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2018年12月28日 (金)

キリスト教的死生観。

天国と地獄を「男女の二元論」から解け。
ヒント:天国とは「生きている人に犠牲になってもらうための」概念。
   地獄とは「人に悪いことをさせないための」概念。
   つまり、天国とは「男の研究」であり、地獄とは「女の研究」である。

デカルトの「恋」と、マスターベーションの方法について述べよ。
ヒント:内省とは「記憶に頼らない」「女性の局部に頼らない」ものである。
   つまり、たった今、話をした女性でマスターベーション(内省)をするのが作法である。
   しかも、女性の局部に頼らない、つまり、日常生活の女の姿を想像するものだ。

解答例。
天国にせよ、地獄にせよ、「墓の向こう側になにがあったのか?」という研究である。
死せる人たちが見てきたものへの信仰に関わり、それは現代の叡智となっている。
「死は悪である」
しかし、その「究極のエクスタシー」を経験した祖先を敬うことは現代人にとっても「骨質」とまで言われる資金源になっている。
死後の世界というのはキリスト教社会の重大な関心事であり、そこには「生ける者」の経験のすべてがつまっている。
一人ひとりの「究極のエクスタシー」である死こそが、経験のすべてであり、死後の世界なのだ。
その人が「死んだ」時に、その人が抱えていたすべてのトラブルが「治まった」だろう?
キリスト教が、ユダヤ教やイスラム教をしたがえることに成功したのは「イエスキリストの死」をマスターしたからである。
「モテ過ぎたらから殺された?」
ユダヤ教やイスラム教がこのことに怖気づいた。
穴井夕子 ヘブンヘブン。

「死が怖いだろうか?」
それならば、もっとも最高の叡智からあなたがどれほど遠かったかを物語っている。
死に瀕した病人のもとに牧師さんが現れ「今から”もっともパワフルな神の力”があなたに加えられる」と宣言した。
怖いのならば学のない人だとあきらめるしかない。しかし、私はそれを見届けよう。
牧師さんは「私だって学があるわけではない」と語った。
いずれにせよ「死」というのは「究極のエクスタシー」であり「もっともパワフルな神の力」が一人の人間に加えられる瞬間なのだ。
しかも、「すべての死人のサークル」に加わることができる最高の救済なのだ。
さて、「男の世界」が天国であると言ったが、「モテすぎたために殺されたイエスキリスト」が天国の住人の第一号である。
イエスキリストは「地獄」つまり「女の世界」の研究の専門家だったのだ。
「死」には曖昧さもごまかしも一切ない。
「生きているか死んでいるか」のどちらかしか人間にはないのだ。
「モテすぎたために殺された」男に会ってみたくはないか?
それが「究極のエクスタシー」だった。
イエスさまは私たちの罪を背負って死んでくださったの。
酒井法子 秘密のガーデン

モテすぎた男(女でもそうだろう)は「死んでも生きても同じ」という側面がある。
死という究極のエクスタシーを望んでもおらず、ただ、モテる人生を生き、死んだら「自分と似たような」イエスキリストという男と会う。
キリスト教がなぜ、天国の住人第一号を輩出したのか?
それは「生きている人間が知性を愛するため」であった。
100%の恋人 酒井法子

知性のない男は「神の後継者」となるために、勇敢に働くだろう。
しかし、知性のない男は「死に至るまでに多くの障害物がある」ことを知るだろう。
イエスが見た「地獄」(女の世界)を知らないと、死に至るまでに苦しみが多くある。
どの女も彼の命の心配をしないなんてなんという苦しみだ。
死の恐怖を味わった人間をイエスキリストは「勝利の雄たけび」で迎え入れるだろう。
しかも、生きている人間で「彼の死」を予言したものへの屈辱はどうなるのだ?
「死はみんなに平等だよ」
他人の死を予言するなんて寂しい生き方ではないか。
天国の舎弟になるという宣言に過ぎない。
天国のキッス 松田聖子

