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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2020年5月

2020年5月25日 (月)

平成天皇(上皇明仁)崩御。

人は死んだら、今までの敵がいなくなることを意味する。
人は「いつ死ぬのが最もふさわしいか?」はすでに「HAL1.01」に握られており、背景にはタイムマシーンが2024年に完成する見通しであることから、「お天道様はお見通し」という時代になったことを意味する。
なにか「生き生きとしたもの」を失ったら「その時期だろう」と判断されている。
私は「プロレタリア革命とは何か?」を明らかにした時に、弟を失い、「英国王室とはリベラリズムである」ということを明らかにした時に、姉を失っている。
私が「生き生きとしていた」時期に、「死に体」になっていくものたちが多かった。
そもそも、「自分のキャパシティを周囲のすべてがはるかに上回った」時に人は死ぬのかもしれない。
葬送行進曲

時代の学問が発達すると、「ついていけない」という人は命を失う(昇天)。
実績がなければ死に近づく。
私は、東大法学部に合格していたから、教科書の山にかろうじて正気を維持していた。
平成天皇は、私の「座禅」の研究の公表により、「呼吸を失い、循環器を失い」「脳細胞が死んだ」のである。
「祈りを知れ」「人脈に巻かれろ」
敵うはずのない敵と戦うと「死」しか頭に入らなくなる。
どうだ?アメリカイルミナティと戦うことは「死」を安らぎの場とし、日本国の「アメリカ化」を推し進めた。
平成天皇は、これと戦い、安らぎの場を見つけたのだ。
マルクス、フロイト、カントと戦うことは、「死」という概念を変えた。
モーツァルトは、フリーメイソンだったが、モーツァルトすら、その死は「安らぎの場」であり、遺体は穴に放り込まれ、石灰をかけられて終わっている。
アマデウス映画より モーツァルトの死

時代の学問は「女たちにも分かるもの」でなければならない。
男社会だけで成立している学問ならば、政敵を排除することはできない。
織田信長は、「死に有害性はない」としている。
デカルトの頃の人物であった。
女たちの支持を得るのがうまく、「主婦層にモテるのならば」と言って実母は信長の弟を可愛がった。
「飲め、お前が飲め!」
つまり、「俺の知識を飲み込め」と言ったのだ。
大恋愛とは何か?
女が、別の女の彼氏を部屋に招き入れ、「返さない」とドアの前に立つ、そのような「命がけ」の連中(エピクロス派)が、「死んでもいいと思った」と言って、我々の「死の概念」をも変えていった。
「大失恋とは何か?」すら分かったからだ。
瀬能あづさ I miss you

我々は、2007年のアメリカイルミナティの世界展開を受け、令和天皇を生み出し、その敵を排除してきた。
「死とは不幸なものなのか?」
早すぎる死だけが不幸なのだ。
不老不死の方が不幸である。
私も、試行錯誤しながら、時には多くの「誤訳」をしてきており、その間違いは後の世で指摘されることもあるだろう。
しかし、そのことを「幸せ」と考えなければ、肉体が朽ちた後にも「言葉」が残り続ける。
「真理を語るものは、死んだ後にも敵が残る」

 

2020年5月 9日 (土)

AKBを愛することと仏教。

松田聖子やribbonのように「女が描く男」は気温を下げるが、AKB48のように「私たちはどのようにして女になったのか?」を描くと「とにかく暑い」ことは理解しなければならない。
このあたりに「気温コントロール」のツボがありそうだ。

色(写真集を見る)。
受(握手をする)。
想(CDを聴く)。
行(匂いを嗅ぐ)。
識(おいしいものを食べる)。

この五蘊は、AKBグループを愛するための基本である。
全身の神経を研ぎ澄ませて、AKBと握手をし、右手でチンポを握る。
さらには写真集を見て、CDを聴いて、お香を炊いて、うまいメシを食う。
お香は、香水でもいいが、射精をしたときの「匂い」の研究から男性用香水は作られている。
さらに、AKBの音楽作品の評論をし、二次著作権を手にしたらおいしいものが食べられる。
AKBグループや、坂道シリーズの「神推し」は十分に採算の取れる職業だった。
「鉄」というものが恋愛の世代を下げる効果があることから、「処女を守る女の子」を鉄鋼ビジネスに紹介するのだ。
フラゲというよりは、サンプル品が送られてくるようになる。
これが、贅沢な「AKBの楽しみ方」である。
AKB48 フライングゲット

今年のハロウィンは特別だ。
10月に、大統領候補の主催でハロウィンパーティーをやって出会ったカップルが、1月の月を夜間森林デートで見物することができれば、大統領に当選するからだ。
どの大統領候補も、「若いカップル」しか見ていなかったし、「愛の言葉」を教えたり、「あの大統領候補はすでに結婚しています」と女の子に言わせて、「告白」の機会を与えていたのだ。
ハロウィンナイト AKB48

どの女の子も、「お父さんがAKBファン」「五蘊をやっている」だけで顔がAKBに似てきたし、お母さんがお酒を飲むだけで、胸がデカくなった。
お父さんの「恋の評論」がうまければ、女の子は体がスレンダーになった。
娘にとって、お父さんは「恋の先生」だったのかも知れない。
Teacher teacher AKB48

一番人気のAKBメンバーは、握手をするときの「圧力」を考えている。
適当に手を触る程度ならば、何様感が拭えないし、思い切り握るのも欲張り感が出過ぎる。
「チンポを握るときはこんな感じ」
これを握手の時に実践できるメンバーだけが生き残った。
五蘊を理解しないとAKBの選抜になどなれないのだ。

握手した時に、手が湿っているという指摘はしてはならないが、「温かい手」「冷たい手」ぐらいの感想はAKBメンバーも口に出して言ったほうがいい。
ファンも、自分の脳が、AKBメンバーの脳とつながったことを感じるからだ。
歌にたいした意味なんてないのがカルヴァン派の特徴だ。
膨大な曲があるが、すべて「五蘊」を理解しなければ、分からない世界なのだ。
これが「恋」というものだ。
恋するフォーチュンクッキー AKB48

また、握手は英語で「シェイクハンズ」と呼ばれるように、多少、上下にシェイクした方がいい。
握手をしたときの刺激が違うのだ。
あとは、「男の都合」があるからおカネを払っているのだ。
ユングやフロイトを「もっともよく理解した」優等生がAKB総選挙で上位にくる。
今年は緊急事態宣言があるため開催できないが、また、総選挙やらないかな。
ユングやフロイトの場合

そもそも、男はなぜマスをかくのかを理解しなければならない。
「女職場に溶け込みたい」
これがAKBの人気の秘訣だった。
それならば、秋元康氏も、「女の事情」を歌にしてきたし、たとえば「女同士は友達の紹介する男はイケメンがいない、ハズレくじ」
などという「女の事情」をよく理解しなければならない。
女同士で「認め合う」ために、わざと男のスペックを下げているのだ。
ノーカン

AKB新聞で、「ユングやフロイト」の授業つまり「女の事情」について、丹念に読むようになるのは握手をした後だろうね。
そもそも「ユングって誰?」と思うだろうが、兄弟にお兄さんがいる女の子は「胸が性感帯ではない」つまり、「胸を大きく開けた服を着ている」とした人物であり、
フロイトとは「思春期に女の子がおちんちんがないことに気がつき、鬱になる」ことを指摘した人物だ。
「で?」
と思うだろうが、AKB新聞を読みましょう。
檸檬の年頃

 
プロレスに関して語りたい。
基本的には「男が仲間を作っていく過程があり、版権をスポーツ新聞などにオープンにせずに、週刊プロレスだけが版権を握る」という構図が必要になる。
カネを盗むことは悪いことだ、これだけを教えたいためだけにプロレスをやるのだ。
そのためには「カネ返せ!」と叫ぶ必要がある。
また、「カネを盗むことは悪いことだ」ということと「神を信じている」ということを結びつける必要がある。
さらに、仲間を増やしていく過程で、金持ちになり、女性たちの取り巻きが増える必要がある。
それでも「敵わぬ肉体」が新日本プロレスには存在する。
カネを持っていて、仲間が多くて、女にモテても、カネを盗まれても、「敵わぬ肉体」があるのだ。
そこからが勝負だ。
カネを返してもらうために「あらゆる反則」を繰り返し、仲間・カネ・女と「肉体」との戦いが始まる。
最後に、「文」と「武」が一騎討ちになり、「武」が勝つのは格闘技ならではだろう。
仲間・女たちは悲しみの中を家路につく。
それでも「文」と「武」は涼しいのだ。
サヨナラは雨の日 SPEED

「文」の人間も、青年時代にアマチュアレスリングやボクシングをかじったことはある。
そのため、時には「ダイビングレフト」のような「驚くような技」を使う。
それがないのならばリングには上がらないことだ。
仲間作り、金儲け、女の取り巻きを作るというのも「体力勝負」なんだよね。
それを「敵わぬ肉体」(武)に見せつけるのだ。
この瞬間、場内は大歓声に包まれる。
しかし、大歓声に包まれたのも束の間、ナチスのテーマが流れ始める。
左フックとナチスの戦いが始まるのだ。
女たちは「残酷なまでに勝利だけを欲しがっていた」のだ。
仲間・カネ・女に恵まれた男(文)は、武に負けて、女たちの取り巻きは、武を称賛した。
女たちとはそういうものだ。
肉体美に女たちは魅了されたし、それでも、負けた文は「リングに上がった特別な人」として失うものは少なかった。
筋肉だけではソビエトには敵わなかったナチス、それだけは人類およびプロレス界の資産となった。
プーチン・ナチスへの勝利を祝う

AKB総選挙に「鉄鋼マネー」などの富が入ってくる。
それはつまり、「誰が人気投票一位」なのかではなく、総選挙の日には、男たちの隣には彼女がいて、総選挙が終わったら外食することを意味する。
AKBのメンバーも、男たちに「女友達」を紹介し、カネを流すという発想を持たなければならない。
真剣勝負が終わった後には、「カネと女」だけが残るのだ。
プロレスで「文」が、仲間、おカネ、女の取り巻きに浴びた声援を、今度はAKBメンバーが「結果を出す」ことで浴びなければならない。
ランキングの上位にくるAKBメンバーには、それを笑顔で見ているカップルが多い。
どの男女も幸せになれるのがAKB総選挙だったのだ。
喧嘩したこともあった。
しかし、そのたびにカネと女が流された。
AKB総選挙という「結果」が地上波でオンエアされることから、カネと女が男にもたらされたのだ。
投票券付きCDを買わせて、「誰が人気投票一位なのか?」というものではない。
「第3章」
それは、フジテレビのオンエアを笑顔で見ているカップルが、オンエアを見終わった後に外食できるようでなければならない。
「鉄・自動車・通信」
この業界から流れ込んでくるカネによってみんなが幸せにならなければならないのだ。
風は吹いている

AKBメンバーは、医者や弁護士などのブレーンがいたため、いろんな相談にも無料で乗った。
このような「腕」が、文にプロレスの技を磨かせていた。
「どんな悩みが今、一番多いのか?」は、AKB新聞にも書いた。
「可愛いから人気投票一位」なのではない。
多くの男に女を与え、カップルにおカネを与え、悩みの相談に乗ったから一位なのだ。
しかも、AKB新聞のセールスも伸びた。
AKB総選挙は、明らかに「第3章」を迎えていた。
25歳に満たない男女は、「選挙に求めるもの」が国政選挙とは異なる。
いじめなんてものは「ガリガリ君」をおごれば解決するだろう。
AKBが主に問題にするのは「スクールカースト」かも知れないし、自らの支持基盤も学校にあった。
「スクールカースト」ができる以上、カネと女の話にすでになっているのだ。
さらに、「恋愛禁止」の扱いはカルヴァン派である以上、維持しなければならないだろうが、それでも「恋の話」は音楽作品を通じて率直に語らなければならない。
AKBメンバーはいずれは参議院議員になるのだ。
「繁栄・処女・高貴さ・競争」+いじめの世界を生きているからこそ、その「肉声」を人々は聞きたがった。
アボガドじゃねーし

「可愛いだけで、これほどの仕事ができるのだろうか?」
AKBが、参議院議員の予備軍だとするのならば、当然、「学閥」ができざるを得ない。
もちろん「仏教」である以上、「美人」というのは当然の条件ではある。
しかし、AKB総選挙「第3章」は、何様感の拭えないアイドルの世界に新しい風を吹き込むことにはなるだろう。
「大学では恋愛論を教えるんだ」というスタンフォード大学ジャパンで学べば、原油マネーも流れ込んでくる。
「オフショア市場はロンドンだけのものじゃねえぞ」
東京証券取引所もユーロダラー(原油の決済マネー)に強くなる。
鉄・自動車・通信・原油のマネーを、若者たちに引き込むのならば、間違いなく「神セブン」だよ。
スタンフォード大学ジャパンで何を言っているのかを、AKB新聞で率直に語ってくれ。
芸能界が国を作るのは事実である。
しかし、「神セブン」にはそれだけの力がある。
少子化を食い止めるのはAKB総選挙しかなかったし、時には「女子プロレス」もやった。
もちろん、スタンフォード大学がAKB総選挙を見て「こうすればいいのにな?」と思ったのは2017年のことであるため、第1章、第2章のヒロインたちには敬意を払わなければならないね。
ツチノコは、見つからないということは「探してはいけない」ということなんじゃないでしょうか?
1980年までは「どの女の子も」そう思っていた。
女が目の前に「いる」ということに、MAX3万9千円かかったこともある。
タクシー料金からしてべらぼうだった。
最も安くて7千円だったが、企業の業績や芸能界はどうなっているのかね?と言われた。
芸能界の動向を見て、みんなが「仕事をしているふり」をしていたのだ。
いまだにAKBグループは、各企業に「仕事」を与える力量を持っている。
女がそこに「いる」というのは2万円程度が無難なのだろう。
渡辺麻友

ネットで知り合った女と「2ショット写真」を撮るのに2万円かかるんだよ。
「ツチノコは探してはいけない」という時代には3万9千円かかった。
(日経平均株価)
平成の7千円という時代に比べれば、芸能界はまだ安定している方だろう。
しかし、中年世代に「ベトナム戦争の論理」を教えて「親のカネ」を引っ張ってこさせたり、若者世代に、鉄・自動車・通信・原油マネーを引っ張ってきたら株価はもっと上がる。
すべては「AKB次第」ということだろう。
基本的に、東京大学であろうと、スタンフォード大学ジャパンにせよ、「一番いい先生を選んで生きよう」と思わなければ、「どこかで筆が止まる」ものだ。
それは、指導者としては明確に「弟子の足を止めてはならない」ということは理解しなければならない。
「バカの壁」にぶち当たったら、おカネの流れも止まる。
アナウンスは「不要不急の外出は控えるように」と言っているが、地元の市長さんが「バカの壁」にぶち当たって、資金繰りに困っているのだ。
知的水準で「カネの流れ」は分かる。
「コロナウィルスは食べ物飲み物の問題」であり、それを踏まえて「蜘蛛や蜂への免疫の問題」ということを私は明確にしている。
国の中枢が、当選したら「バカの壁」にぶち当たって資金繰りに困っている。
ニュートンが「原罪は月まで届く」ということを明らかにし、女を口説く方法を、「哲学」としてからは、どの哲学者も「ニュートンに新しい言葉を加筆していく」という方法をとった(構造主義)。
マクスウェルの電磁場の研究にせよ、「惹かれ合う男女」の研究だった。
エアコンの技術屋も「作った人は偉いと思う」と言っていた。
ニュートン以来、「教科書の世界」と「現実の男女の世界」は共存し始め、「意味は同じ」とされるようになったのだ。
ニュートンの「原罪は月まで届く」という理論は、女の口説き方として、どんどん新しい言葉が付け加えられてきたが、技術屋は「こんなもん作れねえよ」と言いながらカネを見せつけられ、ポケットに何千曲も入る機械まで作った。
ウォークマンだって、コンテンツがなければ意味をなさない。
すべては、芸能界に頼り切っていた。

色(写真集を見る)。
受(握手をする)。
想(CDを聴く)。
行(匂いを嗅ぐ)。
識(おいしいものを食べる)。
この原点を忘れてはならないのだ。

1980年以前は、「お父さん以外の男に裸を見せる」のも、セカンドラブ・リバーと呼ばれて、一定程度の年齢がいかなければ困難だった。
AKBもカルヴァン派としてそのようなことを歌っている。
AKB48 River

セカンドラブ・リバーのヒット以降、AKBのテーマは、「お父さん以外の男に裸を見せる」ことがテーマとなった。
自分が貧乳でいるとか、一人上手の方法が他の女の子と違うなどという理由から、このような議論がカルヴァン派の間でなされた。
大声ダイヤモンド

インターネット上で「性」が赤裸々になったことから、
むしろ、1980年以前に議論された話が、21世紀になってカルヴァン派によって語られるようになった。
性的コンプレックスを美しさによって払い除けようという女の子たちと、男たちは真剣に向き合うことにしたのだ。
「映画みたいな恋はできないけれど」
君のことが好きだから

思春期にチンチンを切られた女の子たちは、鬱を晴らすために、二つの選択肢があった。
スポーツをする、料理を覚える、美の探究というラインと、「ナルシシズムを求める」というラインだ。
ナルシシズムを求めると、スポーツはできないわ料理はできないわ、大変苦労する。
「二度と女優と結婚するかい」という理由もここにある。
初日

男の子は、お母さんと結婚したいと思っていた頃を通り過ぎたら、クラスの異性に興味を移していくが、女の子は「お父さんとお母さん」と間に入っていく。
つまり、お父さんからは「性の対象」として見られ、お母さんとは「ライバル」となっていくのだ。
クラスメートの男の子に助けを求めるようになるのは高校に入ってからであろうか?(10年桜)
10年桜

お母さんが嫌いにならないと、女の子は思春期に「痩せない」「性感帯が膣に移らない」のである。
お母さんは「娘に嫌われたくない」と考えているが、お母さんの言う通りに「飛べない」のが女の子の正解なのだ。
飛べないアゲハチョウ

女の子は、女社会で生きていると、誕生日でもなんでも男からの「貴女は女として最高の存在」という言葉だけを欲するようになる。
そんな時には涙が出た。
涙サプライズ

以上に述べた、「握手をするときのコツ」などを知らないと「仲間が多い、何かやってくれそう」な男の子が、私を選ぶことはない。
なぜ自分が選ばれるのかは五蘊に秘訣があるとされる。
Choose me!

