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2019年3月27日 (水)

マネタリスト。

まずは、私の小説をご一読願いたい。

ペテロの葬列

父と、イエス、聖霊(叔父や弟)などの「いじめ」の構造を明らかにし、その非効率性を指摘し続ける経済政策を「マネタリスト」と呼ぶ。
それはカトリック社会で発揮されるものであり、「女ならばいくらでもいる」というリベラルな社会ではマネタリストの力は限定的にならざるを得ない。
スペインのサラマンカ学派が、このマネタリストの研究を進めた。
身内でどんな「いじめの構造があるのか?」をひたすら解明したのだ。
おばあちゃんが死んでから、「いじめ」が広く展開された。
ドミニコ会修道院とスペイン王室がこのことを痛感したのだ。
「宗教が経済政策になる」
マネタリストはそのように考えた。
イグナチウス・ロヨラが考えたものだ。
ドミニコ会修道院から、国王の娘の「婿」をとろうと考えたことから、マネタリストが生まれた。
本能のおもむくままに行動していたら、いろんなものが「効率が悪い」ことが分かり、経済政策として「祈り」を求めたのがカトリック社会だった。
ぺラジアン(修道僧)とカルヴァン派アイドルの結婚がなければこのようなことは分からなかった。
ルターが「アイドル」(偶像)というものを作らなければ、カトリックの側もマネタリストの研究ができなかったのだ。
いじめをやめるというのは「歴史の法廷に立つ覚悟」とも「隣人愛」とも呼ばれた。
あくまでも経済政策であり、警察まで必要がなくなるものではないのが「隣人愛」というものであった。
いじめをやる側にも「聖母マリア学が広く浸透していた」という言い訳のようなものは確かにあった。
しかし、もし「いじめ」が真理であるとするのであれば、それに逆らうこと、より制御された人間になることが富につながると考えたのだ。
「人間というものは教育を受けることが可能なのだろうか?」という問題でもあった。
誰もが必ずしもトマス・アクィナスのようにモテるわけではなかった。
しかし、「他人に親切にする」ことならば誰もができるではないか?
このことから「経済新世界」というものが見えてきたのだ。
「モノを売る人」は買う人に対して親切だろう。
しかし、マネタリストは常に「モノを売っていた」から豊かだったのだ。
トマス・アクィナスは「いじめの構造」を明らかにし、自分を救ってくれたアイドルについても触れているが、それを「経済学」(マネタリズム)にまで高めたのはサラマンカ学派だったのだ。
カトリックに豊かさが約束されたのである。 1930年代に「猫の手も借りたい」アメリカ合衆国のジェームズ・ブラウン・スコットによってこの研究は現代のものとなっている。

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