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2018年12月23日 (日)

老人福祉元年。

年寄りは、もはや色恋沙汰から縁遠くなっており、若者が異性のために使うお金の使い道をよく知っている。
しかも、「他人を助けなければ儲からない」ということをよく知っている。
そのために「豊かなシルバーライフ」を国は保障した。
酒井法子 おじいちゃんis watching TV.

「己を犠牲にする者にお金を残したい」
ここに、豊かなシルバーライフの出口がある。
「俺が俺が」という姿は年寄りはもはや愛してはいない。
1971年の福田赳夫の「老人福祉元年」の資金源は、公益法人への寄付の非課税から成り立っていた。
介護や医療の現場には「人助けをする妹たち」に満ち溢れていたからだ。
年寄りを大事にすることや友情を大切にすることのためにお金を残すため、電車でも「お年寄りに席を譲るように」というアナウンスがなされる。
とにかく「団結」のためにお金を残すのは事実であり、それが身内であるのか、それとも公益法人であるのかは人それぞれである。
特に、人生を夫に奉仕してきた女性への同情は強く、「俺が俺が」という者は相続から排除される。
団結が人々に何をもたらすのかも考えなければならない。
母に生贄にされた息子なども当然、救済の対象になる。
とにかく「孤立」を憎むのが年寄りなのだ。
中年になったら年相応に人の輪の中で笑っていなければ「子育てに失敗した」という思いが残る。
そういう者に限って遺産目当てで生きるためになおさら嫌われるのだ。
遺産目当てで「遊び人風情」を演じる人もいる。
仕事なんて覚える気はないのだ。
仲間が電話してくれれば仕事をしているふりができる。
源泉徴収票を見られるけど、仲間さえいてくれれば稼ぎがなくても人として認められる。
最後に年寄りは聞いてくるだろう。
「白人をどう思っているのか?」
この答えを間違えてはならない。
尊敬の念を示さなければ年寄りは絶望し、公益社団法人に遺産を寄付するだろう。

寄付金募集。
日本赤十字社。

老人福祉元年の限界を細川政権は迎え、その「資金源」の目測を誤った細川護熙は国民福祉税構想を打ち出し、退陣に追い込まれている。
このあたりは「官僚を掌握しきれなかった」という理由がありそうだ。

国は、「神は死んだ」という父と息子の関係に介入することがある。
①父親が薬物を息子にも強要した場合。
②シートベルトを着用していない父がいた場合。
ヘルメットを着用しないでバイクに乗ったり、ライフセーバーのいない海で泳いだりするのであれば、「年金が欲しくないのか」とみなして放置するしかない。
薬物で父と息子がともに壊れていくのはダメだ。
父がシートベルトを着用しないのもダメだ。
しかし、若者が危険な行為を行うのは仕方がない。
「神を殺してはならない」「父が祈りを知らなければならない」
このことだけのために「年金」という制度は作られている。
父と息子の関係から「祈り」「神」を感じて欲しいというニーチェの願いからのみ、年金という制度は成り立っている。
父親が社会生活を送っているのであれば、社会人としての体面があるだろう。
「祈り」と「神」の二つが成立しない無神論国家ならばそもそも年金制度などないのだ。
そもそも、父が「祈りたい」時ってどういう時かを知らないといけない。
「病気が治った」
これしかないだろう。
息子が「医者よりも優れた力量で」父親の病気を治す、こんなとき以外に父が「祈り」「神」を知るわけがない。
「どれだけ多くの女性患者を診てきたんだ?」
そう思って祈るのだ。
それだけのために「父親を生かす必要がある」と考えたのがニーチェだった。
高齢社会とは日本国が神を信じた結果だったのではないだろうか。
男社会で生きている証拠を見せるしかない。
銀行口座をパソコンで操作して息子をコントロールしようとしている父親が存在することを見失わないでもらいたい。
ニーチェは生きていることを教えてもらいたいのだ。
これが年金制度の奥義である。
証拠を見せて 工藤静香

また、父親にコントロールされている息子が「カントを学んでお金儲けをする」ことも証明してもらいたかった。
ニーチェが作った年金制度を「カントによって卒業する」という仕組みが想定されているのだ。
ニーチェは「父に」社会に出ることを求めたし、カントは「息子に」社会を知ることを求めた。
ひきこもりなどどの哲学者も歓迎していない。
カフェテリアがあること。仲間に加わったり離れたりすることがあること、貯蓄ができること、たくさん食べること、交通が安全であること。
藤本美貴 大切