現実の男の子に恋をしないで、ジャニーズなどに恋をすると、女の子は「一向に痩せない」のである。
お母さん大好き、この世に旨い食べ物などない、シスコン、という具合に適当に楽しいだろうが、極めて難しい女になりかねない。
遠距離ポスター

「女」とは、「生まれるものではなく、なるものだ」と言うことが明らかになった。
適当に言い訳しながら、女になるのだ。
言い訳May be

そんな「女」でも、「女が描く男」次第では、空の天気も変わるのよ?
女になると言うことは国にとっては貴重な資源になると言うことなのだ。
ひこうき雲

スクールカーストにおいては「女」としての優等生が上位に位置づけられる。
半端なヤンキーなんて女になり損ねただけでしょう?
マジスカロックンロール

天気もそうだけど、私たちは学校のメンバーとして、永田町の「4月危機」を政権に引き起こす力も持っていた。
大人たちを翻弄する力を持っているのだ。
桜の栞

女の子は「自分を愛してくれた男」の言う通りに「自分らしさ」を身につけていく。
本来、令和天皇の息子の「花嫁に」といって作られたカルヴァン派であったが、「女になるとはどういうことか?」ということをすべて語った。
自分らしさ

AKB48も、「女が描く男」は涼しい、女が天気を決めるという基本は踏まえている。
これがカルヴァン派だった。
君と虹と太陽と

以上で、AKB48のアルバム「神曲たち」は終わりです。
お疲れ様でした。

AKB総選挙のような、ガチンコ勝負は「交友関係の広さ」がモノを言う。
しかし、人間の交友関係なんてものには限界があるだろう。
勉強して心を病むか、美を求めて心を病むなどして、「交友関係の広いもの同士」が自ずと集まったら、支持基盤は自ずと固まる。
新カント派とはそのようなものだ。
精神病院を愛し、抜け殻のようになった女性たちに「音符でできた言葉」を投げかけるのだ。
彼女たちが決める「序列」なくして、社会の変革は望めない。
私も、普通にAKBメンバーと接する機会はある。
事実上の守秘義務もかけられているし、それでいて「世論との情報ギャップ」(二元論)に触れる機会がある。
テレビはできるだけ見るようにはしているが、「情報ギャップこそが資金力」という割り切りもある。
「何ら代わり映えのしないおばさん」を愛せないのならばAKBファンなどやめてしまうことだ。
どんな女も「グルーニン」という薬を飲めばあっという間に美女に早変わりする。
それを踏まえた上で、AKB総選挙は、いまだに意味のあるビジネスであると私は考えている。
韓国の「会長さま」つまり「韓国財閥の総合職」におさまった女もいるが、人それぞれだろう。
私は、上皇と「認め合えずに」「尊厳死」つまり麻薬を盛られたこともある。
しかし、上皇后のとりなしで命を救われたこともある。
身内では罵り合っていても、雑誌やテレビのような媒体が「現実」だとみんな考えている。
プロ野球の監督をやったり、企業経営をやったりすると、
「適当に妥協しよう」という連中や、「臆病風に吹かれて変な言い訳をしてくる」連中の相手をしなければならない。
誰もが勝利を望んでいるわけではないのだ。
しかし、芸能人の「胆力」はものすごいものがある。
一応、「リスク」のようなものは聞いてくるが、後は各自の才能で乗り切ってくれる。
イギリス労働党のように「お中元はもらって当たり前」というハートには時には、ぶったまげることもあるが、それでも戦力にはなる。
恋愛論に詳しいと、抜け殻のようになった女性芸能人が生き生きとし始めるのがわかる。
それで、各企業の幹部として送り込むのだ。
どのみち、そこいらのサラリーマンよりは「スター性」があるのが芸能人だ。
また、彼ら彼女らは「もらって当たり前」と思っているだろうが、いつか私を助ける側に回ることもあるだろうと悠長に構えるしかない。
ところが、AKBメンバーだけは、なかなか「電話番号」は聞けない。
AKBメンバーは、イギリス労働党のような「もらって当たり前」というハートの持ち主ではないのだ。
「輝いているから近寄り難かった」「プロ野球とかいうのなら関わらないでください」などという小心者の側面がある。
このへんは「どのようにして女になったのか?」だけの表現者に過ぎず、世間知らずなところから来ているのだろう。
中森明菜=ハプスブルク家も、「どのようにして女になったのか?」の表現者に過ぎないではないか?
と言われたが、その「大胆さ」が異なるし、規模の大きさが異なる。
何かに没頭して歳月を忘れるわけでもない「365日」という平和がAKBにはある。
365日の紙飛行機

いずれにせよ、プロ野球と言えども、ファンのBGMとしてはゲーム理論とかモデル理論を使う。
同点の場面で攻撃している場合にゲーム理論つまり、「敵の出方論」を使う。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

 
また、モデル理論はまだ実戦で使ったことはないが、「私の方がパートナーにふさわしいのに」という理論であり、ふさわしい局面を今後模索していかなければならない。
熱帯夜 SPEED

おそらく、モデル理論は「こいつだけが頼りだ」という場面で使うものと思われる。
9回代打乙坂とか、クリーンナップを迎えた場面で用いることが可能だ。
得点圏に走者を出した場合もモデル理論が使えるため、ゲーム理論と双璧をなす有効性を見せる。

AKBに詳しければ、鉄・自動車・通信・原油マネーが手に入る。
人間が「多数派工作」できないのはおカネがないからだ。
それでも、イエスだろうが、東大受験生だろうが「孤独」を知らなければ哲学の研究なり受験勉強なりができなかっただろう。
「カネ、女なんて邪魔なだけ」
これが、誰もが通る道であることは認めざるを得ない。
「孤独な男」が「何を考えているんだろう」と周囲の女たちは噂しあった。
「勉強は集中することが大事だと思います」
それならば、カネと女のことは忘れることだ。
それでも、ウォークマンだけは聞いた。
「処女とは何か?」「カネと女とは何か?」「深刻な歌の考え方」などは孤独がなければ分からなかった。
東大入試や司法試験で「何か得るものはあったか?」と聞かれると、「音楽作品をよく聞いた」ということであり、さらに「国の学問はこの程度」ということを知った。
AKBの「神曲たち」も聞いたが、「女になる喜び」ってのはうるさいものだ、と思った。
それでも、のちの「サルベーション」つまり「多数派になってカネと女に恵まれ、多くのものが許される」ことにはつながった。
女の子も、自分を孤独から救ってくれる男を愛することになる。
誰のことをいちばん愛してる

男も苦労しなければ「女の子の痛み」など理解できない。
そのためだけに、司法試験というものは昔、あった。
合格しない奴の方が優秀な金融マンになった。
各部署に「条文の残骸」は残されたが、先人たちの資金調達の方法の遺物であり、司法試験を経験し、父親が医者ならば、医師免許を与えても問題はなかった。
なに、十字架なんて大した問題ではない。
「父や母に愛された中年」の悩みなんて「太り過ぎて胆石になる」ことしかない。
今は、胆石を溶かす薬があるが(ウルソ)、昔はその腸の痙攣の激痛を大袈裟に語っただけだ。
AKBの解釈論に傑出していると、地球温暖化を引き起こしやすい。
「肋骨とは何か?」
を語るのは医学の基本であるが、とにかく暑い。
「女とは生まれるものではなく、なるものだ」
とするのならば、「女」になってもらったら「神・男の完全性」を語ってくれないと暑苦しくて仕方がない。
「男の生き様」なんてものは漢籍の専売特許だから、漢の側に立って「男」を女たちに歌ってもらいたいね。
「どのように女になったのか?」をカルヴァン派は、喜びとともに歌っているが、アリウス派(松田聖子)や、マルクス主義(ribbon)の描く「男」がいなければとにかく暑い。
ベトナム戦争で、アメリカ軍が「マラリア蚊」にやられたのも漢籍を知らなかったからだろう。
台風だって中国や北朝鮮からすると立派な「軍事オプション」である。
爆風や豪雨で死人が出るのだ。
卓球少女愛ちゃんですら「ウブ」と言われた中国の真実は「儒学」にあり、気温を下げる「女が描く男」にあった。
ゆっくりと好き ribbon

とにかく、肋骨たちが「女になれた喜び」をAKBが歌っているが、とにかくうるさくて仕方がない。
地球も暑くなる。
大雨が降った総選挙もあっただろう?
しかし、AKBこそが「多数派工作の入門編」なのだ。
「女になるって、そんなに嬉しいものっすか?」と思ってはならない。
とにかく「嬉しい」のだ。
そこで、彼女たちに「女が描く男」を歌ってもらって、気温を下げなければならない。
イエスは「肋骨」には詳しかったが、胆石の苦痛を大袈裟に語った。
あとは、新約聖書で、「男道」を示すだけで地球は涼しくなった。
いろんな政治活動はやったが、海岸開発(上海クラブ)がいちばんリスクがあった。
イタイイタイ病が海岸に蔓延している、と言っただけでは、大手ゼネコンが「貴方とは話したくない」というものだから、「大学を作って原油を安く輸入をする」という言い方をしてみた。
上海倶楽部 松田聖子

「慈悲」というものは「中年以降に感じる母の愛」のことを言う。
母に愛された少年時代を終え、青年期には時に英雄になり、時に「産むんじゃなかった」と言われ、それでも、中年を過ぎたら「慈悲」を感じざるを得ない。
そんな時に、「胆石」が襲ってくるのだ。
痛すぎてマリアすら罵倒したけど、今は薬がある。
ヨゼフも「寺の総意だ」と言ってイエスを見限ろうとした。
胆石を溶かす薬(ウルソ)があることを忘れてはならない。
女たちは、胆石に悶え苦しむイエスでも決して殴ってはこなかった。
男は怒ったら見境がないが、女たちは「私を人類の進化に用いて?お医者さま」という気持ちがあった。
そこで、AKBを理解するのは当然のこと、としながら、そこから先を見据えなければならなかった。
子宮からエネルギーが湧いてくる女は、男と違う「理屈」はあったが、それでも愛さなければ医者にはなれない。
更年期障害とは「痩せたご婦人」の病気であり、何でもかんでも更年期障害のせいにするのは良くない。
「子宮から湧いてくるパワー」
ドリカム うれしいたのしい大好き

とにかく、AKBを理解することそのものが、「6つの敵」(クラスター)を作る。
地球は平らだ、犬を飼わない家庭の子供は非行に走る、イエスは童貞だ、から始まり、とにかくほとんど「言いがかり」に近いクラスターが多かった。
イエスに言いがかりをつけるのは、クラスターであり、食べ物飲み物に毒物を混ぜる朝鮮人だ。
差別というよりも「そういうもんだ」と思って研究していくしかない。
特別永住者とは、オールドカマーとも呼ばれ、「特殊な政治的背景を持つもの」(在日朝鮮人)である。
日露戦争における、アジア地域の「国境線確定」を受けて、日本に朝鮮から人が渡ってくるようになったが、
関東大震災で、「井戸に漢方薬を投入している」のが確認され、これが「翻訳ミス」から「毒」と伝わり、日本軍に虐殺されている。
また、第二次世界大戦以降も、在日は「日露戦争で国境線は確定している」とし、「日本人を励ますために」民族学校設立運動を行ったものの、日本政府はサンフランシスコ平和条約で「国籍の一斉剥奪」を行っている。
本来、「日露戦争以降、200年間は朝鮮半島は日本のもの」という認識を持たなければ、朝鮮半島情勢は相手にできない。
次の「国境線確定」は、2100年だとされる。
そのための予防線を周辺国が張り巡らしているのだ。
部落問題というものもあるが、基本的には「そんなことされたら下水が引けない」という問題である。
下水があるかないかで「部落」かどうかを判断する。
おのずと「部落問題」と「在日朝鮮人問題」がイコールにならざるを得ないことも知らないといけない。
2100年まで周辺国の思惑にさらされ続けるのだろう。
在日朝鮮人100万人、部落民80万人とされるが、残りの20万人は?と言われると「従軍慰安婦である」という引き算は簡単にできる。
日本国の政治意思を明確にするためには、
「国の個性」を越えて「悲しい歴史」から目を背けてはならない。
日本政府は、人種差別撤廃条約を批准するにあたり、「アジア地域の文明批評を封じるものではない」という留保を付けている。
また、1996年に柳井俊二条約局長が「日韓基本条約において、韓国は外交保護権を放棄したものであり、個別的請求権は放棄していない」と答弁した。
この柳井の答弁に在韓・在日朝鮮人の立場が分断された。
「言いたいことがある」のは在日朝鮮人だったのだ。
しかし、徴用工事件判決で、「在韓の」朝鮮人の原告9名に、「各自1000万円を支払うように」という判決が日本の企業に下され、日本の関連25社が震え上がった。
なぜならば他の3500名が「おいしい蜂蜜がある」として群がってきたからだ。
合計350億円ならば永田町に流れてもおかしくはない金額だ。
そこで、日本の政界と韓国の政界は「冷え切った」関係となった。
すべての民事訴訟は「裁判官がよく話を聞いてくれた」という満足度で終わることが多いが、「在日朝鮮人」への理解力は永田町にとってもかなり困難な宿題となっていた。
韓国とは国交があるから、このような「物語」が成立する。
北朝鮮?難しいんじゃないの?
対日利権とはそのようなものだからだ。

無我≠自我
自我≠真我
無我=真我

無我とは「学問に没頭した男」である。
自我とは「巨乳女」である。
真我とは「貧乳女」である。
「=」とは「両思い」という意味である。
学問に没頭した男は、AKBと両思いになる宿命にある。

プロレスは、ゲイカルチャー(尾崎豊・ribbon)に人気がある限り、続いていくものだ。
地球という大地があり、野山を駆け巡って体を鍛えたとみんなが思っている。
ファンの誰かが「あいつは子供がいるぞ!」と叫んでも、その子供も同じと同じ道を歩むであろう。
それほど、「プロレス理論」は、シンプルであるし、親子が認め合うのにちょうどいい生き方である。
おカネになるほどの理論が構築されているアメリカではそうだ。
しかし、プロ野球などの世界は「親父の背中を見て育っても」なかなかついていけるものではない。
プロレスラーは「社交的」であればいいし、常日頃から「人柄」が人に受け入れられている哲学者が向いている。
しかし、プロ野球はそうではない。
ロッキーのトレーニング

