最近のトラックバック

2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 共産主義について。 | トップページ | カトリックについて。 »

2019年4月18日 (木)

道徳(多数派工作)。

人間は「死なない」ためには、人生の意味や仲間を作る必要がある。
そのための研究が「道徳」(多数派工作)の研究だ。


道徳とは、「仲間作りの方法」という意味であるが、まず最初に議論しなければならないのが「一匹狼」であろう。
女の話を否定したことから、仲間作りの「知識」を見失い、セックスと彼女から遠ざかり、真実を見失い、それでいて「女たちが常に彼の話題をする」ものである。
新田恵利 Only Lonly Boy


常に「新しい知識を学習する」のにもっとも適した発想であり、みんなが「ああなりたい」と思っていた。
私たちは奴隷なのかな?自爆テロは生きる目的を見失った者がやるのだろう。児童虐待は女のノイローゼが原因だ。
一匹狼は「トラブルから無縁である」ことから生まれる立場だ。
勉強をしたければ孤独を知ることだ。
学んだ人間はみなそう思っていたため、道徳(仲間作りの方法)の研究の出発点として、道徳の世界の「スター」となったのが「一匹狼」である。
レベッカ Lonly buttefly


日常生活というものを否定し、カップルというものに目を背け、とことん勉強したら、答えは「愛」にあったことに気が付く。
愛を知らなければ「何も知らなかった」ことに気が付くのだ。
名門の家庭に生まれた者は、一匹狼から学校生活を始めなければならない。
他の男を見下すことから、成績は当然良くなる。
女の子は「彼の人生を邪魔してはいけない」と考えるか、「メチャクチャにしてやりたい」と考えるかのどちらかだ。
CoCo メロディー


何しろ仲間が本当にいないため、みんなが共有している情報に疎く、仏教の「肉を食うな」という言葉にすら影響されてしまう。
彼女がいないため、親も「この子にはお金は必要ない」と考え、身なりも貧しい。
Complex Rambling Man


エリートも行き着く先は「恋ばなの勉強」である。
しかし、中学高校時代は「なぜ面倒な人付き合いをしなければならないんだ?」と考えていた。
強烈な目的意識があったし、勝負の世界に身を置いていたため、敗者を見下す宿命にあった。
得てして「学問体系」を構築する宿命にある男は、中学高校、時には大学においても「一匹狼」であった。
いろんな「いじめ」に直面したが、痛みを知っている分、のちに多くの政策をゆだねられることになる。
ヒトラーの言葉に感化されやすく、「死への崇拝」「知識への崇拝」を持つようになる。
「頭がいいとモテる」
異性とのトラブルで孤立するよりも、何かを得た方がいいという考え方である。
東大は合格するだろうが、その後の人生の複雑さを考えると、大学に入った時点で「発想の切り替え」が必要になってくるだろう。
うしろゆびさされ組


しかし、男の子も「男」にならなければならないし、女の子も「女」にならなければならないのが教育というものだ。
教室で、「男の子たちにとって何が気持ちいいのか?」と言われたら「女の子」と答えるしかない。
目の前に人間がいたら、とにかく「どけなければ」ならない。
そのために、利用できるのは「女の子」しかない。
若い頃は「力でねじ伏せる」ことができるだろうが、大人になったらそうはいかないことを悟る。
暴力的ではなく、ソフトな形で「クラスに溶け込む」ためには「女の子」をうまく利用しなければならない。
私は、高校二年生に進学するときの名簿を見て、このことを知らなかっただけで絶望的になった。
CoCo 君の歌、僕の歌


