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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2019年2月

2019年2月24日 (日)

愛国主義とは何か?

愛国主義とナショナリズムの区別は非常に難しい。
しかし、1980年代以降、ジョン・ロールズの登場により、「女」という要素が愛国主義に加わり、「国内の知的空間」を示すナショナリズムを、より「男にとって強度なものにし」「女にとっては吐き気がする可能性があるもの」が愛国主義となった。
①あなたの国をどう思いますか?
②あなたの国はどのようなものですか?
③国の快楽はあなたの快楽ですか?
④あなたの国の「女の扱い」を見て身を粉にして働けますか?
これが愛国主義である。
ナショナリズムの世界に「男が女を愛する気持ち」(経済)を持ち込んだのが愛国主義だ。
横田めぐみさんの拉致問題に「私は小児愛は持っていない」「女の側からは女を愛せない」という愛国主義が存在してもいいことになる。
それはまるで、自国の「女の扱い」が、他国よりも非常に傑出しているというアピールでもあったし、そこには「児童虐待」「死体遺棄事件」すら飲みこんで
高度な学習を行った民族だけが愛国心というものを持つことが許されるようだった。
ナショナリズムというものは「権力」を目指した攻撃的なものだった。
しかし、愛国心というものは「自国の女を守る」という防御的なものだったのだ。
俺の国の「女心の定義」(政治)は最高だ。他国に広めたいというのがナショナリズムであり、政治的なものであった。
しかし、愛国主義というものは「女を愛する気持ちを利用する」(経済)的観点から自国民が持つものだったのだ。
政治がナショナリズムであり、経済が愛国主義だということも可能だ。
愛国主義には「特定のヒロイン」が登場する。
しかし、ナショナリズムはあくまでも「一般論」だということも指摘できる。
「女心の定義」(政治)を他国に広めたいというのならば、仕事にも影響を与えるし、宗教にも影響を与える。
女心に詳しい男が信仰の対象となったからだ。
アメリカ合衆国は現在、中国ナショナリズムに揺さぶりを仕掛けている。
まるで「中国古典」に公然と挑戦状を叩きつけるような行為なのだ。
私も、「シルクロードの出発点はアメリカなのだろう」と中国の脆弱性を見ている。

ナショナリズム(垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。)


茨城県死体遺棄事件。
学術映像

「国」というものは「彼女」と呼ぶんだよ。
1980年代にジョン・ロールズは語っている。
ナショナリズムは「家族のメンバーの女心」も分かる知的なものである。
しかし、愛国主義はそうではない。
「愛国主義とは性欲を試されるようなものだ」
外国国家の「仕事」「政治」「家族のあり方」まで定義しようとするナショナリズムに対して、愛国主義とはまるで「性欲」ではないか?
「帝王学とは愛国主義から来るものではなく、ナショナリズムから来るものだ」
ナショナリズムに関しては、指導者は他の外国の指導者と笑いながら話せるが、愛国主義に関しては殴り合いになりかねない。
また、自国の内部においても「愛国主義」はセクト化しやすい側面がある。
自国の「性犯罪」に関しては、他国と乱闘騒ぎになりかねないのだ。
愛国主義は「マスターベーションと同じ気持ちよさ」を持っている。
それが「国がしてくれたこと」なのだ。
「性的マイノリティーの排除」が愛国主義においては行われるし、時には「女の排除」まで行われる。
健全な「男」になり、健全な「女」になることで自然に愛国心が身につくのならば、それに越したことはない。
指導者の力量次第だろう。
しかし、「風化させる」のであれば「男が女を愛する気持ち」を愛国主義の側が利用しきれなかったことを意味する。
愛国心といっても「愛国主義」と「ナショナリズム」の違いがある。
愛国主義者ではないと言ってもいいのだ。
どうしても「抜け」ない女を信じ込まされたり、お金をもらってしまったりするからね。
しかし、ナショナリストではないというのは「仕事」「家族」「政治」の力に関わるものだ。
イラクの「国民全員が愛している女」の胸をイランが晒した時には、もはや、妥協の余地のない愛国主義がイラクを支配して戦争になった。
このような時にはマザー・テレサ(イラク人女)や、国境のない医師団が何かを語らなければならないだろう。
思えば、1959年に、「肉声を持つアイドル」が、愛国主義の象徴とされていた。
単に、裸が美しいとかだけではなく、「女心」を率直に語れる女性が「新・愛国主義」と呼ばれる、戦争の火種となる恐れがあったのだ。

国会で「地位協定」という言葉を耳にするが、基本的には「道徳的地位」つまり、仲間が少ないという立場に置かれたものへの「性の風紀の戒め」を求めたものだ。
北ウィング 中森明菜

性の風紀の戒めという「地位協定」も、「おちんちんが汚れるのは仕方がない」として、「胚」という命のあり方を議論するものである。
孤立して「思考力を高める」人はいない。
そこで、男たちは「おちんちんを汚し」、女たちは「肉便器」などと呼ばれる行動を取る。
思考力が低下した時にできた「胚」をどのように扱うべきなのだろうか。
我々人間は常に「霊長類の祖」として、この問題と向き合わなければならない。
マイノリティの女たちはまるで動物のように扱われた。
G.E.ムーアは「留学とはまるで思考力を下げるためにするようなものだ」と語った。
うつ病や幻覚を経験するのが「留学」「海外派兵」であり、その状態でできる「命」を問題にするのが「地位協定」だったのだ。
雨のニューオリンズ 国生さゆり

「野党」「少数派」は常に「地位協定」を問題にする。
国会内部で思考力が下がっているからであろう。
社民党や共産党は、まるで、米軍に寄り添うように生きている。
自身の「生き方」を、米軍の地位協定に反映させるのを得意としているのだろう。
我々は常に「多数派の心をつかむ」ために議論をしている。
しかし、十代の頃にアメリカ留学に耐えられた私が、40代後半になって北京大学留学に耐えられるだろうか?
孤立とは「日本に帰ってきて”完全多数派”となったときの強さ」を見るために行うものだ。
横浜DeNAベイスターズの独身選手は、名古屋・大坂・広島に彼女がいるのだろうか?
コートダジュールで逢いましょう

キリスト教は「ビジター(アウェイ)で、おちんちんを汚さなかった男」であるイエスがホームに帰ってきてから活躍する様を描いている。
急激な思考力の低下を留学で経験するのは時にはいい効果をもたらす。
しかし、「おちんちんを汚さなかったら」の話だ。
「英語ワカリマセーン」という日本人が急激な減速と急激な加速を経験していないのは明らかである。
キリスト教は「国際化」を目指している。
そのためには「地位協定」を明確に理解しなければならない。
沖縄に来た米軍が、キリスト教とは何かを忘れてしまって破廉恥な行動を取るのは困る。
少数派的「地位」は、本国に帰った時に強さを見せるためにある。
40代後半になった私が「北京大学留学によって急激に思考力を下げる」ことを経験するのは人生に悪影響を与えるだろう。
進学校に身を置いて常に「多数派」として生きた方が成績はいい。
しかし、私は中堅校において「思考力の急激な減速と加速」を経験した。
20代前半と30代前半にも「急激な減速」を経験することはあったが、35歳の「プロモーションエイジ」でトップレベルの出世を決めて以来、孤立(急激な減速)はなくなった。
精神病院でも同じことがいえる。
世の中の多数派であるにもかかわらず、病棟という30名程度のメンバーの中では少数派にならざるを得ないことがあるのだ。
このような時に、思考力は下がる。
そのような状況を皮肉って「ピョンヤンダイアリー」というノートを私も作ったことがある。
「私はこういう人間で、このような生い立ちです」
ということをかなり動物的な側面にまでさかのぼって明らかにしなければならない。
もし、「地位協定」にしたがって、思考力の急激な減速と加速をしたのならば、漫画の世界がその人を放っておかないだろう。
「おちんちんを汚さなければ」の話であるが。
急激な加速は「勉強」に用いるのが十代であるが、それ以降は「恋ばな」に用いる。
二十代三十代の「加速」だけでも、通常の人間はついてこれないものだ。
映画「宝島」でも、五年間、孤島に放置された男がいて、将軍が「彼のメンタルは信用できるのだろうか?」と語る場面があるが、間違いなく「サイコパス」である。
しかし、サイコパスを経験しないと「急激な加速」もないのだ。
「多数派に属したときはまるで別人」
これがサイコパスの特徴だ。
他人を尊敬できた時、そして尊敬された時に初めて、人間の思考力は元に戻るとも言われる。
そして「参加しよう」と思ったのであれば合格であろう。
人生の「急激な加速」だけを考えながら、留学も海外派兵も行っている。
「日米地位協定」とは、アメリカ兵のためのものではないか?
留学・海外派兵におけるセックスは自分のためにはならないよ?
「地位協定」の背景にある哲学はこれだけだ。
飛んでイスタンブール

しかし、人間とは不思議なものだ。
圧倒的少数派に身を置いたとたん、多数派工作を始めたり、金儲けの方法を探し始めたりするのだ。
その国の「すべてのメンバー」が認めるわけではない「在日」などの独自の文化が形成されたりもする。
「在日朝鮮人」は、本来の朝鮮人にはない特徴を持っている。
「私は生きているよ」ということを下がった思考力で主張しているのだろう。
そもそも、「みんなと同じように振舞いたい」と考えるから思考力が下がるのだろう。
破廉恥な真似をする米兵ほど、日本に溶け込もうとしているのかもしれない。
そもそも、「裸になる」というのは「溶け込みたい」という最大限のアピールだろう。

そこにいて「楽しい」のならば、そもそも「地位協定」というものは必要ない。
みんなと趣味が合ったり、「その筋」での有名人ならばの話であるが。
「もっともいいアイデアを潰された」などからどうしても「少数派」というものは生まれる。
それならば「灘・開成」以外、みんな「地位協定」が必要になるだろう。
国立大学は「どの高校の内申書も同じ扱いをする」という形で、開成も十位以降になると東京医科歯科大学進学希望者が出てくる。
しかし、国内の少数派にまで「地位協定」を見出すことは可能なのであろうか?
鹿は「増えすぎると殺される」ものだ。
動物レベルにまで人間の「地位協定」は及んでいる。
「そもそも”多数派”って何?」という問いかけがなされた。
国内で「有数の」論客というものは、ほとんどいないし、いるとするのならば「最悪の少数派時代・暗黒時代」を経験しているのだろう。
「なぜ、世論は次男に味方するのか?」を長男は嘆いてはならない。
親が最大の味方だったはずだからである。
そもそも、親は上の子供に「地位協定」を作っている。
性に厳しい分、可愛がられているのだ。
女は「世論に味方されていない」長男を嫌うだろう。
あるいは、「父親が息子を潰し、母親が嫁をいびる」対象の筆頭に挙げられるだろう。
しかし、同居というものも「富のおすそ分け」ではないか?
富がどこにあるかは家庭によりけりだろうが。
高橋由美子 Will you marry me.