 
かぼちゃの馬車に憧れるシンデレラ(AKB)たちが、その評論家がリングに上がるのを見にくる。
「女になる」って私だけの悩みかと思った。
ゲイカルチャーにも人気はあるが、「女になる」ということにはもっと人気があった。
オカマって、女たちには「しゃぶらせる」だけで、バージンには介入していないらしいわ?
プロレスの求心力は、AKBの人気とともに存在するようなものであった。
「男が描く女」は暑苦しくても、その人がプロレスラーになったのならば「女が描く男」が生まれ、「風が入る」のだ。
AKB48 RESET

カネになる、気分がいい、それだけで仕事というものは成り立つ。
AKBのファンと、プロレスはここで結びつく。
「気持ちのいい風」だけを生み出したいのだ。
AKBが描く「男・プロレスラー」は気分のいいものだった。
そこにはなんらの下心もなかったし、プロレスラーはゲイであった。
秦の始皇帝のように「5000人の女」は集められなくても、興行の日は必ず、気持ちのいい天気だった。
その日の天気さえ作れれば、チケット代だけでなく、多くの収入源がプロレス界にもたらされる。
鉄・自動車・通信・原油マネーなどだ。
カネになる、気分がいい、それだけで仕事というものは成り立つ。
アントニオ猪木

1月の東京ドーム2daysは、暖かな冬を作ったし、夏ならば涼しい夏を作る。
「AKBがプロレスを観にくるらしいぜ?」
そのような噂が広まるだけで「女が描く男」が完成し、空気は涼しくなる。
人は会ったら必ず「天気の話」をする。
そこに「AKBとプロレス」も溶け込ませるのだ。
天気が穏やかで、それが「AKBがプロレスを観にくるから」形成されている、ということが人々の共通認識になれば、テレビ局が放っておくはずがない。
そうなったら、鉄・自動車・通信・原油マネーにとどまらないスポンサーもつくだろう。
「天」
それは、天皇が形成するものであり、巨大な富だった。
「女が描く男」は涼しい、この原理は帝王学でもあり、それを、社交性を持ってより「知り合いの多い」人物となることから、形成していく必要がある。
プラトンは「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」としていたが、アリストテレスは、レスボス島で女たちをかき集めたプロレスラーだった。
エーゲ海からの風とはこのようにして作られたのだ。
魅せられて ジュディオング

AKB評論家が負けて、「サヨナラは雨の日」になるんじゃないのか?という疑問はあるが、よっぽど女たちが熱狂したらにわか雨ぐらいは降るだろう。
しかし、「涼しさ」の範疇におさまるものと思われる。
台風は少なくとも来ないし、天気の話題とAKBとプロレスの話題が同時に出ることは、おカネになる、気分がいいものだった。
すべては「松田聖子の描く男は涼しい」という議論から論語の解釈が花開いたのだ。
ロックンルージュ 松田聖子

シュガー・レイ・レナードがモントリオールでロベルト・デュランに負けた時は、一晩中、モントリオールに雨が降った。
それももはや「伝説」だろ?
再戦はニューオリンズだった。
雨のニューオリンズ 国生さゆり

マルクスの「エンクロージャー」のように、AKB評論家は、「女の子が女になるための理論」を語り、暑い日もあったが、最終的には「女が描く男」を「天気とAKBとプロレス」に求め、涼しさを取り戻した。
「プロ野球は夏場になると調子を上げてくる人がほとんどではないでしょうか?」
それはそうだ。
しかし、プロ野球はあまりにも「人間的すぎる」シーンがたくさんあり、「八百長のようなもの」ではない。
天気をプログラミングするためのものではないのだ。
東京ドームのど真ん中で「叩いているふり」をして、天気をコントロールするのがプロレスである。
人気は「プロ野球」=人間らしさの世界にはかなわないよ。
でも、それも仕事だろう。
「四股とは邪気を払うもの」という大相撲(相撲レスリング)とプロレスがどう違うのかは明らかではないが、「大人の力量」が違えばビジネスも変わってくる。
あるいは「女は土俵に上がってはならない」「大相撲観戦した時だけ世代間セックス許可」などの理論は本来儒学からくるものだろう。
だが、「中卒縦社会」である大相撲とは異なる「知性」がプロレスにはある。
NHKの地上波でオンエアされる大相撲には「資格」が求められるが、プロレスは誰が出てもいい。
そこで必要なのが「女が描く男」は涼しい、という理論の確立と、AKBグループが、その「女」であるという議論である。
「五蘊」「無我・自我・真我」の意味を明らかにしたのならば仏教ではないかとも思われるが、「美男美女」ならば仏教だ。
しかし、儒学の側は「天気」を語るものだ。
AKBも、その「輪」に男が加われば大喧嘩だ。
しかし、男子校も女子校も、「男女が完全に分かれている」のならば喧嘩は起きない。
喧嘩しないのも、勉強のため、おカネのためではある。
「女の園」には男は出入り禁止だ。
AKBまで乱闘騒ぎになりかねない。
ナルシシズムに浸った女たちは洗濯ひとつできないけどね。
洗濯物たち

「男女が共存していないと、なんら、法則のようなものは見つからない」(ヒュームの原則)。
このことから、男子校・女子校では、喧嘩が起きない代わりに、見失うものも多かった。
女は感情的だから抑圧される。しかし、かなり「感情的に」仲間を作り始めるのだ。
「男社会」なら、存在することは知っている。
しかし、感情にまかせて女たちは一気に仲間づくりを加速させたのだ。
まるで、「女の園」は資金源だと見透かしているかのようでもあった。
そうだ、AKBは間違いなく、男たち(男社会)の資金源だったのだ。
男と電話するために使う友達の携帯をぶっ壊す頭のおかしい女の子もいた。
「女の園」は資金源であり、「男」は喧嘩のもとだった。
男女で完全に二分されたイスラムの講演会の会場を見て、ビル・ゲイツは「この現状がある限り、あなた方は貧しい」と語ったが、アメリカ人に「アジアの天気の話」が分かったかどうかは定かではない。
男女混合で大学入試を受けると、その熱気は試験官をも圧倒するものとなった。
「女の園」が描く「男」は涼しい。
そのビッグマネーは、国家レベルで共有されているものであり、男女混合でなければ「法則」は見出せなくても、ときには必要なこともあった。
アメリカリベラリズムも、王子が「天気のコントロールが必要」と判断したら、男女で完全に分かれて会場に座るだろう、とロールズは指摘している。
酒井法子 天使の館

ゲイというものは「私、女の子だから」と言って男社会にも女社会にも溶け込もうとする存在である。
ギリシャ哲学の頃から知られていたが、イエスキリストが、胆石になって悶え苦しんだり、ケツに「青銅の蛇」をぶち込まれたりして「女たち」の間に溶け込んでいく様は、ギリシャ哲学のクライマックスである。
道教においても「軟弱な男」「女が描く男」(デレ)と言われ重宝された。
男社会で戦力になるかは分からなかったが、女たちに溶け込んでいる男ならば、涼しくはなる。
女たちに溶け込む秘訣は「深い仲にならない」ことであった。
「深い仲になる」
それは、ジャンセニズムにとっては、最も恐るべきことであったし、群れからはぐれることを意味した。
工藤静香 奇跡の肖像

カップルには「発信力」が必要であった。
そうでなければどのカップルも生活が成り立たなかったからだ。
どの音楽作品も、そのため「一組のパートナー」を祝福していた。
群れからはぐれても生きていけるようにしたのだ。
誰もが、ゲイではなかったし、女たちに囲まれて「私、女の子だから」と言えるものではなかった。
 
男女の仲間たちとつるんでいて、怖い顔をして女を見ている男がいるのならば、完全に「深い仲」になっていることを意味する。
「一組のカップル」として発信力を高めて生きていくのならば、ほとんどすべての音楽作品が「味方」だった。
しかし、AKBに見守られるプロレスラーは「ゲイ・女の子」であり、イエスキリスト(アリストテレス)だった。
そもそも、「プラトンはゲイ」という噂も真実だった。
女の子としての側面がなければ、「理想の男」を男が描くことも難しかった。
松田聖子 赤いスイートピー

ソクラテスは、「世界を敵にする恋」をして、女二人が大喧嘩をして、最高裁までいった。
最後には毒をあおっている。
イエスキリストもマグダラのマリアと深い仲になり、世界を敵にし、磔にされている。
胆石で悶え苦しんだのをみんなが笑って見物していたとしても意味は同じだ。
その時に、青銅の蛇をケツにぶち込まれて、「女サークルで」生きていくことを余儀なくされている。
ゲイには仲間が多い。
男社会で生きてきた経験や、それでも哲学(女の口説き方)を学んで影響力を高めたこと、さらには、それが人々に脅威を与え、政治コミュニティで恐れられたこと、虐待されて、尻にヘルペスができたこと(青銅の蛇・十字架蛇説・サタンの性質)などから、「女が描く男」に興味を持ち始め、天気をコントロールすることができるようになったことなど、磔には、いろんな意味が含まれている。
rebecca ラブパッション

男は「女の子供の気持ちが味わいたくて」セックスをする。
それならば、「息子がイエスキリストのように女たちに取り囲まれている」のが、いちばん「今の彼女」の快楽を高める。
「ジーザス」
男がそのように喘ぐのを聞いて、女は自分の存在価値も時代の学問次第だと悟った。
男が「女のために払うカネ」の金額も変わってきたのだ。
後楽園ホールと東京ドームは、「兄弟」だった。
東京ドームで見られる「人間らしさ」に対して、後楽園ホールの「AKBがプロレスを観にきているらしい」というものは「噂」があればよかった(デリバティブ)。
どのみち、飯田橋周辺が東京の天気を決めていた。
昨年の台風19号の時に「東京は不思議な力で守られている」という発言を目にしたが、今は、かなりメカニズムが明確である。
「真剣勝負と八百長は兄弟であり同格である」
AKBは、「青天娘」だった。
後藤真希はモーニング娘。の中でも珍しく、処女だった。
ひたすら「女が描く男」を歌う処女のことを「青天娘」と呼んだ。
晴れた日のマリーン 後藤真希

台風1号が、発生したそうだ。
沖縄付近で消滅するとされているが、中国と北朝鮮および日本国は「台風戦争」に突入しようとしている。
中華人民共和国の本性を目の当たりにした日本国民は、令和天皇のために泣いた。
「神聖な風」を中国本土に上陸させることは可能なのだろうか?
ニケーア公会議で、アリウス派(特別な女・特別な男の存在)は異端とされた。
しかし、アリウス派か、マルクス主義以外に「女が描く男」を明確にした存在はない。
松田聖子かribbonだろう。
時間旅行 松田聖子

ミッドウェー海戦でも「ハヤシ」は、パニックになって暗号を打ちまくった。
いろんな暗号はある。
しかし、日本国にはアリウス派(松田聖子)とマルクス主義(ribbon)があるのだ。
「台風は来ません」と大見得を切ったら、さすがの聖子ちゃんも荷が重いだろうが、日本国の大人たちの経験はもはや「台風戦争」をやってもいい時期だと言っていた。
「特別な女・特別な男」の存在を認めるアリウス派。 
松田聖子 Sweet memories

戦況が膠着状態になった時に、「攻撃側」になった時はゲーム理論を使う。
敵の出方論である。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

 
お前しかいない、頼んだぞ?という時はセット理論を使う。
「私の方がうまくやれるのに」という心理である。
SPEED 熱帯夜

大量ビハインドを背負った時は「アキレスと亀」を使う。
「女は男を永遠に追い越せない」という心理である。
Qlair 君住む街

 
クローザーが登場した時は、相対性理論を使う。
「最後の瞬間は、光よりも速い」という意味である。
相対性理論 気になるあの子

ハヤシは、必死で「暗号」を打ちつづけた。
ミッドウェー海戦は、掛け率は日本が優位だったという人もいるが、訓練された人間に必要なのは「暗号」だけだった。
このような「真剣勝負」は、面白いし、人間らしいが、「暗号そのものが気温を上げてしまう」という効果をもたらす。
このようなことを理解するためには、本来、東京大学で「日本国の学問はこの程度」ということを知る必要がある。
つまり、「勉強する必要」があるのだ。
その後に、「女心」「女になるという喜び」を知る必要がある。
さらには「女の嘘」を知る必要がある。
「戦」に強いと仲間もできるし、金持ちにもなれるかもしれない。
しかし、「キリスト教アリウス派」「マルクス主義」さらに、それを踏まえた「AKBとプロレス」がなければ暑いだけだ。
「熱い戦い」だけでなく、涼しくて快適な夏や、暖かい冬は必要だ。
まあ、どのような気候が日本にいちばんふさわしいかは和辻哲郎が「古事記」で示しているため、「美しい国」とはおのずと「古事記にしたがった国」という意味にならざるを得ない。
国内や国際試合における「暗号」は、戦いが避けられない以上、常に磨いておく必要がある。
私が述べた暗号は、昨年、横浜DeNAベイスターズを2位に押し上げたが、「劣化」してくるのは音楽作品の宿命だ。
一方で、中華帝国が仕掛けてくる「台風戦争」は、「八百長をやらないと勝てない」ものである。
「女が描く男」なんてものは男から見れば八百長だろう。
マリオネットの涙 松田聖子

ここまで語ると、「中国の住宅は日本ほど頑丈ではない」ことを理解しなければならない。
つまり、日本国の「台風被災者」は、「中国のカネで」補償する必要がある。
日本国は「台風を引き受けることそのものが八百長」となっている。
今年は、一応は戦ってみるけど、そのへんの事情は、よく理解してもらいたい。
中国大陸は「日本ほどエンターテインメントが発達していない」のである。

女にとって「眠れない」理由が「結婚を意識する」ところにあるという側面がある。
「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるのかな?」という二つから「眠れなく」なる。
そもそも、キリスト教アタナシウス派のカントが「結婚」というものを考えたが、カトリックの「CoCo」は、「結婚が夢」と歌っている。
夢は眠らない CoCo

 
一方で、アリウス派の松田聖子は、「私は特別な女・彼は特別な男」ということを背景に、強烈な「結婚観」を持っていた。
松田聖子 恋したら

マルクス主義のribbonは、「結婚とは搾取である」とし、その悲劇的側面を強烈に打ち出した。
亜熱帯ビーズ ribbon

 
ハプスブルク家の中森明菜は「別れるなんて、できない相談ね」と言って、あくまでも女たちをセールスに出し続けた。
中森明菜 禁区

魔女狩りを経た後に、純血にこだわったルター派は、あくまでも「想像上のもの」「憧れ」として結婚を描いた。
SPEED I remember

カルヴァン派のAKBは、「眠れない」ということを感情的なまでに女同士の団結につなげた。
君の第二章 

原始キリスト教のおニャン子クラブ(渡辺満里奈)は、教科書がない、としている。
渡辺満里奈 エバーグリーン

出雲大社と伊勢神宮に電話した。
「女が描く男は涼しい」となると、気温は自在にコントロールできる。
しかし、どのような気候が日本国にふさわしいかとなると「古事記」にしたがわざるを得ない。
そこで「女に詳しい」伊勢神宮と、「神話に詳しい」出雲大社がそろそろ和解する時期なのかな?という電話をした。
行動原理が明らかではない男は、どのみち「神道系」のモーニング娘。が歌にしている。
私は何も損をすることはないのだ。
モーニング娘。what is love?

性の営みの時に、「相手が何を想像して喘いでいるのか?」に興味を持つことを「愛」と呼ぶ。
妹などの場合は、これがないために「愛」が長続きする。
しかし、パートナーとなると「難しさ」が生じる。
性の営みを各セクトは、どのように受け止めてきたのだろうか?

