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Foreign Affairs

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« ワキガ・多汗症について。 | トップページ | アメリカの行政学(最新版)。 »

2019年10月15日 (火)

プロポーズ大作戦。

男の子は、大人になって何者かになり、女の子は「女子高生最強!」の時代から凡人だと悟る。
男女の人生の交差に「プロポーズ」があるとしたが、文学はこの学問を究めるものである。
男は「自分の先生」に自信がなければプロポーズできない。
男は「この女が俺の子孫を残すのか」と思うと緊張したし、自分の「先生」の力も考えた。
恋じゃなくなる日 Bz

女が自分にとって「アイドル」であったこと、さらには、男が略奪愛の結果、女と出会ったこと、さらに、先生の論文が「エロ本」に見えるようになったこと、いろんな要素が男の側の「緊張」にまとわりつく。
「男が女にプロポーズできるようになること」
これがつまりは「教育」の目的であり、自分にとっていちばんふさわしい女と出会い、略奪愛の対象になるほどのノンケであり、先生の言うことがわかるようになることが必要だった。
ribbon virgin snow

彼女との約束の一時に、20分遅刻しそうだ。
どのような乗り換え案内を利用したら約束の時間に間に合うだろうか?
そのように考え始めたら真剣であることを意味する。
高橋由美子 will you marry me.

圧倒的な劣勢にあったボートレースで、折り返し点が地平線に見えた。
先頭はもう折り返し点にいた。
そのような気持ちで生きていたけど、なぜか彼女のことを考えたら、人生ゲームでは折り返し点にたどり着いた。
空も飛べるはず スピッツ

すべての人間が、彼女のもとにたどり着く途中で泡を吹いて倒れているのが分かった。
しかし、自分だけはなぜか元気だ。
おそらく自分の結婚すべき人は彼女なのだろう。
ribbon ポイズンの退屈

彼女と会うときはいつも雨が降るな。なんでだろう?美男美女が会う時に雨がふるって先生が言っていたな。
高橋由美子 レイニーデイ×3

財布を盗まれたけど、彼女との間に子供をもうければ取り返せると思った。
松田聖子 抱いて

医者にわけの分からない診断を下された時に真っ先に思い出した人だった。
CoCo Newsな未来

なんだか分からない湿疹ができて、とにかく寝ていたが、二週間前に飲んだ薬が原因だろうと考えた。
首の周りに塗るクリームが古すぎるのかななどと考えた。
ribbon 好きと言える気持ち

遠くに行ったときにも迎えに来てくれた。ダイヤモンドだと彼のことを思った。
ribbon be my diamond

いろんなことを考えてマスターベーションをしたけど、やっぱり「マスターベーションがいちばん気持ちよかった」ことが大事かな?
気持ちのいい人を「人気者」と呼んでいるからね。
それと、やっぱり「気持ちよさ」と「確かめ合う」ことも必要ね。
藤本美貴 ボーイフレンド

女が「凡人」となり「テレビの悪口をテレビ局に電話するようになる」方向に歩み始めた時に、男は「先生」を見つけ、男女の人生が「交差」するのだ。
その一点に向けてのみ「教育」というものはあった。
いい先生と悪い先生を区別してもらいたかったんだよ。
中森明菜 禁区

男女の人生の交差(マクロとミクロ)(グロスとネット)にのみ文学や音楽作品は集中しているのが分かる。
BoA Is this love

学校の勉強でテストの問題を解くことから始めて、仕事の問題も解決してきたけど、その過程で「先生」も見つかっていた。
男女の人生の交差のためにあるのだ。
実力制ならばどの組織も28歳ぐらいが平均年齢で成り立つんじゃないかな。

マスターベーションのコツは「相手をガン見すること」「肌で感じること」「迷うこと」「想像すること」「比べること」「知っていることを思い出すこと」「相談すること」「周囲から認めてもらうこと」「セックスすること」「選ぶこと」などが挙げられる。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

