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2020年4月

2020年4月30日 (木)

インド哲学~中国を越えようという野心。

さて、世の中の全員が必ずしも「ローマの休日」の登場人物たちのような哲学者であるわけではない。
テレビのオンエアのような「常識的真実」がなければ、インターネットにおける「究極的真実」はおカネにはならない。
常識的真実が、コンベンショナルと呼ばれるのならば、究極的真実はアルティメットと呼ばれる。
これは「インド哲学」であり、テレビのオンエアとインターネットという二元論にニケーア公会議において立脚することにし、橋下徹や、ホリエモンのような「テレビ人間」がいなければ、私のような「インターネット人間」は生きていけないこととなった。
橋下徹やホリエモンのような「テレビ人間」は、私のような「インターネット人間」よりもハンサムであった。
一方で、インターネットのようなアルティメットには、お上「ニルヴァーナ」が存在し、「大人の事情」が公然と語られていた。
テレビとインターネットの「共存」のあり方はニケーア公会議で「二元論」として確立したし、ネットビジネスはここで生まれている。
テレビで見るプロ野球も、その勝敗はインターネットに委ねられていたし、「インド哲学」に球団創設の時から立脚することにしたのが横浜DeNAベイスターズだった。
酒井法子 リアル

テレビと新聞の異同について伸べよ、という司法試験の問題が平成7年に出題されたが、「電波の有限性」「ケーブルテレビ時代になってからは、その影響力の違い」が「正解」として模索された。
しかし、実際はニケーア公会議の「二元論」に触れてほしかったのであり、テレビにおける「常識」と、インターネットにおける「究極」がその正解として指摘することが可能である。
新聞はいまだ「常識」の側にある。
しかし、インターネットの世界ではすでに私が「究極」(非常識ではありません)の立場に立脚し、繁栄を謳歌している。
インド哲学は、「インターネット」を推進力に「中国を越えようという野心」を持ち始めたのだ。
酒井法子 おじいちゃんis watching TV

ニケーア公会議って、アタナシウス派を正統とし、アリウス派を異端とした会議だろう、と思うだろうが、テレビに出ている「イエス」と、インターネット上の「イエス」の二元論を認めるものであり、影響力を誇る「常識」と、富や繁栄を誇る「究極」の共存を決めたものだ。
アタナシウス派でなければテレビに出られなくなり、キリスト教史を彩る音楽作品がテレビから消えた。
いきものがかり じょいふる

平成7年の司法試験によって日本国の「インド化計画」は明らかにされた。
中国を越えようという野心を「テレビとインターネット」「表と裏」に見出だしたのだ。
日本印度化計画 筋肉少女帯

私の「キリスト教史」「中国哲学史」「日本史」の完成を受けて、日本インド化計画はひとまず完結し、日本人にロングバケーションが与えられた。

ヒンドゥー教は、インドの核クラブ入りのために「アメリカに対して心を開く」ものであるが、アメリカ合衆国は、「インドの制御はほぼ困難」と見ている。
いずれにせよ、テレビとインターネット、表と裏の二元論に気がつかなければ、ヒンドゥー教というものを理解することはできない。
「きれいな息」
これをヒンドゥー教は語っているが、心がけた方がいい。
中国が「天気」を掌握し(天)日本国や韓国がJ-POPやKーPOPを握り(命)、
欧米諸国は「キリスト教」という「真理」を掌握した。
それでは、インドはどのような哲学を持っているのだろうか?
ニャーナ・ヴァイセシカの教えによると、「お父さん、面白い!」ということから、息子や女たちの「体」に影響を与えた。
「お父さんの方がお母さんより面白い」というのが「ゴータマ」の最後に至った境地であり、全国の「お父さん」が教えを乞うてきた。
そもそも、「お父さんが酒井法子を聞いているから、私はこんな顔になった」ということが面白かったし、試しに息子や娘たちが自分で「酒井法子」を聞いてみると、親からの自立心が芽生えた。
赤い月を見た日に、娘が友達を連れて遊びにきた。
向こうも「照れくさかった」し、私は今を生きていた。
時が経つのは早い。
私は経典の完成を急いだ(ゴータマ)。
瀬能あづさ 何かが道をやってくる

ニャーナ・ヴァイセシカのおかげで、「お父さん」は、両親との関係も再構築し、とにかく太った。
一方で、息子や娘たちは、体がスレンダーになってきた。
「知恵に満ちたお父さん」
それは、子供たちに囲まれてはいたが、「下降する命」でもあった。
「顔が酒井法子になる」
そのように語ったのは日本国であり、中国もインドも、日本国の同意がなければ「世界経済」のメンバーたり得ない。
そのような意味では、日本国は「世界経済を支える力をいまだに維持している」と言える。
しかし、「美男美女ばかりの芸能界」をアジアで構築したのはインドであり、「お父さん、オタクなんだ?」というヴェーダやウパニシャッド哲学は、息子や娘たちへの自立心を促した。
「伝説からの教え」(カルマ)とは、下降する命と上昇する命の間には必ず「哲学」があるということであり、インドでは「独身男性が娘を育てることは禁忌」とされている。
そのため、代理母をインド人にした日本人夫婦が離婚した後に、父親が「娘を引き取りたい」と言っても、インド政府は査証の発給を拒否している。
酒井法子 そうかも いいかも

苦には原因がある。
「美しい女の体」
人間は普通に生き、老い、病み、死ぬだけならばそこには大した苦痛はない。
しかし、「女性芸能人のように美しい娘」を生み出すために、ニャーナ・ヴァイセシカは存在し、ヴェーダやウパニシャッド哲学はあった。
私は、一人の息子に三人の娘という「美」を生み出すために哲学は存在し、現在、老境にある。
老人力とは、子供たちの美しさに奉仕するものである。
若い頃、酒井法子に散々「お世話」になった私が、50前に老境を感じざるを得ない。
酒井法子 あなたにホームシック

ジャヤラーシ・バッタにせよ、アクランカ・バッタにせよ、「仏陀に劣る宗教家」はみんな「バッタもん」と呼ばれた。
しかし、アクランカは、8000の家庭に「酒井法子のような顔」をもたらし、インドの南部で「ジャイナ教」を形成した。
1959年や1989年、1995年に世界が「ジャイナ教」に興味を持ったにとどまり、現在では「2020年に日本が」ジャイナ教に興味を持った。
酒井法子 雨粒は優しくて

インドは、世界で唯一、「中国を越える」という野心を持った国だ。
国内だけで「宗教が自己完結している」のは明らかではないか?
つまり、シク教は、「天気をコントロールすることが可能」とするものであり、ヴェーダやウパニシャッド哲学から派生したものだろう。
「女が描く男」は涼しい。
しかし、女の顔の美しさ、体の美しさを生み出すという仏陀の「伝説」から見ればバッタもんかも知れない。
酒井法子 100%の雨が降る

 

 

2020年4月26日 (日)

日本の哲学。

さて、キリスト教史も、中国哲学も説明を終えたところで「日本哲学」に関してお話ししてみたい。

日本という国は、イギリスと大陸の距離の二倍、大陸から離れており、そもそもが、中国の「天」に対する日本国の政治家の「命」つまり「天命」を信じようが(儒学)、キリスト教を信じようが(日英同盟・日米同盟)自由であった。
また、学問というものが、ドイツのワイゼンシャフトからもたらされており、「言葉の壁」を考えると、案外いい加減な講義が大学でなされている。
そのようなお国柄で、端的に表現できるのが「道」であり「神」であった。
私も、芸能界をキリスト教の文脈や、中国哲学の文脈に位置付けるという試みはやらせていただいたが、「道」を踏み外さない、「神」を信じるユニットだけが生き残っていることがわかる。
共通して言えるのは、小さな人間たちが「仲良くなって」「力を増す」というところに日本哲学の本質があり、中国人にとって「命」に見えるコンテンツや、アメリカ人にとってキリスト教の文脈に位置づけられるような音楽作品も、日本人にとっては、会場の隣の人を「オタク」と呼びかけるほど、「仲間を作るためのコンテンツに過ぎない」「社交性のある人には必要ない」ものであったことだ。
ひなげし(聖母マリア)ではなく名もなき花(庶民の女)として生きてよかった、「神さまに祈るかどうかも自由」と歌った曲もあり、日本人の宗教感覚を巧みに表現している。
中嶋美智代 ひなげし

身近な人が死んで遺骨になるのは事実であるし、学校の進級や卒業があるのも事実だった。
いろんな「社会契約」もあったし、そこで出世しなければならなかった。
なによりも、この世に生を授かったのならば、親から自立して生きて行かなければならなかった。
そのためには儒学もキリスト教も「自由自在に」使いこなす必要があった。
儒学は「雨乞い」のようなアニミズムに過ぎなかったし、キリスト教は「詩」に過ぎなかった。
このようなお国柄で、天皇が「神」としてアマテラス(女神)とは何か?を表現した。
「神の長い女」を生み出す国学にしたがって、「令和」という元号もつけられたし、もはや、いかなる制約も中国から受けることはなかった。
令和天皇はといえば「アメリカかぶれ」であったし、多くの音楽作品の「心」を語り、カルト的人気を誇った。
日本人にとっては「宗教」とは、自分を仲間とともに大きく見せるためのものであるに過ぎず、「無神論」と自分のことを語るのが普通でもあった。
松田聖子 抱いて

仏教徒としての「美男美女」であること、儒学の立場から「温暖な気候の中を過ごす」こと、さらにはキリスト教の立場から「好きなアーティスト」を好むこと、などわりと融通の効く文化圏が構築されていった。
まあ、「信仰を持ったお陰で仲間が増えて、人生の悩みが解決した」というあたりが信仰の理由だとするのが無難かもしれない。
私も、何かのしがらみがあるわけでもなかったし、それでいて天皇になるためにおカネを必要としたことから、信者公称9500万人といわれる神道の立場に立たざるを得なかったし、「神道のライター」としてキリスト教や儒学、仏教を語らせてもらっている。
宗教とは「寂しがりやさんのやるものだ」という本音もあるが、時にはキリスト教のおかげで国民的スターになった人も目撃したし、儒学のおかげで、「先生」と呼ばれた人も見た。
しかし、神道と言っても「國學院大学・皇學館大学の学生さんの就職先としての神社」の生活保障という側面があり、その世界の「ライター」をやるということは、決して優秀ではない学生さんたちに職を与えるためのものでもあった。
このように「一歩引いて」日本国の宗教を見てみないと、各セクトの論理や、アメリカの正義、中国の理屈などが理解できないだろう。
日本人は「いい大学に入っていい会社に勤めて」という人生だとするのならば、宗教というものは必ず、「現世利益」をもたらすであろうし、出世とは何か?人生とは何か?家族とは何か?などの答えが見つかるものだ。
日本ほどクリエイティブな国はない。
世界第3位の経済大国は、宗教にかぶれることを「洗脳」とは呼ばない国である。
「おカネのため」「仲間のため」「家族のため」などという見方もできるようになる。
また、「宗教」だの「革命」だの言っている連中を尻目に学問に励んだ私の学生時代は、「それが正解」ということも分かるようになる。
寂しさ、「空」の懐の深さを理解するためには、そのような足跡をたどる必要があるし、いざとなったら「資金集め」をし、「天気のコントロール」ができるようになるためにも、宗教だの革命だのと言っているのは「寂しがりやさん」だと割り切る必要がある。
それを理解した上で、「生活のために」いろんな宗教と関わってみる必要がある。
日本国という国の懐はそれほどまでに「深い」ものがある。
いろいろと「エキサイティングな宗教」を私も語らせていただいたが、それはひとえに「スタンフォード大学」から由来するものであり、「日本語しかできない」「日本で生きていくことが宿命づけられている」人間が「宗教を信じる」その「心の隙間」を指摘して、私もかなり体力が消耗してしまったため、いったん、筆を置きたいと考えている。
SPEED I remember

【つづき】
5世紀頃に、中国の文字が日本に伝わったが、なにしろ「言語」が異なったため、まったく異なる用いられ方がした。
道教・儒学・仏教が「3つの道」として日本国に伝わったが、道教は「神道の原型」としての位置を占め、儒学は「天命」として、仏教は「美男美女」として伝わった。
道教は「歌」のことであったが、「神道の原型」と位置付けられたのは令和天皇による「神道によるJ-POPの吸収」がなされたからである。
妻とは、バトミントンをやったりしたのが出会いだった。
香淳皇后が好んだ「出会いの方法」であり、実際は「大人たち」に見守られて、私も厳しい監視の下に置かれた。
酒井法子 風のアンダンテ

日本国において、華々しく人々の信仰心を集めたのは、「儒学と仏教」であり、美女を瞑想して禅を組めば「美男美女が生まれる」とした仏教と、「陰陽師としての出世の方法がある」とした儒学が、ひときわ信仰の対象となった。
ハンサムで出世する、これ以外に日本国に宗教はなかったのだ。
宗教というものが「男らしさを語り合う論壇」だとするのならば、本来、日本国には儒学と仏教しかなかった。
道教というものは「アイドル」として、儒学の陰陽師にも用いられたし、仏教の「美女」としても用いられたが、今も昔も「オタクカルチャー」としての域を出なかった。
酒井法子 エアメール

香淳皇后(遊佐道子)は、松田聖子にはキリスト教アリウス派の立場に立たせ、「特別な男」「特別な女」を歌わせたが、酒井法子には「神道」の立場に立たせた。
砂川事件において、神道形式の祠を「市の費用で」移転させることを求めた事例があるが、訴えたのは仏教徒だった。
「美女の供給源」として、あるいは「音楽作品の供給源」として神道は位置付けることが可能である。
酒井法子 秘密のガーデン

実際に、周囲の女の子を「妹のよう」に接することをモチーフにし、「セックスしたら続かないよ」ということを教えた(アガペー)という特徴が神道の立場に立つ酒井法子にはあり、童貞のまま結婚するジャンセニズムの立場を強烈に推進した。
ジャンセニズムは、少年マンガを読むことをも教えた。
明治維新の時に、「天命」としての「命」あるいは陰陽師としての「音楽作品の評論家」たちが、神道国家を標榜し、日本国は「芸能界」を確立した。
酒井法子 トライアゲイン

東京帝国大学の学生さんは「僧の中の最高位」とされ、歌のモデルになった。
「カリスマ」は、東京帝国大学で中国語を学び、法科に進み、「神」となった。
女の子にモテて、「妹たち」目当てに友達が適当にいれば、法律も学ぶことができた。
これが「神道」であり、酒井法子の音楽作品の中には時に「哲学的問いかけ」もあったが、それで成り立っていた。
酒井法子 すごすぎる

仏教も、美男美女は、「声も美しい」ということから(バリントシンドローム)、カルマ(伝説からの教え)として、スマートフォンが主流となった現代には有力となっている。
酒井法子 リアル

さて、明治維新以降に「改革」と呼ばれるすべてのものが、「西洋哲学」(キリスト教)を必要とした。
日本国においては仏教(顔)がモノを言ったが、女の口説き方(哲学)を売らなければ、いかなる改革も成し遂げられなくなった。
おじいさんと言われる歳になったら口を動かしておけばいいのだ。
酒井法子 おじいちゃんis watching TV

南北朝正閠論は、天命・陰陽師の方が大事であるとした儒学(南朝)と、美男美女の方が大事とした臨済宗(北朝)の対立であり、
1701年に赤穂浪士によって「南朝正統説」が確立した。
なぜならば、「戦いとはカネをばら撒きながら行うものだ」という現在の選挙戦の図式(武士道)がここで成立したからである。
「忠臣蔵」は、現在でも芸能界で大人気であり、選挙の資金源となっている。
忠臣蔵が放送されたら「解散も近いのかな?」という見方も可能だ。
男は顔じゃなく中身(新派でなく旧派)と言った方がカネになったし、なにしろ後醍醐天皇の人気が認められたのだ。
インドの理想郷には美男美女がいるらしいが、「天気のコントロール」「陰陽師としての立場」「武士道」などがあるとゴダイゴは歌い、人気を博した。
ゴダイゴ ガンダーラ

日本史を振り返るのならば、604年の17条憲法から1185年の「将軍による統治下」が始まるまでは、仏教が主流であり「顔がモノをいう」時代であった。
儒学は安倍晴明のようなサブカルに過ぎなかった。
古墳時代、奈良、平安時代までは「恨むなら親を恨め」という時代だったのだ。
蘇我氏はブッダを信じてはいなかった。
しかし、聖徳太子は韓非子にもしたがって、部下たちに処女を分け与える「会長さま」の側面もあり、組織内で人望があった。
「学校」というものが処女を用意する温床となったようだ。
聖徳太子の教育システムは「2000年安泰」と呼ばれたが、令和の時代に、それは岐路に立たされている。
中央集権国家を作り上げる上で韓非子は必要な書物だった。
平安時代に、最澄の天台宗と、空海の真言宗が「密教」と呼ばれ教義を洗練させている。
私は「文字曼陀羅」というものを天台宗にご紹介させていただいたが、空海は「宇宙」というものを信仰心に含めたという意味で密教と呼ばれている。
空海は儒学も道教も巧みに操ったとされている。
彼氏に見せられる世界を明らかにしたのだろう。
松田聖子 蛍の草原

空海は、J-POPに恵まれた現代において、それと接する機会のなかった両親や友人などに、「モノを分けてやる」力量を真言と呼んだ。
そのような意味では陰陽師と何ら変わりのない「音楽作品のキュレーター(評論家)」であった。
華厳宗というものは「キュレーターが後の世に登場するのを待っていた昭和・平成の時代」のようなものだ。
華厳宗はその名の通り、厳しい世界だったであろうことは想像に難くない。
空海は「心を知れ」と信者に発破をかけた。
なんで人々は分かり合えないのだろうか?
それは「おカネがない」からであろう。
比叡山も高野山も「人々がわかり合うためにはおカネが必要」と考えていた。
「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるんじゃないかな?」付き合っていくうちに女は追い詰められていく。
BoA Is this love

「女心」のテキストは紫式部の「源氏物語」や、清少納言の「枕草子」だった。
平安時代の朝廷は、「大学寮の成績で領地を決める」という仕組みのもとでは、あまりにも軟弱すぎた。
「人をぶっ飛ばしてまで大学寮に入る」というサムライが主流になり、1185年に勝利を収めた源氏は、1192年に日本で初めての軍事政権を作った。
京都に天皇を残し、鎌倉幕府を作ったのだ。
軍事オペレーション機能を有した都市であった。
比叡山には「仏陀が入滅したあと時間が経ちすぎた」という末法思想が蔓延った。
この時、浄土宗・禅・日蓮宗が興ったのだ。
法然も親鸞も「阿弥陀仏陀さま」を「理想の男」「女たちが描く男」と位置付けた。
比叡山延暦寺は、これに激怒し、処罰や処刑をもって答えた。
鎌倉に「男が描く男」でありながら「女たちが描く男」としての新宗教が成立した。
マジェスティックベイビー

1338年に、中国の「経済ブーム」を利用するために、京都の室町に足利氏による幕府ができた。
しかし、中国に頼りすぎた政権は長くは続かず、1467年から1477年まで応仁の乱が起きた。
中国に見捨てられた年寄りは儚い(サビ)という日本の美学が資金集めに利用された。
Please tell me Mr.朱 河合その子

徳川幕府は、織田信長と豊臣秀吉の後を受けて徳川家康によって作られた。
しかし、その多くは織田信長に負うところが多く、戦争にキャノンやマスケット銃を用いたことからもたらされた。
ポルトガルとスペインがローマカトリック宣教のために日本国にキリスト教をもたらし、1637年に日本国が鎖国を行うまで交流が続いた。
平田篤胤(1777~1843)は、最も西欧にかぶれた男として人気があった。
臨済宗は、「男が描く男」でありながら「女が描く男」である阿弥陀仏陀を信じていたが、朱子学(文)・陽明学(武)と接することができなかった。
そのため「メジャースポーツの生み出す富」と接することができたのは儒学だけとなった。
(陰陽師)
筒香メジャー

江戸はヨーロッパのどの都市よりも巨大だったし、京都や大阪はパリに近い規模を誇った。
道路・水路・金融の三つで経済的な繁栄がなされ、「文字は古文・漢文のままでいいのか?」が議論になった。
「神が言語を作る」
そこにはスポーツの世界の神もすでにいた。
本居宣長によって古事記が書き直された。
それは、「神話が神道の教え」と言うにとどまらず、「大和の言葉」を生み出すテキストとなった。
伊藤仁斎は、国内初の「サンスクリット語の権威」となった。
「セブン」もこの時に紹介された。
映画セブン

仏教の側は、「ワルって涼しすぎんぜ」と急激に舵を切った。
1854年に日本国は黒船の来航によって開国した。
不平等条約を結ばされ、「西洋化」が求められた。
技術とカネに圧倒された。
「口説き文句を売る連中」だったからだ。
神道の側は「神話」に逃げてしまった。
初代東京帝国大学教授の井上哲次郎は、「和魂洋才」と銘打った。
二度の世界大戦を経て、宗教の世界にロックンロールが起きたのは周知だろう。
ローリングストーンズ スタートミーアップ

6世紀の中頃に、仏教は「インドを発祥の地として」しかし、儒学は中国の教えとして朝鮮半島を経由して、日本に入ってきた。
その内容に関してはすでに触れたが、日本国は「天気」を仲間作りのために用い始めた。
暖かな気温を下げるために雨が降ることがあり、男たちはみんな雨を避けるように同調行動をとったため、占いや神と同じように「女の勝利」であるとされた。
高橋由美子 思い出の銀の矢たち

「聖学」とも「心学」とも呼ばれたものであり、抑圧された女たちが、「陰陽師」を崇拝し、「雨の歌」を歌った。
松永尺五の、愛燐書を参考にしたのだろう。
天と地の間に「男」がいる、それをサクヤムニが歌ったとされる。
長雨

実際に、儒学による「雨」と女たちの関係を噂しあったのはイエズス会だとも言われ、ルイ14世はその音楽作品の完成度を絶賛した。
フランス語、ドイツ語、英語にも翻訳された。
日本国がルイ14世に影響を与えていたことが確認されている。
日本の哲学の背景には常に「雨」があり、それと「女たち」は密接に関わっていた。
美女が「あの人と会える」と考え、周囲が噂しあっただけでも雨が降った。
高橋由美子 レイニーデイ×3

「あの人」とは、朱子学にしたがった「文王」のことであり、「美女」は仏教徒だったため、儒学と仏教はともに音楽作品のセールスを見た。
「あの人」とは本来、孔子のことであり、周王朝の政府高官として、孤軍奮闘した男である。
気温を下げるのにいちばん手っ取り早いのは「雨が降る」ことではあったが、孔子も孟子も「雨男」として知られた。
インテリと美女が出会って、しかも発信力があるから雨が降る、その音楽作品を売ることが必要だった。
松田聖子 雨のコニーアイランド

インテリとして有名な男と、美女として有名な女が出会うと雨が降る、それがカネになるうちは、ひたすらそのことを詩にした。
国生さゆり 雨のニューオリンズ

漢王朝は、その資金力で、事実上、朝鮮半島をも支配したが、日本国では「雨」こそが「元号」の起源となった。
インテリ王子の即位のはじまりはいつも雨だった。
はじまりはいつも雨

「和をもって尊しとなす」
聖徳太子は、音楽作品のセールスを見てこのような17条憲法を作っている。
雨男、つまりインテリと、雨女、つまり美女は組織の中で「幽霊」のように恐れられた。
雨の慕情 八代亜紀

旱魃や飢饉よりは、雨が降った方が良かったが、かと言って洪水が起きるのも困る。
そこで、君主は露出をコントロールする必要があった。
エバーグリーンは雨が約束されないと訪れないものだ。
渡辺満里奈 エバーグリーン


6世紀に日本国に仏教が伝来した。
つまり、「美女のイラスト」が大量に届いたのだ。
それ以降、「イラストそっくりの女の子」が生まれるようになり、信者は盤石なものに思われた。
ナガールジュナ(龍樹)や、ヴァスバンドゥが、「阿弥陀仏陀」の仏像を作り、人々はその顔の美しさに見入った。
女が描いた男は、その場を涼しくさせる。
美男美女に生まれて、死んだらナンマンダブのジュッパヒトカラゲ、お釈迦さんも大雑把だね(大乗)。
しかし、それを「美男子だから」というだけの理由で政府高官にしてしまう連中を「小乗」と呼んだ。
しかし、日本に伝わった大乗仏教は、応神天皇(ボディサットバ)と呼ばれる陰陽師の影響を受けて音楽作品を聞いた。
八幡ネットワークは、神道ではあるが、大乗仏教から生まれたものだ。
法然は、男女がともに「念仏」を唱えればいいとしたが、カントのような「口説き文句」を想定していたかは明らかではない。
繰り返す単純なリズムを男女で楽しんでいたのかもしれない。
Perfume Edge

浄土は、その後、4クォーター3ビートという音楽を受けいる土台を作っている。
「踊れる音楽作品」はすべて浄土に属するものであったし、「美男美女」が歌って踊ったのだ。
東京パフォーマンスドール キスは少年を浪費する

東京パフォーマンスドールは、明確に「浄土宗」の立場に立っていた。
美男美女が歌って踊れる「4クオーター3ビート」を志向したのだ。
「暑い、暑かったのが浄土であり、禅であった」
本来、ナンマンダブだった「4クオーター3ビート」が1883年の大阪での「プロテスタント伝道会議」において現在の形になった。
テーマは「神・罪・救済」にあり、どれだけファンを増やしたかで救済が決まった。
プロテスタント伝道会議の100年ものちに東京パフォーマンスドールは、「小さな革命」と銘打って、浄土というものを作ろうとした。
東京大学の清沢満之によって研究が進められていたのだ。
東京パフォーマンスドール ルビーチェイス

一方で、「禅」というものは不思議な教えで、娘が生まれた後にも、親が禅を組めば「娘が可愛くなる」というものだった。
その不思議な現象に、いまだ中国の10人に1人は禅の信者だとされる。
なんでかは分からないが、お年頃の女の子も「恨むなら親を恨め」と言われるぐらいならば、親は禅を組んだほうがいい。
自分以外に邪魔な人間は目の前にいない(2つではない)、さらに、美男美女を瞑想する浄土宗とは異なり、「無」になるとされる。
そのようにしているうちに「娘や息子の顔が見えてくる」のだ。

