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Foreign Affairs

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2019年6月 6日 (木)

矛盾と実践。

矛盾とは、男だけの社会で何の結果も出せず、堂々巡りすることを言う。
実践とは「処女の役割」という意味である。
結果の出せる連中ならば、処女などいなくてもギスギスはしないが、結果がでないと(矛盾)処女が必要になってくる。
成績の向上などの結果が出せると、「処女なんて必要ない」という雰囲気になるが、結果がでないと、「処女が寄ってくる」のだ。
毛沢東の、キャリアの推進力と言われる「矛盾と実践」とはこのような趣旨の論文である。
ビートルズ レボリューション

結果の出せない男に「男らしさ」などあるのだろうか?
松任や由美 ノーサイド

この毛沢東の論文は「中国という巨大な社会」の階層化を進めた。
高橋由美子 負けてもいいよ


クラスの上位の連中の中にも「結果を出せなくなる」男は確実にいたので、処女が虎視眈々と狙っていた。
下位の連中は簡単に女が落としていたので、中堅クラスが冷静に自分の時代が来るのを待った。
女の子たちは本当は「中堅クラスの冷静な男」が好きだったのだ。
そのため、上位陣の中の脱落者に「敗北の文学」を送り続けた。
下克上があったために、上位の中の上位と中堅クラスが東大で合流した。
高橋由美子 こんなにそばに居る

上位の中の上位は「大学に研究者として残る」という意味では優遇されている。
しかし、毛沢東や宮本顕治が考えていた「社会のダイナミズム」を「理解する立場にない」という意味では、金融には向いていない。
毛沢東、宮本顕治、さらには、チェ・ゲバラと言えば逆らわないのが年寄りだったからだ。

「男らしい」のは、負けた男ではなかった。
最終的には、「勝った男」が「負けた男と女の事情」を理解することが必要だった。
中堅校出身の男は「ベースライン」の存在によって人事で辛酸を舐めるだろうが、毛沢東や宮本顕治が味方ではないか?
子供の世界と大人の世界では「ベースライン」の扱いが違う。
社会人になってもそれは同様である。
何が男らしいのか?
それは「敗因を知っている勝者」であろう。
「女心を理解しつつ、中堅クラスから下克上を果たした」男の方が金融に向いている。
放課後に落ち込んだ少女 おニャン子クラブ

アメリカ合衆国では、共産党が非合法化された。
中堅クラスの高校からハーバードやスタンフォードに入ることが禁止されたも同然だったのだ。
毛沢東や宮本顕治、チェ・ゲバラの金融を禁止したのだ。
そこで、一流私立高校以外にアメリカ高等教育は門を閉ざしてしまった。

とにかく思春期の女の子はメランコリーに陥るのだ。
クラスメートの上位陣から負け犬が出てくると容赦なく狙った。
私のメランコリーをどの男子のせいにするかを考えた。
結婚する気なんてさらさらなかったわ。
なにしろ、私と同じように落ち込んでいる男の子と波長が合うだけだから。
思春期を通り抜ければ、そのような男子には用はなくなった。
高校というのはニューヨークのアッティカ刑務所ね。
出所(卒業)してしまえば事情は変わるのよ。
毛沢東や宮本顕治は、ベッカリーアやミシェル・フーコーを参考にしていた。
フーコーの「監獄の誕生」という監獄という意味は「高校」ということなの。
檸檬の年頃 AKB48

思春期の女の子の「メランコリー」に「罰の起源」があった。
「恋愛と結婚は違うゲーム」
それは、毛沢東や宮本顕治を起源とするものであり、思春期の女の子たちの「弱い男を罰する力」を背景に強烈な支持を得た。
どの年寄りも、毛沢東や宮本顕治といえば「若かりし日の自分」を思い出したし、逆らおうともしなかった。
あのゲームの勝者があなたなの?
中堅校出身の男を見てそう思ったのだ。
河合その子 緑のポインセチア

