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Foreign Affairs

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2019年5月 9日 (木)

オーストラリアのきれいな手。

オーストラリアはとにかく「暑い」のだ。
そのため、夏の夜に徹夜したがる連中が多い。
夜中に勉強して成績が上がる、楽器の腕前が向上することを「ダーティハンズ」と呼んだ。
頭が良ければいいのか?楽器を華麗に演奏できればいいのか?
しかし、奥様方の「夜の楽しみ」は確実に妨害されていた。
近所の奥様が「食べ物」を持ってこなかったか?
成績がいい、楽器が弾けることへのご褒美だろうか?
そんなお人よしはいないのだ。
奥様たちの「セックス戦争」はまさに正義だったし、風邪を引いて静まり返った夜は「食べ物」を送った奥様はヒロインだった。
「食べ物を持ってくるのが当たり前」
そんな東大生やアーティストはいた。
自分の活躍はそんなに尊敬されているのか。
オーストラリアでこのようなダーティハンズの研究は進んだ。
木星は夜の支配者だったが、太陽の下で勉強し、楽器を弾くものが成功した。
しかし、昼の「暑さ」が堪えたため、世界レベルの人物は少ない。
これが「全豪オープン」を理解する上で必要になってくる。
AC/DC back in black

100人の罪のない者たちを救うために、一人を処罰しろ。
いくら勉強しても、周囲は「お前は政治家には向いていない」と言って処罰の対象とした。
理由が「夜の楽しみを邪魔した」という所にあることはいえなかった。
マックス・ウェーバーも「職業としての政治」において、「夜しっかり眠ること」「ダーティーハンズを持ってまで優秀になろうとは思わないこと」を指摘している。
それにしても、「夏の夜の木星」は、昼間の太陽のように「昇らない日はなかった」ため、木星のパワーを味方につけたがる男は多かった。
東大生にも「クリーンハンズ」と「ダーティハンズ」の二種類がいた。
木星は太陽よりも力が弱い。
愛し合う力が弱く、いじめられ、そして女ひとり口説くこともできなかった。
お天道様の下を歩けなくさせてやろう。
木星の力を借りた男は周囲の女たちにこのように思われたのだ。
高橋由美子 夏は暑い

第二次世界大戦でナチスは「必要に駆られて」ダーティハンズの原則を採用した。
人類史上最大規模の軍事行動「バルバロッサ作戦」もそのおかげで展開できたのだが、なにしろ、主婦層の支持を得るのが困難だった。
ありとあらゆる悪口を言われる幹部が多かった。
世論の支持とご近所さんの支持は異なるものだ。
近所で孤立無援の奴ならば、世論の支持があっても「いじめていい奴」だと思った。
オーストラリアではタブーとされていたことでも、ナチスは採用している。
世論の支持がある奴を優遇したのだ。
「お前はこんなに悪口を言われているぞ」と本人に告げて、虐めるのはナチズムではない。
日独伊三国同盟=天皇制にはダーティハンズがつきものなのだ。
「買った緑茶を飲めば風邪なんて治っちゃいますよ」
看護師は「これが天皇の器かと思って苦笑いするだけだった。
近所の悪口を集めて「いじめていい奴」と判断する、低学歴や部落民、在日朝鮮人はいたが、ダーティーハンズの原則まで理解するナチズムほど頭は良くなかったし、天皇制の中枢を理解する能力も無かっただろう。

ダーティハンズ=優秀=世論の支持がある。
クリーンハンズ=地域住民の支持がある。
という二つを明確に理解したうえで「連邦制」「地方自治」「二重行政」というものが理解できるようになる。
市民にはいずれにせよ「二つの権威」が存在した。
国の中枢に入った奴と、地元の大学に行った奴である。
カナダ・オーストラリア・ヨーロッパ・ロシア・イラク・ネパール・ナイジェリアなどは、このような「ダーティハンズ」と「クリーンハンズ」の二つの統治者を想定している。
連邦制というものはそういうものだ。
「夏になればどっちに行けばいいか分かるよ」
ダーティハンズは「拒否権」をもっていたし、クリーンハンズは「直接参政権」をもっていた。
どこかで調和を取るしかないのだ。
世界は夏でも涼しい北欧ではないのだ。
ダーティハンズの影響力は世界レベルにまで到達した。
しかし、世界の住民が「地元の役所」を好むのは明らかであった。
概念上、大日本帝国は存在しえても、世界の市民の現実はそうは考えてはいなかったのだ。

