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2019年4月17日 (水)

共産主義について。

カール・マルクス(1818年~1883年)は、近代というものを作った人物であり、デカルトが中世を終わらせたのと同様に、経済(男が女を愛する気持ちを利用する世界)あるいは政治(女心を定義する世界)を確立し、多数派工作や、史的唯物論(ユダヤイスラムを排除し、注目に値する人物だけを歴史に残すもの)を作った。
女の「出産能力」の向上や、女一人が男二人を比べること、子供たち(剰余価値)の搾取などを指摘し、「人間は死なない」というユダヤイスラムに対して、「生きていることの喜び」「歴史に名を残すとはどういうことか」などを明らかにし、それは「資本主義」と呼ばれた。
史的唯物論とは、歴史上の人物に「死んだ年」を刻印するものであった。
瀬能あづさ ふたつにひとつ


マルクスの理論は「男がいかなる女も口説き落とせる」(悟る)ことはできるのかなという「ユダヤクエスチョン」から生まれている。
若者は「自分と世界がかけ離れている」(自己疎外)ものである。
しかし、とにかく「就職する」ということの必要性を訴えた。
イケメン(ヤングヘーゲリアン)で、彼女がいて、そして音楽作品を楽しむ、それが近代ではないかとしたのだ。
女を買う(交換価値)お金である日経平均株価を出しているうちは、日本人も「ユダヤイスラム」と距離を置いている。
「200歳の鳥」は女を買うために2万円を払ったりはしなかった。
日本の生命保険会社も「長生きは損失である」とし、ユダヤイスラムを批判している。
中卒や高卒の「マルクス主義者」が、東大生(ユダヤ人)に説教するものだから嫌われ者が多かった。
マルクス主義者は、宗教(男らしさを語り合う論壇)で東大生にかなわないため、宗教を否定している。
東大生でもないのにキャンパスをうろついて、東大生(ユダヤ人)に説教する構図が出来上がっていたし、しかも、それが「プロレタリア革命」「階級格差をなくす」ことを意味したため、宗教の拒絶がキリスト教社会からも批判された。
男らしさを語り合う論壇(宗教)を拒否する卑怯者に映るような生き方に見えた。
バンバン いちご白書をもう一度


1960年代に、マルクス主義は「世界レベルで」議論された。
しかし、1970年代に「東大生には有名女性芸能人がついてくる」という現象の方が重視され、大学受験の方が大事であるという認識が広まり、中卒・高卒よりも「大卒」の方が社会の戦力になると考えられた。
しかし、中卒・高卒は「出世の道が閉ざされた」ことから、マルクス主義というものは「団結」を背景に存続を決めた。
中卒・高卒で「外国語が堪能」「指導の誤りのない」人間などいるわけがない。
マルクス主義の世界に「モーゼ」「アブラハム」などという用語が出てこない理由である。
しかし、そういう人間に限って「王室・皇室」に近づいてくるものだ。
専門知識がないという意味では東大生のお世話になりながら、東大生の足を引っ張る面倒な連中だった。
ましてや「スタンフォード大学」など理解できるはずもなかった。
尾崎豊 シェリー


マルクス主義者は「そもそも歴史の審判を仰ぐ生き方をするつもりはない」という心構えが組織で重宝された。
しかし、「宗教」を語る資格はなかった。
徳川幕府は、神社の宮司たちに「政治的権能を奪うために」白い服を着せてしまった。
「低学歴」が哲学の真似事をしていろいろ翻訳したが、東大生はそのような「低学歴」が書いた本を読まされるという逆転現象がおきたために、哲学が誤解されることとなった(矛盾)。
しかし、中卒・高卒・Fランは社会の花形であり、このプロレタリア独裁は一方で、強い魅力をもっていたため支持者が多かった。
偉大な王子様に向かって「お前には分からない」などと傲慢なことをいう連中だったので、王子様に嫌われたし、歴史の審判を仰ぐ立場にはなかった。
他人を「利用する」ことを「搾取」と呼ぶ。
プロレタリア革命は、デタラメな翻訳で学者を混乱させたり、王子様を中卒・高卒・Fランがいじめたりすることを指している。
このことは「一時的な」ものに過ぎず、「歴史が評価する」のはあくまでも王子様であった。
カトリックはとにかく「プロレタリアート」を歴史から抹殺することを志向した。
「教会法」を教えるだけ無駄だという考えがあったのだろう。
産業革命が生まれた。産業、つまり「政治」「宗教」の世界に革命がおきたのだ。
政治(女心を定義する世界)、宗教(男らしさを語り合う論壇)が、カントのように「口説き文句を考える」論客や、ニーチェのように「父と息子の永遠の繰り返し(永劫回帰)」を論ずる論客が現れたのだ。
このことから、中卒・高卒・Fランの連中も「労働」をすれば男らしいという発想に切り替えがなされた。
産業がなければ、歴史の審判を仰げる「労働者」は生まれなかったし、いつまでも「王室・皇室」にたかる低学歴が蔓延するだけだ。
王室・皇室にたかる低学歴のことを「部落民」と呼んだ。
宮内庁職員のことを「部落民」と呼ぶのだ。
部落民は王室・皇室にたかったため、英国の国王の中には部落民に「V」(バガボンド)という焼き印を胸に入れた人もいた。
産業革命、つまり「政治」「宗教」革命がなければ、彼らは一生を王室や皇室にたかることで人生を終えたであろう。
たかり行為を諫めるためにマンガも作った。
バガボンド