地位協定とは「親の金のばら撒き方の研究」なのだろうか?
親は「自分が多数派になる」ことを考えているのであり、それを「突破」できる息子が「生かされる」のであり「主よ、主よ、なぜわたしをお許しになられた」という言葉もある。
親は、ウサギを「絞める」ように簡単に息子を絞められたのだ。
外国における「地位協定」と、家庭内での「地位協定」は密接に関わっている。
外国で「思考力を下げて、加速させる方法を知っている男」は、家庭内の地位協定でもプロテクトされるのだ。
一度きりの「狭い窓」を突破するだけでその力は分かる。
問題は、お金によってプロテクトしているために「女たちが遠巻きに見ている」ということであり、「協定」を明確にしないと、お金がもらえなくなるということだろう。
親に人生を台無しにされた男が、いいご馳走を食べているものだよ。
これから拡大していこうとする男は、あんがい、貧しい生活をしているのだ。
翼を折られたのならばむしろ自由だろうが寂しいだろうね。
「もし、俺がヒーローだったのなら」
なんてことを考えてご馳走を食べている男が寂しがっているのだ。
翼の折れたエンジェル

とにかく、拡大局面にある男は周囲に「このあたりは何を考えているのか分からない」ということばかりで、「裏切り」と多く直面する。
「加速」を知っているのならば「協定」を使わない者はいない。
プロテクトされているのであれば、「地位協定」を作らなければ、よその子よりも先に肉親に殺されるだろう。

動物の場合も、「ペットとして飼われたもの」は、「人間ではないことを否定する」という形で地位協定というものを想定している。
ペットとして飼われるということそのものが思考力を下げるからだ。
「人間ではないことを否定」したペットでも、人間の「妊娠」の前には差別が存在する。
私の母は、姉に子供ができた時に「猫だって獣だ」と言って、可愛がっていた猫を動物病院に預けてしまった。
人間界に存在する「少数派」「地位協定」の意味をもっと掘り下げるのであれば、「ペットとして飼われていた」動物まで研究しなければならない。
少数派といっても「同じ人間」であるからだ。
馬やニワトリが「子供の友達になってしまう」ことはよく知られている。
子供自身が少数派だからだろう。
しかし、本来「戦う」ために生まれた「子犬」と友達になるのは、好ましいことではない。
しっかりとした躾が必要になってくるのだ。
うしろゆびさされ組

しかし、クラスの輪に溶け込んでいた男子が「子犬と友達になったら」クラスの女子は、「その男子の優しさ」を話題にするとされる。
「孤立感を募らせていた」という側面が見えるし、女子たちも「その男子は狙い目」と判断するからだ。
思考力を高めようとして子犬と友達になった男子をめぐって、女子たちは「地位協定」を模索しあった。
男子が「奴隷的扱い」を受けていることが、「女心」にまでデノミされると、女子たちはその男子をめぐって争うことになるからだ。
女子たちにとって「初体験」が目の前にあることを知ったので、真剣に地位協定について話し合っていた。
いずれにせよ、「地位協定」というものは、霊長類の祖である「人間」にだけ許された特権であり、生きていくことを楽にするものなのである。
地位協定というものは、少数派が「性に破廉恥な」行動をとることから必要になるものであるが、そもそも、仕事というものも、最初はなかなか職場に溶け込めないものである。
どの職場でも「少数派」からキャリアを始めなければならない。
「続けない」というのは「悪」である。
最初は、「両想い」の成立しがたい職場も、次第に慣れてくる。
地位協定というものは、「職場にまだ慣れていない」人にも必要になってくる。
通勤途中で音楽を聴いたり、自分を励ましたりしている人にも「地位協定」という形でよりスムーズに職場に溶け込めるようにする必要がある。
「人間というものはそれほどまでにあまえていいものなのだ」
ハートの条件 高橋由美子

職場の「女」が彼を受け入れるかどうかがいわば「地位協定」の基本であるが、男職場ではどうしても「武勇伝」が必要となってくる。
韓国軍によるレーダー照射などもそうだろう。
あるいは、かつての市川猿之助による、「渋谷のスクランブル交差点停電事件」なども、彼が「男社会」に身を置いていたからこそしでかしたことである。
より、ソフトで法律にかなった形で「職場になじむ」必要があり、広島カープの長野久義も「野球のこと以外ならば何でも聞いてくれ」と言っている。
つまりは「女」の存在が地位協定にはどうしても必要になってくるのだ。
我々はあくまでも「仕事」をしているのであって、「女の話」だけで仕事がうまく行くわけではない。
しかし、「女の話」が得意な男は「地位協定」を熟知しているものと思われる。
あるいは、そもそも職場ではなくデイケアなどでは「地位協定」だけで一日で溶け込んでしまうツワモノもいる。
男女は「仕事をともにしなければ」セックスは気持ちよくないとも言われる。
しかし、職場に溶け込むための「地位協定」の存在も知っておいていいだろう。
ウェルカム~ポップコーンラブ 高橋由美子


「軽減税率」
テイクアウトでは税金が安くて、イートインでは税金が高くなる。
このことは「日常の風景」「恒久的措置」とすることが何よりも重要である。
イートインをするお客さんは「エリートグループ」であり、男は「女連れ」である。
税金とは「セックスに課すもの」であることから、三度食事をおごったら「そういう話」になるということも含めて、女連れのエリートグループは、税金を誤魔化そうなどとは考えていない。
一方、一人の客が、テイクアウトですと言いながら店内で食べてしまうことにも問題はない。
「軽減」という単語は「読書」という意味をも含み、女を口説くための小説を読むという意味だ。
エリートグループではないことに、本人も気が付いており、店内で食べることを問題にするまでもなく、「おのずと落ち着くべき場所に落ち着く」(麻生財務大臣答弁)ということになる。
重要なのは「税金とはセックスに課すものである」という認識を持つことであり、テイクアウトですと言いながら、店内で食べてしまう「女連れではない」客を注意することはできないと言うことと、また、エリートグループがそのような反則をするのであれば、彼女がセックスさせてくれなくなるということから、「落ち着くべきところに落ち着く」ということであり、麻生大臣も「外国で何を言っていたかは分かりませんでしたが」と答弁しているが、ようするに、このようなかなり「下ネタ」的な説明があったものと思われる。
あと5分 高橋由美子

大事なことは、このような「軽減税率」を恒久化させるということと、エリートグループではない者を「笑いものにする」ことに人気を持たせることである。
そのことにより、男女が愛し合う機会も増えるし、消費税にとどまらない税収効果も期待できるのだ。
店内の「高級サロン化」にもつながるものだ。
女が「長話を聞いてもらい、お金をもらう」ことからパートナーというものは決まる。
「お金とは男が払うものである」ことを踏まえて、連れの女はそれを見ているということもしっかりと理解しなければならない。
「軽減」という言葉は「読書」という意味以外にも「取り戻す」という意味がある。
エリートグループではない自分が、税金を軽減されて、いつか自分を「取り戻す」ために税金が安くなるとも言われる。
男女の二元論の世界で、男一人でテイクアウトをし、いつか彼女にプロポーズするときには、高い税金を払うという意味合いがある。
高橋由美子 Will you marry me.

税金を安くするのは「学ばせるため」であり、これにも一理あるものだ。
このような「軽減税率」には多くのサポーターがいることを認めなければならない。
また、「テーブルと椅子は二人の女を比べるためにある」とも言われ、彼女連れの男(カップル)に、別の女が寄ってきて、その女目当てに別の男が登場するという形で、かなり巨大な人間の無限連鎖が繰り広げられるとも言われる。
その分、イートインは税金が高くなるという指摘があるのだ。
幸せにいちばん近い席 酒井法子

「軽減」という用語が「読書」という意味を持ち、さらには「取り戻す」という意味をも持つことは、イートインの方がはるかに得るものが多いということを示している。
いずれにせよ、若い男女たちの「宗教感情」に支えられているのが「軽減税率」であるという指摘は可能だ。
ある男にとっては、「いるもんだね、そういう男」という風にしかイートインする男は見えないかもしれない。
その辺は、加速度を問題にするニュートン物理学や、二人の男が別の動きをする、あるいは、遠く離れていても時は同じという相対性理論の問題という意味においては「地位協定」を結びながら生きていかざるを得ない「男」の議論と変わらないかもしれない。
「俺のなりをせせら笑うウェイター」もいるからね。
Rambling Man

テイクアウトする男は加速度が違うと考えて、むしろ「安上がり」の男に魅力を感じる女もいる。
「いつか彼とカフェでご一緒したい」と考える女がいるのだ。
日本国も、軽減税率が実現したら「音楽シーンのニューウェイブ」も始まるのだろう。
松浦亜弥 S君

口説き文句(哲学)の充実度を待ってからニューウェイブは始まったのだ。
女と違って文字を「心の目」で読むことができる男の「体系」を聞きたがる女たちがいた。
「あなたは何を犠牲にしてここに座っているの?」と男が聞いたら、女は身の上話を始めるだろう。
そこからが「哲学」の見せ所なのだ。
ニューウェイブは明らかにイートインを推進するものだ。
女は「胸」で話しを聞いていたようだった。
女腹か男腹かの違いは「胸」にあった。
「女の子を歓迎する文化」か「こんな男の子が欲しい」と思うかのどちらのリアクションを女が取るかは分からない。
男友達 モーニング娘。

軽減税率に関しては「隣人愛」という観点も指摘できる。
「妹」
それは常に、男性社会の「戦争」で後回しにされるものだ。
景気が悪い時は「妹」はカフェにも行けないのだ。
景気がよくなって「少しは他人を思いやろうかな?」と考えた時に、「妹」はカフェの扉を開く。
カフェが「エリートサークル」であることは事実であるが、一人の「妹」がカフェにいること自体、「好景気」を意味する。
軽減税率は「若い男女というサポーターがいる」ものであるが、若い女である「妹」が一人でカフェにいること自体、店のセールスにつながり、若い男も集まってくる。
「男性社会の戦争」「好景気」「隣人愛」の象徴が「一人でカフェの扉を開ける」ことであり、本来、「妹」は家庭内で最も低い扱いを受けるものなのだ。
「男性社会の肉食獣のような戦い」で身内の父や兄弟が勝利した時に、「妹」はカフェの扉を開けられるのだ。
優先順位で最下位の「妹」が来ること自体、好景気を示し、隣人愛の象徴と見られる。
家庭内のどこかからお金が放り込まれてきたのだ。
「妹」にカフェの扉を開けさせることは社会の勝利であり、臓器移植のニュースすら「いい知らせ」が届く。
兄や弟には子孫ができるという情報でもあり、それほど、「妹」の優先順位は低い。
親も男兄弟もわがままであるはずだ。
それでも、カフェの扉を開けることができるのは「男性社会の戦争」「好景気」「隣人愛」の勝利だった。
社会状況に連動した税金が「軽減税率」なのだ。
二十歳のバレンタイン 酒井法子

軽減税率に関しては、エリートサークルの男女が「セックスに税金を払う」ものであるが、カフェにいる男は、目の前の女の「二次関数」「二次曲線」つまり「裸」を知ってることになる。
それを目撃した女は、当然、「裸の計算」つまり「二次関数」「二次曲線」の計算を始める。
それは、男の魅力というよりも「女同士の裸の計算」だったのだ。
二次関数・二次曲線に共通していることは「左右対称であること」であろうか。
いずれにせよ、高校を卒業して、エリートサークルの仲間入りをしたければ、「裸の計算」をできなければならない。
石川ひとみ まちぶせ

軽減税率の話で、「セックスに税金を課すものだ」と語らせてもらったが、
「イートインとテイクアウト?大した問題ではないではないか」と思う人もいるだろう。
しかし、「税金とはこういうものだ」ということを知ってもらうだけでも、医療の「ユニバーサルアクセス」を可能にするのだ。
一度「争点」を理解するだけで、社会で快適に生きていく方法が分かるようになる。
軽減税率の議論の全体像を国会中継まで含めて見ていた人は「アイドル(偶像)は省庁を横断するものだ」ということを知ったであろうし、「このような論文を企業に提出すれば、株式を有利発行してもらえる」ことをも知る。
国会中継で「野党がその合理性を理解していなかった争点」を指摘する「国会ファン」が大勢いるだけで、医療の「ユニバーサルアクセス」は可能となる。
きんさんぎんさんの「ぎんさん」は趣味は「国会中継を見ること」だったであろう。
それは「お医者さん崇拝」を意味したであろうし、長寿を約束した。
おじいちゃんis watching TV

