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2019年4月 9日 (火)

目的的行為論。

目的的行為論というのは、「何度も繰り返しているうちにそれが気持ちよくなる」という理論であり、たとえば、外出して「家の鍵を閉め忘れたかな?」と心配になっても、実際は、家を出る時に鍵を閉めることが「気持ちいい」ため、必ず閉めていることなどを言う。
これは、横浜DeNAベイスターズの「ビッグフォー」(宮崎・ソト・筒香・ロペス)が、「慣れ」によって春先の調子はともかく、シーズン全体を見たら必ず「毎年の成績を残す」ことを意味する。
これは、2017年にフルイニング出場を果たした倉本の起用法にも関わる議論であり、また、ラミレス監督が「全幅の信頼を置いているわけではない」という桑原の使い方にも影響する。
あるいは、オープン戦首位打者であった楠本が「自分はまだ明日が約束されている選手ではない」と発言する理由でもある。
なにごとも「場数」を経験しなければならず、模擬テストでいい成績をとると、本番でも必ずいい成績が取れる。
見ている側も「だいたい結果が予測できる」という意味においては「バントのサイン」に博士号が必要とされる理由も「目的的行為論」を理解することが必要になるからである。
秋までのお付き合いとなる横浜DeNAベイスターズを見る上では「慣れ」というものは当然必要である。
見ている側にも「慣れ」(目的的行為論)があるため、球場まで来て他球団のユニホームに着替えてしまうことなどもあり得ない。
広岡達郎氏が「楽天が優勝するためには球団創設から10年かかる」と指摘した背景にもこのような目的的行為論が存在する。
バッターは「リリースポイントを見つめ、ボールのスピンを見る」とされているが、いつもこのようなことをやっていたら目が消耗する。
そのため「スリーボールワンストライクからのストレート」をホームランにすることにした。
変化球が来たら空振りするしかない。
「ボールのスピンを0.2秒で見極めるのは難しい」ということからこのような野球となっている。
バッターも「そもそもストライクしか打てない」というバッティングフォームを作ることで選球眼を身につけている。
打てないものは見送る、これがボールになるのならばいちばんいいのだ。
丸佳浩フォーム

先日、駅前でおばあさん(森昌子)と話していて、旦那が月に10日しか働かない男だと言っていたが、「他の女がちょっかい出すもので一緒になった」と言っていた。
どんなに経験豊富な女性でも「哲学者としての慣れ」があり、ようするに、「出会いが少し遅すぎた」という物語があったのだろうと考えるしかない。
瀬能あづさ I miss you.

なにごとも「いつもの論証パターン」を作る必要がある。
私の「考え方」を理解してもらえるのであれば、すべてを読んでいただく必要はないし、各自の研究に戻ってもらってもかまわない。

この「目的的行為論」は、問題への対処法を「より簡単に」するために用いられる。
問題とは自分に対する「悪意」である。
実際は、問題を「解いて」みて、手元に現金がきた時に「学習」するとされている。
問題を解いて現金を手にしなければ「カッコ」が閉じられないからであり、学習することができない。
渚のカギカッコ

そもそも、プロの世界の「ボール」の前には「素人は動けない」ということを背景に、強いスイングができるのであれば「期待しちゃおうかな」ということになる世界だ。
勝負の前には「女の子と話したり」「お笑い番組を動画で見る」など、気分転換も重要になるだろう。
しかし、「ボールのスピンを見る時間を長くする」ためには「スイングスピードを速める」以外に方法はないことも知る必要がある。

