最近のトラックバック

2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

« 三浦市議会議員選挙〜溝川幸二。 | トップページ | 社会。 »

2019年3月 1日 (金)

勤労統計不正疑惑について。

根本厚生労働大臣が、「仕事をする上での上司への報告」などの不徹底を指摘しているが、とにかく、仕事というものは「何が成功で何が失敗かが明らかではない」まま一日が終わる。
しかし、「彼女との恋」はその日のうちに最大化するのだ。
何が成功で何が失敗か明らかではない仕事を、「彼女との完璧な夜」に持ち込みたくない、そのために「書面に残らない」「口頭で済ませる」問題が生じてくる。
私も、今だから言えるが、妻に「光太郎さんの背中を見て生きて行きたい」と言われたことがあるが、書面に残そうなどとは考えていなかったし、実際に残していない。
すべては、「何が成功で何が失敗か明らかではない毎日の仕事」が存在し、それでいて、「彼女との関係」はその日のうちに「完璧に」終わることから来るものだ。
Boa Is This Love.

この問題は「人工知能に果たして仕事ができるのか?」という問題でもある。
「仕事はすべてが荒削りではないか?」
それでも、彼女との夜は完璧に終わるのだ。
ましてや、大臣に報告する重要な案件は「今日の彼女との夜」の重大テーマなのだ。
チェルシーホテルのコーヒーハウス 松田聖子

大臣は「心の風景」を広く知られているが、官僚はそうではない。
官僚は「アフターファイブの彼女の攻略法」をその日のうちに作り上げるが、なにしろ、「心の風景」は広く知られていないし、「カン」で大臣に報告している部分があるため、記録には残せないのだ。
人工知能は「ウィキペディア」を報告してくるだけであるが、官僚も「アメリカ合衆国」など想定はしていない。
どんな「鉄砲玉」がアメリカから飛んでくるかは分かっていない。
そのため、記録には残さないのだ。
官僚は「今夜の彼女攻略法」を最大限に重視するために、「鉄砲玉を逃れる」対処法を取る。
それはつまり、「人工知能に徹する」ということである。
杏里 Last Love

そのような「お役所の都合」を踏まえて、人工知能としての「官僚答弁」は生まれている。
首相や大臣は「人工知能の優等生」でなければ、官僚たちの「アフターファイブ」を約束できない。
マクダーモット&ドイル(1980)、マッカーシー(1980)、ロイター(1980)などが、このような「官僚答弁」の総括を行い、だいたいこの頃に、その正当性が確立したものと思われる。
あるいは、ミンスキーは1974年にこのような指摘を行っている。
「誰がやっても同じ」
世の中の女たちが首相や大臣のことをこのように語るようになった。
しかし、「心の風景」が支持されてそのような地位にいることも知らなければならない。
女たちは、そのような「官僚答弁」を「自分たちの問題」として引き受けなければならないのだ。
ドイルは1979年に「官僚的発想」(TMS)というものを構築している。
「すべてのメンバーにアフターファイブを保障する」
「一歩たりとも間違えてはならない」
これは時に「官僚臭の抜けない傲慢さ」とも言われた。
すべて「TMS」に感化されたものなのだ。
首相や大臣の「官僚答弁棒読み」は、官僚組織のメンバーだけでなく、国民全員が愛し合うために行われている。
つまりは「税収の最大化」を目指している。

保守というのは「貞淑な彼女」を背景にする強烈な政治力を基盤とするが、官僚も出世する者は保守が多い。
「誰にも言えない秘密を抱える」
これが保守のモデルとなる。
rebecca when a woman loves a man.

