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Foreign Affairs

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2018年12月 1日 (土)

天台宗。

ポーランドのワルシャワスクールと「角度」の関係はカメオのコンパクトに表現されている。
カメオのコンパクト 渡辺美奈代

天台宗は、中国において作られた宗教である。
基本的に、「完璧なコンテク派」であり、髪の長い女たちの話で僧たちは盛り上がった。
「法界」というのは「処女」「髪の長い女たちの世界」という意味であり、「法界対法界は法界からくる」(法界対法界起法界)とされ、女同士の「ひとりの男の奪い合い」を論じた。
軽い気持ちのジュリア 酒井法子

女をメインに論じても吐き気がしなかったのは、僧の世界が「男社会」であったからであり、
コンテク派というものは、男社会で「誰が最も女に詳しいのか?」を競い合うものだった。
男だけの社会で「女の話」をしない男は序列が低く、よく練られた「女の話」ができなければ出世はおぼつかない。
一日中、女たちと話すぐらいの余裕と読書量が求められ、「男と女」という「二つの真実」の立場に立つか、「男と、セックスできる女、できない女」という「三つの真実」の立場に立つかが考えられ、「三つの立場を知っている男の方が面白い」と言われた。
「髪の長い女二人が一人の男を奪い合っている」
法界対法界起法界は絶対の原則であり、髪の短いセックスできない女は「だからフラれるんだ」と語り合った。
セックスさえしっかりできていれば男は心変わりしないものなのだ。
悲しみが止まらない 杏里

男社会では「炎」つまり「セックスできる女」と「嵐」つまり「セックスできない女」の存在を語る必要があり、「勃たない男」はそもそも想定していない。
炎のように嵐のように

周囲の大人たちは「神」として髪の長い女に育てたのに、なぜ「セックスできない女」が生まれるのだろうか?
貧乳ばかりはどうしようもない。
巨乳を揉みたいという男の願望があったり、抑圧を受けていたために「胸が感じない」などの理由があるのだろう。
髪の長さだけでは測定できない「三つの真実」が存在し、そのことに詳しいと男社会でも恐れられた。
セックスとは「女が胸を見せる」ものだ。
そこで、女を芸能界デビューさせて、男社会で「エクスタシー」を感じさせて、胸を性感帯とすることにより、女を「セックスできる体」にする方向が模索された。
しかし、この仏教界のムーブメントは、「女の膣の感度が悪くなる」という結果をもたらした。
感度が悪い女は「笑わない」という特徴をもっていた。
貧乳女の感度の悪さには「諦めが肝心」と言われている。
よく笑う女を相手にした方がいいとされたのだ。
男社会で「セックスできる女」(炎)と「できない女」(嵐)を語って、影響力をつけ、女を芸能界デビューさせて胸を性感帯にし、最後に、お坊さんが「女を笑わせる」ことにより、膣も性感帯にするという「諸法実相」という方法は考えられた。
ようするに、いかなる性倒錯にも詳しくなることが必要だったのだ。
経典(論文)を読む必要があり、動画で研究しようなどと安易なことを考えると自分までおかしくなる。
経典(論文)で研究する必要がある。
女の「性欲」の発信源は「子供を産みたい」というところにある。
しかし、自分の「性倒錯」を理解してくれない男の子供など産みたくはない。
胸が貧乳、抑圧を受けていて感じない、獣姦をした、いろんな話をして、女を笑わせるという姿勢がお坊さんには求められる。
膣が感じないのは胸から来る。
「一念三千」
「男と、セックスできる女、できない女」の世界には、「三千」のパターンがある。
世の中の男が必ずしも皆、お坊さんだとは限らない。
セックスに失敗してどっちらけになっている男の存在があるから、女たちは自分のフェティシズムに収斂されていったのだ。
女に詳しい男を天台宗においては「ゼロ」と呼び、深刻な経験をしたことのある男たちにはウケたのだ。
深刻な経験をした男たちが下ネタで盛り上がることを「開灌顕実」と呼ぶ。
優しさに帰れない CoCo

