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Foreign Affairs

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2019年12月 2日 (月)

神道・天皇家新時代に向けて。

ミシェル・フーコーが、1970年に「クリニックの誕生」において、生まれた時に「あなたは男の子、あなたは女の子」とする以前は、子供の頃は皆、少年であり、「おじ」(ペテロ)がいるかどうかで性概念は決まった。
「男系男児なんてナンセンス、おじにどれだけいじめられるかだ」
おじからのいじめは「おばあちゃん」が食い止めていた。
おばあちゃん崇拝(祖先崇拝)がなければ、男になれただろうが、適当に付き合っていかなければガンになる。
私は1970年以降の生まれとして、おばあちゃんと関わっている。
この「ペテロ」(おじ)からのいじめと、おばあちゃん崇拝を欠くことが「男」を作ってきたのであり、「男系男児」などという話を持ち出すこと自体、世界史を知らないとしか言いようがない。
トイレの神様

2013年の伊勢神宮の式年遷宮は、私もファイナンス係を務めさせていただいたし、その後も、伊勢神宮の人格的統治者として、「女心」を明らかにしてきた。
山崎闇斎の垂加神道(伊勢神宮とヤマトヒメ)という神道の歴史を理解しないと、なかなか伊勢神宮に若い女性ファンを集めて、自らの権力基盤にするという発想は生まれない。
令和の「次」をもし想定するのならば、2033年の式年遷宮のファイナンス係をいかに務めるか?
あるいは、私は現在、伊勢神宮の担当を離れ、日枝神社を担当しているが、「王子になるのならば伊勢神宮に女性ファンを集めなければならない」ということをどれほど理解するかが問われる。
私は「日枝神社は、天皇の長寿をお祈りする所」ということを踏まえて、医学の知識を拡散させている。
NHKの問題もその一環である。

男・ちんちんというものは「仕事・勉強・いじめ」から作られている。
しかも、「世界を敵にすると勃たなくなる」つまり、「仕事・勉強・いじめ」が実を結ばないとちんちんも意味がなくなる。
「仕事・勉強・いじめ」の中に「真理」がある以上、「男崇拝」を宗教と呼ばざるを得ない。
「男が女心を語る」のは自身の影響力を高める方法であり「政治」と呼ばざるを得ない。

文法さえあれば、女たちが「悔い改める」(失恋する)ことから、自在に「言葉」を作ることはできた。
女たちが「言葉」を作り、言葉と脳は似たような構造を持ち、言葉が追いつかないような出来事は「スローモーション」になったため、新たな言葉を作った。
はじめに言葉ありき、それは「女づくりが先、男作りはあと」という意味でもあった。
中森明菜 スローモーション

14世紀のイギリスは「人口5万人の島」だったが、薔薇戦争を経た上で「貴族」「階級」が定められた。
英国紳士の誕生だ。
イギリス身分制社会において、「移民の受け入れは困難」つまり「男づくりが先、女作りはあと」という政策は打てない、どうしても「移民」=「風俗嬢」という文化が出来ざるを得ないことからイギリスの「EU離脱」という問題が議論されている。

「フェミニストの作り方」はいろいろあるが、「新カテゴリー」と呼ばれるジャンルは、「従姉妹に対してシャイであった」ことにそれを求めた。
さらには、「父親がいて、青年時代に友人を亡くし、姉が結婚した」ことに求める新左翼もいる。
ribbon 真夏のフェミニスト

従姉妹には兄がおり、カネにものを言わす形で、妹のヒロイセと関係を持っていた。
1999年に「女心は日本国のJ-POPで、出尽くした」と言われた。
SPEEDが、「女はパートナーがいても、知恵や知識を生み出すために異なるパートナーの声を聞きたがっている」というキューリー夫人(女性して初めてノーベル賞を複数受賞した人)の見解を紹介した時に、「女心は出尽くした」という議論がなされた。
SPEED Deep Blue & Truth

