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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年9月

2019年9月27日 (金)

サンタクロース。

男が「声を張り上げる」ことは、自分のおちんちんに多くの女の関心をひきつける行為である(マクロ)。
その作業は、苦痛に満ちているだろうし、神を信じていないこともある。
しかし、クリスマスには「ひとりの女」とともに過ごし、そこには安らぎがある。
「女の子にもいろいろタイプがある」というマクロから、「ひとりの女」へというミクロに移行するのだ。
国家レベルでクリスマスは行われている。
Melody You are only my love.

精子がライバルを蹴散らすエネルギーは卵子に向かうエネルギーの10倍だとされる。
それならば、「ひとりの女」をモノにするのにも、「大勢の女」(マクロ)から「特定の女」(ミクロ)を「男の側から選んだ」というわけには行かない。
女の側から「男を競争させる」という原理が働くのだ。
この原理は1986年に明らかになったとされている。
ribbon ポイズンの退屈

マクロからミクロへ、しかし、女の側にも「選ぶ権利がある」ということから、神を信じることができる男なのかどうかが決まる。
日常の仕事、勉強、学問、男たちはひたすら「言葉」を覚えた。
言葉は計算するためにある。
「あなたは神を信じますか?」
それは、クリスマスに彼女とともに過ごした男に言う言葉だった。
「女を選び」「女に選ばれる」それは2+2=5とも言われた。
「無駄口を叩く男」「口から糞をする男」「ただ生きているだけの男」が「神を信じない」理由はここにある。
メリークリスマスフォーユー おニャン子クラブ

クリスマスを彼女とともに過ごすという「2+2=5」の世界は、「大勢の女から特定の女を選び」(マクロからミクロへ)、さらに、「男が他のライバルを蹴散らす」(ミクロ経済学・真剣勝負)を経なければならないのだ。
正しい神を信じ、恋に詳しい、そんな男がいる場所に人々は集まるものだ。
スコトゥスも「卑怯な戦い方」さえしなければ寂しいクリスマスにはならなかったのにな、とアンセルムスは思った。
河合その子 緑のポインセチア

フロイトに関しては100年以上喧嘩した。
なにしろ「恋の神様」だというものだからね。
女の子が「ちんちんを切られて欝になる」「料理を覚える」「いい男選びの方法を知る」などをようするにフロイトは明らかにしたし、ユングは「女の子はお兄さんがいて抑圧されていると胸を大きく開ける」ということを明らかにしたが、女の子を理解している奴とは容赦なく喧嘩したのだ。
通常の男はこのような話題すらできなかったからだ。
みんなでワイワイやっていても、そのような真剣勝負(ミクロ経済学)にはかなわなかった。
マザーテレサが「不幸な男ほど胸をもむのが気持ちいい」と言ったことや、ラカンが「女は笑顔をなくして猫に見送られてセックスし、思い切り暴れて破壊されるのが床上手」と言ったことなども理解していなければならない。
ユングやフロイトの場合 AKB48

カトリック教会のミサにはそれは女の子達がたくさん集まるだろう。
しかし、一晩で「2+2=5」を成立させることは無理だろう。
ハロウィーンあたりからコツコツと積み上げていかなければ無理じゃないか?
「食費」がモノを言うのだろう。

バラク・オバマは民主党だ。
これは、日本国においては「令和天皇の発明」つまり「タケコプター」を使う共和党(自民公明維新などの改憲勢力か?)と、タケコプターを使わない民主党という軸に立つならば、オバマの肉体美をどの女も想像することを意味する。
ドラえもんの歌

これは、キリマンジャロ山にどのように登るのか?京都にどのようにして行くのかを考えると、共和党は「シャーロックホームズ」、民主党は「サンタクロース」にたとえられる。
タケコプター以上のクリスマスプレゼントは想定できず、それを受け取らない民主党ならばサンタクロースは存続するだろう。
しかし、シャーロックホームズのような生き方も人気があった。
サンタクロースは北極に住んでいる。
キケロはローマ人である。
シャーロックホームズの時代がいいのか、サンタクロースの時代がいいのかは事実上、首相の任免権を国民が握ることを意味する。
「ご冗談でしょう?ファインマンさん」
ファインマンはシャーロックホームズの役割とサンタクロースの役割の両方を見据えていた。
おカネをばら撒く時はファインマンは「クリプケ」と名乗っていた。
つまり、サンタクロースというのは「クリプケ」が両親におカネをばら撒く実在の人物だったのだ。
「太った豚より痩せたソクラテスになれ」「鶏の頭になるよりも龍の尻尾になれ」
東大の学長はことごとく民主党を支持していたようだ。
つまり、タケコプターの否定である。
シャーロックホームズの否定であり、サンタクロースの肯定であり、ファインマンの否定でありクリプケの肯定である。
共和党は権威であり、しかし、民主党はそうではない。
だが、女たちが民主党員の男の肉体美を愛するのは明らかだった。
デヴィッド・キャメロンもシャーロックホームズの立場だったが、みんなにカネをばら撒く時は「カプラン」と名乗っている。
つまり、哲学の存続は「サンタクロース」「クリプケ」「カプラン」などの「お金集めの達人」「民主党」に委ねられたのだ。
誰もがタケコプターを使いたい、しかし、お金集めの達人はみんな民主党にいた。
しっぽの気持ち CoCo

女が「私」と言ったら、それは民主党支持を表明しているようなものだった。
母・マリアを「ご婦人」と呼んだのはイエスキリストだった。
肉体美・そして学問、それがイエスキリストのアイデンティティだったし、サンタクロースはその生誕を祝福していた。
民主党員は「6G」ではなく「4G」のスマホを使う宿命にある。
バットマンは、「必殺技」はなくても常に最新の技術を用いていた。
シャーロックホームズもそうだろう。

都合よく、キャメロンを演じたいのかカプランを演じたいのかを区別できる人はなかなかいない。
「タケコプターを使うと体力が落ち、哲学が分からなくなる」
そのため、のび太は普段は歩いているだろう。
それが常識というものなのだ。
タケコプターを使う太った豚になっていいのかどうかを「ハンプティダンプティの問題」と呼ぶ。
ribbon wish

マクロからミクロへ、「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」から「女は皆同じ」という境地に至る転がる石は、「利上げ圧力・インフレ圧力・失業率の増加」につながる。
しかし、「マクロからミクロへ」という流れのすべてを民主党が掌握することになった。
流れを止めるのは共和党しかない。
「ちんちん欲しいんか?」というネタが「マクロ経済」を確立し、それに対して「ソロの女性アーティスト」が活動するミクロ経済もあったが、タケコプターをはじめとする「ドラえもんの道具」はマクロからミクロへの流れを止める役割を果たした。
いわば、ピッチャーとキャッチャーのキャッチボールを「バッター」として打ち返すような役割を共和党は果たすのだ。
マクロ経済とミクロ経済は明らかにキャッチボールをはじめた。
このことから、「経済ベースボール」が確立し、私の「プロ野球必勝法」の方がはるかに経済政策として進んでいたことも証明される。
民主党という「バッテリー」は、共和党という「バッター」が打てないボールを投げようとするだろう。
しかし、「ピッチャーとキャッチャーのキャッチボールだけでは利上げ・インフレ・失業は止まらない」ことから、「バッター」が登場するのだ。

イメージがつかめたら、各自が「6G」を使って自分の「ポジション」を決めるしかない。
球種は「マクロとミクロ」の二つがあるのだ。
ピンクレディ サウスポー

経済ベースボールは今に始まったことではなく、日経平均株価は常にプレーが行われているが、「どのように有効な経済政策を練るか?」という視点が明らかになるのだ。
経済ベースボールではサンタクロースは常にピッチャーだ。
マクロとミクロの球種を使い分けても、確実にバッターはヒッティングしてくる。
株価が下がる日もあるだろう。
だれもが「利上げ・インフレ・失業」を恐れているからである。
シャーロックホームズは常にバッターである。
しかし、共和党も民主党も常に「表と裏」を繰り返している。
おのずと、翌日のスポーツ新聞には「昨日の経済ヒーロー」が掲載されることになる。
また、日刊紙にも経済ヒーローが掲載されている。
どのポジションでも、どの打順でも「お立ち台」に上がるチャンスはある。
ようするに「モテればいい」という割り切りも必要だ。
恋をしちゃいました タンポポ

「投打のヒーロー」がサンタクロースとシャーロックホームズなのだ。
日経平均株価はすでに動いているし、テレビも7局24時間放送されている。
経済ベースボールはすでに高度なレベルで行われているのだ。
思い切りど真ん中に「ちんちん欲しいんか?」というマクロを投げ込んでおいたので、おのずと経済ベースボールは発展するだろう。
各番組ごとに「教理がありカルト化している」状態ではあるが、「有名な男」(宗教)あるいは「有名な女」(政治)はいるだろう。

ドラマなどのフィクションほど「3」を重視したものはない。
三人いればおのずといじめや喧嘩が始まるからである。
しかも、クールの期間中は「解散」も許されない。
延々といじめと喧嘩が続くのだ。
「4人目」が出てきた時に「引き分け」として最終回になる。
フィクションのいいところは「最後は引き分けだと分かっているので疲れない」ところにあるが、それまでは経済ベースボールが展開される。
どっち側につくつもりか?
それだけでもおカネが動く。
自分の人生が分かったり、自分の気持ちが分かったりする。
どっち側につくか?自分の人生や気持ちが分かる。最後は引き分け、それがフィクションである。
ribbon ハッピーエンド

経済ベースボールから生まれたLEDにマイケルも興味を示していた。
SMAP マイケル・ジャクソン

「女の子にもいろいろタイプがある」
このことと、男の「マスターベーション」からおのずと、男の子の進路は決まるものだ。
女の子は自分を「女」にしてくれる男の子がタイプだった。
恋の告白は「女」になれる気がしたのだ。
男の子の進路は「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」というマクロ経済学から行われた。
「女」になろうと必死だったのは女の子のほうだった。
「女」とは「生まれる」ものではなく「なるもの」である。
そのために、男の子の進路を決めるのも女の子であった。
酒井法子 天使の館

子供たちの「集合無意識」の間からも確実に税収効果は上がった。
しかし、男の子が女の子と「関係」を持ってしまうと、男の子に達成感が生まれ、嫉妬心や猜疑心を覚えると同時に「心の風景」を共有するパートナーができる。
女コミュニティーの情報も一気に入ってくるようになる。
勉強やスポーツの「情報処理」とは異なる論理が混入してくるため、時に「弱さ」を露呈するのが彼女がいる男の子だった。
それでも、男の子が「女コミュニティーの論理」を知ることは税収効果があったのだ。
正確には「女コミュニティーの論理」を知らない男の子かがべらぼうに税金を取ったため、「恋を追い越していく」男の子はいつもおカネがなかった。
夢を語る男、女コミュニティーの論理を知らない男は身なりが貧しく、しかも、理由は「彼女がいない」というだけのことだった。
complex rambling man

【男が女に電話する時の作法・経済ベースボール編】
穏やかな声で(男)「もしもし、正しい神を信じ、恋に詳しければ、女性は男の話しを聞くものですね」
女性の声が多少強くなる。
(男)「そうです。女にもいろいろタイプあるという立場と、私は女よ、という立場の二つがあり、スマートホンを使っていることそのものが野球なんです」
(男)「サンタクロースがピッチャーで、シャーロックホームズがバッターなのですが、男が話をすると、女にもいろいろあるという考えと、私は女よという考えが、スマートホンにどのように打ち返されるか分かりません。」
(男)「そもそも、あなたがピッチャーなのか私がピッチャーなのかも、分からないのです。わ~たしピンクのサウスポー、という曲もありました」
(男)「そういうことを含めて、今でも日本全国で野球が行われています」
(男)「サンタクロース対シャーロックホームズの対決がどうなるかは分かりません」
「それで本題ですが・・・」以下略。

話題としては「いだてん」で円谷幸吉が放送されるかが問題だ。
「叶わぬ夢」「混乱」などが目標を持った人間には生じるが、人の「夢」まで扱う医者は精神科医か心療内科ぐらいだろう。
普通の医者は「夢」までは面倒見切れない。
円谷幸吉の時代には精神科医もいなかったかもしれない。
昔は、私宅監置(ざしき牢)に閉じ込めるしかなかった。
夜中に歌を歌ったりしたら、近所の奥様方の「夜の営み」を妨害することになりかねず、食べ物に毒物を混入させて幸吉に風邪を引かせただけで、主婦は周囲のヒロインになれた。
円谷幸吉がどれほど「周囲からのいただきものの食べ物」に感謝していたかは遺書に記されているが、本人は「ご褒美」としてもらったつもりでも、周囲の主婦たちの思惑はそうではなかった。
円谷幸吉 遺書

税金を課されることを「課税」と呼ぶが、左の目を「税」と呼び、右の目を「課」と呼ぶ。
つまり、右目しか見えない人には課すべき「税」がないし、左目しか見えない人は税を「課」されることがない。
両目が見えるから人間は貧しくなるのだ。
また、右目で見たものは左の脳に伝わるが、左脳は言語をつかさどり、「記憶が大きくゆがむ」ことから言語に支障が出る。
記憶が大きくゆがむことが統合失調症の原因であり、自分なりの「ストーリー」において、不愉快なことは忘れなければならない。
周囲も「本人の都合のいいストーリー」にしたがって動いているからだ。
自分なりの「復活作戦」をストーリーとして仕組んだのならば、周囲もそのように動く。
大事なことは「不愉快なことを忘れること」である。
周囲は、あなたがまさか成功を収めるとは思っておらず、不愉快な発言を繰り返していただろうが、それを「忘れ」なければ統合失調症になる。
あなたの「成功体験」すらもみ消そうとするだろう。
王者が王者であるためには「周囲にとって都合の悪い記憶」を忘れることだ。
さも、今ある風景が当たり前であるかのごとくにストーリーを作り、それにしたがった言動をすることが必要となる。
人間として一貫していることが重要であり、「今ある自分」がさも当たり前のようにそうなったかのようにストーリーを作り、周囲にもそのような影響を与えなければならない。
昔の苦労話や、周囲の不愉快な言動など忘れてしまわなければならないのだ。
そうでなければ、ラグビーワールドカップで「日本がアイルランドを撃破」といわれても病人が続出するだけだろう。
「化けるか化けないか」は心がけ次第なのだ。

読んだことを彼女に話したら「ウケた」ことから熱心な読者になることを「自己参照」と呼ぶ。
彼女は、すでにそのことを読んで知っていたかもしれないが、それでも「彼氏などの男」の声で聴きたいと考えることを言うのだ。
まるでコンサートのモニターをカメラが移し、画面が何重にもなるように、拡散力があるのが自己参照である。
あいにく、私はライブの「自己参照」をDVD化した映像は見たことはないのだが。
「神も仏もあるもんか」という女性にとって「正しい神を信じている男、恋に詳しい男」からの電話は必ず必要となる。
「神さまっているのかね?」という質問には「恋の神さまならいるよ」と答えるしかない。
モーニング娘。恋ING

「見る、聞く、触る、想像する」
この四つが揃えば男は「勃つ」のだ。
想像力が薬によって落ちたために勃たなくなる人もいれば、敵が多すぎて勃たなくなる人もいる。
あるいは、オカマのように「女のマスターベーションの映像には何も感じない」人もいる。
「自己参照」のように、一気に言葉が拡散していくのにも限界はあるのだ。
「神さま」とは呼ばずに「恋の神さま」という程度にとどめておけば、電話口で「男に言ってほしいセリフ」は必ずある。
彼女さえ喜んでくれれば、難解な書物など必要ない。
電話で彼女に「あなたは女として最高の存在だ」と言ってごらん?
なんだ、訳の分からない教科書など読む必要ないな、という境地になる。
CoCo なぜ?

実は、世界レベルで「無神論」は広まっているのだ。
そのことから「彼氏や旦那が神さま」と位置づけることにした。
当たり前のことではなく、作ったものなのだ。
その代わり、「勃つ」男というのは全能の神であった。
人間とは「多数派工作」をする生き物だ。
それならば、「彼氏や旦那が神さま」という女性がいることを踏まえて、男の側に「口説き文句」を拡散させるのがいちばんいい。
完璧な論証や体系でなくてもいい。
彼女が「聞きたい言葉」を発信すればいいだけなのだ。
タケコプターやどこでもドアも、所詮は「経済ベースボール」が生み出すものに過ぎない。
「彼氏やだんなが神さま」という女性が聞きたい言葉を発信していくのが、いちばん、世界の無神論化に対処するのに都合がいいのだ。
酒井法子 涙が止まらない

女の子が男の子に「恋をする理由」は「仲間が多い、なにかやってくれそう」というものだが、実際にパートナーになるためには「心の風景が分かった、これで社会で戦っていける」という要素を詰めていかなければならない。
その言葉は「私の計算を越えている」わ、というのもひとつの条件だろう。
男が「仲間を作る、なにかやってくれそうな雰囲気を作る、心の風景を持つ、社会で戦える」という成長過程そのものがマクロからミクロへというプロセスであり、小説やマンガはそれが「面白い」とされている(友情、努力、勇気)。
Melody 運命95

逆に、女の子が「夢を持ち都会に出て、平凡な女として田舎に戻ってくる」つまり「ミクロからマクロへ」という流れも「面白い」という人もいるだろう。
男の子は「できる」し、女の子は「できない」のである。
瀬戸朝香 My hometown

付き合っていくうちに、男は「できる」ようになり、女は「できない」つまり、男は「マクロからミクロへ」と進み、女は「ミクロからマクロへ」と進むことから、恋はエンターテイメントとして成立するが、男が「プロポーズするタイミング」を間違えると、女は追い詰められていくことになりかねない。
カエサルは、その「タイミング」を間違えたから暗殺されたのだ。
王家の娘・クレオパトラが「殺せ」と言うのだからどんな青年政治家でも殺されるだろう。
中森明菜 禁区

サンタクロースはとにかく「マクロからミクロへ」と成長を続ける男と、「ミクロからマクロへ」とだんだん世の中が分かっていく女のカップルを応援したし、この「マクロとミクロの交差」はドラマでも大人気だ。
ルイス・キャロルも生涯にわたってこのテーマを描いた。
ルイスキャロルにとって恋は戦いだった

月と水星、つまり、タケコプター(6G)とどこでもドア(7G)まではどうにかなるだろうが、太陽に何かの装置を打ち込むのならば、この「男女のマクロとミクロの交差」をひたすら描くしかない。
水星から「金星・太陽」への道は「哲学の小道」とも呼ばれている。
カエサルは「キャロル」の解釈を間違えたから殺されたのだ。
河合その子 緑のポインセチア

理想的なのは、女が世の中を知って(マクロ)、男が「心の風景」を女に語る(ミクロ)ことであり、そうなったら、女のほうもかなりお熱になるだろう。
電話でね 高橋愛

この「哲学の小道」を理解していない女子高生などは「何をやりたいか分からない」と自分の小説やマンガを酷評された。
架空の人物でもいいから「マクロとミクロの交差」を描いてもらいたかったのだ。
私の叔母の林芙美子は、この「交差」を「誰よりも理解している」として、生涯、香淳皇后に敵対心を燃やしていた。
林芙美子は酒井法子の実母である。
広島県尾道市に「文学の小道」が残されている。
放浪記

 

【私が「平凡な女」だと悟った時にプロポーズして?それ以上は耐えられない】
平家みちよ プロポーズ

男の「マクロからミクロへ」と、女の「ミクロからマクロへ」の交差をうまく利用しなければ、シャーロックホームズもグランドスラムは打てないだろう。
つまり、技術革新がおきないのだ。

 9月30日宮内庁宛てメール。

こんにちは。
2004年に当時皇太子殿下の「人格否定発言」がありました。
皇太子殿下に批判的なグループ(常務会)が存在し、その時の常務会の「神輿」が私、小野光太郎でした。
秋篠宮の発言「一言陛下も相談があっても」という発言は決して、自らを皇太子殿下に批判的なグループに身を置かず、自ずと禅譲を待つ「専務」の役割を果たしていたことが分かります。
今、令和天皇に批判的なグループ(常務会)は当然存在するわけですが、令和天皇も厳しい権力闘争を経た上で天皇になっているのであり、時には不愉快や記憶や歴史を持っているものと思われます。
そこで、令和天皇に必要なのは「不愉快な記憶を忘れること」「当たり前のように天皇になったと考えること」そしてなによりも「過去の裁判を行わないこと」なのです。
今までの歴史の「裁判」をやってしまうと「誰がお前なんか二度と天皇にするか」という思いが周囲に芽生え、令和天皇の常務会を勢いづかせてしまいます。
令和天皇の常務会の「神輿」としては現在は秋篠宮しかいませんが、常務会の課題は「修羅場をくぐること」だとされており、かつての皇太子の常務会に身を置いていた私も確実に修羅場はくぐりました。
禅譲を待つ専務は確実に「一名」いますが、なにしろ常務会は宮内庁の女子たちに人気なのです。
取締役社長である私にも、常務取締役である秋篠宮にも「代表権」を与えることは会社法上可能ですが、芸能界の女性アイドルのコンサート(株主総会)を演出する能力は令和天皇は抜群の力量を持っています。
令和天皇に必要なのは「不愉快な歴史の裁判をしないこと」に尽きると思われます。
どうかよろしくご理解を願います。
【補足】政治とは文化に奉仕するものである。誰もが「持ち歌」の一つか二つは持っているだろう。
芸能界への貢献を「出世につなげる」のは「大人のゲーム」であり、「他に仕事がない」「暴力すら使ってしまう」という従来の組織論に新しい風を吹き込むことになる。

 

男の子は、女の子の気を引くため「仲間の多いふり」をする(嘘)。
マクロからミクロへと男の子がたくましくなっていくにつれ「嘘」は少なくなっていくが、「仲間の多いふり、なにかやってくれそうなふり」はいつもしていた。
男の「嘘」も女の子の気を引くためなので「嘘を信じるのがうまくならなければ」男とは付き合えない。
SPEED I remember

さて、女は、プロポーズを受けたあとに「平凡な女」として生きるわけであるが、この平凡な女には「偽証」という武器があった。
エビータは、政治犯収容所から逃亡したグリスがどこに隠れているのかを尋問され、「仲間の家にいる」ことを知りながら「墓地に隠れている」と警察に語り、グリスは墓地で警察に拘束された。
いろんな情報入手ルートはあるだろうが、平凡な女となった人は、CIA並みの情報ネットワークやカンを持っていれば、強くなっていく男とともに出世できる。
サマーラバー大作戦