イエスキリストは「ヤコブは父としての経験がある。だったら私の側にいなさい」と言ったし、「エサウは父としての経験がない。祈ったことがないのだろう」として、エサウは「地獄の住人第一号」となった。
エサウは「究極のエクスタシー」を経験した後に、あの世で「女性たちのパワー」を思い知らされた。
女たちにモテすぎたために殺されたイエスが、自分の側におきたくない男がエサウという「父に認めてもらえなかった」男だった。
「女たちのパワー」とはつまり、誰もエサウの命の心配をしなかったから経験するものであり、死ぬ前に這いつくばるように生きさせられ、最後にイエスが「私は彼を認めない」と言った者がエサウであった。
「父になる」というのはそれほどイエスキリストが重視した経験だった。
テモテ1 2:4は「女たちはあれほど、真実を教えてください、と言っていただろう」と記している。
つまり、アウグスティヌスが「全能の神」として、男女が愛し合うように誘導し、国家財政を豊かにした経験からヨーロッパ中世は始まり、アウグスティヌスのように男女が愛し合うために試行錯誤したのが哲学の歴史であり、それを理解しない者は「ほんらい子供がもてない」存在だったのだ。
アダム・スミスが「サラリーマン」というものを作り出すまでは、そのような信仰は確実に存在した。
のちに語る「デカルトの恋とマスターベーションの関係」が、国家財政のあり方を全面的に書き換えて、必ずしもセックスだけが気持ちいいものではないような究極的快楽が内省(マスターベーション)によって可能になった。
デカルトの登場でヨーロッパ中世は終わりを告げたのだ。
デカルトは「天国と地獄の区別を破壊した」とも言われた。
最高に気持ちのいい「内省」を明らかにしたため、国家財政のコントロールが困難になった。
アウグスティヌスは「地獄」「女たちのパワー」をエサウに経験させなければ、「誰も女の子の誕生を喜ばなくなる」と考えたようだ。
女の子の誕生を歓迎する文化がなければ女の子は生まれにくくなるし、財政の問題を生じさせたり、都市計画が難しくなる。
「神は誰も憎んでいなかったんだよ」
ヒトラーは、女たちにはモテたが「父親ではなかった」「祈りを知らなかった」という表現がなされた。
アウグスティヌスもカルヴァンも「若い子供の死」を憎んだために小児科が発達した。
女の子を歓迎する文化を作るために汗をかいた張本人だったために当然だろう。
ヒトラーはこのような仕事はしていない。
「父ではない」からであろう。
アダムがリンゴを食べた時に、このような「神の計画」が練られた。
胎児はお母さんのお腹の中にいても「アダムに怒っていた」とも言われる。
男の子に生まれても、女の子に生まれても「優劣をつけなければならない世界」に放り出されるからである。
とにかく、優劣を最初につけておこうと思って「ギャンギャン」泣くことから人生をはじめた。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

「女を知らない男の方が罪が少ないのではないでしょうか?」アンセルムスは問うた。
あのね、それを言うのならばアダムを批判しなさいよ。
神の計画なんだからね。
そのような答えしか考えられなかった。
アダムの林檎

とにかく、生まれた時に「勝負を仕掛けて」ギャンギャン泣いた子供は心臓がデカくなった。
のちに心臓病の原因にもなるものでもあるが、「強心臓」という取り柄がついた。
プロ野球のピッチャーにそういうのが多い。
手のかからない子は心臓は小さいが、罪深さもない。
しかし、生まれながら罪の少ない男の怖さをいずれキリスト教社会は知ることになる。
デカルトの内省(マスターベーション)は、ヨーロッパ中世の財政学をぶち壊したが、アダム・スミスが生み出した「サラリーマン」は、もはや、近代ではなく「現代」を作ってしまった。
世界が「宗教とは何か?」を見失ったのだ。
私も、東大法学部で「病気で就職を見送る」ということがなければ今のように宗教を語ることもなかっただろう。
「中年になったらあんがい人生は楽しいよ?政治家みたいなゴロツキになるけどね」そのように答えよう。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

男女の明確な区別を惜しむ声はいまだにある。
LGBTなども根強い支持を持っているのだ。
男女の間の「川」だけは、認めたくない、みんなで仲良く生きたい、と思う人もいる。
しかし、セックスしている時の「孤独」は、まるで「死」を容認しているかのようだった。
女たちは「巨乳に吐き気がするのよね。地獄は嫌い」と言ったし、白組(天国)の連勝街道は今年も続くだろう。
AKB48 river

