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Foreign Affairs

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2020年3月31日 (火)

ルーマン~社会学。

我々は「社会」を語るうえで「宗教」から始めなければならない。
宗教とは「男らしさを語り合う論壇」という意味であるが、信心深い人には論を待たない問題であろう。
しかし、「信心深さはなにももたらさない」ということを知る必要があり、信じるということから何かがもたらされるためには「他の男のおちんちんに寛大にならなければならない」という側面がある。
「女二人に男一人」という構図を作り出すのが宗教であり、それは「名目経済」とも呼ばれる。
宗教の拡大局面には「名目経済の伸び」がともなうことになる。
教祖の言っている「議論」を他の女たちに話す、そのときに、かくも冷血でかくも嘘つきな女たちが素直になる、ここに宗教の存在意義があるのだ。
Jokeにもおならない恋 三浦理恵子

名目経済の伸びを目指すのが宗教であり、「女二人に男一人」という図式において、男が「話す話題」を提供するのが宗教である。
宗教と「信仰者」は異なるものだ。
宗教というのは「女二人に男一人」で笑って男が話をする話題を提供するものであり、信仰者のようなストイシズムを要求するものではない。
ダークハイムもジンメルもウェーバーもそのように考えていた。
宗教には何ら「ミステリアス」な側面はない。
時事問題などを笑って、男が「女二人」に話すことから拡散していく。
人類学でも心理学でも生物学でも「宗教」たりうる。
今回私は「コロナウィルスは食べ物や飲み物に毒が混ざっているという問題」ということを語らせていただいたが、これも「宗教」である。
「女一人に男一人」ならばすでに「出来てしまう」ため、宗教が拡大していくためには「男性崇拝が宗教」であることも踏まえて「女二人に男一人」という名目経済を成立させなければ、教義(雑談)は拡散しない。
若さを無駄にしている「若い男」に正確な知識を教えることが重要であり、「問題の少ない世の中」が成立した時に「いい神だったね」と人々は語り合うのだ。
工藤静香 ミステリアス

さて、宗教が拡散していく上では「いじめ」が存在することを認め、それでも「ハートの強さ」が男には試され(男は度胸)、それでいて、どの男女も「神によって作られた作品」であることが必要である。
その男女の人体もが神によって作られた作品でなければ「医学法則」にしたがってみんなが動くことはないだろう。
どの「話題」が今、もっとも生産的なのかを考えなければならない。
女たちの間の「噂」になり、「アイツが言っていた」となると信者の男も嬉しいであろうし、仮説が証明されたときに信者は「帰依しよう」と考えるものだ。
「男二人に男一人が呼び出される」なんてものはバカげている。
「女二人に男一人」という名目経済で宗教というものは広まっていくのだ。
「男らしさ」を語り合うのは「女たちの特権」であり、その背景には「女のマスターベーション」があるものと思われる。
メディアの「悪意」にさらされている「コロナウィルスは食べ物飲み物の問題」という考え(未知のウィルス説)は、名目経済を膨張させる。
「専門家会議」というクローズドシステム(閉鎖的なグループ)に対して、かなり大胆で攻撃的なのが宗教家である。
クローズドシステムよりも「学問に満ちている」のが宗教家なのだ。
教義(人類学・心理学・生物学・雑談)を女二人に語ったら「恋が実った」というのも重要な意味を持つ。
まあ、宗教家というのは、話のネタを周囲の男に提供し、女二人に話をさせ、さらに他の男のおちんちんに寛大になる、そんな仕事だろう。
メディアによる「悪意」すら静観し、それでも最終的には「証明される」ということも重要だ。
ホリダーリンも「立証責任は男にある」としている。
工藤静香 嵐の素顔

メディアは「鉄の法律」と呼ばれていた。
それに「宗教が勝つ」ことが必要だった。
複雑に計算されつくされた「男の話題」であったが、信者の男は「教祖の受け売り」を語っていればいいだけだし、あとは「証明」を待つだけだ。
一難去ってまた一難という世の中であるが、そのたびに社会の「序列」は流動的なものになる。
しかし、戦いを経験するうちに「コロナウィルス騒動よりはイージーな相手」というようなこともキャリアの中で分かるようにはなるだろう。
こわいのは「メディアの悪意がなくなる」ことであり、そうなったら宗教や名目経済は「拡大局面ではなくなる」ことを意味する。
しかし、拡大局面ではなくなった宗教であっても、国際試合や戦争などの「オペレーション」が可能になるというメリットはある。
メディアが軍門に下った時には、今度は女たちが「絶好調男を邪魔してやれ」と言って「縁結びの神様」になることになる。
結局、宗教というものは「男女が愛し合う」ためにあるものであり、経済効果のあるものなのだ。
基本的に「両陣営」がなければ成立しないものであり、常に「証明」を争う必要がある。
なぜなら「私は女だった」から。
ribbon あのコによろしく

