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Foreign Affairs

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2019年9月23日 (月)

どこでもドア。

月の次に地球に近い惑星をご存知だろうか?
ホーキング博士は「水星である」としているのだ。
月の利用の仕方すら分からかったのだ。
「月と水星のムーブメント」「2つの天体の異なる動き」を利用して「どこでもドア」を私は考えた。
しかし、この研究はかなり時間をかけなければならないだろう。


この「どこでもドア」は、研究よりも「お金集め」にエネルギーを注がなければならない。
また、月が「女」で水星が「両性具有」であることから「どこでもドアは男しか通れない」あるいは「会いたい人がいる」などの条件から絞っていかなければならない。
さらに、水星が登る時間帯が明け方と夕方しかないことから、条件はもっと絞られてくるだろう。
このあたりは、国立天文台の方に取材しなければならない。
いずれにせよ「タケコプターができるのならば、あとはお金集めが仕事」と割り切るほかはなく、ホーキング博士も「お金集め」までは行っていない。
天文台と海岸 中嶋美智代


月や惑星が「男か女か」は、「太陽との速度の違い」から判断している。
木星も土星も「太陽より速い」から男だと考えられている。
「どこでもドアは男しか通れない」ということはプトレマイオスが考えたものであり、太陽系に施設を配置した時に問題になるものだ。
タケコプターには関係ないだろうと考えられる。
あるいは「光の無限のエネルギー」を用いるのであれば、「どこでもドアは日没以降の天候の良い日」に限られるだろう。
果たしてニーズがあるかどうかは明らかではなく、それも含めて「お金集めが仕事」である現状がある。


また、どこでもドアは、「お出かけ」に比べて「サプライズが大きい」とされ、人間の「時計回りの思考」に悪影響を与えるとされる。
これだけは言えるのだが、「どの物理学者も金融までは専門にしていなかった」ということである。
アインシュタインは、核開発に関してはルーズベルトの支持を得られたが、それ以外は「頼るべき政治家がいなかった」のである。
何よりも問題なのが「これを考えた奴はいじめられるだろうな」ということであり、すべて「お金で解決」していかなければならないということである。
「磔にされたイエスキリスト」にお祈りをする理由がお分かりだろうか?
「会いたい人がいる」「日没時の晴れた日にしか会えない」
忘れちゃいやよ


なにしろ、カント以降、人生すべてがうまくいった人物がいないのだ。
アインシュタインも「お金」の面ではそうだっただろう。
いちばん人気のある人物が、誰よりも理解してドンとやらなければどこでもドアは実現しない。
どこでもドアの「使い勝手の悪さ」を理解しなければならない。
月と水星に照らされた異なる場所に「同じドア」を設置するのだ。
「彼とは会いたくない時もある」
行きたい場所にドアを持っていくのならばなぜそもそも行かないんだ?
この内容ならばトランプ大統領ですら採用しないのではないか?
などが考えられる。
そのため、「6G」ではなく、いつか「7G」でという気持ちにもなる。
カント以降、もっとも成功した哲学者はオットー・ノイラーだろう。
しかし、「分刻みのスケジュール」が好きな人で、その気はなかったらしい。
「オペレーションとはいじめっ子(ただ生きているだけの人)がやるものだ」とも言われ、オペレーションで「達成したいことなどきわめて幼稚なことしかない」とも言われる。
「天皇になりたい、その後のことは知らない」などが指摘できる。
さらに、人気ない人物は「影響力評価の感覚が鈍い」ということも指摘できる。
「鋼鉄のように鍛えられたらこうはならなかったのにな」と思うこともある。
人格否定発言


鉄が蒸発するほど熱く、さらにあらゆる生き物よりも惨めに生きた経験がなければ、鋼鉄は鍛えられない。
「硬くなければ、柔らかくなければ」できないのがファイナンスというものなのだ。
せめて予測しよう


指導者による「オペレーション」の力量は、つまりは「フェティシズムのエネルギー」の最大化である。
フランス映画とは「政治犯収容所に入っている妻を男が奪い返す」物語であり、これはイエスキリストの物語である。
死刑台のエレベーター 予告編