化法四教と言われ、処女との初体験の失敗談が「貧乳女」「髪の短い女」との間に残された場合は秘密(蔵)であり、みんなに言えること(通)、悲しい思い出(別)であり、完璧(園)だった。
お坊さんがいやらしい話をするのは、みんなが深刻な経験をしていたからこそ場を和ませるためだったのだ。
「初体験の女と結婚したのか?」と言われると、みんなが沈黙した。
初恋の人と結婚することは、笑いのセンスを失うこととなるために、お坊さんとしては失格なのだ。
何かが道をやってくる CoCo

男たちが「下ネタ」で笑うことそのものが「すべての瞬間を永遠にする」ものであった。
おちんちんは「蛇」かと思ったら「縄」だったわ。
女たちも笑うことでそう思った。
牧師さんは芸人ではなかったが、お坊さんは芸人に近い。
女たちも「十字架蛇説」を否定するのが天台宗だったのだ。
Union of the snake

とにかく、いろんな人の「性」概念を聞いて回る必要があった。

グローバル化を迎え、しかも、グローバル化は「異性を愛する」ことの意味を主張するにいたり、「半端な男」はどうしても生まれざるを得ない。
詩で歌われるのか?犯罪を犯さないのか?女たちに囲まれるのか?
グローバル化した社会においては「完璧な男」と「半端な男」が区別される。
グローバル化は「男が女を愛する気持ち」(経済)を最大限に利用する経済至上主義の立場に立つ。
それは「お金の起源」からさかのぼった考え方でもある。
「髪の短い女」でも「貧乳女」ですらも「抱かれたがる」男というのは確実に存在する。
「すべてを理解してくれた時」
性倒錯の「複雑なパズル」を彼氏が解いたときに、すべての女が「女」になると言われる。
これが「経済至上主義」の正体である。
秋の貝殻 クレア
お金の起源。女を買える、金額を数えられる、すべての女に通用する。

この、ケインズ主義に立つ「お金の起源」の発想はいまだに有効性を見せており、誰も「ケインズを殺して」はいない。
むしろ、ケインズ主義の立場から「人工知能の爆発」という実験を行い、哲学が構築されたのだ。
それは1960年代から現在までへと続いている。
ニクソンショック(ドルの金兌換制廃止)も、社会契約論から説き起こす金本位制の放棄であって、ケインズの復権と哲学の世界の自信を示している。
ケインズ主義は「愛されたい女」を大勢出したし、「美の探究」の病理面も見せる。
金兌換制のシンプルさも魅力であったし、優劣はつけがたい。
ribbon Be my diamond

一方、経済政策を「メディアにおいて行う」ということの有効性をケインズ主義は示した。
「女の美しさとは何か?」「愛される女とはどのようなものか?」というモデルは必ず必要であることがわかったのだ。
サミュエルソンが「メディア」を巧みに用いることを考えた。
「美しさ」「愛される女」を政府がコントロールできることも分かった。
今夜もニュースホリック 酒井法子

一方、メディアを用いると「女が比べられる」という、「女の命がけ」が公然と行われるようになる。
本来、告白の時の命がけが、オンエアで行われるようになるのだ。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

そこには「髪の短い女」もいたし、「貧乳女」もいた。
経済は「天台宗が直面した困難さ」と同じ問題に直面した。

金本位制が社会契約論に基づくものだとすると、その魅力はいまだに色あせないものがある。
学校というものが「権威である」ことからこのような理論が生まれたのだ。
しかも、みんなで同調行動を取るというのが学校である。
PTAや子供達の同意のもとで成立している世界でもある。
19歳になるまでセックスしてはいけないことから生まれた「卒業」がまず、なんでも吸収できる時期に中学で行われる。
松田聖子 制服。

かなり集団主義的に同調行動を取らなければ、みんなが共感できる音楽作品は生まれない。
女子を排除しないという発想も大事である。
高校時代にはセックスしてはいけないことから「切ない夏休み」が生まれる。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ。

