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Foreign Affairs

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2020年3月22日 (日)

統一。

世界においては、男が女を愛する(経済)あるいは、知識がどのように伝わっていくか(社会)、さらには、これらの経済と社会をまとめて「クリエイターによって作品が描かれる」(文化)、また、男が女を口説く(政治)などを、「世界共通の関心事」にすることが可能であるかが問われている。
それはもちろん、私もスタンフォード大学を参考にしているが、それでも、民度・理解力においては日本国民は傑出しており、もはや「東大・京大などには興味がない」という生徒も存在する。
「強烈な敵がいて、それでも生きていかなければならない時に、人は病気になる」
それでも、出産を終えた主婦には「芸名・政治家名」を与えてもさほどトラブルが生じないとか、周囲からの愛され方が変わったとか、周囲からの口説かれ方が変わったとか、いろんなメリットがあって「芸名・政治家名」は取引される。
すべては「男が女を愛する」(経済)あるいは、知識がどのように伝わっていくか(社会)、さらには「クリエイターによる作品の力」(文化)、また「男が女を口説く」(政治)、つまり「経済・社会・文化・政治」の四つをうまく押さえて、たとえ芸能人であったり政治家であったりしてもうまく「作品」をクリエイトする力量がなければ「のれん」も意味をなさないことを理解しなければならない。
女の子が「神」を信じるかどうかは「滑りやすい坂道」と呼ばれる。
「胸の発達」「親の愛情」さらには「女嫌いの男に出会わないこと」「レイプに遭わないこと」などの条件がそろわなければ「サンタクロースを信じなくなる」のである。
CoCo 冬の微粒子

日本国が「世界宗教のメインストリーム」になることは可能であろうか?
WTOやIMF、世界銀行は「もはや政治経済はクリエイターの力量次第」と位置づけ、「芸名・政治家名」の取引に力点を置き始めた。
メキシコやカナダからアメリカ合衆国に移民してきた人は、真っ先に「芸名」を欲しがった。
「男づくりが先、女づくりはあと」という移民政策の基本は「男性芸能人の芸名」を活用する以外になかったし、日本の芸能界も在日朝鮮人に活用されている。
これがいわゆる「ニューNAFTA」と呼ばれる政策である。
日本政府も「ニューNAFTA」に類似した移民政策をとっているため、日本国民の中には「芸能界が在日に乗っ取られた」などと大騒ぎするものもいる。
第二次世界大戦前の「ウェストファリア体制」が戦争を引き起こしたとし、国連やEU、WTO、WHO、ASEANなどが「芸名・政治家名の売買」に目を付けたし、「ポップカルチャーをクリエイトする力量」に自らの生きる場所を世界の人々が見出し始めた。
「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」
松田聖子 赤いスイートピー

この「ニューNAFTA」は、数百万人レベルに影響を与える移民政策・貿易政策であった。
台湾の独立派(日本派)はすでに「ポップカルチャー」の研究を始めているし、その「クリエイト力」は東京の予算によって高められることになった。
イギリスの車・ジャガーは周辺国の富を引き出すことから作られている。
「政治・経済・社会」の真実は、各自の研究に委ねられたし、政治討論番組を見ても一向に「政治力」は身につかなかった。
なにしろ、政治とは「女を口説く力量」のことを言ったし、経済とは「男が女を愛すること」を言ったし、社会とは「知の伝達過程」を言ったからだ。
やれ「パーティー」だの「原発」だの「小沢さんよお」などと言っている人も東大にはいるが、とてもではないが国会議員にはなれない。
政治・経済・社会・文化などの真実を伝えるのは帝国主義段階を主導した国の役割であり、アジア地域では「日本国の責任」である。
中国はかたくなに「日本の方向に台風をカーブさせよう」とし、通貨の信用力を維持しているが、「それだけの国」という側面がある。
どの国の家庭も「家父長制」によって成り立っていたため、日本国からの「情報」だけでなく「おカネ」の裏付けも必要とした。
日本を学べば学ぶほど豊かになる仕組みが求められたのだ。
C-POPの立ち遅れを知っているだろうか?
おカネの裏付けと言っても「ポップカルチャーのクリエイト力」のことを意味する。
クリエイト力は「女子労働者の労働環境」に影響を与える。
フォーエバービューティフル

国際結婚はいかなる国においてもIMFAの管理下に置かれる。
少なくとも二年間は「どのような情報がパートナーに伝わったか」の様子見がなされるのだ。
そこで「政治・経済・文化・社会」の伝達がなされるが、日本国がそれをアジア地域ではリードしていかなければならない。
特に女は「故郷の歌」を外国国家でよく歌うだろう。
その伝達メカニズムをIMFAは見ているし、さらに女子労働者の労働環境の向上にまで目を配っている。
世界の、女子労働者の労働環境を向上させることが目的で、国際結婚はIMFAの管理下に置かれているし、「芸名・政治家名の売買」においてWTOや世界銀行の協力を得ている。

「芸名・政治家名の売買」をやると何が起きるか?
「トピックとテーマが新しくなるだけだよ」
男は賢い方がいい、女は美しい方がいいということを踏まえて、信じる「神」が変わっていき、いじめられ方、そして彼女を「いじめる」方法が変わってくるだけだ。
それでも「神」であり続けたのは池田大作ではなかった。
創価学会には「芸名・政治家名の売買」という発想はなかったのだ。
令和天皇が最初にアメリカ合衆国からそのことを学んだ。
男は賢い方がいい、女は美しい方がいい、と言っても、男の子が必ずしも「勉強」を愛するとは限らない。
どこかで「美男美女がいい」という具合にチベット仏教に軸足を移し、真夏の熱帯夜や台風を引き起こしかねない。
SPEED 熱帯夜

インターエデュのような「メディア」が学校知には必要であるし、東大ブランド・旧帝ブランドがなければ熱帯夜や台風は必ず来る。
「美男美女だけで本当にいいのか?」
日本銀行はそのような方向に走りかけている。
そこで、財務省が「勉強するためにはカネと女の子の匂いが必要」さらに「才能からはカネを取らない」という所得再分配をする役割を果たす必要がある。
ティムールのいたサマルカンドも今は砂漠であるし、チベットもゴビ砂漠がある。
「これが美男美女の残した残骸なのだ」
日銀にはそれなりの「男女の都合」に応じた仕事があるだろうが、財務省にも「勉強の方が大事」と考える儒学(気温を下げる役割)の立場に立ってもらう必要がある。
逆に「気温を下げる側」にまわった財務省が「コツ」さえつかんでくれれば、日本国にはどのような気候がもっともふさわしいのか?が明らかになる。
日本経済は、現在「膨張し続けている」という現状も理解しなければならない。
インド人を見てみればわかる。
美しさだけを求めたアジア人だ。
アメリカは「アポロ計画」で「人間の顔はもっと自由でいい」と訴えかけ、日本国の財務省もこれを支持している。
サクヤ・パンディタも美しい女であったが、チベットには暑さしか残らなかっただろう。
所得再分配機能を学習したのはインドや中国であったし、中国が「チベットで何をしたか?」など、「お上の言うこと」を正確に理解しなければ分からない。
セブンイヤーズインチベット