和辻哲郎が1960年に死んでから、東京は「今まで見たことのない風景」を見た。
「セックスと革命の嵐」である。
安保闘争で外国人を見せしめに日本政府が殺し、谷中の「レッドゾーン」に、「樺美智子さん」として大々的に報じ、埋葬した。
三里塚で「死人が出た」と言っては、「都合の悪い人物」を東京湾に沈めてきたのも日本政府だ。
日航機墜落事故が1985年にあったが、それが「成田発」であったことから、その前の「機長逆噴射事件」が「東京湾の呪いである」という説が払しょくされ、日本政府は安堵したのが現状だった。
日本政府は「人を殺してまで体制を守ろうとした」のは事実である。
それが、ミシェル・フーコーの「1970年」まで続いた。
福山雅治ラジオ

私の祖母の、遊佐道子(香淳皇后)が、弟にサンミュージックの社長をやらせていたが、松田聖子は、「久保」系であり、昭和天皇の後妻の「国友」系の「顔が嫌いだった」つまり、香淳皇后の薩摩の臭いが嫌いだったとされている。
いずれにせよ、1986年に岡田有希子が「芸能界最後のトラブル」を引き起こした時も、「五分間もだえ苦しんだ」岡田有希子に対して、電話で笑いながら実況するもの、パンツを脱がしたもの、ブーツを盗んだものなどがいて、香淳皇后は、「人物を特定して」朝の新宿の歌舞伎町で死体として晒した。
今は、平成を経て、令和の時代になったが、昭和という時代は、1960年の和辻哲郎(小野達郎)亡き後、まるで修羅場だったではないか。
香淳皇后は、現在の私と同じで、夫である昭和天皇が「死と身近に接していた」ことから、昭和天皇の「源氏物語のセールス」が、時の政権の「国会対策費・メディア対策費」として用いられており、現在の羽毛田信吾宮内庁参与のように「その送金を邪魔してやろう、できるだけ多くの人間を巻き添えにしよう」という考え、つまりは「田舎者」の考えとは異なり、「自衛隊(日本軍)は日本国民の命を守るためにある」という統制派と、「自衛隊は天皇から政権の側への送金を守るためにも存在しうる」という皇道派の対立があったことをよく理解していた。
安倍政権は、臨時国会を無事に終えようとしている。
しかも、安倍晋三の再選には、二階幹事長も「異論はない」としている。
もし、安倍政権が窮地に陥ったら、「羽毛田信吾宮内庁参与」はどう責任を取るつもりだったのだろうか?
他にも、「上皇・上皇后」「山本信一郎宮内庁長官」「西村泰彦宮内庁次長」「出雲大社の千家国麿・典子夫妻」「川嶋龍彦学習院大学名誉教授」が「政権の敵」であり続けながら、安倍晋三や菅義偉と共存し「天皇に政治的権能があるのか?」という議論が詰め切れずに立ち往生している。
政治とは「女心を定義するもの」であると言ったはずだ。
「文学者・哲学者として小説のセールスがある限り、政治的権能はある」と言うしかない。

私は、昭和天皇の後妻の系統の孫なので、薩摩の男のような顔をしているが、松田聖子や志村けんは、前妻の系統なのでファッショナブルな顔立ちをしている。
私は、前妻の久保の系統の昭和天皇の長女が「紫の上」として描かれた「美智子上皇后」ではないかと考えている。
アレキサンダー大王に「少年愛」が知られているが、昭和天皇も「少年愛」がいつしか少年に「フルート」をくわえさせて、「美少女」を作ったものと考えている。
美智子上皇后は、松田聖子や志村けんの実母である。
男たちはみんな「ふたなり」だった時代。
男になるためには「仕事・勉強・いじめ」が必要だった。
3年B組金八先生

男女の「性の違い」というのは、そもそも、ダーウィンが「精子と卵子がぶつかる速度の違い」を指摘していて、速度が速いと男の子が生まれ、遅いと女の子が生まれるとしていた。
これは、生まれる直前に「電気が胎内で流れ」「全身脱毛される」ことから「女の子」が生まれるという指摘であった。
毛深くない「性」が「女の子」という指摘であり、それはのちに「女らしさ」の特徴の一つをかたちづくることになった。
しかし、それでも「性概念」は相当混乱していた。
一昔前までの医学書では、「あなたの子供が生みたい」と言ったら女性はオーガズムに達していたが、
現在は「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」と女性が自分で言うとオーガズムに達するようだ。
この辺は、ヒトゲノム解析が終わる前の経験論である「あなたの子供が生みたい」が正解なのか、それとも、ヒトゲノム解析が終わった後の「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」が正解なのかは実験が必要だ。
いずれにせよ、「親密な関係」にならないと、言えないことが「性欲の発信源」となっているため、カントの「女の口説き文句」は医学の世界も受け入れざるを得ない。

