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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年10月 4日 (金)

経済ベースボール。

なぜ、女は「ミクロからマクロへ」(女子高生最強!から凡人へ)、「グロスからネットへ」(はじめは処女のように、結婚したあとは「福祉が専門」になってテレビや彼氏を批判する)という動きをするのか?
あるいは、男は「マクロからミクロへ」(なんにも分からなかったのにだんだん世の中が分かってくる・強くなる)、「ネットからグロスへ」(罵倒する立場から罵倒される立場へ)と成長をとげるのだろうか?
答えは、「永遠の命」にある。
あなたの記憶を他人に移植したら、まるで「目を覚ます」かのような感覚を味わうだろう。
しかし、赤ん坊に「大人の記憶」を乗せることはできない。
そこで、「星」(六占星術)に委ねて「生まれ変わったらまた一緒になろうね」という具合に運命を定めるにとどまる。
しかし、なんど生まれ変わっても「マクロとミクロ」「グロスとネット」からは自由ではないのだ。
特に、カントが「結婚」という制度を作ってからは「文学の爆発」が起きることになった。
平家みちよ プロポーズ

女の人生と男の人生が「神聖な法」に支配されていることは、「永遠の命」を考えたトマス・アクィナスがよく理解していたが、「だったら結婚させちゃえよ」と考えたのはカントだった。
マルクスは「結婚なんてものは搾取である」としているが、どの女も「プロポーズ」に憧れたし、抜群のタイミングがあるかないかで共産主義者というものは生まれざるを得ないのだ。
放浪記

「永遠の命」というものを考えたのは、令和天皇であり、日本IBMやNTTドコモの力も借りた。
これが「イスラム圏」に下層階級の日本人が拡散していく原因となったし、下層階級は「地獄の沙汰も金次第」といわんばかりに中世ヨーロッパに広がった。
さらに、ルイ14世の時代のマクシミリアン裁判所(恋愛裁判所)に広まったし、写真が大好きな日本人は19世紀以降の世界の人口爆発を引き起こすように「写真のある時代」に広まった。
キリスト教圏はイスラム圏に「お前ら死なないんだってな」と言って十字軍遠征を行ったが、「俺も死にたくない」と考えた連中はユダヤ教に改宗している。
生まれ変わっても「マクロとミクロ」「グロスとネット」の困難さが赤ん坊には待ち構えている以上、「俺(私)はもういい、これでいいんだ」と考えて「一回限りの命」を選択する人もいて、これを「キリスト教」と呼んだ。
「幼稚園からやり直せ」
その問題の「困難さ」を知らない大人などいないのだ。
モーゼの「預言」もつまりは「マクロとミクロ」「グロスとネット」の存在を指摘していたし、ひとつのおちんちんをめぐって「はじめに言葉ありき」と呼ばれるように言葉ができたし、時には「言葉」を越えて「大歓声」になることもあった。
男が女に大歓声を浴びせる「マクロからミクロへ」という構図もあったし、女が男に大歓声を浴びせる「ミクロからマクロへ」という動きもあった。
「さ、さ、ここは若い者に任せましょう」
お局さまはそう言うしかなかった。
「若さを憎まないヨゼフ(お父さん)」
これがつまりはキリスト教の教えであり、「俺はもういいんだ、これでいいんだ」という境地になることを意味する。
どうにかして、この「神聖な計画」を世界に教えたい。
これがキリスト教の「ミッション」となったし、ユダヤ教やイスラム教の方が「一度きりの人生で満足できるか?」という根強い支持を集めていた。
「なんど生まれ変わっても、みんな”白紙”になるんだ。やってられないよ」とジョン・ロックもキリスト教を支持した。
しかし、不幸な出来事は必ず人間にはつきものなため、ユダヤ教やイスラム教の方が日本では支持を集めるだろう。
「白紙」(タブララサ)からみんな「勉強」しなおすんだぜ?
これらの議論が分かればトマス・アクィナスの「神学大全」はマスターしたことになる。
「神は何を知っていたのか?」「女心をつかんで予言することも知っていた」
20世紀には数学も発達したためメジャースポーツができている。
神の「神聖な計画」に貢献するのを文学と呼ぶのだ。
Melody You are only my love

「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」
これを「予言」に用いたのが、ユダヤキリストである。
アタナシウス派は「女は皆同じ」として、まるで「予言の危険性」を指摘しているようだった。
しかし「いろんなタイプの女」を文学にすることは明らかに「予言」であった。
2017年に横浜DeNAベイスターズは日本シリーズ進出を果たしている。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ

「人間、あまりにも人間的過ぎる」
それは、若い女「ミクロ」が「元気」を発散させることであり、若い男が「マクロ」として大声援を浴びせることを言う。
元気!元気!元気! 高橋由美子

マザーファッカーの両刀遣いや、オカマの方が「人間」の複雑性に迷っていたようだった。
よりシンプルに性概念を確立しなければ、シンプルに「学問」をやることはできない。
「私」「人間」という言葉にはマクロもミクロもなかったし、グロスもネットもなかった。
「ワシ」「ワテ」ほど、「ワタシ」よりも父や母と性的に近く、学問が大成しないことがあるのだ。
「男」にとって世界はどう見えるの?
それを正確に発信する営みを「宗教」と呼んだ。
法律も「男らしさを語り合う論壇」のことを意味するが、法律は「若者も年寄りも」「マクロもミクロも」含む概念であるが、宗教は「男らしさを語り合う論壇」であっても「人生経験」がモノを言う世界であり、ミクロの男つまり「若い男(マクロ)が老いた男(ミクロ)を崇拝する世界」として成立した。
あるいは「主婦層」も「老いた男」を崇拝することになった。
勝負に強くなった男(ミクロ)は、マクロつまり「主婦層」「若者」の二つの方向から声援を受けることになる。
マクロが騒げば、他のミクロつまり「若い女」「高齢の男」も騒ぎ始めることを意味した。
ステップバイステップ 高橋由美子

基本に立ち返ろう。
なぜ、「マクロからミクロへ」という流れは生じるのであろうか?
「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」という発想がマクロであり、「女は皆同じ」という発想がミクロであるということは覚えておいて欲しい。
つまり「大歓声」そのものが「セックス崇拝」なのである。
若い女(ミクロ)に、年配の男(ミクロ)が面と向かって「下ネタ」を言うのは「反則」とされている(セクハラ)。
ミクロ対ミクロ、マクロ対マクロの世界はとにかく「動きがない」ものである。
男はとにかく「彼」から「彼ら」にならなければならなかった。
言葉が「おちんちん」のためにあるのだとするのならば、女たちはその「複数形」を望んでいた。
教科書は「男が解読できるように」書かれていた。
そのため東大には男ばかりが入学している。
メソジストでなければ「男女同数」の入学は許していない。
「男の言うことを聞いていればいい」
そんな簡単な宗教もあるのだ。
片思いの終わりに 亀井絵里

宗教家の「そんなムチャクチャな」という言葉が、自信に満ちていて、「若者」「主婦」たちの支持を得たら、女の子たちは「そんなムチャクチャな」というようなことを楽しみ始める。
まるでフォアプレイのように、女の子たちは嬉しそうだったよ。
「経験をゆがめる」しかも「正しい方向に」それはまさにフォアプレイであり、女の子たちも「自分たちの将来」をキーとなる男の子たちと話し始めた。
こんなしがないおっさんの言うことでも生きていて楽しかった。
自分にとって「大切な人」が見つかったし、将来が見えたからだ。
しかも、「今は」自分がきわめて有利だということを知った。
SPEED Deep Blue & Truth

何度もこの「恋のゲーム」が楽しめるというのが「永遠の命」であり、レイプと女嫌い以外にこのゲームに敵はいなかった。
「ねえ、あの先生が言っていることの意味を聞かせて?」
女の子たちは男にそれをせがんだ。
男の子も一生懸命女の子に話して聞かせるために勉強したし、女の子は、それをまわりに話すだけでおいしいものが食べられた。
国民の胃袋を満たす作業が、令和天皇を人気者にさせていたのだ。
「レイプと女嫌い以外に、永遠の命に敵はいない」
だが、女の子は「祝福にも呪いにも」脳がアクセスしないままセックスしてしまうこともあった。
卵子は「受け身」ではなかった。
その表面では、精子と激しいつばぜり合いを行っていた。
たった一人で「生まれ変わる」「永遠の命」という個人主義が、むしろ女の子たちに「私はどのような”命”を宿すのだろう?」と噂になった。
「男は、女の”子供の気持ちが味わいたい”からセックスをする」
それならば、どの歴史上の人物の気持ちを彼が経験するのかしら?
彼、私に挿入したらショックを受けるかもね。
CoCo ミスロンリー

天皇陛下を侮辱する奴には「貴様!」と一喝してやったよ。
「私が将来凡人になるの?」(ミクロからマクロへ)
だったらコンビニにポルノを置きなさいよ。
彼から聞いたことを全部小説にするから。
さて、経済ベースボールにおいては「サンタクロースがピッチャー」「シャーロックホームズがバッター」だと言ったが、「女が男からの電話を欲しがっている時」を明らかにした。
株価が赤で、為替も赤の時だ。
株と為替の値動き

株価が赤で、為替が緑の時は女同士で情報交換しているのだろう。
株価が緑で、為替が赤の時は短いが男同士で情報交換しているのだろう。
株も為替も緑の時は、女は「約束なんて今夜はいらない」「電話のベルが黙った夜が素敵」と考えているのだろう。
今はとにかく、「女が男から話を聞きたがっている」ため、株価はずっと赤で下がりっぱなしだ。
株価が下がるときこそ、「シャーロックホームズがビッグイニングを作った」時であり、女が男から話を聞きたがっている。
つまり、「技術革新」が起きるときなのだ。
「タケコプターってどうやって作るの?」「どこでもドアって何?」「そもそもドラえもんって"惑星”を使って道具を作っているんでしょう?」

ある時、男が「俺はアメリカよりも中国のほうが好きだな」と言った。
中国の意味が分かっているのかね。
なにしろ、「学校でいじめられて、胃から出血して黒い下痢をする連中」を英雄としているのだ。
「上海で泣いて、ニューヨークで笑いたい」
この言葉の意味は日本人には分からないんじゃないかな。
安倍なつみ ひとりぼっち

「女子高生最強!」(ミクロ)と、お兄ちゃん(マクロ)の共存は「ボーイズドントクライ」と呼ばれ、ミクロの秘密をマクロは生涯にわたって研究することになる。
「すべての家庭が改革を必要としている」「改革にはお金が必要」
このことから「ボーイズドントクライ」は、「男の子がいつかは経験しなければならないこと」とされている。
私の母方の祖母・小野元が作った曲である。
WINK ボーイズドントクライ

