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« キリスト教総論。 | トップページ | 日本の哲学。 »

2020年4月19日 (日)

中国の思想と日本の芸能界。

さて、キリスト教史をまとめさせていただいたところで、当然、「中国はどうなっている?」が問われる。
当然、「倫理」から始まるものである以上、「セックス」が議論の対象となるが、「家族」の存在や、「よそ者」の存在、「仲間」の存在、「社会」の存在、そして究極的には「国の頂点」になった時の振る舞い方などが「中国の書物」として残されている。
工藤静香 奇跡の肖像

儒学、墨家思想、道教、法家、中国仏教の五つの存在を深めていかなければならない。
儒学は「いじめと豊かさ」を標榜した時点で「カトリック」と類似し、「実力制の王」を生み出したが、墨家思想は「男が女を愛するとはどう言うことか?」(経済)を論じた、道教は、プラトンのように音楽作品を多く作り、法家は、「処女のセールス」を見た。
中国仏教は、「美男美女」を大量生産した。
これらの説明だけで、それなりに自己完結はするが、「中国の皇帝って何を考えていたの?」という問題が日本人の誰もがわかるように説明していかなければならない。
complex1990 Be my baby

中国は、「女の子の、男のコになりたい」という気持ちを利用して建国されたという意味において、人類史上は「中国とプロイセンだけ」と呼ばれる資金集めを行った。
髪の短い女の子は「お父さんが羊を盗んだ」(お風呂でエッチなことをされた)ということから「処女」論争に巻き込まれ、「キリスト教はこの問いに答えていない」(カラマーゾフの兄弟のイワン)と言われた。
墨子、孟子、韓非子、荀子、荘子などがこの議論に挑戦した。
「キリスト教社会には分からない議論をしてやろう」
そうでなければ、中国王朝はキリスト教圏と何ら変わり映えのしないものとなるからだ。
男のコになりたい 酒井法子

荀子は、髪の短い女の子が「一人っ子なわけがない」とし、「父、母、息子、娘」の存在を指摘した。
息子と娘が「悪さ」をすることを恐れて、父が羊を盗んでいたのだ。
息子と娘がいるのならば「裕福な」家庭であろう。
そのため、髪の短い女の存在は「王子の息子」を当然、想定しなければならない。
髪の短い女の子の「兄弟」を、美徳と慣習と呼び、男兄弟と女兄弟同士でエッチなことをされるくらいならば、「父親が介入してやろう」というところに、豊かさ(美徳)と、「女心」(慣習法)が存在することとなった。
中国とは「豊かさと女心の探求」という意味で「美徳と慣習」の探求をする世界となった。
思想の起源が「髪の短い女の子」にあったのであり、
「仁」と呼ばれる官僚的ハンサムさ、知恵と勇気などが男の子には求められた。
髪の短い姉や妹ではなく、「髪の長い女」を駒場エミナースで熱心に追いかける「金持ちで真面目な」男たちが大勢いた。
愛と勇気と思いやり

男の子が欲しいな?という感情が気温を上げ、男のコになりたいという感情が気温を下げる。
この違いが分かるだろうか?
男の子が欲しいな?というのはデディクトと呼ばれ「男が描く男」によってもたらされるものだ。
男のコになりたいというのはデレと呼ばれ、「女が描く男」によってもたらされるものだ。
デレ。
マリオネットの涙

周王朝の武王がデディクトであるとされ「男が描く男」であり、気温を上げる研究であり、文王がデレと呼ばれ、「女が描く男」であり、気温を下げる研究である。
「部活よりも勉強が大事」となると気温は下がるが、「デレ」「女が描く男」でも気温は下がる。
そのため、「少女マンガ」の研究が文王の仕事となっていた。
デレ。
好きになってもくれない おニャン子クラブ

一方で、政治というものは「男が描く女」であり、これは「理」と呼ばれている。
理というものは「男が描く女」「女心の定義」つまり「政治」である。
政治は、私も「垂加神道」を書いていた頃はとにかく「風」が吹いた。
このことから、アマテラスとスサノオの関係が指摘でき、「男が描く女」は、「男が描く男」と同じで気温が上がる。
「文」つまり、女が描く男、以外に「気温を下げる」要素は見当たらず、つまりはそれが「文系学問」となっている。
笑顔でノーサイド CoCo

今日の雨は私が降らせたの。雨のバカ。
「悲しみなんて自分一人で癒すものさ」「忘れかけてたマイレボリューション」
マイレボリューション 渡辺美里

松田聖子は、「女が描く男」を歌っていたのではないか?
と思うだろうが、アリウス派と「武」「陽明学」が結びつくのが正解だとなると、私は中国の高級官僚になれてしまう。
このへんは、まだ練られているない。
いずれにせよ「仁」と呼ばれる官僚的ハンサムさと知恵と勇気がなければ、朱子学も陽明学も成立しないのだ。
つまり、「気温や天気を自在にコントロールできる」教団ならばそもそもロビー団体であり、お布施を要求しない。
1945年の夏は、とにかく「文系」の男たちが、女を口説きまくったため、「8月革命」と呼ばれるほど暑かった。
男が「女心」を語るととにかく「暑い」のである。
「女が描く男」つまりデレが気温を下げるが、ここから先は「一筋縄ではいかない中国の難しさ」という他はない。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

松田聖子が「台風は来ません」というのならば、それはそれで尊重しなければならないし、単純に「アリウス派」=「武・陽明学」と相思相愛の関係にしてはならないだろう。
このあたりに中国の書物を読む「必要性」がある。
結論を急いではならない。
あくまでも松田聖子は、「デレ」であり、聴けば聴くほど気温の下がるアーティストなのかどうか?
この辺りが解ければ「科挙」には受かるだろう。
今は、インターネット時代であり、ネットで発言すれば気温をコントロールすることができるが、昔の中国では「お手伝いさん5千人」を集めて国の天気を管理する「腕前」「人望」を学ぶ必要があったとするのならば、「5千人の女を集める学問」が中国の書物なのだろう。
「皇帝」なんてものは名乗りたければ勝手に名乗ればいい。
まあ、中国の「儀式」というものが「日本に四方を拝ませろ」ということであり、つまり、「西から天気は下り坂」という「中国や北朝鮮の方向から風が吹いてくる」ことにある。
私は、平成天皇が「四方拝」を行っているのを目撃したことがある。
私が「台風撃退法」を明らかにしてから、「西から天気は下り坂」とは必ずしも言えなくなっている。
「私たちが気温をコントロールしているの」と「女たち」が考えるに至ると、「国民に一律10万円」では済まない「おカネ」を女たちに支払わなければならない。
これが「中華中朝」とされる所以である。
「5000人のお手伝いさん」と、仲良く、しかも多数派工作を行いながら生きる、これが中国の皇帝だと言っていい。
浜崎あゆみ To be

中国が「正確な対中政策を打ってもらいたい」としてこれらの学問をアメリカ合衆国に紹介したのは1980年代のことだ。
マッキンタイアとかウォルツァーなどがこれらの研究を公表した。
息子は官僚になり、娘は政府からお金をもらう、「いじめのない共産党による一党独裁の豊かな国」はこのようにして生まれた。
男の子は「治める」ことを知り、女の子は「踊る」ことを知る、舜は、結婚したことを両親には伝えなかった。
「仁」つまり官僚的ハンサムさを持ち知恵と勇気に満ちている、というだけで大富豪になれたからである。
王子様と雪の夜 タンポポ

墨子は、デレ(女が描く男)を歌う女にせよ、デディクト(男が描く男)を歌う女にせよ、双方の女を男は愛さなければならない(兼愛)とした。
レイニーデイ×3 高橋由美子