なお、日活の各「ライン」が知られているが、今で言うAKB48グループ・坂道シリーズが、「会長さま」の取り巻きになることで、トップの悪口を言って女性社員たちに人気を誇る常務会の連中に「結婚相手と出世」を与えることで、自らの権力を維持するためにあったものだ。
日活の各「ライン」は、韓非子によるものであり、韓流ドラマに近い。
日活の各「ライン」は、吉田茂とか池田勇人、佐藤栄作の系譜で区別されているものと思われるが、吉永小百合は「ベトナム反戦運動の急先鋒」であるプロデューサー岡田太郎に与えられている。
「人事の佐藤」のやることだ。
樺美智子さんが60年安保闘争で亡くなったが、これは実際は「アメリカ人女性記者」であり、それを「日本人女性死亡」と報じ、谷中の「レッドゾーン」に葬っている。
70年安保というものは実際は行われておらず、「ベトナム反戦運動」のことをそのように表現しているのだ。
アラン・マクリーンが、外国人ベ平連を組織し、在留不許可処分を受けたときに、「出入国は法務省の自由裁量である」と言う判決が下った。
覊束裁量が「お金で決める」ものに対して、自由裁量とは「芸能界が決める」ものであるため、吉永小百合より15歳以上年上の岡田太郎には多少もったいないが、マクリーン事件対策として結婚が認められている。
西田幾多郎という人物は、おそらく私の祖母・香淳皇后(遊佐道子)のペンネームだと思われるが、昭和天皇の命を狙う連中を、「日本軍は日本人の命を守るためにあるもの」とする統制派と、「天皇の命を守るためにある」とする皇道派の対立から、「検察ファッショ」という形で皇道派に味方した平沼騏一郎に、「感謝の意を込めて」書かれたのが「善の研究」であり、娘が生まれた後にも「平沼が座禅をやるたびに娘が美人になる」ことを教えたものと思われる。
つまり、吉永小百合は「昭和天皇の娘世代」であり、私や松田聖子や酒井法子は、「孫」なのである。
「幸福の関心と道徳とを対立させ、始原において一致すべきもの」(カント)。
つまり、ハイボケイメノンとアリストテレスが語った、「父がいじめと学問を対立させ、性行為と仲間づくりを対立させ」「女心を学ぶ」(純粋理性批判を読む)と、娘が美人になるということを「トポス」と西田喜多郎は呼んだ。
吉永小百合 花だより

西田幾多郎は、アメリカやヨーロッパに強い影響を与えた数少ない哲学者となった。
「生まれた後にも父親の世界の広さが子供たちの顔に影響を与える」
世界を広げた後に、思い切り「無」に凝縮するのだ。
これは「男の役割」であり、「父」の役割だった。
西田は、カント、ヘーゲル、シャーペンハウエルなどを学び、自ずと芸能人の女の子たちが自分に興味を持つことがわかった。
京都大学で、田辺元、和辻哲郎、九鬼周造などと親交を深めた。
田辺元とは、私の母方の祖母・小野元(中曽根蔦子)であろう。
西田幾多郎が23歳の時に「遊佐」から詩が届けられた。
「23歳まで健康的に生きて夢のように消えた人」
それは、遊佐道子(香淳皇后)が糖尿病などの病気持ちだったことは私も聞いている。
私が東大に入った時に、昭和天皇は「血筋じゃ初めてじゃの」と語ったが、父方の祖母・道子も、母方の祖母・元も京都学派だったとは知らなかった。
エアー~サラダデイズ 酒井法子

世界を広げると言っても、「自分以外の思うにまかせぬ者たちの声を聞く」という意味であり、周囲に腰巾着しかいなければ意味がない。
中には本気で「殺す」という奴もいるので、皇道派を日本軍に形成するのも仕方のないことだった。
しかし、組織の頂点として耳にする「声の高さと低さ(色)」を聞いているだけで、あとは「無」に帰ればいいだけだ。
さらに、たまにはポルノでもみたほうがいい。
ポルノを見た後にも「女たちと話すことが好き」ならば間違いなく世界は広がる。
「見てきたように組織論を語れる」
この道はシッダールタも辿ったはずだ(アヒンサー)。
意識を「天皇と国民はひとつ」(国体概念)と呼ばれるほど高めるのだ。
どの国民も天皇に「みんなと同じ意見」など期待していない。
かと言って「説得」されるつもりもなかった。
英雄を英雄として扱うアメリカ合衆国では、成立しない発想かもしれない。
英雄こそが罵声を浴びせられる。
そんな中で「行為的直感」に頼って自分の進むべき道を選択するのだ。
ドイツのヘーゲルも「顔」は問題にしたが、息子や娘の「顔」に父親が影響を与えるということは想定していなかった。
正直にいうと、最高権力者の耳に何が聞こえてくるかを記した私のブログを「読め!」としか言えない。
自分の息子をハンサムにし、娘を美女にしたいのであれば。
子孫が美男美女になって、マルクス主義に汚染されただけだった、という批判が西田幾多郎に対してなされた。
子孫にフリーライドされたのだ。
三木清や戸坂潤などがそうだった。
松田聖子や酒井法子、そして私もそのメンバーかもしれないが、単純に「フリーライド」とは呼べない活動が展開されたメンバーだった。

和辻哲郎は、「若い頃イケメンで、雑踏の中をまみれたことのある」男でなければ、女に電話して「女が描く理想の男、松田聖子の赤いスイートピーとかロックンルージュとか?」と言われても「涼しくならない」としている。
ミスチル

 
しかし、「昔ハンサムだった」ということが広く知られている男ならば、このセリフを言われたか確実に女たちは「雪女」になって涼しくなる。
松田聖子 ロックンルージュ

気候と文化において和辻はそのように語り、夏目漱石が「西洋化によってこの国は何かを失おうとしている」としたことに理解を示した。
「孤独でたまらなかった一郎」を夏目漱石は小説で描いたが、このような人生経験の重要さを述べたのだ。
私は、田辺元と京都の寺を回ったことがあるが、田辺が「のちに和辻の古寺巡礼が分かってくれれば」という願いを込めて、私を京都に誘ったものと思われる。
また、「キリスト教の文化的意義」という本において、世襲を受けたいのならばマドンナやRebeccaを聴いて歌って、「俺たちはバカだけど遊んで暮らしたい」という連中の気持ちを理解してやらないといけないとしたし、カトリックの立場からは「繁栄・処女・高貴さ・競争」にはいじめがともなうことを認めた。
ヒスパニックの争いとは、実力制カトリック大統領と、世襲制王子の争いだと知ったのだ。
日本国では「コロナウィルスという名の幽霊」がいるとトップに批判的な勢力を脅したり、「会長さま」のように「処女」を与えて出世を約束したりした。
「幽霊」説は墨家思想であったし、「会長さま」とは韓非子の立場だった。
マドンナ スパニッシュアイズ

いずれにせよ、古事記などの研究を深め、この国の気候のあり方や季節のあり方を探ったのだ。
夏でも涼しくしようと思えばいくらでもできる。
しかし、「富の最大化」などは「伝統にしたがう」のが一番いいのは明らかだった。
しかし、「災害的猛暑」だけは避けなければならない。
それも「今となっては可能」なのである。
我々アジア人は常に「寒さ」の中にいたはずだった。
しかし、政治や哲学が「女心」を語るから「暑さ」がもたらされた。
季節はコントロール可能であるが、「それは古事記にしたがえ」という他はなかった。

人間とは「社会的な」生き物である。
みんな妥協しながら生きているのだ。
そのような現実の中で、「会長さま」に会えるとなったら、その喜びは想像以上に大きい。
年頃の女に「活路」が見えることは、大人として当然、考えなければならないことであるし、女子大生の父親でも「座禅」を組んで娘を美しくしなければならない。
座禅と言っても哲学が「分かる」と言う意味でもあり、本ブログの読者であれば問題はないわけであるが、天皇制は、「最終的には外国国家との比較」を目指さざるを得ないと言われている。
美しい女性ネットワークを女子大に持ち、女たちは「神」を信じた。
しかし、このような全体主義的に動いている国家間同士も妥協することを覚えるのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達

主権という概念が「日本人女はみんなこんな感じ」というものであることと、「禅」を組んで「カラーとサウンド」つまり「顔写真と音楽作品」をイメージすることを考えると、「例の顔」として「アルバム8枚64曲」を自分一人で出したアーティストで、「日本の顔」と言えるのは酒井法子しかいない。
天皇が「日本人女はみんなこんな感じ」ということを決めることを「国体」(天皇と国民はひとつ)と呼び、自分の家さえ良ければいいという立場ではない。
YouTubeで「酒井法子」を検索すれば、サウンドはほぼ私が出している。
あとは「カラー」つまり「顔写真」であるが、各自ネットで見てみて欲しい。
酒井法子 一億のスマイル

大事なことは「禅が趣味」ということであり、ムキにならず、「カラーとサウンド」にお父さんが身を委ねることだろう。
「気がついたらみんなが楽に暮らしている」
これがどれほど子供の教育に良い影響を与えるかを知らないといけない。
私は特別な女(アリウス派)は異端とされ、女は皆同じ(アタナシウス派)が正統である。

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なお、娘の顔を「父親が」決められるようにはなったが、女にとって重要なのは「胸」である。
これは、母親が決めるものだ。
母親が「一番上の子」であり大酒飲みだと娘が巨乳になる(アルコールシンドローム)。
つまり、巨乳とは「病気」であると表現することも可能だ。
貧乳の場合は「母親が酒を飲まない」ことが原因だ。
「生命の連続性」を考えると、貧乳の女も母親に「飲めない酒」を飲ませてみる必要がある。
自分が牛乳を飲むのは「巨乳女の乳がん対策」であり、決して「貧乳が巨乳になる」ものではない。
さて、これらの話は女の子に限った話ではない。
男の顔も「父親が決める」という側面がある。
しかし、男の顔は、女の子ほど問題にはならない現状がある。
さて、私はIQ112だったと語らせていただいたが、人間は「多少鈍いぐらいの方が生きていきやすい」という現実がある。
これはナチスドイツの「優生学」の結論でもあった。
恋愛お見舞い申し上げます おニャン子クラブ

また、「禅をやると右手が痺れる」という人もいるかもしれないが、これは「隠し子」がいるからである。
禅の威力という他はない。
ゴルゴ13もギランバレー症候群ではなく「隠し子がいた」のである。
さらに、女は「上にお兄さんがいる」などの抑圧を受けると「胸が感じなくなる」ものである。
感じない女の胸を揉むと、「なぜ感じないんだろう?」と言って他の男にも胸を揉ませに行くために注意が必要だ。
女の胸を揉む時は、とりあえず「同意」ぐらいはとっておいたほうがいい。
胸が感じまくるという女ならば同意はいらないため扱いやすい。
「胸を大きく開けた服を着ている」女は胸が感じないため、気をつけたほうがいい。
「お兄さんいる?」という質問ぐらいした方がいい。
これは男でも言えることで、私は閉鎖病棟で抑圧を受けていた時に、ヒートテックで作業療法室に行っている。
退院したあとは胸を開けるのが恥ずかしくなった。
横目で人を見ると「ガンをつけている」と勘違いされるほど目つきが鋭い人がいるが、これは「病気を見つめる目」である。
自分が病気なのか?母親が病気なのか?は明らかではないが、家族に病人がいるのならば「プロ野球が好き」であることから「家族が原因」であると言える。
プロ野球に興味がないのならば「自分が病気」だと言える。
いずれにせよ、他人に「ガンをつける」のは「俺の病気を知ってくれ」という意味であり、ガンをつけられたら「昨日はよく眠れましたか?」などと聞いてみる必要がある。

なお、たとえ父親がご存命であっても、「お仏壇」を若い男女が購入することで、弥勒・菩薩・弥勒菩薩なり、なりたい顔をお仏壇に飾るだけで「自分の顔」がコントロールできるようになる。
若い世代へのお仏壇のセールスの可能性はここに広く存在する。
酒井法子の、ラブリータイムスのジャケ写を、スマホ仏壇アプリに入れた。
49歳の私でも、イケメンになるのだろうか?
なお、ラブリータイムスのジャケ写は、ロンドンで撮影されたもので、マルクスのエンクロージャー以降は、イギリスでは「髪の短い女は禁忌」とされている極めて貴重な写真となっている。
「酒井法子」でググれば出てくる。
酒井さんも「もう、私、それしかニーズがないんです」と言って許可を出してくれました。

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Androidの「モバイル仏壇」なんてのは現実的でいいね。 お釈迦さまが入滅してから時間が経ち過ぎた、というのを「末法思想」と言うが、日本国はまだ末法思想をやってるのか? おばあちゃんが「心ない叔父からのいじめから守ってくれる」というのはトマス神学であり、祖先崇拝だが、それ以外に祖先を崇拝する理由はない。 仏教とは「美男美女を生み出す宗教」であるという認識が必要だ。

お上が、民を治めるためには、「幽霊仮説」つまりコロナウィルスの問題で、自分に敵対する連中を脅かすか、「会長さま仮説」つまり「処女」を結婚相手として与え、出世を約束するか、が考えられていたが、「禅」の場合は、「カラーとサウンド」つまり「顔写真と音楽作品」を与えるだけで、女が「酒井法子のような顔」になるという組織論の都合がある。
酒井法子 天使の館

「和を持って尊しとなす」「鎮護国家」と呼ばれるものは禅とともにあった。
秋田や鹿児島に「白人の血」が入ってきても、「京都」は、東京のような西洋化から距離を置き、日本国の防衛について考えていた。
これが「京都学派」である。
日本人女はみんなこんな感じ、その答えを酒井法子に見出すことは「絶対的無」と呼ばれ、「女をめぐる争い」を無くさせる。
それは、やがて日本国を全体主義に導くことになった。
酒井法子の「顔」の研究は、名古屋の南山大学においてジャン・ヴァン・ブラケットによって「作られた」とされている。
酒井法子 渚のファンタシィ
 

「美しい国」「おもてなし」、その行き着く先は「争いのない国」であり「無」であった。
西洋にはカントの「口説き文句」があり、日本には「女の美しさ」があった。
そこで、東京大学においても、学生たちは気楽に「なんでも研究してくれ」と言われた。
世界有数の経済大国の誕生だった。
可愛い彼女がいて、あとはカントを学べば「すべて儲け」となった。
争いの絶えない国に日本国の「無」が膨張を始めた。
酒井法子 リアル

私が今まで本ブログで述べてきた組織論や女の口説き方などのすべての学問は「争い」を前提に記されている。
知っていれば「大乱世の男」になれるし、何も考えないのならば凡人となる。
改革にはお金が必要だ。
問題のない家庭などない。
お金とは「口説き文句」(哲学)を売って儲けるものだ。
第二次世界大戦勃発前に、中央公論に「大島メモ」というものが掲載された。
東條英機政権を崩壊させずにどのように「戦争を終わらせるか?」が記されていた。
大東亜共栄圏、そこには酒井法子のような女たちが大勢いて、争いのない世界だった。
男たちは女をめぐって争っていた。
どの女も酒井法子のよう、あとはカネが欲しければ大学に行って「口説き文句」(哲学)を学べばいい、そのように大島メモには記されていた。

コロナウィルスは「食べ物飲み物の問題」と発言させていただいたが、それでも「肺炎」というものの存在は認めざるを得ない。
答えは「免疫」にある。
特に「令和天皇のような生き方」に対して、「こういうやつ苦手」と考えると、当然、免疫力は低下する。
セックスの経験が未熟なものは「蜘蛛」を極端に恐れる。
付き合っていくうちに、女は「出来ない」という問題と直面する。
「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるんじゃないかな?」
眠れないの、眠れないの。
サヨナラよりは殺してほしい。
もう「蜘蛛」を恐れるほどウブではない。
ribbon 亜熱帯ビーズ

 
これが「免疫」というものを端的に表現している。
一方で、両刀遣いの男は、極端に「蜂」を怖がる。
精子が出ないことから、そのようなトラウマになっているものと思われる。
「蜂は巣から離れていれば凶暴ではない」
それでも蜂に怯える両刀遣いの男はいるのだ。
「蜘蛛」が苦手なのか「蜂」が苦手なのかは、調査が必要であるが、「性」と密接に関わった免疫の問題である。
はちみつロケット

蜂が怖いというのは「女の胸」への免疫の問題だとも言われる。
男を愛し、あるいは、パートナーの女が貧乳である場合などに蜂が怖くなる。
「蜂のようなもの」が周囲を飛びまわっただけで必死に払おうとする。
これは、明らかに「巨乳」への免疫の問題だと思われる。
自分が巨乳の場合は、蜂が飛んでいてもまったく意に介さない。
貧乳女も蜂を怖がるのだ。
はちみつロケット

あんがい、コロナウィルスというものは「毎年起きていた肺炎、インフルエンザ」が、「令和天皇の性概念が怖い」という問題に帰着するものかも知れない。
それでも「蜘蛛と蜂への慣れ」から治るという見方をした方が、事態の収束には有効かも知れない。

 

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

 

2020年4月19日 (日)

中国の思想と日本の芸能界。

さて、キリスト教史をまとめさせていただいたところで、当然、「中国はどうなっている?」が問われる。
当然、「倫理」から始まるものである以上、「セックス」が議論の対象となるが、「家族」の存在や、「よそ者」の存在、「仲間」の存在、「社会」の存在、そして究極的には「国の頂点」になった時の振る舞い方などが「中国の書物」として残されている。
工藤静香 奇跡の肖像

儒学、墨家思想、道教、法家、中国仏教の五つの存在を深めていかなければならない。
儒学は「いじめと豊かさ」を標榜した時点で「カトリック」と類似し、「実力制の王」を生み出したが、墨家思想は「男が女を愛するとはどう言うことか?」(経済)を論じた、道教は、プラトンのように音楽作品を多く作り、法家は、「処女のセールス」を見た。
中国仏教は、「美男美女」を大量生産した。
これらの説明だけで、それなりに自己完結はするが、「中国の皇帝って何を考えていたの?」という問題が日本人の誰もがわかるように説明していかなければならない。
complex1990 Be my baby

中国は、「女の子の、男のコになりたい」という気持ちを利用して建国されたという意味において、人類史上は「中国とプロイセンだけ」と呼ばれる資金集めを行った。
髪の短い女の子は「お父さんが羊を盗んだ」(お風呂でエッチなことをされた)ということから「処女」論争に巻き込まれ、「キリスト教はこの問いに答えていない」(カラマーゾフの兄弟のイワン)と言われた。
墨子、孟子、韓非子、荀子、荘子などがこの議論に挑戦した。
「キリスト教社会には分からない議論をしてやろう」
そうでなければ、中国王朝はキリスト教圏と何ら変わり映えのしないものとなるからだ。
男のコになりたい 酒井法子

荀子は、髪の短い女の子が「一人っ子なわけがない」とし、「父、母、息子、娘」の存在を指摘した。
息子と娘が「悪さ」をすることを恐れて、父が羊を盗んでいたのだ。
息子と娘がいるのならば「裕福な」家庭であろう。
そのため、髪の短い女の存在は「王子の息子」を当然、想定しなければならない。
髪の短い女の子の「兄弟」を、美徳と慣習と呼び、男兄弟と女兄弟同士でエッチなことをされるくらいならば、「父親が介入してやろう」というところに、豊かさ(美徳)と、「女心」(慣習法)が存在することとなった。
中国とは「豊かさと女心の探求」という意味で「美徳と慣習」の探求をする世界となった。
思想の起源が「髪の短い女の子」にあったのであり、
「仁」と呼ばれる官僚的ハンサムさ、知恵と勇気などが男の子には求められた。
髪の短い姉や妹ではなく、「髪の長い女」を駒場エミナースで熱心に追いかける「金持ちで真面目な」男たちが大勢いた。
愛と勇気と思いやり

男の子が欲しいな?という感情が気温を上げ、男のコになりたいという感情が気温を下げる。
この違いが分かるだろうか?
男の子が欲しいな?というのはデディクトと呼ばれ「男が描く男」によってもたらされるものだ。
男のコになりたいというのはデレと呼ばれ、「女が描く男」によってもたらされるものだ。
デレ。
マリオネットの涙

周王朝の武王がデディクトであるとされ「男が描く男」であり、気温を上げる研究であり、文王がデレと呼ばれ、「女が描く男」であり、気温を下げる研究である。
「部活よりも勉強が大事」となると気温は下がるが、「デレ」「女が描く男」でも気温は下がる。
そのため、「少女マンガ」の研究が文王の仕事となっていた。
デレ。
好きになってもくれない おニャン子クラブ

一方で、政治というものは「男が描く女」であり、これは「理」と呼ばれている。
理というものは「男が描く女」「女心の定義」つまり「政治」である。
政治は、私も「垂加神道」を書いていた頃はとにかく「風」が吹いた。
このことから、アマテラスとスサノオの関係が指摘でき、「男が描く女」は、「男が描く男」と同じで気温が上がる。
「文」つまり、女が描く男、以外に「気温を下げる」要素は見当たらず、つまりはそれが「文系学問」となっている。
笑顔でノーサイド CoCo

今日の雨は私が降らせたの。雨のバカ。
「悲しみなんて自分一人で癒すものさ」「忘れかけてたマイレボリューション」
マイレボリューション 渡辺美里

松田聖子は、「女が描く男」を歌っていたのではないか?
と思うだろうが、アリウス派と「武」「陽明学」が結びつくのが正解だとなると、私は中国の高級官僚になれてしまう。
このへんは、まだ練られているない。
いずれにせよ「仁」と呼ばれる官僚的ハンサムさと知恵と勇気がなければ、朱子学も陽明学も成立しないのだ。
つまり、「気温や天気を自在にコントロールできる」教団ならばそもそもロビー団体であり、お布施を要求しない。
1945年の夏は、とにかく「文系」の男たちが、女を口説きまくったため、「8月革命」と呼ばれるほど暑かった。
男が「女心」を語るととにかく「暑い」のである。
「女が描く男」つまりデレが気温を下げるが、ここから先は「一筋縄ではいかない中国の難しさ」という他はない。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

松田聖子が「台風は来ません」というのならば、それはそれで尊重しなければならないし、単純に「アリウス派」=「武・陽明学」と相思相愛の関係にしてはならないだろう。
このあたりに中国の書物を読む「必要性」がある。
結論を急いではならない。
あくまでも松田聖子は、「デレ」であり、聴けば聴くほど気温の下がるアーティストなのかどうか?
この辺りが解ければ「科挙」には受かるだろう。
今は、インターネット時代であり、ネットで発言すれば気温をコントロールすることができるが、昔の中国では「お手伝いさん5千人」を集めて国の天気を管理する「腕前」「人望」を学ぶ必要があったとするのならば、「5千人の女を集める学問」が中国の書物なのだろう。
「皇帝」なんてものは名乗りたければ勝手に名乗ればいい。
まあ、中国の「儀式」というものが「日本に四方を拝ませろ」ということであり、つまり、「西から天気は下り坂」という「中国や北朝鮮の方向から風が吹いてくる」ことにある。
私は、平成天皇が「四方拝」を行っているのを目撃したことがある。
私が「台風撃退法」を明らかにしてから、「西から天気は下り坂」とは必ずしも言えなくなっている。
「私たちが気温をコントロールしているの」と「女たち」が考えるに至ると、「国民に一律10万円」では済まない「おカネ」を女たちに支払わなければならない。
これが「中華中朝」とされる所以である。
「5000人のお手伝いさん」と、仲良く、しかも多数派工作を行いながら生きる、これが中国の皇帝だと言っていい。
浜崎あゆみ To be

中国が「正確な対中政策を打ってもらいたい」としてこれらの学問をアメリカ合衆国に紹介したのは1980年代のことだ。
マッキンタイアとかウォルツァーなどがこれらの研究を公表した。
息子は官僚になり、娘は政府からお金をもらう、「いじめのない共産党による一党独裁の豊かな国」はこのようにして生まれた。
男の子は「治める」ことを知り、女の子は「踊る」ことを知る、舜は、結婚したことを両親には伝えなかった。
「仁」つまり官僚的ハンサムさを持ち知恵と勇気に満ちている、というだけで大富豪になれたからである。
王子様と雪の夜 タンポポ

墨子は、デレ(女が描く男)を歌う女にせよ、デディクト(男が描く男)を歌う女にせよ、双方の女を男は愛さなければならない(兼愛)とした。
レイニーデイ×3 高橋由美子

女性ボーカルに男が興味を持たなければ、気象コントロールは困難であると考えたのだ。
また、いじめられている子供も、孟子は「女が描く男」だろうと考えていた。
ぼくをぶたないで 高橋由美子

さらに、「女が描く男」の研究は深められ、「勉強する男」もこれに含まれると考えられている。
いずれにせよ、「天気」をコントロールするためには、キリスト教に興味を持たなければならず、これは「人心」と呼ばれ、影響力のない者は、そもそも「天気がコントロールできない」とされている。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY

また、「浮気をする男」も、「女が描く男」に含まれ、アタナシウス派やアリウス派の違いも、結局のところ「女が描く男」に含まれており、詳しい区別は「人心」(キリスト教)に過ぎないと考えられている。
デレ(女が描く男)と、デディクト(男が描く男)の区別が必要なのであり、二つの表現が女によってなされたら、男たちはその音楽作品を愛さなければならない(兼愛)とされている。
「神・男の完全性を語り合うと爽快感がある」ということを踏まえて、それでも「仁」つまり官僚的ハンサムさと知恵と勇気を持ち合わせたモデルである「舜」を中国の「神」と位置付け、その人物像は「少女マンガに出てくる男のよう」でなければならなかった。
「キリスト教は、人心はつかめるだろうが、地球温暖化につながりかねない」そのように中国は考えていたのだ。
パールホワイトイブ 松田聖子

「髪を切った私を、違う人みたいと」
女が描く男(デレ)の存在は、キュレーション(評論)が必要であり、それは「台風は来ません」という意味であることを、メッセージとして明確にしなければならない。
ただ、「聴いて、感じればいい」というものではなく、「デレを描いた」「気温を下げるため」ということをしっかりと示さなければならない。
松田聖子 夏の扉

また、男の「家族への忠誠心」も「女が描く男」であるとされている。
このように見ていると、中国の書物にはなんら「教訓」「説教」のようなものはないことが分かる。
セロリのキス ハッカのタバコ

儒学の「テキスト」そして墨家思想の「兼愛」そして道教の「音楽作品」は、このように気象コントロールに用いられている。
この司令塔を「天」と呼ぶ。
中国には「天」が存在する。
しかし、平成の日本国には「天」皇はいなかった。
公然と四方拝を行い、中国に翻弄され、儒学の真の意図を見失っていた。
タクシーの運転手は、皇居の周辺で「なにやっておられるんでしょうね?」と肩をすくめた。
東京オリンピックも、「マラソンは札幌で」と言われるほど、日本政府そのものが「人為的に気温を下げる」方法を知らなかった。
松田聖子 赤いスイートピー