「大丈夫、痛くない」
と女性が自分で言うのも有効だ。
その前に、「クリトリスから先がいいわ?」という前戯も基本として覚えよう。

おさらいしておこう。

「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫。痛くない」
若さに自信のある女の子は「若い女性ホルモンを感じて?」と言ってもいい。
また、「エンジンが効いてる」というのも有効だ。

これを覚えよう。
「あなたの子供が生みたい」も適宜用いよう。
ribbon さよなら

ロールズの「正義論」を読むと、「いかに女を高く売るか?」が株価を決めているとしている。
不感症の女をなくすと、株価が高く出るか安く出るかは明らかではない。
いずれにせよ、激しくあえぐ女がいる限り「デフレ」状態が続かざるを得ない。
現在、デフレ状態にあると言っても、感じない女性を感じるようにする政策を「デフレ脱却」とも言い、インフレ退治との区別は明確ではない。
レズビアンや、シスコンが大勢いる中で、本当に現在「デフレ状態」なのかは議論の余地がある。
インフレ退治が自由民主党の仕事として、「現在、仕事はうまくいっている」というメッセージを明らかにするしかないだろう。

エロビデオを見て「女が嫌がっているじゃないか」と考える政治的弱者もいたのだ。
CoCo メロディー

ここで、アベノミクスの正体は「デフレ脱却株高」政策であるとも言え、もはや「生活水準はバブル期並み」という指摘も可能なのである。

株価が赤、為替が赤ならば、女たちは「男からの電話を欲しがっている」のだ。
日経平均株価チャート

電話のベルが黙った夜が素敵、という夜は株価が上がり続ける。
安倍なつみ ひとりぼっち

セックスは「敵がいない」状態でしか、女は「感じない」のである。
「セックスはムードですもの」という理由はここにしかない。
清潔なベッドに、安心できる環境がなければ、女がオーガズムに達することはない。
工藤静香 奇跡の肖像

一人上手を覚えた女の子は、教科書を読んでいても、文字が男に見えてムラムラ来るとされる。
女性が便秘になる原因は「セロトニン不足」であるが、本屋に行っただけで便秘が解消されたりするのは、ひとえに「一人上手」のおかげである。

小野光太郎講演会。日本経済の将来と女子力について。

プラトンは本来「五分間のパフォーマンス」を音楽作品を通じて行っていたが、勇気・自制・セックス・神聖さ・友情そして「治めること」を、もっと長時間描きたくなった。
「国家」においては「~って何?」という問題が多く、そのことへの回答を与える必要があったのだ。
「許しって何?」
それは、キリスト教においては「多数派工作に成功する」(サルベーション)ことであった。
嵐の女神

 

「舞台」「映画」のヨーロッパでの誕生は五世紀のことだった。
「知識って何?」
これを舞台・映画を見た人は「登場人物全員悪人っすよ」などと語り合い「知識」を得ていった。
「ソクラテス(女心に詳しい男)」を中心に映画は作られている。
女たちは「ソクラテス」を見てマスターベーションしていたのであり、ソクラテス(君主)の真似をしてくれる男でなければ「主人公」にはなれなかった。
再建論者は、ソクラテスを殺して我々で一から作り直そう、と言った。
しかし、舞台・映画・ドラマは容赦なく「ソクラテスの側」に立ち、女性たちを魅了し、君主の命を守った。
再建論者は、20世紀のパリにおいても、「フランス革命とは何だったのか?」と150年以上たった後に、ルイ16世を超える人物はいなかったではないかと批判されている。
「だって君主はモテるだろ?だから主人公に真似させたんだよ」
これを「暖かい風は吹いている」と呼ぶ。
風は吹いている

「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫、痛くない」

これを知っているソクラテスに、勇気・自制・セックス・神聖さ・友情そして「治めること」を語らせたのだ。
映画を見た後に、「完璧な知識」を得たよ。
体制側の君主は舞台・映画・ドラマに守られながらも、常に「冷たい風」に晒されていた。
風に吹かれて

