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Foreign Affairs

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2019年2月 7日 (木)

信仰心とプロスポーツについて。

インターネットでエッチな動画を見ていたら、エロい姉ちゃんが山で死んでいた。
「これが例の事件か?」
と思ったが、日本国の主婦層は「アメリカに住んでいるような気分」を感じたがっている。
アメリカには「ヒルサイドの殺人鬼」などがいたが、あるいは、テキサス州ダラスやボルティモアで、警察車両の後部座席で人が殺害されたりしている。
ボルティモアの事件の時、ニュースを見たオリオールズファンが「これで野球が見れなくなるのか」と語り、実際に、オリオールズは、全米史上初の「無観客試合」を行っている。
刑事訴訟の本質は「デュープロセス」「フェアプレー」にある。
デュープロセスとフェアプレーは同じ意味であり、警察車両の後部座席で容疑者を殺害したり、三浦和義容疑者のように「拘置所内で自殺」と公表することは、フェアプレーつまり、プロスポーツに悪影響を与える。
あくまでも、法廷で裁きを与えなければならないし、刑事訴訟資料はすべてのちに公表される。
怒りに駆られて、あるいは世論の歓心を得るために容疑者を殺害してはならない。
我々は「モテる方法」を刑事訴訟から学びたいし、「金儲けの方法」を民事訴訟から学びたいのだ。
犯罪とは「モテない男」が犯すものだ。
モテないのであれば「なぜ、哲学を知らなかったのだろう」ということまで法廷で問いかけなければならない。
法廷というのはのちの世にまで生きるものである。
これが「デュープロセス」=「フェアプレー」であり、スポーツビジネスも関心を寄せるところである。
学術映像

美女の上に雲はできる。
そこに「男」がいれば雨が降る。
そのため、「雨」は女の勝利とも言える。
自分が美女であることを証明したことになるし、男にも困っていないことを意味する。
「雨」とはそういうものだ。
さよならは雨の日 SPEED

女は「セックスしている時には99%神=男を信じている」とされています。
つまりは、キリスト教上の「信仰心」を体現しているのです。
神を信じている女に共感する、それもまた信仰心。
日本国におけるキリスト教の根の深さを痛感します。
愛してジャスティス ribbon

信じていたものに卑怯な形で裏切られることを「自己欺瞞」と呼び、人々は健康的な生き方を見失う。

哲学を深める。それは、筒香の打席でスリーボールワンストライクのカウントを作ることを可能にする。
つまり「あまいストレートしか投げられない」カウントだ。
犬のようにくだらない男と美しいヒロイン、ここに哲学者は「心の風景」を語り続ける。
哲学者が「狙っていいよ」と言われた時に、筒香も「狙っていいよ」と言われるのだ。
メジャーでその哲学者を見つけることができるかは分からない。
哲学者に人気があれば、DeNAベイスターズの選手も「絞りやすくなる」のだ。
容疑者を「法廷に晒す」ことをプロスポーツは利用しなければならない。
「こころある」視聴者は「腎臓のある」視聴者でもあり、自由に食べたり飲んだりできるものだ。
anytime smokin' cigarette

刑事訴訟の被告人という「くだらない男」がプロスポーツに生かされることを知って欲しい。
これがデュープロセスだ。
「黒人だったから」といって警察車両の後部座席で射殺したら、暴動がおきる。
スポーツビジネスが成立しないからだ。
モバゲーには「逆転無罪」というゲームもあるが、本来、スポーツビジネスを行う弁護士ならば、事件を三つほど抱えたいところだ。
好きなプロ野球チームの優勝次第では、愛と憎しみが入れ替わる。
これが「逆転無罪」である。
「美しい女は必要だ」
幼児虐待だけは防がなければならない。
しかし、「女になれた喜び」を女たちがどのように表現するかは自由であろう。
避暑地のアンニュイ 河合その子。