朱子学は「文」の立場であったが、この時に「心」つまりアタナシウス派とアリウス派の違いに気がついたようだ。
また、陽明学は「武」の立場から「キリスト教ファイナンス」によって「心技体」つまりプロスポーツを生み出している。
ラファエロは、そもそも「少女マンガ」を描いている。
儒学は、リベラルつまり「英国国教会・英国王室」のような世襲制と、最悪なエリートを排除する民主主義と結びついた。
私も、令和一年生の時は、「雨男」と呼ばれ、試練を経験した。
メディアが「雨」を「天皇のせい」にすることそのものが、令和君主制の確立を意味した。
墨子によると「迷信深い人は悪いことをしない」とされており、アウトロー気取りで悪いことをする奴は、「天照大神・素戔嗚尊、コロナウィルスに感染することを祈願いたします」と本人に聞こえるように言うだけで、「迷信」に騙されてのたうちまわることになる。
企業のトップは、常に「悪いことをする連中」(クリーク)にいじめられている。
そこで起きた「コロナウィルス騒動」は企業のトップにとって「渡りに船」だった。
悪いことをする奴に「アマテラスオオミカミ・スサノオノミコト、コロナウィルスに感染することをお祈りいたします」と言うだけで、常務会(女の子たちに人気の違法な連中)が震え上がるからである。
組織の頂点にとって、コロナウィルス騒動は「必要なもの」であったし、常務会にとって、私の「食べ物飲み物論」は必要なものだった。
常務会と社長の睨み合いは、一度膠着状態に陥ったら、東京オリンピックどころではない。
国難ではないのだ。
組織論なのだ。
結局、食べ物飲み物論が勝利するだろうが、メディアは必死で「企業のトップ」を守ろうとし、スポンサーも大勢いるものと思われる。
私も、組織のトップにいるが、コロナウィルス騒動の「未知のウィルス論」と「食べ物飲み物論」を都合よく使い分けている。
気象コントロールが出来るようになると、「5000人のお手伝いさん」をめぐって争いが起きる。
この組織論こそが墨子の語った「法」なのである。
キリスト教も「教会法」かもしれないが、中国には独自の「法」がある。
コロナウィルスは「人々が語り合っているから存在する」それはまるで「幽霊」のようだ。
キリスト教は、カトリックと英国国教会という対立を遂げたが、中国では「幽霊」による解決法が模索された。
兼愛の観点からは、「女が描く男」という側面があるが、社長もクリークもみんな「家庭」を持っていた。
このようにして、墨子は、「天」を「法」によって守った。
酒井法子 夢冒険

この「組織論」をコロナウィルス騒動で明確に打ち出した「天皇」「宮内庁」は、いかなる省庁・企業の「頂点」に君臨した。
トップの「力量」次第で、組織のあり方は変わる。
そこで、令和天皇制は完成を見たのである。
なぜ、令和天皇が始めから明確にしていた「食べ物飲み物論」が黙殺されたのか?
それは、企業のトップに「殺したいほど憎い連中」(クリーク・違法な連中)がいたからである。
クリークの人事の難しさはキリスト教圏でも知られているが、お金でコントロールするしかないように見える。
そこに、「幽霊」を持ち出したのが中国である。
「5000人のお手伝いさん」「天気をコントロールする女たち」を集めたら、「迷信」「幽霊」「コロナウィルス」と言うものは生まれざるを得ない。
パニックによる国家の崩壊は免れたが、組織論に落とし込んだことから、令和天皇制は、窮地を脱し、むしろ「君臨」することとなった。
さて、儒学による「気象コントロール」と「墨子」による組織防衛論はすでに述べたが、道教は、「失恋した女」が宇宙を持ち出して「フラれた言い訳にする」ことを指摘した。
小泉今日子 スターダストメモリー

そこから「天文学による国家の行方の占い」が発展した。
動的静(ドテチン)と呼ばれるもので、年配者になると「あしたば」という野草が食べられるなどという「知恵」とも結びつく。
道教は「天文学」を富に変えることで、「義」(お金に満ちていること)から鳥・魚・植物などを語り始めたのだ。
小泉今日子 迷宮のアンドローラ

道教が「女の失恋」と天文学を結びつけ、国の頂点を「星座占い」で脅かすようになると、荘子は、その富で「中華料理」を作り始めた。
「気象コントロールならば俺でもできる」という連中がいて、習近平などは「護衛の銃口がいつ自分に向くか分からない」とされている。
日本国の天皇や首相とは明らかにスケールの違う指導者であった。
まあ、中華料理が美味ければ国が治るという発想も当然ある。

また、法家の韓非子は「国家統治の全体像を知っているもの」でなければ処女にモテない、とした。
処女にモテないことを「罰」と呼び、金持ちになることを「褒美」と呼んだ。
伝説的王を記録に残すことで金持ちになる歴史家も法家と呼ばれた。
国家統治の全体像を知らなければ歴史は書けないし、処女にもモテないからである。
高橋由美子 ときめき

このような「中華中朝」において、「王はハンサムだ」「世界の中心だ」としたのが天台宗と華厳宗である。
「王に似た顔」「王妃に似た顔」「例の顔」だけで、豊かさが約束され、各自が身内に皇帝・天皇・聖徳太子を持っていた。
それで、中華帝国は一貫性を持った国として成立した。
さらに研究を深めることは可能であるが、以上の文脈を理解しなければならない。
さて、この「権力の階段」を登っていく、中国哲学の世界であるが、「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならない」から病気になる。
そのことから「女は5人必要」(五行・五つのマンガ)、とされ、「気」によって心を癒していかなければならないとされた。
このような男が「陰陽師」と呼ばれて恐れられたのだ。
CoCo 優しさに帰れない

AKBグループでも坂道シリーズでも、「女は5人」名前を覚える必要がある。
このように、ヒポクラテスと同様に「聴いただけで癒される」ことを養生と言い、本草学は、セックスを「内丹」と呼び、日常を「外丹」と呼び、その経験値を「数術」と呼び、そのテクニックを「方技」と呼び、恋愛論を「医経」と呼び、これらと無縁の医者を「神仙」と呼んだ。
「五行・五つのマンガ」には様々な個性が見られ、私は、「松田聖子」「中森明菜」「小泉今日子」「CoCo 」「ribbon」などの五行によって出世した。
五行の「評論」をするのが「強烈な敵をなくす」ことであり、私は同時代を生きた連中の中では最も強い「五行」を持っていた。
自分が「出世するだけ」ならば陰陽五行説に立脚し、「天気がどうなっても知らない」世界である。
国の頂点に立つのならば「儒学」「墨子」などを理解しなければならない。
CoCo 夢だけ見てる

自分が選択した「五行」が人々を惹きつけ(導引)、その評論で心が癒されなければならない(養形)。
有力な政治家の言うことさえ聞いていれば健康というのが漢方医学なのだ。
面白い政治家は「神人」と呼ばれ、中森明菜と松田聖子を同時に愛することを「合陰陽」と呼んだ。
張家山のサクセスストーリー(天下至道談)などが知られている。
女たちに恵まれ、食事に恵まれ、家族に恵まれる、これが漢方医学である。
「仲間が多い、何かやってくれそう」これが恋の予感である。
松田聖子 白いパラソル

諸葛亮孔明の「抱樸子」が知られているが、
アタナシウス派つまり「女は皆同じ」「女の失恋の言い訳の版権の膨大さ」に気がついていたとされ「行気」と呼ばれている。
一方で、「彼は特別な人」「私も特別な女」というアリウス派(房中)も知っていたため、「漢方薬」と言うものは諸葛亮孔明の不老長寿を祈った「ハーブ」だとされている。
松田聖子 風立ちぬ

張飛は、諸葛亮孔明のためのハーブを集める「行動派」だったし、関羽は、理論家だった。
天気のことなんて劉備玄徳に任せておけよ。
所詮は出世がすべてだ。
諸葛亮孔明の言うことを聞いて、張飛と一緒に酒を飲んでいれば、まあ、健康なわけだ。
中国は、2000年にわたって「デレ」(女が描く男)を研究し続けていた。
天気の心配は、「マルとものさし」と言われ、統治者はひたすらデレを公表し続けたのだ。
「風呂に入る王家の息子」
などを描いた。
20世期に、毛沢東が「家庭に帰ろう。少しは女を口説く方法でも考えよう」と言った。
(文化大革命)
鄧小平は、「キリスト教への改革開放」を宣言した。
この時に、中国や北朝鮮に大洪水が起き、IPCCが「地球温暖化」を問題にし始めた。
中国は「一帯一路」と呼び「熱い太陽は我々が石炭で作った」と主張した。
日本国は、「中国とは何か?」を見極めるのに時間がかかった。
1989年に、胡耀邦の葬式が行われた。
学生担当の胡耀邦の死に、学生たちが続々と天安門に集まり始めた。
その動きは「民主化」(最悪なエリートの排除)を求める動きへと直結してしまった。
「我々、学生は女一人口説く学問すらやらせてもらえなかった」
この時に、世界が「中国という理想郷」の夢から覚めたとされている。
この時、ハンガーストライキなども起き、この問題を担当した李鵬首相は、北朝鮮訪朝を取りやめ、徹夜した学生を翌朝、訪れ「済まなかった」と言った。天安門広場の西から軍事行動が始まった。
天安門事件

それ以降、中国民主党事件や、法輪功の問題はあったが、過激なムーブメントは一切起きていない。
コロナウィルス騒動とはなんだろうか?
中国は、常に「異民族問題」(豹)と向き合っていた。
異民族とはヨーロッパ人のことだろう。
自閉症とは、「色白のアジア人」のことを言い、「マルとものさし」(太陽)を描くのを好む。
日本の医学書には「去勢」と書かれているため、男の子が下手に自閉症を告白すると、ちんちんを切られかねない。
しかし、「王」という存在は常に「自閉症」だったのではないだろうか?
ちんちんを「ピエロ」と呼んで、女の子特有の思春期のことを「去勢」と言っていることぐらい見抜かないといけない。
さよなら失恋ピエロくん うしろゆびさされ組

天安門事件は、「中国には松田聖子や中森明菜がいない」という問題から引き起こされたものだ。
映画監督の陳凱歌も、「ハリウッドを見て一から作り直した」と語っている。
松田聖子は、「女が描く男」を中国よりもよりパワフルに表現したとし、「台風は来ません」と大見得を切った。
天安門事件は「松田聖子」が焦点にならざるを得ない。
それにしても「いつ、日本は中国の真実に気がつくのだろうか?」が問題となった。
キッシンジャーは、早々に「天皇とさえ言っておけばいい」と中国を見ていた。
アタナシウス派・アリウス派の対立は「心」であり「おカネ」であった。
日本国は、「女が描く男」に関しては「エルニーニョ現象」(神の子)と呼んでいた。
松田聖子 ロックンルージュ

世界の天気なんてどうなってもいい。
「口説き文句」を中国語で売るんだ!
中国の膨張はここから始まった。
その、怒涛のセールスは2011年まで続いた。
8人目で過去から逃げ出し、9人目でジェラシーを見て、10人目で愛してたなどというものを「算」と呼んだ。
そのことを歌にしておカネにすることを「律」と呼んだ。
これらは「歴法」を知らなければわからなかった。
globe Joy to the love

「何回、飛んだか分からないね」
このような女たちの証言を男たちは「天文」と呼び、聞いただけで癒されるという意味では「医」であった。
円広志 夢想花

この歌に関しては、漢王朝の頃から「一人の男を知っている女」を人と呼び、「二人か四人」を地と呼び、「3人か5人」を天と呼んでいた(天地人)と言われたが、
女たちは「共存するのが」難しいと語った。
いずれにせよ、笑いながら「律」をみんなで聴く文化が中国にはなかった。
「六藝」「六経」「諸子」「詩賦」「数術」などが、整備されて行ったが、小室哲哉を見ながら「秦の始皇帝が記したもの」とされた。
中国は、日中戦争を「決着がついていないもの」と考え、「日中でチェスを指すのならば歴史学を語ろう」と言い三国志などを記した。
ribbon 真夏のフェミニスト

日中戦争に総括など必要ない。
日中の双方で歴史学という名のチェスが指された。
日本の東大生も、中国の北京大学の学生も「チェスの手ほどき」を受けたに過ぎず、「どんな人物?」と言われるのならば、「芸能界」というものに注目しておかなければならなかった。
「アジア初の近代帝国」は間違いなく「日本国」であったし、それ以前の話は「チェスに過ぎない」という割り切りも必要となる。
中国の哲学の「考え方」は、「処女と仲間たち」にあった。
私もこの映像の1:40あたりの「会場」にいたと思うが、「人間らしさ、ドリーマーであることと、勉強すること」は、天人合一と呼ばれ、ドリーマーはやがて「勉強」だけを世の中に解き放ち始めるとされた。
CoCo 夏空のドリーマー

「豹は死して皮を残し、人は死して名を残す」
体認、あるいは体験と呼ばれるものであり、男たちの行動は「是」と呼ばれ、どのように見えるかを「然」と呼び、男たちが家に帰って勉強することを「物」と呼んだ。
唯物論とは「オラも勉強します」という意味でもあるし、「女」=物がなければ勉強できないという意味でもあっただろう。
会場が熱気に包まれると、「夢」を歌う処女たちの周りの男たちは「男が描いた男」であった。
夢が実現することを「名実」と呼び、後の世に「知識」は残るし、その年の気温は暑いことから、天人合一というものは中国の歴史とは明らかに異なるものだった。
今やっている作業を続けることを「常」と言ったし、常は「白黒つくもの」(是非)とされた。
「夢」で「処女」たちは男たちを煽ったが、アルバムを買えば他にも「宿題」はあった(知行合一)。
中国が見てたのは、「CoCo」であったし、改革開放はカトリックが先行した。
「女の口説き方を中国語で売りさばく」
これは、「処女・高貴さ、繁栄、競争」+いじめのともなうものであり、中国共産党は、改革開放をカトリックとともにはじめたものの、「暴動」に直面することもあった。
「チャイナタウン」
このことをCoCoは明確に詩にしている。
CoCo 横浜ボーイスタイル

横浜にはチャイニーズディアスポラ「中国人ゲットー」「チャイナタウン」があったし、チャイナタウンの資金力を用いて、歌って踊る横浜市民という意味では、「CoCo」は、ニューヨークのユダヤ人となんら変わりはなかった。
CoCoに群がる男たちはあくまでも「男が描いた男」であり、気温を暑くさせるものと考えられた。
デカい体をし、勃つ男たちの映像を撮影し、その映像を女(能)と男(所)に売りつける。
女は観客席の男たちを見て「男が描いた男」を見たがったし、男は普通に映像を楽しんでいた。
中国の改革開放は「日本のヨコハマ」を司令塔として行われ、1998年には松坂大輔の横浜高校・横浜ベイスターズなどが世界に知られた。
「CoCoがうまくいくのならば、中国の21世期は約束され、日本は2020年に滅びる」
令和天皇が「CoCo」について語っている限り、「君子」としての地位が約束された。
「処女」の歌う「夢」と「仲間たち」が「男が描く男」を体現しており、日本国が令和の時代を迎えても、「中国の志は日本に引き継がれる」と考えたのだろう。
中国は、日本国に「正確な対中政策」を打ったほしかった。
「私たちはもっと善良性を持った国なのです」
中国の考えに日本人女たちが流すであろう涙は「千年の媚薬」と呼ばれた。
CoCo 千年の媚薬

「能ある鷹は所隠す」
美女のいる日本国は、男たちが「男が描く男」を演じる。
処女の前で「踊り狂う」のである。
法輪功とは、「横浜のムーブメント」のことを言った(太極)。
中国では上海にAKBグループが作られた(人極)。
取り巻く男たちを「観物」と呼んだ。
アリウス派の松田聖子を「特別な女がいる」(能別)「特別な男がいる」(所別)と呼んだ。
松田聖子 スウィートメモリーズ

あるいは、「女は皆同じ」と考えるアタナシウス派を「我」と呼んだ。
女が「主」で男が「客」であることさえわかってくれたら、中国本土も気候が安定する。
穴井夕子 フェアリーデイズ

中国人は「涼しい夏」(大学)「暖かい冬」(中庸)のためならば、司令塔を東京に移してもいいと考えている。
もちろん「女が描く男」が大学には記されており、「男が描く男」が中庸には記されている。
夏のアリウス派・冬のアタナシウス派という構図が見えた。
大学。
松田聖子 夏の扉

「もう誓いを破ってる」
中庸。
松田聖子 パールホワイトイブ

まあ、今年は東京オリンピックも延期になったことであるし、「涼しい夏」「暖かい冬」を試してみるのもいいだろう(考証)。
キリスト教への改革開放を行ったのち、気象コントロールを、より強烈な武器を持った日本国に委ねようという発想であろう。
日本国政府は「一帯一路」への参加を表明し、そのような意思表示はすでに行なっている。
CoCoとそれに群がる男たちつまり「男が描いた男」も、そのメカニズムを正確に理解しなければならない。
コンサートが終わった後に「放射冷却」が起きることが明らかになったのである。
放射冷却をうまく利用しなければならなかったし、それがなければ、中国がCoCoをプロデュースする理由もなかった。
「正確な対中政策」とは常に「キリスト教に興味を持て」「気温をコントロールしろ」という意味であり、誰でもが打てるわけではなかった。
CoCo 優しさに帰れない

この曲も「放射冷却」を引き起こすだろう。
高橋由美子 アフター・ザ・コンサート

まあ、私が何か言ったらファーウェイの「5G」を使っている中国人が一斉に注目する。
そのため、「中国がなければ日本の気温もコントロールできない」という側面がある。
中国の「女性」「女の子」の部屋にどのようなメッセージを送るかが「対中政策」となる。
アメリカ合衆国は、「対中政策」を自らのものとは考えてはいない。
アメリカ高等教育・金融・原子力発電を「対中政策三本柱」としているが、「日本が発信源」と考えている。
たとえば「タモリさん」という言葉が中国で知られているが、「森田一義」といえば「知ってる~」と答える女性たちがいる。
文化大革命以降、各自が家庭に戻って行ったが、どの女性たちも「口説かれたがっている」と言っていい。
さらには、天安門事件以降は、「男たちまでもが、口説き文句を高等教育機関に求め始めた」のである。
香港ではデモが起きた。
私の研究は、5Gの、アマゾンアレクサや、アップルのSiriがすぐに学習して中国に伝わる。
IBMのワトソンもそうだ。
日本国の天皇は、中国の習近平よりも「格が上」となっている。
おニャン子クラブ ステージドア

アジアの金融ハブである香港も、北京も上海も、松田聖子や中森明菜に興味を持っている。
中森明菜が「陰」だとすれば松田聖子は「陽」である。
中森明菜は、ハプスブルク家の人物であるし、松田聖子は、キリスト教アリウス派の人物である。
日本人は「天皇にしたがいたくない」と考えているが、中国人はそうではない。
中国の「易経」ってのはそういう意味なのか?ということを知りたがっている。
中国には天気を決める「天」が存在する。
日本の天皇は、国内では敵が多くても、中国人に「命」を保障されている。
この「尚書」を理解しなければ、どうにもしようのない暗愚なものが「天皇になりたい」「お手振りしたい」と考えかねない。
日本国には、英国国教会やカトリックとは異なる「天皇制のあり方」があり、中国に命運を握られている。
日本国天皇制は、現在、漢王朝と同じ図式にあり、呂氏春秋や、准南子を「読め」と言われているようなものだ。
皇室をめぐる「政局」はこの二つの書物に記されている。
上皇・上皇后、秋篠宮という「暗愚な」連中がいる以上、呂氏春秋や准南子は、秘蔵の書物となるであろう。
中国に「気」を送る対価として、日本の皇室の「政局」がファンレターとして送られてきている。
そのため、「東京が気象コントロールの司令塔」ではあっても領土問題にはまったくならない。
ribbon stay with me

たとえば、呂氏春秋の「四月記」には、
「四月は有事がないため、学ぶのにふさわしい時期である。弟子たちも最も熱心に発言に耳を傾けている。
暗愚なものたちは、平時であることから、ちょっかいを出してくるだろうが、どうせ何もできまい。
先生が違うのだから、何かできるとも思っていない。師を敬え。有事に備えろ」と書かれている。

中国の改革開放はキリスト教に心を開くことにある。

中国の歴史は、春秋・戦国時代などがあり、「戦い」があった以上、天気のコントロールをして、
日本から「朝貢」を受けるということ以外にも、「当然、女心を語って、女性たちの支持を集め、お金を集める」という発想は持っていたはずだとされた。
ところが「中国の歴史」は20世紀に書かれたものだった。
「アジアの気象コントロールセンター」つまり「中華中朝」として以外に、今のアメリカやヨーロッパのようなメジャースポーツを行い、資金集めをすることはあったのだろうか?
文化大革命や天安門事件を見ていると「そうは思えない」という現状がある。
ベトナム在住の親戚に訊いても、KーPOPが流行している、とは言っていたが、中国に「世界には知られていないヒットチャート」のようなものはない。
中国は、朝鮮半島の総書記や大統領、日本国の天皇の「命」を気象コントロールをする「天」によって保障したのであり、アマテラス(女神)たちの心を掴んだ日本国の指導者を「天下」と呼んだ。
しかし、それならば「戦争ってどうやって戦ったの?」という疑いが生じる。
「内丹」つまり「セックス」という用語はあるが、それを私有財産とみなし(礼)、お金に変える(義)という発想が本当に育まれていたかは明らかではない。
セックスしている時の女は「いつも本気である」とされる。
ribbon 愛してジャスティス

中国の思想は、常に「ちんちんがついているかいないか?」(有無)を問題にしてきた。
そこから「思春期の違い」を理解したのだ。
さよなら失恋ピエロくん

しかし、美男美女が生まれるとした禅にせよ、生涯童貞の皇帝の存在(無為)、あるいは皇帝に心酔する(心斎)ことなどは、「20世紀の創作」と言われても仕方がない。
日中戦争はあった。
文化大革命もあった。
天安門事件もあった。
しかし、アジア初の近代帝国である日本国からの侵略にはなす術もなく、その時から「哲学」および「歴史」を作り上げたのではないだろうか?
いじめの存在は「唯識」と呼ばれていた。
「神・男・聖霊の完全性」は「三論」と呼ばれていた。
女が自分をアピールすることを「無理」と呼んでいた。
そんなのムリ 高橋由美子

しかし、「北京大学に曹操のことを学びに来た」と言っても「何も出てこない」のである。
私は、東京大学がどの程度かは理解している。
一方、北京大学もこの程度、ということは日本人も理解しなければならない。
コロナウィルス騒動に関しては、企業や組織のトップには必ず「自分の悪口を言って女子たちの人気を誇る常務会」
が必ず存在する。
トップにとっては「呪い殺したい連中」であるため、コロナウィルスという「幽霊」を必要としている。
そこで、「芸能界が国を作った」ということを踏まえると、朝の連続テレビ小説「エール」の、「恋愛裁判」」「フェアプレー」「男女の武器対等」を積極的にアピールして、常務会の連中のイデオロギーつまりリベラリズムをまとめ切るしかない。
「東大に入らなくてもいい」「偉くならなくてもいい」
このリベラリズムを深めきれなかったら、常務取締役はずっと「社長」にはなれないだろう。
いつかは終息しなければならない問題だ。
rebecca moon

どの政治家も、自分の得意な「五行」を持っている「陰陽師」であるが、
私の五行は、「松田聖子」「中森明菜」「小泉今日子」「CoCo」「ribbon」などであり、「やり方」「陰陽五行説」に気がついた韓国は「韓非子」にしたがって、墨子の組織のリーダーと常務会の間の「幽霊」を韓非子の言う「処女アイドルグループ」に置き換えてしまった。
AKB48 teacher teacher

韓国が本腰を上げて「韓非子」に基づく陰陽五行説に立脚したことから、日本国のAKB48グループは、消滅してしまった。
韓国には財閥がいまだ幅をきかせ、「処女アイドルグループ」を組織のリーダーが、常務会に「紹介する」という形で、「会長さま」は、アイドルグループを作っていた。
会長さまも、みずからの「悪口」を言って影響力を持つ連中への対策として、「処女アイドルグループ」を持っていたのであり、「韓国を目指すAKB48メンバー」はそのまま「財閥の会長さまの取り巻き」となった。
コロナウィルス騒動を終息させるためには、常務会が「本当にアイドルと結婚できた」などの旨味がなければならず、しかも、「財閥」がなければならない。
日本にはそのような強烈な「会長さま」はおらず、AKB48グループ、坂道シリーズの本格的な「評論家」はほとんどいない。
AKB48 ハロィンナイト  

「会長さま」に、お手つきのない「処女のアイドルグループがいる」と言うことは、「富国強兵」と呼ばれるやり方であった。
織田信長の「女房衆」もこの類いだろう。
会長さまを恐れる部下の気持ちを「情」と呼んだ。
日本のいかなる企業も「コロナウィルス」をホームページのトップに載せているのならば「情」は機能していない。
まだまだ、AKB48グループも坂道シリーズも、「売り込みの可能性」があることを示しているが、なぜ、日本の企業は「韓非子」を理解しようとしないのだろうか?
昔は、日本にも財閥があり、社員は「士」と呼ばれていた。
しかし、「会長さま」は、気象コントロールをするだけの力量がなければならず(利民)、その上で自分の立場を守らなければならない(愛民)。
「友達の紹介なんて」と思っているうちは小物だ。
AKB48 ノーカン

「人事の佐藤(栄作)」とは、ポストをチラつかせると言うものではなく、「士」に女を与え、しかも昇進を約束するのが上手い人を言う。
一般職のOLさんとはちょっと論理が異なる。
韓非子が、一般職のOLさんと、AKB48グループ、坂道シリーズをどのように区別していたかは研究が必要だ。
しかし、「戦で用いた音楽作品を歌っていた女」というあたりは明確である。
ロマンスかくれんぼ

経世会に「禅譲はない」といわれる由縁は、すべて「人事の佐藤」のネットワークを発信源にしており、
カトリックの「処女・高貴さ・繁栄・富」+いじめから来るものであり、「おカネがモノいう」ものであった。
「人事の佐藤」のメンバーだけが同じで、「教会法」だけが変わっていった。
日活の様々な「ライン」の人たちも多くは語らないし、高橋英樹ぐらいしかもう話は聞けないんじゃないかな。

今日、2週間ぶりに病院に行ったが、コロナウィルス騒動のエスカレートには参った。
ナイジェリアでは「ヘルメットをしないでバイクに乗る連中」を「ボコハラーム」と呼ぶが、日本では「マスクをしない連中」とでも表現しようか。
天皇制への強烈な支持が「マスクをしないこと」であるが、「したがいたくない」ことへの「同調行動」はすごい力を持っているね。
ボコハラームは、アルカイダと結びついたりしたが、アルカイダは、「アメリカ人を殺したい連中」だった。
アメリカ合衆国を敵に回したらアフガニスタンにしか隠れる場所はないが、さぞかし「強烈な教え」に支えられているのだろう。
中国の哲学を続けたいと思います。
陰陽五行説(好きな女性アイドルユニット5組をキャリアの推進力にする政治学)、あるいは韓非子(AKB48グループ・坂道シリーズを部下に与え、出世を約束する会長さま)などの存在を指摘したが、それでも、基本は「唯識」(いじめ)と三論(神・男・聖霊の完全性について語り合うこと)が、アジアの気候に「涼しい夏」「暖かい冬」をもたらすというのが皇帝の歴史だった。
鬼滅の刃の炭次郎もそのようなキャラクターである。
そのような陰陽五行説や韓非子という政治学にしたがうのならば、中国の皇帝というものもカトリックに近いものとなる。
ところが、中国には「日本」があったのだ。
日本に影響を与えて、中国が「天」、日本の政治家が「命」を与えられる(天命)という側面がある。
それほど、日本人というものは「権威にしたがいたくない」というメンタリティーを持っており、中国に影響を与える日本の政治家しか「命」が保障されなかった。
松田聖子 雨のコニーアイランド