最後に、「彼がお姫さま抱っこ」してくれたらもはや結婚だろう。
Madonna Express yourself

とにかく「男女の人生の交差」に文学や音楽作品は集中した。

女は「自信を持つこと」「心を閉ざさないこと」「自分のからだに自信を持つこと」「彼の言葉に真実を見つけること」「男女の人生の交差を経験した女友達を多く持つこと」などが指摘できる。
この「男女の人生の交差」に詳しい者を「文学者」と呼び、この「必然」を認めながら、いかに「富」を生み出し、仲間を作り、その必然を踏まえたうえで「自由」になるかとフランクフルト学派は探求した。
ribbon わかってないね

このような文学者は「資本主義の精神」と呼ばれ、資本という言葉が「男」を意味することから、女は「凡人」になっても多数派工作をする方向性が模索された。
創価学会やゼブラがそうだろう。
「あの婆さん怖いから気をつけろ」とは田中角栄の言葉であるが、若者にはピンと来ないんじゃないだろうか。
平成の女子高生(グロス)に「パンツ見えちゃう」と言ったのは「ネット」である主婦層であったが、ネットになりきれない女は「いいんじゃない?」と言った。
ミクロである女子高生に、むしろ声援を送るマクロとしての主婦層の気持ちも入り乱れた。
すみれ色の涙 岩崎宏美

主婦層は女子高生を憎んでなどいなかった。
うまく「ネットからグロスへ」浴びせられる批判を回避しながら、「マクロからミクロへ」と送られる声援を受ける必要があった。
女の縦社会はそれで成立したのだ。
主婦層は「マクロ」(凡人)でありながら「ネット」(批判する側)だった。
そのマクロを「お嬢さん」と呼び、ネットのエネルギーをよく理解していなければ宗教家は務まらない。
フォーエバーセンセイ

若い女の子に声援を送りながら、うまい具合に批判する、これが主婦層である。
それさえ理解してくれる「あなた」が松田聖子にはいたのだろう。
薔薇のように咲いて桜のように散って 松田聖子

「女の子が初めて恋をしたとき」どうしたらいいのかを知っている男を崇拝するのが宗教ともいえた。
グロス対グロス、ミクロ対ミクロの関係が「若い女の子」と「老人」の関係であるはずだ。
その「どっちらけ」感が、日本国の気温を決めるのに有効だった。
ひとびとは「寒いよ?」と率直に感想を言った。
河合その子 Please tell me mr.朱

若い男と主婦というネット対ネット、マクロ対マクロも、これに引けを取らないほど「寒い」ものである。
ribbon 正しいハートの行方

「どっちらけ」感すら気温のコントロールに利用するあたりはさすがに経済をよく理解した「鬼神」である。

「女の子と老人」「若者と主婦」の関係は、その「どっちらけ」感をハーバーマスが「アジアで気がつく人はいるのか?」と考えてアルバムに挟み込んだ。

男の子と女の子も、主婦と女の子の関係となんら変わりはない「マクロからミクロへ」「ネットからグロスへ」という関係である。
そのため、女の子は男の子よりも「美しかった」のだ。
男の子でも「勉強やスポーツ」をやる「ミクロ」のものは「見た目」にこだわった。
後藤真希 デート注意報

さて、今まで述べてきた「マクロとミクロ」「グロスとネット」において、指摘していない部分がある。
それが「父と息子」(神は死んだ)という関係である。
息子はまだ何者でもなく(マクロ)しかし生意気だ(ネット)。
しかし、父は何かを成し遂げ(ミクロ)、しかし批判される側である(グロス)。
このことから、息子に批判されるから浮気もできない、という都合もあり、父は息子を潰そうとする。
男の子も「友達が多い」方が得をするという側面は否定できない。
「対等」「楽しみの共有」「認め合う」という三要素が揃わなければ「友情」とは言えないが。
Bigbang bangbangbang

全体主義とは「真実」からもたらされる。
民主主義と全体主義は「真実」から区別されたのだ。
「ブルジョワってなんで生まれるの?」これをユダヤクエスチョンと呼ぶ。
真実だって「知っている人と知らない人」がいるだろうとしたのだ。
階級社会の到来だ。
女の子たちの気持ちを逆手にとって、ミクロ・グロスである「大人たち」が階級社会を構築した。
CoCo EQUALロマンス

