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Foreign Affairs

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2019年2月17日 (日)

ピッパラの木の下で。

私の母方の祖母が、中曽根康弘の妻でして、熱心な真言宗の信者でした。
仏壇にいつも何か祈っていて、天台宗の家に嫁いでもその習慣は変わりませんでした。
真言というのは「歌謡曲のマップ」(曼荼羅)を持っている宗教ですが、祖母はそもそも「田畑の質に遊郭に身を売られる」という経験の持ち主でして、大審院判事の三島中州が「そのような者は借金を踏み倒してもよい」という判決を下してからのご縁で三島家からも小野家に嫁が来るようになっています。
ベトナムなどでは「裁判官に賄賂を贈ってはならない」などという法律がいまだにありますが、昔の日本では裁判官に賄賂を贈ることがあったのでしょうか。
いずれにせよ、芸娼妓契約事件の当事者が私の母方の祖母でして、いわば、「芸能界の祖先」とも言える人でした。
自分が親にされたことを娘にもしてしまう。
これは自分に自信がないから親が行ってしまうことでありまして、私の母は「リリィ」という歌手でしたし、姉は浅香唯、妹は倉木麻衣という芸名で活動していました。
私の母、リリィは、私が幼稚園にいた頃に、髪をバッサリと切っています。
この時に、お金の面でも、子育ての都合においても「母方の祖母」の軍門に下っています。
姉や妹にも髪が短いことをからかわれ「戦いやすい相手」となったのは事実です。

リリィ

浅香唯

倉木麻衣

すべては母方の祖母の「芸娼妓契約事件」が事の発端でした。
立憲政友会ともつながりがあったらしく、三菱ギャランとかラムダとか「三菱」の車を常に乗り回していました。

一方、私の父方の祖父は昭和天皇でして、祖母は香淳皇后(遊佐道子)でした。
遊佐道子も、人身売買のような目にあったのでしょうか。
長女の佐紀子がのちに「美智子」と名乗って天皇家で権勢を振るっています。
佐紀子は松田聖子や志村けんの実母でしてその資格があったのです。
また、三女の杏子の娘は酒井法子や松野有里巳です。
昭和天皇(小野鉄之助)の孫は22名いますが、国立大学に合格したのは私一人で、東大法学部です。
昨年、実家に帰った時に、父から「父方の祖母のノート」を見せられました。
イラストで可愛らしい女性の顔が描かれていて、今で言うと「この顔でテレビに出す」というデジタルイメージが描かれていたのです。
おそらく松田聖子のデジタルイメージでしょうか。
ノートの中身は「バイロンの詩」がびっしり書き込まれていました。
松田聖子の音楽作品の元ネタは「バイロンの詩」にあったのです。
松田聖子 赤いスイートピー

私は、中学の時に、一学年上の姉(浅香唯)が少年院に入ったこともあり、ひどい虐めに遭いました。
毎日、学校から帰ってくると胃から出血していたために黒い便が出て、失神していたのです。
登校拒否もしましたが、勉強が好きで、何とか横浜市立南高校に拾ってもらいました。
高校でも虐めに遭いましたが、それは、学年で三位に入るほど成績が良かったからでした。
高校二年の時にアメリカに留学しましたが、アユサインターナショナルという企画で留学しました。
この企画は、当時の任天堂が「華族子弟に芸能界を知ってもらいたい」という趣旨で行ったもので、試験は五次試験ぐらいまである難関でしたが、いるのは華族子弟かおニャン子クラブのメンバーでした。
富川春美とか立見里香などがいました。
富川春美(中央)

留学を終えて、私は筋骨隆々、英語が堪能になっていました。
「学年三位だったのに留年などしてられるか」と言って高校を中退し、三ヶ月の勉強で大検に合格しています。
翌年、事実上、「高校二年生で東大文一を受ける」ということをやってから、母方の祖母と父方の祖母の喧嘩が勃発しました。
母方の祖母は「Wink」をフルに動員し、父方の祖母は「酒井法子」を動員してきました。
祖母は、私には一切お金はくれませんでしたが「悪い遊びに使うのは良くない」という考えがあったものと思われます。
この「PV」でも「Boys be anbitious! I love you. WINK」と書かれています。
WINK Boys don't cry

一方、父方の祖母は、私が留学生活を「どのように楽しんでいたか」まで研究して酒井法子さんに詩を提供していました。
私が「女子たちがいる前で海に向かって石を投げていた」「カヌー遊びをやった」などです。
酒井法子 もうすぐの予感

