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Foreign Affairs

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2019年2月19日 (火)

プロ野球のシーズンですね。

「二刀流は高校生まで」
自分で投げれるものは自分で打てる。
本来、人間の運動神経とはそのようにできていた。
しかし、「女たちの声援」「メディア」の二つが加わると、とてもではないが、「自分で投げられるものも打てなくなる」のがプロというものだ。
ピッチャーの打撃にまで「女たちの声援」「メディア」が反応しなければ、「二刀流」は生まれない。
大谷翔平の二刀流

投げる真実と打つ真実が異なってくる。
これが「女たちの声援」と「メディア」という二重の「お金の問題」となってくる、「女たちの声援」「メディア」の二つが「噂」を引き起こしている。
「算数が得意」という時代と「数学が得意」という時代は「女たちの声援」「メディア」が異なる。
東大は算数で合格するものではない。
イチロー レーザービーム

算数は「女たちの声援」「メディア」があまり発達していない世界だ。
しかし、数学はこれが高度に発達している。
つまり、男は「おちんちんのおもむくまま」に努力できるのだ。
「女たちの声援」「メディア」が反応し始めると、「人生を邪魔してやれ」という女も出てくる。
「なぜこれが自分にとって真実なのか?」
これを、プロはコメントで残すことになる。
ヨハネとマリアがキスをしていた。
この事実と異なる「噂」が出てきたのでは困る。
「女たちの声援」「メディア」の二つにかく乱要素が出てきたら二刀流は成立しなくなる。
ピンクのモーツァルト 松田聖子

東大に入ると、今までの「算数」「数学」ゲームの様相がガラリと変わる。
まず、就職しないと女たちに「時間切れ」が生じること。
さらには、「メディア」が存在しないこと。
あるいは、大学というものが「大人への入り口」だとすると、「メディアデビュー一年生」から始めなければならないこと。
このことから、自分にとっての「真実」を作る作業も仕切りなおしとなる。
たとえば、就職の時期を逃して、司法試験を受けることにするのであれば、有斐閣の「法学教室」を読むなどして、「私が正解」という文章と接していなければならない。
そうでなければ、アメリカの大学(ハーバード・スタンフォード)の情報と接して、「私が正解」という文章を書くための皮膚感覚は磨かれないのだ。
マリアは常にヨハネにキスしなくてはならない。
本来、有斐閣の「法学教室」「ジュリスト」は、四日市ぜんそく事件の時に作られている。
東洋最大の石油コンビナートが四日市にできた時に、ぜんそくが蔓延したのだ。
しかし、東洋最大の石油コンビナートを訴えることは、国を敵に回すことであった。
年寄りの凄惨な死を目の当たりにして、国を訴えた原告はわずか「9名」だった。
この命がけの行いにアカデミズムの側が共鳴して「法律雑誌」というものを作ることにした。
「法学教室」「ジュリスト」の誕生秘話はこのようなものであっても、学生の側が「常に最高の先生につく」「メディアの寵児であり続ける」「女たちの声援を失わない」という効果が明らかになったのは2005年ごろの話であった。
法律雑誌を読む上では、憲法・民法・刑法などにとどまらず、労働法・知的財産法・独占禁止法なども「食わず嫌い」せずに読んだ方が「視野の広さ」を維持できるし、思考力が下がらなくてすむ。
「メディアの寵児であり続ける」「女たちの声援を失わない」というプロ意識が、
そのまま宗教の世界になだれ込んだのは「スタンフォード哲学百科事典」との出会いがあったからである。
法律の世界で培った「私が正解」を、哲学の世界で生かしていくだけなのだ。
宗教学上「宗教という定義はない」とされている。
哲学には「永遠」があるし、宗教には「永遠」がない。
しかし、哲学に周囲が宗教感情を感じるのであれば「永遠の宗教」となるだろう。
私は、昨年の「紀州のドンファン」事件で、「お前より俺の方が女にモテる」というのが担保だとし、「債務不履行を引き起こしたら保証人に女関係が全部バレる」という
保証の問題点を明らかにし、逮捕Xデーが取りざたされていた「ドンファンの妻」の冤罪を明らかにした。
論点は「担保」「保証」であり、事件ごとに「憲章」が作られる。
「憲章」作りは、若い時期に、どれほど一流の学者に教わったかにかなり依存している。
とにかく「女たちの声援」「メディア」の二つを味方につけながら「おちんちんのおもむくまま」という仕組みを作ることを心がけなければならないのだ。

大坂なおみの敗因。

男が二人の「女」を比べることを「アイデア」と呼ぶ。
比べられて「ボディ」で負けたら、女は「彼女のボディと私はどう違うのだろう?」と悩むだろう。
カーニヴァル(3:54から)

