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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年2月24日 (日)

愛国主義とは何か?

愛国主義とナショナリズムの区別は非常に難しい。
しかし、1980年代以降、ジョン・ロールズの登場により、「女」という要素が愛国主義に加わり、「国内の知的空間」を示すナショナリズムを、より「男にとって強度なものにし」「女にとっては吐き気がする可能性があるもの」が愛国主義となった。
①あなたの国をどう思いますか?
②あなたの国はどのようなものですか?
③国の快楽はあなたの快楽ですか?
④あなたの国の「女の扱い」を見て身を粉にして働けますか?
これが愛国主義である。
ナショナリズムの世界に「男が女を愛する気持ち」(経済)を持ち込んだのが愛国主義だ。
横田めぐみさんの拉致問題に「私は小児愛は持っていない」「女の側からは女を愛せない」という愛国主義が存在してもいいことになる。
それはまるで、自国の「女の扱い」が、他国よりも非常に傑出しているというアピールでもあったし、そこには「児童虐待」「死体遺棄事件」すら飲みこんで
高度な学習を行った民族だけが愛国心というものを持つことが許されるようだった。
ナショナリズムというものは「権力」を目指した攻撃的なものだった。
しかし、愛国心というものは「自国の女を守る」という防御的なものだったのだ。
俺の国の「女心の定義」(政治)は最高だ。他国に広めたいというのがナショナリズムであり、政治的なものであった。
しかし、愛国主義というものは「女を愛する気持ちを利用する」(経済)的観点から自国民が持つものだったのだ。
政治がナショナリズムであり、経済が愛国主義だということも可能だ。
愛国主義には「特定のヒロイン」が登場する。
しかし、ナショナリズムはあくまでも「一般論」だということも指摘できる。
「女心の定義」(政治)を他国に広めたいというのならば、仕事にも影響を与えるし、宗教にも影響を与える。
女心に詳しい男が信仰の対象となったからだ。
アメリカ合衆国は現在、中国ナショナリズムに揺さぶりを仕掛けている。
まるで「中国古典」に公然と挑戦状を叩きつけるような行為なのだ。
私も、「シルクロードの出発点はアメリカなのだろう」と中国の脆弱性を見ている。

ナショナリズム(垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。)


茨城県死体遺棄事件。
学術映像

「国」というものは「彼女」と呼ぶんだよ。
1980年代にジョン・ロールズは語っている。
ナショナリズムは「家族のメンバーの女心」も分かる知的なものである。
しかし、愛国主義はそうではない。
「愛国主義とは性欲を試されるようなものだ」
外国国家の「仕事」「政治」「家族のあり方」まで定義しようとするナショナリズムに対して、愛国主義とはまるで「性欲」ではないか?
「帝王学とは愛国主義から来るものではなく、ナショナリズムから来るものだ」
ナショナリズムに関しては、指導者は他の外国の指導者と笑いながら話せるが、愛国主義に関しては殴り合いになりかねない。
また、自国の内部においても「愛国主義」はセクト化しやすい側面がある。
自国の「性犯罪」に関しては、他国と乱闘騒ぎになりかねないのだ。
愛国主義は「マスターベーションと同じ気持ちよさ」を持っている。
それが「国がしてくれたこと」なのだ。
「性的マイノリティーの排除」が愛国主義においては行われるし、時には「女の排除」まで行われる。
健全な「男」になり、健全な「女」になることで自然に愛国心が身につくのならば、それに越したことはない。
指導者の力量次第だろう。
しかし、「風化させる」のであれば「男が女を愛する気持ち」を愛国主義の側が利用しきれなかったことを意味する。
愛国心といっても「愛国主義」と「ナショナリズム」の違いがある。
愛国主義者ではないと言ってもいいのだ。
どうしても「抜け」ない女を信じ込まされたり、お金をもらってしまったりするからね。
しかし、ナショナリストではないというのは「仕事」「家族」「政治」の力に関わるものだ。
イラクの「国民全員が愛している女」の胸をイランが晒した時には、もはや、妥協の余地のない愛国主義がイラクを支配して戦争になった。
このような時にはマザー・テレサ(イラク人女)や、国境のない医師団が何かを語らなければならないだろう。
思えば、1959年に、「肉声を持つアイドル」が、愛国主義の象徴とされていた。
単に、裸が美しいとかだけではなく、「女心」を率直に語れる女性が「新・愛国主義」と呼ばれる、戦争の火種となる恐れがあったのだ。