勉強する場であること、そして人生のスタート地点であることなどが社会契約論の基盤であり、青春の一コマに「このまま時が止まればいいのに」と思うような子供達が日本銀行に富をもたらしている。
仲間内でのルールを決めたり、そのことにより男らしさを磨いたりするのだ。
しかし、学校生活という日常にはセックスなど存在しない。
もちろん、憧れの異性は男女を問わずいるのは当然である。
仲間内でのルールほど疑わしいものはない。しかし、子供たちはそれを楽しんでいるのだ。
権威が作る「卒業」「夏休み」というルールには到底かなわないことも知っていた。
怖い奴がいたから多数派工作もやった。
しかし、最後の出口である「進路」にうまく繋がらなければならない。
乾杯 長渕剛。

世論の支持や、女の子たちの気持ちを配慮しながら、通貨のあり方というものを考えなければならない。
ベトナム戦争のような「悲しい知らせ」つまり、共産圏という「女たちともっと自由に話ができる文化圏」の連中と戦争をした時に、しかもベトコンを殺した時にニクソンは金本位制の廃止の決断を迫られている。
NEWSな未来 CoCo。

この金本位制の本当の意味を明らかにしただけで、日本銀行は金塊の山をイングランド銀行に持つことになる。
女たちにポルシェを配るのはのちの話となるだろう。
免許を取ろう 高橋由美子。

そもそも金本位制(社会契約論)は、女たちのスターだったエピクロスにまで遡ることが可能だ。
その後、王子であるホッブスやルソー、カントにまでその影響は及んだ。
大人たちに守られた小学生女子は、やがて中学高校でいろんな男子と話をする。
その中で自分の「女であることの違和感」をなくしてくれる男子が必ずいるとしたのが金本位制(社会契約論)である。
アメリカ合衆国も州の中でだけでなく、連邦政府にまで「越境」する男子の存在を作り出した。
男の境界線を全米レベルまで最終的には広げたのだ。
同じ家庭内に閉じこもっていたのならば男は伸び悩むことがある。
そのために連邦政府を作ったのだ。
本をよく読む男子と読まない男子がいたが、クラスでの多数派工作は本を読まなければできなかった。
当然、現代文なども先生の言うことをよく聞いていた男子が仲間が多かった。
なぜ、男子は仲間が必要なのか?
それは女子が憧れるからだ。
通学列車 モーニング娘。

家庭内での主導権は常に「仲間の多さ」にしたがっている。
東大文一にまで受かったのに伸び悩むのならば、家庭内で薬物を飲まされているとしか思えない。
書斎人であることよりも、もっと「仲間づくり」を考えたほうがいいのではないだろうか。
いずれにせよ、日本の学校というものは「大学入試を大人へのゲートウェイと考えている」ものだ。
王子であるホッブスや、略奪愛をする女の信教の自由を認めたロック、さらにはポルノの顔にすらモザイク処理を施したロールズなどが政府の考えを構築し、大人へのゲートウェイをトップレベルで通過した男であるのならば、ポルシェの馬車をもった女が近づいてくるだろうとしたのが金本位制(社会契約論)である。
なにしろ、女は男が男らしくなければ「女」になりきれないのだ。
ポルシェの馬車という「持参金」がなければ東大生の中には女に見向きもしない男が出てくる。
クリスマスシンデレラ 酒井法子。

処女のまわりに男たちの「序列」は作られる。
まるで「親衛隊」のように序列は作られるが、必ずしもトップが処女とセックスできるとは限らない。
詐欺がここに契約の問題として出てくるし、序列に誠実であることも契約の問題として指摘できる。
詐欺と誠実は「処女」のまわりで起きる出来事である。
銀行は常に「誠実さ」を売り物にしているため、処女のまわりにいる男たちの「序列」を見ているのだ。
なぜ銀行が「誠実」なのかはやはり「貝殻の値段」を見ているからであろう。
ここで、社会契約論から、よりプライベートな「契約」の話をするとケインズ主義が「学校」のような公の約束事など相手にしていないことがわかる。
「知らぬは男ばかりなり」とでも言わんばかりに女は貝殻の値段を高い水準に保った。
中島美智代 天文台と海岸。

