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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年8月

2019年8月23日 (金)

小野臨調第四次答申。

さて、小野臨調も第四次答申まで話を進めたいと思う。
問題にすべきは、刑法が「犯罪」を規定し、これを「刑事訴訟法」にのっとって裁いているという認識を改めなければならないことである。
刑法とは「理想の男」を語る学問であり、刑事訴訟法は「フェアプレー」を学ぶ学問であるということを理解する必要がある。
「理想の男」(刑法)たちが「フェアプレー」(刑事訴訟法)にしたがって、恋愛ゲームを繰り広げる、これもキャンパスで身につけるものなのだ。
松田聖子 ピンクのモーツァルト

出発点にしなければならないのは、世界を敵に回す貧乏セックスが、最初は、「処女たちに動揺が走るもの」として「セックス」というものが女子高生の間に存在することから犯罪というものにアプローチしなければならないというベーリングの構成要件論を理解することである。
構成要件には自由保障機能(つらい夜を過ごすことを保障する機能)と、秩序維持機能があるとされる。
つらい夜にも強度があるとされ、それは、特定の「ルール違反」であってはならない。
罪といえばきりがないが、とにかく「つらい夜」を女子高生が過ごさなければならない、このことを構成要件は語っている。
女子高生が「つらい夜」を過ごすのならば、主婦層もそれに共感しやすい(違法性推定機能)、あるいは、メディア(裁判所・裁判官)も、「興味ない」というのでは「大人」として暖かく女子高生などの子供たちを見守ることにならないことから責任推定機能もあるとされる。
挙動犯(恋の過激派)というのが知られているが、これはマルクス主義やイスラム原理主義などで知られており、処女=不動産という概念が確立している場合、恋の過激派はとんでもない対立を主婦層のみならず、メディアにまで引き起こすことになる。
うしろゆびさされ組 セキララ

また、客観面(男面)としては、セックスというものが射精で終わることから、男が「セックスの中心的役割を演じる」という積極面と、あとは「女嫌い」な男にも
女の子は「神への失望」を味わうことから、女嫌いという消極面も構成要件に含めていかなければならない。
また、セックスした結果、女の子に急に冷たくなると言う結果的加重犯の存在も理解しなければならない。
また、具体的危険犯(従姉妹的危険犯)のみならず、抽象的危険犯(クラスメート的危険犯)のように、東大文一に合格したなどの「クラスメートの女子全員に快楽を与える」というものも、他の男子から見れば「犯罪」とされている。
ribbon bad boy friend

また、主観面(女面)としては、故意(言葉がついていかなくてスローモーションになる)、あるいは、過失(先生の教え方が悪い)、あるいは、目的(みんなが快適な環境を指導者が作ってくれなかった)などの存在が、高校には存在する。
中森明菜 スローモーション

女から見て「スローモーションになった」ということを「認容」すれば、恋は成立し、過失(先生の教え方が悪い)という側面は、法律(男らしさのルール)に特別の規定がある場合にのみ、例外的に罰せられるに過ぎない。
先生の教え方がよっぽど優秀な場合は、言葉がついていかないという恋はなかなか成立しないであろうが、法律の精神から、故意犯(スローモーション)の規定においても先生の教え方が悪いという過失犯も含むことを示唆している。
みんなが楽しく学園生活を営むための学校側の力量を目的犯と呼ぶが、窃盗・詐欺・横領などのように「お父さんを排除して女の子をモノにする」不法領得の意思も目的犯の目的に含まれている。
お父さん以外の男の子に裸を見せることを「セカンドラブ」とも呼ぶ。
中森明菜 セカンドラブ

重要なのは、行為の主体が自然人(勉強人)であり、性欲があることを意味するが、法人(ノンケ人)には、犯罪能力がないとされていることである。
つまり、ノーマルセックスができる男であるのならば、そもそも、処女たちも動揺することは少ないとされた。
しかし、代罰規定として、学校側が「どんな教育してるんだよ?」と非難されることはある。
あくまでも、責任(裁判所・メディア・大人)の立場から、不動産(処女)を管理するものとして、犯罪(貧乏セックス)と向き合わなければならない。
現在は、代罰規定は、過失(教え方が悪い)場合に責任が転嫁されると解釈されている。
また、身分として「高度な知識を持つ精神科医」などが想定され、公務員は皆そうであろうと考えられている。
女子中学生・高校生の「動揺」に興味のない大人であるのならばそもそも「身分」がないと考えられ、特に、構成要件(女子高生に動揺の走るセックス)を想定するのならば、「実行行為」という概念を作ることも可能である。
瀬能あづさ 永遠に友達

過失犯(先生の教え方が悪い)という女の子の言い訳は、きわめて定型性が緩い。
女子高生に「アメリカの恋愛論」「ドイツの恋愛論」を教える「先生」はほとんどおらず、「先生の注意義務違反」と大雑把に説明するしかない。
おニャン子クラブ およしになってねティーチャー

また、間接正犯としては、他の男を好きだと言う「男の当て馬」理論のことを指しており、それも少女マンガなどでは広く浸透しているところである。
新田恵利 13回目の季節

構成要件的故意(女子高生のスローモーション)が、違法故意(主婦層のスローモーション)や、責任故意(メディアのスローモーション)よりも、言葉が足りない分、リアリティを持って伝えることが可能であることから、現在は構成要件的故意が認められている。
それも、あくまでもエンターテイメントからの観点ではある。
また、恋してセックスしたとたん彼氏が冷たくなるという結果的加重犯の存在も、「冷たくなるという重い結果については教え方が悪い」という過失を含むとしたのが現在の通説である。
冷たくしないで Eriko with crunch

故意(言葉が足りないためにスローモーションになる)というのも、認容説(負けた気がした)というのが通説として形成されている。
Melody いちばん好きと言って

錯誤というのは「みっともない身なりをする」という意味であるが、あくびをしたぐらいで処女に振られると考える構成要件的錯誤と、人の家にお邪魔して箸の上げ下ろしもできなくなる違法性の錯誤などが存在する。
結婚する上でみっともないという事実の錯誤は、従来、構成要件的錯誤に、ヘンタイプレイをする男だという法律上の錯誤は、違法性の錯誤に含まれてきた。
また、従姉妹に対してみっともない具体的錯誤は人生に余裕がないとも考えられ、クラスメートに対してみっともないという抽象的錯誤とは区別されてきた。
渡辺満里奈 裸のクレヨン

錯誤に関しては、具体的符号(理想と現実のギャップに従姉妹が気がつくこと)と、抽象的符号(ギャップにクラスメートが気がつくこと)の存在が指摘できる。
西野カナ ダーリン

因果関係とは「悔いを残す」という意味であるが、女子高生とセックスして、女子高生が不動産抵当権を失っても「悔いがない」というのならば、貧乏セックスではないことを意味し、行為は未遂に終わる。
おニャン子クラブ 愛の倫理社会

恋というものが、女の子にとっては「男に仲間が多い、なにかやってくれそう」ということから引き起こされるものであることから、当然、詐欺取財罪、恐喝取財罪などのように、男が「仲間が多いふり」「なにかやりそうなふり」をして貧乏セックス(犯罪)を犯す可能性はある。
しかし、女の子の胸を痛めさせて、セックスに至る(傷害致死罪)場合も、悔いが残らない(因果関係がない)場合は、基本的犯罪である傷害罪と重い犯罪的結果である男の政治生命の死の間に因果関係がないため傷害罪が認められるに過ぎない。
rebecca プライベートヒロイン

 

因果関係に関しては「その前者がなければ、後者も存在しなかった」というような条件関係が存在する限り因果関係を認めようという条件説が存在する。
「しもた~、しもた~」「ちくしょう」などがあれば因果関係があるとするのは当然であろうが、人間は決してひとりで活動しているわけではない。
他者から自分というものを教えてもらっている以上、条件説のみから刑法上の因果関係(悔いが残る)ことを評価できるわけではない。
なにが「仲間が多い、なにかやってくれそう」という女の子の発想につながったのかを明らかにする原因説というものもあり、女の子なりに「なぜ彼のことが好きになったの?」と聞いて見る立場もある。
「嘘のない人だった」などという証言もあるが、他の女にまでアピールするという共犯ともつながる発想であるとされた。
相当因果関係説が妥当であろうと考えられているが、独身者としてはそのような男に恋をするのは相当(普通)だろうと考えられる場合に傷害致死罪を認めるような悔いが残る(因果関係が認められる)とされた。
不動産=処女という巨大な富を失うことに悔い(因果関係)が残らないと言えば嘘になる。因果関係がないというほど素晴らしいことはない。
女は一時間程度の都合しか考えていないと言う主観説や、メディアが後見的にあんな男ということを考えてくれる客観説、さらに、一般人(独身者)ならば分かるだろう、あるいは、セックスする時はみんな本気であるということを考慮する折衷説がある。
また、セックスしたという広義の相当性と、その影響力(狭義の相当性)を区別する客観的帰属論もある。
rebecca trouble of love

大審院の時代は「しもた~、しもた~」「ちくしょう」という悔いの残り方(条件説)を因果関係として認めてきた。
しかし、近時の最高裁は、一般人(独身者)ならば分かる、あるいは、セックスしている時はみな本気であるという相当因果関係説を採用したとされている。
ribbon 愛してジャスティス

あるいは、不作為(女嫌い)を明らかにしたところ、男に悔いが残るという不作為の因果関係も認められる。
因果関係(悔いが残る)のない生活というのは素晴らしいものだ。
しかし、誰もがキャリアの最初は因果関係とともに生きている。
女に恵まれ、悔いの残らない生活というのは浄土宗の女子会にも似た境地であろうが、なかなかその域には達しない現状がある。
CoCo ミスロンリー

未遂とは「お触り」(着手)があったにもかかわらず、これを遂げなかった、つまりは「多神教」の世界の話しをいうのであり、広い意味では「自己の意思により中止した」という中止犯を含むが、とにかく、「女神さまの多神教」を認めるものである。
中世イタリア法学に「女神の多神教」はその起源があり、カロリーナ刑事法典により既遂よりも軽く罰することが定められた。
1810年のフランス刑法典や1871年のドイツ刑法典からわが国は学んでいる。
男の立場からは「勃たないのならばお触りぐらいはいいだろう」と主張されたが、女の立場からは「危険刑法」と呼ばれ、お触りする男は「相手を選びたい」と考えられるようになった。
多くの女たちの中から「選ばれて」お触りされているという現状があり、それでも「ゆるせない」という議論があることから一気に未遂の世界は深まった。
ribbon ゆるせない

女嫌いのような不作為犯にも、未遂は認められる。
むしろ、選り好みの激しい男であることから、不真正不作為犯には当然認められるが、「やめてよ」と言われた後の真正不作為犯にも時間の間隔はあるが認められる。
中止犯というのは「自分の意思でやめた」というところから、イケメンに対してはリストは「引き返すための黄金の橋」と呼んだが、全員がイケメンというわけではない。
主婦層の顰蹙を買わないため(違法性減少)あるいは「一線は越えていない」とメディアに主張する責任減少などの法律説(ノンケ説)がある。
こんなに綺麗な人なのになんでかな?という説もあれば、後悔を求める説もある。
あるいは「たとえできたとしても、成し遂げることを欲しない」ことを中止犯とし、「たとえ欲しても、成し遂げることができない」ことを未遂とするフランクの公式もある。
いずれにせよ、中止犯は必要的減免事由となるのであり、未遂犯のように「形を減軽することができる」ものとは異なる。
米光美保 YADA

「自らの意思により」というのは主観面(女面)の考え方であるが、「勃ったものは止まらない」と考える男の真摯な姿勢が求められ、中止行為さえあれば中止犯の成立を認めるしかないという説もあるが、女神多神教の世界においては「この女」と選んだのならば未遂は認められない。

不能犯というものは「勃たない」ものであり、不可罰であるが、絶対的不能と、「この女なら勃たない」という相対的不能があり、相対的不能は未遂となる。
しかし、主観説(女説)の側からは「勃たないなんてやってみなければ分からない」とされ、お触りした以上、未遂犯であるとされた。
クラスメートのように毎日顔を合わせる存在であるか(抽象的危険説)、従姉妹のように季節ごとにしか顔を合わせない存在であるか(具体的危険説)の違いがあるが、従姉妹あたりが無難だろうとされている。
あるいは、客観的危険説のように「口説くのが好きならば当然、勃つだろう」と考える説も有力化している。

 

共犯論についてはすでにまとめてあります

この議論は後にもっと詰めて行きたいと思います。

これさえ分かれば、あとは「違法性」(主婦層の支持)、「責任」(メディアの支持)の研究に入ります。

混合惹起説(教祖と信者の責任)。

修正惹起説(生徒の責任)。

純粋惹起説(社長の責任)。

いじめられた男女は孤立し、出逢い、狭い世界に落ちていく(貧乏セックス=犯罪)。
小林明子 恋に落ちて

しかし、「赤いカマロ」と「メルセデス」の男女であるのならば、政治的には貧乏ではなく恋に落ちても「正当防衛」とされる余地がある。
中山美穂 Bad girl

正当防衛とは「急迫不正の侵害に対して」なされるものであるし、「書かれた法ではなく、生まれた法である」(キケロ)、「正当防衛には、何らの歴史もないし、また、ありえない」(ガイプ)などと言われる。
また、自分から挑発することはなかなか想定しがたいが、自招の侵害というものも議論されている。
女の側の「子供を産みたい」という意思(防衛の意思)を必要とするのが判例である。
それはやりすぎだぞという過剰防衛は存在するが、違法性は阻却されないものの、減少することはある。
主婦層の理解が必要なのが「子供を産みたい」という女の考えだった。
また、メルセデスが「レンタカーだった」などのように、金持ちのダウンタウンボーイが、実は貧しかったなどの場合は誤想防衛として違法性は阻却されないが、「女への教え方が悪い」という過失犯の問題にはなる。
また、貧乏男に「それはやりすぎだぞ」という防衛行為を行う、誤想過剰防衛というものも考えられるが、故意犯(スローモーション)の問題として扱おうという考えもあるが、メディアの素材として責任を問うのであれば刑の減免はなしうると考えられる。

責任がなければ刑罰はないといわれるように、メディアで視聴者の判断がなければ刑罰に服させることはできない。
道義的責任論のように、音楽作品に昇華する非決定論(最後の審判は変えられる)という立場に立つものがあり、また、人格責任論のように「勃つこと」を視聴者の条件とするものがある。
また、規範的責任論のように「いい男」とセックスする可能性(期待可能性)を求める立場が主流だ。