国会で「地位協定」という言葉を耳にするが、基本的には「道徳的地位」つまり、仲間が少ないという立場に置かれたものへの「性の風紀の戒め」を求めたものだ。
北ウィング 中森明菜

性の風紀の戒めという「地位協定」も、「おちんちんが汚れるのは仕方がない」として、「胚」という命のあり方を議論するものである。
孤立して「思考力を高める」人はいない。
そこで、男たちは「おちんちんを汚し」、女たちは「肉便器」などと呼ばれる行動を取る。
思考力が低下した時にできた「胚」をどのように扱うべきなのだろうか。
我々人間は常に「霊長類の祖」として、この問題と向き合わなければならない。
マイノリティの女たちはまるで動物のように扱われた。
G.E.ムーアは「留学とはまるで思考力を下げるためにするようなものだ」と語った。
うつ病や幻覚を経験するのが「留学」「海外派兵」であり、その状態でできる「命」を問題にするのが「地位協定」だったのだ。
雨のニューオリンズ 国生さゆり

「野党」「少数派」は常に「地位協定」を問題にする。
国会内部で思考力が下がっているからであろう。
社民党や共産党は、まるで、米軍に寄り添うように生きている。
自身の「生き方」を、米軍の地位協定に反映させるのを得意としているのだろう。
我々は常に「多数派の心をつかむ」ために議論をしている。
しかし、十代の頃にアメリカ留学に耐えられた私が、40代後半になって北京大学留学に耐えられるだろうか?
孤立とは「日本に帰ってきて”完全多数派”となったときの強さ」を見るために行うものだ。
横浜DeNAベイスターズの独身選手は、名古屋・大坂・広島に彼女がいるのだろうか?
コートダジュールで逢いましょう

キリスト教は「ビジター(アウェイ)で、おちんちんを汚さなかった男」であるイエスがホームに帰ってきてから活躍する様を描いている。
急激な思考力の低下を留学で経験するのは時にはいい効果をもたらす。
しかし、「おちんちんを汚さなかったら」の話だ。
「英語ワカリマセーン」という日本人が急激な減速と急激な加速を経験していないのは明らかである。
キリスト教は「国際化」を目指している。
そのためには「地位協定」を明確に理解しなければならない。
沖縄に来た米軍が、キリスト教とは何かを忘れてしまって破廉恥な行動を取るのは困る。
少数派的「地位」は、本国に帰った時に強さを見せるためにある。
40代後半になった私が「北京大学留学によって急激に思考力を下げる」ことを経験するのは人生に悪影響を与えるだろう。
進学校に身を置いて常に「多数派」として生きた方が成績はいい。
しかし、私は中堅校において「思考力の急激な減速と加速」を経験した。
20代前半と30代前半にも「急激な減速」を経験することはあったが、35歳の「プロモーションエイジ」でトップレベルの出世を決めて以来、孤立(急激な減速)はなくなった。
精神病院でも同じことがいえる。
世の中の多数派であるにもかかわらず、病棟という30名程度のメンバーの中では少数派にならざるを得ないことがあるのだ。
このような時に、思考力は下がる。
そのような状況を皮肉って「ピョンヤンダイアリー」というノートを私も作ったことがある。
「私はこういう人間で、このような生い立ちです」
ということをかなり動物的な側面にまでさかのぼって明らかにしなければならない。
もし、「地位協定」にしたがって、思考力の急激な減速と加速をしたのならば、漫画の世界がその人を放っておかないだろう。
「おちんちんを汚さなければ」の話であるが。
急激な加速は「勉強」に用いるのが十代であるが、それ以降は「恋ばな」に用いる。
二十代三十代の「加速」だけでも、通常の人間はついてこれないものだ。
映画「宝島」でも、五年間、孤島に放置された男がいて、将軍が「彼のメンタルは信用できるのだろうか?」と語る場面があるが、間違いなく「サイコパス」である。
しかし、サイコパスを経験しないと「急激な加速」もないのだ。
「多数派に属したときはまるで別人」
これがサイコパスの特徴だ。
他人を尊敬できた時、そして尊敬された時に初めて、人間の思考力は元に戻るとも言われる。
そして「参加しよう」と思ったのであれば合格であろう。
人生の「急激な加速」だけを考えながら、留学も海外派兵も行っている。
「日米地位協定」とは、アメリカ兵のためのものではないか?
留学・海外派兵におけるセックスは自分のためにはならないよ?
「地位協定」の背景にある哲学はこれだけだ。
飛んでイスタンブール