公の社会契約論はたしかに金本位制の基盤となり、日銀がイングランド銀行に金塊を積める。
しかし、女が「貝殻の値段を高値に維持しようとする」というケインズ主義とはどう関わるのだろうか?
男が女をめぐって殴り合ったなどの記録を丹念に残すしかないだろう。
つまりは「進路に悪影響を与える」情報となる。
誠実さがあれば中堅クラスの高校には誰だって行ける。
詐欺が存在するのならば進路には致命的な情報となる。
貝殻の値段などもはや存在しない女を相手にしたのならば、もはや先生も「前向きな返事」はできなくなる。
男の序列を認め、処女を取り囲む、これをエストッペルと呼び、コツコツと階段を登っていかない男は財産すら保障されなかったのだ。
1960年代にエストッペルは構築が進んだ。
女が処女でなくなるとその周りのエストッペルは崩壊する。
そのため、必ずと言っていいほど女の「信用情報」は周りの女が正確に発信していた。
ハロウィンナイト AKB48 。

男社会の序列をコツコツと登っていこうとする男を「誠実」「頑張り屋」と呼んだ。
詐欺というものは「女」というものをより正確に理解していたのかもしれない。
しかし、誠実な人間ほど女を愛したし、経済力に勝っていた。
ハードコアが蔓延すると、エストッペルは機能しなくなるかもしれない。
しかし、よりオーソドックスな「女との約束」がエストッペルにはあった。
CoCo メロディー。

カントは「お金とは貝殻である」という立場であり、「髪が長くて巨乳のお姉さん」を口説く研究をしたが、しかし、「誰もが学校生活を経験しているのは事実だ」としてのちのケインズ主義と金本位制の同居を念頭に置いていた。
なにしろ「学校で勉強しなければ口説き文句は覚えられない」ことからこのような結論となっているのだ。
「勉強は金になる」「しかし、女子たちもクラスにいてくれるだけで金になる」そのように考えていた。
どんなに成績が悪くても、そもそも高校というものの趣旨が「国の豊かさ」にあったので留年など想定されてはいなかった。
「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」という立場から「勉強だけが学校の目的ではない」と先生は語るだろう。
読まなければできない「多数派工作」などを念頭にクラスというものを考えていたのだ。
19歳で女らしいお姉さんにはどの男も魅力を感じるだろう。
問題は「お金」の裏付けをどこに与えるのかである。
女は美しければお金がもらえるのか?男は勉強ができればお金を手にできるのか?
そもそも「女の子目当て」で男の子は勉強したのだ。
そこにどのようにお金を絡ませるかは、国の大きな富の動きを背景に子供達に与える必要がある。
人間は、異性の問題に関しては他の友人に対しては譲れないことばかりだ。
男らしさと女らしさをうまく学校としては作り出す必要があるし、そこに国全体の富が委ねられているのであれば、貝殻(女を買える、値段が数えられる、どの女にも通用する)を認めながらも、より大きな視点で金本位制(社会契約論)と向き合っていかなければならないだろう。
そもそも、社会契約論といっても「卒業」「夏休み」だけでなく、男女は「家族のメンバーとして生まれる」ものである。
家庭内でのお金の循環を無視しては男らしさ、女らしさは生まれない。
家庭内には夫婦生活もあり、税金が課されている。
しかし、「19歳のきれいなお姉さん」が誕生すると日銀は金塊をイングランド銀行にもてるのだろう。
なぜ、税金を課すのだろうか?
そのあたりは「夫婦生活の安全を警察に守ってもらうため」と説明する以外にないだろう。
人間の半数は女である(民主主義)。
しかも、セックスそのものが財産であり、お金が動くものだ。
どのような「豊かさ」を持って男女が「結婚」という社会契約に至るのかも考えなければならない。
「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」ということにお金がともなうようになったら「モテない男」は犯罪でも犯して罰せられるだろう。
なにしろ「貧しくなる」からである。
しかし、カントはこのような趣旨で「刑罰とは復讐に起源をもつ」という応報刑論を過去の遺物としている。
「女子たちの支持を再び取り戻せるように」
それを刑罰の基本に据えたのだ。
高橋由美子 Will you marry me.