お金というものは「数が数えられる、女が買える、どの女にも通用する」ものであるが、選手は各自の「職場」で、お金を争っている。
当然、「いじめ」の存在は認めなければならないし、「全員が楽しんで野球をやる」ということを「ワンプレー」だけでなく、試合全体、あるいはシーズン全体を見ながら最大化するのが目的的行為論なのだ。
「罰を与えるタイプの監督ではない」緒方監督は広島カープを強くした。
現金が動く世界で、「全員が楽しんで野球をやる」ことが重要であり、早いイニングではビッグイニングを狙っていくため送りバントはないが、それ以降は「慣れ」を見ながら、「結果を非難しない」という姿勢が監督には求められる。
監督=マネージャーと言われる以上、監督としてはそのような「全体像を自分だけが見ている」という姿勢が必要なのだ。

いじめの存在を認める以上、「女の話」のひとつもできない男は周囲との社交性に欠け、全員が楽しんで野球をやる、ためには「野球以外の話ならば何でも聞いて」(長野久義)という姿勢は重要になってくるだろう。

政治力だけで「階層化」されたチームの人間関係も、「真剣勝負」「結果」の前には人間関係の「階層化」がかなり上から潰されてきて平らになってくる。
チームの中には「試合が好き」なもの(政治力のない者)と「試合が嫌い」なもの(政治力だけで生きている者)が存在する。

横浜DeNAベイスターズは「ビジターに強い」とされているが、「大坂の女」「名古屋の女」「広島の女」という具合に、各地に女がいるプロ野球界の伝統と異なり、あんがい「紳士的」なチームであることを意味している。
各地の「女」が「他に男がいるのではないか?」などと考えると、「幸せですか?」と言われることになりかねない。
幸せですか

女と言っても「人数」「認め合うこと」「場所」「時間」が存在し、「女の数がべらぼうに多い」「人として認めない」などということも当然想定されるが、「場所」をビジターでは変えなければならないことと、女の側にも「時間」が与えられることから、「幸せですか」という問題は当然、ビジターに強いチーム、には監督が「教会法」を与えていると思われる。

監督という仕事は「シーズン全体を見通す」「教会法を作る」「結果を非難しない」などの仕事があり、そのような「権力」が与えられる。
それ以外は、ファンと監督の間に「力の差はない」とも言われる。

一方、ホームでの弱さというものは「すべての家庭が改革を望んでいる」ことから、その「教会法」の論点つぶしはビジターゲームよりも難しい、とされ、ラミレス監督も「阪神と横浜スタジアムで戦うことの難しい側面」としている。
私も「教会法」はブログで書いてきたが、「すべての家庭が改革を望んでいる」ことに「難しい側面」があったのだ。

プロ野球選手は、労働組合法上は「労働者」であるが、労働基準法上は「労働者ではない」とされている。
「労働者ではない」存在の選手に、どこまで「教会法」の導きを与えるのか?
このあたりが「すべての家庭が改革を望んでいる」とされるホームゲームにおける「難しい側面」であるということは可能だ。

ゲームも終盤になると「今日は負けでいいんじゃないか?」「絶対勝つぞ!」などの多くの混乱がおき始める。
なにしろ「勝率五割」程度のチームだからだ。
そんな時に「ベンチが送り出すバッター」を作るのも難しい問題だ。
現在は、佐野あたりだろうが、「ネガティブな言葉」に敏感なのが人間である。
試合終盤になると、家族のことを考え始める者もいるし、いろんな言葉が飛び交う。

誰もが「哲学者のように」男らしくて団結した存在ではない。
負ける用意もしておかないと「次の日につながらない」のは事実であり、監督としては「全員が楽しんで野球をやる」ことを、お金の裏づけや、いろんな「教会法」を背景に、推進しなければならないのだ。