カナダやヨーロッパでは「医療のために」議会の映像を中継しているが、ドイツでは「民間の保険会社がスポンサーとなって」議会の映像を中継している。
イギリスやノルウェーでは「民間企業」がスポンサーとなっている。
これらの民間企業は「国からの財政」の支援を受けることを目的としている。
議会の議論を「公の争点」とすることは国からの支援を受けることを意味する。
ドイツはともかく、カナダやノルウェーはユニバーサルアクセスを達成していない。
イギリスも民間の保険がこれを補う形となっている。
アメリカ合衆国は、自国の議会を「全米市民が関心を寄せるのは困難」としてユニバーサルアクセスを断念し、その代わり「やり方」を2003年に世界に公表している。
酒井法子 リアル

「国会中継を見て、評論して、メジャーになった男」が大勢いるのがこれらの国であり、そのような人は、「ぎんさん」も含めて、医療の現場で「特待生」として扱われている。
医療の現場ほど「お金の出所」に敏感な連中はいないのだ。
「政治意識が高い年寄りほど長生きする」
「あんがい医療は不平等」
これを体現しているのが今の日本国ではないだろうか。
国会中継を「鮮やかに斬れ」ば企業も株を出し惜しまないのだ。
いつしか外国国家も、日本国を「単一民族国家」と呼ぶようになった。
すべては「国会中継」が理由なのだ。
年寄りは「病院の待ち時間が面倒なだけ、旅行で特別扱いされたいだけ」のために国会中継を見ていたが、それでも、国にとっては非常にありがたい「争点提起」がなされた。
マスコミも「年寄りからの指摘」で番組作りをやっている。
「電凸奥様」はその子供と言っていい。
「死にたくない」
それだけの理由で国が栄えるのだから、さすがは単一民族国家だ。
「夫が必要としているのは健康だけだ」ということを達観しているのが「電凸奥様」なのだ。
問題は、「最近の曲が分からない」という年寄りが多いことであり、私も最近はその部類の仲間入りをしつつある。
しかし、1990年代までをフォローしていれば「知らないモチーフはない」と言っていい。
カタチから入ろう 酒井法子

「医療の現場の特待生」は、生活保護になっても「役所から金を借りる」という発想を持っている。
国会中継さえ「斬って」くれれば、企業も銀行も待遇を変えてくる。
日本国は「必要な人」を生かしてきた。
政治コミュニティーもそうであるが、民間人でもそれは同じだ。
長生きしている年寄りは、東大生などまるで赤子の手をひねるように扱うであろう。
しかし、一方で、「東京帝国大学」に頭が上がらないのが年寄りというものだ。


少数派に心を寄せるという「地位協定」の研究も、最終的には「キメラ」(人間と動物の交配)にまで到達した。
ギリシャ神話においては、ライオンの頭を持ち、ヤギの胴体を持つ動物が登場するが、問題意識はすでに共有されていたものと思われる。
人間として生まれて、そのことを楽しむために、キメラというものを生み出していいのだろうか?
答えは「面白くない」というものだった。
チンパンジーと人間の交配であるオリバーの物語にせよ、エレファントマンにせよ、描いてみた結果、「面白くない」のである。
「胚」の作り方は技術的に確立していても、なにしろ、人間と動物の交配を行ったところで、「人間ほどの学習能力がない」生き物が生まれるだけなのだ。
オリバーも、笑顔を浮かべたり、直立したりすることが珍しくて、銀座に人だかりができたり、テレビで取り上げられるなどのブームを起こしたことがあるが、
長い目で見ると「面白くない」ことが分かってきた。
興行師の庚芳夫はその場限りの仲間ができても、オリバーはその後、製薬会社をたらいまわしにされて実験に用いられ、足腰が立たなくなっている。
庚芳夫氏に「男らしくない」という意見が出されたし、神の意思に反しているとも言われた。
「勉強やスポーツができる男の子」が宗教の起源だよね、と言われ、笑ったり直立できたりするだけのチンパンジーには何のニーズもなかった。
人間に似た特徴を持っているチンパンジーというものは見世物に過ぎなかった。
見世物、これがキメラに与えられた「地位協定」だったのだ。
ジェイソン・ロバートは2003年に「キメラを作るのは技術的には可能だが、何のメリットもない」という見解を出している。
我々は宗教の側から「人間か人間でないか」を論じているのであり、その境界線など必要としていないとしたのだ。
人間と動物の境界線にある生き物からは「何の特許も与えない」ことになった。
キメラの物珍しさから、人が集まってきては離れていくなど、不毛な争いも生じた。
オリバーの場合は「セックスしたい」と言ったAV女優までいた。
しかし、誰も、オリバーの生涯には責任を取らなかった。
「グレートチンパンジー」というジャンルを作ろうとした人はいた。
グレートチンパンジーが共存することが模索されたのだ。
しかし、グレートチンパンジーも「言葉を持たない」という意味では「恋愛ができない」ということを意味した。
「はじめに言葉ありき」というのであれば、動物となんら変わるところはない。
人間は「多数派工作」をする生き物だ。
しかし、人間の多数派工作にオリバーやエレファントマンは「怖さ」「危うさ」しかもたらさなかった。
キメラの研究をした後になって、研究者たちは「人間の障害者の研究をした方がいい」と考え始めたし、看護師を見て「常識」を知ったのだ。
ギリシャ神話も「人間、あまりにも人間的な」世界の研究に戻るように教えていた。
そのようにして、キメラの研究はもはや「過去の産物」と化したのだ。
【人間同士愛し合いなさい】
これが「地位協定」の最後の結論でもあった。
パーティ・イズ・オーバー 高橋由美子

2019年2月19日 (火)

プロ野球のシーズンですね。

「二刀流は高校生まで」
自分で投げれるものは自分で打てる。
本来、人間の運動神経とはそのようにできていた。
しかし、「女たちの声援」「メディア」の二つが加わると、とてもではないが、「自分で投げられるものも打てなくなる」のがプロというものだ。
ピッチャーの打撃にまで「女たちの声援」「メディア」が反応しなければ、「二刀流」は生まれない。
大谷翔平の二刀流

投げる真実と打つ真実が異なってくる。
これが「女たちの声援」と「メディア」という二重の「お金の問題」となってくる、「女たちの声援」「メディア」の二つが「噂」を引き起こしている。
「算数が得意」という時代と「数学が得意」という時代は「女たちの声援」「メディア」が異なる。
東大は算数で合格するものではない。
イチロー レーザービーム

算数は「女たちの声援」「メディア」があまり発達していない世界だ。
しかし、数学はこれが高度に発達している。
つまり、男は「おちんちんのおもむくまま」に努力できるのだ。
「女たちの声援」「メディア」が反応し始めると、「人生を邪魔してやれ」という女も出てくる。
「なぜこれが自分にとって真実なのか?」
これを、プロはコメントで残すことになる。
ヨハネとマリアがキスをしていた。
この事実と異なる「噂」が出てきたのでは困る。
「女たちの声援」「メディア」の二つにかく乱要素が出てきたら二刀流は成立しなくなる。
ピンクのモーツァルト 松田聖子

東大に入ると、今までの「算数」「数学」ゲームの様相がガラリと変わる。
まず、就職しないと女たちに「時間切れ」が生じること。
さらには、「メディア」が存在しないこと。
あるいは、大学というものが「大人への入り口」だとすると、「メディアデビュー一年生」から始めなければならないこと。
このことから、自分にとっての「真実」を作る作業も仕切りなおしとなる。
たとえば、就職の時期を逃して、司法試験を受けることにするのであれば、有斐閣の「法学教室」を読むなどして、「私が正解」という文章と接していなければならない。
そうでなければ、アメリカの大学(ハーバード・スタンフォード)の情報と接して、「私が正解」という文章を書くための皮膚感覚は磨かれないのだ。
マリアは常にヨハネにキスしなくてはならない。
本来、有斐閣の「法学教室」「ジュリスト」は、四日市ぜんそく事件の時に作られている。
東洋最大の石油コンビナートが四日市にできた時に、ぜんそくが蔓延したのだ。
しかし、東洋最大の石油コンビナートを訴えることは、国を敵に回すことであった。
年寄りの凄惨な死を目の当たりにして、国を訴えた原告はわずか「9名」だった。
この命がけの行いにアカデミズムの側が共鳴して「法律雑誌」というものを作ることにした。
「法学教室」「ジュリスト」の誕生秘話はこのようなものであっても、学生の側が「常に最高の先生につく」「メディアの寵児であり続ける」「女たちの声援を失わない」という効果が明らかになったのは2005年ごろの話であった。
法律雑誌を読む上では、憲法・民法・刑法などにとどまらず、労働法・知的財産法・独占禁止法なども「食わず嫌い」せずに読んだ方が「視野の広さ」を維持できるし、思考力が下がらなくてすむ。
「メディアの寵児であり続ける」「女たちの声援を失わない」というプロ意識が、
そのまま宗教の世界になだれ込んだのは「スタンフォード哲学百科事典」との出会いがあったからである。
法律の世界で培った「私が正解」を、哲学の世界で生かしていくだけなのだ。
宗教学上「宗教という定義はない」とされている。
哲学には「永遠」があるし、宗教には「永遠」がない。
しかし、哲学に周囲が宗教感情を感じるのであれば「永遠の宗教」となるだろう。
私は、昨年の「紀州のドンファン」事件で、「お前より俺の方が女にモテる」というのが担保だとし、「債務不履行を引き起こしたら保証人に女関係が全部バレる」という
保証の問題点を明らかにし、逮捕Xデーが取りざたされていた「ドンファンの妻」の冤罪を明らかにした。
論点は「担保」「保証」であり、事件ごとに「憲章」が作られる。
「憲章」作りは、若い時期に、どれほど一流の学者に教わったかにかなり依存している。
とにかく「女たちの声援」「メディア」の二つを味方につけながら「おちんちんのおもむくまま」という仕組みを作ることを心がけなければならないのだ。

大坂なおみの敗因。

男が二人の「女」を比べることを「アイデア」と呼ぶ。
比べられて「ボディ」で負けたら、女は「彼女のボディと私はどう違うのだろう?」と悩むだろう。
カーニヴァル(3:54から)

女が二人の「男」を比べることを「モード」と呼ぶ。
比べられて「知恵」で負けたら、男は「自分の人生まで振り返り尾を引く」だろう。
B'z TIME

バラク・オバマもデビット・キャメロンも、「ネタを提供してくれる」という意味ではサンタクロースだった。
しかも、「オバマは民主党だ」というだけで、「民主党とは何か?」という議論が生じるために、サンタクロースだったのだ。
女は「レイプされた時」「女嫌いの男がいたとき」以外に神に失望する理由はない。
「オバマは民主党だ」
このことだけで、セックスの問題が取り上げられ、黒人ヒスパニックへのID着用義務付け反対などの政治の議論が可能となる。
「オバマ・京都・キリマンジャロ山」の三つの言葉は現在の世界の「三大サンタクロース」だと言っていい。
ユニークなヒゲをしたジョリー・エルフが北極に住んでいるだけかもしれない。
みんな、毎日の生活を送り、毎日の仕事をしている。
しかし、論文を書くとなると、人々は「引用」というものを行うため、テレビに出演させられる。
ブレキシトの生活保護受給者であるデビット・キャメロンも論文を書いた。
生活保護を受けているのにイギリスの首相というのはズルくないか?と住民投票が起きた。
「音符でできた言葉」
それは女の子から主婦層までが「サンタクロース」だと考えた。
四月は風の旅人