カントはこのような世界がうまく機能することを「永久平和のために」で記したし、外国国家は「自分の国はカントの教えにより忠実である」ということを競い合い「おもてなし」と呼ばれる観光客誘致の政策を練った。
カントにどれほど詳しく豊かな国なのかを外国人は見に来ていたのだ。
ルソーはエミールにおいて、「カントの理論が子供達の噂になるのには時間はかからないだろう」としている。
ゼロ年代は、少子化に悩んだ時代だった。
「子は宝」という研究が世界レベルで立ち遅れていたのは認めざるを得ない。
「資金面で少子化対策をする」というものではなく、そもそも女の子が育てば日銀がイングランド銀行に金塊を持ったり、男の子であれば女の子の扱いに上手くなって金持ちになるという発想がなかったのだ。
学問が「子供」と向き合う姿勢が金融によって全く異なるものに書き換えられたのは少子化問題という「危機」に直面したからだ。
「家庭に入る女の方が野心がある」という発想が「働く女性」にはなかなか理解困難な側面もあった。
永劫回帰(親子の永遠の繰り返し)は、宗教の発展と祈りのためには絶対に必要なものだ。
また、子供が歳をとってから両親に「両親の人生とはこのようなものだったんでしょう?」と語り合うこともない。
親の人生を正当化するのは息子しかいない。
そのようにして親子で認め合い、お金の面でも助け合うという、つまり、より死に近くて国からお金をもらえる両親から息子が資金を引き出すという学問も少子化問題は「危機」を迎えていたのだ。
カール・シュミットは「家庭によりけり」ということは理解していた。
母親に逆らえないマザコン坊やのいる家庭もあれば、母が尊敬の眼差しを向けるようになる息子のいる家庭もある。
少子化の問題は「家庭によりけり」ということは理解しなければならない。
マザコン系とイエスキリスト系の家庭が存在するからだ。
マザコン系の息子はニュートン物理学で「加速度」を研究したが、イエスキリスト系の息子は「重力」つまりアイドルが詩のモデルにして歌うことを研究した。
いじめられた美女はイエスキリスト系の孤独な男に近づいてくる。
マザコン系の息子はみんなの輪の中心にいるだろう。
輪の中心にいればお母さんがお金をくれるというのもひとつの考え方であり、否定はできない。
しかし、キリスト教が想定していた永劫回帰はイエスキリスト系の男によって実現されるだろう。
ヘイジュード ビートルズ。

本ブログを読んだら、女性と話そう。
人類の半数の「眠っている命」について感じることがあるだろう。


女を口説く上では「ポルノに出たことある?」という問いかけには慎重にならなければならない。
本当に「セックス可能な」女は、女になれた喜びでポルノに出る事例が多いからだ。
男は「当該ポルノ作品」を特定するために目を皿のようにしかねない。
このあたりは、女を買う、金額を数えられる、どの女にも通用するという「お金」を割安にしたいからであろう。
ポルノは明らかに、「女の特定」「株価の暴落」をもたらすだろう。
なにしろ「3テラ」もデータを持っている男もいるのだ。
グローバル化に対応した男にはない習性を「半端な男」は持っている。
詩で歌われる、犯罪を犯さない、女たちに囲まれる、この三つが「グローバル化に対応した男」の条件だ。
モテる男でなければ「ポルノに出たことある?」という問いかけにはかなり厳しい現象が女に襲いかかるだろう。
そのため、「ポルノに出たことある?」という質問にはレズビアンであるなどの確証がない限り慎重にならざるを得ない。
ましてや、小学生などの「ピアノ算数」をやっている段階の女の子は、髪の長さや胸の大きさに関係なくポルノに出演させてはならない。
このへんも「グローバル化」の課題となるだろう。
なにしろ「女を愛する」ことを至上命題とするものだからである。
制服を着ている間、処女ならば19歳になったらフィアットを買ってあげる、
という金本位制は、「幼女に優しい」「国の教えに忠実な紳士を作り出す」というメリットがある。
ケインズ主義の限界は「幼女」の扱いにある。
シルバーリングに口づけを Melody