イエスキリストはそのために「政治犯収容所の買収」を行ったし、なにしろその収容所には各界の著名人がいたため、「憧れの男とは何か?」という共通認識をイエスキリストは作ったのだ。
ヨハネの目示録は、「女は聖書を読み、男は哲学書を読む」という方向に導きを与えている。
安倍なつみ ひとりぼっち


ソロの条件とはなんだろうか?
ミクロ経済学が有効な時代には常に「ソロの女性アーティスト」がいた。
滑舌がいい、文法を理解している、(音楽作品が)恋に詳しい、信じている「神」が抜群にいい、などの条件が揃ってようやく、「一人の女の名前」がアイドル史に刻まれる。
松浦亜弥 S君


罪深い噂を聞き、男はマスターベーションをした。
モノマネをされるほどみんなの憧れだった。
人々は「人気とは何か?」を語り合ったのだ。
滑舌がいい、文法を理解している、(音楽作品が)恋に詳しい、信じている「神」が抜群にいい、これ以外に人気の「要素」はあるのだろうか?
れいわ新撰組


一人の「女性ソロ」のアイドルの前では、どの男のおちんちんも「ただのおちんちん」に過ぎなかった。
山本太郎も、もっと「恋の話」をしなければならないし、「ただのおちんちん」がたくさんあるというミクロ経済においては、「男が声を張り上げる」というのはマクロ的な考え方だということを知らなければならない。
「マクロからミクロへ」というのは転がる石のような原理であるが、「声のでかい男」にみんなが付いていくという「ミクロからマクロへ」という現象は起きない。
つぶやきシロー


「声のでかい女」にはみんな付いていくだろうが、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいという4つの要素を満たさなければならない。
トマス・アクィナス(令和天皇)のようにパーソナルディテールが明確で、しかも「永遠の命」にまで到達したものが神であり、ソクラテスやアクィナス自身は「ただのおちんちん」を持っているに過ぎない。
男が声を張り上げると、大勢の女に「やらせろ!」と叫んでいるように聞こえる。
いずれにせよ、マクロ的考えなのだ。
松浦亜弥 From that sky


「声」は、ひとつのおちんちんのためにある。
女が「大きな声」を出そうが男が大きな声を出そうが同じことだ。
男が大きな声を出しても「ミクロからマクロへと」転がる石は転がるものではない。
トレーニングのように何かに逆らう行為であり、お笑いの原理でもあった。
何事も「ひとつのおちんちん」が目当てであり、女が大きな声を張り上げると、男たちは「いずれこの女は脱ぐんだろうな」と考えた。
三浦理恵子 グッバイフレンズ


男の「ソロ」よりも女の「ソロ」の方が、多くのおちんちんを味方にすることができる。
そのため、大人たちは「男のカリスマ」は望んでいなかった。
少なくとも「男のカリスマ」がいるとするならば「どこかで聞いたようなこと」は決して口にしなかった。
ライオンは常にライオンだ。
しかし、マリアは常にマリアだとは限らない。
滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい、この4つが揃わなければマリアではなかった。


男が声を張り上げることをマクロといい、女が声を張り上げることをミクロと言い、「AKBグループや坂道シリーズのように女の子にもいろいろタイプがある」ことをマクロと言う。
「女は皆同じ」というものもミクロと言う。
「マクロからミクロへ」これが「転がる石」の原理である。
PA(パブリックアドレス)も使い方を間違えると、いい経済政策は打てない。
CoCo 優しさに帰れない


男にはひとつのおちんちんしかない。
ソロの女性アーティストは、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいから有名なのであり、そのような女をモノにしたければ、叫ぶしかない。
男が声を張り上げることをマクロといい、ソロの女はミクロである。
コンサートはそれで成り立っているのだ。
田中れいな 愛の炎


逆にステージの上で男が声を張り上げることはマクロであり、自分のひとつのおちんちんに多くの女(マクロ)を惹きつけるものだ。
そのために、歌詞は「一人の女」(ミクロ)を題材にせざるを得ない。
Complex Majestic baby


あるいはステージの上で声を張り上げる男をマクロとするのならば、一人の観客の女はミクロだろう。
観客席全員(マクロ)に訴えかけるのではなく、一人の女に訴えかけるのであれば「マクロからミクロへ」は成立する。
しかし、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいという4つは揃えてこなければならない。
Complex Rambling man


女の子にもいろいろタイプがあるというマクロの世界で、女の子が声を張り上げる(ミクロ)。
男は、「声援を送るためにはマクロにならなければならない」ことから、女の子たちもステージに上がるだけではダメであり(マクロ対マクロ),
声を張り上げなければならない(マクロからミクロへ)。
モーニング娘。I'm lucky girl.