しかし、人間とは不思議なものだ。
圧倒的少数派に身を置いたとたん、多数派工作を始めたり、金儲けの方法を探し始めたりするのだ。
その国の「すべてのメンバー」が認めるわけではない「在日」などの独自の文化が形成されたりもする。
「在日朝鮮人」は、本来の朝鮮人にはない特徴を持っている。
「私は生きているよ」ということを下がった思考力で主張しているのだろう。
そもそも、「みんなと同じように振舞いたい」と考えるから思考力が下がるのだろう。
破廉恥な真似をする米兵ほど、日本に溶け込もうとしているのかもしれない。
そもそも、「裸になる」というのは「溶け込みたい」という最大限のアピールだろう。

そこにいて「楽しい」のならば、そもそも「地位協定」というものは必要ない。
みんなと趣味が合ったり、「その筋」での有名人ならばの話であるが。
「もっともいいアイデアを潰された」などからどうしても「少数派」というものは生まれる。
それならば「灘・開成」以外、みんな「地位協定」が必要になるだろう。
国立大学は「どの高校の内申書も同じ扱いをする」という形で、開成も十位以降になると東京医科歯科大学進学希望者が出てくる。
しかし、国内の少数派にまで「地位協定」を見出すことは可能なのであろうか?
鹿は「増えすぎると殺される」ものだ。
動物レベルにまで人間の「地位協定」は及んでいる。
「そもそも”多数派”って何?」という問いかけがなされた。
国内で「有数の」論客というものは、ほとんどいないし、いるとするのならば「最悪の少数派時代・暗黒時代」を経験しているのだろう。
「なぜ、世論は次男に味方するのか?」を長男は嘆いてはならない。
親が最大の味方だったはずだからである。
そもそも、親は上の子供に「地位協定」を作っている。
性に厳しい分、可愛がられているのだ。
女は「世論に味方されていない」長男を嫌うだろう。
あるいは、「父親が息子を潰し、母親が嫁をいびる」対象の筆頭に挙げられるだろう。
しかし、同居というものも「富のおすそ分け」ではないか?
富がどこにあるかは家庭によりけりだろうが。
高橋由美子 Will you marry me.

地位協定とは「親の金のばら撒き方の研究」なのだろうか?
親は「自分が多数派になる」ことを考えているのであり、それを「突破」できる息子が「生かされる」のであり「主よ、主よ、なぜわたしをお許しになられた」という言葉もある。
親は、ウサギを「絞める」ように簡単に息子を絞められたのだ。
外国における「地位協定」と、家庭内での「地位協定」は密接に関わっている。
外国で「思考力を下げて、加速させる方法を知っている男」は、家庭内の地位協定でもプロテクトされるのだ。
一度きりの「狭い窓」を突破するだけでその力は分かる。
問題は、お金によってプロテクトしているために「女たちが遠巻きに見ている」ということであり、「協定」を明確にしないと、お金がもらえなくなるということだろう。
親に人生を台無しにされた男が、いいご馳走を食べているものだよ。
これから拡大していこうとする男は、あんがい、貧しい生活をしているのだ。
翼を折られたのならばむしろ自由だろうが寂しいだろうね。
「もし、俺がヒーローだったのなら」
なんてことを考えてご馳走を食べている男が寂しがっているのだ。
翼の折れたエンジェル

とにかく、拡大局面にある男は周囲に「このあたりは何を考えているのか分からない」ということばかりで、「裏切り」と多く直面する。
「加速」を知っているのならば「協定」を使わない者はいない。
プロテクトされているのであれば、「地位協定」を作らなければ、よその子よりも先に肉親に殺されるだろう。