さて、このようなニーチェやカントを見ていると、年金の仕組みは分かるが、「働いている若者」にはピンと来ないものがあることが分かる。
「働く」ということそのものが「自分を持つ」というリバタリアン的なものであることを示している。
学歴社会というのは「恋愛の低年齢化」という「鉄」に反発したものであるが、その後、アダム・スミスの立場から就職しようが、カントの立場から「政治家になろうが」自由である。
しかし、年金ぐらいは納めたらどうであろうか?
親としての「最初の祈り」ぐらいは果たしたほうが好ましいだろう。
酒井法子 サンクチュアリ

「医学」
自分の病気を治すためには、まず「自分の痛み苦しみを有名にする必要がある」ということが指摘できる。
しかし、現代においては「高血圧」という何の自覚症状もない病気が「有名」なのだ。
このことを考えると、現代医学においては「解決不能な痛みなど存在しない」ということが指摘できる。
「俺の痛み有名になってくれ!」
これが病気を治す基本なのだ。
酒井法子 All Right

妻が妊娠したりしても、医者にかかるが、目的は「異性に愛されたい」からであり、不定愁訴を医者がジャンル分けしてきた歴史がある。
本当に気分がよくなってようやく「この病気だったんだ」ということが明らかになると考えたほうがいい。
男は、女性に取り囲まれると気分がいい。
これが健康の最大値だと考えてもいいぐらいだ。
社会全体をそのように誘導しなければならない。
意味を感じない研究など止めてしまえ。
どのみち予算が下りないし、社会が不健康になる。
夏目漱石も「三四郎」において東大の研究をそのように表現しているだろう。
それと、「同性の同世代」を大事にすることも健康の秘訣だ。
「普通って何だろう?」ということが分かる。
内臓が普通であるかどうかも「同性の同世代」の振る舞いを見ていればおのずと分かる。
1974年のDSMにおいて「ホモセクシャル」が病気だとされた。
男が「女たちに囲まれて」ようやく自分の健康の最大値を知ることからそのようにジャンル分けしたのだ。
成績が伸びて周囲の女の子にもてはやされないのであれば、これも勉強する意味がない。
そもそも「男として、女として」遺伝子が正常なのか?が問われる問題である。
ふたなりなど病気に決まっている。
とにかく「病人は他人に危害を加える」ということも指摘していい。
「女たちに取り囲まれる男」が健康であるとするのならばそのように表現できる。
内臓が悪ければそもそもモテないと思う。
松田聖子 赤いスイートピー

「もっと女の子たちと自由に話そうよ」という共産主義体制において、犯罪とは病気であるとされたことを決してバカにできない現状が医学の世界にはある。
女性に取り囲まれた時の男がもっとも健康的だとされたからだ。
ベトナム戦争の評判の悪さもここに由来するものだ。
精神医学は精医連の頃から共産主義にシンパシーを感じていた。
お金を払う男も当然いるだろう。
お金を払わない男は「垂加神道」の専門家だけじゃないか?
「女たちに囲まれていれば男は健康だ?」
当然、世の中には硬派な男がいて、それを批判的に見る文化はある。
しかし、遺伝子にまでさかのぼって「そのうち分かるよ」と答えるしかない。
うしろゆびさされ組

本などの情報に触れる機会がないと当然、このような男は出てくるし、それを否定することもできない。
なにしろ、国の体制や文化に関わる問題だからである。
遺伝子と文化を見ながら「失敗国家」であるのかどうかを見定める必要がある。
エビデンスというのは「病気の理由を話しただけで気分がよくなる」ものだ。
そこから治療が始まるし、あるいは「認知行動療法」として、エビデンスだけで治ってしまう病気もある。
まずは、病名ではなく「原因・理由」を話すことが必要だ。
このあたりの力量は法学部を出ても身につくが、女たちが取り囲むのもここに理由がある。
また、「客人がお茶を交換しただけで大慌てするご婦人」がいることも病気の原因としてしっかりと理解しなければならない。
毒物というのは、「医学の敵」であるからだ。
不定愁訴がここから始まるのであれば「買った緑茶」を勧めるしかない。
また、モルモットを人間の健康のために利用することを恐れてはならない。
あとは、何か言っても殴り返してこない「女性」を多く診ることだ。
その後で男を診たほうがいい。
あとは「診断のパターン」を自分なりに確立しなければならない。
それは「患者の喜ぶ顔」で自然に身につく。
医学のプロになるためには「常に病院にいなければならない」ということと、医者の格付けの対象になっていなければならないということが挙げられる。
チーム医療ではない。
個人の力量の「腕比べ」の対象にならなければならないのだ。
それさえ分かれば「医学書はいいお友達」になってくれるだろう。

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