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Foreign Affairs

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2019年12月10日 (火)

プラグマティズム~君主の真似をして生きる。

世の中には、高校時代に恋をする「恋派」と、恋を追い越していくエリート(愛派)がいる。
しかし、愛派が、「恋派にもわかるように話す」ことをプラグマティズムと呼ぶ。
つまりは、大統領であり君主である。
人々は、笑って君主や大統領を支持した。
酒井法子 恋と愛のニュアンス

「人間が何を共有しているか?」に気が付かなければ大統領にも君主にもなれないのだ。
人間は、「譲れないもの」(意思の自由のないもの)つまり「エゴとフェチ」を持っているが、譲れるもの(意思の自由のあるもの)で非常に興奮すれば笑って大統領や君主を支持する(記号論)。
デューイは、1931年に「ノーベル平和賞」というものを考えたが、何を見ていたかというと「記号論」(人々を興奮させる文章・芸能界)を理解しているかどうかだった。
その後、ノーベル平和賞は、ニューディール政策や東西冷戦を経験した。
ニューディール政策を行ったルーズベルトやヒトラー、あるいは東西冷戦下の世界の指導者が「肉声を語らなくなった」のである。
なぜなら「自分よりも頭のいい指導者が世界にいると戦争になる」からである。
また、守るべき家庭があると、なかなか「恋派の合意を得ることができる愛派」は生まれなかった。
そこで、自分に子供ができたときに、愛派はようやく「柔らかく」なることを覚えるのだ。
「子供が誘拐されたときの、いざという時」を覚悟するから柔らかくなると考えられている。

1870年に、ハーバードでウィリアム・ジェームズは「女心(形而上学)クラブ」というものを作っている。
「タフなハートを持って噛み砕こう」をモットーに、哲学を柔らかくしていったのだ。
それは、神聖ローマ帝国を滅ぼしたライプニッツ・ナポレオン系の英語よりも、さらに「柔らかい」ものであった(1907年)。
なによりも、「私の子供たちに理解してもらいたかった」とジェームズは語っている。
我々は、そもそも「ノイズのない、音符でできた言葉」を話せるのだろうか。
音符でできた言葉ならば、そのまますべてを貫通してしまうだろう。
松田聖子 四月は風の旅人

愛派は「セックスに至るまでの複雑な理論、セックスした後の複雑な理論」には詳しいだろうが、「性の作法」を語るようになるのならばラカン以来の、大統領であり君主である。
「ドピュッとやるだけが人生」と語る坊主に、その前の複雑な理論とそのあとの複雑な理論が理解できるかはその人の力量であろうが、結局、「恋派」はそれにしか興味がないのかという達観が得られた。

理論と言っても、貧乏セックスは犯罪だということから、クラミジアを研究して、「NHKの集金人が貧乏人にあしらわれて、蜘蛛を家に放り込んでいる」とか、「NHKに出演すると尻の周りがかゆくなる」(青銅の蛇)などを理解することが必要でもあるし(梅毒)、それ以外にも恋愛論は山ほどあった。
音楽作品は「プロポーズを頂点とするもの」であった。
しかし、「性の作法」(セックス崇拝・キリスト教)は、真理として確定しているではないか?
日本国の「神道」もそのことに気が付いていた。
「おばあちゃんが必死でいじめを食い止めてくれている」(祖先崇拝)、何を見ても太陽(男)が月(女)を理解して、世の中を動かしていくものだということの学習も必要だった(自然崇拝)。
高橋由美子 おみくじ

記号論にとって、「哲学の敵は反知性(イビド)」であり、常に和解の道を探っていた。
結局「男の人気」に書き換えるしかないんだよね。
チャールズ・サンダース・パースは、そのようにジェームズのプラグマティズムを発展させていった。
「記号論とは、人々を興奮させる文章であり、芸能界でもある」
芸能人を多く見た結果、変態や狂気と接することになるであろうし、それでも、公約数的見解は「性の作法」にあることを知るのだ。
彼らを見た結果「自分が何をやったらいいのかを悟る」これが必要だった。

ウィリアム・ジェームズで完成していた理論が、プラグマティズムであり、記号論であったが、それはあくまでも「土台」であり、ジェームズは「処女の向こう側、お父さん以外の男に裸を見せる女」(セカンドラブ)にまで深く立ち入ってはいなかった。
中森明菜 セカンドラブ

処女とセックスするのは難しい。
何故だろうか?
セックス崇拝をしている連中が男に「硬いもの」を窓から放り込んでくるからである。
「恋派のバカども」と言いたくなる気持ちをこらえきれなかったら大統領や君主にはなれない。
警察は「赤い息を吐くな」で済ますことができる話が、政治の世界ではそれでは収まらなかったのだ。

処女とセックスすることが難しい、恋派の連中の納得を得なければならない。
このことと向き合ったのが、チャールズ・サンダース・パースだった。
自分は子宝に恵まれ、「パワフルな政治」が可能になるが、それでも厳しいスポーツになる。
自分の学問がスポーツとして成立したのならば、本当のメジャースポーツにも生きるようになる。