女性ボーカルに男が興味を持たなければ、気象コントロールは困難であると考えたのだ。
また、いじめられている子供も、孟子は「女が描く男」だろうと考えていた。
ぼくをぶたないで 高橋由美子

さらに、「女が描く男」の研究は深められ、「勉強する男」もこれに含まれると考えられている。
いずれにせよ、「天気」をコントロールするためには、キリスト教に興味を持たなければならず、これは「人心」と呼ばれ、影響力のない者は、そもそも「天気がコントロールできない」とされている。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY

また、「浮気をする男」も、「女が描く男」に含まれ、アタナシウス派やアリウス派の違いも、結局のところ「女が描く男」に含まれており、詳しい区別は「人心」(キリスト教)に過ぎないと考えられている。
デレ(女が描く男)と、デディクト(男が描く男)の区別が必要なのであり、二つの表現が女によってなされたら、男たちはその音楽作品を愛さなければならない(兼愛)とされている。
「神・男の完全性を語り合うと爽快感がある」ということを踏まえて、それでも「仁」つまり官僚的ハンサムさと知恵と勇気を持ち合わせたモデルである「舜」を中国の「神」と位置付け、その人物像は「少女マンガに出てくる男のよう」でなければならなかった。
「キリスト教は、人心はつかめるだろうが、地球温暖化につながりかねない」そのように中国は考えていたのだ。
パールホワイトイブ 松田聖子

「髪を切った私を、違う人みたいと」
女が描く男(デレ)の存在は、キュレーション(評論)が必要であり、それは「台風は来ません」という意味であることを、メッセージとして明確にしなければならない。
ただ、「聴いて、感じればいい」というものではなく、「デレを描いた」「気温を下げるため」ということをしっかりと示さなければならない。
松田聖子 夏の扉

また、男の「家族への忠誠心」も「女が描く男」であるとされている。
このように見ていると、中国の書物にはなんら「教訓」「説教」のようなものはないことが分かる。
セロリのキス ハッカのタバコ

儒学の「テキスト」そして墨家思想の「兼愛」そして道教の「音楽作品」は、このように気象コントロールに用いられている。
この司令塔を「天」と呼ぶ。
中国には「天」が存在する。
しかし、平成の日本国には「天」皇はいなかった。
公然と四方拝を行い、中国に翻弄され、儒学の真の意図を見失っていた。
タクシーの運転手は、皇居の周辺で「なにやっておられるんでしょうね?」と肩をすくめた。
東京オリンピックも、「マラソンは札幌で」と言われるほど、日本政府そのものが「人為的に気温を下げる」方法を知らなかった。
松田聖子 赤いスイートピー

朱子学は「文」の立場であったが、この時に「心」つまりアタナシウス派とアリウス派の違いに気がついたようだ。
また、陽明学は「武」の立場から「キリスト教ファイナンス」によって「心技体」つまりプロスポーツを生み出している。
ラファエロは、そもそも「少女マンガ」を描いている。
儒学は、リベラルつまり「英国国教会・英国王室」のような世襲制と、最悪なエリートを排除する民主主義と結びついた。
私も、令和一年生の時は、「雨男」と呼ばれ、試練を経験した。
メディアが「雨」を「天皇のせい」にすることそのものが、令和君主制の確立を意味した。
墨子によると「迷信深い人は悪いことをしない」とされており、アウトロー気取りで悪いことをする奴は、「天照大神・素戔嗚尊、コロナウィルスに感染することを祈願いたします」と本人に聞こえるように言うだけで、「迷信」に騙されてのたうちまわることになる。
企業のトップは、常に「悪いことをする連中」(クリーク)にいじめられている。
そこで起きた「コロナウィルス騒動」は企業のトップにとって「渡りに船」だった。
悪いことをする奴に「アマテラスオオミカミ・スサノオノミコト、コロナウィルスに感染することをお祈りいたします」と言うだけで、常務会(女の子たちに人気の違法な連中)が震え上がるからである。
組織の頂点にとって、コロナウィルス騒動は「必要なもの」であったし、常務会にとって、私の「食べ物飲み物論」は必要なものだった。
常務会と社長の睨み合いは、一度膠着状態に陥ったら、東京オリンピックどころではない。
国難ではないのだ。
組織論なのだ。
結局、食べ物飲み物論が勝利するだろうが、メディアは必死で「企業のトップ」を守ろうとし、スポンサーも大勢いるものと思われる。
私も、組織のトップにいるが、コロナウィルス騒動の「未知のウィルス論」と「食べ物飲み物論」を都合よく使い分けている。
気象コントロールが出来るようになると、「5000人のお手伝いさん」をめぐって争いが起きる。
この組織論こそが墨子の語った「法」なのである。
キリスト教も「教会法」かもしれないが、中国には独自の「法」がある。
コロナウィルスは「人々が語り合っているから存在する」それはまるで「幽霊」のようだ。
キリスト教は、カトリックと英国国教会という対立を遂げたが、中国では「幽霊」による解決法が模索された。
兼愛の観点からは、「女が描く男」という側面があるが、社長もクリークもみんな「家庭」を持っていた。
このようにして、墨子は、「天」を「法」によって守った。
酒井法子 夢冒険

この「組織論」をコロナウィルス騒動で明確に打ち出した「天皇」「宮内庁」は、いかなる省庁・企業の「頂点」に君臨した。
トップの「力量」次第で、組織のあり方は変わる。
そこで、令和天皇制は完成を見たのである。
なぜ、令和天皇が始めから明確にしていた「食べ物飲み物論」が黙殺されたのか?
それは、企業のトップに「殺したいほど憎い連中」(クリーク・違法な連中)がいたからである。
クリークの人事の難しさはキリスト教圏でも知られているが、お金でコントロールするしかないように見える。
そこに、「幽霊」を持ち出したのが中国である。
「5000人のお手伝いさん」「天気をコントロールする女たち」を集めたら、「迷信」「幽霊」「コロナウィルス」と言うものは生まれざるを得ない。
パニックによる国家の崩壊は免れたが、組織論に落とし込んだことから、令和天皇制は、窮地を脱し、むしろ「君臨」することとなった。
さて、儒学による「気象コントロール」と「墨子」による組織防衛論はすでに述べたが、道教は、「失恋した女」が宇宙を持ち出して「フラれた言い訳にする」ことを指摘した。
小泉今日子 スターダストメモリー

そこから「天文学による国家の行方の占い」が発展した。
動的静(ドテチン)と呼ばれるもので、年配者になると「あしたば」という野草が食べられるなどという「知恵」とも結びつく。
道教は「天文学」を富に変えることで、「義」(お金に満ちていること)から鳥・魚・植物などを語り始めたのだ。
小泉今日子 迷宮のアンドローラ

道教が「女の失恋」と天文学を結びつけ、国の頂点を「星座占い」で脅かすようになると、荘子は、その富で「中華料理」を作り始めた。
「気象コントロールならば俺でもできる」という連中がいて、習近平などは「護衛の銃口がいつ自分に向くか分からない」とされている。
日本国の天皇や首相とは明らかにスケールの違う指導者であった。
まあ、中華料理が美味ければ国が治るという発想も当然ある。

また、法家の韓非子は「国家統治の全体像を知っているもの」でなければ処女にモテない、とした。
処女にモテないことを「罰」と呼び、金持ちになることを「褒美」と呼んだ。
伝説的王を記録に残すことで金持ちになる歴史家も法家と呼ばれた。
国家統治の全体像を知らなければ歴史は書けないし、処女にもモテないからである。
高橋由美子 ときめき