「ネットはどのようにして構築されるか?」
まず、男が7人ぐらい女の周りでワイワイやっている。女はその中の4人ぐらいを真剣に結婚相手として考えるようになる。さらに「これはないわ」ということを経験して3人に絞る。
一方、男も、7つの情報源を持っていて、4つぐらいにその重要性を絞り始め、他人に話す話題は3種類に情報源が絞られてくる。
「7つ」の中にどれほど「化け物」を持っているかに焦点が絞られ、私は法律雑誌を読んでいたことから妻が私を選択している。
この、「インプット7つ」「隠れたユニット4つ」「アウトプット3つ」という仕組みから、女たちの間では「面白い情報源」「面白い男」「私には読めないから代わりに読んでよ」などの要素が決まってくるし、女コミュニティーは「3人の男」をめぐって、激しい奪い合いが生じる。
この時に、女社会で「ネットワーク」が構築されるのだ(ネット)。
結婚前は「アッシー」「ゲッシー」「メッシー」などと罵倒されている(グロス)が、女は真剣に結婚相手の候補として挙げていた。
男は「アッシー」「ゲッシー」「メッシー」などと罵倒されることでようやく大人になるのだろう。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ

ようするに「奪い合った」から男への罵倒だけが残るんだよね。
子供の脳には「より単純な学習メカニズム」しか残せない。
大人の記憶をそのまま乗せるなんてことはできないのだ。
いずれは「7つの情報源」を手にするだろうが、子供には「より単純な学習メカニズム」しかない。
若さを無駄にすることも多いが、「どのレベルで戦っていくつもりなのか?」でおのずと読む雑誌も絞られてくる。
男選びは雑誌選びだ。
「法学教室」「ジュリスト」なんて普通の女には読めないからね。
ましてや、スタンフォード哲学百科事典なんて「何が書いてあるの?」とあとで男に聞くしかない。
強い情報源を持っているヨハネ(松田聖子の歌のモデル)ならば、処女のマリアが好みだろう。
いい男選びによって、自分にはとうてい読めない雑誌について分かるようになる。
CoCo ささやかな誘惑

婚期に「いい男選び」を経験した女はもはや「グロス」(批判される対象)ではなく「ネット」(批判する側)であったし、いい男選びという経験を通じて女社会の一員となっていくのだ。
それでも、既婚女性が関心のある「4大テーマ」「27の話題」で、男の「雑誌」にとうていかなわないことを思い知ることもあった。
「法学教室」は1980年代にゴールデンエイジを迎えているが、なにしろ男が「判決」を書けるようになったのだ。
判決がかけるようになったのならば、その次のステップとして「芸能界」「アメリカ合衆国」を視野に入れなければならない。
「あの雑誌に何が書いてあるの?」
これがいい男選びに重要な意味を持ったし、あとは自分に向いているかどうか、自覚があるかどうかが問われるだろう。
いちばん熱心な読者として編集部に知られ、コンテンツの「リクエスト」が出せるようになるのがいちばんいいだろう。

「世界の恵まれない子供たちのために募金をする義務はありますか?」
ないよ。オカマがアニキ(ゲイ)を喜ばせるための宗教に過ぎない。
この答えが導き出せないのであれば、他の雑誌の食い物にされる可能性はある。
民間人の大量殺戮兵器を操る立場になる以上、当然、「答え」は用意しておかなければならない。
もっとも、アニキとして「多くの子供たちを犠牲にすることはない」ことも含めた答えとなっている。
世界に「支援の輪」が広がることは、兄貴に「偉くなっても人を殺すな」といういいメッセージになる。
「東日本大震災復興支援」も、安倍首相に「戦争はしないで?」というメッセージとなる。
「最後は金目でしょ?」というのは明らかに失言である。
仲間というのは「お金」である。
「東日本大震災復興支援」にこれだけの人の輪とお金が生じるのであれば、指導者(アニキ)は、自分が人を殺した時にも同じ反応がおきることを悟るのだ。
アニキ(指導者)に、「世界を敵に回しても怖くはない」と思わせてはならない。
奇跡の肖像 工藤静香

アメリカ合衆国の「対中政策三本柱」は、①金融、②アメリカ高等教育、③クリーンエネルギー(原子力)の三つである。
東日本大震災復興支援はあくまでも「安倍首相、戦争しないで?殺さないで?」というメッセージであり、原子力発電に関しては「もとの姿に戻さなければならない」と私は考えている。
福島第一原発事故は「世界の原子力エネルギーの三割にダメージを与えた」とされているが、すべて「戦争しないで?殺さないで?」というメッセージと支援の輪を通じてもとの姿に戻さなければならない。
この国に、クリーンエネルギー(原子力発電)は必要であるし、それがなければ中国が喜ぶだけなのだ。
人を何人殺したかという話になると「0人」か「1人」あるいはそれ以上という話になる。
「0.3人殺した」という人はいない。
あるいは、モテる奴を殺したかそうでない奴を殺したかという違いはあるが、それでも「0人」か「1人」という数え方をする。
「どうしても必要な人だから命を救った」という発想は当然もたなければならない。
子供を「無教養のまま」大人にさせるのは、「0人」か「1人」の世界でわりのあわない思いをさせることになる。
「東日本大震災復興支援?」「お金目当ての連中か」と思ってはならない。
「安倍首相に、人を殺すのはよくない、というメッセージを送る営み」なのである。
この世界にはゲシュタポやSSのような連中がうようよいる。
ゲシュタポやSSは「原子力発電」を支持しているのだ。
なにか災害があった時に、ゲシュタポやSSが自分たちのために動いてくれるのかどうか?
それも考えなければならない。
台風15号での千葉県における停電ではゲシュタポやSSは動かなかった。
子供を無教養のまま大人にさせるとそのようになる。
「支援の輪」「友情」から得られるおカネはきわめてポジティブなものだ。
そうでないおカネは「湯気が出ている」ものだ。
原子力発電にまつわるお金はみんな「湯気が出ていた」であろう。
なぜ、「安倍首相、戦争しないで?殺さないで?」と言ってポジティブなお金に変えないのだろうか。
原発反対運動で豊かになっただろうか?正確な「ネット」でなければ豊かにはならない。
大人たちは「正確なネット」を聞きたがっている。
それ以外の、ネットには高い税金をかけている。
「落ちている石は蹴らない」というのをセーフティーネットという。
しかし、「ボールに触っていない」サッカー選手は確実に給料にひびくだろう。
セーフティーネットには節税効果はない。
ボールに触らなければおカネにはならないのだ。
「東日本大震災復興支援」が「戦争しないで?殺さないで?」というメッセージになるのは明らかだろう。
それ以外に我々にできることはほとんどないのだ。
「神を喜ばす宗教」を行う以外に「救う神」は現れない。
千葉県 停電

セーフティネットの立場に立つと、とにかく「落ちている石は蹴らない」ため、ゲシュタポやSSの「Xファイル」には名前は残らないが、反原発運動をやるのならばXファイルに名前が残る。
はたして「正しいネット」だったのかな?という反省はしなければならないだろう。
ジーン・ジラードは1980年代に「女の子は歳をとってもミクロ」「男の子は若くてもミクロ」つまり「年をとっても凡人ではない女」「若くても優秀な男の子」を、電力会社に求めた。
つまり、「原発支持」という生き方である。
原発の意味は「自分が輝くことで証明するしかない」とも言われた。
あとは、「正しい神を信じ、恋に詳しい」ことが条件となる。
いろんな「脱原発派」に犯されたため、「原発支持は大人になってから」とも言われる。
子供なのに原発支持?高橋愛

女の子は「女子高生最強!から凡人へ」(ミクロからマクロへ)となり、「はじめは処女のように、やがて罵倒する側に」(グロスからネットへ)まわるが、男の子は「成長するにしたがって勝負事に強くなる」(マクロからミクロへ)し、「罵倒する立場から罵倒される立場へ」(ネットからグロスへ)と変化をとげる。
これに詳しい人を「医者」と呼んだ。
いきなり「メス」とか言う医学部の学生ならばいらないから。
メスとハサミならば床屋と変わらないわ。
檸檬の年頃 AKB48

女の子にせよ男の子にせよ「4人に一人は」真剣に自殺というものを考える。
しかし、リストカットしたあとに、家族が大騒ぎし、看護士の手厚い看護のもとに薬を与えられ、立ち直っている。
中には「夜中に海に足を踏み入れる」女性もいる。
自分の周りから「愛」が去っていったとか、男としてあるいは女として「何かを間違える」ことは誰しもがあることだ。
女の子は「女子高生最強!」というミクロが若い時期なので、男の子の方が「世の中で生きていくことは困難」と考えて本当に死んでしまう人がいる。
「耐える、ひたすら耐える」ことを学習し、「大人になるってこういうこと」という文学作品を提供する必要がある。
自殺の原因は「情報リスク」と「貢献リスク」の二つが存在するのだ。
つまりは、「男の子から電話がかかってきて、女の子は自分の気持ちを話す必要がある」ということだ。
今となっては「おちんちんがなくて欝なの」と言っても誰も驚かない。
フロイトが考えたことだ。
さよなら失恋ピエロくん

国は「万一のために」血液サンプルと思春期の子供たちから採取している。
クローン人間を作ることを可能にするためだ。
親御さんが「幼少期の時はともかく、思春期の時に何かを間違えた」ため子供の命を失った場合はクローン人間を作ることにしたのだ。
これは「永遠の命」よりも、より身近に「同じ親のもとで」「十数年遅れで」生まれてくることを意味する。
親は子育ての「何を失敗したのか」を一度は学習している。
親は失った子供の命を「リクエスト」にかけてふたたび育てることになるだろう。
「子供が医者になることを期待していた」
そんな気持ちももうなくなっていた。
子供たちにも「大人になって、永遠の命について考えるチャンスを与えたい」という思いが国にはある。
ナチスも日本軍も子供たちにはひどいことをしたため、ニュルンベルクコードを作った。
1960年代にヘルシンキ宣言が出され、思春期ならば「マクロとミクロ」「グロスとネット」を両方経験していないのだから、クローン人間のことを永遠の命と呼ぶとされた。
「神の計画」を達成しない人生は、神として国も介入しなければならない。
しかし、神であるのならば「恋」にも詳しくなければならない。
どの「授かり物」にも神の計画を達成してもらい、「俺(私)はもういい、これでいい」と考えて一度限りの人生を終えるか、「いや、もう一度」と考えるかが、キリスト教とユダヤイスラムの違いだ。
大人になったら、「女は凡人」(ネット)「男は何者かになれる」(グロス)という観点から、「ネットリスク」つまり、自らの命を絶つ行為は思春期の男の子向けのものであることが分かる。
女は凡人になっても「多数派工作」という楽しみを覚える。
男でも大人になって「ネットリスク」を持つようであれば「薬」のお世話になればいいだけだ。
親を失ってしまった子供たちには「国が親である」というパレンスパトリエを「やわらかい親」というかたちで居つづけること以外にできない。
母親(ミクロ)から息子(ミクロ)への性的虐待は「両刀遣い」を生み出すし、父親(マクロ)から娘(マクロ)への性的虐待は「髪の短い女の子」を生み出す。
なんらそこには「マクロとミクロの交差」は存在せず、祝福すらない。
また、父親(マクロ)から息子(ミクロ)への性的虐待は「オカマ」を生み出すが、ここに「男らしい父親」「女らしい母親」が必要とされる理由がある。
「両刀遣い」「髪の短い女の子」は祝福されていないが、「オカマ」だけはなぜか原理的に祝福されている。
しかし、父親が「貧しく」「何者でもない」という「ミクロ」であるのならば「ミクロ対ミクロ」として「オカマすら禁じ手」となるだろう。
「美しい国」という言葉が第一次安倍政権の時に流行ったが、あれはジョン・ロールズが考えた言葉である。
いろんな「命」が「契約を結んでくれる国」という意味である。
自分の「重荷」がフェアな評価を受ける。苦労したと思ったら案の定道が開けた。
このことを端的に「神聖な計画」と呼んでいる。
菊池桃子 卒業