「クラスの女子の名前ぐらい覚えておけよ」
これが最後に教訓となった。
仲間作りのための強力な武器だからだ。
もし、カップルが出来上がったら、おのずとクラスの輪から離れていくだろう。
そこで、「教室残留」を決め、勉強ができるのだ。
教室を脱落するのはいいことではない。
しかし、「女の子の話」もできずに、暴力に訴えるしかないのも好ましいことではない。
「勉強も最終的には”恋ばな”の研究になる」
それも踏まえて、恋ばなの「複雑なフォーメーション」に詳しければ、勉強も簡単になる。
恋ばなの「複雑なフォーメーション」は、多数派工作(道徳)の「真剣勝負」とも言われた。
「武闘派」になるよりも簡単な方法はある。
とにかく、クラスの女子に「口説き文句が得意」であることが知られていなければならない。
人間が「死なない」のならば、教室のスリルほど楽しいものはない。
クラスの女の子は「おちんちんがないない」と思った時に、言葉の感覚が鈍るとされている。
それでも「長話」は聞かなければならない。
さよなら失恋ピエロくん


「世界からいじめられる」方向に働く作用を「いじめから世界へ」という方向に変えていかなければならない。
知識というのはそれだけの力を持っている。
今がすべて、と言えるときはマスターベーションかセックスしかない。
それ以外は、日常が続いていく。
しかし、試合やテストは「今がすべて」だろう。
つまり、マスターベーションやセックスが集約される瞬間なのだ。
CoCo お願いHold me tight


成績が優秀ならば、女の子たちは「お金」の存在を嗅ぎ付ける。
ガス代電気代がなければそもそもいい成績は取れないからだ。
男たちの「嫉妬」もそこから生まれる。
成績は「おちんちん」へと翻訳され、「どの女が目当てなんだ?」と周囲から思われる。
カップルが成立すれば教室から足が遠のくし、「問題を起こす」とは「二人の男」「二人の女」が喧嘩することを言う。
男同士ならば殴られるし、どの事件でも「二人の女」が登場する。
事件があるたびに「自分の方がいい女なのに」といって論点が見えなくなるのだ。
ribbon 真夏のフェミニスト


処女は、成績(お金)に敏感であるし、それでいて「優しい男」が好きなのだ。
喧嘩に勝つと「処女」が人生を台無しにしてやろう、と考えて寄ってくる。
大事なことは「常に教室にいる」ということであり、喧嘩はしないほうがいい。
私は知恵の輪 うしろゆびさされ組


今がすべて、という試合やテストはマスターベーションやセックスの蓄積の結果であり、それに勝つと「おちんちんをどの女に向けるつもりだ?」という議論になり、「いつ、誰が、何を、どのように」取るかという戦争論となる。
「どのように」は「今がすべて」の瞬間に証明してしまったため、ここで「どの女をとるか」を明確にしなければならない。
東大に合格したければ、親がカステラを配ったり、本人が缶コーヒーを周囲におごるしかない。
「金持ちしか東大にいけない」「本と鉛筆だけの世界ではない」理由はここにある。
男子校ならば、女の問題で揉めたりはしないだろうが、いい成績をとるとケツの穴を狙われるので、どのみち東京大学に受かるのは大変なのだ。
道徳(多数派工作)の学問を間違えると、世界が灰色に見えてくる。
中学や高校にも「産業」はある。
産業、つまり「政治」(女心を定義する世界)と「宗教」(男らしさを語り合う論壇)はあるのだ。
社会はあまりにも複雑すぎる。
それを、いかに「女の単純さ」に論点を集めていくかが問われる。
このあたりの「技」に「道徳」という学問の秘訣がある。
垂加神道というものはそのために存在する。
「今がすべて」という瞬間に強くなるためにそのような作業が必要になってくるのだ。
あとの「応用編」は各自で読んでもらうしかない。
勝負に弱いと人生に飽きる(死ぬ)ということは覚えておいたほうがいい。
「あなたは女として最高の存在である」という言葉と缶コーヒーを知らなかっただけで「事件」というものは最高裁まで行ってしまうものだ。
政府が「命令」を出さなければ動かない世界で「知識」というものは、認められるのに十分すぎるものである。
みんな「仕事ができる」「勉強ができる」と思いたがっている。
そこで、「みんなのおちんちんが快適なように」物事を運んでいかなければならない。
お金に勃たない男はいないのだ。
しかし、なにしろ「当事者」でなければ分からないことが多く、一般論として垂加神道という単純さに出来事を収斂させていったり、「あなたは女として最高の存在という言葉」「缶コーヒー」がなかったために最高裁まで行ってしまった事件が多いということしか語ることはできない。
当事者しか分からないことは多くても、一方で、「理論ファシズム」を引き起こすことは可能である。
「一神教は間違いだ」というほど男の数は多くても、事件を経験し、多くの事案から「なにがこの事件を最高裁まで行かせたのか?」をまとめきることは理論ファシズムである。
社会で孤独感を感じたのならばそのこと自体が敗北だ。
多くの企業や地方自治体が、庶民からお金を横領しているが、「あなたのようなエリートの息子は缶コーヒーがなければ孤立する」という指摘をしなければ横領行為を有効な方向に導くことはできない。
日本国の各国へのODAもそのような意味では「裏切り」に直面しているのだろう。
酒井法子 涙が止まらない