「女」をクリエイトした後に「男」をクリエイトするのがクリエイターの基本だ。
なぜなら、ナポレオンも「女」「女心」のクリエイターだったし、そうでなければ「男」としての人物像が特定できないのだ。
「女」を先にクリエイトしないと「政治」(女心の定義)が誕生しないだろう。
安倍晋三は「白い肌」を知っていたし、枝野幸男は「怖いばあさん」を知っていたかもしれないが、どのような女性観を持っているにせよ、「女のクリエイトの方が先」というのが政治というものだ。
教室では「運動ができる」「勉強ができる」男子がいるおかげで「女らしくなれる」のが女子というものだ。
しかし、世界史というものを学ぶのであれば「女のクリエイトの方が先」ということは知らなければならない。
オバマは女に詳しかった。京都には舞妓さんがいる。キリマンジャロコーヒーに女たちは感じた。
ハンプティダンプティは、論文を書くだけでイケメン俳優になれた(ハンプティダンプティ問題)。
「お母さん嫌い、お父さん好き」
これが「女らしさ」の秘密だった。
家庭内で「お父さんを起点として」「お母さんと女らしさを競う」ここに、「美人の誕生」がなされた。
女のストーリーを描くのであれば、女は「狙える」瞬間があることを知るだろう。
バレンタインキッス 国生さゆり

日本国は「女のあえぎ」(デフレ)に満ちている。
感じない女が増える(インフレ)ことがなければ、株価が上がることはないだろう。
デフレ(女があえぐこと)が常識となった時に、男女ともに「飽きた」と言い出して、税収が伸び悩んだ時期がある。
デフレ社会を迎えるたびに、男女ともに「飽きた」と言い始めるため、
「女をクリエイトしなおす」という作業が必要となってくる。
私が「女をクリエイト」するたびに、株価が上がり、DeNAベイスターズが勝つ時期があったため楽しかったが、逆に男女ともに「飽きた」という時期が来るため、「逆張りの思考」が必要となることもある。
論文と社会が「どのようなゲームを行っているのか?」を知る必要があるし、そのあたりは経験というものだろう。

男は「女を愛するほど弱くはない」とされる。
しかし、弱った男は女を愛する。
女をクリエイトし終わった世界史は、現段階では「男のクリエイト」の方が強いのかもしれない。
米津玄師 Lemon

しかし、スタンフォードはあくまでも「女」にこだわり続けている。
有効性は「失敗してから」疑ってくれ、と言わんばかりだ。

大学は高い授業料を取ったのでは金持ちの子供しか行けない。
大学は高い授業料を取る。
だったら、金持ちの子供しか大学に行けない。

大学というところでは、男女が共存しており、やっている作業は「仕事」である。
カリキュラムも、中学高校ほどカチッとしたものはなく、男女で「仕事」をしてもらいたいのだ。
講義に出てきてくれなければ男女の「仕事」が成り立たないだろう。

白鳥は白い。
白鳥は滑らかだ。
だったら、白は滑らかだ。

これは間違っている。
いかに「人気のある」結論を出すかが仕事である。
黒だって滑らかなことがあるからだ。
仕事には「人気」が必要なのだ。
中学や高校とは違う「人気」の研究という要素が大学には加わる。
片想いの終わりに 亀井絵里

xは水である。
水はH2Oである。
だったら、xはH2Oである。

これも、水よりもコーラが大好きで、大雑把にコーラを「水」と呼ぶ可能性がある。
酒井法子 すごすぎる

ペテロは、グレッグの母親の兄弟の息子だ。
だったら、ペテロはグレッグのいとこである。

これも、「女性」というものを媒介にしているために必ずしも真理ではないが、
「ようするに自分に人気が出ればいい」という定義となっている。

凡人ではマスターベーションができない。
しかし、反則を使う人でマスターベーションができる。
反則を使う人は凡人ではない。

つまり、「いとこ」という言葉を巧みに使う者、高校の同級生という言葉を巧みに使う者は凡人ではないということだ。

私は「父が石原慎太郎と名乗って政治活動をしていた」のだ。
しかし、石原四兄弟とは面識がない。
【証明したければ自分の人気で証明してくれ】
これが「仕事」の正体なのだ。
どの仕事も人気商売であり、女たちとよく話をしなければ皮膚感覚は身につかない。
こんな事でも言ってみようかな 酒井法子


【壮大なテーマ】

2019年2月17日 (日)

ピッパラの木の下で。

私の母方の祖母が、中曽根康弘の妻でして、熱心な真言宗の信者でした。
仏壇にいつも何か祈っていて、天台宗の家に嫁いでもその習慣は変わりませんでした。
真言というのは「歌謡曲のマップ」(曼荼羅)を持っている宗教ですが、祖母はそもそも「田畑の質に遊郭に身を売られる」という経験の持ち主でして、大審院判事の三島中州が「そのような者は借金を踏み倒してもよい」という判決を下してからのご縁で三島家からも小野家に嫁が来るようになっています。
ベトナムなどでは「裁判官に賄賂を贈ってはならない」などという法律がいまだにありますが、昔の日本では裁判官に賄賂を贈ることがあったのでしょうか。
いずれにせよ、芸娼妓契約事件の当事者が私の母方の祖母でして、いわば、「芸能界の祖先」とも言える人でした。
自分が親にされたことを娘にもしてしまう。
これは自分に自信がないから親が行ってしまうことでありまして、私の母は「リリィ」という歌手でしたし、姉は浅香唯、妹は倉木麻衣という芸名で活動していました。
私の母、リリィは、私が幼稚園にいた頃に、髪をバッサリと切っています。
この時に、お金の面でも、子育ての都合においても「母方の祖母」の軍門に下っています。
姉や妹にも髪が短いことをからかわれ「戦いやすい相手」となったのは事実です。

リリィ

浅香唯

倉木麻衣

すべては母方の祖母の「芸娼妓契約事件」が事の発端でした。
立憲政友会ともつながりがあったらしく、三菱ギャランとかラムダとか「三菱」の車を常に乗り回していました。

一方、私の父方の祖父は昭和天皇でして、祖母は香淳皇后(遊佐道子)でした。
遊佐道子も、人身売買のような目にあったのでしょうか。
長女の佐紀子がのちに「美智子」と名乗って天皇家で権勢を振るっています。
佐紀子は松田聖子や志村けんの実母でしてその資格があったのです。
また、三女の杏子の娘は酒井法子や松野有里巳です。
昭和天皇(小野鉄之助)の孫は22名いますが、国立大学に合格したのは私一人で、東大法学部です。
昨年、実家に帰った時に、父から「父方の祖母のノート」を見せられました。
イラストで可愛らしい女性の顔が描かれていて、今で言うと「この顔でテレビに出す」というデジタルイメージが描かれていたのです。
おそらく松田聖子のデジタルイメージでしょうか。
ノートの中身は「バイロンの詩」がびっしり書き込まれていました。
松田聖子の音楽作品の元ネタは「バイロンの詩」にあったのです。
松田聖子 赤いスイートピー

私は、中学の時に、一学年上の姉(浅香唯)が少年院に入ったこともあり、ひどい虐めに遭いました。
毎日、学校から帰ってくると胃から出血していたために黒い便が出て、失神していたのです。
登校拒否もしましたが、勉強が好きで、何とか横浜市立南高校に拾ってもらいました。
高校でも虐めに遭いましたが、それは、学年で三位に入るほど成績が良かったからでした。
高校二年の時にアメリカに留学しましたが、アユサインターナショナルという企画で留学しました。
この企画は、当時の任天堂が「華族子弟に芸能界を知ってもらいたい」という趣旨で行ったもので、試験は五次試験ぐらいまである難関でしたが、いるのは華族子弟かおニャン子クラブのメンバーでした。
富川春美とか立見里香などがいました。
富川春美(中央)

留学を終えて、私は筋骨隆々、英語が堪能になっていました。
「学年三位だったのに留年などしてられるか」と言って高校を中退し、三ヶ月の勉強で大検に合格しています。
翌年、事実上、「高校二年生で東大文一を受ける」ということをやってから、母方の祖母と父方の祖母の喧嘩が勃発しました。
母方の祖母は「Wink」をフルに動員し、父方の祖母は「酒井法子」を動員してきました。
祖母は、私には一切お金はくれませんでしたが「悪い遊びに使うのは良くない」という考えがあったものと思われます。
この「PV」でも「Boys be anbitious! I love you. WINK」と書かれています。
WINK Boys don't cry

一方、父方の祖母は、私が留学生活を「どのように楽しんでいたか」まで研究して酒井法子さんに詩を提供していました。
私が「女子たちがいる前で海に向かって石を投げていた」「カヌー遊びをやった」などです。
酒井法子 もうすぐの予感

東京大学に裏口入学はありません。
しかし、歌謡曲をセールスにかけて「納税する」という形で、間接的に「お金のかかった子」を作り出すことは、私が高校生の頃に国連で認められています。
そのようにして「文Ⅰ12位合格」という結果が出ています。
中曽根康弘の家に遊びに行ったら、中曽根は「すごいなすごいな」をうわごとを言っていました。
人生の、十代は「アレグロ」であり、二十代は「アンダンテ」です。
私ももう50歳に近づいていますが、今後も、手を変え品を変え「アレグロ」を繰り返しながら生きるものと思われます。
それほど、人間にとって「十代」というのは大事な時期なのです。

なぜ、このような話をしたかというと、ブッダは「輪廻転生」というものを考えましたが、「一度でいいから自分の人生・アイデンティティを確立する」ことによって、輪廻転生から追い出す(カルマ)、あるいは「苦のない世界」(涅槃)というものを、非常に「苦」に満ちた人生によって実現させた人物であるからです。
「今度生まれ変わる時には」ということを想定しない人生こそが最もいいと考えたのがブッダでした。
「苦がある」「苦には原因がある」「苦がなくなることがある」「苦をなくす方法がある」
勉強はみんなつらい。
しかし、「最も簡単な方法があるはずだ」
「伝説からの教えをうける」(カルマ)。
いちばんいい指導者から教えを受ければ簡単に栄光に包まれることが可能である。
学ぶ時にも「無我」になれる。
ガチンコファイトクラブ4期生もそれを求めていたように見える。
竹原は決して「世界を見せてくれる」指導者ではなかった。
ガチンコファイトクラブ

「恋」の世界では「知識」というものは人気のあるものだ。
私も、お互いにパートナーや子供がいるのに、「基地のアンテナとFENのニュース」に憧れた女に「バカげた恋」をされたことがある。
つまり「どんなに知識があっても、私の心までは分からないのでしょう?」という女の「恋心」というのがあるのだ。
思えば、私も、中学高校時代に「恋」をした女子は「自分よりも成績のいい」女子だった。
Qlair パジャマでドライブ

恋の入り口は「内省」(マスターベーション)である。
頭の良すぎる人がどんな「恋」をするのかは実は明らかではない。
メソジストというのは、「恋をした彼氏についていこうという女子の心理」を利用して「先生や教え方を間違えないようにしよう」という立場である。
ユングやフロイトの場合

メソジストの立場に立つのならば、当然、ヨーロッパを見なければ、土台のしっかりとした学問体系はないため、キリスト教に立脚しなければならないわけである。
また、成績だけで入学者を決めていたのでは「男ばかり」のキャンパスになりかねないため、しっかりと、女子もうまい具合に入学させなければならない。
野郎ばかりの教室では、講義に出ようというモチベーションもなくなるかもしれない。
私も、1990年文Ⅰ文Ⅱ二組Eには、「女子はたったの二人」だった。
実力主義だと当然、キャンパスはこのようなものになる。
東大はメソジストの立場には立っていなかったのだ。