女たちが「三木谷さんや孫さんの方が小野さんよりも輝いていた」と語り合うのは自由だ。
しかし、デュープロセスをスポーツビジネスに持ち込んだのは小野光太郎である。
デュープロセスを踏まえた上で、「人生経験が足りなかったか」と裁判で負けた時に丘の上から夜景を見る弁護士がいてもいいだろう。
しかし、自分の人生経験がプロ野球チームの勝敗と結びつくなんて、弁護士とは素晴らしい職業だとは思わないか?
カエサルはクレオパトラにキスしてもらいたかっただけだろう。

いずれにせよ、世論が沸騰した時に「別の世界に連れて行く」ことができる力量が君主には求められる。
しかも、かなり高度な学習を人々にもたらさなければならない。
だが、その「解法」を丹念に調べてみると「男女の二元論(デュアリズム)」から解いていることが多い。
三位一体(トリニティ)なども可能性はあるが、三人以上の人物は拡散していくため、「狭いゾーン」で解いていることは間違いない。
本当に「火柱」が上がったら、現場にいる人間は三人程度で、あとは野次馬みたいなものだろう。
あとは「火柱を拡散させる動物」をどれだけメリルとベリルが飼っているかが問われる。
意味に満ちた「現場」の数を少なくするために非常線も引かれる。
野次馬たちが「動物」の影響を受けないようにするためだ。
みんな「今日の晩御飯」を欲しがっている。
そのために「火柱」は拡散せざるを得ない。
事件の頂点は「ひとりの女」でも、下部構造が山ほどできる。
それが「今日の晩御飯」というものだ。
むしろ、「人々に高度な学習をもたらして、下部構造を一気になくしてしまう」ことが、政権が火だるまにならないための秘訣だろう。
人間はかなり直感に頼って「沸騰」している。
そこに「別の世界」を提示するのだ。
「保証」「担保」「デュープロセス」などを私は用いたことがあるが、他にも論点は無数にある。
論点がなくなれば「昔の人の知恵」となって復活するだけだ。

たとえば、北朝鮮による「拉致問題」の解決のためには、「横田めぐみさんの写真でマスターベーションしたことがある」などの根の深い問題が存在する。
いわば、「恋」という問題が、ネクロフィリアやペドフィリアと結びついているのだ。
「写真とは何か?」
という研究を深めなければ、拉致問題は解決しない。
「伝説とは写真とともにある」
酒井法子 風邪

「写真に恋をしたのか?」
これをとことんまで追求しなければ「下部構造」はなくならない。
顔写真には必ず「口」が写っている。
つまり「精子を飲む可能性」があるのだ。
しかし、ギルバート・ライルはそのような趣味はなかった。
暴君のように「俺の精子を飲ませろ」とわめき散らす男たちとは距離を置いていたのだ。
続・赤いスイートピー 松田聖子

ファンになるという深層心理はここにある。
ライルは「女の伝説」の根拠を冷静に見極めていた。
フォトグラフから「恋に値する女の写真」(カルトグラフ)の研究まで話は及んだ。
彼の「村」で彼女は人気がなければならなかった。
しかも、彼女は「俺」と同じ言語を話していなければならなかった。
そして、「俺」は彼女が歩んだ道を歩もうとしていなければならなかった。
「有名」になろうと思わなければ、写真に恋をする理由はないし、朝鮮半島や朝鮮語に興味がなければ横田めぐみさんに恋をする理由はない。
わが国は「覇道の道を歩もうとするのならば」朝鮮半島は避けては通れない。
しかし、彼らは「わが国の領土ポテンシャル」に日露戦争で組み込まれている。
今後、80年は日本国の領土であり続けるだろう。
河合その子 青いスタスィオン