「マクロとミクロ」「グロスとネット」という分類は、あくまでも芸術論における「真実」であり、それから漏れる「小物」「ネット」が大人の男にも当然いるだろう。
しかし、それは芸術論ではない。
我々は、芸術論を「真理」と認めなければならないし、それは信仰ですらあった。
ファシズムは「真理」から生まれた。
「真理の第一世代」がフランクフルト学派であり、ナチズムを生み出した。
CoCo 乙女のリハーサル

しかし、ハーバーマスは「大声援や悪口は暑苦しくないか?」と指摘し、「全体主義の克服」は、儒教国家においては簡単に達成された。
「真理は真理」であるとしながらも、「家にサロンがあったほうがいいだろう」とし、階級社会の克服を目指すべきだと考えたのだ。
「リベラルアーツを知らない国」である日本国をハーバーマスは「ウサギ小屋」と皮肉った。
カント以降、黒革の手帖(純粋理性批判)を知っているものだけがブルジョワになっていた。
女の子に「正しい神による恋の歌」を歌わせるだけで莫大な富が手に入ったのだ。
松田聖子 赤いスイートピー

女の子たちは女の子たちで「強烈な団結」に向かうことになった。
駆け引きと協力の関係であり、女の子の方が男の子よりも賢い時期は確実にあった。
瀬能あづさ 永遠に友達

ハーバーマスは「気温は国で引き受けるから、カントだけは忘れないでくれ」と語り、「金持ちになる方法」を指摘している。
カントといっても、現代では後継者が多く、私も含めた上での「カント」であった。
熾烈な多数派工作の後に「出産」があった。
女にとって「願い」とは、プロポーズよりも「出産」の方が優先順位が上なほど、あんがい「難しいもの」となっていた。
水樹奈々 真冬の観覧車

法律とは「年寄りでも若者でも」男らしさを求める学問であるが、宗教は「年寄りを教祖とする」ものである。
男らしさを「全市民」に向けて発信するものを法律と呼んだ。
そこには、「父と息子の対立」は想定されておらず、宗教の世界に逃げ込む余地を残した。

また、マルクス主義は、この「真理」を打破することを「革命」と呼んだ。
結婚とは搾取である。
そのように考えたのだ。
香淳皇后は、自らは結婚生活を送りながら、マルクス主義に傾倒し、このような曲を作っている。
酒井法子 幸せなんてほしくないわ

ハーバーマスは、マルクス主義にも「寒さ」を見出している。
女の子たちは恋の話に熱中していたからだ。
彼女たちは「真理」のリボンをほどいてくれる男たちについて語り合っていたのであり、決して革命など目指してはいなかった。
ribbon リトルデイト

史的唯物論は「女の人生」しか見ていなかった。
カントが考えた「結婚」以降、男女の人生の交差とプロポーズが女の人生を決めるようになり、ましてや「ブルジョアと結婚したい」などという発想が芽生えたことから、「女の人生」をどの男が最もよく理解しているかを史的唯物論は見ていくことにしたのだ。
イケメン文学者をヘーゲルが提示し、歴史に残る男というのは「リボンをほどく」のがうまい男なのだろうと考えた。
ribbon 出逢えてよかった

テレビで「もっと批判しないと」と言われるが、政権を批判してみても面白くもなんともなかった。
男女の人生の交差を語り合うことを「批評する精神」と言ったのだ。
これを語り合わないのならば政治討論も成り立たないだろう。
女はプロポーズの意味をこのようにとらえているが、「彼氏が子供に興味を持ってくれるかな?」「家庭に縛られるのではないか?」と迷うこともある。
そのあたりは、男の「先生」について考えるしかない。
松田聖子 チェルシーホテルのコーヒーハウス

この「男女の人生の交差」において、処女の気持ちという議論がある。
「女にモテない男は勘弁してね」
というものであり、そのため、男は「女友達」をモノにするために「他の女」の名前を出すことがある。
ribbon 君ならば大丈夫

この「女友達をモノにするために他の女の名前を出す男」のことを「ゲリマンダー問題」と呼び、住んでいる地域が違う女の名前を男が出すのだ。
本当に付き合うのかが分からないようにするためだ。
友達と恋人の境界線は「セックス」したかどうかにある。
安倍なつみ 男友達