「中央集権」というのならば、当然、「夏」「ダーティハンズ」を理解しなければならない。
近所の嫌われ者、しかし優秀だった男だ。
そう簡単には中央集権にはならないことぐらい理解しなければならない。
カトリックもユグノーもカルヴァンも、みんな「中央集権は不可能」と悟っている。
神はダーティハンズだ。男はクリーンハンズだ。とも言われた。
ルドルフ・ユーゴー(1630~1704年)が初めて「連邦制」というものを明らかにした。
モンテスキューも「スモール政治」が「ラージ政治」かの区別を行った。
ヒュームは「どちらの男も同じように女に愛されている」として連邦制を否定した。
しかし、ルソーは教育学の立場から、カントは「永久平和」の立場から連邦制を支持している。

アメリカ合衆国は、南北戦争において、南部のアメリカ連合国を退け、連邦制が定着している。
プルードンは「人間というのは自由に行動してもいいのではないか?夜中に勉強しようがギターを弾こうが。もっと寛大になれないものか」と指摘している。
しかし、ハンナ・アーレントは「夜中に勉強する男の危険性」を指摘している。
オーストラリアのように広大な農場があって、夜中に勉強するのがバカげているような国は確実に存在したし、クリーンハンズ以外に認めない連中はいるのだ。
アメリカ南部もそうだったのだろう。

日本国においては「日の丸だぜ?ひとつの国だぜ?」といって、連邦制とは異なる論理が展開され、「地方自治」「二重行政」というかたちをとったが、本質は連邦制の議論となんら変わるところはない。
「日本の夏」が暑いのは事実だったからである。
NHKが気象コントロールが可能になったあたりに「日の丸」「君が代」の存在意義を見出す以外にないだろう。
とにかく、ダーティハンズ=近所の嫌われ者=世論の人気者の力はずば抜けていたし、これを利用しない国家というものはその国力の基本から見直さなければならない。
24時間営業のコンビニができたのは私が受験生だった頃だろうか。その歴史は定かではない。

オーストラリアに「宗教」をもたらしたのがサミュエル・アレキサンダー(1859~1938年)である。
オーストラリアにいたのでは勉強にならないので、マンチェスター大学に進み、その後、オックスフォード、最後に、オーストラリアのシドニー大学で教鞭をとっている。
「時間、空間、そして女神」という論文を明らかにし、「真実・気持ちよさ・美しさ」の三位一体を明らかにしている。
本来、宗教というものは「男らしさを語り合う論壇」のことを言い、女神を崇めるのは「政治」ではないかと考えられたが、「真実・気持ちよさ・美しさ」を男たちが語り合うのであれば、宗教であるといってもいいだろう。
「真実・気持ちよさ・美しさ」の三位一体は、オーストラリアの少年をイケメンにした。
また、「勝負事に用いるのならば女である」という金融やスポーツビジネスの都合も考えられた。
オーストラリアでも「英語」が公用語であるとしたのもアレキサンダーだった。
しかし、コンビニは必ずしも栄えてはいない。
旅行に行っただけでは「現地の主婦たちの事情」など分からないだろう。
また、暑い夏との向き合い方、さらには「女」を神としたことなどの背景も大自然(環境問題)は常に女の問題であることなどを踏まえないと理解できない。
Flume Never be like you.