東京大学に裏口入学はありません。
しかし、歌謡曲をセールスにかけて「納税する」という形で、間接的に「お金のかかった子」を作り出すことは、私が高校生の頃に国連で認められています。
そのようにして「文Ⅰ12位合格」という結果が出ています。
中曽根康弘の家に遊びに行ったら、中曽根は「すごいなすごいな」をうわごとを言っていました。
人生の、十代は「アレグロ」であり、二十代は「アンダンテ」です。
私ももう50歳に近づいていますが、今後も、手を変え品を変え「アレグロ」を繰り返しながら生きるものと思われます。
それほど、人間にとって「十代」というのは大事な時期なのです。

なぜ、このような話をしたかというと、ブッダは「輪廻転生」というものを考えましたが、「一度でいいから自分の人生・アイデンティティを確立する」ことによって、輪廻転生から追い出す(カルマ)、あるいは「苦のない世界」(涅槃)というものを、非常に「苦」に満ちた人生によって実現させた人物であるからです。
「今度生まれ変わる時には」ということを想定しない人生こそが最もいいと考えたのがブッダでした。
「苦がある」「苦には原因がある」「苦がなくなることがある」「苦をなくす方法がある」
勉強はみんなつらい。
しかし、「最も簡単な方法があるはずだ」
「伝説からの教えをうける」(カルマ)。
いちばんいい指導者から教えを受ければ簡単に栄光に包まれることが可能である。
学ぶ時にも「無我」になれる。
ガチンコファイトクラブ4期生もそれを求めていたように見える。
竹原は決して「世界を見せてくれる」指導者ではなかった。
ガチンコファイトクラブ

「恋」の世界では「知識」というものは人気のあるものだ。
私も、お互いにパートナーや子供がいるのに、「基地のアンテナとFENのニュース」に憧れた女に「バカげた恋」をされたことがある。
つまり「どんなに知識があっても、私の心までは分からないのでしょう?」という女の「恋心」というのがあるのだ。
思えば、私も、中学高校時代に「恋」をした女子は「自分よりも成績のいい」女子だった。
Qlair パジャマでドライブ

恋の入り口は「内省」(マスターベーション)である。
頭の良すぎる人がどんな「恋」をするのかは実は明らかではない。
メソジストというのは、「恋をした彼氏についていこうという女子の心理」を利用して「先生や教え方を間違えないようにしよう」という立場である。
ユングやフロイトの場合

メソジストの立場に立つのならば、当然、ヨーロッパを見なければ、土台のしっかりとした学問体系はないため、キリスト教に立脚しなければならないわけである。
また、成績だけで入学者を決めていたのでは「男ばかり」のキャンパスになりかねないため、しっかりと、女子もうまい具合に入学させなければならない。
野郎ばかりの教室では、講義に出ようというモチベーションもなくなるかもしれない。
私も、1990年文Ⅰ文Ⅱ二組Eには、「女子はたったの二人」だった。
実力主義だと当然、キャンパスはこのようなものになる。
東大はメソジストの立場には立っていなかったのだ。

また、恋は「いつも同じクラスにいる人に、家で眠っている時にするものだ」とも言われる。
「いつもいる」ということと、「眠る」ということが必要になってくる。
「一目惚れ」と「恋」は異なるものだ。
しかも「マスターベーション」をしなければ「恥らう」理由もないのだ。
自分の「知識」を完成させたいから「恋」をするとも言われる。
「自分にないものを持っている」というのもあながち的外れではない。
高橋由美子 エチュード

完璧な「知」への道のりに「恋」というものはあるが、セックスで失敗するととんでもない遠回りをする羽目になる。
友達より遠い人 三浦理恵子

「恋は楽しい」それは「完璧な知識」つまり「神」を求める旅路だからである。
しかし、大学教授など「完璧な知識の体系」を構築した人は、「人間の愚かさ」に恋をすることがあるとされる。
女学生であったり、クラブの姉ちゃんだったりだ。
八月最初の水曜日 渡辺満里奈

いずれにせよ、人間は「恋をした対象」によって「自分に足りないものは何か?」を知るのである。
好きな先輩

すべての言葉は「財産」である。私有財産とは「セックス」である。
レベッカ ヴァージニティ

みんなが「好きな」もの、そして「推測させる」こと、制約が多いこと、お金をばら撒くこと、そして、「関係」が問われること。
文法とは「制約」のことであり、みんなが「好きな」ものを「推測」しながら、「言葉」というお金をばら撒いている。
すべての「物」に霊が宿るとするのであれば、すべての物が「四文字」「ちんちん」となんらかの関係を持っている。
ペニスエンビー、つまり「おちんちん」が女の子や女たちにどれほど人気があるのかを理解しなければ「言語」というものは分からないだろう。
さよなら失恋ピエロくん

私は東大入試の時に、国語辞典で頭の中の日本語を書き換えたことがあるが、おのずから、世の中の女子の「ペニスエンビー」を学ばされたことになる。

そのうえで、口説き文句(哲学)が、より「魅力」がなければならなくなったし、アリストテレスは「男女の共存する社会」を構築し、女が「男二人を比べることができる」ようにした。
ここで、言語は一気に発展したのだ。
真夏のフェミニスト ribbon