私は特別な女・彼は特別な男という立場に立つキリスト教アリウス派の松田聖子は「難しさ」を歌っている。
ラブ 松田聖子

マルクス主義の立場に立つribbonは、女はいつも本気で、「男が私の女友達や私の芸名などを想像して喘いでいる」ことに興味を持っているとしている。
ribbon 愛してジャスティス

原始キリスト教(おニャン子クラブ)は、年上の男性が何を考えて喘いでいるのかに興味があるとした。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

カトリック(CoCo)は、なんと性の営みを「恋じゃなく、きっとただの痛み」としている。
CoCo ミスロンリー

毛並みのいい王子のもとで、自由に遊びたいと考える英国王室(rebecca)のリベラルの立場は「1週間しか続かない」としている。
rebecca trouble of love

神道(モーニング娘。)の場合は、「概念が詰め切れていない」ということを指摘していた。
愛ってどんな××× 後藤真希

神道(モーニング娘。)は、さらに、「大人になったら真っ直ぐ向き合うもの」としている。
「炎のように燃え上がるもの」とも言っている。
愛の炎 田中れいな

キリスト教アタナシウス派は、正統であり、その影響力から、めったに論点には参加しないが、「女は皆同じ」「失恋した時の言い訳の膨大な版権」を志向したことから、「彼氏が何を想像して喘いでいるかに興味を持つ世界が」「ずっと私に傾いて」としている。
つまり、「女が何を想像して喘いでいるかに興味を持ってほしい」としたのだ。
小泉今日子 ラブ・イズ・ドリーミー

神道は「愛」に関してはもっとも饒舌だった。
「2ヶ月ちょっとで藍色に変わる」とし、別れなければ灰色になることを指摘している。
インディゴブルーラブ モーニング娘。

 
「愛」「クリスマス」「結婚」などに関する各セクトの考え方を述べさせてもらったが、いずれにせよ、「王道は女がフラれることにある」
というのがキリスト教アタナシウス派(正統)の考えであり、
その覇権を握ったのが小泉今日子だった。
「過去形に変えてみたいだけ」
今日子という芸名の由来すら、「アタナシウス派にある」と公言した。
小泉今日子 トゥデイズガール

一方で、カトリック(CoCo)も、「女の失恋」にはうるさかった。
「愛とはただの痛み」ということを明らかにしたかったのだろう。
「次の角で見失う」「深い仲にすらなれない」と歌っている。
CoCo なぜ?

 
「別れ」とは、キリスト教アタナシウス派の独壇場ではなかったのか?
カトリックがここに食い込んできたのだ。
プラトニックな関係には、「あなたのように大人になりたかっただけ」などという「言い訳」が用意された。
CoCo 優しさに帰れない

また、仏教でも「浄土宗」の立場に立つ東京パフォーマンスドール(穴井夕子)が、「少年のようにもっと素直なら」と「美女」であることを誇った。
穴井夕子 フェアリーデイズ

 
キリスト教アリウス派の松田聖子は「私は特別な女」として一切の言い訳はなかった。
瞳はダイアモンド 松田聖子

小泉今日子は、この三部作でキリスト教アタナシウス派の立場を確立した。
私の「幻」を愛したという通説を形成していったのだ。
宇宙とも結びついた。
迷宮のアンドローラ 小泉今日子

 
一気に「7人の男」に進むよ?とも言った。
「早替わり」「七変化」と言ったのだ。
ヤマトナデシコ七変化 小泉今日子

少女時代のピリオドとも言っている。
スターダストメモリー 小泉今日子

なぜ、フラれたのか?
その版権の縮図がキリスト教アタナシウス派にはあり、小泉今日子こそが「情念系」の教祖であると言っていい。
 

一方で、ユダヤ教(酒井法子)の立場は、ひたすらモーゼ五書にしたがって、「男がハゲない方法」「タバコをやめられる方法」を歌った。
誰もが歳をとって「ふさふさのマラソン選手」であり続けるわけではない。
しかし、私ものりピーが現役の頃はボクサーだったし、はじめの一歩にも「のりピー」は登場する。
のりピーこそが、モーゼ五書を歌ったのだ。
「ハゲない」「タバコをやめられる」
針の穴にらくだを通すとは、「キャメルを吸わない」という意味だった。
酒井法子 軽い気持ちのジュリア

 
恋というものは、ちんちんがないことに鬱になる女の子が、「娘に嫌われたくないお母さん」の言うことよりもクラスの男の子の方が「面白い」ことを知ってなされるものだ。
「仲間が多い、何かやってくれそう」な男の子に抱く感情であるとされる。
原始キリスト教(おニャン子クラブ)は、「この世は切ない」「急にお化粧するようになる」としている。
恋愛お見舞い申し上げます

女の子が「からだを他の女の子と比べる」ことが恋には付きまとい、「辛い」側面をカトリック(CoCo)は、指摘している。
恋をすると「言葉が豊かになる」とされ(悔い改め)、何かがやってくるとされた。
何かが道をやってくる

マルクス主義(ribbon)は、「早く明日を連れてこよう」「邪魔するものはない」とし、辛い側面(他の女とからだを比べる)がともなうことを否定している。
太陽に火をつけて

ルター派(SPEED)も、他の女と「からだを比べる」ことを認め、「いまいちうまくいっていない」「シャワー浴びてメイクして」「ビタミン不足」を指摘している。
SPEED Wake me up

カルヴァン派(AKB48)は、地味だから失恋する、知らぬ間に踊り出す、としている。
恋するフォーチュンクッキー

神道の側(モーニング娘。)は、「ホームページ(ブログ)を更新しよう」としている。
恋とは「踊る阿呆」とし、「見る阿呆よりマシ」としている。
恋のダンスサイト

キリスト教アリウス派(松田聖子)は、「恋をしたから私は特別な女になった」としている。
アリウス派は、恋をした時の「他の女とのからだ比べ」で勝ったことを発信源としている。
青い珊瑚礁

キリスト教アタナシウス派は、「どの女もからだが大人びてくる」ことを指摘している。
恋をしたから女の子は「立方体が曲線になる」ことを指摘しているのだ。
半分少女

また、キリスト教アタナシウス派は、カルヴァン派の「地味だから失恋する」という考えに似ていて、「人ごみにまぎれて不安になる」とし、「女は皆同じ」という見解の発信源は「恋」にあることを認めている。
艶姿ナミダ娘

英国王室(rebecca)は、「ママとの関係を難しくさせる」とし「二度と戻れない」ことを指摘している。
レベッカ フレンズ

マルクス主義のribbonも、キリスト教アリウス派の松田聖子も、「男」を歌っているが、
マルクス主義は、もっと「巨乳無神論者」を「天気がコントロールできる」という政治活動にオルグしていかなければならない。
そのへんは営業努力の問題だ。
アリウス派は、あくまでもキリスト教であり「貧乳有神論」の立場である。
アタナシウス派になるかアリウス派になるかは「運がいいか悪いかだけ」という側面がある。

「愛」や「恋」の現実を踏まえて、それでも「男」を崇拝できるのか?
それは、ハプスブルク家(皇室)の問題であった。
「愛」「恋」「結婚」「クリスマス」に詳しい「おじさん」をいろんな女たちが取り巻いていたのだ。
国民の象徴、つまり、国民を興奮させる存在として、「いた」のである。
国務大臣(総務大臣・外務大臣)のような存在だった。
これらの問題は、「国内を豊かにし」「外国にも通用する」問題だったからだ。
国内で「論客としての独壇場」を構築すれば、国の「内外」という二元論しかなくなる。
「愛」「恋」「結婚」「クリスマス」以外に「探し物」のある人は令和天皇が作った「思想地図」にしたがって研究してみるといい。
ユダヤ教=酒井法子。
原始キリスト教=おニャン子クラブ。
カトリック=CoCo。
ルター派=SPEED。
カルヴァン派=AKB48。
ハプスブルク家=中森明菜。
キリスト教アリウス派=松田聖子。
キリスト教アタナシウス派=小泉今日子。
神道=モーニング娘。
マルクス主義=ribbon。
これで、「解けない問題はない」とされている。
松浦亜弥 絶対解ける問題

 
まず、「愛」という概念の難しさに、日経平均株価は下落した。
しかし、「絶対解ける問題」システムの構築は、日本国の芸能界に安定感をもたらし、さらに、国民に安心して働ける社会を作るだろう。
「絶対解ける問題」システムの改訂版が出るのは50年後だろうか。
"Not in my lifetime."(私が生きているうちはないだろう)。
人と会ったら、話をし、その人の個性に合った企業を連想し、おカネを与えなければならない。
天皇制という名の「国の個性」への批判は消えてなくなるだろう。
どんな目的を持った人間であれ、レストランで食事を取る。
これと同じように「愛」「恋」「結婚」「クリスマス」と向き合う。
誰もが経験することは、すなわち「食べ物」に化ける。
犯罪への「罰」は、「女日照り」である。
そのような意味においては、令和天皇には罪はなかった。
このメカニズムは「全人類の平等」を背景に、構築されたものだ。
「絶対解ける問題」システムを他人に押し付けてはならない。
今後も、問題がある限り令和天皇本人が「お伺い」を立てなければならない。
それで、「面白い」と思われなければ、システムはレコード会社の受け入れるところとはならないだろう。

たとえば「愛」の次に研究しなければならないのは「嫉妬」であるが、「彼が持っている、良いもの、が自分にも与えられる可能性があった。資格がなくても生じる感情」であるとされる。
キリスト教アリウス派の松田聖子は、「良いもの」とは「私」(特別な女)であるとしている。
キモノビート

ハプスブルク家の中森明菜は「愛」の難しさを踏まえながらも、愛が尽きたあとに「資格がなくても」前彼に「嫉妬」という感情が芽生え、リベンジポルノをばら撒かれ、真っ逆さまに落ちる、としている。
そもそも、ポルノというポルノすべてがその対象である可能性すらある。
中森明菜 デザイアー

ルター派のSPEEDも、「男の嫉妬」こそがポルノの温床であるとし、「もう二度と会わないで」と言っている。
SPEED Deep blue & Truth

マルクス主義のribbonは、新しい男を「フェミニスト」と呼び、「溢れる秘密の数がある」とし、AVデビューをほのめかした。
ribbon 真夏のフェミニスト

なんで、ポルノってカメラが回せるのだろうか?
「カメラさんと、照明さんの、後に入る」
行け行け川口浩

そんなに「絶対解ける問題」システムに自信があるのならば「死」を解いてみよう(メメントモリ)。
人間には、「明日」があれば「自己愛」が生じる。
いわば「妬む神」であり「続いていく昨日・今日・明日」である。
これは「日常生活」を意味する。
カトリック(トマス神学)つまりCoCoが議論したものだ。
君の歌 僕の歌 CoCo

しかし、「今がすべて」つまり「神は妬まない」となると、自己愛が鈍麻するのだ。
今がすべてとは「性の営み」にも似たものだ。
お願いHold me tight 

問題は、「自己愛を持った者を殺すと、世界を敵に回す」というものが二重効果論であろうと思われる。
殺したらカネになる、それは「今がすべての者同士」であり、一人の「明日がある」人を殺したら犯罪者であり、100万人の「今がすべて」の人間を殺したら英雄だ、とも表現される。
イエスは、磔にされて「主よ、主よ、なぜ見捨てたもうか?」(エリエリレマサバタクニ)と「明日の歌」を歌った。
それは強烈な自己愛であり、「明日できることは、明日でもいいじゃない?」という「妬む神」の歌であった。
カトリック以外に、「死」を論じた音楽作品はなく、目的を持て、夢を持て、とは一概には言い切れないものが存在する。
しかし、雷の中をサッカー選手がプレーしていて「怖かったですよ?」という心理は常人には理解できないものがある。
明日の恋 CoCo

殺してカネになるのは、お互いに、「今がすべて」の時であり、どちらかが「家族の話、女の話」を始めたら殺してはならない。
安楽死の基準も「死期が差し迫っていて、耐え難き苦痛があり、他にとるべき手段がないこと、医師の手によること」などが列挙されている。
「明日の恋」の話もできなくなるのならば、「神は妬まない」のであり、自己愛を失っている。
まあ、「明日の話」をする民族は滅ぼしてはならないとも表現され、ノストラダムスの大予言の時は「ワールドカップ日韓共催」が、財政健全化の国際約束がなされた2020年には東京オリンピックが用意されていた。
国が「自己愛」を持つことを意味し、オイルショックの時(1973年)に日本国は高度経済成長を終えていたが「どうにもとまらない」(山本リンダ)がヒットしたし、世紀末にはモーニング娘。の「ラブマシーン」がヒットした。
双方の曲は「エリエリレマサバタクニ」と歌ったようなものだった。
モーニング娘。は神道の立場だ。 
モーニング娘。21世紀

組織人としては「夢を語る奴」は失格であるが、「予定表」を作るのは常識である。
また、軍隊には「規律」があり、それだけが「恐怖心をなくす」とされている。
「宵っ張りの朝寝坊」ならば、殺したいと思っている連中から罵声は浴びるが、殺されることはない。
「故郷には再来週帰ろう」
モーニング娘。はあくまでも神道であり続けた。
ザ・ピース モーニング娘。

「世界を敵に回した者にカネを与えてもキリがない」
この問題にソクラテスとプラトンは大いに悩んだ。
本来、ソクラテスの言葉であり、プラトンは「詩」をいくら作っても「キリがないかもな」と語った。
24世紀のちに、サルトルが「それは可能だ」と語った。
なぜ、「世界を敵に回した者にカネを送ることが可能になったのか?」右翼と左翼の誕生だった。
私の、「絶対解ける問題」システムは、1980年代にサルトルが残した遺産だった。
結構長生きだね。
女の口説き方を語ったカントや、論文がエロ本に見えるとしたミル、他にもロスなどの哲学の薫陶を受け、サルトルは私に「絶対解ける問題」システムを残した。
子供を殺す人だけは、カネでは解決できないものがあったが、普通の社会生活を送っている「政治家」ならばいくらでも救済できた。
マルサスは、「世界を敵に回した政治家」を救済できなければ、次から次に事件が起き、自殺者が出るだろうとしていた。
サルトルは「王国」を右翼と左翼というジャンル分けをすることによってもたらしたのだ。
左翼の内ゲバ?「絶対解ける問題」システムを構築したあとにはないはずだ。
みんな仲良く「問題を解く」だろうとされる。
「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるのかな?」と悩んだ女も、少なくとも彼は「子供は殺さなかった」ということに感謝できるようになる。
BoA Is this love

 
「世界を敵に回した者にカネを与えてもキリがない」
この答えは「右翼と左翼がなぜ存在するのか?」という議論によって終止符が打たれた。
子供を殺したのならば救いようがないが、そうではない「政治家」ならば、いくらでも救おう。
U2も、「王国の到来を信じている」と歌った。
日本国の「オタクカルチャー」がこれを達成するとは思わなかったけどね。
U2 歌

まあ、世界を敵に回すから貧しくなるのであり、そのへんは「自分で考える」しかないが、毀誉褒貶の激しかった奴ほど、立ち直りやすい。
成功事例も知っているからだろう。
みんな案外、決められた通りに生きることを「自由」と呼んでいて、物事を限られた知識で解釈し、中には「最初からこうなる予定だった」と考える者もいる。
毀誉褒貶が激しければ「幅」はかなり広いだろう。
女たちは、「子供を、さらには犬をどのように扱う人か?」しか見ていなかった。
父親が医者で、「死」と身近に接しているのならば、息子は「犬」を溺愛するだろう。
父親が「死」と身近に接する職業ならば、お金には困っていないことを意味した。
さらには、将来、お金には困らないことをも意味した。
うしろゆびさされ組

 
サルトルは、「犬を愛する奴に」「絶対解ける問題」システムを知ってもらいたかったんだよ、と語った。
なにが「毀誉褒貶」の対象になるかは、もはやトラウマだった。
「貧しさと罵声」だけが嫌だったのだ。
その人生は「ジョジョの奇妙な冒険」とも言われた。
スタープラチナの用い方だけは、謎だったし、反則を使う卑怯者が「おカネ」に動揺するのが分かった。
そこで、卑怯者をカネで買収することを覚えたのだ。
約束を守ることを「原則」と言う。
カネに敏感な人間で、約束を守らない人間はいない。
どこで憎まれているか分からないと言うが、
案外、待ち合わせの時間をすっぽかした、あたりの傲慢さが原因だったりする。
約束を守ることを「原則」と呼ぶ。
あと五分 高橋由美子

東大生や芸能人に、待ちぼうけを喰らわせて「儲かった気」になる奴はいるが、あとで卑屈な表情で現れる。
「原則」から金持ちか貧しいかは判断することができる。
その場しのぎの「儲かった気」が大事なのか、長い人生の中での「おカネ」の計算ができる奴なのかの判断ができるのだ。
音楽作品の解釈に傑出した人(パティキュラリスト)か、約束を守る人(ゼネラリスト)しか、おカネを手にすることはできない。
カネは、女とも関わるものだ。
待ち合わせの時間に遅れて来て、「待ちぼうけ食わせてやった」と自慢して女にモテようとするか?
それとも、待ち合わせの時間にちゃんと現れて「すぐに現金化」することができる富を手に入れるかの違いがあるが、とにかく「人生をトータルで」見る必要がある。
有名になったら「原則」に対して卑屈な人間か、しっかり計算できる人かはしっかり見ておかなければならない。
有名になったら、逆にこっちが「原則」を忘れることがある。
そのような時にどれほど多くのものを失うかを知らないといけない。
「待ち合わせのテラスで君が」
高橋由美子 Will you marry me?