男の子が勉強したり信心に励んだりするのを「邪魔」するために環境問題を持ち出すのは「宗教が確立してから」でしょう?
みんなが迷っている時代に沖縄のサンゴだのジュゴンだと言われるのはあまりにも論点が危なすぎる。
「環境って言われると何もできないんだよね」
それが女たちの武器でもあった。
「環境権」というものは宗教の確立を待ってから議論しようというのが憲法学会の主流だ。
なによりも「最高のセックス」がなされなければ環境権を論じるのは問題が多い。
宗教界には「中立的なオーディエンス」もいる。
コロナウィルスの「オーバーシュート」が先か、宗教団体の「フレーミングアップ」が先かは明らかではないが、どうなるかは今後を見てみるしかない。
最後には「十字架のように交差する」「イエスかノーか」の結論を導き出す力量が求められる。
一難去ってまた一難というたびに「十字架のように交差する」「イエスかノーか」を君主がメディアと争っていたのでは体力が持たないだろうが、それでも君主(神道祭祀の総覧者)なのだ。
ボクサーやプロ野球選手が「十字を切りたくなるような」憧れのファイターであればいい。
「憧れのファイター」にはやがて「組織」というものができるだろう。
適当にごまかさないことだ。
有事の際には「メッセージを明確にし」「組織を動員する」のだ。
それ以外に、「両陣営」「メディアの悪意」と戦う方法はないからである。
それでいながら「証明」をする必要がある。
工藤静香 証拠をみせて

最後に、いかなる教団も組織も「死をどう思うか?」と聞かれるだろう。
しかし、それは教団の完成を意味する。
「2024年以降、タイムマシーンが完成し、死の概念が不明確になる」
これが令和神道の答えなのだ。

参議院選挙に勝った創価学会は「大いなる愛、大いなる太陽」などという具合に「女にもわかりやすい暗号化」を宗教に与えた。
また、全米進出を決めた内田裕也は「シェゲナベイベー」というような「暗号化」を自分の存在に与えた。
令和神道にはまだこのような「暗号化」は存在しない。
強いて言うならば「ぶりぶりざえもん」だろうか?
どんな「戦い」をし、どのように「偉い」人なのかが分からい人たちのためにこのようなことを行うのだ。
これは「勝負に強い」教祖に強烈な人気をもたらす。
このような「暗号化」は宗教界では「革命」と呼ばれた。
ぶりぶりざえもんセリフ

このような「暗号化」は、神秘的なものであるが、有事の時には「常に人々に理論を提供する」力を持っていなければならず、「何やってたんだよ!」と言われるのならば、教団は後退局面にあることを意味する。
ユダヤ教はキリスト教の側に常に「何やってたんだよ!」と言い続けている。
「メディアとは異なる論理で動く」
これを「法」と呼んだだろう。
女たちの胸や尻に感じる男の気持ちを「原罪」と呼んだ。
それがなければ「仲間」はできないのだ。
射精するときの快感(やる気)がなければ男同士がつるむメリットがない。
「暗号化」されると、人々の期待感が高まる。
専門家会議にすら打ち勝った男だからだろう。
「彼には強さが約束されている。彼を恐れるものに祝福を」
神聖さと世俗さ、平時と有事が宗教家には存在し、「神聖かつ平時」だけが宗教家であるのならばそれは反則である。
「世俗さと有事」がなければ宗教家ではない。
「争うなと一言言っていただければ」などというあまいものではない。
「世俗さと有事」を見失い「神聖さと平時」だけを生きたいと願う宗教家だから「何もできない」のだ。
むしろ「有事」でなければ人々の心はコントロールできないだろう。
メソポタミアやエジプトからは宗教家の「神聖さ」しか学べない。
「世俗さ」と「有事に強い」ことは伝わってこない。
松田聖子 赤いスイートピー

記者のように「元気な男たち」が人々とコミュニケーションをとって、裏付けを得ていくだろうが、最後には「宴のあと」のような小説になるだけだ。
しかし、「人類の未体験ゾーン」を見せてくれた宗教家には「神聖さ」が残るだろう。
アブラハムはイサクをとらえて「仲間を作れ」と言った。
今後も、令和天皇が「有事」に体や地位を張るとは容易には考えられない。
イサクをとらえて「仲間を作れ」と言えばいいだけだからだ。
勝負に弱い「選民思想」など存在しない。
結局、「男は勃てばいい」という側面が指摘できる。
「大きすぎる女心」を理解すれば「大きすぎるおちんちん」も作られる。
未知の領域に怯えて勃たなくなることはよくあるだろう。
結局、「神」というのは自分以外の人間も「主」に作られた作品だと信じていて、自分の健康に関する問題に当てはまるものは、他人にも言えることだと信じている男のことを言うのだろう。
「女の病気」のことは「肋骨の問題」という割り切りもあるのだろう。
哲学は常に「女心」を探求し続けてきたが、宗教は「人類学、心理学、生物学」つまり「医学」を問題にし続けてきた。
治らなかったものが治っていく、これが信仰心なのかもしれない。
かつて精神医学の世界は「目的を持たない人が健常者である」としていたが、今は「外で異性と話をする人が健常者である」としている。
つまり、「女心」(哲学)に詳しいというのは心理学という宗教的側面を持つこととなり、哲学と宗教は「メンタルの健康さ」という意味において「同じ意味である」ということが可能だ。
SPEED Steady