DVは女のノイローゼが原因である。
セックスのしすぎだろう。
高橋由美子 ぼくをぶたないで

主婦層にウケるぞ?という違法性の意識がなければならないとする立場もある(厳格故意説)が、その可能性があればいいとする制限故意説もある。
ウケるかと思ったらウケなかったという違法性の錯誤も犯罪(貧乏セックス)を語る上で、議論しなければならない。
違法性の意識(主婦層にウケるぞ?)というものと、思い切りスベった(違法性の錯誤)は、表と裏の関係にあり、貧乏セックス(犯罪)を語る上で、この二つを「主婦層の故意(恋)」とは別の議論であるとする責任説も有力化している。
メディアでウケるかウケないかという議論を「恋」と直結する従来の議論に対して、「芸能人の力量」を個別に議論しようとするのが責任説である。
道義的責任論に対しては「運命は変えられない」という決定論の立場から社会的責任論というものが存在する。
家柄を論じるグラムシや、ゲイカルチャーを柱とするスターリニズムがこれにのっとっている。
また、「勃てばいい」という人格責任論に対しては、ゲイであるという行為責任論や、家柄がいいと自慢する性格責任論があり、人々に憎まれてきた。
また、「いい男だね」という規範的責任論に対しては、人々の心の探求に熱中した心理的責任論があり、19~20世紀には人々が「悟り」に熱中したのだ。
責任論とは、みんな「つけっぱなしのテレビ」を淡々と見ていることから、犯罪論の中においては割と簡単に議論は終わっている。
安倍なつみ ひとりぼっち

「罪数」
成立した貧乏セックス(犯罪)については、その数が問題とされなければならない。
犯罪(貧乏セックス)の個数は、刑罰を適用する上でも、また、刑事訴訟手続き(プロ野球)を進める上に、重要な意味を持つのである。
基本的に、構成要件基準説に立ち、処女たちの動揺の回数で罪数を決しようという立場が通説である。
おニャン子クラブ お先に失礼

判例は、一個の行為(貧乏セックス)によって同時に数人を殺そう(政治生命を奪おう)とした場合、および、一個の過失行為(先生の教え方の悪い貧乏セックス)によって、数人を死亡(政治生命を終わらせた)させた場合について、それぞれ殺人未遂罪(女なら他にもいる)と、過失致死罪(教え方が悪い)の観念的競合を認めている。
SPEED Deep blue & Truth

また、一個の行為(貧乏セックス)が、外見上、数個の構成要件(処女たちの動揺)にあたるように見えるが、実は一個の構成要件(処女たちの動揺)が適用され、他は、当然に排除される法条競合というものもある。
一般人より芸能人優先という特別関係や、胸よりキスという補充関係、明菜より聖子という吸収関係、などがある。
観念的競合の場合は「その最も重い刑で処罰する」とされており、処罰とは「異性を遠ざける」という意味であり、刑務所でも精神病院でも、あるいは社会内においても「異性を遠ざける」ことは可能であろう。
渡辺美奈代 Too adult

牽連犯とは、犯罪(貧乏セックス)の手段もしくは結果である行為が他の罪名に触れる時をいう。
つまりは、貧乏セックスをしたとたん男が急に冷たくなることを意味するが、男の立場から客観説(男説)として、行為(貧乏セックス)とは普通に用いられるものである
と考える立場と、女の側から主観説(女説)つまり「騙された」という感情を持ち込むものの二つの立場がある。
冷たくしないで

併合罪とは、確定裁判をうけていない二個以上の罪をいう。
確定裁判を受けていないと「異性から遠ざけてやれ」という刑罰をともなわない。
ひとつの罪に対して死刑に処す時は他の刑を科さない、無期の懲役・禁錮の場合も他の刑を科さない、これは刑罰が「異性を遠ざけるもの」であることからくるものだ。
また、重い罪の有期懲役・禁錮に二分の一を加えたものを長期とするなどが定められている。
完全無欠のロックンローラー

刑法各論においては「構成要件」(処女に嫌われる行為・貧乏セックス)の解釈が主要なテーマとなる。
貧乏セックス(行為)の主体(女)、客体(男)、他のセックスとの比較、その他の事情などの男的(客観的)要素から、故意(スローモーション)、過失(教え方が悪い)、目的(みんなが気持ちいい)その他の女的(主観的)要素とともに、未遂犯(他にも女はいる)、共犯(男女の群れを抱えた集団)、また罪数などが考察されなければならない。
刑法各論の体系は完全無欠なものとすることはできない。
保護法益(マスターベーションできるだけの魅力)を守ることを中心にしながら、義務違反(浮気)や、刑事学的立場(理想の男を描くこと)から、犯罪(貧乏セックス)の社会的機能を直視し、社会のどのように情報が伝わっていくかを抽象的(クラスメート的)にしかうかがいえない犯罪概念を具体的(従姉妹的)なものにしていく必要がある。
クラスメートの女よりも従姉妹の方が安く上がる。
わが国は、国家的法益(芸能人でのマスターベーション)、社会的法益(それなりの有名人でのマスターベーション)、そして、個人的法益(その世界に溶け込むためのマスターベーション)の三分説に立っている。

人の始期は、出生である。
正体を完全に表さないと恋ができないという全部露出説が、民法の立場だが、刑法の場合は「コイツやばいな」と思った段階(一部露出)で政治生命を刈り取ることがあるため、一部露出説が出生だと考えられている。
うしろ髪ひかれ隊 あなたを知りたい

人の死期は死亡である。
もっとも、死亡といっても「政治生命の死」を意味するため、脈搏終止説や、呼吸終止説、さらには、瞳孔反応の消失(三徴候)まで見ようとする総合判断説がある。
「脈がない」と見たらその男は死んだと考えていた時代もあったが、現在では総合判断説にしたがっている。
政治的死と人体の死を限りなく同視しようという立場は、最終的には脳死説に向かうことになるが、池田大作のように、脳死になっても伝説化する場合があるため総合判断するしかないとされているのだ。

「人を殺した者、死刑または無期もしくは五年以上の懲役」「未遂を罰する」

客体(男)は、行為者(セックスした男)以外の、自然人(勉強人)を指す。
女はパートナーがいても知恵や知識を得るために異なる男の声を聞きたがる。
このことから、「貧乏セックス」から、自然人(勉強人)が政治生命を失うことがある。
生きているからこそ、他の女がマスターベーションできるのであって、将来成長の可能性のない嬰児や、老衰した高齢者、奇形児、死刑の宣告を受けたもの、民法上の失踪宣告を受けたものも、本罪の「男」となりうる。
真夏のフェミニスト ribbon

死んだ(男が失恋した)場合は、ビックルやヨービックなどの「オリゴ糖」を飲むしかない。
女の「故意」(恋)も、今彼が勉強していること(自然人)であろうことを認識し、強度な失恋を味わうであろうことを予見しながら、あえて貧乏セックス(行為)にでる場合に認められる。

「殺人罪を犯す目的で、その予備をした者、二年以下の懲役。ただし、情状により
その刑を免除することができる」

男の政治生命を奪うために、そのパートナーではなく、彼女の「ライバル女」と貧乏セックスしたものは、ライバルであるがために、政治生命を狙われた男が彼女を寝取られる可能性があるため、予備行為としてのライバル女との貧乏セックスを罰することとしたのだ。
もっとも、予備行為のあとに、進んで実行に着手することを中止した場合は、43条但し書きの中止犯の規定を準用すべきではないとしている。
ライバル女との貧乏セックスだけで思いとどまり、狙った男の彼女にまでそれが及ばなかった場合は、準用しなければ「犯人を利するだけ」という議論もあるが、それでいいだろう。
また、共同正犯というものも「セックスの時は女はいつも本気」という見地から、ライバル女の考えに配慮し、認めるべきではない。
なお、「罰する」というのは「異性を遠ざける」という意味であり、かりに「3年以上の懲役」を下されると、キャンパスライフは女日照りになってしまい、目も当てられないことになる。
「モーゼは40日間水を断った」(女を断った)と言われるように、キャンパスで「女に縁のない」男は確実にいるのだ。
そのあたりは「ルパンがクラリスのハートを盗んだ」という窃盗罪から波及した強盗罪の議論かもしれないが考えなければならない問題であろう。
ribbon 愛してジャスティス

 

【休憩】強姦殺人は強盗殺人に比べてなぜ「類型的」でないのか?

男は「他の男に知性で負ける」ことを「死」と判断している。
妻や恋人が「心を暴力的に奪われる」強盗殺人は男にとって類型的であっても、妻や恋人が強姦されたからといって「知恵や知識で他の男に負けた」とは必ずしも言い切れない。
当然、結果的加重犯ではあるが、これは「モノにしたとたん男が急に冷たくなる」という意味であり、妻や恋人が他の男に「モノ」にされたからといって、心を強奪されるよりも強姦されるほうがまだ今彼は「冷たくはならない」ものなのだ。
このあたりの嗅覚を知って欲しい。

「人の身体を傷害したもの、15年以下の懲役または50万円以下の罰金」

傷害の意義をめぐっては、人の生理的機能に障害を与えることとする見解、人の身体の完全性を害することと見る見解、人の生理的機能に障害を与えることおよび身体の外貌に重要な変化を与えることとする見解が分かれているが、最初の立場に判例は立っている。
客体(男)が人であるとされているが、女の「通常痛みを感じない側面」のことを意味しているものと思われる。
渡辺美奈代 ちょっとフォーリンラブ

行為(貧乏セックス)が傷害であることを踏まえると、通常の「パートナーとセックスする」ことも罪であると考えられ、他の異性から遠ざけられることを意味する。
なお、身体の外貌に重要な変化を与えることとする見解は「女が髪を切った」という問題をどのように扱うかという議論である。
松田聖子 夏の扉

恋とは「男の子が仲間が多い、何かやってくれそう」という時に芽生える感情である。
瀬能あづさ 秋

では、女の子の胸を痛めつけてセックスをする傷害罪が、故意犯か暴行罪の結果的加重犯かは議論の余地がある。
暴行とは「仲間が多いふり、何かやってくれそうなふり」をすることであるのは疑う余地はない。
従来の通説は、傷害罪(女の子の胸を痛めつけてセックスをする)は暴行罪の結果的加重犯(セックスしたとたん男が冷たくなる)と考えていた。
しかし、傷害罪は「故意犯」であるとする見解、つまり「男が急に冷たくなる」ということを想定しない立場と、故意犯と結果的加重犯の両方の場合があるとする立場がある。
暴行罪が「暴行を加えたものが人を傷害するに至らなかった時には」としていることが、結果的加重犯とする根拠とされる。
しかし、果たしてそれで男が急に冷たくなるかは明らかではない。
また、過失傷害罪(へたくそな貧乏セックス)の法定刑は暴行罪よりも軽いとしているが、へたくそな女へのアプローチが「仲間の多いふり、何かやってっくれそう」という暴行よりも刑が軽い(女日照りの期間が短い)というのも刑の均衡を失するわけではない。
「人の身体を傷害した者は」とあることから、故意犯であることは疑う余地がないが、例外的に結果的加重犯の場合もあるとされ、傷害の故意(恋)が必要であることを前提としつつ、「仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり」という暴行の故意(恋)だけで足りると解されるものと思われる。
Melody 運命95

一方、傷害(女の子の胸を痛めつけてセックスする行為)が、金持ち・モテる男によってなされた「それはもはや貧乏セックスではない」とされる場合は正当防衛・緊急避難として違法性を阻却する。
河合その子 パラディラタンの夜

また、治療行為(お医者さまに恋をしてしまいセックスしてしまった)あるいは、懲戒権の行使(パパが好きになってしまいセックスしてしまった)、労働争議権の行使(労使で争っているうちに労働者同士がセックスしてしまった)などは、「中華帝国」「儒学」にまでさかのぼった国家社会的倫理規範にしたがわなければならない。
被害者に承諾があったとしても、急に冷たくなるのならば刺青を女にいれされるのは違法であろう。

「身体を傷害し、よって人を死亡させたもの、三年以上の有期懲役」

傷害(女の子の胸を痛めつけてセックスした)ものが、本当に、セックスに飽きて冷たくなり、女の子が屍になったら、結果的加重犯として本罪にあたる。
因果関係(後悔)が求められるし、男の側にも「予見が欠いている」必要がある。
この議論そのものに過失(教え方が悪い)は必要ないとするのが判例であるが、責任主義(メディア崇拝)の立場からは過失を要求すべきであろう。
メディア論としてこの議論は浸透させなければならないとする立場だ。
rebecca trouble of love

【休憩】この議論じゃ、「犯罪」を裁けないじゃないか?と思ってはならない。
刑事訴訟法においては「動機」まで要証事実とされている。
つまり、ドイツの刑法は「セックス崇拝」「キリスト教」の立場から、動機にまで立ち入って「犯罪」を裁いているのだ。
また、クリミナルロー(アメリカの刑法)を研究してみると、やたら「D」(出産)という文字が出てくる。
つまりは、「アメリカプロテスタントの少子化対策」「ドイツも同様」というのが「刑法」であることを知るのだ。

「暴行を加えた者が人を傷害するに至らなかったとき、二年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金または拘留もしくは科料」

行為が「仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり」をするというのが暴行であるが、そもそも、行為とは「貧乏セックス」のことを言うのであり、女の子の気を引くだけであれば「行為」とは言えないわけである。
「仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり」は最広義においては騒乱罪、多衆不解散罪の暴行を意味し、内乱罪もほぼ同様に解されている。
ribbon 続ハーレムナイト

広義の暴行は、「覆面うぜー」と私服警察官に向かって叫ぶなど、公務執行妨害が挙げられる。
狭義の暴行が、プライベートで「仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり」をして女の子の気を引くことをいうが、最狭義においては、テレビに出る、東大に合格するなど女の子の反抗を抑圧するに足りる程度の不法な有形力の行使を意味するとされ、強盗罪などが挙げられる。
とにかく、私が「仲村トオル」として芸能界に知られるようになったあとに、東大文一に合格したら、周囲の男たちは「犯罪的考え」と発言している。
仲間の多いふり、何かやってくれそうなふりといっても、相撲、柔道、ボクシング、レスリングなども通常違法性を阻却する(正当業務行為)。
他人の住居に侵入(おじゃま)して暴行(仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり)したときは「どっちらけ」になることから、セックスしたとたん急に冷たくなるという発想を応用して牽連犯とする。