このような経緯を経てできたのが、共和党だった。
自由民主党と公明党が「共和党」を名乗ることは可能であろうか?
このあたりは「神と仏」の学問となり、非常に勉強になる覇道である。
つまりは、「横文字」をうまく日本語に翻訳する才能だけがそれを可能にするだろう。

一人上手と日本経済一人勝ち理論

アベノミクスはこれから始まる。

いずれにせよ、プラグマティズム(君主の真似をして生きること)が、記号論と出会って、恋派と愛派の妥協点を見出すことを「真理」と呼んだ。
クンバカが真理だとする連中と、セックスが真理だとする連中の「真理は同じ」ということを知らなければならない。
民青(中堅校出身の東大生)と、原理研(一流高校出身の東大生)に妥協点はあるのだろうか?
一流高校の連中は、カマまで掘られて生き残っていたのだ。
妥協点は抜き差しならぬ問題とならざるを得ない。
それを「真理」と呼ぶのだ。
愛派には、「常識に戻ろう。恋の生み出すお金は無視できないだろう?」という問いかけがなされた。
この問いかけを行わなければ、愛派が「ギリシャ哲学」を振り返ることもなかっただろう。
「男が勇敢な形で敗北する」「反則を使った神が無様な姿で負ける」
これを「笑顔でノーサイド」と呼んだ。
「恋」だけは彼を見捨てなかったからだ。
笑顔でノーサイド 宮前真樹

日経平均株価というのは、上昇すれば「日本国の豊かさ」が増すことになる。
しかし、なぜ「下がることがある」のだろうか。
答えは「失業率の増加・利上げ・インフレ」の三つにある。
女たちが魅力を増せば、株価は上がるが、「あいつ仕事ばかりしてすべての女を独り占めしようとしているのか?出て行ってくれ」などの失業の理由があったり、利上げというのは「クビにしたい上司がいる」から行うものであるが、権力を利用して、部下から女を奪うなど、女の魅力が高まる日経平均株価の上昇は必ずしも歓迎すべきものではない。
また、インフレというのは「感じなくなる女が増える」という意味であるが、「ひきこもり主婦」のように、セックスのし過ぎでノイローゼになってしまう女性もいることから必ずしも日経平均株価の上昇を望んでいない人たちがいる。
「失業率の増加・利上げ・インフレ」の三つがあるから「株価は右肩上がりではない」という現状がある。

また、日経平均株価は必ずしも「女理論」で割り切れるものではないとの指摘も考えられる。
世界経済の影響を受けるのは事実であるし、また、企業の業績に従っているのも事実である。
しかし、「切れ味のいい理論」ならば使おうではないか?

まあ、「君主の真似」をするのがプラグマティストだとするのならば、あとは「経験」に委ねるしかない。
「女性にモテた」「気持ちよかった」「健康になった」などいろいろな経験談に頼るしかないのだプラグマティズムであり、人々の経験がなければ議論する理由がない。

君主は、スタンフォード大学の高等教育を受け、カリフォルニアのエリートだった。
オックスフォードの英国紳士と「言っていること」は同じではないか?
また、「仕事とセックスは家庭に持ち込まない」という人もいるだろうが、企業の重役さんなどがそのようなポリシーを取っており、しかし、息子や娘たちは「お父さんの仕事」には興味津々であった。
家庭内では「天網恢恢疎にして漏らさず」と言って、下ネタは禁止であったが、それで世の中は成り立っているのだ。

それでも「共和党とはアメリカ独自の存在なのか?」が議論された。
気持ちいいセックス(アメリカの正義)は、ほかの国では通用しないとも言われた。
しかし、どうだっただろうか?日本人は案外アメリカに対してオープンであっただろう。
ribbon 愛してジャスティス

「私はエリートだ。恋なんてものに回帰していくことはできない」という立場は当然存在する。
企業は「東大の論理」でも動くし、「スタンフォードのお下劣論理」でも動く。
あとは「多数派工作」だけが待っているだろう。
私は「東大の論理」もかなり勉強したが、勉強していると鬱になる。
権力がそのように動いているという側面は楽しかったが、なにしろ国内の主流派であり、つけ入る隙もない。
しかし、スタンフォードの法律学は「小野臨調」でも紹介させてもらったが、学生たちに大人気だった。
すくなくとも、芸能人女性は「東大?それが何?」という反応であり、スタンフォード大学の論理以外に通用する世界ではない。

「役所とはこうやって話すのね?」と言っていた女性芸能人はいたが、あくまでも「東大慣れ」する必要だけがあり、スタンフォード大学がなければ「こちらからアクションを起こす」ことはできない。
「お上」を動かすのはあくまでも「スタンフォード大学のお下劣ネタ」であり、私もそのような「君主」こそが「英国紳士」であり、人々の経験談に支えられた存在だと考えている。

いじめにも遭遇するし、音楽作品にも親しんだ。
はたして、学校の先生が「令和天皇みたいになってほしいからだよ」というかは明らかではないが、プラグマティズムというのは、常に「政府与党と共に歩む」者たちの立場だった。