「偽証」こそが、周囲をあっと言わせる平凡な女の力となったのだ。
まだ世の中をよく知らない男の子(マクロ)は、ミクロになっていくために嘘をつく。
しかし、女子高生最強とかいっていた女の子が平凡な女になったあとに、マクロからミクロになるために「偽証」をする。
「偽証」とは「彼のことなら何でも知っているわ」という女の「周囲をあっと言わせる」発言のことである。
時には妻の思い込みに夫が「あっ」とおもうこともある。
これも「偽証」である。
男の「嘘」と同じで、女の「偽証」も愛嬌のうちなんだろう。
女の「偽証」は男がその女を愛する条件であった。
君が嘘をついた オフコース

平凡な女となった人は「偽証」することによって周囲をふりまわすしかなくなる。
本気で彼を愛したからそのような行動に出たのだ。
マクロの世界は男の子も「嘘」をついたし、女も「偽証」をした。
平凡な人間がそのような行動に出るのだ。
愛の炎 田中れいな

世界は現在、ディープステイト(深い国家)を目指している。
アメリカ合衆国は、イラン、北朝鮮、ベネズエラの問題で2020年は相当荒っぽい外交をするしかない。
しかし、国家そのものは、「エリートが市民の胃袋を満たせばいい」という構図が昔からあったが、これが、連邦政府ではなく「各人の信じる指導者によって」可能になっているのだ。
法律というものの「発想」も変わったため、数千ものオフィスの人材入れ替えが必要だとも言われている。
中国は「加工貿易における日本の20年後輩」に過ぎないとも言われ、いろんな意味で「経済ベースボール」は、世界に影響を与える。
「電話で女を口説くのは俺の方が得意だ」というツワモノがいればなおさらディープステイトは実現する。
ピッチャーはサンタクロース、バッターはシャーロックホームズ、そこまでは決まっているが、たとえば、今日の株価はいきなり下落している。
シャーロックホームズが打ち返し、技術革新を引き起こしたとしか思えないが、男女の思惑とは異なる「経済ベースボール」が国全体で行われている。
経済ベースボールの「ゲームの結果」は、「今日の為替と株の値動き」で確認するしかないだろう。
為替は「男の値段」であり、株は「女の値段」である。
円高になれば日本の男の値段が上がることを意味し、株高は日本の女の値段が上がることを意味する。
これらを見て、翌日の「配球」を判断するしかないだろう。
女が「電話欲しいな」と思っているかどうかも、為替と株の値動きで分かる。
日経平均株価チャート 為替と株

通常、男からの電話は女を女にするといわれ、株価は上がると思われるが、株価が下がった時に「電話を欲しがっている」と判断するべきだろう。
また、為替が円高になったときは「女は男を必要としている」と判断すべきだろうか。
このへんは、モンテスキューの研究までさかのぼって考えなければならず、私も「プレイブック」(スコアブック)の動きを見ている。
株価が下がったのに、為替が安くなったのならば「女同士で話している」と考えるべきか?
男も「為替と株の両方が赤になったとき」に彼女に電話してみてはどうだろうか。
株が緑で、為替が赤の時は「男同士の電話」が行われている。
株も為替も緑の時は「電話する必要がない」とも言える。

株も為替も赤のときがある。

恋はring ring ring 国生さゆり

安倍なつみ ひとりぼっち

株が緑で為替がちらちら赤くなることもある、
後藤真希 サントワマミー

株が赤でちらちらし、為替が緑の時もある。
忌野清志郎 サントワマミー

男女が「電話が欲しい瞬間」が理解できれば、男の世界はかなり広がるだろう。
さらに、本ブログも「読んで覚える」ものではなく「話して覚える」ものであることが分かるだろう。
「恋とは経験するものだよ」
その熱さ、その「赤さ」を経験するものなのだ。
男なんてものは「赤い物体」なのだ。
それでも女は恋をする。
ひたすら、株や為替とにらめっこし、電話をするというのが男の仕事であり、それだけでも男は「恋をするに値する」存在だった。
株や為替で儲け、仕事で儲ける男にはお金もあった。
株や為替とにらめっこするということは「電話をする」ということでもあり、人脈も広がるのだ。
あの名刺の人は今電話を欲しがっているのか。
そう思って名刺入れを見て、電話をするだけでいいのだ。
「正しい神を信じ、恋に詳しければ人は話しを聞くものですね」
「今後とも”恋”の探求に力を注ぎたいと思います」
電話をすると、株や為替にそのまま跳ね返ってくる「強い人脈」と、必ずしもそうではない「弱い人脈」が明らかになる。
「強い人脈」ならば使えると思ってはならない。
「お腹いっぱい」感が出ている証拠だからだ。
「弱い人脈」はまだ関係性の定義に飢えている。
「強い人脈」はいったんそれを弱めなければならない、「弱い人脈」はそれを強めていかなければならない。
なにしろ、あなたの「心の風景」をよく知らないから株や為替に跳ね返ってこないからだ。
デイトレーダーでなくても「電話をするタイミング」は知りたいだろう。
そのために株や為替の値動きとにらめっこするのだ。
知らない人にとっては「コウモリのようにカンのいい人だ」としか思われないだろう。
それでも、気がついたら一人前の男になっているものだ。
三浦理恵子 友達より遠い人

新聞記者のクラーク・ケントなんてそれだけが仕事だっただろ。
我々は「社会のネットワーク」のあり方をより快適にしたいだけなのだ。
どうしても「電話が欲しい時」というのはある。
それを、図面で明らかにしたのが株と為替の値動きだ。
今まで、電話帳で眠っていた人に「正しい神を神事、恋に詳しければ話を聞くものですね」と唐突な電話をするのもアリかもしれない。
心ない「おじやおば」は気をつけなければならないが、それ以外にはルールなどないのだ。
誰も社会から孤立したくはない。
このメカニズムが、日本国の富である日経平均株価にいい影響を与えるだろう。

余談であるが、せんだみつおのネタに「コマネチ」「ナハナハ」「マッチョメンマッチョメンイェーイイェイイ」などがあるが、これらはボディビル会場でオカマが「ゲイ」(ボディビルダー)に浴びせる声援である。
「ナハナハ」というのは「アハ~ア」がなまったものと思われる。
ゲイカルチャーの世界で知られていることを、オカマとして「一部のゲイのおちんちん」にめがけて発信したところ、自分のケツの穴をめがけて「一部のおちんちん」が反応して笑っている。
このことは、せんだみつおが「柔らかいミクロ」となったことを意味し、プロ野球選手の「究極のミクロ」も所詮は「ケツ」目当てなのが男の大声援なのかと考えさせられた。
三冠王の落合博満がオカマなのはこの目で確認したことがある。
「プロになる奴はみんな調教してある」などと大げさに考えないほうがいい。
横浜DeNAベイスターズのエース今永はノンケだった。
せんだみつお

 

2019年9月23日 (月)

どこでもドア。

月の次に地球に近い惑星をご存知だろうか?
ホーキング博士は「水星である」としているのだ。
月の利用の仕方すら分からかったのだ。
「月と水星のムーブメント」「2つの天体の異なる動き」を利用して「どこでもドア」を私は考えた。
しかし、この研究はかなり時間をかけなければならないだろう。


この「どこでもドア」は、研究よりも「お金集め」にエネルギーを注がなければならない。
また、月が「女」で水星が「両性具有」であることから「どこでもドアは男しか通れない」あるいは「会いたい人がいる」などの条件から絞っていかなければならない。
さらに、水星が登る時間帯が明け方と夕方しかないことから、条件はもっと絞られてくるだろう。
このあたりは、国立天文台の方に取材しなければならない。
いずれにせよ「タケコプターができるのならば、あとはお金集めが仕事」と割り切るほかはなく、ホーキング博士も「お金集め」までは行っていない。
天文台と海岸 中嶋美智代


月や惑星が「男か女か」は、「太陽との速度の違い」から判断している。
木星も土星も「太陽より速い」から男だと考えられている。
「どこでもドアは男しか通れない」ということはプトレマイオスが考えたものであり、太陽系に施設を配置した時に問題になるものだ。
タケコプターには関係ないだろうと考えられる。
あるいは「光の無限のエネルギー」を用いるのであれば、「どこでもドアは日没以降の天候の良い日」に限られるだろう。
果たしてニーズがあるかどうかは明らかではなく、それも含めて「お金集めが仕事」である現状がある。


また、どこでもドアは、「お出かけ」に比べて「サプライズが大きい」とされ、人間の「時計回りの思考」に悪影響を与えるとされる。
これだけは言えるのだが、「どの物理学者も金融までは専門にしていなかった」ということである。
アインシュタインは、核開発に関してはルーズベルトの支持を得られたが、それ以外は「頼るべき政治家がいなかった」のである。
何よりも問題なのが「これを考えた奴はいじめられるだろうな」ということであり、すべて「お金で解決」していかなければならないということである。
「磔にされたイエスキリスト」にお祈りをする理由がお分かりだろうか?
「会いたい人がいる」「日没時の晴れた日にしか会えない」
忘れちゃいやよ


なにしろ、カント以降、人生すべてがうまくいった人物がいないのだ。
アインシュタインも「お金」の面ではそうだっただろう。
いちばん人気のある人物が、誰よりも理解してドンとやらなければどこでもドアは実現しない。
どこでもドアの「使い勝手の悪さ」を理解しなければならない。
月と水星に照らされた異なる場所に「同じドア」を設置するのだ。
「彼とは会いたくない時もある」
行きたい場所にドアを持っていくのならばなぜそもそも行かないんだ?
この内容ならばトランプ大統領ですら採用しないのではないか?
などが考えられる。
そのため、「6G」ではなく、いつか「7G」でという気持ちにもなる。
カント以降、もっとも成功した哲学者はオットー・ノイラーだろう。
しかし、「分刻みのスケジュール」が好きな人で、その気はなかったらしい。
「オペレーションとはいじめっ子(ただ生きているだけの人)がやるものだ」とも言われ、オペレーションで「達成したいことなどきわめて幼稚なことしかない」とも言われる。
「天皇になりたい、その後のことは知らない」などが指摘できる。
さらに、人気ない人物は「影響力評価の感覚が鈍い」ということも指摘できる。
「鋼鉄のように鍛えられたらこうはならなかったのにな」と思うこともある。
人格否定発言


鉄が蒸発するほど熱く、さらにあらゆる生き物よりも惨めに生きた経験がなければ、鋼鉄は鍛えられない。
「硬くなければ、柔らかくなければ」できないのがファイナンスというものなのだ。
せめて予測しよう


指導者による「オペレーション」の力量は、つまりは「フェティシズムのエネルギー」の最大化である。
フランス映画とは「政治犯収容所に入っている妻を男が奪い返す」物語であり、これはイエスキリストの物語である。
死刑台のエレベーター 予告編


イエスキリストはそのために「政治犯収容所の買収」を行ったし、なにしろその収容所には各界の著名人がいたため、「憧れの男とは何か?」という共通認識をイエスキリストは作ったのだ。
ヨハネの目示録は、「女は聖書を読み、男は哲学書を読む」という方向に導きを与えている。
安倍なつみ ひとりぼっち


ソロの条件とはなんだろうか?
ミクロ経済学が有効な時代には常に「ソロの女性アーティスト」がいた。
滑舌がいい、文法を理解している、(音楽作品が)恋に詳しい、信じている「神」が抜群にいい、などの条件が揃ってようやく、「一人の女の名前」がアイドル史に刻まれる。
松浦亜弥 S君


罪深い噂を聞き、男はマスターベーションをした。
モノマネをされるほどみんなの憧れだった。
人々は「人気とは何か?」を語り合ったのだ。
滑舌がいい、文法を理解している、(音楽作品が)恋に詳しい、信じている「神」が抜群にいい、これ以外に人気の「要素」はあるのだろうか?
れいわ新撰組


一人の「女性ソロ」のアイドルの前では、どの男のおちんちんも「ただのおちんちん」に過ぎなかった。
山本太郎も、もっと「恋の話」をしなければならないし、「ただのおちんちん」がたくさんあるというミクロ経済においては、「男が声を張り上げる」というのはマクロ的な考え方だということを知らなければならない。
「マクロからミクロへ」というのは転がる石のような原理であるが、「声のでかい男」にみんなが付いていくという「ミクロからマクロへ」という現象は起きない。
つぶやきシロー


「声のでかい女」にはみんな付いていくだろうが、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいという4つの要素を満たさなければならない。
トマス・アクィナス(令和天皇)のようにパーソナルディテールが明確で、しかも「永遠の命」にまで到達したものが神であり、ソクラテスやアクィナス自身は「ただのおちんちん」を持っているに過ぎない。
男が声を張り上げると、大勢の女に「やらせろ!」と叫んでいるように聞こえる。
いずれにせよ、マクロ的考えなのだ。
松浦亜弥 From that sky


「声」は、ひとつのおちんちんのためにある。
女が「大きな声」を出そうが男が大きな声を出そうが同じことだ。
男が大きな声を出しても「ミクロからマクロへと」転がる石は転がるものではない。
トレーニングのように何かに逆らう行為であり、お笑いの原理でもあった。
何事も「ひとつのおちんちん」が目当てであり、女が大きな声を張り上げると、男たちは「いずれこの女は脱ぐんだろうな」と考えた。
三浦理恵子 グッバイフレンズ


男の「ソロ」よりも女の「ソロ」の方が、多くのおちんちんを味方にすることができる。
そのため、大人たちは「男のカリスマ」は望んでいなかった。
少なくとも「男のカリスマ」がいるとするならば「どこかで聞いたようなこと」は決して口にしなかった。
ライオンは常にライオンだ。
しかし、マリアは常にマリアだとは限らない。
滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい、この4つが揃わなければマリアではなかった。


男が声を張り上げることをマクロといい、女が声を張り上げることをミクロと言い、「AKBグループや坂道シリーズのように女の子にもいろいろタイプがある」ことをマクロと言う。
「女は皆同じ」というものもミクロと言う。
「マクロからミクロへ」これが「転がる石」の原理である。
PA(パブリックアドレス)も使い方を間違えると、いい経済政策は打てない。
CoCo 優しさに帰れない


男にはひとつのおちんちんしかない。
ソロの女性アーティストは、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいから有名なのであり、そのような女をモノにしたければ、叫ぶしかない。
男が声を張り上げることをマクロといい、ソロの女はミクロである。
コンサートはそれで成り立っているのだ。
田中れいな 愛の炎


逆にステージの上で男が声を張り上げることはマクロであり、自分のひとつのおちんちんに多くの女(マクロ)を惹きつけるものだ。
そのために、歌詞は「一人の女」(ミクロ)を題材にせざるを得ない。
Complex Majestic baby


あるいはステージの上で声を張り上げる男をマクロとするのならば、一人の観客の女はミクロだろう。
観客席全員(マクロ)に訴えかけるのではなく、一人の女に訴えかけるのであれば「マクロからミクロへ」は成立する。
しかし、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいという4つは揃えてこなければならない。
Complex Rambling man


女の子にもいろいろタイプがあるというマクロの世界で、女の子が声を張り上げる(ミクロ)。
男は、「声援を送るためにはマクロにならなければならない」ことから、女の子たちもステージに上がるだけではダメであり(マクロ対マクロ),
声を張り上げなければならない(マクロからミクロへ)。
モーニング娘。I'm lucky girl.


「男をマクロにし、女をミクロにする」
これを「大声援」と呼ぶのだ。
観客席もメチャクチャになるだろうが、ステージの上で「ミクロ」が生じなければならない。


「男をマクロにし、女をミクロにする」
これが大声援の秘密であったが、ソクラテスは「なぜ、これが仕事として成立するのか?」を論じた。
すべての人間は動物である。
さらに、ソクラテスは動物である、ソクラテスは走っている、ということをまるで「F1レーサー」のように週末に証明し、「恋に詳しい」男女を新聞の見出しに載せるためであった。
ソクラテスが走ればキケロも走る。
歴史の到達点が毎週末には見れることになる。
恋に詳しい、だけではなく「信じている神がいい」ことから日曜日には教会もある。
週末の「大政治ショー」のない教会ほどむなしいものはない。
森進一は「おふくろさん」において、滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいいことを証明し、「マクロ」として声を張り上げたが、歌唱が終わると、聴衆の男たちが今度は「マクロ」になり、女たちはつられて「ミクロ」になっている。
この完成度があれば紅白に出られるのだろう。
おふくろさん 森進一


アリストテレスは、これらの「大歓声の理論」を踏まえて、滑舌のいい、文法を知っている、恋に詳しい、正しい神を信じている男として、「アレキサンダー大王の家庭教師」という名前とは違う「アリストテレス」というリングネームをもつことにした。
学問に時間を費やし過ぎたため、ボクサーにはなれなかったが、プロレスラーとしては一流だったのだ。
rebecca love passion


ヒトラーは当然ながら「観衆の大歓声はなぜ起きるか?」を熟知していた。
しかし、「声を張り上げる男」=マクロで、声の小さい男はミクロとは一概には言えない。
小さい声で男が話しても「滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい」という条件を満たせば「マクロ」になるのだ。
少なくとも、電話の向こう側の女性は「ミクロ」となって声が大きくなる。
ここで、マクロからミクロへというのは成立しており、
「恋に詳しい」「信じている神がいい」という二つの要素は極めて難しい「スターへの課題」となった。
一方で、かつての後藤田正晴官房長官のように「部下に命令するときはいつも大声で」という人もいて、「恋に詳しい」「信じている神がいい」という二つの要素はマクロとしてミクロの部下を圧倒してしまい、そのまま「ステージ・コンサートの研究」が出世につながってしまうこともある。
山崎邦正


男の大声(マクロ)は、女の大声(ミクロ)を誘発しやすく、しかも「恋に詳しい」「正しい神を信じている」という自信があるのであれば、小さめの声で話してもいいはずである。
そうでなければ、電話先の女性は電話を切ってしまうであろう。
「意味のある電話」ほど小さな声で話した方がいいのだ。
また、男同士でも「上司と部下の関係」でない限り、小さめの声で話した方がいい。
男の大声はマクロであるが、「意味のある小声」もマクロなのだ。
意味のある大声は非常に解釈が難しい。


また、「滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、正しい神を信じている」ということそのものが、「人々の喝采によって決まる」ものであることから、社会の序列も「喝采」によって決まるとするのはきわめてヒトラー的な考えである。
「恋に詳しい」と言ってもかなりのヘンタイもの世の中にはいて、社会病理学のようなものまで学習しないとなかなか「恋に詳しい」とは言い切れないものがある。
貧困層には性倒錯が多く、しかも、芸能界の中枢に位置している。
彼(彼女)らのパフォーマンスにも指導者が必要なのであり、「大人の言うことって聞くもんなんだ?」と痛感することもある。
「喝采」だけが「恋に詳しい」「正しい神を信じている」ことを証明するだろうし、それが「大人」というものなのだろう。
大人の言うことを聞け


そのため「恋に詳しい」「正しい神を信じている」ことが必ずしも連動しない「勉強」の世界と、それが連動する「学問」の世界は明確に区別しなければならなくなる。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY


地質学でもなんでも「喝采」がなければ研究費用は集まらないのだ。
そのため「正しい神」は「恋」と言うものを教えていなければならない。
ヘンタイをもまったく恐れない人を新マルクス主義者と呼び、それは実に21世紀になるまで登場しなかった。
「それならば、新マルクス主義者以外の人は、できない、ってこと?」
それはとんだ間違いだ。
ヘンタイというのは「哲学が理解できない」「そっちこそ、できない」のだ。
まあ、昼間、明るいうちによく話をする間柄であるにとどまり、夜は関わらないことだよ。
お金がなければ、どうしても自分の限界は突破できない。
強さの秘訣は「お金をかける」ことだ。
私も昔は、テレビで芸能人とクローズドサーキットで話をしたし、テレビ局もしても「お金がかかった」だろう。
それもこれも「ノンケだから」こそ投資されたのであり、「みんなと同じものを愛せるのか?」ということを試されたからだ。


医者、弁護士、政治家などの職業で「喝采」を浴びる才能がないと思ったら、ようやく自分の肉体を鍛え始め、一流のアスリートになるだろう。
「家庭的な人なんていないんじゃないですか?」という相撲の世界やサッカーの世界などでは、性倒錯がまかり通っている。
一流の鍛え方をしていたのならば、国際試合は案外「お金との相談」というレベルにまでなっている。
「私の心に興味がないの?」「掘られる気持ちなら知っているとでもいうつもり?」
このことから「愛を囁ける」男は「金持ち」とみなされた。
電話でね 高橋愛


性倒錯がプロスポーツの世界に蔓延している、このことを熟知していたナベツネさんは「選手風情が」と発言している。
これを「クリップ理論」と呼ぶ。
「恋の話ダメなんだよな」という男は必ず「掘られた」経験があり、その理論は何乗にも複雑化しているはずだ。
「男の自信を狩る」とはこのことだった。
勉強はできても「学問」はできなかった。
黒人の間では「マザーファッカー」=両刀遣い、おカマが蔓延しており、メジャースポーツ選手にはなれても大統領になるのはきわめて難しい。
白人社会は「我々の論理」が理解できない連中というアプローチから始めた。
しかし、その肉たちの強さと「暑さにも寒さにも強い」ことから「金さえ払えば動ける」世界に誘導している。
黒人の居場所をアメリカ合衆国が見つけたのは「マオリの研究」を経てからである。
さらに、フーコーは「マイケル・ジョーダンは私の息子」という具合に世界レベルで「母親」探しを行なっている。
なぜなら、メジャースポーツは「ミクロ」しかも「究極のミクロ」であり、男が大歓声を上げて応援したし、女もつられて応援したからだ。
逆に、女の子が未成熟な膣に挿入を受け、自分が男か女か分かっていない女の子がいることに注目し、ハイスクールで女子スポーツを広めたところ、案の定、髪が短く、自分が男か女か分かっていないような女たちが集まってきた。
ちんちんを切られた鬱で有名希望になっていたのだろう。
さよなら失恋ピエロくん