1648年に30年戦争が終わり、「文法さえできていれば女たちが勝手に言葉を作り出す」ということを踏まえて、グロティウスが「女の性の経験の違いで国を分けよう」としたことに対し、デカルトは、グロティウスのことを「オランダの天才を見つけた」と語っている。
デカルトは、女の子が男の子に対して「恋」をする理由は「仲間が多い、なにかやってくれそう」ということに見出していたが、オカマや両刀遣い、貧乳レズビアンや、髪の短い女の子を全員オランダに押し付けることにしたのだ。
グロティウスは、このことに憤慨し「デカルト?覚えていない」と語っている。
いずれにせよ、貧乳レズビアンにせよ、髪の短い女の子にせよ「処女」を公言していたため、「オランダ美人」と呼ばれ、カルヴァン派のアイドルとなっている。
小泉今日子 和蘭美人

しかし、貧乳レズビアンにせよ髪の短い女の子にせよ、「アイドルでいられるのは若い頃だけ」(ミクロ)という側面があり、歳をとったらマクロ・ネットとして、男に「夢みたいなことばかり言っていないで働きなさいよ」と罵倒した。
オランダには工場が広がり、オカマ・両刀遣い、それ以外のノンケの男にも働く場所が与えられた。
ノンケの男ならば金融にも向いているだろう。
ウェストファリア条約は、フランスに大企業を、ドイツには金融を、イタリアには職人を、オランダには工場をもたらしていた。
フランスはルイ16世が「飲食店」(便宜裁量)をきっかけに、株主総会(女性アイドルのコンサート)を推進力とし大企業がたくさんできた。
ドイツではカントの「風俗店」(法規裁量)をきっかけに、金融が発達したのだ。
フランスでは「ベッドで情報を漏らす」ことがなかった(デリカシー)ことも大企業を発達させたものと考えられる。
ヨーロッパの政治活動は「クラスメートから親戚みたいな人へ」という手法が採られ、「法規裁量から便宜裁量へ」と向かった。
いずれにせよ、フランスの大企業も、ドイツの金融もオランダの工場を必要としていたし、LGBTは多いけど、ヨーロッパにメリットがあった。
イタリアのブランド物の靴とは違う「コンバース」という靴を作ったりした。
「いつまでも夢みたいなことを言っていないで工場で働きなさい」と歳をとった女は「マクロ・ネット」の立場から男をそう叱った。
ローリングストーンズ ファクトリーガール

彼女と結婚するため、子供たちを養っていくために夢を捨てて工場で働くことを、「オランダ書物」と呼ぶ。
気がついたらコンバースを売りさばいて金持ちになっているんだよ。
どの国も男の人生は「マクロからミクロへ」「ネットからグロスへ」と動いていた。
「神の計画」にしたがわない国づくりなどなかったのだ。

男が「妻に罵倒された時の行き場」はどの国も作っている。
「マクロからミクロへ」「ネットからグロスへ」という男の人生と「ミクロからマクロへ」「グロスからネットへ」という女の人生という「神の計画」にしたがわないのならば国債がデフォルトを起こしかねない。
日本国には工場なんて山ほどある。
チェコも「オランダに学べ」と言って「チェコの書物」を作っている。
仕事に困ったら中退でも卒業でも母校に顔を出して「職場を紹介してくれ」と言えばいいのだ。
オカマでも両刀遣いでも「女心に興味もてないよ」という男はいるのだ。
金融に向いていないのならば工場で働くしかない。
ジェフィリーコンディショニングという難しい理論はあるが、オカマも両刀遣いもそのようにして豊かになれるのだ。
そもそも、日本国に「外国資本」が入ってこなければ、国にこのような「多様性」「神聖な計画」にしたがった人生は送れないだろう。
発展途上国は「男が大人になって妻に罵倒された時」の行き場を用意していない。
お金とは「金額が数えられ、女が買えて、どの女にも通用する」ものである(ケインズ)。
ODAは「神聖な計画」を教え導くために用いなければならない。
そのことを踏まえると、金融や財務が得意でも、男が「女目当てで」寄ってくるだけだよ。
適当に工場で働くのと同じことだ。
ハローワークに行って、面接の予約を取ったら、面接には「女が同席」しているはずだ。
女の「いい男選び」の対象となって、「この職場を愛してくれるかな?病気でも持っていないでしょうね」などの判断を経た上で、おカネがもらえる。
「原発支持」と電力会社に電話すれば冷房や暖房が垂れ流しにできるとか、いろんな「金融」を令和天皇が教えてくれたが、イタリア南部には「美しい女」だけが残され、指導者はいなくなっていた。
日本国を「マフィアの島」にしないために令和天皇の長生きを祈った。
「男の子の声援を受ける女の子(ミクロ)」が、男の子になりたいと考えて歌った曲もある。
いずれ、男の子は世の中を知るようになり(ミクロ)、男女から声援を受けるようになるという意味では、若い女も、いずれ歳をとっていく男の子も変わりはなかった。
いずれ凡人(マクロ)となって行く私は、男の子(マクロ)にそのような歌を歌った。
「夢もの」となんらコンセプトは変わらなかった。
CoCo 優しさに帰れない

とにかく、令和天皇は「神聖な計画」を誰よりも理解しているのだ。
「マクロとミクロ」「グロスとネット」の二つのラインの男女の交差を理解していれば国づくりはできる。
若い女=ミクロ、歳をとった女=マクロ。
若い男=マクロ、年をとった男=ミクロ。
若い女=グロス、年をとった女=ネット。
若い男=ネット、年をとった男=グロス。
この「男女の交差」さえ理解できれば「プロポーズ」の意味も分かるようになるし、結婚という制度を作ったカントの意図や、それを否定したマルクスの意図も分かるようになる。
いずれ私はあなたを罵倒するようになるわ?今の男の子たちからの声援もいつか消え去っていくの。
この「リボン」があなたにほどけるかしら。
もし、この男女のリボンをといたら工場長にも社長にもなれるのに。
リトルデイト ribbon

女がからだを売る理由や、男であること、処女であること、そして人前で歌って踊ることの意味も分かるようになる。
社長や工場長はいいよな。
「マクロとミクロ」「グロスとネット」を正確に理解しているだけで、自分たちは「芸術論」だけやっていればいいんだから。
カトリック女を嫁にもらっただけなのだ。
「マクロからミクロへ」のキャッチボールを成立させたら、「バッターを立たせなければ」利上げ圧力・インフレ圧力・失業率の増加につながる。
そのために「グロスとネット」という議論はあるし、バッターなのだ。
インフレ退治が共和党(改憲勢力)の仕事ならば、雇用対策が民主党(護憲勢力)の仕事だ。
どんな「グロスとネット」に関する芸術を提示するかという才能の問題である。
これは、減税とも呼ばれている。
改憲勢力にせよ護憲勢力にせよ「減税競争」を行っている。
「理屈は分からないけど手元にお金がない」のならば多額の税金が取られている。
財務省に届かずに蒸発した税金も多い。
それをなくすのが芸術論なのだ。
私も、だんだん「平凡な女」(ネット)であることが分かるようになったわ?
あなたは、だんだん「何者か?」(グロス)になろうとしているのね?
あなたに負ける悔しさが分かるかしら?あんなにダメ男だったのに。
ribbon Virgin snow

ジャニーズなんて女の子(ミクロ・グロス)の「おちんちん」に過ぎないことが分からないかな?
私の担当(おちんちん)は誰とも比べて欲しくはないわ。
男の子だから「マクロ・ネット」だけど、女の子と男の子の相性は抜群だし、「正しい神」を信じ、「恋に詳しい」だけでも応援した。
SMAP らいおんハート

社長さんや工場長、天皇がこれらの議論に詳しいのならば、俺たち(私たち)も生活には困らなかったし、テレビを見ていても楽しかった。
独身を「一般」と呼び、既婚者を「特殊」と呼び、一般人を「一般」と呼び、芸能人を「特殊」と呼ぶ相対性理論もあったけど、ジャニーズは「マクロ・ネット」(平凡な男で、人の悪口を言う存在)でも「特殊」だからね。
男のライブは「社債権者集会」と呼び、女のライブは「株主総会」と呼ぶほど、若い女のほうが権力とお金があったけど、人生は一度は最後まで生きてみないと「永遠の命」は得られない。
平成の「視聴率競争」(レッセフェール)は、これらの「軸」が明確でなかったから「災害の多い時代」となっている。
自由競争が行き過ぎるから災害がおきるのだ。
しっかりと、自由競争(視聴率競争)の軸を作らないといけない。

ここで気がついて欲しいことは「男は男だけならばただ成長するだけ」にしか見えないということである。
女がいなければ、大人になって罵倒されることもない。
しかし、男の子は、若い頃に、若い女で「勃つ」ことを覚え、そのことから金融の才能を伸ばしている。
女に興味がなければ、罵倒されることもないが、それでは工場長や編集長、警察官僚が務まらないだろう。
中国共産党は、若い人材の育成のために「編集長・工場長・警察官僚」を歴任させている。
すべては「文学を知ってもらいたい」「経済学を知ってもらいたい」「マクロとミクロ」「グロスとネット」を知ってもらいたいからその任務につかせるのだ。
すべては「男女の人生のリボンがほどけるかどうか?」に係っている。
若い女は可愛らしく(ミクロ)、若い男は世間知らずだ(マクロ)。
「マクロからミクロへ」
若さそのものが「セックス崇拝」であった。
マイクロソフトのワードでシベリウスとともに仕事ができるようになったため、いろんな作品が提示されたが、すべては「男女の人生の交差」が論点となっている。
ribbon deep breath