女を「神」としたオーストラリアにおいては「安楽死」が容認された。
人間(男)の命も「女次第」という側面があったのだ。
女の「神への失望」というものをどれほど重視するかが安楽死の議論である。
みずらかは手を下さなくても、邪魔者がいればすぐに「自然死」を望むのが女だ。
つまりは「権力の座からは程遠い」存在になるのが安楽死を認めることであり、アメリカ合衆国でもオレゴン州が1997年にこれを認めている。
ワシントン州で2009年に、バーモント州で2013年にこれが認められ、「女神」という存在の資金力と、「命」を軽んじることが権力から遠ざかるということを天秤にかけた。
日本国でも、安楽死を認める「要件」が刑法判例に存在するが、そんなものは「女の都合」である。
死にたがったのが女なのか男なのかの区別をしないのならば、判例としては存続できない。
男は「塵」ではないからだ。
男の命を「塵」のように扱うのであれば、女神によって集めた資金力で命を救った方がいい。
女にとっては、自分よりも「デカい」人間の命が重荷になることがある。
女を「神」としたのは、アマテラスも同じであるが、必ずしも世界の主流ではない。
女の都合で男の命を扱うことは危険なのだ。
しかし、「女神」とは何か?を明らかにすることの資金力は見落とすわけには行かない。
女の単純さ、肋骨の分かりやすさ、塵のような命は探求するに値するし、世界の「学問」が「女」を見ている。
ワールドワイドな宗教になるためには「女神」と言ったほうが分かりやすい。
しかし、男の「命」の問題にすることには世界は同意していない。
夏のクリスマス おニャン子クラブ

ハーバート・フェイグルは、オーストラリア生まれであり、しかし、暑さに耐えかねてアメリカに移住している。
モーリス・シュリックに師事し、オーストラリアの「女神」を磨く作業を行った。
男に「ダーティハンズ」「クリーンハンズ」があるのならば、男には「デディクト」と「デレ」がいるのではないかと考えたのだ。
クリーンハンズの男は「女目線で」宗教を作り、ダーティハンズの男は「男目線で」法律を作るとした。
法律家だった私は、「女のご機嫌をとる連中」とはそりが合わなかったが、ダーティハンズとクリーンハンズという違いに由来するものだ。
クリーンハンズ=デレは「マリオネットの涙」という名曲を作っている。
一概に、宗教を否定することはできない。
マリオネットの涙 松田聖子

フェイグルは、父がファッションデザイナーであり、母はアントン・ブルックナーやグスタフ・マーラーに傾倒していた。
アメリカに移住し、オーストリアハンガリー帝国の女子グループと接触できた。
ロックフェラー研究所に属したからだろう。
フェイグルは、「人生の6割は数学に費やしたかな」と語っており、女の子の「男の数」を数える計算に没頭した。
そもそも、女の子は「月曜火曜」という曜日を男の子の数で数えており(ホワイトヘッド)、男の子がいなければ幼児教育が成り立たないことから、おのずと、女の子は「経験した男の数」を数えているだろうと考えたのだ。
いじわるねダーリン おニャン子クラブ

フェイグルはヴィトゲンシュタインに「女の子たちの写真」を見せられて、「彼女たちがどの数字を考えているか分かるか?」と聞かれている
この時に、フェイグルは、オーストラリアの「女神」と「数学」の関係に気がついた。
「男を多く知っている女ほど働きたがった」
このことに気が付いたのだ。
なにしろ、ベッドで聞かされる話は「仕事の楽しさ」ばかりだったからだ。
いつまでも、インターネットで「サクラ」をやっている女は仕事の楽しみを知らなかった。
つまり、「男を知らない」ということを明らかにしたのだ。
結婚して「家庭に入り」「女が働く能力を失っている」ということが離婚の時に問題になり、財産分与で出口を作る慣行があるが、男が「仕事の楽しみ」をベッドで伝えきれなかったことにも原因がある。
男が勃って、ベッドで行為のあとに「仕事の楽しみ」を語る、それがないから離婚ということにもなるのだろう。
「神様」が仕事の楽しみをベッドで「女にも分かるように」伝える。
フェイグルはヴィトゲンシュタインに「写真を見ただけでは男の数は分からない。職業意識を見なければ男の数は分からないだろう」と答えたのだ。
酒井法子 こんな事でも言ってみようかな