宗教というものが、自分の体に起きる現象と同じことが他者に起きるという「人類学、心理学、生物学」つまり「医学」を背景にしているとなると、今の日本の医学部は、医師国家試験に合格したら乱交パーティーをやって、「医学部無神論」というものを作り出している。
「私は無宗教です」
このように語るのが20世紀の日本国の常識だったではないか?
国体概念である「天皇と国民はひとつ」というものは、医学を通じてしか実現せず、あるいは「女の子たちとの話し方」を発信し続けるしかない。
ヨハネによる福音書8:1-11において、イエスキリストは、自分が書いた「新たな法」が読めるかどうかを人々に聞いた。
「読めちゃうんだよな。同じ国の言葉だから」
「でも新しいんだよな」
「治っちゃうんだよな」
でも「新しいと敵が多いんだよな」とも付け加えた。
新しいものを守らなければならないため、人々はおカネを払った。
「治ったからね」
腰痛に関しては私は「賢い」という論文で語らせてもらったが、東大医学部無神論が「この程度」ということの裏付けを取るのに有意義だった。
そのうえで、コロナウィルスについて語らせてもらったのだ。
歩いている人の医学という論文も公表させていただいた。
医学は、「読める」「新しい」「治る」という三つの要素からカネ儲けにはなるが、日経平均株価は下がる。
メンタル・空気・風景・日経平均株価を上昇させるのは常に「女心」(哲学)だった。
AKB48 teacher teacher

「神は自分に似せて人間を作った」
それならば、宗教=医学と言っても間違いではない。
しかし、肋骨=女心=哲学も、メンタルの健康を維持するという意味においては宗教=医学である。
仏教は「一切皆苦」としてかなり成功した宗教であったが、ブッダはともかく、のちの世の論客は「寝るのが苦しければ起き、起きるのが苦しければ寝る、腹が減るのが苦しければ食べ、食べるのが苦しければ食べない」などと能書きを語り、いざ、自分が病気になったら宗教界から引退してしまっていた。
なぜ、「自分にしか読めない文字」があるのならば「誰にでも読める文字」に変えなかったのだろうか?
かつてはギリシャ語がもっとも「不老長寿」に近かった。
その後ヘブライ語が主流となり、現在では英語である。
実際に、「食べることのできる植物」などに詳しくなる千日回峰行などはともかく、俗世で修行僧(信仰者)のような生活を送っていたら、仲間もおらず、自分の人体の研究から、世の中の全員に言える健康情報も発信できないし、そもそも、「人間にとって気持ちいいこと」によって人々を誘導することもできない。
政治(女心の定義・哲学)と言えばカネにならないものが、宗教(医学・長生き)と言えばカネになるとも言われる。
若さを無駄にしていると感じる「学を志す」男と、女のケツばかり追いかける男、実績を積み上げる男と、「見た目」ばかり気にする男、それは「善と悪」の関係である。
若さを無駄にする時期に「修行僧」でなければならない時期はあるが、それが生涯にわたると人が離れていくだけだろう。
のちの人生は「ブラインドスポット」(分からないこと)を調べて生きればいいだけの蓄積がイエスキリスト(堕天使・ルシファー)には存在したし、「女のケツばかり追いかけた青春時代・見た目ばかり気にしていた青春時代」つまり「悪」に属する男は決してイエスキリストにはなれなかった、
ミスターチルドレン

女の子たちは、思春期に「夜中に大声で歌う」「譲れない夜があった」などの経験はしていたが、イエスキリストの青春時代は、これらの女の子たちの経験への理解力を持つことにつながり「必要十分条件」と呼ばれた。
女子校の校門の前にあやしい男がいる。「どちらさま?」(先生)「東京帝国大学法科の学生です」「おやまあ、よろしくお願いします」
これが女たちの「イエスノー」であった。
この女たちのイエスノーの問題はヨハネの黙示録やタルムードに由来するものだ。
「外国語ができるのは当たり前」「人体の法も法律である」
このようなことから、東京帝国大学法科の人間は「イエスキリスト」となる才能が見込まれた。
中学の同窓会に出席したらいじめられるのが東大法学部の学生であるが、そもそもオックスフォード大学も「全国の中学校運営主体」が作ったものだ。
酒井法子 100%の雨が降る