このような「中華中朝」において、「王はハンサムだ」「世界の中心だ」としたのが天台宗と華厳宗である。
「王に似た顔」「王妃に似た顔」「例の顔」だけで、豊かさが約束され、各自が身内に皇帝・天皇・聖徳太子を持っていた。
それで、中華帝国は一貫性を持った国として成立した。
さらに研究を深めることは可能であるが、以上の文脈を理解しなければならない。
さて、この「権力の階段」を登っていく、中国哲学の世界であるが、「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならない」から病気になる。
そのことから「女は5人必要」(五行・五つのマンガ)、とされ、「気」によって心を癒していかなければならないとされた。
このような男が「陰陽師」と呼ばれて恐れられたのだ。
CoCo 優しさに帰れない

AKBグループでも坂道シリーズでも、「女は5人」名前を覚える必要がある。
このように、ヒポクラテスと同様に「聴いただけで癒される」ことを養生と言い、本草学は、セックスを「内丹」と呼び、日常を「外丹」と呼び、その経験値を「数術」と呼び、そのテクニックを「方技」と呼び、恋愛論を「医経」と呼び、これらと無縁の医者を「神仙」と呼んだ。
「五行・五つのマンガ」には様々な個性が見られ、私は、「松田聖子」「中森明菜」「小泉今日子」「CoCo 」「ribbon」などの五行によって出世した。
五行の「評論」をするのが「強烈な敵をなくす」ことであり、私は同時代を生きた連中の中では最も強い「五行」を持っていた。
自分が「出世するだけ」ならば陰陽五行説に立脚し、「天気がどうなっても知らない」世界である。
国の頂点に立つのならば「儒学」「墨子」などを理解しなければならない。
CoCo 夢だけ見てる

自分が選択した「五行」が人々を惹きつけ(導引)、その評論で心が癒されなければならない(養形)。
有力な政治家の言うことさえ聞いていれば健康というのが漢方医学なのだ。
面白い政治家は「神人」と呼ばれ、中森明菜と松田聖子を同時に愛することを「合陰陽」と呼んだ。
張家山のサクセスストーリー(天下至道談)などが知られている。
女たちに恵まれ、食事に恵まれ、家族に恵まれる、これが漢方医学である。
「仲間が多い、何かやってくれそう」これが恋の予感である。
松田聖子 白いパラソル

諸葛亮孔明の「抱樸子」が知られているが、
アタナシウス派つまり「女は皆同じ」「女の失恋の言い訳の版権の膨大さ」に気がついていたとされ「行気」と呼ばれている。
一方で、「彼は特別な人」「私も特別な女」というアリウス派(房中)も知っていたため、「漢方薬」と言うものは諸葛亮孔明の不老長寿を祈った「ハーブ」だとされている。
松田聖子 風立ちぬ

張飛は、諸葛亮孔明のためのハーブを集める「行動派」だったし、関羽は、理論家だった。
天気のことなんて劉備玄徳に任せておけよ。
所詮は出世がすべてだ。
諸葛亮孔明の言うことを聞いて、張飛と一緒に酒を飲んでいれば、まあ、健康なわけだ。
中国は、2000年にわたって「デレ」(女が描く男)を研究し続けていた。
天気の心配は、「マルとものさし」と言われ、統治者はひたすらデレを公表し続けたのだ。
「風呂に入る王家の息子」
などを描いた。
20世期に、毛沢東が「家庭に帰ろう。少しは女を口説く方法でも考えよう」と言った。
(文化大革命)
鄧小平は、「キリスト教への改革開放」を宣言した。
この時に、中国や北朝鮮に大洪水が起き、IPCCが「地球温暖化」を問題にし始めた。
中国は「一帯一路」と呼び「熱い太陽は我々が石炭で作った」と主張した。
日本国は、「中国とは何か?」を見極めるのに時間がかかった。
1989年に、胡耀邦の葬式が行われた。
学生担当の胡耀邦の死に、学生たちが続々と天安門に集まり始めた。
その動きは「民主化」(最悪なエリートの排除)を求める動きへと直結してしまった。
「我々、学生は女一人口説く学問すらやらせてもらえなかった」
この時に、世界が「中国という理想郷」の夢から覚めたとされている。
この時、ハンガーストライキなども起き、この問題を担当した李鵬首相は、北朝鮮訪朝を取りやめ、徹夜した学生を翌朝、訪れ「済まなかった」と言った。天安門広場の西から軍事行動が始まった。
天安門事件

それ以降、中国民主党事件や、法輪功の問題はあったが、過激なムーブメントは一切起きていない。
コロナウィルス騒動とはなんだろうか?
中国は、常に「異民族問題」(豹)と向き合っていた。
異民族とはヨーロッパ人のことだろう。
自閉症とは、「色白のアジア人」のことを言い、「マルとものさし」(太陽)を描くのを好む。
日本の医学書には「去勢」と書かれているため、男の子が下手に自閉症を告白すると、ちんちんを切られかねない。
しかし、「王」という存在は常に「自閉症」だったのではないだろうか?
ちんちんを「ピエロ」と呼んで、女の子特有の思春期のことを「去勢」と言っていることぐらい見抜かないといけない。
さよなら失恋ピエロくん うしろゆびさされ組

天安門事件は、「中国には松田聖子や中森明菜がいない」という問題から引き起こされたものだ。
映画監督の陳凱歌も、「ハリウッドを見て一から作り直した」と語っている。
松田聖子は、「女が描く男」を中国よりもよりパワフルに表現したとし、「台風は来ません」と大見得を切った。
天安門事件は「松田聖子」が焦点にならざるを得ない。
それにしても「いつ、日本は中国の真実に気がつくのだろうか?」が問題となった。
キッシンジャーは、早々に「天皇とさえ言っておけばいい」と中国を見ていた。
アタナシウス派・アリウス派の対立は「心」であり「おカネ」であった。
日本国は、「女が描く男」に関しては「エルニーニョ現象」(神の子)と呼んでいた。
松田聖子 ロックンルージュ

世界の天気なんてどうなってもいい。
「口説き文句」を中国語で売るんだ!
中国の膨張はここから始まった。
その、怒涛のセールスは2011年まで続いた。
8人目で過去から逃げ出し、9人目でジェラシーを見て、10人目で愛してたなどというものを「算」と呼んだ。
そのことを歌にしておカネにすることを「律」と呼んだ。
これらは「歴法」を知らなければわからなかった。
globe Joy to the love

「何回、飛んだか分からないね」
このような女たちの証言を男たちは「天文」と呼び、聞いただけで癒されるという意味では「医」であった。
円広志 夢想花

この歌に関しては、漢王朝の頃から「一人の男を知っている女」を人と呼び、「二人か四人」を地と呼び、「3人か5人」を天と呼んでいた(天地人)と言われたが、
女たちは「共存するのが」難しいと語った。
いずれにせよ、笑いながら「律」をみんなで聴く文化が中国にはなかった。
「六藝」「六経」「諸子」「詩賦」「数術」などが、整備されて行ったが、小室哲哉を見ながら「秦の始皇帝が記したもの」とされた。
中国は、日中戦争を「決着がついていないもの」と考え、「日中でチェスを指すのならば歴史学を語ろう」と言い三国志などを記した。
ribbon 真夏のフェミニスト

