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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年10月28日 (月)

おカネとは何か?

おカネ、それを定義するのならば「金額が数えられる、女が買える、すべての女に通用する」(ケインズ)というものである。
つまり、「セックス」を想定しなければおカネというものは生まれないのだ。
エロビデオを見て「女性が嫌がっているじゃないか?」と考える政治的弱者がいる。それに悩む女がいる。
CoCo メロディー

このことから、1800年代にシュタイナーは「だったらセックスを歌った音楽作品もカネになる」ということを明らかにした。
新約聖書の誕生だった。
イケメンであるイエスキリストが、「女を口説く言葉」(カント)を覚え、王子として(ホッブス)、権力闘争とは何かを人々に教える(ルソー)。
それが新約聖書であり、おカネ=女=セックスが理由で磔になる。
ニーチェは、権力闘争の結末を善悪の彼岸において明らかにし、「誰も、今の自分ならばなんでもできる、とは考えていない」としている。
それを受けてアダムスミスは「社会の歯車になったほうがよっぽど儲かる」とした。
職業としての政治が、リーダーとして「すべての組織は政治的に動いている」ことから、本や講演会で「組織での生き方」を人々に教え、それはまるで専従組合員のような存在だった。
職業としての政治が成立するのならば、「最高権力者にならなければ、自分の生き方が社会に浸透することはない」ことから、どうしても権力闘争は熾烈なものにならざるを得ない。
普段は、小泉純一郎もコンサルタント会社を経営している。
丸山真男の「源氏物語」がいまだに国家一種試験の行政職の試験に採用されているが、おカネとは「金額が数えられる、女が買える、すべての女に通用する」ことを踏まえて、「なんで源氏物語?」と高校生ぐらいならば考えてしまうようなことが大人の社会では常識となっている。
「胸のボタンを外すのならば抑圧されているのか?」
CoCo ささやかな誘惑

人間はなぜ多数派工作を行うのか?
なぜ、業績を欲しがるのか?
男は「勃つため」であるし、女も「性欲の原理」が自分の業績を欲しがる。
子供の頃に「正々堂々」を覚えるし、青年の時期に芸術や音楽作品と触れる。
若さを無駄にする時期に「譲れないもの」は確実にある。
私の場合は司法試験に合格したかった。
すべては、「正々堂々」と「音楽作品」で譲れないものが突破できることを後に悟るのだ。
あんなに難しかった司法試験や国家一種試験も「おカネとの相談」だったのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達

旧古典派(カトリック)は、理想の男を山に祀ることしかできなかったが、新古典派(プロテスタント)は「セックス」を歌にした。
昔の詩は美しかったが、現代の詩は楽しかったとも言われた。
男らしさを語り合う論壇のことを「宗教」と呼ぶのであれば、カトリックは宗教であるが、プロテスタントは「理想の男が私を口説いてくる、セックスすらしてしまう」という夢を見た。
つまりは「結婚」という制度が、カトリックからプロテスタントへと主導権を移動させる原因となった。
「プロポーズを頂点とした全体主義」は、プロテスタントの「セックスの歌」を背景に、巨大なビッグマネーを生み出した。
結婚を宗教としたのがプロテスタントだったのだ。
BoA Is this love?

本当の「無神論」とは、女たちの夢にも出てこない、しかも結婚しない男の存在を前提にしたものだ。
アマテラスは、大国主とヤマトタケルのどちらを夢に見ようが自由だった。
文に優れた大国主と、武に優れたヤマトタケルの両方を、アマテラスとスサノオは日本国に遣わしている。
スサノオは、アマテラスの寝床に馬の首を投げ込んだお詫びに、文人と武人の二人を国にもたらしたのだ。
アマテラスが夢に見る文人と武人がいる、それだけで国は豊かになったし、女神が必要とされた。
文を追求しようが、武を追求しようが、男を特定の組織に拘束できた。
労働組合と同僚はそれで出来上がったのだ。
あとは「職業としての政治」が分かればいいだけだった。
アマテラスの「いい男選び」と「結婚」のグランドデザインを描いたのがシュタイナーである。
セックスがおカネの起源であると言っても、男の側も勉強やスポーツにおカネがかかる。
さらには、パートナーを見つけても「職業としての政治」を学ばなければ生き残っていけないのが組織というものだった。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

銀行は基本的には「顧客のおカネ」を盗むのは自由である。
監督官庁に上納金を支払って、政治資金管理団体やNPOへの寄付金・献金を盗むのは自由に行える。
しかし、「上司や監督官庁の神学化」を行わなければならない。
銀行のおカネが監督官庁に盗まれている。
しかし、そのためには官庁の官僚は高学歴でなければならない。
人の上に立つ者が中卒なわけがないではないか。
ところが、宮内庁には中卒が多いのだ。
さらに、入庁したその日に美智子皇后の指導にしたがい、生活保護を申請し、お給料に代えている。
この「宮内庁の実態」がありながら、「金持ちの口座からお金を盗んでいる」のが宮内庁なのだ。
盗んだお金も「自分の口座に入れると生活保護が打ち切られる」と考え、現金取引で競馬などのギャンブルをやっている。
「官僚はこれだけの権力があるのだから高学歴でなければならない」
日本国の銀行はスイス銀行ではない。
国民から広く寄附や献金を求めたら、監督官庁に没収されるのがオチだろう。
それならば、取引している銀行に「監督官庁の連中よりも自分の方が学歴がある」という説明はひと言話さなければならない。
これが学歴社会である日本国と銀行のあり方なのだ。
すべての「NPOや政治資金管理団体は宮内庁に狙われている」
それならば、口座を持つものは自分の学歴を銀行に話さなければならない。
学歴のない顧客の口座から、学歴のある監督官庁が「私の方がもっとうまく運用できる」と考えておカネを盗むのはまだ理由がある。
しかし、黒革の手帖には「銀行がそもそもおカネを盗んでいる」ということが常識としてあるいは「女性を口説くために」記されているのだ。
もう一度言うが、おカネとは「金額が数えられる、女が買える、すべての女に通用する」ものだ。
それならば、銀行を介して「女の交換」をするのと同じ意味であり、せめて官僚は全員、東大に入るべきだろう。
銀行という「神」自民党幹事長という「神」内閣官房長官という「神」が、このような反則を使って、最後に泣きを見て負けてくれるのが政治の世界だった。
しかし、長期政権ではそのような連中がのさばっているのだ。
事情通としても「面白くない」という現状がある。
政治家とは「期待を裏切らない」ものだ。
みんなが熱狂するのならばレフェリーもカウントアウトしてしまうだろう。