東大に入っても研究を続ける者はいたが、「女心の研究」が政治学であり、「医学の研究」が宗教学である、ことなどに気がつかないものは、いつまでたっても司法試験に合格せず、要するに「英語に通じている者」が「三冠王」などと呼ばれて「頭の仕組みが違う」と噂された。
大学に入って「女の子と話をしない」というのはアカデミックキャリアにとっては致命傷とみなされた。
英語から「日本人の女の子や人間にアプローチする」という発想はなかなか想定できないものだ。
私も、自動車の「スピードの秘密」(SPEED SECRET)という本を読んで、マリオカートを攻略した時にその「発想」が初めて分かった。
コミュニケーションというものは、相手にも体・健康状態がある以上、常に「宗教的」「医学的」なものにならざるを得ない。
そうでなければ相手に影響力を与えることはできないのである。
「団結」というものはそのようなコミュニケーションの繰り返しからなされるものだ。
しかし、組織化された「教団」には常に周囲の悪意が向けられるため、「病気が治った」などの真理におカネを払い、教団を守っていかなければならない。
日本国のサラリーマンは、給料の12%を社会保障費として差し引かれているため、シナゴーグのような十分の一献金はそもそも想定されていない。
それでも、東大医学部のようなクローズドサークルにも見えない領域が、宗教家には見えることがある。
なにしろ、「日本語の」医学書を読むのが日本の医者であり、英語の本を読むのが宗教家だからである。
君主とメディアの「両陣営の対立」から、神道と他の教団の「両陣営の対立」など、常に「対立」が存在するから、教団はおカネで潤うことになる。
健康さという「歓喜三昧」を味わったというのならばそれは認めるしかないし、他人がどうこう言うものでもないだろう。
本当に「病気が治った」のならば「女二人に男一人」という図式で、一人の男が言いふらすしかない。
芸術作品を見たり聞いたりすることは、「愛」につながり、人々を救い、そして人々を救う団結(教団)にはおカネが集まる。
「真実を見失うのはおカネを払わなかったあなただけ」
ribbon サイレントサマー

私の上記の論文「賢い」でも述べたが、飲み物を「右手で」飲む習慣を忘れないことや、「尿道や腸の強さ」「食べる時はたくさん食べ、規則正しい食生活を」などが「腰痛を治す」ということをどのクローズドサークルが知っているであろうか。
おしっこをするときは大量にガーと出すなどの習慣を身につけるだけで腰痛が治ってしまうのだ。
しかし、それでも、そのような治療法は「教団」だけで共有されるものであり、必ず、メディアや他の教団によって「もみ消されて」しまうだろう。
どこで誰がセックスしているかは知らないが(全知ではない)、それでも医学に関して己の経験談を他人に話し、影響力を高める人は「全能の神」と呼ばれた。
中世を経て、芸能界というものが生まれたら、「外で異性と話すと病気が癒える」ことから「哲学」(女心の探求)が花開いた。
「宗教は病気を癒す」「医者に見放されたら頼るものである」
これはあながち間違いではない。
日本の医者はたとえ東大医学部卒であってもクローズドサークルのメンバーであり、医師国家試験に合格したら乱交パーティーをやって無神論者になっている。
そのため、「有神論」「英語の書物を読むことができる教祖」に頼るのも間違いではないのだ。
まあ、とにかく「教祖」の「必要十分条件」だけ見ておけば間違いないだろう。
参議院決算委員会においても「地方の医療規模の縮小」が語られているが、どの委員も大臣もマスクをしながら、「神道の勝利」を確信していたようだ。
私の医学(歩いている人の医学賢い)によって、「神道でどうにかなるものならばどうにかしてほしい」というのはもはや政府の意向となっている。
中国においては、儒学というものが「学校」と直結し、気温を下げる効果が認められる宗教となり、仏教が「美男美女を生み出す」宗教となっている。