「男をマクロにし、女をミクロにする」
これを「大声援」と呼ぶのだ。
観客席もメチャクチャになるだろうが、ステージの上で「ミクロ」が生じなければならない。


「男をマクロにし、女をミクロにする」
これが大声援の秘密であったが、ソクラテスは「なぜ、これが仕事として成立するのか?」を論じた。
すべての人間は動物である。
さらに、ソクラテスは動物である、ソクラテスは走っている、ということをまるで「F1レーサー」のように週末に証明し、「恋に詳しい」男女を新聞の見出しに載せるためであった。
ソクラテスが走ればキケロも走る。
歴史の到達点が毎週末には見れることになる。
恋に詳しい、だけではなく「信じている神がいい」ことから日曜日には教会もある。
週末の「大政治ショー」のない教会ほどむなしいものはない。
森進一は「おふくろさん」において、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいことを証明し、「マクロ」として声を張り上げたが、歌唱が終わると、聴衆の男たちが今度は「マクロ」になり、女たちはつられて「ミクロ」になっている。
この完成度があれば紅白に出られるのだろう。
おふくろさん 森進一


アリストテレスは、これらの「大歓声の理論」を踏まえて、滑舌のいい、文法を知っている、恋に詳しい、正しい神を信じている男として、「アレキサンダー大王の家庭教師」という名前とは違う「アリストテレス」というリングネームをもつことにした。
学問に時間を費やし過ぎたため、ボクサーにはなれなかったが、プロレスラーとしては一流だったのだ。
rebecca love passion


ヒトラーは当然ながら「観衆の大歓声はなぜ起きるか?」を熟知していた。
しかし、「声を張り上げる男」=マクロで、声の小さい男はミクロとは一概には言えない。
小さい声で男が話しても「滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい」という条件を満たせば「マクロ」になるのだ。
少なくとも、電話の向こう側の女性は「ミクロ」となって声が大きくなる。
ここで、マクロからミクロへというのは成立しており、
「恋に詳しい」「信じている神がいい」という二つの要素は極めて難しい「スターへの課題」となった。
一方で、かつての後藤田正晴官房長官のように「部下に命令するときはいつも大声で」という人もいて、「恋に詳しい」「信じている神がいい」という二つの要素はマクロとしてミクロの部下を圧倒してしまい、そのまま「ステージ・コンサートの研究」が出世につながってしまうこともある。
山崎邦正


男の大声(マクロ)は、女の大声(ミクロ)を誘発しやすく、しかも「恋に詳しい」「正しい神を信じている」という自信があるのであれば、小さめの声で話してもいいはずである。
そうでなければ、電話先の女性は電話を切ってしまうであろう。
「意味のある電話」ほど小さな声で話した方がいいのだ。
また、男同士でも「上司と部下の関係」でない限り、小さめの声で話した方がいい。
男の大声はマクロであるが、「意味のある小声」もマクロなのだ。
意味のある大声は非常に解釈が難しい。


また、「滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、正しい神を信じている」ということそのものが、「人々の喝采によって決まる」ものであることから、社会の序列も「喝采」によって決まるとするのはきわめてヒトラー的な考えである。
「恋に詳しい」と言ってもかなりのヘンタイもの世の中にはいて、社会病理学のようなものまで学習しないとなかなか「恋に詳しい」とは言い切れないものがある。
貧困層には性倒錯が多く、しかも、芸能界の中枢に位置している。
彼(彼女)らのパフォーマンスにも指導者が必要なのであり、「大人の言うことって聞くもんなんだ?」と痛感することもある。
「喝采」だけが「恋に詳しい」「正しい神を信じている」ことを証明するだろうし、それが「大人」というものなのだろう。
大人の言うことを聞け