王室や皇室にたかる部落民は「市民」として受け入れることは困難であったし、「労働」の実態があるのならば、肉体労働者は背広組みと給料で足並みを揃えることが可能であった(ベーシックインカム)。
長時間労働や狭い部屋はマルクスも論じていたが「産業」の充実が解決する問題だった。
自己疎外(自分と世界がかけ離れること)は社会の病気である。
夜中に歌を歌ったりする男女がそれを表現している。
近隣住民に騒音を撒き散らすのも社会の病気だ。
神を信じられなくなる思春期の女の子特有の症状を、青年期の男にまで「男性化」させなければならない。
「難しい教科書」がなければ自己疎外はおきない。
自己疎外をうまく観察しながら「教科書」を作らなければならないのだ。
これは、ブルジョア(高学歴者)の仕事であり、プロレタリア独裁のもとにおいては「自己疎外の解消はそもそも困難」なのである。
ここで、近隣住民の騒音トラブルを受けて、ブルジョア(大卒)、プチブル(高卒)、プロレタリアート(中卒)という区別が生じた。
台湾では、公害の相談窓口でほとんどが「近隣住民の騒音トラブル」が寄せられるため、いまだブルジョアによる統治が安定していないものと思われる。
どの国も、プロレタリア独裁など、今となっては望んでいない。
ヒトラーは、ユダヤ人、心の弱い女性、マルクス主義者、ローマ人ジプシーなどを差別したが、マルクスは「共産主義国家に自己疎外など存在しない」としている。
つまり、マルクス主義も「人間は死なない」ということをタイムマシーンを利用して標榜したことを意味する。
しかし、マルクス主義のアイデンティティは「労働」ではなかったのか?
王室や皇室にたかり、Web2.0を利用し、「存在と時間は私たちのアイデンティティだからね」と言って、スタープラチナとハイデッガーの「存在と時間」つまり「若さを無駄にする時期が人間にはある」という議論を混同するような働かない輩を認めないのがマルクス主義だったはずだ。
労働という「精神史的文脈」に位置づけられるものから排除されたら、おのずと「死期」は定まるものと思われる。
イデオロギーとはそのようなものだった。
「天皇制反対」というのは、天皇の富に群がるプロレタリアートやプチブルが大勢いることを批判したものだ。
そもそも、マルクス主義というものが「近隣住民の騒音トラブル」をなくすためのイデオロギーであった。
マルクス自身がユダヤ人の家庭に生まれたこともあり、政府の所得再分配でも「人間は死なない」ということでも何でも利用した。
しかし、「労働者である」という縛りを「人間は死なない」ということにかけたのだ。
そうでなければ、所得の再分配も、女の子を口説くこともできない。
「死なない労働者」
これが革命の原動力であった。
イケメンで女の子が好きなヘーゲル左派の支持を強烈に集めた。
日本国においては1967年の統一地方選挙で「日本の豊かなシルバーライフ」という資本主義社会が体制選択で勝った。
酒井法子 おじいちゃんis watching TV.