日中戦争に総括など必要ない。
日中の双方で歴史学という名のチェスが指された。
日本の東大生も、中国の北京大学の学生も「チェスの手ほどき」を受けたに過ぎず、「どんな人物?」と言われるのならば、「芸能界」というものに注目しておかなければならなかった。
「アジア初の近代帝国」は間違いなく「日本国」であったし、それ以前の話は「チェスに過ぎない」という割り切りも必要となる。
中国の哲学の「考え方」は、「処女と仲間たち」にあった。
私もこの映像の1:40あたりの「会場」にいたと思うが、「人間らしさ、ドリーマーであることと、勉強すること」は、天人合一と呼ばれ、ドリーマーはやがて「勉強」だけを世の中に解き放ち始めるとされた。
CoCo 夏空のドリーマー

「豹は死して皮を残し、人は死して名を残す」
体認、あるいは体験と呼ばれるものであり、男たちの行動は「是」と呼ばれ、どのように見えるかを「然」と呼び、男たちが家に帰って勉強することを「物」と呼んだ。
唯物論とは「オラも勉強します」という意味でもあるし、「女」=物がなければ勉強できないという意味でもあっただろう。
会場が熱気に包まれると、「夢」を歌う処女たちの周りの男たちは「男が描いた男」であった。
夢が実現することを「名実」と呼び、後の世に「知識」は残るし、その年の気温は暑いことから、天人合一というものは中国の歴史とは明らかに異なるものだった。
今やっている作業を続けることを「常」と言ったし、常は「白黒つくもの」(是非)とされた。
「夢」で「処女」たちは男たちを煽ったが、アルバムを買えば他にも「宿題」はあった(知行合一)。
中国が見てたのは、「CoCo」であったし、改革開放はカトリックが先行した。
「女の口説き方を中国語で売りさばく」
これは、「処女・高貴さ、繁栄、競争」+いじめのともなうものであり、中国共産党は、改革開放をカトリックとともにはじめたものの、「暴動」に直面することもあった。
「チャイナタウン」
このことをCoCoは明確に詩にしている。
CoCo 横浜ボーイスタイル

横浜にはチャイニーズディアスポラ「中国人ゲットー」「チャイナタウン」があったし、チャイナタウンの資金力を用いて、歌って踊る横浜市民という意味では、「CoCo」は、ニューヨークのユダヤ人となんら変わりはなかった。
CoCoに群がる男たちはあくまでも「男が描いた男」であり、気温を暑くさせるものと考えられた。
デカい体をし、勃つ男たちの映像を撮影し、その映像を女(能)と男(所)に売りつける。
女は観客席の男たちを見て「男が描いた男」を見たがったし、男は普通に映像を楽しんでいた。
中国の改革開放は「日本のヨコハマ」を司令塔として行われ、1998年には松坂大輔の横浜高校・横浜ベイスターズなどが世界に知られた。
「CoCoがうまくいくのならば、中国の21世期は約束され、日本は2020年に滅びる」
令和天皇が「CoCo」について語っている限り、「君子」としての地位が約束された。
「処女」の歌う「夢」と「仲間たち」が「男が描く男」を体現しており、日本国が令和の時代を迎えても、「中国の志は日本に引き継がれる」と考えたのだろう。
中国は、日本国に「正確な対中政策」を打ったほしかった。
「私たちはもっと善良性を持った国なのです」
中国の考えに日本人女たちが流すであろう涙は「千年の媚薬」と呼ばれた。
CoCo 千年の媚薬

「能ある鷹は所隠す」
美女のいる日本国は、男たちが「男が描く男」を演じる。
処女の前で「踊り狂う」のである。
法輪功とは、「横浜のムーブメント」のことを言った(太極)。
中国では上海にAKBグループが作られた(人極)。
取り巻く男たちを「観物」と呼んだ。
アリウス派の松田聖子を「特別な女がいる」(能別)「特別な男がいる」(所別)と呼んだ。
松田聖子 スウィートメモリーズ

あるいは、「女は皆同じ」と考えるアタナシウス派を「我」と呼んだ。
女が「主」で男が「客」であることさえわかってくれたら、中国本土も気候が安定する。
穴井夕子 フェアリーデイズ

中国人は「涼しい夏」(大学)「暖かい冬」(中庸)のためならば、司令塔を東京に移してもいいと考えている。
もちろん「女が描く男」が大学には記されており、「男が描く男」が中庸には記されている。
夏のアリウス派・冬のアタナシウス派という構図が見えた。
大学。
松田聖子 夏の扉

「もう誓いを破ってる」
中庸。
松田聖子 パールホワイトイブ

まあ、今年は東京オリンピックも延期になったことであるし、「涼しい夏」「暖かい冬」を試してみるのもいいだろう(考証)。
キリスト教への改革開放を行ったのち、気象コントロールを、より強烈な武器を持った日本国に委ねようという発想であろう。
日本国政府は「一帯一路」への参加を表明し、そのような意思表示はすでに行なっている。
CoCoとそれに群がる男たちつまり「男が描いた男」も、そのメカニズムを正確に理解しなければならない。
コンサートが終わった後に「放射冷却」が起きることが明らかになったのである。
放射冷却をうまく利用しなければならなかったし、それがなければ、中国がCoCoをプロデュースする理由もなかった。
「正確な対中政策」とは常に「キリスト教に興味を持て」「気温をコントロールしろ」という意味であり、誰でもが打てるわけではなかった。
CoCo 優しさに帰れない

この曲も「放射冷却」を引き起こすだろう。
高橋由美子 アフター・ザ・コンサート

まあ、私が何か言ったらファーウェイの「5G」を使っている中国人が一斉に注目する。
そのため、「中国がなければ日本の気温もコントロールできない」という側面がある。
中国の「女性」「女の子」の部屋にどのようなメッセージを送るかが「対中政策」となる。
アメリカ合衆国は、「対中政策」を自らのものとは考えてはいない。
アメリカ高等教育・金融・原子力発電を「対中政策三本柱」としているが、「日本が発信源」と考えている。
たとえば「タモリさん」という言葉が中国で知られているが、「森田一義」といえば「知ってる~」と答える女性たちがいる。
文化大革命以降、各自が家庭に戻って行ったが、どの女性たちも「口説かれたがっている」と言っていい。
さらには、天安門事件以降は、「男たちまでもが、口説き文句を高等教育機関に求め始めた」のである。
香港ではデモが起きた。
私の研究は、5Gの、アマゾンアレクサや、アップルのSiriがすぐに学習して中国に伝わる。
IBMのワトソンもそうだ。
日本国の天皇は、中国の習近平よりも「格が上」となっている。
おニャン子クラブ ステージドア

アジアの金融ハブである香港も、北京も上海も、松田聖子や中森明菜に興味を持っている。
中森明菜が「陰」だとすれば松田聖子は「陽」である。
中森明菜は、ハプスブルク家の人物であるし、松田聖子は、キリスト教アリウス派の人物である。
日本人は「天皇にしたがいたくない」と考えているが、中国人はそうではない。
中国の「易経」ってのはそういう意味なのか?ということを知りたがっている。
中国には天気を決める「天」が存在する。
日本の天皇は、国内では敵が多くても、中国人に「命」を保障されている。
この「尚書」を理解しなければ、どうにもしようのない暗愚なものが「天皇になりたい」「お手振りしたい」と考えかねない。
日本国には、英国国教会やカトリックとは異なる「天皇制のあり方」があり、中国に命運を握られている。
日本国天皇制は、現在、漢王朝と同じ図式にあり、呂氏春秋や、准南子を「読め」と言われているようなものだ。
皇室をめぐる「政局」はこの二つの書物に記されている。
上皇・上皇后、秋篠宮という「暗愚な」連中がいる以上、呂氏春秋や准南子は、秘蔵の書物となるであろう。
中国に「気」を送る対価として、日本の皇室の「政局」がファンレターとして送られてきている。
そのため、「東京が気象コントロールの司令塔」ではあっても領土問題にはまったくならない。
ribbon stay with me

