多くなる。
「愛」の真逆の感情が「憎しみ」である。
友情というものも「対等であること、楽しみの共有、認め合うこと」などが条件となってくる。
100%の雨が降る 酒井法子 

「女の方から別れを切り出せば傷つかない」とも言われ、さらには、ヒントとして「人間は不完全だから愛し合う」「絶対がないから出会いと別れを繰り返す」ことを指摘しておきたい。
「絶対」とは、すべての女に通用する口説き文句であり、おカネとは「金額が数えられる、女が買える、すべての女に通用する」というものであることから、絶対というものは「おカネ」でもありうる。
「よく覚えている」というのは節税効果をもたらし、「忘れないでね」というのも同様である。
仕事をしていておカネのある男は、知り合いの男女も多く、そこで「女から別れを切り出す」と金銭面で両者ともに破滅しなくて済む。
男から別れを切り出されたら、女はひたすら泣くしかない。
「仕事」対「女ネットワーク」の戦いがなされていたのだ。
男も女も「社会から何かを家庭内に持ち込む」ものである。
どちらも、引きこもっていてはいけないものだ。
斉藤由貴 情熱
「肉を食べなければ恋ができない」「対等でなければ男女は愛し合えない」などから、自分たちが「さま」と呼ばれている現状も娘たちに語り合ってもらいたい。
あなたよりも愛していたい 国生さゆり

ブルゾンちえみ キャリアウーマン 

民法学の世界においては「平井陣営」というのが知られており、「仕事の複雑性から給料の違いが生まれる」ことを率直に認め(裁量)、それを恋愛論に持ち込もうという発想もある。
真夏のフェミニスト ribbon

 
「恋」「女ネットワークの構築」と「おカネ」を連動させるものであり、強い論陣を張っているが、「おカネ目当てではない」という女も中にはいる。
しかし、ここにも「絶対」「口説き文句」=おカネという発想は入り込まざるを得ないのだ。
「仕事の複雑性」=「口説き文句を考えること」とすると、平井陣営に分があるだろうか?
SPEED Deep blue&Truth

大阪パフォーマンスドール Carnival 3:50から

松井須磨子 カチューシャの唄

カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と
神に願いを(ララ)かけましょうか
カチューシャかわいや わかれのつらさ
今宵ひと夜に 降る雪の
あすは野山の(ララ)路かくせ
カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
同じ姿で(ララ)いてたもれ
カチューシャかわいや わかれのつらさ
つらいわかれの 涙のひまに
風は野を吹く(ララ)日はくれる
カチューシャかわいや わかれのつらさ
ひろい野原を とぼとぼと
独り出て行く(ララ)あすの旅

 

聞き取りづらいのであえて歌詞を全文記したが、「わかれのつらさ」と言っていることから、「男から別れを切り出した」ことが分かる。
さらに、「神に願いを」と言っていることから「靖国神社あるいは厚生省に報告した」ことが分かる。
「野山の路かくせ」と言っていることから「戦争で死んじまえ」と言っているのが分かる
今までの文脈から言うと、「仕事」を持っている男に振られた「女ネットワークの少ない女」が「厚生省に通報する」のが「赤紙」の仕組みであることが分かる。
「サクヤ会を大東亜共栄圏に広める」というのが第二次世界大戦の趣旨であるが、松井須磨子はおそらく「処女としての予言」に用いられたであろうし、「阿弥陀如来信仰」と結びつき、大日本帝国軍の「徴兵制」と深く関わり、その「強度」とも密接にかかわったものと考えられている。
「赤紙」は「ノーブルレッド」と呼ばれた。
ノーブルレッドの瞬間 国生さゆり

サクヤ会は明らかに南部仏印を見ていたし、巫女会は「中国朝鮮」を見ていた。
内閣総理大臣の靖国神社参拝は「中国韓国」を見据えたものであり、サクヤ会が「黙っては」いなかった。
中国韓国も、ベトナム・ラオスなどの国々や、南シナ海の問題を抱え、今だ存在する「巫女会」「サクヤ会」を刺激したくはなかったのだ。
小泉今日子 魔女

さて、同じ文脈で、男の「仕事」対「女ネットワーク」がパートナーには存在するが、男は「ひとつ」と言い女は「ふたつ」と言うということが指摘できる。
人口が二倍ならば「繁栄は三倍」(リカード)とも呼ばれ、女が「ふたつ」というところに「愛」の根拠を見出すことができる。
「CIAの起源」
サマーラバー大作戦

男が「何を想像して喘いでいるか?」に興味を持つのが「愛」ならば、男は「女を愛するほど弱くはない」とされ、それでいて、女は「男を愛していた」のである。
痛みが愛となっていたものと思われる。
ベットで情報を得ることを「デリカシー」と呼び、女は男から「情報」を引き出そうとした。
デリカシーがなくなった男はもはや「抜け殻」であった。
軽い気持ちのジュリア 酒井法子

女ネットワークに、巧妙に、男の「デリカシー」が混ざりこんだ。
女ネットワークの強度を増すために、女は「ふたつ」になる必要があったのだ。
禅というものは「ふたつ」から「ひとつ」へ、そして「ひとつですらない」という経過をたどるが、「女の愛」から「デリカシー」そして「女ネットワークへ」と男の「仕事」が拡散していく様を示している。
バスルームでキャッチホン 高橋由美子

 
「仕事」というものは精神史的文脈を持ち、他の男の「仕事」の方が面白いと、男は抜け殻となった。
「オックスフォードなんて入ると親が離婚するよ?」
そのように噂になったのが、「ふたつ」=女の愛と、「ひとつ」=デリカシー、さらには女ネットワーク(ひとつですらない)であった。
これはあくまでも「サクヤ会」(仏教)の論理であり、エンジェルチャペルや巫女会は「処女としての予言能力」を資金源にしていた。
男は、2万3千円の「日経平均株価」(セックス代)を言葉で支払っていたのであり、CIAと作家は密接に結びついた。
「女の話」が諜報と呼ばれ、「男の話」が文学と呼ばれた。
処女の予言能力をはるかにしのぐ「諜報・文学」ネットワークがサクヤ会にはあったのだ。 「諜報・文学ネットワーク」である日経平均株価と、「処女への祈り」(エンジェルチャペル・巫女会)に流れる富は、まさに双璧をなし、私も文学のみでは日経平均株価はなかなかコントロールしきれない部分がある。 「諜報・文学ネットワーク」はサクヤ会のものであろう。 それでも一日三兆円は動く。

 

 

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