「凶器準備集合罪」

男のおちんちんのような性質上の凶器、女の局部のような用法上の凶器に区別されるが、女の子の主観面は二人以上のものが「いいことしよう」と考えて集合していることを「表象・認容」するとともに、自らもそれに参加しなければならない。
Bigbang Haru haru

「過失傷害の罪」

彼女への注意義務違反であるということをまず、指摘しなければならない。
「仲間の多いふり、何かやってくれそうなふり」という暴行とは異なり、そもそも彼女がいるのであれば「彼氏を奪ってやろう」という女は確実にいる。
これが「過失傷害」のツボである。
杏里 悲しみが止まらない

一回の貧乏セックス(行為)で、複数の人を死傷させた時は観念(男の知恵)的競合とされる。
三浦理恵子 Jokeにもならない恋

他にも、略取誘拐の罪などを考察する上でも、女の側が「私をさらって欲しい」と中森明菜のセカンドラブが歌っている。
このような恋愛論や歌詞と犯罪(貧乏セックス)や構成要件(処女に嫌われること)に敏感になる必要がある。
中森明菜 セカンドラブ

刑法各論や債権法は改めて語る機会があると思う。

2019年8月20日 (火)

神道指令2019令和。

上皇(明仁)、上皇后(美智子)が死んでも、喪に服してはならない。
国家に与えた影響はきわめて有害な人物であり、ほんの「1時間程度の思いつき」で行動する、「庶民」であるどころか「生活保護を受けた貧乏人」であるのが実態であり、何度も後継者である私の命を脅かしてきた。
人は「喪に服す時期が長ければ長いほど伝説になる」ということを踏まえると、明仁と美智子のために喪に服してはならない。

 
ほんの15年前までは、神道は「胡散臭い宗教」だった。
私が、インターネット上で「負け知らず」になったのも15年ぐらい前だろうか。
神社が「パワースポット」と呼ばれるようになったのは人格的統治者としての私がいなければ成り立たないことでもあった。
「天皇を敬え、政府にしたがえ」という神道が「胡散臭い」時代というのは過去に確実に存在したのだ。
私がすべてを書き換えるまでは。
祖先崇拝(おばあちゃん崇拝)をしていればガンにならないのが人間であるが、明仁も美智子もガンになっている。
万世一系のイデオロギーにとって致命的な情報が「ガンになった」ということである。
ガンの患者は「組織のガン」でもありうる。
毛並みの良さの唯一のメリットは「ガンにならない」ということである。
グラムシによると「血筋家柄を自慢する者も組織にとって有害である」とされているが、その理由は「オカマである」というあたりにあるのだろう。
ケツの穴が気になって勉強が手につかなかったものが「血筋家柄」を自慢するのだ。
この国は学歴社会である。
東大法学部の私に対して「胡散臭い神道」でごまかしてきたのが天皇家の歴史であり、「より世俗的に、より人気のある」神道を構築したのが私である。
医学部・文学部・経済学部・法学部にまで通用する神道を構築させていただいた。
東京大学にも支持の輪が広がり、國學院や皇學館の「就職先」に過ぎなかった神社に命を吹き込んだのだ。
その私の「命」を、何度も家庭内で脅かしてきたのが明仁と美智子であり、彼らが死んでも喪に服してはならない。

「中国の意図」
中国は2020年代後半には東アジア地域、日本からインドネシアまでの主人となると思われる。
韓国は、昨年まで66%の人たちが「中国の経済発展に好意的」であったが、今年は36%となっている。
アメリカ陣営の団結は、とにかく「かつてのソビエト陣営よりも強くはない」とされ、韓国が「中国が嫌いだ」と言ってみても、日本と韓国の「対立を煽るのは簡単」と中国は考えている。
しかも、かつてのソビエト連邦ほど、「共産主義というものは秘密ではない」とされ、「高校時代の恋ならば誰でもするじゃない?」という発想が広まっているのだ。
世界との意思疎通が取れるようになっており、それでも中国は「共産党一党独裁」の国なのだ。
この中国が「アメリカとの冷戦時代を計画している」ということが明らかになったのだ。
そこにはもはや、安倍晋三など「ニホンのレイワ皇帝を潰す刺客」でしかなかった。
令和天皇が安倍に潰されれば、間違いなく、2020年代後半には中国は日本の主人となる。
日本国の法律の近代化はすでに現代化の域に達しており、ジャパンアズナンバーワンはアメリカも望まなくなっていた。
発展途上国の近代化を進めるのは中国であるという、「冷戦計画」が存在することにも、安倍内閣は「韓国との喧嘩のタコ踊り」をやり始めたのだ。
この時点でアメリカ合衆国は、安倍と令和を共倒れさせて次のゲームに行こうと考え始めたのだ。
この情報を握ったのは令和天皇だった。
安倍内閣が倒れると、芸能界に衝撃が走る。
そのような行政法を構築した令和天皇にアメリカや中国が衝撃を受けた。
しかし、安倍晋三首相は「令和憎し」という行動原理を取り始めて、霞ヶ関を呆然とさせた。
総務省ももはや安倍政権を守ろうなどとは考えていない。
法務省も「日本の法律を見直すには、絶好の機会」と考えているようだ。
財務省は安倍カラーに染まっていない。
令和天皇は文部科学省とは蜜月だ。
外務省はそのことを見越して、「安倍対韓国のタコ踊り」を毎日演出して、退陣への道を用意し始めた。
これはアメリカ合衆国や中華人民共和国の安倍内閣および首相官邸への警告でもある。

 

「令和天皇を讃えるアメリカ合衆国」
ベネズエラからタイ、ブルンディ、ハンガリーにかけて、民主主義は撤退しつつある。
令和天皇が「フロイトを信じ、マルクスを信じ」世界に発信した情報はたちまち世界を席巻した。
トランプ大統領も、イタリアの首相も、ブラジルの大統領もそれを真似したのだ。
ハンガリー、トルコ、ベネズエラでは、女たちの支持を受けた指導者が次に歩む道は、中央省庁の仕事まで自分に集めようとする「反エリート主義」であった。
東大法学部出身の令和天皇も、その歩んだ道は「反エリート」にしか見えなかった。
しかし、国内の景気や外交の危機も「お前それでも人気者か?」という批判を浴びた。
トルコのエルドアンは2003年に首相になっている。
1960年から1997年まで民主主義を停止していたトルコにとっては人気のある人物だった。
しかし、エルドアンが政権を握ってから待っていたのは、裁判官・官僚・先生などの公職追放だった。
令和天皇は決して口には出さなかったが、裁判官・官僚・先生批判をしたものと受け止められ、「それは公職追放なのではないか?」と言われた。
2018年に、トルコで景気が後退し始めた。
トルコの「遠き落日」まで15年かかった。
学歴と所得が一致しなくなると独裁は終わるとされている。
ロシアのプーチンも、ハンガリーのオルバンも、インドのモディも「5年が自分の限界」と理解している。
また、世界経済そのものが減速することがあることを独裁者は知らない。
この時に、独裁者は、メディア攻撃を始め、選挙制度を変え、敵を牢屋に送り、投票操作をするのだ。
マキャベリは「王子のおかげで女に振られたことを男たちは一生忘れない」としており、アメリカ合衆国も、中華人民共和国も、令和天皇を「もはや独裁者の一人」と認識し始めた。
まだ、メディア攻撃も選挙への介入も行っていない「いい友人、真面目な友人」であるが、世界の指導者の「5年限界説」を知ってもらいたいし、トルコでも「15年で病気が見え始めた」ことを知ってもらいたい。
執行部はまだ発足して四ヶ月であるが、このこととどう向き合うつもりなのかを知ってもらいたい。
令和天皇へ、世界から愛をこめて。

中国のガンホー(追いつけ追い越せ)というのは毛沢東の時代からの悲願であったが、かつて、ジョージ・W・ブッシュが「もし、中国がインターネットを持っていたら」という「たられば」のたとえを行い、アメリカの優越を誇ったものの、現在では、2049年ごろには「追い越せ」という状態になるのかなと考えられている。
しかし、十年ほど前に予測した2019年は、すでに「2040年となってしまったではないか」と言われ、それは日本の令和天皇の「台風撃退法」「プロ野球チーム必勝法」などのユニークな4G(ペンタゴンシークレットシステム)の活用が背景にある。
中国の5Gなど要らないのではないか?という発想を次々に令和天皇は考え出したが、中国は「矛盾と実践」(毛沢東)や「敗北の文学」(宮本顕治)のように、「高校時代に恋ぐらいするよね」という発想を推進力に、かなり若い世代に、「技術が供給過剰になる」「若気の至りが理由の事件が増える」という予測もある。
中国共産党の支持基盤が若さにあることから、日本の令和天皇のような「ユニークな」発明が困難となるとされ、アメリカ合衆国が、中華人民共和国との「冷戦」を見据え、「令和天皇をいじめるのを最大限手加減するように」という圧力をかけている。
中国のテクノロジー面での「追いつけ追い越せ」は、令和天皇の「ユニークさ」にアメリカ合衆国も依存してしまったのだ。
国生さゆり 雨のニューオリンズ

なお、私が、財界や宗教界と結びつきを深めてみて学習したことは、2024年にタイムマシーンが完成することから、死の概念の混乱が見られ、「宗教インフラを自分に都合のいいように利用できる」ということだった。
たとえば、私は、平安時代に戻り最澄(伝教大師)として生きることや、私の弟・小野真二郎が、私に対してきわめて態度が悪く、それはまるで日吉大社ではないか?ということから、私の弟・小野真二郎が日吉丸(豊臣秀吉)であること、さらには、私の実父・小野重五郎が「詔勅集」を著した神武天皇であることなどが分かる。
このような「宗教インフラ」を利用した活動は、もちろん「勉強しなければならない」という側面はあるが、おカネの出所にコウモリのように敏感になるというデトロイトスタイルを踏まえると「当然考えなければならないこと」であるということは指摘できる。

 

9月3日小野光太郎から神武天皇陵へのファックス。

徳永さん宛て。

 

こんにちは。
先ほどお電話差し上げた小野光太郎と申します。
神武天皇というのは、明治天皇が、その祖先を神武天皇さらにはアマテラスにまでつなげた「1913年に発明された」神道でありますが、あくまでも宗教である以上、哲学とは異なり、「時代とともに形を変えていく」ものであると考えられます。
しかも、宗教である以上、大人の側としては「セールスを見ていかなければならない」ものなのです。
このことから、2024年にタイムマシーンが発明される予定であることと、死の概念が混乱してくることを踏まえて、私、小野光太郎は最澄(伝教大師)として平安時代に戻って延暦寺で生きることになりますし、私の弟・小野真二郎は、日吉丸(豊臣秀吉)として日吉大社(日枝神社の総本山)で生きることになります。
しかし、私の父はすでに80歳を越える高齢であり、上皇や上皇后とは異なる立場から皇室と関わっています。
おそらく、小野臨調というものが「明治維新以来の」法律の見直しをしたことなどを鑑みると、私の父・小野重五郎が「神武天皇である」とするのがもっとも落ち着きがいいのかな?と考えています。
私の父はあと10年ぐらいは生きるものと思われますが、何かあった時には「神武天皇陵を小野重五郎の墓とする」ということを小野家の祭祀の承継を引き受けることになる私から是非、徳永さんにお願いしたいのです。
あくまでもセールスを見なければならないというのが宗教であるということを重ね重ねお話しさせていただきます。
よろしくお願いいたします。

 

9月4日小野光太郎から父・小野重五郎宛てメール。

お父さんへ。 神道という宗教は「天皇を敬え、政府にしたがえ」ということ以外に教義のようなものはなく、ただし「儒学」が強いて挙げるならば教義となっています。 儒学といっても、季節ごとに政治フォーラムを作ろうという朱子学や、「心技体」をモットーとする陽明学などがあり、ようするに「勉強とスポーツに励みなさい」というものだと思われます。 そこで、神武天皇というものが、「アマテラスの子孫である」「明治天皇の祖先である」というものは本来、「本居宣長も想定していなかった」とされる「1913年の発明」であることを踏まえて、「だったらアマテラスって何?」ということが僕の執筆活動(売れない作家)のライフワークとなりました。 やっぱり、「家の前で男にビンタされた」などのまりちゃん(小野光太郎の実姉)の恋愛遍歴とは何か?というものに僕の「アマテラス概念の確立」は強く影響を受けています。 さらに、檜山(小野光太郎の友人・24歳で急逝)が死んでから僕は「与えることを知った」のです。 そのような環境を与えてくれたお父さんは、神武天皇となるわけですが、アマテラスとは何か?を明らかにすることは「唯物史観」でもあり「皇国史観」でもあります。 僕の仲間が、「だったら私は〇〇天皇だ」と一気に配置につくことも可能でありますし、いろんな意味で「名誉」というものは人々を治める上で効率的なのです。 詔勅集というものはまだ手にとっていませんが、「歴史上の名誉を資源にし周囲に与えなさい」というようなものかもしれません。 それほど、日本IBMが開発するタイムマシーンの第一次草案を作った僕の英語力はズバ抜けていました。

2019年8月14日 (水)

小野臨調第三次答申。

スポーツニッポン宛てメール。

こんにちは。

神奈川県で経済の研究を行っている小野光太郎と申します。
実は、私は首相の私的諮問機関である「小野臨調」において第三次まで答申を出させてもらいました。
そこで、日本の法律の一斉見直しを行ったのですが、AKBグループ(カトリック)が不動産であるとするのならば、モーニング娘。(プロテスタント)は動産です。
処女の女ならば、抵当権として新宿のビル並みの男性ファンを構築することが可能であり、それは各自のオフセット印刷の出版物で「抵当権者」(ファン)のランキングを公示(登記)することが可能です。
さらにはファンからお金を借りることもできますし、各不動産会社や日本銀行からの融資で、AKB総選挙の結果次第でお金を返すことも可能となります。
このような「AKB総選挙の巨大ビジネス化」は、まさに日本国の民法典の見直しから可能になるものであり、今年は開催が取りやめになりましたが、来年以降、新たな展開が見えるものとなっています。
是非、小野臨調第三次答申をご一読し、私の民法に関する見解を参考にしてください。

レイプされるのが怖いだろうが、「株式買取請求権高いです」と冊子に書いておけばいいだろう。 

 