以上に述べたように、「社会学」というものはあくまでも「医学・宗教」の伝達メカニズムを探求するものであり、医学に奉仕するものに過ぎない。
「医学部です」というだけで体を許す女が大勢いるのだ。
それに「宗教」が勝ったら何が起きるであろうか?
これが「教団の誕生」の秘密である。
「専門家会議よりも優れた教祖がいる教団」
この人脈に連なりたいから人々は「祈る」のである。
信者たちは、「敵味方」を明確に区別し始める。
それは、「コロナウィルスへの勝利」から始まったものであっても、いざ、組織化されてしまえば「男女の問題」「芸名・政治家名の問題」がまとわりつくからである。
教祖としては「専門家会議に勝った」「人々の病気を治したい」という動機から始まったものであっても、「その対価としておカネが欲しい」と考えるのであれば「組織化・教団づくり」は避けては通れないし、末端の信者が「異性をめぐって」「知名度をめぐって」排他的になるのはもはや宿命であった。
医学の世界で勝たなければ、末端の信者は「負け犬カップル」になるだけだ。
そのため、教祖は日々切磋琢磨している。
逆に、教祖が医学の世界で「指導の誤り」が見え始めたら、末端信者たちが「パートナー」「知名度」を守るために「組織改革」を上層部に要求し始めるだろう。
新型コロナウィルスは「食べ物飲み物に毒物が混ざっているという問題」という議論を私は今回させていただいたが、この議論はおそらく最終的には勝利を収めるだろう。
しかも、事態はもはや「芸能界全体」に影響力を与えている。
志村けんさんは「コロナウィルスで亡くなった」という歴史的評価はもはや動かないのだ。
今後、教団はどのように「進化」を続けるのだろうか?
まあ、宮内庁の「オカルトサイエンス」は、今後も関与し続けるだろうが、教祖自身が「健康」になるのならば、今後も医学に自信を深め続けるだろう。
まあ、神道と言っても、「神祇カルト」「一の宮と二十二社」「総社」「八幡ネットワーク」というようにかなり分派的な動きも存在するし、教派神道もある。
君主とは時には微妙な関係になりつつも、神道は繁栄をつづけるだろう。
「分派的動き」というのは教団のセキュリティーにもかかわる問題なのだ。
いずれにせよ、聖書に記されている「証し」というのは「病気を癒す」ことにしか見いだせないのだ。
今まで、私が述べてきた「女心」というのは、「メンタルの健康」という意味においては「精神医学」=哲学と言ってもいいが、今後も私は「女心」について語りたいし、それでありながら「医学」の研究もさせてもらいたい。
さらに考えなければならないのが、「系列企業をもって所得再分配をすること」であろうが、企業の商品を購入することそのものが「信者になる」という側面があり、メメントモリ(死を忘れるな)ということを考えると、企業経営の財源は「死」を発信源にいくらでも出てくる。
まあ、どんな事件に対しても「ちんちんと計算」だけを用意して待っていることだろうね(タブララサ・白紙)。
酒井法子 ホワイトガール

あとは、「いざとなったら肉声を発信する」ということが重要であり、「肉声が聞こえてこない」と批判されるのであれば神道祭祀の総覧者にはなれないだろう。
国中がパニックになりかねなかった新型コロナウィルス騒動で「何もできなかった」教団があるのならば、「肉声が聞こえてこない」という罵声を浴びるのは当然である。

さて、「治らない病気が治った」ということの意味をもう一度よく考えなければならない。
医者がさじを投げたような病気が、本ブログを読んで身近な人に話したら「治る」のである。
自分にとって「必要な人」を治すのはカルネアデスと呼ばれている問題である。
「患者を診るたびにセックスしていたのではきりがないよ」
これを、フランシスコ・サンチェスは「医学部無神論」と呼んだ。
そこで、サンチェスは、デカルトが「セックスに税金を課す」としたことに対し、「無知に税金を課すのと同じ意味である」としている。
つまり、勉強や研究に方法論上の迷いがなく、成績が優秀ならば「税金が課されない」「気がついたら手元におカネがある」ということを意味した。
何十日もボーッとして、次の収入の日を待っているだけでは、「貧しくなるだけ」としたのだ。
読書でもして次の収入の日を待っていた方がよっぽど「手元におカネが残る」「おカネが税金として取られることがなくなる」のである。
税金というものは不思議なもので、家計簿や小遣い帳とは違う原理で「取られている」ものなのだ。
女友達は「担保」であり、パートナーは「債権」である。
つまり、友達は「物権法」の世界であり、セックスしたら「債権法」の世界となる。
デシプリンからパラダイムへ、つまり「プロポーズから結婚へ」というパラダイムシフトはそれはそれで議論の余地はあるが、友達から恋人へという「物権法から債権法の世界へ」というものも問題となる。
ガラスの上のブロークン ribbon

「知っている者からは税金は取らない」
私は「公園に落ちているスポーツ新聞で勉強する奴」と皮肉られていた。
「無知」から税金は取られる。セックスから税金は取られる。「怒り」から税金は取られる。
そう思って、本ブログを読んで、「病気の人」と話してみればいい。