舞台・映画・ドラマには常に注意を払っていた君主であったが、風は暖かいときも冷たいときもあった。
暖かい風がメディアを席巻すると、自分の周りには冷たい風が吹き荒れた。
みんな「ソクラテス」(君主)になりたかったのだ。
このことから、再建論者という立場が生まれざるを得ない。
ソクラテスも「子供が生まれたから」自分の立場が守られたことはよく理解していた。
しかし、娘を利用して自分の立場をよくしようとした「リア王」になるつもりはさらさらなかった。
王子様と雪の夜

「舞台・映画・ドラマの感想を聞かせてくれ」「知識というものはそういうものだ」
これが、暖かい風・冷たい風にさらされた「君主」の仕事となった。
リア王だって「ルパン三世」「ガンダム」の主人公であり続けた。
ルパン三世 エンディング

湾岸戦争のときに「国連平和維持軍」を日本国は作れなかった。
この時に、ルパン三世とガンダムは終わったとされている。
再建論者には「五年熟成させたワインが一番うまい」と教えた。
暖かい風と冷たい風の双方を知っている「五年熟成ワイン」を知らなければ「再建」しようがなかったのだ。
君主がつまらなければ舞台・映画・ドラマもつまらない。
毎日が退屈すぎるのであれば、クーデターでも企てろ。
そうでなければみんなテレビを楽しんでいるから、悪だくみの座に乗ってこない。
私が王子の頃は、暴走族すら赤信号で停車して、私の横断を待った。
今は「確変」を終えて、暖かい風も冷たい風も存在するため、暴走族が過ぎ去るのを待つしかないだろうが、当時は、私に「自信」があったのは事実だ。
とにかく、舞台・映画・ドラマがなければ「体制が維持できるとは思うな」というのは君主への教訓である。
いい宣伝効果が君主にもたらされるからである。
テクノロジーの進化も「君主の資金力」の賜物である。
インターネットというものを世の中に知らしめたのは最初は私であった。
二人目の子供が生まれたときに「何かのちの世に残そう」と考えた。
三人目の子供が生まれたときに「この子はテレビで学べばいい」と思った。
人々が見る「夢」は眠っているときの夢でも起きているときの夢でも、君主にとっては危険なものだった。
周りの人が舞台・映画・ドラマの主人公になら「俺でもなれる」と思うからだ。
それならば「読め」としか言いようがなかった。
君主に「俺でもなれる」と思ったら、図書館の膨大な本に病気にさせられるからだ。
再建論とはそれほど危険なものなのだ。
文章のセールスが伸びなければおのずと悩むようになっている。

国王は、東からの「冷たい風」をイスラエルにもたらし、王子は「西からの風」をイスラエルにもたらす。
西からの風は、国王にとって暖かかったのだろうか?
そのあたりは、取材が必要であるが、伝説的な名曲は存在する。
王子は「君主の真似をする人」「一流アスリート」が演じるしかない。
これが君主制である。
魅せられて ジュディオング

女子高生の女の子は、「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」という形而上学の結論から、「父と娘」という問題と直面していた。
お父さんを倒す力がないから、「娘」なのだ。
お父さんにはお母さんがいたし、女の子は高校生になって「クラスメートの男の子」に救いを求めていった。
高校生の男の子が仮に「仲間が多い、何かやってくれそう」であるのならば、女の子は恋に落ちた。
彼女の前では彼氏は「神」であったし、高校生レベルの見識や知識でも「完璧」でなければならなかった。
このことから「恋派」は、恋を追い越していったアブラハム(愛派)を、「お前には何を言っても分からない」と批判した。
この「恋派」の男の立場を「懐疑論」と呼ぶ。
恋と愛のニュアンス 酒井法子

星が太陽の十倍の輝きを見せる瞬間がある。
そのような「愛派」のスターを「神」と呼んでいたが、「恋派」は、あまりにも数が多く、天の川のような輝きを見せていた。
これじゃどっちが神かわからないな。
そのような対立のもとに、懐疑論というのは「天の川」の輝きとして「神」の立場をかなり集団主義的にアピールした。
天の川の膨大な記憶はそれ自身が巨大な富であり、懐疑論を否定することはファイナンスの立場からも得策ではない。
松任谷由実 卒業写真

男子高校生は、「大人のセリフ」を真似して女を口説いていた。
それならば、「昭和の恋」「平成の恋」「令和の恋」は全く異なるものであるはずだ。
「平成の恋」を経験した者は、令和天皇には常に批判的であった。
「これが完璧なのかがわからなかったからメールにも残せなかった」
これが「懐疑論」である。
BoA Is this love?