動物の場合も、「ペットとして飼われたもの」は、「人間ではないことを否定する」という形で地位協定というものを想定している。
ペットとして飼われるということそのものが思考力を下げるからだ。
「人間ではないことを否定」したペットでも、人間の「妊娠」の前には差別が存在する。
私の母は、姉に子供ができた時に「猫だって獣だ」と言って、可愛がっていた猫を動物病院に預けてしまった。
人間界に存在する「少数派」「地位協定」の意味をもっと掘り下げるのであれば、「ペットとして飼われていた」動物まで研究しなければならない。
少数派といっても「同じ人間」であるからだ。
馬やニワトリが「子供の友達になってしまう」ことはよく知られている。
子供自身が少数派だからだろう。
しかし、本来「戦う」ために生まれた「子犬」と友達になるのは、好ましいことではない。
しっかりとした躾が必要になってくるのだ。
うしろゆびさされ組

しかし、クラスの輪に溶け込んでいた男子が「子犬と友達になったら」クラスの女子は、「その男子の優しさ」を話題にするとされる。
「孤立感を募らせていた」という側面が見えるし、女子たちも「その男子は狙い目」と判断するからだ。
思考力を高めようとして子犬と友達になった男子をめぐって、女子たちは「地位協定」を模索しあった。
男子が「奴隷的扱い」を受けていることが、「女心」にまでデノミされると、女子たちはその男子をめぐって争うことになるからだ。
女子たちにとって「初体験」が目の前にあることを知ったので、真剣に地位協定について話し合っていた。
いずれにせよ、「地位協定」というものは、霊長類の祖である「人間」にだけ許された特権であり、生きていくことを楽にするものなのである。
地位協定というものは、少数派が「性に破廉恥な」行動をとることから必要になるものであるが、そもそも、仕事というものも、最初はなかなか職場に溶け込めないものである。
どの職場でも「少数派」からキャリアを始めなければならない。
「続けない」というのは「悪」である。
最初は、「両想い」の成立しがたい職場も、次第に慣れてくる。
地位協定というものは、「職場にまだ慣れていない」人にも必要になってくる。
通勤途中で音楽を聴いたり、自分を励ましたりしている人にも「地位協定」という形でよりスムーズに職場に溶け込めるようにする必要がある。
「人間というものはそれほどまでにあまえていいものなのだ」
ハートの条件 高橋由美子

職場の「女」が彼を受け入れるかどうかがいわば「地位協定」の基本であるが、男職場ではどうしても「武勇伝」が必要となってくる。
韓国軍によるレーダー照射などもそうだろう。
あるいは、かつての市川猿之助による、「渋谷のスクランブル交差点停電事件」なども、彼が「男社会」に身を置いていたからこそしでかしたことである。
より、ソフトで法律にかなった形で「職場になじむ」必要があり、広島カープの長野久義も「野球のこと以外ならば何でも聞いてくれ」と言っている。
つまりは「女」の存在が地位協定にはどうしても必要になってくるのだ。
我々はあくまでも「仕事」をしているのであって、「女の話」だけで仕事がうまく行くわけではない。
しかし、「女の話」が得意な男は「地位協定」を熟知しているものと思われる。
あるいは、そもそも職場ではなくデイケアなどでは「地位協定」だけで一日で溶け込んでしまうツワモノもいる。
男女は「仕事をともにしなければ」セックスは気持ちよくないとも言われる。
しかし、職場に溶け込むための「地位協定」の存在も知っておいていいだろう。
ウェルカム~ポップコーンラブ 高橋由美子


「軽減税率」
テイクアウトでは税金が安くて、イートインでは税金が高くなる。
このことは「日常の風景」「恒久的措置」とすることが何よりも重要である。
イートインをするお客さんは「エリートグループ」であり、男は「女連れ」である。
税金とは「セックスに課すもの」であることから、三度食事をおごったら「そういう話」になるということも含めて、女連れのエリートグループは、税金を誤魔化そうなどとは考えていない。
一方、一人の客が、テイクアウトですと言いながら店内で食べてしまうことにも問題はない。
「軽減」という単語は「読書」という意味をも含み、女を口説くための小説を読むという意味だ。
エリートグループではないことに、本人も気が付いており、店内で食べることを問題にするまでもなく、「おのずと落ち着くべき場所に落ち着く」(麻生財務大臣答弁)ということになる。
重要なのは「税金とはセックスに課すものである」という認識を持つことであり、テイクアウトですと言いながら、店内で食べてしまう「女連れではない」客を注意することはできないと言うことと、また、エリートグループがそのような反則をするのであれば、彼女がセックスさせてくれなくなるということから、「落ち着くべきところに落ち着く」ということであり、麻生大臣も「外国で何を言っていたかは分かりませんでしたが」と答弁しているが、ようするに、このようなかなり「下ネタ」的な説明があったものと思われる。
あと5分 高橋由美子