コロナウィルスに関する「緊急事態宣言」において、他人の私有地を許可なく使用できる、とされているのが気になった。
イルミナティが私に「読め」と言ってきた論文が「チリの哲学」だったからだ。
芸能界のあり方に関する争いは、自衛隊の専権となっているし、アカデミズム改革のあり方をめぐって、チリでは1973年から1990年まで軍事独裁政権が続いたのだ。
専門家会議と私の「見解の違い」は周知だろうが、これは日本国の「東大ブランド」の威信を大きく損ね、アメリカイルミナティ(スタンフォード大学)の力はすでに政財官のみならず、立法・司法・行政の世界で一目置かれている。
今回、私は「西南戦争」という表現を使わせていただいたが、
東大医学部への失望感が自衛隊および芸能界に根強く、「令和天皇による軍事独裁政権」が確立しようとしているという見方も可能だ。
安倍さんを「止めるなら今」という側面はあるが、令和軍事独裁政権は、確立しようとしているのだ。
1767年にチリに「イエズス会」がやってきた。
この時に、チリに「芸能界」が誕生し、国づくりの基盤ができたものと考えられている。
1865年から1920年までは「君主制支持」(日本でいう菊タブー)が安定的に運用されていた。
1920年から1950年までは「専門家の育成・大学づくり」がすすんだ。
しかし1950年から1973年の時代の過渡期と、「アメリカイルミナティの確立」を見て、1973年から1990年まで「上からの教育改革・軍事独裁政権」という体制が敷かれている。
今の「学校休校」を「感染予防のため」とだけ考えてはならない。
「東大を頂点とする学校制度」が専門家会議によって「機能しなく」なったのだ。
1860年代から根付いていた「カトリック」「学歴社会」が、コロナウィルス騒動のような出来事で「青ざめる」のが分かった。
カトリックが青ざめたのは、どのチリ国民もが「アメリカのように」と考え始めたからである。
先日、私は床屋に行ったが、私より先に待っていた石破茂よりも「先に」カットしてもらえた。
「人間はどうしてもひとつにならないものだ」というベルグソンの理論を背景に、「芸能界とアカデミズム改革」の必要性に駆られて、学校は休校になり、自衛隊が展開しようとしている。
では、令和軍事独裁政権の統治下とはどのようなものだろうか?
不登校40万人と言われた「学校の勉強よりも令和天皇の本を読んでいた方が楽しい」という子供たちが「多数派」となることを意味する。
1990年にチリは大統領制へと移行している。
これは、今の「永田町が機能していない」という結論でもあった。
「芸能界が国をつくる」ことを熟知していた令和天皇が「政界」のあり方をも変えてしまったのだ。
「令和天皇という個性を失ったら大統領制にするか?」
これが今の日本国の現状なのだ。

「分かってたまるか!」
私もよく、人に「お前になんか分かってたまるか!」と言われることがある。
哲学というものは常に「人気のある話題」を探求するものであり、普通に生きている人にとっては「まるで滝の映像を見る」がごときものだ。
哲学つまり「人気商売」をやっていない人にとっては、哲学者に「分かってたまるか!」と捨て台詞を吐いてしまうのだ。
華厳の滝

そもそも、哲学というものがアメリカイルミナティ(スタンフォード大学)を発信源に研究が進んでいることから、子供がいる人はともかく、子供がいないマザーファッカーや、髪の短い女、免疫抑制剤を飲んでいる人は、みんな、令和天皇およびアメリカイルミナティに「分かってたまるか!」と考えていることを意味する。
人体の機能を完全な形では有しなかったことが理由であろう。
子供の恋愛に、自分達の経験を重ね合わせる両親などへの反発もあるのだろう。
窓から見てるPTA

哲学(女心・恋愛論)は、子供のいるカップルにとっては人気のあるものであっても、マザーファッカーのようなバツイチ・バツ2を繰り返しているような男にとっては「面白くもなんともない」ものだった。
今回のコロナウィルス騒動においても、「子供のいる家庭」は案外、のんびりしている。
就学している子供がいる、というだけで周囲からおカネが放り込まれるからである。
ローマ帝国の王室は滅びる宿命にある。 
どの家庭の女の子も、やがて「彼氏」を作っていくことになる。
それでも、子供のいる両親は「哲学を学ぶモチベーション」があったし、出世もした。
ribbon 正しいハートの行方

「気持ちのいいものが、そのまま仕事になり、生活になる」
このことから、緊急事態宣言に対しても国民は案外冷静だ。
「天皇と国民はひとつ」という国体概念に結構人気があったのだ。 
自衛隊は「日本国民の生命や安全を守るために存在する」のである。
しかし、マザーファッカーのように「気持ちのいいものが、必ずしも仕事や生活にはならない」存在には、自衛隊も「歓迎されていない」ことは理解している。
人間には「言葉」があるから「記憶」し、「学習」する。
今回の緊急事態宣言も「令和天皇の言葉と学習」をもたらすものである。
国民が「天皇を敬う、政府にしたがう」という意味では「神道形式で」のみ成立したものだ。 
それが「面白くない」のは、子供のいない家庭である。
周囲からおカネが放り込まれる環境にはないからであるとも言える。
「夫がマザコン」とか言うが、子供がいるのならばマザコンでも何でもない。
本当のマザコンは、母親と性的関係を持っていて精子が出ないものなのだ。
子育てと仕事を楽しめない、というのならば、国の「期待される人間像」に反するものである。
今回は、「女の子を口説く」というカントの学問すら「愛せない」男たちの存在を明らかにするとともに、内閣支持率や円高などを見守っていかなければならないだろう。