「美しい少年がいい」というゲルクパトラディションは、砂漠から人々を涼しい地域に追い詰めていったし、所得再分配機能を持った政府を必要とした。
もし、キリスト教が「タントラ教」(セックス崇拝教団)に過ぎなかったのならば、当然、「美男美女」を志向したであろうし、デジタル化時代を迎えて地球温暖化はとどまることを知らなかっただろう。
しかし、カントは「女を口説くのがうまいのがイエスキリスト」としたし、ヘーゲルは「カントを知れば表情が穏やかになる」としたし、ニーチェは「息子がカントを学べば父親の表情も穏やかになる」としている。
インドはタゴールが「キリスト教」から学び、ヒンドゥ教つまり「きれいな息」あたりで男女は妥協するしかないとした。
つまりは、所得再分配機能の重要性に気がついたのだ。
チベット仏教としても「何かに打ち込んでいる男」を僧と呼んだが、デタラメな先生の教えを学んでいる男の顔は決して「美しい」とは考えなかった。
さらに「父親をやっつけろ」(アポハーあるいはポア)と呼んで、「美しさ」はともかく、キリスト教よりも進んだ思想だとは世界は考えてはいなかった。
チベットで「チャイニーズカトリック女すら口説き落とす男」の物語が「シャングリラ」と呼ばれて経典となった。
シャングリラの夏 河合その子

チベット仏教は敗北したのか?
「美男美女ならば世界が受け入れている」
しかし、その「負の側面」がIPCCによって「地球温暖化」として主張された。
さて、我々はもはやWHOの「コロナウィルスのパンデミック」という主張を目の当たりにし、そのいい加減さを痛感したところだ。
そろそろIPCCすら「疑わしい」と見なければならない時期なのだろう。
マスターベーションは「言葉」を感じるのではなく「顔」を感じながら行うものだ。
バックでガンガン突かれたい、と言っても、「うなじ」に美を感じるのはホモセクシャルであるし、「顔・表情」に感じないのはある種の性倒錯であろう。

私有財産というものは「セックス」のことであり、所有というのは「友達」という意味である。
私有財産(セックス)の世界には、たとえば「大恋愛」のようなブラックマーケットもあるし、「彼女のいる男の前に立ちはだかって、返さないと言う」というようなかなりの限界事例を知っておくと、土地を買うことができるようになることなどを意味する。
瀬能あづさ I miss you

私有財産と言っても、独身男女の恋愛論は「デシプリン」と呼ぶし、既婚男女の場合は「なんか食うか?」ということを柱とする「パラダイム」と呼ばれる。
既婚男女の方が恋愛論に詳しいという意味においては、パラダイムの方がデシプリンよりも「格が上」ではあるが、もはや「いい思い出」となるか、今その真っただ中にいるかという違いもあり、デシプリンの方がより切実な問題となる独身男女もいる。
共通私有財産(みんなが理解できる恋愛論)、集合私有財産(みんなの支持を集めることができる恋愛論)、そして私的私有財産(大恋愛などの限界事例)などがあり、たとえば「男の子が、女の子ってセックスを嫌がっているのかな?とエロビデオを見て考えてしまうことがあり、そのことに悩む女の子がいる」などの話は共通私有財産と言ってもいい。
CoCo メロディー

「計画」という用語は共産主義の世界の用語であるが、共通私有財産つまり「みんなが理解できる恋愛論」を掘り下げることによってソビエトは「五か年計画」などを練っていた。
集合私有財産(みんなの支持を集めることができる恋愛論)は、共通私有財産ほど「みんなが理解できる」ものではないが、発想としてはかなり人気があった。
女友達二人が「同じ男を好きになる」というような話である。
大恋愛というような限界事例(私的私有財産)ほど特殊なものではなかったが人気はあった。
三浦理恵子 Jokeにもならない恋

私的私有財産(大恋愛・I miss you)は、処女・高貴さが争点となった西側諸国で語られてきたものである。
「街の景観を損ねるからビルが建てられない」「車は時速百キロを超えてはならない」などは私的私有財産が特殊なものであることから生じるものだ。
かつては共通私有財産(みんなが理解できる恋愛論)を深めた東ヨーロッパやソビエト連邦は勝利の美酒に酔ったこともあった。
アメリカ合衆国憲法修正第五条は「私的私有財産を公のために用いても何ら保障は行わない」「恋愛ゲームに損害賠償などない」ことを明らかにしている。
松田聖子 ピンクのモーツァルト

土地は「私有財産」である。
土地があれば女が出入りすることができ、担保となる。
恋愛論(歌謡曲・J-POP)こそが土地をもたらす。
土地がなければ「男同士の友情」をつなぐ「女」が介入してくれる場所はないため、土地は「所有」(友情)の基盤でもある。
経済学とは「希少資源の有効活用を探求する学問」であるが、資源とは「女」のことを言った。
これを理解しないと、歴史上の哲学者の言っていることが分からないし、経済学の入り口から間違いを犯すことになる。
恋愛論は「夢がぶつかり合って身動きが取れない」ことをも意味したし、特に「王位継承」をめぐっては、身内内部の「いじめ」の存在があり、どの人間も「テレビに出たい、おカネが欲しい」と考えていることを踏まえて、人物相関図を克明に記した(ペテロの葬列)。
いずれにせよ、「男同士の友情」(所有)を取り持つのは私有財産である「土地」であり、そこに出入りする「女」であった。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

セックスは私有財産である。
しかし、セックスしすぎて「勉強」「研究」をおろそかにするのであれば、私有財産には恵まれなくなる。
「ヤクザも歳とったら哀れだね」
とはこのことを言う。
歳をとっても「二人の女が奪い合う」のならばヤクザではなく学者である。
愛が止まらない Wink

「占領」とは「誰もいない領土」に対して行うものである。
そこには少なくとも「女」はいない。
男同士の群れも、「女」がいなければ喧嘩が始まって霧散してしまう。
そのような「戦い」「戦争」を「いい戦いだったね」と語り合って、「領土を買い取る」ことを占領と呼ぶのだ。
従軍慰安婦がいなければ日本軍も戦争はできなかったし、その人数は「20万人」というのが正確なところだろう。
これほどの大規模な軍事オプションだったということは可能だ。
リリーマルレーン 加藤登紀子

コロナウィルス騒動も、現在は「未知のウィルス論」対「食べ物飲み物論」が対立している状態であるが、「善に上限はない」ということを踏まえると、どこかで、「食べ物飲み物論の勝利」と、論壇・フォーラムが確立している愛妻弁当・愛妻手料理のような「きりのない世界」にそのエネルギーを逃がす必要がある。
インスタグラムにコロナウィルス騒動のエネルギーを逃がすことは十分可能であり、そのような仕事を共にした仲間は「おカネ・異性」に恵まれるだろう。
このような争いに「二人の有名女性芸能人を絡ませる」のは「ラブパッション」と呼ばれる基本でもある。
rebecca ラブパッション