バスティーユ襲撃(フランス映画)も、彼氏と彼女の「秘密」だけが、外の男と刑務所の中の女をつないでいた。
「美しい女ならば誰でもいい」というリベラルの発想はフランス革命における「殻に閉じこもったカップル」をなくそうというムーブメントだった。
とにかく「保守はカップルという殻に閉じこもっている」という特徴と、政治的パワフルさを持っている。
偏差値男が大人になって稼ぐお金はかなり高額になる。
そのため、ひとりの女に費やすお金の金額も違う。
当然、「すれ違う女」とは異なる扱いを、彼女は受けることになる。
藤本美貴 銀色の永遠

ジャコバンは「フランス革命など二度と起こしてはならない」として、かなり「性に奔放」であることが、バスティーユ刑務所の安全を守ると考えていた。
「リベラル」「女は美しければいい」「カップルが秘密を抱え込まない」ことを標榜したのだ。
しかし、ネルソン・マンデラや、シラー、ゲーテなどの詩人が「保守論壇」を守り続けた。
ニーチェの「父と息子の関係」(神は死んだ)も、フロイトの「女心の研究」も、ひとりの女を大事にする方向を見ていた。
「キョロキョロしていたのでは学習能力が落ちる」ブラッドレーもボサンケットも「保守」を支持していた。
Melody You are only my love.

「女の真実」を描いたフロイトはファシズムとも言われたし、カトリックの完成でもあった。
「論文がエロ本に見える」という保守派の猛者は、とにかく強かったし、女に恵まれていた。
しかし、アダム・スミスは「日経平均株価で女を買う」男の存在を指摘したし、保守とリベラルは「フランス革命を境に」共存していくことになった。
保守派の男も、学習能力が高く、保守の側がリベラルに常に心を開いていたのだ。
保守とリベラルが共存している。
しかも、保守派が強さを見せる。
さらには、保守が常にリベラルに心を開いている。
この時に「神の見えざる手」が見えたのだ。
みんなが「人生が楽しい」と言えるだけの「自由」と、「世の中を動かしている”オヤジ”」が登場したのだ。
なにしろ、とんでもない「堅物」が柔らかさを見せるようになったのだ。
労働者とともに道端で寝る官僚や、おばあさんをあやす病院長など、保守が「柔らかさ」を見せるようになった。
マルクスは、バスティーユ刑務所を買収して見せる「フランス革命型」の「持てる側」に対抗する形で、プロレタリア革命を目指した。
一部の保守エリートの資金力とは異なる形で、「自由恋愛」「いろんな女の子と話せる」「団結」などを志向し始めたのだ。
神の見えざる手が保守エリートに頼りきっている。
一組のカップルに国を牛耳られることに反発する形となった。
「計画」という用語が、リベラル層によって乱発された理由も「神の見えざる手がない」ことに起因するものである。

1980年という年は官僚にとっては大きな年だった。
グレートバリアリーフの鮭の研究から、種の保存という発想が取り上げられ、「より官僚的な」男こそが、「カップルの多様性」の中から、女たちが「望むもの」となっていたのだ。
女は「子供さえ産めれば」他に何もできなくてもいいとされ、官僚的な男を女たちが「より種の保存に好ましい」と考えるようになっていた。
私も、妻と交際していたときは「六法全書」とあだ名されていたが、それがはたして愛情を意味していたかはともかく、「種の保存」という観点からはもっとも「好ましい」と考えられていたものと思われる。
すべては、1980年という年を迎えてから起きた発想だった。
松田聖子 ハートをロック

男は大勢いる。
それならば「偏差値Boyね」と女たちが考えたのだ。
「東大生なら誰でも乗せる女がいる」
これはつまり、いつまでも「受験の時の知識」を覚えている東大生のことを意味し、国家一種試験の教養試験でそのまま出題されている。
官僚になる女性も、官僚以外「ジャンクDNAである」と考えており、かなり「実力主義的な」パートナー選びをするようになる。
女性官僚の息子は、ある意味「特別な」訓練を受けたりもするのだ。
私の友人の左翼活動家・本田寅一さんも、両親が厚生労働官僚であり、中学生の頃から、小遣いを月30万円ももらうというべらぼうな方だった。
官僚は「すべての隣人が私を受け入れてくれる」と考えている。
なにしろ「妻以外の女に興味がないのだから当然だ」と考えていたのだ。
出世する「ランキング」は、仕事への本気度が十段階で「2」「8」「6」10」の順番だった。
「希望に燃えるほどバカらしい」側面は指摘しなければならない。
官僚社会のこのような現状を理解しなければ「頭が真っ白になる」こともあるだろう。
政治の側は、実力「10」の者がトップにいると考えたら、足元をすくわれることにもなる。
「遊び人風情」「ただ生きているだけ」の男が入省した時から幹部候補と目される。
つまり、首相の意を汲んで「専門用語を使って」駆け引きができる者はいないと考えた方がいい。
池田勇人首相は、最低の扱いを受けて大蔵省を退官し、「復職の意思がある」と聞いた同僚に動揺が走ったとされる。
本気度「10」の人を、早々に追い出しておいて、復職させるというのはかなり高度な政治意思を背景にしているとしか想定できない。
なぜこのようなことが起きるのだろうか。
理由は「企画を練る仕事」だからであると答えることは可能だ。
自分から企画を練るのではなく「国家統治全般を見通す」力量を持った男を「狙う」のならば、司法試験組の苦労人でも見つけるしかない。
赤いスイートピー 松田聖子

オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝、オットー・ノイラーが「官僚とは皇帝を補佐するもの」という路線を断念して「事典」を作っている。
哲学者サークルと女たちには困らなかったからだ。
ハプスブルグ家とはこのようなものだった。
実際は、オランダに住んでいたが「事典を所持している」ことから、「皇帝として必要」と考えられたのだろう。
事典の出所は「バルカン半島」にあった。
そのために、「バルカンはヨーロッパの火薬庫」と呼ばれた。
私も、サンフランシスコのスタンフォード大学に何かあったら軍事行動を起こすだろう。
ノイラーは「昨日見た夢」の続きが見たければ「女にも分かる話をしなければならない」
と考えていた。
ソクラテスは女に詳しい。
プラトンは歌をたくさん作った。
アリストテレスは男女が共存できる社会を作った。
「バルカン半島」を失うことは、カント以外の世界史すべてを失うことを意味した。
竹内まりや 駅

「皇帝は強烈に”モテ”なければならない」
そのために、事典を必要としたのであり、オランダに住んでいようがニューヨークに住んでいようが、皇帝は皇帝だった。
「やる気のあるやつは追い出される」という官僚組織を率いるためには、「モテる」ことを証明しなければならなかった。
プラトン(音楽作品)を失うのは致命傷だったし、ソクラテスのようにモテなければならなかった。
また、アリストテレスのように「男女が常に共存している環境づくり」を望んでいた。
「バルカン」を叩かれたことからヨーロッパ全土に戦争を起こした男としてノイラーは知られた。
晩年は、カントやマルクスを研究していたようだ。
「皇帝は強烈に”モテ”なければならない」
しかし、オーストリア・ハンガリー帝国はすでにそこにはなかった。

官僚について述べさせてもらったが、韓国の徴用工事件やレーダー照射事件などが、
現在、日本を怒らせている。
そこで、韓国について語りたい。
韓国の憲法は「結果の平等と均衡の取れた発展」を標榜している。
「結果の平等」というものは、フランス革命を絶対的に受け入れるものであり、学歴のある者は保守派、そうでない者はリベラル派となるものである。
学歴のない者で保守派であるのならば「財閥二世」などとなるであろう。
いずれにせよ、韓流ドラマは「財閥二世」「王族」が「ヒロインと純愛をする」ものであり、結果の平等と「保守・リベラル」の軸を踏まえるのであれば、徹底した学歴社会において、「彼女を奪い返すためにバスティーユ襲撃をした」というフランス革命を理想とするものだ。
私の調査したところでは、ナチスの「国家社会主義」「上海倶楽部」と同様に、「バスティーユ襲撃」も「新約聖書キリスト教」と呼ばれているようだ。
つまりは、財閥と若者が「癒着」して、王室刑務所に資金を流し込むという構図が「結果の平等」とされている。
資金力のない者も「同じ扱いをする」というのが結果の平等であるとするのであれば、学歴のない者は「リベラル」「自由恋愛」「女の美しさを愛する」ということを意味し、学歴のある者は「官僚的」にならざるを得ない。
「財閥二世」「王族」が「資金を流し込む」という新約聖書キリスト教は「西早稲田」の教科書であり、韓流ドラマこそが新約聖書キリスト教なのである。
サムソンの意思が国の意思になってしまうとも言われ、「財閥の富」がモノを言うようになるのだ。
韓国ドラマ トキメキ注意報(長いです)