「昭和の恋」を経験したおじいさんは、案外明るく「入れて!出して!」とラカンを語っていた。
第二次世界大戦の狂気を経験したラカンが考えた「性の作法」が知られていたのだ。
しかし、平成には特に特徴らしいものはない。
令和は明らかに新時代だった。

「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫、痛くない」

性の作法が異なるのだ。
さらには「女性と親密になる方法」など、令和天皇は平成の時代からかなり広く人々に語ってきた。

思春期の頃の恋は、「女の子にとってはいい思い出」というのは毛沢東も宮本顕治も認めていた。
しかし、男の子が「明日昇る太陽」「新時代」を受け入れなくなっていたのだ。
檸檬の年頃

デカルトは「鏡を見ながらマスターベーションすると、テレビに出ている異性とセックスする夢を見る」とも言っている。
テレビに出ている女の美しさは、昭和・平成そして令和へと進化し続けている。
ゼブラや創価学会の主婦は「天皇についてどう思う?」と東大生との昼食会で語った。
ゼブラや創価学会の主婦は、お食事会の費用を経費で落とせた。
その理由は、教団本部が「東大生とのお食事会を主婦がやっている」というだけで、子会社に社債を出させることができたからだ。

主婦層は、東大生の将来を予言したり噂したりしていた。
お食事会にはお母さんも同席しているだろうから、本人の口からは言えないが、周囲の主婦層が、

「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫、痛くない」

って言って?
と「おねがい」することは可能だ。
忘れてはならない。
音楽プロデューサーや、芸能プロダクションの社長、レコード会社の幹部などの奥さんが普通の「主婦」としてお食事会に紛れていることを。
私は、瀬能あづささん(本名は別にあります)の家庭教師を高校時代にやっていた。
お父さんが小林亜星だったのだ。
瀬能あづさ 君の翼

大企業の社長の奥様に可愛がられたら就活どころではないだろう。
どの奥様も「噂づくりの達人」であり、しかも「予言を外したくない」と考えていた。
そのため、噂と予言のメインストリームに身を置くことが必要だった。
私は、小林亜星にたいそう可愛がられた。
直接の面識は小学校の時以来なかったと思う。
CoCo 横浜Boy Style

一方で、懐疑論(恋派)は、東大生になるのは極めて困難であるため、
別の「資金調達の方法」を考えなければならない。
ハロウィンパーティーやクリスマスパーティーを主催する「ゼブラ」が社債を出して、娘に「どの男の子を呼びたいかは自由に決めなさい」と言って、「恋派」「アンチ東大派」として、高校時代を謳歌しようという立場である。
アメリカでは、広い邸宅を持った家庭の奥様は、娘が高校生ではなくなっても、邸宅をハロウィンパーティーのために開放しているようだ。
ゼブラのメンバーなのだろう。
資金は、日枝神社・日吉大社から持ってくるのだ。
あるいは創価学会だろうか。
高校生は「バック」までは知らなかったため「スカーレット」とグループのことを呼んでいた。
高橋由美子 レイニーデイ×3

現在の日本国においては、「東大に入れなくてもスタンフォード大学を出たのと同じ」学識を身に着けることが可能となっており、大学入試を頂点とする学校知とは「別のルート」が当然存在してもいい。
しかし、男が予算を公布する(予算法律説)ことの必要性や、マザーファッカー(両刀使い)・オカマの攻撃性は理解しておかなければならず、つまりは「人事」も学ぶことになる。
ふだんは攻撃性・違法性をもって組織で人気を博していても「いざとなったら逃げだす連中」だということは人事を理解するうえで必要不可欠だ。
ノンケの男こそが「法律であり宗教である」ということを知らなければならない。
さて、組織ができ、お金の裏付けが得られたのならば「面白いことをやろう」(コンテク派)という立場に立つのは当然である。
男女は「2対2ならば必ず割り切れる」ということを踏まえて、NBAのスターみたいなやつも仲間に加える必要がある。
避暑地の森の天使たち