また、恋は「いつも同じクラスにいる人に、家で眠っている時にするものだ」とも言われる。
「いつもいる」ということと、「眠る」ということが必要になってくる。
「一目惚れ」と「恋」は異なるものだ。
しかも「マスターベーション」をしなければ「恥らう」理由もないのだ。
自分の「知識」を完成させたいから「恋」をするとも言われる。
「自分にないものを持っている」というのもあながち的外れではない。
高橋由美子 エチュード

完璧な「知」への道のりに「恋」というものはあるが、セックスで失敗するととんでもない遠回りをする羽目になる。
友達より遠い人 三浦理恵子

「恋は楽しい」それは「完璧な知識」つまり「神」を求める旅路だからである。
しかし、大学教授など「完璧な知識の体系」を構築した人は、「人間の愚かさ」に恋をすることがあるとされる。
女学生であったり、クラブの姉ちゃんだったりだ。
八月最初の水曜日 渡辺満里奈

いずれにせよ、人間は「恋をした対象」によって「自分に足りないものは何か?」を知るのである。
好きな先輩

すべての言葉は「財産」である。私有財産とは「セックス」である。
レベッカ ヴァージニティ

みんなが「好きな」もの、そして「推測させる」こと、制約が多いこと、お金をばら撒くこと、そして、「関係」が問われること。
文法とは「制約」のことであり、みんなが「好きな」ものを「推測」しながら、「言葉」というお金をばら撒いている。
すべての「物」に霊が宿るとするのであれば、すべての物が「四文字」「ちんちん」となんらかの関係を持っている。
ペニスエンビー、つまり「おちんちん」が女の子や女たちにどれほど人気があるのかを理解しなければ「言語」というものは分からないだろう。
さよなら失恋ピエロくん

私は東大入試の時に、国語辞典で頭の中の日本語を書き換えたことがあるが、おのずから、世の中の女子の「ペニスエンビー」を学ばされたことになる。

そのうえで、口説き文句(哲学)が、より「魅力」がなければならなくなったし、アリストテレスは「男女の共存する社会」を構築し、女が「男二人を比べることができる」ようにした。
ここで、言語は一気に発展したのだ。
真夏のフェミニスト ribbon

「男」は価値のある生き物だ。
ソクラテスは男だ。
ソクラテスは価値のある生き物だ。

「走る」とは社会参加を意味する。
ソクラテスは走っている。
ソクラテスは社会参加している。

このように「言語」は作られたし、脳は言語と似た構造を持っている。
しかし、人間の心とは必ずしも「論証研究」の対象とするものではなかった。
人間の「思考」は論理学ではなかったのだ。

それを踏まえたうえで「キスから胸に進めるのは当然なのだろうか?」という「上達」というものが言語の世界に入ってきた。
渡辺美奈代 Too Adult

文法を踏まえていること。
その上で、女たちの「ペニスエンビー」を巧みに利用すること。
これが「論理の飛躍に見えて、議論として成立する」言葉の正体である。
ソクラテスは、どの女の胸も揉んでいない。ひたすら走り続けていた。
しかし、「ソクラテスのような男たち」に「上達とは何か?」を教え続けた。
男性ボーカルは「しゃぶれ、しゃぶれ」というだけなので、耐えられない男もいると思う。
アルフィー サファイアの瞳

プロポーズとは、「教祖の王冠を打ち砕いてやる」という文言を含むものだ。
教祖を信じている、教祖が何を言っているか分かっている。
そして、「教祖を恐れている」。
そのような男が、彼女に「教祖の王冠を打ち砕いてやる」と言うのをプロポーズという。
縁結びの神さまとはそのような存在である。
日枝神社や山王神社、日吉大社の「オオヤマクイ」とはそのような神さまであり、なかなか、日枝神社結婚式場の「神」となれる皇族はいないんじゃないかな。

ルイーズは「スーパーマンは強い」と信じている。
「クラークケントは強いとは信じていない」
しかし、「クラークケントは弱い」とも信じていない。
クラークケントはなぜ強いのだろうか?
彼女が「お腹すいた」というだけで、食材を買うお金を出してくれるからだ。
オオヤマクイの「王冠を打ち砕く」作業をやっているうちにおのずとお金が出てくる。
彼女は、「オオヤマクイよりも彼氏が神さま」と思うようになる。
酒井法子 涙が止まらない

空腹を満たさなければ、どの女も「セックスしたい」とは思わないものだ。
国民が愛し合う方向に誘導したアウグスティヌスも「食欲」にだけは気が付かなかった。
女の「お腹すいた」はまるで瞬間接着剤のようだった。
「俺は右翼だ」といっても、女は信じないだろう。
しかし、食材を買うお金をくれた時にようやく男は「新・右翼」と呼ばれるようになる。
オオヤマクイを知り、信じ、恐れ、「王冠を打ち砕く」とまで言った男にはそのような生活が約束されるのだ。
街宣車で喚いている男とは異なる「男」が、皇城の鎮にはいた。
「新・右翼」はクラークケントのようなサラリーマンだった。
街宣車の男を笑い物にするほど豊かなのだ。
ガリレオは「それでも私(地球)は(他の女に)動いている」と言った。
しかし、ルイーズは「スーパーマンは強い」と信じているのだ。
妻が病気になって怖くなって浮気する男は確かにいる。
しかし、オオヤマクイが何か医学に関する発言はしていた。
宗教を制したオオヤマクイは「女の食欲」を満たした。
医学を制したオオヤマクイは「壊れていく妻」も恐れてはいなかった。
そのような、クラークケントがモテないわけがなかった。
女に不自由はしなかったが、メンタルの健康の維持にはいいだろう。

セット理論は、貧しい生い立ちの学歴男に彼女を与えるためにある。
ストイシズムと、いい指導者に教えてもらっているポテンシャルが、毛並みのいい男とは異なる。
哲学が最後に目指したのはセット理論であり、オオヤマクイを信じている、よく知っている、恐れている「男」にこそ、女は惚れるものであるとした。
松田聖子 Kimono beat

カップルには必ず「ひとりの女」が寄ってくる。
カップルの男の方が「猥談」さえしなければ、かならず「ひとりの女」が寄ってくるのだ。
ひとりの女が寄ってくるということは「もうひとりの男が寄ってくる」ことを意味する。
この「仲間の無限連鎖」もお金との相談だとするのならば、男は仕事をしなければならない。
男の仕事の「強さ」次第で、無限連鎖は続くのだ。
無限連鎖講は、お金を巻き上げるために考えられたが、セット理論は「お金をばら撒く」ために考えられた。
幸せにいちばん近い席 酒井法子

最近は、精神病の治し方が明らかになってきており、一昔前ならば「目的を持たない」、最近では「外で異性と話す」ことが治し方の通説を形成してきたため、精神病という呼び名も「精神的不調」程度に緩和されてきた。
周囲の女たちの異常なまでの感情にさらされたり、女でも「男たちの感情」にさらされることから、統合失調症・うつ病・強迫神経症・性病・セックス依存症などが見られるようになることが分かった。
このことから、医学や国土交通が作られたし、いろんな人がいるからねという人類学の研究や心理学の研究は進んだ。
勉強ができると女たちにモテる。
しかし、勉強しすぎたらどうなるのだろうか?
物事の解釈に「ズレ」が生じてきたり、勝負事に弱くなったりする兆候が見られたら精神的不調が生じたと考えた方がいい。
病んでいても言えない本音 筒香

精神病という表現は「負の側面」を含まれているため、「周囲の男女の感情にさらされる」ことが原因であるとして、精神的不調という表現にとどめることにしたのだ。
そして、その「発病」は「暴れる」などの表現から始まることが多い。
いじめられた男が語る「女の話」を読むと気分がよくなることは指摘していい。
「いじめる側」が書く読み物にはニーズなどないし、「女の話」もつまらない。
キリスト教の「人気」の秘密はここにあるし、神道や仏教もこのことを理解しなければならない。
女の場合は「愛情が急激に去っていくのが切ない」などの理由で病むことがある。
男の場合は「どのように?」が一定程度確立しているが、女の場合はそうではない。
このあたりに、スタンフォードが「女」にこだわる理由もありそうだ。
研究者自身が「ギリギリ」のネジがぶっ飛んだ状態であるため、「女の話の方がいい」と判断しているほどの高水準であり、「男のクリエイション」など考えてはいない。
「女心の定義」(政治)を行うのであれば、勝負事ではあるけれど、結果責任というよりは
「適当に」結果を見守るしかない。
まるで、コンピュータープロセッサーのようにスタンフォードも「女心」を語れるが、
しかし、過酷ないじめが生み出した産物であり、女たちが「キレイになる」世代を
狙って言葉を発する以外に研究者としての生きがいはない。
世紀末の天使 ribbon

ジャンル分けするのであれば、「性概念」についてまず明らかにし、
その上で「勉強ができたのかできなかったのか?」を明らかにする。
さらに、「自分が何を失ったのか?」を明らかにする。
そして、それが「生きるうえで絶対に必要なものだったのか?」を明確にする。
我々も、スタンフォードに入って「勉強しすぎたのがよくなかった」と大雑把に考えていたが、日本国の芸能界の現状を知って考えを改めたのだ。
「哲学者の歴史はスターの歴史だ」
ということを踏まえるのであれば、当然、「精神病患者の歴史」であったことを認めなければならない。
病気にならないためには「勉強ができなければならない」というのは基本にしなければならない。
なぜならば「人気を維持する」ことがいちばん健康だということが分かったからだ。
人々は「キチガイ」に怯え、本人は「キチガイ」と言われることに怯えている。
そのような歴史が「精神病」に存在したため、我々は今となっては「勉強はできるのか?」をアフターケアのために問題にしなければならないのだ。
「ただ生きているだけ」「いじめっ子」「何も学ばなかった」
ことに「いいことはなかった」という結論が出されるのならば、キリスト教の三位一体の否定(いじめの否定)につながりかねない議論となる。
ロシア正教会や家庭内では三位一体はすでに否定されている。
3つの願い ribbon


スタンフォード哲学百科事典でも「穴」という論文の存在は広く知られているが、実際のコンテンツはあまり知る人はいない。
男のおちんちんが「勃起」しなければ子供ができないということを踏まえて、時間と空間が男に自由に与えられたという議論である。
経験だけで生きていると、かなりX軸とy軸に「出来事の穴」が散漫に広がることになる。
しかし、「同じことを続けていると」かなり強烈な突破力を持った穴が形成される。
あげまんは「時間とともに穴の場所が前へ前へと進む」ものである。
x軸y軸の穴の位置が変わらないのならば、男はなんら前へ進んでいないことを意味し、すぐに「女を変える」と言い出すだろう。
レベッカ trouble of love


男の「出来事の穴」を女の局部と合わせていかなければ、ハードコアポルノすら「つまらない」ものとなる。
「週三回」という契約を結んだのならば、かなりハードな仕事を求められたことになる。
結婚契約とはそういうものである。
子供が出来たら出来たで「量子論」の研究が必要になってくるし、セックスを気持ちよくさせるための「仕事」というものも必要になってくる。
仕事と子育ての両立というのは非常に難しい。
アインシュタインは1913年から1915年の間、「穴に落ちた」と言われた。
這い上がってきてから「量子論」(子供の研究)を始めたのだ。
「ビスマルク=明治天皇=福沢諭吉=小野慎一郎」という「同一人物のライン」が引けるのだとすると。
「アインシュタイン=大正天皇=野口英世=小野達郎」という「同一人物のライン」が引ける。
小野家系図

2019年2月 7日 (木)