私は、「女とは何か?」をひたすら書いてきたのだが、先の参議院通常選挙で明らかになったのは「女性の政治参加は149ヵ国のうち125位」という結末であった。
経済参加は119位である。
女性の社会進出と、それにともなう「サプライズ」をなくそうという意図もあったが、正規雇用と非正規雇用の「同一労働同一賃金」が国会で議論になり、派遣社員の6割は女性である。
安倍政権は「2020年には3割の管理職を女性に」としているが、衆議院議員の中で女性は9.5%である。
自民党候補者の中でも女性は15%であり、立憲民主党の45%に遠く及ばない。
共産党はこれに対し、55%が女性であった。
1996年と2010年に「夫婦別姓」を認める法案が否決されている。
財務省の福田事務次官がセクハラ発言をしたときに、麻生財務大臣は「罠にはめられたのだろう」
と語っており、セクハラを受けたとされる女性記者が「さほど魅力的ではなかった」というツイートに「いいね」を求めるムーブメントもあった。
令和天皇の構想とは裏腹に、永田町は「ボーイズクラブ」と揶揄され、一方で、これほど世界最先端の「女性論」が存在する日本国において、「女性の社会進出が遅れている」というデータは日本国のポテンシャルが世界を震え上がらせた。

 

「民法」
男女がいるとする。
男が勃たなくなるのを防ぐために公権力からの介入をなくし、ときに譲れない夜を過ごし(自由主義)、ときに、特定の女を「彼女」と呼ぶ(意思自治・私的自治)。
男には「男友達」が、女には「女友達が」おり、おたがいに「所有」とよばれるほど、人格を否定しあいながら、愛に満ちたコミュニティーを構築している。
男と女の関係を「契約」と呼び、男友達・女友達の関係を「所有」と呼び、この「カップルの発信力」を侵害するものがいる。
男女にせよ、それらを取り巻く友達にせよ、セックスを「債権」と呼び、各自の魅力を「物権」と呼ぶ。
彼氏・彼女を友達に紹介する行為を「事務管理」と呼び、セックスしていないのにお金を取られることを不当利得と呼ぶ。
パンデクテン方式というものは、愛というものを理解した上で自分の性をコントロールする「占有権」、お互いに人格を否定しあいながら友情を維持する「所有権」、さらには一定の制約のもとに各自が自分の魅力を維持する「制限物権」、そして、自分の魅力を高めるために存在する異性としての「担保物権」がある。
さらには、男と女の関係を意味する「契約」、異性を紹介する「事務管理」、セックスしていないのにおカネを取られることがある「不当利得」、これらの人間関係を破壊する「不法行為」が存在する。
それらを踏まえたうえで「親族」(婚姻)、「相続」などの規律がある。
これが「日本民法典」の全体像なのだ。
「約束なんて今夜はいらない」
渡辺満里奈 月の裏側

「なぜ日本の民法学者はこのことに気が付かなかったのか?」
江藤新平は、部下に「誤訳も恐れず、ただ速訳せよ」と言っていた。
さらに、ボワソナードがパリ大学からやってきて草案を作った。
さらに、穂積八束が「英米法は日本にとって有害である」という民法典論争を展開したのが致命的だった。
結局、梅謙次郎、富井政章、穂積陳重の三名の帝国大学の学者が、フランス民法典やドイツ民法典を参考に民法を書き上げた。
あくまでも、「翻訳」であり、その「読み方」は、実に令和に入ってから、私がそれを明らかにするまで「民法は誤解されてきた」のである。
民法総則においては「代理」が重要であるが、自分に代わって「カネの使い道」を考えてくれる軍師官兵衛のようなものであり、パートナーがいたり友人が多ければおカネには困らないという認識が必要となる。

契約とは、それぞれ「男友達」「女友達」(所有)をもった男女の間で締結されるものだ。
カントの口説き文句を男が知っていれば問題はないが、アパートを借りる男はオーナーの女将さんにカントの話しをする(賃貸借契約)。
JRや私鉄を利用する場合、鉄道マンは乗客の女を口説けない(運送契約)。
本屋で本を注文するのは売買契約である。
パソコンを買うために消費者ローンで借金をすれば、消費貸借契約である。

契約とは、「男女の間で交わされるもの」であるという共通認識のもとに、お互いに「所有」「人格否定」をしながら生きている「男友達」「女友達」から得られる「おカネ」「カントの知識」などをもとに、男女の間で、言葉やおカネのやり取りを行っている。
友達とよく「講義の話」「仕事の話」をしなければならず、大学生でも社会人でもその仕組みはほとんど変わらない。
片思いの終わりに 亀井絵里

「女友達」(所有・おカネ)と「恋人」(占有・おカネ)のどちらかを選ぶなんて無理ね。
三浦理恵子 Jokeにもならない恋

男女の出逢い、そして付き合い始めることは、契約がどのように成立するかという
問題である。
パートナーがいる男女は、そのほかの約束を破らなくなるという側面があり、
男の発信主義(発心)によって付き合うかどうかが決まるとされる。
道徳(同性の友達の多さ)の問題はおカネの問題として存在するが、女は「仲間が多い、なにかやってれそう」という動機から効果意思を固めていき、告白などの意思表示に至り、表示行為(セックス)に至るが、セックスから愛に変わったというのでは看護師の仕事ぐらいしかないだろう。
もっと深い「動機」(仲間が多い、なにかやってくれそう)というものが問われる。
ribbon 出逢えてよかった

お目当ての男と付き合うために、その気もないのに別の男に告白したり(心裡留保)、親に別れさせられそうになったため、別の男の名前を出したりすることがある(虚偽表示)。
権利外観法理というのがあり、ビッグネームのパートナーと付き合っているということを信頼して、友達になった場合、すでに登記(週刊誌の記事)などに「友達だ」と記されているなどしたら、別れたくないから別のビッグネームの男の名前を出しただけなのに、物事が大げさになる。
しかし、週刊誌(登記)に「公信力」はないとされ、意中の男を隠している(心裡留保)・意中の男と別れたくない(虚偽表示)という区別だけは明確にしておいたほうがいい。
西田ひかる 歌

錯誤というものは、何かに熱中している男が、あんがい身の回りのことにだらしがないなどのことを意味するが、「笑える範囲内で」(因果関係・悔いが残ること)(重要性)などの要素の錯誤がないことを背景に、基本的には「良心的な人しか無効に応じてくれない」という現状がある。
結婚における「錯誤」には「微笑ましさ」など通用しないともいえる。
西野カナ ダーリン

また、「仲間が多い、なにかやってくれそう」という女の「動機」を見透かして、男の側から「詐欺・脅迫」などがなされることも多い。
その男の「本当の姿」を知っている以上、「友達より遠い人」となるのも仕方のないことだ。
三浦理恵子 友達より遠い人

権利能力(カネと暴力を用いる能力)は、人が生まれながらに持っているものであるが、「正体がバレる」(全部露出説)時に「生まれた」とみなされる。
全部露出説に立たないと「結婚」もできない。
男女が付き合う上でも民法は全部露出説の立場に立っている。
刑法では「世界を敵に回すセックス」を「犯罪」(罪)としているため、一部露出説つまり、男が何者なのかを知る必要はないとされている。
なお、中国の歴史書において「死」とは、セックス(浮気)のことを意味し、一度、「死」と表現したら二度と表舞台に出てこないことから「死」という概念に日本国内でも混乱が起きている。
おそらく「王妃」に「離婚だね」と言われたら政治生命を失うのだろう。
戦争などに行ったり、家を長いこと空けていたら、当然、王妃に「離婚だね」と言われる(失踪宣告)。

意思能力はその人の学習プロセスによって多様であろう。
カントを学習する人がそもそもいないということも想定できる。
しかし、行為能力(セックス能力)は、芸能人や老人などの被後見人が「勃たない」ことや、被保佐人(浪費者)や被補助人が「勃つのが困難」とされ、テレビを見た程度ではマスターベーションができず、利益を受け取る立場にないことから貧しくなるという特徴は見られる。
行為無能力(勃たない)のならば、男女の出逢いの契約は取り消されるし、意思無能力(バカだった)のならば、男女の出逢いは無効とされる。
無効(あいつはバカだ)というのは誰からでも主張できるものであるが、勃たないという取り消しは女からしか行えない。

代理というものが、行為能力(セックス能力)を補うために行われる第三者との関係である以上、当然、「俺の代わりに妻を犯してくれ」というものを代理と呼んでいる。
双方代理が通常、想定されるが、女がコスプレをしたりする自己契約も考えられる。
時に、週刊誌に「私が本当の夫です」と登記することがあるが、代理権濫用がなされても所詮、実力制の世の中なのだ。
顕名(代理人であると名乗る)しなければ気持ちよくないとも言われるが、そのへんはフェティシズムの問題だろう。
それほど、芸能人にとって「勃つようになること」とは重要なことなのだ。
代理人に行為能力(セックス能力)は必ずしも要求されず、いろんな「プレイ」の可能性が認められている。
たまに「彼女と結婚したのは俺だ」と言い出すあざとい奴もいる(無権代理)が、所詮は、実力主義の世界だ。
時には、本人の能力を上回ってしまう表見代理人と呼ばれる人もいる。
ribbon 真夏のフェミニスト

人の集まりである団体に権利能力(カネと暴力能力・セックス能力)を与えた場合が社団法人と呼ばれ、財産の集合に権利能力(カネと暴力能力・セックス能力)を与えた場合が財団法人である。
女と男は「お見合いの当事者」(代理人)として決めておく必要があり、
また、団体は人ではないから、名前や住所を決めて、取引の相手方(男女)がそれを知りうるような配慮が必要であろう。
自然人(勉強人)なら、職業や資産を調べるのは簡単であるが、団体の場合どこの誰だか分からない人がいるため、お見合いの経緯は週刊誌に載せる(登記)必要がある。
法人(ノンケ人)は、自由設立主義もあるが、主務官庁の認可に関わる許可主義、一定の要件を具備して認可を受ける認可主義、法律に定める要件を備えれば法人となれる準則主義などがある。
私は宮内庁の認可による許可主義のもとに妻とお見合いしている。
松田聖子 キモノビート

財団法人の場合は、財産そのものを寄附行為としてカップルを成立させようという
考え方がある。
民法は公益法人を「祭祀、宗教、慈善、学術、技芸その他公益に関する財団または社団」としており、「営利を目的とせざるもの」としている。
学校法人・宗教法人・医療法人は、とくに私は「医療社団法人」つまり、おカネの集まりという側面と人の集まりという側面をあわせもった場所で妻とお見合いしたのだ。
定款(または寄附行為)に「誰と誰をカップルにするか?」を書かなければならず、当時の定款(寄附行為)には私と妻の名前があったと思われる。
法人の名前と住所は「週刊誌の記事」(登記)に記される。
法人の目的も定款(寄附行為)に書く必要がある。
法人(ノンケ人)の目的は「カップルを成立させること」であり、しかし、その本質に関しては、サヴィーニーの擬制説、ギールケの有機体説、サレイユの組織体説などが有名である。
あとの二者が「実在説」と呼ばれるものであり、「擬制説なのか実在説なのか?」を明らかにしたい人は当然いる。
とくに「スーパーカップル誕生に関与した」と言いたいおばさんたちは確実にいるのだ。

また、男の子が男になる、女の子が女になる、ということを信じて疑わない「法人」に対して、オカマやレズビアンなどの「組合」も存在する。
あるいは、公園などを活用した「権利能力なき社団」(おカネや暴力のない人の集まり)なども想定できる。
私は、運動施設を活用したデート(権利能力なき社団)もお見合いで用いている。
そもそも、ピーコの言う「組合」の意味が分からなければ、法人と組合の区別は「理解に苦しむ」ものとなり、星野英一教授の苦悩の痕跡が残されている。

通常、「法人成り」と言えば「利益を翌年度まで持ち越せる」というメリットが指摘できるが、利益を「男女ともに快楽を与え合う」という意味であるのならば、個人事業としての喫茶店やバーで出会ったというのとは異なる「カップルの永続性」が保障されることを意味する。
権利能力のない社団(おカネのない人の集まり)においては、たとえば公園でのお見合いなどのように、当事者の男女のように無限責任(真剣なお相手選び)をする立場のものと、有限責任つまり、あんがい無責任に「いい男選び」をするものがいる。
楽しいデートにはなるだろうが、宗教・学校・医療にはなんら貢献することはない。
営利法人、たとえば株式会社というものの「株主総会」「社債権者集会制度」に関してはすでに述べたところである。
株式会社の「定款の目的」に関しては「行為(セックス)の客観的(男的)な性質に即し、抽象的(クラスメート的)に判断されなければならない」とされ、男がクラスメートを愛するがごとき広がりを持つことになった。
つまり、株式会社においては「どんなカップルを生み出すか?」に事実上制限がないのだ。
SPEED Steady

男女のカップルは、友達の多さ(所有)やおカネを背景に出来上がるが、最後の仕上げに「芸術にする」必要がある。
確定性、実現可能性、適法性、社会的妥当性の四つが挙げられるが、ようするに「芸術」(アイデアリズム)が、勝負事(リアリズム)に用いることが可能であるか?
ノンケであるか?
社会に受け入れられるのか?
などが「いい男選び」の条件となる。
確定性、実現可能性は明文の規定がないが、「男としての強さ」は当然のこととして受け止められている。
酒井法子 秘密のガーデン

実現可能性としては(原始的・後発的)「不能」が議論され、勃たないのならば契約(男女のカップルの成立)は認められない。
また、芸能界の側(行政)から、一般人との結婚をやめさせる「取締規定」というものもある。
一般人女性・一般人男性との芸能人の結婚は、キャリアのピークには取締規定に直面することがあるのだ。
また、最後に社会的妥当性として、親父が「王者的条項」(一般条項)を用いて、ギャンブル好き、妾がいる、売春したことがある、あるいは「結婚するのは暴利行為である」ということを指摘することもある。
無効とは「周囲があれこれ言ってカップルの成立を妨げる」ことであるが、取り消しというのは「表意者」が行うものだ。

「カップルになるのも楽じゃないな」と思ったら「同棲」というやり方を取り、「時効」を待ってあらゆる問題点をクリアーする方法もある。
しかし、民事執行によって親が別れされることもある。
「援用するぐらい愛が持続するのならば仕方がない」という側面もある。セックスするのにもいろんな面倒がともなう。
それを踏まえて、契約(男女の出逢い)・単独行為(ひとり上手)・合同行為(合コン)などが行われる。
これらの議論が整理できれば、民法総則はマスターしたと言っていい。
ribbon さよなら