マルクスは、近所で夜中までバカ騒ぎしているガキどもを黙らせたかっただけだった。
労働というものを知ってもらいたかったし、女の子を口説いてもらいたかった。
死なないで「女の子を口説く言葉を考えるのがうまくなる」ことを悟りと呼んだ。
比叡山延暦寺の最澄(伝教大師)はどれほど老けているだろうか?
お仕えする者も大変だろう。
私が伝教大師を殺しに行ったら、手塚治虫の「火の鳥」の百鬼夜行のようになりかねない。
伝教大師(最澄)も、私の「1200年後の姿」で浄土院というお堂でご存命である。
一度はお参りしたいものだ。

千日回峰行 延暦寺


また、アメリカ合衆国も、共和党は「死なない」ということを強烈にアピールしているという意味では共産党と変わらないとされる。
労働と生きることが結びついたのがドイツの1848年である。
マルキュースは、比叡山延暦寺の伝教大師(最澄)をお参りすることで、女の子が「なにこれ、お母さんよりも面白い!」と言って「急激に女らしくなる」ことを狙った。
当然、お父さんからお金をもらうことを意味した。
令和天皇は「山法師」を、プロレタリアートやプチブルを抑え込むのに利用した。
女の子たちは「浄土院に1200年後の小野がいるの?ちょーウケるんだけど」と言って可愛くなっていたのだ。
レーニンも「女神」を語ったが、レーニン廟という似たようなものを作っている。
マルクスは、イスラムがユダヤ教に与えた「死なない」という発想を、「人生に飽きるのならば労働とともに生きよう」とした人物である。
それを、マルキュースは「女の子を可愛くさせる」ために用いた。
令和天皇は「低学歴が翻訳した日本語」(矛盾)に目もくれずに英語の論文を読んでいた。
「労働者としては死なない命」(マルクス主義)と、女の子らしさ(フロイト)がここで出揃ったのだ。
タイムマシーンのおかげで、このように「死という概念」が混乱したが、一方、アメリカの最先端医学を知っていたから、という側面も指摘できる。
戦場で木っ端微塵になってどのように「死なない」のかは今後の研究課題なのだ。
労働と、産業つまり「政治と宗教」が「死なない」ことと結びついたのがマルクス主義であった。
しかし、「死への崇拝」「知識への崇拝」を持っているキリスト教とは相反するイデオロギーであったことは認めざるを得ない。
キリスト教社会においては、「失脚」というものが存在した。
女の子への「口説き文句」の取引を行うのがキリスト教社会であったが、マルクスは「労働すればお金がもらえるだろう」と考えていた。
西側と東側は冷戦状態に突入した。
日経平均株価は、「口説き文句がどれほど高く売れるか」「女子高生の供給をどれだけ封じ込めることができるか」「どれほど企業の利益を最大化させるか」などの要素がある。
「労働しているときは死なない」ということを標榜するマルクス主義の国にはそのような「変動する相場」は必要ない。
なにしろ、所得の再分配を完璧に行っているからである。
しかし、「女のからだ(商品)」へのフェティシズムの研究が深められた。
比叡山延暦寺などの「お寺」はみんな「女のからだ(商品)」を美しくさせるためにあった。
高橋由美子 バスルームでキャッチホン


「労働と死なないこと」を標榜したソビエト連邦と、「死への崇拝」「知識への崇拝」を標榜したナチスドイツと、両者に理解力を持つニューディールアメリカは戦前の三大スーパーパワーだった。
世の中には「男と女」がいるが、体制というものはこれほど多様なものだったのだ。
この三大スーパーパワーが、世界のいろいろな国と「体制交換」を行っていた。
もし、法律(男らしさ)が、政治(女にモテる連中)の側から作られ、執行可能であるものだとするのであれば、イデオロギーというものは「女二人が奪い合う」政治(女心の定義)のことを言う。
二人の女がひとりの男を奪い合うのならば、そこにイデオロギーがあるのだ。
愛が止まらない Wink


法律も「二人の女」の登場によってイデオロギーとなるし、より生き生きとしたものになる。
かつては、「ホモ」「両刀遣い」「家柄を論じる男」は出世しないとされ、反共労務管理というものが存在したが、現在は「労働しているのならば死なない」という発想にマルクス主義が形を変えたため、企業としては排除する理由がない。
「二人の女が奪い合うのがイデオロギー」だとしたが、もしそれらの女が「歴戦のツワモノ」だとしたら、法律よりもはるかに強いものがイデオロギーであることになる。
別の表現をするのならば「面白いのがイデオロギー」ということも可能である。
中国共産党による虐殺


シュタイナーは、タイムマシーンについて触れており、イスラムの影響はユダヤ教を通じて、マルクスに持ち込まれたことを明確にし、人類が「マルクス主義革命の唯一のチャンス」に成功し、そして最終的に崩壊したことに関して、「人間同士でどうしても譲り合えないことがあって、タイムマシーンで何でもできるわけではなかった」としている。
瀬能あづさ 永遠に友達