大事なことは、このような「軽減税率」を恒久化させるということと、エリートグループではない者を「笑いものにする」ことに人気を持たせることである。
そのことにより、男女が愛し合う機会も増えるし、消費税にとどまらない税収効果も期待できるのだ。
店内の「高級サロン化」にもつながるものだ。
女が「長話を聞いてもらい、お金をもらう」ことからパートナーというものは決まる。
「お金とは男が払うものである」ことを踏まえて、連れの女はそれを見ているということもしっかりと理解しなければならない。
「軽減」という言葉は「読書」という意味以外にも「取り戻す」という意味がある。
エリートグループではない自分が、税金を軽減されて、いつか自分を「取り戻す」ために税金が安くなるとも言われる。
男女の二元論の世界で、男一人でテイクアウトをし、いつか彼女にプロポーズするときには、高い税金を払うという意味合いがある。
高橋由美子 Will you marry me.

税金を安くするのは「学ばせるため」であり、これにも一理あるものだ。
このような「軽減税率」には多くのサポーターがいることを認めなければならない。
また、「テーブルと椅子は二人の女を比べるためにある」とも言われ、彼女連れの男(カップル)に、別の女が寄ってきて、その女目当てに別の男が登場するという形で、かなり巨大な人間の無限連鎖が繰り広げられるとも言われる。
その分、イートインは税金が高くなるという指摘があるのだ。
幸せにいちばん近い席 酒井法子

「軽減」という用語が「読書」という意味を持ち、さらには「取り戻す」という意味をも持つことは、イートインの方がはるかに得るものが多いということを示している。
いずれにせよ、若い男女たちの「宗教感情」に支えられているのが「軽減税率」であるという指摘は可能だ。
ある男にとっては、「いるもんだね、そういう男」という風にしかイートインする男は見えないかもしれない。
その辺は、加速度を問題にするニュートン物理学や、二人の男が別の動きをする、あるいは、遠く離れていても時は同じという相対性理論の問題という意味においては「地位協定」を結びながら生きていかざるを得ない「男」の議論と変わらないかもしれない。
「俺のなりをせせら笑うウェイター」もいるからね。
Rambling Man

テイクアウトする男は加速度が違うと考えて、むしろ「安上がり」の男に魅力を感じる女もいる。
「いつか彼とカフェでご一緒したい」と考える女がいるのだ。
日本国も、軽減税率が実現したら「音楽シーンのニューウェイブ」も始まるのだろう。
松浦亜弥 S君

口説き文句(哲学)の充実度を待ってからニューウェイブは始まったのだ。
女と違って文字を「心の目」で読むことができる男の「体系」を聞きたがる女たちがいた。
「あなたは何を犠牲にしてここに座っているの?」と男が聞いたら、女は身の上話を始めるだろう。
そこからが「哲学」の見せ所なのだ。
ニューウェイブは明らかにイートインを推進するものだ。
女は「胸」で話しを聞いていたようだった。
女腹か男腹かの違いは「胸」にあった。
「女の子を歓迎する文化」か「こんな男の子が欲しい」と思うかのどちらのリアクションを女が取るかは分からない。
男友達 モーニング娘。