テレビでのオンエアなどは致命的な孤立をそれぞれのグループの当事者に引き起こすが、テレビのオンエアも「タイムマシーン」と同じぐらいの影響力で「人々の夢」に介入していることになる。
さて、道徳とは「多数派工作」「仲間作り」の研究であるとしたが、政治の世界には「数の力」というものがあるだろう。
証拠開示を求めたら「なんだそんなことも知らないのか」と思われたり、「あなただけが知っているんでしょう?」という適合義務があったりするが、ようするに「あなたは女として最高の存在」という言葉が足りなかったり、「缶コーヒー」が足りなかったりするという側面が強い。
また、「女の単純さ」に論点を絞り切れなかったりすることが問題となっている。
私も、児童虐待は、夫の病気ではなく、セックスしすぎた女のノイローゼが原因とし、音楽作品を紹介したことがある。
ぼくをぶたないで 高橋由美子


あるいは、勤労統計不正疑惑において、仕事とは何が成功で何が失敗かは明らかではないが、彼女との関係はアフターファイブにおいて「失敗」はないとし、どうしても記録に残せない、言葉にできない、上司に報告できないことがあるとし、「女の単純さ」に収斂させたことがある。
BoA Is This Love


これらも、「数の力」「数の論理」に頼っている側面がある。
しかし、これらの事案すら「あなたは女として最高の存在」というひとことや、「缶コーヒー」の問題ではないだろうか、とも思う。
だが、この解決法そのものも「女の単純さ」でまとめきっているのは事実だ。
世の中の事件という事件をこれらでまとめきれるのであれば、それはそれでいいだろうと思われる。
女性が何を欲しているのか、で収斂して行くのはこのあたりではないだろうか。
酒井法子 天使の館


児童虐待は良くない、などの議論を「それは女のノイローゼが原因」などというように「女の単純さ」に議論を収斂させていったら、あとはテレビのオンエアなどで「多数派工作」するしかない。
セックスは私有財産である。
その「セックス」をめぐる論壇は多くあり、なかには「別の見方」をする人もいるだろうが、「生きる」「死なない」というのは仲間がいてこそではないだろうか。
「女のことをよく勉強する人って好き?」というあたりに仲間作りの基本はあるのだろう。
女たちは「好き、嫌い、色、匂い、怖い、避ける、誰々に似ている」しか興味のないものだ。
全体主義なんてものはありえないのではないだろうか。
「児童虐待は女のノイローゼが原因」という男がオンエアされても、どの女も反論しようとはしない。
「好き、嫌い、色、匂い、怖い、避ける、誰々に似ている」という論壇に放り込まれるだけだ。
男たちも、その議論を踏まえて、女の長話を聞いたり、女を口説いたりする。
お金になるのかならないのか、気持ちいいのか気持ちよくないのかしか軸はない。
「本当にあなたノイローゼだよ」と言ったら気分がいいしお金になる。
松田聖子 マラケッシュ