「男」は価値のある生き物だ。
ソクラテスは男だ。
ソクラテスは価値のある生き物だ。

「走る」とは社会参加を意味する。
ソクラテスは走っている。
ソクラテスは社会参加している。

このように「言語」は作られたし、脳は言語と似た構造を持っている。
しかし、人間の心とは必ずしも「論証研究」の対象とするものではなかった。
人間の「思考」は論理学ではなかったのだ。

それを踏まえたうえで「キスから胸に進めるのは当然なのだろうか?」という「上達」というものが言語の世界に入ってきた。
渡辺美奈代 Too Adult

文法を踏まえていること。
その上で、女たちの「ペニスエンビー」を巧みに利用すること。
これが「論理の飛躍に見えて、議論として成立する」言葉の正体である。
ソクラテスは、どの女の胸も揉んでいない。ひたすら走り続けていた。
しかし、「ソクラテスのような男たち」に「上達とは何か?」を教え続けた。
男性ボーカルは「しゃぶれ、しゃぶれ」というだけなので、耐えられない男もいると思う。
アルフィー サファイアの瞳

プロポーズとは、「教祖の王冠を打ち砕いてやる」という文言を含むものだ。
教祖を信じている、教祖が何を言っているか分かっている。
そして、「教祖を恐れている」。
そのような男が、彼女に「教祖の王冠を打ち砕いてやる」と言うのをプロポーズという。
縁結びの神さまとはそのような存在である。
日枝神社や山王神社、日吉大社の「オオヤマクイ」とはそのような神さまであり、なかなか、日枝神社結婚式場の「神」となれる皇族はいないんじゃないかな。

ルイーズは「スーパーマンは強い」と信じている。
「クラークケントは強いとは信じていない」
しかし、「クラークケントは弱い」とも信じていない。
クラークケントはなぜ強いのだろうか?
彼女が「お腹すいた」というだけで、食材を買うお金を出してくれるからだ。
オオヤマクイの「王冠を打ち砕く」作業をやっているうちにおのずとお金が出てくる。
彼女は、「オオヤマクイよりも彼氏が神さま」と思うようになる。
酒井法子 涙が止まらない

空腹を満たさなければ、どの女も「セックスしたい」とは思わないものだ。
国民が愛し合う方向に誘導したアウグスティヌスも「食欲」にだけは気が付かなかった。
女の「お腹すいた」はまるで瞬間接着剤のようだった。
「俺は右翼だ」といっても、女は信じないだろう。
しかし、食材を買うお金をくれた時にようやく男は「新・右翼」と呼ばれるようになる。
オオヤマクイを知り、信じ、恐れ、「王冠を打ち砕く」とまで言った男にはそのような生活が約束されるのだ。
街宣車で喚いている男とは異なる「男」が、皇城の鎮にはいた。
「新・右翼」はクラークケントのようなサラリーマンだった。
街宣車の男を笑い物にするほど豊かなのだ。
ガリレオは「それでも私(地球)は(他の女に)動いている」と言った。
しかし、ルイーズは「スーパーマンは強い」と信じているのだ。
妻が病気になって怖くなって浮気する男は確かにいる。
しかし、オオヤマクイが何か医学に関する発言はしていた。
宗教を制したオオヤマクイは「女の食欲」を満たした。
医学を制したオオヤマクイは「壊れていく妻」も恐れてはいなかった。
そのような、クラークケントがモテないわけがなかった。
女に不自由はしなかったが、メンタルの健康の維持にはいいだろう。

セット理論は、貧しい生い立ちの学歴男に彼女を与えるためにある。
ストイシズムと、いい指導者に教えてもらっているポテンシャルが、毛並みのいい男とは異なる。
哲学が最後に目指したのはセット理論であり、オオヤマクイを信じている、よく知っている、恐れている「男」にこそ、女は惚れるものであるとした。
松田聖子 Kimono beat

カップルには必ず「ひとりの女」が寄ってくる。
カップルの男の方が「猥談」さえしなければ、かならず「ひとりの女」が寄ってくるのだ。
ひとりの女が寄ってくるということは「もうひとりの男が寄ってくる」ことを意味する。
この「仲間の無限連鎖」もお金との相談だとするのならば、男は仕事をしなければならない。
男の仕事の「強さ」次第で、無限連鎖は続くのだ。
無限連鎖講は、お金を巻き上げるために考えられたが、セット理論は「お金をばら撒く」ために考えられた。
幸せにいちばん近い席 酒井法子