1990年代に、私が東京大学に合格してから、女の子が「からだ一つで」夢が見れるようになった。
これは新時代の始まりであり、最終的には、彼女たちは芸能界に入って、歳を重ね、中年になった頃に私が天皇になり、「気持ちいいセックスとは何か?」「からだ一つで夢を見るとはどういうことか?」を明らかにしている。
19歳の東大一年生ならば、この境地には至るだろうという加速度も周囲は念頭に置いていた。

 

「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫。痛くない」
若さに自信のある女の子は「若い女性ホルモンを感じて?」と言ってもいい。 また、「エンジンが効いてる」というのも有効だ。
これを覚えよう。
「あなたの子供が生みたい」も適宜用いる。
「ああ貴族!ああ官僚!」
「大きい」
「オナニーさせて」
これで女性がオーガズムに達するのは明らかであるが、考えなければならないのが「貧困女子」のことである。
そもそも「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済学」という基本を理解しなければならない。
君主は、妻を愛し、それでいて周囲の女性たちを愛するという二元論に立脚していた。
瀬能あづさ I miss you

妻が産んだ子供たちは可愛かったし、それでいて政治力(女心の理解)を深めたかった。
そのためには二元論の立場に立たざるを得ない。
妻以外の女たちも、君主に「女とは何か?」を教えたために豊かになった。
他の女たちは「おカネ目当て」という側面があったため、おカネをもらったら君主とは適切な距離を置いて、ファミリーを見守った。

要するに「君主とともに有名になった女がたくさんいる」ことを、プラグマティストフェミニズムと呼ぶのだ。
深津絵里 CM

プラグマティズム(君主の真似をする主義・思想)は、女性を強烈に「快楽の対象」にせざるを得ない。
なにしろ「君主」であったからだ。
愛された女たちは「沈黙」するか「セリフを読む」「歌を歌う」ことしかできなかった。
強烈な快楽の対象となった羽田恵里香も、私とともに有名になった女の一人であったが、「セリフ」「歌」以外では「迷子」にならざるを得なかった。
羽田恵里香 迷子にさせないで

「それでも彼女たちは君主のそばで生きてきた」
メンタルクリニックでひどい鬱に悩まされてきた私であったが、彼女たちもすぐ隣で病院の順番待ちをしていた。
「有名になるという病気」を抱えた者たちが隣同士になるのは当然であったし、横浜という土地柄、クリニックの数は限られていた。

君主の真似をして生きるプラグマティズムには、「哲学は難しすぎる」という負の側面と、「言葉の誤魔化しをやる連中を排除することができる」という明るい側面があった。
自己欺瞞というと「男が勇敢な形で負ける」「反則を使った神が無様に負ける」などのいみであることや、自己疎外というと「自分と世界が遠くかけ離れる」という意味であることなどを明快に描くことができる。
また、君主の真似をして生きると「キャラ設定」が無難に行えるとも言われ、そのアイデンティティは「勉強が好きであること」「性に寛大であること」そして「日本語ができる人が日本人」という割り切りがあることなどが指摘できる。
性に寛大であることはブルジョアであることを意味したし、親が勉強するだけのおカネをくれることをも意味した。
また、日本語がネイティブランゲージであったことから、「俺の言っていることがわかる人は日本人」という境地にもなった。
その影響力にかんがみると、なんら差別主義の立場には立たないことを示していた。
君主の真似をして生きると言っても、いつかは特定の女にプロポーズをしなければならなかった。
101回セックスしたら、女が「殺す、殺す」と言い始めて、「僕は死にましぇーん、貴女のことが好きだから」と言わされる羽目になる。
プロポーズを頂点とした全体主義に若者は身を置いているのであり、「処女とジャニーズ」というスターリニズムとは距離を置いていた。
ribbon Virgin snow

「処女とジャニーズ」をセールスにかけるスターリニズムの影響力は強かったが、それは「性への寛大さ」とは異なる論理を持っていた。
ジャニーズは「太った女」を量産したし、処女にこだわるというのは性への寛大さを疑わせる議論だった。
高校一年生でも、クラスメートの女子の中には、読書感想文が入選する女子もいた。
普通に「子供がいた」のだ。
子供がいなければ「コピーペースト」しかできないと言われ、文章を要約する才能は通常は持っていない。
「大意を述べよ」などというのは子供たちにとっては最悪な問題であった。
そういう問題は親などの「子供がいる人」に答えを聞いてみるしかない。
「大意を述べよ」とは自分の人脈を問われていたのだ。

共和党の言っていることの「大意」をつかんだら、資本論(男論)が唯物論(女論)をかたり「予言をする」という共産主義の世界が開かれた(新左翼)。
旧左翼との違いは「予言」にあったし、メジャースポーツなどで生み出されるビッグマネーが異なった。
1960年代以降、新左翼はメジャースポーツを楽しみ始めたのだ。

唯物論(女論)と言っても、私が考えた「男女の性欲の起源」から始まり、垂加神道のような「客観的事後予測」(男から見たセックスの影響力の見方)などのようなものである。