痛みを共有するだけでは意味がないことが多い。
勉強に人気がある理由は「児童虐待は悪いことだ」という共通認識に表現される。
男だけの社会においては不可能なことが多い。
東大ボクシング部にいて「私がなぜボクシングに専念できるのか」という論文を10億円で売ったシュガー・レイ・レナードに勝つことは不可能だった。
勉強しなければお金にならないし、お金がなければ厳しいトレーニングに耐えることもできない。
ファニタ夫人が敬虔なカトリックだったという議論を知らないといけなかったし、ジャービスは足長おじさんになってレナードの影響を受けた。
ハーンズだって「人間は娯楽があれば死なない。自分が勝ち続ける限りにおいて」というユダヤ金融資本や共和党と結びつきデトロイトスタイルで立ち向かった。
どちらが勝つかという予測も、これらの「バック」まで見なければ分からず、中には「自分たちのイデオロギー」と密接に結びついていた連中もいた。
両者の陣営が充実しきっている場合に、勝敗を決しなければならないこともあった。
これをやらなければ「無党派層」が放置されたままとなってしまう。
「無党派層を取り込んでいかなければならない」というのはプロモーターの仕事だった。
負けたら明日はないというような日本のプロボクシングとは異なり、あくまでも政治活動として試合をしていた。
このような「試合」=「政治活動」という発想を持ったのはナチスだった。
レナード対ハーンズ ダイジェスト


ボクシングにおける「有効なクリーンヒット」とは刑法の問題だった(パニッシュメント)。
お金をくれないのならば走らない、というプロ意識のなせる技だったのだろう。
GDPが2兆円動く試合など日本では想定されてはいない。
応援している選手(球団)が負けたら借金を返さなければならなくなる、という問題も生じた。
なぜなら「仲間の多さ」で敗北したからである。
東大に受かった私に、かつての少年野球のチームメイトは「こんにちは」と挨拶した。
私の影響を受けて多くの女の子が芸能界デビューしたのだ。
多数派工作(道徳)とは「生きるって楽しいぜ」という学問でもあった。
CoCo 夢だけ見てる


反米も新米もどちらも人気があるだろうが、「愛する人がいるのならば長生きしたい」と考えるのは当然だと思われる。
しかし、「友達に裏切られた」「愛した人が去っていった」などの理由ですら人は「死にたい」と考えてしまう。
ケースバイケースだ。
作家としては、常に感性を研ぎ澄ませながら文章を書くことしかできない。
時には「死への崇拝」「知識への崇拝」(キリスト教)に回帰していく人もいる。
「生きる」ということはあんがい難しいという側面もある。
サラリーマンとして生き、豊かなシルバーライフを満喫したらポックリ逝きたいというニーズはあんがい強い。
そのへんは「チョコレートが好きな人は長生きする」と言うようなデータも出ている。
いずれにせよ、イエスキリストは大工の息子であり、人々の共感を得ながら、お金を集め、近所の家を修理した。
ときには昼食をともにした。
音楽作品を利用するというのは「感情」的すぎないだろうかとも言われた。
しかし、大人たちが、一曲作るのに500万円以上投じていたため、「利用しない手はない」という結論に至った。
金のかかった音楽作品ならば、じっくり聞いてみる必要がある。
医者はそのような作業をやっていないのだ。
早い段階から、看護師は私に「ドクターのライセンスはありますか?」と聞いてきた。
松浦亜弥 チョコレート魂


すべての「現場」に問題はあった。
しかし、それを「女の単純さ」に論点を集約させる必要があった。
なぜならば、すべての問題は「お金で解決することができる」からである。
交通事故を起こしても「保険で解決します」と言った。
同じ意味だ。
いろんな「責任者」はいたし、いろんな事件はあったが「保険で解決します」という形で、「女の単純さ」に解決を委ねることがある。
保険会社はそのような存在だったのだ。
シュトローソンが、「女の研究」を保険会社の仕事とし、その資金力で事件を解決してしまおうと考えたのだ。