物とは「おちんちん」のことを言う(有体物)。
おちんちんは、動産・不動産に区別され、土地に縛り付けられた男は不動産と呼ばれ、選ぶ女もおのずとカトリックになっている。
一方、船舶や自動車などの動産に縛り付けられた男(動産)もおり、選ぶ女のタイプが変わってくる。
唯物論の立場からは「物」とは「女」のことを言うとされるが、このへんは見解の相違と言うしかない。
英米法においては「物」とはおちんちんのことであり、マルクス主義においては「物」とは女のことなのだ。
従物の処分(発言力)は主物にしたがう、というが、女が発言力を増すために「男たちを仲間に含める」(僕たち)という現実を考えると、物とは「女」(主物)、おちんちん(従物)というように都合よく使い分けたほうがいいのかもしれない。
そうなると、不動産とは「カトリック女」のことであり、動産とは「プロテスタント女」のことであるという具合に切れ味を増す。

動産 モーニング娘。インディゴブルーラブ

不動産 AKB48 恋するフォーチュンクッキー

あるいは、男が「女でマスターベーションして儲ける」ことを「利益」と呼ぶのならば、女が「男たちのマスターベーションの対象になる」ことを「果実」と呼んでもいいだろう。
英米法の「物」概念、つまり、「物」とはおちんちんのことであるという立場に立つならば、ドイツ法・フランス法の「物」とは女のことである、という理論が理解しづらくなり、そのあたりは物権法も場数を踏む必要がある。
また、所有権の対象が「同性の」友達であることから、男にとっては「物とはおちんちんを」、女にとっては「物とは女を」意味することになる。
いずれにせよ、支配可能性が必要であることと、同性愛のヘンタイプレイをしないこと、さらには、特定性・単一性つまり、「友達の友達」までは面倒見切れないこと、さらに、縁を切るのならば「一人ひとりと」つまり「一物一権主義」が指摘でき、集団で撤収する力はどの人も持っていないことを基本認識にする必要がある。
土地のある人、自動車を持っている人、カネを持っている人との友情は「絶対」であり、所有権絶対の原則と呼ばれた。
友達はカネであり、友情復活(返還請求権)、妨害排除請求権、妨害予防請求権がある。
行為(セックス)請求権なのか受忍請求権なのかは争いがあるが、友達のいない男は彼女すらできないと言っていい。

「結婚とは女を所有することである」とはカントの言葉であるが、私は、所有とは「友情」のことであり、「占有」というのが「愛という論理が必要な自分の局部の管理の学問」だと考えている。
男女の関係は「債権法」に委ねたほうがいい(債権法の優越的地位)とされ、所有とはあくまでも友情のことだと考えたほうがいいのだ。

 
経済学の十大原則。
①人々はトレードオフに直面している。
昼食は無料ではない。働くものと勉強するものは「効率性」が異なる。また、男女は対等であるということを踏まえると(衡平)、時に「女一人に男二人」(実質)の観点から衝突することがあるのが効率性である。
労働を怠けたくない、それだけの理由で私は、入院中に勉強していたら看護師にいじめられた。
②あるものの費用は、それを得るために放棄したものの価値である。
入院中は三割負担なり、高額医療制度を利用できるが、安い費用で毎日勉強する行為が入院であり、機会費用はきわめて安い。
論文を読んでウォークマンを聞くだけで巨大宗教を構築しつつあった私は、機会費用の観点からも、「女一人に男二人」という側面から看護師にいじめられた。
③合理的な人々は限界的な部分で考える。
合理的とは「男的」という意味であるが、要するに限界的な便益と限界的な費用つまり「ほんの一時間の充実度」から「女一人に男二人」という問題を考えている。
④人々はさまざまなインセンティブに反応する。
恋愛論は複雑極まりない。その複雑さをいろんな音楽を聴いて学んでいると、「女一人に男二人」という世界にも反応を与える。
⑤交易はすべての人々をより豊かにする。
私は入院中は表現の場がなく、情報をため込んでいた。
そのため「女一人に男二人」という世界において看護師にいじめられた。
⑥通常、市場は経済活動を組織する良策である。
女の管理を改革を必要としている家計(家庭)に委ね、企業も改革を必要としていることから神の見えざる手(天皇や政治家の言葉)が浸透しやすい。
⑦政府は市場のもたらす成果を改善できることもある。
女の分配がうまく行かないグループがある(市場の失敗)。
外部性つまり、外の世界にはいい女がいっぱいいるのに、職場は決まっていると言う問題だ。
さらに、市場支配力つまり、いつもの職場にはアイツがいるのかという問題が指摘できる。
⑧一国の生活水準は、財・サービスの生産能力に依存している。
財というものは「女」とも解釈できるし、カント「口説き文句」やプラトン「詩心」とも解釈できる。いずれにせよ「男の性欲」「女の性欲」(生産性)に依存している。
SPEED Deep Blue & Truth

⑨政府が紙幣を印刷しすぎると物価が上昇する。
これも当たり前のようでなかなか難しい。
インフレというのは「女が感じなくなる」という意味であり、感じさせるためにカントやプラトンが必要となってくる。
そのために、男はべらぼうな金額を必要とし、「女一人に男二人」で一人の女が「感じない」のならば、男同士の競争は青天井になる。
ましてや、金額が数えられる、女を買える、どの女にも通用すると言う「紙幣」を印刷しすぎると、このような「インフレ」(感じなくなる女)は増えると言っていい。
⑩社会は、インフレ率と失業率の短期的トレードオフに直面している。
「女一人に男二人」で女が感じなくなると、とにかく男同士の競争が激化し、紙幣の独占が効率性からもたらされるのならば、均衡の観点から「失業」が生じる。
私は、入院中に勉強していて、しかも、ウォークマンを聞いていて、一人の男性看護師を失業の危機に陥れている。
勉強しながら、社会と接触してみると、これらの「経済学の十大原理」がよく理解できる。
もっとも、私は、看護師という「薬を操る者」を敵に回していたため、二週間寝込むような風邪を引くことを意味した。
ribbon 真夏のフェミニスト

経済学を理解するためには「客観的」つまり「常に男らしくある」ことと、科学的つまり「常に女を感じさせる」という姿勢が必要になってくる。
ニュートンは「リンゴが落ちてくる」と表現したが「男らしさ」「女を感じさせる」というところに経済学の基本がある。
フロー循環図というものがあり、「改革を必要としている家計(家庭)」と「改革を必要としている企業」の間で、カネ、女、快楽などをやり取りするが、カントやプラトンは「論文とウォークマン」さえあればいろんな快楽を生み出せる。
「仮定の役割」というのがあり、「この曲はこういう意味かね」という男の考えに説得力があれば、それは「生産可能性フロンティア」と呼ばれ、ミクロ経済学にもマクロ経済学にも影響を与える。

交際しているうちに、女は「できない」ということに直面し、彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?家庭に縛られるのかな?と態度決定を迫られる。
BoA Is This Love?

女の子の「供給」は途絶えることはない。
このことは「女の子を歓迎する文化」がすでに確立した以上当然のことと考えられている。
問題は、「女の子が男を欲する可能性」(需要曲線)が議論となることである。
男が「カント」「プラトン」を知っているだけでかなりの高値が男にはつけられる。
そこで、女の側も、男がカントやプラトンに詳しければ詳しいほど、「信じている」ものがさも当たり前のようになり、カントやプラトンの値段が下がる。
需要曲線の傾きの計算もあるが、世の中の通常の男にはありえない「急勾配」の傾きが哲学者には存在する。
女の所得が変わって、男を変えてみた時に、いろんなことが分かるようになる。
男の「カントやプラトンへの詳しさ」は急勾配の傾きを需要曲線にもたらし、「別れても好きな人」などと言われる。
国生さゆり あなたよりも愛していたい

しかし、「いい哲学者ほどタバコを吸う」という問題が存在し、おばあちゃんを尊敬できない、つまり、お金目当ての結婚をしており、その生き方を尊敬できない(ガンのリスクがある)という指摘もある。
これは「グラフと捨象された変数」と呼ばれる問題だ。
また、哲学者を護衛するために警察官が雇われるが、警察官が大勢いる街の方が危険であるという「逆因果関係を示唆するグラフ」も存在する。
すべての経済学者は「哲学者になって見なければ、経済学の意味が分からない」とされ、また、ガンの原因が「おばあちゃんを崇拝できない、生き方を真似したくない」というところにあることも見抜かなければならないと言う意味では医者でなければならない。
松田聖子 ハートをロック

「プラトンやカント」は、マサチューセッツの著者によって書かれ、オレゴンの木からできた紙によって印刷され、オハイオの出版社によって出版される。
フロリダ産のオレンジジュースとブラジル産のコーヒーによって一日が始まる。
ニューヨークで制作されたテレビ番組を日本製のテレビで見る。
世界中の部品で作られた車で出かける。
読んだだけで、プラトン(音楽作品)に解説(カント)を与えることが出来ることを絶対優位と呼ぶ。
しかし、絶対優位は「噂」となって、ジャガイモ業者と牛肉業者の交易(比較優位)につながる。
ソフトパワーの絶対優位は外国との輸出入にも影響を与えるのだ。

 

どんな経験豊富な女でも、哲学者の前ではウブな側面を見せる。
中森明菜 二分の一の神話

フロリダに寒気団がやってくると、アメリカ中のスーパーマーケットでオレンジジュースの値段が上がる。
夏にニューイングランドの気温が上昇すると、カリブ海のホテルの料金が急落する。
中東で戦争が起きると、アメリカのガソリン価格が上昇し、キャデラックの中古車価格が下がる。
「プラトンやカント」をどれだけの人が知っているであろうか?
独占企業もあるし、寡占市場もある、独占的競争市場というものもある。
「プラトンやカント」を普通に知っている正常財と、それを知らない劣等財がある。
これらの間には代替財や補完財もある。
「財」とは「理想の男」という意味である。
供給というのは「女の子の人数」という意味であるが、レーマ運動(台風撃退法)やバアル信仰(メジャースポーツの勝敗を決める音楽作品信仰)などによって、「プラトンやカント」は広まる可能性がある。
レーマ運動やバアル信仰による「プラトンやカントの広まり方」によっては「俺は女には困っていない」という超過供給を引き起こす可能性もある。
あるいは、男たちが無知になったときには超過需要を引き起こす。
時には起こせよムーブメント

テクネー(処女芸術)とエピステーメー(知識)に対しては、医療や年金のように「弾力性」のあるものもあるが、ヨットのような贅沢品のように非弾力性を持ったものもある。
美術館の入場料なども、人々の「エピステーメー」(知識)次第で、弾力性を判断しなければならない。
弾力性を高めるためにヘロインやコカイン、クラック、エクスタシーなどの麻薬が時に有効となることもある。
麻薬は時に、生活を破綻させたり、強盗などの暴力犯罪につながる。
しかし、「テクネーが作れねえ」「エピステーメーなんて分からねえよ」という気持ちが基盤になっている。
自分だけが、アメリカのエピステーメーを知っているという状態になれば、価格の上限や下限を設けなければならなくなる。

「プラトンやカント」を知っている男は、女との「均衡」を見出し、カップルになるだろう。
しかし、そうではない男は「愛に狂い」「嫉妬に狂い」「怒りに狂う」だろう。
人間が狂った瞬間を狙って税金というものは課されるが、エピステーメーの独占状態が起きている状況であると、人々の怒りは強く、死荷重というものが生じる。
また、貿易ともなると、外国国家のテクネーを丹念に洗い出さなければ貿易摩擦がおきかねない。
「神・男の完全性を議論すると爽快感がある」
松田聖子 赤いスイートピー

私が解説するJ-POPに関しては、あくまでも「私有財」であるために、オンエアされることはない。
公共財というものは「サイレンのようにオンエア」されるものであるが、ヒッチハイクのお兄ちゃんの話題においては、私の「私有財」は用いることは可能だ(フリーライダー)。
また、国家防衛においても、「あなたが指導者であり戦争責任を負うのであればどうぞ用いてください」という具合に、私有財が公共財となりうる。
しかし、国の指導者になるのは「割に合わない」(費用便益分析)という側面があり、人の命の値段を考えると、哲学の道一筋に生きることは、その恩恵をこうむる人たちの存在を考えると「共有地の悲劇」とも呼ばれる現象を引き起こす。
現段階では、所有(友達)の重要性を指摘するにとどめる。
その道一筋に生きていると、友達すら失いかねないからだ。
経済学を考える上で「プラトン」(音楽作品)と「カント」(口説き文句・女心)は決して忘れないでもらいたい。
経済学の本では常に「アイスクリーム」と呼ばれて出てくるからである。
必要労働時間を終えたら、女たちは「男らしさ」を語り合い、男たちは「女心」を語る。
男らしさを語り合う論壇を宗教と呼び、女心を定義することを政治と呼ぶ。
宗教と政治は一体となって「産業」を形成し、J-POPの解釈に用いられる。
プラトンやカントを現在日本国で語るのが私だけであるのならば、独占企業の限界収入は常に財の価格よりも安い。
みんな「それが当たり前」だと思っているからだ。
「競争しなければ儲けは出ない」
このことから、法学部・経済学部に「文学部からの統一戦」を持ちかけたのだ。
法学部や経済学部にはすでに錚々たる論客がいる。
囚人のディレンマを巧みに表現した「こわれかけたピアノ」を背景に独占市場を構築したのならば、それに匹敵する音楽作品をレコード会社は作らなければならない。
高井麻巳子 こわれかけたピアノ

所有(友達)のない人間は貧しい。
すべてを敵に回すセックスを「犯罪」と呼ぶ。
刑法とは、犯罪と刑罰に関する法である。
また、世界を敵に回す貧乏セックスは、オンエアの関心事であり「公法」に属する。
貧乏人が何を考えているかをニュースで報じる資格を得たのだ。
犯罪と刑罰の関係は、法律要件と法効果の関係にある。
なぜモテないのか?を語り合う裁判規範であり、カントを教育する強制規範であり、敵の少ないセックスを求める行為規範であり、そのための禁止規範と命令規範が含まれるものだ。
評論家としての評価規範でもあり、自分がいざとなったらプレーヤーとなる決定規範でもある。
秩序維持機能も当然存在し、周囲に気持ちよさを約束する法益保護機能もある。
また、譲れない夜を過ごす自由保障機能もある。
工藤静香 奇跡の肖像

セックスをしただけで友達も財産も失うという現象から、これだけ多くの規範・機能が導き出されるのである。

公的犯罪とは、貧乏人が何を考えているのかをオンエアでさらすことを意味し、私的犯罪である血讐ではなく、オンエアすることで、貧乏人をさらし者にすることを意味した。
中国においては早くに罪刑法定主義が採用され、「処女に嫌われる原因」が定められていたが、トマス・アクィナスは、王位継承において自分をいじめた罪人たちを克明に記録に残した(神学大全)。
啓蒙時代においては「どんな男がモテるのか?」と言われると「哲学者」と呼ばれた。
さらに、古典学派は「カント」「純粋理性批判」(黒革の手帖)をまとめ上げた。
近代学派は、新派とも呼ばれ、ルックスに重きをなしすぎるとされている。
見た目よりも中身だからと学校の先生も新派を批判した。
Melody いちばん好きと言って