「当て馬」とは馬の世界では「オス」のことを言うが、処女にとって当て馬とは「他の女」のことであり、モテない男とならば初体験すらできないと考えたのだ。
当て馬となった女は「大体想像がつく」と語った。
処女は「他の女の意見」を聞かなければいい男選びもできなかったのだ。
これが分かっている男ならば医者にすらなれるだろう。
新田恵利 13回目の季節

これは、今まで男友達に過ぎなかった男への「ひとつの神学」ではなく、他の女も交えた「ふたつの神学」を処女は必要としていることを意味する。
自分が知っている「神学」だけでなく、他の女の「神学」も参考にして初体験の相手を選んでいるのだ。
このことから、海外で「おカネを払わずに」外国語で彼女を作ることは「ふたつの神学」を生み出すことが極めて困難であり、私もアメリカのハイスクールではモテなかった。
しかし、もし「異国の文化」をもっと積極的に「二人の女」に話していれば別の展開もあっただろう。
三浦理恵子 五日遅れのバースデー

外国に行ったら「外国国家による統制」がなされ、ルールにしたがい、そしてそこには外国の女がいる。
「外国に行った」ではなく「外国の女」の話しをしなければならない。
外国の女と自分を比べられることを女たちは好んでいたし、「外国に神学をお持ちの方」は扱いが異なった。
また、観光ビザと就学ビザは異なるものであり、就学ビザで外国に行った人は外国の金融の手法を学ばされた。
酒井法子 エアメール

本来、右翼的発言というものは女性が飛びつくものであるが、ネットである主婦層が飛びつくことが想定されている。
これを、ミクロである女子高生が「歌」にして歌ったらどうなるであろうか。
EU統合の歴史とはそのようなものだった。
国家基本問題研究所のような「右翼的発言のクリエイター」たちの言葉をミクロである女子高生が歌うことは、「正しい神」「恋に詳しい」という意味で非常に人気があり、日本の男子たちが声援を浴びせることに対しては、中国や韓国はいやな顔を隠さなかった。
ミクロである女子高生に国家基本問題研究所の情報を歌わせる大人たちがいてこそ、日中韓FTAの実現はかかっている。
あるいは、日朝国交正常化でも同じだ。
ミクロと右翼的発言の仲の良さに政治の側が気がつくかどうかが、アジア地域はバラバラ、ヨーロッパはひとつということの秘密がある。
お嫁に行く前の女の子は「恋の歌」でも人気があったからね。
ベビーメタル カラテ

そもそも、国家基本問題研究所とは「できない」人のためにあるものだ。
それでも、彼らは「右翼的発言」をクリエイトし続けた。
ミクロ・グロスとしての女の子は「できない」ことをアイデンティティにしている。
しかし、女の子たちは「男にとって担保」の役割を演じていたため、その力はとうてい無視できるものではない。
その女子たちの「できない」理論の柱が国家基本問題研究所の情報を鵜呑みにすることにあった。
AKB48 Beginner

女の子は、思春期にこれほどまでに「言葉の感覚」が鈍るものよ?
鈍った「言葉の感覚」を巧みに櫻井よし子はねらって「右翼的発言」を打ち込んできた。
昭和天皇が「人種差別主義者」で「女性差別主義者」だという人はことごとく攻撃した。
「鬼神」を悪く言う人たちは、もはや人間だとは思わない、これが櫻井よし子の教えであり、隔たっているようでいて「真理」でもあった。
なぜならば、既存の宗教団体に、「私に異を唱える人」はいなかったからだ。
「女子たちに”戦争伝説”を教えないでくれないか?」
中国・韓国・北朝鮮などはそのように考えていた。
「言葉の感覚に鈍った女子」に、「昔の伝説」「一見非常識に見える真実」を教え込んでいたのだ。
男子たちは女の子の発言を聞いて大爆笑した。
徴用工を「戦時朝鮮人労働者」と女の子が言うことは、自分が異性に愛されることにつながった。
なぜならば、昭和天皇とその時代が女子を愛していたからだ。
言葉の感覚が鈍った女の子に真理だけを教える、それが国家基本問題研究所であった。
結論だけがあったため、世論の反応は通常は鈍いものだった。
「鬼神とは何か?」
それだけを守ろうとしていたようだった。
さて、言葉の感覚が鈍った思春期の女の子に「非常識な真理」を教えたら、いよいよ恋の季節ね。
ribbon Deep breath