芸能人と出会いたい人はいるだろうか?
出会いの場ってどこにあるの?
やたら人生経験が豊富で、しかし、おカネがない、それが芸能界の現状である。
私はあえて、「芸能人との出会いの場の真実」を紹介したい。
日本ピアスタッフ協会 叶わぬ夢、混乱、そんなものを相手にする医者がいるであろうか?
それは「精神科」しかないのだ。
日本ピアスタッフ協会の「男性芸能人」は、宗教をカルト化し、「女性芸能人」は宗教をメジャー化する。
はっきり言うと、芸能人は「自分が宇宙の中心」であるという「叶わぬ夢」をもっているため、みずほ銀行に「いい修行になる」として日本ピアスタッフ協会との業務提携を持ちかけても断られている。
つまり、日本国には本当の「ホットショットバンカー」などいないのだ。
みずほ銀行という日本国のメガバンクが、しり込みするような存在が「女性芸能人」であり、女性芸能人は、「自分が宇宙の中心である、ありたい」という叶わぬ夢・病気を持っているため、目つきが悪くなり、しかし、それでいて「音符でできた言葉」に素直なリアクションを取る。
本当に日本の銀行が「ホットショットバンカー」をメンバーに加えたいのならば、日本ピアスタッフ協会と必ず関わらなければならない。
あるいは、「女性芸能人」はもはや「銀行の手を離れた」とし、自衛隊の問題であると考えられている節もある。
芸能人になりたいのならばためらうことなく「自衛官募集」に応募するべきだ。
さて、「銀行より自衛隊の方が上」というのが日本国の現状だとするのならば、憲法への自衛隊明記は、日本国の芸能界や日本ピアスタッフ協会を国民にもっとオープンなものにすることを意味する。
田母神さんだけではなく、憲法への自衛隊明記を主張する政治家はおそらく自衛官だろう。
「銀行にホットショットバンカーを」求めるのならば避けては通れない道だ。
しかも、「国民からお金を盗んでいる?」冗談ではない。
「おカネを集めている」存在でなければならない。
銀行マンならば、文学や音楽作品を通して、おカネを集め、顧客によりよい資産運用を提供しなければならないのだ。
「芸能界は自衛隊の専権である」と言っているうちはなかなか難しい。
さて、銀行からお金を盗む監督官庁があるとするのならば、それは本来「自衛隊」「検察」「宮内庁」という「特別な機関」の役割である。
しかし、宮内庁には現在、そのための基礎体力がなく、「おカネを盗むテクノロジー」だけが与えられている。
今は、特別な機関としての宮内庁は「おカネの雨」が降っているわが世の春であるが、なぜ「特別な機関」なのかをもう一度考え直さなければならない。
「女性芸能人と話ができる」「メジャー宗教」であり、ホットショットバンカーであり哲学者であり、国民のためにおカネを集めてくれる人が天皇になる仕組みは出来上がった。

ヘンリクス・リジウスは、カルヴァン派(処女)のアイドルとの恋愛を語り、カルヴァン派の女と話すことがいい「金融」になるとした。
オランダ美人のことである。
小泉今日子 和蘭美人

英国王室も、男子が妻にするなら貴族院議員の女性かオランダカルヴァン派の女性がいい、と考えるようになっていた。
リジウスは、長年の学問のスランプから「40にして立った」と自らを語った。
自分の情報不足から精神病院に入っていたのだが、周囲がみんなカルヴァン派の女性ばかりだと気がついたのだ。
そのことから、哲学の研究に没頭したし、カルヴァン派の女の子たちにモテた。
どの精神病院にも、作業療法室に「金融工学」という本があるが、周囲の女たちと話すことが金融なのだということを示していた。
話して、ウケた話を本にするのがオランダの金融だった。
AKB48 恋するフォーチュンクッキー

「私の心を教えて?」というのもカネになる。
人はなぜ恋をするのだろうか。女は「男が仲間が多い、何かやってくれそう」ということが理由で恋をしている。
瀬能あづさ 秋

女が「男の序列」を決めている。
このことから「女心」を語ることを「政治」と呼んだし、女への「同調率」を高め、しかも「勃つ」ようになるために、女性ボーカルの音楽作品を聞くことは非常に意味のあるものだ。
カントが「結婚」という制度を考えた時、「プロポーズを頂点とする全体主義」が生まれたし、プロポーズは「言葉」よりも「タイミング」が重要だった。
おカネの起源は「金額が数えられる、女が買える、どの女にも通用する」ものであるが、「女への口説き文句の絶対」も「女が買える、どの女にも通用する」ではないか。
金額は日経平均株価に委ねよう。それが「女の値段」だからである。
そこで、結婚以降の主婦層は「マクロ」(平凡な存在)となり、「ネット」(罵倒する存在)とならざるを得ず、売買の対象となる「女」は独身に限られた、
カトリック女は「結婚する際に高値で取引される」ものであったし、カルヴァン派のアイドル女は「株式買取請求権」で取引された。
しかし、結婚というものは「プロテスタントの宗教」であり続けた。
中森明菜 禁区