タイムマシーンを運営する側としては、「言葉が明確な者」を選ぶしかないと考えたのだ。
何の意思もない人間に介入するつもりはなかった。
なによりも、勤勉で「女たちに愛される」人物像が見えた時に「介入」していた。
意志の強さはいろんなものを見れば分かった。
特に、「若い時期の勝負時」を見ていたようだ。
「教わらなければ何も分からない時期」に勝負に強いと期待感がもてたのだろう。
勉強への意欲と、宗教意識を見た。
特に、近代社会は、「無限の家庭の再生産」が行われていたため、みんな人を見る目が養われていた。
酒井法子 ダイヤモンドブルー


あとは、失恋したくない、という男の心理を利用すればいいだけだったので可愛いものだった。
「誰よりも賢くなりたい」と思えば失恋しなくて済んだのだ。
勉強が嫌いならばそれは無理だよね。
男は大勢いるのに「負け犬」を作らなければならないのだから、一定程度「公正」でなければならない。
選ばれた男は「宗教の暴君」みたいなものだ。
しかし、社会への貢献がともなわないのであれば「選ばれる」理由はない。
周囲のメンタルや人生まで分かっているのだ。
一方、シュタイナーは、マルクス主義の「計画性」は否定している。
また、男にも「男の好み」があるとしている。
何万人もの人が見ている前で、「分からない。立場が変わってしまった」という男が出てくるのだ。
1960年代から1970年代にかけて「ほんのワンプレー」に介入すればいいことが分かり、男たちが「神さま」の存在を信じ始めた。
シュタイナーは「国の問題ではなく個人の問題なんだ」と胸を張った。
SPEED Deep Blue & Truth


ジョージ・ルーカクスは、1919年の革命や1956年のハンガリー動乱までを生きたが、貧困との戦いを行った。
スターリンが貧しい生い立ちで可愛く思えたのだろう。
ユダヤ人として1885年に生まれたが、所詮、スターリンといえども世界史を俯瞰している哲学者に可愛がられなければ夢が見れなかった。
最終的には「お天道様はお見通し」程度の介入しかしていないのかなと思われた。
エレナ・グラベンコというロシア女と結婚し、しかし、哲学者としてはハンガリーのベラクンとともに失脚している。
結局、昔の哲学者は「タイムマシーン」というものを直接見たことはなく、「資金メカニズムを組んで全体像を俯瞰する」とイメージしていたようだ。
ルーカクスは「貧富の格差の解消」を目的としていたために、消されなかったようだ。
1930年からはコミンテルンの中枢に身をおいている。
河合その子 ジョバンニの囁き


ルーカクスは「全体主義音楽って何だろう?」と考えた結果、「それはゲイによって作られたものである」としたが、フルシチョフの「豚追い」発言(シークレットスピーチ)に敗北した。
飽きられるのも早かった。
フルシチョフは「俺はお前らがソルボンヌやオックスフォード、ハーバードにいたころ豚を追っていた」とし、「女好き」を告白していた。
竹原ピストル よー、そこの若いの


2024年に日本IBMがタイムマシーンを開発する前も、おそらくそのあとも、哲学者は「資金メカニズムを仕組んで物事を見守る」ことしかできないだろう。
あまり、タイムマシーンの完成にはこだわらないほうがいい。
また、お金といっても「高いほうから低いほうにしか流れない」ということも理解する必要がある。
「心豊かな貧しき者」
これがタイムマシーンとマルクス主義の階級闘争の秘密だった。
マルクスが「死なないユダヤ人出身」だったからこそ成り立った発想だろう。
それを踏まえたうえで、物象化論(女たちのフェティシズムの研究)というものがマルクス主義の主流となっている。
そのうえで、「男同士で真似しあっているものがある」ということも明らかにしている。
全体主義的に動かすことが大事なんだとした。
レーニンの「女神崇拝」が必ずしも許せたわけではなかった。
しかし、女神崇拝にせよ、男崇拝にせよ「全体主義にも流れがある」としている。
文章を書きながら、プロスポーツや政局を見ていくしかないだろうと考えられている。
布袋


余談であるが、ルーカクスは「芸術作品に興味を持たないこと」を「ディフェティシゼーション」と呼んでおり、日本では宮本顕治の「敗北の文学」として知られている。

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