女は「婚期」に感情的なまでに団結する。
しかし、それを逃して40代になると孤立し、「死にたい」といい始める。
婚期を逃して「死にたい」理由は、かつての「女の団結」を見失ったからである。
「女の子は、どのようにして女になったのだろうか?」
これはカルヴァン派が語っている。
しかし、「恋」「愛」「結婚」「クリスマス」「死」などの問題は、「絶対解ける問題」システムで「女」たちが語った。
このシステムに「おカネ」を払う代わりに、私に「親切に接しよう」と考える人もいた。
「婚期」を迎えて、眠れない夜に団結した女たちは、皆、そうだった。
プロレスは「物を盗むのは良くない」と教えていた。
「カネを返さない筋肉バカ」をファンは憎んだのだ。
「涼しくなる方法」(台風撃退法)
大学の楽しいキャンパスを作って原油価格を下げる方法(ハイオクリッター15円)。
そして、「法律の英米法化」がテーマとなった。
「若い女たちの特権」は、気温やガソリン価格、その他の物価にまで大人たちに影響を与えた。
若い連中を愛せないのならば、どのみち国を動かすことはできない。
ノンケよりも「精子の出ない両刀遣い」の方が早くに「死に体」を悟っていた。
眠れないために、ハンターとしての性格を持ちながらも、何をやらせても「弱かった」のである。
法(ノンケ)の支配とは、おのずと見られる現象であった。
「帝国が築かれる」
rebecca queen of venus

「絶対解ける問題」システムにおいて「引退」というものはどのように表現されているだろうか?
相対性理論によると、キャリアの最後に「光よりも速い」ものがよぎった瞬間、引退を決めるとされる。
だいたい「アルバムの中の変な歌」を漁っていると、「引退」と言うものの意味が分かる。
原始キリスト教(おニャン子クラブ・河合その子)は、「新猿類だね君たち」と歌っている。
.河合その子 向こうDEギャルソン

 
ユダヤ教(酒井法子)は、「こんな恋クソ食らえ」と歌っている。
こんなことでも言ってみようかな 酒井法子

また、同じくユダヤ教(酒井法子)においては、「貸し借りあるけどうやむやのまま」と言っている。
貸し借りをうやむやにしなければ「引退」などできないのだろう。
昨日の今日なのに 酒井法子

マルクス主義のribbonは、「許せないことが多い」としている。
みんな、「光より速いもの」を目の当たりにした瞬間、かなり本人の意に反する形で「引退」を余儀なくされていることがわかる。
ribbon 許せない 

キリスト教アタナシウス派は、女は皆同じ、男は皆同じと言う立場から「引退すると夜が楽しい」「遊んで欲しければフラれておいで」と言っている。
小泉今日子 ロックミー

 
ユダヤ教(酒井法子)の、メシアの否定が傑出しているが、カトリック(CoCo)にも、キリスト教アリウス派(松田聖子)にも、さらにはハプスブルク家(中森明菜)にも、ルター派(SPEED)にも、このような曲はない。
メシア信仰は、「くたばるまで現役を続けろ」と言っているようだ。
カルヴァン派(AKB48)は、引退したら女たちがよりどりみどりなことを知らないのかしら?
と歌っている。
アボガトじゃねーし

神道(モーニング娘。)は、引退しなければ、彼女の実家が彼氏を受け入れることはないだろう、と歌っている。
すき焼き モーニング娘。

「痛風」という病気があるが、みんな「菜食主義」になっている。
痛風患者はそのため「肉を食う人」を憎んでいる。
そもそも、「痛風」の原因は「色の白い女と性的関係を持ったことのトラウマ」である。
だったら、ベランダから大声で「クロンボ」と叫んで、色の黒い女を想像すれば治る。
ここで、菜食主義と黒人差別は結びついた。
アーリア人のような民族が最も優れているという発想である。
サッカーワールドカップロシア大会において、香川真司はまったくボールに触れなかった。
髪の毛を金髪にするのも有効であるが、クロアチアとかフランスには敵わない。
ヒトラーは「痛風」の存在を指摘していたのであり、日本人女でも最近は美白が進み、男を通風にしている。
顔色がどす黒い梅毒女などを「クロンボ」と呼んで気分を晴らすのが一番いいが、「差別は嫌い」と言う人もいる。
「怒りの葡萄」が好きという人もいるだろうが、食べ物はどこから来るのかを明らかにした作品である。
ブッダも、「クロンボ」と梅毒女を呼ぶことを避け、菜食主義の立場に立っている。
しかし、すべてはNHKの影響力の問題であり、NHKにずっと出演していると顔が黒くなる。
このような、NHK差別と結びつきかねないのが、痛風=日本人であることなのだ。
オバマ大統領

ラスト、亀井絵里。
どっちのキャラに進むのか、そろそろ決めなさい。
どっちってどういう軸だろうか?
答えは「女心を語る」(政治・哲学系)か、理想の男を語る宗教・法律系である。
女子かしまし物語

政教分離という軸を指している。
政教分離は、一体となって「産業」を支えている。
処女は、宗教からキャリアを始め、男を知るようになったら政治の世界に入っていく。
処女に「女心」を聞いてもあまり得るものはないため、宗教と親和性を持つ。
処女とは、「実践理性」とも呼ばれ、犯罪者を憎むなど「法律」としての役割も果たす。
しかし、経験豊富な女は「女心」を語るのを得意とし、政治の世界の住人だ。
検察官の定年延長などという話題は実際は「女たちの支持を集めた上で」決めていることであるため、そのような話題をするエネルギーとなる「女心」を語るのが「政治的発言」と心得た方がいい。
いずれにせよ、経験豊富な女は「純粋理性」と呼ばれる。
亀井絵里は、政治か宗教か?純粋理性か実践理性か?「経験豊富な女か処女か?」の「どっちのキャラに進むのか?」を問われていたわけである。
男でも同じことが言える。
秋篠宮は「宗教」キャラクターであり、「女心」を資金力に変えるタイプではない。
しかし、私は「政治」キャラクターであり、「女心」を資金力に変えてきた。
天皇に政治的権能があるがないかは、苫米地訴訟で争われたが、私は明確に、「日本派」の立場であり、政治的権能を認めている。
実際に、サルトルの「絶対解ける問題」システムなどを構築した。
そうなったらようやく「宗教」キャラクターになれるのであり、男は「政治から入り、宗教に進む」という道を歩まなければならない。
秋篠宮は「キャリアのスタートから間違えていた」のである。
女は「宗教から政治へ」「男を語ることから女心を語ることへ」と成長するが、男は「政治から宗教へ」「女心を語ることから男性として崇拝される方向へ」と成長する。
これをやらないのならば「おカネにならない人物像」しか見えないのだ。
ソクラテスは、「世界を敵に回した者にカネを与えてもキリがない」と語ったが、プラトンは「それを可能にするための」音楽作品を作り続けた。
しかし、政治と宗教という区別がなされ、さらに政治内部で右翼と左翼という区別がなされるまでは、「世界を敵に回した者にカネを与えてもキリがなかった」のである。
つまり、右翼と左翼が、お互いにお金を送り合う、どのような思想が議会の多数派(右翼)になるかは明らかではないが、右翼と左翼がお金を送り合うという慣行が生まれなければ、そもそも「検察官の定年延長」などという「すでにおカネを送付済み」の問題は理解できない。
我々は、あくまでも「女心」を資金の裏づけにしてきたのであり、女性タレントが「宗教から政治へ」つまり「理想の男を語ることから、やがて女心を語るようになるまで」という道を歩むことは常識としつつも、右翼と左翼のお金のやり取りを終えた問題まで、女性芸能人が口を挟むことは想定していない。
議会制民主主義は、女が「宗教から政治へ」男が「政治から宗教へ」という二つの歩みを進めることから、おのずと構成されてくるものである。
それは「おカネの匂いに敏感な」男女の動きでもある。
マルクス主義のribbonと、キリスト教アリウス派の松田聖子が「女が描く男」が得意であり、宗教としての意味合いが強いが、マルクス主義は、「あくまでも女心である」とし、自らが宗教であることを否定している。
一方で、カルヴァン派のAKBのように「どのように自分たちは女になったのか?」を歌う政治に他ならないセクトもあったが、「聖母マリアを信じるか?」という具合に、政治を宗教とみなせるのか?という議論もなされた。
いずれにせよ、「絶対解ける問題」システムを構築したサルトルおよび、それを継承した令和天皇がいなければ、カトリック(CoCo)であれ、原始キリスト教(おニャン子クラブ)であれ、ハプスブルク家(中森明菜)であれ、ルター派(SPEED)であれ、キリスト教アタナシウス派(小泉今日子)であれ、「男は政治から宗教へ」と歩むという男道を利用しなければ「宗教」たり得なかったのだ。
キリスト教アタナシウス派を作ったのはカントだ。
男にフラれて家に帰ってきた姉貴が「どんな言い訳」をするのかを純粋理性批判に記した。
しかし、ヒュームは、男が「政治から宗教へ」つまり「女心に興味を持つことから、やがて自身が男として尊敬されることになる道のり」がなければ「キリスト教」という「宗教」は存在し得ないとした。
あくまでも「男を崇拝するもの」が宗教だったからだ。
マルクスは、「女も男も、そのような生き方を仕事にしてしまえばいい」とした(産業革命)。
ミルは、このような社会の仕組みに「最も詳しいのは王子である」とした。
そのような王子の存在を背景に、やがて王子は君主となり、「毛並みのいい息子」が生まれることを前提に、世襲制(リベラル)か、大統領制(カトリック)かが、抗争を始めた。
マドンナ スパニッシュアイズ

カントは「女の口説き方」「女心」を語ったが、ヒュームは、それを「男性崇拝」に用いなければ、「聖母マリア学」は宗教たり得ないとした。
20世紀に入って、サルトルが「絶対解ける問題」システムを確立したが、それに詳しい令和天皇と、それに忠誠を尽くすものがいた。
実際に、「忠誠心」というものは「人生のため」に尽くされるものであるが、忠誠心に関しては、神道(モーニング娘。)が「損得なんてどうでもいい」と歌っている。
男と女のララバイゲーム モーニング娘。

 
また、リベラルの立場(rebecca)は、英国王室の王子への忠誠心を「若き日のすさんだ日々を知っている人だから」としている。
rebecca moon

他のセクトは「人生」「忠誠心」については歌っていない。
「天皇陛下万歳!」ということをテーマにしたのは神道かリベラル(英国王室)しかない。

恋の秘伝~スパイス編 河合その子
実際に、「労働法とは総合法である」と言われるだけあって、私が今まで述べた「愛」「恋」「結婚」「クリスマス」「引退」「死」などの議論に、
造詣が深いことは、電話する上でも「当然のこと」と考えなければならない。
しかし、「デリダ」を理解しなければ、「男女の電話」は成り立たなかった。
デリダは女の「子供の気持ちが味わいたい」から男は女に挿入するとしている。
このことから、電話で「挿入した時の感想」を言わなければならない。
子供の気持ちというと「今日、人類が初めて木星についた」とか、「彼には強さが約束されている、彼を恐れる者に祝福を」(ルカ1:46)などがあるが、女の「子供の気持ち」を電話で話すことは基本として理解しなければならない。
また、マルクスは「支配と従属」こそが性の営みであるとし、別のアプローチをとっていることを知らなければならない。
マルクスは
①セックスはムードですもの(女に言わせる)。
②クリトリスから先がいいわ(女)。
③濡れてきたね、スムーズだよ、リラックスして(男)
④呼吸を乱してもいいんだよ(男)
⑤大丈夫、痛くない(女)
⑥若い女性ホルモンを感じて?(女)
⑦エンジンが効いてる(女)
⑧あなたの子供が産みたい(女)
⑨ああ貴族!ああ官僚!(女)
⑩大きい(女)
①体中の血液をチンポに集めて(女)
②オナニーさせて(女)
③私の柔らかい体を見て(女)
④いい匂いがする(女)
⑤体が締まってくる(女)
⑥秘密は守ってね(女)
という、電話のやり取りを考えた。
(女)と記してある部分は、「男の方が女に言わせる」ものである。
マルクスはこのように語っている。
ロックミーアマデウス

これを見て欲しい。
日経平均株価チャート

 
株価は「女の値段」であり、為替は「男の値段」である。
株価が「赤」「為替が赤」になったら、「男女が話し合っている」ことを意味する。
株価が「赤」で「為替が緑」ならば「女同士で連絡を取り合っている」ことを意味する。
株価が「緑」で「為替が赤」ならば「男同士の業務連絡」がなされていることを意味する。
株価が「緑」で「為替も緑」ならば、女が「電話のベルが黙った夜が素敵」と考えていることを意味する。
安倍なつみ ひとりぼっち

「トリプル高」の到来(バブル経済)は可能である。
男たちが「絶対的口説き文句」を共有しあい、円を上げる。
女たちは「簡単に落ちてたまるか」と言って株価が上に逃げる。
土地の値段のコントロールの方法は今ひとつつかめません。
需要が価格を決めるということから、おのずとニーズがあれば土地の値段も上がるものと思われる。
各地で「令和〇〇大学」の建設が進むとかかな?
最悪なのが、女たちが「その口説き文句ならば小野光太郎氏が書いていた」と言って、株価を下げ、男同士の情報共有が進まない(円の下落)ことである。
妖しいニュアンス 松田聖子

カトリック(CoCo)は、女たちがいくら理論武装しても、「それでも聞きたい言葉がある」として「絶対主義」の立場に立った。
CoCo なぜ?

私は、「AKBは、女の子がどのようにして女になっているのかを歌っている」としたが、
そのカルヴァン派を踏まえた上で、オランダはロンドンに「恋ばな」を売り付けていたのであり、さらに、プロイセンや中国は「気温を下げる方法」を、国づくりの資金に変えていた。
プロイセンや、中国では「松田聖子なのかribbonなのか?」という体制選択(キリスト教かマルクス主義なのか?)が迫られるという問題はあったが、
国全体の枠組みは何ら変わりはない。
問題は、日本国の大学の「キャンパス」に、そのような文化を持ち込むと、「原油価格が下がる」ということと、原油から「四日市コンビナート」で、味の素まで作ってしまうのが日本国であり、物価全体に影響を与えるということと、
日本国が「気温のコントロール」「台風戦争」の準備が整えば、「女が描く男」がセールスを伸ばし、「女になれた」だけで一生、食べていけることを意味する。
「カルヴァン派って、なんだかうるさくて退屈だな」と思ってはならない。
さらに、「母と娘の永久戦争」から、最高裁判例は、生まれているのであり、すべては「女になれた喜び」から、紛争というものは生じることは「小野臨調」に書いた通りである。
さらに、これらの全体像に詳しいプロレスラー「小野光太郎」が、筋肉バカでカネを貸した新日本プロレスの野郎共に反則を使ってまで「カネを盗むのはよくない」ということを示し、ファンの共通認識にしていかなければならないことなどが指摘できる。
「天皇家のユーモア」とは、「なにを憎むべきか?」を人々に教えるものである。
いい行いには褒美を、悪い行いには罰を、褒美とは富であり、罰とは貧しさや女日照りであることなどを示す厳密な尺度が「王朝の力量」であるとも言える。
AKBは、鉄・自動車・通信と関わるし、キャンパスは原油と関わるし、小野臨調は、法律つまり「母と娘の争い」と関わる。
法律は法律で、庶務(ショムニ)で起きたことを、文書(法律に詳しいサークル)を通して、会計(お金の計算に詳しいサークル)に結びつけなければならない。
ここで、天皇と市民と犯罪者という「ディオゲネスソサエティ」が実現する。
女日照りで貧しいもののことを「犯罪者」と呼ぶ(マクノートンルール)。
他行為可能性(女ならばいくらでもいる)と言うものがなければ、人間は暴力を用いたり、犯罪者となったりするのだ。
「男でも、女の子の痛みが分かる」(アプリオリ)というものが必要である。
アプリオリというものは「学歴社会」の基盤でもある。
「盗み」も最後には「殺し」につながるものだ。
そのことから、プロレスというものはある。
天皇は「人々を興奮させる」ものであるし、市民とは「人気のある」ものだ。
公法私法峻別論というものは、天皇と小野光太郎を区別するためにある。
あるいは、「人々を興奮させるアーティスト」が、プライベートでは「人気のある市民」としての役割を果たすものだ。
天皇と市民の区別は「おことば」と「市民」の区別でもある。
「おことば」とは、「象徴行為」であり、人々を興奮させるものだ。
女の子が「女」になり、「抱いて?」と言えるようになることそのものが、世界の「母・恋人・友人」なのである。
瑠璃色の地球 松田聖子