女子スポーツに声援を送るのが、果たして「男が男に声援を送る」という「マクロからミクロへ」という男社会の論理と同列に語っていいのかはきわめて難しい。
ドゥルーズもガタリも「人間に何ができるのか?」を試したかっただけだ、と語ったし、ラカンも「痛いのは運動しすぎたから」という変な言い訳を残して彼女たちのもとを去っていった。
男よりも成績はふるわなくても、「人間に何ができるのか?」を探求した女子スポーツは、もし、女性ファンの黄色い声援の方が多いのであれば「マクロ」である。
しかし、場内には「男の野太い声援」の方が多いのだ。
彼らがどのような性概念を持っているかは私は調査していない。
しかし、哲学書にHIVという用語が出てくる以上、女子スポーツの熱狂的ファンはホモであるという可能性は捨てきれない。
ホモが「女の子」と呼ばれるのを好む以上、エンターテイメントの世界の「撹乱要素」として、女子スポーツがミクロなのかマクロなのかの答えは保留したい。
伊調馨


滑舌がいい、文法を知っている、恋に詳しい、信じている神がいい、という四つの要素を踏まえた上で、男が声を張り上げるのをマクロといい、女が声を張り上げるのをミクロと呼んだ。
「マクロからミクロへ」
この流れにあるのは「恋への詳しさ」と「信じている神の正しさ」だろう。
自分よりも恋に詳しい、正しい神を信じている女の歌声(ミクロ)に男たちは声援を送った(マクロ)。
また、女性ファンは、自分よりも恋に詳しい、正しい神を信じている女に沈黙した(マクロ)。
ミクロ対ミクロ、マクロ対マクロでは、要するに「どっちらけ」だったのだ。
神の正しさは「恋への詳しさ」でもあったが、一字一句、一挙手一投足に注目が集まった。
宇多田ヒカル


恋に詳しくない、正しい神を信じていない、男は最後にはマクロにならなければならない。
そのため女性ボーカルに声援を送った。
また、恋に詳しい、正しい神を信じている男が大声を上げると(マクロ)、男たちは「神の正しさ」を評価し、声援を送った。
音楽作品のクォリティを「神」と考えていたようだ。
矢沢永吉


バグダディは、第二次十字軍遠征(1147~1149)から第五次十字軍遠征(1217~1231)までを生きた。
29歳の時にシリア・イラク・エジプトを旅して、「いい先生」を探した。
医学の先生や法律の先生とは出会ったが、アル・ガザーリのように「コンサートを見ているだけでも、教育学から精神医学から法律学まで分かる」と言った人との出会いは衝撃だった。
サラディンが、のちにバグダディをダマスカスの知事にしている。
このことから、サラディン一族と交流を持つことになり、「コンサート」が一気に研究の俎上に上った。
「学校に行くのが楽しい」
そんな子供たちを増やそうとしたのだ。
「正しい神ってのは医学からくるのか?それとも法律学からくるのか?」
正しい神を信じている人が、恋に詳しければみんな「言っていることを聞く」ことからバグダディは「コンサート」に注目したのだ。
「恋に詳しい、正しい神を信じている」
それを処女に歌わせた時はバカウケしたね。
男はみんな「マクロ」だったし、成熟していたが、中には「恋愛なんて知り尽くした」と言って洋楽のサウンドしか聴かない者もいた。
ハロウィンナイト AKB48


マクロかミクロか、どうやって区別するの?
原点に戻って欲しい。
男のおちんちんが基準なんだよ。
一人の男が大声を出せば、自分のおちんちんに「多くの女が注目する」(マクロ)。
一人の女が大声を出せば、多くのおちんちんが一人の女に注目する(ミクロ)。


また、ファッションやヘアスタイルなど、女の子にもいろいろタイプがあるというのも「多くの女」という意味でマクロであるし、「女は皆同じ」と考えるのならばミクロである。
そこで「セックス崇拝」というものは常に「マクロからミクロへ」と目指している「転がる石」(ローリングストーンズ)であることを悟るのだ。


多くのおちんちんの注目を集めるミクロ。
酒井法子


多くの女たちがひとつのおちんちんに注目するマクロ。
福山雅治


バグダディが、バグダッドを作った12~13世紀の研究は、すでにヒトラーの登場を待つのに十分な知識を得ていた。
女づくりが先(多くの女たちを集める・マクロ)、男づくりは後(一人の女に多くのおちんちんが注目する・ミクロ)と表現することも可能だ。


世界史は「女づくりが先、男づくりは後」という展開をたどったが、移民政策などの権力の側は「男づくりが先、女づくりは後」という高度な政治意思を持っている。
紅白歌合戦


マクロからミクロへという「情報や歓声の流れ」を語ってきたが、非常に議論は混乱している。
「恋に詳しい」「正しい神を信じている」
このこと自体、若者には通常ないものである。
そのことから「あまり細かい理論にこだわらず、頭を整理して戦場に向かう」という割り切りも必要になってくるだろう。


フジテレビとは私も付き合いが長く、おニャン子クラブからAKB総選挙まで「女の子にもいろいろタイプがある」というマクロ経済学の立場に建っていたのがフジテレビだった。
「女は皆同じ」というのをミクロ経済学と呼ぶのであれば、たとえば、山崎邦正が大声で「ちんちん欲しいんか?」と叫ぶのも、マクロ経済学を踏まえてのことである。
あるいは「射精のあとのアンモニアに男の優越感を感じるね」などの発言を公言できるキャラクターが「マクロ経済学の世界における寵児」となることから、かなり腹はくくらなければならない。
乙女心の自由形 おニャン子クラブ


さらに「山崎の奴、あのネタだけでアムステルダムからヴェニスに旅行に行ったらしいで」というのもマクロ経済学である。
また、きれいな彼女ができれば完全にマクロ経済学を生かしたことになる。
なにしろ「ちんちん欲しいんか?」だけで「経済学とは何か?」をみんなに教えたからである。
なにしろ、「寄ってきた女」が、色の区別がようやくできるようになったような若いアイドルだったため、その後は「カミさんの尻に敷かれている」というネタもマクロ経済学なのである。
「カミさんの尻に敷かれている」という情報も「勃つ」という意味であり、経済政策への迷いのなさを示している。
「子供の頃描いたブルーだけの風景」
そんな曲を口ずさんでもウケる。
さよなら夏のリセ 河合その子


「恥ずかしくて誰もできないネタ」をやった経済学の専門家であるのだから、いろんな企業とのつながりをアピールするのも有効だ。
やがて、若いカミさんや娘たちが人気が沸騰して「クイーンオブヴィーナス」と呼ばれる帝国が出来上がるであろう。
ここで「旅行」「若い女との結婚」もマクロ経済であることが明らかになった。
「裏表のない人」としてみんなから愛された。
レベッカ クイーンオブヴィーナス


若くて美しい家族に囲まれた時に「俺、男前やな」といっても誰にも憎まれなかった。
コペルニクスが考えたことだった。
みんなが「娘目当てで」ヨイショしてくれたからだ。
娘たちもなんだか文化的になってきた。
マクロ経済学に詳しかったため「ヴェニスの商人」と呼ばれた。
実際にボローニャ大学から博士号も届いたのだ。
広瀬すず


コペルニクス以前は、万物の起源は「地・水・空気・火」のどれかだろうと考えられていた。
しかし、「俺、男前やな」と言った時に、月が万物の起源に加わり、タケコプターができた。
そのあとに「水星・金星・太陽・木星・土星」が人類のために用いられるのは明らかではないか。
国立天文台の人は「万有引力」と呼んでいたが、コペルニクスは「地球のローテーション」と言っていた。
惑星は「占い」だけのためにあるのではない。
人類に実際に影響を与えている。
これをタケコプターやどこでもドアは証明したし、そのようなものを作った人物は「ちんちん欲しいんか?」と言うようなことの意味を理解している経済学者であった。
ドラえもんの道具を「惑星」から作り出そうとした人物はいなかった。
「そうだ、これはシオニズムであり革命である」
土星がこの「サーキット」に加わるのに30年かかるだろう。
水星ならば「80日の会議」でどうにでもなる。
コペルニクスは、ギースやショーンベルグなどの勧めがなければ恐くてこの書物を出版できなかっただろう。
「惑星をドラえもんの道具の開発に使う」
このような発想の持ち主は、マクロ経済学の優等生だった。


アインシュタインは日和見主義者だった。
マクロ経済学が「ちんちん欲しいんか?」と叫んで、バカウケして、それが「ウケなく」なるのを待って、ミクロ経済学つまり「ひとりの女」をセールスにかけたのだ。
マクロ経済学とミクロ経済学は常にキャッチボールをすることに成功した。
紅白歌合戦の紅組も「もっとも白組の人気のある男性に言ってもらいたい台詞」が「ちんちん欲しいんか?」であった。
1916年にアインシュタインは、エルンスト・マッハに「経済学がようやく分かった」と手紙を書いている。
人々の期待が「マクロ経済学」を期待している雰囲気は確実にあった。
過剰であってはならない。女たちが自分の足で立てる程度にはマクロ経済学は謙抑的でなければならなかった。
女たちは「空への夢」をみんなが歌っているようなものだった。
それを侮辱してはならない。
マクロ経済学とミクロ経済学は「交互にキャッチボールをする」ほど単純なものではないのだ。
アインシュタインはこのことから「一般」を独身と解釈し、「特殊」を結婚と解釈した。
既婚者の「ちんちん欲しいんか?」という言葉の持つ意味の研究が必要だった。
もはや東大経済学部も、細かいつまらない議論を勉強しようとは思っていなかった。
「どのタイミングで?」「マクロ経済とミクロ経済をキャッチボールさせるか?」
これだけに関心が移っていた。
浅香唯 C-Girl


「ちんちん欲しいんか?」
AKBグループは過去の遺物となったかに見えるが、誰もがその必要性を認めていた。
経済学の「マクロの部」の旗印となった彼女たちは、もはやハプスブルグ家のメンバーであったし、貴族院議員であった。
マクロ経済学とミクロ経済学の確立を見て、人々は「人間ってのは発展しないものだな」と語り合ったが、確実に国は豊かになっていった。
第一次世界大戦のときのアインシュタインの境地でもあった。
のちに、この経済学は、経済学者フランクリン・ルーズベルト大統領のもとで、核開発につながっている。
経済学の「単純さ」そして「難しさ」をテレビやラジオが担っていた。
アインシュタインは「光の速さ」がローレンツ変換に入ってしまったから相対性理論を考えたとされる。
しかし、男が「勃つ」ためには「光」が必要であったからであり、光り輝く街には男女がいたし、マクロ経済とミクロ経済のキャッチボールがなければ「街の灯り」は維持できなかった。
ブルーライトヨコハマ いしだあゆみ


本来、弟がそのようなキャラクターに向いていたが、エリートの兄はそのことを「教育を受ける」かたちで学習した。
ドン・スコトゥスという弟の不幸な人生は歴史に記そうとアクィナスも考えていた。
「ちんちん欲しいんか?」
というだけで女たちが顔を赤らめたため、経済学の一環として熱力学も研究された。
マックスプランク研究所は後にヒトラーに活用されたのだ。


しかし、我々は認識があまかった。
女に向かって「ちんちん」という言葉を発することは、女の「欝」を誘発し、そのために、笑いにとどまらず、食費が増えるということを知らなかったのだ。
明石屋さんま キッコーマン


ときには「欝」を通り越して「惨め」な気持ちになることも女にはあった。
そのことから、テニスコートに向かったり、体育館に向かったりした。
女の「夢」は欝から生じている。
そのために、芸能界があったし、スポーツがあった。
「勉強」はそこにはなかった。
男の側も「ちんちん欲しいんか?」と言ったおかげで、国策に巻き込まれ、知っている女以外の女性に実際はちんちんを見せたがらなくなっていた。
経済効果は「マクロ経済とミクロ経済」の間のキャッチボールには確実にある。
しかし、「幸せって何?」という問題は確実に突きつけられたのだ。
「男の物語」「女の物語」の二つがこのことから生まれた。
「料理がうまい女」と聞いて二つの方向から男が寄ってきた。
二つの方向といっても二人の男が代表だろう。
女は「料理をする理由」を知った。
瀬能あづさ ふたつにひとつ


「いい男選び」が料理が上達する秘訣だった。
落第点を押されたら毒すら混入しかねないものだ。
フランス人はアメリカ人よりも大雑把に言えば「幸せ」ではないだろう。
フレンチレストランでは「お皿の交換」はもはや聖域だったからだ。
どのように「幸せ」を測定するかは「料理」「ご馳走」にかかっていた。
エリートは幸せだろうか?
何を食っても感想は同じだ。
だったら、六割から九割の打率を誰もが持っていることになる。
何かいいことがあったら一割七分打率は上がるだろう。
悪いことがあったら九分打率は下がるだろう。
競馬では馬に「いいこと」を食事で教えた。
平家みちよ プロポーズ


「セックスとはコミュニティーから男を離さないためにやるもの」
なぜ?
二三日は男は性欲が萎えるから。彼女に金をつぎ込んだので他の女に払うカネがない。
また、浮気をする男はそのたびに仲間を失っていた。
ブッダはお城の外に出て「伝道するしか食べていく方法はない」ことを知った。
「ちんちん欲しいんか?」
これを考えたものが、沈みかけた太陽をもとに戻すブッダであり、伝道するしか食べていく方法はない存在だろう。
hiro confession


2019年9月16日 (月)

団塊は死なない。

昔、エホバの証人の人に「永遠の命」とか言われてどっちらけになったことがあるのだが、最近、「復活」の研究を始めた。
人間は肉体が変わっても「記憶が同じ」であるのならば、同一人物といえるわけだ。
永遠の命を手にしたらどの人間も「皇帝」「天皇」であるとも言われる。
そこで「復活」について調査を始めると、真っ先に出てくるのが「アルガザーリ」というイスラム法学者だ。
イスラム教スンニ派は「コンサートさえ見ていれば人生が分かる」という教えであるが、日本の団塊の世代をそのまま日本国が失うのはあまりにももったいない。
記憶が同じであることは「同一人物」であることを意味するが、赤ん坊にそのまま記憶を乗せることはできないだろう。
他の人間にあなたの記憶をそのまま乗せたら、まるで灯りがついたように目を覚ましたように感じるはずだ。
そこで出てくる概念が「贖罪」である。
「贖罪」を経た結果としての「記憶」「脳」を赤ん坊に乗せることは可能ではないか?
1978年にアフガニスタンの大統領が暗殺されたのだが、殺した連中が大統領の亡骸を「頭をメッカの方向に向けて埋葬した」というのだ。なんという信仰心だろう。
それとも、「贖罪」を経させた上で、赤ん坊として生まれ変わらせようとしたのだろうか?
イスラム教というのは世界三大宗教のひとつであるが、アルガザーリ(アッラー)はこのようなことを考えていた。
そもそも、2024年にタイムマシーンが日本国によって作られる。
イスラム教は「贖罪」を経た上で、人間が赤ん坊として生まれ変わっているのではないか?
アルガザーリはバグダッドの人物であるが、スペインのマラガやコルドバという「乾いた地図」しか、日本国は実効支配できないだろうと考え、日本国の団塊の世代を12~13世紀の「乾いた地図」に生まれ変わらせることにした。
河合その子 乾いた地図

イスラム圏に「有名な大学が存在しない」のは周知かもしれないが、イスラムの教えは「学校へ行け」「体を鍛えろ」「神学を勉強しろ」その上で「世の中に出ろ」というものである。
このような教えに「贖罪」を経た日本人を「乾いた地図」に生まれ変わらせていたのだ。
日本人を祖先とするイスラムは「肉体はいただきもの」と考えて鍛えることから人生をはじめる。
タイムマシーンを開発する日本IBMが、次に「贖罪」を経た上で、すでに歳を取った人たちを赤ん坊として12~13世紀の「乾いた地図」に生まれ変わらせようというのは技術的には「もはや必然」ではないだろうか。
白人は「ユダヤ人」として、バビロン捕囚などがあった時代へと戻ることになるだろうが、日本人とは領土やお金が違う。
これらの教えは「死んでざまあみろ」という意識が民族にあるうちは実現しない。
説得力があり、奇跡を多く起こした「医者」「法律家」「哲学者」でなければ「アッラー」として実現することはできないのだ。
このような「死生観」は、その人が高校時代に最も愛した曲を、全国ネットでオンエアし、病気の治療に貢献するなど、「死生観」というものが「高校時代」に存在することを理解することから始まり、アラーとしては「タイムマシーンや復活には女性たちの支持が必要」と考え、女たちを口説くことを「哲学」と呼ぶことになった。
民族全員が経験する朝8時から9時までの「目の覚める時間帯」を経験し、民族と同じ「水道水」を少なくとも、沸かしたお茶などで48時間に一度は口にする、そのような「集団主義」こそが、復活を実現させるものと思われる。
「贖罪」ってどのように日本IBMがプログラミングするんだ?と考えるだろうが、それは「天文学」と深く関わる概念だ。
また、これを実現するためには「男のコになりたい」という女の子の考えをいかに抑え込んでいくかという研究が必要となる。
酒井法子 男のコになりたい

天文学さえ分かれば「贖罪」という意味も自ずから明らかになる。
それよりも大事なのが、今を生きている令和天皇がどれほど「医学的奇跡」を起こすかに「説得力」は委ねられているし、「作るのは簡単」「信じるのは難しい」ものが「贖罪」を踏まえた「乾いた地図」への復活なのだ。

天文学は私も深くは知らないが、細木数子の「六占星術」でいいんじゃないか?
それよりも、私は医学をより深めていく活動が求められている。

人間が「星の下で」復活して何があるの?と思うだろうが、「詩の体系」を学習し、快楽を味わい、「もっとも知的で」「たった一つの」「よい存在」になろうとしているだけである。
このような存在を「皇帝」「天皇」と呼んでいるだけである。
何度も生まれ変わっているうちに、令和天皇の人生も経験するだろうし、最後には、私もアルガザーリの人生を経験するのだろう。
「詩の体系」「タイムマシーン」「気象コントロール」「プロ野球必勝法」などを考えた人生を一度は経験するだろうし、私も皆さんの人生を経験する。
自分以外に「女好き」な男はいないというアダムからそれは始まっているのだ。
「たった一つの」とはそのような意味であり、世界中の命の「論理」は理解できるはずだという人類学的な考えでもある。
神は自分に似せて人間を作った、だからアドニスのために泣ける。
人間とは「泣く生き物」なのだろうか。
しかし、「いじめる側の論理」だけは誰も「経験したくない」「意味がない」と考えている。
「ただ生きているだけ」ならば、経験するだけ時間の無駄だからだ。
「太い便をしたいだけ」
そんな人生にも快楽があるとするのならば「肉」と呼ばれるいじめる側の人生にも意味はあるのだろうが、「おことば」「肉声」がなんら「もっとも知的な」ものとはならない。
暗闇から見えるのは「明かり」だけである。
「いじめる側」の人間から見えるのは「いじめられる側」(魂)の明るい、輝かしい人生だけだ。
結局、「魂」「いじめられる側」の「明かり」だけしか何度生まれ変わっても記憶に残らないだろう。
医者として死と何度も直面しても、東大病院には「命」が送られてくる。
自分の体のようなレントゲン写真を見たり、自分の老後みたいなMRIをみたり、血液検査表を見たりする。
「宗教は男らしいほうがいい」
このような開き直りも必要である。
人は死なない 東大病院の医者

女一人に男二人がいたら何が起きるか?
人気とは何か?
頭をつかうとは何か?
マスターベーションしてその世界に溶け込みたいとはどのような時か?
すべて「未成熟な耳」から情報が入ってくる。
小学生の時に、聖子ちゃん明菜ちゃんの歌の意味が理解できただろうか?
チョムスキーは「経験がなければ物事を学習することはできない」と語っている。
それならば、「贖罪」を経た結果の「赤ん坊への生まれ変わり」はどのような意味を持つのだろうか。
日本国は、タイムマシーン開発の予定(2024年)の前の1999年に「女心の真実」をすべて網羅したとされる。
「女はパートナーがいても知恵や知識を生み出すために異なる男の声を聞きたがっている」
「しかし、男よりも女のほうが、問題の少ない愛を知っている」
1999年にこの曲がリリースされた。
SPEED DEEP BLUE & TRUTH

「詩の体系」を理解するにとどめるストア派と、何でもやってやろうというエピクロス派、さらに「プラトン派」が生まれた。
プラトン派は「もっと新しいものを」と頭を悩ませたのだ。
ストア派は令和天皇がすでに体系をまとめている。
今、テレビでオンエアされているのはプラトン派の音楽作品である。
「民族の新しい経験」に常に耳を澄ませていたのはプラトン派だった。
しかし、1999年の「ロイター通信による純粋理性批判の完成」は、世界の指導者の口説き文句をカントの意思により集めることで確実に達成された。
「女にも分かること」「心が理解できること」「女が真理であると認めること」
このことは、「贖罪」を経た上で乾いた地図に生まれ変わりたいという人たちに「今を生きる」ことを教えた。
各自が「全員の命を経験する」という日本IBMの計画は「強度なナショナリズム」に結びつきかねない。
1999年に、反ナショナリズムは勝利をおさめたのではないかといわれた。
今を生きる、それが楽しい。
それが反ナショナリズムである。
しかし、確実に日本IBMの「ナショナリズム運動」は、団塊の世代の心をつかんでいった。

人間は「復活」した後にも「仕事」をしなければならない。
仕事とはつまり「問題を解決する」ものであるが、どうしてもその人の能力は「兄弟」の制約を受けざるを得ない。
兄貴にカマを掘られただけで「カント」(口説き文句・黒革の手帖)に興味が持てなくなる。
そこで、デューデュカインドは「贖罪」に「少年期」「少女期」も含めてしまった。
また、フレッジは、男でも失恋することがあるとし、女を寝取られた時に「知性で負けた」とし、ビックルやヨービックのような「オリゴ糖」を男の失恋のために考えた。
ビックルCM