男女とともに「仕事をしなければいけない」というのは哲学者が自戒しなければならないことであり、「芸名・政治家名の売買」ができる腕前になったのならば、このような「コロナウィルス騒動の鎮静化」などの仕事をしなければならない。
「食べ物飲み物に毒が混ざっている?」そのような「前法的段階」に世界があったことには驚きの声が強く、誰が「メッセージ」を出すかという問題はまるで「サンフランシスコ講和条約に誰が署名をするか?」という問題に近い。
「自分たちは前法的段階にいた」などと誰が認めるであろうか?
そこには「人などいない」のだ。
空き地を「占領」すればいいだけだ。
中国・韓国・日本の領土的野心ともかかわる問題がコロナウィスル騒動であり、「ひとりの女」に権力を集中させると「クレジットクライシス」が起きるため、必ず「女二人」を出さなければならない。

女は「一人上手」の時に「男になりすましている」、しかも、彼女は「絶対」であったし、彼は何でもわがままを聞いてくれる「大人」だった。
出会いと別れを繰り返すのは「絶対」がないからであり、人生に迷いのない「口説き文句の確立」(絶対)があれば、一人上手に用いることができたため、別れることもなかった。
さらには、一人上手の時だけは「何でもわがままを聞いてくれる大人」だった。
人生に迷いのない男(絶対)を想像の世界で「何でもわがままを聞いてくれる大人」にしてしまい、しかも、その男に「なりすます」ことが一人上手の基本である。
ribbon さよなら

トーニャ(女性)は「一人上手」がしたい。
アーヴィング(男性)は、トーニャの胸に「精子をぶっかけたい」と思っている。
一人上手の「罪悪感」から、トーニャはやがてアーヴィングとセックスするようになる。
すべては「女が男になりきる」しかも「口説き文句にブレがない」(絶対)さらには、一人上手の時はどんな想像をしてもよかったけど、罪悪感がともない、「彼に胸に精子をぶっかけられた方がいいのかな?」と考え始める必要がある。
まず、「男」が気持ちいいこと、さらには「女友達には言えない一人上手をやった」こと、さらには、「絶対」には「感情的ブラックメール」が込められていることが必要だ。
感情的ブラックメールもたとえば、愛妻弁当・愛妻手料理をインスタグラムに乗せるなどの「真理」から導かれた行動をもたらさなければならない。
論文を読んで、真理へと人々を誘導することが「治める」ということであるのならば、「テーマ選び」以外に、その時々に人々を一定の方向に誘導する選択肢はない。
女たちは「気持ちいい一人上手」と、「うまくいく国家運営」を楽しむだけだったのだ。
女のパートナーの彼氏は「自分の快感の都合」があったため、国家統治の都合との両方をセックスに持ち込むことになった。
ジュディオング 魅せられて

人々を誘導するためにはあくまでも「学問」(絶対)にしたがわなければならないし、女たちの同調行動もそのことから起きるものと考えなければならない。
国民が誤った方向に走り始めた時には必ずこのことを指導者は行わなければならないのだ。
この政治手法は「インフォームドコンセント」と呼ばれ、年に何度もあるものではない。
国民統合の象徴たるゆえんは「有事」にあり、「平和の人」には君主は務まらないのだ。
「コロナウィルス騒動をしのいだ」という成功(性交)体験だけが、歴史的公文書に記されるだろう。
しかし、このような「誘導」は指導者の孤立感を高めるという側面も指摘され、私も、専門家会議すら相手にせずに「真理」を語ったところ、腰痛が悪化してしまった。
しかし、この「孤立感」を耐えた後には多くの仲間に恵まれるだろう。
このような「国民向けメッセージ」を送るためには必ず自分の「顔」「名前」を明らかにし、誘導がうまくいったときに有名になるというサブリミナル広告と呼ばれる手法を取らなければならない。
デジタル化時代に、オンエアされえている顔と実物が「まるで別人」というのではなかなか指導者は務まらない。
また、「正論だけど面白くない」というリアクションを引き起こしたり、専門家に敵を作ったりすることも覚悟しなければならないだろう。
サブリミナル広告の研究は1980年代に始まったものであり、今回の世界規模でのコロナウィルス騒動は、「日本が先進国」という扱いを受けることになるだろう。
CoCoのプロデューサーで私の友人のお母さんがいるのだが、「だからあなたも生き抜いて」という本を書いている。
本職は弁護士だと思われるが、私の母には「カラーコーディネーター」と名乗っていたようだ。
その、「信子さん」が、「人間の完全性とは何か?」と探求し、無秩序な状態(レゾンデートル)の世界に「神(天皇)の見えざる手」を作ろうと計画したのだ。
CoCoは1994年に解散しているが、「信子さん」の人生はその後、エネルギーを私のために費やすようになっている。
「人間の完全性とは何か?」「神(天皇)の見えざる手を日本国にもたらす」
それが今回、レゾンデートルな状態ではトイレットペーパーの買い占めや学校の休校、大相撲の無観客での開催などをもたらしたコロナウィルス騒動で「デビュー」を果たしたのだ。
夏空のドリーマー CoCo

マンスフィールドが、アイドル冬の時代をもたらし、さらにその残骸をも「1996年に潰し切った」状態になったが、「信子さん」にとっては「CoCoよりも魅力的なコンテンツ」が、私・小野光太郎となっており、私も決して「一人で強くなった」とは思ってはいない。
本来、「信子さん」は、日本国の財政危機を見越して「神(天皇)の見えざる手」を機能させようと考えていたようであるが、日本国の大規模財政(安倍政権)と、天皇(神)が共存するという状態になり、日本経済は「膨張を続けている」のである。
もちろん、弁護士でありCoCoのプロデューサーでもあり、作家でもある「信子さん」が私にエネルギーを注いだのは「CoCoを愛してくれたから」という側面もあったが、私の祖父・昭和天皇の存在や、私が東大文一に合格したなどの「最低限のライン」をクリアーしていたことにもあった。
また、「少年時代の美しさ」などを見ていたようだ。
ロシア革命は1905年の2月(フェブラリー)に起きているが、かつてトミーフェブラリーは「付き合うのならお金持ちの方がいいし」と発言している。
トミーフェブラリー I still love you boy