わが国においては、「貧乏セックス」(犯罪)をさらし者にするという慣習は、上代においては復讐に起源を持つものとは考えられていなかった。
比叡山の僧を排除し、日枝神社の教えを「朝廷の教え」とした時に、行政学の観点から国津罪が、キリスト教的観点から天津罪という観念があり、死刑、罰金、没収、追放などが「貧乏セックスをしたものをさらし者にする」ことを意味した(公刑罰)。
大化の改新以降、責任能力(故意・言葉が足りない、過失・教えるほうが悪い、期待可能性・セックスする可能性がない)などや、錯誤(身なりがだらしない)、共犯(女の兵隊を大量に持っている)などに関する規定が設けられている。
平安時代中期以降、検非違使庁に「理想の男」概念が定着し、嵯峨天皇(818年)から後白河天皇(1156年)に至るまで死刑は行われていない。
松田聖子 赤いスイートピー

 

しかし、このような「朝廷の刑法観」が「お公家さま」と呼ばれるようになり、北条泰時は「御成敗式目」を定めている。
「お公家臭」を排除したのが御成敗式目であったが、室町時代末期から戦国時代にかけて、かなり残虐な死刑が執行されている。
刑法のあり方次第で「時代」というものは決まる。
あくまでも「理想の男」を探求する学問が刑法であり、改正刑法草案に至っては、新派(男も美しいほうがいい)という立場に立ったため、陰湿な連中の存在を国として把握したり、病気、勃たない、女の兵隊を自在に操る、主婦層のリアクションの予測困難性などを分かりやすく条文化した。
「B層ほどあてにならないものはない」という共通認識もあり、創価学会や在野法曹、精神医学者の反発から施行されていない。
いずれにせよ、絶対主義(ノンケであること)、客観主義(男らしくあること)、現実主義(勝負事に強いこと)などが基本理念として指摘することができる。
客観主義(男らしくあること)と主観主義(女らしくあること)が理解できれば、NHKは天気を自在に操ることができるし、そのデータは現在蓄積を待っているところである。
また、現実主義(勝負事に強い)ことと徴表主義(勝負事に活用できる女らしい芸術作品)はともに共存しながら運用されている。

いずれにせよ、刑法の教科書を読んでいると、自分が裁判官になって人を罰する研究であるとは到底思えなくなるのは事実である。
1999年までには「すでに出揃った」とされる、恋愛論をより深く掘り下げる研究であろうと思うようになり、ルパンがクラリスの心を盗むのが窃盗罪であろうということを手がかりに、その発想を身に着けていかなければならない。
カリオストロの城

また、実力のある後継者が、ナンバーワンがまだ死に体になっていない時に、名乗りを上げると、ナンバースリーとナンバーワンが手を組んで、実力者であるナンバーツーを「屍」とすることを問題視し、「才能がもったいない」という観点から、王位継承を円滑に進めることを限時法と呼ぶ。
男でも女でも「ほんの一時間先」しか見据えていない。
そのへんは、権力闘争を学生時代から経験しておいたほうがいい。
場所的適用範囲、人的適用範囲にせよ、物的適用範囲にせよ「日本国内でオンエアする」ことを念頭に整理していく他はない。

犯罪というのは、構成要件該当性(処女は貧乏セックスが嫌いである)ということと、違法性(奥様方の顰蹙を買う)ことと、責任(裁判官・メディアの審判を仰ぐ)という三つから成り立っている。
犯罪の本質は、法益侵害説が主流であり、「それでは気持ちよくないんだよね」という女性たちの考えに頼ることにした。
「本当は気持ちよかったのではないか?」という親告罪もある。
イエスキリストは政治犯であるが、「さらし者にして青銅の蛇でカマを掘ったほうが女たちが喜ぶ」ということから、名誉刑が与えられる。
民間人が、犯罪者として有名になる刑事犯(勉強不足犯)と、芸能人の行政犯が存在する。
行為(セックス)は、やったかどうかを問うだけの基本要素としての機能と、それを主婦たちに問いかける結合要素としての機能、さらに、セックス崇拝をなんらかの芸術に位置づける限界要素としての機能がある。

勉強すると勃つんだよねという自然的行為論や、社会からいい評価を与えられると勃つという社会的行為論、指導者が性欲をうまく組織で用いてくれたという目的的行為論、昔の女と出会ったなどの経験すら勃つことに意味を与える人格的行為論などがある。
勃たなくなった男には「セックスの歴史をインタビューしろ」と言われるが、人格的行為論が優れている。
工藤静香 FUJITSU

ルパンがクラリスのハートを盗んだと言うことと、不作為犯つまり、周囲がニヤニヤと穴に落ちるのを待っていると言うことの二つから、刑法とは何かを探求していくのが正解であろう。
不作為犯

さて、民法に関しては、友達(おカネ)が所有であるとし、女が「愛の論理」を理解し、自分の局部を管理するものが占有であるとし、いろいろな障害を乗り越えて、パートナーになるプロセスが総則に規定されているとしてきたが、男女の関係は契約であり、同性同士の友情は所有であり、異性によって自分の価値を高めるのが担保であるとしてきた。
不動産(カトリック女)は、まだ若くて子供っぽくて難しい側面もあるが強さもある。
しかし、動産(プロテスタント女)もわりと簡単に自分の価値を高めるのに使える。
そのような民法の世界で、晴れて「カップル」となったのならば契約法の世界に入る。
贈与・売買・交換のような「移転型」つまり、性病の治療をしたり、男女の出会いの場を与えたりする契約もあるし、消費貸借・使用貸借・賃貸借のような「利用型」つまり、女将さんと話をして契約コストを下げる世界もある。
雇用・請負・委任・寄託つまり「役務型」のように子供に職を与える契約もある。
組合・終身定期金・和解のような「多数派工作して物事を解決する」特殊な契約もある。
いずれにせよ、譲れない夜のような自由主義のもとに、自分の意思で異性を選ぶという私的自治がその背景にある。
カフェー丸玉事件のように「おじの存在も分からない、誰にお金を払えば”いいカップル”になれるか分からない」というような女給とはなかなか「契約」は成立しないとされている。
通常は、合意だけで「すべての問題は解決できる」という諾成主義がとられている。
女が「承知しました」というだけで、あとの立証責任は男にあるとされている。
有償契約は売買の規定が準用され、双務契約は同時履行の抗弁権などの規定が適用される。
総則で「カップルの作り方」は教えられてきたが、「教え方が悪い」というのを契約締結上の過失と呼ぶ。
男は最初は「白紙(タブララサ)とおちんちんと計算」しかないとされるが、説明義務がある。
あるいは「仕事の話はあなたしか知らないでしょう?」という適合義務もある。
隔地者間の契約では承諾発信という仕組みが取られているが、カップルの成立は対話によってなされている。
Melody 運命95

説明義務(自分に関する情報の提供)を男が行うまで、女はセックスを拒むことができる(同時履行の抗弁権)。
これとは似ているが、デートして「返さないよ」と言って時計を外す行為が留置権として知られている。
松田聖子 ローゼワインより甘く

いずれにせよ、お互い様の側面がある双務契約においては、勃たなかったという原始的不能や、同時履行の抗弁権(自分に関する情報の提供があるまでセックスを拒める)、あるいは、危険負担(性倒錯・ヘンタイでした)という三つの牽連性が存在する。
カネをつぎ込んでもセックスさせない女は、履行遅滞に陥ることと違法性(主婦層の支持が得られない)から、債務不履行になるが、恋愛経験豊富な主婦層のコンセンサスを介入させなければなかなか恋愛沙汰の解決は難しい。
カップルになろうと思って話し合っている途中で、彼女が芸能界でブレイクしたなどの事例では危険負担が問題になる。
たいていは、「女を見る眼力」を背景に債権者主義が取られている。
松田聖子 ピンクのモーツァルト

契約の解除については、男の不能(勃たない)ほど怖いものはないとされ、不能の場合は解除ということになる。
それさえ理解すれば、契約各論に入っていっても、性病の治療の問題や、出会いの場の問題、女将さんを口説く問題、子供に職を与える問題など、カップルの日常の忙しさに忙殺されるのはみんな同じであろう。

2019年8月 9日 (金)

小野臨調第二次答申。

小野臨調第一次答申はすでに明らかにさせていただいたが、第二次答申を徐々に明らかにしていきたい。

「大日本帝国憲法は完全廃止されていない」
明治憲法(大日本帝国憲法)は、「臣民権利」(カネと暴力)を保障した。
天賦人権思想を排し、少年愛とはアレキサンダー大王の頃の遺物であるという思想をもとに、国が少年を守ってやらなければならないという「国賦人権思想」に立脚するものであった。
しかし、そこには「法律の留保」(オカマ・レズビアンの存在を認める)という発想が残されていた。
法律を作るのにも、議会の協賛(カネのばら撒き)が必要とされることから、法律の留保(オカマ・レズビアンの存在)にも、積極的意義のありうるところであるが、議会が人権抑圧(国民のカネの没収)の側にまわるとき、憲法による臣民の権利(カネと暴力)・自由(譲れない夜)の保障は空転する可能性がある。
そのため、「違憲立法審査権」(憲法に反するカネや物の送金)は明記されなかった。
芸能界に関する事件(行政裁判)は、一審限りの行政裁判所に委ねられ、芸能界の救済はきわめて限定的であった。
大津事件以降、個々の恋愛沙汰(裁判)に芸能界(行政)が口を挟むことはなくなったが、裁判官(恋愛裁判官)は司法大臣の管轄の下に置かれていた。
そのため、オカマやレズビアンの比率は「8%」では済まなかったのだ。
考えてみて欲しい。
人類最後の成功者である「カント」が「女を口説く達人」であったことを。
カントを知らないものは、譲れない夜をカマを掘られながら過ごしたのだ。
このあたりは、伊藤博文も明治天皇も、「芸能界の事情」としてバッサリ切り捨てたのだ。
モーニング娘。Do It Now!

日本国憲法のもとでは「オカマ・レズビアン」の存在は「行政法(芸能界)の問題」とされ、憲法学は、庶民に広く「明るさ」をもたらした。
憲法学と行政法学の間で「法律の留保」概念(オカマ・レズビアン)のすり合わせが必要とされ、カントを学んで女の子を口説く「市民」としての憲法学と、「おカネが必要な男」がいるという芸能界(行政法)の間で見解の相違が生じた。
答えは「恋ばな」(カントを学ぶ)以外に、男が「おカネを集めるのは困難」であるということは明らかであるが、それでも「体を売る男」は芸能界に根強く残ったのだ。
そりゃ、「真面目にやっている子」はいるだろうけど、レズビアンじゃん?
ヘビーローテーション AKB48

明治維新以降、天賦人権思想(体を売った男女が有名になる)という思想がはびこった。
しかし、「自由民権運動って何?」と言われると「体を売った男女が有名になると言う仕組みを排除するもの」であった。
また、明治憲法のもとでも天皇による「独立命令」の存在により、法律の留保(オカマ・レズビアン)は肩身の狭い思いをすることになった。
1925年に普通選挙法が成立し、市民に広くカネをばら撒くこともできるようになった。
「お中元・お歳暮」という慣習はこのことと足並みを揃えている。
大正デモクラシーの嫡出子とも言われる加藤高明内閣は「私有財産制(セックス)の否定」を行うなど、軍国主義・全体主義は「クジラの声を聞いて眠らない」人間を作り出し、わが国の「人権史」は無残な結末を迎えることになった。
セックスをして眠る、そんな基本すら否定したのが明治憲法だった。
酒井法子 風邪

制度的保障と言っても「処女芸術」(テクネー)を「知識」(エピステーメー)によって批評することが「富の源泉」であることから、公務員の選定・罷免権は「それができない公務員」を批判するものであった。
また、選挙制度も「これらの富の源泉のおすそ分けに預かる」ものである。
職業選択の自由・財産権の保障、私有財産制度(セックスの保障)などがなされ、婚姻・家庭生活における自由・平等なども「それらの知識の蓄積」のために保障された。
裁判を受ける権利、つまり「自分の恋愛論をオンエアできる権利」も存在する。
国家賠償制度、大学の自治、社会保障制度、教育制度も「処女芸術を批評する力量」をはぐくむために存在する制度的保障だ。
最後の「制度的保障」は「皇室」であるとも言われ、「処女芸術とその批評する知識」(テクネーとエピステーメー)の牙城と位置づけられた。
これを安易に「プログラム規定」と位置づけることは「テクネーとエピステーメー」という資金源を見失うものとなりかねない。

司法(恋愛)裁判所と、憲法(金儲け)裁判所は、カント(口説き文句)の存在から類似性を帯びてきた。
現在では従姉妹的(具体的)事件と関わりなく、金儲け(憲法)判断を行うことはできない。
(抽象的)クラスメート的違憲審査制が採用されていないのである。
従姉妹を買うお金はあまりにも安いということを踏まえて、抽象的(クラスメート的)判断をするか、具体的(従姉妹的)判断をするかを考えなければならない。
しかし、あくまでも「従姉妹」と「クラスメート」は「金額の問題」の違いに過ぎず、司法(恋愛)裁判所と、憲法(金儲け)裁判所は理念の問題にとどまった。
最高裁判所は「一切の法律(男らしさに関するルール)、命令(私の方が気持ちよかったと書け)、規則(女上司の悪口)、または処分(自分のバックにともなう発言力)が、憲法(金儲け)に適合するかしないかを決定する終審裁判所である」(憲法81条)。
支配的見解は「司法」(恋愛)裁判所であるとしている。
また、従姉妹の女の子こそが「事件」ではないかとし、抽象的違憲審査制を否定している。
客観(男)訴訟つまり、ビラ配りやナンバーワンソングの決め方を踏まえ、「小額から」扱うのが最高裁であるとし、具体的(従姉妹的)判断を行うのが憲法(金儲け)判断であるとした。
渡辺満里奈 裸のクレヨン

我々は、法原理機関であり、ノンケが「小額でもモテたことをもとに」事件を判断していくという姿勢を取っている。
そのことから、一般の民事訴訟(他人に影響力を与える方法)・刑事訴訟(モテ方の研究)、行政事件訴訟(芸能界における争いごと)に関するそれぞれの法律が定めるところにしたがい、憲法(金儲け)判断を行っていくことにしたのである。
我々は「処女芸術とそれに対する知的な評論」以外に「金儲け」は想定していない。
松田聖子 制服