そもそも、マザーファッカーのように「哲学を愛せない」「女の口説き方を知らない」男たちが、俳優に向いており、「台本」を読んで、パフォーマンスをするものだ。
精神病院では、患者に「自分は子孫を残せないのかな?自分は動物なのかな?と思ったことはありますか?」と私は最初に聞くことにしているが、
つまりは、これが「芸能人である」ことを端的に表現している。
相模原の障害者施設で「いない方がいいと思った」という殺傷事件が起きたが、これはマザーファッカー(両刀遣い)の攻撃性を根拠にしており、人間の尊厳(認め合うこと)および人類学に根差した問題であった。
台本を読んだだけで「スター」と呼ばれ、本性はかなり攻撃的な側面があり、はた迷惑な精神病患者であった。
ロボトミー手術というものが「医学の側」から提示されたこともあった。
ニュース

女の子は思春期に、「おちんちんがない」という去勢(キャストレーション)を暴力的に経験し、メランコリー(鬱)になる。
茶色とともに生きようと決めた、緑とともに真面目になろうと決めた、赤とともに男と向き合おうと決めた。
赤から紫へ、アジサイが色を変えていくように「男から女へ」「美の探求」「母の実践」「体のフィットネス」と向き合うようになる。
異性に助けを求めるようになるのだ。
「女とは生まれるものではなく、なるものだ」
「女嫌いの男」「レイプ」に直面したら「神」を信じられなくなる。
高井麻巳子 胸騒ぎのメランコリー

「女嫌いの男」「レイプ」と直面したら、女は「神に失望」する。
しかし、「男に従属するもの」と名乗っても「失うものはない」とも言われる。
メランコリーを経験して「料理」「掃除」「洗濯」などを覚える。
女は男の「欲望と交換の対象」となり、また、エネルギーの発信源となる。
去勢(キャストレーション)を経験すると「言葉の感覚が鈍る」と言われ、そもそも「女言葉」が父親に犯されることを防ぐためにあるとされる。
メランコリーを改善するために、「芸能人」などのナルシシズムに憧れるのだ。
男よりも女の方が「芸能人」の名前に詳しい理由もここにある。
「伝言」と言ってもなかなか複雑な世界だ。
「数学がどんなに難しくても、男の絶対はあなたの胸にあるよ?」
「あなたは女として最高の存在」
母親は、「娘に嫌われたくない」と考えている。
しかし、思春期に「お母さんが嫌い」にならなければ痩せないし、「女らしさ」が身につかない。
高井麻巳子 シンデレラたちへの伝言

「どうやったらライブパフォーマンスは盛り上がるか?」
基本的には「歴史的瞬間」に立ち会えたことから、観客はマスターベーションをする。
日比谷の野外音楽堂でribbonは、上空にヘリコプターを飛ばした。
屋内では「カメラクルーによる撮影」などは基本となるだろう。
これが「クラシックモーメントである」ということはパフォーマンスをする側も「狙わなければ」ならない。
ribbon

「令和世界史の幕開けだ!」
どんな影響があるのかよく分からないけど「ライブパフォーマンス」とはこのように行う。
翌日は男は相変わらず満員電車へ。
緊急事態宣言

閉鎖された店舗、ほろ苦いチョコレート、その程度の影響しか自分にもたらさないのが「歴史」だろ?
地震・津波・噴火などよりはるかにマシな「政治ショー」だ。
バレンタインキッス 国生さゆり

さらには「男の声による演説」「女性アーティストには男たちの声援」がなければ抜けない。
少なくとも「大勢の男たちに愛され」なければ「抜け」る映像にはならない。
最初の「拍手」が効いたのかな?
カメラワークが効いたのかな?
「覗き見」を大勢の男たちが見る(プライベート)、オンエア(パブリック)つまり「個と公」の区別をしないと、「政策」は男だけのものとなる。
女だけが「プライベート」に興味を持たれている。
松田聖子 抱いて

頭の痛くなる音楽をコンビニのBGMで聞くことがあるが、CDを買って「プライベート」で聞くと名曲になったりもする。
自分の部屋という「プライベート空間」で聞いた音楽はライブパフォーマンスで見たくなる。
案外、パブリックフォーラムというものは「文化の発信源」となっている。
「スタジオアルタ」や渋谷の巨大スクリーンなど。
パワープレイはカネがかかるため、テレビ局や系列ラジオ局、ケーブルテレビ局を総動員して、アーティストの手元にはほとんどカネが残らないが、「パブリックな空間でいかに頭を痛くさせるか?」だけ理解していれば、狙いは絞ることが可能だ。
モーニング娘。ラブマシーン

自分が「差別している」場所で聞いたサウンドを部屋に持ち帰りたくなる。
「野郎ども」が動けば、自分の心も動く。
「野郎ども」を動かす「声の発信源」となることが大事であり、決して「公務は受け身のもの」ではなく、「動員力」がなければならない。
小池都知事のプライベートが見れる。
小池都知事は私の母なのだ。
トンタン茶房