国家基本問題研究所とは、「隠された国の生い立ち」を「男女の恋」によって明らかにするものであった。
彼女、こんな事をいったいたな。
それが「有事」の時に本当だと分かった。
なんで彼女が言っている「デタラメ」は既存の宗教団体を怒らせないんだろう?
男の子はそう思った。
「言葉の感覚が鈍った女子」に「真理」を教える、それは新マルクス主義とも言われた。
さよなら失恋ピエロくん

「愚弄することは表現の事由の埒外である」
そりゃ、昔の男の話をするのは表現の自由ではないよ。
女の子に「恋の主導権を持ってもらいたい」というのが国家基本問題研究所の考えであった。
女の子たちの間に「危険な同盟」の輪が広がるのが分かった。
恋は楽しい、そう言ったのは男の方だった。
八月最初の水曜日 渡辺満里奈

大学に受かりやすいのは「自由民主党の方針にしたがった教科書」を読むことであったが、恋が楽しいのは国家基本問題研究所の言っていることにしたがうことだった。
猫舌心も恋のうち

まあ、いろんな「恋の歌」は私も紹介してきたし、男女の人生の交差をテーマにした文学や音楽作品を示したが、「国家基本問題研究所は何を歌っているか?」と言われたならば「宇多田ヒカルが歌っている」と答えるしかない。
宇多田ヒカルが「恋における女の子の優位、そして、非常識な真理を知っている言葉の鈍った女の子」のことを歌っていた。
宇多田ヒカル prisoner of love

ミシェル・フーコーはこれらの議論を踏まえて「監獄の誕生」を書き、監獄=学校というシステムを作り出した。
「言葉の感覚が鈍った女の子たちを標的に真理を教える」ことをアクティビズムと呼ぶ。
「恋は楽しい」
このことを浸透させることでLGBTをなくそうと考え、ウォン委員会は集票マシーンを構築した。

ホルクハイマーは、1930年に「男女の人生の交差」を真理として受け止めない共産主義者の調査を始めた。
フェリックス・ウェイルの指導によるものだった。
これがホルクハイマーの学者人生の始まりだった。
「なぜ、プロポーズが嫌なの?」
杏里 Last love

1933年にナチスが政権を握ると、「なぜプロポーズが嫌なの?」という情報を握っていたフランクフルト学派は閉鎖に追いやられた。
「男女の人生が交差してしまう瞬間がもし存在するのならばとんでもないビッグマネーになる」
ホルクハイマーは1947年にドイツに戻るまで、ニューヨークやカリフォルニアで過ごした。

マクロ(いじめる側)とミクロ(いじめる側)が共存しているネット(批判共同体)である男の子ってつらいね、という共通認識が広まった。
永井荷風のような汚い歯をしたおじいさんが小説を書いているのが当たり前になっていた。
女の子は「永遠に何者かになりたい」から、男の子は「悪口を言われたくない」からプロポーズを経験していなかった。
これがマルクス主義者だ。
あるいは、セックスができない体であったり、オカマであったりして「女になりきれない」「女心に興味がもてない」存在だったのだろう。
しかし、「男女の人生が交差する」ことから生まれるビッグマネーは、文学のみならず音楽作品から始まり、国づくり、さらには「ブルジョアの登場」を意味した。
松田聖子 時間旅行

貧乳レズビアンでも髪の短い女でも「秘密は美しい乳首にある」とされ、ハーゲンダッツは「エニグマ」を考えた。
ドイツにおいては、カントが「結婚」という制度を確立していたが、フランスでは強烈な「レジスタンス」の記憶が存在した。
パリに憧れる理由は「レジスタンス運動」の存在にあったのだろう。
1993年に世界が「男女のすべてが結婚するという仕組みの破綻」を確認した。
河合その子 Parisが聞こえる