信仰心とプロスポーツについて。

インターネットでエッチな動画を見ていたら、エロい姉ちゃんが山で死んでいた。
「これが例の事件か?」
と思ったが、日本国の主婦層は「アメリカに住んでいるような気分」を感じたがっている。
アメリカには「ヒルサイドの殺人鬼」などがいたが、あるいは、テキサス州ダラスやボルティモアで、警察車両の後部座席で人が殺害されたりしている。
ボルティモアの事件の時、ニュースを見たオリオールズファンが「これで野球が見れなくなるのか」と語り、実際に、オリオールズは、全米史上初の「無観客試合」を行っている。
刑事訴訟の本質は「デュープロセス」「フェアプレー」にある。
デュープロセスとフェアプレーは同じ意味であり、警察車両の後部座席で容疑者を殺害したり、三浦和義容疑者のように「拘置所内で自殺」と公表することは、フェアプレーつまり、プロスポーツに悪影響を与える。
あくまでも、法廷で裁きを与えなければならないし、刑事訴訟資料はすべてのちに公表される。
怒りに駆られて、あるいは世論の歓心を得るために容疑者を殺害してはならない。
我々は「モテる方法」を刑事訴訟から学びたいし、「金儲けの方法」を民事訴訟から学びたいのだ。
犯罪とは「モテない男」が犯すものだ。
モテないのであれば「なぜ、哲学を知らなかったのだろう」ということまで法廷で問いかけなければならない。
法廷というのはのちの世にまで生きるものである。
これが「デュープロセス」=「フェアプレー」であり、スポーツビジネスも関心を寄せるところである。
学術映像

美女の上に雲はできる。
そこに「男」がいれば雨が降る。
そのため、「雨」は女の勝利とも言える。
自分が美女であることを証明したことになるし、男にも困っていないことを意味する。
「雨」とはそういうものだ。
さよならは雨の日 SPEED

女は「セックスしている時には99%神=男を信じている」とされています。
つまりは、キリスト教上の「信仰心」を体現しているのです。
神を信じている女に共感する、それもまた信仰心。
日本国におけるキリスト教の根の深さを痛感します。
愛してジャスティス ribbon

信じていたものに卑怯な形で裏切られることを「自己欺瞞」と呼び、人々は健康的な生き方を見失う。

哲学を深める。それは、筒香の打席でスリーボールワンストライクのカウントを作ることを可能にする。
つまり「あまいストレートしか投げられない」カウントだ。
犬のようにくだらない男と美しいヒロイン、ここに哲学者は「心の風景」を語り続ける。
哲学者が「狙っていいよ」と言われた時に、筒香も「狙っていいよ」と言われるのだ。
メジャーでその哲学者を見つけることができるかは分からない。
哲学者に人気があれば、DeNAベイスターズの選手も「絞りやすくなる」のだ。
容疑者を「法廷に晒す」ことをプロスポーツは利用しなければならない。
「こころある」視聴者は「腎臓のある」視聴者でもあり、自由に食べたり飲んだりできるものだ。
anytime smokin' cigarette

刑事訴訟の被告人という「くだらない男」がプロスポーツに生かされることを知って欲しい。
これがデュープロセスだ。
「黒人だったから」といって警察車両の後部座席で射殺したら、暴動がおきる。
スポーツビジネスが成立しないからだ。
モバゲーには「逆転無罪」というゲームもあるが、本来、スポーツビジネスを行う弁護士ならば、事件を三つほど抱えたいところだ。
好きなプロ野球チームの優勝次第では、愛と憎しみが入れ替わる。
これが「逆転無罪」である。
「美しい女は必要だ」
幼児虐待だけは防がなければならない。
しかし、「女になれた喜び」を女たちがどのように表現するかは自由であろう。
避暑地のアンニュイ 河合その子。

女たちが「三木谷さんや孫さんの方が小野さんよりも輝いていた」と語り合うのは自由だ。
しかし、デュープロセスをスポーツビジネスに持ち込んだのは小野光太郎である。
デュープロセスを踏まえた上で、「人生経験が足りなかったか」と裁判で負けた時に丘の上から夜景を見る弁護士がいてもいいだろう。
しかし、自分の人生経験がプロ野球チームの勝敗と結びつくなんて、弁護士とは素晴らしい職業だとは思わないか?
カエサルはクレオパトラにキスしてもらいたかっただけだろう。

いずれにせよ、世論が沸騰した時に「別の世界に連れて行く」ことができる力量が君主には求められる。
しかも、かなり高度な学習を人々にもたらさなければならない。
だが、その「解法」を丹念に調べてみると「男女の二元論(デュアリズム)」から解いていることが多い。
三位一体(トリニティ)なども可能性はあるが、三人以上の人物は拡散していくため、「狭いゾーン」で解いていることは間違いない。
本当に「火柱」が上がったら、現場にいる人間は三人程度で、あとは野次馬みたいなものだろう。
あとは「火柱を拡散させる動物」をどれだけメリルとベリルが飼っているかが問われる。
意味に満ちた「現場」の数を少なくするために非常線も引かれる。
野次馬たちが「動物」の影響を受けないようにするためだ。
みんな「今日の晩御飯」を欲しがっている。
そのために「火柱」は拡散せざるを得ない。
事件の頂点は「ひとりの女」でも、下部構造が山ほどできる。
それが「今日の晩御飯」というものだ。
むしろ、「人々に高度な学習をもたらして、下部構造を一気になくしてしまう」ことが、政権が火だるまにならないための秘訣だろう。
人間はかなり直感に頼って「沸騰」している。
そこに「別の世界」を提示するのだ。
「保証」「担保」「デュープロセス」などを私は用いたことがあるが、他にも論点は無数にある。
論点がなくなれば「昔の人の知恵」となって復活するだけだ。

たとえば、北朝鮮による「拉致問題」の解決のためには、「横田めぐみさんの写真でマスターベーションしたことがある」などの根の深い問題が存在する。
いわば、「恋」という問題が、ネクロフィリアやペドフィリアと結びついているのだ。
「写真とは何か?」
という研究を深めなければ、拉致問題は解決しない。
「伝説とは写真とともにある」
酒井法子 風邪

「写真に恋をしたのか?」
これをとことんまで追求しなければ「下部構造」はなくならない。
顔写真には必ず「口」が写っている。
つまり「精子を飲む可能性」があるのだ。
しかし、ギルバート・ライルはそのような趣味はなかった。
暴君のように「俺の精子を飲ませろ」とわめき散らす男たちとは距離を置いていたのだ。
続・赤いスイートピー 松田聖子

ファンになるという深層心理はここにある。
ライルは「女の伝説」の根拠を冷静に見極めていた。
フォトグラフから「恋に値する女の写真」(カルトグラフ)の研究まで話は及んだ。
彼の「村」で彼女は人気がなければならなかった。
しかも、彼女は「俺」と同じ言語を話していなければならなかった。
そして、「俺」は彼女が歩んだ道を歩もうとしていなければならなかった。
「有名」になろうと思わなければ、写真に恋をする理由はないし、朝鮮半島や朝鮮語に興味がなければ横田めぐみさんに恋をする理由はない。
わが国は「覇道の道を歩もうとするのならば」朝鮮半島は避けては通れない。
しかし、彼らは「わが国の領土ポテンシャル」に日露戦争で組み込まれている。
今後、80年は日本国の領土であり続けるだろう。
河合その子 青いスタスィオン

しかも、セーラー服(水兵さんの服)は、水兵さんが常に「お金がなければ動かない」戦場のプロであることを意味し、水兵は「男同士でしゃぶりあってはならない」という掟があったため、セーラー服というコンセプトまで絞りきれていた。
あとは、雑誌などで「身内のように親しみを感じる物語」を垂れ流すだけだった。
朝鮮語が話せる人は、その「伝説」を排除する理由がなかった。
みんなが恋をしている「女」を「今日の晩御飯」に変える必要もあった。
ここに、「朝鮮語が話せるという稀な才能」が、問題を解決しようとは思っていないという現状もある。
有名希望の男たちは、「問題」を解決しようとは思っていない。
彼女の唇が見たかったために、政治生命を長らえさせた人もいる。
安室奈美恵




この「写真」の研究をする上で「自分が何を言っているのかわかっているのか?」ということは理解しておかなければならない。
「写真」=「性欲」=「愛国心」
という簡単な図式は、「優しくなければ解けない恋のパズル」だったのだ。
人々は性欲や愛国心に「優しさ」を加えるだけで、車を買ったりBlu-rayを買ったりしている。
とにかく写真とは「恋」の研究であるため、「優しくする」というのは基本となるだろう。
私は知恵の輪 うしろゆびさされ組。

マルティン・ブーバーは、若気の至りという側面もあったが、イスラエルは「人気のある若者が作る」ものであったし、シオニズムは「第一次世界大戦で見たこと聞いたこと」を建国につなげるムーブメントだった。
ブーバーは、妻のポーラとともにハート兄弟のサロンにも顔を出したし、ユダヤ人たちは、第一次世界大戦をネタにカナーンの地に新国家を作ることしか頭にないようだった。
それを考えると、拉致問題とは、朝鮮半島に日本国の若者が「新国家」を建設するためのエネルギーにしかならないことも分かった。北朝鮮は「拉致は解決済み」として、この問題を蒸し返されることを恐れる理由がある。
「性に敏感な若者たち」を恐れていたのだ。
それは「あなたと私」という同じ言語で話すパートナー同士の話ではもはやなく、「汝と私」という具合に、野蛮な連中ときれいな女という関係でもあった。
悪いことをしすぎて影響力を増した連中が、それが過剰に達した場合に崩壊に向かうのだ。
しかも、金銭による買収が可能であった。
運命’95 Melody

ナチスは「悪いことをしすぎた連中を買収する」つまり「併合」という発想も持っていた。
海に住んでいて、全身が痛むことからマンハッタンを作ったナチスは、「悪いことをしすぎた連中」つまり、クレジットカードのボッタクリなどを公然と仕掛けてくる連中の買収に動いた。
併合の場合、テキストは新約聖書ではなく「ツァラツストラはかく語りき」つまり、ゾロアスター教だった。
併合を得意とするのはゾロアスター教だったのだ。
カントが「海にビルを建てる」ことを考えたのに対し、ニーチェは「悪いことばかりする連中の併合」を考えた。
「私とおちんちん」そして「おちんちんは俺たち」という具合に、ひとつの映像が拡散していく。
「俺たち」というのは非常にプラトニックなものだった。
ゲマインシャフト(コミュニティ)の問題が、ゲゼルシャフト(社会)に拡散する上で、この「プラトニックな関係」は必要なものだった。
ユダヤ人にとって「神は死んだ」つまり「父が祈りを知らずに息子を虐げた」
あるいは、この関係の「永遠の繰り返し」(永劫回帰)などを取り上げたツァラツストラは非常に重要なテキストであったし、最後にニーチェは「悪い国を併合することができるんだよ」と語り、若いユダヤ人学生を刺激した。
Mr.Children Tomorrow never knows

法科法科といって勉強もせず、と呼ばれたユダヤ人も、なかには「性に敏感」で新国家建設を夢見る者たちがいたのだ。
「女神」を誕生させることも重要だった。
今では、ワールドカップで善戦することしかできない「女神の誕生」も、昔は「新国家建設」にまで至ることがあった。
よっぽど悪い国ならば併合してしまえとニーチェは言ったし、北朝鮮も、拉致問題で世論が沸騰した時に日本国による併合を覚悟したが、日本国はツァラツストラを知らなかった。
いずれにせよ、ナチスの柱であるカントとニーチェは、マンハッタン造成と併合という「ふたつの全体主義」を持っていたのだ。
ニューヨークのブロードウェイを作ったユダヤ人は「女神」の意味を熟知していた。
「女神をうまくクリエイトする」
かつては、シオニズムに用いられた発想も、今では「スポーツビジネスに活用できる程度の資金力」に限定されるほど、スポーツビジネスは膨大なお金がかかるようになっていたし、世界の戦争リスクを減らしていた。




Madonna Spanish Eyes.