「ゲームの話題」「マンガの話題」などを話してばかりいる連中を「コンテク派」と呼ぶが、コンテク派が好きだという女は確実にいる。
昔は「パラパラができない男は無理」という女がいたのだ。
コンテク派は常に「懐疑論」(恋派)であり、東大生のような「愛派」とは相いれない存在だ。
高卒ルーキーと大卒ルーキーを区別する理由も「恋派」(懐疑論・コンテク派)と「愛派」の区別をするためである。
懐疑論者には「逆指名」する権利がなかった時代もあったのだ。

しかし、君主の肉声がある時代には「キャリア制度は解消に向かう」とも言われ、天皇が何を言っているのかがわかるのならば高卒も大卒も「変わりはない」という指摘がある。
高卒こそが、令和天皇の長寿をお祈りし、大卒は「あんなに勉強したのに」と思うこともあるだろう。
しかし、ゼブラにせよ、予算・人事にせよ、「ほとんどは大学で学んだよ」という仕組みも残されている。
いずれにせよ、実力主義を採用するのならば「28歳ぐらい」が一番戦力になる。
しかし、「高度な政治意思」の調達のためのキャリア制度が残る限り、「38歳ぐらいが一番戦力になる」とされている。

スポーツにせよ勉強にせよ、裁断的なルールをいかに精密に構築するかが問われ、人々の支持も必要だった。
アスリートや学生・生徒は常に「裁量的な」世界で訓練を積んでいたのだ。
「人が死んで勝つことほど情けない政治家はいない」
これは命という裁断的なものに依存した「裁量的なものに弱い」人物像を抉り出す。
誰もが「裁量的な」技術や技を磨いていたため、ビッグマネーは裁量的なものからもたらされるのだ。
資本論(男論)が、唯物論(女論)に詳しくなり、メジャースポーツの世界で「予言」ができるようになる。
これは、アリストテレスの、男(ファースト)、女(セカンド)、予言(サード)と何ら異なることはないが、マルクス主義者や、「資本論」という四冊の本の完成度の高さを見よ。

子供も、10歳になるまでは「ひたすら楽しみたい」と考えるだろうが、10歳を過ぎると、裁断的なルールに従わないとモテないことを悟る。
その後、自分の選んだ道で「裁量的な」訓練を積むのが人生となる。
技術革新などの裁断的な組み換えはなされるだろうが、その後、すぐに裁量的な「技」をみんながすぐに磨き始める。
裁断的なものを動かすのならばプレスリリースが必要になる。
それに応じて裁量的な「技」も変わってくるのだ。
裁断的なものはあくまでも「世界の支持」が必要であり、なにも「日本人に勝てなくしてやろう」というばかりが裁断的な変更ではなかった。
日本という国はそんなに弱い国ではなかったのだ。
大人たちは、裁断的なものを動かすことの背景にも「おカネ」を要求していたのだろう。
とにかく、平成天皇のように、邪魔者にすぐ「自殺しろ」というような裁断的ないじり方は失脚に直結した。
裁断的なものを動かすことの背景にもおカネが必要であった。
裁量的な世界で動いたビッグマネーを背景に、裁断的なルールで妥協しさらにおカネを得る、
これが「日本人に勝てなくするためのルール変更」の正体である。
「イリーガル」(反則だ!)と指摘するのは子供の基本であり、モテることにつながる。
あとは自分の技を「どの言語で」作っていくかが問われる。
このあたりは国際関係論であろうが、私の発言は常に英語から作られている。
島国に「英語で作られた技」を持ち込めば革命が起こせることは、どのトップアスリートも理解していると思う。
英語は素晴らしい言語であるが、アメリカ人は、「革命騒動」に興味ないんじゃないかな。
Perfume Edge