軽減税率に関しては「隣人愛」という観点も指摘できる。
「妹」
それは常に、男性社会の「戦争」で後回しにされるものだ。
景気が悪い時は「妹」はカフェにも行けないのだ。
景気がよくなって「少しは他人を思いやろうかな?」と考えた時に、「妹」はカフェの扉を開く。
カフェが「エリートサークル」であることは事実であるが、一人の「妹」がカフェにいること自体、「好景気」を意味する。
軽減税率は「若い男女というサポーターがいる」ものであるが、若い女である「妹」が一人でカフェにいること自体、店のセールスにつながり、若い男も集まってくる。
「男性社会の戦争」「好景気」「隣人愛」の象徴が「一人でカフェの扉を開ける」ことであり、本来、「妹」は家庭内で最も低い扱いを受けるものなのだ。
「男性社会の肉食獣のような戦い」で身内の父や兄弟が勝利した時に、「妹」はカフェの扉を開けられるのだ。
優先順位で最下位の「妹」が来ること自体、好景気を示し、隣人愛の象徴と見られる。
家庭内のどこかからお金が放り込まれてきたのだ。
「妹」にカフェの扉を開けさせることは社会の勝利であり、臓器移植のニュースすら「いい知らせ」が届く。
兄や弟には子孫ができるという情報でもあり、それほど、「妹」の優先順位は低い。
親も男兄弟もわがままであるはずだ。
それでも、カフェの扉を開けることができるのは「男性社会の戦争」「好景気」「隣人愛」の勝利だった。
社会状況に連動した税金が「軽減税率」なのだ。
二十歳のバレンタイン 酒井法子

軽減税率に関しては、エリートサークルの男女が「セックスに税金を払う」ものであるが、カフェにいる男は、目の前の女の「二次関数」「二次曲線」つまり「裸」を知ってることになる。
それを目撃した女は、当然、「裸の計算」つまり「二次関数」「二次曲線」の計算を始める。
それは、男の魅力というよりも「女同士の裸の計算」だったのだ。
二次関数・二次曲線に共通していることは「左右対称であること」であろうか。
いずれにせよ、高校を卒業して、エリートサークルの仲間入りをしたければ、「裸の計算」をできなければならない。
石川ひとみ まちぶせ

軽減税率の話で、「セックスに税金を課すものだ」と語らせてもらったが、
「イートインとテイクアウト?大した問題ではないではないか」と思う人もいるだろう。
しかし、「税金とはこういうものだ」ということを知ってもらうだけでも、医療の「ユニバーサルアクセス」を可能にするのだ。
一度「争点」を理解するだけで、社会で快適に生きていく方法が分かるようになる。
軽減税率の議論の全体像を国会中継まで含めて見ていた人は「アイドル(偶像)は省庁を横断するものだ」ということを知ったであろうし、「このような論文を企業に提出すれば、株式を有利発行してもらえる」ことをも知る。
国会中継で「野党がその合理性を理解していなかった争点」を指摘する「国会ファン」が大勢いるだけで、医療の「ユニバーサルアクセス」は可能となる。
きんさんぎんさんの「ぎんさん」は趣味は「国会中継を見ること」だったであろう。
それは「お医者さん崇拝」を意味したであろうし、長寿を約束した。
おじいちゃんis watching TV

カナダやヨーロッパでは「医療のために」議会の映像を中継しているが、ドイツでは「民間の保険会社がスポンサーとなって」議会の映像を中継している。
イギリスやノルウェーでは「民間企業」がスポンサーとなっている。
これらの民間企業は「国からの財政」の支援を受けることを目的としている。
議会の議論を「公の争点」とすることは国からの支援を受けることを意味する。
ドイツはともかく、カナダやノルウェーはユニバーサルアクセスを達成していない。
イギリスも民間の保険がこれを補う形となっている。
アメリカ合衆国は、自国の議会を「全米市民が関心を寄せるのは困難」としてユニバーサルアクセスを断念し、その代わり「やり方」を2003年に世界に公表している。
酒井法子 リアル

「国会中継を見て、評論して、メジャーになった男」が大勢いるのがこれらの国であり、そのような人は、「ぎんさん」も含めて、医療の現場で「特待生」として扱われている。
医療の現場ほど「お金の出所」に敏感な連中はいないのだ。
「政治意識が高い年寄りほど長生きする」
「あんがい医療は不平等」
これを体現しているのが今の日本国ではないだろうか。
国会中継を「鮮やかに斬れ」ば企業も株を出し惜しまないのだ。
いつしか外国国家も、日本国を「単一民族国家」と呼ぶようになった。
すべては「国会中継」が理由なのだ。
年寄りは「病院の待ち時間が面倒なだけ、旅行で特別扱いされたいだけ」のために国会中継を見ていたが、それでも、国にとっては非常にありがたい「争点提起」がなされた。
マスコミも「年寄りからの指摘」で番組作りをやっている。
「電凸奥様」はその子供と言っていい。
「死にたくない」
それだけの理由で国が栄えるのだから、さすがは単一民族国家だ。
「夫が必要としているのは健康だけだ」ということを達観しているのが「電凸奥様」なのだ。
問題は、「最近の曲が分からない」という年寄りが多いことであり、私も最近はその部類の仲間入りをしつつある。
しかし、1990年代までをフォローしていれば「知らないモチーフはない」と言っていい。
カタチから入ろう 酒井法子