また、オーストラリアの研究は「多文化共生」にまで発展した。
外国人がゲットーを作ったとしても、あくまでも「自分の民族の富の最大化」を目指しているとし、男の側が「仕事の楽しさ」を女に伝えなければ富の最大化はなされないと考えたのだ。
男がその国で社会進出しないと「朝鮮パブ」「フィリピンパブ」などができることになる。
多文化共生は「男作りが先、女作りはあと」という形で「世界史とは逆の」政府の介入がなされなければ実現しない。
多文化共生は政府の仕事であるとする理由は「女作りが先、男作りはあと」としてきた世界史とは別の「発想」が必要となるからである。
外国人は「連邦政府入りは禁止」。
これはどの国も常識としているのではないであろうか。
日本政府は「外国人は国家公務員になることはできない。地方公務員でも課長級までの出世は事実上の禁止」がなされている。
つまり、外国人に「ダーティハンズ」を禁止しているのだ。
夜中までラジオを聞きながら勉強したり、地域の奥様方にハブられるよりは、より「地域に根付いた」存在であって欲しいから、競争を制限している。
国と地方において参政権を与えないことも「クリーンハンズの原則」つまり、昼間活動して夜眠るということを立法趣旨として、指摘することが可能だ。
東大駒場キャンパスに出入りする「学生ではない」部落民や在日朝鮮人は多い。
ダーティハンズが禁止され、クリーンハンズのもとで、「男の子の活動の場」を広げているのだろう。

一方で、連邦政府や国家の中枢に入るダーティハンズの男に対して、クリーンハンズの側が「あなたマンション中で嫌われているのよ」などというメッセージを送って、地域コミュニティーに溶け込んだ人間として「連邦政府や国家の中枢」を攻撃することがある。
このあたりは、ダーティハンズ・クリーンハンズという軸で考えていくか、アカンとヨルバという「アパルトヘイトレジーム」で考えていくかのアプローチの違いがある。
ダーティハンズというものは、その男の子の個性という側面が強く、アカンのように「親の勤めている大企業や病院、法律事務所」という要素はない。
ダーティハンズであるのならば、「世論の支持で押し切る」しかないし、アカンであるのならば、「贈り物をする」以外にそのような多数派からの悪意に対抗する方法はない。
「ごみの分別」など口実に過ぎない。
もっと、「お金」「権力」に根ざした根の深い問題があるのだ。
roke in the kingdom

「お金」「権力」に根ざした対立が、ダーティハンズ・クリーンハンズ、あるいは、アカンとヨルバの間には存在するが、「ごみの分別の問題ではない」「たんなる騒音の問題に過ぎないわけではない」ことを知る必要がある。
日本国では、ダーティハンズ・アカンの側が、固く、在日朝鮮人に心を閉ざしてしまった。
地方参政権が欲しければ、「あなたマンション中で嫌われているのよ」などというような「多数派」「コミュニティー派」の立場を利用することをやめなければならない。
それほど、外国人地方参政権の問題は困難なものとなっている。
「男作りが先、女作りがあと」という多文化共生の問題であるが、「女に少数派などいない」と女たちが考えて先走ってしまうために、「男作り」ができないのだ。
部落民、在日朝鮮人の問題の難しさはここにある。
「女は女として愛されなければならない」
このことから、「男作りが先、女作りはあと」という多文化共生、移民の問題はトランプ大統領ですら「理解していない」「理解できない」問題となっており、権力が理解しないのならば、問題は根本から解決しないものとなるだろう。
「オーストラリアを理解しないのならば、在日朝鮮人、部落民の問題は解決しない」このように端的に表現することが可能だ。

ダーティハンズは、夜中まで勉強していて優秀であり、政府首脳となる資格がある。
一方、クリーンハンズは、夜は静かに眠っており、近隣住民の支持が根強い。
問題は、「隣人の妻を犯すことはできない」というところにあり、
また、クリーンハンズがダーティハンズを憎んでいることから、「世論の支持を得る前に叩いておこう」と考えたり、あるいは、ダーティハンズは、「我々は社会人であり、日常を、世論を背景に、女性たちと楽しく過ごしている」というところに、クリーンハンズが「全人類は平等であるべきではないのか?」といって憎しみを募らせることにある。
ロールズ的社会とは、このような「女の行動」を念頭においたものであり、ひきこもりがアパルトヘイトレジームのもとに、身動きが取れないのであれば金利は低いままであろうとした。
もっと大学でいい授業を、そして、政府首脳になって自分の見識をブログなどで公表できるような、質の高い行政を、これしか金利を上げる方法はないのだ。
クリーンハンズやヨルバの勝利こそが「全人類の平等」の勝利であり低金利時代の到来である。
東大の授業は特別である、政府首脳は特殊な情報を持っている、これらはすべて「心理学に過ぎない」のであろうか。
低金利時代はそれを認める形となっている。
「男作りが先、女作りはあと」という私の、在日朝鮮人や部落民、移民政策は、GDPやHDI、IHDIなどの経済指標にいい影響を与えるものである。
この経済指標が、細かな指標にどのような影響を与えるかは明らかではないが、「東大の授業は特別である、政府首脳は特殊な情報を持っている」ということを、公に発信していくことは、経済指標に必ずいい効果をもたらすのだ。
「先生が違う」
だったら、どのように違うのかをもっと明確に発信してもらいたい。
白川日銀総裁の本を読んで「何が特別なのか?」が明らかでないのならば、低金利時代は続くであろうし、情報の「流れ」を、ダーティハンズがクリーンハンズの側に引き起こすことができるのであれば、必ず経済指標はいい方向に向かうだろう。
松田聖子 ハートをロック