マクノートンルールによると、「愛」というものを熟知しており、女に不自由していない男は「処女の取り巻きすらいる」「会長さま」「聖徳太子」と呼ばれる。
もっとも、イエス・キリストにせよ、ブッダにせよ「親と仲が良すぎて胆石になったのではないか?腰痛持ちだったのではないか?」と、処女にお手つきしない理由を勘ぐられた。
 

皇室内部で、かつて「惑わしの術」が主流なのか?「理解力」が主流なのかを徳仁親王と語り合ったことがある。

「惑わしの術」=「変な動き」=「嘘」となると、それなりに宗教史への位置づけが可能であるようにも
思われる。
「嘘」となると「公法私法峻別論」の公法に位置し、「高度な学習」を周囲に与えるものだ。

マルクス主義(ribbon)は、思春期の猫のように、好奇心、悪くないよね、と歌っている。
哀しい方の嘘 ribbon

また、神道(モーニング娘。)も、若さのなせる技としている。
愛の炎 田中れいな

そうなると、女の子は「男を語ることから青春時代を始め、経験を重ねるごとに女心を語るようになる」つまり「宗教から政治へ」という動きをすることを踏まえると、「惑わしの術」(徳仁親王)は、宗教を語り、私は「理解力」つまり「政治」を語っていたことになる。
秋篠宮も「公務は受け身のもの」とし「宗教」を語っている。
正直いって、私の兄二人には「何様感」が拭えないが、儒学を紐解いてみると、解けた。
思春期の女の子が語る、「男」はつまり「デレ」であり、一生涯にわたって、若い女の子世代の描く「男」を演じたかったのだ。
しかし、少子化の時代には、馴染まなかったかもしれない。
もっと、「若い女の子世代が描く男」「デレ」「惑わしの術」「変な動き」「嘘」が、どのように国益につながるのかを語らなければならない。
出雲大社も上皇明仁も、「惑わしの術」「変な動き」「嘘」が宗教の本質という立場を採用しており、一方で、私は「理解力」つまり、「男は政治から宗教へ」「女心を知ることからやがて崇拝の対象へ」と向かう意思表示をさせてもらった(伊勢神宮の立場)。
「惑わしの術」「変な動き」「嘘」は、「女の子が描く男」と直結する。
キリスト教アリウス派に、「デレ」が登場する。
松田聖子 マリオネットの涙

誰でも務まる分、「家柄、祖先、神話」と直結しやすい。
また、キリスト教アリウス派は、「パパとママは、家柄を重視する」ことを歌っている。
松田聖子 キモノビート

「惑わしの術」「変な動き」「嘘」「公法」「デレ」の背景には論語が当然あるわけであるが、「日本国の天気を守っている」という意思表示は当然しなければならなかった。
しかし、資金繰りに困って、このような中華思想は、私の「アメリカイルミナティ」の思想に敗北している。
男は「政治から宗教へ」「女心を知ることから崇拝の対象へ」という発想は「私法」の立場でもあり、私は東大法学部私法学科であった。
公法学科は、そのまま「一流芸能コース」とすべきところだが、東大はそこまで進んではいない。
ルター派(SPEED)は、「惑わしの術」「変な動き」「嘘」を、
「忘れられない思い出」としており、プロイセンでは、かなりの年配者にまで支持が広がっていたことも分かる。
SPEED I remember

「デレ」(女が描く男)か、デディクト(男が描く男)なのかは、公法と私法の違いだというしかない。
ユダヤ教は「愛を知らない」とデレを批判した。
軽い気持ちのジュリア 酒井法子

なお、自衛隊は「国家の中枢に嘘を抱え込んでいる」と批判されるが、芸能界=公法と直結しており、このような批判は的外れというしかない。
もっとも、自衛隊の憲法明記を行わないと、一生、地下生活を余儀なくされるのが芸能人となりかねない。
私がネットで赤裸々に語る「女心」「政治」もあくまでも「私法」であり、「オンエアできない」つまり「公法ではない」ということを意味する。
「トランプはバカ」と公法だけ見て言うのもおかしな話だ。
私法でどのような人物なのかは、一部でしか知られていないだろう。
さて、キリスト教の性質上、セックスとは男の側から見れば、「女の子供の気持ちを味わいたい」からするものだ、とされるが、このデリダの指摘は大変な意味を持っている。
キリスト教徒には、電話で「彼には強さが約束されている、彼を恐れる者に祝福を」(ルカ1:46)と言えばいいし、これはつまり「子供とはイエスキリスト」と言う最高の称賛と快楽を意味する。
一方で、日蓮宗の人でも、そうでない人でも、「その時、神聖な名前を唱えた。南無妙法蓮華経」と言えば、もし快楽が伝わるのであれば、その女性はひとたまりもなく日蓮宗・創価学会に帰依するだろう。
なぜなら「息子がモンゴル帝国を撃退した日蓮である」という最高の称賛と快楽をもたらすものだからである。
男性信者も、このようなある種の「リップサービス」ぐらい持った方がいい。
浄土宗の場合は「文殊の聡明さと偉大さの肖像をここに送る」という、法然を比叡山に紹介した僧の言葉を言えばいいし、浄土真宗の場合は、「六角堂に滞在して100日間で聖徳太子の夢を見たし、恵信尼の夢も見た」などといえばいいのだろうか?
とにかく、デリダはフランシスフクヤマの「歴史の終焉」つまり、人類は一つになるという仮説に対して、「人類はバラバラになる」と主張し、9・11テロを目の当たりにしている。

ペルシャの皇帝・ダリウスは、ギリシャのメディアに招かれ、「あなたの父親が死んだとする。いくら払えばその遺体を食べるか?」と質問された。
ギリシャ人は「食えと言われたらタダで食べるよ」と考えていたが、ダリウスは「普通に食べずに火葬にするよな?」と語った。
インディアンは、「食べるのも燃やすのも恐ろしいことだ」と語った。
ヘロドトスは、「慣習こそが王なのである」とし、たとえば「東大・スタンフォードの常識」を書き続けた私が「日本国の慣習」として受け入れられたことを意味する。
日本国の慣習は「東京大学・スタンフォード大学」を受け入れていたし、ニューヨークヤンキースや、ボストン・レッドソックスになんの抵抗も感じていなかった。
王になる秘訣は、松田聖子・中森明菜・小泉今日子・おニャン子クラブ・CoCo・ribbon・SPEED・酒井法子・モーニング娘。・AKB48など、「すでに人々に受け入れられたもの」を適切な配置につかせることであり、これが「ダリウスの答え」となった。
「慣習こそが王なのである」
酒井法子 うれし涙

時勢にしたがった生活が「甘美なるもの、良いものである」しかし、そもそも、東大・スタンフォード大の言っていることと、メディアの言っていることは、ズレがある。
「慣習こそが王なのである」
しかも、メディアがガンガンオンエアしたものである。
そのメディア(公法)を、私法の立場から「斬って」いくのが政治学科だろうと思われる。
一流芸能コース(公法学科)を、民間人としてどのように受け止めるか(私法学科・文書)、さらに、どのように解釈すべきなのか?(政治学科)など、公法学科の美男美女をめぐって、文書から会計につなげる私法学科と、芸能界の存続のために奉仕する政治学科に東大法学部は区別される。
芸能界に興味がないのならば、法学部ではなく、文学部や経済学部に行けばいい。
このメンバー表を、適切な「キリスト教史」に位置付け、アルバムの隅っこから「イデオロギー」を持ち出すことは、「死んだペットを食べる行為である」とも言われ、死んだ父親の遺体を食べるような論争は起きないものの、「ペットへの執着に過ぎない」と評されることもある。
しかし、「一人の王を殺すよりは、五人の民間人を殺す」と「慣習法」は表現される。
まあ、このメンバー表の作品を複雑に解釈する作業は、日常の「女との電話」でも最終的には「私は王によって、芸能界とつながった」と女に考えてもらえればよかったのだ。
慣習法とはそのようなものだ。
女心というものは「1999年にすべて音楽作品で出揃った」とされ、1995年に世間に知られることになった「二丁目」「おカマ」は、法から漏れ、「法律の留保」と呼ばれた。
しかし、現在でもその実態はすべてが明らかになったわけではない。
なぜならば「おカネにならない」からである。
試しに、仲間たちに「ちんちん食べる?」と言って魚肉ソーセージをあげたら「両刀遣いの男は食べなかった」などの研究は可能であるが、果たして「法律の留保」がカネになるかは明らかではない。
公法学科の「人気」を利用しない文書・会計(私法学科)はなかったし、公法学科を盛り立てない政治学科もなかった。
行政法(芸能界)なくして、市民の恋愛に意味を与える民法はなかった。
デートでカラオケは常識でもあった。
一類(私法学科)は金持ちになれたし、二類(公法学科)はスターになれたし、三類(政治学科)は政治家になれた。
また、スタンフォード大学に行けば、そのすべてが手に入った。

私が、精神病院に医療保護入院させられた時に、「これは国民の権利を抑圧し、義務を課する、つまり処分性があるのではないか?」
と考えた。
しかし、「処分」というものは芸能界が下すものであり、周囲の患者さんを見回すとみんな芸能人ではないか?
私は、職業的治療室のパソコンで論文をプリントアウトすることにした。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある」
これを、いちばん大声で病棟内で叫ぶ奴に、印刷して渡した。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある!」
病棟内にこの声が響き渡り、それを聞いていた女性患者が曲を作った。
西野カナ ダーリン

医療保護入院に「処分性があるのかどうか?」は極めて困難な問題であり、論文をプリントアウトできるのであれば、「仕事ができる、コミュニケーションが取れる」というあたりから、私もおのずと任意入院に切り替わって、退院に至っている。
庶務・文書・会計(私法)に関しては、5年ぐらい時間をかけて詰めていきたい部分があるが、公法の「処分」に関しては、だいたい他の患者さんに有名人が多いことを権力基盤とするものだ。
あるいは、政治学科ならば、なおさら芸能界の「処分」に奉仕する存在である。
有名女たちの間の「神」となるのが新カント派だとするのならば、落ち込んでいる女たちに「恋の話」でもするのが、政治学科の役割である。
また、女性職員が「プロポーズを望むようになる」というのも閉鎖病棟を出る秘訣であり、それも「横浜地裁と通じている」「女心のマップ(曼荼羅)を所持している」「女性職員は仕事が終われば社会に戻っていく、いろんな話を表で話している」などのことを踏まえて、
私が平成天皇にどれほど辛酸を舐めさせられていたか?が案外広く知られていたことから、開放病棟に出ることが許された。
「処分とは芸能界の力を背景に下されるものだ」「携帯の所持はできないが、ウォークマンならばいくらでも聞いていい」など、「アート」とつながっているのが障害者だ。
精神障害者には「交通と文化」が保障され、美術館なども安く入れる。
美術館の作品を「評論」しただけでカネになる。
私は、岡本太郎記念館などとも懇意であり、岡本太郎の作品ならばいくらでもいろんな人に「贈る」だけの人脈を持っている。
このような「アートの評論をする力量」はそのままおカネになり、「交通と文化」さえ保障すれば障害者でも案外、いい暮らしができる。
私の場合は、美術館ではなく、露骨にYouTubeを用いているが、「批評する精神」は、そのまま政治力につながる。
「文化」「芸能界」そして「処分性」だけは忘れることのできない思い出となった。
松田聖子 妖しいニュアンス 

「女心」を語ると暑い、というアプローチに対して、世阿弥元清は、「上げ歌」「下げ歌」「締め歌」という概念を考えた。
上げ歌というと「AKBの歌はほとんど」含まれるし、とにかく暑い。
下げ歌というのが「気温が下がる」のも確からしい。
「締め歌」というものも「放射冷却」を引き起こすものであることが多い。

下げ歌。暑い夜にどうぞ。
高橋由美子 ETUDE

世阿弥元清という人物は、ステージの上手を「目つけ柱」と呼び、下手を「仕手柱」などと呼んでいたが、能を考えた人だ。
室町幕府の将軍家の権力基盤も「能」にあったであろう。
南北朝正閠論の結末である「能天気」は、果たして「涼しい」のであろうか?
「上げ歌」「下げ歌」「締め歌」と同様に見ていかなければならない。
そもそも、足利幕府そのものが「明(中国)の経済ブーム」を背景に作られたものであった。
「将軍さまが、争うなと一言おっしゃっていただければ」
それも「能天気」次第であった。
神舞(かみまい・ゴッドダンス)というものが知られている。
神舞・獅子

「お~もし~ろ~や~」
茶道も涼しいのだろうか?
室町時代は「中国のやりたい放題」が日本国を席巻した。
茶道

能天気は、暑いね。
締め歌で「放射冷却」を引き起こすのだ。
これが「室町時代の美学」(東大文系出題歴あり)の答えである。
松田聖子 スター

世阿弥元清の「上げ歌」「下げ歌」「締め歌」と気温の関係についてはすでに述べたが、その後の時代にヨーロッパでクラシック音楽が作られている。
ハイドンカルテット(ハイドン・ベートーベン ・バルトーク・ストラビンスキー)と83人の弟子が作り上げた世界だ。
この時に「音で悲しみが表現できる」ことが分かり、長調と短調が生まれた。
上げ歌と下げ歌および長調と短調は必ずしも同じではない。
「下げ歌」「短調」のこの曲は果たして涼しいだろうか?
SPEED 熱帯夜

能というものは、結構退屈なため「涼しくなる」のかと思いきや、「能天気」などと言われるように、長調をもとにした「気温を上げる」効果を持つ。
長調と短調、上げ歌と下げ歌は必ずしも同じではないが、
このへんは「中国の謎」というしかない。
私も、アルバムの中の「静かな歌」を「下げ歌だろう」と考えるしかないが、SPEEDの熱帯夜のセリフの部分は「能」であり、結構、暑苦しい。
ここは、松田聖子のアルバム「ストロベリータイム」の締め歌が涼しくていいだろう。
松田聖子 ラブ

女は塵から生まれ、塵に帰っていく。
そのため、パートナーが何を想像して喘いでいるのかに興味を持つことは「自分よりも大切な人を見つける」ことを意味する。
男にとっては、「彼女」というものは「良いものである」が、決して「自分よりも大切な人」ではない。
肋骨、イブは、男に「永遠の退屈」を与え、たとえば、忙しくて仕方のない人がイブプロフェン(エスタックイブ)を飲むと、急に時間の感覚が変わる。
禿げてきたら、本来、「のどの痛み、さむけ、鼻水」の薬であると表記されているエスタックイブを飲もう。
イブプロフェンとは「結核の薬」なのだ。
しかし、昼間に仕事のある人は眠くなるので避けた方がいい。
創世記というものは「ヤングアース理論」と言って、45億年前にできた地球が「1週間でできる」というとにかく「退屈な」世界となっている。
永遠の退屈さにはメリットもあり、「ペインクリニック」のように「すべての痛みが消えて無くなる」ものである。
イブプロフェン(エスタックイブ)も、同様の効果を狙ったものと思われる。
禿げないための旧約聖書も、冒頭部分で「もし禿げたならば」とイブプロフェン(エスタックイブ)を用意しているのだ。
モーゼ五書は、ユダヤ人(学生さん)が、「覚えてくるまで家に帰ってくるな」と言われた書物であり、多くの銀行マンを生み出してきたが、
要するに「人間が禿げる理由は戒律を守らないからである」ということと、あとは「禿げのことを結核という」「娘の写真を携帯の壁紙にすれば治る」「娘がいなければエスタックイブを飲め」という「金融の基本」を教えたものと思われる。
日本の美は「ワビ・サビ・イキ・キレ・幽玄・もののあわれ」の6つを意味するが、ワビとは、草木の滴、サビとは老いたものの貫禄、イキとは若者、キレとは男女の別れ、幽玄とは女同士の争い、もののあわれとは、最高裁の結論を意味する。
東京大学には「日本の美」「涼しさ」が充満している。
華道