そのため「恋に詳しい」「正しい神を信じている」ことが必ずしも連動しない「勉強」の世界と、それが連動する「学問」の世界は明確に区別しなければならなくなる。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY


地質学でもなんでも「喝采」がなければ研究費用は集まらないのだ。
そのため「正しい神」は「恋」と言うものを教えていなければならない。
ヘンタイをもまったく恐れない人を新マルクス主義者と呼び、それは実に21世紀になるまで登場しなかった。
「それならば、新マルクス主義者以外の人は、できない、ってこと?」
それはとんだ間違いだ。
ヘンタイというのは「哲学が理解できない」「そっちこそ、できない」のだ。
まあ、昼間、明るいうちによく話をする間柄であるにとどまり、夜は関わらないことだよ。
お金がなければ、どうしても自分の限界は突破できない。
強さの秘訣は「お金をかける」ことだ。
私も昔は、テレビで芸能人とクローズドサーキットで話をしたし、テレビ局もしても「お金がかかった」だろう。
それもこれも「ノンケだから」こそ投資されたのであり、「みんなと同じものを愛せるのか?」ということを試されたからだ。


医者、弁護士、政治家などの職業で「喝采」を浴びる才能がないと思ったら、ようやく自分の肉体を鍛え始め、一流のアスリートになるだろう。
「家庭的な人なんていないんじゃないですか?」という相撲の世界やサッカーの世界などでは、性倒錯がまかり通っている。
一流の鍛え方をしていたのならば、国際試合は案外「お金との相談」というレベルにまでなっている。
「私の心に興味がないの?」「掘られる気持ちなら知っているとでもいうつもり?」
このことから「愛を囁ける」男は「金持ち」とみなされた。
電話でね 高橋愛


性倒錯がプロスポーツの世界に蔓延している、このことを熟知していたナベツネさんは「選手風情が」と発言している。
これを「クリップ理論」と呼ぶ。
「恋の話ダメなんだよな」という男は必ず「掘られた」経験があり、その理論は何乗にも複雑化しているはずだ。
「男の自信を狩る」とはこのことだった。
勉強はできても「学問」はできなかった。
黒人の間では「マザーファッカー」=両刀遣い、おカマが蔓延しており、メジャースポーツ選手にはなれても大統領になるのはきわめて難しい。
白人社会は「我々の論理」が理解できない連中というアプローチから始めた。
しかし、その肉たちの強さと「暑さにも寒さにも強い」ことから「金さえ払えば動ける」世界に誘導している。
黒人の居場所をアメリカ合衆国が見つけたのは「マオリの研究」を経てからである。
さらに、フーコーは「マイケル・ジョーダンは私の息子」という具合に世界レベルで「母親」探しを行なっている。
なぜなら、メジャースポーツは「ミクロ」しかも「究極のミクロ」であり、男が大歓声を上げて応援したし、女もつられて応援したからだ。
逆に、女の子が未成熟な膣に挿入を受け、自分が男か女か分かっていない女の子がいることに注目し、ハイスクールで女子スポーツを広めたところ、案の定、髪が短く、自分が男か女か分かっていないような女たちが集まってきた。
ちんちんを切られた鬱で有名希望になっていたのだろう。
さよなら失恋ピエロくん


女子スポーツに声援を送るのが、果たして「男が男に声援を送る」という「マクロからミクロへ」という男社会の論理と同列に語っていいのかはきわめて難しい。
ドゥルーズもガタリも「人間に何ができるのか?」を試したかっただけだ、と語ったし、ラカンも「痛いのは運動しすぎたから」という変な言い訳を残して彼女たちのもとを去っていった。
男よりも成績はふるわなくても、「人間に何ができるのか?」を探求した女子スポーツは、もし、女性ファンの黄色い声援の方が多いのであれば「マクロ」である。
しかし、場内には「男の野太い声援」の方が多いのだ。
彼らがどのような性概念を持っているかは私は調査していない。
しかし、哲学書にHIVという用語が出てくる以上、女子スポーツの熱狂的ファンはホモであるという可能性は捨てきれない。
ホモが「女の子」と呼ばれるのを好む以上、エンターテイメントの世界の「撹乱要素」として、女子スポーツがミクロなのかマクロなのかの答えは保留したい。
伊調馨


滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい、という四つの要素を踏まえた上で、男が声を張り上げるのをマクロといい、女が声を張り上げるのをミクロと呼んだ。
「マクロからミクロへ」
この流れにあるのは「恋への詳しさ」と「信じている神の正しさ」だろう。
自分よりも恋に詳しい、正しい神を信じている女の歌声(ミクロ)に男たちは声援を送った(マクロ)。
また、女性ファンは、自分よりも恋に詳しい、正しい神を信じている女に沈黙した(マクロ)。
ミクロ対ミクロ、マクロ対マクロでは、要するに「どっちらけ」だったのだ。
神の正しさは「恋への詳しさ」でもあったが、一字一句、一挙手一投足に注目が集まった。
宇多田ヒカル


恋に詳しくない、正しい神を信じていない、男は最後にはマクロにならなければならない。
そのため女性ボーカルに声援を送った。
また、恋に詳しい、正しい神を信じている男が大声を上げると(マクロ)、男たちは「神の正しさ」を評価し、声援を送った。
音楽作品のクォリティを「神」と考えていたようだ。
矢沢永吉


バグダディは、第二次十字軍遠征(1147~1149)から第五次十字軍遠征(1217~1231)までを生きた。
29歳の時にシリア・イラク・エジプトを旅して、「いい先生」を探した。
医学の先生や法律の先生とは出会ったが、アル・ガザーリのように「コンサートを見ているだけでも、教育学から精神医学から法律学まで分かる」と言った人との出会いは衝撃だった。
サラディンが、のちにバグダディをダマスカスの知事にしている。
このことから、サラディン一族と交流を持つことになり、「コンサート」が一気に研究の俎上に上った。
「学校に行くのが楽しい」
そんな子供たちを増やそうとしたのだ。
「正しい神ってのは医学からくるのか?それとも法律学からくるのか?」
正しい神を信じている人が、恋に詳しければみんな「言っていることを聞く」ことからバグダディは「コンサート」に注目したのだ。
「恋に詳しい、正しい神を信じている」
それを処女に歌わせた時はバカウケしたね。
男はみんな「マクロ」だったし、成熟していたが、中には「恋愛なんて知り尽くした」と言って洋楽のサウンドしか聴かない者もいた。
ハロウィンナイト AKB48


マクロかミクロか、どうやって区別するの?
原点に戻って欲しい。
男のおちんちんが基準なんだよ。
一人の男が大声を出せば、自分のおちんちんに「多くの女が注目する」(マクロ)。
一人の女が大声を出せば、多くのおちんちんが一人の女に注目する(ミクロ)。


また、ファッションやヘアスタイルなど、女の子にもいろいろタイプがあるというのも「多くの女」という意味でマクロであるし、「女は皆同じ」と考えるのならばミクロである。
そこで「セックス崇拝」というものは常に「マクロからミクロへ」と目指している「転がる石」(ローリングストーンズ)であることを悟るのだ。


多くのおちんちんの注目を集めるミクロ。
酒井法子


多くの女たちがひとつのおちんちんに注目するマクロ。
福山雅治


バグダディが、バグダッドを作った12~13世紀の研究は、すでにヒトラーの登場を待つのに十分な知識を得ていた。
女づくりが先(多くの女たちを集める・マクロ)、男づくりは後(一人の女に多くのおちんちんが注目する・ミクロ)と表現することも可能だ。


世界史は「女づくりが先、男づくりは後」という展開をたどったが、移民政策などの権力の側は「男づくりが先、女づくりは後」という高度な政治意思を持っている。
紅白歌合戦


マクロからミクロへという「情報や歓声の流れ」を語ってきたが、非常に議論は混乱している。
「恋に詳しい」「正しい神を信じている」
このこと自体、若者には通常ないものである。
そのことから「あまり細かい理論にこだわらず、頭を整理して戦場に向かう」という割り切りも必要になってくるだろう。