デヴィット・ルイス(ルイスキャロルの一派)は、「同世代の女の子はこんなことを考えている」ということをかなり赤裸々に、スクリーンに映し出した(1971年)。
勉強・学問が苦しい?それならば「癒し」に誰よりも敏感だろう。
すべてMoMA美術館の影響だ。
CoCoだのribbonだのと、実在する女の子たちを「より美しく」描き出したのはデジタル化時代においてなされたのだ。
液晶モニター(LCD)で、自分の映像を確認しながら(DMD)撮影したりしていた。
今はLEDがあるだろう。
北朝鮮の「ミサイル実験」の映像をなぜそのまま信じ込むのだろうか?
すべては「デジタル化」されている「ネットイメージ」であり、グロス(女子高生・おっさん)の関心を引くためだろう。
主婦層や若者のような「ネット」は、ネットイメージに対しては常に「グロスのリアクション」を参考にしている。
グロスがネットに「ため息をつかせるような」メッセージを送ったら、そのまま、マクロからミクロへという「称賛」に変わる。
たとえ「作られた映像」であっても「ネットイメージ」は、そのままグロスへと影響を与えるし、主婦層や若者は常に「グロスのリアクション」をみて、そのまま「マクロからミクロへ」という大歓声につながりかねない。
そのために、北朝鮮は「ミサイル実験映像」をソウルと東京に送り続けたのだ。
ピョンヤンと東京では常に「デジタルネットイメージ」のやり取りをしていただけだ。
それを見抜けないのであれば、「グロス」(おっさん・女子高生)はファンを失いかねない。
ミサイルはもはや「3Dイメージ」として作られている。
カラマーゾフの兄弟というドストエフスキーの作品は、「子供への眼差し」がおっさんや女子高生(グロス)にウケて、ネット(主婦層や若者)に伝わった。
情報伝達メカニズムを明らかにしたのがカラマーゾフの兄弟であった。
それは「ロックンロール」とも呼ばれた。
ローリングストーンズ イッツオンリーロックンロール

正しい神を信じている・恋に詳しいという二つから人はその人の話しを聞くものであるが、父と娘は「ミクロ」「グロス」として決して情報交換をすることはないし、「父と娘で憎みあっててください」などと揶揄されることもある。
決して情報交換しないことを「天網恢恢疎にして漏らさず」とも言う。
アメリカ国防省筋が時に「信用できない友人」であることを知ってもらいたい。

北朝鮮 ロックンロール

ロバート・ノジックによると、経済ベースボールが発展すると、女は「電話欲しいな?」と思っている時に男から電話が来たりするため、政府はおのずと「国民の財産の保障」「自由恋愛の保障」「セックスの保障」「この国との社会契約を結ばせること」の四つにとどまり、「小さな政府」になると考えた。
「大きな政府」というのは常に「大きな力」がおカネを背景に働くということを人々は感じている。
しかし、男女が株や為替が赤の時に電話しあい、株が赤で為替が緑の時は女同士で電話して、株が緑で為替が赤の時は男同士で情報交換しているということが明らかになるだけで、「国民の方がおカネを持っている」「政府よりも国民の力が大事」ということになる。
株と為替の値動き
2017年には総務省がクライマックスシリーズで阪神ベンチに3億円流したことがあるが、その力に抗する力を国民が持つことになる。
ノジックは、「無政府主義、国、そしてユートピア」という本において、無政府主義とは「したがうべきルールに説明を求めるものである」とし、「なぜ歩きタバコは罰金なのか?」まで説明を求める社会であるとした。
「自分を持て」と言っても「人生の指南役としての文学がなければそれは困難」であるとされ、日本国に今まで「リバタリアン」(自分を持っている金持ち)がいたかどうかは明らかではない。
青年実業家などという言葉ばかりが先行して、その実情は「芸能界の音楽作品から男女の人生を語る人」というものであることが見えてこなかったのだ。
「大きな力を働かせるよりも、青年実業家に助けてもらったほうがいい」これが「大きな政府ではなく小さな政府」という意味である。
なにしろ「永遠の命とは何か?」「タケコプター」「人生をもう一度やり直すことの困難さ」などを語ると、おのずと「数の力」が生まれたのだ。
国民の「音楽作品への共感」に頼るのが小さな政府であり、どのみち「お役所」が消えてなくなるわけではない。
小さな政府は「音楽に満ち溢れていて楽しい」とも言われる。
したがうべきルールに説明を求めるといっても音楽作品への説明を求めていたからだ。
「女はパートナーがいても知恵や力を生み出すために他の男の声を聞きたがっている」(キューリー夫人)。
真夏のフェミニスト ribbon

人々は家庭内にそれぞれ複雑な「マクロとミクロ」「グロスとネット」を抱えて生きていた。
そのなかで「自分を持つ」(リバタリアン)というのは人生の指南となる文学を持つことであり、税金が財務省にも届かず「蒸発」してしまうことを防ぐものだ。
「叶わぬ夢」「混乱」「怒り」「嫉妬」いろんなものに税金は課されている。
しかし、財務省に届かずに蒸発してしまうおカネがある。
手元におカネがないのならば蒸発しているとしか言いようがない。
「小さな政府」とはそのような「税金の蒸発」を防ぐものであり、財政出動を抑え込むことを意味するのではない。
人間が「好ましい結論」を得るために、「大きな力」ではなく「多数派工作」を行うのが小さな政府であり、芸能界や音楽作品がそこにはある。
小さな政府というのは無政府主義(したがうべきルールに説明を求めるもの)であるが、大杉栄のように「大きな力がまったく存在しない」個人的無政府主義というものもある。
企業というのは時に「完全自由競争」というかたちでかなり個人的無政府主義のもとにあることがある。
それでも、人々の「叶わぬ夢」「混乱」「怒り」「嫉妬」などから生じる「税金」の受け皿は必要であり、そうでなければただおカネが蒸発してしまうだけだろう。
主張するのは「青年」であり「主婦」である(ネット・マクロ)。
松浦亜弥 女子高生の主張

台風を撃退するためには「円高」(男の子欲しいな)ということと、株安が必要になってくる。
ハレー彗星なんてものは株高・好景気・熱波・戦争を引き起こす。
週末の円高(男の子欲しいな)と、株価が「女の値段」ということを踏まえ、株高が熱波を呼び込むことを考えると株安が台風撃退に好ましい効果をあげると思われる。
平成の「日経平均株価七千円」の時代とは異なり、現在は「政策」が打てるようになっている。
一時的な株安を歓迎するぐらいの余裕が欲しいところだ。

女が「男から電話を欲しがれば」円が高くなり、株価は下がる。
株価が赤になり、為替も赤になる。
台風という日本国の偉大な宗教は「メディアが大げさに報じる」ことで撃退してきてた歴史がここで明らかになる。
女が「電話のベルが黙った夜が素敵」と考えると円が安くなり、株価も上がる。
男社会の「業務連絡のコンテンツの充実」だけが、円高・株高・土地高の「トリプル高」を引き起こす。
今週末の台風は、どれほど女が男からの電話を欲しがるか?(円高・株安)にかかっており、男としては、知り合いの女たちに「株と為替、そして天気の関係」をうまく電話で伝えなければならない。
台風さえ撃退できることを証明したら、ホワイトクリスマスも「雪のない冬」も自在に演出できる。
河合その子 Weekend Monument

モンテスキューは、「ペルシャ人からの手紙」において、「ヨーロッパ人はそうでない人たちからどのように見られるか?」を明らかにした。
恋に詳しく(司法)・お金をばらまき(立法)・テレビに出る(行政)という仕組みが構築されていない(三権分立)と、異民族がヨーロッパから学ぶことの熱は、長屋王のように「家が燃やされて温度が測定できない」とした。
日本国においてこの「芸能界と三権分立」を理解しないと「一発屋」とも呼ばれるようになる。
恵美押勝と名乗る男が、王子の妃に近づいたりして、「本命王子」「後継者」「政界の重鎮」を焼き殺したのだ。
ようするに「円はドルやポンドには勝てないだろう」という物語であったが、日本国で本当に「三権分立」が機能していることを証明したのが令和天皇であり、本来の趣味であった「ボクシング」の世界でも「デトロイトスタイル」「タイソンストリート」などを紹介していた。
三権分立が機能していないと、芸能人やアスリート生命に影響を与えると考えたのだ。
恋するフォーチュンクッキー

この「三権分立」を、誤解されていてもいいから世界に広めようと考えたのがモンテスキューの「法の精神」であり、恋に詳しい(司法)・カネをばらまく(立法)・テレビに出る(行政)というものさえ確立していれば、胡散臭い弁護士が量産されても、テレビに出ない官僚がたくさんいても、おカネをもらっていないのに投票にいく人がいても、「王子が殺されるよりはマシ」と考えたのだ。
なにしろ、共和制とは「男たちが王子の真似をして生きる制度」だったからである。
私は今日、首相官邸に「総理官邸といっても一枚岩ではないでしょう?総理の悪口を言って影響力を持ち、そういうアウトローの連中ほど女の子たちに人気がある。そのことをシッダールタは熟知していました。ボクシングでジャブとは、相手のディフェンスを見るために打つものですが、法務省に安倍さんのことを話したら大きくぐらついた。安倍さんの悪口をいっている連中も、恋に詳しい、たとえば最初はピンク色でも最後は灰色になることなどを知っていなければなりません」と電話をいれた。
インディゴブルーラブ

組織というものを熟知していることと、三権分立を理解していること、このことが「法の精神」において記されている。
ミスター円と呼ばれる榊原英資氏は、どこまでこのことに詳しかったかは明らかではない。
しかし、「円が分かれば芸能人や王子になれる」ことをモンテスキューは示した。

もちろん、芸能人や政治家と言っても「治めることが好き」でなければ務まらないし、「男への愛、国への愛」と関わるものである。
また、男と言っても「属する修道会が異なれば理論も違う」とされ、争いが起きた。
なによりも「没頭」が美しかったし、没頭する男には「行政機関」は、要支援という段階を与えた。
芸能界や、政界などで名を残さなければ「要支援」は与えられなかったし、家族に迷惑をかけるだけだった。
女たちは、「恐怖のリベラリズム」と呼ばれる「処女であること」を争った。
ハロフィンナイト

モンテスキューは、さらに「寒い国の人は勇敢さが好き、騙し討ちは嫌い」とし、暑い国の人は「臆病で、痛みを感じやすい」とした。
このことは「ラグビーワールドカップが国を暑くし」「もっとホラー映画を放送しなければならない」ことを意味する。
台風撃退のために「じゅん散歩」だけでなく「ホラー映画」も有効であることを示した。
じゅん散歩