色の白い女とセックスしたら肉が食えなくなる(痛風)。
この通風患者同士の多数派工作も存在する。
有機野菜とか、動物を殺すことへの批判などを行うのだ。
何事においても譲り合い、それが「キリスト教である」と信じていた。
実際は、「死への崇拝」を行っていただけである。
家庭菜園などを営んでいたが、反ユダヤの色彩が強く、「死なないユダヤ人」「勝負事」を極端に嫌った。
酒井法子 夢冒険


痛風患者は、「聖者」に見えるだろう。
そのような人が多いと物事が治まりやすい。
しかし、プロ野球のペナントレースは否応なしにやってくる。
勝負に弱いのがキリスト教なのではない。
しかし、「色の白い美しい女」を妻とした痛風患者の書いた文章は眠るのにちょうどいい。
ユダヤイスラムは「眠れさえすればいい」という側面がある。
「食べて眠れば健康」
「貸したものは帰ってこない」と子供の頃、悟らなかったか?
多数派工作(道徳)こそがすべてなのだ。
通常の人間は医者や弁護士ではない。
「今後お世話になるつもりはない」と思ったら金なんてそもそも払わないのだ。
あなたと知り合えてよかった、と思われるのは「痛風患者」ではなく「勝負師」である。
横浜DeNAベイスターズは「貸した金が戻ってくる」存在でありたい。
「ユダヤ人は死なない」ということから始まった、哲学(女を口説く学問)や、キリスト教(死への崇拝・知識への崇拝)であるが、とにかく「食べて眠らなければ」ならない。
人に裏切られるうちはナメられてるよね。
「この国で二度と夢が見られなくなる」
それが道徳の目指すものだ。
妻もいれば娘もいる人もいるだろう。
貸した金を返さないのは犯罪だ、そう思える人もいればそうでない人もいる。
伝教大師を待ち受け画面につかったら運気が上がった?当然ではないか。
星座占いで瞳を閉じて


貸した金が戻ってこないと「安く買って高く売る」というビジネスが成立しないのだ。
ポートフォリオの最適化はナメられているうちは成立しない。
サラリーマンでも「宗教家」「政治家」をうまく活用していかなければならないだろう。
自分の「運気」の向上のためにプロ野球チームを用いることにしたのは横浜DeNAベイスターズが初めてだろう。
土建会社やテレビ局など、多くの企業が関心を寄せている球団なのだ。
友人に裏切られない秘訣はあんがいそのようなところにある。
「目上の」リック・フレアーがサミングを繰り返して最後にぶざまに負けるのを見るのも楽しいだろう。
そういう意味では、どの球団にもファンがいていい。
リック・フレアー