ほろ苦い「恋の思い出」を持たない年寄りはいなかったため、毛沢東や宮本顕治、チェ・ゲバラはその心理を巧みに利用した。

マザー・テレサは、自身の自伝において「とてもミステリアスな経験だったわ?」と、自分が思春期にメランコリーになって、男の子を「罰した」記憶を赤裸々に語った。
なにしろ「そういう夢を見た」としか覚えていなかったからだ。
雪が降りしきる中を神さまに盗み見されたみたいよ。
「愛とは奪うもの」と信じていたの。
私が好きになった男の子の人生がダメになっていくのも見た。
でも、もしあの時、私の方から行かなければ、男の子たちの争いは治まらなかったと思う。
毛沢東や、宮本顕治、チェ・ゲバラの噂を聞いたのもその頃かしら?
工藤静香 ミステリアス

この、ミステリアスな経験を知っているのならば、あなたは私たちの仲間ね。
年寄りはみんなそう考えた。
上位の中の上位ではない、中堅校出身の革命家が「高校という名の監獄」で何を見たのかを知っているのならばね。
マザー・テレサの証言を元に、ミステリアスな女の子の思春期を資金に変えた革命家は、彼ら自身がミステリアスな存在となった。
今となっては楽しかった思い出だったから、理解してくれる男性はみんなミステリアスな革命家となっていた。

アリストテレスは「偏差値」の計算方法を考えたし、どの男の子も偏差値をもっていた。
しかし、それと同時に「愛Qテスト」も考えていた。
偏差値だけではどうにもならないのが「女心」だった。
偏差値が高ければ、当然、「女心」にも詳しいはずである。
なにしろ、時代の教科書が変わってきたのだ。
毛沢東も、文化大革命において、「時代の教科書」を書きたかったのだ。
「女心に詳しいソクラテス」以来、世界の政治家で違うやり方をするものはいなくなっていた。
クラスの上位陣から脱落者をなくすのが、アリストテレスのやり方であり、中堅校の冷静な連中が、上位の中の上位と東大で合流することはアリストテレスは想定していなかった。
敗北の文学にせよ、矛盾と実践にせよ、共産主義というものはのちの時代の発明だったのだ。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY

もはや、令和の時代は、平成の「失われた20年」の時代とは違ったのだ。
偏差値の高いものは当然、小野光太郎を読んでいたし、脱落者を出さなかった。
毛沢東や宮本顕治という「中堅校から東大に入る」ことをアリストテレスは想定しておらず、ヨーロッパの古典に回帰するか、共産主義を選択するかのどちらかだった。
イートン校などは完全にヨーロッパの古典にのっとっていた。
アメリカ合衆国も、毛沢東や宮本顕治、チェ・ゲバラを否定した。
ニューヨーカーも「カストロのすべてが許せるわけではない」と語った。
音楽作品を聞き、プロレスを見ながらも、偏差値の高い連中は誰も脱落しないのが反共ムーブメントだった。

D.T.スズキは、日本の主婦層に「美少女の写真」を大量にばら撒いて、日本人の女の子の顔と、朝鮮人の女の子の顔を明確に区別した。
日本の「処女マーケット」は明らかに変わったし、毛沢東や宮本顕治の立場から中堅校に東大に入ろうが、上位の中の上位の連中と東大に合流しようが、アリストテレスの立場から「女心」に詳しくなろうが、自由民主党(原理研究会)と共産党(民青)が東大で共存し始めたのだ。
ロマンスかくれんぼ

本来、灘や開成ではなく、横浜市立南高校出身の私は、原理研究会(自由民主党)ではなく、民青(共産党)つまり、キリスト教ではなく仏教の側に属すべきであろうが、スタンフォード大学にはそのような区別はない。
共産党系の私でも、政府与党に入ることが許されるのがスタンフォード留学である。