しかし、これらのプロポーズ大作戦は「批評する精神」と呼ばれる文学や音楽作品の運動につながったし、「究極」と呼ばれる料理の世界の理論となった。
かつての司法試験は、合格者の平均年齢が29歳であり、それまでは結婚もできなかった。
子供がいないため「レポート」も満足にかけない連中が、最後に根性で駆け抜ける戦いだったのだ(至高)。
究極の方が「おカネと余裕に満ちている」が、至高はひたすら修練の世界だった。
「悪口を言われたくないから司法試験に受かりたい?」
それは至高であり、共産主義であった。

究極と至高は、社会の歯車として生きるサラリーマン(資本主義)と、弁護士のような共産主義の争いであり、おカネの競争だった。
究極は確かにビッグマネーにはなった。
しかし、至高は「学問へのこらえ性があり、いかなる批判をも受けない存在」として君臨した。
また、究極は「己のうちに学問がある」という方向に向かい、至高は「自分以外の人間に学問がある」という方向に向かった。
いずれにせよ「モダンアートと大衆文化」は、男女の人生の交差から生まれたのであり、資本主義の立場が根強い日本人が、中国人に「なんで朝ごはんはコップの上にパンのようなものを乗せているの?」と聞くと、究極の側から至高の側への痛烈な罵倒に聞こえ、中国人は激怒するだろう。
ribbon それは言わない約束

ショーペンハウエルは、「男女の人生が交差する」前のキャンパスライフの楽しみ方を明らかにした人物である。
レジャーランドといわれても、いろんなことが分かるではないか。
ドイツユダヤ人は「同じことを何度も繰り返したいと願う連中」とみなされ、一度で悟れないのかと批判された。
CoCo 無敵のOnly You

マルキュースは「究極」「男女の人生の交差」が帝国主義に向かうのは明らかではないかと指摘している(米帝・日帝)。
また、ハイデッガーの「存在と時間」を研究し、若さを無駄にする時期にすべてがあるとしている。
「究極」の富がナチスに乗っ取られるのを確認してからアメリカ合衆国に逃れた。
男女の人生の交差・プロポーズに焦点が絞られたことは「詩の起源」とも言われている。
ribbon 変な愛のカタチ

「革命なのか帝国主義なのか?」
それは、貧しき者がどこに向かうのか次第だった。
「真実」「究極」「男女の人生の交差」がブルジョアを生み出したのならば、そこからはぐれた者たちの「なぜ?」を考えなければならない。
宮本顕治も、西周も「守るべき家庭がなかった」のだ。
1928年から1932年まで「マルクス主義の危機」が叫ばれていた。
日本国においても、渡政などがコミンテルンを訪問した時には、すでにコミンテルンは悲鳴を上げていたことになる。
「貧しきものが資本主義社会を破壊するだろう」と言っても、「なぜ貧しいのか?」まで深めればいい話だったからだ。
「上達する」これが信仰心だとするのならば、マルクス主義に信仰などなかった。
CoCo なぜ?

ちなみに、「現代においても帝国主義や革命の時代なのか?」と言われると、答えは「ノー」である。
株と為替の値動きが存在することからそのような時代は克服されたといえる。

さて、いくら勉強しても上達しない学生時代が誰にもあるし、女の子は「自分がお嫁にいけない体である」ことを敏感に感じ取る時期が若さを無駄にする学生時代にはある。
このような、学生を主体とする「イケメンによる」無神論にマルキュースは注目した。
学生による革命運動は「教育独裁」とも言われ、なにしろ学生を取り巻く「お嫁にいけない体である」女の子たちは美しかった。
プロレタリアートによる革命の資源が学生は大人たちよりも強かったのだ。
ソビエトのボルシェヴィキによるロシア革命はプロレタリア革命ではなかった。
あくまでも「男女の人生の交差」「文学」「音楽作品」を背景にした全体主義によるものだった。
ribbon 卒業旅行