女に電話して、「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫。痛くない」
「若い女性ホルモンを感じて?」
「エンジンが効いてる」
「あなたの子供が生みたい」
「ああ貴族!ああ官僚!」
「大きい」
「体中の血液をチンポに集めて?」
「オナニーさせて」
「私の柔らかい体を見て」
「いい匂いがする」
「からだが締まってくる」
「秘密は守ってね」と言わせてみよう。
千年の媚薬 CoCo

このセリフの対象にされる女を「主観的判断」と言い、どのようなリアクションを取るかは女によりけりだろう。
私の場合は「彼女たちの各人の都合」があり、電話に出てもらえなくなった。
なぜならば、これが「男女の性欲の起源」の真理だったからだ。
瀬能あづさ 愛になりたい

セックスに「悔いが残る」ことを「因果関係」と呼び、それを「男の側から」判断できるのか「女の方が詳しい」と見るかは時代によって異なる。
男性社会を強烈にアピールする行為無価値論の立場からは「客観的事後予測」が主張され、女の社会参加を求める結果無価値論の立場からは「主観的判断」が求められた。
「君主の真似をして生きる」のならば、家庭崩壊だけが怖い。
そのため、最高裁はいまだに行為無価値論を堅持している。

いずれにせよ、プラグマティズムは、君主のエネルギーを政府与党と直結させる形で「共和党」を作ったのだ。
共和党選出の大統領は君主であり、民主党選出の大統領はそうではないという奇妙な構図も生まれた。
一人の人物が「民の支持」を得られない時代というものは確実に存在するため、それでいいとされている。
アメリカ合衆国においては、インターネット時代というものは「ほとぼりが冷めるまで」民主党が楽しみ続けただろう。
「トランプショック」というものは、令和天皇が王子の時代に「聖子ちゃんは神・男・聖霊の完全性を議論している」としたことから引き起こされたものだ。
次の大統領選挙でも、「男女の性欲の起源」がトランプ大統領を支えるネタとなるであろう。
つまり、来年の「トランプ外交」は、案外「乱暴なものとはならない」という見方も可能だ。
君主も、思うにまかせぬものは山法師(宮内庁)と考えているうちは、人々に必要とされ続けるだろう。
台風撃退の歴史が日本の宗教史ではあったが、山法師は「男女の性欲の起源」が分からなければ治まらなかった。

長屋王は、吉備内親王と結婚し、政界の重鎮となった後に殺されたが、今は時代が違う。
長屋王の変は「藤原氏の起源」とされているが、藤原氏も逆らえないような知識がアメリカ合衆国にはある。

三島由紀夫は「天皇とさえ言ってくれれば君たちとも組める」と新左翼に訴えかけたが、君主の言っていることへの理解度や、学歴などが両者の垣根を作っていたものと考えられている。
私も村上春樹とはよく話をしたことがあるし、対立したことがある。
しかし、三島由紀夫と昭和天皇の関係ほど深い仲ではない。
しかし、私は村上春樹にとって「作家としての先輩」だったことは事実である。
昭和天皇と三島由紀夫の関係は「マルクスとエンゲルス」の関係に似ているとされている。
つまり、科学的社会主義(学問にもとづいた自由恋愛社会)か、空想的社会主義(学問には必ずしももとづかない自由恋愛社会)かの違いだ。
ノーベル文学賞は常に科学的社会主義を見ていたのだ。
「プロポーズを頂点とした全体主義」でもあったし「処女とジャニーズ」を用いたものでもあった。
前者を、マルクス・レーニン主義と呼び、後者をスターリニズムと呼ぶ。
どのみち、「男女の性欲の起源」が理解できないと発展しないのである。
スターリンは「ジャニーズ帝国」の研究などから、ヘンタイの存在に気が付いていたが、トロツキーは、よりレーニンに近かった。
トロツキーは、レーニンに近かったというよりも「ナチスドイツの構造に詳しかった」と言った方がいいかもしれない。

男女の性欲の起源とは、かなりナチズムに近いものがある。
「男であること、女であること」は、ミシェル・フーコーが1970年に決めたが、それ以降に、ナチズムが登場する可能性を令和天皇は示した。
あとは、「キャンパスライフを楽しんだかどうか?」という学歴社会だけが残った。
大卒でないのに「能力は大卒と変わらない」という時代は君主性を危うくする。
低学歴者の「下半身」をわしづかみにする「君主」というものそのものが、君主性を危うくしてしまうのだ。
それは「政治的無関心をなくす」からであると考えられている。
高学歴者からの反発も当然予測しなければならない。
「右翼少年の誕生」であり、「矯正は困難」と呼ばれる事件もあった(風流無譚事件)。

令和天皇が、英国のEU離脱及び、「世界の髪の長い19歳の女の子」がもたらす富を英国イングランド銀行に集めたのも事実だ。
シルバーリングに口づけを

私の「東京大学の限界を悟り、アメリカという覇権国家の知識を吸収していく」という国家社会主義と、共産主義は「どちらが正しいのか?」をナチスとソビエトは決しようとしたが、アメリカとイギリスという資本主義国家が、その結論を有耶無耶にしている。
いまだに結論は得られていないのだ。
マンチェスターユナイテッドや、シカゴブルズを愛する人たちがその結論を出そうとはしないだろう。