そもそも、信子さんの娘の瀬能あづささんの家庭教師を私は高校時代に行っていたのだが、あづささんとは付き合うことはなく、その後、東大法学部に進んだ。
23歳の時に、信子さんとあづささんが、孫娘を連れて家に遊びに来たが、23歳の私は、学問でやつれ果てていた。
面接は「合格」だった。
弁護士として、科学者・実業家・哲学者・労働者などを見てきたが、「人間の完全性とは何か?」を探求した信子さんは「こいつがストライキを起こせば国が止まる」という仕組みを構築することにあった。
「小さな目的は手段に過ぎない」
東大文一にそのような扱いを与えていた私のハートだけを見に来ていたようだ。
深津絵里も羽田恵里香も、私の家のインターホンを押してきたが、私の母が追い払ってしまった。
もっとも、「信子さん」が団藤重光や大塚仁を読んで育ったことから、私には「私生児・スメルジャコフ」というイメージ以外には「将来のことは想定できない」という感じだったらしいが、まあ、昔は「大人」の側も若かったのだ。
しかし、このスメルジャコフを「いかに男社会で長い期間生かすか?」だけは考えていたようだ。
サンミュージックにせよ尾木プロダクションにせよ「小野光太郎を皇族に」ということを悲願とするようになっていた。
酒井法子 風のアンダンテ

「おカネ」とは「仲間が多い」ということと深く関わる概念である。
人々の心をつかむのがうまいという力量はそのまま富と関わる。
そこで「美男美女」というものを巧みに用い、芸能界が日本国を作っているということを理解しなければならなかった。
政治とは「女心の定義」であるとしたのは私であったし、2013年の「垂加神道」の登場までは「女心は秘密」とされていた。
「政治が日本国にもたらされた」
それからまだ十年たっていない現状も理解しなければならない。
女の子が思春期におちんちんがないことに気がついて鬱になる(キャストレーション・去勢)ことから、美の探求・母の実践・体のフィットネスに目覚めることや、言葉の感覚が鈍ることが明らかになったのも「2013年以降」の話だった。
それから私の活動は始まり、コロナウィルス騒動で「国民の信頼」を勝ち取ることになった。
「ドクターのライセンスは持っているのですか?」
法学部出身の私にそのように問いかける看護師もいた。
「キャストレーション・去勢」がなければ、女の子は「クラスメートの男子」に助けを求めることもなかった。
うしろゆびさされ組 さよなら失恋ピエロくん

調べ物をする習慣のある人は、「目や耳が鋭くなり、指先が敏感になる」とされる。
また「音読をする習慣」は口の体温を上げ、シンバルのような耳鳴りがすることがある。
「楽器を聴く」「耳に心地いい音楽を聴く」ことの重要性は指摘していい。
境界線とおカネの関係について述べたい。
境界の「向こう側」におカネを流す場合、「どのような友達がいるのか?」「誰がリーダーなのか?」「どのような性的関係が存在するのか?」をよく理解しなければならない。
さらに、「誰が教祖なのか?」もよく理解しなければならない。
また、境界線をなくしていく方向を目指すのか?それとも境界線を維持しながらおカネを流しても「こちらの影響力が増していく」ことは理解しなければならない。
さらに、男から女に「おカネ」を流す場合は「どのような男女の関係を継続していくつもりなのか?」を明確にしなければならない。
地球の表面には「おカネ」「信用」で区別された領土が存在し、「男らしさを語り合う論壇」も異なります。
時には戦争状態になることもある領土同士でおカネを送り合っている。
「人間同士の快楽」におカネというものは影響を与えるのだ。
ときには「影響力など迷惑以外の何物でもない」と考える国境線もある。
「汗水たらして働く男」がどの境界線にも存在する。
それでも、「境界線を維持しながら影響力を持つ」のならば「連邦制」となる。
エリザベス女王はこのようにしてイギリス連邦を構築した。
「お金持ちの男ならば女同士が奪い合う」ことも当然の前提としなければならない。
そもそも、「おカネとは芸能界からくるものである」ということは理解する必要があり、それで芸名や政治家名を買うのならば、それは「世代の壁」を越える才能が必要になる。
つまり、「おじさん」以外にそのような「技」を持っている人はない。
国同士で送金し合うのは「海がなければ戦争が起きるだけ」と言われた。
なぜ、太平洋戦争は起きたのだろうか?
アメリカ合衆国と日本国は「おカネを送り合う関係」になかったことから、映画「ショーシャンクの空に」で「記憶のない海」と呼ばれた。
私のような東大法学部の人間は「勉強した証を認めてほしかった」程度の認識で送金してしまうのだ。
平成天皇の「慰霊の旅」もそのような趣旨のものである。
また、このような国際社会の「おカネの都合」から、日本国とて常に戦争の危険を抱えており、英語の看板が並んだり、「昔のこの写真はどこから撮ったものかわからない」というほど、街並みは常に変わり続けている。
技ありっ うしろゆびさされ組

そもそも、財務省にせよ日本銀行にせよ「偏差値エリート」がその役割を担っている。
そこで、彼女がいたり(占有)、友人がいたりする(所有)。
占有は「愛情」「ロマンティックラブ」に支えられたものであるし、所有はおカネの裏付けや女友達が介在したものだ。
この「占有と所有」の世界に、過剰におカネを流しすぎるのも好ましくないし、しかし、「そもそも貧しい」のもいいことではない。
特定の「所有と占有」を持ったものが「アメリカに詳しい」「芸能界に詳しい」だけで、彼の境遇は財務省や日本銀行から「祝福」される。
「強欲さ」をうまく回避しながら、この「祝福」は行われる。
自分の、「占有と所有」(権威)への祝福が足りないと思ったら、男は自分の土地を売ってまで他の男女におカネを送るだろう。
コロナウィルス騒動においては、私の「ライバル不在」が私の土地を増やしたし、私は妻や子供たち、友人たちへの「祝福」を財務省や日本銀行に求めた。
そもそも「境界線」と言っても「セックスする関係」がそれをおのずと決めている。
モロッコは19世紀に「フランスからの送金」で存続することにし、フランスの植民地になっている。
「植民地という表現は良くないね」
愛国主義や、自分の「占有と所有」の世界への愛着が「送金への反発」を招くこともあった。
歴史があって、人物像が見えるのが「占有と所有」の世界だった。
「いつ、誰が、何を、どのように」取るか?がアメリカの戦争論であるが、業績があるのならば自分のものだという意思表示をしなければ自分の「土地」にはならない。
「土地」(業績)に人気があればあるほど、送金機能は高まる。
業績(土地)が「哲学的な真理である」となると、それはもはやみんなの共有財産である。
また、植民地の側も「民族自決」を求めるようになる。
「未知のウィルス」のようなものに怯えているうちはなかなか民族自決とは言い切れない部分があり、宗主国のお世話にならなければならない。
また、宗主国となった側も、植民地からの「移民」の受け入れを覚悟しなければならないだろう。
映画「憎しみ」

「芸名」「政治家名」は取引されうる。
政治家は「女を口説くのがうまい」から政治家なのであり、それ以外の所得再分配などの答弁は官僚に委ねている。
一方、芸能界には「処女」がいる。
「芸能人女性の処女非処女論争」は避けては通れないものだ。
実物は「子供がいるサラリーマンの妻」などであることが多いが、デジタル化された映像に映る「女」は処女であるとされている。
俳優の「男らしさ」と女優の「処女性」がなければ芸能界は成立しない。
「男らしさ」というと「政治家」になってしまうし、「処女性」というと女優になってしまう。
そのため「俳優」は芸能人生命を伸ばすためには「政治家名」を持たなければならなくなる。
「女を口説く」
これが政治家の仕事なのだ。
おニャン子クラブ 愛の倫理社会