ラッセルはそれを踏まえて、いつか誰かが経験する「自分の人生」を火が燃え尽きるまで生きてみることの必要性を訴えた。
「贖罪」の条件がたまたま揃ったために「この命は激しく燃やしてみようかな」と考えたものをたまたま「王者」と呼んでいるだけだと考えたのだ。
命の順番に序列はないが、「激しく燃やした命」が、別の命を感化させ、「トリクルダウン」を引き起こすのは明らかではないか。
他人を感化させる右翼としての「激しく燃やした命」が、次の人生で「のんびり生きてみよう」という左翼になってもおかしくはない。
つまり、命には「順番」「序列」のようなものはなく、右か左かを行ったりきたりしているのだ。
大事なのは「イエスキリスト」(カエサル)の人生を誰もが一度は経験するという「心をひとつにする」(感化される)ことであり、しかも、10万人の女とセックスした結果そのような生き方を選択した、ということを知ることだ。
カエサルといえば自由民主党だが、その他の政党支持者も当然いるだろう。
その他の政党支持者は「のんびり生きたい」と思っているだけだろう。
それはそれでうまく成り立っているのではないだろうか。
「もっとも知的で」「たった一つの」「よい存在」になろうとしている人間たちが、「命を熱く燃やした」「燃やしている」人に感化されて、それをからかう立場になるのも自由だ。
長州小力

1960年代には「コンビニ」というものが日本にはなかった。
しかし、1990年代には「人間はより知的に」という舵を切り、夜まで勉強する男にその環境を整えた。
世界史は「女をクリエイトし、男はあと」という順序をたどったが、男をより知的にしたことは「女をクリエイト」し、日本の夏は確実に暑くなった。
IPCCに「南極の氷が解けている」などという映像を見せられ、日本の男が「知的」になっていくのを妨害されたこともある。
女たちが「理想の男」を語り合うのであって、世界史は「女作りが先、男作りはあと」という順番をたどらざるを得ない。
移民問題だけは「男作りが先、女作りがあと」という高度な政治意思が働かないと、フィリピンパブや朝鮮パブができるだけだ。
政治意思を働かせるのも「激しく燃やした命」のすることである。
フィリピン人の男の子や朝鮮人の男の子が「日本の大学」に入学する機会があるだろうか?
外国人女性を日本国がどのように扱ってきたのか。
それは、「大学のあり方」という問題になるのだ。
中世ヨーロッパは、カトリック(ラテンウェスト)と、ユダヤイスラム(ギリシャイースト)の二つに分かれた。
日本国のタイムマシーンがギリシャイーストを作ったのであり、「死なないイスラム」に十字軍を送ったカトリック教徒の中には「俺も死にたくない」と言ってユダヤ教に改宗するものが多かった。
ユダヤ神秘主義思想は天文学を信じることでもあり、自分の「来世」を「贖罪」に求めた。
1494年にイタリア戦争が起き、貴族とは何かという論争がなされた。
1517年にはルターによる宗教改革が起きた。
1519年にはカール5世が選挙で「貴族の中の貴族」として王になった。
最初の「貴族」はカール5世であり、偶像崇拝をルターを味方につけることで巧みに利用することから生まれている。

エロビデオを見て「女が嫌がっているではないか」と考える政治的弱者がいる。
それに悩む女の子がいる。
CoCo メロディ

「もっとも知的で」(神)「たった一つの」(男)「よい存在」(聖霊)という、神・男・聖霊という三位一体が「贖罪と復活」を繰り返すギリシャイーストで信じられるようになった。
ラテンウェストのカトリックは「初体験はイエスキリスト」「教会はイエスの肉体」「処女マリア」などを用いて、影響力を維持したが、東ローマ帝国よりも先に、西ローマ帝国は滅亡してしまった。
「イエスキリスト」といった時点で、ギリシャイーストの「三位一体」「贖罪と復活」を教義として引き込んだ形となり、「神・男・聖霊」を認めた。
松田聖子 赤いスイートピー

2024年に日本IBMがタイムマシーンを作ったらどうなるのか?
日本国は12世紀のヨーロッパに戻るのだ。
「大学で何を教えるのか?」が明らかになる。
女たちは「文字曼荼羅」を欲しがって熱狂するのだ。
ロックミーアマデウス

アブラハム、つまり地球で最も重い命とは「贖罪と復活」を考えた令和天皇のことであり、ユダヤイスラムの世界で語られていた「神・男・聖霊」の世界を「大学があるかないか」でラテンウェストとギリシャイーストは区別されることになる。
太陽などで肌の色は決まるが、日本IBMが、中世ヨーロッパを構築するだろう。
2024年以降も世界は続いていくが、そのありようは、12世紀の中世ヨーロッパとして語られることになる。
移民の問題は常に「大学」が解消している。
その「移民」の問題が生じるかどうかがカトリック(ラテンウェスト)と、ユダヤイスラム(ギリシャイースト)の違いでもあった。
恋のカレッジリング 河合その子

日本人は、洋画を見ることで「アメリカ女はいつも裸」という考えに至っていた。
しかし、アメリカ合衆国は「日本人女だっていつも裸」という戦略を取ってきたのだ。
そこで、日本人女としては「できるだけ局部を隠す」ファッションやヘアースタイル、そして雰囲気を重視した。
なぜ、「王子は何を見ても面白くなかった」のか?
そして「組織の頂点の役割を担うための旅に出たのか?」(アヒンサー)
城の中で「次期国王」というFA権を取得したら、あとは「女」を探求する旅だけが待っていた。
あの王子の前ではどんな女も取って食われるらしい。
そういう王子が旅に出るだけで、女たちは「局部」を隠す行動に出た。
図書館には「王子の知恵」がたくさん書棚にあったため、女たちは慎ましやかな服装やヘアースタイル、雰囲気をもっていたのだ。
「図書館にある本を全部読んだら、簡単に女を取って食える」
そのように女たちは考えていたため、図書館にはもっとも魅力的な姿で出かけた。
「大学」の女も当然、そのような行動に出たため、カトリック(ラテンウェスト)は、「女の魅力」という意味においてユダヤイスラムに勝っていた。
「大学とは何か?」それをカトリックは考えていたのだ。
ロマンスは偶然のしわざ

日本国の方が中国よりも「注目に値する」というのであれば、それは「国学」にまで遡らなければならない。
本居宣長や平田篤胤などだ。
「美しい顔」を作る仏教や、「勉学に励む」という儒学をうまく取り入れながらも、契沖は「50音」を作ったし、契沖の作った「50音」に何を乗せるかを本居宣長は考えていた。
荷田春満(かだのあずまろ)は、それを伏見稲荷神社の教えとして「天皇を敬え、政府にしたがえ」という教えに取り込んでいった。
「和歌」というものは「31音」からなるアジアでも類まれな文化であったが、これも所詮はJ-POPに奉仕するものに過ぎなかった。
「ここで一句お願いします」などという人間は卑怯者にしか見えなかった。
現実の「パフォーマンス」ほど優れたものはなかったのだ。
「若さと親しむ」
これがJ-POPの奥義であり、腰痛にきわめていい効果を与えた。
若さと親しむのならば「男子高校生よりも女子高生」が良かった。
日本国の神社はことごとく「その地域の神聖な場所」は押さえていたし、神社に参拝する人は足腰が強かった。
歳をとった天皇から見れば「若者が腰さえ強ければ戦争に勝てるんだよ」という思いがあった。
仏教の「美しい顔」にせよ、儒学の「勉学」にせよ、最後はみんな「腰」をやられていたからだ。
腰を強くするためには、契沖の「50音」に「若い文化」を混ぜ込み、荷田春満はそれに「韻」を踏ませた。
河合その子 不思議バカンス

アメリカ合衆国が初めて日本国に興味を持ったのが「黒船来航」であったが、「白い女」は日本人の足腰をダメにする可能性があった。
中国・オランダまではまだ良かったが、アメリカ合衆国まで相手にするのならば、「痛風」を覚悟しなければならない。
日本人の「美白」は黒船来航で想像できたし、薩摩藩の女・良子(ながこ)が色が白かったことから来る昭和天皇の「痛風の恐れ」も、山県有朋は「お前は色盲か?」とその軍務を心配した。
日本国の方が中国よりも「注目に値する」というのが国学であり、ましてや、タイムマシーンや「贖罪と復活」の理論などにより、人間が時間を越えるようになると、日本国は「イスラムのみならず、ユダヤ、中世ヨーロッパが領土として見えた」のである。
領土確定の問題は日本銀行とも相談しなければならないが、時間を越えるという発想は国学の立場から令和天皇が初めて考えたものだ。

ISISは、四年間のキャンペーンを終えた。
イギリス程度の領土を誇った時代を終え、現在では「1.5キロ程度の東シリアの村」となっている。
私の、「イスラムの祖先は日本人」論が勝利をおさめた格好となった。
現在、ISISは、東南アジアの「暗殺グループ」と結びつこうとしている。
かつて、ISISの「夢」に同調したカティバーナサントラという千名の人がいたのだ。
2002年から2005年、そして2009年にはフィリピンやインドネシアの自爆テロは「アルカイダの仕業だろう」と言われていたが、2018年にはISISの仕業だろうと言われるに至った。
ISISにも500名の死者を出したが、「お前らの死生観はどうなってるんだ?」という問題を令和天皇が明らかにしたことから、まず、アルガザーリの末裔のバグダッドが「ISISの話はしない」ことにしたのだ。
イラクから相手にされなくなったISISは、すでに「ひとつの村のチンピラ」扱いであり、バグダッドなどの首脳は日本国と「もっと大きな話がしたい」と考え始めている。

日本国民は「国連」とさえ言っておけば逆らわない。
このことから、ロシアが国連を持ち出し、中国が国連の邪魔をし、アメリカが日本を国連から外そうとする、というオバマ政権の時の図式に変化が見られる。
中国は「15」の国連担当部署があるが、アメリカは「1つ」である。
しかも、気候変動や移民の問題は「国連総会ではなく個別に」話し合おうと提案したのだ。
アメリカは「鄧小平の方が習近平よりも令和天皇に似ている」としている。
1974年に鄧小平は「世界のハンドルを握りたい」と国連で表明しているが、令和天皇の方が、習近平よりもその姿が似ているのだ。
アメリカはユネスコに80億円を毎年拠出し、世界の教育の「アメリカ化」を行ってきたが、令和天皇の方が「勉強熱心」だったのだ。
ピューリサーチでも19%の全米国民しか習近平を支持していない。
ユネスコの利用の方法が「天気」「プロ野球」「臨時行政調査会」「医学」にまで及んだ令和天皇はアメリカでも人気があり、習近平とは「人気が違う」「ユネスコへの理解が違う」という格の違いを見せつけた格好だ。
習近平をこのように評したアメリカ合衆国であるが、習近平の「令和憎し」は2032年まで続こうとしている。

プラトンは「詩の体系」を構築したが、プラトンの妹と結婚したスペウシップスは、キセノクラテスとともに「詩の体系の克服」を目指していた。
「君」「あなた」には必ず一人の敵がいて、その敵と「三人の男の支持を争っている」としたのだ。
「君」「あなた」に敵を作ったのは、まさに傑作であったし、「三人の男の支持を争わせた」のもブレイクするための基本となった。
AKB48 river

音楽シーンは「一神教ではダメである」「多神教でなければならない」としたのがスペウシップスであった。
「男には敵がいて、三人の男の支持を争う」
これは、男社会の基本であったし、女心を歌う理由であった。
なぜ、プラトンは女心の詩を体系化したのか?
アカデメイアではそのように教科書は変わっていた。
敵がいて三人のジャッジがいるというのではまるで「詩のボクシング」だった。
元プロ野球選手が「俺はおっぱい星人」というので、私が「不幸な男ほど気持ちいいですよね」というと、「三人の男」がいなかったため、その元プロ野球選手とは口も聞かない関係になった。
「三人の男・ジャッジ」がいなければ争っても意味がないのだ。
「何か気持ちのいいもの」
それが「女」であり「女心」であった。
三人の男・ジャッジに「敵」はおカネを与えるだろう。
買収させればいいではないか。詩のボクシングにはそのような規定はない。
生涯のライバルとみなされたら「買収」もないし、プレイファイティング(脅かし行為)をやられるだけだ。
さいわい、三人の男がまわりにいなかったため、「こんなことをジャッジの前でやられたら大変だ」という思いが元プロ野球選手にはあったのだろう。
さすが「男社会の住人」である。
「詩のボクシング」とは男が男社会で生きていくための秘訣であり、それが、アカデメイアでスペウシップスによって教えられた。
敵がいて、三人の男・ジャッジがいるときは「戦え」よ。
女・女心は気持ちいい。気持ちよさこそが、出エジプト記の物語だからである。

ショーペンハウエルは「ストーブリーグ」つまり、シーズンオフに女と関わる機会を保障したし、ニーチェは「父と息子」の関係を明らかにした。
キルケゴールは「街」を作った。
土曜の夜にレインボー 瀬能あづさ

京都学派の西田幾多郎は、「芸能人や皇族の女は処女」と強烈に主張した。
新渡戸稲造は「武士道」において「詩のボクシングは紳士のスポーツ」とし、耳学問(音楽作品を聞く)を勧めた。
夏目漱石は「私の個人主義」において「詩のボクシング」を「男社会の原理」として認め、「空」(みんな仲良く)という日本社会を「前近代的なもの」と位置づけた。
和辻哲郎は「男同士の猥談でも、男たちは喧嘩している」とした。
曹洞宗の寺はその修行にもっともふさわしいと正法眼蔵にも記されている。
いちばん「多数派工作」がうまい男を敬うことを「神道」と呼んだ。
ラミレス解任のあとは「石井琢朗か?」という声もあるほどなので、喧嘩しても仕方のない時期だったのだろう。
「古寺巡礼」の時だけ、男たちは「万葉集、古事記」の時代に戻れる。
男社会の争いごとから自由になれるとされた。
「詩のボクシング」の最高の権威の前ではみんなしか爪らしい態度をしていた。

神社仏閣においては「間」(げん)というものの概念が異なったし、「空」(くう)だけがあった。
日本人の心の故郷であったが、社会では容赦なく「詩のボクシング」が待っていた。
お坊さんたちは毎日「詩のボクシング」に明け暮れていたが、その最高の権威が天皇であり、私は石井琢朗の前で「マザーテレサの言葉」を引用したのだ。
「不幸な男の方が胸を揉むと気持ちいい」
メジャーの力量を見抜く石井の眼力も優れていたのだろう。
世の中は「天皇の前でみんな仲良く」(君が代)という動き方はしていない。
女は「欲望と交換の対象」であり、通貨の起源でもある。
そのような「近代社会」からつかの間の自由を味わいたければ神社仏閣で癒されるのもいいことだろう。
君が代

ユダヤイスラム、あるいは「中世ヨーロッパ」が日本国の領土だというのであれば、当然のごとく「プラトン」「アカデメイア」を理解しなければならない。
プロ野球の世界の「人事」は「詩のボクシング」で動いている。
それならば「新体制発足」という形で休戦協定を結ばなければならない。
「治める」=「人事」であり、安倍内閣も内閣改造をしたばかりだ。
多数派工作よりも「結果がすべて」なのがプロ野球である。
アメリカの連中は自信があるから「率直さこそが最高の武器」と考えているだろうが、日本人はメディアも含めてそうは考えていない。
「国家の中枢が最大の嘘」というのが平成という時代だった。

「常識を知ってくれ。我々は有効かつ正直なメッセージを出そう」
これをアメリカ合衆国は建国史上最長のアフガニスタンでの戦争で学んだ。
しかし、「率直なメッセージ」に自信の持てる人がいるだろうか。
ずっと同じことを続けている人は卑怯な真似をしない。
卓袱台をひっくり返すものは、とにかく「キャリアが浅い」のである。
処女の女は「正々堂々」を教わったし、そうでなければ物事がおさまらなかった。
「罰」それは「女にモテなくなる」ことであった。
卑怯者ぶりを自慢していると「処女にモテなくなる」「病気になる」という罰を受ける。
「この人はお金になるわ」
そんなことは処女でも分かった。
おカネになれば人事もついてくる。
幸福とは「認められる」ことにある。
平成天皇皇后は、決して民から認められることはなかった。
これがあなたの人間観なのか?
一杯のかけそば

男は「人事」によって認められることで「治まる」ものである。
その背景には「詩のボクシング」があり、敵がいて、三人のジャッジがいる。
ヒュームは「英語からアプローチしなければなかなか指導者は務まらないのではないか?」としていた。
大谷翔平を認めない日本人はいないだろう。
貧しい兄弟がいたのならばなぜ兄は弟のカマを掘らなかったんだ?
弟はよりによって銀行マン?
カマを掘られたら「女心」に興味がもてないだろう。
社会の病理面を怜悧に見つめることのできない「心の貧しさ」こそが「貧しさ」の理由だろう。
1960年代から1970年代にかけて「私は処女です」という女性芸能人がテレビに出るようになり「治める」ことを日本国は学習した。
さらには、多くの音楽作品が残ったため、日本国は成熟経済を迎えた。
BIS規制が導入されても、日本の銀行の信用力を疑うものはいなかった。
すべて「女心」に詳しい「詩のボクシング」の愛好家がいたからである。
医者も銀行マンもそれからは逃れられない。
貧しさから自由であること、宝石の大きさなどすべては「詩のボクシング」の強さから生まれている。

ユダヤイスラムや、中世ヨーロッパが日本国には見えた。
しかし、「南米」までは領土として見えなかったのだ。
20世紀中頃に、「詩のボクシング」を行うリベラルな空気はコロンビアだけになってしまった。
アルゼンチンではアルベルディが、メキシコではホセマリア・ルイスモラが、チリではラスタリアが権力を握ったが、アルベルディやラスタリアは「政治学」の教科書で明らかに「詩のボクシング」の手ほどきを行っていた。
女たちは「この人奥さんいるの」と笑ってリベラルな政治を見ていた。
奥さんとの赤裸々な体験談を語っているように見えたのだろう。
アルベルディや、モラ、ラスタリアなどのような「リベラルな」指導者が日本人の風土になじむのは事実である。
ユダヤイスラムや中世ヨーロッパは見えても、南米が見えるのは「19世紀以降」という現状がある。
1812年に「リベラルカデット」という政党ができてからである。
「詩のボクシング」という出世の方法が明らかにならないと、日本人が来たとは言えないわけである。
とにかく「リベラル」「詩のボクシング」「出世の方法」が確立していないと、「お前らの死生観はどうなっているんだ?」ということになるのは南米のスパニッシュアイも同じことである。
マドンナ スパニッシュアイ

時期的には、フランス革命以降、南米がリベラルに呼応している。
キューバとプエルトリコ、ブラジル以外の全土が「ナポレオンによって」イデオロギー的侵略を受けていた。
ナポレオンとは小野光右衛門であろうと考えられている。
令和の時代は、平成天皇のような「保身だけで頭がいっぱい」な天皇では
なかったため「パワフルチャーチ」と呼ばれる、教会法=政治学が浸透した。
「政治家になりたければなにをすればいいの?」
平成にはすべてを見失っていた。
「詩のボクシング」で、敵の男と戦い、三名の男を笑わせることだった。
ロールズもドゥオーキンもラズも、ロースクールでそのことを教えていたが、日本国の法律も「小野臨調」の登場を待たなければ学習しなかった。
フランスでは1812年の憲法が作られた。
1812年の憲法は「カトリックを守るため」に作られている。
妻が貞淑で、政治学が確立されている、これを「パワフルチャーチ」と呼んだのだ。
全人類平等主義が、「知っているもの」を高い位置に跳ね上げた。
ブラジルは「専制主義」を知っていたため、ナポレオンとは異なる立場を取った。
フランスにしたがうということは、ルソーの教育学や、モンテスキューの「芸能界理論」にしたがうことを意味した。
「恋ばな」(司法)が得意で、「お金をばら撒き」(立法)、「テレビに出る」(行政)という芸能界理論はモンテスキューが考えた。
芸能界理論とは異なり、男社会では「詩のボクシング」があった。
1812年のフランス憲法が「理解できる」かどうかはいまだに重要な問題である。
ボリビアにせよ、南米が「脱植民地化」したのは、日本国の明治維新と同じ時期であり、「日本国の影響」は明確に受けている。
ナポレオン(小野光右衛門)が用意し、ビスマルク(小野慎一郎)が、実現させたのが「南米の日本領土化」であった。
現時点では、「日本国は南米の1812年前後を狙った」としかいえない資料しか出てこない。
南米の連中も最終的には「アメリカ合衆国進出」を目指し始め、いろんな問題を引き起こしているのは周知だろうが、トランプ大統領の怒りを「日本国の問題でもある」と考えるのは非常にいい効果がある。
芸能界理論や「詩のボクシング」が確立していれば、処女アイドルを「株式買取請求権」を行使して嫁にするだけのお金も若者にはあった。
カトリックの「パワフルチャーチ」はこのことから生まれている。
教会のお金をお借りすることもあっただろうが、勉強の度合いが問われるだろう。
メキシコのモラはそれで権力を維持したし、「私はカトリック」と言う人が多かった。
AKB48 サステナブル

「おカネを得ることは安全につながる」
このように考えられている。
なにしろ「死生観」が違うし、そもそも「日本人が贖罪を経て復活した」姿で生きているため、学ばなければ命が危ない連中と化していた。
チリのラスタリアにせよ、日本の明治維新、王政復古を熱烈に支持していた。
「日系人が多い」だけでは済まない問題が「タイムマシーン」や「復活」にはあった。
苦労という苦労なんてなかった。
外務省のバックには財務省があったからだ。

16世紀から17世紀に、サラマンカ学派というのがスペインとポルトガルにあり、スペインはオランダも支配していたため、徳川幕府もサラマンカ学派の影響を受けたことになる。
マネタリスト経済学を標榜し、偉いおじがいると「家庭内で話題に出ると不愉快だ」ということから「お中元・お歳暮」などの贈り物をする習慣があった。
二人のドミニコ会修道院のメンバーつまり、フランシスコ・デ・ビットリーアとドミンゴ・デ・ソトと、二人のキリスト教徒つまり、ルイス・デ・モリナとフランシスコ・スアレスがサラマンカ学派を作った。
このメンバーが「徳川幕府の将軍の地位の継承」を日本に教えたと考えて差し支えない。
バーゼル委員会において「聖母マリアには罪はなかった」という概念が固まっていたため、自然と「詩のボクシング」も明らかになっていたし、それでいて、カネをもうけて、「おじ、おばに贈り物をする」という習慣を身につけたのだ。
文法や仕事、そして「神」について議論をまとめていったため、日本の大学入試の「古文」において江戸時代の文章が出題されることはない。
自分の「パーソナルディテール」を親族に至るまで明らかにしなければ将軍にはなれなかった。
そういう意味においてはフランシスコ・デ・ビットリーアは「トマス神学」の影響を受けていた。
将軍はみんな「告白」を行っていた。
沈みかけた太陽を元に戻す力を持ったものは万物をつかさどる、これは神道であり、将軍や天皇への愛を歌った曲もある。
hiro confession