このことは、私の「ダーウィン」から考え出した「台風撃退法」とは、全く異なるアプローチがなされている。
ホラー映画

日本のような「アジア地域」は本来、「温度のないゾーン」であり、人間が100%温度を決めている。
ヨーロッパのような「スカンジナビアシェルター」すらないのだ。
アジアの「広大な国」に比べると、ヨーロッパは「小さな国」がたくさん出来ざるを得ないことを示すとともに、
「天気取引」が中国・朝鮮半島・日本国で行われ、より頑丈な国づくりが進んだ日本国が「台風を引き受け」ボロ儲けするだろうと考えられた。
週末にラグビーを見たい人はホラー映画を見よう。

貞子

中国や朝鮮半島のような「鉱物資源」のある国は「暑さ寒さをなんとかしてくれ!」と言って、「天気取引」を求め、一向に豊かにならない第三世界であろうと考えられた。
頑丈な土地建物の普及がどれほど国を豊かにするだろうか?
なんで「暑苦しい連中」のところに行かないんだ?
「答えはモンテスキューと科挙」にあった。
日本は打たれまくっていたのだ。
台風19号

「四季折々すら人間のせいだというつもりか?」
そうだ。
北朝鮮の主体思想と朱子学が生み出したものなのだ。
アジア地域の国々は、主体思想や朱子学のことをよく理解して国策を練っている。
そのうえで「貿易」を行っているのだ。
平成の時代に北朝鮮で「大規模水害」が起きただろう?
日本国の「司令塔」がどこにあるのか?が見えなくなるだけで、中国や朝鮮半島は大混乱に陥るのだ。
人間の体温以外にアジアで気温を作る要素はないし、もっと貿易にいかさなければならないね。

朱子学と陽明学は、幕末に仏教のダルマを圧倒していった。
仏教とは「美男美女を生み出す」という宗教であり、その本質は「禅」にある。
美女を瞑想して「禅」を組むだけで美男美女が生まれるというものだ。
男が禅を組んでも美女が生まれる。
しかし、それすら圧倒していったのが朱子学と陽明学だった。
日本の神道も、教義はあえていうならば儒学、という大雑把な考えをしていた。
朱子は、19歳の時に科挙に合格しているが、そのときの論文が「美男美女と歌について」つまり、仏教と道教についてというものであった。
山下達郎 クリスマスイブ

孟子に「四書」というものはあったが、漢王朝、唐王朝の科挙に用いられていた。
さらには陰陽道というものもあった。
それでも、儒学(儒教)は、道家・法家・仏教などと「同格」と位置付けられていたのが古典的儒学であった。
中国を「日本や朝鮮半島を含めたアジアの王朝に」という動きが北宋の時代に起き、朱子学は元王朝・清朝に引き継がれた。
「日の上る国」にいかに中国を拝ませるかが課題であり、しかし元寇では「神聖な風」により日本国への侵略は果たせなかった。
朱子学はやがて「指導者の言っていることが分かるようになればいい」という具合にかたちを変え、まるで「読み書きそろばん」が朱子学であるかのような印象を与えた。
新田恵利 13回目の季節

国民の支持がなければ、あるいは読解力がなければ「季節のコントロールは困難」であることから、おのずと朱子学は「読み書きそろばん」に力をいれたのだ。
さらには「季節と恋」を結びつけたことは、音楽作品が季節をリードし、国民の心をより豊かなものにした。
松田聖子 風立ちぬ

季節とは「恋」とともにあったという意味では毛沢東がそのことをもっともよく理解していたし、儒学の伝統は「学校でのいじめがアイデンティティ」とも言われた。
治者はいじめられて育つものだも考えられたのだ。
朱子は、「季節というものは多数派によって決められるんだよ」と語った。
週末にラグビーが見たい、クライマックスシリーズが見たいというのが多数派であるとするのならば、おのずと「ホラー映画を見て気温を下げ台風を撃退する」という同調行動は起きるであろうと考えた。
しかし、同調行動と言っても「いじめ」「スポーツ」(公平)などしか想定できず、儒学の歴史は「学校でいじめられた王」の記述がほとんどとなっている。
瀬能あづさ 秋

朱子は、女(理)が気温をあげるのは明らかではないか?とも語っている。
そこで「女だけを標的にする」ホラー映画も作られた。
ホラー映画

気温を自在にコントロールする男のことを「ニューライト」と呼んだ。
かつては宮沢喜一が「ニューライトの旗手」と呼ばれたが、その真の意味を知る人は少なかった。

朱子は、「勉強」というものを子供たちに「謎解きもの」として明らかにした。
検定だの何級だの、さらにはアリストテレスが考えた「偏差値」という概念まで引き込んだ。
それは朱子そのものが「到達点」に存在しなければ成り立たない勉強体系であり、子供たちは、朱子のような境地を目指して勉強した。
「アジア地域においては人間以外に気温を作り出す要素はない」
王陽明は、スポーツ(心技体)のシーズンに季節の根拠を求めたが、朱子は「勉強」にそれを求めた。
偏差値BOY うしろゆびさされ組

いろんな意味で、「青春」というものが季節を作り出していた。
朱子は、「地球というものは四つの方向から水に浮かんでいる」とし、それを取り囲んでいるのが「気」であるとした。
つまりは「日程」を組めば季節というものは生まれざるを得ず、税収効果も全日程を無事に終えることから生まれるとした。
行かないで夏休み CoCo

「夏休みに大化けする男の子」が冬を生み出していると考えたのだ。
毛虫が蝶になる原理を利用して季節を生み出した。
充実している男の子は「夜中の湯気」が違った。
四つの方向からの水に浮かんでいる地球にどのような「気」が生まれるかは、勉強であるとした朱子と、スポーツであるとした王陽明で考えが異なった。
しかし、中華帝国こそがアジアに季節を生み出している、ということに気がついていた朱子も王陽明も科挙にはすんなりと合格していた。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ

季節を生み出すための勉強を「形而上」と呼び、季節そのものを「形而下」と呼んだ。
やがて「形而上学」の結論は「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」というものとなっている。
また、形而上学の対象に「女心」の研究を想定していたのがソクラテスだった。
男は賢い方がいいというのを「道」と呼び、女は美しい方がいいというのを「理」と呼んだ。
ガリレオは、「それでも私は他の女に動いている」と語ったし、ケプラーは取り巻きの女たちの存在を指摘した。
形而上もあくまでも、女たちを想定しないと形而下にはならない。
ラグビー>サッカー>野球>バスケットボールの順に高校生は取り巻きの女たちがいたが、朱子は、勉強のできる男の子に取り巻きの女の子たちを作った。
松浦亜弥 絶対解ける問題

朱子学においては「夏休み」というものは暑いから休むのではなく、「冬を作り出す」ためにあった。
男の子の速度・摩擦・重力がなければ、アジアは「気温のない地域」のままである。
もう、すでにいろんなものが動いていて、巨大な利権が固まっている日本国においては「季節をなくす」というのは無理な相談であるが、モンテスキューは「ホラー映画を見れば涼しくなり台風が撃退できる」としたのだ。
この国の「利権」はもはやどうにも動かないが、ホラー映画を見るのは人々の自由だし、テレビ局の考え次第だ。
ホラー映画

旬の食材を食べ、四季折々の楽しみを満喫する日本国においても、本来「季節」というものは儒学(孟子の四書)が作ったものであり、そのあとにスポーツや勉強などの「利権」が固まったと考えた方がいいし、そうでないと儒教国家・北朝鮮がどんな「贈り物」をしてくるか分からない。
台風19号

さて、王陽明についてであるが、四書(論語・大学・中庸・孟子)を早くに覚え、論語・大学・中庸・孟子は、そのまま「春・夏・秋・冬」を描く四つの書物となったと思われる。
科挙という試験があったから四季が存在した中国であるが、
合格したら富・名声・権力が得られ、しかし、答案には道教からアプローチしても仏教からアプローチしてもよかった。
王陽明は「トレーニングは三日でへこたれるか七日でへこたれるかのどちらかだ」とし、女の子の取り巻きがいなければトレーニングは続かないと考えた。
このことから王陽明は仏教(美男美女)・道教(音楽作品)と決別した。
歳をとった女性にも「お嬢さん」と呼んだし、もはや新しい音楽作品には興味はもたなかった。
思想的にそのような段階にあったときに、高級官僚が「王陽明は皇帝に逆らった」と通報し、王陽明は政治犯収容所に入っている。
このときに「単語の組み替え」を頭のなかで終わらせたとされる。
たとえば「道徳」という単語を「多数派工作」と読み替えた。
単語の必要性を改めて考え直したのだ。
やがて、王陽明のことを通報した高級官僚が失脚したため、王陽明はトップレベルの扱いを受けるようになった。
Tube シーズン・イン・ザ・サン

王陽明は四書のなかでも、大学=夏の探求をすると誓っていた。
いじめられっ子が「夏に大化け」するのが好きだったからだ。 
いじめがなければ夏休みは必要ないとすら言えた。
そのつぎに、孟子=冬の探求をした。
人間が「冬にだけ見せる善良性」を見いだしたのだ。
TUBEの哲学が大学であるならば、広瀬香美の哲学は孟子にあった。
広瀬香美

科挙にまつわる巨大利権が中国の春夏秋冬(論語・大学・中庸・孟子)を定め、科挙の答案には何を書いてもいいという仕組みであったが、アジア地域の季節をコントロールするのであれば儒学を深めなければならない。
孔子・論語=春の「女嫌い」が知られているが、早生まれでシャイだったのだろう。
初めてのハッピーバースデー

いずれにせよ「難しい問題を解決する学問」が儒学であり、それはつまり「賄賂を渡す」ことであった。
カネにものを言わせて解決することが儒学の奥義であり、「男山根」が村田諒太の戦いに「この内容なら500万かかるな」などというのを儒学と呼んだ。
いわば「古い体質」のことであり、しかし、スポーツに利権が生じることそのものが季節を生み出し、「夏=大学」で大化けする男を生み出した。
村田諒太 男山根

王陽明は、アスリートならば「論文を書いて、試合をし、論文をセールスにかける」(知行合一)を唱えた。
シュガー・レイ・レナードも、「なぜ自分がボクシングに専念できるのか?」という論文を売った。
大学=夏に「どのように家族をコントロールしたか?」を記さなければならなかった。
論語・大学・中庸・孟子の趣旨はこのようなものだ。
孟子の「美談」を、一読して「くだらない」といいきれない「他者への共感」が冬にはある。
あくまでも「季節の意味」を語っているだけであり、なんら教訓めいたものではない。
春夏秋冬(論語・大学・中庸・孟子)の感覚を養うことと、さらには心技体が中江藤樹や熊沢蕃山に与えた影響まで考えなければならない。
ある意味、他者への共感が寒い時期に起きるとした孟子=冬も、モンテスキューと同様に「ホラー映画を見ろ」と言っているのかもしれない。
ホラー映画