男性俳優は政治家名を持った方がいいし、女優は「男とセックスできない体」である方が向いている。
在日朝鮮人は国会議員にはなれないが、「帰化」するうえでもはや「動機、理由」などは法務省は聞かないことにしている。
女優は、「男とセックスできない体」つまり、実物は髪が短かったり、貧乳であったりする。
人々の記憶に残るのは「政治家」として、そして人々に愛されるのは「芸能人」としてという具合に使い分けた方がいいのだ。
お料理をしたり、プライベートを公表したり、ヨットに乗ったり、医学を語ったりするのは「芸名」の方がいいし、公共事業を行ったり、天文学や宇宙開発をやったり、おカネを稼ぐのは「政治家名」の方がいい。
芸能人女性は「純潔を想像の世界で破壊される」ということをセールスにかける。
「悪いことをするのならば相手にしないわよ?」というメッセージにもなる。
何度も言うが、政治家は「女を口説くのが仕事」であり、「口説き文句」を本にしなければならない。
また、「処女」を用いることをためらってはならない。
乃木坂46 I see

「無」からはなにももたらされない。
「男」がいれば「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」という形而上学が成立する。
男は「アダム」でない限り、自分以外にも「女好き」な男がほかにいることを意味する。
日本政府という「男集団」に人気がなくなれば円が安くなり、人々は変化にそなえ、円高の時に作った仲間同士でつるむしかなくなる。
「変化」って何が変化するのだろう?
近所の空き地に「家」が建つ程度(隣の塀に囲いができる)しか変化らしい変化はない。
政権が交代すれば町並みは確実に変わる。
「水」と「空気」の変化だけで近所に家が建ち、街並みが変わるのだ。
コロナウィルス騒動で街の「空気」「水」は明らかに変わった。
それでも、大した混乱がなければ「経済効果」しか見られないだろう。
「空気」「水」を操作することの意味を統治者は知らなければならない。
円は相変わらず高い。政府に人気がある。
今の日本国民は「仲間づくり」を楽しみ、「空気の変化」という経済効果の恩恵にあずかっている。
つまり「日本経済は膨張をし続けている」のである。
哲学者(フィロソファー・実物)であるソクラテスは、政治家(ステーツマン)としては「カリラス」と呼ばれていた。
エッチな実物も、カリラスと呼ばれるときだけは周囲は「紳士である」と考えていた。
さらには、芸名(ソフィスト)というものが考えられてからは、「恋多き男」「恋多き女」の可能性が提示された。
芸名(ソフィスト)が生まれ、「大恋愛の可能性」が深まってから、実物・哲学者はかなり大人しくなり(ストア派)、ソフィストに夢を託すようになっている。
政治家は紳士である。芸能人に色恋沙汰は尽きない。
それでいて実物はそれなりにハッピーに生きている。
実物がハッピーでないから「政治家名」「芸名」を持っているということも当然考えなければならない。
酒井法子 モンタージュ

芸名・政治家名に関しては、パフォーマンスをする側、守る側、さらには「そういう人じゃないのに!」と語る事情通、所属事務所や教団、下半身事情、さらにはそれに対する「許し」によって成り立っている。
しかし、すべての芸能人・政治家に言えることは「みんな忍耐強い」ということであろう。
「ノーと言える」
これが芸能人・政治家に共通してみられる「性格」ではないだろうか?
認める・譲歩する才能に恵まれ、その後、「ノーと言える」才能がなければなかなか芸能人や政治家は務まらない。
特に「恩人」に「ノーと言える」才能が必要となる。
認め・譲歩し、ノーと言う、これがなければ生活はたちまち破綻するだろう。
瀬能あづさ ノーと言えない

しかし、「ノーと言われる」男であっても、やがて「神を守ろう」というムーブメントに変わっていくのだ。
日本国はこのような「神学」をおそらく池田大作で学んだかもしれない。
さらには「天文学」が存在し、やがてそれは物理学・建築学に発展し、20世紀末には「終末論」も経験した。
現在は、コロナウィルスという「第二の終末論」を経験しているが、それも「主婦ならば楽に見ていられる」ものとなった。
どんな教団も「終末論」とは必ず向き合わなければならず、釈迦が入滅してから時間がたちすぎたなどという末法思想もかつて日本にはあった。
「令和の時代にタイムマシーンができるんだってね?」
このことの重要性を忘れてはいないだろうか。
「死の概念が混乱してくる」
このようなことは人類が今まで全く想定していないことだったのだ。
「知らない国でたくさん人が死んでも」
我々日本人には考えられない死生観がすでに世界には存在する。
酒井法子 今夜もニュースホリック

自分で取材して研究するのならば国の費用が必要だ。
しかし、そんな学問が日本国に存在するのならば、とっくにみんな知っているはずだ。
若い頃に、どんなふうに若さを無駄にし、どんなふうに芸能界を見ていたかが重要だ。
プリンセスエリザベスとの出会いや、さらには子孫を残すことも必要だった。
動物のように生きた弟の存在や、ちんちんは一つということから「病気から自由であること」も必要だ。
人間が「タイムマシーン」を手にしたら、イスラム諸国(日本人の子孫)は、「学問に興味を失った」のである。
令和天皇をいじめた「菩薩」を憎み、「動物」であることを憎むのがイスラム教であるが、アラーがどのように「偉大」だったのかは死をもって示す以外にない。
河合その子 ジョバンニの囁き

イスラム教が理解できなくても気にする必要はない。
「令和日本の到来」を予言しただけだから。
あとは我々は「知らない世界」を求めて生きていこうではないか。

サルトルの妻・ボーボワールは「セカンドセックス」(第二の性としての女)という著書で、「女心に詳しいのならばもっと傲慢に振舞ってもいいのよ?」とサルトルに語った。
女たちは、このような「世界の広さ」を「オーラがある」と語り合っていた。
それにしても学問に打ち込む人間の謙虚さを見よ。
まるで、自分の「オーラ」を知らないようだ。
それは、「その道」の険しさを知っているのならば謙虚にもなるだろうが、「女心」に詳しい、「医学」に詳しいとなると、ボーボワールとしては「もっと傲慢に振舞っていいのよ?」と言いたくもなったのだろう。
多くの哲学者にそのことを教えたのはボーボワールであり、哲学者たちは「ボーボワールの意見を聞いてもっと研究しようと思った」などと語り合った。
なぜ、アイツ、こんなことを言っても怒らないのかな?
周囲の女たちは、その哲学者の「世界の広さ」に憧れていた。
一方、哲学者たちは、自分が一度傲慢になったら、周囲が慌てふためいて縮こまってしまうことを悲しんだ。
ボーボワールは、ニーチェのような「真理を確立した哲学者」ではなかったが、「権力者の孤独」を探求した女性として歴史に名を残した。
セカンドラブとは「お父さん以外の男性に初めて裸を見せる」ことを意味したし、「あなたの隣に当たり前のようにいる」ことをも意味した。
権力者の孤独を、その生い立ちから見て、その存在を支えるカトリック女がいたのだ。
暴力から避けるように「自由」を求めたら自然とあなたの隣にいた。
一言いいたかった。「もっと傲慢に振舞ってもいいのよ?」
中森明菜 セカンドラブ