しかも、セーラー服(水兵さんの服)は、水兵さんが常に「お金がなければ動かない」戦場のプロであることを意味し、水兵は「男同士でしゃぶりあってはならない」という掟があったため、セーラー服というコンセプトまで絞りきれていた。
あとは、雑誌などで「身内のように親しみを感じる物語」を垂れ流すだけだった。
朝鮮語が話せる人は、その「伝説」を排除する理由がなかった。
みんなが恋をしている「女」を「今日の晩御飯」に変える必要もあった。
ここに、「朝鮮語が話せるという稀な才能」が、問題を解決しようとは思っていないという現状もある。
有名希望の男たちは、「問題」を解決しようとは思っていない。
彼女の唇が見たかったために、政治生命を長らえさせた人もいる。
安室奈美恵




この「写真」の研究をする上で「自分が何を言っているのかわかっているのか?」ということは理解しておかなければならない。
「写真」=「性欲」=「愛国心」
という簡単な図式は、「優しくなければ解けない恋のパズル」だったのだ。
人々は性欲や愛国心に「優しさ」を加えるだけで、車を買ったりBlu-rayを買ったりしている。
とにかく写真とは「恋」の研究であるため、「優しくする」というのは基本となるだろう。
私は知恵の輪 うしろゆびさされ組。

マルティン・ブーバーは、若気の至りという側面もあったが、イスラエルは「人気のある若者が作る」ものであったし、シオニズムは「第一次世界大戦で見たこと聞いたこと」を建国につなげるムーブメントだった。
ブーバーは、妻のポーラとともにハート兄弟のサロンにも顔を出したし、ユダヤ人たちは、第一次世界大戦をネタにカナーンの地に新国家を作ることしか頭にないようだった。
それを考えると、拉致問題とは、朝鮮半島に日本国の若者が「新国家」を建設するためのエネルギーにしかならないことも分かった。北朝鮮は「拉致は解決済み」として、この問題を蒸し返されることを恐れる理由がある。
「性に敏感な若者たち」を恐れていたのだ。
それは「あなたと私」という同じ言語で話すパートナー同士の話ではもはやなく、「汝と私」という具合に、野蛮な連中ときれいな女という関係でもあった。
悪いことをしすぎて影響力を増した連中が、それが過剰に達した場合に崩壊に向かうのだ。
しかも、金銭による買収が可能であった。
運命’95 Melody

ナチスは「悪いことをしすぎた連中を買収する」つまり「併合」という発想も持っていた。
海に住んでいて、全身が痛むことからマンハッタンを作ったナチスは、「悪いことをしすぎた連中」つまり、クレジットカードのボッタクリなどを公然と仕掛けてくる連中の買収に動いた。
併合の場合、テキストは新約聖書ではなく「ツァラツストラはかく語りき」つまり、ゾロアスター教だった。
併合を得意とするのはゾロアスター教だったのだ。
カントが「海にビルを建てる」ことを考えたのに対し、ニーチェは「悪いことばかりする連中の併合」を考えた。
「私とおちんちん」そして「おちんちんは俺たち」という具合に、ひとつの映像が拡散していく。
「俺たち」というのは非常にプラトニックなものだった。
ゲマインシャフト(コミュニティ)の問題が、ゲゼルシャフト(社会)に拡散する上で、この「プラトニックな関係」は必要なものだった。
ユダヤ人にとって「神は死んだ」つまり「父が祈りを知らずに息子を虐げた」
あるいは、この関係の「永遠の繰り返し」(永劫回帰)などを取り上げたツァラツストラは非常に重要なテキストであったし、最後にニーチェは「悪い国を併合することができるんだよ」と語り、若いユダヤ人学生を刺激した。
Mr.Children Tomorrow never knows

法科法科といって勉強もせず、と呼ばれたユダヤ人も、なかには「性に敏感」で新国家建設を夢見る者たちがいたのだ。
「女神」を誕生させることも重要だった。
今では、ワールドカップで善戦することしかできない「女神の誕生」も、昔は「新国家建設」にまで至ることがあった。
よっぽど悪い国ならば併合してしまえとニーチェは言ったし、北朝鮮も、拉致問題で世論が沸騰した時に日本国による併合を覚悟したが、日本国はツァラツストラを知らなかった。
いずれにせよ、ナチスの柱であるカントとニーチェは、マンハッタン造成と併合という「ふたつの全体主義」を持っていたのだ。
ニューヨークのブロードウェイを作ったユダヤ人は「女神」の意味を熟知していた。
「女神をうまくクリエイトする」
かつては、シオニズムに用いられた発想も、今では「スポーツビジネスに活用できる程度の資金力」に限定されるほど、スポーツビジネスは膨大なお金がかかるようになっていたし、世界の戦争リスクを減らしていた。




Madonna Spanish Eyes.