カルヴァン派および「処女」というものはサラマンカ学派によって江戸幕府に紹介されていたものと思われる。
処女がグループにいなければ治まるものも治まらない、伊豆の踊子でもそのことが描かれている。
「古い因習」と川端康成は語っている。
帝国大学の「新法」に対して、処女が治めるというのは「旧法」と呼ばれた。
「天子さま」にいずれ生まれ変わる、東京の人間はそのようにして天皇を尊敬した(谷崎潤一郎の細雪にある)。
法律に関しては「小野臨調」で出させてもらったが、とにかく「友情とパートナーの分離」(所有と経営の分離)がなされている。
ribbon 君ならば大丈夫

サラマンカ学派の指導のもとで日本にも「藩」ごとに「体制」というものはあったが、時限法という概念が浸透しないと「告白」をした後継者により「殉死」させられるものもいた。
先代の意を借り、後継者を虐待したものが殉死させられていたのだ。
女たちの適正な分配を行わない場合に、「殿様」の地位を望むものは虐待の対象となった。
この、サラマンカ学派はスペイン・ポルトガル・オランダにその影響力は及んだが、アフリカやインドを支配してしまった。
「告白」をした天皇や将軍、殿様はその後「知性」を発揮するのが簡単だった。
皇帝「カント」ですらのちに「懺悔」「告白」を行っている。
「大奥」と呼ばれる政治犯収容所・施設の女たちとよく話をしなければなかなか指導者にはなれなかっただろう。
「行政」というものが芸能界を背景に行われたため、カトリック国も「偶像崇拝」を容認している。
1930年に、サラマンカ学派の「告白により指導者を選ぶこと」が国際法となっている。

日本の令和天皇も「自分が何をやったのか?」の認識があまかった。
「永遠の命」
それは、仲間作り(道徳)であり、男らしさ(宗教)にも影響を与えた。
キリスト教のみならず、ユダヤイスラム、さらには、インド・チベット仏教にまで影響を与えたのだ。
仲間作り(道徳)と宗教の区別が最近まで困難だった。
仲間とは違うサインで呼び合う、それが「宗教」だったし、そこにはなんら説得力のある教義のようなものはなかった。
仲間作り(道徳)と宗教は同じともいえたのだ。
すべては、アブラハムから始まった。
タイムマシーンと復活が現実のものとなってから宗教は始まったのだ。
SPEED White Love

「君たちはどのように生きるべきか?」
そんなものにはなんら人間としての説得力がなかった。
「死を超越した」
それがなければ宗教ではない。
ホメーロスが詩を作る時に、「死を超越する」ことを理解していないと思うか?
キリスト教・ギリシャ哲学・ローマ法が令和天皇の肉体に流れ込むのを感じた。
混乱を治めた経験が「誰一人として」なかったのだ。
「死を超越する」ことが「治める」ということであり、そうでなければ宗教は生まれなかった。
仲間とは違うサインで呼び合うことなどばかげたことだ。
イエスキリストは「復活」したあとにどうなったんだろう?
死んだという報告はない。
つまりは「復活」を考えたのだ。
ソクラテスは「女たちの支持」を取り付ける学問をやった。
アリストテレスは、「アレキサンダー大王の家庭教師」でありながらプロレスラーだった。
面白い連中ばかりが哲学史に残っているが、すべては「永遠の命」のためであった。
今まで雑談していた連中が、急に「秘密のサインで呼び合おう」と宗教を持ち出してきた。
そんなものは道徳(仲間作り)に過ぎない。
永遠の命の意味も知らない。
山上の垂訓(マタイ5~7)は、このことを言っており、ユダヤの敵・サマリア人にせよ、「隣人とは来世のあなたである」ということを明らかにできなかった。
くだらない「仲間とは違うサインで呼び合う」連中が歴史上確実にいたことを聖書は刻印したかったのだ。
トマス・アクィナスは、「告白」というものを「人類学を理解する力量」と考えた。
東京大学に入った自分はたしかに偉かった。
しかし、「心ないおじ」を含めて「彼らの論理」を明らかにすることを告白と呼んだのだ。
自分の弱味を握られることを「告白」と考えるような了見の狭い輩を一蹴した。
さらに、男社会のゲーム(プロ野球)を「女たちの支持」を得ることで結果を予言したこともある。
人類学はその予言のための入門であったし、女たちの支持を得ることも最終的には「永遠の命」「復活」に向けられた。
「タイムマシーンに何ができるのか」「贖罪を経た上で永遠の命を手にできるのではないか?」
令和天皇に日曜日などなかった。
しかし、永遠の命を確立したらおそらく満足して休むであろう。
中世にルネッサンスが起きたというが、日本国では平成天皇は後継者の最有力候補に「自殺」を命じている。
王位継承で磔も行ったし、処刑まがいのことも行った。
21世紀になっても宮内庁にルネッサンスは到来していなかった。
最高に知的な者以外はアフリカ人と何ら変わることはなかった。
ルネッサンスとは「王位継承の際にも処刑のない時代」という意味だ。
カントは、「男性にこんなことを言われたら嬉しい」という女性たちの研究をしたクリスチャン・ウルフの影響を強く受けた。
平成天皇にとって「純粋理性批判」とは「なにか高尚な書物」にすぎず、それが「仲間とは違うサイン」で書かれていたことが後継者が処刑をまぬがれた原因となった。
ヨハネの黙示録は、「女たちの支持を得ろ」と教えていたし、タイムマシーンもそれがなければ成り立たないことからそのような教えとなっている。
「詩のボクシング」も女や女心を知らなければ成り立たないものだ。
男社会で生きていくのが嫌ならば、女として「復活」するか?
あるいは「熱く命を燃やす」のが嫌ならば、暗闇から「明るく輝いているいじめられっ子」を憧れの眼差しで見るか?

「永遠の命」を探求していくうちに、十字架蛇説が分かるようになった。
イエスキリストは、十字架にかけられて、「青銅の蛇」をケツにぶち込まれたといい始めたのだ。
しかし、実際は「長生きを約束する兆候であるヘルペス」が尻にできたのだ。
「外国に行ったから」「ネズミに噛まれたから」などの原因はヘルペスに存在するが、ようするに「外国に通じていた」「ネズミ(年寄りの婆さん)に人気があった」から、ヘルペスというものはできるのであり、マダムキラーでなければかからない病気だ。
イエスキリスト=マダムキラーであるというのが「青銅の蛇」をケツにぶち込まれたと大騒ぎしたイエスキリストの正体であり、十字架蛇説とは「イエスはマダムキラーだった」「外国に通じていた」というものであり、尻のまわりにかゆみができたものと思われる。

アフロディシアスのアレキサンダーは、紀元前1世紀には、アリストテレスの教えを受けて、プロレスのマイクパフォーマンスで「詩のボクシング」をやっていた。
かなりの下ネタが含まれていたため、ヨーロッパ中世はアウグスティヌス以降という通説が、「セックスを神聖化したのはアスグスティヌスであっても、アレキサンダーの面白さはもはや中世である」という論陣に対抗される形となった。
天国について、いじめられることについて、記憶について、などの論文を書き、いかに「詩のボクシング」というプロレスのマイクパフォーマンスで強くなるかを探求した。
「お前、俺がまぶしいか?俺が輝いて見えるか?いじめなんてのは固い糞がしたいだけの人間のすることだ。ただ生きているだけ?暗闇からは光しか見えない。歴史に残るのは光だけだ」このようなマイクパフォーマンスを行い、あとは「叩いているふり」をすればプロレスラーになれた。
マイクパフォーマンスで勝ったほうがプロレスに負けるのも基本である。
アレキサンダーの台詞は週刊プロレスにも載ったし、聴衆はもちろん覚えていた。
彼の「思考形態」さえ覚えれば、現実社会でも出世できたのだ。
アレキサンダーのマイクパフォーマンスはそれほど人気があった。
団塊の世代の皆さんも、アフロディシアスのアレキサンダーというプロレスラーを見たいと思うのならば、中世ヨーロッパは「アウグスティヌス以降」ではなく、紀元前1世紀からということになる。
日本国のニーズにこたえて「ヨーロッパ中世」という概念は決まっているからだ。
「考え方が同じ」
それがプロレスラーの周りにファンが群がる秘訣である。
しかも、社会人としても偉いのだ。
本もよく売れた。
これがプロレスだった。
天国について、いじめられることについて、そして記憶について、という三つの論文だけでアレキサンダーはその肉体美で女性たちを魅了することができた。
さらに、アレキサンダーは、運命についてという論文を書き、「俺が何を言ってもこいつにはかないません」という哲学の奥義を示した。
人々は「偉大な哲学者が何を言うか」を聞きに来ていたし、しかし、彼が負けるのを見に来ていたのだ。
研究に研究を重ねるごとに、人々が敗北を望むようになっていた。
CoCo 優しさに帰れない

アメリカ合衆国にとって、日本国の「贖罪と復活」という概念の確立や、「タイムマシーン」の完成は「嬉しい知らせ」だったようだ。
日本国の段階の世代の「移住先」は日英同盟のもとにあった「20世紀のイギリス」まで紹介された。
ホワイトヘッド(1861~1947)が、女の子は「男の子がいなければ数字が覚えられない」とし、幼児教育における「女子校」は禁止されていることを紹介している。
女性アイドルの「好きな数字」を調べてみたが、乃木坂46の与田祐希の「9」が出てきたにとどまる。
普通は「1」か、過去から逃げ出す前の「7」だろうが、「ジェラシーを見た」男がいたのだろうか。
globe joy to the love

イギリスにおいてはこのことは常識であり、英国国教会の王子が書くタブロイド誌によく取り上げられている。
喧嘩したあとは激しく燃えるよね、などの理由から「9」が好きだという人がいてもいいだろう。
いちばん「イコール」が成立したのが「好きな数字」であり、イコールは「両想い」という意味でもある。
家庭内の「豊かさ」も分かるとされ、「男の数を数える」のは「王子の仕事」と呼ばれ、海外のアイドルや女性芸能人をタブロイド誌で笑いものにしていた。
本当にウケた「ボーアモデル」とも言われる。
騎上位を経験すると「私は歴史になった」と考えるとも言われる。
また、「胸から先に行った」のも記憶に残りやすい。
このように、私は現在この記事を書いているが、「イギリスしかこのことを知らなかった楽しい時代」が日英同盟を支えたのだ。
20世紀の英国紳士になるのも「復活」先として挙げていいとされる。
逆に「好きな数字は特にない」という女性には性欲減退の兆候が見られる。
また、翌朝に、女が「レタス」を出してきたら、男はかなり高感度が高い。
自分が「好きな番号って俺のことだったのか」とあとで思うことになる。
ドリカム あなたにサラダ

また、16世紀のフランスもお勧めだ。
タキトゥスの「ローマ史」にしたがって国づくりをしたルイ14世の時代だからだ。
タキトゥスの「ローマ史」から「好きな人物を見つけて欲しい」という気持ちもこめて勧められている。
たとえ、現在の東京大学法学部が認めなくても、司法=恋ばなをする場所というのがマクシミリアン裁判所で認められていたのだ。
30年戦争で「フランスはカトリック国」ということが確立したのもマクシミリアン裁判所によるものだ。
タキトゥスは「裁判記録の残し方」を示したし、明治維新以降の「東大法科」を批判するのにちょうどいい書物だ。
恋の喜びと痛みを民に公表したルイ14世は「私の時代」と言ったし、日本の美智子皇后だの何だのがあほらしく思える。
賢い男はこんなバカはやらかさないよな。
それを証明するのに100年かかって「カトリック国」は出来上がった。
日本という島国が嫌になることは誰でもあるだろう。
そのためにアメリカ合衆国も「日本人の心」を歓迎したのだ。
ribbon 真夏のフェミニスト

与田祐希の話しをしたが、あながち名誉毀損ではない。
人間は「心の目で見て頭で聞く」さらに「イメージを感じる」とされ、気持ちよかった経験をみんなで共有しようとする。
しかし、「分かってくれなかったか」といって私生活に戻っていく。
誰も「私も(俺も)感じた!」などとは告白しないのだ。
マスターベーションは罪深いかもしれない。
しかし、人間の「負」の側面を用いている。
20世紀に「名誉毀損という議論は簡単ではない」とされ、やたらと「名誉毀損」を口にする弁護士は落第点を押され始めた。
人間には「個」と「公」がある。
「公」「イメージダウン」と言っているうちは「女性の社会参加」は成立しない。
ボクシングの試合も本当にあったのかは覚えていない。
写真だけが残る。
「真似して生きよう」
それだけが「写真」の意味である。
「異性に愛されたい」
これも「写真」の意味である。
あとは「心の風景」はいくらでも本で出版できる。
写真家の仕事は「生々しさ」を撮影することだ。
象を見たことがない人にも「象」をわかるようにすること。
「あ、あの人だ」
これさえ分かれば写真の役割は終わりだ。
すでに「情報のある」人物の写真は格別の意味を持っている。
「どこを目指している人なのか?」
これを明確にしなければならない。
アリストテレスの肖像は「ファンタスマ」と呼ばれた。
SPEED DEEP BLUE & TRUTH

「女を口説くのが仕事」である現状があるが、そのことから「気象コントロール」「プロ野球必勝法」「タイムマシーン」などが作れる。
「恋の秘密は写真にある」とも言われた。
写真は「右から左へ」と見ていくが、両目が「50度」の角度で人物を捕らえるのは「センター」だけだ。
もし、私も、かつての中川翔子さんの卒業写真が「端っこ」にあったら「かわいい」とは思わなかったかもしれない。
みんな勝手なもんでね。
自分の目が楽で「いい保養」になればいいと思っている。
最初に「センター」に抜擢されるだけで「不動のセンター」になってしまうのだ。
敵の多い人は「感じにくく」なっている。
王子が「何を見ても面白くない」と考えるようになったのはそのためだ。
「女」そのものに飽きる人はいない。
あるいは「男」だろうか。
自分の「敵」が多くなっただけなのだ。
1960年代に「写真集」というものが考えられたが、敵の多い人への精神治療が目的だった。
女の子が「仲間が多い、何かやってくれそう」な男に恋をする理由もこのあたりにある。
Melody 運命95

「写真のある時代」つまり、明治維新以降に世界の人口が爆発的に増えたというのは不思議ではないだろうか?
「復活するのならば写真のある時代に」
これも一理あるほど魅力的なものだ。
その人の「情報」さえあれば、あんがい、写真というのは修正が必要ないものだ。
性欲が刺激された時に人は笑うものだからね。
写真があってようやく人は「共感する」ということを覚える。
人間社会の発展は「写真」とともにあったのだ。
日本人が「復活するのならば20世紀がいい」と考えたことから人口爆発が生じたと考えられる。

女は皆同じ、それはアタナシウス派の考えであり、「ミクロ」に注目したことから主張されたものだ。
一方、「女の子にもいろいろタイプがある」というアリウス派の主張は異端とされたものの、「マクロ」として残った。
子供たちは、マクロから学ばされ、「ミクロを知るとマクロにも興味を持てなくなる」ことがある。
おニャン子クラブ 乙女心の自由形

 

「女の子にもいろいろタイプがある」
この「マクロ」を追求したのがシュンペーターである。
エロビデオを見ていると、どうしても「女は皆同じ」というアタナシウス派の境地に至ってしまうが、
おニャン子クラブの時代の「マクロ」は、ベビーブームの世代が上がるとともに「ミクロ」で激しく燃え上がり、そしてバブルは崩壊した。
「女の子にもいろいろタイプがある」
これは「女たちだけが知っている」ものであり、しかし、アタナシウス派は、「そのことをベールの向こうに」押しやってしまうためにミクロつまり女は皆同じという立場を正統とした。
まるで「マクロに興味があるのであればどうぞ興味を持ってください」と言いたげだったが、実際に「女の多様性」を研究したシュンペーターも、私の「女シリーズ」も「アリウス派異端」という指摘は受けていない。
アタナシウス派は、セックス(ミクロ)を正統とし、マクロ(女の多様性・ファッション・ヘアスタイル)などに対してはオープンな態度をとった。
「社会学」とは紳士の学問であるとされ、ズボンのチャックは子供の頃から「社会の窓」と大人たちが教えた。
女たちを「皆同じ」としてしまう窓がちんちんであり、マックス・ウェーバーにせよ、シュンペーターにせよ「女の子にもいろいろタイプがある」ということを探求した。
これを「社会学」と呼ぶ。
ミクロが「セックス」であり、マクロが社会学の縄張りとなる。
国が豊かになるのであれば「使える方を使う」という発想は必要となるだろう。
野菜シスターズ AKB48

「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済」だとするのならば、マクロとミクロ、アリウス派とアタナシウス派の区別の仕方は「もはや明らか」と思われる。
1880年代のオーストリアで発展した議論であり、1880年代のオーストリアの「バブル経済」を経験したい人はアメリカも容赦なく「1880年代のオーストリア」を紹介してきた。

どの専門家も「ミクロ経済学からは入れ」と言うだろう。
大学時代に彼女ができることを想定しているからだ。
そのあと「金儲け」を始めたら、時計でもなんでもブランド物を身に付ければいい。
ヘミングウェイも「マクロ」にし興味がなかったであろう。
ribbon 出逢えてよかった

ハイエクは、マクロにせよミクロにせよ「みんな居心地のいい配置についている」とし、そこからはぐれた者が精神科に通院しているとした。
「叶わぬ夢」「混乱」だけはどの女もノーサンキューだったからである。
「私の体が目当てなんでしょう?」
この女の言葉は常にマクロからミクロへと男が目指していることを端的に表現し、「利上げ圧力」「インフレ圧力」「失業率の増加」の三つがこの言葉だけで実現してしまう。
田中れいな 愛の炎

「私の体が目当てなんでしょう?」
この「利上げ圧力」「インフレ圧力」「失業率の増加」は、「転がる石」とも呼ばれ、ローリングストーンズの永遠のテーマとなった。
ローリングストーンズ 悪魔を憐れむ歌

この「私の体が目当てなんでしょう?」ということを邪魔する「インフレ阻害要因」は、囚人のジレンマがまず挙げられる。
高井麻巳子 こわれかけたピアノ

あるいは「歴史上の人物になりたい」という集合無意識が指摘できる。
この二つしか想定できないが、有名人とネットで日常的に接することができる時代には、強烈な「インフレ阻害要因」が存在することになる。

さて、「地獄の沙汰もカネ次第」と言われるが、マルクスは「贖罪と復活」の行き先も「階級社会である」ことを指摘している。
20世紀のイギリスや、19世紀のオーストリアのような「写真のある時代」は人気があるだろうが、ルイ14世の時代も人気がありそうだ。
そのあとに、ユダヤイスラム圏が庶民に開放され、中世ヨーロッパなどが広まっている。
「どうだ、お前が吸っているのは酸素だ」
そのように「映画マトリックス」では言われている。
マトリックス

さて、私が今まで語ってきた「贖罪と復活」および「タイムマシーン」の話が「シオニズムのことではないか」と思わないだろうか?
これはシオニズムである。
シオニズム

アメリカ合衆国が、なぜ、令和天皇に好意的な情報を提供してきたのだろうか?
アメリカとイスラエルが同盟国だからであろう。
日本国が「法律先進国」となったからであり、世界最大の国家になることを見越して、日本国を「シオニズム発祥の地」とすることにしたのだ。
もちろん、太陽のもとでみんな一緒に死ぬのならば怖くはない、などという「強がり」にも似た批判はある。
しかし、伊勢神宮には「五亡星」が刻印されているのは周知であろう。

「転がる石」に対しては、女の子の「何度目かの失恋の準備」がともなうことも指摘できる。
「お兄さん目当ての弟との付き合い」「妹目当てのお兄さんとの友情」などが存在するのだ。
恋するフォーチュンクッキー AKB48

「お兄さん目当ての弟との付き合い」「妹目当てのお兄さんとの友情」は、障害物があるため決して叶わないとされ「0=2」とも呼ばれた。
しかし、そのような形で「女の子」「男友達」に恵まれた「お兄さん」は、ヒルベルト空間と呼ばれ、非常に優秀な男になるとされる。
ヒルベルト空間を壊したくないというのは「メシア信仰」でもあり、女の子にとっては「もっと耳を澄ませて」「さよならの逆説」とも言われた。
工藤静香 さよならの逆説

「お兄さん目当ての弟との付き合い」「妹目当てのお兄さんとの友情」は、「男だけが気持ちいい」「女だけが気持ちいい」という構図が出来上がり「何度目かの失恋の準備」「もっと耳を澄ませて」という「処女」を多く生み出す。
私も弟と妹がいるが、周囲に女は確実にいたし、友達にも困らなかった。
「兄弟」「兄と妹」などを理解しないと、幼少期の経験も「贖罪である」とされるため、「復活」の議論は深まらないだろう。

また、19世紀中頃に、フリードリヒ・アルベルト・ランゲによって「体育館」というものが考えられた。
子供の教育の研究を行ったのがランゲである。
1848年の共産党宣言なども「体育館」とともに生まれている。
マルクスもエンゲルスも「体育館」の裏を「左翼活動の基盤」と考えていたのだ。
放課後の体育館にはクラスのマドンナがいた。
その女の子を口説くための言葉が「体育館の裏」で飛び交った。
新カント派はランゲが作った。
美女(アイドル)をモノにできる新カント派と、そうではないマルクス主義はここで二つの流派に分かれた。
子供たちは体育館の裏でそれを学んだのだ。
美女をモノにできるのであれば体制を破壊しようという動機がない。
「社会への怒り」なんて女次第だった。
知的に生きるか、活動家として生きるか、それが新カント派とマルクス主義の違いだ。
女の子にモテなかったというだけで、男の子は左翼活動にのめりこんでいった。
19世紀中頃の「革命騒動」と出くわしたければドイツも「復活」の行く先としてあげることが可能である。
おニャン子クラブ 体育館はダンステリア