日本国に儒学が紹介されたのが六世紀中頃のことであった。
季節ができたから人々は空に「天国」を見たのだ。
論語・大学・中庸・孟子という春夏秋冬の学問も紹介された。
「春はあけぼの」
枕草子はそのように記された。
四季から儒学・儒教・聖学・生理学・理学・心学などが生まれた。
儒教は季節を作り、仏教は美男美女を作り、道教(神道)は音楽作品を作った。 
ルイ14世が、論語・大学・中庸に感銘を受け、ライプニッツやヴォルタイアが英語に翻訳した。
もっとも、ヨーロッパにはスカンジナビアシェルターがあり、季節というものはあったのだが、「100%人間が気温を作っている」というアジア地域の哲学に感銘を受けたのだろう。
アジア地域の最初の「大学」は、東京帝国大学であり、夏の学問・家族の学問である書物「大学」から高等教育期間にその名前をつけ、東アジアに広まった。
松田聖子 夏の扉

東京帝国大学の創立時の教授である井上哲次郎が「陽明学」「朱子学」からキャリアを始めたのは当然とも言えた。
その次に井上は仏教(美男美女)の研究を始めた。
儒学というものは周王朝がなぜ滅んでいったのかという研究でもあり、ヨーロッパにおけるカトリックが家庭(ローマ帝国王室)がなぜ滅んでいくのか?という問題意識と類似している。
ラグビー日本代表

孔子は、儒学の創始者という自覚はなく、ひたすら周王朝が弱っていくのを食い止めようとしただけだった。
しかし、論語=春の学問はいわば通常国会の学問であり、それならば臨時国会は孟子=冬の学問か?とも言える。
1~3月を春、4~6月を夏、7~9月を秋、10~12月を冬と呼ぶのであればの話であるが。
儒学というのは「難しい問題はカネで解決しよう」というものでもあったため、季節の学問であるとともに道教(音楽作品)とともにあった。
国会では「いかに難しい問題を持ち出し」カネを引き出すかの力量が問われた。
松田聖子 チェリーブラッサム

「自分がされて嫌なことを相手にやれ」
これが儒学のゴールデンルールであり、
「相手にしてほしいことを自分はするな」
というカントのゴールデンルールと類似している。
季節と学校・四書があればおのずと「王子」は生まれた。
国会が運営できるようになるのだ。

論語はそのため「子曰く」というように通常国会での首相の答弁のようなものになっているし、孟子はそれが秋の臨時国会のようなものになっている。
子の答弁は「その問題にはカネは払わない」という意思表示のみならず、自分が答弁によってカネを儲ける「コツ」のようなものが記されている。
前漢の時代に、五経(歴史・音楽・詩・占い・春秋)が作られた。
しかし、すべて「季節があってこそ」生まれた書物であり、四季折々をより豊かなものにするものが五経であった。
私が述べた、
若い女=ミクロ・グロス。
歳をとった女=マクロ・ネット。
若い男=マクロ・ネット。
歳をとった男=ミクロ・グロス。
などという「マクロからミクロへの声援」「ネットがグロスを罵倒する」というものはそもそもが「季節があってこそ」成り立つものであり、のちに中国の古典はさらに深まりを見せることになる。
モーニング娘。 みかん

また、男の子=マクロ・ネットは、電力だけでなく朱子学(勉強)・陽明学(スポーツ)を行うときだけはミクロになれたし、称賛の対象になれたため、男の子にとっては時に勉強やスポーツは死活問題となった。
原発推進派・文武両道、これが「賢い若者」の姿であった。
経済ベースボールも電力・勉強・スポーツが撹乱要素となる。

しかし、考えてもらいたい。
若い男の子の間でネット(罵倒する側)とミクロ(称賛される側)が勉強・スポーツの世界では共存しているのだ。
2~3人、ぶっ飛ばさなければ東大にも入れないではないか?
そこで儒学は「カネにものを言わせる」以外に季節の存続はないと考え、賄賂は必然と考えたのだ。
中国は百済を通じて、よく儒学を日本国に教えたし、漢王朝から始まっていた皇帝の年号も1912年に中国では終わっていたが、日本国には残った。
しかし、日本の天皇はイザナギ・イザナミ、アマテラス・スサノオに詳しくなければ、その地位は約束されない。
すべての秘密は若い時期のミクロとネットの共存をどうするか?にかかっていたし、賄賂を渡すほど豊かなのか、ぶっ飛ばすほど強いのか?のどちらかだった。
つまりは、東大に入らなければ「宗教など分かるわけがない」のだ。
国内のゴタゴタすらどうにもならないのならば「世界」が見えるわけがない。
ぶっ飛ばすほど強くても、毒物というものは確実にあった。
聖徳太子は「和をもって尊しとなす」とし、17条憲法の冒頭で儒学を認め、賄賂を容認した。
大化の改新以降、この論理に「ぶっ飛ばせばいい」とするサムライが生まれるのは必然であった。
なにしろ「大学寮」というものが作られ、「土地の分配はこの成績による」とされたことからサムライというものは生まれたのだ。

鎌倉時代には臨済宗が幅を利かせ、美男美女に回帰して行ったが、なにしろ「豊作」がモノをいう国だった。
そのため花園天皇も後醍醐天皇も儒学にしたがったし、足利学校というものも出来た。
北畠親房の「南北朝正閠論」も、稲作と天皇が結びついた南朝と、サムライ(北朝)のどちらが正しいのか?を論じたものだ。
いわば「度会神道対臨済宗」の戦いだった。
ホラー映画

室町幕府の足利家は、いずれにせよ「新・儒学」を採用したし、台風撃退の金字塔は、織田信長が安土城を「孔子に敬礼するように」作ったことからその影響力はうかがえる。
現代の日本においては、建物の頑丈さから「台風が来ると血が騒ぐ」という女性もおり、国そのものは全体主義的には動いていない。
東京帝国大学の井上哲次郎教授は「日本の四季と台風、そして宗教」の歴史のダイナミックさを正確に理解していた。
儒学対仏教、天気対美男美女の一勝一敗一分の三部作がここで出来上がった。
しかし、戦いを終えたあとに「すべて無じゃよ」と言ったのは仏教の方だった。
江戸時代は後期中世であり、明治時代は初期近代である。
なにが異なるのか?
それは「恋」が理論化されているかいないかである。
インターネットで「好きな人の名前を挙げろ」と言ったらみんなてんでバラバラな答えをよこすだろう。
それほど国は「全体主義」からはほど遠かった。
しいて挙げるのならば「睡眠のメカニズムの権威」ぐらいしか「他人の人生の三分の一」をコントロールできなかったのだ。
美男美女を求めて、儒学の迫力とイーブンに持ち込んだ仏教の世界がみんな「無じゃよ」といい始めた。
恋愛お見舞い申し上げます

 

林羅山は「美男美女が動かすカネは確かにある」としながらも、それだったら商人に向いている、としている。
伊藤仁斎も、通常国会(論語)と臨時国会(孟子)ぐらいは理解できるように、言語を整備した方がいいとし、日本国の「災害への備えは言語の普及にかかっている」ことをよく理解していた。
荻生徂徠は「王子は少なくとも国語(日本語)が母国語だろう。だったら同じものを共有していればいい」としている。
ホラー映画

 

人間には固体・液体・気体の三つがあるが、とにかく女の息が熱いんだ、という指摘もなされた。
桃色吐息

 

山崎安斎(垂加神道を考えた人)は、女(理)の吐く息(気)が暑い暑いと言っていたのでは、経済効果が上がらないのではないか?とし、建物を頑丈にするお金を稼ぐのにどれほど「女」が役に立つかを力説し、国学を確立した。
渡辺満里奈 深呼吸して

 

貝原益軒は、大義録において「もう季節利権は確立している。これをどうにかしようなんてバカげている」とし、日本国の四季折々の確立を宣言し、日本の「宗教史」は一応の終結宣言が出された。
いわば、新興宗教か、そうではないかは、「季節・台風・大雪」論争を経験したかどうかで区別しようとしたのだ。
既存の宗教団体とは「貝原益軒」以前の宗教を言った。
とにかくすごい時代だった。
古代・中世・前近代の、戦国大名や武士、幕末の志士は、現代においては「偉い人・したがうべき人」として語り継がれている。
「どのように偉いのか?」はもはや現代人には「分からないだろう」と考えられているのだ。
しかし、ヨーロッパ人はスカンジナビアシェルターのおかげで、「女心」をいくら語っても季節には関係なかった。 
夏目漱石は、「こころ」において「滅びるね」と先生に言わせている。
女心に詳しいことを義と呼び、そのような金持ちに忠誠を尽くすことを仁義と呼んだ。
臨時国会=孟子=冬を見れば涼しくなるんじゃないか?
臨時国会

豊臣秀吉が「朝鮮出兵」を行ったときに、朝鮮半島から多くの書物がもたらされている。
伊藤仁斎は「草木が生い茂り、山があり、川があり、四季がある、そのような国に美男美女がいていいではないか?」とし、仏教に理解を示したが「風林火山」というものは後の世に「祖先崇拝・自然崇拝」として伝わった。
既存の宗教団体も「骨を預かる」のが仕事とすら言えた。
「涅槃」というものはアジアのひとつであるインドで「宗教戦争」をした結果もたらされたものなんだ。
儒学をやる男そのものがハンサムだったし、仏教の影響を受けていたが、毎年のように繰り広げられる「天気戦争」に勝つ男は儒学の世界でも「鬼神」と呼ばれた。
応神天皇も、孔子も、ブッダも、庶民から見れば鬼神にか見えなかった。
東寺 仏像

また、水墨画を描いた雪舟も、その正体は鬼神であった。
雪舟

江戸時代とはここまで豊かな思想が広がったものであったが、なぜ明治維新は必要だったのか?
と言われると孔子や孟子にしたがった「国会」を作りたかったからであると言っていい。
儒学と仏教の戦いの歴史に詳しかった者を「陰陽師」とも言い、1945年に戦争に負けた日本国ではあるが「日本の宗教史はアメリカには分からないんじゃないかな」と見ていた。
丸山真男は、国を暑くさせるのは山崎安斎学派だとし、垂加神道には必ずしも好意的ではなかったが、「女心を語るのはパンドラの箱」とし、
プラトンのように女心を「洞窟に」押し込めてしまった。
陰陽師