私も高校時代のアメリカ留学がなければ、キリスト教(自由民主党系)ではなく、仏教(共産党系)に位置づけられていただろう。
留学のおかげで、横浜市立南高校でも「灘・開成と同格」という地位を得ていたのだ。
酒井法子 エアメール

法然や親鸞、日蓮は、「可愛らしいジャパニーズビューティー」を生み出しており、灘・開成出身の東大生という「キリスト教系」のかなり暴力的な存在とは距離を置き、協調性と、学歴はなくても可愛らしい女の子に恵まれるという仏教を考えたのだ。
中堅校出身か、上位の中の上位かというのは、毛沢東や宮本顕治、アリストテレスの対立であり、アメリカを知っているのならばそのような軸はそもそも存在しない。
もっとも、「東大ではない」のならば各教団の指導者にはそもそもなれないのだ。

仏教は「集団指導体制」を好み、キリスト教は「君主制」を好んだ。君主制が民の支持を得たら共和制だった。
キリスト教と仏教を巧みに操る君主が共和制の背景に存在し、多くの懸案を解決して民の喝采を浴びた。
仏教の世界は「キスとスキ」が多く存在し、人気があったし、偏差値だけではない、英語だけがすべてではないという連中が仏教に集まった。
キリスト教とはエリートのものであったし、原理研究会というだけで、恋愛から排除されてしまう。
民青(仏教)の方が駒場では人気があったし、上位の中の上位の連中が中堅校出身者に一歩譲る慣習があった。
「キスとスキ」を知らない者は世の中を知らないと思われたのだろう。
高橋由美子 ウェルカム

仏教の世界では「法」というものはあるが、キリスト教においては「法」とは呼ばないだろう。
あくまでも「キスとスキ」の世界にこそ「法」というものは存在しえたのだ。
男女でみんなでワイワイやったほうが「査問」も行えるし、いろいろと勉強にはなる。
査問の時に「法」は生きるし、実務家としての才能も育まれた。
しかし、その世界を離れて「研究者として大学に残りたい」と考えたら、原理研究会に所属したことを明らかにして、「みんなでワイワイ」の世界からハブられた。

「行政処分」というものは学生時代に「査問」を行ってきた経験から下されるものである。
つまり、「みんなでワイワイ」やってきたものが国家一種試験に合格していた。
一方、大学の研究者は原理研究会から昇格するものである。
キャンパスでの「みんなでワイワイ」は女子たちにも人気があったし、その人気がなければ行政も実効性が担保できなかった。
自分は民青なのか原理研究会なのかの判断を明確にしないと、学生としては居場所がなくなるものだ。
学生のサバイバルは、そのようにしてなされたし、「親のカネ」もそれを背景にして大量に流すか、資金を引き上げるかが決まった。
子供なりの判断が学生には求められる。

仏教の世界には男女が満ちていて、「みんなでワイワイ」やり「法」にのっとって「査問」というものを行う。
私の叔父の一人に、「豊臣秀吉の末裔」という人がいて、豊臣秀吉が「刀狩を行う前の横綱」であったことから、平成天皇との関わりをそのように語っているものと思われる。
その叔父が「酒井法子の実父」であったことから、「男社会の堂々巡り」の世界に「処女が近づいてくる」というよりも「娘がトップアイドルである」ことから、飲み友達を増やしていく実態があった。
また、酒井法子の妹は、ribbonの松野有里巳であった。
私は、東大に受かった時に、酒井法子と松野有里巳の二人が家に遊びに来るというなんとも贅沢な経験をしている。
とにかく、私の叔父(豊臣秀吉の末裔)は、娘をアイドルにするということから仕事を成立させていたのだ。
自らの発言に「教科書レベルの」精密さを求め、それはつまり「処分性」となっていた。
また、娘二人が「処女ではない」という噂を立てられることは、自らの権力と関わったために、非常に敏感になっていた。
酒井法子、松野有里巳、そして私の妻がどのような血縁関係にあるかは明らかではないが、「娘こそが権力基盤」ということをもっともよく理解していた平成天皇の戦友だったようだ。
私も、3人の娘のうち上の二人を芸能界に送り出そうとしているが、すでに皆さんがCMクイーンとして知っている女の子が私の娘かもしれない。
酒井法子 涙が止まらない