このような「中国哲学の真の意図」を理解するのは「言葉の壁」があり極めて難しかった。
しかし、毛沢東が韓非子の立場に立ち「会長さま」だったことなどから「やり方」を掴んだ。
袁世凱が「京劇の評論家だった」とか、周恩来が「京劇の女形をやっていた」などのことから「女が描く男」というものの中国における重要性を理解する必要もある。
いずれにせよ、中国がこのような「哲学」を発展させたのは「実際には20世紀のこと」であろうと思われる。
なにしろ、中国の哲学は「天気のコントロール」という目的はあるにせよ、ギリシャ哲学・ドイツ観念論哲学・フランス道徳哲学を参考にした節があるのだ。
ドイツ観念論哲学と言っても「ロマン主義」(エロ)であるし、フランス道徳哲学と言っても「ポストモダニズム」(面白いことをやろう)であった。
プラトンが描いた「理想の男」を「女が歌えば涼しい」などという発想は、毛沢東の「中国全土を覆うスピリチュアルカルチャー」がなければ、群雄割拠がなされるだけである。
また、毛沢東自身は李大というブレーンがいて、李大は、日本国の河上肇や山川均に、これらのことを学んでいる。
日本全土を一つのライセンスでNHKは覆っているが、これを「中国で」と教えたのは河上肇や山川均だった。
紀元前7世紀から紀元前1世紀までの歴史がここで完成した。
動的静(ドテチン)と呼ばれる「芸能界」は、日本と中国は同じ時期に発展させていった。
日本国では「カチューシャの唄」が元祖だとされている。
日本国が最初にレコードの「版権」を争ったのは雲右衛門事件であり、日露戦争後に「愛国心を煽った浪曲」であった。
日本が最初に「近代帝国」をアジアで作り、中国は「教科書」を作っていった。
カチューシャの唄 松井須磨子

中国が「天」であり、日本人の政治家の「命」を保障する、これが明確になった時に、中国では「学生レベルにまで」発想を浸透させた。
しかし、中国の学生たちは「中国には松田聖子も中森明菜もいない」と激怒してしまった。
「天命」と言っても、日本のウォークマンに入っている「命」の方が羨ましかったのだ。
漢詩も、韻を踏むように書いたが、日本の31音だけは真似できなかった。
しかし、言語は「完璧な器」と呼ばれている。
言語の整理が進み、中国語辞典が薄くなった。
日中戦争の真っ只中にこのような作業が進んだ。
日本国においては家長三郎の日本史の教科書が「戦争を暗く描き過ぎている」として検定不合格となっていたが、1980年代には中曽根康弘首相が「中国への侵略性」を認めた。
これは、「中国への進出に不愉快感がともなった」という意味であり、爽快感があるものは「侵略」とは呼ばない。
日本の方が「明るかった」のである。
東京事変 群青日和

中国が衝撃を受けたのが、日本人の女の子は思春期の鬱を晴らすために、日本料理の作り方を覚えているということだった。
「道可道非常道」
と呼ばれ、「中華料理は男が作るもの」という発想を、より西洋化する必要性が認められた。
愛のクレイジーエプロン

女に「食べ物」を委ねるということは「命を預ける」行為だった。
日本人の善良性に衝撃を受けたのだ。
コロナウィルス騒動は、とうとうそのことに我慢ならなくなって仕掛けられた「幽霊」である可能性も捨てきれない。
荀子は、「天気がコントロールできるのならば中華料理をご馳走できる」と考えたが、女が書物を読むことは想定していなかった。
「愛エプ」だけはモチーフすらない、これが中国側の考えであった。
そのかわり、中国女は「餃子」にだけはやたら自信を持っていたようだ。
ご飯と味噌汁、おしんこ。
つまり、炭水化物と、酵素分解機能、そしてアミノ酸という三つの基本を押さえた「和食」は、あとはこれを発展させるだけだった。
「コメ・ムギ・イモだけならばいまだ自給率は100%達成可能」
日本政府は「食育」において地域の特産物として「アミノ酸」を教えた。
「愛エプ」はまるで中国に拳を振り上げているようにしか見えなかった。
中華料理に対して、中国女たちは「文字が読めない」と言い始めた。
日本のように「ご飯と味噌汁、おしんこ」の三つにレシピを放り込んでいく世界ではなかったのだ。
中国女 YMO

「女心の研究をして、中華料理の本を読むカネを日本人女に渡してやれ」
カント派がこのように考えたために「和食」が生まれた。
中国側は、まあ、食い物の話が終わったのならば芸能界をどうにかしよう、と考えて、飲食店と銀行と国防の三つを絡ませた「芸能界」の構築をサウンドオブサイレンスの翻訳から学んだ。
サイモン&ガーファンクルで人生が分かった気がした。
サウンドオブサイレンス

沈黙は「セックスOK」という意味である。
ところが、人々は詩を書き、「女心」を歌い始めた。
ネオン街が生まれ、詩がうまかった男は「夜の帝王」(神)となった。
神となるために、男女は沈黙を破り、人の話も聞かず、そして「神」となったものだけが沈黙に戻っていくのだろう。

なぜ、「女は男を描く」のであろうか?
それは、「女はなぜパートナーが自分とセックスしたがっているのかを自分なりに説明している」からである。
つまり、それは「トラディション」=伝説なのである。
「新田恵利作詞」
トラディション

 
「シャイで真面目な男」を描くのが現在の主流だとすると、酒井法子は「私が強いから」と説明している。
「酒井法子作詞」
サイレンス・フォー・ラブ

セックスをできるだけ「発信力」のあるものにしたい、それならばフェアプレーを行わなければならない。
女が「男にフラれた時の理由」の版権も無尽蔵であるが、「なぜパートナーが自分とセックスしたがっているのか?」の版権も割と幅が広い。
「ガラクタたちが教えてくれる」
「宮前真樹作詞」
シャボンのため息

「天使の羽に抱かれろ」
「瀬能あづさ作詞」
All I need is love 

この「自分なりの説明」を、多数派工作を行うことによって、かなり人工的になされる営みが「女が男を描く」ということなのである。
女が自分とのセックスに発信力を持たせようとする営みであることから、「なぜ気温が下がるのか?」という謎は、この辺りに答えがありそうだ。
Kiss and music Perfume

 
他の女の「自分なりの説明」と妥協しながら「女が描く男」は成り立っている。
また、天気がコントロールできるのであるから「国家レベルで」女が描く男には関心を持たざるを得ない。
「レイブではない関係」を模索していかなければならないのだ。
風の谷のナウシカ

このような「中国の真実」の研究はヨーロッパ契約社会においてなされたものであり、かなりフロイト的な「涼しくなる理由」の分析がなされた。
Perfume Fake it

 
セックスとは「男女共通の関心事」であるのは論をまたない。
しかし、それを「個と公」の観点から、「女を政策から排除してみると」女が描く男という形でオンエアするしかない。
個と公の区別のもとで、国家レベルで国を涼しくするためには「女が描く男」というあたりで落ち着かざるを得ないが、個と公を明確に区別するのならば、政策立案からは女は排除せざるを得ない。
少なくとも孔子は、「女を排除」したため「女嫌い」と噂された。
実際は、政策立案に、このような「デレ」が混入するのを防ごうとしたのだ。
「ビジネスの現実・仕組み」をデレは見失わせる効果もあった。
つまり、「個」とは、「パートナーがなぜ自分とセックスしたがるのか説明を与える」ことであり、それが「公」になったら「女が歌う男」「理想の男」になる。
女がいなければ朽ちて行かざるを得ないアフェクティブセンターが中国であり、漢詩は、男同士の友情のようなものを詠ったけれど、女が聞いていることが前提なのである。
そうでなければ暑苦しくて仕方がないだろう。
松田聖子 裸足の季節

私小説とは異なり、「女が描く男」は、女たちの同意を最大化することができた。
しかも「最大化」がなされているため、おカネにもなった。
「個と公」の申し子が松田聖子である。
「個と公」論を引っさげるのならば、「中華帝国」と言わなければならない。
実際に小林よしのりは「台湾論」を書いている。
中国にとって台湾は「叔母」にあたり、バックに「日本国」というおっかない男がついていたのだ。
「両岸問題」「台湾論」というものが個と公と結びつくのは必然であった。
「中国には松田聖子がいない」
これが台湾論である。
「舜」というパーソナルディテールの明確な男を中国は論じてきたけど、日本のポップカルチャーほど煌びやかなものではなかった。
男が「舜」である以上、「彼は特別な男」「私は特別な女」というアリウス派の立場に立たざるを得ない。
松田聖子 スウィートメモリーズ

女を「個」に誘導するのならば、彼女たちの吐く息は「雪女のよう」であり(気)、公で「女が描く男」を語り、個で雪女を大勢生み出す、これを理解しなければ、台湾による「中国統一」は実現しない。
このような研究をしていた台湾の南懐僅に、蒋経国は「危険な臭い」を嗅ぎつけて中国に追放してしまった。
しかし、南懐僅は、台湾にとって貴重な人脈を中国本土で構築することになった。
中国が台湾に向けてミサイルを2発発射した時に、李登輝は「あれは空砲だ」と発言し、「なぜ情報が漏れたのか?」と中国がパニックになったほどの人脈があった。
なにしろ「松田聖子」「中国を統一しかねない力」が台湾にはあった。
香港のデモにせよ、古くは天安門事件にせよ、「中森明菜や松田聖子ならば、俺たちに語らせろ」という学生の考えがあったのだ。
舜は、「最も改革の必要性のある家庭」に育った。
そこで、哲学(女の口説き文句)を売り捌いて、「改革とはおカネで行うものだ」ということを示したのだ。
「政治改革」「行政改革」いろいろあるが、哲学者のように「女の口説き方」を人々に教えなければそれは実現しない。
中国の歴史における「舜」とはそのような人物だったと語られているし、松田聖子も、「女が描く男」を「哲学者」としている。
哲学者である以上、シルクロード・キリスト教に対して常にオープンでなければならず、敦煌というものは「舜」を育てるものであった。
なぜ、科挙は難しかったのだろうか?
みんなが「彼はエリート」と認めるのが難しかったのみならず、キリスト教の全体像を理解し、影響力を高めるのが難しかった。
さらに道教における「歌のモデル」「女が描く男」になるのが難しかった。
さらに、芸能人女性と親交を持つ機会は「勉強し過ぎて心を病む」しかなかった。
なぜならば、芸能人女性は「美を求めて心を病んでいた」からである。
松田聖子 ハートをロック

 
井上靖の「敦煌」において、「俺たち田舎出の秀才が科挙なんて受かるわけない」というセリフが出てくる。
試験に受かる受からない以前に、社会人として影響力がなければ、誰も彼を「女が描く男」として歌おうとは思わなかったし、キリスト教に造詣が深くなければ、影響力もない。
「舜」という「最も改革の必要性のある家庭」に育たなければ、「女の口説き方」を売り捌く必要性すらない。
「舜」を歌わなければ中華帝国は「気温がコントロールできない」し、「天」としての存在意義がない。
ベトナム人だって、日本人よりも中国人を恐れている。
「命」としてどのような歌を聴こうが自由であるが、アジア地域の天気を決める「天」は、それだけでこの地域の覇権を維持できた。
しかし、日本国の気象庁も、「天気は西から下り坂」を「偏西風のせいだろう」と考えており、アメリカ合衆国も、「中国とは何か?」をまとめ切ったのは21世紀に入ってからである。
松田聖子 風は秋色

陰陽師としては、「今が旬の」女性芸能人をなかなか出世のために用いることは難しい現状がある。
「8枚アルバムを出し、64曲歌わなければ」イデオロギー的方向性が絞れないからである。
「レトロって感じで令和」
この陰陽五行説をまとめ切ったのは私が初めてであろうと思われる。
中国側も「文王という人物がいた」としているが、「陰陽師とは何か?」を明らかにはしていない。
涼しい夏をもたらしてくれる「舜」であり、中国を「天」となし、アジア各国の政治家の「命」を保障する。
これが陰陽師である。
松田聖子 青い珊瑚礁 中国の哲学において「行動原理のよくわからない男」のことを「善人」と呼んだ。
中国においては「唐」の時代に「発明」されたものだとされている。
ribbon 変な愛のカタチ

 
唐の時代に、「性善説」と言うものは広まっている。
そもそも、「女が描く男」に「行動原理のよくわからない男」が登場した以上、大唐帝国は、その力を増したであろうことは想像に難くなく、その富からますます「善人」が増えたものと思われる。
中国の哲学を読むと「漢代以前」と言う記述があり、歌のモデルは「子」だけであり、いわば「性悪説」と呼ばれるものとなっていた。
性悪説を取っているうちは日本国も中国に心を開くことはなかった。
誰も、「貧しい」「他に仕事がない」男にしたがいたくはなかったのである。
フォーエバーセンセイ

いずれにせよ、中国はご主人(主)とは何かを明らかにするところから、「天」と呼ばれる天気コントロールセンターとなって行ったのであり、日本人は「中国のどこかに天国があるのだろう」と信じるようになっていった。

老子(黄帝)は、儒学に描かれた「男」を「詩家」としてひたすら歌にした人物だ。
その効果たるや、中国の気温を下げる効果をもたらし、台風が中国に来なくなったことから「黄帝」(イエローエンペラー)と呼ばれた。
儒学は、ひたすら孔子が「周王朝の没落を必死で防ごうとした」学問であったが、それを「詩」にしたのは道教だ。
漢王朝の時に、法家が「処女が歌った方がいい」としたが、まあ、北京大学も東京大学も、「ほぼ同格」とされているのならば、道教が「何をモチーフにしたか?」はおのずと明らかであろう。
私をモデルに詩を作った香淳皇后。
高校の頃の話です。
酒井法子 エアメール

道教の発想は「人々はしたがいたくないと思っている」というニヒリズムと、政府と庶民は情報が違うという二元論、さらには、いざとなったら天皇が「神の見えざる手」によって助けてくれるというレッセフェールからなる。
モーニング娘。は、私と同じ時期にデビューしたため、神道の立場に立たざるを得なかった。
王子様と雪の夜 タンポポ 

儒学はあくまでも「国家統治の学問」であったが、道教によって「天気が涼しくなる」という宗教化がなされた。
墨子は、「女たちが男の序列を決めている」とし、国家統治の学問である儒学に、「女たちが男の序列を決める」という発想をもたらした。
四書五経をいくら読んでも、「歌のモデル」にならなければ富は手に入らなかったし、女たちにモテなければ出世はおぼつかなかった。
そのような意味で、科挙という試験は、儒学のみならず、道教、墨家思想、法家などを網羅した総合的判断がなされる試験となった。
「天」つまり「天気」の「天」の存在を明らかにしたのは道教であったし、天気の「気」つまり「顔」をよくしたのは仏教だった。
これも、私の高校時代のアメリカ留学をモデルにして香淳皇后が作っている。
酒井法子 秘密のガーデン

霊友会などは、とっくに「美男美女の作り方」を理解していて、横浜ベイスターズの斎藤隆や、Melodyの望月まゆなどは似たような顔をしている。
望月まゆ ノックミー

 
これが霊友会だ。
斉藤隆

今をときめくアイドルが「歌のモデル」にした男ならば、通常の男子高校生ならば唾を吐くだろう。
これがアナーキズムである。
一方で、「この顔が正解」ということを女性アイドルは示そうとするのだ。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある」
この曲も、私の高校時代のアメリカ留学を描いたものだ。
酒井法子 もうすぐの予感

 
酒井法子は「神道というよりはユダヤ教」と言わせてもらったが、私がまだ高校・大学生だったこともその一因だ。
「神・男の完全性を語ると爽快感がある」
この、爽快感が「気温下げる」ことを指摘したのが老子であり「道教」=宗教の誕生であった。
男のコになりたい、というピタゴラスの定理を用いて建国されたのは中国とプロイセンだけだ。
酒井法子 男のコになりたい

仏壇に酒井法子を写真を飾ると、美男美女になるという宗教(仏教)は、おのずと「顔採用」につながり、儒学や墨家思想、道教、法家などと結びついた。
荘子の時代に、道教は「天気がコントロールできるのならば、その資金を対抗勢力に流してやれ」と言って、多数派と少数派のバランスをとった。
荘子の業績は、老子の教えを「おカネに代え、他人に流した」というところにある。
ニヒリズム(詩のモデルの男にしたがいたくない」という側面が、背後の資金メカニズムを支えた。
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様

中国は、本来、その地域の天気をコントロールするつもりであるのならば、「名」を与えた。
簡字体になってから日本国をその対象から外したものと思われる。
また、「何事も起きないのどかな風景」を当たり前ではないとし、「天気」つまり「天」(気候)と「気」(顔)を当然のようにあるのではないとした。
これを「常」と呼んだ。
コーヒーさえ飲んでおけば、人間はセックスしなくても生きていける、ということを無為と呼び、「王」のレベルになるとみんな「コーヒーが好き」ということを明らかにした。
勃たないカネがない男はコーヒーで下痢をしたりした。
恋をしちゃいました タンポポ

我々は「気温をコントロールする方法」(天)と、「顔をコントロールする方法」(気)の双方を手にした。
それでは、「天」と「気」はどのように関わっているであろうか?
後藤真希さんと話したことがあるのだが、
「誰かに長話を聞いてもらっている?おカネをもらっている?」と聞いたら、「おカネがすべてではありませんから。私仕事してます」と言っていた。
その発言は、「どう見ても処女」だった。
まるで「処女という成功体験が自分の生命線」と見做しているようでもあった。
天は涼しく、気は暑い、この基本を踏まえるのならば、後藤真希は間違いなく「晴天娘」のようだった。
晴れた日のマリーン 後藤真希

イケメン和尚さんも、「てるてる坊主」と呼ばれている。
マルクス主義と関わる概念であり、浮気して奥さんと喧嘩したなどという坊主がいたならば雨が降る。
てるてる坊主の歌

天と気の間には「空暇中」という空間が存在する。
「空暇中」にお祈りするのも仏壇の役割であり、より「快楽の大きい」男女を見ているとされる。
木、火、土、金、水などが空暇中にはあり、細木数子先生が宝石を身につけるのも「天に影響を与えるため」という側面がある。
知性は気持ちの良いものだ。
お金も気持ちの良いものだ。
美しさも気持ちの良いものだ。
天は「冷やして、冷やして、最後に少しだけ暖かにする」ものである。
世阿弥元清の「上げ歌」「下げ歌」も、どちらも「気温を下げる」効果を持ち、「締め歌」で少しだけ暖かくすると考えられる。
ところが、「晴天娘」「てるてる坊主」のようなストイシズムはとにかく暑い。
AKBも暑かった。
マルクス主義は、とにかく「冷やす」方向を見ているのだ。
中南米の島では、マルクス主義を採用したからコーヒーの栽培が可能になり豊かになったという国もある。
とにかく、セックスした後はどの男女も「青ざめる」のが分かった。
東京パフォーマンスドール 秋色協奏曲

女に「女が描く男は涼しい」というと、「公」では日常会話として成立するが、「個」においては女は「複数の男」を想像して凍りついている。
「坊主」「晴天娘」「AKBグループ・坂道シリーズ」以外に気温を上げる要素はなく、「締め歌」で少しだけ暖かくするのが本来の音楽作品の世界だった。
人間からストイシズムを奪ったら、たちまち氷河期になるだろう。
一昨年の「災害的猛暑」は、日本人の「過度なストイシズム」からくるものだった。
耐えて、暑くし、暑さに耐える、これがエスカレートしたのだ。
国民全員が「坊主」「晴天娘」になるようなものだ。
化法四教においては、パートナーを「蔵」と呼び、浮気を「通」と呼び、別れを「別」と呼び、家内安全を「円」と呼んだ。
「知らぬは男ばかりなり」
しかし「凍りつくのは女」であった。
高橋由美子 レイニーデイ×3

他の男が生きていようが、死んでいようが、「女は凍りつく」のだ。
これを「無量四諦」と呼ぶ。
「女が描く男は涼しい」という一言で女が「凍りつく」のであれば、恋愛ソングは「上げ歌」も「下げ歌」も気温を下げる。
「締め歌」でほっと一段落するのだ。
「坊主」「晴天娘」「AKBグループ・坂道シリーズ」が気温を上げる。
これを空暇中は見ているのだ。
しかも、「美女ほど雪女になる」とされる。
ブッダは、「蛇か縄か区別がつかないもの」が「魅力的な男」を目の前にしたら女が凍りつくというところに諸法実相を見出した。
ribbon 愛してジャスティス

ビートルズは、インドの聖者と会って、「女の初体験はイエスキリスト」という確信を固めたとされる。
坊主には「灌心」「一念三千」などがあるが、坊主は「女が描く男は涼しい」という言葉に自分が禿げてしまうことを恐れて髪を剃っている。
しかし、女は確実に「凍りつく」のだ。
安藤俊雄の「如来性悪説思想の創始者・灌頂説への反論」などで、「処女でも女は凍りつく」ということが議論され、「初体験はイエスキリスト」という説明にビートルズは到達している。
ビートルズ イエスタディ

AKBの、渡辺麻友が19歳の頃、会ったことがある。
可愛かったので「美術館デート」に誘ったが、断られた。
しかし、何を血迷ったのか「木場でやってもいいです」とか独り言を言っていた。
まゆゆとゆきりんは「雨女」=雪女である。
会場で一人で冷気を放っていたのだ。
指原莉乃は、処女。
AKB総選挙 雨女

 
「女が描く男」に女たちが凍りつき、気温が下がる。
久宝瑠璃子 男

 

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

 

2020年4月12日 (日)

キリスト教総論。

今までの医学においては、採血をして、生化学検査表を受け取って、専門医が治験をもとに大量生産されている「薬」を投与することで「気分が良くなる」というものであった。
しかし、最新の「バイオメディシン」(生物医学)は、そのようには考えていない。
第二次世界大戦では「モルヒネ」が生物医学から生まれている。
現在のバイオメディシンが見ているのは、「恋愛論に詳しく、彼女がいる俺」という図式にいかに意味を与えるかである。
モーニング娘。セクシーボーイ

ラカトス・リサーチプログラムにおいてこの研究が深まった。
病気の原因は「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならない」というところにあるが、パラダイム(恋愛論)に詳しく彼女もいるのならば、ましてや子供がいるのであれば、その存在価値を高めればいいだけであり、これが「病気を治す」と考えられた。
モーニング娘。ペッパー警部

このことから「哲学を学ぶのは健康になるため」という側面があることが明らかになった。
イエスキリストを信じれば「おカネ持ちになり健康になる」という側面が指摘されたのだ。
ギリシャ哲学の歴史の中に、なぜか「医学の父・ヒポクラテス」がいるが、同じことを語っているだけだ。
モーニング娘。リゾナントブルー

この「バイオメディシン」(生物医学)は、哲人政治(女心を語る世界)と、宗教(=医学・健康の源)を一気に接近させることとなった。
「モテる俺」ならば健康なのか?それならばそのことをプラトンに詩にしてもらおう、これをヒポクラテスが考えたのだ。
二人の女の奪い合いになった経験のある男は多い。
三浦理恵子 Jokeにもならない恋

多くの女たちと交友関係を持ち、「抗生物質とはビタミン剤のことだろ」と豪語する男もいる。
アビガンが必要なのは童貞坊やかい?
女の多様性を知り、アレルギーをなくす、あるいは「貧乏くさくて食えない食事をなくす」ことが健康の秘訣であり、ようするに「女の口説き文句」を売り、豊かになり、しかもいろんな女を知ることが「健康の秘訣」とし、自分のことを歌った音楽作品を聴くだけなのだ。
ヒポクラテスは少なくとも、それを明らかにしたことから「医学の父」と呼ばれている。
モーニング娘。独占欲

なぜ、このような「音楽を聴いただけで健康になる」とヒポクラテスが説明したのかは、のちに「肉体は有機化学の知識からできている」という研究がなされている。
「病は気から」というのでは失言にあたることがあるが、「やる気を出せば元気になる」という説明は可能だ。
そのためには、「周囲に多くの芸能人の知人がいる」というのは非常に意味のあるものだ。
体内の「糖分」がうまく作用して健康に導いているとも言われている。
イエスキリストというスーパースターが病気を癒すのだろうか?
タイプ2型の糖尿病はそれで治るとも言われる。
「天皇」と呼ばれるおっさんの話はそれで人気があるのかもしれない。
思考形態が「いつもの法則」を思い出すから痛みがなくなるという説明もなされている。
瀬能あづさ 永遠に友達

音楽を聴きながら飲むジュースはうまいという説明もある。
とにかく、「こういう女は苦手」「こういう男は苦手」という免疫の問題から「血清」「抗生物質」というものは考えられたが、「そんなものはビタミン剤で事足りる」と豪語し、かつての「光治療」に回帰していく方向を生物医学は見始めた。
ひとえに、「哲学の発展」が背景にあった。
ある程度の人生経験がなければ「光治療」は効かないし、どのみち若い連中には健康の悩みなどないだろう。
また、「女の芸能人の歌しか効かない」とされる。
女性芸能人は、哲学者の語る「女心」に体が軽くなる気がして寄ってくるが、男の場合も都合よく「女性芸能人」を活用しなければならない。
イルミナティは、いつ「光治療」「生物医学」をリリースすべきかのタイミングを見ていたようだ。
有効性は明らかだったからだ。
いずれにせよ、この生物医学は「ジェントルメディシン」(より優しい医学)とも言われ、国の哲学の在り方を踏まえてヒポクラテスが考えたものだ。
高橋由美子 天使か悪魔

基本的に、特定のアーティストのファンになるためには「公」(パブリック)で「頭の痛くなる曲」を聴かされて、「個」(プライベート)に刺激を持ち帰り、さらにはライブやコンサートに行きたくなるものであるが、「光治療」「生物医学」では「レコーディングされた作品」が好ましい。
しかも、「女性ボーカル」がいいのだ。

カップルには「二人の敵の女」がいる。
「浮気をした」と騒ぐ女と、「カップルを守るかどうか?を判断する女」だ。
浮気をしたのが本当かどうかは、簡単に見破れるとされ、「二人を守るのをやめた」と判断した女は、時には「私が浮気相手」とすら言って、二人を破局させようとする。
女には「女友達」が必要であり、孤立した女は「いくらでもやらせてくれる」「都合のいい女」となるしかない。
「女友達」に見捨てられたカップルは、男の方から「愛してた」と切り出す羽目になる。
瞳はダイアモンド 松田聖子

お見合い結婚は、いちばん「周囲に与える葛藤」が少ない。
女のバックにどんな「おっかない男たち」がいるかは明らかではなく、街で気軽にナンパすることができない現状がある。
従姉妹がいちばん簡単に落ちるが(具体)、クラスメートという抽象という可能性はある。
仕事をともにした関係ならば、「アナボリック」「カタボリック」という快楽物質がながれる。
それでも、従姉妹かお見合い結婚以外には、多くの葛藤があるのだ。
松田聖子 キモノビート