信じるとか欲望とかではなく、家族が多いと、どんなに才能があっても家庭内で「最低の」扱いを受けることがある。
とくに男の場合は、統合失調症になると「精子の価値は51%減」とも言われ、「目的を持っただけ損」ということにもなりかねない。
しかし、「家庭内最下位」を経験することこそが「権力への意思」であり、「HOPE」を吸う若者に、周囲のキリスト者も笑うしかなかった。
「あなたには種がある」
信じるとか欲望とかではなく、「希望」というものは、復活祭の時に周囲が「やるべきことはやっていたからね」と語り合うものだ。
病気にとっていちばんいい薬は「楽観論」である。
ヘシオドスの「パンドラの箱」は、周囲に「悪とは何か?」をばら撒いた。
箱の中には「希望」だけが残され、あとはばら撒かれたのだ。
悪という悪を知り尽くしたら、あとはパンドラの箱に残された悪は「HOPE」しかないだろう。
「希望」なんていう空手形は快楽でもないし、悪でしかない。
しかし、若者を見ると「希望に満ちていた昔の俺」がいるではないか?
「ここで前に出たら死ぬというところで前に出た」
こんな若者を見たのだ。
家庭内で最下位だったから、権力への意思があったから、しかし、本当の原因は「神が死んでいた」からだろうね。
お父さんはこそこそ隠れて、息子を虐めぬいていたのだ。
ローマ人への手紙8:24、あるいは5:3-5にあるように、すべての生き物は出産する時にうめくものであるし、産みの苦しみに希望があることを知っている。
ツァラツストラの教本にも同様の記述がある。
ツァラツストラとは「マケドニアが作った併合の書物」だったのだ。
ゾロアスター教が、ペルシャに残され、ササン朝を作ったといっていい。
家庭内で才能があるにもかかわらず「統合失調症だから」といわれて最下位になった男が読むべき本は「ツァラツストラはかく語りき」の原著であろう。
希望に満ちていて、努力に満ちていて、それでいて「休むことを知った」のだ。
スピードを競い合う人生で「休むことの重要性」を指摘したのはツァラツストラであり、スポーツ心理学にも活用されている。
松浦亜弥 Love train

「トレーニングセッションが終わったら、王子のようにメディア対応していいよ」そのようにゾロアスター教は考えていた。
カントも、ヘトヘトになるまで学問をやった経験があったが、ゾロアスター教の影響で休養した。
「周囲の動きが眠っているだけで分かるんだ」
とし、自分の努力の痕跡を「自分にとって当然だっただけだ」と考えた。
統合失調症・家庭内最下位・権力への意思・神は死んだなどがない交ぜになって、このような「復活」がなされた。
みるみるうちに自信がみなぎってきて、表情が変わったため、周囲は怯えた。
「あいつならばやりかねない」
キルケゴールは「いつ休むべきか?」を語った。
さんざん努力して「もうダメだ」と思った時にブレーキをかける。
ブレーキング技術だけで勝ってしまうレーサーもいるのだ。
ダイヤモンドブルー 酒井法子

何かに怯えたり、女たちが遠のくほど顔が赤くなったら休むなどの発想は、多くの哲学者が共有していた。
「プラグマティスト」とも呼ばれ、顔が赤くなったら喜んで休む。
そうするだけで「女が近づく足音」が聞こえるのだ。
聖なる海とサンシャイン

ニーチェは、25歳の時に、人生のキャリアのピークを迎えた。
「何でもやっていいよ」
そのように周囲に言われたのだ。
何でもやっていいのであれば、哲学者は芸能に興味を持つのは当然だった。
「医者の愛を感じる曲は心臓にいい」
瀬戸朝香 マイホームタウン

音楽の才能だけはワーグナーには敵わなかった。
ゲイの科学、ツァラツストラはかく語りき、善悪の彼岸、偶像の夜明け、ワーグナーの場合などを書き上げた後に、休養に入った。
彼の健康にもっとも適した場所はスイスにあった。
ワーグナーは「ベイルート計画」を練っており、ニーチェと戦うことにより、中東にキリスト教国を持つことになった。
キリスト教徒の団結を音楽作品にしただけで、レバノンという国はできたのだ。
ニーチェは「イスラエル建国」の理論を作るという形で、中東の「戦争の火種」を構築した。
トリスタンとイゾルデ 序曲

神は死んだ。
父は祈りを知らなかったために息子につらくあたった。
母は祈りを知らなかったために、娘の美しい死に方に嫉妬した。
「祈り」
それは人脈を作る行為である。
忍耐をしのんで祈りさえすれば、国際メディアすら相手にすることができたのだ。
しかし「祈れない」ではないか?
「神は死んだ」
それがイスラエルの強さであり、母が息子を「生贄」に捧げるサクリファイスとは異なるものである。
男は賢い方がいい、女は美しい方がいい、とするのであれば、父と娘はその条件を満たしてしまう。
男は女を寝取られたらリベンジポルノをばら撒くだろう。
つまり、この事件はもはや「終局的に解決」しているのかもしれない。
我々は、善愚の彼岸を論じているのではなく、善悪の彼岸を論じている。
祈りという悪こそが、両親に富と人脈をもたらすのだ。
父に虐げられたルサンチマンこそが「悪」の人気であり、富や人脈とつながる。
お坊ちゃんのような「愚かさ」は、自分がルサンチマンを知らない目立ちたがりとして恥を晒すことになる。
女は仲間を求めている。孤立を恐れている。
そのために「祈り」を覚えやすい。
しかし、その背景には「母に虐げられた」というルサンチマンがなければならない。
「祈り」「キリスト教」
それは確かに仲間を多く作るだろう。
しかし、父は息子の死を喜び、母や娘の美しい死に嫉妬する、それはもはや「神は死んだ」と言わざるを得ない。
キリスト教は、実の子供の死をこんなに明るく描いている。
ここに、レバノンとイスラエルが対立する理由が存在する。
乙女の祈り

キリスト教は、息子や娘の死に「親として」「祈ることで」「ピュリファイを感じる」というところにその基盤がある。
ハードケースでかなり、強い議論がなされたのだ。
信仰心と人脈・お金が結びついたのだ。
しかし、親が自分にも「ルサンチマン」(親に虐げられた経験)がなければならず、愚かであってはならない。
ルサンチマンを経験するというのは「生きる上での力」であり、「何を言っても許される」人物像を作り出す。
ユダヤ教かキリスト教かの違いは「愚かな有名人」か「悪い有名人」かの違いだ。
ユダヤ教は「若者の国」を望んだのであり、愚かな有名人は歓迎していない。
「悪い有名人」ならば「ルサンチマンを経験した」「権力への意思を持っている」人だねと肩をすくめるしかない。
ユダヤ教もキリスト教も「息子や娘が死んだ」というハードケースで見解が分かれたのであり、基本的には「根っこは同じ」と言っていい。
ユダヤ国家、イスラム国家に世界ランキングで上位に位置する大学は存在しない。
みんな「親子の光」で誤魔化しているのだ。
「七光り」とも呼ばれる。
父が息子を虐げ、母が娘の美しい死に嫉妬する「祈りのない世界」で、何も大学にまで行って「エッチな学問」をやる必要はないだろうとされ、親から直接、エッチな話を聞いた。
そのため、「親のコネ」が強烈にモノを言ったのだ。
一子相伝とは「エッチな話を聞かされる」という意味であり、日本国では東京大学にまで行っているのならば問題はないわけである。
母と娘のデュエットソング

ギリシャの、グノースティシズムは「女性が胸さえ隠せば我々は20世紀が見れる」としていたし、エルメティシズムは「美女さえいればいい」と考えていたが、ゾロアスター教の伝統は「努力をした後に休養をとること」にあった。
女性たちからエネルギーをもらい、それが尽きた時に休む。
それは、顔が赤くなったなどの理由から女性が遠のいた時に行うのだ。
アフラ・マズダを標榜するマズディアン神学とも言えた。
イスラムでは神秘主義とは「芸能」のことを言ったし、「親が聞いているものを子供たちが聞く」という「親のコネ」こそが重視された。
カップルには「二人の女の敵がいる」「男と浮気したと騒ぐ女と、もう二人を守るのはやめようかなと考える女」の二人だ。
二人を守るのをやめようと考える女がいるのならば、男は「愛してた」と言いながら別れる。
これが「マズディアン神学」である。
瞳はダイアモンド 松田聖子

サルトルは、男らしさに関する議論(合理論)、女の子がサンタクロースを信じるための議論(経験論)を踏まえて、「人生は一度きりだよな」と、聴衆に訴えかけ人々に衝撃を与えた。
冬の微粒子 CoCo

数々の哲学者が「父と息子」「母と娘」について語ってきたが、最後にたどり着いたのが「夢」をもつこと、だったのだ。
社会人になったのならば「夢を語る」ことはむしろ有害であろうが、若さを無駄にする時期は「男になるため」(合理論)「女になるため」(経験論)のどちらもが「夢」を必要としていた。
アブラハムは「祈り」を通り越して、息子のために「犠牲」になることで大富豪となった。
チチロー

「女性的なものに真実がある」とし、息子を認める「父」としてではなく、息子を褒める「母」としての役割こそが富につながると考えたのだ。
ボクシングでも「リングジェネラルシップ」というのは「有効な女性的戦術」と表現されるが、男にとって「女性的側面」というのは「痛みを感じるもの」であり、朝から痛み止めや向精神薬を飲んでいたのであれば、そもそも「戦術」が練られない。
ひたすら健康的であることが「父」に求められたのだ。
年金制度も「世代間仕送り式」(賦課方式)をとらなければ、父は薬を飲み始めるだろう。
「女心は大きすぎる」とカントは語ったが、死んだ女の「心」はあまりにも大きい。
高橋由美子 ときめき

女を口説くのがうまいというのは「痛みを知っている」という意味であり、「女の貞操を気にする」「女の美しさを気にする」というだけにとどまらず、「女と日頃から話をする」というのがファイナンスの基本となる。
「女は何のために生きているの?」ときかれた女は「アブラハムのためかもね」と答えた。
「処女かどうかを気にし」「美しさを気にし」「女心を知る」
これがファイナンスの基本であり、「息子を褒める」理由だった。
英雄を見たければ、お父さんを取り巻けばいいのだ。
父が女に不自由している、これが、「息子を虐げる」原因だったのだ。
「男らしさ」(合理論)から「女らしさ」(経験論)へと軸足を移すことが富につながるというのが「アブラハムとは何か?」の答えとなっている。
しかし、私が東大法学部在学中に「オタク」になったことへの周囲の失望感は大きかった。
ちいさな一歩で CoCo

日本国にキリスト教が浸透するはるか昔の話である。
「リングジェネラルシップ」というのは「セコンドがコーナーで伝えたことを実践する」しかも「それが有効性を見せる」というポイントのとり方である。
アメリカでは、コーナーでのインストラクションをすべて英語で公表している。
大学で「40日間水を断った」(女を断った)時に、異なる世界に足を踏み入れるのは楽しかったし、人種や性別を越える楽しみもあった。
当時は、中古CDショップめぐりをする人はあんがい多かったのだ。
彼らはことあるごとに「心の病気」を口にしたが、現在、もっともアクティブに「アブラハム」の時代を謳歌しているのは私かもしれない。
学生に「夢」を与えるとはどういうことか?
「あっという間に”国家レベル”まで飛躍するのだ」
キャンパスライフで世界と妥協できないのならね。
ゆっくり休養して「他人のために生きる」という発想を身につければいいだけだ。
ここでも「ゾロアスター教」が登場した。
ディズニーランドへ