また、ずっと快適な季節が続くのが好ましいとする「エバーグリーン儒学」なども可能性としては指摘されたが、それは国民の支持が得られず、「タブー」とされた。

台風は国民を団結させたし、大学のような高等教育機関で学んだものは「ワイゼンシャフト」とドイツでは呼ばれ、リーダーとしての役割が期待された。
台風はそれぞれの国民が当事者適格(紛争との距離)が近かったため、それを撃退する哲学者の言葉にみんなが耳を傾けたのだ。
東大合格発表

他の者よりは知っていた、これが東大に合格するという意味であるが、当事者適格のあるものとは「知っていることの共有」がなされた。
ともに紛争と向き合ったカップルはその後、結婚することもあった。
いじめられることで作り上げた「言葉」を語り、それを「いじめる側」と共有するのが台風などの紛争である。
人間社会の「いじめ」など、台風に比べれば小さな問題にすぎない。
モンゴル帝国との争いも、「神聖な風」が解決した。
1945年まで日本国は外国国家からの侵略を経験していない。
仏像

「国体概念」というものは「天皇と国民はひとつ」というものだが、台風の時に眠っている天皇ならば、そもそも必要ないわけであるし、国民と同じものを共有し、しかも、「周囲の者たちよりも知っていた」という証明にはならない。
台風15号の時には気がつかなかった「日本の宗教史」を私は台風19号で悟った。

日本国の神道は、女たちを華やかに歌わせて建物を頑丈にした。
明治維新においては王政復古を果たし、儒学にしたがって、ロマン主義文学が現代文を作り、国民に普及させた。
日本国においてはビデオもインターネットもそうであったが、現代文すら「エロ」がリードしたのだ。
アマテラスは建物を頑丈にする概念であったが、台風を撃退するのは「仏像」「水墨画」などとなっていた。
ここに神仏習合が見られ、儒学対仏教は、一勝一敗一分の状態で天皇のもとに送り届けられた。
水墨画

神道と仏教はどう違うのか?
歴史が違う。
しかし、今日においては神社仏閣という区別はなされていても、どう違うの?と言われると宮司さんとお坊さんの区別ぐらいしかない。
しかし、華厳宗というものは確実に台風などと向き合っていた。
華厳の滝

また、人をぶっ飛ばしてでも大学寮に入りたいと考えていた「武士道」の側も、「赤穂浪士」「忠臣蔵」を見ると涼しくなるだろうということを提示した。
忠臣蔵

604年の17条憲法から、1185年の専制主義の終わりまでを、儒学対仏教は戦ったが、天台宗も真言宗も「美男美女」を芸能界に送り出していた。
この時は仏教の「一勝」と言っていい。
しかし、この成功体験から理論が難しくなり(方便)、室町時代から安土桃山時代にかけては「方便のおかげで仏教は負けた」とされている。
紫式部の源氏物語は「仏教の勝利」の記憶を高らかに歌い上げている。
平家みちよ ムラサキシキブ

法然・親鸞・日蓮・道元は、儒学に敗北したのだ。
南北朝正閠論においては、度会神道および儒学に敗北した。
江戸時代は各宗派が「台風撃退」の趣旨を理解し、引き分けに持ち込んだ。
儒学対仏教の三部作は一勝一敗一分という結果が出た。
しかし、神道は「教義はあえていうならば儒学」としているし、そうではありながら、垂加神道(山崎安斎のグループ)は、仏教寄りの考え方を示した。
孔子廟

1637年以来の鎖国を経て、1854年に黒船が来航した。
日本のインテリジェンスが「技術的な遅れに衝撃を受けた」とし、デカルトの「恋の発見・処女の発見」さらにはカントの「口説き文句・黒革の手帖・純粋理性批判」などで遅れをとっていた。
近代化、それはヨーロッパの気温がそのままで「アジアだけが暑くなる」ものである。
京都議定書ではそのことが見抜けなかった。
黒革の手帖

「国体」とは、台風の時に身を呈して国民を守ろうとする天皇、という構図から生まれた。
西田幾多郎は、そのような男を「あなた」と呼んだ。
ちんちん、真実、喜び、男、女、勃起、若さ、結婚、哲学が国民と共有されるからである。
平和なときの「天皇」なと誰も必要としていない。
このような国体概念を「こころ」と呼んだ。
天皇・鬼神のイメージをもっと「やさしい」ものにするために宮内庁というものは存在した。
「こころ」さえ持ってくれれば身を呈して天皇は国を守る、そのような存在だ。
親鸞なども「計らい」によって後鳥羽をいじめたが、自らは天皇にはなっていない。
しかし、台風が通り過ぎたときだけは、日本国は「浄土」だった。
浄土真宗

空海も般若心経において「気温を下げるサウンド」を明らかにしたにとどまり、私の「文字曼荼羅」のようなものは持っていなかった。
般若心経

「それでも中国は笑い続けた」
中国には「四季を作った」儒学と、「男が女を愛した」墨家思想、「美男美女を生み出す」仏教、「音楽作品を歌う」道教、さらには「処女をもちいる」法家があった。
みんな、それらをない交ぜにしながら楽しんでいたのだ。
「まだ、神ができるまでは」
これらの思想が「朝鮮半島・日本その他の周辺国を回収」できると悟ったときに「神」が生まれた。
「初対面の人とは天気の話しかしない」
そんな国々に「天気」で介入できる思想だということが分かり、「天気の話?中国の問題だろ」という認識が広まるのを楽しんでいた。
日本国がアジア初の近代帝国を作った。
200年間、アジア地域で中国は沈黙した。
虎視眈々と、そして日本国は「中国は理想郷」という神話を天安門事件の時まで持ち続けるに至った。
四季の歌

儒学というものを端的にいうならば「難しい問題ほどお金で解決する」というものだ。
「それと台風とどう関係あるんだ?」
と思うだろうが、爽快感などが背景に存在し、「神」がまだなかった時代にはその奥の深さに気がつかなかった。
孔子は「儒学の創始者」という自覚がなく、ひたすら周王朝の没落を防ぐために汗を流しただけである。
しかし、人格が練られた男の物語には台風など寄り付かない、というような効果が知られるようになった。
孔子のバックには「王朝マネー」があり、どうにもならない問題はお金で解決していた。
今の国会もそれと似たようなものだ。
楊貴妃は父親と「牛乳風呂」に入っていた。
しかし、弟の「舜」の人生はどうやって救済するんだ?
舜のおばあちゃんはお金を使い続けた。
家庭内ではどうにもならないものが「父が羊を盗む」問題には含まれていたからだ。
酒井法子 エアー~サラダデイズ

国の資金をバックにしていることを「仁」といい、治めるだけの人生を「道」と呼んだ。
いわば、論語は通常国会であり、孟子は臨時国会みたいなものであるが、人々は「もうそんな季節なのかね」と言って、それだけで四季が生まれた。
儒学が「台風を撃退する効果がある」ことを知ったのは新・儒学だろう。
朱子学や陽明学である。
孟子は、生け贄にされる予定だった牛(舜)の目を見た王が「悲しそうな目をしていた」と語ったことから、「あなたには王の器がある」としている。
お金の使い道を知っているからだろう。
墨家思想も「舜に女を愛して欲しい」ということを探求した。
「あの悲しそうな目を見たか?もう女を愛せないんじゃないかな?」
墨家思想が「女の魅力とはなにか?」を深めていった。
「期待されていないことができない」
これが女の魅力だった。
仏教は「美女がいい」としたし、道教は「歌って踊れる方がいい」としたし、法家は「処女がいい」とした。
若い頃の苦労は買ってでもしろと言うが、舜のまわりには大人たちが「至れり尽くせり」だった。
中国に大勢いた「舜」であるが、その救済に頭を悩ますことが「台風撃退」につながるほどの爽快感をもたらした。
なにしろおカネがかかるのだ。
清朝末期に「一人っ子政策」がとられ、儒学は主体思想として北朝鮮にわたった。
日本がいつ「理解」するかは時間の問題だった。
恋するフォーチュンクッキー

墨子は、舜に「女を好きになってもらう」ために、まず男友達(兼愛)を持たせた。
さらに、非行に走らないように「幽霊」を信じさせた。
指摘したことはこれだけであるが「あとは流れで」というものなのだろう。
道教は、音楽作品を舜に提示するために「この宇宙のなかで小さな私たち」という発想を骨の髄まで覚え込ませた。
これを「動的静」(ドテチン)と呼ぶ。
同じ星の上で CoCo

「同じ星の上で」
男には攻撃的で、女に優しい、そのような思想はここから生まれた。
その上で、権力者として贅沢な食べ物を食べ、庶民を餓えさせることを「無道」と言って戒めた。
音楽作りの基本は動的静と無道にある。
宇宙のなかで小さな存在、贅沢する目的ではない、この二つが揃わなければいい音楽作品は生まれなかった。
指導者は説教をされるのは嫌いだったが「いい詩」は書きたかった。
あとは「見張り」を突破して湖や川に行くイメージで作った。
あとは詩を舜に捧げる気持ちがあればいい。
別れた妻の言っていた言葉をよく思い出すのだ。
大和撫子スーパースター

法家は、韓非子が知られているが、同じ星の上で(動的静)を基盤に、統治者が「お前のお目当ての女には昔の男がいる」というものである。
オフィスが殺伐とするのが分かるだろう?
統治者が「言ってはならないこと」はこれだけなのだ。
自分がなぜ統治者なのかも分かるようになる。
Cocco 強く儚いものたち

仏教は「美女を瞑想して禅を組めば美男美女が生まれる」という教えであるが、一番興味を示したのは道教だった。
面構えさえ良ければ統治者であるとは、儒学の側は明確にはしていないが、仏教から儒学に転向するものは多かった。
「中国が何を考えているのか?」に詳しいものが、日本の南北朝正閠論を生み出したが、その影響力は「台風が撃退できる」「ホワイトクリスマスが演出できる」「雪のない冬が作れる」など強烈なものがあったが、コンテンツを調べてみると、「なんだ、日本人がすでに知っていたことか」というほど日本の宗教は中国の影響を受けたのだ。
CoCo The first snow

台風を「神の見えざる手」で向き合った令和天皇も、そのあとには「女の分配」というメディアの仕事と向き合わなければならなかった。
利用するエネルギーは「恐怖」であり、メディアは、「0と1のデジタル映像」で多数派工作をした。
一番恐れているのが「国民の敵」と見なされることだった。
ルイ16世を死刑にしたあと、ジャコバン派は、1793年秋から1794年春まで、テロを頻発させ、しかも「人民の側」にいることを主張した。
台風19号の被害