フジテレビとは私も付き合いが長く、おニャン子クラブからAKB総選挙まで「女の子にもいろいろタイプがある」というマクロ経済学の立場に建っていたのがフジテレビだった。
「女は皆同じ」というのをミクロ経済学と呼ぶのであれば、たとえば、山崎邦正が大声で「ちんちん欲しいんか?」と叫ぶのも、マクロ経済学を踏まえてのことである。
あるいは「射精のあとのアンモニアに男の優越感を感じるね」などの発言を公言できるキャラクターが「マクロ経済学の世界における寵児」となることから、かなり腹はくくらなければならない。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ


さらに「山崎の奴、あのネタだけでアムステルダムからヴェニスに旅行に行ったらしいで」というのもマクロ経済学である。
また、きれいな彼女ができれば完全にマクロ経済学を生かしたことになる。
なにしろ「ちんちん欲しいんか?」だけで「経済学とは何か?」をみんなに教えたからである。
なにしろ、「寄ってきた女」が、色の区別がようやくできるようになったような若いアイドルだったため、その後は「カミさんの尻に敷かれている」というネタもマクロ経済学なのである。
「カミさんの尻に敷かれている」という情報も「勃つ」という意味であり、経済政策への迷いのなさを示している。
「子供の頃描いたブルーだけの風景」
そんな曲を口ずさんでもウケる。
さよなら夏のリセ 河合その子


「恥ずかしくて誰もできないネタ」をやった経済学の専門家であるのだから、いろんな企業とのつながりをアピールするのも有効だ。
やがて、若いカミさんや娘たちが人気が沸騰して「クイーンオブヴィーナス」と呼ばれる帝国が出来上がるであろう。
ここで「旅行」「若い女との結婚」もマクロ経済であることが明らかになった。
「裏表のない人」としてみんなから愛された。
レベッカ クイーンオブヴィーナス


若くて美しい家族に囲まれた時に「俺、男前やな」といっても誰にも憎まれなかった。
コペルニクスが考えたことだった。
みんなが「娘目当てで」ヨイショしてくれたからだ。
娘たちもなんだか文化的になってきた。
マクロ経済学に詳しかったため「ヴェニスの商人」と呼ばれた。
実際にボローニャ大学から博士号も届いたのだ。
広瀬すず


コペルニクス以前は、万物の起源は「地・水・空気・火」のどれかだろうと考えられていた。
しかし、「俺、男前やな」と言った時に、月が万物の起源に加わり、タケコプターができた。
そのあとに「水星・金星・太陽・木星・土星」が人類のために用いられるのは明らかではないか。
国立天文台の人は「万有引力」と呼んでいたが、コペルニクスは「地球のローテーション」と言っていた。
惑星は「占い」だけのためにあるのではない。
人類に実際に影響を与えている。
これをタケコプターやどこでもドアは証明したし、そのようなものを作った人物は「ちんちん欲しいんか?」と言うようなことの意味を理解している経済学者であった。
ドラえもんの道具を「惑星」から作り出そうとした人物はいなかった。
「そうだ、これはシオニズムであり革命である」
土星がこの「サーキット」に加わるのに30年かかるだろう。
水星ならば「80日の会議」でどうにでもなる。
コペルニクスは、ギースやショーンベルグなどの勧めがなければ恐くてこの書物を出版できなかっただろう。
「惑星をドラえもんの道具の開発に使う」
このような発想の持ち主は、マクロ経済学の優等生だった。


アインシュタインは日和見主義者だった。
マクロ経済学が「ちんちん欲しいんか?」と叫んで、バカウケして、それが「ウケなく」なるのを待って、ミクロ経済学つまり「ひとりの女」をセールスにかけたのだ。
マクロ経済学とミクロ経済学は常にキャッチボールをすることに成功した。
紅白歌合戦の紅組も「もっとも白組の人気のある男性に言ってもらいたい台詞」が「ちんちん欲しいんか?」であった。
1916年にアインシュタインは、エルンスト・マッハに「経済学がようやく分かった」と手紙を書いている。
人々の期待が「マクロ経済学」を期待している雰囲気は確実にあった。
過剰であってはならない。女たちが自分の足で立てる程度にはマクロ経済学は謙抑的でなければならなかった。
女たちは「空への夢」をみんなが歌っているようなものだった。
それを侮辱してはならない。
マクロ経済学とミクロ経済学は「交互にキャッチボールをする」ほど単純なものではないのだ。
アインシュタインはこのことから「一般」を独身と解釈し、「特殊」を結婚と解釈した。
既婚者の「ちんちん欲しいんか?」という言葉の持つ意味の研究が必要だった。
もはや東大経済学部も、細かいつまらない議論を勉強しようとは思っていなかった。
「どのタイミングで?」「マクロ経済とミクロ経済をキャッチボールさせるか?」
これだけに関心が移っていた。
浅香唯 C-Girl