年寄りの女性にとっては「ミステリアス」な経験であった、男社会の上位の中の上位と中堅校つまり、原理研究会と民青の関係であったが、高校時代が「ミステリアス」なのであり、原理研究会と民青はすでに大学であり、大人の入り口をくぐっていた。
アメリカ合衆国が原理研究会のバックにあり、中華人民共和国が民青のバックにある。
財界をバックにした男子校・女子校、そして男女共学はこのような関係にある。
私は、横浜市立南高校出身であり、お受験の事情を踏まえると、中国と結びつかざるを得ない。
しかし、高校一年の時に夏休みを返上して英語の勉強をしたらアメリカ留学が許可されている。
つまり、アメリカ合衆国と中華人民共和国の両方を見据えることが可能になったのだ。
英語の次の第二外国語は中国語であった。
民青の中から「大学に残る」と言い出した者は「民科」と呼ばれて差別された。
日本共産党や中国共産党は、年寄りの「思春期のミステリアスな経験」を資金源としている。
毛沢東の「矛盾と実践」、宮本顕治の「敗北の文学」からそれは明らかであった。
「娘がアイドルをやっている」「処女なのかどうかは重要な問題」と考える大人の事情とは別に、毛沢東や宮本顕治は「処女を失ったときの思い出」を資金源にしていた。
ribbon リトルデイト

 

余談ではあるが、「小野光太郎をいじめている」と自慢する者(山本信一郎宮内庁長官、西村泰彦次長、その他の宮内庁全職員、参議院議員の山谷えり子など)は医者が治療拒否をする必要がある。

男の子は「上位の中の上位」から脱落してくることがある。
女の子がだんだんキレイになってくるからだろうという側面があると思われる。
女の子よ、どんどんキレイになれ。
中堅校の冷静な連中はそのおかげで、東大で「上位の中の上位」と合流できるのだ。
しかし、上位の中の上位が原理研究会で、中堅校が民青であるという違いが東大で生まれた。
民青の連中が「大学に残りたい」と言ったら「民科」というレッテルが貼られる。
通常は、原理研究会=キリスト教=君主として大学に研究者として残るのが王道だった。
しかし、民青=仏教=衆愚制として研究者に残る方法もあったのだ。
赤い靴のバレリーナ 松田聖子

100メートル走、200メートル走など、メートルが数学できっちりと決まっていなければ、「男らしさ」を語る基盤がない。
「会期の延長」なんてものは本来想定されていないゲームなのだ。
ゴールの切り方に不満のあるものが会期の延長を主張するものだ。
カール・ルイスは、レースの途中でベン・ジョンソンを二度三度ふり向いた。
このような時に「首相の解散権」が抜かれる。
家庭内で「弟」が生まれると、長男は弟を二度三度ふり向かなければならない。
しかし、そもそも、原理研究会だの民青だのいうのは長男だろう。
社会から多くのものを家庭に持ち帰ってくる必要が長男にはある。
家庭内における「堂々巡り」もそれによって変わってくるのだ。
「バーモントのコミューン」のようなものを民青は持っていて、仲間も多い。
所属すれば、親も喜ぶだろうが、「不潔な連中」と言われても仕方がない。
なにしろ衆愚制なのだ。
君主制ほど高貴なものではなかった。
ハウスバーモントカレーCM