キリスト教圏が「初めて非キリスト教圏を相手に戦争した」のが第一次世界大戦であり、皇帝オットー・ノイラーの「情報源」を断ち切ったことから、ヨーロッパ全土が宣戦布告を行った。
ノイラー真似さえしていればいいという新カント派は、ノイラーの怒りに同調したのだ。
バルカンはヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、哲学の情報源となっていたが、その情報源を断った奴がいたのだ。
西部戦線で死んだものは皆、日本人であった。
西部戦線異状なし

オスマン帝国およびハプスブルグ家は、第一次世界大戦終結をもって解体された。
オーストリアという国は、このことから「ハプスブルグ家の国」とされ、ヒトラーすら輩出している。
ベルサイユの薔薇の伝統を守れ、これがオーストリアという国になっていた。
男が「勃つ」かぎりカップルは分かれない。男は敵が少ないと勃つ。
世界が「芸術の都」と呼ぶ以上、女たちは「薔薇」のような存在だったし、男は「勃たなければ」ならなかった。
ベルサイユの薔薇

男が女に惹かれる。木からリンゴが落ちるのを見てニュートンはそのように見ていた。
ニュートンはそのことに「原罪」を見いだし、それが「月」までリンゴの高さが到達したらどうなるかを考えた。
重力とは「地球のローテーション」が原因で生じていた。
しかし、「月をキーステーションにして」人間を地球のローテーションから自由にすることは可能なのではないか?
これがつまり「タケコプター」である。
perfume zero gravity

私が「イスラエルをキーステーションにして」日本人にタイムマシーンを提供しようという考えも、「月をキーステーションにして」タケコプターを日本人に提供しようという考えも「6G」と表現することが可能である。
なにしろ、令和天皇は生きているものだから、タイムマシーンにせよ「贖罪と復活」にせよ、タケコプターにせよ、「俺も使いたい」というのならば、令和天皇と「笑顔、言葉、生き方」を比べられざるを得ない。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

タイムマシーンと「贖罪と復活」そしてタケコプターを利用するときに初めて人々は「祈り」を知ったのだ。

「6Gとは何か?」を明らかにしたら、いったん我々は「その影響」について語らなければならない。
少なくとも、天皇制は安定するだろうが、子供たちは体を鍛えるのをやめてしまうだろうか?
肉体を競い合わない子供たちはいない。
そのことから「民の支持のある君主制」は、部活動や体育会などの「奴隷制」をきわめて「高感度の高い」指導者のもとで存続させるものと考えられる。
タケコプターがあるだけで、メジャースポーツは衰退しかねない。
ましてや、肉体労働や土建国家、鉄道にまでその影響は及ぶ。
Queen of Venus rebecca

「君臨すれども統治せず」
この言葉の意味を、支配のない自由恋愛と解することも可能であるし、介入のない、と解することも可能であるが、誰もタケコプターの登場によって「激しいセックス」を失おうとは考えていなかった。
「奴隷扱いとトレーニング」は人類の歴史だったはずだ。
「素晴らしい、しかし予測できない」これが各企業の率直な反応だろう。

「6G」を作るとなると、それが令和天皇が発案したものであることから、「体制論議」に発展せざるを得ない。
ドラえもんを知らない人や家庭はないが、インテリほどタケコプターに頼るだろうとか、激しいセックスを求めるリベラルな民主党と、タケコプターを使う共和党に政党がいよいよ二分化するだろうとか、家族は娘を「しずかちゃん」のように大事に扱うだろうとか、令和天皇は「あれが6Gを考えた人よ?」と言われて街を歩くだろうが、「君臨すれども統治せず」という言葉の意味をよく考えなければならない。
タケコプターなんていらないよ、というリベラルな連中に寛大であることや、すでに整備された鉄道網・道路網などとうまく共存していこうとするものと思われる。
自動車に数百万円のお金がかかっても、タケコプターは「スマホ代だけ」なのだ。
自分の足で立つ連中とタケコプターを使う連中という政党の分かれ方をするであろう。
天皇を支持するものは共和主義者である。
「王の真似」をして生きるのが共和主義だとされていたが、王がタケコプターまで考えてしまうのだ。
令和天皇は、自民党や公明党と親しく、時に支えてきたが、それでも、その存在は「扱いが難しい」ものとされていた。
ここで「6G」の登場から自民党と公明党が「共和党」として「令和天皇の軍門に下る」方向を見ている。
一方の野党は「民主党の復活」という方向を見ている。
「転がる石」は、「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」というマクロと「女は皆同じ」というミクロの両方を見ながら経済政策を打っている。
タケコプターは、マクロを見ているし、リベラルはミクロを見ている。
「私の体が目当てなんでしょう?」という転がる石は利上げ圧力・インフレ圧力・失業率の増加の3つを意味する。
インフレ退治を得意とする共和党と、雇用対策を得意とする民主党の二大政党制が日本国でもいずれ実現するだろう。
「6G」「タケコプター」を使うかどうか?
それだけでも強烈な対立軸にならざるを得ない。
令和天皇の真似をして生きる、それが共和党であり、タケコプターである。
一方、「贖罪と復活」に関してはすべての人にオープンであるが、「復活先」に階級格差があることから、これも政党に分かれなければならない。

なにしろ「強靭な肉体」は、多数派工作には欠かせないものとなっていたため、タケコプターをスマホ代だけで用いることができると言われても、タケコプターと用いるという「ジーザスサークル」に入ったおかげで「失ったものの方が多かった」という証言がのちに得られることになる。
「学ぶ力」「資金力」のどちらをとっても「4G」は「6G」に引けを取らなかったし、歳をとって「6G」を選択したおかげで、満足に恋もできなかったという人もいた。
4Gの方が男らしい(デディクト)と言われ、6Gは「女々しい男」という意味を込めてデレと呼ばれた。
松田聖子 マリオネットの涙

アラブイスラム神秘主義思想は、「光」をテーマにしている。
天地創造の6日目に神が「光よあれ」と言ったことから女性は動物ではなくなった。
しかし、そもそも「光」がなければ男は「勃たない」のである。
「見て」聞いて触って想像して、血液がペニスに流れ込むことを勃起と呼ぶが、光がなければ男は勃起しないことになる。
性に目覚めないと子供は「悲しみを知らない」とも言われ、親の命が永遠ではないことに枕を濡らしたりするのだ。
神は光であった。光はランプにあった。
ランプはガラスでできていた。
これが「アラブイスラム神秘主義思想の奥義」であり、太陽が沈んでも「ランプがある」ことを性欲の起源に求めた。
rebecca cotton time

このことから、スーフィズムにおいては、「照明で女の子を照らす」ということがコンサートで行われるようになった。
男を照明で照らしても、それは「社債権者集会」に過ぎず、大した権限は与えられていない。
しかし、女を照明で照らしたらそれは「株主総会」であり、3分の2の同意で取締役(興行主)を解任できる。
つまり、「ハコ」が3分の1しか埋まらなかったら、経営権を失ったのだ。
「照明で照らされた女」そして「音楽作品」にニーズがないということは、マクロとミクロの「何かを間違えた」ことを意味し、経営権の問題となった。
取締役は「女の子にもいろいろタイプがあるでしょう?」ということと「女は皆同じ」ということのどちらに支持が集まるかを観客席を見て判断した。
それは、財務省や日銀にまで伝わった。
愛の炎 田中れいな

処女たちは、照明に照らされ、音楽作品を歌った。
コンサートの3週間前までにはアルバムを出し、その1%あるいは300枚を購入したものの言う通りにセトリを作った。
時には「大株主さまに処女を買い取ってもらう」「嫁にする」という「株式買取請求権」を行使するものもいた。
イスラム法学者のアル・ガザーリが、人々に経済政策を知ってほしいという趣旨からこのような仕組みは生まれた。
セルジューク朝になって、民間人同士の結婚が進み、この「オークション方式」は廃れたが、シラス学派が研究を深めていた。
日本国においても「株式買取請求権」は一度は忘れ去られていたし、一部の芸能プロダクションが「美女」を抱える形となったという意味ではシラス学派となんら変わりはない。
片思いの終わりに 亀井絵里

「歌唱」の権利をより高い値がつけられると思うのであれば、「株式買取請求権」を行使すればいい。
マクロ(AKBグループ・坂道シリーズ)がいいのかミクロ(ソロ)がいいのかは時代によりけりだ。
音楽作品の意味は、哲学書を紐解く必要があるだろう。
しかし、プラトンが作った音楽作品は、アラブイスラム神秘主義思想の世界では「花嫁探し」に用いられたし、「歌唱」の値段を跳ね上げるほどの学のあるものは、花嫁には困らなかったのだ。

令和最初の夏休み。
僕と君は令和天皇がどんな世界を作ろうと、その社会と契約することを誓った。
「タケコプター」「タイムマシーン」「贖罪と復活」「気象コントロール」など、かなり時代は進むだろうけど、僕と君は2019年という時代に「体制側」に立つことを決めたんだ。
AKB48 サステナブル

このように、「作品の価値」をもっと高度な評論を加える力量のあるものは、
AKB48のメンバーに「株式買取請求権」を行使することができる。
つまり、東大生とAKB48のカップルの誕生が可能となるのだ。

リチャード・フィッツラルフは、平成天皇がいて、長男次男連合と三男アブラハムという「死のブロック」ができてしまった以上、アブラハムは「永遠の命」「贖罪と復活」に到達せざるを得ないと考えていた。
信仰というものは、アブラハム以降に生まれたのであり、人は他人を尊敬していない。
しかし、アブラハム(令和天皇)が構築した「道」を歩まないというほど人間は自由ではなかった。
人間はお互いの夢と夢がぶつかり合っていて、自ずと令和天皇が作った道を歩むだろうと考えたのがフィッツラルフだった。
信仰というものが日本国で生まれるのはもはや必然であった。
令和天皇が自らの命を「地球よりも重い」と考えていた以上、それによって作られた「道」に人々はついてこざるを得ないとしたのだ。
瀬能あづさ 永遠に友達

令和天皇も、自分が一人で強くなったとは思ってはならない。
まず、ユネスコが世界レベルで「学問のアメリカ化」を推進し、80億円のお金を出してくれたこと、さらにはイタリアのミラノの「職人の富」が、常に「ナチスへのレジスタンス運動」にお金を出していたことを理解しなければならない。
シオニズムなどという発想は「ナチスへのレジスタンス運動」だということを知らないといけないのだ。
ヒトラーは、父親を早くに亡くしたこともあり、「永遠の命」など信じてはいなかった。
自身の生い立ちだけでも「アブラハムへの怒り」は生じるものだ。
常に、父親と雑談しながら、部屋に戻ってとんでもない仕事を成し遂げるアブラハムをヒトラーは憎んでいた。
また、ユネスコやミラノに育てられた男に「妻がいるのに」恋をしてしまう女もいた(バカげた恋)。
パジャマでドライブ

また、フローレンタイン教育(ユネスコやミラノによるもの)は、「弱すぎるものを強くしたいだけ」とも言われており、令和天皇は「王子の頃は弱すぎた」ということは謙虚に認めてほしい。
エロビデオを見て「女が嫌がっているじゃないか?」と考えてしまう政治的弱者がいて、それに悩む女がいる。
十戒 中森明菜

詩や舞台、歴史、戦争マニュアルを知らないものならそもそもマキャベリは「王子」にはしなかった。
人気のあるものを「なんで人気があるの?」と思って研究しないのならば、自分は人気者にはなれない。
しかし、そのような探求をしていると「人気者ほど病んでいる」ことにも直面する。
その「病んだ側面」すら愛せないのならば、これもまた王子ではないわけだ。
高貴な側面と病理面を知らなければならなかった。
「美しいものだけを見て生きていきたい」というのでは、高度なエンターテイメントを演出するのは不可能だった。
破滅したヨブの前には「病人」だけがいた。
そうだ。
あれほどまでに憧れたスターたちの姿なのだ。
ノーブルレッドの瞬間 国生さゆり

月の次に地球に近い惑星をご存知だろうか?
ホーキング博士は「水星である」としているのだ。
月の利用の仕方すら分からかったのだ。
「月と水星のムーブメント」「2つの天体の異なる動き」を利用して「どこでもドア」を私は考えた。
しかし、この研究はかなり時間をかけなければならないだろう。
項目を改めたい。

月の次に地球に近い惑星をご存知だろうか?
ホーキング博士は「水星である」としているのだ。
月の利用の仕方すら分からかったのだ。
「月と水星のムーブメント」「2つの天体の異なる動き」を利用して「どこでもドア」を私は考えた。
しかし、この研究はかなり時間をかけなければならないだろう。
項目を改めたい。

 

2019年9月 9日 (月)

小野光太郎の禁煙物語。

禁煙などの禁断症状。
初日は、気持ちだけで何とかなるものだ。
しかし、頭痛が起き始めると厄介だ。
甘いものなど「痛みに効く」ものを摂取すると頭痛は3時間程度は治るし、あるいは「横になる」だけでも頭痛は治る。
しかし、12時間後には男は「仁王立ち」を始めるだろう。ここからが禁断症状との戦いである。
コーヒーなども一時的な救済にはなる。
カフェには女もいるしね。
「どんな時に頭痛がする?」
これを克明に記録に残すのだ。
お風呂はいったとき?メシを食った後?
案外、「腰痛」と深く関わっていることがMRIのデータから明らかになっている。
500mlのコーヒー、2Lのスポーツドリンクが有効であることが明らかになっている。
MRIを撮ってみると脳の水分が少なくなってきたからだ。
採血をしてみることも、検査目的ではなく、「自分の血液を肌に当てる」という意味で有効性が見られる。
適当に苦しんだ後に「お米」が食卓に出てくる。
何がトラウマで頭痛になったかは必ず記録に残しておかなければならない。
頭痛が「風邪」に変わったら禁断症状はかなり困難な問題になる。
逆に、コーヒーやスポーツドリンクで「頭痛」を乗り越えるごとに自信になっていく。
女の「頭痛の種」は男よりも多い。
タバコなどまだ軽い。
覚せい剤や酒にも応用が効くため、私は「禁煙」に施設で取り組むことにしたのだ。

不安や不眠をタバコや酒でうまく緩和させている人がいる。
このような場合は、タバコをやめろと言っても難しい。
睡眠誘導剤を飲む習慣のある人は、「2Lのスポーツドリンク、500mlのコーヒー」を最大限に生かして、さらに睡眠に支障をきたさない。
逆に言うと、睡眠誘導剤を飲んでいない人ならば禁煙は無理、という側面もある。
医療費が生活費の40%を越えると、貧困層であることを意味する。
そのような層には必ず睡眠導入剤が処方されている。
スポーツドリンクやコーヒーを買っても割に合うのがタバコの値段だ。
医療費が生活費の40%を越えると、「医者がメスを入れる」行為すら「死んじまえ」と言われているような気がする。
医療費が生活費の20%~30%が穏当かなと思うが、それでもタバコをやめたら儲けが出る。
医療費が生活費の10%ならば「酒、タバコ、覚せい剤をやめる理由はない」とされる。
スポーツドリンクやコーヒーという理論が確立している場合、タバコを吸う行為は「私は生活保護です」「医療費無料です」と言っているに等しい。
睡眠導入剤が処方されているのならば「なぜ、都合よく利用しないのか?」「タバコをやめても眠れるんだろう?」という方向で考えなければならない。
芸能人などの「突然の死」を研究してみると、「いつも同じ服を着ていることをバカにされた」という理由があんがい重要だ。
ここで、「生活保護」=芸能人もようやく「タバコをやめる理由」が見つかったのだ。
スポーツドリンクにコーヒーというのは当然の前提であるが、いろんな「可能性」を研究しなければならない。
介護の場合は、実費は四分の一しか負担していないのが家族であるが、老いた人は「死ぬ前は霊的・スピリチュアル的に生きたい」と考えており、タバコをやめるぐらいならば知的に生きたいと考えタバコを吸ってしまう。
落ち込むこと、心配、痛みの多い老後だ。
宗教を語りながらタバコをふかしたり酒を飲みたいのだろう。
「死」「宗教」に狂った人間から税金を取るのがタバコであるとも言え、若者や中年世代には「関係ないだろう」と言われても仕方がない。

睡眠導入剤と、スポーツドリンク・コーヒーがあればタバコはやめられる。
しかし、年寄りの「霊的・スピリチュアル的」余生の友がタバコであり、酒である。
ハンフリー・ボガートのような「タバコを吸わない中年がカッコいい」という提示がなされないと、なかなかタバコをやめようとは思わないものだ。
成年後見人がつくようになると、年寄りの楽しみへの配慮と、子供たちへの影響、年寄りの自殺の予防、医者の考えを聞くことなどの要素から、なかなか、年寄りに「財布は握ったからタバコ代は出さない」とは言いづらいものがある。
これらの研究から、成年・中年でも「生きるか死ぬか」という連中がタバコを吸っていることが分かる。
「生きるか死ぬかならば命が危ないじゃないか」というのがタバコのリスクのことであり、お金の問題が問われ、人体には直接の悪影響はないに近い。
私はまだ経験していないが、人工呼吸器で気道を確保した人は、タバコを吸わなくなるとされる。
呼吸のありがたみを誰よりも痛感するからだとされる。
「呼吸ができなければ人間は死ぬものだ」
それを骨の髄まで叩き込まれたら人間はタバコを吸わなくなる。
自分の「脳」「知性」が何よりも大事だと思っている人はそうなるとされる。
ガンや心臓病を経験した人は、タバコを吸う人に「あっち行って」というがそのような理由がある。
私は人工呼吸器など経験しようとは思っていない。
スポーツドリンクやコーヒーでやめられるのが一番楽でいい。
人工呼吸器で気道を確保したことがあることから、呼吸の大切さを知り、タバコをやめたという話を聞いて、それならば、「お風呂にこれでもかというぐらい潜り」「呼吸の大切さを知る」という新たな方法を私は考えた。
もちろん、人工呼吸器は「6週間余計に生きるため」「1%の生存率に賭ける」ために用いられるものであるため、「お風呂での修行」もそれなりの厳しさは求められるだろう。
もっとも、人工呼吸器を用いる場合は、モルヒネを投与されているため、患者は「酸素以外に求めていない」というかなり過酷な修行なのだ。
あくまでも、禁断症状である以上、睡眠導入剤を用いている人が、コーヒー500mlかスポーツドリンク2Lを飲むということを踏まえたほうがいいのだが、たとえば、「他人の手のぬくもりに飢えている」などの特徴が禁断症状にはともない、自分で自分の手を握ってみるということなども可能性としては考えられる。
お祈りしてお賽銭を投げるというのは、それなりの根拠があるのだろう。
入院というのは「自分の社会的評価の出口」という側面があり、日常疎遠だった人も「病気になった」と聞いたらお見舞いに来る。
自分の社会的評価の再確認ができるのが入院であり、病院では「構内全面禁煙」にしてもさほど抵抗がないという現状がある。
「自分の社会活動が不当な評価を受けている」(せん妄状態)が喫煙の原因であることがある。
周囲の「ご苦労さまでした」という愛情に囲まれながら眠るだけでもタバコは吸おうとは思わないのだ。
周囲はその人の「前向きな発言」が嫌いだっただけであり、一万円から百万円という五桁から七桁の数字の勘定が「百円」などの三桁に変わるだけで愛情を取り戻せる。
時には、「タバコを吸って仕事をした」ことから失神して病院に来る人もいるが、ICUに入ったら、入院に必要な備品が一通り、家族によって用意されていることに気が付く。
時には「体ひとつで」救急車に乗る必要もある。
このような効果が「入院」に存在するならば、家で「入院ごっこ」をすることも時には有意義だろう。
自宅療養である。
タバコの吸いすぎによる血中酸素不足や、血中二酸化炭素上昇は「どこかで無理が来る」ものである以上、適当に怠ける以外に方法はない。
タバコ代も高いし、お金や銀行口座と相談しながら、自分で対処するしかない。
基本に戻るが、「頻尿の気」を「痛み」と認識し、タバコがやめられない人もいる。
これも「ゆったりとした生活」を送ることから治るものだ。
頻尿の気からタバコがやめられないのならば、そのうち前立腺にトラブルを抱えかねない。
いろんな意味で「休んだ方がいい」のだ。
タバコ代がなくなればそれは「食べ物」「交通費」に変わる。
これが「脳」にどれほどいい影響を与えるであろうか。
家にいても「太陽の見え方」が変わってくるのだ。
太陽が変われば神経や心臓の痛みも変わる。
子供の頃の「日曜日の太陽」は特別ではなかっただろうか?
禁断症状の克服にはこのような「いい効果」があるのだ。
さらに、禁断症状がなくなれば、「おしっこのコントロール」もうまくなり、やたらトイレを探して落ち着かないというようなこともなくなる。
「太陽の見え方」とどのような関係にあるかは分からないが、「栄養」「交通」の二つの意味を変えると「トイレ」の意味も変わってくるのだ。
「不規則なおしっこ」は、人間の意識レベルを下げ、私はそのために司法試験に受からなかった。
この「太陽の見え方」「栄養」「交通」「トイレ」をうまくコントロールできないことは結局は「心臓」に悪影響を与える。
「タバコの有害性」の正体はここにあるのだ。
「心臓の手術は24時間かかる」
これを聞いただけでも、喫煙者は「トイレはどうするんだ?」と聞いてくる。
タバコを吸わない人にとっては「まったく考えていない質問」だったのだ。
「どうにかなるだろう」
これがタバコを吸わない人の考え方だった。
「トイレの心配」は、長い人生をトータルで見ると「どこかの体の痛み」になって表現される。
グラウンドに夕方までいることは少なくともなくなるわけだ。
さらに、喫煙者は「呼吸」のタイミングの取り方が下手になり、「間の取り方」が何もかも下手になる。
少なくとも、私は、世界を飛び回るほど活発なタイプではなくなっていた。
ribbon deep breath