「ちんちん欲しいんか?」
AKBグループは過去の遺物となったかに見えるが、誰もがその必要性を認めていた。
経済学の「マクロの部」の旗印となった彼女たちは、もはやハプスブルグ家のメンバーであったし、貴族院議員であった。
マクロ経済学とミクロ経済学の確立を見て、人々は「人間ってのは発展しないものだな」と語り合ったが、確実に国は豊かになっていった。
第一次世界大戦のときのアインシュタインの境地でもあった。
のちに、この経済学は、経済学者フランクリン・ルーズベルト大統領のもとで、核開発につながっている。
経済学の「単純さ」そして「難しさ」をテレビやラジオが担っていた。
アインシュタインは「光の速さ」がローレンツ変換に入ってしまったから相対性理論を考えたとされる。
しかし、男が「勃つ」ためには「光」が必要であったからであり、光り輝く街には男女がいたし、マクロ経済とミクロ経済のキャッチボールがなければ「街の灯り」は維持できなかった。
ブルーライトヨコハマ いしだあゆみ


本来、弟がそのようなキャラクターに向いていたが、エリートの兄はそのことを「教育を受ける」かたちで学習した。
ドン・スコトゥスという弟の不幸な人生は歴史に記そうとアクィナスも考えていた。
「ちんちん欲しいんか?」
というだけで女たちが顔を赤らめたため、経済学の一環として熱力学も研究された。
マックスプランク研究所は後にヒトラーに活用されたのだ。


しかし、我々は認識があまかった。
女に向かって「ちんちん」という言葉を発することは、女の「欝」を誘発し、そのために、笑いにとどまらず、食費が増えるということを知らなかったのだ。
明石屋さんま キッコーマン


ときには「欝」を通り越して「惨め」な気持ちになることも女にはあった。
そのことから、テニスコートに向かったり、体育館に向かったりした。
女の「夢」は欝から生じている。
そのために、芸能界があったし、スポーツがあった。
「勉強」はそこにはなかった。
男の側も「ちんちん欲しいんか?」と言ったおかげで、国策に巻き込まれ、知っている女以外の女性に実際はちんちんを見せたがらなくなっていた。
経済効果は「マクロ経済とミクロ経済」の間のキャッチボールには確実にある。
しかし、「幸せって何?」という問題は確実に突きつけられたのだ。
「男の物語」「女の物語」の二つがこのことから生まれた。
「料理がうまい女」と聞いて二つの方向から男が寄ってきた。
二つの方向といっても二人の男が代表だろう。
女は「料理をする理由」を知った。
瀬能あづさ ふたつにひとつ


「いい男選び」が料理が上達する秘訣だった。
落第点を押されたら毒すら混入しかねないものだ。
フランス人はアメリカ人よりも大雑把に言えば「幸せ」ではないだろう。
フレンチレストランでは「お皿の交換」はもはや聖域だったからだ。
どのように「幸せ」を測定するかは「料理」「ご馳走」にかかっていた。
エリートは幸せだろうか?
何を食っても感想は同じだ。
だったら、六割から九割の打率を誰もが持っていることになる。
何かいいことがあったら一割七分打率は上がるだろう。
悪いことがあったら九分打率は下がるだろう。
競馬では馬に「いいこと」を食事で教えた。
平家みちよ プロポーズ


「セックスとはコミュニティーから男を離さないためにやるもの」
なぜ?
二三日は男は性欲が萎えるから。彼女に金をつぎ込んだので他の女に払うカネがない。
また、浮気をする男はそのたびに仲間を失っていた。
ブッダはお城の外に出て「伝道するしか食べていく方法はない」ことを知った。
「ちんちん欲しいんか?」
これを考えたものが、沈みかけた太陽をもとに戻すブッダであり、伝道するしか食べていく方法はない存在だろう。
hiro confession


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