「医療の現場の特待生」は、生活保護になっても「役所から金を借りる」という発想を持っている。
国会中継さえ「斬って」くれれば、企業も銀行も待遇を変えてくる。
日本国は「必要な人」を生かしてきた。
政治コミュニティーもそうであるが、民間人でもそれは同じだ。
長生きしている年寄りは、東大生などまるで赤子の手をひねるように扱うであろう。
しかし、一方で、「東京帝国大学」に頭が上がらないのが年寄りというものだ。


少数派に心を寄せるという「地位協定」の研究も、最終的には「キメラ」(人間と動物の交配)にまで到達した。
ギリシャ神話においては、ライオンの頭を持ち、ヤギの胴体を持つ動物が登場するが、問題意識はすでに共有されていたものと思われる。
人間として生まれて、そのことを楽しむために、キメラというものを生み出していいのだろうか?
答えは「面白くない」というものだった。
チンパンジーと人間の交配であるオリバーの物語にせよ、エレファントマンにせよ、描いてみた結果、「面白くない」のである。
「胚」の作り方は技術的に確立していても、なにしろ、人間と動物の交配を行ったところで、「人間ほどの学習能力がない」生き物が生まれるだけなのだ。
オリバーも、笑顔を浮かべたり、直立したりすることが珍しくて、銀座に人だかりができたり、テレビで取り上げられるなどのブームを起こしたことがあるが、
長い目で見ると「面白くない」ことが分かってきた。
興行師の庚芳夫はその場限りの仲間ができても、オリバーはその後、製薬会社をたらいまわしにされて実験に用いられ、足腰が立たなくなっている。
庚芳夫氏に「男らしくない」という意見が出されたし、神の意思に反しているとも言われた。
「勉強やスポーツができる男の子」が宗教の起源だよね、と言われ、笑ったり直立できたりするだけのチンパンジーには何のニーズもなかった。
人間に似た特徴を持っているチンパンジーというものは見世物に過ぎなかった。
見世物、これがキメラに与えられた「地位協定」だったのだ。
ジェイソン・ロバートは2003年に「キメラを作るのは技術的には可能だが、何のメリットもない」という見解を出している。
我々は宗教の側から「人間か人間でないか」を論じているのであり、その境界線など必要としていないとしたのだ。
人間と動物の境界線にある生き物からは「何の特許も与えない」ことになった。
キメラの物珍しさから、人が集まってきては離れていくなど、不毛な争いも生じた。
オリバーの場合は「セックスしたい」と言ったAV女優までいた。
しかし、誰も、オリバーの生涯には責任を取らなかった。
「グレートチンパンジー」というジャンルを作ろうとした人はいた。
グレートチンパンジーが共存することが模索されたのだ。
しかし、グレートチンパンジーも「言葉を持たない」という意味では「恋愛ができない」ということを意味した。
「はじめに言葉ありき」というのであれば、動物となんら変わるところはない。
人間は「多数派工作」をする生き物だ。
しかし、人間の多数派工作にオリバーやエレファントマンは「怖さ」「危うさ」しかもたらさなかった。
キメラの研究をした後になって、研究者たちは「人間の障害者の研究をした方がいい」と考え始めたし、看護師を見て「常識」を知ったのだ。
ギリシャ神話も「人間、あまりにも人間的な」世界の研究に戻るように教えていた。
そのようにして、キメラの研究はもはや「過去の産物」と化したのだ。
【人間同士愛し合いなさい】
これが「地位協定」の最後の結論でもあった。
パーティ・イズ・オーバー 高橋由美子

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