処女にとって、男らしい男とは「何かに傷ついている」男であった。
それは女の子が去勢をかなり暴力的に受けることから、同調行動が取れるからである。
学者として「君主制」の立場に立つか「衆愚制」の立場に立つかがキリスト教と仏教の違いであったが、どちらも「国民の人気」を必要としていた。
君主制が国民の支持を得られるのならば共和制であり、何か大きな仕事をして民を「アッ」と言わせなければふたたび君主制に逆戻りであるし、衆愚制ならば民に「考えるヒマを与えない」という側面がある。
いずれにせよ、君主へのハニトラとしての処女がいなければ、民青も成り立たないのだ。
鈴木亜美 Our days

上位の中の上位から脱落した男は、頭をつかってきた以上、「勃起した」のである。
そのようにして処女と、上位の中の上位から脱落した男は「ブルーな恋人同士」となったのだ。
すみれ色の涙 岩崎宏美

上位の中の上位の連中に、成績が思うように伸びずにギスギスしている男がいたら、ゲームの世界が巧妙に入り込み、女との出会いの場を与えた。
「女の口説き方ならば知っているよ」と考えた男の子は「ニンテンドー」の「インテンドー」(思う壺)にはまる仕組みになっていた。
高校時代から付き合っている女というのはそのようにして生まれたし、下手な別れ方をするよりも、ずっと付き合っていたほうが、成績は伸びるだろう。
一浪、二浪というのはそのようにして生まれたし、東大にも普通にそういう人はいた。
「二浪以上は信用できない」というのが企業の考えであり、原理研究会でも民青でもない就職組はそのようにして存在した。
彼女がすでにいるから、就職において「セックスサークス」に加われない、しかも、「仕事をする能力がまだ身についていない」のであり、それが「二浪以上は信用できない」という意味であった。
原理研究会は学者に向いており、民青は司法試験や国家一種試験に向いていた。
教会法を書く学者か、法を書く実務家かの違いがあるが、「彼女がいるのに新卒?」という扱いを二浪以上の男は受けざるを得ず、どのみち別れざるを得ないだろう。
いちご白書をもう一度 バンバン

上位の中の上位からこぼれおちた男は、それなりに有名だった時期がその筋ではあったため、女にとっても「気持ちがいいもの」だったのだ。
挿入だけが気持ちいいのではない。
とにかく、空気が気持ちよかった。
男にとっては「有名で女らしい」女への挿入は気持ちいいが「射精の時の感覚は同じ」であるとアタナシウス派は結論付けている。
もっと、「女の側から」「神=男を信じる」とはどのようなことかを理解しなければならない。
蛍の草原 松田聖子。

有名男ならば「ひとり上手」すら気持ちいいものなのだ。
世界一有名な男って誰?
それはイエスキリストだった。
イエスキリストでのひとり上手は気持ちがいい、これがカトリックであり、教会はイエスの肉体と呼ばれた。
ribbon さよなら

イエスキリストはとにかく強い政治家だったが、磔にされた時に、実況が「悪魔が倒れた!」と叫んだ。
こんなに気持ちのいい男は他にはいなかった。
世界の政治家が女の子をどのように口説いているのかを集めた「純粋理性批判」は、ロイター通信によって作られた「悪魔の書」であった。
カントは、ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教などの指導者の言葉すら網羅したのだ。
儒学もなかなかの強さを見せた。
女は、男の言葉を思い出しながら、ヨーガ(セクシャルポーズ)をやるだけで濡れ濡れになった。

東大生も、上位の中の上位だと、先生に進路を決めてもらっていたため、面白くない部分があった。
「そんなことを言っていると先生の印象が悪くなりますよ?」
そんな東大生がいるのは事実だったのだ。
それよりも「世界は広い。こんな小さい先生の言うことなんて聞いてられるか」という男の方が気持ちが良かった。
司法試験委員に逆らえないのでは、なかなか気持ちのいいセックスは難しいかな?
法律事務所の女の子は、そのような東大生を容赦なく不採用にした。
もっと「世界」を見てもらわないと、カントという「聞いたことのある名前」は「欧米の憧れのセックス」にとどまる。
普通にカントを理解していて欲しかったし、司法試験委員などという堅物に人生の命運を握られているうちは、欧米に劣等感を感じるしかなかった。
浅香唯 ピンクの結晶