問題の少ない「愛」を知っている主婦層が「マクロとミクロ」「グロスとネット」という概念を作った。
言葉とはおちんちんのためにある。
それならば、「正しい神」を信じ、「恋に詳しい」音楽作品を歌っている独身女に声援が飛ぶのも理解できる(マクロからミクロへ)。
このことから、若い男の子も「マクロ」であることが分かった。
愛の炎 田中れいな

「内省」(マスターベーション)というのは、街で女の子に声をかけて、時には喫茶店に入り、話がはずんだあとに家で行うものだ。
三度食事しなければ「真剣な交際」は始まらないが、哲学入門として、女の子をナンパすることは覚えておいたほうがいい。
電車に乗ってもあくなき探究心を持ち、「なぜヒールの高い靴をはいているのか?」「女の子は唇の位置が自分よりも上にある人をカッコいいと思うのではないか?」などと女の子に話しかけることを怠ってはならない。
女たちは同調行動を取るのならば「白系統」の服を着るだろう。
なぜ「黒いタイツ」を履いているのか?「心」を語りたいからか?などと私はよく電車で女の子たちに話しかけていた。
私のようなおっさんでも女の子たちは率直に返事をよこしていたのだ。
「どの雑誌で自分と社会との関係を決めているの?」と女の子に聞いたら「セブンティーンとかポップティーンとかランズキ」と言っていた。
女子中学生に「勉強は難しくても男の絶対はあなたの胸にあるよ」などというのも有効だった。
営業というものは電話で行うものだ。
しかし、外回りの営業というものは、実は、女の子たちをナンパしまくることだったのだ。
マンションに連れ込んで撮影などを行うわけではない。
電話では磨くことに限界のある「話術」というものは確実に存在する。
あるいは、その人と面識があるのであれば電話でもかまわないが、そのために男女を問わず名刺の交換を行っているのだろう。
さて、昨年までは私も「税金を蒸発させずに財務省に届ける」研究を行い、62.5兆円を集めたが、今年は新たな視点を提供したい。
手元におカネがないのならば「税金を取られている」「しかも財務省に届かず蒸発している」と考えていい。
女性などは特に「我々を対立させるサタンがいる」と信じており、このサタンがおカネを「蒸発」させているのだ。
これを解消させるのが「ビリーフボックス(松田聖子のすべての音楽作品)」と「デザイアーボックス(中森明菜のすべての音楽作品)」を聞くことである。
キーワードは「私のお父さんは土曜日に香港に行く予定なの」というセリフを、ビリーフボックスとデザイアーボックスでどのように解釈するかである。
お父さんとお母さんが仲直りするにはいい機会じゃない?
北ウィング 中森明菜
マンハッタンも香港も夜はお酒を飲まなければ体が痛くて仕方がないわね。
海沿いの街すべてヒトラーのニューディール政策でできているの。
住んでいる人全員がイタイイタイ病にかかっているから、土地建物を買収してビル街にしたわ。
マンハッタンでブレックファスト 松田聖子

さらに「男の香港での孤独」をどう思うかをビリーフボックスとデザイアーボックスから明らかにしなければならない。

愛というものを見直すいい機会ね。
松田聖子 続・赤いスイートピー

音で悲しみを表現するなんて素敵だわ。
中森明菜 トワイライト

この「旅と孤独」の二つを、ビリーフボックスとデザイアーボックスがどう思っているのかをまず理解する必要がある。
これを「二つの別れ」と呼ぶ。
「孤独な人は貧しい」ということから、天は孤独な人を集中放火するように税金を取り、しかも、財務省に届けずに「蒸発」させているのだ。
「旅と孤独」を表現しないアーティストならば節税効果はないが、松田聖子と中森明菜は完璧なのだ。

自分を見直すことの意味とは「愛という意味を見直すこと」であり、それを音楽作品で表現しなければならない。
松田聖子 ブルージュの鐘

中森明菜 ロンリージャーニー

遠く離れた人への共感というものが今年の税収対策であり、今まで日本国がやったことのないことをやろうとしている。
しかも、「あなたは旅と孤独をどう思う?」ということをビリーフボックスとデザイアーボックスから見出さなければならないのだ。
解釈や音楽作品は人それぞれだろう。
他人から税金を取っているんだぞ?ということを財務省が理解するだけでも、税金の「蒸発」は防げるのだ。
つまり、国民全員が豊かになる。
本来、ニスベットはこのようなことを考えた人物だった。

さらに、「遠くにいる人たちも愛し合っているんだぞ」という表現が必要になる。
松田聖子 抱いて

中森明菜 飾りじゃないのよ涙は

将来世代の節税効果および税収効果のためにビリーフボックスとデザイアーボックスは残された。
最後には「遠く離れた赤の他人のカップルは何を考えているのか?」という議論に「旅と孤独」の問題は解消される。
そうなったらようやく、多くの「恋愛ソング」が登場するが、ビリーフボックスとデザイアーボックスを越えるのはなかなか難しい。
松田聖子 赤いスイートピー

中森明菜 デザイアー

昨年は、内省=マスターベーション理論を押し通して、税収62.5兆円を達成したが、今年は「内省」=のぞきこむ理論で押してみたい。
まさに、身内の「旅と孤独」から始まり、「他人の恋愛をのぞきこむ」時代になったものと思われる。
それが「全能の神」と呼ばれるものだ。
松田聖子 ハートのイアリング