女が二人の「男」を比べることを「モード」と呼ぶ。
比べられて「知恵」で負けたら、男は「自分の人生まで振り返り尾を引く」だろう。
B'z TIME

バラク・オバマもデビット・キャメロンも、「ネタを提供してくれる」という意味ではサンタクロースだった。
しかも、「オバマは民主党だ」というだけで、「民主党とは何か?」という議論が生じるために、サンタクロースだったのだ。
女は「レイプされた時」「女嫌いの男がいたとき」以外に神に失望する理由はない。
「オバマは民主党だ」
このことだけで、セックスの問題が取り上げられ、黒人ヒスパニックへのID着用義務付け反対などの政治の議論が可能となる。
「オバマ・京都・キリマンジャロ山」の三つの言葉は現在の世界の「三大サンタクロース」だと言っていい。
ユニークなヒゲをしたジョリー・エルフが北極に住んでいるだけかもしれない。
みんな、毎日の生活を送り、毎日の仕事をしている。
しかし、論文を書くとなると、人々は「引用」というものを行うため、テレビに出演させられる。
ブレキシトの生活保護受給者であるデビット・キャメロンも論文を書いた。
生活保護を受けているのにイギリスの首相というのはズルくないか?と住民投票が起きた。
「音符でできた言葉」
それは女の子から主婦層までが「サンタクロース」だと考えた。
四月は風の旅人

「女」をクリエイトした後に「男」をクリエイトするのがクリエイターの基本だ。
なぜなら、ナポレオンも「女」「女心」のクリエイターだったし、そうでなければ「男」としての人物像が特定できないのだ。
「女」を先にクリエイトしないと「政治」(女心の定義)が誕生しないだろう。
安倍晋三は「白い肌」を知っていたし、枝野幸男は「怖いばあさん」を知っていたかもしれないが、どのような女性観を持っているにせよ、「女のクリエイトの方が先」というのが政治というものだ。
教室では「運動ができる」「勉強ができる」男子がいるおかげで「女らしくなれる」のが女子というものだ。
しかし、世界史というものを学ぶのであれば「女のクリエイトの方が先」ということは知らなければならない。
オバマは女に詳しかった。京都には舞妓さんがいる。キリマンジャロコーヒーに女たちは感じた。
ハンプティダンプティは、論文を書くだけでイケメン俳優になれた(ハンプティダンプティ問題)。
「お母さん嫌い、お父さん好き」
これが「女らしさ」の秘密だった。
家庭内で「お父さんを起点として」「お母さんと女らしさを競う」ここに、「美人の誕生」がなされた。
女のストーリーを描くのであれば、女は「狙える」瞬間があることを知るだろう。
バレンタインキッス 国生さゆり

日本国は「女のあえぎ」(デフレ)に満ちている。
感じない女が増える(インフレ)ことがなければ、株価が上がることはないだろう。
デフレ(女があえぐこと)が常識となった時に、男女ともに「飽きた」と言い出して、税収が伸び悩んだ時期がある。
デフレ社会を迎えるたびに、男女ともに「飽きた」と言い始めるため、
「女をクリエイトしなおす」という作業が必要となってくる。
私が「女をクリエイト」するたびに、株価が上がり、DeNAベイスターズが勝つ時期があったため楽しかったが、逆に男女ともに「飽きた」という時期が来るため、「逆張りの思考」が必要となることもある。
論文と社会が「どのようなゲームを行っているのか?」を知る必要があるし、そのあたりは経験というものだろう。

男は「女を愛するほど弱くはない」とされる。
しかし、弱った男は女を愛する。
女をクリエイトし終わった世界史は、現段階では「男のクリエイト」の方が強いのかもしれない。
米津玄師 Lemon

しかし、スタンフォードはあくまでも「女」にこだわり続けている。
有効性は「失敗してから」疑ってくれ、と言わんばかりだ。

大学は高い授業料を取ったのでは金持ちの子供しか行けない。
大学は高い授業料を取る。
だったら、金持ちの子供しか大学に行けない。

大学というところでは、男女が共存しており、やっている作業は「仕事」である。
カリキュラムも、中学高校ほどカチッとしたものはなく、男女で「仕事」をしてもらいたいのだ。
講義に出てきてくれなければ男女の「仕事」が成り立たないだろう。

白鳥は白い。
白鳥は滑らかだ。
だったら、白は滑らかだ。

これは間違っている。
いかに「人気のある」結論を出すかが仕事である。
黒だって滑らかなことがあるからだ。
仕事には「人気」が必要なのだ。
中学や高校とは違う「人気」の研究という要素が大学には加わる。
片想いの終わりに 亀井絵里

xは水である。
水はH2Oである。
だったら、xはH2Oである。

これも、水よりもコーラが大好きで、大雑把にコーラを「水」と呼ぶ可能性がある。
酒井法子 すごすぎる

ペテロは、グレッグの母親の兄弟の息子だ。
だったら、ペテロはグレッグのいとこである。

これも、「女性」というものを媒介にしているために必ずしも真理ではないが、
「ようするに自分に人気が出ればいい」という定義となっている。

凡人ではマスターベーションができない。
しかし、反則を使う人でマスターベーションができる。
反則を使う人は凡人ではない。

つまり、「いとこ」という言葉を巧みに使う者、高校の同級生という言葉を巧みに使う者は凡人ではないということだ。

私は「父が石原慎太郎と名乗って政治活動をしていた」のだ。
しかし、石原四兄弟とは面識がない。
【証明したければ自分の人気で証明してくれ】
これが「仕事」の正体なのだ。
どの仕事も人気商売であり、女たちとよく話をしなければ皮膚感覚は身につかない。
こんな事でも言ってみようかな 酒井法子


【壮大なテーマ】

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