最近は、精神病の治し方が明らかになってきており、一昔前ならば「目的を持たない」、最近では「外で異性と話す」ことが治し方の通説を形成してきたため、精神病という呼び名も「精神的不調」程度に緩和されてきた。
周囲の女たちの異常なまでの感情にさらされたり、女でも「男たちの感情」にさらされることから、統合失調症・うつ病・強迫神経症・性病・セックス依存症などが見られるようになることが分かった。
このことから、医学や国土交通が作られたし、いろんな人がいるからねという人類学の研究や心理学の研究は進んだ。
勉強ができると女たちにモテる。
しかし、勉強しすぎたらどうなるのだろうか?
物事の解釈に「ズレ」が生じてきたり、勝負事に弱くなったりする兆候が見られたら精神的不調が生じたと考えた方がいい。
病んでいても言えない本音 筒香

精神病という表現は「負の側面」を含まれているため、「周囲の男女の感情にさらされる」ことが原因であるとして、精神的不調という表現にとどめることにしたのだ。
そして、その「発病」は「暴れる」などの表現から始まることが多い。
いじめられた男が語る「女の話」を読むと気分がよくなることは指摘していい。
「いじめる側」が書く読み物にはニーズなどないし、「女の話」もつまらない。
キリスト教の「人気」の秘密はここにあるし、神道や仏教もこのことを理解しなければならない。
女の場合は「愛情が急激に去っていくのが切ない」などの理由で病むことがある。
男の場合は「どのように?」が一定程度確立しているが、女の場合はそうではない。
このあたりに、スタンフォードが「女」にこだわる理由もありそうだ。
研究者自身が「ギリギリ」のネジがぶっ飛んだ状態であるため、「女の話の方がいい」と判断しているほどの高水準であり、「男のクリエイション」など考えてはいない。
「女心の定義」(政治)を行うのであれば、勝負事ではあるけれど、結果責任というよりは
「適当に」結果を見守るしかない。
まるで、コンピュータープロセッサーのようにスタンフォードも「女心」を語れるが、
しかし、過酷ないじめが生み出した産物であり、女たちが「キレイになる」世代を
狙って言葉を発する以外に研究者としての生きがいはない。
世紀末の天使 ribbon

ジャンル分けするのであれば、「性概念」についてまず明らかにし、
その上で「勉強ができたのかできなかったのか?」を明らかにする。
さらに、「自分が何を失ったのか?」を明らかにする。
そして、それが「生きるうえで絶対に必要なものだったのか?」を明確にする。
我々も、スタンフォードに入って「勉強しすぎたのがよくなかった」と大雑把に考えていたが、日本国の芸能界の現状を知って考えを改めたのだ。
「哲学者の歴史はスターの歴史だ」
ということを踏まえるのであれば、当然、「精神病患者の歴史」であったことを認めなければならない。
病気にならないためには「勉強ができなければならない」というのは基本にしなければならない。
なぜならば「人気を維持する」ことがいちばん健康だということが分かったからだ。
人々は「キチガイ」に怯え、本人は「キチガイ」と言われることに怯えている。
そのような歴史が「精神病」に存在したため、我々は今となっては「勉強はできるのか?」をアフターケアのために問題にしなければならないのだ。
「ただ生きているだけ」「いじめっ子」「何も学ばなかった」
ことに「いいことはなかった」という結論が出されるのならば、キリスト教の三位一体の否定(いじめの否定)につながりかねない議論となる。
ロシア正教会や家庭内では三位一体はすでに否定されている。
3つの願い ribbon


スタンフォード哲学百科事典でも「穴」という論文の存在は広く知られているが、実際のコンテンツはあまり知る人はいない。
男のおちんちんが「勃起」しなければ子供ができないということを踏まえて、時間と空間が男に自由に与えられたという議論である。
経験だけで生きていると、かなりX軸とy軸に「出来事の穴」が散漫に広がることになる。
しかし、「同じことを続けていると」かなり強烈な突破力を持った穴が形成される。
あげまんは「時間とともに穴の場所が前へ前へと進む」ものである。
x軸y軸の穴の位置が変わらないのならば、男はなんら前へ進んでいないことを意味し、すぐに「女を変える」と言い出すだろう。
レベッカ trouble of love


男の「出来事の穴」を女の局部と合わせていかなければ、ハードコアポルノすら「つまらない」ものとなる。
「週三回」という契約を結んだのならば、かなりハードな仕事を求められたことになる。
結婚契約とはそういうものである。
子供が出来たら出来たで「量子論」の研究が必要になってくるし、セックスを気持ちよくさせるための「仕事」というものも必要になってくる。
仕事と子育ての両立というのは非常に難しい。
アインシュタインは1913年から1915年の間、「穴に落ちた」と言われた。
這い上がってきてから「量子論」(子供の研究)を始めたのだ。
「ビスマルク=明治天皇=福沢諭吉=小野慎一郎」という「同一人物のライン」が引けるのだとすると。
「アインシュタイン=大正天皇=野口英世=小野達郎」という「同一人物のライン」が引ける。
小野家系図

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