これは、私の定番であるが、「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」とされ、しかし、彼女がいても、男は時にはマスターベーションしなければ、なかなか「性」というものは合わないものだ。
もしも強引に手を引いてくれたのなら・・・。
続・赤いスートピー 松田聖子

女の子は思春期に「おちんちんがない」ことからみじめな気持ちになったり、鬱になる。
体の健康に目覚めて部活に入ったり、母の実践として料理を覚えたり、美の探究をする。
芸能人になりたいなどの「ナルシシズム」を求めて周囲と喧嘩したり(うまく飛べない)、男の子に助けを求めてお母さんに怒られたりする。
この時に「言葉の感覚も鈍っている」とされている。
この曲は「ポエティックレボリューション」と呼ばれている。
時間の国のアリス 松田聖子

女は「抱いて?」ということそのものが「犠牲」であり、世界の母・恋人・友人となる条件である。
また、子を宿した時に、今まで従属していた男に対して、主導権が得られるとされる。
松田聖子 抱いて

なお、ネット礼拝についてだが、ライブパフォーマンスの映像では、なかなか「痛み止め」にはならないだろう。
各自、自分で「CD音源」を持っているであろうことは当然の前提としていただきたい。

鬼滅の刃(少年ジャンプ)において、炭次郎は、「優等生でシャイ」な男として描かれ、18巻は4000万部のセールスを誇った。
炭次郎は、スラムダンクの桜木花道や、ワンピースのルフィとは全く異なるキャラクターとして成功したのだ。
時代の「メシア」は、現在、「優等生でシャイ」な方向性がセールスを伸ばしている。
松田聖子 ロックンルージュ

母親は「娘に嫌われたくない」と思っている。
しかし、お母さんが嫌いにならなければ、思春期の娘は「痩せない」のだ。
このことは「約束」と呼ばれ、思春期に痩せることから、女の子は性感帯がクリトリスから膣に移る。
お母さん大好きで、太ったままの女の子は「シスコン」になる。
松田聖子 天使のウィンク

髪の短い女の子は、幼少期にお父さんに「いたずら」されている。
自分が男の子とどう違うのかがわからず、特に「男子のうなじの毛」を見ることがトラウマになり、ショートヘアになっている。
16歳で生理が止まり、セックスする時に極端に痛がる。
医学的にはそのように説明できるが、分かってしまえば「狙って」髪を切る女もいるだろう。
ショートヘアの女には気をつけた方がいい。
「お前とセックスすると痛いんだよ!」と言ってムチを持ち出す「女王様」もいるからね。
松田聖子 夏の扉

アタナシウス派(正統)は、「女は皆同じ」という立場だが、これは女の「失恋ソング」に大きく影響を与えた。
女が彼氏にフラれた時に、「自分の何がいけなかったのか?」を自分なりに説明しなければならないからだ。
女の「失恋ソング」が売れ続ける限り、企業のボッタクリは治らない。
失恋ソングで得たカネで、ボッタクリにあった費用をまかなってもらいたいからだ。
しかし、女の失恋ソングが売れなくなったら、企業に「女たちとともに泣くつもりはない」と電話して、企業の社会的責任(CSR)を議論しなければならない。
自分は他の女とどう違うのか?
その版権は、企業のあり方とも深く関わるのだ。
松田聖子 ハートのイアリング

聖子ちゃんから、やや脱線するが、「女の失恋」による版権はまだ今後の可能性がある。
いわば「女は皆同じ」(アタナシウス派)という立場は富と関わるものだ。

「少年のように素直ではなかったから」
穴井夕子 フェアリーデイズ

「大人になりたかっただけ」「私が強がったから」
CoCo 優しさに帰れない

など、ようするに「支配と従属の関係をうまく作れなかった」ことを「言葉で表現」しなければならない。
しかし、日本の音楽シーンはまだまだ発展の可能性がありそうだし、携帯電話のボッタクリは治らないだろう。
支配と従属というと女の側に「屈辱感」があるため「少年」「大人になりたかっただけ」などと表現されている。
女友達が「見る目のない男」と言ってくれることもある。
しかし、すべて「版権」の問題なのだ。
アタナシウス派(女は皆同じという立場)の真の意図はこのあたりにある。
酒井法子 オールライト

これはどうしょうもないレベルだ。
「悲しみなんて自分一人で癒すものさ」
「求めていたいマイレボリューション」
表現力の違いは素晴らしい。
渡辺美里 マイレボリューション

まあ、「女の失恋」への救済というものは「右翼的発言」と直結しやすいのは事実だ。
「日本人の真価を今すぐ発揮せよ」
「圧迫と偏狭を地上から永遠に除去」
しかし、「他国と対等関係に立とう」などあたりから「女心」というものは立場が分かれるのかも知れない。
(日本国憲法前文)
国家基本問題研究所

国家基本問題研究所は、中学の英語の教科書における「南京大虐殺」の記述を、「マイフェアレディ」に差し替えさせたことがある。
(亀井静香によるもの)
教科書検定の代表的な事例だとされている。
しかし、今から思うと「何が違うのかな?」という思いもある。
エンゲルスは、わずかな送金をドイツからイギリスのカール・マルクスに対して行なった。
マルクスは「生涯にわたって」貧しかったとされる。
「何を書くかな?」と思って、大英博物館にこもったマルクスを注目していたが、新聞の切り抜きから「支配と従属」「労働」などを書き始めたのだ。
これが「資本論第1巻」である。
マルクスは「支配と従属」こそが性欲の起源であるとし、また、「学歴のない子供たちを集めてトランペットなどを鳴らすギャングキャンプ」に、女の失恋への救済ソングを歌わせた(右翼の起源)。
また、英国王室に逆らうものを「バガボンド」と呼び、胸に「V」という刺青を入れて差別している。
これは、だいたいマルクスが考えた「英国王室」のあり方であった。
女の失恋ソングが売れた時期は、エリザベス女王にも「僕」と呼ばれるギャングキャンプのメンバーがいて、セックスピストルズのボーカルをボコボコにしたりした。
セックスピストルズ ゴッド・セーブ・ザ・クイーン

2 Pac は、「俺たちの人気の秘密を語ろう」「男はビッチを抱くべきだ、女王陛下など知るか」
と語り、自分たちのコンセプトを明らかにしている。
マルクス、それは英国王室を形成した男であり、いまだにイギリス芸能界に根の深い影響力を持っている。
2Pac アマルシャクール

資本論を読んでみても、共産主義(コミュニズム)という用語が見当たらないのが奇妙に思われる。
しかし、よく読んでみると「ドナウ川周辺に貴族の経営する農場がある(コミューン)」と書かれているのだ。
これ以外に「コミュニズム」の用語の起源は見当たらない。
結局、「性欲の起源」を、支配者層を「糾弾」し、世界を敵にまわさせ、「勃たなくなるさせる」ことで「国家予算と交換する」ことを「革命」と呼んでいたようだ。
第一インターナショナルは、しかし、「笑いのうず」は起きたものの、ベルリンでは通用しなかった。
「田舎者が都会を目指すことも重要な性欲の起源」であったことを第二インターナショナル(コミンテルン)は悟った。
田舎者を都会に潜伏させる作戦が、日本共産党内部においても進行した。
モーニング娘。ふるさと

そこで、芸能界は「1オクターブ高い」(12フレット)女の声をサウンドとして利用することにした。
「男の心に響く声」をスピード・オブ・サウンドと呼んだ。
パフューム スピード・オブ・サウンド

しかし、「必要な声」は、音波がなくても「聞こえる」とされ、極めて女性的な経験として知られている。
男は「幻聴」と言われても「美しさ・臭い」などの女性的なものしか聞こえないが、女は「好きになった彼氏の声が聞こえる」と言っていた。
女は「100万曲知っている、常に歌っている」とされ、彼氏が歌手だったのだろう。
河合その子 緑の少女

遠くでバイクの轟音が聞こえ、やがてそれが近づいてきて、暴走族が現れる、これが通常の「耳と目」の反応だ。
タイトルで「小麦色のマーメイド」と表示され、美しい女性が、映像とともに「その意味」を明らかにする、これも通常の「目と耳」の関係である。
この作用が、視聴者にとって「エネルギー」にならなければならず、また、ピッチが高ければ、高い波、低ければ低い波が起き、ボリュームが大きければ同様に高い波、小さければ低い波が起きる。
2万ヘルツから20ヘルツまでをこれらがコントロールしており、ヨハネの部屋にもマリアの部屋にも同じ映像が流される。
ヨハネもマリアも「観ていた」ということが大事であり、二人の間に「深い仲になる期待可能性」をもたらさなければならない。
「自信に満ちたサウンド」が必要であり、ヨハネにもマリアにも自信をもたらす。
松田聖子の作品の中に、私が今まで述べたような「メッセージ性」の全くないものが存在する。
しかし、「視聴者のエネルギーになり、自信がつき、世界が広がるのならばいい」という割り切りがある。
松田聖子 小麦色のマーメイド

ここで、私が「松田聖子」を語る上で「ドップラー効果」を用いていることを知ってもらいたい。
「今後リリースされる曲・最近の曲」は、圧縮されており、「過去の曲」は、膨張を続けている。
「レトロって感じで、令和?」
それはつまり「膨張を続けている過去の曲」に脚光を浴びせているから語られているものであり、圧縮されている「最近の曲」は用いていない。
おカネにするためには「圧縮」が必要である。
ヨハネとマリアに「エネルギー、自信、世界が広がる」という効果をもたらすためには、常に「新曲」をリリースする必要がある。
しかし、すでにドップラー効果により「膨張」した曲をあえて「圧縮」してみたい。
松田聖子 秘密の花園

マリアには「自信」を与え、ヨハネの股間を刺激する、松田聖子の「メッセージ性のない曲」はそのあたりに存在意義がある。
アタナシウス派は、「女は皆同じ」と考えていたため、女に必要なのは「自信」であったし、「どんな女友達を持っているか?」までもが女にとって自分の魅力になったため、クラスの話題に「聖子ちゃん」「明菜ちゃん」を持ち出した。
中森明菜については、私も色々と語らせてもらったが、「聖子ちゃんよりも難しい」のが現状だ。
「神・男の完全性を語り合う」
そのようにコンセプトを絞ったら、明菜陣営は頭を抱え込んでしまった。
松田聖子 天国のキッス

女は「肉の塊」から出発して、「文化」によって、からだと心を作っていくのだ。
お母さんが嫌いになる=痩せる=約束など、聖子ちゃんのおかげで彼氏ができたという人も中にはいるため、あんがい「聖子ちゃん派」「明菜ちゃん派」の対立は根の深い問題だった。
音楽には「4クォーター3ビート」のようなパルスがあり、踊れるようにできていた。
4クォーターで3回ジャンプできる曲でなければ踊れないのだ。
踊りに、「メッセージ性」「自信」を混ぜ込んだのだから、それはヒトラーにせよ、私の祖母の遊佐道子にせよ、「松田聖子」をプロデュースしたのはまさに国策であり、だいたい聖子ちゃん派25%、明菜ちゃん派16%とすると、「無関心」な女の子はわずか9%だった。
無関心ということは「女は皆同じ」という立場に立つのならば「男に興味がない」ということであった。
松田聖子 ガラスの林檎

プロテスタントによる宗教改革は、「女には自信を与え」「男は勃つようになり」最終的には「カタルシスにより病気が治る」ということから、「おのずとイエスキリストとは何者か?」が明らかになるであろうという発想であった。
しかも、なによりも「映像」「サウンド」を味方につけたのが大きかった。
新約聖書に「永遠」という文言を入れ、女性芸能人を信者にしていった。
それでも紅組よりも白組の方が強い。
それは「イエスキリストの人気」という他はない。
イエスキリストの「歌」の方が人気があるのならば、健康な人が多いのだろう。
女性ボーカルによって癒され、イエスキリストの歌を聴く、なんとも贅沢な話である。
松田聖子 渚のバルコニー

灘や開成などの男子校や、野球チームなどの「男社会」は、「レイズム」と呼ばれ、男だけの集団ならば「嫉妬」のようなもの以外になんら「法則」のようなものは見当たらないとされた。
(ヒュームの原則)
このような「男だけの集団」に対しては「食事はどこから来るの?」と言って「女の存在」を明確にしなければならない。
「食べられるもの」は、「COOH」という化学式が共通して見られ、それを明らかにするのは常に「女」だったからだ。
「C」は女であるが、「O」は金持ち男であり「H」は貧乏男であった。
食わず嫌い王決定戦においては「貧乏臭くて食えない」というところあたりに「食えない」理由がありそうだ。
私は、東大文一に入ったら「クラスには女子が二人」であり、ボクシング部には女子マネージャーすらいなかった。
そのような集団で「誰が一番賢いのか?」を争うのだ。
その世界においては「食事は母親か妻が作るもの」であろうし、そうでありながら、ストイックに「女性アイドル」に関心を向けることになる。
男性社会であるからこそ、「女性アイドル」は癒しになり、時には「利益」(ずりネタ)になったし、財産(セックス産業)になった。
碧いうさぎ 酒井法子

バートランド・ラッセルは、ケンブリッジ大学のトリニティカレッジで学んだ。
トリニティというのは「三位一体」を示すが、「神・男の完全性を語ると爽快感がある」ということを深めたのだ。
松田聖子の「Sweet memories」は、別れた男の完全性まで歌ったため、「自分の体も特別」というアリウス派の立場に立っている。
松田聖子 Sweet memories

アリウス派は、女の多様性を認めることを意味し、現実社会では真理であっても、「版権の資金力」の前に「異端」とされたのだ。
アタナシウス派とアリウス派の戦いは「資金力の戦い」であった。
「どの女も皆同じ」というのならば、別れたら、女は「理由」を考えなければならない。
また、別れた男は「友達より遠い人」になるはずだった。
三浦理恵子 友達より遠い人

ラッセルは「特別な男って何だろう?」とトリニティカレッジで研究した。
それは、大工(技術に満ちた男)のように「仕事」で表現するしかないね。
「口説き文句を売っているんだって?」
哲学者は、あんがい尊敬された。
「あなたは女性として最高の存在」
このセリフを言ってくれた、「普段着のことを褒めてくれた」それが最高の口説き文句であるが、あとは「仕事」をするしかない。
芸名とは「女のため」にあったし、男に対しては「気持ちいいのはあなたでしょう?」と言いたかった。
「女として最高の存在」ということが知りたかったのであり、男が「女の子供の気持ちを味わって、思い切り感じる」ことから自分に酔っていたのだ。
男としては「女をいかせよう」などと考えてはならなかった。
「君の子供の気持ちは最高に気持ちいい」
女にそのように囁かなければならない。
松田聖子 瑠璃色の地球

ラッセルは「忘れられない男」「一神教」を作るためにトリニティカレッジにいたし、男は「仕事」をしなければ、TOPIXすら払えなくなる。
王の娘(ルクレティウス)は最高に気持ちが良かったし、「彼には強さが約束されている、彼を恐れる者に祝福を」と男は絶叫した。
松田聖子 林檎酒の日々

もし、男が「ジーザス」といえば、女は「イエスっ誰?」と言って聖書を読み始めるだろう。
神道の側からは「オー、令和」と言ってもらいたいけどね。
ジーザス青田

ラッセルは1970年に死んでいる。
アタナシウス派(女は皆同じ)と、アリウス派(特別な男がいる)の対立は、ラッセルがマクマスター大学というものを作って、アリウス派の存続を願ったが、長い目で見れば「アタナシウス派が勝ったのかな?」と言われている。
「一神教」「アリウス派」「特別な男がいる」という立場に松田聖子は明確に立脚している。
しかし、マクマスター大学が盛り上がらなかったため、斜陽を迎えているのだ。
「特別な男ってどんな人?」
それが詰めきれなかった。
松田聖子 時間旅行

さて、女は皆同じ(アタナシウス派)という立場から生まれる「版権」の巨大さは理解してもらえたと思う。
また、特別な男がいる、特別なセックスがあるというアリウス派の志も理解してもらえたと思う。
ここで、アタナシウス派の論客は「カント」であり、アリウス派の論客は「ラッセル」であることを明らかにしたい。
カントは、1781年に純粋理性批判によって「現代社会」というものをもたらしたが、「女が失恋した理由」というビッグマネーによってそれは実現した。
アタナシウス派が先行する形で、気持ちいいセックスを探求してやろうというアリウス派が挑戦した形となっていた。
歴史的に見れば、「松田聖子の方が新しい」と言ってもいい。
アタナシウス派とアリウス派の対立は壮大なスケールを持っていた。
「この論争以降、どのような研究をしたらいいのでしょうか?」という人もいた。
「カント」「ラッセル」の存在は真理であるとしても、それを踏まえて、エッチな話を「創作し」「人に話す」以外に「出世の方法」はないんじゃないの?と言われている。
どのみち、「セックスしている時はどの女も本気」である、とされている。
愛してジャスティス ribbon

しかし、ときには「知恵と力を生み出すために、他の男の声を聞いて見たいわ?」と女は考えている。
真夏のフェミニスト ribbon

まあ、「学問の方向性」さえ理解していれば、警察だって一目置く男にはなれるだろ。
「知るってどういうことですか?」
カントとラッセル以降は、かなり創作に頼ったものになっている。
カントがナポレオンならば、ラッセルはヒトラーだ。
あとは自分たちで生きていくしかない。
「考え方」が分かったら旅行するのもいいんじゃないか?
また、我々の祖先が「どんな議論を戦わせたのか?」が理解できれば、日常を省みるのもいいことかもしれない。
「恋人たちの秘密」って何ですか?
rebecca when a woman loves a man

少なくとも、アメリカイルミナティは、「今後とも我々は発信をし続けるだろう」としている。
日本国はまぎれもない先進国だったのだ。

さて、カントとラッセルがこのような議論を提示してから、オーストリア・ハプスブルク家のカルナップが、「恋をやりなおそう」と言って、既婚者の理論(パラダイム)ではなく、独身男女の理論(デシプリン)を主張した。
斜陽を迎えたハプスブルク家の「娘たちのセールス」が問題となったのだ。
ハプスブルク家こそが「中森明菜の誕生」をもたらしていたのであり、「松田聖子の向こうを張った」だけのパワーブローカーが存在したのだ。
「女の子は男の子と同じ時期にマスターベーションを覚えているって知ってる?」
その登場は衝撃的だった。
少女A 中森明菜

エッチなビデオを見て「女が嫌がっている」と考えているのかしら?
それは「女心」を知らないわね。
それが私の「恋の悩み」になってしまうわ?
十戒1984 中森明菜

ここで、「松田聖子」はパラダイムを語り、「中森明菜」はデシプリンを語ったのではないか?
という「新思考」が構築された。
カルナップは、「自らの地位を守るために娘を利用し始めた」「リア王よりマシなレベル」と酷評された。
しかし、「お父さん以外の男性に初めて裸を見せる」ことをセカンドラブと呼んでからは、安定的な人気を誇った。
中森明菜 セカンドラブ

とにかく、カントとラッセルの「アタナシウス派とアリウス派の対立」「巨万の富」をどうにかしようと思ったのだろう。
中森明菜は、明らかに独身男女について歌っていたし、松田聖子よりもはるかに「難しい」作り方をしていた。
それでいながら、明菜と聖子は、左右対称とまで言われたのだ。
聖子ちゃん派は、むしろ「結婚する気がない」とまで言われた。
自分を積極的に「売り」に出してきたのは明菜ちゃん派だったからだ。
デシプリンの結論は、「彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?家庭に縛られるのではないかな?この二つだけで朝まで眠れない」というクライマックスを迎えた。
中森明菜 禁区

さらに、中森明菜は、「どんな経験豊富な女でも、教授の前ではウブな側面を見せる」と言って、「学者の家系」に結婚相手を探したりもした。
快楽主義的に生きても「失うものはあまりない」としたのだ。
このへんは、アタナシウス派・アリウス派の「結婚談義」とは距離を置いていたが、なにしろ「聖子ちゃん派」には「結婚するつもりのない男女」が多く、むしろ分析哲学の観点から「女の嘘」を見破らなければならない。
中森明菜 二分の一の神話

とにかく、ハプスブルク家・中森明菜は、「若さ」を売りに出してきたのは事実だ。
しかし、なにしろ「娘たちをセールスにかける」というのは攻撃的すぎた。
開票速報が出た。
松田聖子50%
中森明菜32%
松田聖子当確。
カルナップの完全敗北だった。

東京砂漠というところは「フェアなゲーム」が行なわれるところだ。
ハプスブルク家・カルナップ・中森明菜のキャリアはまだまだこんなものではなかったことは周知だろうが、結論から言うと「敗北」であった。
中森明菜 サンドベージュ

しかし、キリスト教史に名を刻むとは素晴らしいではないか?
アタナシウス派とアリウス派の抗争を知っているものたちは、明菜の善戦に称賛の声を惜しまなかった。
「敵が多かった」と回想する女もいた。
リベンジポルノが出てきて真っ逆さまに落ちるとか、とにかく「攻撃的すぎた」という敗戦の弁が出たが、カルナップが暗殺されなければ、ナチスドイツはオーストリアを占領することはなかった。
ヒトラー・アリウス派との「直接対決」には数字が出たが、「領土問題」にするにはカルナップは危険すぎた。
中森明菜 デザイアー

キリスト教の文脈ではないのに、突如として現れた「スター」に対して、「カルナップって誰?」という噂が飛び交った。
「第一次世界大戦で心に傷を負った人」という正体まで明らかになった。
オーストリア・ハンガリー帝国の滅亡を「ユースムーブメント」で目撃していたのだ。
カルナップは、ジャーナリズム班にいた。
ユースムーブメントではカマも掘られたらしい。
「知性の前でしか泣けない」
そのように語ったが、知性の前ですら泣けなかった。
飾りじゃないのよ涙は 中森明菜

カルナップは、のちにヴィトゲンシュタインの写真集に「女装して」登場し、日本には「ハプスブルク家には男として生きることが宿命づけられた女がいるらしい」と伝わった。
ベルサイユの薔薇

 
ベルサイユの薔薇、それは中森明菜の物語でもあった。
ギリシャ人はエチオピアを旅すると恋に落ちるという伝説を知っていた。
しかし、「体が貧弱な」男はカマを掘られた。
女の子になりたければ、旅行費用を稼ぎたければ旅に出てみるといい。
中森明菜 北ウィング

カルナップは、俺が女だったら歯の数が少ないはずだ。
言葉も不自由だし、出会った人に言葉が追いつかなければスローモーションになる。
見たもの全部が「運命」なのが女だ。
と説明し、自らは男であることを明らかにしている。
中森明菜 スローモーション

ヒトラーは「レーム粛清」で知られているように、極端に「男色」を嫌った。
少年が「カマを掘られるのではないか?」と恐れてリストカットしてしまうことを熟知していたのだ。
ヒトラーよりも「イカれていた」のがカルナップであり、松田聖子よりもイカれていたのが中森明菜だった。
「少年愛」を歌ったこともある。
中森明菜 サザンウィンド 

キリスト教は、「あくまでも宗教である」とし、「男らしさを語り合う論壇である」と説明し、クインなどは、カルナップから目を背け「クジュー?クジュー?」とかなり差別的な表現(Lと呼ばれる)を行っている。
キリスト教社会の「鬼っ子」でありながら、それでも人々はカルナップを忘れることはなかった。

ジェンドラーは、「眠れる森の美女」を考えたが、ケンドール・ウォルトンは「フィクションでしか成り立たないのではないか?」としていた。
布団をともにする感覚は味わえても、それすら「フィクションに過ぎない」とされたのだ。
「眠れる森の美女」を取り巻く「周囲の男たちの暴力」はこの程度では済まなかった。
高速道路で、接触事故が起き、男二人が大喧嘩を始めただけで「事故による渋滞」が起きる。
松田聖子のキャリアはもはや「渋滞を起こしてはならないもの」となり、「寝起きドッキリ」すら「フィクション」であるという権力を身につけていた。
中森明菜には「寝起きドッキリ」すらないほど鬱がひどかったのだろう。
みんなが「女性アイドル」に恋をしていたため、「誰が一番優しく接するか?」を競い合った。
「ハイウェイアクシデントすら起こしてはならない」
それが、メディアの寵児たる女たちであり、
「オフィシャル以外では肉声は聞けないもの」と扱われた。
「渋滞すら起こしてはならない立場」「もはや国策」となっていたため、松田聖子は「ぶりっ子」と陰口を叩かれた。
寝起きドッキリ 松田聖子

 
実際に、岡田有希子の場合は、「男二人が大喧嘩になって、岡田有希子本人が木刀で撲殺される」という末路をたどっている。
このようなことは二度と起こしてはならない。
このことから、女性芸能人の「結婚相手のミスマッチ」が起きたのだ。
松田聖子にとっては郷ひろみや神田正輝ですら「ミスマッチ」だった。
中森明菜は、リストカットを繰り返した。
中森明菜にとって近藤真彦すら「ミスマッチ」だった。
女が失恋した「言い訳」を富に変えようとしたアタナシウス派のカントは「愛し合いたければ自由で対等と書いておけよ!」と吐き捨てた。
このカントの捨て台詞は今では日本国憲法に「両性の合意のもと」と記されている。
日本国憲法も「アタナシウス派」に立脚していることは理解しなければならない。
しかし、「信教の自由」において「女は神の子」とされ、勃つ男を奪い合う自由が認められている。
信教の自由はジョン・ロックが考えたものであり、アリウス派に立脚している。
日本国憲法の沿革は、カントとロックの大喧嘩であり、メディアの寵児である女たちのキャリアに「大渋滞」を起こしかねなかった。
吉田茂は「アメリカに押し付けられた」と言って巧妙にアタナシウス派とアリウス派の双方の富を憲法に書き込んでしまった。
愛が止まらない Wink

結婚(カント)と恋愛(ロック)は違うスポーツ。
それを吉田茂は認めていたのだ。
カントの言うことは「パラダイム」と呼ばれ、ロックの言うことはデシプリンと呼ばれた。
女たちは、結婚をすることによって「先生」をロックからカントに変えなければならなかった(パラダイムシフト)。
そこで、「幸せだけど迷いがある」という表現がなされた。
松田聖子 チェルシーホテルのコーヒーハウス

もっとも、カルナップは、日本国憲法第一章に「天皇」として記され、中森明菜をなんと日本国憲法のトップに持ってきている。
「娘をセールスにかける君主」
「攻撃的な女たち」
「おカマ」
「青銅の蛇」
日本国憲法における「天皇制」は、スタートから「敵が多い」ものとなっている。
しかし、神道形式の「お祭り」は、地域の人脈を固めるために用いられ、根強い支持もあった。
中森明菜 ミアモーレ