韓国ドラマ・トキメキ注意報においては、病院長は患者を診て、論文をサムソンに提出して、株式を有利発行してもらい大富豪になっているだろう。
学歴社会とはこのようなものであり、「芸能人は処女」を標榜した西田幾多郎も踏まえると、「保守派」「純愛」のモデルとなるのは明らかである。
学歴社会の勝者がどのような暮らしぶりをしているのか?を示すことは格差社会の不満を解消するものである。
自分の子供(将来世代)に対してこの世界は常にオープンである、そのことを示している。
将来世代に対して常にオープンであることと、そのことに対する「だまし討ち」をやってはならないことなどが指摘できる。
徴用工事件、従軍慰安婦事件、レーダー照射事件もそのあたりから見直す必要がある。
「人気があるほうが勝つ」というメディアの世界において、韓国ドラマの影響力を知らないといけないし、その「夢」が、保守・リベラルを問わず「将来世代」の夢であることを理解する必要がある。
本来、日米においては「機会の平等」と呼ばれ、人種に関係なく、教育の機会が与えられ、K-12と呼ばれる「高卒」に、より高度な教育や研究の環境を与えることが想定されていたが、韓国においては「K-12以降」が「人種」となってしまうことが「結果の平等」を意味した。
やりたい仕事をし、快適な環境で、家族サービスが充実した職場に身を置くことが「人種」なのか、それとも「機会の平等」なのかはかなりイデオロギー的なものである。
13回目の季節 新田恵利

少なくとも、アメリカ合衆国は「K-12以降の大卒アリーナ」には人口の10%以下しか開放していない。
貧困層は「公立高校」に通って、このアリーナを目指したのだ。
「恋愛裁判官は人口の10%」
これが、アメリカにおいて「法学部卒はみんな弁護士」と呼ばれることの実態であった。
ブラウン対ボードオブエデュケーションは「公立高校における人種差別」を違憲とした。
最貧困層が通うための公立高校には42%の黒人がいて、白人は8%だった。
「学歴は人種」という結果の平等とは異なる、人種概念がアメリカにはあったのだ。
韓国において「高学歴者の出生の秘密」が問われるのは、「学歴は人種」という発想があるからであろう。
もちろん、「学歴は人種」と呼ばれる韓国においては、受験をめぐる「悪意」に満ちていることは認めなければならない。
「恋愛裁判が苦手な者」「虚弱体質の者」は教室から排除される宿命にある。
結局、「学歴は人種」という韓国の立場と、日米の「機会の平等」は、「K-12以降」に進路を決めるための「部活動などの障害物」を公認するかどうかの違いだと思われる。
部活動に所属しないで東京大学に進学する者はいなかったし、それが韓国の「結果の平等」との違いだと思われる。
アメリカ合衆国においては、人口の10%が「私立高校」に進学しており、ハーバードやイェール、スタンフォードなどへの進学の「夢」を持てるものは限られている。
そのため「教育水準は家族に由来する」とも言われた。
しかし、韓国の「結果の平等」は、出生の秘密が問題とされるほどの生い立ちを持ったものが高学歴という「人種」を形成することになる。
このあたりに「韓流ドラマ」のヒントがありそうだ。
しかし、ソウル大学にせよ東京大学にせよ、「身体障害者」には固く門を閉ざしている。
そのあたりは、日本国の「平等権」に「結果の平等」が含まれざるを得ない側面がある。
「学歴は人種」これが「結果の平等」だからである。
我々は常に「多数派」に身を寄せながら生きている。
「学歴は人種」というのであれば、「結果の平等」は、「財閥」を形成することにつながるし、「均衡の取れた発展」という韓国憲法のもうひとつの側面も「財閥」を認めることになる。
アメリカの行政学。

« 三浦市議会議員選挙〜溝川幸二。 | トップページ | 社会。 »

スタンフォード哲学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 勤労統計不正疑惑について。:

« 三浦市議会議員選挙〜溝川幸二。 | トップページ | 社会。 »