中森明菜 ライアー

そこまで議論が進んだ、ようやく「恋の駆け引き」の議論に発展する。
松田聖子 瞳はダイアモンド

中森明菜 サザンウィンド

「他人が洗練され、満足している」
このようなメッセージをみんなが共有すると、税金は「蒸発」せずに手元におカネが残る。
「痛いといったら痛い」
このようなメッセージも必要となる。
松田聖子 風立ちぬ

中森明菜 ジプシークイーン

「痛いといったら痛い」までビリーフボックスとデザイアーボックスが議論が進んでようやく、「最近の音楽シーン」が見れるのではないだろうか。
ミュージックステーションに節税効果を委ねられるのだ。
しかし、信じること(ビリーフ)は白・神・男であり、欲望(デザイアー)は黒・世界・女であるということから、「男の優越」「松田聖子の優越」だけは認めなければならない。
どのように「痛い」のかは今回は説明を省かせてもらうが、「白と黒」を感じてもらえばいいだけのときもあるのだ。
聖子ちゃん派と明菜ちゃん派は、聖子ちゃん派28%、明菜ちゃん派13%という支持率を集めて聖子ちゃん派が勝っている。
しかし、クラスの半分が女子だとしても、9%の女の子が「無関心」だったのは意外である。

さて、結局、「どの女も知っている曲」でしかも「女性アーティスト」となると、松田聖子と中森明菜になるわけであるが、「左脳の同調率」を高めると、みんな「左腕の動きがよくなる」のである。
日常生活における人々の「左を制する」者は世界を制するとも言われ、財務省の税収増と、人々の生活の豊かさにつながる。
このような「女たちの左脳の同調率」を高める力を持っているのは「常に政治生命を狙われている有名人」でなければ無理なんじゃないかな。
松田聖子 ガラスの林檎

中森明菜 少女A

それにしても、女の「旅行」ほど同調率の高いものはない。
「国境」というものは本来、想像以上に高いものだ。
アメリカ合衆国は、「メキシコにはカネはやらない」という方針で国境を開いていた。
しかし、フランスだろうと中東だろうと、「日本国にカネをやる」という国策で国境を高くしている。
あくまでも「観光ビザ」であるため、日本国に富をもたらすためのビザとなっている。
これを音楽作品に生かさない手はないし、松田聖子も中森明菜もこれに同調している。
松田聖子 時間旅行

中森明菜 サンドベージュ

アフリカは「ヨーロッパの国々に」「旅行と音楽作品で」散々利用されてきたことに寛大であっても、北欧はあんがい「イミグレーション」というものに怒りを持っている。
他国に一方的に「おカネをやる」行為だからだ。
「白夜は見世物ではない、本国で富に代えるのは目に見えている」
それでも9・11テロが起きるまでは野放図にされてきた。
松田聖子 白い夜

中森明菜 目をとじて小旅行

日本国は、外国との国境を高く設定しているが、「おもてなし」などと言っては「外国の富」に寛大である。
観光立国とか、外国人旅行者の落とすおカネとか言っているが、外国人旅行者はそれ以上の「見返り」を得て帰っていっている。
しかし、自国が外国に見世物になることに「愛国心」が反発する国が9・11テロ以降、顕在化したのだ。
「厳重警戒中」などと日本でも当然のリアクションはとっている。
しかし、エジプトなどは、ODAとして「その対価」を求めるのを得意としている。
ヨーロッパで処刑された「イエスキリスト」が大勢ピラミッドに埋葬されているのだ。
「移民」の問題は、外国の女に国が見世物にされ、カネをふんだくられる、という問題だ。
河合その子 Parisが聞こえる

通常の、民主主義(政治コミュニティーにおける男女同数)においては、お父さんが娘のために男のお相手をさがしてくる理由は「外国人の排除」という理由以外にない。
松田聖子 kimono beat

中森明菜 十戒

自国の「男たちの強さ」が円高につながり、そのことを背景に、女が「格安で」海外旅行できる仕組みがあった。
株高・円高・土地高のトリプル高をバブルと呼ぶが、バブル経済のときはエジプトがかなり伝説化された。
また、エジプトのピラミッドにはヨーロッパのイエスキリストが多く埋葬されていることから、ヨーロッパが日本国に心を開いた。
「うちの国ことを歌ってくれたらおカネあげるよ」とフランスは特に寛大だった。
河合その子 サエラ

本来、外国国家を利用して自国に富をもたらすのが「移民」「観光客」であったが、韓国は「外国人男とのセックスの禁止」を踏まえたうえで「韓国に生まれたかっただろう?」というプロパガンダを打ってきた。
韓国を利用して外国国家がおカネを儲ける代わりに「韓国に生まれたかっただろう」という宣伝を打ったのだ。
おカネと宣伝効果はもはや「交換」という意味合いを持った。
twice wake me up

日本国において、生活保護は韓国人困窮者への適用を想定していない、という判決が下されるなどしたため、韓国は「世界に富を流し込む方法」を学習した。
さらには、自国の宣伝になるためにK-POPというものがアジア地域で広まったのだ。
J-POPをアジアの言語で歌うことはあまり想定されていないが、自国の宣伝とおカネの外国へのバラまきが目的だ。
JKT48 恋するフォーチュンクッキー

AKB48のメンバーもK-POPに参入する事例があるが、韓国の宣伝に貢献する変わりにウォンを得ることができるという意味においては「おカネ目当てのプロ」という側面が指摘できる。

困窮日本人の救済という政策が外国で必要になるとするのならば、上海とジャカルタではその作業はすでに進められていることになる。
インドネシアは「次世代のアメリカの友人」候補とされているが、日本国側にどのような「下心」があるかは明らかではない。
SNH48 真夏のsounds good