それを踏まえたうえで、
「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫、痛くない」

という言葉も、最終的には必要になるだろう。
裁量的な技を磨いた男が、あくまでも裁量的な「発言」をする世界なのだ。
反則などどこにも存在しない。
この「女の性欲の起源」は私もYouTubeで発言したが、何らのルール違反の指摘もない。
「裁量的なもの」「言葉のスポーツとして成立している」という判断を受けているのだ。
裁量(最良)の人になるか、裁断(祭壇)の人になるかは人それぞれだが、かつては裁量的な世界で鳴らさなければ、裁断的な世界で金儲けすることはできない。
裁断的な「ルール変更」をすると、今までの実績のすべてを失い、死人が出る世界もあるのだ。
117+136=253
これをどのように発音するつもりか?
私は当然、日本語で発音している。
それならばそれが「母国語」であり、その国で生きていった方がいい。
しかし、その「母国語」にどのような改造を施すかは人それぞれだ。
なぜ彼は強いのか?八百長ではないか?
そう思うのならば、アメリカのESPNを丹念に追ってみた方がいい。
世界はそんなに甘くはないのだ。
平成天皇を退位させたのはESPNなどの海外メディアなのだ。

資本論(男論)と唯物論(女論)があり、「予言」がなされるのが哲学の世界であり、とくにマルクス主義や、イスラム教シーア派は、それを宗教の柱とするものである。
ところが「負けることがある」のだ。
この時に「フィクション」というものが生まれた。
「負けることから始まる物語」のことをフィクションと呼ぶ。
CoCo さよならから始まる物語

「神がいないのならば私たちが発明するわ?」
これがフィクションである。
私は、アメリカの高校でタイプライターの先生と折り合いが悪く、それでも、私の英語の学習への真摯な姿勢を目撃されていた。
仲の悪かった先生が、私が帰国すると聞いて、上機嫌で話しかけてきた。
「そんなに別れが嬉しいのか」と思ったが、のちに「中国人は窓に向かって英語をぶつぶつを話して勉強している」という噂を聞いた。
あの先生が作り出した神学なのだろう。
ribbon 三つの願い

この時に、アメリカの女たちは「親日派」ではなく「親中派」という想像も取り入れている。
神を作るのは「女たち」という側面があり、純文学ではなく「語っていて楽しい」ことを女たちは自由に創作していた。
純文学は「女たちが語っていて楽しい」創作の世界ではない。
しかし、フィクションは「自分たちの好みの神を生み出せる」世界である。
ここで、「ニッポンのコータロー」と言うか「中国人」というかの違いが純文学かフィクションかの違いにすぎないであろうが。

純文学は、国家の企画立案に用いることも可能である。
しかし、フィクションは「純文学よりもより長期的な」視野で企画立案に用いることができる。
彼とは真剣勝負だった。
しかし、別れた時は嬉しかったし、私が高校二年生の時にアメリカに留学した時は、高校一年生の時の女の子が、終業式の時にはしゃいでいて、のちにこの曲を作っている。
酒井法子 窓際の恋飛行

その後、私は代々木ゼミナールの東大文系コースに入ったが、酒井法子ファンの男たちはみんな私のことを「小野光太郎か」と言っていた。
酒井法子 エアメール

真剣勝負のあとの別れは嬉しいものだ。
みんな筆が進んで止まらなかった。
このことから、プロスポーツとフィクションの共存も始まった。

女の「性欲の起源」は男よりも複雑であるが、すでに説明は終えている。
男の性欲の起源は、女が喘ぎながら「ああ貴族!ああ官僚!」というところにある。
ベルサイユの薔薇

 

お笑いの秘訣は「性欲を刺激する」ことであるが、男の性欲を刺激するうえで「男の体を褒める」ことがどれほど有効であろうか。
女の声で「キレてるよ!」「チョモランマ」「そこまで絞るのには眠れぬ夜もあったのだろう」などと言うのが有効だ。
あるいは「トイレ」と性欲の関係も指摘できる。
女が「トイレ行きたい」ということも重要である。
ボディビル掛け声

松田聖子の赤いスイートピーほど、「男の性欲」という基本を理解した曲はない。
セックスはどうしても「男による女の支配と従属」という関係を取らざるを得ず、それがそのまま、「男の性欲」となっている。
たとえば、男に「ああ貴族!ああ官僚!」と言って喘ぐことや、男の方が女よりも「体が大きい」ことを口に出して指摘するなど、「キレてるよ、チョモランマ、そこまで絞るのには眠れぬ夜もあったのだろう」など、あるいは、男社会では「女性用トイレ」に制約が多いことを活用して「トイレに行きたい」などといういことを、うまく「ポエム」に混ぜ込んでいかなければならない。
松田聖子 赤いスイートピー

 

小野光太郎講演会2 ラカン以来の性の作法とアベノミクス

 

 

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