君主(天皇)にせよ、首相にせよ「常にその地位を狙われていた」ため、よく勉強したし、赤ん坊がノイズの世界に晒されたときに、いちばん聞くに値する「ホワイトノイズ」は君主や首相が発信していた。
問題は、世界のほかの国に「自分よりも賢い指導者」を見つけたら戦争になるということであり、肉声を発することのできる指導者は国内でも限定的だったということである。
妻という大切なパートナーがいながら、「女」「女の口説き方」を発信することは二元論だった。
権力闘争こそが「宗教」を生み出していたため、それをいかに裁量的(創造的でありゲームとして成立するもの)なものにしていくかが問われた。
王子は「伊勢神宮の人格的統治者」をやって女性たちの人気を博さなければならなかった。
この経験を経なければ君主が務まらなかったのだ。
王子の仕事は「受け身」なものではない。
国家世俗性説に立脚してもいいし、宗教非抑圧論のもとで「王子が熾烈な権力闘争をしている」ことが人々の支持を集めてもいい。
宗教非抑圧論の方がより「パワフルな」宗教が生まれる可能性を秘めている。
どの子供たちも学校では権力闘争を行っていたため、宗教非抑圧論というものは存在する。
国家世俗性説の時代もあるだろうが、そんな時は、民主党政権に移行せざるを得ない。
国家世俗性説や民主党政権は「セッターのいないバレーボールチーム」にたとえられ「どこにボールを返していいかわからない」と批判され、その政策がどこから出たのかわからない、と語られるが、そういう時代も過渡的には存在しうる。
「100万人保育拡充」と「女性の社会参加」を民主党政権は推進したが、「女」というものを知らな過ぎた。
そのあたりは、国家世俗性説の限界だったのだろう。
職場の上司は「仕事を教えてくれる神」であるが、看護師などはその「神」を外国人の名前にするという知恵を持っている。
また、ステークホルダー論のように、顧客ともセックスしてしまう女性社員がいるケースと、株主利益最大化論のように、セックスサークルを社内だけにとどめておく発想があり、日本国では株主利益最大化論が通説とされている。
「男女の性欲の起源」が明らかになった以上、ステークホルダー論は、「会社に溶け込みたい」と考える女性社員にとっては有害であるという指摘は確かに可能である。
瀬能あづさ ノーと言えない

男女は「知性」によってつながっている。
顧客に知恵があるのならば、女性社員はステークホルダー論の立場に立つかもしれない。
しかし、「デリカシー」というものは「ベッドの上で情報を漏らす」ことを否定するものであり、大企業の多いフランスで採用されている。
カトリック=大企業=デリカシーは、切っても切れない関係なのである。
漏らす情報は「違法秘密でなくても」十分デリカシーを侵害しているとされている(西山事件)。
女は知恵と知識を生み出すためにいろんな男の声を聞きたがっている。
しかし、デリカシーだけは守ろうという株主利益最大化論に、宗教非抑圧論も味方するだろう。
「肉声のある君主」にしか取れない立場なのだ。
苦しみの向こう側に立たなければ「肉声」を語ることはできない。
「僕、そのことをすでに知っていたよ?」という観音様では困るわけだ。
観音様は「僕、そのことをすでに知っていたよ?」と言ってお年寄りに撫でられていたが、観音様=聖徳太子と、君主は明らかに異なる。
「人間とはなぜひとつになれないのか?」と言ってベルクソンの論文を読んでため息をつくのがあらゆる指導者の経験談だったはずだ。
あとは「あの王子、カッコいい!」と若者が「君主の真似」を称賛される経験論を待つほかはない。
それが「君主制」というものなのだ。
君主が「北風」しか吹かすことができなくなったら、王子は「南風」を吹かして次世代をうかがうだろう。
センチメンタル南向き タンポポ

また、君主と王子という図式がどの男の子にも当てはまるのならば、「レイプと女嫌いだけが女が神に失望する理由」ということを踏まえ、呪いや祝福に脳がアクセスしていないセックス(レイプ)が防げるかはともかく、「女嫌いの男の子」だけはなくすことができるのではないかとされた。
つまり、「神さまを信じることができるかどうか?という滑りやすい坂道」を転ぶことなく上っていけるのが君主制であり、その人々の信仰心は、天皇陛下への侮辱を「貴様!」と呼ぶ国民も現れた。
冬の微粒子 CoCo

クリスマスを考えたのは、「プロポーズを頂点とした全体主義」であるレーニン主義でも、「処女とジャニーズ」を推進したスターリニズムでもなく、より「ナチズムの性欲の研究」に造詣の深かったトロツキーだった。
1970年代以降の、ネオプラグマティズムは、君主が常に「王子」を探しているという構図を構築した。
日本国の北風と南風は、イスラエルの東からの風と西からの風に該当する。
風向きが、中東では常に問題にされ、日本国の北と南が、中東では東と西となっていることから「宗教マップ」が若干異なる。
君主は常に「暖かい風」を求めていたし、平成天皇ですら「ノストラダムスの大予言」の時に私を頼り、「北朝鮮による拉致問題」の時に安倍晋三を頼っている。
君主は常に王子を探していたのだ。
ジュディオング 魅せられて