「嘘をつく」「他人を蹴落とす」ことで出世した小男の話など聞いても意味がない。
「先生の違い」という貫禄を見せ付けられなければ、ダーティハンズとクリーンハンズの間の和解などない。
ブログで「上流階級の暮らしぶり」を見せ付けられてもなんら経済指標にいい影響はない。
すべてがフェアなゲームでなければ砂漠だけが広がるだろう。
誰もが「東大生、政府首脳」の考えていることを知ることができる社会(ロールズ的社会)でなければ金利は上がらないし、経済指標はいい方向には決して向かわない。

アメリカ合衆国は、アフリカのリベリアを自国のものとした。
ダーティハンズとクリーンハンズがいるとするのならば、リベリアの黒人は間違いなくダーティハンズであった。
ソニー・リストン、マイク・タイソンなど、みんな刑務所で夜中にトレーニングしていた。
オーストラリアのアボリジニのライオネル・ローズはタバコをふかしながらファイティング原田に勝っている。
ニュージーランドのマオリも同じだ。
トマス・ジェファーソンはアメリカ合衆国独立の時には想定していなかったが、南北戦争で、南部の黒人が「ムチャクチャ強ええ」ことに気が付いた。
そのため、南北戦争でアメリカ北部は、南部に4千万ドル支払った。
リンカーンは勝利を収めたが、南部のリー将軍はいまだに尊敬を集めている。
黒人にクリーンハンズを教えるのにさらに5千万ドルかかり、「黒人一人当たり15ドル」とも言われ、ユダヤキリスト教の世界はそのようなファンドを仕組んだ。
菊池桃子 Ivory coast

どの黒人も女にモテたかったために「夜型」の生活になっていた。
しかし、「犯罪の温床になっている」とダーティハンズはクリーンハンズから批判された。
ダーティハンズは「感謝」(弁明・学問に励むこと)しろと言われ、教会もそのように導いたが、2005年のハリケーンカトリーナにも全米市民は何の同情もしていない。
国生さゆり 雨のニューオリンズ

ダーティハンズの側は、クリーンハンズの側に、生活習慣を合わせるのであればお金が必要である、としている。
定時に働き、オンとオフを明確にしろというのならばそれなりの対価をもらわないと自由競争の世界で生き残ることはできないとしたのだ。
黒人のこのような主張が、アメリカの民間企業の給料を跳ね上げた。
夜中に黒人を殴る白人警察官の警棒には怒りが込められていた。
マイケル・ジャクソン ビートイット

奴隷はお金がないから夜中まで働き、夜中まで起きているのだ。
教会がなんらかの「富の移転」をやらない限り、ダーティハンズとクリーンハンズの対立は治まらないだろう。
連邦政府にはダーティハンズが入り、州政府にはクリーンハンズが入る。
このようなことから、賃金の是正は行われる。
しかし、統治機構に「人種」というものをそのまま持ち込むことはできないだろう。
教会が連邦政府に何千万ドルものお金を要求していたのだ。
在日朝鮮人にクリーンハンズを求めたのが日本政府であるが、そのために果たして「西早稲田」にお金を払ったかは疑わしい。
そもそも「競争の機会」を奪ってしまったのだ。
在日朝鮮人(オールドカマー)にも世襲というものはある。
それを円滑に進めることは、明らかに失敗していないだろうか?
創価学会・在日朝鮮人の暗躍が行われ、あるいは、創価学会が「教会」としての役割を期待されたのであろうか?
「男作りが先、女作りがあと」という多文化共生の基本は、西早稲田や創価学会に「教会」としての役割が期待される。
しかも、「夜中まで勉強したり外をうろついたりして治安を害しない」ために、「お金」が必要だったのだ。
「人種」と「奴隷」が戦うためにはダーティハンズにならざるを得ない。
クリーンハンズこそがお金を手にする、この基本を踏まえなければならない。
昼間働いて、土曜祝日は家族サービスをする、それでいて豊かさを持っている。
これがクリーンハンズの原則であり、しかし、「女たちの暴走」は明らかに政府首脳が、在日朝鮮人の幹部登用に心を閉ざす理由となった。
ロドニー・キング事件