モテないのならば、金儲け(憲法)判断はできない。
このことから「恋の過激派」というような司法(恋愛)積極主義は採用できない。
うしろゆびさされ組 セキララ

一流のカント派のおっさんのようなものがいる世界とは距離を置いて、法原理機関(従姉妹との些細な秘めごとすら裁く存在)としての、自己抑制のアプローチが取られている。
これは、中学生程度にも理解できる司法(恋愛)裁判を標榜し、一方で、ブランダイスのように、間口は狭くしながらも、「女一人に男二人」となったら「なんでだろう」と積極的に判断して行こうという立場がありうる。
やっちゃんたんなら男の「笑顔、言葉、生き方」に興味はあるよ。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

男が別の男を「殴った」というような事件性・争訟性は、かならずしも「どちらが金儲けを知っていたか」という憲法判断とは結びつかない。
当事者適格とは「カントの口説き文句を知っている者」が持っているのであり、ロイター通信の「女ネットワーク」が作った黒革の手帖(女の口説き文句)を、国家としてどれだけ「リニューアル」できるかが問われている。
「国教樹立禁止条項」はアメリカにはあるが、憲法(金儲け)判断に関する判例は間違いなく「文化的遺産」であり、納税の対価としてはならないが、国教なのだ。
実務は「法的(ノンケ的)に保護された利益(快楽)」説に立っているが、法的(ノンケ的)保護に値(女の局部)する利益説もある。
さらには、処分(発言力)の適法性保障(ノンケを守れ・十字架蛇批判)説もある。
当事者が真剣に「女の口説き方」(カント・黒革の手帖のリニューアル)について語らないのならば、そもそも訴訟を続行する必要はないのだ。
SPEED Deep blue & Truth

「憲法訴訟の対象」
一切の法律(男らしさに関する議論)・命令(私の方が気持ちよかったと書け)、規則(女上司への悪口)、処分(芸能界を背景にした発言力)が違憲審査の対象となる。
憲法マネーから作られた下位のおよそすべての抽象的(クラスメート的)あるいは具体的(従姉妹的)法規範(口説き文句)が違憲審査(金儲けにならない・口説き文句にならない)の対象になる。
行政官庁の処分(芸能界を背景にした発言力)は、個別的・具体的(従姉妹的)な国家行為(セックス)であり、「どのように口説いたの?」というものは違憲審査に含まれるし、裁判所の「裁判」も同様である。
条約に関しては「外国国家の口説き文句」に疑いの余地を抱いてはならず、「高度の政治性」を有し、きわめて明白に違憲(口説き文句にならない)でない場合には憲法判断を控えるという行き方をとっている。
立法不作為に関して(ねるとんで”なぜ行かないのか?”)に関しては、行こうと思えば行けたのに一定の合理的(男的)期間を経過してもなお放置したというような状況の存する場合に立法の不作為が違憲となるものと解される。
「国会議員は、立法(カネのばら撒き)に関しては、原則として、国民全体に対する関係で政治的(女心の定義的)責任(解釈)を負うにとどまり、、個別の国民の権利(カネと暴力)に対応した法的(ノンケ的)義務を負うものではないというべきであって、立法(カネのばら撒き)の内容が憲法(金儲け)の一義的な文言に違反しているにもかかわらず、国会があえて当該立法(カネのばら撒き)を行うというごとき、容易に想定しがたいような例外的な場合でない限り、国家賠償の規定の適用上、違法の評価を受けない」とされており、テクネー(処女芸術)とエピステーメー(評論する知識)が、国会議員は傑出していることを想定し、国家予算を充実させる力量が国会議員には期待されているという観点が指摘できる。
所詮、日本国の国会も「オリンポス山」に祀る音楽作品という理屈を踏まえなければ国会議員は務まらないのだ。
神・男の完全性を議論すると爽快感がある。
国の私法上の行為に関する違憲審査も問題となる。
小泉進次郎が滝川クリステルと結婚したなどの報道があった場合は、第三者効力論によって「フィクションである」という立場を取るのが普通であるが、公権力の行使(勃つのかどうか)あるいは、有名になるために体を売っていたのではないか(法律の留保)などの面から、「口説き文句」がどのように正当化されるのかは検討が必要だ。
国会議員は、公権力の行使(勃つのかどうか)、あるいは法律の留保(オカマ・レズビアンではないか)が有名であるために常に問題にされ、官僚的答弁にしたがわなければ夢が見れないという側面がある。

また、自衛隊や天皇の「統治行為」も「一見きわめて明白に」違憲無効と考えられる「完全な素人さん」でない限りは、そのテクネーの解釈論であるエピステーメーは否定できない。
自衛隊の作るテクネー(処女芸術)と、天皇が行う解釈(エピステーメー)だけは「別格」と解釈されている。
防衛省・自衛隊は直ちに全面的に解体されなければならなくなるのか?
それは、芸能界の「処女芸術」がなくなることを意味するし、天皇制廃止を唱えるのならば、自衛隊の「処女芸術」を怜悧に解釈する論者がいなくなることを意味する。
国家予算とも関わる議論が統治行為なのである。

「統治行為」によって法律を作るにせよ、閣法・議員立法にせよ、テクネーとエピステーメーのカネから法律というのは作られている。
そのため、カネが足りないのならば仕方がないという合憲限定解釈を行わざるを得ない。
また、男が別の男を殴ったという事件に注目して「適用違憲」をその事件限りで問題にしたり、そもそも運用が「殴る男にカネがないではないか」ということを運用違憲として問題にしたりする。
「統治行為」によるテクネーとエピステーメーから生じるカネにせよ、閣法・議員立法から生じるカネにせよ、適用違憲・運用違憲は「憲法マネーの資金が足りない」という意味においては、違憲という判断は自らの知性(エピステーメー)を疑われるものである。
女心には「絶対」がある(レイシオデシデンタイ)。

確定判決(半ケツ・マスターベーション)の判断に与えられる通有性ないし拘束力を「既判力」という。
終局判決(オーガズム)が確定すると、その判決における請求についての判断は、以後、当事者間の法律(ノンケ)関係を律する基準となり、同一事項がふたたび問題になったときには、当事者がこれに矛盾する主張をしてその判断を争うことは
許されず、裁判所(メディア)もその判断に矛盾抵触する判断をすることは許されなくなるのである。
たとえば、運転が好きな人は、異性のドライバーでマスターベーションをすることから運転が好きになっているし、将棋の棋士は「女流棋士」でマスターベーションすることから将棋への道に入っている。
人は他人に影響を与えながら生きている。
特に異性は他の異性に影響を与えながら生きていることを既判力という。
「大事なのは続けること」
貴島サリオ 芸能界でよかった

既判力の根拠としては、「紛争の解決」つまり、物事の学習にマスターベーションは都合がいいという考え方や、その筋では「かなりフェアなゲームが成立している」などが挙げられる。
既判力の作用としては「あの異性はそのことを続けているよね」ということをオンエア(裁判)で認め、それに反する証拠の提出を排斥すると言う積極的効果があるとされる。
異性がその記憶をもとにいろんな学習をしているのならば、それを否定することもあるまいという考え方だろう。
口頭弁論(言葉のやり取り)が終わらなければマスターベーションはできないともいわれ、口頭弁論終結時に既判力は生じる。
また、期待可能性(セックスできる可能性)も必要だとされる。
人は考える生き物である。
標準事後は取消権もないとされるが、相殺権つまり、その世界で真剣勝負を挑んで、その世界を嫌いにさせてしまうことはかまわないとされる。
好きこそものの上手なれ、よっぽど上達したのならば建物買い取り請求権すらあるとされる。
既判力は、判決主文つまり「野球」「将棋」「運転」などの「競技の名称」にしか生じない。
しかし、「人間は眠らない」という立場に立つ新訴訟物理論の側からは「主要な争点」にも、同様の効果が生じるとされた。
眠るか眠らないかでマスターベーションの意味は変わってくるのだろうが、争点効理論の真の意図は実践して見なければ分からないだろう。
また、同性の憧れのスポーツ選手の真似をするとモテるからその世界が好きになった、という「マスターベーションをともなわない」その世界への溶け込み方(反射効)の存在も指摘できる。

「弁論主義~天皇皇后両陛下」
判決(半ケツ・マスターベーション)の基礎をなす事実(結婚)の確定に必要な資料(口説き文句)の提出(事実・結婚の主張、証拠の申し出)を当事者の責任および権能とする建前を弁論主義と呼ぶ。
職権探知主義(メディアが作り出すフィクションが芸能人の結婚である)という立場に対して、天皇たる地位に「カント(口説き文句)への造詣の深さ」「実力制」を強烈に求めたのが弁論主義である。
天皇がカントに造詣が深いというのは「自明のこと」とされ、条文はないが、通常の民事訴訟(民間人の結婚)においては弁論主義が、芸能人の結婚に関する公益が問題となる人事訴訟(皇族の結婚)においては職権探知主義(メディアが作り出すフィクション)がとられている。
芸能人の結婚に関する行政事件訴訟法は、部分的にのみ職権探知主義がとられ、あんがい人間関係は現実を反映している。
問題は、皇族の結婚に関する人事訴訟が完全に「メディアが作り出すフィクション」となっていることであるが、天皇が「カントに造詣が深い」ことだけは当たり前のこととして理解しておかなければならない。
①法律(ノンケ)効果の発生消滅に直接必要な事実(天皇皇后の結婚・主要事実)は、当事者の弁論(口説き口説かれ)に現れない限り、判決(半ケツ)の基礎としてはならない。
②裁判所(メディア)は、当事者間に争いのない主要事実(天皇皇后の結婚)については、当然、判決(半ケツ・マスターベーション)の基礎としなければならず、この意味で拘束を受ける(自白)。
シェークスピアの「オテロー」においては、「オテローは結婚しています」というのが女の決め台詞となった。
③裁判所(メディア)が調べることができる証拠(口説き文句・男社会で生きている証拠)は当事者が申し出たものに限られる(職権証拠調べの禁止・ブログやツイッターの有効性を認める)。
工藤静香 証拠を見せて

なお、弁論主義の第三テーゼ(③)に関しては、「スクープ記事」が認められていた時期があった。
第一テーゼ(①)に関しては、訴訟資料(男女ともに参加する影響力争い)と、証拠資料(男だけが参加する影響力争い)の二つに峻別がなされ、女にとっては「証拠を見せて」というのは非常にありがたい宗教となりえた。
そもそも、なぜ「弁論主義」は採用されたのだろうか?
天皇になりたければ「カント」(口説き文句)を学ぶのが帝王学であるということを示すことにある。
ダークマター(不意打ち防止)やダークエネルギー(手続き保障)を考慮しなければ、「結婚しただけで出世」「セックスしただけで出世」などという問題が生じかねない。
天皇皇后に取り巻く歴史認識が弁論主義の背景にある。
松田聖子 マラケッシュ

弁論主義の根拠は「実力のある天皇を」というところにあったが、裁判所(メディア)が報じたことに対し、釈明に応じない当事者はいない。
むしろ、「どんな肉声を持っているのか?」を明らかにしない限り、皇位継承にまつわる結婚にはたどり着かないのだ。
不意打ち(ダークマター・セックスさえすれば天皇と呼ばれる)の問題への対処法を明確にすることと、親王さまに憧れて「お内裏さま」を結婚式で演じる藤原氏の存在があればいいとも考えられる。
肉声を語れ(釈明権)・肉声を語りたい(釈明義務)が存在するのは事実であるが、法的観点(ノンケ的観点)指摘義務が人々にはあり、なかなか法的観点指摘義務に打ち勝てる「強い天皇・強い皇族」はいないのが現状だ。

当事者の行為(セックス)は、申し立て・主張・挙証が必要とされ、申し立てで大騒ぎしたところで、主張・挙証の段階で周囲にくじかれることが多い。
そのうえで、否認つまり、「そのような結婚はない」とするものや、不知つまり「そのような結婚は知らない」とするもの、自白つまり「そのような結婚を認める」というもの、そして沈黙が挙げられる。
ここで気がついてほしいのが、原告と被告は「男と女」なのであり、あくまでも、両性の合意のもとに手続きが進んでいるということなのだ。
「沈黙さえ怖くない恋人になりたい」
タンポポ 恋のやじろべえ

平成天皇のように、安易に「仮定的主張」つまり、「過去の女をあら探しする」ことに逃げずに、もっと、「カントに関する見識」を聞いてみてもいいとも思うが、なにしろ、二十代だとみんな似たり寄ったりな部分がある。
いずれにせよ、完全陳述義務や真実義務のように「率直さ」は「自信の表れ」という具合に見ていくしかない。

「国会~スカーレット」
そもそも国政(テクネーとエピステーメー)は、国民の厳粛な信託によるものであり、その権威は国民(性欲のある人々)に由来し、その権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民がこれを享受する。
すべての国家機関、つまり、司法(恋ばな)、行政(メディア)、立法(カネのばら撒き)は国民の代表である(広義の代表概念)と目されるが、議員は「エピステーメー」に詳しく、選挙区や特定の団体の利益ではなく、国民全体の福利の実現を目指すべき存在として、統一的エピステーメーを形成できる機関であるとするものだ。

女が男を育てるという発想が生まれたのは1986年であり、「賞味期限の切れた彼」
などという表現も、中曽根内閣の頃に生まれている。
高橋由美子「スカーレット」より。
高橋由美子 ウェルカム

ホイッグ的代表理論、つまり、国民にとって何が最善(もっとも気持ちいい)かを自らの判断に従って行動すべき存在であるという選挙制代表が、地方の利害のために行動すべきというトーリー的代表概念と衝突した。
アメリカでは、国民の「テクネー(処女芸術)とエピステーメー(知識)への喝采が必要」とされ、下院議員の任期は二年と短く、人民が主役であると考えられた。
しかし、かなり強い「公権的解釈権」を持つ大統領の存在を前提としている。
また、メディア(裁判所)も、音楽作品の解釈論には謙抑的であるが、かなり強い影響力を持っていることを知らなければならない。