たとえば、呂氏春秋の「四月記」には、
「四月は有事がないため、学ぶのにふさわしい時期である。弟子たちも最も熱心に発言に耳を傾けている。
暗愚なものたちは、平時であることから、ちょっかいを出してくるだろうが、どうせ何もできまい。
先生が違うのだから、何かできるとも思っていない。師を敬え。有事に備えろ」と書かれている。

中国の改革開放はキリスト教に心を開くことにある。

中国の歴史は、春秋・戦国時代などがあり、「戦い」があった以上、天気のコントロールをして、
日本から「朝貢」を受けるということ以外にも、「当然、女心を語って、女性たちの支持を集め、お金を集める」という発想は持っていたはずだとされた。
ところが「中国の歴史」は20世紀に書かれたものだった。
「アジアの気象コントロールセンター」つまり「中華中朝」として以外に、今のアメリカやヨーロッパのようなメジャースポーツを行い、資金集めをすることはあったのだろうか?
文化大革命や天安門事件を見ていると「そうは思えない」という現状がある。
ベトナム在住の親戚に訊いても、KーPOPが流行している、とは言っていたが、中国に「世界には知られていないヒットチャート」のようなものはない。
中国は、朝鮮半島の総書記や大統領、日本国の天皇の「命」を気象コントロールをする「天」によって保障したのであり、アマテラス(女神)たちの心を掴んだ日本国の指導者を「天下」と呼んだ。
しかし、それならば「戦争ってどうやって戦ったの?」という疑いが生じる。
「内丹」つまり「セックス」という用語はあるが、それを私有財産とみなし(礼)、お金に変える(義)という発想が本当に育まれていたかは明らかではない。
セックスしている時の女は「いつも本気である」とされる。
ribbon 愛してジャスティス

中国の思想は、常に「ちんちんがついているかいないか?」(有無)を問題にしてきた。
そこから「思春期の違い」を理解したのだ。
さよなら失恋ピエロくん

しかし、美男美女が生まれるとした禅にせよ、生涯童貞の皇帝の存在(無為)、あるいは皇帝に心酔する(心斎)ことなどは、「20世紀の創作」と言われても仕方がない。
日中戦争はあった。
文化大革命もあった。
天安門事件もあった。
しかし、アジア初の近代帝国である日本国からの侵略にはなす術もなく、その時から「哲学」および「歴史」を作り上げたのではないだろうか?
いじめの存在は「唯識」と呼ばれていた。
「神・男・聖霊の完全性」は「三論」と呼ばれていた。
女が自分をアピールすることを「無理」と呼んでいた。
そんなのムリ 高橋由美子

しかし、「北京大学に曹操のことを学びに来た」と言っても「何も出てこない」のである。
私は、東京大学がどの程度かは理解している。
一方、北京大学もこの程度、ということは日本人も理解しなければならない。
コロナウィルス騒動に関しては、企業や組織のトップには必ず「自分の悪口を言って女子たちの人気を誇る常務会」
が必ず存在する。
トップにとっては「呪い殺したい連中」であるため、コロナウィルスという「幽霊」を必要としている。
そこで、「芸能界が国を作った」ということを踏まえると、朝の連続テレビ小説「エール」の、「恋愛裁判」」「フェアプレー」「男女の武器対等」を積極的にアピールして、常務会の連中のイデオロギーつまりリベラリズムをまとめ切るしかない。
「東大に入らなくてもいい」「偉くならなくてもいい」
このリベラリズムを深めきれなかったら、常務取締役はずっと「社長」にはなれないだろう。
いつかは終息しなければならない問題だ。
rebecca moon

どの政治家も、自分の得意な「五行」を持っている「陰陽師」であるが、
私の五行は、「松田聖子」「中森明菜」「小泉今日子」「CoCo」「ribbon」などであり、「やり方」「陰陽五行説」に気がついた韓国は「韓非子」にしたがって、墨子の組織のリーダーと常務会の間の「幽霊」を韓非子の言う「処女アイドルグループ」に置き換えてしまった。
AKB48 teacher teacher

韓国が本腰を上げて「韓非子」に基づく陰陽五行説に立脚したことから、日本国のAKB48グループは、消滅してしまった。
韓国には財閥がいまだ幅をきかせ、「処女アイドルグループ」を組織のリーダーが、常務会に「紹介する」という形で、「会長さま」は、アイドルグループを作っていた。
会長さまも、みずからの「悪口」を言って影響力を持つ連中への対策として、「処女アイドルグループ」を持っていたのであり、「韓国を目指すAKB48メンバー」はそのまま「財閥の会長さまの取り巻き」となった。
コロナウィルス騒動を終息させるためには、常務会が「本当にアイドルと結婚できた」などの旨味がなければならず、しかも、「財閥」がなければならない。
日本にはそのような強烈な「会長さま」はおらず、AKB48グループ、坂道シリーズの本格的な「評論家」はほとんどいない。
AKB48 ハロィンナイト  

「会長さま」に、お手つきのない「処女のアイドルグループがいる」と言うことは、「富国強兵」と呼ばれるやり方であった。
織田信長の「女房衆」もこの類いだろう。
会長さまを恐れる部下の気持ちを「情」と呼んだ。
日本のいかなる企業も「コロナウィルス」をホームページのトップに載せているのならば「情」は機能していない。
まだまだ、AKB48グループも坂道シリーズも、「売り込みの可能性」があることを示しているが、なぜ、日本の企業は「韓非子」を理解しようとしないのだろうか?
昔は、日本にも財閥があり、社員は「士」と呼ばれていた。
しかし、「会長さま」は、気象コントロールをするだけの力量がなければならず(利民)、その上で自分の立場を守らなければならない(愛民)。
「友達の紹介なんて」と思っているうちは小物だ。
AKB48 ノーカン

「人事の佐藤(栄作)」とは、ポストをチラつかせると言うものではなく、「士」に女を与え、しかも昇進を約束するのが上手い人を言う。
一般職のOLさんとはちょっと論理が異なる。
韓非子が、一般職のOLさんと、AKB48グループ、坂道シリーズをどのように区別していたかは研究が必要だ。
しかし、「戦で用いた音楽作品を歌っていた女」というあたりは明確である。
ロマンスかくれんぼ

経世会に「禅譲はない」といわれる由縁は、すべて「人事の佐藤」のネットワークを発信源にしており、
カトリックの「処女・高貴さ・繁栄・富」+いじめから来るものであり、「おカネがモノいう」ものであった。
「人事の佐藤」のメンバーだけが同じで、「教会法」だけが変わっていった。
日活の様々な「ライン」の人たちも多くは語らないし、高橋英樹ぐらいしかもう話は聞けないんじゃないかな。