「言論」というものは、話す、書く、歌う、演ずる、旗を燃やすというものとは異なるものだ。
「夜はパートナーを相手にしなければならない」
このことから、クリーンハンズの側は、ダーティハンズの側に「なんらかの制約」を求めてきた。
パートナーがいなければ心を病んでしまうだろう。
あるいは、貧しくなるだろう。
これらからおのずと「言論の自由」に制約がかからざるを得ない。
言論というものも、クリーンハンズとダーティハンズの軸で斬っていくことが可能なものだ。
「言論の自由にはいかなる制約もない」とすると、ピカソみたいな「奇妙な文章」を読まされる羽目になる。
クリーンハンズはとにかく健康だったし、ダーティハンズは求道心に満ちていた。
健康と求道心は両立させなければならなかったし、「読者がついてこれない」言論は自ずから、世論から見放されるため、言論の自由にも制約がかかる。
文章を書いていて「女性たちの支持」を失ったと悟ったら、一度は、クリーンハンズという世界を再評価しなければならない。
冬の微粒子 CoCo

私は、法学教室やジュリストを読んで、日本国の権威の文章を簡単にレポートにまとめるという修行をやったが、元ネタが権威だったため、最初から敵がいなかった。
文章力を磨くこともできたし、法律というものが理解できた。
しかし、公の場で「コテ」を名乗って発言すると「女」の問題と向き合わなければならない。
女の局部が見たくて発言しているのと同じ意味であるという側面が「コテ」にはある。
そのために、ポルノグラフィーの禁止はなされる。
「言論」の質の向上のためにポルノも制約を受けるのだ。
CoCo メロディ

女をレイプし、縛り上げ、ぶっ飛ばす映像があると、子供は学習をやめてしまう。
あるいは、ダーティハンズとクリーンハンズの対立の存在に、潰されてしまうことからヘイトスピーチにのめりこんでいったりもする。
ダーティハンズとして「世論の支持」を十分に得たり、政府の高官になるとヘイトスピーチとはおのずと距離を置くようになる。

ダーティハンズとクリーンハンズという軸が明確になったため、「ヘイトスピーチをやっているうちはダーティハンズとしてはまだまだだね」という見方ができるようになった。
そのため、「ヘイトスピーチにはいかなる制約もない」とされ、己の恥をさらすことにもなった。

政府首脳だけではなく、「言論弱者」までもが、在日朝鮮人への地方参政権の問題あるいは、地方公務員管理職への登用を敵視するようになった。
ダーティハンズの世界にも「未熟者」はいるのだ。
政府首脳はみなダーティハンズである。
夜中まで仕事をしなければ出世できない。
しかし、夜中まで「言論」をやっても、喧嘩ばかりしていて伸びない連中もいる。
そのような「言論弱者」が、部落民や在日朝鮮人の問題の解決を困難にする基盤となっている。

人気のある人は、淡々と自分の発言を繰り返すが、「言論」というものは「攻撃の原則」というものがあり、他者を攻撃しなければ伸びないとされる。
私が「権威の書いた文章のレポートをまとめる」という発想を採用したのも、権威がすでに「攻撃防御」を終えていたからである。
「言論の自由」も行き着く先は「抱かれたい男ナンバーワン」であるに過ぎない。
しかも、その対象は女子高生になってしまう。
そうなったら、クリーンハンズの側も、ダーティハンズを攻撃するだろう。
だが、そのような境地になるのであれば、クリーンハンズの側の「ヘイトスピーチ」の真の意図はお見通しということになる。
これが「言論の自由」というものなのである。
松浦亜弥 ね~え

 

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