君主といえども、人間の経験には限界があったため、「女に甘え、若者に甘える」という甘えの構造が君主制を構築していたわけである。
どれほど多くの哲学者が、ヨーロッパ君主制・大統領制を支えてきたかは数知れないものがある。
少女マンガにしか興味のない女の子を愛せるか?
「性欲の起源」によって踏み込んでみることは可能なのだ。
みすぼらしいファッションをバカにされたりしても、君主でいられるか?
それは両親との和解が困難だった証だろう。
中年以降に感じる「母の愛」というものが日本人には存在するのだ。
病人や貧乏人から学んでいるのが君主なのである。
すべての病気の源は「鏡で見る自分の顔」が原因かと思うこともある(ミラーイメージ)。
健康になりたければ、できるだけ映りのいい鏡の自分の顔を眺めてみよう。
私の顔 タンポポ

16世紀から17世紀にかけての宗教改革(ルター改革)は、「美の改革」でもあり、ミラーイメージが健康に極めて重要な意味を持つようになった。
アイドルの実物を知らないと、とんでもない病気になってしまうこともある。
「私の顔はこれでいいんだ」という境地になるコペルニクス的転回が極めて困難になり、多くの病気を生み出していった。
また、「恋をする」ということも重要だった。
コンプレックスのない「男の顔」があるとするのならば「女の子」だと自分をみなしかねない。
スペース(空間)でダイナミックに動くためには「顔」が重要になってくる。
「私の顔」がどこに住んでいるのかを正確に理解する必要がある。
女性の場合はそれが裸体にまで関わるのだ。
動くという動作そのものが「顔」と関わっているのだ。
しみったれた顔をしていると幸福すら逃げていきそうだ。
バスルームでキャッチホン 高橋由美子

あなたはそれをやってはいけない、というのは「顔」が決めていた。
他人に自由に声をかけることができる、それはアスリートが「スペース」をうまく使う上での日常トレーニングだった。
現代人の身体能力の限界を芸能界が作った、とも言われ、この「顔」の研究が立ち遅れていた日本国はまだまだスポーツポテンシャルに満ちていた。
自分の「顔」が「御神影」とまで言われて崇拝されると、一気に足腰が立たなくなる。
そのメカニズムまで正確に理解する必要がある。
自分よりも人気のある人はどうしても存在するし、勝負事の世界では結果を出さなければならない。
そのために「顔」の研究をやらないで勝てるアスリートはいないのだ。
モテるかモテないかでこの20年間「いじめ」が存在したのは認めざるを得ない。
しかし、「君主の真似」はアスリートにも影響を与える。
女にモテれば、男社会での序列も高まるのだ。
息子は父の影響を強く受けざるを得ない。
私の父は「女の話」を家庭内で話すことを極端に嫌ったため、私もアスリートとして大成する時期を失った。
ボクサーとしての才能への評価は東大では高かったのだ。
肉体をいじめる快楽は、社会でいじめられる快楽と似ている。
しかし、社会人としては「いじめの対象」というだけであってはならない。
自由度を少しでも高めていかなければ肉体はどこかで悲鳴を上げるからである。
ミシェル・フーコーが「あなたは生まれた時から男の子・あるいは女の子」と決めた1970年以降、それにいかに順応するかがあらゆる世界での才能につながった。
超人的作家は「顔と学問が一致しない」と悩んだ。
手塚治虫の腰痛もそうだったのだろう。
哲学界の答えは「同性同士の社交性」ではなく「男女の社交性」にその答えを見出すようになっていた。
私も「冴えないおっさん」であるが、その超人的文章に、腰痛に悩まされる理由を見出すことができた。
「ブラックジャックが知らないこと」を知ることができたのだ。
「差別のある社会」では当然、才能を伸ばすというのは難しいことだろう。
「ハワイ出身者」が実はアメリカ合衆国本土では差別されていることも認めなければならない。
「顔」というものは、実績が作るし、知名度が作る側面がある。
その重要性だけは指摘しておきたい。
酒井法子 シャワールームに電話

君主が歩んだ権力闘争(宗教非抑圧論)の結論が「テレホンセックス」であり、それは仏教のクンバカとも、キリスト教のセックス崇拝とも共存できるものであった。
「人はなんのために戦うのか?争うのか?ざわめきたつのか?」の答えがここにあった。
電話の向こうで喘ぐご婦人たちを目の当たりにし、男たちは恐れおののいた。
これが「君主制真理神学」の結論でもあった。
キャバ嬢もこのネタには嘘はつけなかったのだ。
愛の炎 田中れいな