今日、2週間ぶりに病院に行ったが、コロナウィルス騒動のエスカレートには参った。
ナイジェリアでは「ヘルメットをしないでバイクに乗る連中」を「ボコハラーム」と呼ぶが、日本では「マスクをしない連中」とでも表現しようか。
天皇制への強烈な支持が「マスクをしないこと」であるが、「したがいたくない」ことへの「同調行動」はすごい力を持っているね。
ボコハラームは、アルカイダと結びついたりしたが、アルカイダは、「アメリカ人を殺したい連中」だった。
アメリカ合衆国を敵に回したらアフガニスタンにしか隠れる場所はないが、さぞかし「強烈な教え」に支えられているのだろう。
中国の哲学を続けたいと思います。
陰陽五行説(好きな女性アイドルユニット5組をキャリアの推進力にする政治学)、あるいは韓非子(AKB48グループ・坂道シリーズを部下に与え、出世を約束する会長さま)などの存在を指摘したが、それでも、基本は「唯識」(いじめ)と三論(神・男・聖霊の完全性について語り合うこと)が、アジアの気候に「涼しい夏」「暖かい冬」をもたらすというのが皇帝の歴史だった。
鬼滅の刃の炭次郎もそのようなキャラクターである。
そのような陰陽五行説や韓非子という政治学にしたがうのならば、中国の皇帝というものもカトリックに近いものとなる。
ところが、中国には「日本」があったのだ。
日本に影響を与えて、中国が「天」、日本の政治家が「命」を与えられる(天命)という側面がある。
それほど、日本人というものは「権威にしたがいたくない」というメンタリティーを持っており、中国に影響を与える日本の政治家しか「命」が保障されなかった。
松田聖子 雨のコニーアイランド

このような「中国哲学の真の意図」を理解するのは「言葉の壁」があり極めて難しかった。
しかし、毛沢東が韓非子の立場に立ち「会長さま」だったことなどから「やり方」を掴んだ。
袁世凱が「京劇の評論家だった」とか、周恩来が「京劇の女形をやっていた」などのことから「女が描く男」というものの中国における重要性を理解する必要もある。
いずれにせよ、中国がこのような「哲学」を発展させたのは「実際には20世紀のこと」であろうと思われる。
なにしろ、中国の哲学は「天気のコントロール」という目的はあるにせよ、ギリシャ哲学・ドイツ観念論哲学・フランス道徳哲学を参考にした節があるのだ。
ドイツ観念論哲学と言っても「ロマン主義」(エロ)であるし、フランス道徳哲学と言っても「ポストモダニズム」(面白いことをやろう)であった。
プラトンが描いた「理想の男」を「女が歌えば涼しい」などという発想は、毛沢東の「中国全土を覆うスピリチュアルカルチャー」がなければ、群雄割拠がなされるだけである。
また、毛沢東自身は李大というブレーンがいて、李大は、日本国の河上肇や山川均に、これらのことを学んでいる。
日本全土を一つのライセンスでNHKは覆っているが、これを「中国で」と教えたのは河上肇や山川均だった。
紀元前7世紀から紀元前1世紀までの歴史がここで完成した。
動的静(ドテチン)と呼ばれる「芸能界」は、日本と中国は同じ時期に発展させていった。
日本国では「カチューシャの唄」が元祖だとされている。
日本国が最初にレコードの「版権」を争ったのは雲右衛門事件であり、日露戦争後に「愛国心を煽った浪曲」であった。
日本が最初に「近代帝国」をアジアで作り、中国は「教科書」を作っていった。
カチューシャの唄 松井須磨子

中国が「天」であり、日本人の政治家の「命」を保障する、これが明確になった時に、中国では「学生レベルにまで」発想を浸透させた。
しかし、中国の学生たちは「中国には松田聖子も中森明菜もいない」と激怒してしまった。
「天命」と言っても、日本のウォークマンに入っている「命」の方が羨ましかったのだ。
漢詩も、韻を踏むように書いたが、日本の31音だけは真似できなかった。
しかし、言語は「完璧な器」と呼ばれている。
言語の整理が進み、中国語辞典が薄くなった。
日中戦争の真っ只中にこのような作業が進んだ。
日本国においては家長三郎の日本史の教科書が「戦争を暗く描き過ぎている」として検定不合格となっていたが、1980年代には中曽根康弘首相が「中国への侵略性」を認めた。
これは、「中国への進出に不愉快感がともなった」という意味であり、爽快感があるものは「侵略」とは呼ばない。
日本の方が「明るかった」のである。
東京事変 群青日和

中国が衝撃を受けたのが、日本人の女の子は思春期の鬱を晴らすために、日本料理の作り方を覚えているということだった。
「道可道非常道」
と呼ばれ、「中華料理は男が作るもの」という発想を、より西洋化する必要性が認められた。
愛のクレイジーエプロン

女に「食べ物」を委ねるということは「命を預ける」行為だった。
日本人の善良性に衝撃を受けたのだ。
コロナウィルス騒動は、とうとうそのことに我慢ならなくなって仕掛けられた「幽霊」である可能性も捨てきれない。
荀子は、「天気がコントロールできるのならば中華料理をご馳走できる」と考えたが、女が書物を読むことは想定していなかった。
「愛エプ」だけはモチーフすらない、これが中国側の考えであった。
そのかわり、中国女は「餃子」にだけはやたら自信を持っていたようだ。
ご飯と味噌汁、おしんこ。
つまり、炭水化物と、酵素分解機能、そしてアミノ酸という三つの基本を押さえた「和食」は、あとはこれを発展させるだけだった。
「コメ・ムギ・イモだけならばいまだ自給率は100%達成可能」
日本政府は「食育」において地域の特産物として「アミノ酸」を教えた。
「愛エプ」はまるで中国に拳を振り上げているようにしか見えなかった。
中華料理に対して、中国女たちは「文字が読めない」と言い始めた。
日本のように「ご飯と味噌汁、おしんこ」の三つにレシピを放り込んでいく世界ではなかったのだ。
中国女 YMO

「女心の研究をして、中華料理の本を読むカネを日本人女に渡してやれ」
カント派がこのように考えたために「和食」が生まれた。
中国側は、まあ、食い物の話が終わったのならば芸能界をどうにかしよう、と考えて、飲食店と銀行と国防の三つを絡ませた「芸能界」の構築をサウンドオブサイレンスの翻訳から学んだ。
サイモン&ガーファンクルで人生が分かった気がした。
サウンドオブサイレンス

沈黙は「セックスOK」という意味である。
ところが、人々は詩を書き、「女心」を歌い始めた。
ネオン街が生まれ、詩がうまかった男は「夜の帝王」(神)となった。
神となるために、男女は沈黙を破り、人の話も聞かず、そして「神」となったものだけが沈黙に戻っていくのだろう。

なぜ、「女は男を描く」のであろうか?
それは、「女はなぜパートナーが自分とセックスしたがっているのかを自分なりに説明している」からである。
つまり、それは「トラディション」=伝説なのである。
「新田恵利作詞」
トラディション

 
「シャイで真面目な男」を描くのが現在の主流だとすると、酒井法子は「私が強いから」と説明している。
「酒井法子作詞」
サイレンス・フォー・ラブ

セックスをできるだけ「発信力」のあるものにしたい、それならばフェアプレーを行わなければならない。
女が「男にフラれた時の理由」の版権も無尽蔵であるが、「なぜパートナーが自分とセックスしたがっているのか?」の版権も割と幅が広い。
「ガラクタたちが教えてくれる」
「宮前真樹作詞」
シャボンのため息

「天使の羽に抱かれろ」
「瀬能あづさ作詞」
All I need is love 

この「自分なりの説明」を、多数派工作を行うことによって、かなり人工的になされる営みが「女が男を描く」ということなのである。
女が自分とのセックスに発信力を持たせようとする営みであることから、「なぜ気温が下がるのか?」という謎は、この辺りに答えがありそうだ。
Kiss and music Perfume

 
他の女の「自分なりの説明」と妥協しながら「女が描く男」は成り立っている。
また、天気がコントロールできるのであるから「国家レベルで」女が描く男には関心を持たざるを得ない。
「レイブではない関係」を模索していかなければならないのだ。
風の谷のナウシカ

このような「中国の真実」の研究はヨーロッパ契約社会においてなされたものであり、かなりフロイト的な「涼しくなる理由」の分析がなされた。
Perfume Fake it