信じるとか欲望とかではなく、家族が多いと、どんなに才能があっても家庭内で「最低の」扱いを受けることがある。
とくに男の場合は、統合失調症になると「精子の価値は51%減」とも言われ、「目的を持っただけ損」ということにもなりかねない。
しかし、「家庭内最下位」を経験することこそが「権力への意思」であり、「HOPE」を吸う若者に、周囲のキリスト者も笑うしかなかった。
「あなたには種がある」
信じるとか欲望とかではなく、「希望」というものは、復活祭の時に周囲が「やるべきことはやっていたからね」と語り合うものだ。
病気にとっていちばんいい薬は「楽観論」である。
ヘシオドスの「パンドラの箱」は、周囲に「悪とは何か?」をばら撒いた。
箱の中には「希望」だけが残され、あとはばら撒かれたのだ。
悪という悪を知り尽くしたら、あとはパンドラの箱に残された悪は「HOPE」しかないだろう。
「希望」なんていう空手形は快楽でもないし、悪でしかない。
しかし、若者を見ると「希望に満ちていた昔の俺」がいるではないか?
「ここで前に出たら死ぬというところで前に出た」
こんな若者を見たのだ。
家庭内で最下位だったから、権力への意思があったから、しかし、本当の原因は「神が死んでいた」からだろうね。
お父さんはこそこそ隠れて、息子を虐めぬいていたのだ。
ローマ人への手紙8:24、あるいは5:3-5にあるように、すべての生き物は出産する時にうめくものであるし、産みの苦しみに希望があることを知っている。
ツァラツストラの教本にも同様の記述がある。
ツァラツストラとは「マケドニアが作った併合の書物」だったのだ。
ゾロアスター教が、ペルシャに残され、ササン朝を作ったといっていい。
家庭内で才能があるにもかかわらず「統合失調症だから」といわれて最下位になった男が読むべき本は「ツァラツストラはかく語りき」の原著であろう。
希望に満ちていて、努力に満ちていて、それでいて「休むことを知った」のだ。
スピードを競い合う人生で「休むことの重要性」を指摘したのはツァラツストラであり、スポーツ心理学にも活用されている。
松浦亜弥 Love train

「トレーニングセッションが終わったら、王子のようにメディア対応していいよ」そのようにゾロアスター教は考えていた。
カントも、ヘトヘトになるまで学問をやった経験があったが、ゾロアスター教の影響で休養した。
「周囲の動きが眠っているだけで分かるんだ」
とし、自分の努力の痕跡を「自分にとって当然だっただけだ」と考えた。
統合失調症・家庭内最下位・権力への意思・神は死んだなどがない交ぜになって、このような「復活」がなされた。
みるみるうちに自信がみなぎってきて、表情が変わったため、周囲は怯えた。
「あいつならばやりかねない」
キルケゴールは「いつ休むべきか?」を語った。
さんざん努力して「もうダメだ」と思った時にブレーキをかける。
ブレーキング技術だけで勝ってしまうレーサーもいるのだ。
ダイヤモンドブルー 酒井法子

何かに怯えたり、女たちが遠のくほど顔が赤くなったら休むなどの発想は、多くの哲学者が共有していた。
「プラグマティスト」とも呼ばれ、顔が赤くなったら喜んで休む。
そうするだけで「女が近づく足音」が聞こえるのだ。
聖なる海とサンシャイン