 

漫画とは「考え方の一定の方向性」を示すものであり、それは必ずしも現実を示すものではない。
小説吉田学校

実際は、幣原喜重郎が「愛とは何か?」「嫉妬とは何か?」「愛国心とは何か?」という問いかけに「落第点」を押され、その「正解」に衝撃を受けたものと思われる。
エロス(彼女との愛)は長続きしないのに、なぜアガペー(妹との愛)は長続きするのか?
他人が持っている良きものが自分にも与えられる可能性があった、それだけで嫉妬という感情は生じる。そのことで罪悪感を感じる人間はいるのか?実際は「自分の作業」が停止し、破滅に向かうだけだろうなどの議論を吹っかけてきたものと思われる。
愛国心とは「国の個性に注目するもの」であるが、セックスをしないため「息子を愛する気持ち」と変わらないなど、いろんな論点で幣原喜重郎は「衝撃」を受けたものと思われる。
そこで、小説小野学校においては「松田聖子や中森明菜をみんなが共有すればみんなが生活が楽になる」という方向性を目指し始めたが、「誰がその業績を共有するつもりか?」が、憲法をめぐる論争であり、いろんな人物が「日本国憲法」の文言をめぐって対立したことを意味する。
文言は文言で「人類皆兄弟」というような言葉に過ぎないが、アメリカ合衆国と「哲学論争」をおこなった「遺物」として残されている。
いろんな議論の「残骸」という意味においては、すべての法律が「哲学論争の残骸」であり、条文から解釈を導いたり、コンメンタールを書いたりするのはバカげている。

松田聖子 スウィートメモリーズ

中森明菜 I missed the shock

哲学論争では「女の話」しかしていないのに、「個」と「公」の峻別とは恐ろしいものだ。
まるで「公」は硬派の男のように女の話など一切せずに、まるでそれが「男社会」であるかのように、六法全書は作られて行った。
ほとんどの各行政法の条文までが「哲学論争の残骸」と化し、「マイルール」となって役所に残された。
まあ、条文なんて無視することだね。
哲学論争に強くなければ司法試験には受からない。
司法試験の答案だって所詮は「人気」を競い合うものだろ。
それならば、松田聖子や中森明菜を参考にしなければ「人気」のある答案は書けない。
法学者の講義でコンサートのような声援が飛ぶことがあっただろうか?
「分かりやすい論理」「試験への受かり方」を私も長いこと勉強し、それなりに面白かったが、国を動かすのは所詮は「人気のある答案」だと悟って法律の研究は放り投げた。
霞ヶ関の「法律の残骸」を動かすのは政治家の仕事だ。
松田聖子 夏の扉

中森明菜 あの夏の日

就職して「瑕疵担保責任って何だったかな?」などと考えるのならば「攻撃に等しい大きさの反撃を」という哲学の常識を考えたほうがいい。
病院の看護士なども、慣れてくると「攻撃に等しい大きさの反撃」しかしなくなるから、みんな言っていることがてんでバラバラになる。
それでも、ルールとして動いているのだから仕方がない。
職場に膨大な「マニュアル」は残されるが、そんなもので動いているわけがないのだ。
松田聖子と中森明菜のような「人気」が、答案だけではなくいろんな社会生活で必要になってくる。
松田聖子 渚のバルコニー

中森明菜 1/2の神話

ビリーフボックス(松田聖子)とデザイアーボックス(中森明菜)を買って、意味を「う~ん」と考えたほうがいい勉強になる。
意味については今まで述べてきたため、本稿においては「感じてもらう」にとどまる。
いい大人になれば意味ぐらい分かるだろう。
問題は、松田聖子と中森明菜をみんなが共有するだけで、国全体が交付税の裏負担などを背景に、生活が楽になることから、「業績」を関係者がみんなで奪い合い、最後に「条文」という残骸が残されるということなのだ。

デカルトは「内省」というものを「他人の恋愛ののぞき見」としたが、自分自身が「恋」を知らなければその本当の意味は分からないだろうとした。
体が熱い、湿気がする、そんな経験を「恋」と呼び、認知症類似の症状を引き起こすが、実際には「恋わずらい」とは万病に効く薬である。
暑さと湿気にしか感じないものを「赤から紫へ」「あじさいが色を変えるようだ」と覚えておくといい。
胸騒ぎのメランコリー 高井麻巳子

ノーブルレッドからインディゴブルーへ、この恋が移りゆくさまを覚えておくだけで、女の子にモテる。
国生さゆり ノーブルレッドの瞬間

インディゴブルーラブ モーニング娘。

デカルトはもちろん、エリートとして育ったため、「恋」というものは「終わらない夏休みの宿題」となっていた。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

地球にはひとつの「月」があり、皆既日食とか月食とかの天体ショーがあるが、木星には「月が四つ」あるのだ。
その論理など分かるわけがない。
それでも「他人の恋」をのぞき見できるのが音楽作品なのだ。
地球にとって「月」は大きさからなにから「太陽との完璧な論理」が成立しているが、木星にとっての「四つの月」も同様であるはずだ。
それでも、地球人にとって「木星の論理」はいまだに分からないのだ。
私は細木数子先生の「六占星術」では「木星マイナス」と言われているが、なかなかのドンファンなのだろうか。
とにかく木星にとって太陽は小さく、とうぜん「四つの月」も小惑星と呼ばれるほど小さい。
だが、「女が四人いる」男が果たして幸せなのかは明らかではない。
幸せではないのならば住めない。
まだ、「地球人の論理」をのぞき見したほうが税収がアップしたり生活が楽になるだろうとデカルトは指摘している。
モーニング娘。 幸せですか