 

フランシスコ・ザビエルという名前が、「日本にキリスト教をもたらした人物」として知られているが、ザビエルは、ボーボワールの「セカンドセックス」を明治時代に日本に伝えた人物だ。
「女心に詳しいもの、医学に詳しいものはもっと傲慢になれ」
これはそのまま「政治家」の世界に浸透している。
その道の険しさを知っている者、世界の広さを知っている者は非常に謙虚だ。
その世界には「合格」などもなく、だんだん老いていく自分だけが存在した。
そんな哲学者に「もっと傲慢に振舞ってもいいのよ?」と語ったのだ。
ボーボワールは「明日また研究に打ち込めば謙虚になるしかないでしょう」ということを知ったうえでこのように語ったのだ。
「哲学者」
その仕事は自分を極限までに追い込むものだ。
そのような哲学者たちにボーボワールという女性作家の言葉が徐々に浸透していった。
ナチスがパリを占領した時に、ボーボワールは「傲慢な男たち」を目の当たりにした。
哲学者を励ますつもりで語っていたはずの「傲慢さ」が、哲学を知らない者たちによって実践されていたのだ。
そこで、ボーボワールは「よく分からない人になれ」と哲学者に「問いかけ」を変えてしまった。
「謙虚でありながら偉い」
そのことを「オーラ」と呼んだのだ。
「あなたには分からないでしょうけど、どの女もあなたに恋をしているのよ?」
ドストエフスキーは「一つの罪も、300の善行によって救われる」としたが、善行によっては多くの女たちは「恋」をしなかった。
善行ではないのだ。
謙虚に学ぶことだったのだ。
女の子が思春期に「おちんちん」がないことを悟り、統合失調症類似の症状を起こすだろう。
それを青年期に経験する男。
あるいは、女が「つらい夜」があるとするのならば、それを青年期に経験する男。
ここに、「メシア」という概念が存在する。
瀬能あづさ 永遠に友達

女の子の人生と、男の人生が重なることを「必要十分条件」と呼んだ。
卑屈な「メシア」に、「異なる眼差し」を女の子たちが向けていることにいつ気がつくのだろう?
女の子向けに作った音楽作品を男が愛せる、これが「必要十分条件」を満たしたメシアであった。
それは才能とも呼ばれた。
女の子は思春期に夜中に大声で歌ったこともあった。
つらい夜もあった。
なぜ、「男が?」
そのような思いがあった。
教祖誕生である。
瀬能あづさ クリスタルアイズ

なぜ、「哲学者」の思い通りに世界が動いた瞬間があったのだろうか?
それはあなたが「よく分からない人」だったからよ?
どの女もあなたに「恋」をしていたから、女たちが職場で仕事を競い合っただけ。
マルクスの「プロレタリア革命」の意味を哲学者が語った時に、女たちは「とうとうやったか」と熱狂の渦に巻き込まれた。
ボーボワールは「セードを燃やせ」と言って、卑屈な男が自信を取り戻すのを待った。
「朝から晩まで勉強しているのよ?」
必要なのは「自信」だけだった。
ボーボワールは「女の子の発展段階」にまでさかのぼって「メシア信仰」というものを哲学の世界にもたらした。
「女の子たちにとって”教祖”ってどんな存在だと思う?」
そのような問いかけを行った。
後藤真希 愛ってどんな×××

ハプスブルク家は、オットー・ノイラーが中心となって、「父親として本を出版する・原稿を書く」ことから始まり、「お父さんが書いた本」を娘たちが共有することから作られたサークルだった。
娘たちに近づいてくる男たちも、「お父さんの本」に詳しくなければならず、おのずと「高等官」のたまり場となっていた。
私の祖父である昭和天皇が「源氏物語」を書いていたが、娘たちは各自名門に嫁いでいる。
私の「叔母」たちである。
昭和天皇の四女~高橋朋子の画集

高橋朋子とは、芸名を「加茂さくら」と言い、夫の高橋正男は政治家名を「橋本龍太郎」と呼ぶ。
他にも、杉原杏子は、ペンネームを「林芙美子」と呼ぶ。
林芙美子の娘は長女を「酒井法子」と呼び、次女を「松野有里己」と呼ぶ。
昭和天皇の長女の佐紀子は「上皇后美智子」であるし、長男慎一郎は「三笠宮寛仁」と呼ばれた。
このような「芸名」「政治家名」はさておいて、高橋朋子の「作品」を楽しんでいただきたい。
昭和天皇は「小泉八雲」(ハーン)からこのような「閨閥」の作り方を教わったようだ。
昭和天皇の家の向かいには上野重治という人がいて「平山郁夫」というペンネームを持っていた。
画家・上野重治

1929年に昭和天皇(小野鐡之助)は、「源氏物語のセールスと政権の維持」の関係に気がつき始めていた。
ベルリンソサエティと名乗るサークルで源氏物語の読書会を行ったが、現在では東京女子大学が「丸山正男研究会」を開いている。
丸山正男というのは昭和天皇のペンネームである。
源氏物語というのは、女たちの「恋の悩み」を表現したものであり、「胸の大小」「髪の長い短い」「源氏の君は、女がセックスを嫌がっていると思っているのかな?という女の子の悩み」をテーマとしたものである。
CoCo メロディー

それでいながら、将来、「天皇」となる源氏の君への「告白」を「敵の出方論」に頼り、さらには男社会における「いじめ」を問題にしたものだ。
江戸時代の平田篤胤以来、女の子にそのような人気のあった「源氏の君」はいたが、本居宣長が「源氏物語」とその一連の物語を呼び、私のブログもその流れる沿うものである。
高井麻巳子 こわれかけたピアノ

あとは、女たちの「個性」をよく見ることだろう。
キリスト教の正統は、アタナシウス派であり「女はみな同じ」「ニャンニャン」ということになっているが、それはあくまでも宗教であり、化学の世界は「女の多様性」の探求を行っている。
適当に読んでおいたら「高等官」にはなれるだろう。
かくも冷血で、嘘つきな怪物(女)にこれほどの関心を寄せるのも「才能」だからである。
カルナップは、ハーバードに「これが学問なんだよ」ということを伝えている。
「今、見えている風景がすべてではない」と考えるのならば、その活路を突破するためには「女たち」を見なければならない。
1962年に、クーンが「科学ってのはそういうものだ」とし、「女たちが男の序列を決める」として以降、ハーバードにおいてもスタンフォードにおいても、そのようなことが教えられた。
化学の周期表の見方~女の多様性について