 
セックスとは「男女共通の関心事」であるのは論をまたない。
しかし、それを「個と公」の観点から、「女を政策から排除してみると」女が描く男という形でオンエアするしかない。
個と公の区別のもとで、国家レベルで国を涼しくするためには「女が描く男」というあたりで落ち着かざるを得ないが、個と公を明確に区別するのならば、政策立案からは女は排除せざるを得ない。
少なくとも孔子は、「女を排除」したため「女嫌い」と噂された。
実際は、政策立案に、このような「デレ」が混入するのを防ごうとしたのだ。
「ビジネスの現実・仕組み」をデレは見失わせる効果もあった。
つまり、「個」とは、「パートナーがなぜ自分とセックスしたがるのか説明を与える」ことであり、それが「公」になったら「女が歌う男」「理想の男」になる。
女がいなければ朽ちて行かざるを得ないアフェクティブセンターが中国であり、漢詩は、男同士の友情のようなものを詠ったけれど、女が聞いていることが前提なのである。
そうでなければ暑苦しくて仕方がないだろう。
松田聖子 裸足の季節

私小説とは異なり、「女が描く男」は、女たちの同意を最大化することができた。
しかも「最大化」がなされているため、おカネにもなった。
「個と公」の申し子が松田聖子である。
「個と公」論を引っさげるのならば、「中華帝国」と言わなければならない。
実際に小林よしのりは「台湾論」を書いている。
中国にとって台湾は「叔母」にあたり、バックに「日本国」というおっかない男がついていたのだ。
「両岸問題」「台湾論」というものが個と公と結びつくのは必然であった。
「中国には松田聖子がいない」
これが台湾論である。
「舜」というパーソナルディテールの明確な男を中国は論じてきたけど、日本のポップカルチャーほど煌びやかなものではなかった。
男が「舜」である以上、「彼は特別な男」「私は特別な女」というアリウス派の立場に立たざるを得ない。
松田聖子 スウィートメモリーズ

女を「個」に誘導するのならば、彼女たちの吐く息は「雪女のよう」であり(気)、公で「女が描く男」を語り、個で雪女を大勢生み出す、これを理解しなければ、台湾による「中国統一」は実現しない。
このような研究をしていた台湾の南懐僅に、蒋経国は「危険な臭い」を嗅ぎつけて中国に追放してしまった。
しかし、南懐僅は、台湾にとって貴重な人脈を中国本土で構築することになった。
中国が台湾に向けてミサイルを2発発射した時に、李登輝は「あれは空砲だ」と発言し、「なぜ情報が漏れたのか?」と中国がパニックになったほどの人脈があった。
なにしろ「松田聖子」「中国を統一しかねない力」が台湾にはあった。
香港のデモにせよ、古くは天安門事件にせよ、「中森明菜や松田聖子ならば、俺たちに語らせろ」という学生の考えがあったのだ。
舜は、「最も改革の必要性のある家庭」に育った。
そこで、哲学(女の口説き文句)を売り捌いて、「改革とはおカネで行うものだ」ということを示したのだ。
「政治改革」「行政改革」いろいろあるが、哲学者のように「女の口説き方」を人々に教えなければそれは実現しない。
中国の歴史における「舜」とはそのような人物だったと語られているし、松田聖子も、「女が描く男」を「哲学者」としている。
哲学者である以上、シルクロード・キリスト教に対して常にオープンでなければならず、敦煌というものは「舜」を育てるものであった。
なぜ、科挙は難しかったのだろうか?
みんなが「彼はエリート」と認めるのが難しかったのみならず、キリスト教の全体像を理解し、影響力を高めるのが難しかった。
さらに道教における「歌のモデル」「女が描く男」になるのが難しかった。
さらに、芸能人女性と親交を持つ機会は「勉強し過ぎて心を病む」しかなかった。
なぜならば、芸能人女性は「美を求めて心を病んでいた」からである。
松田聖子 ハートをロック

 
井上靖の「敦煌」において、「俺たち田舎出の秀才が科挙なんて受かるわけない」というセリフが出てくる。
試験に受かる受からない以前に、社会人として影響力がなければ、誰も彼を「女が描く男」として歌おうとは思わなかったし、キリスト教に造詣が深くなければ、影響力もない。
「舜」という「最も改革の必要性のある家庭」に育たなければ、「女の口説き方」を売り捌く必要性すらない。
「舜」を歌わなければ中華帝国は「気温がコントロールできない」し、「天」としての存在意義がない。
ベトナム人だって、日本人よりも中国人を恐れている。
「命」としてどのような歌を聴こうが自由であるが、アジア地域の天気を決める「天」は、それだけでこの地域の覇権を維持できた。
しかし、日本国の気象庁も、「天気は西から下り坂」を「偏西風のせいだろう」と考えており、アメリカ合衆国も、「中国とは何か?」をまとめ切ったのは21世紀に入ってからである。
松田聖子 風は秋色

陰陽師としては、「今が旬の」女性芸能人をなかなか出世のために用いることは難しい現状がある。
「8枚アルバムを出し、64曲歌わなければ」イデオロギー的方向性が絞れないからである。
「レトロって感じで令和」
この陰陽五行説をまとめ切ったのは私が初めてであろうと思われる。
中国側も「文王という人物がいた」としているが、「陰陽師とは何か?」を明らかにはしていない。
涼しい夏をもたらしてくれる「舜」であり、中国を「天」となし、アジア各国の政治家の「命」を保障する。
これが陰陽師である。
松田聖子 青い珊瑚礁 中国の哲学において「行動原理のよくわからない男」のことを「善人」と呼んだ。
中国においては「唐」の時代に「発明」されたものだとされている。
ribbon 変な愛のカタチ

 
唐の時代に、「性善説」と言うものは広まっている。
そもそも、「女が描く男」に「行動原理のよくわからない男」が登場した以上、大唐帝国は、その力を増したであろうことは想像に難くなく、その富からますます「善人」が増えたものと思われる。
中国の哲学を読むと「漢代以前」と言う記述があり、歌のモデルは「子」だけであり、いわば「性悪説」と呼ばれるものとなっていた。
性悪説を取っているうちは日本国も中国に心を開くことはなかった。
誰も、「貧しい」「他に仕事がない」男にしたがいたくはなかったのである。
フォーエバーセンセイ

いずれにせよ、中国はご主人(主)とは何かを明らかにするところから、「天」と呼ばれる天気コントロールセンターとなって行ったのであり、日本人は「中国のどこかに天国があるのだろう」と信じるようになっていった。

老子(黄帝)は、儒学に描かれた「男」を「詩家」としてひたすら歌にした人物だ。
その効果たるや、中国の気温を下げる効果をもたらし、台風が中国に来なくなったことから「黄帝」(イエローエンペラー)と呼ばれた。
儒学は、ひたすら孔子が「周王朝の没落を必死で防ごうとした」学問であったが、それを「詩」にしたのは道教だ。
漢王朝の時に、法家が「処女が歌った方がいい」としたが、まあ、北京大学も東京大学も、「ほぼ同格」とされているのならば、道教が「何をモチーフにしたか?」はおのずと明らかであろう。
私をモデルに詩を作った香淳皇后。
高校の頃の話です。
酒井法子 エアメール

道教の発想は「人々はしたがいたくないと思っている」というニヒリズムと、政府と庶民は情報が違うという二元論、さらには、いざとなったら天皇が「神の見えざる手」によって助けてくれるというレッセフェールからなる。
モーニング娘。は、私と同じ時期にデビューしたため、神道の立場に立たざるを得なかった。
王子様と雪の夜 タンポポ 