横浜DeNAベイスターズは、地元横浜のみならず、東京・大阪・名古屋・広島などに「薬物を盛られないための行きつけのスナック」を持っている。
選手は、球場で「異常なストレスと興奮」にさらされているため、「酒が飲めない人はプロには向いていない」とも言われる。
スナックでは、選手は、過去の実績のみならず、現在の調子、将来性などすべてを武器にして、とにかく「自分の存在意義」をアピールする。
しかし、酔いつぶれてスナックを出たら「家庭」に戻らなければならないのだ。
家庭に戻ったら「一神教」の世界の神として、妻や彼女は選手を扱うことになる。
さっき映像で見た男が家に帰ってくるのだ。
スポーツニュースで、報道される「今日のヒーロー」もいれば、適当に貢献した者もいる。
なかには、まったく活躍できなかった男もいる。
しかし、それが家庭内では「神」なのだ。
家庭に戻ったら、「それでは家族として受け入れられない」と思われてはならず、食事への薬物混入や、タオルを持ってピッチングの練習、庭での素振りなども誰にも介入できない。
どこまで、「家庭内の問題」をシンプルにして「ストレスや興奮」から開放し、次のゲームでも同じように力を発揮させるかが重要だ。
誰もが、「今日のヒーローになった経験」があるからベンチ入りしているのだ。
酒井法子 涙が止まらない

一番の問題は、「神」=男が「常に他の男と比べられている」ということだ。
自分が「変わる」ためには「他の男と比べられなければならない」という側面があるため、選手は常に「変わり」続けなければならない。
しかし、「家庭」の問題と「変らなければならない」という問題が、選手寿命とどう関わっていくのかは各自が考えなければならないとされる。
避暑地の森の天使たち

目的的行為論というものは、「今日のゲーム」と「シーズンの全体像」つまり、部分と全体を見るものだ。
みんな「数が数えられる、女が買える、すべての女に通用する」という「お金」をめぐって、いじめをやったり、技術を競い合っている。
だったら、「いじめ」「技術」はお金という「査定」でコントロール可能だ。
金本は「いじめ」の達人だったから連続試合出場記録を作った。
しかし、「技術」がなければ査定で辛酸を舐めただろう。
また、技術がなければ誰も「アニキ」などとは呼ばなかっただろう。
「いじめ」と「技術」の二つを見ながら、最終的には「戦力外通告」をすることもある。
スイングスピードは速ければ速いほどいい。
しかし、スイングスピードを高める作業をやっていると「いじめられる」のだ。
グラウンドで素振りをしていると必ず「二人の男」がニヤニヤしながら見ている。
そのため、スイングスピードを高める作業は、各自が自宅の庭でやるしかないという側面がある。
それほど「いじめ」と「技術」のバランスをとるのは難しいし、いじめのすべてをなくすために「査定」を用いることはできないのだ。
スイングスピードの向こう側には「女の影」がちらつく世界だ。
グラウンドでは何もできないにひとしい現状がある。
大事なのは「スイングスピードは速ければ速いほどいい」という野球の基本を知ってもらうことと、労働組合法上の「事業所」であるグラウンドではそれを高めることは困難であるということを各選手に知ってもらうことなのだ。

王選手も「畳の上で」スイングスピードを磨いたが、マンツーマンで「スピードの向こう側」を求めると、「厳しすぎてついていけない」という危険もある。
荒川道場

また、「スイングスピードを高める世界」には「八人の敵がいる」とされ、いろんな「アドバイス」を、東西南北(八つの方向)から浴びせてくる。
フォームがどうとか、膝の使い方がどうとか言われると「スイングスピードが一番重要」という基本すら見失ってしまうのだ。
自分なりの「トレーニングのやり方」を理解したら、「お金を周囲に払う」ということも怠ってはならない。

バッターは少なくとも「スピードの向こう側」というものを求めるため、「グラウンド以外では練習しない」ということは致命的なキャリアへの悪影響を与える。
ピッチャーも「速くて正確なストレート」を身につけるのが基本である以上、自宅における「スピードの向こう側」を求めるトレーニングは必要になってくるだろう。
なにしろ、労働基準法上の「労働者」ではないからである。
大谷翔平は「医者の息子」として「お金」に恵まれたが、周囲にお金を払いながらスピードを求めていかなければならない。
グラウンドで「みんなと同じこと」をやっていたのでは、超一流にはなれないし、グラウンドでへたばっている程度の体力ならば「その程度」とあきらめるほかはない。