このように、喫煙者は「糖尿病になる素質が十分」な人間として出来上がる。
糖尿病・心臓病・脳卒中のような「感染症ではない病気」はいまや、「医学界のロックスター」と呼ばれるほど注目を浴びている。
10月のタバコの値上げの前に私は、是非とも「禁断症状と向き合う」という経験談を記さなければならないのだ。
40歳になると、無料健康診断の案内が届く。
しかし、レントゲン撮影は「胸だけ」なのだ。
「胸だけ?」
それでもこれほど多くのことが分かるし、そろそろかなという時期に差し掛かったら、タバコというものをもう一度考え直さなければならない。
肺のレントゲンは「肺がんの早期発見」のために撮るのではない。
タバコを吸う人かどうかの区別をしたいだけなのだ。
なにしろ、3~4時間の麻酔でも「肺にダメージを与える」ことになるからだ。
麻酔している間も肺は「タバコが欲しくて仕方がない」のである。
麻酔をしているにもかかわらず咳をしたりする。
寝ている間の咳は好きにすればいいが、手術中は危険だ。
タバコを吸う人に、目を閉じさせて、足をピンで軽く刺してみると、その反応はタバコを吸わない人よりも鈍い。
さらに、常温のフォークを体に当ててみても、「お湯で温めたほうが分かりやすい」と言う。
つまり、手にせよ足にせよ「肉体で触られたがっている」のが喫煙者だ。
128BPMのマッサージが有効であるし、性的関係を日常的にもてるだけのお金とパートナーがなければ、タバコは有害性ばかりが強調されざるを得ない。
セックスにもお金がかかるし、「勉強するのにタバコが必要」と考えるのならば、当然、東京大学とのつながり(国内最高の先生)を想定しなければならない。
そうでなければ、体のあちらこちらに不自由を抱えた老後しか見えない。
東京大学やスタンフォード大学の先生の本を読んでいるのならばまだタバコを吸う理由が見当たるが、そうではなく、「作家志望」でタバコを吸っているのであれば、「性的パートナーに不自由し」「体の神経が鈍る」という結果しか人生においてはもたらさない。
それならば、少なくとも128BPMでマッサージを受けられるだけのお金だけは捻出しなければならないだろう。
逆に言うと、東大出身者、スタンフォード出身者、ハーバード出身者を解雇する「タバコを吸う」上司が通常いるとは想定できない。
大学で真面目に勉強し、その後も大学の情報に敏感であり続ける男が、「組織で必要とされる」のも、タバコを吸う上司が「女を必要としている」「お金を必要としている」からであるという側面がある。
このことから、むしろ「揉まれる喜び」から禁断症状克服が可能なのではないか?と私は考えた。
「マッサージ禁煙法」である。
「目、肩、腰にエスファイト」というビートたけしのCMが昔あったが、嫌煙ムーブメントが進むとともに消滅している。
ビタミンB12が「マッサージと同じ」効果が認められたのだ。
ビートたけし エスファイト

タバコを吸う人の手の感覚は「軍手」とも皮肉られ、敏感に手を使う仕事ができない。
また、女子高生のスカートの短さは「タバコを吸う人」のためにあるようなものであり、嫌煙ムーブメントが広まると、女子高生も「スカートの短さにニーズがない」ことを悟る。
また、英語で「サラミ」と言うのだが、食生活で「食わず嫌い」を直していく作業も禁煙の禁断症状にはいい効果がある。
「食い物で冒険しない奴」はタバコがやめられないという側面がある。
年寄りになると、「モルヒネを使えばどのみちタバコはやめてしまう」ことから、精神科医療とは異なり、外科病棟などはおのずと「入院のハードル」は高くならざるを得ない。
精神科医療は極端な話、「疲れた」というだけで入院してくる人がいる。
あるいは「家族に怒られた」なども理由のひとつだ。
その分、喫煙所を設ける病院もある。
しかし、モルヒネを用いる意思を固めている病院は、構内全面禁煙となっている。
モルヒネを用いる病院においては、「将来にわたって治すつもりがない」という医者の意思表示と同じ意味であるとされ、従来の刑法では殺人罪と呼ばれていたが、最後には医者が「自殺」を勧めているというのが終末期医療なのである。
そのことを考えるのならば、タバコを吸ってもいい精神科医療の対象の患者も襟を正さなければならないことを「病院」においては知っておいてもらいたい。
アメリカのオレゴン州では7割以上の人が「医者の手で」命を断たれている。
つまり、安楽死である。
私は高校時代にオレゴン州にホームステイしたが、レスリングで突き指した時に、コーチに「スプレインド」(突き指)したと言ったら、「お前は医者か?」と言われた。
医学用語を用いるものは「死」に直結する、そんな州がアメリカ合衆国にはあるのだ。
オレゴン州は「もっとも権力から遠い州」と呼ばれている。
タバコを吸って、ノー天気に精神科医療のお世話になっているうちは「権力」はまだ目に見える範囲内に残っているはずだ。

おさらい。
①コーヒーとスポーツドリンクを飲む。
②ゆっくりと横になる。
③マッサージをする。
④女子高生の足を眺める。
⑤食わず嫌いを治す旅をする。
⑥エリートの部下を大事にする。
⑦お風呂で素潜りをして呼吸というものを考え直してみる。
いろんな逃げ道が禁煙の禁断症状にはある。

オレゴン州では、モルヒネを投与された患者が「痛い」「疲れた」と言い始め、さらには「食べない」「飲まない」挙句の果てに「ベッドの上でバウンドし始めた」ら医者も家族も「そろそろだね」と考えることになる。
モルヒネを用いると、「最初の入院の理由」以外の、悪くなった部分が見えなくなる。
私は「腰が痛い」と医者に言ったが、「入院する以前の問題」として門前払いになっている。
世の中の「元気な人」「はつらつとした若者」ばかりに目が行って、社会の病理面を知らないと、自分が多少不自由があっても恵まれていることに気が付かないのだ。
私も作家をやっていると「女性の感性」「痛みを感じる側面」の重要性を感じることが多い。
しかし、アナボリックステロイドを用いて筋肉・筋力をつけると、このような「感性」を失うことがある。
このことから、アナボリックステロイドの禁断症状というものはなくても、「感性を身につけたい」と考えて使用した覚せい剤やコカインへの禁断症状は存在するのだ。
みんな「筋肉はつけたい」と考えていても「バカにはなりたくない」と思っていた。
資金集めのために「小説」を書こうと思ったら「女心」を理解しなければならない。
そのために、筋肉がげっそり落ちる、アスリートとしての末路を、資金不足とともに迎える人もいる。
かつての名声も地に落ちて、場末で戦っているボクサーも多い。
資金集めをするためには「女心を知る」「感性」が必要だ。
しかし、覚せい剤やコカインへの禁断症状が筋力の低下に直結してしまう。
覚せい剤やコカインへの禁断症状とは「勃たなくなる」ことであり、パートナーと喧嘩して修復不能になったら、筋力は落ち始める。
このことから「ポルノを見て勃つかぎり、タバコを吸う必要はないんじゃないか?」というアプローチは可能であろう。
アイコスなどのようなものは、タバコの「プラセボ」であり、4週間後に心臓の手術をします、大量の輸血をしますので覚悟してください、などと言われると、自然と「自己流の健康管理」を断念してアイコスのようなものを吸い始める。
赤の他人と健康状態を合わせなければならないのは「4週間後の輸血」であり、そのような事情がないのならばタバコの方がいいと考えてしまう。
他人の血液を自分に輸血することを予告されたら、心臓や肺を「人並みに」しようと考えるし、しかもそれが「命にかかわる」手術だったらなおさらだろう。
それでもタバコではなくアイコスで妥協しようとするのだ。
自分に合った血液を100L用意し、3~4時間の手術で「咳をしないため」に深呼吸を繰り返す訓練を始めてようやく「その時」を覚悟するのだ。
深呼吸を繰り返すというのも禁煙の禁断症状に有効であることがここから分かる。
禁煙の禁断症状と戦ってみて、とにかく最初は「疲れる」「やつれる」という現象が見られる。
しかし、悪性腫瘍でもない限り、体重の減少はないし、「タバコを吸う人だ」という偏見から、食べ物に毒物を盛られて、音楽作品の歌詞にやたら詳しくなることもなくなる。
「疲れる」「やつれる」と昼間の眠気が生じるが、禁断症状とは本来「頭痛」との戦いであり、昼間に眠気が生じるのならば、一服吸ってもいいのではないだろうか。
禁断症状と向き合ってみて「疲れる」「やつれる」というのは、タバコが心臓や肝臓、リンパなどかなり根の深い問題となっていたことを教えてくれる。
禁煙してみて「疲れる」「やつれる」というのは、自分にとってタバコがどのような存在と化していたのかを理解する上で必要なことなのだ。
「疲れる」「やつれる」というのは慢性疾患特有の症状であり、タバコが心臓や肝臓、リンパなどにもはや「慢性的な」悪影響を与えていることから、禁煙が疲れるのだ。
体に痛いところも出てるかもしれないが、湿布を貼ってゆっくり休むしかない。
「あの人の部屋はタバコ臭い」
それだけで、料理を担当する女は「差別」を行っている。
タバコの有害性というよりも「食事の有害性」が心臓や肝臓、リンパに慢性的な病気を引き起こしていることがある。
「タバコをやめました」というメッセージを周囲に広めることは決して悪いことではない。
食事はもはや「脳幹反射」の問題であり、心臓、呼吸、瞳孔反応に影響を与える。
喫煙者にとってもっとも怖いのは「タバコの有害性」を信じる主婦であった。
両手を合わせてお祈りする習慣を身につけたら、タバコから遠ざかり運気が上がることは当然あるだろう。
医者に「呼吸が荒い」と言われたり「パーキンソン病」だと言われたりするのはすべて、料理を担当する主婦の「差別」が原因だ。
女たちは常に「多数派工作」を行っている。
「タバコを吸う人は悪だ」という口実で料理に何をやっているか分からない。
行政の監督の下にある喫茶店やレストランでもそれは同じなのだ。
ズボンを履く時によろけるなどの症状は、すべて脳幹反射の問題であり、食生活を疑ったほうがいい。
男は常に「食事」に対しては受け身なのだ。
「タバコの有害性を信じる主婦」の信仰心だけはどうすることもできない。
「美味しんぼ」で「タバコを吸う料理人」が究極からも至高からも批判されていたが、料理を握る人は、タバコを吸う人の命を預かっている。
心臓、肝臓、リンパのみならず脳幹反射までそれは及ぶ。
食事が「筋肉」にまで影響を与えるのはもはや言うまでもない。
筋骨隆々としていた若い頃があっても、「引退」した時にタバコを吸って涙を流したという話はよくあるが、タバコがのちの人生にあなたに何をするかまでは責任が取れない。
女たちは「タバコ一箱分のお金でどんなにおいしい料理が作れるのか?」を熟知している。
そのあたりも、「音楽作品の歌詞に詳しい自分」という現実を踏まえて、「食事に混ぜられている毒物」を疑ってみたほうがいい。
タバコを吸ったおかげで「文化人」としての夢がかなうことはもちろんあるのだ。
政治家としても成功するかもしれない。
しかし、「薬四錠程度」を飲む理由はタバコが原因だと考えたほうがいい。
私は寝る前に「薬五錠」飲んでいるが、そのうちの四錠はタバコが原因だろう。
夢を見るのは性概念が定着していない少年少女の問題だ。
大人になっても「夢が見たい」のならばそれは病気だ。
文化人・政治家として「夢が見たい」というのは、眠っている時に見る「夢」と深く関わっている。
夢枕に立つ人のメッセージに根ざした行動であり、精神分析(夢判断)の問題だ。
朝、起きた後の「一服」もその人の人生である以上、誰も介入することはできない。
自分の夢がかなうことにとにかく「興奮」しているのだ。
世の中には大臣もいれば平社員もいる。
ピラミッド構造がある以上、その「興奮」を止めるのはもはやタバコしかなかったのだ。
男が「タバコを吸う構造」は明らかにできるし、薬を四錠飲むことにつながるが、それならば「睡眠導入剤を利用した禁煙」は当然、可能であることを意味する。
ゆっくりと横になったり、コーヒー・スポーツドリンクを飲むことは、内臓疾患や脳幹反射にいい影響を与えることは明らかである。
眠る・起きる・上達するというカレンダーには常に「興奮」がつきまとう。
そこで眠れなくなったりして「上達をやめてしまう」方向に人体が作用したりする。
それならば、「薬四錠」とうまく付き合っていくしかない。
タバコを吸うのをやめるのならば、ピラミッド構造の世の中の現実を理解するしかないのだ。
もしも、この「寝て・起きて・上達する」ということから成り立つピラミッド構造が、年齢による「階級別」ではなく、「無差別級」ならばとてもではないがタバコはやめられない。
天皇から内閣総理大臣、そして大臣、下級行政機関という「心理学」において、自分の「役割」が「階級別」に評価されなければならないし、周囲もその「心理学」に敬意を払わなければならない。
いずれにせよ、この「階級別」の「心理学」で自分がもっとも祝福され評価される居場所を見つけなければならないし、
「その若さで無差別級?」という無謀なことは行わないほうがいい。
社会のピラミッドは「心理学」によって、自分なりに居場所ができるようになっている。
彼女や家族が「今のあなたはすべてうまく行っている」と言ってくれることも重要となる。
脳のネジがぶっ飛んだり、脳の神経がぶち切れそうな、無差別級が有害であり、若くして無差別級に身を置くと、20年もすれば適応してしまうかもしれないが、寿命は保障できない。
おしっこ、呼吸、感染症、歯の痛みなどの問題を引き起こさない場所をスウィートホームと呼ぶのであれば、常に家族から愛されなければならない。
出された食事を大事にし、ナージングホーム(手厚いもてなしのある家庭)として、常に、崩壊を恐れ、よく眠らなければならない。
社会から受ける「評価」と、自分の「夢」の調和を取らないといけないし、パートナーがいて、子供たちがいて「気がついたらみんなが楽に暮らしている」という状態を「ベースライン」と呼ぶのであれば、
ルカ1:46 マリアは言った。彼には強さが約束されている。彼を恐れるものに祝福を。
という聖書の一節は、タバコを吸わない夫・ヨゼフとの間に出来た子供のことを言っている。
当然、その子供とは「イエスキリスト」である。
旧約聖書が「タバコをやめさせて献金させる書物」だとするのならば、新約聖書はその子供が実際にどのように「強さ」を見せたかという物語であろう。
ヨゼフとマリアが「夫婦仲がよかった」「イエスの誕生をアブラハムも祝福してくれた」というのであれば、当然、ヨゼフは「勃った」ことを意味するし、LSDやMDMAのような薬物とは無縁だっただろう。
大工という職業は、「技術に満ちた男」という意味であり、現在では、ハイテク産業の技術者であるのと同じ意味である。
堅実な職業を持つ父・ヨゼフと、結婚するまで処女だったマリアの間にできた息子の「環境」はきわめて恵まれていた。
私は、イエスキリストとは、「ワクチン」を考えた野口英世ではないかと疑っている。
また、個人的には、私の曽祖父の小野達郎と同一人物だろうと推測している。
腰痛の記事でも述べたが、エジプト王朝を滅ぼした「ワクチン」であるが、日本国は野口英世のおかげで「日韓併合」「台湾割譲」などを受けている。
中国がアジア地域に戻ってくるまでに「200年」の歳月が費やされたのだ。
「勃起」というものが、「見て、聞いて、触って」「想像して」そのうえで、ペニスに血液が
流れ込むものであることから、薬物は「想像する」という部分に致命的な影響を与え、勃たなくなるのだ。
しかし、タバコにはそのような側面は存在しない。
それでも、タバコは「栄養」「交通」の費用を食ってしまうし、「太陽の見え方が変わってくる」「おしっこが気になって仕方がない」などの悪影響がある。
端的に言うと「マラソンができなくなる」とも言われる。
腰痛の議論とワンセットで禁煙の問題を提起させてもらったが、似たような議論なのだ。
私もそうであるが、せん妄状態(カネか夢か分からぬ暮らし)に陥ると、「時計とカレンダーを身近な場所に置かない」という状態になる。
時計とカレンダーを目に見える場所に置くことから入らなければ禁煙は成り立たない。
時計とカレンダーを常に見える場所に置くということは「心配事を最小化する」とされている。
私は、2~3年分の心配事を、ドカンと経験したようなものであり、腰に負担は来るわ、タバコは吸うわで、大変な思いをした。
また、目覚ましで目を覚ますことが、どれほど健康にいいだろうか?
歳をとって、仕事を引退しても、なかなか「悠々自適」とはいかない現状がここにある。
「カネか夢か分からぬ暮らし」(せん妄状態)において、時計とカレンダーも見ずにタバコを吹かし続ける、眠る起きるのサイクルを繰り返す、そんなことをしていたら、視力や聴力にまでタバコは悪影響を与えかねないのだ。
私はたまたま「腰と財布」が悲鳴を上げたが、それがなければ集中治療室(ICU)に送られるまで働いたであろう。
いわゆる「老醜」というものが「せん妄状態」であり、通常は「85歳以上」の人がカネか夢か分からぬ暮らしをするが、作家である私は立場を守るためという理由もあるが48歳でそれを経験したのだ。
さいわいにして、私は英語のあらゆる文献を読む才能に恵まれたため、英語の医学書を読んでいる。
「老醜」にとって必要なのは、薬物に頼らずにドーパミン・セロトニンなどの快楽物質を脳に流すことである。
「栄養」「交通費」「太陽の見え方」「おしっこのコントロール」にともなう「思考力の低下」も起きる。
病気になっても、子供たちは財産目当てなのが明らかであり、入院して周囲に「ご苦労さまでした」と言われることもない。
そのような「年寄りの悩み」が本来、禁煙にともなう禁断症状の研究だったのだ。
50歳を越えると、いよいよ人生そのものが「ヘビー級」「無差別級」となっていくことになる。
ここから「カネか夢か分からぬ暮らし」(せん妄状態)とタバコの関係が直結してくる。
「高血圧」の声もここから聞こえるようになるのだ。
認知症というのは、たしかに「メモリーロス」(記憶を失っていくもの)であるが、50歳を過ぎて「時計もカレンダーも見ない」「そもそもこのあたりの記憶がない」ということから波及して、配偶者の下の名前すら忘れていくものだ。
30代~40代ならば「子供の頃の記憶」もあるし、20代の頃の「奴隷経験」も記憶に残っている。
しかし、85歳を過ぎたら、50歳以降の無我夢中な時期と、それ以外の記憶があまり区別がつかず、そのことを結果的に「応援」してしまうのがタバコだった。
このような年寄りは、いろんな意味で「感染しやすい」ため、オレオレ詐欺などの標的になる。
アメフトやボクシングなどの「コンタクトスポーツ」は若者の特権であるが、年寄りは「コンタクト」「人間同士のふれあい」を求めている。
300万円など「ガンの治療代」としか思っていない節がある。
騙す側も「ガンの治療代」と割り切らなければ罪悪感に苦しむだろう。
私も、48歳で「腰が痛い」ことから、腰痛と禁煙の研究を始めたが、放置していたらALS(筋萎縮性側索硬化症)になっていただろう。
痛いのが腰だけだったのでまだマシだった。
ホーキング博士は、物理学は分かっても、医学は分からなかった。
専門分化とは恐ろしいものだ。
17歳で自然気胸の治療で入院した時は、季節、日にち、月、年、病棟、病院、街、県、国は当然のように覚えているが、30代以降はこれらの記憶は残っていない。
これが、そのまま「喫煙の歴史」であり、その根の深さは心臓や肝臓、脳幹にまで及んでいる。
一日一日の「喫煙インパクト」はこれほど「記憶に残らない」ものなのだ。
この「記憶のメカニズム」はそのまま、アルツハイマー病につながりかねない。
せん妄状態が「早発性痴呆症」などと呼ばれた時代もあったのだ。
とにかく「無我夢中で覚えていないだけ」だった。
タバコを吸うと、仕事がはかどる、知的な労働ができる。
しかし、「無我夢中で何も覚えていない」という本人の言い分も、周囲から見れば「ボケてる」としか思えない。
気がついたら子供たちが「財産の取り分」で揉めていたというのはなんとも不幸な話だ。
その前に、一度、横になったらどうだろうか。
叶わぬ夢、守ってくれる人がいない、これは不眠につながる。
私は、東大に合格し、東京に出たが、実家に帰った時には熟睡していた。
祖父母の願いをかなえ、親の愛情のもとに、当面の目標もなかったときには、タバコも吸わず、熟睡していたのだ。
これは「禁煙の原点」ではないだろうか?
叶わぬ夢に寝るタイミングに迷い、親の庇護のもとにもいない、眠れぬ夜にタバコを大量に吹かす。
自分なりの「熟睡できた頃の原体験」と、「どんな条件がそろっていたのか?」は当然、研究室でも問題にしなければならない。
叶わぬ夢、守ってくれる人がいないというのは、結論としては「心拍数の問題」とされている。
オリエンタルラジオは「ピコ太郎の登場に眠れない日々が続いた」とされている。
眠れない、タバコを吸う、これも「心拍数の問題」と表現することが可能だ。
「無我夢中で何も覚えていない」
これを、早発性痴呆症と呼ぶのならば、脳のMRIは、心拍数の高い人は「脳がむしろ活発に動いている」ことを示している。
「何も考えない」「くよくよしない」
年寄りは「長生きの秘訣」としてそのように言うしかない。
受験や就職で願いが叶い、親の愛情のもとで熟睡した、この「心拍数の問題」を禁煙に生かさない手はない。
目の下にくまを作っている人は「眠れないから」ではなく「一晩中タバコを吸ったから」そのようになっている。
だったら、眠る前にプリンでも食べてみようか?
叶わぬ夢、そのために引き起こされる混乱はこのように「不眠」「タバコ」に直結する。
でも、「夢」「混乱」をどの医者が相手にするだろうか?
心療内科か精神科だろう。
タバコを吸うことを覚えると同時に「四錠の薬」がおのずと用意される。
それ以外の「遊び気分」のタバコならば議論する必要はない。
落ち着かないでバカバカタバコを吸っている人は「心拍数が高い」のである。
深呼吸させたり、あまいものを与えたり、時には精神安定剤も必要となる。
親がもういない、人生がうまく行かないなど、「誰にでもあること」からそうなっている。
「おいしいものを食べて、お風呂に入ればいやなことすべて忘れられる」そんな境地になることも必要だ。
子供の頃、喘息だった人は、大人になって「太ってタバコを吸う」ようになっている。
喘息で眠れない経験を持っているだろう。
だったら、なぜ、今、静かな夜を楽しまないのだろうか。
いつ寝るかの決断が必要?
それならば、寝る30分前に「ワインドダウン」と呼ばれる入浴をしよう。
一度ワインドダウンをしたらもう何の作業もしない。
それでもよく眠れるようになる。
寝室に入ったら、テレビもラジオもスマートフォンも、ビデオゲームもタブレットもない方がいい。
20分経っても「眠れない」「ダメだな」と思ったら「ウォークマン」「iPod」だけは許可しよう。
睡眠導入剤を飲んだあとの一服がうまいんじゃないか?と思うだろうが、ワインドダウンのあとにそれをやるのならば、夜中の一時頃までは眠れないだろう。
貧乏ゆすりが止まらないという人もいる。
特に、夕方からゴールデンタイムにかけてがひどい。
しかし「ストレッチとマッサージの時だけ止まる」のだ。
だったら、そのような病気ではない人も「ストレッチとマッサージ」をやったらどうだろうか。
子供が夜泣きをすることがある。
体のデカイ先生が怖くて泣いているのだ。
あなたは大人になっても「体のデカイ先生」のおかげで眠れないだろうか?
子供の頃、父親が「相撲」を取ってくれなかったんだろう。
朝8時から9時に、頭がだんだんスッキリしてくるのが分かる。
これは宇宙の神秘と呼ぶしかない。
世界共通の経験なのだ。
この時間にも寝てる?
だったら、理解する必要がある。
日本人全員が「8時から9時の神秘体験」を経験しているのだ。
ハブられたら大変だ。
睡眠が規則正しく取れれば、タバコの本数は減る。
眠りのつき方はすでに述べたが、女の子の中には朝4時から学校や仕事の準備をしている人もいるし、普通は7時頃からだろう。
遅刻しないようにし、鉄道でけっこうな距離を移動し、レクリエーションやスポーツでの競争などをする。
なぜ、子供たちは学校へ行くのか?
それは「睡眠」というものを知ってもらいたいからであり、カッコつけでタバコを吸っても一日三箱というわけではない。
睡眠さえしっかり取れれば、脳幹反射は正常化し、「成績優秀スポーツ万能」などともてはやされる。
学校や仕事に普通に通っているだけでそのようにいわれるのだ。
脳幹反射がうまく機能することはこれほどのメリットがあり、運転がうまくなり、高速道路での致命的な事故もなくなる。
教習所で「運転の適正」を検査するが、このような生活習慣を調べているのだ。
5~15%の人は「夜勤」をやらなければならないが、不規則シフトワークというものは睡眠でのトラブルが多くなる。
不規則シフトワークが「タバコを吸うきっかけ」になる人もいる。
夜勤のある仕事をやっている人はモディオダールのような精神刺激薬を服用する。
割増賃金があってもあんがい割に合わない。
精神科医療の現場では、夜勤の看護師やヘルパーがいるが、当然、「薬の処方」がなされている。
「夜勤明けでつらそうだな」と思ってみていたが、薬は確実にあるのだ。
2~14時間の飛行機での旅は時差ボケというものを引き起こすが、時間がそのままずれるのではなく、4~8時間程度「眠くなる時間がズレる」とされている。
とにかく、到着したら「まぶしい」のである。
このような時も、飛行場でタバコを立て続けに四本吸ったりする。
飛行機に乗るのが仕事という人もいるが、タバコを吸う習慣がついてしまう。
このような「時差ボケ」のストレスをなくすためにはブドウ糖が必要となり、機内で酔っぱらったり、ジュースを飲む必要がある。
なかなか「ノート型パソコンで仕事」というわけにはいかないのだ。
叶わぬ夢、そして混乱が喫煙の原因となるという話しをしたが、タバコとジュースが「知性を跳ね上げる」のは事実なのだ。
「知性を跳ね上げる?」
それが、やがて、叶わぬ夢と混乱につながるのだろう。
しかし、一時的にでもそれが必要な人はいる。
だが、タバコとジュースで知性を跳ね上げたいのであればアクタミンやメタボリンのようなビタミン製剤や、ビタミンB12を飲まなければならない。
「知性ドーピング」というものがもしあるとするのならば、タバコとジュース、そしてこれらの薬であろう。
そうでなければ、いずれ、ひどい腰痛に悩まされることになる。
おしっこが気になって思考力が下がるのがタバコであるが、アクタミンやメタボリン、そしてエスファイトがあれば、一時的には「知性ドーピング」は可能である。
しかし、たとえ司法試験に受かったところで、世の中の現実は「だったら何?」という反応が返ってくるだけなのだ。
叶わぬ夢、そして混乱のある人は、時に「先生」と呼ぶ人が出てきたりして、周囲は「熱病だ」「洗脳されている」と考えてしまう。
そのような時は、看護スタッフを総入れ替えして、窓側に面した病床に入院させるしかない。
とにかく「混乱」しているからだ。
栄養を与えることも必要だ。
栄養を与えてくれる人が「先生」であるとみなされるからだ。
「マインドコントロールの恐怖」という前に、医学的にアプローチしなければならない問題だ。
定年になり仕事をリタイヤした人が、「24時間温泉気分」と言って、一日中お風呂につかることがある。
高校を中退して無職の若者もそのようになることがあるのだ。
そのような男の子・女の子は、「目」にコンプレックスを感じ始め、目の美容整形をするとされている。
なぜなら、「24時間温泉気分」というのは目を腫れぼったくさせるからだ。
夜中に汗だくになっておきたりもするが、どのみち風呂に向かってしまうだろう。
高校中退したものは「芸能人の温床」とされるが、同時に「タバコを吸う」ようになっている。
タバコを吸うと「おしっこが気になって思考力が下がる」と言ったが、車の車内などで「息を止めている」ことからそのようなことになると考えられている。
あるいは試験中にも息を止めているのだろうか。
息を止めているからおしっこが気になるのであって、水分を控えるのは逆効果だ。
むしろ、スポーツドリンクを飲んだほうがおしっこは出ない。
あるいは、車内で「塩飴」を舐めるのも有効であるし、試験中に口に塩飴を含んでいてもバレることはないだろう。
塩飴はおしっこを止めてしまうのだから驚きだ。
普通にスポーツドリンクを飲み、塩飴を舐めているだけで2~4時間はおしっこが止まる。
3時間30分の司法試験の短答式試験で、このことを指摘できない医者がいるのであれば、「アメリカの医学には無知」であると考えたほうがいい。
試験で、呼吸を乱さないことが重要であり、「う~ん、う~ん」ならば分かるが、「ハァハァ」言うのであれば、トイレに立つことは決して禁止ではない。
おしっこのおかげで司法試験に受からないとどうしても考えるのであれば、ピトレシンという薬もある。
高血糖がおしっこを近くさせるのは事実であるが、腎臓が原因であり、スポーツドリンクはまったく問題ない。
トイレが近くなるから水分を控えようという考えは、意識レベルを確実に下げる。
叶わぬ夢、そして混乱が、タバコを吸うことにつながるが、頻尿がそれにともなう以上、頻尿の問題をクリアーしなければならない。
睡眠のとり方や、「朝の感じ方」はすでに述べたとおりであるが、おしっこに関しては「48時間、水道水を飲まない」ということも非常に有害なのだ。
「民族と同じ生き方」をしていれば、腰痛にもならないし、タバコも普通は吸わない。
水道水で沸かしたお茶などを飲む習慣を失ってはならないだろう。
水道水を飲むと「だるい」「口がべたつく」などという人もいるが、本来「タバコとジュース」は「知性ドーピング」であり、水道水を48時間口にしないほうが有害なのだ。
知性ドーピングをやると、高血糖、カリウム過多、カルシウム過多になるが、水道水で沸かしたお茶を飲んで尿意を催す必要がある。
水道水を飲まないから、腎臓病だの糖尿病だの言い出すのだ。
病気だからタバコを吸うという側面を考えると、水道水で沸かしたお茶ぐらい飲んだほうがいいだろう。
「ジュースとタバコ」による「知性ドーピング」をやっている人は、それが日常化するととんでもない「方向音痴」ぶりを発揮したりする。
日本人なのだから、朝8時から9時までの「目が覚めていく瞬間」を民族と共有したり、水道水を飲むぐらいの同調行動はとってもいいのではないだろうか。
叶わぬ夢、そして混乱は、とにかく「譲ることを知らない人」は肋間神経痛になるし、他人の業績すら「私がやった」と言っていると結核になる。
「いつ、誰が、何を、どのように」取ったのかを明確にすることを「政策の合致」と呼ぶが、政党同士が連立を組むときには大量の病人を出すことになりかねない。
タバコは皮膚にも悪影響を与える。
通常の「お肌に悪い」程度では済まないのが「将軍さま」のように「お城に住んで大奥の女をとっかえひっかえして、マスターベーションをしない」ことと、それを踏まえてタバコを吸うことから、体中に水ぶくれがたくさんできるのだ。
人生というのはあんがい平等にできているものだ。
昔の、「お城」というのは、本当に住むのならば、一日か二日で「体がかゆい」と言って逃げ出すだろう。
それほど、「大奥」というのは危険なものだ。
「24時間温泉気分」というのも、目を腫れぼったくさせるだけでなく、タバコを吸うと「耳がかゆくて仕方がない」と言って耳かきばかりするようになる。
タバコを吸うと、とにかく「鉄分が足りない」状態になる。
当然、「偏食」がともなうことは覚悟しなければならない。
自分でメニューを決めるとかなり偏食になるだろう。
このことから、料理を作ってくれる女性がいるスィートホームは必要であるが、なにしろ、女性の中には「喫煙者を憎んでいる」人がいるのだ。
WHOルールにしたがった食事を取らないといけないが、「食い物で冒険してみる」「食わず嫌いをなくす旅に出る」必要性はすでに述べたとおりである。
なお、子供がタバコを吸うと、乳首の下の両脇に赤い斑点が出る。
タバコを吸うなと言うまでもなく、両脇にかゆみが出るため、自然と吸わないものなのだ。
また、禁煙の問題は「ホルモンの問題」というアプローチを取ることも可能性としては考えられる。
男が「ジャスミンティーで私らしく一日を終えたい」という生活を送ることも考えられる。
「そもそも血液検査の結果に問題がある」場合は、ホルモンの問題ととらえることが必要になってくる。
血液検査で問題がなくても、「簡単に禁煙する方法」として念頭においておいたほうがいい。
オリビアを聴きながら 杏里

