最近のトラックバック

2019年9月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 金瓶梅。 | トップページ | インドについて。 »

2019年5月23日 (木)

北欧。

北欧は、女の子への歴史の教育や、フロイトの教育に熱心だった。
思春期に、女の子が「おちんちんがないない」ということの意味をしっかりと教え、「それは去勢(キャストレーション)という現象であり、メランコリーになったり、美の探究をしたり、母親としての家事を覚えたり、体調管理をやったりする」ことにつながるとしたのだ。
未成熟な膣に挿入を受けると、女の子はショートヘアになるが、「お金に酔っても」ショートヘアになる。
北欧は、去勢(キャストレーション)に関する音楽作品を作ることで、中学生の女の子がすでに「お金に酔っていた」ために、「北欧風ショートボブ」などと呼ばれる髪型が存在した。
ショートヘアに関しては「未成熟な膣への挿入」説と「お金に酔っていた」説の二つが存在する。
さよなら失恋ピエロくん


北欧はとにかく「歴史を歪曲してはならない」という政策を採り、日本国のような欧米では通用しない「歴史学」というものを排除し、とにかく「世界に通用する」「レキ女」(歴史に興味のある女性)を生み出すことにした。
歴史学の正確性こそが、女の子たちへの「教育への投資」につながり、「お金に酔う」女の子、北欧風ショートボブを生み出していた。
偏差値ゲームのための歴史学ではとてもではないが、女の子たちは「お金に酔う」ことはなかったし、歴史学のためだけに学校教育というものはあった。
「万世一系」と言っているうちは、なかなか困難なものが「女の子たちへの投資」であった。
歴史学を歪曲しない、しかも「人物の資金集めの方法」まで教えてしまうという発想が必要であり、政治は「資金力は挑戦者の資格」であることを踏まえて、「暴力」「戦国時代の否定」を行った。
松田聖子 白い夜


その「歴史学」とは、日本史・世界史というよりは「世界哲学史」であり、女の子たちは「お金を集めた人ほど歴史に名が残っている」という割り切りもあり、そこでは「家柄」というものは「パワフルトランスミッション」という説明で済まされた。
歴史学を歪曲する者は、暴力を肯定し、しかも貧しい。
そのことから、「世界哲学史」というものが構築されたのだ。
歴史学の正確性、そして「政治とは資金力の勝負」ということを理解しないと親は娘のための教育費を払おうとはしなかった。
学校で教わるのは歴史だけ、しかもお金の話だった。
本田翼 ショートボブ


日本とロシアの間の「北方領土問題」とは、「日本国の歴史学のあり方」の問題であり、女の子たちにどれだけ教育の投資が出来るのか?という問題であった。
普天間基地の辺野古沖移設が「日本中の女たちの抑圧の解消」がなされなければ解決しない問題であるとするのならば、北方領土問題は「歴史学に嘘や暴力がある限り」解決しない問題だった。


モンテスキューは「男らしさ」を定義するのが政府の仕事であるとし、「政府は金と暴力に敏感な存在」であることから、「暴力の否定」を行った。
暴力を用いるものが歴史に名を残すという考え方が「北方領土問題の解決は困難」とされる理由であり、「解決したら戦後最大の首相」と呼ばれる理由でもある。
政府で「男らしさ」をコントロールしなければならないのだ。
松田聖子 赤いスイートピー


モンテスキューは「ペルシャ人からの手紙」において、「ヨーロッパ人でない連中は勝手な歴史を書く」とし、その「勝手な歴史」から「お金」という側面がすっぽりと抜け落ちていることを知った。
ヨーロッパの歴史はお金の歴史だった。
いかなる政府も、共和制(民の支持のある君主制)として、民主主義と専制主義の両方を兼ね備えた体制をとるか、君主制を取るか、衆愚制をとるかのどれかだ。
君主制(お上による統治)にせよ、衆愚制(民による統治)にせよ、歴史はかなりデタラメに書かれた。
共和制(民の支持のある君主制)だけが、民主主義にもとづき、それでいて専制主義にもとづく「正確な歴史」を描けたのだ。
共和制(民の支持のある君主制)の状態が出来なければ、女の子は「歴史学を学びお金について知る」ことは出来ない。
髪の長い少女が「川中島の戦い」とか言うとかなり大人としては「子供の教育」というものを考え直さなければならなくなる。
椎名林檎 あおぞら


共和制においては、かなり専制主義的にことを進めて、民の喝采を浴びるという方向性を求めた(盲目的確信を持って進む)。
このことから、共和制は君主制にも衆愚制にも堕して行きやすいものとなった。
そもそも民の支持が想定されていない「君主制」においては、「何も仕事ができない」「象徴としての務めをまっとうする」ことしか想定されていない。
衆愚制においては、首相すら、民の支持のあった君主を「あの方」と呼んだりした。
しかし、衆愚制ほど「民に考える暇を与えない」体制はなかった。
衆愚制においては、犯罪の増加などがあり、人々は「恐怖による自由恋愛」へと走った。
CoCo NEWSな未来


ヨーロッパよりも暑い地域には、「からだを売る女」(奴隷制)が普通にいるので良くない。
歌舞伎町などの繁華街への支持は根強く、そこには「君主制」「象徴としての務め」のための銀行なんてものは存在しなかった。
そういう国にヨーロッパ人が「ビジネスマン」として訪問する分には楽しかった。
しかし、「たった一人の男」(神さま)を崇拝するのは難しかったんじゃないかな。
酒井法子 涙が止まらない