1950年代とは異なり、ポルノビデオはもはや「貴重品」ではない。
3大テレビネットワークをもしのぐ富を生み出すポルノも、安価で3テラもデータを蓄積させている男がいるのだ。
友達を増やすためにやっているという側面もある。
本人にとっては「特定するのは楽しい作業」であろうし、「満足の行く回答」を人々に与えたがっている。
ニーズを確かめてから商業ベースに乗せる「女」もいる。
女たちは「ニーズの高い女」になりたがっている。
紀州のドンファンの妻は訴訟など起こしてはいないのだ。
しかし、ひとりの男には「ポルノに出たことある?」とは聞かれたくないだろう。
膨大なニーズを確認してから公表している。
この議論は「飛べる昆虫」と「飛べない昆虫」にたとえられ、飛べない昆虫は鷹に狙われるという意味であり、女たちは「飛べる」ようになるまで、ポルノに出たことがあるかどうかは秘密にしておきたいのだ。
ポルノに出演したという問題は「男たちの熱烈な支持」がなければ、女も割に合わない。
しかし、「昆虫理論」さえ理解しておけば、ポルノも「三大テレビネットワーク」以上の富を維持し続けるだろう。
プラスティックの唇


 


日本シリーズでもワールドカップでも、まず最初に日程が組まれる。
その後に、「職業運命論」つまり「女性たちの支持を集める活動」が始まる。
その後に、「宗教運命論」つまり「男らしさをセールスに出す活動」が始まる。
我々哲学者は「2100年1月1日に巨大な海戦が起きる」ことを想定しているのだ。
1900年に世界地図を決めた海戦(日露戦争か?)と比較して、「次の世界地図」は2100年に書くつもりだ。
これは世界の運命論であり、世界各国が「哲学」「ファイナンス」を学び始めた。
哲学では「女性たちの支持を集める活動」が始まり、「男らしさをセールスに出す活動」はそのときになったら全面的に売り出すつもりだ。
今は「女性たちの支持を集める」活動しかなされておらず、2100年のヒーローが誰かは分からない。
しかし、2100年にそのような計画を世界が練っているとしても、オリンピックやワールドカップなどの「戦争ポテンシャル」は4年ごとに行われることになる。
スポーツで戦争ポテンシャルの全体像が明らかになれば、2100年1月1日の戦争は「そもそも行われない」こともあるが、哲学の世界の計画は目的を見失ってはならない。
松田聖子 天国のキッス


 


我々は、2100年1月1日の海戦の勝敗の予測も逐一行っていて、ファイナンスが可能となっているし、核戦争ではないことも知っている。
「お金・哲学が勝敗を決める」というフェアな計画を練っているのだ。
地震や噴火で滅びる国はないし、ひたすら「女性たちの支持を集めて回れ」と世界に発破をかけている。
2100年にどんな男前がいるかまでは心配する必要はない。
「宗教運命論」までは我々は介入できないのだ。
オリンピックやワールドカップを何度経験すればいいかもすでに決まっている。
殺人ではなく「レッドラムRedrum」が勝敗を決めるという意味では「キリスト教の世界制覇」が2100年に予定されている。
なぜなら、世界で噴火や地震が起きるたびに、世界の宗教センターはその地域に「信仰心」を求め、人工地震・人工噴火を諫める活動を行うだろうからである。
政治(女心の定義)が破滅したら国の指導者は地震や噴火でごまかしている。
そのために、2100年1月1日までには「キリスト教は世界の真理」と確定するとされている。
とにかく「宗教運命論」を行うたびに「分派行動」が起きるのだ。
真理が世界に広まるためにはこれほどの時間がかかる。
勝負に強かった哲学を拾い集めて世界が集中するためには「宗教運命論」つまり、「ヒーローとしての男前」を前面に出すのは勝負の時だけにしたほうがいい。
それ以外は「女性たちの支持を集める活動」だけに専念したほうがいいのだ。
さて、「我々は何のために仕事をしているのか?」がこれで明確になるだろう。
2000年1月1日の「ノストラダムスの大予言」を解決した男がいただろう。
日本国の君主が動揺したのだ。
2100年にも同じことがおきるだろう。
いざという時に逃げ出す男は哲学の世界には必要ないし、国は仲良しサークルではないことも分かる。
これを哲学の世界は求めているのだ。
松田聖子 夏の扉