パースは「君主がいちばん芸能界に詳しい」と胸を張った。
生娘を嫁にもらったことから、夜を徹して争った男たちもマクベスのように明け方になってむなしくなっていた。
周囲の男たちみんなに「満足とは何か?」を教えればいいことが分かったのだ。
「権力闘争を終結させるためのプログラムを持っている」という意味では君主はリチャード三世でもあった。
背景には、女=おカネという割り切りがあった。
ケインジアンでもあるのだろう。
「真理」とは教えるものではない。「人気」によって証明するものだ。
女たちが奪い合うものが「真理」だとも言える。
共和党政権下のアメリカ合衆国は強い。
しかし、「もはや我々の手の届かないものとなっている」とアメリカ政府首脳が考えるような出来事があると民主党政権に移行した。
どうにかマクベスをめぐって争った男たちを治めようとして知識を求めたが、知識はやがて「真理」となる。
「絶対」はとっくに見つけていたが、「真理」を求める道筋を確認し続けるのに役に立ったに過ぎない。
人々の想像をはるかに超える「ありえないこと」を目撃したら、それを「真理」と位置づけ、自分なりのプラグマティズムを体系化するしかない。
ネオプラグマティズムは、それだったら、他に「真理」はあるのだろうか?という方向を見始めた。
パーフェクトヒューマン

女を口説く方法を説いていた君主がいよいよ「本番」について語った。
「絶対」とは女を口説く方法の世界にあったが、「真理」とは本番の世界にあった。
女を口説き続けて、絶対を悟り、迷うことなく「真理」に到達するのだ。
アメリカ大統領選挙は「四年に一度」であるが、日本の天皇制は「千年」の媚薬と銘打たせてもらった。
2年間のトライアスロンでは到達できない境地であることは私も理解している。

「令和真理教」としての神道・仏教・キリスト教はここで完結させることも可能である。
しかし、「オカマ」「ゲイ」「レズビアン」などがこの「真理」すら拒絶することも想定しなければならない。
カマを掘られたことのない「人物」が作り上げた「理想」に過ぎないという受け止められ方も十分に考えられるからである。
このことから、私の哲学の探求はまだまだ続編があるのである。

体制の安定のためには、「男女の性欲の起源」(科学)をよく理解し、人間社会の半数は女である(民主主義)というものをよく理解しなければならない。
男女の性欲の起源(科学)を理解するだけで、芸術作品の見方も変わってくる。
「セックスはムードですもの」
「クリトリスから先がいいわ?」
「濡れてきたね。スムーズだよ。リラックスして」
「呼吸を乱してもいいんだよ」
「大丈夫。痛くない」
「若い女性ホルモンを感じて?」
「エンジンが効いてる」
「あなたの子供が生みたい」
「ああ貴族!ああ官僚!」
「大きい」
「体中の血液をチンポに集めて?」
「オナニーさせて」
「私の柔らかい体を見て」
「いい匂いがする」
「からだが締まってくる」
「秘密は守ってね」
恋するフォーチュンクッキー AKB48

「科学」が発展すればするほど「隣人の妻を犯すなかれ」という言葉が強烈に響いた。
ここから「感じない女」というものはできるものなのだ。
隣人の妻ほど興奮する存在はない。
しかし、それを強烈に戒めるのが共和党であり、君主であり、イエスキリストであった。
経済に悪影響を与えるからである。
「遠くに住んでいることもよかったと思っている」「まだ私は感じるから」
穴井夕子 フェアリーデイズ

また、隣人の妻を犯すと多数決が機能しなくなる。
「民主主義は多数決ですから」=「隣人の妻を犯すなかれ」と表現することも可能だ。
あるいは、科学の発展にともない、「処女のガード」もかなり厳しくなった。
隣人の妻を犯すなかれ=隣人愛は、民主主義ともつながっていたし、感じない女をなくす経済政策の柱ともなるものである。
この「君主の教え」が機能しなくなると、リベラルの研究が必要になってくるし、景気の悪化と雇用対策のための民主党政権が必要になる。
君主は「男女の性欲の起源」(科学)を明らかにしたのであるならば、隣人愛=隣人の妻を犯すなかれというメッセージを明確にしなければならない。
これは「カトリックマイトレーヤ」とも呼ばれるものである。
同じ人数だけいる男女が、隣人愛を実践して、なおかつ愛し合うのならば、民主主義はプロスポーツの世界でもかなりの強度を持つことになる。
しかも、「多数決」がかなり円滑に進むようになる。
エリート階級が「恋愛論」を拡散しやすくなるからである。
「恋の話を聞かせてください」という女の子たちには政治を理解する才能があった。
隣人愛の崩壊から君主制は壊れていくのだ。
今の自公政権も同様の意味合いを持っている。
公明党=創価学会のおばさんが人気のある男の悪口を言いふらさなければ、隣人愛の崩壊と自公政権の崩壊、そしてリベラル社会の研究に詳しい立憲民主党や国民民主党の政権の到来を予感させる。