デカルトはあくまでも「木星人」であり、一日が十時間しかない惑星においては「いじめ」(倫理)というものに関してはあまり記されていない。
一人の男に四人の女がいる惑星においてはさほど問題にはならなかったのだろう。
渡辺満里奈 100年分のglory

 

瞑想と「禅」の区別は明らかではないが、「美しい女」であったプリンセスエリザベスはお父さんの「瞑想」によって生まれたと考えていた。
「木星とはどのような場所か」を記したのがデカルトであることから、木星人は映画「ターミネーター」のように「嵐が来るぞ」と言って地球に来たものと思われる。
木星の上らない夜はない。フランス人の夜への崇拝はものすごいね。
河合その子 パラディラタンの夜

一方、木星人の論理として「やり逃げした女」が野球場にいたら、応援もできなければプレーもできないだろう。
どうしても変化球がキレない立ち上がりがある。
あの女が見ているからだ。
そんな時には「多くの女たちにその特定の女を取り囲ませる」ことしかできない。
それが功を奏したら「立ち直る」ことができるが、女社会がうまく機能しないとノックアウトということになる。
ストライクの取れる変化球はピッチャーにとってどうしても必要だ。
しかし、「あの女」のおかげでそれもうまくいかない。
フォアボールの連発が始まる。
あるいは連打連打を食らうだろう。
やり逃げした「特定の女」の研究を代数学といい、その女からの攻撃を守る「女サークル」の研究を幾何学という。
「四人の女サークル」の味方がいれば、特定の女は怖くない。
席の移動もカネで何とかしてくれる。
しかし、「どの女が変化球のキレを邪魔しているのか?」の特定は難しい。
初回を凌いだのならば、すぐに特定して幾何学を動かさなければならない。
「勝つための同調行動」だけでは女たちは動いてはいない。
やり逃げされた女への「それってひどくない?」という共感の声もあったのだ。
このことから、「立ち上がり」を見て、ベンチワークが動き始める。
クライマックスシリーズみたいにいつも「3億円」あればいいんだけど、そういうわけではない。
「それってひどくない?」という女集団に何か言われたら終わりだ。
CoCo 夢だけ見てる

キスしただけなら自慢になる。胸を揉んだら俺は凡人になる。セックスしたら思い出してマスターベーションできる。子供を産ませたら反則だ。胸を揉んだらメディアに取り上げられる。セックスしたら噂になる。キスしたら有名になれる。独身時代を終えたら孤独だけがある。
「女の数だけ」名球界に近づくのは事実であるが、そのことから自分を守る「幾何学」を動かさなければならない。
裁判所に「接近禁止命令」を出させたらメディアは大喜びだ。
いかに「幾何学」を動かすおカネを使うかが重要だ。
男たちが動けば女たちも動く。
どうしても「客席の視線」と目が合ってしまうことがある。
あるいは「客の反応」を見てしまうことがある。
そんな時に「やり逃げした女」と目が合うと、「レーザーポインターで妨害してくる」などと試合を止めてしまう投手もいる。
心の骨が折れる瞬間が見える。吉井

俺の「幾何学」(女サークル)を知っている連中はごくわずかだ。
チームとして連携できるわけでもない。
ベンチワークといっても、本当のスタッフにはすべて秘密なのだ。
結局は、労働基準法上の労働者ではないのだ。
ストライクが入らないのならば、このような理由が指摘できる。
あんまりないよね。この充実感。今永

ニュートンが「月とタケコプター」に気がつくまでは「数学」とはこのような学問であった。
デカルトが木星人かどうかはともかく、「四人の女」に注目していたのは事実であり、「やり逃げした女」と目が合ってガックリうなだれる男の現象を「フリーフォール」と呼んだ。
才能のある男たちだ。
ベンチの側も「助けてあげること」はできなくても「フリーフォール」には敏感にならなければならない。
男の「腰」は一度動き始めたら止まらない。ましてやハイスピードで動くアスリートならばなおさらだ。
キスから胸に行ったらどこに「飛ぶ」かは分からないよ。
AからBにいく「速さ」が問題なのであって、B'なんてどこに飛ぶか分かるものか。
渡辺美奈代 Too adult

一方で、「やり逃げした女」をその日のうちに呼び出して「騎上位」をやるとおカネがかからないという指摘もある。
幾何学とは異なる「物理学」からの答えであった。
木星人の仕事は「正しい神」と「恋に詳しい」ことで四人の女を統制することにあった。
CoCo 小さな一歩で

第三夫人・第四夫人といっても必ずしも夫と肉体関係を結ぶわけではなく、夫を守るための活動のためにいた。
それ以上の女はおカネが割に合わないし、そもそも必要がなかったのだ。
そもそも「夫人」といっても、いろんな思惑があり、みんなが自分が正しいと考えていて、夫のために集まりを開く存在に過ぎず、そこで夫は「自分の見識」を語るだけだった。
「ストーカー女に付きまとわれている」といっても警察に通報したのではNHKに「やり逃げした女」の存在を知られるだけだ。
そんな時に「四人の女」を活用するのだ。
平時においては「やり逃げしたこと」を四人の「夫人」に責められるかも知れないが、プロ野球などの「有事」においては夫人たちの動きが違う。
まあ、プロ野球選手ともなると、「四人の夫人」「四人の女」に自分の見識を語る機会は公的機関も含めてけっこうあるため、いかに「人柄」を受け入れてもらうかが大事だ。
「有事」がないのであれば、そもそも木星人である必要もない。
地球人として生きればいい。
母親に「女に少数派などない」といっておカネを流せば「四人の女」など簡単に集めてくる。
この時の「集会」で「われ思うゆえに我あり」というような見識を語らなければならない。
このような「有事のためのインフラ」の存在さえ分かっていれば、「やり逃げした女」に怯えなくてすむ。
「生きるとはどういうことか、繁栄するとはどういうことかの立証責任は男(私)にある」ということを明確にし、母親に「あなたは生まれてきてよかった」と言ってもらう必要がある。
さらに、妹には「この人は楊貴妃のような人で、”お兄ちゃん、家で起きていること男にも知らない”といわれると人生の宿題になってしまう」という発言をし、妹を褒める必要がある。
フレッツ光 CM