 


宗教とは「若い男前」をプロデュースするために存在する。
大の大人が宗教論争するなどバカげている。
サッカー選手でも野球選手でもいい。
とにかく「政治」(女心の定義)が、「男らしさを語り合う論壇」(宗教)に介入するのだ。
青年の国を作るためという意味はここにある。
くそくらえ節 岡林信康


 


では、どのような「若い男前」に政治は奉仕すべきだろうか?
「この孤独をお月さまは見ているのだろうか?」と考えてトレーニングを終えて家路につくような男を見ている。
若さと孤独こそが、宗教にはふさわしいのだ。
女たちの話題は政治の側に任せておけばいい。
宗教の側は「ひたすら男らしさを」磨いてくれればいいのだ。
ゲーテもフィヒテもそのような「男」を詩にしている。
自然と、音楽作品を聞くようになっているのだ。
フランス革命の時に、女たちの支持をひとりの男に集中させた。
ナポレオンである。
このとき、フランスはライン川を越えた。
ワーグナー ラインの黄金


 


ゲーテやフィヒテ、カントやモーゼス・メンデルスゾーンなど、神聖ローマ帝国はすでに「難攻不落の要塞」と化していた。
ナポレオンはこのとき、英語と英国を理論資源として選択し、「本物の男は800人いる」として、イギリス経験論と800人の男という戦術を取った。
冬の微粒子 CoCo


 


皇帝カントを取り囲んだのは「800人の男たち」であり、自分しか知らない理論を振りかざすカントに対して「800人が理解できる言語に書き換える」という作業をナポレオンは終えていた。
今でも、カントを理解したければドイツ語ではなく英語をやったほうがいいとされる。
「800人の男たちが理解できる言語に書き換える」
これがナポレオンの力量であり、ラインの黄金と呼ばれた。
ナポレオンは「哲学者はおじいさんである」という既成概念を打ち破って、わりと若い時期にその素養を身につけられるようなシンプルな言語を作ったのだ。
「イケメン哲学者」
それもまた、ドイツのヘーゲルから学んだものだった。
「800人に分かるように書くだけで神聖ローマ帝国は滅ぼせる」としたのはスピノザであり、散々、ナポレオンのもとにスピノザからの手紙が届いた。
「我々は誤魔化さない。しかし、体力勝負だよ」
英語という言語のコンセプトがここに完成したのだ。
「英語が出来る人は五万といる」と日本国でも語られているが、はたして「誤魔化し」のなさまで見抜ける人がいるかどうかは明らかではない。
スピノザは「ドイツの女子高生はスカートが短い」というところまで見ていた。
「先生が何を言っているか分からないんだよ」
スピノザからの手紙にはそのように書かれていた。

カントは実績を自分だけのものにした。
しかし、ナポレオンはそれを「800人」に分けることで神聖ローマ帝国を滅ぼしたのだ。
ゲーテの詩までがナポレオンのような人物を待望していたかのように、ドイツ語は病んできていた。
ヒュームがこの話に乗ってきた。
哲学者としては「女には金を払え、長話を聞いてもらえ」と言うようなことしか業績にはないヒュームであったが、ドイツの哲学の蓄積を「よりシンプルに」解釈し、
独自の理論としてではなく、「大衆化」することで「カントを殺した」のは間違いなくヒュームだった。
「ヒュームがカントを殺した」
と考えるのであれば、それは「英語信者」のセリフである。
「あなたと私」
つまり、ドイツ語を英語に翻訳して「仲間が多い、何かやってくれそう」という期待感をもたせるのが大事だった。
運命95 Melody


 


「我と汝」
このようにドイツ語は病んでいたため、スピノザはさらに「愛国心」でも「自己欺瞞」でもいいから、わけの分からない言語を「よりシンプルに」説明してみろ、とさらに手紙をよこした。
英語圏に学を志す男たちが群がってきたのだ。
このことから「あなたの国はこのように見える」というメッセージまで世界に発信し始めた。
いろんな国が「英語という鏡」を通して自分の国を見た。
「我と汝」
これをいかに噛み砕くかだけを考えていた。
国生さゆり あなたよりも愛していたい