さて、令和の新時代の最初の年を終えようとしている。
そこで、もう一度、「天皇制とは何か?」「天皇に政治的権能はあるのか?」について語りたい。
振り返ると、苫米地事件において「天皇の政治的権能」が争われた。
吉田茂首相は、池田、佐藤、山崎のわずか3名の署名を持って那須に向かっている。
昭和天皇は「ワシの源氏物語の印税では首相を含め四名を支えきらんか」と思ったことは推測に難くない。
作家昭和天皇の印税が国会対策費・メディア対策費に用いられていたからだ。
三島由紀夫すら舎弟にしてしまったのが源氏物語であった。
考えてみてほしい。
通常、内閣が批判にさらされるのは国会の会期中だけであるということを。
他の芸能人はまるで「通年国会」のように、一年中インターネットで批判されているのだ。
「会期制」の意味をここで悟るのだ。
スマップのように本当に「解散」してしまう芸能人もいる。
そこで、私も、「印税」が首相および内閣を支えきれなくなるほど文才が下がったら、平成のように「首相の名前や就任した順番を覚えていない」ことにもなりかねない。
これが、天皇制の本来の姿であったし、そのような「資金メカニズム」を理解しなければ、天皇制の議論は深まらない。
「おカネ」を語らなければ天皇制を議論する意味がないのだ。
そこで、芸能人すら「天皇の印税」に頼ることが可能であることも悟ることができる。
さて、リビアでカダフィが殺されたときに、アメリカは「8か月で憲法を作り、8か月で選挙をやる」という計画を立てた。
日本国にアメリカ軍が駐留して、松本委員会は、アメリカの何に「衝撃」を受けたのであろうか?
アメリカは「愛とは何か?」「嫉妬とは何か?」「愛国心とは何か?」「忠誠心とは何か?」などの問いかけをポンポン投げかけてきて、松本丞二が立ち往生したであろうことは想像に難くない。
たとえば、天皇は「サブジェクト・トゥー」と連合国側に示されたと語られているが、アメリカの真の意図は「連合国側の女性たちの支持がある」という意味だったのだ。
これを、当時の翻訳は「従属する」と訳すという国益への大損害をもたらしている。
あるいは「象徴」というのは「記号論」でもあり「君主」としての作家であるという意味であった。
「戦争の放棄」も、「思い出話をしよう」という翻訳が正解であった可能性もある。
国民主権とは、「国民こそが最高の作家である」という意味とも受け止められる。
「至高」とは30歳を過ぎて社会デビューする弁護士のような存在であり、究極とは「サラリーマン」のことである。
小説吉田学校
愛とは「妹への愛は長続きするのに、彼女との愛は長続きしないのはなぜか?」という議論でもあり、嫉妬とは「彼に与えられたいいものが自分にも与えらえる可能性があった、しかし、嫉妬心から自分の仕事が手につかなくなってしまったり、病気になってしまうことがある」ことを議論するものだ。
また、愛国心とは「国の個性を見るという意味では息子への愛と変わらない。しかし、性欲を満たしてくれる国であれば、他の国のボルテージの高まりとともに高まらざるを得ない」などという議論であり、忠誠心とは「なんでこんな奴に忠誠を尽くしているのかな?といわれると、人生のため」としか言いようのないものである。
自民党の憲法調査会は、憲法判例などを調べているようであるが、最高裁判例は、「二人の女の争い」が最終的に議論になってしまい、そのために朝日訴訟のような生活保護受給権までもが、14万円程度の金額の争いでも最高裁に行ってしまう。
rebecca ラブパッション

なお、「8月革命」とは「夏休みの資金集めの方法が政治コミュニティーで変わった」という意味であり、ロシアで知られている「何月革命」というものを昭和天皇は熟知していたものと思われる。
常に「カネの心配」をしているのが天皇であるという現実を知らなければならないだろう。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

さて、「男女の性欲の起源」について話してきたが、すべてのセリフの共通項は「支配と従属」にある。
マルクスは、「男社会にも支配と従属はあるんだよね」とし、しかし「賃金」という形でそれをお金に換えることにした。
セックスするたびに、聖書や立正安国論にしがみついていた主婦たちは、「資本論」という新たなテキストを得ることになった。
東大ボクシング部在籍の頃に、先輩に「声出せ!」と私が怒鳴られていたことも周囲は詩にしている。
グッバイフレンズ 三浦理恵子

人間は、子孫を残すために性欲がある。性欲があるから「笑う」のだ。
もし、宇宙人が笑うのならば、そこには性欲があり、さらには「死」があることを意味する。
このあたりをコントでいじると面白いかもしれない。
デスラー総統

最後に、我が国は、アメリカによるエネルギー革命がなければ、OPECが怖くて「イスラエルについて語れない」国であった。 陛下がシリアやイランを基盤に冷たい東からの風を吹かすのであれば、王子は「暖かい西からの風」を吹かす。 我々は令和の君主制の確立をすでに見ており、王子の「暖かい風」を楽しめり環境にある。 王子といっても安倍晋三から羽生結弦まで大勢いるが、テレビを楽しむのもまた一興であろう。 暖かい風が君主にとってどう感じられるかは明らかではないが、それもまたイスラエルの「世襲」というものであった。 また、本ブログが「モテる奴が受かる」国家試験や司法試験、東大入試などに出題されることから、丸山スタイルではなく「横浜ボーイスタイル」と名付けたい。 CoCo 横浜Boy Style

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