まるで、文書・会計・庶務の「官房三課」が女四人でまかなえるようだった。
どの女も「男」に恋をしていた。
あとは「仕事をするだけ」だろう。
このような「デカルトサークル」が、国費によってまかなわれているのが福祉の現場だ。
この「やり逃げした女」とピッチャー心理はビッグマネーのかかった「おカネとは何か?」というもののたとえであり、どの世界でも通用するものだ。

デカルトは「いじめっ子」(肉)に「いじめばかりやっているとちんちんが勃たなくなるぞ」と指摘している。
女二人は「勃つ男」を目的に争っていたのだ。
Wink 愛が止まらない

また、娘ができた時に「逸脱について」という本を書いている。
デカルトの、代表作は「瞑想」であるが、「逸脱について」という本も娘への愛にあふれたものだった。
娘は早くに亡くしている。
rebecca when a woman loves a man

女二人に男一人という構図は、「アイデア」とも「名目」とも呼ばれ、常に経済をリードしてきた。
平和的な構図がまず指摘された。
ribbon 真夏のフェミニスト
その後、かなり競争的な構図が生まれた。
高井麻巳子 こわれかけたピアノ
最後に「女のからだ比べ」「名目」「アイデア」は決着がつく。
杏里 悲しみがとまらない

鏡を見て自分の裸体を見てマスターベーションしたことのある人はいるだろうか?
ソクラテスは「モテる俺」を鏡で見てマスターベーションしている。
男が男を崇拝するの世界が「神を信じること」ならば、少なくとも私はソクラテスの境地には至っていない。
「私を崇拝しろ」という男がもしいたのならば「鏡を見てマスターベーションできますか?」と聞いてみるといい。
自分のケツの穴がどうなろうと知らないがね。
神になるというのはそれほど難しいことなのだ。
思春期の頃の話は覚えていないが、「鏡を見てマスターベーションする」というのは「神のシンプル化」に非常に有意義だ。
このような原体験は「タバコを吸うだけでどんな問題も論文から解き明かす」文化人を生み出す。
少なくとも「神を信じる」「上達を信じる」男にはなるだろう。
歳をとってまでやろうとは思わないが。
ちんちんがついている証拠を見せるためにも必要だろう。
口先だけの卑怯者との違いはこれだけだよ。
工藤静香 証拠をみせて

「男が男を崇拝する」
それが「神」だとするのならば、思春期に「鏡の前で自分の姿を見てマスターベーションをする」という原体験は、自らの人生の快楽を「孤独」のまま自己完結させ、つまりは「文化人」になるとされる。
しかし、男の子でも女の子でも「恋に臆病になる」という指摘は可能だ。
私もそのような原体験をもっているが、「他者に介入して欲しくない」世界というものが出来上がる。
文化人でも国際人でも同様のことが言える。
森高千里 勉強の歌
そのような男は「この完璧な生き物を見よ」と言って肉体を鍛え、みずからを平気で「歴史という名の法廷」に差し出そうとするだろう。
サラブレッドも「毛並みを整える」「自分は美しいと思わせる」「人間の言葉を理解している」「鏡の前でマスターベーションさせる」などしないと「鬱になるほどの調教」には耐えられない。
この「鏡を見て自分の姿でマスターベーションする」という原体験は、イエスキリストと名のつく男たちの伝統であり、アクィナスもそのような経験を持っていた。
コペルニクスが「自画像」というものを考えた。
オンエアされている「自分」を見てマスターベーションをした女は「夫とのセックス」にも感じない。
そのため「どうやって幸せになっていいのか分からない」と言った。
遠野なぎこ

女は夢で「理想の男」を夢見る。
「誰か、テレビに出ている私を犯して?」
そんな私は「イエスさま」を信じなければ、まともな結婚生活も営めないでしょう。
芸能界ができたのはヨーロッパでは11世期だっただろうか。
「イエスさま」が女たちの間で浸透し始めたのだ。
初体験の相手もたぶんイエスさまだったと思う。
アイドルの心はもう限界だった。
男の言葉から「真実」を見つけるのが上手くなった。
言葉はおちんちんのためにあった。
アイドルの女は「言葉のプライシング(値段の付け方)」が上手くなっていたし、これで生活していけるというような「男の言葉」を探していた。
白いパラソル 松田聖子

また、「鏡を見てマスターベーションをする」という原体験が性概念の確立と同時期になされると、
「世界の女は俺を愛すべきだ」という考えにつながり、また、「鏡」とテレビのモニターの区別がつかず、
「芸能人と結婚したい」と考えるようになる。
高校時代に「黒ずくめの服」を好んだり、青いライターにこだわったりするようになる。
黒ずくめの服は、一昔前の神社での「参拝客のお年寄り」の姿であったし、性概念が確立する時期の原体験から「自分がイエスとして国を支えなければならない」という思いが先人にはあったものと思われる。
アマテラスってなんだ?
「女として最高の存在、と位置付けられる」ものだ。
着ている服は男と真逆の白であった。
Melody いちばん好きといって