リチャード・ヘアは、その国を金によって支配しても、山を登り終えてみれば大きな墓や小さな墓がたくさんあって、自分もロックやカントやミルの「巨大な墓」の前に小さな墓が出来るだけだと悟った、とし、「なぜ、世界で戦争がなくならないのか?」という問いかけに答えを返した。
カルチャークラブ 戦争の歌


ベートーベンの「作曲の方法」の民間転用は大きな役割を果たした。
とにかく「男」「女」「女性の局部」をフルに活用して、巨大なマーケットを作ったのだ。
このこと自体、戦争の原因となっている。
日本国も、勝手な歴史を書いて、音楽を量産したが、哲学者が音楽作品を
整理して、いろんな野心を抱く前に、「勝手な歴史」を整理するだけの自信を持たなければならない。
化ケモノ青年 エレファントカシマシ


まず、愛する女の「初体験」や、父や母の不貞、それ以外にも、多くの「耐えられない」ことが歴史には多く、酒が飲めないのならば歴史家には向いていないとされる。
さらに、「何のために歴史を書くの?」と言われたら「勃つため、そして、体制の安定のため」と答えるしかない。
ナポレオンは、ベートーベンを用いて、戦争に勝ち続けた。
そのような「勝ち続ける男」以外に、歴史家は興味を持たない。
なぜなら「勃つため、そして、体制の安定のため」に歴史を書いているからである。
そして、「男同士で尊敬しあうため」にも歴史は必要だとされた。
私も「香淳皇后(遊佐)のお孫さん」と言われて、多くの仲間を作った。
家に伝わる古文書なども、そのようにして書かれているはずであり、「勃つため、そして、体制の安定のため」さらには「男同士で尊敬しあうため」という基本を忘れたのならば、歴史を語っても意味がない。
酒井法子 雨粒は優しくて


人はこれほどまでに他人を尊敬していないものなのかを歴史から悟らなければならない。
勝つからこそ「ストーリーが組める」のであり、負けたのならば何のストーリーも組めない。
負けが続くのならば、背景にある資金メカニズムを見直さなければならないし、資金メカニズムを組み替えてふたたび勝ち始めるのならば、またストーリーが見出せる。
強い男だからこそ、噂になり、メディアが取り上げる。
自分にしか「資金メカニズムを組み、勝負をし、勝ったらストーリーが組まれ、負けが続くのならば、資金メカニズムを組み替え、女たちの祝福を受け、よく読書をし、男たちまでもが、あいつはイエスキリストだったと噂する」という仕組みは理解できない。
ベートーベンやナポレオン以降、音楽作品を用いないで勝負をするものはいなくなった。
音楽作品と自分をぶつけて「爆発」を起こすこと以外に、勝負に使えなくなったのだ。
「別れた男に”忘れないで?”ということは女にはないんだよ?処女のお嬢さん」
酒井法子 サヨナラのかわりに


広告・引合・商談・契約・履行・決済・アフターサービス。
これがビジネスだと言う人は確かにいるだろう。
12球団のほとんどがそれで動いている。
企業としてはそう動いていても、組織の人間には人生があり、恋愛があり、家族があり、妻がおり、子育てがある。
ビジネスはビジネスであるが、それ以外の「人間の爆発」がどの組織・企業にも必要なのだ。


女の子と和気藹藹に話しをしたら気分がいい。
まるで「プラセボ」のように心にいい影響を与える。
しかし、女がセックスを求めてきたら、問題が難しくなる。
「オラ、ただ話しをしに来ただけだ」
女の子と話すのは気分がいい。
ましてや、「セックスの歴史」をキャバ嬢に質問されるだけで「勃たなくなったものが、勃つようになる」
しかし、セックスしたら家庭が破滅する男もいる。
二割七分か六割六分かの違いは、このような「シンプソンのパラドックス」が背景にある。
暑い季節には調子を取り戻すと言われる選手も、二割七分か六割六分の間を行ったり来たりしているだけだ。
三浦理恵子 友達より遠い人


音楽作品をこよなく愛し、ときに「地獄」の意味も知るだろうが、女との距離感を絶妙に計る。
それは、言論人としても「六割六分」打ち続ける秘訣である。
ナポレオンはそうでなければ、多くの歴史家が「勃つため、そして、体制の安定のため」さらには「男同士の仲間作りのため」に追いかける存在ではありえなかっただろう。


武田信玄が「側女を用意せい」と言っただろう。
27歳の私が、「処女だった自分が目指すべきところは、スターが営んでいる農業だった」ことを悟る。
武田信玄にせよ、上杉謙信にせよ、ベートーベンやナポレオン以前の「お百姓さん」のようではないか?
はたして「六割六分」打てた時代だったのだろうか?
案の定、勝ったり負けたりだっただろう。
ましてや、山を登ったらロックやカントやミルだけだった、という世界ではない。
お百姓さんが好きならばそれでいいが、「あの19世紀以来」に何かが変わったのだ。
おもひでぽろぽろ


 


本稿を読んでくださった方々へ。
宮内庁の山本信一郎長官と、西村泰彦次長が私にとってはきわめて有害な人物になっています。
是非、山本長官と西村次長の更迭に賛同していただきたいのです。

« 金瓶梅。 | トップページ | インドについて。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 金瓶梅。 | トップページ | インドについて。 »