この「スピードの向こう側」というスポーツの練習を、「すべてグラウンドで」行おうとした外国人監督が昔、広島にいて、「いじめ」と「技術」という二つの軸を理解しようとしなかったため、衣笠は「このままでは我々が潰されてしまう」と発言している。
いじめの存在に無頓着でいる指導者などいないのだ。

結局、野球というものが「男のスポーツ」である以上、「おちんちんのおもむくまま」に「全員が楽しんで野球をやる」という方向にうまく誘導する必要がある。
モーニング娘。セクシーボーイ

「いじめ」と「技術」はそれで成り立っているのだ。
技術論も「スイングスピードが速ければ速いほどいい」「速くて正確なストレートが大事」という具合に「ポエム」にならざるを得ない。
なにしろ「おちんちんのおもむくまま」によりシンプルに誘導しなければならないからである。
また、そこには「フロントがうまくお金を集める」という発想も重要になってくる。
お金とは「数が数えられて、女が買えて、すべての女に通用する」ものであるからだ。
「おちんちんのおもむくまま」に「全員が楽しんで野球をやる」方向に誘導するのであれば、かつて私が「野球理論君」と言われた時の技術論だけではダメだろう。その力の最大化のためには「女性」の存在を研究しなければならないのだ。
極端な話としては「失敗ばかりして勃たなくなった」時に、野球が楽しくなくなり、任意引退ということにもなる。
そのような意味では、中村紀のように「野球をやりたい」というのであれば、獲得してもいいわけである。
「野球がやりたい」という心がなければ、チーム全体をうまい方向に誘導することはそもそも監督として困難だからだ。

結局、お金があるということは、「女を買える」というだけの効果にとどまらず、「悪いことをしない」ということを意味するため、「処女ですら告白してくる」という効果をもたらす。
処女は「犯罪者」をもっとも嫌うため、刑法というものは「処女に嫌われる振る舞い」を基本に作った。
処女にもモテるということが、どれほどベンチを明るくするであろうか。
ベンチが明るいというのは、いろんな意味で「勝つための基本」なのである。
AKB48 恋するフォーチュンクッキー

ベンチにお金が行き渡るというのはフロントの仕事であるが、あんがい「選手も知っているワイドショーネタ」の解釈論に詳しいなどの力量からもたらされるものであり、そのへんは「選手の頃は何でもできると思っているだろうが、引退したらそうではない」(王貞治)という具合に、元名選手すら学歴社会に呑み込まれていく現状もある。

通常、男というのは「金のかかった大切な女」に裏切られると、激怒するか、あるいは「禿げて」しまうものだ。
しかし、プロ野球選手に「禿げ」は少ない。
つまり、「女に裏切られるほど貧しくはない」ということを意味する。
「ごく普通の保守的な男」が多いのが球界の現状だ。
「女を人として認めない」のならば裏切られても禿げないだろうが、熱血指導を受けてきたプロ野球選手にはそのような男はいないと言ってもいい。
女に関しては「保守的な男」と考えた方が球界の分析にいちばん切れ味がいい。
藤本美貴 銀色の永遠

保守的な男が多い分、「おちんちんのおもむくまま」「選手全員が楽しんで野球をやる」という監督やフロントの力量は最大化しやすい。
国民全員が注目しているのだから「先頭打者スリーベースに一億払う」と思うのがファンの心理だろうが、実際は「10万円」などの低いコストで全力を出してくれるのがプロ野球選手だ。
試合が終わった後に、換金性の高い「景品」を山ほど届ければ「おう」と言ってくれるのだ。
また、「歴史の評価を仰がなければならない」「世の中の男の模範とならなければならない」と頼まれもしないのに考える男が多く、なかなか、「遊び人風情のタレント」と仲良くなる関係にはない。

 

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