歌舞伎と言っても、「プロレス」と大差なく、「梨園の妻の女ネットワーク」と、天気をコントロールしているという明確な意思表示およびスポンサー探しが必要になってくる。
アメリカ合衆国が「気候はコントロール可能である」ということに気がついたのは20世紀の中頃である。
まさに「日米同盟」を安定的に維持するためだけにあった学問であり、
それでいて、日本国の英語の教科書に「温室効果ガス」などと書く「信用できない友人」ぶりを発揮している。
アメリカ高等教育だけが日本国にとって「率直な友人」だったのであり、それ以外は「信用できない友人」と言われても仕方がなかった。
「天気」にはとにかく人気があった。
それを「天皇がコントロールしている」というのは日本国天皇制にとっては死活問題であり、IPCCなどのように「南極の氷が溶けている」などという情報を発するものは日本国天皇制を解体しようとする意図があった。
「アメリカ合衆国は、平成の次、は想定していなかった」
アメリカ高等教育の権化である令和天皇ならば話は別であるが。
海にブイを浮かべて、気象衛星を飛ばし、富士山レーダーのあるだけの「天気」の世界に「文化」が介入していた。
これがどれほど天皇というものの意味を物語っているであろうか?
各プロダクションが発信源となって「天気」を作り出しているのならば、天皇の役割は限定的である。
しかし、そのメカニズムは天皇が明確にしなければならない。
「女が描く男」が涼しいのは事実である。
また、AKBという取り巻きがいる「お手つき禁止の天皇」も涼しい。
天皇が気象をコントロールできるのならば、まさに「民族の永遠の象徴」である。
しかし、アメリカ合衆国が「中華思想」の真の意図に興味を持ったのは20世紀中頃だったのだ。
キッシンジャーも、令和天皇の登場に、「中国も天皇とさえ言っていれば経済発展だけは約束する。しかし、体制は保障できない」と肩を竦めた。
松田聖子 青い珊瑚礁

しかし、木原さんにせよ、森田さんにせよ「コンピューター分析モデル」にしたがって、
天気予報を行なっている。
春のセンバツが中止になったのが史上初ならば、コンピューター分析モデルはかなりの「狂い」が生じるだろう。
そんな時には「各プロダクション」の動きまで見ていかなければならない。
また、各プロダクションの動きだけでなく、地元の有名女の失恋までは追跡できないとも言われる。
IPCCは、本来、中華帝国と戦争状態にあったのであり、日本国は一帯一路への参加を行うことにした。
中国側は「我々が石炭をバンバン炊くから太陽が熱くなる」と日本国に通告してきた。
しかし、その「真の意図」は令和天皇だけが理解していた。
「ハーバードの才媛」など令和天皇に比べれば赤子のような「アメリカ通」であった。

 

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

 

2020年5月 5日 (火)

東大法学部の論理。

私はこれまでに、西洋史・中国史・日本史を語らせていただいたが、ベトナム戦争を経て、日本国は、「中華帝国に気温を左右されないように」ヨーロッパの「スカンジナビアシェルター」に類似したものを構築し始めた。
それが「東京大学法学部の論理」である。
どの役所も「条文」「法制執務書」で動くようになり、「お役所」と「政治家」は明確に区別されるようになった。
お役所は「法律の人気には政治家の人気が必要」と考えたし、政治家の人気とは、「芸能界」と切っては切れぬものとなっていた。
どの政治家も、キャリアは「社会経験を積んだ後のプロデューサーへのエントリー」から始まっていたし、「企画書」の面白さでその力量が分かった。
腕組みしながら、「女の子」を眺めていたのだ。
「これが政治家の卵だった」
テレビ局は、どんな社会経験であれ、「企画書の面白さ」だけを見ていた。
レベッカ When a woman loves a man

「コロナウィルスで国民がバタバタと倒れていくのならば天皇を退位する」
この、令和天皇の発言に、東大法学部公法・私法学科の論理と、政治学科の論理が結びついてしまった。
つまり、「条文がすべて」のお役所と、「おカネ・力・人気がすべて」の政治家が結びついたのだ。
敵は「アメリカイルミナティ」であったし、令和天皇は東大法学部と一騎討ちをする形となった。
「それでも、人気よりも条文だ」
東大法学部はそのように考えていた。
そんな時に、令和天皇が「中国の科挙」つまり「天気コントロール」「スマホクーラー」という企画をぶち上げたのだ。
中国からの「熱風」を食い止めてきたスカンジナビアシェルターとしての東京大学法学部は、岐路に立たされた。
ベトナム戦争で「ムチャクチャ強ええ!」と思っただけの「中国の正体」が明らかになったのだ。
論語の専門家と称する所功も、その真の意図を認めようとはしなかった。
東大法学部は、今後もスカンジナビアシェルターとしての対中防波堤としての役割を担い続けるだろう。
しかし、「キャンパスがつまらない」からイスラム圏は原油の安定的供給を1973年に止めてしまったのだ。
そこで私は、「スタンフォード大学ジャパン」を神奈川県三浦市に作ることに決めた。
端的に言うと「女が描く男」は涼しい、と言うことである。
松田聖子 秘密の花園

政治学科の連中はとっくに令和天皇を支持していた。
しかし、公法・私法学科はそうではなかった。
どの条文を叩けば物事が動くのか?
それも「人気」に頼っていた。
令和天皇は、コロナウィルス騒動に関しても「食べ物飲み物の問題」と発言していたし、「組織のトップを守るための幽霊」とも率直に語っていた。
安倍首相が「絆」と言う発言をした時に、令和天皇のような「大人の側面」を見せたが、それも「ブレが生じた」という批判を浴びた。
お役所も政治家も「令和天皇こそが心のライバル」と見做していたし、東大医学部は「出発点から」間違っていた。
令和天皇の「食べ物飲み物論」の勝利を悟った東大医学部は、令和天皇の死をもって決着させようとすら考えていた。
「しかし、令和天皇は持病の腰痛をも自分で治し始めた」
つまらない東大法学部は、今後もスカンジナビアシェルターとして一定の役割は果たすであろう。
しかし、日本国にスタンフォード大学ジャパンがやってくるのだ。
楽しいキャンパスには「女子」は欠かせない。
そのため、スタンフォード大学ジャパンはメソジストの立場に立たざるを得ない。
しかし、「どんな女からも男は学ぶことが多い」ということを知る必要がある。
スタンフォード大学ジャパンに受かる女子は、「お父さんが酒井法子を聞いていた」から受かるのかもしれないし、他にもっと美しいアーティストがいるのであればモーニング娘。でもいいだろう。
モーニング娘。 電話でね

法律職は、お役所には残り続けるだろう。
しかし、行政職には「エッチな答案」が増えるだろう。
お役所だって「法律に詳しいもの」「仲間が多いもの」の間に稟議書を通していくのだ。
この仕組みが浸透して、ようやく「前向きな天皇制」が確立する。
これほど人気があり、影響力のある令和天皇の「死」を願うなんて後ろ向きすぎるのだ。
これはすなわち「法と道徳」の問題でもある。
道徳とは「多数派工作の学問」であるが、男同士は「カネと女」がなければつるむ理由がない。
法は「スカンジナビアシェルター」として対中防波堤であり続けたし、道徳は「政治学・哲学」と結びついた。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ

女が彼氏と付き合っていくうちに、「自分はできない」という問題と直面する。
「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるのかな?」
と言う二つの問題から「眠れなく」なるのだ。
仮言命令とは「和姦」のことだったし、何を考えながら喘いでいるのかに興味を持つのが「愛」だった。
サヨナラよりは殺して欲しい。
そんな「男が描く女」を語ると亜熱帯になる。
ribbon 亜熱帯ビーズ

亜熱帯ビーズは、寒いね。
「男が描く女」も「ホラー映画」になることがあるのだろうか?

「女は絶対に男を追い越せない」(アキレスと亀)。
このことを巧みに表現した音楽作品がこれだ。
君住む街 Qlair

プロ野球で、大量ビハインドを背負ったときなどは、この曲を使うしかないし、インターネット上ではかなり全体主義的にみんなが動いても、オンエアでは「東京大学法学部の論理」にしたがって、みんな「マニュアル化」された発言を行なっていた。
芸能界(プロテスタント)の世界に負うところが大きく、それでいて、テレビ局は「全体主義」を拒絶した。
横浜DeNAベイスターズの司令塔は、このようなことを考えていたし、率直にメッセージを論文として出していたが、その真の意図を理解するものは少なかった。

歌って踊るのは「女」であり、「女は絶対に男を追い越せない」存在であったが、「立証責任を負うのは男」であった。
工藤静香 証拠をみせて

しかし、「結果」と「証明」は異なるものだ。
「負けたらCは許してくれない」
しかし「AとBを行ったり来たりした」
これが「結果」であり、男が本当に「証明」した時だけCを許した。
カトリックは、「アイドル(偶像崇拝)」を容認しながらも、「現実の女に劣る」と説明している。
現実の女が、立証責任をコントロールしながらも、アイドルは、立証責任を負わされた男への「罵声」を消す効果があった。
罵声を浴びると人間は「何もする気がなくなる」ものだ。
そのためにプロテスタントも必要であったが、カトリック女は「負けてもいいよ」と冷静に勝負の世界を見ていた。
高橋由美子 負けてもいいよ

「女が描く男」は涼しい。
中国共産党の直系のribbonは、「女友達と本気で付き合うときは、男は、他の女の名前を出す」と言う基本を踏まえ、そのような男を描いている。
涼しさだけではなく「ホラー的要素」を含むのが中国共産党の特徴だ。
ribbon ガラスの上のブロークン

天気をコントロールできる「子」が歌のモデルになることを性悪説と呼ぶ。
しかし、大唐帝国は、「行動原理が不明確な男」「若者」に歌のモデルを移して行った(性善説)。
それでも天気は涼しくなったし、若者が夢を見れるようになった。
性悪説には「絶対」があったが、性善説は相対主義の立場に立った。
涼しくなればいいという割り切りと繁栄が中国共産党にはあった。
ribbon わかってないね

中国共産党は「性善説」つまり行動原理が不明確な男、若者を「女が描く男」として歌った。
暑いときは気温が下がるが、冬は暖かくなるのかは実験が必要だ。
いずれにせよ、性悪説は絶対主義と結びつくし、性善説は相対主義と結びつくのだ。
音楽の大衆化を志向したのは性善説である。
ribbon Virgin snow

女友達と「恋人関係」になろうとする男は「他の女の名前を出す」のは基本中の基本である。
そんな時に自分の気持ちに女は気がつくからだろう。
性善説の立場から「若者の国」を標榜したのが中国共産党である。
「女が描く男」は涼しい、それだけを見ていた。
ribbon 君ならば大丈夫

「女が描く男」を、「子」(先生)ではなく、若者という立場に立脚する場合(性善説)、若者は相対主義に立たざるを得ない。
「私は特別な女」「彼は特別な男」というキリスト教アリウス派の立場でもなく、かと言ってアタナシウス派の立場に立って「彼氏と別れた言い訳」を女が版権として持つわけでもない。
とにかく「性善説」=「相対主義」は、別れる理由もあっけらかんとしている。
それでも中国共産党は、「涼しさ」を探求したのだ。
ribbon さよならが終わるまで

中国共産党の性善説は、相対主義と結びつき、若者と結びつく。
加藤紘一も「相対主義の立場からは」と発言していた。
一方で、子(先生)クラスになると、口説き文句の絶対を知っていたり、天気をコントロールできる金持ちであるため、女は「別れた理由」を深刻に受け止めなければならない。
アリウス派はそのような立場であるし(彼氏は特別・私は特別)、アタナシウス派は、女は皆同じという立場から「フラれた理由」の版権を持っている。
アリウス派にせよアタナシウス派にせよ「絶対主義」の立場に立っており、マルクス主義的相対主義とは異なるものだ。
アリウス派の松田聖子の「絶対主義男」と、ribbon=中国共産党の相対主義男は、やはり「涼しさ」という観点からは松田聖子の方に軍配が上がるのだろうか?
松田聖子 Sweet memories

マルクス主義的相対主義と、キリスト教的絶対主義に関しては、ribbonも、立場のブレが見られる。
これは「別れた男は絶対」というキリスト教寄りの立場が垣間見える。
しかし、キャリアが斜陽に向かって「ブレ」が生じたとしか言いようがない。
「どうだ?儒学は涼しいだろう」と言ってくれる評論家がいなかったためだ。
ribbon Be my diamond

これはまだ、中国共産党の相対主義の立場を守っている。
涼しいですかね。
ribbon ハッピーエンド

1991年夏の、ribbonの日比谷野外音楽堂における「ハーレムナイト」は、大雨洪水警報の中で敢行されている。
「涼しさ」「相対主義男」「儒学」と雨の関係を物語っている。
一方で、渡辺美里のような「アタナシウス派」「絶対主義」「女は皆同じ」という立場にも「雨」の存在が指摘できる。
「彼氏にフラれた理由」を考えると雨が降るのだろうか?
渡辺美里

そもそも、スターリニズムというものが、「ゲイカルチャー」「相対主義」に立脚するものだった。
「俺を含めて誰のいうことも聞くなよ」
竹原ピストル

中国共産党の相対主義・性善説は、唐の時代の儒学と結びついたし、中国の歴史と何ら齟齬をきたすものではなかった。
中国の植樹祭で、朝から政府首脳がジャージ姿で現れ、
1日かかって木を植え、夕方に若者が演説した。
「地球最後の水を人間の涙にしてはならない」
中国はあくまでも「若者の国」であり、そうであるのならば常に「地球の終わり」を意識せざるを得ない。
若い女の子の中には「世界に終わりが来ればいいのに」と思う子もいる。
終末思想は、権力批判なのだ。
ribbon Wish

台湾は、松田聖子の「気温コントロール」を研究しながら、
中国に「4つの、ない」があるとし、言論の自由がない、是非を論じない、貞操を守らない、人道を守らない、と批判している。
対決の構図は台湾=キリスト教アリウス派=松田聖子。
中国=儒学=ribbonという図式だ。
松田聖子の方がribbonよりも有名ではないか?と思うだろうが、大陸では「ribbonが勝った」のである。
中国の新聞を読むときには、ribbon=マルクス主義をBGMにするといい。
ribbon 3つの願い

相対主義=性善説=若者の国の中国と、キリスト教アリウス派(特別な男・特別な女)という台湾は、台湾が「中国にとって、おばさんにあたる」ことから、特別な女=おばさんを扱うのが中国には荷が重い。
ビジネスパートナーとする必要があるが、バックにどんな男がいるか分からないし、どんな陰口を叩かれているか分からない。
ribbon=相対主義男の方が、松田聖子=絶対主義男よりも涼しいのならば、中国は「ひとつの中国」という立場を日米に認めさせてはいるが、日米は「台湾問題の解決は平和的なものでなければならない」とし、非常に困難な頭脳戦を構築してしまった。
ひとまず、大陸の図式を見て「ribbonの方が松田聖子よりも涼しい」というあたりを探ってみるしかない。
ribbon もう一度会いたくて

ここで、北朝鮮の「主体思想」が朱子学(文)であることを踏まえると、北朝鮮は、「ribbon+松田聖子」であり、韓国は「キリスト教国」であると言える。
日本国が「平成」になり、国民全員が無神論者、となった時に、北朝鮮に大洪水が起きている。
中国の「天」に対して、日本国の「命」がなければ、アジア経済は大変な混乱を引き起こすのだ。
音楽作品づくりは、日本国の専売特許であり「命」であった。
命まで投げ出そうとしたのが平成という時代だったのだろう。
ribbon そばにいるね