さて、民青=仏教=中堅校の世界に、「可愛らしい女の子」がいるのは事実であるし、原理研究会=キリスト教=上位の中の上位の連中から脱落者が出ると、可愛らしい女の子がよってくるのは事実である。
なぜ、日本の女の子が可愛らしいのかは「禅」を理解しなければならない。
禅とは、中国語で「チャン」と言い、日本語で「ゼン」と言い、朝鮮語で「ソン」と言い、ベトナム語で「ティエン」と言う。
中国・日本・朝鮮・ベトナムの女の子が、「より可愛い」ことになる。
その秘訣は、妊婦さんが「美少女」の写真や映像を見て瞑想することにあるのだ。
「禅」にまで遡らなければ、上位の中の上位の連中がたとえ脱落しても「女の子に落とされる」という文化は生じないはずである。
松浦亜弥 絶対解ける問題

妻が「美少女の写真や映像」をまじまじと見て瞑想する背景には、パートナーの男の「苦しみ」がなければならない。
苦しみぬいた人生の中で癒しを求めていた男について、妻が「彼は何を考えていたのかしら?」と興味を持つことに「禅」の起源がある。
歳をとって出来た子供はブサイクだというが、周囲から「美少女」がいなくなっていただけであり、普通に、パートナーの男が「美少女」に癒しを求めていたのならば、妻も興味を持つだろう。
人生の若い時期には苦しみが必要であると仏教は考えており、それは、「美しい娘」の存在につながった。
男が苦しんだのならば、妻は「女の子が欲しい」と思うだろう(性)し、おのずと女の子が生まれる(自然)。
さらには、いずれは歌を歌うようになるほど可愛がられるだろう(道)。
苦しむがいい、苦しめ、いずれは「苦しみなんてものには意味がない」(ヘトロドクス)という境地になる。
ナガールジュナは、そのような「苦」の研究をする仏教の世界において「女の子の美しさ」というものを発見したし、それを踏まえて「エルサレムを尊敬しろ」とし、原理研究会と民青の共存を志向した。
娘が可愛ければ、自らの「処分性」「発言の重さ」につながる。
広瀬すず CM

中国の仏教も、いろいろ面倒な漢字がたくさん書かれているが、要するに、「苦しみの中に癒しを求めた男には必ず、いいパートナーが現れ、可愛らしい娘を授かる」ということだろう。
息子も案外ハンサムにはなると思われる。
普通に「禅」の世界を知らない大人たちからは「可愛らしい」「男前だね」といわれて済む問題であるが、父の苦しみが美につながったということは哲学者ならば理解しておかなければならない。

モニターに映し出される映像を撮っているカメラはモニターを写してはならない。
女の子に聴衆の視線を集めるためである。
片思いの終わりに

紀元前四世紀ごろには「マスターベーションの方法」は確立されていた。
とにかく異性を、イメージではなく「ガン見」する必要があるとされたのだ。
そのような習慣がないと、なかなか射精できなくなるし、成績が落ちてくると女の子に逃避しやすくなるのだ。

そもそも、「テンプレ」というのも、「女のルール」である。
テンプレにこだわる男の意味は明らかではない。
「くだらない男を取り合いしないように」
テンプレにこだわる男かどうかでくだらない男かどうかが分かった。
Anytime somokin' cigarett

「この条文に目をつけて」などと言われる男は、大所高所からの政治家にはかなわないし、宮本顕治勇退勧告の排除に成功した志位和夫は、宮本顕治には到底及ばない。
女の子のメランコリーの記憶と初体験(夢)を資金の出所にした宮本顕治に対して、条文に目をつけて勇退勧告を跳ね除けた志位和夫は「くだらない男」の仲間入りであった。