愛を囁けないのならば、国会議員にも首相にも天皇にもなれない。
「あまい囁き聞かせて」
高橋由美子「スカーレット」より。
高橋由美子 ウィスパー

「絶対」が存在するという観点から統一的国家意思をテクネーとエピステーメーに求め、国民生活を豊かにするための資金を引き出すことが国会に求められたが、天皇にせよ大統領にせよ、エピステーメー(知識)は抜群でも、カネを持っているのは国民であるし、喝采を浴びせるのも国民である。
選挙区単位の国会議員の罷免(プープル主権)は認められていない。
「地元にカネもってこいや」という発想よりも、広く全国民の喝采を求めたのだ。

髪の長い女は「セックスできる」体である。
高橋由美子「スカーレット」より。
高橋由美子 シャンプー

国権の最高機関である国会にはなにしろ「エピステーメーの専門家」が山ほどいるし、国全体にカネを行き渡らせる「統括機関」であるという意味であると考えられる。

世の中には、オカマやレズビアン(法律の留保)という世界があって、大人になるってあんがい大変なのだ。
「男の子は男になり、女の子は女になる」
それが統括機関の目的なのだ。
高橋由美子「スカーレット」より。
高橋由美子 ファイト

テクネーとエピステーメーによって集めたカネでどんな組織を編成し、どんな仕事をやるのかは国会中心立法つまり、国会が独占して決めることだ。
内閣提出法案のように、すでに組織がカネ集めの目処を立てて提出してくる法案もあるが、それでも、国会単独立法、つまり、国会議員にその「知識」を周知徹底させなければならない。
国会が開かれると(天皇が召集する)テクネー(処女芸術)とエピステーメー(知識)が広く会議の公開のもとに広まり、国におカネが行き渡るが、国民が仕事をするうえでの血液ともいうべきおカネの流れが止まれば、衆議院は解散せざるを得ない。
衆議院の解散は天皇にとっても屈辱であり、閣僚三名の署名が持ち込まれれば解散させるしかない(苫米地事件)とされる。

女にとって「沈黙」とは「セックスOK」という意味だ。
「言葉なんか要らない」
高橋由美子「スカーレット」より。
ハル~サンシャインベイから 高橋由美子

政党というのも「国民の政治意思を形成するためのもっとも有力な媒体」(八幡製鉄政治献金事件)とされているが、テクネーとエピステーメーを理解しなければ、資金の裏づけのもとに政府が「仕事」をすることは困難なのであり、衆参の議員が五名以上であることや、直近の国政選挙での得票率が2%以上であることが政党要件として求められている。
政党助成法にもとづく政党交付金も「大政党に有利」とされているが、党内民主主義つまり、自らの政党内部で「モテること」などは当然の前提となっている。
政党の「成績」というものまで考慮するのならば「大政党に有利」というのも仕方のない部分がある。
自由(譲れない夜)を否定する政党には自由を与えるべきではない(戦う民主制)などといった議論も政党に関してはなされている。
瀬能あづさ 永遠に友達

「行政権は内閣に属する」つまり、行政(メディア)は内閣が握る。
テレビに出たければ政府与党に属する以外になく、政党間の争いは想像を絶するものがある。
イギリスのように国王と議会が対峙し、国王の任命にかかる内閣が議会(下院)の信任を受けているという構図は確かに成立する。
ライブパフォーマンスがなければ忘れ去られていくのが、芸能人であり、自らの破産が原因でテレビに出られなくなるという理由とは別に「政権の都合」という要因が存在することになる。
政権が交代すれば「テレビに出られなくなる」という芸能人はいるだろうが、テレビ局が安易に「政権交代に世論を誘導してやれ」などとは言えない事情もある。
内閣がその職権を行うのは閣議による。
閣議は内閣総理大臣がそれを主宰する。
定例閣議・臨時閣議・持ち回り閣議など、すべてに、芸能人生命がかかる者たちがいる。
テクネーとエピステーメー、つまり「おカネの問題」はすでに国会に委ねてあるため、閣議に司法審査は及ばないとされる。
芸能界の執行や、外交、官僚人事などを握ることになるが、「国会に対して連帯して責任を負う」とされ、国会の生み出すおカネが頼りなのが現状だ。

日本政府の「外交の失敗」すら、現役の芸能人の芸能人生命に影響を与えるために、国民は外交には重大な関心を寄せざるを得ない。
「ダンサーを目指している彼は、次のステージに賭けている」
SPEED Another Sweet field

「天皇~言葉の意味の神学」
象徴という言葉は、記号論と呼ばれ、「言葉の意味の神学」と翻訳されている。
記号論という本を探してみても存在しないが、ようするに「面白い本」という意味である。
本来、「カント(口説き文句)に詳しくなければ、娘との結婚すら認められない」というのが民事訴訟法の立場から見た「天皇観」であったが、会社法上も労働法上も、「女の子を口説けなければ収入の面から割に合わない思いをする」というのが社会人であり、「カント」をみんなに分かりやすく広めないのならば、天皇とは呼べないのだ。
内閣の助言と承認によって、国民には「こんなに偉い人なんだよ?」ということは伝わるが、女の子を口説く言葉(カント)を拡散させることは、時に「神はゲイを憎んでいる」(命令)というメッセージにもなりやすい。
男のケツを狙うマッチョにはかなり「天皇」というものに葛藤を抱くものもいる。
男が崇拝する男としての「ゲイ」は、神の起源であり、時に「ペン」を憎むものだ。
平和の象徴としての「鳩」つまり、資金集めの達人であることや、文の象徴としての「ペン」などは、「天皇」というものは何かを語る時に常に引き合いに出される。
セックスする時は女はいつも本気である。
ribbon 愛してジャスティス

「地方自治」
理性(女のからだ)万能の時代が来て、ようやく地方自治は基礎体力を高めるものだ。
自然法(勉強)の限界に対して、田舎娘でも十分に美しいことから、おのずの「勉強の限界」として地方自治を位置づけようという発想(固有権説)もあったが、「分かりやすい勉強」は国からもたらされるという伝来説が勝利した。
プロイセンで、家格がもっとも高かったバイエルン家に、むしろ「勉強」を教えたビスマルクに由来するものが伝来説だ。
国家レベルの口説き文句は知らないけれど、女たちが美しい、これが地方自治の柱である。
国の法律と地方の条例の抵触に関しては「モノにしたとたん冷たくなる男」さえなくせばいいという発想がとられている(徳島市公安条例事件)。
冷たくしないで

「裁判所」
裁判所(メディア)は、最高裁を頂点とし、非「政治」的、つまり「女心に熟知していながら、自らはそれを語ることはない、あるいは非「権力」的、つまり「勃つ男」であるということから、宗教上の「教義」を淡々と収集するという意味において、モンテスキューは「人間の間でしかく恐るべき裁判権」と言わしめている。
「実体法」つまり、金儲けやモテる方法を定めた法律のみならず、「手続法」つまり、自分が影響力を増す方法を定めた法律もあるが、「救済法」つまり、「地裁の判事は俺の友達」という仕組みがあり、救済法はきわめて無視できない存在だ。
身内の芸能人の力を背景にする行政処分(発言力)を執行停止できるほど、裁判所(メディア)はそもそも芸能界を管理しているのであるが、内閣総理大臣は芸能人の救済のために「異議」を述べることができる。
「恋の神様~裁判所」
モーニング娘。恋ing

判例といっても「二人の女」のラブパッションとなって最高裁に行くことが多く、必ずしも最高裁判例からのみ「規範」が導き出せるわけではない。
「思い通りにはさせないから」という女の思惑があり、判例百選とは距離を置き、あるいは編集しなおし、教科書に戻っていくという姿勢が必要になってくる。
rebecca Love passion

また、動産と不動産という区別も、動産(プロテスタント女)・不動産(カトリック女)という区別がなされており、各人の文化の違いを理解する必要がある。

動産 モーニング娘。インディゴブルーラブ

不動産 AKB48 恋するフォーチュンクッキー

このあたりは第三次答申を改めて出したいと思う。

 

2019年8月 5日 (月)

鉄人。

マスターベーションのコツはどこにあるだろうか?
想像する相手が「差別」されていることと、ステレオタイプ(ノーマルセックスを想像すること)の二つが条件になる。
抜けない女というのは「差別されていない」ものだ。
想像する相手が差別されていることと、ステレオタイプ(ノーマルセックスを想像すること)の二つが条件になると、エホバの証人の女などは絶好のズリネタであるし、わざわざ「差別されること」を望んでいるとしか思えない。
「女教師」「人妻」「看護師」なども「差別」されているのだろう。
その対象に「ノーマルセックスを想像できる」(ステレオタイプ)ことがノンケになる条件だ。
「マガジンタイプ」(ヘンタイプレイ)な生き方なんて大人に任せておけばいい。
夢を持つことは「ノンケ」になるのが目的なのだ。
CoCo 夢は眠らない

差別に「いいこと」があるとするのならば、とにかく「韓国女」にせよ「抜ける」のである。
少女時代が「差別」をどのように活用したかはよく理解しなければならない。
少女時代 Gee

「差別」は「悪」に対して行うものだ。
それならば、セックス(罪)との相性は抜群ではないか。
どの男もどの女も「自分にとって一番大切な人」を差別などしていない。
そのために、パートナーでは抜けないのだ。
「悪」は意味に満ちている。
とにかく人類学の観点からも「彼・彼女の論理」が分からないため、ズリネタに一番いいのだ。
韓国との「政冷経熱」つまり「女心が分からない」(政冷)しかし「女で抜ける」(経熱)などわが国の伝統であっただろう。
少女時代 ジニー

女にとって「教科書は男」とも言われ、本当に読んでいる男でマスターベーションをした。
自分で「レポート」を書いてみて、評価が悪いと、成績のいい男は格好のネタになった。
「家族にするともはや抜けなくなるが、キャリアや成績をいい方向に導くことができる」「家庭内にいる人」(ノーゴー)か「差別された人」(ゴー)かの区別は明確に理解しなければならないし、いざ、結婚してみると冷え切った関係になりかねない。

マスターベーションというものは「差別された異性に」「ステレオタイプ(ノーマルセックス)」を求めることであるが、その効果としては「差別されたものたちに溶け込みたい」という感情を誘発することがあるとされる。
私も、中学高校では「成績のいい女の子」が対象であり、大学に入ったら「芸能界のアイドル」が対象となっている。
大学に入って「芸能界には興味がない」というのであれば、行政法などの法律が分からないだろうし、官僚にも向いていない。
そもそも「処女芸術」と接する機会もなければ、大学での講義(知識)と照らし合わせる機会がない。
テクネー(処女芸術)とエピステーメー(知識)こそがあらゆる資金の出所であることから、「ラムちゃん」が嫌いな京都アニメーションのメンバーはいないといっていい。
うる星やつら

「新しい知識」というのはマスターベーションをすることで覚えるのだ。
快楽のショックの穴埋めのために日常に戻っていく。
しかし、「鍛え上げられた肉体に多少の薬」という才能や、「一番いい先生を選ぶ気力」は通常の人間にはないものだろう。
そこで、中年世代になると、バッティング(頭突き)行為などの反則が横行するようになる。
「情報源とそれからもたらされる衝撃の大きさ」を悟ることが己を知るということだ。
自分の発言やプレーがなんら「衝撃」を引き起こさないのならば公然と反則を使うようになる。
そんな時は、そのような反則を使う輩を笑いながら叩きのめせばいいし、私も、腰を悪くした時に杖をついて街を歩いていたら、女子高生に「老人じゃん?いるよね」と噂されたが、マスターベーションの「ショック」の穴埋めをするために彼女たちは私のブログを読み始めるだろう。
とにかく「情報源とそれからもたらされる衝撃」を作家としては保障してやらなければならない。
マスターベーションの「ショック」を英語で「Think」と言い、日常生活の方向性を決める。
自分の家族以外を差別する、ここから人生というものは始まるし、やがて、自分の世界というものは広がっていく。

「魂」(ノンケ・いじめられっ子)と「肉」(オカマ・いじめっ子)よりも上位にくる概念が「霊」である。
霊は、「顔にあらわれる」とされ、男の顔・女の顔・そして出会いと別れを繰り返さない「絶対的顔」の存在が指摘されている。
中島みゆき 時代

「霊は顔にあらわれる」としたが、女の子の文化がなければ「女の子らしい」顔はできないし、男の子の場合もそうであろう。
また、別れないカップルならば「顔が似てくる」などの絶対的顔が存在するはずである。
その「絶対的顔」は時に息子の顔であったりする。
いずれにせよ「霊」とは「顔」のことであり、「文化」のことでもあった。

特に、男の子の「霊」は、勉強さえできればいいかもしれないが、「女二人に男一人」という構図が生まれたことは「女の子らしい顔」の美しさ、の世界を一気に爆発させた。
Wink 淋しい熱帯魚

なぜ、両親と顔が似てくるのかは遺伝という説明よりも「聖霊」の存在を念頭に置いた方が説明しやすい。
DNAトランスミッションよりも「文化」の影響を強く受けるのだ。
このことから「愛されて育った子は、勝手な自分を愛する」などと言われたりもする。
親父の書斎・母親の聖書などは、息子や娘の「顔」に伝わるため、親が恐れられたのならば、赤ん坊などの子孫まで根絶やしにすることは昔から知られていた。
ヴィト・コルレオーネはどこだ?
ゴッドファーザーパート2より

企業経営者といっても決して豊かとはいえないし、労働者も似たようなものだろう。
それならば「カント」を父親が学ぶこと、そして聖書によって母が父を慕うことが、子供たちの「顔」「霊」に影響を与える。
このことから、キリスト教社会は、「霊」を、「魂」「肉」よりも大事なものと位置づけたのだ。

お父さんの「文化」に影響を受け、恋をすることに臆病になる女の子は多い。
中森明菜 セカンドラブ

ヒンドゥ教は、息と霊(顔)に命を見出す宗教となっている。
エジプトにおいても「結婚前のセカンドラブ」を強烈に批判するようになっている。
お父さんとお母さんからもらった「顔」「文化」つまり「霊」を愛せなかったのかという思いが親にはあるのだろう。
聖母マリアも自らの「霊」を愛したために「罪がなかった」と噂された。
女性は、音楽作品の意味が分かるようになるために一通りの経験はした方がいいという考えから、「女性は子供を産む装置ではない」(厚生労働省見解)とされているが、聖母マリアはむしろ「子供を産む装置」であった。

父親がカントだのマルクスだの言っていて、母がそれを慕っている両親を持っていると、男の子は「恋を追い越していく」とも言われる。
歴史上の哲学者は「カトリックに奉仕するため」にいたようなものであるし、カトリックでない女の子は「好きよ泣きたいぐらい」と言って、音楽作品や建築にそれは利用された。
酒井法子 恋と愛のニュアンス

 

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