42歳の女は人生を楽しんでいても、342歳になったら「人生に飽きる」だろう。
30歳の人間は、300歳になっても「飽きない」というようなことは想定されていない。
適当に「死とは何か?」と語れる環境が作られてきたのだ。
男女の川にその答えを求めるしかない。

「我思うゆえに我あり」というものは、いろんな女性を見てきたけど、男が女の「ランキング」をつけていることなど女たちは知らないだろうな、ということを意味する。
それほど「思う」という営みは「安全な」作業だったのだ。
「自分の内面の探求に向かった」と言っても、気になる女の子のことを考えることを意味したため、なぜその女が気になるのかまで説明が必要になる。
暖かい日に「寒気がする」と言っていた女に「仕事のしすぎで、しかも酒が足りないんでしょう?」などと会話した思い出などを思い出しながら「自分の内面は誰にも分からない」と考えるものだ。
「恋」というのはコミュニケーションがなければ成立せず、「一目惚れ」と言っても、そのあと、追っかけをやったりしてコミュニケーションを求めるだろう。
自分の「マスターベーション」(内省)をより気持ちよくさせるために、男女ともに金を払うことになる。
「我思うゆえに我あり」というのも、自分がお金を使う理由となるのだ。
テレビに出ているから、あるいは「仕事をともにしたから」などの理由から「想い」というものは生じる。
時には「キスをする」というかたちで触れてしまうこともある。
CoCo ファーストスノウ

内省(マスターベーション)というものは「記憶に頼らない」「女の局部に頼らない」ことにより「自然に湧き出てくるもの」をエネルギーにして行うのが最も気持ちがいい。
そのために「追っかけ」というものは生まれるし、追っかけられる存在は「自分の美しさ」「コミュニケーション能力」などを磨くだけで「追っかけは相変わらず存在する」ことになる。
これを理解しないと「ファンを逃がさないわよ」「前へ前へ」などと焦ることになりかねない。
デカルトは「恋」というものを、「芸能人が生き急がない」ために研究したのだ。
「自分の美しさ」はともかく「コミュニケーション力」を磨くという意味では「恋」も知性を目指した。
CoCo ライブバージョン

自分の「追っかけ」がお金を出してくれるために、男は「自分の美しさを磨く」「コミュニケーション力を磨く」ことになる。
本を出版し、人脈を広げていくのだ。
宗教家の「出題」にも自分なりの答えを示さなければならない。
芸能人と宗教家は常にキャッチボールをしている。
芸能人は「追っかけ」「お金」を維持するために「宗教家の問いかけ」に答えなければならない。
今回の私の出題した問題、

天国と地獄を「男女の二元論」から解け。
ヒント:天国とは「生きている人に犠牲になってもらうための」概念。
   地獄とは「人に悪いことをさせないための」概念。
   つまり、天国とは「男の研究」であり、地獄とは「女の研究」である。

デカルトの「恋」と、マスターベーションの方法について述べよ。
ヒント:内省とは「記憶に頼らない」「女性の局部に頼らない」ものである。
   つまり、たった今、話をした女性でマスターベーション(内省)をするのが作法である。
   しかも、女性の局部に頼らない、つまり、日常生活の女の姿を想像するものだ。

にも答えてもらいたい。
そうでなければ「追っかけ」「お金」を維持することはできないのだ。
作品力で生きているのか作家なのか分からない芸能人はたくさんいる。
筋肉少女帯 踊るダメ人間

宗教に帰依する芸能人は多いが、私は神社仏閣の人間として、常に芸能人と共存し、時には批判の対象になりながら、彼らを「マスターベーションの対象」にし続けなければならない。
美しさでは芸能人には敵わないが、コミュニケーション力で常に芸能界を挑発しなければならないだろう。
それでこその「追っかけ」「お金」「収入」であるからだ。
デカルトは、内省(マスターベーション)の方法を明らかにし、なぜ、自分に追っかけがいるのか?
ということから「生き急ぐ芸能人」に真実を示した。
マイケル・ジャクソンが、はたして「グルーピーの心理」を理解していたかは定かではない。
女を買うために値段(日経平均株価)や、国の男女が愛し合う(セックスをする)ことから生じる税収の心配よりも大事なことだと考えたのだろう。
いずれにせよ、ローマ帝国・神聖ローマ帝国は、いろんなものが制御不能になり崩壊に向かった。
国全体のあり方というよりは、より個人主義的な方向に向かったのだ。

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