「お金を盗むのは良くない」ということから多数派工作・仲間作り(道徳)という学問が始まっていることは理解してもらえたと思う。
しかし、世の中には「神も仏もあったもんか」ということが多い。
横浜DeNAベイスターズが負けても怒ってはならない。
他の球団のファンが「貸した金を返してもらえる」だけだからだ。
アメリカ合衆国は全米規模でそのようなメジャー球団を持っているのだ。
かつては、大洋ファンが「横浜大洋銀行」などと皮肉られていた。
私は、あえて横浜DeNAベイスターズの名前を挙げているが、「索敵」として他球団のファンにマークされていたり、ソフトバンクのコンテンツあるいは、楽天の第四世代スマートフォンに活用されても文句は言えない。
読者が、私のブログを読んで、何を感じるかまではコントロールはできないのだ。
読売新聞や、明治神宮まではコントロールできない。
主婦層の支持を得て、「この球団の選手は私たちの息子」という構造主義や、それを外国国家にまで波及させる「脱構築」の存在を私は今まで明らかにしてきたが、作家としては「できるだけ多くの人に読んでもらいたい」ということから、株式会社DeNAとは特別に契約は結んでおらず、「強者が負けるのが見たい」という「多数派工作」「仲間作り」(道徳)に打たれ始めている。
人間は人生に意味を見出せる限り死なないというユダヤ金融資本は「セト」と呼ばれ、「労働している限り死なない」としたマルクス主義は「アカ」と呼ばれ、資本主義社会は「死への崇拝」「知識崇拝」を行ってきた。
フランスカトリックは「相続」というものを「自分の存在を後世に残すもの」としてきたが、日本の民法学者は「なぜ相続という制度があるのか”分からない”」と率直に認め、人間というものは「死なない」というユダヤ教の存在を「理解できないもの」としている。
1990年代に、インターネットが登場したため、世界は「道徳」をかなり実験的な世界に開放した。
「アリストテレスは人々の誤解があったから21世紀を見た」と言われている。
その「真の意図」が世界に伝わりきらなかったから「今でも生きている」という意味なのだろうか。
アリストテレスは「男女が社会に共存する仕組み」を構築した人物である。
我々は「男女が共存するのが当たり前」だと思っているのだろうか。それとも、クラスの「女子の名簿」もろくに覚えない男子高校生の存在を指しているのだろうか。
とにかく、「共同体の女子の名簿」を覚えないためにいじめられる男は確実に存在する。
また、イスラム圏であるエジプトでは「妹と結婚する」という文化がある。
このことは、フロイトが「職業保障されている農家などでよくあること」とトーテムアンドタブーで語っているが、「そもそも死なない」のならばイスラム圏にそのような文化があってもおかしくはない。
そもそも「死なない」というイスラムという文化も誤解されてきたのではないか。
ショッキングな形ではなく、よりソフトな形で世界の文化の多様性を拡散させていく必要がある。
そのためには「その国で勝ち続ける論客」を世界は選択しなければならないだろう。
カルト認定されたり、差別されている人を利用したのでは「世界の多様性」が正確には伝わらない。
いくら人間が「死にたくない」と言ったところで、女たちの「死への崇拝」「知識への崇拝」(キリスト教)は80年後には「真理」と確定するだろう。
沢田知可子 会いたい


あるいは、世界が、いちばん真摯に真理を探求し続けた「アメリカ合衆国」にハンドルを握らせることに同意するかもしれない。
世界の「人類学」はかなり実験的なものであり、たいした葛藤もなく「世界」が見れるようになったのはこの20~30年の話である。
娘が「婚前交渉」したため首をさらしものにしたエジプト人の気持ちが分かるだろうか。
今は好奇心を持って「世界の論理」を見ることができるかもしれないが、飽きたらどうするつもりだろうか。
イスラエルが「死なない」文化を持っていたため、外国語を勉強する時間が十分にあり、世界にインテリジェンスを持っているのは事実である。
しかし、老いさらばえた日本人が「諜報」を仕事とすることは可能なのであろうか。
ユダヤ人やマルクス主義者がかなり全体主義的に動いたのは事実である。
しかし、今の日本国の現状を見る限り「アンチ」も相当数いると思われる。
熱しやすく冷めやすい日本人は「不老長寿」物語にすら、いずれ冷めるだろう。
USA DAPUMP