「僕には、おカネも、地位も、名誉もありませんが、夢だけはあります」
これを、ゲーデルは「不完全性定理」(不完全男)と呼び、その魅力を探求した。
見るべき点は「どのような学習システムを採用しているか?」であり、それが「本ブログ」であれば、夢はかなうだろう。
毎日職場に向かうこと、そして、続けること、それ以外には読書以外にない。
ゲーデルは「読書のあとに、女の子たちと話す」ことの必要性を「不完全性定理」(不完全男)に見出したのであり、どの高級官僚(高等官)も不完全男である。
誰もがキャリアの最初は「搾取」から始まる。
それを経験したくないものは「高貴な女性」「アイドル」との結婚を志向するようになる。
ツェルメロフランケナセット理論である。
そのために、「何を学ぶべきか?」がこのセット理論なのだ。
「高貴な女性」「アイドル」と結婚したい、そのためにはツェルメロフランケナセット理論を学ぶ必要がある。
どの男女も、「下半身事情」を暴露されて邪魔されるだろう。
この「下半身事情」が、第一の「不完全性定理」(不完全男)と呼ばれるものだ。
さらに、「結婚した後にだんだん生活が楽になっていく」というのが、第二の不完全性定理(不完全男)と呼ばれている。
チャーチチューリングとも言われ、「下半身事情」を教会に、おカネを払うことで贖わなければならないのだ。
二人の間の障害物は「教会」が純粋なものとしてくれるのだ。
高橋由美子 ETUDE

ヒルベルトは、女の胸の曲線はすべての罪を洗い流すとし、カントやデカルトが「自我」と呼んでいた「女の胸」をヒルベルト空間と呼んだ。
「嘘をつくことを覚えたら胸が大きくなる」
幼児体系だったアイドルも、「なるほど、発育途上だった」
中年以降の有識者以外そのことは見通せないだろう。
誰もが「パワフルチャーチ」を運営できるほどストイックではないのだ。
適当に遊んで、適当に「教会」の言うことを聞いて、適当に偉くなっていくものなのだ。
日本で初めての「神前結婚」は大正天皇によって行われている。
日本国内の「神聖な土地」はすべて神社仏閣によって所有され、「国民の罪深きセックス」を資金力にそれはなされたのだ。
羽田恵里香 夢からさめないで

特に「神道」は、女性の魅力を言論によってコントロールすることができる宗教であり、「いくら払えばいいの?」という「相場」まで日経平均株価で示している。
東京証券取引所を「神道形式で」運営できるようになったのは、神社・神道の大勝利であった。
平安神宮カレンダーでは必ずしも財界は動いていない。
バカげた「オルグ」「折伏」など行わない。
人々の「罪深いセックス」さえあれば、日本全土の「神聖な土地」を維持できるのだ。
これが、大正天皇=アインシュタイン=野口英世=和辻哲郎=小野達郎の力だった。
「アインシュタイン崇拝が日本国の神社を支えている」とも言える。
核開発を行ったのはアインシュタインであるが、日本国の核武装は、それらの理論資源を絶たれることになるため、必ずしも国益にはつながらない。
日本国の核武装は、令和天皇が「歴史上の哲学者との対話」をやめてしまうことを意味する。
高級官僚(高等官)の指南書もなくなる。
北朝鮮が核クラブに入ることは、そのため「ありえない」こととなっている。
高橋由美子 おみくじ

女とセックスしたいのならば大学ぐらい出た方がいいんじゃないか?
それは日本国が核武装していないからである。
高級官僚(高等官)の指南書も整備されている。
日本国がどれほど第二次世界大戦で「核兵器」を必要としたであろうか?
どれほど「アインシュタイン」の媚を売ったであろうか?
「古いお城」「神社仏閣」
しかし、今は「核兵器は欲しくない」のである。
令和天皇が「歴史上の哲学者との対話」を始めたからである。
エレファントカシマシ 東京ジェラシー

いずれにせよ、「罪深いセックス」と、それにともなう「純粋化」を宗教施設に求めたのはアリストテレスであったし、そのことを熟知していたのが大正天皇である。
菅直人は浮気した時に、妻に「お前は破滅した!」と罵倒されたが、「宗教施設の意味」を熟知していた妻のおかげで「お遍路」を行っている。
しかも、それをメディアに密着させ、メディアに「カネを払わせている」のである。
このことは「京都銀行」に伝わり、のちに首相になっている。
修道僧は「うやうやしくおカネを受け取るのが仕事」とも言われる。
「不倫二股」
報じれば報じるほど、政治力が高まる仕組みはすでに構築されており、それは「世の中を知っているかどうか?」にのちの人生はかかっている。
「浮気をしない男などいないのよ?」
みんな達観したかのようだ。
女たちの政治意識の高いものは「繰り返す単調なリズム」を菅直人と楽しんでいた。
「仏教は左翼のもの、神社は右翼のもの」「仏教は上皇のもの、神社は天皇のもの」
男も女も同じ数だけいるのよ?
左翼政権の誕生は目前だった。
菅直人 お遍路

ここで、神社には「デシプリン」(独身男女の恋愛論)を、仏閣には「パラダイム」(既婚男女の恋愛論)を当てはめるのは当然の成り行きである。
子孫を残すために人間は争い、思春期から、青年期を過ごす。
しかし、最後には「なんか食うか?」というパラダイムの境地になって「骨」が残されてきた歴史がある。
独身男女には彼らなりの「難しさ」があるし、既婚男女には「なんか食うか?」「なぜ勃たないの?」「浮気した」などの「難しさ」がある。
「夫が子供に興味を持ってくれるのかな?」「家庭に縛られるのかな?」「五分だけ待って」
これが、デシプリンからパラダイムへ(プロポーズ)という「パラダイムシフト」と呼ばれる問題である。
チェルシーホテルのコーヒーハウス

「浮気をしない男はいない」(銀座の母)、それならば「浮気」を自らのアイデンティティにできるのではないか?
「オバマは男だ」
簡単にそのようにキャッチフレーズにして、みんな「真実」に関しては沈黙していた。
アメリカの民主党政権はそのまま「不況の時の政党・雇用対策を得意とする政党」となっている。
「恋愛と結婚は違うスポーツ」といってデシプリンとパラダイムを明確に区別する女もいた。
実績のない指導者ならばなかなか「婚外セックス」には寛大にはなれないだろう。
まあ、左翼には「美しい女」がたくさんいたから成り立つ話なのだと思われる。
また、そもそも「実績のない者」はモテないだろう。
とにかく、不完全性定理(不完全男)も、指南書を見失うと大変なことになる。