人間は、眠っている時の「夢」で、理想の男を夢見る。
それならば女の子の場合は、その「男」が自分を口説き始め、セックスする夢を見るはずだ。
しかし、「そのような夢を見ない」「子供を残せない」「お嫁にいけない体」の女は確実にいるのだ。
中嶋美智代 恥ずかしい夢

理想の男とは「夢に詳しい」フロイトと「口説き文句に詳しい」カントと、「詩に詳しい」シラーだっただろう。
夢に出てこない「一次元男」「止まったままの男」は、貧しかったし、恥ずかしい夢を見ない女もいずれ貧しくなるだろう。
これが「プロレタリア革命」のエネルギーの正体だった。
女たちに選挙権を与えた民主主義や、昔の男の話まで持ち出さない「言論の自由の限界を踏まえた言論」などが、フロイト・カント・シラーにはあった。
社会が止まったままならばどうなる?
神の見えざる手、天皇の肉声が聞こえなくなったら、プロレタリア革命がおきるのだろうか?
政府は冷静に「株と為替の値動き」を見ていた。
「回転」は、フロイト・カント・シラーによって生み出されている。
原子力発電そのものが「回転」から成り立っていた。
あんなにコストの安い「回転」である原発を支持しない人がいるのは、国にとって不都合なことだ。
脱原発運動もプロレタリア革命と結びつかざるを得なかった。
女たちの「恥ずかしい夢」に出てくる「理想の男」の枠を争ったのだ。
私は原発支持を東京電力に電話したら、ガス代まで安くなっている。
プロレタリアートを豊かにするのは「回転」にあることは理解しなければならないし、それを「コストを安く」行えるのが原子力発電だったのだ。
女の子の夢に出たい。しかも「コストを安く」と考える脱原発派を時には国の側としては導かなければならなかった。
ribbon ハートを堕として

さて、「男女の人生の交差」について語ってきたが、「交差以降の声が聞こえてこないではないか?」という指摘を受けるのは必然だった。
そこで生まれたのが「ニューミュージック」であり、アドルノは「大人たちの声」としてワーグナーを基盤に発信することにした。
オカマや結婚できない体の女が好んで歌った。
大滝詠一 幸せな結末

革命の温床であるオカマや結婚できない体の女は芸能界に多くいたし、そのような連中の「神」であることを志向したのが新カント派だった。
資本主義社会である国家に見捨てられた存在ではなく、人生の行く末を示すことに成功したし、ニューミュージックを聞く連中は「自分たちに方が大人だ」とアピールした。
プロレタリアートとして本来生きなければならない「男女の人生の交差」から排除されたものたちが、発信力をつけるのが分かった。
大滝詠一 君は天然色

社会のすべての世代が「セックスをおカネに変えること」ができるようになった。
「大人の魅力を身に着けたい」という女性はニューミュージックの誕生とともに確実に生まれたのだ。
共産主義者の旗手となってニューミュージックは「物象化論」という理論を基盤にし始めた。
資本主義の「男女の人生の交差」を強烈な推進力とした世界とは異なり、共産主義は「大人の魅力を身に着けたい」という男女たちに物象化論を提示したのだ。
中島みゆき 狼になりたい

アドルノは、ニューミュージックを生み出し、西ドイツは「これで資本主義社会から取り残された世代はない」と胸を張った。
「三十路になったら人間はどうなるの?」
それは若者たちにとっては「神話」(ミソロジー)であった。
自分と世界がかけ離れることを自己疎外と呼ぶのだが、大人には大人の居場所がある。
安心して子育てができる社会とはニューミュージックとともにあった。
物象化論を西ドイツが生み出さなければ、東側諸国との「資金力の競争」には勝てなかっただろう。
日本国もいやおうなしに物象化論をクリエイトしていた。
「なんだ、大人になったらこういう曲を聞くのか?」
そのような気持ちが若者に芽生えればよかったのだ。
浜田省吾 もうひとつの土曜日

ナチスドイツや、ソビエト連邦、ニューディールアメリカを「国家資本主義」と呼び、「男女の人生の交差」を歌う音楽作品はカルト的人気を誇ったが、物象化論こそが「マルクスの日々」を正当化し、それを「西側のもの」としたのだ。
ムーンリバー オードリー・ヘップバーン