さて、日本国憲法第一章に「カルナップ」が採用されたと言ったが、当然、時代は「昭和天皇」の時代であった。
松田聖子も私も「昭和天皇の孫」という関係にある。
しかし、松田聖子は、アリウス派としてキリスト教異端論争の渦中にあったし、天皇制を支えたのは中森明菜であった。
そこで、昭和天皇の晩年にハレー彗星がやってきて「バブルと戦争」の不安を人々に与えたことを指摘しなければならない。
「原罪(女の胸や尻)と女はマンガ」ということをフルに活用した「おニャン子クラブ」の誕生である。
おニャン子クラブのメンバーは「中森明菜さんの楽屋に挨拶に行ったらカーテンを思い切り閉められた」と語っている。
「天皇制を支えているのは私」という思いと、それがハレー彗星によって「おニャン子クラブ」に取って代わられたと言う意味合いを持つ。
おニャン子クラブは、ファーストアルバム「キックオフ」でいきなりホワイトヘッドという哲学者を歌い始めた。
「小学生の女の子は、男の子の数で数字を覚える」と言うことを歌ったのだ。
いじわるねダーリン おニャン子クラブ

昭和天皇の「愛」が中森明菜からおニャン子クラブへと移っていくのがわかった。
マンスフィールド駐日大使は、このような「日本のあまりにもオープンな芸能界」の危険性を感じ、1990年代に「アイドル撲滅」という活動を日本で行い、1996年には「アイドルを潰し切った」と言われた。
安室奈美恵などは「マンスフィールド好み」のコンテンツであり、アメリカイルミナティの管理下のもとで活動を許されていたに過ぎない。
さらに、昭和天皇は「制服とは世代間セックスの禁止のためにある」とし、株価を釣り上げるために、女子高生の恋愛マーケット参入を抑え込んで「女の供給」を止めたが、なにしろ相撲が好きだったものだから、「お相撲さんが肉体をぶつけ合うのを見た後は別」とし、女子高生を相撲観戦に連れきた「おじさん」にだけは世代間セックスを許した。
このことが、「大相撲」のセールスを伸ばした。
おニャン子クラブ 愛の倫理社会

私は、1987年にアメリカに留学しているが、メンバーの中には華族子弟や、おニャン子クラブのメンバーがいた。
立見里香や、富川春美などがいた。
みんな、まだ16~7歳の頃で、子供だった。
富川春美などは、恋愛お見舞い申し上げますという曲を「自分の教科書」だと思い込んでいて、私に気があったらしい。
恋愛お見舞い申し上げます おニャン子クラブ

日独伊三国同盟の解消と、「日本とアメリカ合衆国は同盟関係にある」という認識は、昭和天皇が「おニャン子クラブのメンバーをアメリカに売った」ことから広まった。
それまでは「日米友好」と発言しても、大して「理解力不足」は指摘されなかった。
早すぎる世代 おニャン子クラブ

 
おニャン子クラブを昭和天皇が「アメリカに売った」ことから、他の女たちも続々とそれに続き、「妻にするなら日本人女」という発想にしたがい「円高」が止まらなくなった。
私も「円高にするのならばAKBグループ、坂道シリーズをアメリカに売ればいい」ことは理解している。
円高・株高・土地高の「トリプル高」のキーワードは「制服」「おニャン子クラブ」にあった。
しかし、私は、アメリカで、一見豪胆な女に見える立見里香が泣いているのも目撃している。
バブル経済の負の側面だった。
セーラー服を脱がさないで おニャン子クラブ

アタナシウス派とアリウス派の論争も、まだまだ可能性が残されているし、「天皇制」にも可能性は残されている。
しかし、いかなる政府の仕組みも永続的なものではない。
この「バブル経済の引き起こし方」には「負の側面」もあるし、子どもの人身売買のようなものをともなうものであり、
それを「AKBグループや坂道シリーズに?」というと日本の男子が黙ってはいないだろう。
しかし、オーストリアのカルヴァン派アイドルは「ベルリンに売られた」し、昭和天皇は「大島駐独大使が靖国神社に祀られたのは容認できない」と言った理由をよく理解しなければならない。
大島浩こそが、バブル経済の引き起こし方を昭和天皇に教えたのであり、晩年の老醜は、大島に教わった通りの行動をとっているではないか?
FENを聴かせて おニャン子クラブ

カルヴァン派は、ジュネーブかオランダが拠点だ。
大島浩駐独大使が目撃したのが「チューリップバブル」であり、女を「花」に例えるのは当然とも思われる。
平成生まれの「5割は生涯独身」「7割は孫なし」と言われる。
おニャン子クラブの音楽作品の共通項は「独身女の歌」(デシプリン)であり、ようするに「既婚男女の恋愛論」(パラダイム)の基本である「なんか食うか?」が言えないのである。
シーッ愛はお静かに おニャン子クラブ

「平成の時代に、口説き文句を売って生計を立てていた作家はいなかった」
町田康だの山田詠美だのが幅をきかせて、ようするに「つまらなかった」のだ。
全米作家協会に比べて、日本語は文字の正確性を失っていた。
ようするに「アメリカの堅い書物(石)をパンに変える」能力だけが必要だったのだ。
マルクスは「食い物に困ったら工場の前をたむろしろ」と語っている。
つまり、企業に「口説き文句」を売りつける能力が「石」からもたらされる。
「なんか食うか?」
それだけを女は欲していた。
おニャン子クラブは、デシプリン(独身男女)の歌は歌ったが、結局、平成の「失われた20年」は、マンスフィールドなどによる「アメリカの経済制裁」のもとにあった。
情報源さえ閉じれば、日本は壊滅する。
日本の「博士論文」を読んで愕然とすることもある。
真っ赤な自転車 おニャン子クラブ

おニャン子クラブという存在に、昭和天皇が愛情を持つようになった理由は、
「若い連中がみんな聴いていた」
というところにあり、それは秋元康氏の才能というしかない。
中森明菜よりも「天皇制にとって必要」とされた理由は、「解釈論が抜きん出ていれば周囲の見る目が変わる」ということであり、「松田聖子」がその代表例ではあるが、
「男の序列は女が決める」
ということのポテンシャルは「実はおニャン子クラブの方が上」と昭和天皇は考えていた。
なにしろ、今まで「誰も解釈論をやったことがない」のだから、私もそれを試みてみたい。
独身男女の特権は「恋」ができることにある。
恋とは「仲間が多い、何かやってくれそう」な男に女がするものだ。
思春期の男の子は「女ならば誰でもいい」という側面がある。
その人の持ち合わせているものに感性が弱いから恋をするとも言われるが、
勉強が好きな男の子は成績優秀な女の子に、スポーツが得意な男の子は、「美人な女の子に」という具合に、「自分が溶け込みたい世界」に異性が自然に導いてくれる。
それは、「感性」という他はない。
「恋はマメにして」
伸び盛りの男の子に、女の子はそのように語った。
おニャン子クラブ ポップコーン畑でつかまえて

より制御され、出世する男ほどセックスの時に暴力をふるう。
暴力をふるわれた女の子は、「神・占い」を語るようになる。
彼氏は成績がいいか、スポーツができるかのどちらかだったが、女として従属するかわりに「神さま・占い」を支配して男の子をコントロールしようとした。
彼氏に将来があることは知っていたけど、それが男女の「カタチ」なのだろう。
星座占いで瞳を閉じて おニャン子クラブ

昭和天皇は、丸山真男というペンネームを持っていた。
ポツダム宣言というのは「8月革命なんだよ」と丸山はのちに語っている。
1945年の「夏休み」に日本国民全員が「夏休み」と社会契約を結んだ。
あれほど泣きながら受諾したのに、まるで宮迫だ。
夏休みという「社会契約」を「8月革命」と呼ぶのならば、これを制するものは「9月の総裁選」を制する。
「8月革命説」を知らない自民党代議士は存在しない。
芸能界にビッグマネーが流れれば、「手を上げる」ことになる。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

予算編成は、「高等師範学校」の4月入学、に合わせる形で国会で審議される。
「政府が与党と相談するのは当然のことである」(中曽根康弘首相答弁)。
3月にも「社会契約が終わる」ことから永田町や週刊誌で「4月危機」が煽られた。
卒業ソングを仕掛けてやろうという土井たか子社会党書記長は毎年のように「解散は4月に」と発言していた。
「芸能界のヒットソングを仕掛けてやれ」という意味である。
「4月危機」を恐れない内閣総理大臣はいないし、「与党と相談」する理由もここにある。
春一番が吹くころに おニャン子クラブ 注)この年の9月に「中曽根裁定」によって竹下内閣が樹立している。
昔の「デカイ政治」も今は「週刊誌の期待感」だけで終わっている。

キャンパスに入ったら「もう大人」である。
セックスも解禁だ。
子供の「性」の問題は、孫ができるまで「両親を混乱させる」ものであるが、どの専門分野でも「女心」を知らないと研究資金を引っ張ってこれない。
研究資金を引っ張ってくるのが上手い人を、「歴史」に残していた。
研究資金を引っ張ってこれない人は「なんでかな?」と思ったが、ようするに「恋愛論」に詳しかったり、「女の口説き方」を売るのがうまいのだ。
女の口説き方は知っているけど、キャンパス以下の子供には興味ないよ。
アンブレラエンジェル おニャン子クラブ

日本国の「学校知」の出口は大学受験だ。
しかし、女の子には特に「数学」が分からない。
男の子にはそうではなくても、女の子には「時間切れ」ってあるのよ?
No more 恋愛ごっこ おニャン子クラブ

卒業した後は「ダンテの神曲」の世界。
都会に出るあなたを見送って、それでも私は元のままでいられるかしら?
大学であなたは「女心」を知り、私は「男」を知る。
男を知った私ですら受け入れてくれるのならば、あなたは故郷で有名な政治家になるのでしょう。
これがダンテの神曲。
河合その子 青いスタスィオン  

さて、詩の世界では「古典の詩は美しかった」「現代の詩は面白かった」と言われているが、実は「おニャン子クラブ」は「古典の詩」を歌っているのだ。
古代ローマ帝国の王室はどの家庭でも「滅びていく宿命にあった」とされる。
休みの日にはデパートの最上階のレストランで食事をし、二階建て住宅に住む、そんな「王室」が日本人の多数派だった。
ベビーブーマーは「古典の詩」を柱におニャン子台風を経験したのだ。
お先に失礼 おニャン子クラブ

「荒れる学校」なんてものは1970年代には鎮静化していた。
1980年代には「成熟経済」「金持ち喧嘩せず」が存在した。
1989年に、東大入試文系で「源氏物語」の「竹河」が出題されている。
7割の受験生が0点だった。
私もその中の一人だ。
紫の上の老後を描いたものと記憶しているが、「おニャン子クラブが分かるのならば解けるのにな?」という失望感を昭和天皇が抱いたであろうことは想像に難くない。
まあ、カネの心配をしないのならば、「大人の言うこと」は理解できないし、「女心を売っているんだぞ?」という「大人の事情」も真面目な受験生には理解できなかった。
「ベビーブームの時に日本国は古典を柱に乗り切った」と表現することは可能だろう。
つまり、おニャン子クラブは、「原始キリスト教」という側面があり、「誰にもその実態が分からない」ものなのだ。
ベビーブーマーは、ルソーの「社会契約論」にしたがって育てられたのではないか?
という指摘は可能であるが、それでも
「昔々、我々の祖先は社会契約を結び・・」
という説明は可能であるし、私は、おニャン子クラブ=原始キリスト教という立場をとりたい。
なにしろ、ルソーは「カント以降」「アタナシウス派以降」の人物だからである。
じゃあね おニャン子クラブ

ルソーは、「君主への弁明(感謝)」と「人と人はお互いに依存し合いながら生きている」(人)ということを柱に、どのように「本格派」の人物像を作り上げるかを探求した。
自由で対等な「市民」として、かなり「破壊的に」目的を達成させるという発想も持っていた。
自分と世界はあまりにもかけ離れているのが子供である。
ジュネーブのカルヴァン派の街に生まれ、基本的にはフランスで「カトリックの牧師」になるための教育を受けた。
楽器に造詣が深かったことが、のちに「おニャン子クラブ」を生み出す理由となっている。
ジュネーブでは、カルヴァン派がストイシズムの観点から彼の「社会契約論」を憎んだとされる。
適当に勉強して、適当に「卒業式」で晴れ着を着る連中が許せなかったのだろう。
しかし、ルソーは「人間同士がお互いに制約し合いながら、最後に自由になる」という社会契約論を「これが教育である」としている。
「社会人」とはそのように生まれるものだ。
私は、司法試験を受けていた頃、元クラスメートに「俺は社会人だから」とよく自慢されたが、「社会人」とは、「教育を受けた」「社会契約論を知っている」存在であるということは明確にしておきたい。
つまり、「このまま時が止まってしまえばいいのに」というような青春時代を「終えた」という意味である。
ルソーは「女心」をアリウス派やアタナシウス派ほど深くは掘り下げていない。
どの男の子もが知っている「一般意志」の構築を行ったのであり、そもそもアタナシウス派のように「女の子が失恋した理由」による版権や、
アリウス派のように「特別な男である」ことをセックスに求めることもなかった。
なにしろ、中学生・高校生相手の仕事だ。
「一般意志」の構築だけで十分だった。
昭和天皇が、中森明菜よりもおニャン子クラブのほうに軸足を移したのも、「そういう時代だった」というしかない。
横浜駅には「チェッカーズ」の真似をした服装をした男たちが大勢おり、かなり集団的に動いていた。
子供が多すぎる、異様な世相、誰が、私の東大合格を信じたであろうか?
瞳の扉 おニャン子クラブ

基本的に、ルソーは「天皇だろうが首相だろうが、国民の心の風景を作り出す存在は誰だっていい」と考えていた。
いわば純粋代表制である。
社会契約論はもはや国民の心に根付いていた。
社会契約論を歌って、天皇とも社会契約を結ぶ、それは「誰がやってもいい」ものだった。
どのみち「8月革命説」「4月危機」を理解しなければ、政治家としては大成しないのだ。
平成天皇は「忘れてはならない日」を四つ挙げているが、私は「4月」「8月」の二つのマネーを見ている。
福山雅治 桜坂

 
「4月」「8月」を制したものが通常国会・臨時国会で金にものを言わせ法律を作る。
新聞の社会面を見て「俺のルール」を国民に押し付け、支持基盤を盤石にするのだ。
松田聖子 制服

「このまま時が止まればいいのに」という子供の心理を持ち続け、社会契約論と決別できない男を「モラトリアム人間」と呼び、プロデューサーなどの才能があるとされた。
率直にいうと、「教育の目的は文字が読めるようになること」に尽きる。
さらに「外国語ができるようになればなおさらいい」と考えられた。
「子供に翻弄される教育」が一番好ましくない。
「俺が食えと言ったら食え、俺がクソをしろと言ったらクソしろ」というのが一番前向きだ。
教育とは「人を変えようとる営み」である。
私は、アメリカでよく新聞を読んだ。
レーガンはそのことを高く評価し、新聞の一部に必ず「レーガンレガシー」(レーガンを継承するもの)という小さな文字を入れていた。
クリスマスの時に、ロサンゼルスの教会のミサに参加したが、「レーガン大統領も来ている」と噂になったものの、なにしろ会場がデカすぎた。
メリークリスマス・フォー・ユー おニャン子クラブ

さて、「おニャン子クラブはルソーが作った」というだけでは説明しきれないものがあることが、明らかになった。
やはり、おニャン子クラブは「原始キリスト教」であり、「イエスの肉声に最も近いもの」であり、それでいながら「アタナシウス派」「アリウス派」ほど練られていないものと解するのが正解のように思われる。
これを「バカバカしい」と思うのが通常の人間のリアクションであり、しかし、「子供たち」を愛することができる能力には恵まれるだろう。
アインシュタインは、子供のいない人を「一般」と呼び、子供のいる人を「特殊」と呼んでいる。
「特殊な人しか理解できない」とはこのことだ。
恋はくえすちょん おニャン子クラブ

さて、話は平成に入る。
平成になると「目的を持つのはいいことだ」「人間らしい」と平成天皇が考えていた。
「目的を持つのはいいことだ」
その発言に「マルクス主義」「カトリック」の双方から「天皇制批判」がなされた。
マルクス主義に立脚するのが「ribbon」であり、カトリックに立脚するのが「CoCo」である。
マルクス主義は、「目的なんてクソくらえ」と思っていたし、カトリックは、「目的を持った男を病気にしてやろう、人生を邪魔してやろう」と考えていた。
ribbon 3つの願い

 
目的を持つのは人間らしい(ヒューマニズム)と言っても、そのことに批判的なマルクス主義者はいたし、純潔女(カトリック)の側も、それなりの思惑があって動いていた。
「夢だけ見てる」と歌って「エネルギーを与えたい」のか「男を病気にしたい」のかは明らかではない。
CoCo 夢だけ見てる

彼は「私という女」そして「絶対」、私は好きに生きるわ?
女はそのように考えて「ひとり上手」をやっている。
ribbonは、マルクス主義の立場から「ひとり上手」とまでアイドルらしからぬ歌を歌った。
ribbon さよなら

CoCoは、カトリックの立場から、「目的を持った男」を歌っている。
普通なら「女は皆同じ」というアタナシウス派の立場から「なぜ私ではいけなかったのだろう」と表現したり、アリウス派の立場から「彼氏がどれほど特別な男だったか?」を歌いたいところであるが、なにしろ「カトリック」なのだ。
「幼い恋」とでも言ったらいいのだろうか?
CoCo さよなら 

さて、アタナシウス派の女性アーティストは、私は個人的には存じ上げないのだが、アリウス派は松田聖子、ハプスブルク家は中森明菜、原始キリスト教はおニャン子クラブ、マルクス主義はribbon、カトリックはCoCoと言わせてもらった。
私は個人的には「CoCo」のコンサートにはよく行ったが、「女はほとんどいない」のが会場の実態であった。
「カトリックは男だけの社会」となっていたのであろうか?
「目的を持った男を歌った」カトリック(会場の映像あり)。
CoCo 夏空のドリーマー

カトリックの奥義(おんなじ輪の中をくぐりましょう)。
CoCo サーカスゲーム

さて、「セックスに税金を課して、財務省が税収を得て、各省庁が所得再分配をする」というデカルト主義や、女の失恋の「言い訳」という巨大な版権を基盤とする新カント派、つまり「デカルトによる中世の終わりと近代の始まり」「カントによる近代の終わりと現代の始まり」を踏まえて、「人間というものはどうしてもひとつにならないものだ」というベルグソン主義にしたがうのならば、人間は「努力しなければならない」「目的を持たなければならない」こと分かる。
若さを無駄にする時期に、「大人とはこのようなことを考えているものだ」ということが示され、「大学の4年間では無理じゃないか?」と語られた。
カトリックの側は「頑張って?」と言った。
CoCo LiveVersion

 
CoCoは、カトリックの側から、これらの学問体系を学ぶことを応援できたが、マルクス主義の立場からは、「性欲の起源を政府首脳に売りつけて、国家予算をもらってしまえばいい」ということから、ribbonは、もっと大学生活は遊ぶものだ、と主張された。
革命というものは、カトリックが構築した政府の仕組みを「全部乗っ取ってしまえ」というあんがい安直なものだった。
しかし、マルクス主義にも、豊かな文化が育まれていった。
「千手観音から始まる曲」
ribbon サイレントサマー

西側(処女・高貴さ)と、東側(共産主義)の対立が、CoCoとribbonの間でエンターテイメントとして行われた。
両陣営とも「楽しくなければならない」という意味では同じであったが、CoCoは木綿のパンツ、ribbonはシルクのパンツなどと表現するものもいた。
また、カトリックは、国家統治の全体像を理解しなければならず、マルクス主義は、「女」というものを熟知していなければならなかった(唯物論)。
ribbon 哀しい方の嘘

1991年にソ連が崩壊した。
革命のやり方は分かっても、どのように国家を運営するか?という意味ではどちらの側もたいして違いはなかった。
「いじめのない社会」を目指したりもしたが、それは「カネ、競争」をなくすしかなかった。
「目的を持っている男をどう思うか?」
それは「いじめの温床に過ぎない」とした。
左翼というのは「革命以降」を見るのならば「カネ、競争」のない世界を志向したのであり、また、「処女・高貴さ」も歓迎されなかった。
CoCo Newsな未来 

また、「カネ、競争」の背景には「人ごみ」があるとキルケゴールは考えていたことから、人ごみを排除することもマルクス主義は考えた。

「カネ、競争、人ごみ」こそが「繁栄である」とするのならば「いじめの容認」をすることになる。
「繁栄と豊かさ」
我々はあまりにも人間的過ぎた。
ミスターチルドレン トゥモロー・ネバー・ノウズ 

「カネ、競争、人ごみ」は、繁栄の象徴であるが、しかし、「いじめの温床」でもあった。
ポストモダニズムは、繁栄と「いじめの撲滅」の二つを求めていかなければならない。
これを、CoCoとribbonから天皇制は学習し、コロナウィルス騒動の「三密」などは「豊かさの象徴」でしかないと考えられている。
ポストモダニズムの時代は繁栄と「いじめの撲滅」がテーマとなるだろう。
ここで、ribbonの歌う「男」があまりにも軽薄であり、CoCoが歌う「男」があまりにも真摯なものであることを感じなければならない。
「処女・高貴さ・繁栄・人ごみ」+「いじめ」の世界には「神」が存在するのだ。
「いじめのない世界、カネ、競争のない世界」では「男」が表情を変えることはなく、「神」つまり「太陽の10倍輝いた、面白い星」は、マルクス主義の世界にはないことを悟るのだ。
女の子が、「神」を信じるかどうかは滑りやすい坂道であり、「レイプ」と「女嫌い」に直面するだけで、転んでしまう。
CoCo 冬の微粒子

そもそも「夢」を持つことってなんで必要なのだろうか?
「男の子が男になり、女の子が女になる」ために必要なのだ。
健常者であるためには「目的を持たないことが必要である」とされている。
しかし、「繁栄と豊かさ」には、「病気」がともなうようになった。
「栄華に奢るものよ、薬を飲め」
そこで「神」を信じるものたちは、給料の12%を社会保険料として差し引かれている。
アメリカでは教会に「給料の10分の1」を献金している。
「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」
その背景に「夢を持つこと」があり、繁栄と豊かさがあり、病気がある。
CoCo ちいさな一歩で

ソシュールは「神」がいなければ「言語」が発展しない、とした。
「悔い改めよ」とは「失恋した」という意味であり、女たちは失恋することによって「言語」を生み出してきた。
アタナシウス派のいう「版権」とどのように違うのかは明らかではないが、「女たちの夢と夢がぶつかり合った隙間」を利用しているとされている。
英語は「言語の戦い」で勝利を収めた。
私も参考文献はすべて英語であり、日本語媒体はほとんど信用していない。
CoCo 何かが道をやってくる

さて、CoCoとribbonに関しては、1994年にribbonが活動を停止し、CoCoは、「ファイナルコンサートツアー」を成功させ、解散した。
解散というものは「批判に耐えきれずに行う」ものであるという意味においては内閣総理大臣による衆議院解散と何ら変わるところはない。
1995年に、平成天皇はこのことから求心力を失い、阪神淡路大震災を引き起こしている。
さて、この後、実は日本国で「魔女狩り」が横行したのだ。
CoCoの三浦理恵子と羽田恵里香が本当に、彼女たちのキャリアに渡って処女だったことが知られている。
そこで、登場したのが「ルター派」であるSPEEDであった。
SPEEDは、「神を信じろ」「両親を敬え」「隣人の妻を犯すな」という三つをキャッチフレーズにしていた。
アタナシウス派とアリウス派の抗争に関与した松田聖子や、ハプスブルク家をバックにした中森明菜、原始キリスト教を基盤にしたおニャン子クラブ、カトリックを基盤にしたCoCo、マルクス主義を基盤にしたribbonとは、まったく「発想」を変え、魔女裁判以降の、「ルター派」に立脚したのだ。
ルター派は、「有名になると(善)なぜいじめられるのか(悪)」という問題意識を持っていた。
神にしたがって「エネルギーを高める」しかなかった。
コンサートの収益などほとんどなかった。
ただ、CDのセールスの富からいじめられるのを防ぐためにコンサートをやった。
有名になるといじめられる、それを打倒するために声を張り上げるというギリギリの線を芸能人は辿っていることが明らかになった。
SPEED Body & Soul

「神を信じろ」「両親を敬え」「隣人の妻を犯すな」の三つを柱に、1995年から2000年までの間をSPEEDは君臨した。
人々はここで「王朝のような生活」を楽しんだのだ。
「ラブレボリューション」というのは「結婚に愛がともなうようになった」「結婚するためにはお金が必要」ということを意味する。
魔女狩りの後に「どう見ても処女」と思われる女の子たちが歌を歌うのは必然であった。
マタイ3:2 女たちよ、失恋せよ。王朝の前で富を謳歌せよ。
ヨハネ5:7 私は病んでいます。お金が欲しいのですが、富の前には、私はさらに病の中を突き進まなければなりません。
時代は、ノスタラダムスの予言のように、貧しくなっていくのが分かったし、就職氷河期もあり、「ルター派であるSPEEDが歌わなければ国にお金が循環しない」と言われた。
とにかく、カラオケで歌うのも難しいことを私も体感した。
SPEED Steady

人々は「世紀末」という「存在しない暗闇」に怯えていた。
「20世紀」という巨大な「社会契約」から自由になろうとしていたのだ。
実際は大した「仕事」はしていなくても、SPEEDが歌うだけで、国からお金が流れてきた。
私も、有斐閣の「法学教室」という本を読み始め、「本当の学問ってなんだろう?」と研究を始めた。
1999年にマジソンスクエアガーデンでホリフィールド対レノックス・ルイス戦が行われ、私は「インターネット」というものを世界に知らしめた。
「存在しない暗闇」に光が見えた。
私は「カリスマ」と呼ばれ、モーニング娘。(ツヴィングリ派)がブレイクした。
世紀末とは「20世紀」との社会契約があまりにも偉大だったため、危険な綱渡りだった。
政府内部でも私および「インターネット」の存在に楽観論が見え始めた。
モーニング娘。ラブマシーン

一方で、アメリカイルミナティの申し子である安室奈美恵は、「最下層の婢女でも夢が見れる」ことを明らかにしていた。
安室奈美恵もルター派に位置付けることは可能であるが、「存在しない暗闇」に向かってSPEEDとともに突き進んだのだ。
マンスフィールドが「日本国アイドルを潰し切った」のは1996年のことであるが、かなり「世紀末」に悲壮感が漂ったことは「平成の記憶」として覚えておきたい。
モーニング娘。21世紀

日本国は、21世紀を迎え、戦後最長の好景気を経験した(いざなぎ越え)。
背景には常に「モーニング娘。」(ツヴィングリ派)がいたし、その資金の動きは「中国からお金を大量に流し込む」という仕組みであった。
このことを「スポイリング・エジプト」と呼び、私も一定程度のお金を背景に、哲学の研究に打ち込む余裕ができた。
モーニング娘。がいなければ、私もこのような悠長な研究はしていなかったわけである。
田中れいな 愛の炎