メンタルクリニックに出入りするようになった私が見た風景は、深刻な表情をした、妖怪みたいな「プロ野球選手」「芸能人」たちであった。
しかし、家庭内最下位に位置づけられた私にとって、彼らは決して「スター」ではなく、「地の果てで見た妖怪たち」に過ぎなかった。
「芸能」「プロ野球」
のちに職業にするネタは学生の頃に出揃っていた。
失意のうちに大阪の祖母と京都旅行に行ったことがあるが、祖母は「政治家になるお人だ」とチャーターしたタクシー運転手に語っていた。
祖母自身が夫が中曽根康弘であり「政治家とは何か?」を熟知していたのだろう。
祖母は「京都旅行の写真をよこせ」とその後しつこく連絡してきた。
一年後に、弟がいる私の家に、小学校一年生と中学一年生の「生娘」を遊びによこしたが、遊郭出身の祖母が何を考えていたかはさっぱり分からない。
とにかく、祖母が私を高く評価していたことだけは分かった。
26歳になって、司法試験の短答式不合格を確認したら、私は休養を決断した。
とにかく、顔色が赤く、あるいは紫がかっており、肝臓が悪いのは明らかだった。
私の法律学には「まごころ」が失われていた。
そこで、顔色が真っ白になるのに一年かかった。
「他人のために生きる」
それだけが、過酷な学業の道を志した人間に課されたものだった。
二時間の試験を午前と午後に繰り返すのならばトップの成績が取れても、三時間半の試験には耐えられなかった。
短答式試験とは、いわば「健康診断」のようなものだったのだ。
27歳になり、顔色が真っ白になったわたしに周囲は怯えた。
敬語を使って年賀状をよこすものまで出る始末だった。
哲学の世界では、その人間の「サイキックフォース」以外に誰も興味がない。
サイキックフォースのある奴かどうかを、体つきから文章から見て判断している。
そこに、ユーモアが加わればかなり世界レベルの評価が与えられる。
ゾロアスター教と肝臓の関係について述べたが、肝臓の悪い人は「首からタオルをぶら下げている」人が多い。
ネクタイをする習慣を失ったとたん、肝臓を悪くしたり、脳卒中になったりすることもある。
ゾロアスター教関連の絵を見ていると、首の周りにリボンを巻いている絵が多い。
私も最近、顔が赤くなってきていて、脳卒中の気があったが、首からタオルをぶら下げたら「ヘパリン」という成分が大量に出て、意識を失いそうになったものの、しばらくしたら顔が真っ白になった。
ネクタイは男の習慣だが、女性の中に「肝臓が悪い」「脳卒中の気がある」「顔色が優れない」などの悩みのある人がいるのならば、首からタオルをぶら下げたりしたらいいだろう。

当時の私のBGM。

若さを無駄にする青年時代を描いたハイデガーや、一度きりの人生を主張したサルトル、女は嘘をつくということを語ったメルロ・ポンティ、痛みを感じたら人間は怒るとしたヤスパース、そして、「女なら街にいくらでもいるよ」としたボーボワール、これらの哲学者の言っていることを理解するのであれば、「アメリカ合衆国は国運をかけて応援する」とマシュー・ラトクリフェは語っている(2008年)。
それで、私もこうして生きているのだ。
数々の賞はもらったが、肉声を持たなければ意味がない。


2019年2月 4日 (月)

建設。

社会を建設するためには、「その人のもっとも人間らしい瞬間」を集めなければならない。
たとえば、ヤリマンで知られた女が、ある男の知性の前に「目を伏せて」通り過ぎたとか、どれほど快楽主義に走っても「失うものはあんがい少ない」などという瞬間をコレクションするのが「建設業」である。
中森明菜 二分の一の神話。

快楽主義の女も「失うものははんぶん」ということは他のアーティストも表現している。
建設業は、背広組はこのような瞬間をコレクションしているのが実態だ。
はんぶん不思議 CoCo

「男たちの統制を取りたい」
これが建設の仕事であり、どんなヤリマンでも「ウブ」な側面を見せることがあると語ることは、「自分よりも格上の男がいる」ことを周知徹底させることを意味するため、建設に用いられる。

「男が女の居場所を作る」
これが、さらに建設の目的となっている。
頭の悪さをバカにされず(失恋せず)、レイプもされない、つまり「神」のいる社会である。
女の子やお母さんに「サンタクロース」を柱とする「神」が存在するのならば、男社会の統制はさらに磐石なものとなる。
冬の微粒子 CoCo

アンドリュー・ピッカーニングが語った「建設クォーク」とは「快楽主義に走った女でもウブな側面を見せることがある」ということと、「サンタクロースを柱とした神」の二つのことである。
どういう道のりを歩んだらそのような男になるの?
この問いかけはかなり国際色豊かなものだ。

私が何を考えてあえいでいるかに興味を持ってほしい。秘密を守れますか?
can you keep a secret 宇多田ヒカル

憧れちゃうわ?文化的生活。
サラリーマンとはアダム・スミスが作ったものだった。
女の子はとにかく金になるため、女の子の居場所から作ることにしたのだ。
文化的な生活には近親相姦などなかった。
建設クォークはすでに述べたとおりだが、あとは「文化的であること」つまり「女性を歓迎すること」が必要だった。
そのあとで「貧しい男二人」と「お坊ちゃん一人」がつるみ始めた。
街ぐるみで「神の建設」が始まったのだ。

DVは現在の医学では「病気ではない」とされている。女のノイローゼが原因であることが分かってきたからだ。
子供には罪はないし、出来ることもない。
セックスのし過ぎを防いだり、夫の将来の見通しを明るくするしかない。
ぼくをぶたないで 高橋由美子

「どうやっていじめを克服したのか?」
その成功体験だけが「神」を進化させる。
つまり、それが街づくりだった。
「お坊ちゃん」を海に追い出すまでいじめたし、海と出会わなければ「国家社会主義」「上海倶楽部」は生まれなかった。
親が元気なうちしか勉強する余裕はないだろうし、姉がいなければ「女心」に興味がもてないだろう。
あるいは、そもそも、贅沢に王子として風呂に浸かったりできる家でなければ勉強する基盤ができないだろう。
つまり、勉強とは「姉が必要」「親の健康が必要」「風呂が必要」などという具合に金のかかるものだった。
授業料だけで済む問題ではなかったのだ。
あるいは「少年時代の美しい顔が必要」とも言われ、それは才能と呼ばれた。
少年時代 井上陽水

建設というものは「哲学者がテキストを書くから可能となる」という側面があり、それは、勉強でもあり、「女の子が好き」だから行うものでもある。
「ヤリマンでもウブなリアクションをする」「サンタクロースという柱」の二つから男たちは「神」と呼ばれ、建設クォークは一気に街づくりへと動き出すのだ。
この国はどこから来たのか?
それは時代の外交努力というものであり、外交が情報の流通を円滑化させていた。
酒井法子 涙が止まらない

ジェリー・フォーダーが、1980年代に「建設クォーク」を自由に操った。
カントが「海」に上海倶楽部や国家社会主義を用いたのならば、マルクスは「陸」の人間だった。
王室は海から来た。
しかし、陸の人間はスーツを着ており、お洒落であり、セックスの取引を行っていた。
陸の男女たちは「セックスの取引」を強みとしていたのだ。
運命’95 Melody

建設業界は第一次世界大戦を経て「お金いくら出せる?」という世界を作り上げていたため、建設クォークこそが、この世界で重視されるようになった。
細かい技術や工法までは哲学の世界は追うつもりはない。
ほとんど「フィクション」みたいなものを作る連中になっていたからね。
戦車にせよ飛行機にせよ「左右対称」に作ったので「2」という数字は重要だ。
しかし、「フィクション」を作るのはいつも「奇数」だった。
職人をやっていると「使い慣れた偶数」と「フィクションを作り出す奇数」の存在は意識せざるを得ない。
お金を生み出す「女」
嘘をつく「女」
処女である「女」
を用いて建設というものは行われる。
娘は「お父さんに嘘をつく」ために「女言葉」を覚えた。
日本エレキテル連合

職人も当然「お金の出所」を知っていたため、カトリックマイトレーヤのように、「女の子を守る」ということをコンセプトに建設を行っている。
裕福な家庭では「男の子優先」であり、貧困層では「女の子優先」という違いはあったが、それ以外の「建設」においては、「家」「建築物」のみならず、ブロンズ像・テーブルなどに職人の関心は移っていった。
おとぎの国のバースデー 酒井法子

ブロンズ像やテーブルを作るのでも「腕」は磨けるし、ビルを建てる力量は誰もが持っていた。
「住んでいる女の子が欝になる」
ことを防ぐために職人たちは腕を磨いたのだ。
クレア お引越し

女の子を資金源に「「建設」というものは成り立っていたため、性差別だけは建設の敵だった。
第二次世界大戦ののちにボーボワールが「女とは生まれるものではなく、なるものだ」とした時に、社会「建設」は「女らしい女」を求め始めた。
「男二人に女一人」という構図がこの時に完成し、資金力を強めた。
女が魅力的になったから生まれた構図だった。
SPEED Deep Blue & Truth

ボーボワールは「女作り」を終えた後に、「男の子」に「女って何?」という問いかけを行った。
これが戦後の国づくりだったのだ。
男の子はこの「問いかけ」をされなければ、机に向かうこともなかっただろう。
このフレームワークだけは理解しておく必要がある。
「部屋は左右対称」「ふたつ」
これは分かっていたが、「男と女」の問題は難問だった。
フレームワークが機能しなければ家は狭いままだろう。
男運とは「アメリカ合衆国」を常に念頭に置いたものだ。
ribbon 真夏のフェミニスト

DSMは「DVの原因は女のノイローゼが原因である」としている。
しかし、自己愛性人格障害は病気とはせず「モテない」だけであると切り捨てた。
男の子が「宿題」をこなすのを待つだけだったからである。
これが、社会「建設」のフレームワークだったという認識があったからである。
偏差値Boy うしろゆびさされ組

女たちは、医学が社会「建設」と結びついて、アメリカがそのような診断を下すのならば、「アメリカにいるような気分」を味わいたいわ?と考えた。
「女作り」が終えた後に「男作り」は始まった。
それはヨーロッパ中世でも同じだったし、戦後の世界史でも同じだった。
日本国は「アメリカの言うとおりにしたらうまくいった」という側面が強い。
大学受験というものも熾烈を極めたが「戦いがあったから勝ちに行った」という男の子が多く、アメリカのフレームワークが一部で有効に機能したに過ぎない。
社会「建設」とはこのようなものであり、男女を生み出すものだ。
なぜ、「ステージに上がりたい」という男女が生まれるのだろうか?
それは「セックスに自信がない」ことが理由であることが多い。
「男としての性質を持った女」が「お父さん以外の男に裸を見せられない」とか、男でも「包茎である」などが考えられる。
さらには、ホモセクシャル、レズビアンなどが考えられるのだ。
私もパノプティコン刑務所では、ほとんど「まともな男女」は見ていない。
中森明菜 セカンドラブ

男としては、長い目で見れば「女たちと話す」ことが豊かになる秘訣であり、「こういう女がいた」という記憶作りが論文や小説を読むのに役に立つ。
女として「私ってこんな感じ」という証言を出し惜しみしたのでは、
のちに「食事一回分」ぐらいは損をするかもしれない。
私も、「子供を産んだ女は感じなくなる」などの証言は、実際に女性と話すことで論文の裏づけを得ている。




【壮大なテーマ】

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