ニーチェは、25歳の時に、人生のキャリアのピークを迎えた。
「何でもやっていいよ」
そのように周囲に言われたのだ。
何でもやっていいのであれば、哲学者は芸能に興味を持つのは当然だった。
「医者の愛を感じる曲は心臓にいい」
瀬戸朝香 マイホームタウン

音楽の才能だけはワーグナーには敵わなかった。
ゲイの科学、ツァラツストラはかく語りき、善悪の彼岸、偶像の夜明け、ワーグナーの場合などを書き上げた後に、休養に入った。
彼の健康にもっとも適した場所はスイスにあった。
ワーグナーは「ベイルート計画」を練っており、ニーチェと戦うことにより、中東にキリスト教国を持つことになった。
キリスト教徒の団結を音楽作品にしただけで、レバノンという国はできたのだ。
ニーチェは「イスラエル建国」の理論を作るという形で、中東の「戦争の火種」を構築した。
トリスタンとイゾルデ 序曲

神は死んだ。
父は祈りを知らなかったために息子につらくあたった。
母は祈りを知らなかったために、娘の美しい死に方に嫉妬した。
「祈り」
それは人脈を作る行為である。
忍耐をしのんで祈りさえすれば、国際メディアすら相手にすることができたのだ。
しかし「祈れない」ではないか?
「神は死んだ」
それがイスラエルの強さであり、母が息子を「生贄」に捧げるサクリファイスとは異なるものである。
男は賢い方がいい、女は美しい方がいい、とするのであれば、父と娘はその条件を満たしてしまう。
男は女を寝取られたらリベンジポルノをばら撒くだろう。
つまり、この事件はもはや「終局的に解決」しているのかもしれない。
我々は、善愚の彼岸を論じているのではなく、善悪の彼岸を論じている。
祈りという悪こそが、両親に富と人脈をもたらすのだ。
父に虐げられたルサンチマンこそが「悪」の人気であり、富や人脈とつながる。
お坊ちゃんのような「愚かさ」は、自分がルサンチマンを知らない目立ちたがりとして恥を晒すことになる。
女は仲間を求めている。孤立を恐れている。
そのために「祈り」を覚えやすい。
しかし、その背景には「母に虐げられた」というルサンチマンがなければならない。
「祈り」「キリスト教」
それは確かに仲間を多く作るだろう。
しかし、父は息子の死を喜び、母や娘の美しい死に嫉妬する、それはもはや「神は死んだ」と言わざるを得ない。
キリスト教は、実の子供の死をこんなに明るく描いている。
ここに、レバノンとイスラエルが対立する理由が存在する。
乙女の祈り

キリスト教は、息子や娘の死に「親として」「祈ることで」「ピュリファイを感じる」というところにその基盤がある。
ハードケースでかなり、強い議論がなされたのだ。
信仰心と人脈・お金が結びついたのだ。
しかし、親が自分にも「ルサンチマン」(親に虐げられた経験)がなければならず、愚かであってはならない。
ルサンチマンを経験するというのは「生きる上での力」であり、「何を言っても許される」人物像を作り出す。
ユダヤ教かキリスト教かの違いは「愚かな有名人」か「悪い有名人」かの違いだ。
ユダヤ教は「若者の国」を望んだのであり、愚かな有名人は歓迎していない。
「悪い有名人」ならば「ルサンチマンを経験した」「権力への意思を持っている」人だねと肩をすくめるしかない。
ユダヤ教もキリスト教も「息子や娘が死んだ」というハードケースで見解が分かれたのであり、基本的には「根っこは同じ」と言っていい。
ユダヤ国家、イスラム国家に世界ランキングで上位に位置する大学は存在しない。
みんな「親子の光」で誤魔化しているのだ。
「七光り」とも呼ばれる。
父が息子を虐げ、母が娘の美しい死に嫉妬する「祈りのない世界」で、何も大学にまで行って「エッチな学問」をやる必要はないだろうとされ、親から直接、エッチな話を聞いた。
そのため、「親のコネ」が強烈にモノを言ったのだ。
一子相伝とは「エッチな話を聞かされる」という意味であり、日本国では東京大学にまで行っているのならば問題はないわけである。
母と娘のデュエットソング