さて、平成天皇はなぜ、円滑に即位できたのか?
それは「主権」と関わる問題であり、背後には私の祖母・遊佐道子(香淳皇后)がいる。
つまりは「酒井法子のプロデューサー」である。
私の父は、遊佐道子の「秘密のノート」を所持しているのを私は見たことがある。
父は「持っていくなよ?」と言っていたので、その意味は理解していたのだろう。
ノートにはイラストがあり、「美少女」が描かれていた。
電影少女とまで呼ばれた酒井法子だった。
日本人女はみんなこんな感じ。
それを中国に売り込んだ。
酒井法子 夢冒険

 
「日本人女はみんなこんな感じ」
これを「主権」と呼ぶ。
遊佐道子は、酒井法子に中国首脳までもが会いたがるのを見て、楽観的に
「光太郎にはもうちょっと勉強してもらおう」と考えていたようだ。
「日本人女はみんなこんな感じ」
それは、平成の時代にはいつしか「高橋愛」に移っていったが、誰が、デジタルイメージを描いたかは明らかではない。
芸能界で「例の顔」と呼ばれているものへの周辺国の人気を「主権」と呼ぶ。
高橋愛

主権というのは常に「神と処女」から構成されるものであることを神聖ローマ帝国は知っていた。
熱愛報道・結婚報道が流されるたびに、「例の顔」はどんどん変わっていった。
「日本人女はみんなこんな感じ」
それを、外国に売り込めば円高になるし、どの女も「神」の隣で「処女」を演じたがった。
命短し恋せよ乙女。
聖母マリアという概念を研究したイノセント10世は、「各国の聖母マリアたちの喧嘩になるだけだ」とし、ウェストファリア体制の危うさを指摘した。
言葉をバラバラにしよう。
そこには「夢・目的を持った男」だけではなく、カトリックは、「アイドルの存在は認めるが、実物の方が大事」として「主権」論争で
「例の顔」こそが国の強度であることを認めてしまった。
CoCoと酒井法子は、雑誌Bomb!の巻頭を7回飾り、これはカトリックと主権が双璧を成したことを意味する。
国を分けるのならば、芸能界というものは生まれざるを得ない。
酒井法子 ダイヤモンドブルー

「目的を持った男」「神」と「処女」は常に「主権」を持っており、天皇のような中年以降の人間にそれが務まるかは極めて困難な問題だ(天皇機関説排撃事件)。
「王子こそが主権者ではないか?」
そのように語られた。
王子様と雪の夜 タンポポ

処女と結婚するに至った王子(のちの天皇)は常に「歴史家」だった。
司馬遷のような「法家」は中国ではすでに常識として知られているが、「君主」=歴史家という発想は、アメリカ合衆国は21世紀になってから、その有効性を「発見」している。
実際に、私が大河ドラマ「麒麟がくる」に関する歴史観を語ってから「何か」が変わった。
コロナウィルス騒動の「真の意図」は今後、明らかになっていくであろうが、芸能界に頼り切った日本国の「超大型連休」なのではないだろうか?
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様

さて、平成が21世紀を見た。
世紀末という「存在しない暗闇」を乗り越えて、いよいよ「ワールドカップ日韓共催」(サッカー)などのことを人々は考え始めた。
2000年にSPEEDは解散した。
その2000年にデビューしたのがPerfumeである。
コンセプトは、「インターネット上での女漁り」であった。
インターネットで発言している女たちはみんな「かしゆか、あ~ちゃん、のっち」の誰かに「似ている」はずだった。
ここで、主権、つまり「日本人女はみんなこんな感じ」というものはデジタル化とともにPerfumeに移った。
ネット上では「文字媒体」だけであったため「精子を生む人か、卵子を生む人か?」しかみんな興味がなかった。
そこで、男たちは「女に関する情報を集めた」のだ。
「育ちや、ヒステリーを起こすセリフ(地雷)、経歴、他の人たちの証言」などから人物像を特定していった。
その結果「かしゆか、あ~ちゃん、のっち」のどれかだろうとみんなが考え始めた。
「オフパコって楽しいぜ!」
一気にインターネット時代は花開いた。
Perfumeも、その趣旨をよく理解し「キミ、ボク」などという歌詞を多用した。
Perfume Game

インターネット上での女漁り、はいわば「キリスト教誕生前のユダヤ教時代」であり、教典は「ニコマコス倫理学」(ギリシャ哲学)であった。
男たちは、自分の所属する宗派を隠し、「女に関する情報」を集めた。
秋元康氏は「戦後の焼け野原」と語っていたが、つまりは「これからメシアが誕生しようとしている」というユダヤ教の時代だった。
男たちは、ひたすら「女漁り」をやった。
ユダヤ教の世界から「スポンサーと評論家」を頼りに多くのアーティストが出たが、それはニューヨークのデリカテセンのお金を背景に、ダンスをやってデリカテセンの利益を何倍にもして「ゴールドマンサックス」という銀行まで作ってしまった
ユダヤ人と何ら変わりはない。
ゴールドマンサックスは、アメリカ国防総省と結びついたが、Perfumeなどは「自衛隊」と結びついた。
「スポンサーと評論家が必要」であるという意味では日本のバブル期のゴッホと何ら仕組みは変わらない。
それぞれの男が「街にでないで」自分の部屋でワンルームディスコを楽しんだ。
Perfume ワンルームディスコ

1991年にイギリスで「女性を社会から守る会議」が行われたが、これがPerfumeの煽り行為で
見直されたのが2006年と2014年である。
「ネットの向こうにはいつも私たちがいるよ?」
Perfumeは、これを背景にセールスを伸ばし、世の中の男女を問わず、ネットに病みつきになった。
1999年に地上波のテレビ局が「インターネット」を公認した。
2001年に、「出会いの場が増える」ということを日本人が学習した。
2005年に総務省に「司令塔」が作られた。
「かしゆか、あ~ちゃん、のっち」を探していた男女の中で、特に女は「IPアドレス」を秘密にしたがった。
Perfume セラミックガール

 
このようは世界で「インターネットで人材募集」などが試みられたが、「かしゆか、あ~ちゃん、のっち」目当ての男ならば、「不採用」にする理由もなく、効率は良かった。
「自分に関する簡単な物語」が知られている人は、そもそも「ヘッドハンティング」されることがあった。
Perfumeを聴きながら、インターネットをやることそのものが「仕事」につながった。
インターネット時代とPerfumeは、ユダヤ教(すべての宗教の起源)であり、各セクトがしのぎを削った。
「かしゆか、あ~ちゃん、のっち」みたいな女がいるということからこのことは始まったのだ。
Perfume シークレットシークレット

小泉今日子というのは「真っ赤な女の子」「渚のハイカラ人魚」だけに絞ると「新カント派」の、メルブルク学派に属する。
つまり、「ミニにタコができる」「パンチラが好き」というものを海で学習した人もいるし、
真っ赤な女の子 小泉今日子

「隠れて着替える」ということを海で学習した人もいる。
渚のハイカラ人魚 小泉今日子 

すべては「グレースケリー」から始まっており、失恋したら「言い訳も考えずに海に行こう」というメルブルク学派と、「言い訳を考えよう」とした南西学派の違いが新カント派には存在する。
コートダジュールで逢いましょう 高橋由美子

 
グレースケリーは、私の「三浦海岸」のように「海」をセールスにかけた。
いじめられる「痛み」を中学の頃に知っていた私は「隠れて着替える」という「渚のハイカラ人魚」の影響を強く受けた。
いじめられる「痛み」と、女が失恋する「痛み」は同じであり、「言葉が豊かになる」とされている。
海岸線というものは、日本中、どこの海岸線も「人工的に」作られている。
めんどくさい「言い訳」など考えずに「海に行こう」と言ったのがメルブルク学派であり、そこにいる「女たち」に、子供たちは「性概念」を教わった。
海に住んでいると、「バクテリア」に腰をやられるため、ずっと住むのならば「酒」は必需品だ。
ヒトラーは、メルブルク学派からそのことを学び、マンハッタン造成を行っている。
(上海倶楽部)
上海倶楽部 松田聖子

陸でトラブルを起こした芸能人はみんな「海」に住んでいる。
そこで、「海」をセールスにかけないとグレース・ケリーにはならないのだ。
地元の人脈が変わってくる。

海では、このような「大人の女の事情」があり、男女の距離は極めて近かった。
また、三浦海岸は、フィヨルドともリアス式海岸とも違う、長い曲線ができている。
新カント派のメルブルク学派を理解したい人は、夏には三浦海岸にお越しください。
「現代社会」
それだけが海にはあるのだ。
体が鍛えられている「男」ならば「いじめ」を経験しているはずだ。
「女の失恋」の痛みも理解してくれる。
渚のピテカントロプス 酒井法子

また、どんな強者でも「男二人に女二人」でなければ「割り切れない」ことを知るだろう。
これは「基本法」と呼ばれている。
友達を誘って海に行くのはいいが、「一人で行こう」などと無謀なことを考えると、一日中、孤立を経験する。
避暑地の森の天使たち おニャン子クラブ

海の家の陰では「海岸デビュー」しきれない女の子たちがスマートフォンを見ているが、彼女たちも「一人で」海に来てしまったのだ。
一人で海に来てしまった強者は、海の家の陰の女の子を誘ってみよう。
あんがい、海の家の陰でスマートフォンをいじっている女の子たちは処女であり、どのみち、海というのは自分の「性概念」「政治的立場」を決めてしまう。
寡黙に筋力トレーニングに励んだらフィジカルアトラクションは身につくだろうが、友達がいなければケミカルリアクションは起きない。
新カント派は、女性アイドルたちの「神」であった。
「田舎に私にふさわしい療養所があるの」と言って置き手紙をして去っていった女たちに一目置かれるためにも、「海」を文学にしなければならなかった。
「学校では教えてくれない、いろんなこと」が分かるよ。
猫舌心も恋のうち おニャン子クラブ 

新カント派の、南西学派というのはキリスト教アタナシウス派のことなのだが、「陸」の政治であり、いわゆる「情念系」かも知れないが、私は詳しくはない。

海の家の陰で、水着にもならずスマートフォンをいじっている女の子たちは、「知的な空気」を感じたいだけなのか、
それとも「勇気が出ない」「他の女の子と体を比べられるのがいや」なのかは分からないが、彼女たちなりに好きでやっているようだ。
ゲーム理論・敵の出かた論というものもある。
大黒摩季 熱くなれ

アタナシウス派(新カント派)に立脚する小泉今日子であるが、失恋の理由を「少年のようにもっと素直なら」でも「大人になりたかっただけ」でもなく、「少女時代のピリオド」と言っている。
これは、南西学派の新カント派である。
小泉今日子 スターダストメモリー

また、失恋した理由を杏里の「オリビアを聴きながら」では「幻を愛した」と言っているが、小泉今日子は、同じ文脈で「七変化」と呼んでいる。
これも南西学派の新カント派である。
ヤマトナデシコ七変化 小泉今日子

また、「宇宙へ連れてって」「テレパシー感じる」などという個性的な表現もある。 
迷宮のアンドローラ 小泉今日子

ここで、アリウス派(特別なセックスがある・私は特別な女・特別な男が存在する)という松田聖子の立場に対して「アタナシウス派の立場」(女は皆同じ・失恋した理由を説明しなければならない)に立脚していたのは小泉今日子であったことが明らかになった。
しかし、なにしろ「表現の可能性は無尽蔵」だったのだ。
原始キリスト教の立場に立つ秋元康氏に「なんてったってアイドル」という曲を作らせたらファンが離れていった。
「なぜなの涙が止まらない」「色っぽい」など本来の小泉今日子は、アタナシウス派だったのだ。
艶姿ナミダ娘 小泉今日子

「現代社会」を日本にもたらしたのは「小泉今日子」だった。
これが1980年代の成熟経済であり、「日本の銀行の信用力を疑うものは誰もいなかった」とされながらBIS規制の導入などが進んだ。

キリスト教アタナシウス派は小泉今日子だ。
「女は皆同じ」という立場から「なぜ自分がフラれたのか」を延々と説明している。
これも版権なのだ。
あなたに会えてよかった 小泉今日子

小泉今日子も、新カント派(アタナシウス派)に立脚する「真っ赤な女の子」をリリースする前は、「あなたは特別な男の子」などとアリウス派に立脚する曲を出していた。
立場に「ブレ」をなくすまでは、なかなか国民的アイドルにはなれない。
素敵なラブリーボーイ 小泉今日子 多くのアイドルたちが「歴史の藻屑」となってきたことは認めざるを得ない。
1980年代の日本国の「成熟経済」を支えたもう一つの側面はrebeccaのリベラリズムにある。
憲法改正は「自由民主党結党以来の党是」とされているが、
「多くの男たちを支持基盤に含めていく」という発想がリベラリズムにはあった。
1991年にrebeccaは解散し、平成の「湾岸戦争」の時に日本国は「国連平和維持軍」を作れなかった。
「俺には有事がある」と言った小沢一郎と、rebeccaの関係は明らかではないが、発想としては「多くの男たちのインクルージョン」こそがリベラリズムであり、平成天皇にはこのような才能がなかった。
昭和にあって平成になかったもの、と表現することも可能だ。
rebecca moon

リベラリズムとは決して「フリーセックス」という意味ではない。
男たちのぶつかり合った夢の世界で「男に本来あるべきはずの立証責任がない」というものである。
「東大に入る必要がない」「教授になる必要がない」「社長になる必要がない」
このような発想は「男が目的を持つのはいいことだ」とした「有神論」とは異なり、しかし、主権を国民に与えることを意味した。
主権と言っても「日本人女はみんなこんな感じ」という意味であることから、「どの女もアッシー、メッシー、ゲッシーと言っている」という意味である。
1215年のマグナカルタは、「王は男らしくなければならない」とし、国民に「恋愛裁判」「フェアプレー」そして「武器対等」を認めた。
このことは、「リバイアサンという怪物を支持基盤に王子が国王に襲いかかる」というキリスト教信仰となった。
イエスキリストと王室の王子を結びつけたという意味においては「英国国教会」であったと言える。
rebecca may be tomorrow

「友達と恋人の境界線はセックスしたかどうかにある」とされる。
「東大生」「教授」「社長」でもない、何の立証責任も負わない男は、「別れたら友達よりも遠い人」となるという意味においては、アタナシウス派と何ら変わりはないが、
それよりも重要だったのは、「男たちを統括する王子がいる」というキリスト教信仰であった。
リベラリズムは、「オックスフォードの宿題」と呼ばれ、どの王子も学ばなければならないものだった。
昭和の終わりに、日本の大人たちは「平成の次」を見始めていた。
rebecca フレンズ

リベラリズムのネガティヴな側面は「東大に入らなくてもいい」「教授にならなくてもいい」「社長にならなくてもいい」ということから、国王の前で、「まるでみんな兵隊のようだった」というところにある。
しかし、ポジティブな側面としては「なんだかんだ言ってみんなイケメンであり、女の子たちにモテた」ということが指摘できる。
「王子の何が特別なのか?」は周囲に感じてもらえればいい、とされる。
ホッブスだのロックだのロールズなどは「国王になりたければ読めばいい」とされ、議会や官僚はそのようなものを学習していた。
ホッブス、ロック、ロールズのおかげでエリザベス女王が豊かになっていくのがわかった。
「東大生」「教授」「社長」がみんなエリザベス女王の著者を読んでいたからだ。
「偉いとはどういうことか?」は明確に本になっていたし、普通の男はイケメンだった。
知識の裏付けのある身分制社会がイギリスで実現した。
このようにrebeccaへの理解力は、普通の男・イケメンに「立証責任を負わなくていいよ?」というところにあると端的に示すところにある。
rebecca ロンドンボーイ

民主主義というものは「国民が最悪なエリートを選挙によって排除する」ものであるのに対し、リベラリズムというのは「東大に入る必要はない」「教授になる必要はない」「社長になる必要はない」というものである。
リベラリズム(自由主義)と、民主主義は、車の両輪として大衆政党である自由民主党を支えた。
社会主義というものは「エッチな話の拡散」を標榜し、社民党は、リベラリズムという看板を外し、「東大」「弁護士」などが「最悪なエリートではないことを証明」するものである。
「自由」「民主」「社会」という三つの用語の意味さえ覚えておけば、だいたい政党の意味は理解できる。
一方で、アメリカにおいては共和党というものが「王政」を標榜し、まあ、民主党であっても「保守・中道・リベラル」というものは存在できるようになっている。
リベラリズムというのは「オックスフォードの宿題」と呼ばれ、世界のリベラリズムは、イギリス王室のもとにあった。
マドンナは、ユダヤ系金融資本の下(日本でいうPerfume)にありながら、英国国教会(リベラリズム)を歌い、そのリベラリズムから「ヒスパニックへの愛」へと繋がっている。
マドンナ スパニッシュアイ

南米においては、カトリックの「処女・高貴さ・繁栄・人ごみ」+「いじめ」の世界には「神」が存在する世界と、リベラリズムつまり「国王」「大統領」がいる「エリートでなくてもいい」という世界が対立し、「共和国」と名乗る王政を敷く国が多いが、カトリックとリベラリズムが共存した。
いわば「実力主義の神」(カトリック)と、世襲制の王子(英国国教会)が対立したのだ。
現在の日本国においても、私(カトリック)という実力主義の神と、世襲制の王子(リベラリズム)は対立している。
madonna Like a virgin

私のようなカトリックの立場、つまり、「処女・高貴さ・繁栄・人ごみ」+「いじめ」という立場からは、いかなる時代のいかなる経済も分析できるが、リベラリズム(英国王室・英国国教会)の立場からは「エリートではない者」たちが楽しめるものとなっていた。
日本国という国の歴史を私は語らせてもらったが、カトリックにはそのようなメリットはあっても、マドンナのようなスーパースターを相手にするのは難しい。
それが、「南米」の難しさでもある。
マドンナ ライク・ア・プレイヤー

なにしろ、カトリックの指導者が国を豊かにすればするほど、世襲制の王子を盾に「エリートではない連中」が「豊かさ」にフリーライドしようとするため、カトリックとリベラルの対立は根の深い問題となっていた。
実力主義のカトリック大統領・ペロンは、カトリック教会との関係を壊し、世襲制を志向し始めた。
バカ一代が世襲制を求め始めると、いつもカトリック教会と決別し、英国国教会(英国王室)に接近した(リベラル)。
群衆は「カネ目当て」でもあり「遊び」目当てでもあった。
マドンナ エビータ

マドンナ。ロンドン公演(20分程度の動画です)。

ロンドンは「世界一の都市」である。
しかし、イギリスの経済力はGDPで言うのならば「世界5位」であり、日本の方が上だ。
カトリック国のフランスが世界8位である。
日本国が、かつては世界2位の経済大国であり、今は3位であることも、いろんな意味で1980年代の文化の恩恵を受け、ありとあらゆる宗教が共生しているからであると言える。
このような「いかなる時代のいかなる経済でも分析できる」力量を持っているのは世界でも「日本とアメリカ合衆国だけ」と言われている。
私も、昭和から平成・令和にかけての経済(女たちがどのように男に愛されてきたか)を語らせてもらった。
令和天皇は「モンテスキュー以来の逸材」と呼ばれた。
「あなたは小さなモンテスキュー」
椎名林檎 あおぞら

そこで、南米にカトリック国が増え、「指導者を尊敬しようよ」という「進歩主義」(天皇制支持)が登場したのだ。
「英国王室?日本の天皇家の方が上だろ?」
日本国はいまだに世界経済を支える力を持っていた。
現在、英国王室(英国国教会)は、斜陽になっている。
すべては日本の「金融」(J-POP)、「高い技術力」「政治の安定性」のなせる技だった。
 

そこで、アメリカ合衆国は、英国王室に代わる「アメリカイルミナティ」を構築し、日本国の天皇制と結びついたのだ。
アメリカイルミナティは、「アメリカ王室」とも表現できるものであり、ロールズ、ドゥオーキン、ラズなどが残したものだ。
現在は、スタンフォード大学が拠点である。
ツヴィングリ派(モーニング娘。)は、永遠の退屈の中から生まれた。
世紀末の「存在しない暗闇」を乗り越えたら、男たちを待っていたのは「永遠の退屈」であった。
まるで創世記を読まされるがごとく、退屈であった。
「21世紀を使い切るのに6000年かかる」そのように人々は思った。
男はアダムであり、エヴァが来るのを待っていた。
「災害」のニュースを見ては、「またノアの箱舟に置いてきぼりにされた」と人々は考えた。
つんくの誕生だった。
女たちが作る「バベルの塔」は天まで届くのだろうか?
ツヴィングリ派にはカトリック女とプロテスタント女が共存していた。
後藤真希のようなカトリック女は「センター」としてもてはやされた。
ルター派は、SPEEDだったが、カルヴァン派はのちに「AKBグループ、坂道シリーズ」が登場した。
ツヴィングリ派には明確なパワーブローカーは存在しなかった。
「女神をクリエイトする」という意味では「神道」「アマテラス」であり、日本国の「性概念」により忠実な女の子たちばかりが集まった。
ルター派の今井絵理子は、ツヴィングリ派を「実力より人気?」と発言している。
ツヴィングリ派こそが神道の巫女さんであり、モーニング娘。であった。
モーニング娘。I'm lucky girl

ツヴィングリ派は、のちの令和天皇とともに歩んだ。
当時は「王子」だった。
王子がのちに「巨大宗教」を作るようになるのがわかったため、「巫女さん」(ツヴィングリ派)の方が、令和天皇の息子の「花嫁選び」をするためのカルヴァン派よりも早く登場した。
松浦亜弥 ナビが壊れた王子様

しかし、つんくの「感性」が鈍り、ツヴィングリ派の人気が凋落すると、令和天皇の息子の誕生すら、国民は祝福しなかった。
「親王様ご誕生」というセブンイレブンの張り紙すら破られていた。
モーニング娘。つまり「巫女さん」のセールスもつんくに頼り切っていた。
2011年に東日本大震災が平成天皇によって引き起こされた。
もう「巫女さん」などどこにもいなかった。
後藤真希 デート注意報

小野?何やってんだ!
周囲がそのように考えた限界点だった。
しかし、この頃から、平成天皇は、「小野」のために生前退位を考え始めた。
「小野」がノーベル賞を取り始めた。
「息子さんのお相手にいかが?」
カルヴァン派(AKBグループ・坂道シリーズ)がセールスを伸ばし始めた。
恋するフォーチュンクッキー AKB48

しかし、「全部露出説」という民法の立場から、「息子はこの程度」と言うのが明らかになると、少なくともAKBグループは斜陽に向かった。
世襲の難しさと、英国国教会、ハプスブルク家、その他もろもろ「なんでもできる」と言うのが今の日本国の現状なのだ。
令和も2年生になったが、日本国民には「コロナウィルス騒動」という名の「超大型連休」が与えられた。
洋服と下着の話は、「思想と良心」の関係に似ている。
良心とは「思想が内面化したもの」であるとされ、たとえば、パートナーに裏切られたことのある人は「何度も人を裏切る」などのことを「思想が内面化された良心」と言う。
思想というものは、いわば「金儲け」のために考えるものだが、人を裏切りやすい性格・性質は「良心」=下着と言わざるを得ない。
また「ニコライ派」と言うものが、「女はパートナーがいても、知恵と力を生み出すために異なる男の声を聞きたがっている」と言っていることを知るのだ。
たとえば、男は「女の子供の気持ちを味わいたいからセックスする」とされているが、男次第で「子供の気持ち」が変わってくる。
「今日、人類が木星についた!」という子供の気持ちもあれば、
「教授になった」という子供の気持ちもある。
ニコライ派というものも興味深い。
SPEED Deep blue & truth

ここで、私はSPEED=ルター派であり、ribbon=マルクス主義という説明をさせていただいたが、ニコライ派というものが、「今彼」にとって最も憎むべき存在であることがわかる。
ribbon 真夏のフェミニスト
私の述べる「キリスト教史」は簡単ではあるが、以上である。

 

【完】

 

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

2020年4月 9日 (木)

「放射能」の真実。

放射能の研究は17世紀に始まった。
まだ核兵器や原子力発電所の存在しない時代である。
福島第一原子力発電所が爆発し、「私、福島出身なんです」「俺、コロナだよ?」などという人はいつの時代にも大勢出てくる。
事件が起きるたびに「放射能」というもの、つまり、事件と関わったことで「自分の世界を広めよう」(現象学)とする人は大勢出てくる。
この「事件を利用して自分の世界を広める」人に襲い掛かる「命の危険」も含めて、そのような現象を「放射能」と呼ぶ。
羽生結弦はいまだに「福島のアイドル」であり続けている。
福山雅治は「被爆者二世」として活動を続けている。
これらの現象を含めて「放射能」と呼ぶのだ。
コロナウィルス騒動の、専門家会議による「未知のウィルス」論に私の「食べ物や飲み物に毒物が混入している」という議論が勝利を収めようとしている。
その経験談から、私は信用力を高め、現在、「放射能」の研究を始めようとしている。
古くは「ニュートン」の時代からあった議論なのだ。
「芸能界(宗教改革)さえあれば、人類は月まで到達するのではないか?」
このニュートンの「人間の罪深さ」(リンゴ)から、「月」を見始めたのだ。
セックスしすぎて彼女がノイローゼになった。なんて絶倫なの?彼女が最近彼に暴力をふるうらしいわ?
月に吠える

クーンやファイヤーベントは「天使みたいに踊る女の何がいけないのか?」と、放射能汚染者を擁護したが、いろんな立論は可能である。
なぜなら、恋愛の世界に「武器」は必要だからだ。
「嘘で幸せになるつもりか?」
放射能の世界はこれで「議論の路線が定まった」とされる。
天使みたいに踊らせて 工藤静香

アメリカ合衆国は、原子爆弾を日本国に落とした手前、「放射能とは何か?」を、日本国の君主の見識に委ねざるを得なかった。
君主が「専門家会議」をノックアウトした時に、「その時は来た」と判断したのだ。
東大医学部主席よりも強い君主を待っていた。
アメリカ歴代大統領はオバマまでの「11代」にわたって「広島」を避け続ける理由があったのだ。
なかには「夫が不倫した」と言って大騒ぎし、「自分が不倫した」ことになってしまうような「放射能」も存在する。
矢口真里 不倫

イアン・ハッキングが、「なぜ、放射能と呼ばれる事件の当事者の命が危険にさらされてるのかは、顕微鏡で見えるのかい?」と発言した。
この「イアン・ハッキングの顕微鏡発言」が、日本国に「医学の問題ではなく、目に見えない"放射能"が存在するのではないか?」という誤解を招いた。
いずれにせよ、福島第一原発事故の「見解がまとまらなかった」ために、「世界の原子力エネルギーの3割」がダメージを受けた。
世界が「フクシマ」に同情的だなんて誰も思っていない。
ましてや、東京オリンピックの聖火リレーの「国内の出発点」がフクシマ?と思っている現状がある。
IOCが、「令和天皇の見解が聞きたい」と言って、東京オリンピックを一年延期してしまったのだ。
イアン・ハッキングは「時代の寵児になった人間の人体は、それ以前とどのように変わるのだろう?」という問題意識から「顕微鏡」発言を行っていた。
機動戦士ガンダムも「ニュータイプ」という用語を使い、しかも「ミノフスキー粒子」という概念を考えていた。
ガリレオが、望遠鏡で「月や木星」を見られるようにしていたことから、「ニュータイプの人体の変化が見たい」と医学の側が考えるのも当然ではあった。
ピーター・ギャリソンが、「勘違い人間」「番狂わせ男」などの人体から「ムオン」という原子を発見した時に、日本国の「原子力・核兵器」の議論は「世界についていけなくなった」とされている。
カルバンクラインは、「むしろ人々を勘違いさせるために洋服を作っている」という立論を立てた。
向こうdeギャルソン 河合その子