デカルトのいう「瞑想」とは、禅とはまったく異なるではないか?
美女を思い浮かべて禅を組むと美男美女が生まれるという禅の教えとは異なり、「自分の姿を鏡で見ながらマスターベーションをする」というのが瞑想(メディテーション)か?
子供たちが瞑想するだけで国民の生活が楽になるんだってね。
教育費がかからないとか、いろんなカラクリはあるだろうけどとにかく生活が楽になるのだ。
子供達の間で噂が広まるのは早かったし、子供たちの「いろんな病気」が克服されるのを国は観測した。
ジェームズボンドフリークなどという噂とともに「あの男が何者か?」を周囲は知った。
a view to a kill

今はもうなくなっているが、代々木ゼミナール横浜校には、かつては5000人の受験生が集まっていたのだ。
講義の後の駅までの「行軍」はまるで軍隊のようだったし、誰も一言も口を聞かなかった。
黙々と集団で「歩いた」のだ。
あの中で打ち合いを制したのが小野光太郎であり、その秘密は「瞑想」にあった。
どの男たちも「勝つためのヒント」を考えていたが、「自分の姿を見ながらマスターベーションしたことがある」という強烈な自己愛が最後にモノを言った。
子供たちが自ら「上達」を好むようになり、勉強やスポーツに励むようになり、つまりは「信仰心」をもつようになるということは、どれほど親を楽にさせるだろうか?
これがそのまま「国民生活の楽」につながるのだ。
NHKで「シルクロード」が放送されているが、漢王朝はソクラテスの「原体験」を知るためだけに、ラクダに乗って旅をしたのだ。
パルミラには中央通りに列柱が立てられ、この「ヨーロッパの秘密」をまるで奥義の如くに守った。
今の日本国では「なんでもあり」だが、各自が「譲れないもの」を持っていた。
デカルトが死んだら忘れ去られるだろうとされた「瞑想」であるが、今は「令和天皇が死んだら忘れ去られるだろう」とされている。
「神の意思は我にあり」
そのような恐ろしい高校生だった。
女子たちもお年頃になると「パンとセックス、男の邪魔」のためならば己を犠牲にするようになる。
「5000人の行軍」の中をこのような「女の都合」が襲いかかった。
文一合格者として名前が掲示されたのは5名程度だった。
松田聖子 赤いスイートピー

松田聖子と中森明菜から「今度の土曜日にお父さんが香港に行くの」という言葉の意味を吟味しろと言ったのが本稿であるが、月を越すのが楽だったというイメージを私は持ち、他の国民はどうだったのかな?と思ったら連休明けに株価が急騰した。
松田聖子と中森明菜を聞くことは脳の左側に良い影響を与え、さらには「左腕」を楽にする。
しかし、人間の本当の「性欲」は、脳の真ん中の松果体が発信源である。
左腕が楽になったというのは「左を制するものは世界を制する」といえことに由来するものだが、松果体つまり性欲を満たすのは、いろんな意味でトラブルの元であるが、生活が楽になったのならば次に人間が目指し始めるのが性欲を満たすことである。
つまり「脳の真ん中」を狙い始めるのだ。
渡辺美奈代 ちょっとフォーリンラブ

円は高くはなってはいない。
つまり、「企業の営業努力」のおかげで「生活が楽になった」わけではない。
あくまでも松田聖子と中森明菜を発信した私の手腕によるものという側面が強い。
円が高くなれば、私のブログの読者も「腕を上げた」といえことになるだろうが、まだまだそのレベルにはない。
松果体を最終的には狙っているが、人間の動物的側面(食べる・セックスする)を満たすためにおカネを用いるのだ。
松田聖子と中森明菜を聞く、つまり「脳の左側から攻めろ」というのは本当の人間の欲望を満たす上で覚えておいた方がいい。
芸能人の女は「テレビに出ている私を犯して?」と思っている。
一方、瞑想を経験した男の子は「テレビに出ている女」を夢で犯すだろう。
若者の「贅沢」とはこのようなところから来るのだ。

さて、英語の論文においては「禅」のことも「瞑想」(メディテーション)と書いてある。 シルクロードを経てソクラテスを学習した漢王朝はとうとう「禅」を完成させたのだ。 只管打坐にせよ、公案にせよ、「女」=エネルギーのジェネレーターのことを考えなければ集中できない、気力がもたないのが「禅」であり、その効果として、 「夢で憧れの女性とセックスする夢を見る」 「子供が美男美女になる」 「娘の恋愛について親として考える」 などが指摘できる。 私は、東大受験の時は、常に酒井法子のCDのジャケ写を目の前に飾っていたし、そのこと自体が「禅」であったのだろう。 禅をやると体調がいい。 なにしろ「私は子孫を残せないのかな?私は動物なのかな?」という考えが精神病の原因だったからだ。 いい女と寝た気分がするからいじめはやめようかな?と考える者もいた。 呼吸法はヨガを参考にした。 呼吸を数えてみたら1分間に16回から17回、鼻で呼吸していた。 禅を理解していない東大合格者はいないとも言われている。 しかし、女を「口説く学問が哲学であるとするのならば、テレビに出ている女のことを瞑想するのは「反哲学」とも呼ばれた。 効果は確かに「多幸感」のようなものはあった。 しかし、目を閉じると「邪魔者」はいなくなった(ふたつではない)。 我々は「目の前の邪魔者」を退けるために「女の話」していたのではなかったのか? 禅には強烈な「私」だけがあり、知識を学習する上では、机に向かって「自分だけの世界」に閉じこもることが学習のためには必要だった。 目の前の酒井法子のジャケ写のことを忘れるような集中力を見せた時に学習効果は上がった。 そこには無があり、時間と空間がなくなった時に知識が頭に入ってきた。 私はウォークマンを聴きながら勉強していたが、知識を得る時は「音も聞こえなかった、無」の状態だったのだろう。 「見ること」 これが禅であった。

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