ギリシャの、グノースティシズムは「女性が胸さえ隠せば我々は20世紀が見れる」としていたし、エルメティシズムは「美女さえいればいい」と考えていたが、ゾロアスター教の伝統は「努力をした後に休養をとること」にあった。
女性たちからエネルギーをもらい、それが尽きた時に休む。
それは、顔が赤くなったなどの理由から女性が遠のいた時に行うのだ。
アフラ・マズダを標榜するマズディアン神学とも言えた。
イスラムでは神秘主義とは「芸能」のことを言ったし、「親が聞いているものを子供たちが聞く」という「親のコネ」こそが重視された。
カップルには「二人の女の敵がいる」「男と浮気したと騒ぐ女と、もう二人を守るのはやめようかなと考える女」の二人だ。
二人を守るのをやめようと考える女がいるのならば、男は「愛してた」と言いながら別れる。
これが「マズディアン神学」である。
瞳はダイアモンド 松田聖子

サルトルは、男らしさに関する議論(合理論)、女の子がサンタクロースを信じるための議論(経験論)を踏まえて、「人生は一度きりだよな」と、聴衆に訴えかけ人々に衝撃を与えた。
冬の微粒子 CoCo

数々の哲学者が「父と息子」「母と娘」について語ってきたが、最後にたどり着いたのが「夢」をもつこと、だったのだ。
社会人になったのならば「夢を語る」ことはむしろ有害であろうが、若さを無駄にする時期は「男になるため」(合理論)「女になるため」(経験論)のどちらもが「夢」を必要としていた。
アブラハムは「祈り」を通り越して、息子のために「犠牲」になることで大富豪となった。
チチロー

「女性的なものに真実がある」とし、息子を認める「父」としてではなく、息子を褒める「母」としての役割こそが富につながると考えたのだ。
ボクシングでも「リングジェネラルシップ」というのは「有効な女性的戦術」と表現されるが、男にとって「女性的側面」というのは「痛みを感じるもの」であり、朝から痛み止めや向精神薬を飲んでいたのであれば、そもそも「戦術」が練られない。
ひたすら健康的であることが「父」に求められたのだ。
年金制度も「世代間仕送り式」(賦課方式)をとらなければ、父は薬を飲み始めるだろう。
「女心は大きすぎる」とカントは語ったが、死んだ女の「心」はあまりにも大きい。
高橋由美子 ときめき

女を口説くのがうまいというのは「痛みを知っている」という意味であり、「女の貞操を気にする」「女の美しさを気にする」というだけにとどまらず、「女と日頃から話をする」というのがファイナンスの基本となる。
「女は何のために生きているの?」ときかれた女は「アブラハムのためかもね」と答えた。
「処女かどうかを気にし」「美しさを気にし」「女心を知る」
これがファイナンスの基本であり、「息子を褒める」理由だった。
英雄を見たければ、お父さんを取り巻けばいいのだ。
父が女に不自由している、これが、「息子を虐げる」原因だったのだ。
「男らしさ」(合理論)から「女らしさ」(経験論)へと軸足を移すことが富につながるというのが「アブラハムとは何か?」の答えとなっている。
しかし、私が東大法学部在学中に「オタク」になったことへの周囲の失望感は大きかった。
ちいさな一歩で CoCo