小柴昌俊は、「ムオン」を「宇宙」と結びつけて「ニュートリノ」と呼んだ。
「放射能」の意味を日本人で唯一正確に理解していると世界的評価を得たのだ。
もはや「ニュータイプ」は宇宙と結びついた。
どの男も女も「芸名」「政治家名」を欲しがった。
どの人体も、まるで子供がピーナツバターを欲するように「ニュートリノ」を欲していたのだ。
ムオントリガー(有名希望)に人間がいつなるのかは明らかではないが、これが全くない人間もいた。
重ねて言っておくが、「放射能」「ニュートリノ」は、核分裂・原発事故・原子爆弾から生じるのではない。
「事件」から生じるのだ。
しかし、研究者たちが「ニュータイプ」「顕微鏡」に研究の関心を向けただけである。

社長になる人がいちばん多い大学=慶応大学・東京大学、みんな「ニュータイプ」であり「ニュートリノ」が人体にある人たちだ。
「ニュータイプ」になるためには「複雑なアルゴリズム」を経験しなければならず、「生まれながらの皇族」「政治家二世」などのように、「簡単に」ニュートリノを人体に発生させると、とにかく「伸びない」「お坊ちゃん」となる。
シャワーを浴びるのが好き、などの「ニュータイプの特徴」のようなものはある。
ミリカンがこの指摘を行ったが、シャア・アズナブルの「シャワーシーン」などは女たちを喜ばせただけだった。
高橋由美子 バスルームでキャッチホン

社長さんとしては「神輿は軽くてバカがいい」と言われるように「ニュータイプ」は重宝された。
しかし、ニュートリノが電子の「3分の1」「3分の2」だとすると、定期的に充電しなければ、病気になるのかもしれない。
「感染するもの」と言えばそれまでだが、東大生はみんな「放射能」であり「ニュータイプ」ではないか?
一方で、幼少期にニュートリノを人体に持ったため「二十歳過ぎたらただの人」という人もいる。
アルゴリズムの複雑性(苦労)がどれほど重要かは指摘しておいていい。
戦後、湯川秀樹はこのことに気がついていたが、大日本帝国陸軍弾薬庫跡地をノーベル賞の威光で買い取り「理化学研究所」というものを作っている。
この「ニュートリノ」の存在を自覚しないと、「何度入退院を繰り返しても、家族として受け入れることのできない言動をする」人間となる。
基本的に、ニュートリノが飛びつくのは「カリウム」であるが、腎臓を悪くする人は多く、しかし、それでも「ラーメンを食べれば治る」ものである。
国民的食事と言われるのがラーメンであろう。
つまり、「ニュートリノが人体にない人などほとんどいない」と言っていい。
メゼルソン・スタール実験というものがあり「いいところも悪いところもワシにそっくりだ」「だから可愛い」という「遺伝」の研究がなされた。
なぜ、遺伝によって「子は親に似るのか?」というところから「ニュートリノを人体に持つためのアルゴリズムまで似てくる」ということを指摘したものだ。
「最も美しい生物学実験」と呼ばれた。
なぜ人々は「ニュートリノ」を欲しがるのだろうか?
それは、「子孫を残したいから」(アトミズム)としか言いようがない。
水樹奈々 真冬の観覧車

しかし、「男が子孫を残して敵が少なくなる」のは事実であるとしても、「女の都合」を無視した「男の願い」は、創価学会の容認するものではない。
「子育てこそが大事」
このように創価学会は考えており、「アトミズム」つまり「芸名」「政治家名」を持つ目的は「子孫を残すため」という発想を戒めている。
一人の「芸名」が100万人に影響を与えることから、芸能人の「個人的な都合」に教団として立脚するわけにはいかなかったのだろう。
反原発・平和主義・核兵器糾弾などの創価学会の教えは「放射能」の議論抜きには語れない。
しかし、皇室に「男の子」が誕生することは「日本国の医学の発展」につながるものであり、「女の子」が誕生することは「哲学の発展」につながるものであった。
ここに「君主制の支持基盤」が存在する。
「医学崇拝」「哲学崇拝」と君主制は結びつき、それは「進歩主義」と呼ばれている。
女たちの取り囲まれる「マテリアルワールド」でしかそれは成り立たず、己の肉体を鍛え上げる「スピリチュアルワールド」においては、なかなか哲学や医学を学ぼうとは思わないだろう。
「人間は罪深い」(リンゴ)、だからこそ月に行けると考えたニュートンこそが「マテリアルワールド」を作り上げたのだ。
マテリアルガール マドンナ

1860年から1885年にかけて「ガス(おなら)が便を形作っていく」という研究がなされ、「便」という謎が解明されようとしていた。
「しないよ?」つまり「便をしない」と主張する女もいて、「ニュータイプ」「ニュートリノ」の研究は奥の深いものとなった。
さらに、「精子を顕微鏡で見る」ことから、自分の精子を見て、それを経験しなければ「女に声援を送る」こともないだろうと考えられた。
石川梨華 好きすぎてバカみたい

スピリチュアルワールドで体を鍛えることは、必ずしもアイドルに声援を送ることにはつながらず、私もボクシングを引退し、法律学の勉強を始めてからマテリアルワールドに入っていった。
さらに、子供ができてから「哲学」「医学」の世界に足を踏み入れている。
体を鍛えることを「フィジカルアトラクション」というが、自分の精子を見て、アイドルの声援を送ることを「ケミカルリアクション」と呼ぶ。
台本を読んだり、共演している女性アイドルに興味がないような男は「両刀遣い」である。
マドンナ フィジカルアトラクション

「精液というものは美しいものよ?」
女性アーティストがこのように発言したら男性ファンは大喜び・大騒ぎになるだろう。
女性ボーカルの「世界観」を聞いて、意味は分からなくても「遺伝子」に「女心」というものは込められることになる。
英語の「女性ボーカル」を聞いても、男は「勃つようになる」とされている。
あとは、声援を送った後、興奮が冷め、精子が充実していくのを感じるしかない。
アリストテレスは「興奮が冷めていくケミカルリアクション」こそが、世代にわたって富や腐敗をもたらすとしている。
この時に「オリーブの種」は捲かれ、薔薇(子宮)は塵に帰っていく。
おニャン子クラブ ステージドア

銅と錫から「ブロンズ」はできるが、放射能の真実を明らかにしたものは、ことごとく銅像(ブロンズ像)となっていった。
コロナウィルス騒動で、社長や専務が「未知のウィルス」論に立ち、必死でメディアに守ってもらっていても、常務会(社長や専務の悪口を言う人気のあるグループ)は容赦なく「食べ物飲み物に毒物が混ざっている」という議論を主張し、社長は「メディア」を盾にとって、必死でその危険性を訴えていた。
最後に、「議論の勝者」をブロンズ像にして終わるのだろう。
ブロンズ像は「17世紀から存在した教会法」なのだ。
「未知のウィルス」論は、現代の日本国が本当の「宗教大国」になろうとしていることを意味する。
我々は決して「人類未体験ゾーン」にいるのではない。
17世紀以来の「クーデターの歴史」にいるだけなのだ。
水の中のアトム(原子・子供)の量は、「金の17倍」であり、金は水よりも17倍「密度が濃い」ものだ。
キンタマから生み出される精液は水の「17倍」の意味を持つ。
そのように「濃縮」するのはケミカルリアクションとしか言いようがない。
miwa faith

19世紀にダルトンが、精液は水の17倍重い、ということを明らかにしていたし、さらに、精子は「他の精子を押しのける力は卵子に向かうエネルギーの10倍」ということも明らかになった。
平成天皇は私に「優秀な種をいただいた」と語ったことがあるが、「フィジカルアトラクション」と「ケミカルリアクション」の二つが揃わなければならないことは知らなかったようだ。
まあ、適当に喧嘩が強くて、芸能界に興味があるという意味ではある。
子供たちは「精液は18リットル出せば出なくなるらしい」と語ったが、歴史上の科学者たちは「なぜ、フィジカルアトラクションとケミカルリアクションは起きるのか?」つまり、精子はなぜ「金」と同じであり、無尽蔵に出るのか?を研究し続けていた。
この「オーガニックケミストリー」が、化学の世界を発展させたのであり、原子=子供という意味も、のちに「放射能の真実」で誤解を招いた。
原子爆弾というものは「二つの端子」を利用して、「ヒルベルト空間に無限に電子を充満させる」ものであり、無限の電子に巻き込まれたらひとたまりもない爆弾であるのは事実である。
しかし、その影響力は「放射能の真実」を知らなければ分からないだろう。
「慣性の法則」というのがあり、一度、「ニュータイプ」「芸能人」「スター」になったら、他の連中とは喧嘩ばかりだ。
そのため、「医学の話以外に共通項はない」とされ、ルーマンは「宗教」=医学としている。
ケプラーなどは「女の取り巻きがいる男には喧嘩は売らない」とし、「宗教」=哲学の方向性を模索したが、アマテラスなのかイエスキリストなのかは見解が分かれるところだ。
一方、生物学は「フィジカルアトラクション」と「ケミカルリアクション」を柱として、常に「神学」=男らしさを追求してきた。
女の多様性は化学の周期表に書いたとおりである。
生物学ブームは1960年代から1990年代まで続いた。

それを踏まえて、細胞生物学、分子生物学、免疫神経学が発達したのだ。
つまりは「孤独な」男(細胞)や、適当に仲間がいる男(分子)、さらには「こういう女は苦手」というカップリングの可能性を探求した免疫などが研究の対象となった。
細胞ほど免疫が問われたし、多くの男たちの支持を得る「女」「アイドル」「芸能人」「ニュータイプ」の存在は、免疫神経学がなければ成り立たないだろう。
ようするに「口説いてみたい女」の研究であるという意味においては「哲学」をともなうものであるが、孤独な男(細胞)がやがて仲間(分子)を作るようになるプロセスの探求でもある。
妥協できることとできないことが「女同士」でも存在し、それはそのまま「化学」へと発展するものである。
まあ、「貧乏男」(H)と「金持ち男」(O)さえあれば、周期表をどのように構成しようと自由度はあった。
瀬能あづさ 永遠に友達

生物学の目的は「抗生物質の開発」にあったため、「こういう女は苦手」というものの存在を理解しなければならず、そのため「女の多様性」の研究はどうしても必要だったのだ。
「苦手な女をなくす」
それだけで「コロナウィルス騒動は終わる」とも言われている。
食生活に必要なのは「炭水化物」「酵素分解機能」「アミノ酸」つまり「ごはんとみそ汁、おしんこ」であるが、酵素分解機能など「女性芸能人の動画さえ見ていればいい」と割り切る男もいる。
つまり、「お母さんの味」というものはまさに「女性芸能人の動画」だったのだ。
いろんな「女の多様性」は存在するが、いちばん「免疫」力がついた女ならば「お母さんに紹介する」必要がある。
ほんだし CM

また、どんなに「苦手な女」がいても、「カルシウム」「牛乳」「午後のミルクティー」さえあればサークルが「落ち着く」ことを理解し、「我々が本当に欲していた抗生物質というのは午後のミルクティーだったのだろうか?」という境地をサークルで抱く必要がある。
定番は「缶コーヒー」であろうが、「コーヒーで下痢をしてしまう人」の存在は理解しなければならず、どのように「カルシウム」でその場を落ち着かせるかは研究が必要だ。
「カルシウム」「抗生物質」の研究は「1940年に始まった」と言われ、「731部隊」などは案外人道的な研究をしていたことになる。
ATP(アデノシン三リン酸)やミトコンドリアの研究まで行って、缶コーヒーというものは作られているので「最新作はほぼ定番」と考えていいだろうが、「コーヒー」がいいのか「午後のミルクティー」がいいのか「ココア」がいいのかを間違えただけで財務大臣のご機嫌を損ねる人もいる。
缶コーヒー BOSS

1978年に、ミッチェルは「生物学の真の意図」を明らかにしたことから、ノーベル化学賞を受賞している。
ラカンが「コーヒーとは挿入を経験することである」としたことから、快楽を感じる人もいるだろうが、偉くなればなるほど「トラウマ」を抱えている人もいる。
「午後3時以降飲んではいけない」という女性もいたし、「そもそも下痢をする」という人もいた。
1958年にメゼルソンとスタールが「どのようにサークルにカルシウムを持ち込むか?」を研究しているが、「下痢をされては困る」のならば「大量のお茶を買い込む」しかない。
「いろんな性のかたち」はあるからね。
それでも、モルガン研究所は「缶コーヒー」にすべての情熱を注いだ。
最後に、食事は「炭水化物」「酵素分解機能」「アミノ酸」が必要であるとするのならば、酵素分解機能は「女性芸能人の動画」であり、アレルギーのある人もいるだろうが、「アミノ酸の問題」として、「おしんこ」=「トラウマ的経験」にすべてを委ねようという方向に向かった。
瀬能あづさ I miss you

つまり、缶コーヒー「ボス」が飲めない上級者が群れの「ボス」とみなす方向を見始めたのだ。
ラインバーガーは1997年に「カルシウムは分かったから、たんぱく質の研究をした方がいい」としている。
つまり「缶コーヒー限界説」が出たのだ。
粉ミルクで育った人は「アイスクリームが食べられない」などのラクトースアレルギーが存在するが、「好きな男性が食べていたから食べられるようになった」などの事例もあり、結局、免疫神経学は「神経」の問題なのだろうとされている。
まあ、ようするに「柿ピー」を男性に食べさせて「ピーナツしか食べない人は育ちが貧しい」「柿の種を好む人は裕福な育ち」などの研究はあるが、21世紀になってからは「食べ物飲み物で人を試すのはやめよう」という空気になった。
育ちがどうであれ、十字を切って食べてしまえばみんな豊かなのだ。
そもそも、食わず嫌い王決定戦から「その人の心を知ろう」と考えたのはワルシャワスクールだった。
それは、芸能界のかなり奥深くをのぞき見する行為だったからだ。
「初めての角度」
それを、何かのスポーツに生かせないかを考えた。
スポーツで済めばいいが、実際はワルシャワスクールは「戦争」という問題と直面していた。
ナチスドイツソビエト連邦の間で「食わず嫌い王決定戦」は行われたのだ。
そもそも「食べ物」というものは「COOH」つまり「女一人に、金持ち男二人、貧乏男一人」のつながりのことを言う。
「卵」「サーモン」「イカ」などが「食わず嫌い王決定戦」に出てくるが、それは「女一人(母親)、金持ち男二人、貧乏男一人」という「物語」に食事を位置づけなければならず、「こういう料理は貧乏くさい」と思ったら食えないものだ。
アナフィラキシーショックを起こしてしまうため、ショックを起こしたら「おしっこをさせる」「深呼吸をさせる」などしないといけない。
「なぜ、食えないのか?」は、食わず嫌い王決定戦で「解説」がなされていると思う。
しかし、要するに「貧乏人だとは思われたくない」から食えないのだ。
渡辺美奈代 カメオのコンパクト

このように考えてみると「早い、安い、うまい」が国を守るという側面はあるのだろう。
オーストリア・ポーランド・イタリア・フランス・オランダでこのようなムーブメントが起きた。
海に囲まれた日本国にはそれなりの食文化はあるが、「早い、安い、うまい」ことを国歌としてセールスにかける基盤は、常に戦争リスクにさらされた国でしか発達しない考え方だった。
しかし、ただで「早い、安い、うまい」という食生活を謳歌することはできない。
「男は女を二人連れてくること」が条件となった(名目経済)。
「女二人に男一人」という名目経済が発展しないと、「松屋の豚メシを食いに男一人で通う」ことになりかねない。
店を経営する側も、ポーランドという国家も「モーツァルトが生まれた国」ということを最大限に利用した。
博物館も、食事を安くすることに貢献している。
女たちにせよ「文化の香り」にせよ、食事の値段を下げる「空気」は「エーテル」と呼ばれている。
「エーテルこそが国を守る」
そのように表現することも可能だ。
モーツァルトは「13の方向から」女たちの視線を感じていたからね。
風のインビテーション

バラク・オバマにせよ、モーツァルトにせよ、「13の方向から女たちの視線にさらされる」存在を「クラスター」と呼んだ。
めったに発生するものではない。
福島第一原発事故と、コロナウィルス騒動が結びつくのもこのあたりの議論であろう。
「放射能」「ニュータイプ」「ニュートリノ」などが、「クラスター」として毒物を盛られるのだ。
「エーテルなど存在しない」と世論は動き始めるだろう。
しかし、エーテルの存在を「早い、安い、うまい」飲食店が守ることで国防につながることは明らかになっている。

また、1791年にカントが純粋理性批判を公表した時に、「近代」は終わりを告げ、「現代社会」となっている。
純粋理性批判は「彼氏が囁く愛の言葉」の絶対を記した本であり、絶対がないから出会いと別れを繰り返す女に対して、学歴婚プレクスのない男であることを前提に、オーストリア、カナダ、中国、フランス、ドイツ、ハンガリー、日本、イラン、イタリア、メキシコ、ニュージーランド、パラグアイ、ポーランド、ポルトガル、ロシア、セネガル、スペイン、スウェーデン、台湾、トルコに広まった。
国際連合がリードする形で、2004年にはこのような「放射能」が拡散を終え、本ブログも純粋理性批判を応用する形で書かせてもらっている。
カントの拡散は、まさに放射能であり、「女たちに囲まれるのが夢」と考える男たちに広まったのだ。
カントが「女の子たちにとっての彼氏」を作ったのであり、彼氏は、カントを知っていればおカネには困らなかった。
女に払うおカネも持っていた。
カントは少年時代は「仲間」を作ることに熱中した(道徳)が、青年期には、「カネと女」がなければ男同士でつるむ理由がないことを知った。
いわば、「中学に上がっておどけが通用しないことを」悟ったのだ。
他の男に「女の口説き文句」を売りつけつしかないと考えたという意味においては「彼氏」の誕生だった。
「彼氏」は、女の口説き文句を取引し、女がからだを委ねた時は女にカネを払った。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

「カントは女の口説き方を他の男に売りつけ、女とセックスするための学問である」
このことを正確に理解した「発信源」は今の日本では私しかいない。
正確に理解した発信源が「二つ以上」あるのであれば、お互いに干渉し合い、「キリスト教国家」となるであろうが、今の日本国は「神道」が有力となっている。
服を着ている女を「mv」(力)とするのならば、服を抜いでいる女は「mv^2」(エネルギー)である。
シカゴコーン(トウモロコシ市場)をコントロールしたければ、「日本人のハードコア映像」を送り付けるしかない。
どこにツイートすればいいのかは経験が必要だ。
もっとも、シカゴコーンのリアルタイムチャートは、正確には伝わってこないので、「インターネットでトウモロコシで儲ける」というのはなかなか実現してはいない。
「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならないから」人は病気になる。
しかし、今の神道に「強烈な敵」などいないではないか?
「ひたすら生きる」エネルギーを利用してカントは拡散していっている。
原罪とは「女性の胸や尻に男が抱く感情」を言うが、罪深さ(リンゴ)は月まで届く、というニュートン物理学に、「新たな理論」を加えたに過ぎないという意味では、カントも「プリンキピアにどのようなメタ理論(新しい理論)を付け足していくか?(構造主義)」の域を出ないが、カントは「絶対」というものを確立したのだ。
地球の「回転」が重力を生み出しているのだとすると、「月」に通信基地を作って「タケコプター」を作ろうというのは中国の「5G」も考えている。
女の口説き文句を他の男に売りつけて、彼女と深い仲になる、あるいは男友達を作るというものは、最終的には「月」を目指し始めたのだ。
月に吠える

スウェーデンボルグの「天国の秘密」という本は、カントの「計画」をファンタジーとして表現したものであり、哲学と宗教の融合を図ったものだ。
哲学といえば集まらない女たちも、「宗教」といえば集まる。
このことから、神を信じる貧乳女を中心に、男女のサークルが生まれ、カントはまさに「皇帝」としての位置付けを与えられた。
カントの「口説き文句」の売買も、スウェーデンボルグがいなければ、マーケットは誕生しなかっただろう。
ダーウィンは、種の起源において「精子と卵子がぶつかる速度が速ければ男の子が生まれ、遅ければ女の子が生まれる」としていた。
ところが、精子と卵子のぶつかる速度は「文化や気温」に影響を受けるため、
「女の子を歓迎する文化」は、「気温を上げる」という具合に解釈されていった。
女の子は勉強が苦手だ。
そこで、「勉強の方が部活よりも優先」「勉強の方が大事」という文化がメディアによって作られると気温が下がり、台風が撃退できる。
インターエデュのような「東大を取り巻くメディア」の存在は台風撃退のために必要になってくる。
「勉強の方が大事」という文化が気温を下げ、「美男美女の方が大事」となると気温が上がる。
これは、「美男子で勉強ができる」男の子こそが「気温を自在に操る日本の君主にふさわしい」ということを意味した。
ナチスドイツは「ダーウィン」を採用したが、イギリスはダーウィンを毛虫のごとく嫌ったのだ。
イギリスは「雨と雪」を憎んでいた。
ヒトラーによる「気象攻撃」が可能になるのではないか?
とにかく「雨と雪が嫌ならば子供が勉強できないじゃないか?」という困難な問題があった。
そのため、オックスフォードへの入学は「入るのは簡単、卒業するのは難しい」という仕組みになり、ニュートンやその友達ですら「卒業するチャンスを伺っていた」という記述がある。
「勉強セレクション」という日本国の受験戦争は、日本国の気温を下げ、台風が撃退できるが、イギリスでは「雨や雪が多くなる」というお国柄があり、歓迎されていない。
勉強ができる男の子には人気があった。
しかし、「大学受験を頂点とする学校知」は日本国の専売特許に等しかった。
偏差値BOY うしろゆびさされ組

ニュートンのように「女の口説き方」を売っておカネを稼ぎ、深い仲になった女にカネを払うという仕組みは、英国王室の「真似」をするのであれば「学校では教えてくれないこと」になってしまう。
気温が下がるのが困る、「雨や雪が困る」というイギリスの病理面であり、日本国においては、ニュートンや、その世界を確固たるものにしたカントを学校で教えても何ら問題はない。
猫舌ごころも恋のうち

種の起源においては、第一章で「男学」が語られ、第二章で「女学」が語られ、第三章において「気象コントロール」「予言」について語られている。
ナチスドイツは「気象」など恐れてはいなかった。
マルサスは「人口が2倍になれば、経済成長は3倍になる」とし、日本国の受験戦争を絶賛していた。
昭和の時代までは日本国は「マルサスの予言」どおりに動いていたのだ。
「平成天皇が目立ちたいから地震を起こす」
阪神淡路大震災でこのことが国民に衝撃を与え、日本国は少子化に向かった。
国の都合で、子供たちが満足に勉強もできない連中は確実にいるのだ。
日本国においては、「学歴社会」は完璧に構築され、イギリスのような「身分制社会」は採用されていない。
日本国で「家柄」「家格」を論じるのは負け犬でしかない、
ダーウィンは、種の起源の第4章で「勉強について」語り、第5章で「美男美女」について語っている。
「貴族」と「学歴社会」が結びつくのが日本国の必然であり、イギリスにおいてのみその「分離」がなされた。
ナチスドイツはもちろん「完璧な学歴社会」を構築した。
身分制社会など「国家社会主義の敵」でしかなかった。

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。
寄付をよろしくお願いいたします。
立憲民主党寄付

2020年4月 7日 (火)

小野臨調第五次答申。

債権法は「友達と恋人の境界線はセックスしたかどうか?にある」
ということを踏まえて、債権総論は「男女の恋愛の生成過程」を探求する学問であり、担保物権法は、「自分の信用力を高めるための女友達が多い」ことにその根拠を求めた。
契約、つまり「二人の結びつき」「愛の世界」は、給付義務(セックス)と付随義務(ピロートーク・食事をともにする)などからなり、他にも「女が恋をする理由は、男に仲間が多い、何かやってくれそう」というところに求め、「情報提供・助言義務」あるいは「契約交渉継続義務」さらには「契約関係継続義務」「安全配慮義務」「損害軽減義務」「再交渉義務」などを定めた。
Melody 運命95

与える債務を「引渡債務」と呼び、私をあげるというものが履行とみなされたり、「行為債務」つまりセックスが債務とみなされたりする。
結果債務とは「女をモノにするために車や家を手に入れること」を言うし、手段債務とは「病気を治せる人は家や車がなくても恋愛対象になる」ことを示す。
非金銭債権には、特定物債権つまり「お付き合いを通じて個性を知っている」ものと、種類債権つまり風俗の女などを指す。
しかし、種類債権にも「チェンジ」が効く代替物債権とそうではない非代替物債権がある。
「処女だと聞いていた」などの制限種類債権などもあり、送り迎えをする「送付債権」などもある。
車の運転には「善管注意義務」が生じる。
女がもし「傷モノ」になってしまったら「債権者主義」を基本とし、男の費用負担となる。
債権の目的とは「神学」「男らしさの条件」であり、適法性・社会的妥当性、さらには可能性、確定性が求められる。
「教師・医師・弁護士」などの金銭で見積もることのできないものも「目的」「男らしさ」とみなされているが、損害保険の世界では「教師・医師・弁護士」などの肩書は通用しないとされる(商法)。
商人の世界には「肩書などない」という割り切りが必要となってくる。
病気の男が「いずれ復活する」と信じて投じた費用を履行利益と呼び、「カッコいい」「結婚してくれるの?」という程度の費用を信頼利益と呼ぶ。
そもそもが「精子が出ない、勃たない」男や、髪が短い、貧乳レズビアンなどを原始的不能と呼ぶ。
言葉を間違えることを「過失」と呼ぶが、契約締結上の過失というものがあり、「男のことをよく知らない」「女のことをよく知らない」から
セックスに失敗することを言う。
松田聖子 マラケッシュ

民間人が影響力を高める方法を「民事訴訟法」というが、影響力の高い人とパートナーになりたいなどという発想にも、ひっそりと暮らしたいというカップルにも「請求権」というものはある。
相場は日経平均株価で示されている。

だいたいこんな感じで、民法の「教科書」を自分なりに理解してもらいたいのだが、「友達と恋人の境界線はセックスしたかどうかである」と言うことを踏まえて、「男にとっての女友達」というのは「担保物権」と呼ばれるありがたい存在であることも知らなければならない。
ribbon 君ならば大丈夫

民間人が影響力を高める方法は「裁判官」(世論)に「9割の確信」を与えることを「証明」と呼び、5.5割の確信を与えること「疎明」と呼ぶ。
写真や録音などがあるだろう。
豊田真由子 ハゲー

 

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