男女の人生の交差を強烈な資金力にしたのはCoCoもribbonも同じであるが、これは「後期資本主義」に起きたことであり、その後、帝国主義を迎えるのかプロレタリア革命を迎えるのかという予測を、物象化論=ニューミュージックが粉砕した。
「大人フェチ」ともいえるものが物象化論であり、アドルノは「年配の男女を弁証論によってぶつけてみただけだよ」と語った。
後期資本主義によって存在が見えなくなった「年配の男女」に居場所を作り、経験を職場の同僚(クラスメート)的に表現した真剣勝負でもあった。
ヘーゲルの「人と人をぶつけて止揚する」という弁証論は「宝石を生み出すね」とアドルノは語っている。
浜田省吾 片想い

「矛盾」というのはようするに「恋」のことだ。
そこに「女の美しさ」「男の世界の広さ」の限界を提示し、問題の難しさを表現すればいいのだ。
ニューミュージックを土台に「ジャーマンロック」というジャンルもできた。
後期資本主義(男女の人生の交差)がナチズムにつながったことを受け、ジャーマンロックは「年配の男」をロックにし、女が男をたてるさまを歌った。
Rammstein Du Hast

後期資本主義にのみ頼りきった結果が、アウシュヴィッツであった。
若い連中は人生を楽しんでいる最中は、後期資本主義にどっぷりとつかり、ナチズムへの批判能力がないかもしれない。
しかし、「大人たちの意見」をよく聞く男は「ハイルヒトラー」などとは言わないだろう。
大人たちにも発信力があるということを証明したのがニューミュージックであり、ジャーマンロックであった。
大人たちの全否定ができるほど、どの男の子も成熟しているわけではない。
あとは、「見識が問われる」「若い時期は批判能力を持たない」のが「ハイルヒトラー」という問題であり、時には大喧嘩になった。
Rammstein Amerika

カントは「全体主義ってどこに表現されるの?」ということをたとえば、ピッチャーとキャッチャーの間の「18.44メートル」であるとした数学者であった。
いくら「女を口説く言葉」(黒革の手帖・純粋理性批判)を明らかにしても、それがどのように有効なのかを生涯にわたって研究し、生涯「自分は数学者である」としプロスポーツにこだわった。
カントは時代がやや遡るが、男女の人生の交差(究極・文学・音楽作品)が、どのように、人々の心に伝わるのかだけを考えていた。
まだ、ニューミュージックもジャーマンロックもない時代の話だ。
7+5=12だけを「数学の真理」であるとし、いかなる競技も構築して行ったのだ。
ribbon ハッピーエンド

スタジアムには「横浜の」「東京の」「福岡の」英知が集まっていたため、みんながそれを見に行った。
カントは「女心とは大きすぎるもの」とし、表現の可能性の多様性を認め、プロスポーツとは「小さすぎるもの」とし、その精密さを認めた。
「大きすぎるもの」「小さすぎるもの」を「超越論的」と言う。
そして、自らの「黒革の手帖」(純粋理性批判)および「刑法」(処女に嫌われないための学問・実践理性批判)を「超越論」と呼んだのだ。
どのみち、プロスポーツにしか興味がなかった。
ニューミュージックやジャーマンロックにはない「全体主義」が「文学・音楽作品・ポップ」にはあった。
女の子が「女」になるプロセスが実践理性批判にはあり、お小遣いが少ない女は「髪を伸ばす」ことを覚えた。
ハロウィンナイト AKB48

カントは「コンサートでの声援よりも、スタジアムでの声援の方が大きいだろ」と胸を張った。
このことから、男の子はマクロであり、大人になるとミクロになるという経済学の考え方も生まれたのだ。
なによりも、コンサートホールとうまく連携したスタジアムが生まれたのだから「仕事」が生まれたことを意味する。
フリードマンはそれでも「この企業は果たして利益の最大化を望んでいるのかな?」「ベンチがアホやから」という発想を人々に根付かせた。
市民も「幾何学模様」に引き付けられるようにプロスポーツを見にきたし、「企業の利益の最大化とは何か?」という問題と直面せざるを得なかった。

 

 

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