また、「人間は死なない」のならば、勉強なんてやめてしまおうよ、と考える者たちもいた。
イギリス国教会がこのような考えをまとめ、勉強なんてのはニュートン物理学(プリンキピア)さえ分かればいいとするものだった。
あくまでも、勉強する男の子がモテたのであり、しかし、勉強するのをやめた男の子は「周囲を助けるために」興味深い行動をとった。
東大生に向かって「他人を蹴落として生きている奴だ」と言ったが、勉強しなくていいという発想に共感する者も多かった。
勉強しなければ「磔」になることも「眠れなくなる」こともない。
工業高校で関数電卓などを使ったりしていたが、人生の視野はあんがい広かった。
「気持ちいいこと」に敏感で、鉄筋屋などをやり、ポケットの財布に27万円入れている人もいた。
「バイクがなければ人生はんぶんだね」などと言っていたが、東大生にはなかなか理解できない連中だろう。
勉強しない奴ほど「神の命令」に詳しかった。
奴隷になりやすかったが、視野が広かったため、奴隷解放運動にも勝った。
「磔になったイエスキリスト」もそのような連中との交友関係の方が多かったのだ。
人間は死なない、とした以上、「勉強しないものの論理」も理解しておく必要がある。
パソコンに詳しい、車に詳しいなど、あんがい話しを聞いてみるだけの価値はある。
私も一緒に酒を飲むのはそういう連中だけだった。
もっとも、王位継承の問題が持ち上がったら、率先して「いじめ」を仕掛けてくるので、関わって後悔したこともある。
一国の君主になれる連中ではなかったのだ。
椎名へきる 風が吹く丘


稟議書は「エリート」「エリートではないけど仲間が多い」連中の間を通すものだ。
いろんな「論理」を知らないと通らない。
人間が「死後の世界の罰」を恐れなくなったらどうなるであろうか?
年寄りはひたすら若い連中をいじめ、無知で恥知らずだった。
将来を嘱望された人間を潰して回るため、生命保険会社が「長生きは損失である」と考えるのは、国全体にとっての問題だった。
ボーンヘッドをやらかしても失脚もしなかった。
70歳を過ぎたら懲役刑も裁量的なものとなる。
中年世代にとって「死なねえかな」という年寄りがいるのは事実なのだ。
国力を高めるのならば「死への崇拝」「知識への崇拝」(キリスト教)が必要になってくるときもある。
エリートは「老害」の実態を公の場で語ることができる。
国を「誤った方向へ」導いた年寄りを大勢知っている。
溺れる者は藁をもつかむと言われるが、実際は「女性たちの支持」を固めたため、年寄りは「うーん、うーん」と唸っていた。
エリートは「低学歴」「老害」と常に接している。
エリートが「女たちの支持」を固めたら、「乗っ取る」「俺でもできる」と言い始めるのが低学歴だ。
もっとも、パソコンはすべての人に対してオープンであるため、「自分は一軍では通用しない」ことをみんなが知っているのだ。
「口だけ番長」に害はないだろう。
一球投げただけで「ダメだこりゃ」というのが分かるのがインターネットの世界なのだ。
エリート以外、「誰を信じていいのか分からずに」潰されている。
SNSで殻に閉じこもってクダを巻いているのが「口だけ番長」だ。
メジャーで通用しないのは誰よりも分かっている。
「これじゃ、ワールドカップを任せられねえよ」と政府首脳から罵声を浴びるだけだ。
NFLのラインマンは冷静に距離を測っている。
人生の「距離」も正確に出されている。
CoCo 夏空のDreamer


女たちは「抑圧」されている。
家事子育てを任され、セックスされる存在として生きるのだ。
女という「単純さ」とまで呼ばれ、しかも、宗教(男らしさを語り合う論壇)を委ねられている。
女たちが「磔になって死んだイエスが男らしい」という「死への崇拝」「知識への崇拝」を持っているのならば、ユダヤ教(人間は死なない)という立場は宗教としては弱さを見せることになる。
さらには、「知識への崇拝」すらない「コンサート」(スンニ派)「ギャンブル」(シーア派)
に興じるだけが人生だとするイスラムは「人間ではない」ように映るだろう。
河合その子 避暑地のアンニュイ