宮本顕治ほどの毛沢東に並ぶ政治家に「指導の誤り」が見え始めた。
組織に対して医学的にアプローチできなかった時代には「不必要な部分すら切除した」とした表現できない。
とにかく、勇退勧告が出たのは事実なのだ。

指導の誤りが見え始めたのならば、志位和夫は「組織の必要な部分とガンの区別」がつくだろうと考えたものと思われる。
宮本顕治勇退勧告を「条文」に目をつけて排除した志位和夫は、そのことが期待されていたのであり、今となっては「宮本顕治とは何者か?」が明らかにされており、日本共産党を豊かにした人物であることには変わりはない。

苦しみのない世界に身を置く者はガンになる。
これが医学であり、組織論も同じである。
しかも、苦しみのない人生には「美しい娘」がいないではないか?
仏教と民青、中堅校はこのあたりで非常に仲がいい。
キリスト教と原理研究会、上位の中の上位とは異なる論理があり、まるで職業人のように「受かった~!」と叫んでいた連中もいれば、私のように「生きるか死ぬか」の場面であったこともある。
それが東大合格者の発表であった。

原理研究会=キリスト教=上位の中の上位の連中と、民青=仏教=中堅校出身者という図式はあくまでも東京大学において想定されているものである。
自由民主党か共産党かという軸しかそこにはなく、また、研究者か国家公務員か弁護士しか想定されていない。
しかし、通常は「就職する」という道を歩むのではないだろうか。
そうなれば、立憲民主党なり国民民主党が存在する意義が見出せる。
あるいは社民党であろうが、とにかく「ブレないものが勝つ」のが労働の世界である。
恋も仕事も、これをより快適に保障する政党が強いのだ。
恋も仕事も

どんな仕事でも、続けていれば「ブレない」政党の政治家から情報が入ってきて儲かる仕組みになっていた。
離合集散とか野党共闘などというものは本来、「恋も仕事も」を選んだ人間には必要のないものだった。
「続けていれば仕事も儲かり、政党も大きくなる」
研究者としての私もそれは同じ気持ちであるが、読者である労働者も「何かいいビジネスモデル」は見つかるものなのだ。
「仲間を増やす可能性」(プット)と「女の子に優しくなる可能性」(コール)の存在や、「男女の出会いの機会を増やす」仕事か、「性病の治療をする」仕事かしか存在しない「恋も仕事も」の世界が、立憲民主党や国民民主党、社民党から「有効なメッセージ」を必要としていた。

お金を持っている男は、仕事というものをよく知っていたし、おのずと女もついてきた。
自分の会社の何が「男女の出会いの機会を増やす」あるいは「性病の治療につながる」のかをよく理解するようになっていたし、
テレビだけ見ていればいいから、という自由民主党=アカデミズムの都合とは別の「企業の富」というものが生まれていた。
離合集散・野党共闘など誰も望んではいない。
どの政党が「企業を豊かにするのか?」「労働者にお金を行き渡らせるのか?」が問われた。
ビジネスの研究や雇用の研究が雇うには求められ、自由民主党と共産党という軸は、東大生も社会に出てからいろんな政党に拡散していった。
「ビジネスの共通項は何か?」
これを探求する姿勢が大事だった。

テレビ番組の「スポンサー様」は企業であったし、芸能界も企業の富がなければ成り立たなかった。
しかし、自分の顔の美しさの起源は仏教にあったし、音楽の評論なども「宗教」の領域に入っていった。
ドラマは私は専門外であるが、ヒューマニズム(人間の瞬間のショット)は5分間のパフォーマンスを聞けば十分だった。
30分のアニメはメンデルスゾーンを聞きながら山場を作ったし、映画はバッハのブランデンブルグを聞きながら山場を作った。
45分のドラマは人それぞれだろう。
山場と言っても「女」か「障害者」が山場を作るものだ。
そのようにして、音楽を聴きながら編集したら、最後まで飽きない番組ができる。