「台風は来ません」
孔子は、後の世に「儒学」を残したが、目上のものを敬う、あるいは「母親が息子を生け贄に捧げる(サクリファイス)」という「母の心」と向き合い、「生きるとはどういうことか?繁栄するとはどのようなものか?」を示すことによって、母の「サクリファイス」を逃れようとした。
春秋・戦国時代に、高貴な女との間に「子孫」を残すことをめぐって争いが起きた。
寛大であること(仁)、おカネがあること(義)、儀式が行えること(礼)、知恵に満ちていること(智)、信頼されていること(信)の五つを重視し、これが伴わないと、誰も発言に注目せず、台風撃退はできないだろうと考えた。
「王家の娘、アイドルを抱き寄せるのが儀式」
それは、仁義礼智信が揃ったものにしかできないことだった。
男と女のララバイゲーム モーニング娘。

寛大であることは儒学および中華帝国を世界の宗教センターにし、外国国家の影響を受けにくくするものであったし、おカネに満ちていることは敦徨に通じ、ヨーロッパに詳しいことを意味した。
女を抱き寄せることはつまりモテることを意味したし、知恵がなければモテなかった。
そのようにしてはじめて「信用される」男になれたのだ。
「治めようとしている」男なのか、「むやみに争い事を引き起こそうとしている」男なのかは、夏(大学)になれば分かるとされ、論語・大学・孟子・中庸は、それぞれ春夏秋冬に位置付けられる。
そもそもこのような「四書」がなければ「季節」が生まれないのだ。
「治める側でなければ金持ちにはなれない」というのが論語の教えであり、それは「季節を生み出すこと」と、「台風を撃退すること」を柱とするものである。
13回目の季節 新田恵利

なぜ、「儒学」は帝王学なのだろうか?
儒学は寛大であること(仁)、おカネがあること(義)、儀式が行えること(礼)、知恵に満ちていること(智)、信頼されていること(信)の五つを重視ししている。
つまり、いろんな人が「いざ」というときに発言に注目する存在になることだ。
笑っている、歩いている、結婚した、手を振っている、子供が生まれた、周囲の人が死んだ、などが注目されるが、なによりも怖いのは「地震・雷・火事・おやじ」なのだ。
帝王は、すべてを見失ったら「地震」を引き起こして自分に注目してもらいたがるし、台風の時には雷がともなった雨が降ることもある。
火事は、誕生日の時に話題にされる。
平成天皇皇后

 
女性たちとは「哲学的会話」(女心に人気のある話)をすることが多いが、「雑談」に頭が切り替わるときもある。
平成天皇が「地震」を起こしたときは、プロスポーツが天皇制批判をおカネに変えた(がんばろう神戸)。
人々は、平成天皇への怒りを感じたが、好きなプロ野球チームは勝てた。
がんばろう神戸

また、悲しいニュースを見たあとに、彼氏ができたりもした。
プロスポーツの富を背景に、身分や階級を越えたバートナーが成立することもあった。
CoCo Newsな未来

儒学は、天皇が「災害」と向き合う上で、人々から注目してもらいたいからやった、という「受け身」のもの(公務は受け身のもの)と、特殊な情報を背景にアグレッシブに天皇が「取りにいく」ものがある。
昨年の台風19号では明白に令和天皇の「予告」のもとに台風撃退が敢行され、メディアが「被災」を報じた。
コロナウィルスの問題も、令和天皇が事態の収束に乗り出したところ、世界が「パンデミック」を報じた。
何がいけなかったのか?
天皇がやけを起こして地震を引き起こしても、野球チームは勝つし、カップルもできる。
しかし、アグレッシブに台風撃退を宣言したり、コロナウィルスの収束に乗り出したりしたら「日本経済は膨張し始めた」のだ。
子供たちにも大人たちにも「余裕」があった。
ある時から、アグレッシブさを失い、経済を弱体化させ、「公務は受け身のもの」と考え始めたカエサルをブルータスは、ナイフで刺した。
カエサル=イエスの末路はもはや信仰であるが、一挙手一投足に注目が集まった君主の末路だった。
エジプト王朝を滅ぼした男ですら晩年は「公務は受け身のもの」となるのだ。
かつてのアグレッシブさを人々は記憶していたのであり、晩年は「はた迷惑な」男となっていた。
長渕剛 勇次  

ステーツマン(政治家名)カエサルは、早々に限界を悟り、ブルータスに「刺された」ことにしたが、フィロソファー(実物)イエスは、その何十年もあとにヨハネが「喜びながら歩いていた」と噂される磔を経験した。
父・ヨゼフに命だけは救われたが、余生をイスラエル北部の家で過ごしている。
マリアを「アイドル」の祖先と位置付けるなど、カエサルにはない実像がイエスにはあり、芸名・政治家名・実物の区別はローマ共和制のもとですでに行われていたようだ。
五経というものは孔子が教え子のために書いた教科書だが、四書(論語・大学・孟子・中庸)というものは、
「春夏秋冬」を生み出す学問である。
アジア地域は「人間が100%気温を決めている」とされ、
「部活と勉強の両立」から「勉強の方が大事」となると気温が下がり、「美男美女の方が大事」となると気温は上がる。
端的に表現すると、
論語
大学
孟子
中庸
四書をキャリアの中で揃えて出したアーティストはなかなかいない。
これを踏まえて、「勉強の方が大事」=気温が下がる=台風が撃退できる、という図式を作らなければならない。
13世紀から14世紀頃に「愛が長続きしないのは真理」ということを踏まえて、男が女への「義務」を守るのは「もはや仕事」とされるようになった。
仕事ならば「お給料」は出るのだろうか?
フランスのパリでこの研究が深められた。
現在の日本でも「在学中の子供がいる場合」などは「家族割」などがあるが、学校をまだ卒業していない子供がいる夫婦の場合は「周囲からおカネが放り込まれる」という側面がある。
男が、女に一方的に譲歩する恐妻家でも、女を常に否定する亭主関白でも良くないし、疑い・否定し・譲歩するという優柔不断さも良くない。
とにかく「義務さえ守れば周囲からおカネが放り込まれて、20年間セックスレスでも幸せ」というのが「仕事」という意味だった。
岩崎宏美 シンデレラハネムーン

未婚の時に知った恋愛論(デシプリン)もあれば、子育てを通じて学ぶ恋愛論もある。
デシプリンを二つ合わせてパラダイム(既婚男女の恋愛論)と呼ぶのだろう。
パラダイムは、「豊かさ」に満ちており「なんか食うか?」という男の言葉に端的に表現される。
そもそも「子供がいる男」には、攻撃性がなく好感度が高い。
マザーファッカーで、精子のでない男は攻撃的で、しかも、いざとなったら逃げ出す男だ。
そのため「学校に在学中の子供がいる夫婦」のためならば、国家レベルでも「いくら払っても割りの合う」ものとなる。 女ならば「髪が長い」「免疫抑制剤を飲んでいない」ことから「子供の埋める体」になっており、デシプリン(未婚男女の恋愛論)の学習能力が高い。

 

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。 寄付をよろしくお願いいたします。 立憲民主党寄付

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