そのように言わないと、女たちの支持が集まらないのだ。
犯したという言葉が「セックスした」という意味であるのか、より広義に「抑圧した」という意味なのかは明らかではない。
女のからだは「欲望の主人」である。
男が勃つだけでも、女はパートにまで出てくれるのだ。
女は「おちんちんがないない」から始まって「言葉の感覚」が鈍り、それでいて「自分のおとぎ話」を持っているためヒステリーを起こしやすい。
言葉の感覚が鈍ることから、出来事に言葉がついていかず、「スローモーション」になることがある。
中森明菜 スローモーション


女は「出来事」を語るのが得意だ。
男はその背景にいる「女」の存在に敏感である。
富める者から貧しき者へとお金というものは流れてくる。
より「心豊かな」貧しき者へとお金は流れるのだ。
一方で、「母・息子」関係へのお金の流れの存在も指摘できる。
どれほど「心豊か」であるか、どれほど「愛すべき息子」であるかという二つが資金の流れを決めるのだ。
「今がすべて」という瞬間(試験や試合など)は、マスターベーションやセックスの数が決めている。
「今がすべて」ではない、「昨日・今日・明日」の世界には日常がある。
結果を出す男の周りに女の子たちは「自分が欲望の主人でありたい」と考えて集まる。
横浜市民を「死」から自由にした途端、横浜DeNAベイスターズは連敗を始めた。
また、日経平均株価は女の需要が高まり跳ね上がった。
「死」から自由になることは、マスターベーションやセックスの「結果」を出すのに弱く、それでいて、男女が愛し合う方向に向かせた。
広瀬香美 ロマンスの神様


女たちは、「おちんちんがないない」「言葉の感覚が鈍る」ことから、「群れでしか生きていけない」という女を生み出した。
自分たちの欲望を「群れ」で圧縮していろんなことを学習していたのだ。
しかし、有名人の発言など、多くの人たちの感情にさらされていてうまく「圧縮」されている言葉は男女を問わず存在する。
引きこもり生活が長いと「彼のメンタルは果たして信用できるのだろうか?」ということになりかねない。
また、女たちは「群れに圧縮された言葉と道」を進まざるを得ず、女であるからこそ「死」に向かっていたのだ。
女の一生が最終的には「死」に向かった以上、愛したパートナーはそれよりも先に死ななければならなかった。
ここにも「女たちが男の死を崇拝する」理由があった。
高齢者に「趣味は読書」という人は多い。
「道」を周囲に委ねるだけならば「死」だけが待っているだろう。
ユダヤイスラムの話をするのならば「女たちのこのような現状」と向き合わなければならない。

瀬能あづさ 永遠に友達


イスラムでは、女はヴェールをまとっている。
家父長制にしたがい、保守的な考え方であり、メイクをして表を歩くほどリベラルではなかった。
ブリリアントホワイトの方が、女が「別の家庭に」移れる可能性がある。
どの女もかつては「テニスでオリンピックを」目指したことがあった。
しかし、自分の家庭に落ち着いているのだ。
女が「愛される資格を失った」
それが、ヴェールであり、イスラムが「死なない」理由なのだろうか。
女がメイクをして歩いている方が、経済力は強くなる。
しかし、イスラムは「死なない」ことを選択したのだ。
工藤静香 ブリリアントホワイト


レイプの完全撲滅こそが、男の長生きの秘訣だった。
純潔の妻がレイプされたら死人が出る。
また、妻が「家族やコミュニティーの神」を見失ったら男は長生きできない。
そのような基本から「生きていく楽しみ」を「200歳までは」維持しようと思ったのだ。
CoCo ミスロンリー


あとは、イスラムは「タイムマシーン」にすべてを委ねている。
インフラさえ整えて、「もういいです、死なせてください」というようなことを防ぐ。
自爆テロや、ユダヤ虐殺、共産主義社会の粛清などの正体は「謎」というほかはないが、だいたい察してもらいたい。
とにかく「死なない」連中なのだ。

« 共産主義について。 | トップページ | カトリックについて。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 共産主義について。 | トップページ | カトリックについて。 »