ドラマにおいては「いじめられた者が」「肉声を語る」ことが許されている。
これは「三密」と言って、「歴史に残る名ゼリフ」が残るとされる。
ドラマを活用する理由はこのあたりであろうか。

仏教における、集団指導体制は、案外評判が悪い。
かつて日本軍が採用したのが「会議」であったが、今では世界に知られている。
しかし、「仲間を集める力量」だけが重視され、あとは「個人のプレゼン」を聞くというスタイルが確立している。
プレゼンにおいては「名目」(女の美しさ)が「実質」(男の労働)を引っ張るということと、「具体」(従姉妹の女の子)の方が「抽象」(クラスの女の子)よりも安く上がるということ、「特殊」(結婚生活)が「一般」(独身男女)を引っ張るということ、
などを理解する必要があり、それだけで、仲間を集めて、プレゼンをやると喝采を浴びる。
集団指導体制はあくまでも、個人のプレゼンの感想を語り合うにとどまり、みんなで堂々巡りをしながら何かを決定するものではないのだ。
大勢の人間が集まったのならば「映像を見てもらう」のが正解であり、集団指導体制というものは、その映像に関する議論を行うものに過ぎない。
「名目と実質」「具体と抽象」「特殊と一般」などの理解力を議論するのだ。
それが「ニアサイド」であり、何か言いたいことがあればトイレなどのファーサイドで囁く以外にない。
発言力のないものの話はトイレでも聞こうとは思わない。
プレゼンの機会を多く経験した者は、そのままテレビ局のプロデューサーにエントリーすることもある。
プランナー(審議官)というのはそのような仕事である。
一方、調査官と参事官は常に会議に参加している者だった。
これが「処女も憧れる」会議の実態だった。
いちばん、「事案の核心に迫る」映像を見ているのが企業や政府の幹部であったため、機密情報を知っていると言うのは一概に「心理学」とは言い切れないものがあった。
「会議は楽しい」
それがプレゼンをやる審議官や企業幹部の才能であり、社会人というものだった。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

マルクス主義は、民青=仏教=中堅校を基盤に広まったが、キリスト教=原理研究会=上位の中の上位の連中が「国際レベルで、階段を降りてくる」のを待った。
エリートがいつ芸能界をふり向くのか?に注目したのだ。
やわなイケメンではない、あくまでも「女の子の欝」を知っているマルクス主義者が必要とされていた。
とにかく、女の子は「欝」なの!
「名目と実質」「具体と抽象」「特殊と一般」などをフルに活用して楽しませてよ。
女の子の欝が晴れるのならば、男だって楽しいと思うね。
ジャニーズの「愛の対象」になるか「アイデンティティを要求されて愛される」というシンプルな作りだけは面白くないから。
河合その子 緑の少女

ソニーハンディカムのようなものはそのために作られたのだ。

「痛みや悲しみを人に見せない」そんなアイデンティティを嵐はギフトにおいて「愛する条件」に与えている。
女の子の教育にはいいだろうが、単純すぎる映像の作り方に男の側からの批判は大きい。
嵐 ギフト

余談であるが、男がギターなどの楽器が上達する条件に「エンザイム」の存在が指摘されている。
つまり、「喧嘩が弱い」ということなのだ。
私も元ボクサーであり、ギターを買ってみたものの、どうも「喧嘩上等」のメンタリティが抜けないため、ギターを放り投げてしまった。
「喧嘩が弱い」ということを骨の髄まで染み込ませないと、ギターは上達しない。
医学の見地から「楽器の才能」を指摘するのならばそのようなことから適性を判断していかなければならない。

また、筋肉に「薬のカクテル」を与えると哲学の才能に満ち溢れる。 私は、筋肉質な肉体に「寝る前だけの薬」を飲んでいる。

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