中国には「松田聖子」を、韓国・日本には「ribbon」を、差し出すのが北朝鮮であり、極東地域において「悪の枢軸」と呼ばれている。

「見える!奇跡じゃ!」
神様を信じていいことはあるの?
女でも男でも、神様(男)を崇拝すると「視力が良くなる」のだ。
女しか愛せない女は「メガネっ子」だし、女からエネルギーもらって勉強している男もメガネをしている。
男の場合は「知的ドーピング」として女性アイドルは存在しうるし、のちの人生で「ファイナンス」(金融)の役に立つ。
しかし、男でも「男しか愛せない」(無産階級)男はメガネをしていない。
ケツを青銅の蛇に貫かれなければ、イエスは「信じる」ようにはならなかった。
イエスは強烈な「金融マン」だったのだ。
ケツを青銅の蛇にぶち抜かれて「主よ主よ」と言って「男を崇拝」することを知り、視力が回復していった。
強烈な「金融マン」として「男性ボーカル」を「視力を回復させるために」用いる方向性を見始めた。
イエスは十字架にかけられて「得をした」という側面がある。
すでに、勃つようにならなければ、「男が男を崇拝する」のは危険な行為である。
男の子の8%は、10代のうちにカマを掘られた経験を持っている。
女性ボーカルを聞いて、知的ドーピングをやって、金融マンとしての才能を発揮させた私も、最終的には「ギタリスト」にでもなるのだろうか?
それはそれでファイナンスにはなるし、「英語で」ギターを学べるという立場にはいるが、「視力をよくするため」という「理論」を知ってなければできない。
Bz ウルトラソウル

イエスは「主よ、主よ、なぜ見捨てたもうか?」(エリエリレマサバタクニ)と言って、散々、「女たち」を金融に用いていた己が、ギタリストとして生きることを決めたし、それは、当時、「メガネがなかった」ためであろうと考えられている。
男を崇拝する男でも、哲学的に完成していなければ、勃たなくなるという致命傷を負いかねない。
しかし、哲学者として完成していれば、ギターで自然に女たちが寄ってくるのがわかる。
「それでも神様を信じることが必要だ」
上達という名の「贈り物」を感じながら、取り巻きの女が増えるのを見ていればいい。
Bz 兵、走る

重要なのは、「詩」にせよ「ギター」にせよ、「哲学を覚えたやり方にしたがえ」ということなのだ。
詩にせよギターにせよ「悲しみを地球の奥底に沈める」営みであり、「神」(男)を歌うものである。
スピノザは「ギターは英語を学ばなければ分からない」とし、「視力が良くなる方法」「男性崇拝」の争いに勝利を収めた。
神を語る男か、勉強をする男かに区別されたが、神を語る男はギターを弾いた。
アブラハムの神、そしてイサクとヤコブ、情報源と父と息子の対立という構図を作ればいいだけだった。
さらに、「セックス」の解釈論においては常に「神」でなければならなかった。
これを間違えたら、視力はよくならない。
サウンドがあれば、「詩」がある。
これらの情報源はすべて「英語」に頼らなければならない現状はあるが、それは「視力」を英米が世界で握ったことを日本人として受け入れるかどうかであり、英語への適応能力はもはや才能であった。
イギリスやアメリカ合衆国の「国づくりは芸能界にしたがう」という発想を世界が受け入れた以上、アメリカ合衆国は、覇権国家であった。
イギリスも1956年にスエズ動乱が起きるまでの200年間は覇権国家であったのだ。
すべては「ギター」にかかっていた。
Bz Love Phantom

おニャン子クラブ=原始キリスト教。
CoCo =カトリック。
中森明菜=ハプスブルク家。
松田聖子=キリスト教アリウス派。
小泉今日子=キリスト教アタナシウス派。
SPEED=ルター派。
モーニング娘。=神道。
AKBグループ=カルヴァン派。
ribbon=マルクス主義。
などと、簡単にジャンルは分けられるが、自分で、ギターを弾いてみて、「神」「男性崇拝」を学ぶしかない。
自分のギターが不完全燃焼ならば、CDを聴けばいい。
学問に励んだ結果、楽器をいじらないのならば、哲学の世界は「何も教えなかった」ことになる。
散々、苦労させて、視力を悪くさせただけの、報い、楽しみを学習者に与えなければならない。
「やり方」
が分かって、どの論客にも勝ってきたのならば、最後は楽器をいじらないといけない。

私は、ギターを爪弾いた。

貴女は私を忘れないだろう。
嘘も含めて忘れないだろう。
私が死んだら、ウロウロするよ。

正解はすでにある。
ribbon きっと忘れない

音楽業界は、「もうやることはない」という現状がある。
しかし、「誰もが興味を持てる勉強」を確立する必要があったし、それは「英語さえできればもっと遠くに飛べるのに」というスキージャンパーの発言に似ていた。
「誰もが信用できるわけではない」
そんな世界で「哲学」「音楽」だけは「何を信じたらいいのか?」を教えてくれるだろう。

これも正解。
ほんの3行程度、翻訳しただけでここまで膨らませてしまう日本人の「和」の心はものすごいね。
俳句の影響だろうか?
ribbon 夢見るように出逢えたら

適当なんだよ。
これをちょっとばかり拝借しただけなんだよ。
イングリッシュポエム

世界革命~トロツキーは「戦争するぐらいならイエスでも拝んでろよ」と言って、世界にクリスマスを広めた。
各宗派のリアクションをまとめてみました。
原始キリスト教=おニャン子クラブ。 カトリック=CoCo。 キリスト教アリウス派=松田聖子。 キリスト教アタナシウス派=小泉今日子。
「該当なし」
神道=モーニング娘。 ハプスブルク家=中森明菜。 ルター派=SPEED。 カルヴァン派=AKB48。 マルクス主義=ribbon。 ユダヤ教=酒井法子。

トロツキーの「世界革命」は、ジノビエフやカーメネフも、「スターリンの相対主義より怖い」と考えていた。
相対主義というものは「性善説」「若者の歌」という意味だが、トロツキストの中では原始キリスト教、カトリック、ルター派あたりが一番、セールスを記録したことがわかる。
トロツキーは寒いね。
コミンテルンが「中国大陸の孫文しか見えなかった」ということと関係があるのだろうか?

なぜ「イエスキリストが好き」なのか?
セックスすればどの男も「好き」になれる。
しかし、イエスキリストのソーセージはそんなにタフではない。
「好きになれば肉が食べられる」しかし、そのおカネはイエスキリストを好きになったことから他の男に貢がれたものでもいい。
「令和天皇が好き」と女が語り、しかし「令和天皇はすでに結婚しています」と男に語れば、「だったら俺が付き合ってやるよ」と男が言い、肉が食べられる。
「好きだというのは意味のない挨拶」と言われる由縁はここにある。
1956年にクインは、シェークスピアのオテローの研究をもとに、このような「教団」を作り始めた。
クインは「フローレンス・ロックフェラー」と呼ばれ、ロックフェラー財団に欠かせない人物となっている。
女が、「令和天皇が好き」と言えば、どの男でもモノにできるようになったからだ。
哀しい方の嘘 ribbon

令和天皇のノーベル賞受賞は、もはや「好き」を通り越して「崇敬」に変わっていた。
今彼は、そんな日には、贅沢なご馳走をしてくれたからである。
「令和天皇は心のライバル」と見なす男が多いからコロナウィルス騒動は起きた。
しかし、女の側もその「男の嫉妬」をうまく利用して「肉」に変えなければならない。
「選挙の日は外食する」
そのような心理にも似ていた。
モーニング娘。 ザ・ピース

「令和天皇は男たちに恐れられている」
それならば、なぜ、女たちは「令和天皇は結婚しています」と本命の男に語って肉を食べないのだろうか?
「天皇陛下の長寿をお祈りする場所」である日枝神社は、結婚式場ともなっている。
私のブログを読む男ならば、一生、衣食住事足りるだろう。
シャーロック・ホームズは「モリアーティ教授は結婚している」と語り、女性クライアントを得ていった。
好敵手とは得てしてそのようなものだった。
憎くても「いてくれなければ困る」、そのような関係から財団や教団というものはできるのだ。
うしろゆびさされ組 セキララ

 

 

 

 

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寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

2020年5月 3日 (日)

財界二世学院。

ベトナム戦争とは、中国をバックにした北ベトナムと、アメリカと同盟関係にあった南ベトナムの戦争であり、アメリカとしては南ベトナムへの「集団的自衛権の行使」(ジョンソン宣言)であったが、「繁栄・処女・高貴さ・競争」+いじめを背景にしたアメリカ合衆国が、なんとアジア地域の「天気」に戦争を仕掛けたようなものであった。
この不人気な戦争に、アメリカ合衆国の「世襲制」が関わり、ロールズは「正義論」を書いている。
ソビエト連邦の「いじめのない楽園」は崩壊しても、中国は「思想が異なる」という認識があった。
ベトナム戦争を理解しないと、なかなか「親父の言うこと」も分からないだろう。
CoCo Newsな未来


日本国は、日本国の天気を脅かそうとするアメリカ合衆国と同盟を組んでいた。
安保改定においては「韓国・台湾の安全」を我が国のものとして引き受けた。
このことから「台風」が日本の夏から秋にかけての風物詩となっている。
「台風は来ません」という松田聖子は、アメリカ合衆国というよりは中国寄りであり、ベトナム戦争への反発という意味では吉永小百合などと同じ足並みを歩んでいた。
「世界の母・恋人・友人」であろうとしたのだ。
松田聖子 瑠璃色の地球


ベトナム戦争に反対した親は多い。
しかし、ロールズの正義論を読んで、その本質を理解したものたちだけが、親からカネをもらい、「一月の真夏日」にあきらめ顔で恋愛を楽しんだ。
瀬戸朝香 一月の真夏日


極東地域で火花を散らせたい奴なんていないよ。
それはもはや「雷さま」とも関わる問題だったからである。
「やめた、やめた、大学に行くのやめた」
日本国は「四季折々」を見失い、道徳(多数派形成のための学問)すら見失った。
親からのカネがなければ、多数派にはなれなかったからだ。
仲間が欲しければ「いい子」になるしかない、それが「道徳」であるとされ、「ベトナム戦争こそが道徳の学問である」ことを理解するのに時間がかかった。
春日大社の藤原紀香がなぜか、生徒会の書記に選ばれた。
私は落選した。
政治意識の違いが顕在化した。
偏差値Boy うしろゆびさされ組


ロールズは、息子の「世襲」の条件に「ベトナム戦争への理解力」を求めた。
それは、「アメリカや日本の論理」であり、英国王室の論理ではなかった。
日本国の中年世代は、いまだ「ベトナム戦争の呪縛」から解き放たれてはいない。
ニートと呼ばれ、就職氷河期があり、「親のカネは俺のもの」という発想がなかったため、ベトナム戦争の解釈をめぐっても、「繁栄・処女・高貴さ・競争」+いじめというカトリックの世界は、ベトナム戦争リベラルと対立を続けた。
カトリックの立場に立つCoCoは、バチカンの指示にしたがい、「日本国を二度と立てなくしてやろう」と考えていたようだ。
「お前ら、処女をめぐって喧嘩しろ」
しかし、英国王室の論理や、アメリカイルミナティの論理を日本人が学習するたびに「バチカンII」を開催して、「リベラルってそういう意味か?」と記録に残した。
「毛並みのいいだけの英国王室」
「ベトナム反戦運動を経験した親を持つ財界二世」
日本と、南米では「リベラルの意味が違う」とされた。
マドンナ スパニッシュアイズ


ロールズは、リベラル国家である日本とアメリカで「どの男が選ばれるべきか?」をベトナム戦争に求めていたし、親が生きていた「社会」にどれほど人気があったのかを知ってほしい、あるいは教えなければならないと考えていた。
「母の純潔を信じない子は伸びない」
そのことを踏まえると「息子への世襲」は、話して聞かせる類のものではなかった。
第二次世界大戦に関しては、靖国神社が「宗教」にしたため、祖父から父への世襲は難なく終えた。
しかし、ベトナム戦争だけは「真実が分からない」ものとなっていた。
このことが「40代無職」にどれほど堪えたであろうか?
rebecca when a woman loves a man


私は、アーサー・マッカーサー(ダグラスの息子)に、この映像を見せられた。
ベトコン


「分かる日が来るといいね」
われらの時代とはこれほどまでに言論の自由があったんだ、と誇らしげだった。
「親が持っているカネ」こそが、本来自分のあるべき場所だった。
「医師国家試験合格者の申請により、医籍に登録する」
息子は「ベトナム戦争」さえ理解すれば良かったのだ。
このことは「ロールズカルト」と呼ばれた。
 


親と同じレベルの政治意識を持つことは難しいのだ。
藤原紀香も、佐藤玉緒の母ちゃんから教わったんじゃないかな?
清濁併せ持たないと、なかなか伝えられないことなのだ。
すべての政党に、この問題を「解いてみろ」と無知のヴェールをかけて、ロールズは、ベトナム戦争を闇に葬った。
女としては、「無知のヴェール」つまり「得体の知れない政治的背景」をもとに「元の位置」つまり、「まるでここにしか居場所がないように」男の前に「いる」のである。
それは社会契約から由来するものであろうし、女の顔は「父親が」決め、胸は「母親が」決め、体は「父親のオタクカルチャーが」決めていた。
あるのは「ブリリアントホワイト」だけだった。
工藤静香 ブリリアントホワイト


この、女が目の前に「いる」という理由は歴史的背景があるし、男の口説き文句がうまかったなどの「政治的・哲学的」背景がある。
歴史的背景からいかに「自由に」なるかが金額で「日経平均株価」として示される。
歴史的制約・社会契約による制約が強ければ強いほど、口説き文句は高く売れるし、女も「対等」である以上、その「移動」にかかった費用が日本国の富になる。
書籍代・交通費・食費・家賃・アパ、すべての費用を合わせても今は2万円かからない。
男の「射精」が目的でも、歴史的制約・社会契約による制約が存在する以上、「対等な」女を動かすためのお金は常に算出される仕組みとなっている。
それは、「ベトナム戦争を理解したから」というロールズの正義論は、「もののたとえ」に過ぎず、いつの時代にも「親の論理」が存在することを念頭に置いている。
哲学の世界は、「お給料」などほとんど問題にしていない。
「親のカネ」という割り切りが必要だ。
哲学の世界では「誰もが皆、無職」としか思えない経済インフラが構築されている。
日経平均株価チャート


誰もが、新聞を読み、ニュースを見て、職場に向かった。
人によっては朝ドラも見るだろう。
しかし、それは「仲間を作りに行く」ためであり、歴史を共有するため、であった。
仲間からも歴史からもはぐれてはならないが、経済政策としては「誰もが皆、無職」というような扱いをしている。
だとするのなら、無職の男も「仲間を作り、歴史を共有できる」場所に顔を出せばいいことになる。
需要が価格を決める、つまり、女たちの供給が減ろうが増えようが、男の快楽が「女の値段」(日経平均株価)を決めている。
彼女がいない男は、東京までアイドルを見に行くことになるかも知れないからだ。
女がそこに「いる」ということのためにいくら払うのかが問題なのだ。
工藤静香 裸足のライオン


ロールズは、学校や会社などの「女」をあまり問題にしていない。
それよりも「顔」「胸」「からだ」のコントロールの方が重要だと考えていた。
社会契約は「一般意志」は作るだろうが、経済政策としては女の「顔」「胸」「からだ」のコントロールの方が重要だった。
「親の歴史を理解する」
その方がより強い意味を持ち、大河ドラマも真剣に見た。
「社会のメンバー」であることは避けられないものだ。
それならば、まず家族をコントロールしてみよう。
家族が動けば、世の中のいろんなものが動く。
すべては「自分の見識次第」であることを知り、ベトナム戦争リベラルと、そのことを見失った平成の国連平和維持軍が構築できなかった「国の保守化」などが指摘できる。
部を辞めたら、大学すら去らなければならない、そんな時代に「7千円で」女が動き始めたのだ。
「顔」「胸」「からだ」のコントロールの方法を見失っていたのだろう。
女子高生が「美の探求」「からだのフィットネス」の方法を見失った。
顔が美しくなるためには「お父さんが酒井法子などにかぶれたこと」、胸が大きくなるためには「お母さんがお酒を飲む」こと、スタイルが良くなるためには「お母さんよりもお父さんの方が面白い」こと(オタクカルチャー)などを平成に見失った。
女がそこに「いる」ことを学校や会社に頼りすぎると、経済はよくならないし、一方で「顔」「胸」「からだ」のコントロールは必要になってくる。
男のコになりたい 酒井法子


女がそこに「いる」という「元の位置」のためにいくら払うのかが問われ、
安室奈美恵のコンサートそのものは採算が取れなくても、安室奈美恵がそこに「いる」ことのためにいくら払うのかが問われた。
私は、平成の初期の段階でCoCoは「20メートル」先にいたが、Melodyは「5メートル先」にいたことを記憶している。
これが「株価下落」を端的に表現している。
この私の指摘に、遠野舞子がなぜか激怒していた。
「女の値段」の安さを指摘されたからだろう。
遠野舞子


 


 


 


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