テレビ局各局が、CGや、爆発物を使うのはジャコバン派と発想は同じだ。
テレビ局は「鬼神」を恐れ、しかし、専制主義と戦った。
人民の声・ロシア革命党のように、ロマノフ王朝と戦うことは人気があった。
1880年から1890年にかけて「同じ日本人」という発想が芽生えていた。
「同じ日本人」がこのような目に遭っている、そのような恐怖政治が有効性を見せたから、ロシア革命やナチズムは生まれた。
河本大作中尉のような男が今でも日本には確実に存在する。
メディアの「満州某重大事件」は、台風被害報道で、国会や内閣すら動かし、それでも天皇は事態を静観した。
台風19号の被害

「同じ国民」という感情を利用して「植民地支配」は推進された。
背後には「国民の側」という発想があった。
首ったけの彼女に近づく方法を教えてくれない指導者であれば、たちまち失脚に追い込まれた。
一人の同国人を殺せば犯罪者だが、100万人の外国人を殺せば英雄だとも言われた。
イエローモンキー JAM

「何が起きたのか?」ではなく「どの局が報じたのか?」がてんでバラバラならば間違いなく「そのような事実はない」「テロ」である。
中東やカシミールとなんら変わりはない「紛争」をこの国は抱えている。
「鬼神」とは、メディアにもテロリストを生み出す存在だった。
テロとは「いつ誰が狙われるか分からないもの」でなければならない。
仲間を作るのにいちばんいいからである。
この国が「戦争」に向かい始める頃に、テロは頻発する。
「非戦闘員」「同じ日本人」の殺害だ。
イタリアのウンベルト一世は、このことに詳しかったから暗殺をまぬがれている。
国民に罪はない、しかし、敵のいない人もいない。
「台風による」死者など殺害以外の何者でもなかった。
危なっかしくて外に出れないということには理由がある。
台風19号の被害

「俺じゃなくてよかった!」という「教室テロ」は子供たちだって経験している。
もし「先生」が教室テロの対応を間違えたらたちまち学級崩壊だ。
「おつむのいいやつはいじめない」という問題もつきまとう。
「情報弱者」が常に暴力を使っている。

ヤンキーが「俺じゃなくてよかった」という周囲の感情を利用して、他の男たちにどのような「同調行動」をとらせているかはよく知られている。
敵の多いやつを「暴力によって」やっつけているうちはまだ味方がいる。
しかし、成績のいい奴が税収を集め、予算の使い道を握っている。
怒らせていいことはあるのか?
決定論者は、報告を受けてから行動する。
自分の詳しくない世界ではいかなる権力者も決定論者であらねばならない。
しかし、どの世界でも「テロ」はあるのだ。
オリンピックでメダルを取れなかった人が案外、暴力に巻き込まれている。
「結果だけを見ない」視点を持つ必要がある。
国を預かるのはサークルや運動部を預かるのとは違う。
「お金の使い方」もおのずと異なる発想がとられる。
ナチスは80万人の「罪のない人」を殺した。
1943年にはヒトラーの孤立が確認された。
ヒトラーは「どの分野の専門家でもない」人物だった。
つまり、「結果だけを見て」お金を使っていたのだ。
有能な人材が彼のもとを去っていった。
湘南爆走族

間違った指導者を批判するメディアは平成の時代はよく機能した。
メディアは第四の権力として、簡単に平成天皇を潰したのだ。
しかし、令和天皇は「テロ」の存在を理解している。
結果が出せないものにも、理由がある。
毒物を盛られたために風邪を引いたなどの理由がある。
「悪と戦うため」ならばテロも正当化される。
相手を「悪」と呼ばずに暴力を使って社会で生きていけるほど人間社会はおおらかではない。
三陸リアス線・両毛線の二箇所しかテレビで確認していないが、「マージャンをやりながら窓の揺れを確認した」河本大作中尉のようなおっさんは確実にいた。
張作霖爆殺事件である。
台風を撃退する「儒学」「南朝」の立場に立脚する昭和天皇(当時27歳)は、田中義一首相(当時63歳)に激怒している。
「言っていることが違う」
今回の台風においても、鉄道爆破事件が多発した可能性は捨てきれない。
それが戦争というものなのだ。
私の祖母・香淳皇后は「リットン・リットン・リットントン」と歌っていたと父が語っていた。
三陸リアス線 被害

この張作霖爆殺事件は、今まで「プロポーズ」にこだわっていた「文学のかたち」に衝撃を与え、「権力者の実像が知りたい」というより迫真に迫った文学の可能性を提示した。
文学というよりは「メディアの可能性ではないか?」と池田勇人は考え、国民が「テレビに回帰していく」つまり「所得倍増論」を生み出した。
昭和天皇の経験談にだれよりも通じていたのが池田勇人であり、まるで「自身が経験したかのように」肉声をテレビで発信し始めた。
「悟りってのは国の総力戦に負けた昭和天皇にある」
この池田勇人の発言に、右翼は激怒したが、国民は喝采を浴びせた。
人生の三分の一が睡眠であるとするのならば、睡眠の権威は東絛英機であろうが、儒学の権威は昭和天皇である。
人々は「権力者の肉声が聞けるのならば何も怖いものはない」と考えた。
宗教史そして権力闘争の歴史だった。
黒革の手帖(純粋理性批判)から始まった昭和天皇の研究活動は、儒学に向かい、そしてドンぱちが始まったのだ。
孫には松田聖子がおり、酒井法子がおり、浅香唯がおり、私がいた。
端的に言うと、「この国は、誰も治めようなどとは思っていない」ということであり、東大文一に受かったばかりの19歳だった私の顔を見て、「絵画」を私に勧め、半年後に死んだ。
これが昭和天皇だった。
酒井法子は「ホワイトガールで楽になった」と語っていたことがファンの間で知られていたが、斜陽に向かった昭和天皇の命と、その皇后、さらには東大文一に受かった私という関係から、周囲が一時期、殺伐としたことを示している。
酒井法子 友情キッス

「自由ってなんだ?」
夢がぶつかり合っていて何もできないことだ。
「平等ってなんだ?」
刑事訴訟法・プロスポーツのことだ。
「仕事ってなんだ?」
女たちの価値を高めることだ。
香淳皇后は弟にサンミュージックの会長をやらせ、昭和天皇は田辺エージェンシーをやっていた。
キングオブ青葉台

テレビ・映画・レコーディング産業はひたすら「人気」を競いあっていた。
進歩主義とは「少しでも天皇の真似をして生きよう」という考えである。
しかし、マルクス主義に傾いた戦後の昭和天皇とは何者なのか?
まるで「人生は人気商売だ」とでも言いたげな姿勢が伺われ、儒学は、おカネ(仁)は、天皇家から消えてなくなった。
ribbon 愛してジャスティス

後継者の平成天皇は、まず「国連平和維持軍」を編成できなかった。
これが平成の始まりだ。
その真の意図は、西田幾多郎の「芸能人女性や女性皇族は処女」という了見の狭いイデオロギーが背景にあった。
皇太子時代の明仁はすでに後継路線を確立していたため、公然と「挑戦状」が示された。
お先に失礼 おニャン子クラブ

世界に民主主義は広まり、政策を決定する際には「女の分配」を同時に進めていくことになった。
君主が専制主義的に物事を決定すると、女の分配が遅れを取るため、君主は「テロ」に遭っていた。
安倍首相がいくら「スピード感をもって」と言っても、「のんきに構えている男」がいる限り、政策にスピードはつかなかった。
八月最初の水曜日 渡辺満里奈

国際組織(IO)や、国際政府間組織(IGO)、非政府組織(NGO)などは、むしろ「男女の輪」を集めることで意思決定を行っていたが、国家の中枢は、相当時間をかけなければ、テロと直面することになる。
首ったけの彼女に声をかける方法を国民に明らかにしている哲学者か作家でない限り、「スピード感」など到底期待できない。

国内における国会議員や天皇は「いつものメンバー」と化している。
「女たちの分配」をするのに時間がかかる民主主義と、単一民族・単一言語・単一国家が結びついた。
全能の神として「女たちの分配」を適切に行わないと税収にひびく。
さらに、グローバル化は民主主義の速度を低下させる。
日本語が読めない人が増えることは、政府や指導者の「速度」に悪影響を与えるが、WTOがこれをコントロールしている。

株式会社ネットプロテクション宛てメール。

喜多慎一郎さん宛て。
喜多さん、これを見てください。
株と為替の値動き この株と為替の動きから、株価が「女の値段」であり為替(円高)が日本国の男の値段だということがわかります。
そこで、株価が下落気配の「赤」を示したら「女が電話を欲しがっている」ことを意味し、円高気配(為替も赤)ならば、この電話の相手は「男」であることを示しています。
このことを「男から女へ」(BtoC)と呼びます。
あるいは、為替が緑であり株が赤の時は「女同士で電話のやりとりをしている」というCtoCを意味します。
さらに、時間は短いですが、株価が緑で、為替が赤の時は「男同士の業務連絡」(BtoB)がなされています。
これらを正確に国民に理解してもらい「同調行動をとってもらう」ことが、「取引先との電話」において必要であり、キャッシュは株と為替の取引でどうにでもなります。
喜多さんが行っている仕事は、まさに国民レベルで株式市場・為替市場を利用したキャッシュレス化のビジネスであり、その仕事は「男が電話を欲しがっている時」「女が電話を欲しがっている時」の周知徹底にあります。
ようするに「NHKや民放各社を利用した広報活動」が仕事となります。
大事なのは「その議論への版権を持つ」ということであり、私は以下の版権を持っています。
取引先と商品のやり取りを行い、決済は株式市場・為替市場に委ねる、これが株式会社ネットプロテクションさまの仕事ではないでしょうか?
大事なのは「国民にBtoB、BtoC、CtoCの同調行動を取らせるということ」であり、そのことへの版権を握っておくことです。
現在は、私が「ビジネスのキャッシュレス化」「電話だけで済ませる」「株と為替に資金の裏付けを求める」といえ版権を握っていますが、是非、今後、私もビジネスパートナーに加えていただけませんでしょうか?
10月21日(月)

さて、BtoB、CtoC、BtoCの意味を明らかにさせていただきましたが、女性や男性にとって「利益」とは「異性の友達がいる」ということなのです。 このことから「わが社と契約を結ぶ」とは株式をお互いに発行し合うことであり、それを「電話」だけで負債の部を増やしていき、総資産としての資本の部に良い影響を与えていくことが「仕事」となります。 「決済とは異なる企業間で電話と株式、為替で行うものである」ということを理解する必要があり、CtoCである女性社員同士の噂話の交換や、BtoCの時間帯における異性間の「利益を与え合う時間帯」などを株と為替の値動きを見ながら行っていくのです。 時にはBtoBの時間帯に男同士で「女の口説き方」に関する情報交換を行っていく必要があります。 すべては「わが社と契約を結ぶ」「株式の持ち合い」と、利益とは異性の友達を持つことであるということを理解することから始まります。

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