日本国にキリスト教が浸透するはるか昔の話である。
「リングジェネラルシップ」というのは「セコンドがコーナーで伝えたことを実践する」しかも「それが有効性を見せる」というポイントのとり方である。
アメリカでは、コーナーでのインストラクションをすべて英語で公表している。
大学で「40日間水を断った」(女を断った)時に、異なる世界に足を踏み入れるのは楽しかったし、人種や性別を越える楽しみもあった。
当時は、中古CDショップめぐりをする人はあんがい多かったのだ。
彼らはことあるごとに「心の病気」を口にしたが、現在、もっともアクティブに「アブラハム」の時代を謳歌しているのは私かもしれない。
学生に「夢」を与えるとはどういうことか?
「あっという間に”国家レベル”まで飛躍するのだ」
キャンパスライフで世界と妥協できないのならね。
ゆっくり休養して「他人のために生きる」という発想を身につければいいだけだ。
ここでも「ゾロアスター教」が登場した。
ディズニーランドへ

メンタルクリニックに出入りするようになった私が見た風景は、深刻な表情をした、妖怪みたいな「プロ野球選手」「芸能人」たちであった。
しかし、家庭内最下位に位置づけられた私にとって、彼らは決して「スター」ではなく、「地の果てで見た妖怪たち」に過ぎなかった。
「芸能」「プロ野球」
のちに職業にするネタは学生の頃に出揃っていた。
失意のうちに大阪の祖母と京都旅行に行ったことがあるが、祖母は「政治家になるお人だ」とチャーターしたタクシー運転手に語っていた。
祖母自身が夫が中曽根康弘であり「政治家とは何か?」を熟知していたのだろう。
祖母は「京都旅行の写真をよこせ」とその後しつこく連絡してきた。
一年後に、弟がいる私の家に、小学校一年生と中学一年生の「生娘」を遊びによこしたが、遊郭出身の祖母が何を考えていたかはさっぱり分からない。
とにかく、祖母が私を高く評価していたことだけは分かった。
26歳になって、司法試験の短答式不合格を確認したら、私は休養を決断した。
とにかく、顔色が赤く、あるいは紫がかっており、肝臓が悪いのは明らかだった。
私の法律学には「まごころ」が失われていた。
そこで、顔色が真っ白になるのに一年かかった。
「他人のために生きる」
それだけが、過酷な学業の道を志した人間に課されたものだった。
二時間の試験を午前と午後に繰り返すのならばトップの成績が取れても、三時間半の試験には耐えられなかった。
短答式試験とは、いわば「健康診断」のようなものだったのだ。
27歳になり、顔色が真っ白になったわたしに周囲は怯えた。
敬語を使って年賀状をよこすものまで出る始末だった。
哲学の世界では、その人間の「サイキックフォース」以外に誰も興味がない。
サイキックフォースのある奴かどうかを、体つきから文章から見て判断している。
そこに、ユーモアが加わればかなり世界レベルの評価が与えられる。
ゾロアスター教と肝臓の関係について述べたが、肝臓の悪い人は「首からタオルをぶら下げている」人が多い。
ネクタイをする習慣を失ったとたん、肝臓を悪くしたり、脳卒中になったりすることもある。
ゾロアスター教関連の絵を見ていると、首の周りにリボンを巻いている絵が多い。
私も最近、顔が赤くなってきていて、脳卒中の気があったが、首からタオルをぶら下げたら「ヘパリン」という成分が大量に出て、意識を失いそうになったものの、しばらくしたら顔が真っ白になった。
ネクタイは男の習慣だが、女性の中に「肝臓が悪い」「脳卒中の気がある」「顔色が優れない」などの悩みのある人がいるのならば、首からタオルをぶら下げたりしたらいいだろう。

当時の私のBGM。

若さを無駄にする青年時代を描いたハイデガーや、一度きりの人生を主張したサルトル、女は嘘をつくということを語ったメルロ・ポンティ、痛みを感じたら人間は怒るとしたヤスパース、そして、「女なら街にいくらでもいるよ」としたボーボワール、これらの哲学者の言っていることを理解するのであれば、「アメリカ合衆国は国運をかけて応援する」とマシュー・ラトクリフェは語っている(2008年)。
それで、私もこうして生きているのだ。
数々の賞はもらったが、肉声を持たなければ意味がない。


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