また、「異性への免疫がない」とタバコというものは「吹かすだけ」ということになる。
「女」というものが分かってくると、ようやく深く吸い込むことになるのだ。
異性への免疫がついたことからタバコを吸っているため、いっそのこと「心理的」性転換してしまえという発想があるのだ。
私も、父親の書斎のタバコの匂いに「文化の香り」を感じていたが、子供にとって「親の匂い」というものは権威であり、受動喫煙すら「親の匂い」として懐いてしまう。
この子供の受動喫煙の禁断症状がマイコプラズマであり、熱は39度を超える。
子供のことを思うとタバコは吸えないし、頭の位置にあるから歩きタバコ禁止というものを越えた理由がある。
マイコプラズマで高熱を出したことのある子供は、そののちの人生できわめて成績優秀となり、わざわざ「一番分厚い参考書」を選んで読むようになる。
マイコプラズマに関してはその因果関係は現在も研究途中である。
しかし、「シャーロックホームズが好き」と思春期に言うような子供はみんなマイコプラズマを経験している。
このことから、親が子供の「マイコプラズマって何?」という研究を始めてしまうとそれはもはや「非人道的医学実験」とされ、731部隊やナチスのたどった道を親が知ることになる。
「ラジオが腰にいい」という研究をしたことがあるが、「タバコが原因」であり、しかも、自分が好きな音楽を公共の電波で放送しているというのは「タバコが原因のすべての病気にいい影響を与える」とされている。
アンディ・フグが、白血病で死の病床にいた時に、仲間がみんなで歌を歌ったとされているが、「タバコが原因」である時にはこのような行為は有効性を見せるだろう。
電話リクエスト(電リク)などというものは、「自分のCDを聞け」というものにとどまらない健康への「いい影響」があるのだ。
タバコが原因のガンのすべてに有効性を見せるとされている。

 

 

2019年9月 8日 (日)

東大生の人生。

「イアンビシャス」
イアンビシャスはギリシャのネオプラトニストだ。
プラトンが音楽作品を大量に作っていたが、イアンビシャスは「汝自身を知れ」をモットーにこれを、「公衆送信」「演奏」することにしたのだ。
初めてのロックコンサート モーニング娘。

これは「教会」の起源であったし、「アンビシャス」(野心を持て)という用語も、おのずと、「ショービジネス」「株主総会」の演出家などをすることで、エンターテイメントと関与することを意味するようになっていた。
「汝自身を知れ」「聴衆の心」を表現するのがネオプラトニズムであるとし、それは「女性芸能人と観客の擬似セックス」はなかった。
「可愛いから、美しいから観に行った」というのとは趣が異なり、「自分の心が知りたい」というのが教会であり、永遠の愛を誓う恋人たちにも「個性を見すぎる」「セックスをする」と「愛が長持ちしない」ということを提示した。
インディゴブルーラブ モーニング娘。

ローマ帝国は「ギリシャ哲学」「キリスト教」「ローマ法」の三つの川が流れ込んで成立していたが、「教会」「汝自身を知れ」は今よりももっと人々の心を捕らえようという努力が見られた。
「女にとって彼氏って神さまなんだよね」
酒井法子 涙が止まらない

これがキリスト教の教えであったし、彼氏さえいれば、あとは彼氏を導くだけだった。
「父」は「子」に「聖霊」の教えを授け、家庭内で子に「父としての役割」を求めた。
「彼氏はあなたが俺の子孫を残すのかと思うと緊張したんでしょう?」そんな人生相談に乗って女を泣かせたこともある。
恋じゃなくなる日 Bz

もちろん、ギリシャ哲学は「哲学」である以上、詩や音楽作品になんらかの解説を与えなければならない。
哲学者は「男」であった。
パフォーマンスをするのは女であっても「男の子になりたい」というのが哲学のバックボーンにあり、それは「涼しさ」「気候の安定」をも志向した。
とくに「いじめられている男」(魂・ノンケ)が熱心にコンサートに通った。
「いじめられている男は勉強するからね」
ショービジネスの運営の側も「キュレーター」(評論家)を必要としていた。
音楽作品を作って、アルバムをセールスにかけて、セトリを決め、演奏・公衆送信をする。
最後に手形を落とすことでビジネスは一段落するが、キュレーター(評論家)は「聴衆」の役割であると考えていた。
そのほうが運営も楽だったのだ。
これが有効に機能すれば「災害の起きない国」を作ることは可能であったし、それでも災害が起きるのであれば「祈り」という名の信仰心の責めにすることもできた。
女の子がいると涼しい、それでも「男の子になりたい」というのも涼しかった。
「男手が必要」という稲作地帯では豪雪が冬に降ったが、このあたりも「コントロール可能」なのが哲学の力であった。
大都会でなぜ「灼熱の夏」になるのだろうか?
みんな「女の子が欲しい」と考えており、「野郎」(男)がいるだけで、宗教は「セクト化」をしたのだ。
女の芸能人を抱えている教団はメジャー宗教化をした。
しかし、彼女たちと「話をする力量」が、宗教家には必要であり、「汝自身を知れ」というコンサートの運営だけではなく「キュレーター」(評論家)の仕事もしなければ宗教家とはいえなかった。
田中角栄も「新潟の冬の豪雪」を何とかしたければ「女の子が欲しい」という文化を広めればよかったのだろう。

 

2019年9月 5日 (木)

ブログの情報精度向上にご協力ください。

日本国の法律を「明治維新以来」の見直しをさせていただきました。
また、「神道の魅力」を再定義させていただきました。
日本国の法律の暗さと重厚さも明らかになりましたが、しばらくサンフランシスコの明るい空気に戻ろうかと考えています。

 

週刊新潮宛てメール9月4日

こんにちは。
神奈川県に住んでいる小野光太郎です。
このたび、美智子上皇后が「乳がんである」と報じられましたが、乳がんというものは「母親が妊娠中にお酒を飲む」つまり「母親が第一子である」ことが第一条件となります。
その上で、娘は「アルコールシンドローム」と呼ばれる病気に先天的にかかることで「牛乳などのカルシウム大好き」になり巨乳になります。
このような「巨乳の女性のカルシウム不足」が乳がんの原因でありまして、美智子上皇后の貧乳を見ていると「乳がんなんてありえない」「東大のドクターもラジエーションハウスに影響されたのか」と思わざるを得ません。
それほど「像影」というのは「見えない」ものなのです。
美智子上皇后の高齢での手術を断固やってはならない、そのためには医学書から「アルコールシンドローム」という用語を突き止めなければならないということを指摘させていただきます。
なお、人間というものは基本的に「他人を尊敬していない」ものです。
小室圭さんなどという「他人事」が病気になるはずがないということは、人間を見る上で当然の前提にしなければなりません。
以上。

なお、同様の事例として「末期の肝臓がんである」「肝臓移植が必要」といって外国に連れて行って、「もう死ぬ!」と思った時に「カルシウムやアミノ酸の大量投与」を行い、「ドナーが現れたふり」をする医者もいるので、日本国の医学の水準も自ずから明らかである。
「交通事故を起こした時に医者は必要」
それは当然である。
しかし、一生涯「びっこを引いて歩く」ことは交通事故においては覚悟しなければならない。

なお、アルコールシンドロームで検索すると「胎児性アルコール症候群」がヒットする。
背が高い、目が細い、上唇が薄いなどの指摘が可能である。
吉川晃司

私も「背が高い、目が細い、上唇が薄い」という特徴があり、安倍晋三もそうだ。
「巨乳で目がでかい」お姉さんか妹目当てで、そのような男は盛り立てられているのだろうか?

もっとアルコールシンドロームを深めよう。

妊娠中にお母さんが「お酒を一切飲まない」人だったら、娘は「目が細い、貧乳」ということになる。
AKB(貧乳レズビアンの優等生)はこのことから生まれているし、かつては「おニャン子クラブの新田恵利」が「女サークルの優等生」として知られていた。
妊娠中にお母さんがお酒を飲まないことが、AKB、おニャン子の条件だったのだ。
女サークルで「巨乳」というのは「吐き気がする」存在である。
新田恵利 冬のオペラグラス

そもそも、私は、酒井法子さんのお母さんと食事をする機会があり、「どうぞどうぞ」と酒を薦めても飲まなかったのだ。
このあたりに「美容整形」「デジタルイメージ」のどちらかがあるのだろうが、「貧乳、目が大きい」というのはいろんな意味で「ノイズ」が存在する。
酒井法子 夢冒険

子供というのは、幼稚園の時に、鏡を見て「なんというハンサムな男だ、なんて美少女なんでしょう」と考える(ミラーイメージ)ことから「聡明さ」というものは生まれている。
美の公約数的見解は「大きな目、小さな鼻」と言われている。
ミラーイメージがよくないと「てんかん」になるとされている。
しかし、子供の頃、目が大きければいいのかというと、「人間は鈍いほうがいい」という優生学の結論もあり、そのあたりは明らかではない。
目が細かった私は少なくとも「鈍い男」だった。
「点取り虫」と先生に揶揄されたこともある。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY

また、人間は「現実逃避している時に目を見開く」とされている。
「恋」という歌詞の時に必ず目を細める松田聖子。
松田聖子 青い珊瑚礁

また、本田圭介や松本人志のような「病気を見つめる目」が知られている。
他人の病気を見つめていると目がぎらついてくる。
松本人志

あるいは、「俺の病気を知ってくれ」という眼差しがいわゆる「ガンを飛ばす」目だとされている。
本田圭介や松本人志は、自分が病気だと思っていないのだろうか。

ヨブは貧困のどん底に落ちたあとに「病人をじっと見つめた」
病人を診ることが富につながったのだ。
映画「鬼火」

また、車を多く所有している人は「犬を見つめる目」をしていると言われる。
湯舟敏郎。

人の死を目の当たりにする職場では、「他人に愛情を持たない」「名前をつけない」必要がある。
つまり「家畜を見る目」になるのがおまわりだ。
警察官

松田聖子は「私」という歌詞で必ず現実逃避をして目を大きく見開いている。
理想の男(ヨハネ)を歌いながら、「私はヨハネとはつりあわない」ということを目で表現し、「ステージの上で勇敢にパフォーマンスをしながら、負けている」のである。
松田聖子 夏の扉

レーマ運動のおさらいをしておこう。

女の子待望論→気温が上がる→台風上陸。
男の子待望論→気温が下がる→台風がそれる。
女の子がモニターに映る→涼しい→台風がそれる。
男がモニターに映る→暑苦しい→台風上陸。
鉄道網が充実している(ステーションカバリッジ)→涼しい→台風がそれる。

松田聖子評論の意味。
基本的に「男の子待望論」「女の子がモニターに映る」という「涼しさ」を志向したものだ。
つまり「台風がそれる」ということを意味する。
また、京浜急行の復旧が終わったことから、これを予報が織り込んでいなかったということも「関東直撃」にどのように影響を与えるかが楽しみである。

「目は口ほどにものを言う」
松田聖子たりとも、脳と直結した目を国民全員とつなげる場合は「嘘はつかない」ということが指摘できる。
「抱いて」「私の奥に芽生えた命」この二つで現実逃避をしている。
また、メイク技術に関しては私は素人であるが、眉毛が濃いことから「セックスから遠ざかっている」ことも分かる。
おそらく「娘のことしか頭にない」のだろう。
松田聖子 抱いて

松田聖子にとって、「理想の男」とはヨハネであり、端的に実在する人物を挙げるならヨハネ・アンダーソン(アドルフ・ヒトラー)である。
海岸沿いに「イタイイタイ病が蔓延している」として、土地建物を買い取り、マンハッタンを作ったヒトラーであったが、時には「政治犯収容所」に送られることもあった。
その人生経験はもはや「イエス・キリスト」であり、新約聖書であった。
「あなた」(ヒトラー)を、「戦争に負けて自殺した人物である」とは考えずに、戦後、オーストラリアに渡ってギリシャを参考に「オセアニア」という島をたくさん作った人物であるとし、現実逃避せずに「あなた」を歌っている、それはキリスト教信仰の原点であった。
あなたに逢いたくて 松田聖子

 

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