プライベートとパブリック「個と公」を区別しないのならば、そもそも「女の出番はない」とされる。
クレアラシル 広末涼子

1995年に中山競馬場は、「一着になった馬ならば、足音を聞いているだけで楽しい」ということに気がついた。
中山競馬場 1995年

中国が「アメリカ国債」を買う理由は「アジア地域で中国に有利な行動をとってもらえる可能性がある」からである。
しかし、トランプ大統領のような「発信源」を誘導しようとしているのかどうかは明らかではない。
しかし、アメリカ国債ですらオバマ政権の時にデフォルトを起こしている。
なにが「中国に有利」かが分からないね。
トランプ大統領 コロナウィルスについて

「日本の野郎ども」が動くのならば、日本の女たちはトランプ大統領ですら自分を慰めた。
そんなときはトランプ大統領の言葉を本気で信じたのだ。
野郎どもを動員できる力を見ていたのだ。
しかも、演説は128BPMだったし、自信に満ちていた。
愛してジャスティス ribbon

女や両刀遣いの男は「野郎どもを動かす影響力」だけで抜いている。
歌詞よりも「影響力」ならば全米ビルボードになってしまうだろう。
全米ビルボード

1999年に「日本の未来はウォウウォウ」と歌ったモーニング娘。を私はコンビニで聞いたが、その足で近所のCDショップに向かっている。
パブリックの空間で聞いた「頭痛の種」を、プライベートの「刺激」にしようと思ったのだろう。
それ以前にもレンタルレコード屋でSPEEDの「Go Go Heaven」を聞いてファンクラブに入った。
大人たちに「このムーブメントには続編がある、資金力がある」という自信がなければこの「個と公」論で有名になってはならないが、案外、ブレイクするのは簡単だったりする。 
SPEED Go Go Heaven

不完全な男は女にとって常に「頭痛の種」だった。
これを、パブリック(公)で聞くことが重要であり、それを女たちがプライベート(個)に持ち帰る必要があった。
Bzは、常に「男の不完全性」を歌っていたし、女たちにパブリックでそれを聞かせ続けた。
マクタガートという哲学者がその理論的な柱となっている。
兵、走る Bz

アイドルオタクとは違う「イケメン」がギターの松本に影響されたのならば、女たちも動く。
野郎どもを動かすのが先であり、女たちはあとからついてくる。
ギターという「案外、頭を使う世界」がBzの周りを取り巻くのが分かった。
失恋を経験した男は、無神論者であったが、ギターによって「神・男・聖霊」という三位一体として「復活」したのである。
マクタガート(芥川龍之介)は、男たちに「負けてもいいよ」と言って勇敢さを求めたのだ。
「勉強の世界では負けてもいい」という発想はウルトラソウルと呼ばれた。
Bz ウルトラソウル

マクタガートの部屋を訪れた友人は、彼の「謙虚さ」だけが印象的だったと語っている。
彼はもはやホイッグ党の党首であり、国のリーダーだったからだ。
それでも、連続一位チャートインするために必要な「メンタリティ」だけは持ち続けていた。
スタンフォード大学は「論文は今後も改訂し続ける」とし、私の健康面での医学研究も含めて、私を謙虚にさせていた。
Bzの松本がギターならば、私は「英語」の世界の教祖的存在であり、その「ゲーム性」は完璧と言われた。
哲学は常に「女心」を問題にし続け、宗教は常に「男らしさ」を問題にしていた。
宗教の「男らしさ」って何?と思うだろうが、ルーマンは、その答えを「医学に通じていること」に求めている。
哲人政治と呼ばれるように、男同士は「カネと女」を通じてしか「つるむメリットがない」とされる。
そのため、政治の世界は「カネ、カネという世界」となっている。
他にも「芸名を与える、政治家名を与える」など様々な「やり方」はあるだろうが、 医学に通じているなどの力量がなければ、カネに代わる「与えるべきもの」を持たない男になる。
医者の不養生と言われるものがあるが、医者と言っても、医師国家試験に合格したら、乱交パーティーをやって「無神論者」になっている。
まるで「俺以外の神を信じるな」と言わんばかりであるが、晩年は、自分の健康状態を「研究する」という姿勢に欠け、他の医者に身を委ねている。
法学部有神論がこの時に「医者よりも優れた情報への嗅覚」を見せることがある。
そもそも、政治家になりたいというものが法学部に行くのであり、人にあげる「カネ」のない人は「医学の知識」を与える才能を持つことになる。

「政治と言えばカネにならないものが、宗教と言えばカネになる」
ここで、用語を整理しておきたい。
政治=女心を語ること。
哲学=女心と研究すること。
宗教=男らしさを語り合う論壇=医学。
倫理=いじめの研究とセックスの研究=気持ちのいいもの。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

 

なお、私は本日をもって「立憲民主党のオーナー」になることになりました。 寄付をよろしくお願いいたします。 立憲民主党寄付

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