儒学はあくまでも「国家統治の学問」であったが、道教によって「天気が涼しくなる」という宗教化がなされた。
墨子は、「女たちが男の序列を決めている」とし、国家統治の学問である儒学に、「女たちが男の序列を決める」という発想をもたらした。
四書五経をいくら読んでも、「歌のモデル」にならなければ富は手に入らなかったし、女たちにモテなければ出世はおぼつかなかった。
そのような意味で、科挙という試験は、儒学のみならず、道教、墨家思想、法家などを網羅した総合的判断がなされる試験となった。
「天」つまり「天気」の「天」の存在を明らかにしたのは道教であったし、天気の「気」つまり「顔」をよくしたのは仏教だった。
これも、私の高校時代のアメリカ留学をモデルにして香淳皇后が作っている。
酒井法子 秘密のガーデン

霊友会などは、とっくに「美男美女の作り方」を理解していて、横浜ベイスターズの斎藤隆や、Melodyの望月まゆなどは似たような顔をしている。
望月まゆ ノックミー

 
これが霊友会だ。
斉藤隆

今をときめくアイドルが「歌のモデル」にした男ならば、通常の男子高校生ならば唾を吐くだろう。
これがアナーキズムである。
一方で、「この顔が正解」ということを女性アイドルは示そうとするのだ。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある」
この曲も、私の高校時代のアメリカ留学を描いたものだ。
酒井法子 もうすぐの予感

 
酒井法子は「神道というよりはユダヤ教」と言わせてもらったが、私がまだ高校・大学生だったこともその一因だ。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある」
この、爽快感が「気温下げる」ことを指摘したのが老子であり「道教」=宗教の誕生であった。
男のコになりたい、というピタゴラスの定理を用いて建国されたのは中国とプロイセンだけだ。
酒井法子 男のコになりたい

仏壇に酒井法子を写真を飾ると、美男美女になるという宗教(仏教)は、おのずと「顔採用」につながり、儒学や墨家思想、道教、法家などと結びついた。
荘子の時代に、道教は「天気がコントロールできるのならば、その資金を対抗勢力に流してやれ」と言って、多数派と少数派のバランスをとった。
荘子の業績は、老子の教えを「おカネに代え、他人に流した」というところにある。
ニヒリズム(詩のモデルの男にしたがいたくない」という側面が、背後の資金メカニズムを支えた。
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様

中国は、本来、その地域の天気をコントロールするつもりであるのならば、「名」を与えた。
簡字体になってから日本国をその対象から外したものと思われる。
また、「何事も起きないのどかな風景」を当たり前ではないとし、「天気」つまり「天」(気候)と「気」(顔)を当然のようにあるのではないとした。
これを「常」と呼んだ。
コーヒーさえ飲んでおけば、人間はセックスしなくても生きていける、ということを無為と呼び、「王」のレベルになるとみんな「コーヒーが好き」ということを明らかにした。
勃たないカネがない男はコーヒーで下痢をしたりした。
恋をしちゃいました タンポポ

我々は「気温をコントロールする方法」(天)と、「顔をコントロールする方法」(気)の双方を手にした。
それでは、「天」と「気」はどのように関わっているであろうか?
後藤真希さんと話したことがあるのだが、
「誰かに長話を聞いてもらっている?おカネをもらっている?」と聞いたら、「おカネがすべてではありませんから。私仕事してます」と言っていた。
その発言は、「どう見ても処女」だった。
まるで「処女という成功体験が自分の生命線」と見做しているようでもあった。
天は涼しく、気は暑い、この基本を踏まえるのならば、後藤真希は間違いなく「晴天娘」のようだった。
晴れた日のマリーン 後藤真希

イケメン和尚さんも、「てるてる坊主」と呼ばれている。
マルクス主義と関わる概念であり、浮気して奥さんと喧嘩したなどという坊主がいたならば雨が降る。
てるてる坊主の歌

天と気の間には「空暇中」という空間が存在する。
「空暇中」にお祈りするのも仏壇の役割であり、より「快楽の大きい」男女を見ているとされる。
木、火、土、金、水などが空暇中にはあり、細木数子先生が宝石を身につけるのも「天に影響を与えるため」という側面がある。
知性は気持ちの良いものだ。
お金も気持ちの良いものだ。
美しさも気持ちの良いものだ。
天は「冷やして、冷やして、最後に少しだけ暖かにする」ものである。
世阿弥元清の「上げ歌」「下げ歌」も、どちらも「気温を下げる」効果を持ち、「締め歌」で少しだけ暖かくすると考えられる。
ところが、「晴天娘」「てるてる坊主」のようなストイシズムはとにかく暑い。
AKBも暑かった。
マルクス主義は、とにかく「冷やす」方向を見ているのだ。
中南米の島では、マルクス主義を採用したからコーヒーの栽培が可能になり豊かになったという国もある。
とにかく、セックスした後はどの男女も「青ざめる」のが分かった。
東京パフォーマンスドール 秋色協奏曲

女に「女が描く男は涼しい」というと、「公」では日常会話として成立するが、「個」においては女は「複数の男」を想像して凍りついている。
「坊主」「晴天娘」「AKBグループ・坂道シリーズ」以外に気温を上げる要素はなく、「締め歌」で少しだけ暖かくするのが本来の音楽作品の世界だった。
人間からストイシズムを奪ったら、たちまち氷河期になるだろう。
一昨年の「災害的猛暑」は、日本人の「過度なストイシズム」からくるものだった。
耐えて、暑くし、暑さに耐える、これがエスカレートしたのだ。
国民全員が「坊主」「晴天娘」になるようなものだ。
化法四教においては、パートナーを「蔵」と呼び、浮気を「通」と呼び、別れを「別」と呼び、家内安全を「円」と呼んだ。
「知らぬは男ばかりなり」
しかし「凍りつくのは女」であった。
高橋由美子 レイニーデイ×3

他の男が生きていようが、死んでいようが、「女は凍りつく」のだ。
これを「無量四諦」と呼ぶ。
「女が描く男は涼しい」という一言で女が「凍りつく」のであれば、恋愛ソングは「上げ歌」も「下げ歌」も気温を下げる。
「締め歌」でほっと一段落するのだ。
「坊主」「晴天娘」「AKBグループ・坂道シリーズ」が気温を上げる。
これを空暇中は見ているのだ。
しかも、「美女ほど雪女になる」とされる。
ブッダは、「蛇か縄か区別がつかないもの」が「魅力的な男」を目の前にしたら女が凍りつくというところに諸法実相を見出した。
ribbon 愛してジャスティス

ビートルズは、インドの聖者と会って、「女の初体験はイエスキリスト」という確信を固めたとされる。
坊主には「灌心」「一念三千」などがあるが、坊主は「女が描く男は涼しい」という言葉に自分が禿げてしまうことを恐れて髪を剃っている。
しかし、女は確実に「凍りつく」のだ。
安藤俊雄の「如来性悪説思想の創始者・灌頂説への反論」などで、「処女でも女は凍りつく」ということが議論され、「初体験はイエスキリスト」という説明にビートルズは到達している。
ビートルズ イエスタディ

AKBの、渡辺麻友が19歳の頃、会ったことがある。
可愛かったので「美術館デート」に誘ったが、断られた。
しかし、何を血迷ったのか「木場でやってもいいです」とか独り言を言っていた。
まゆゆとゆきりんは「雨女」=雪女である。
会場で一人で冷気を放っていたのだ。
指原莉乃は、処女。
AKB総選挙 雨女

 
「女が描く男」に女たちが凍りつき、気温が下がる。
久宝瑠璃子 男

 

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

 

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