 


のちにインドではタゴールが、日本国では小野光太郎が気が付いた問題であるが、発信源はナポレオンにあった。
「哲学の大衆化」
それをやればよかったのだ。


 


聖アウグスティヌスは、五賢帝時代の後を受けたアフリカ人であり、幸福の科学が五賢帝の最後の人物を「聖アントニウス」と呼ぶのもなんとなくうなずける話である。
「出会い」「別れ」「キス」などと記してあったプラトンの詩をすべて「セックスがともなうもの」とし、「全能の神」とは「世の中のセックスすべてを許す存在」であるとした。
しかし、セックスに税金をかけることにしたのだ。
全能の神とはアウグスティヌスのことであり、後期ローマ帝国の財政を支えた。
アフリカ人としては異例の賢さがあり、ローマとミラノを行ったりきたりしてすごした。
詩において「セックスとは神聖なものである」ということを強烈にアピールしたため、だれも「セックスに税金をかける」といっても逆らうものはいなかった。
全能の神とは今でいう財務省であろうが、当時はローマ皇帝であり、「税収見通し」は庶民でも普通に接することのできる情報だ。
「世の中の男女がどれほど愛し合っているのか」を知り、さらにはコントロールするのが「全能の神」の仕事だった。
プラトンの詩の「出会い」「別れ」「キス」などに「神聖な意味」を与え、国を豊かにした。
SPEED I Remember


 


アウグスティヌスは「告白」において、どんな女たちでマスターベーションしたかを赤裸々に語ったが、その理由は「女たちを美しく描きたかった」という動機があった。
「女たちは美しいものだ」
それさえ描ければ、ローマ帝国の財政が安定することが分かったのだ。
男が優しくなる、そのような効果も認められた。
hiro confession


 


女たちを美しく描いてなんら損するものはない。
しかも、税収を把握しコントロールする「全能の神」というものを明らかにして皇帝になり、46年後に死んだ。
一方、「彼氏」「旦那」が「神」であるということも明確にした。
「美しい女と神」が担税力となったのだ。
酒井法子 涙が止まらない


 


彼女連れの男にちょっかい出してはならないなどの「常識」が生まれたし、国全体の税収につながるものだったために、特に「子供連れのお父さん」はもはや「聖域」ともいえる「神」として尊重しなければならないとした。
「告白」(コンフェッション)において、アウグスティヌスは「なぜ、自分が皇帝になれたのか」をすべて語った。
今でいうシャウプ勧告以来の日本国の税法にも影響を与えた。
江戸幕府のお決まりの「質素倹約」などという発想はそこにはなかった。
アウグスティヌスは「告白」において「未亡人と結婚した」と記していたが、名前は特定できず、それも彼なりの「税収目的の作り話」だったのだろうとされている。
奥村チヨ 恋の奴隷


 


「皇帝は純潔」
そのような既成概念を打ち破った。
なぜ、皇帝になれたのかは「後期ローマ帝国の財政を確立した」からであった。
一緒にカラオケに行くとどんな女も魅力的になるとして、作曲も行った。
旋律を詩篇に加えるだけで、ローマ帝国の財政は豊かになったのだ。
愛の炎 田中れいな


 


ひとりの女をめぐって男二人が乱闘騒ぎになるという側面がセックスにはあり、その「悪」を排除する効果が「女を美しく描く」ことに認められた。
「女の子を歓迎する文化」が女の子の出生率を上げたのだ。
ギリシャの頃から知られていた現象をアウグスティヌスは実践した。
SPEED Deep Blue & Truth


 


伸び盛りの時期に「女の話」が苦手で才能を潰されたアスリートも多く見た。
そのためにテキストも書いた。
「皇帝は純潔」というポリシーのあった五賢帝時代にはない側面がアウグスティヌスにはあったが、誰も損をしなかった。
とにかく賢かったのはアウグスティヌスの方だった。
ローマ法、ギリシャ哲学、キリスト教の三つの川が、後期ローマ帝国に流れ込んだ。
ローマ法は「旦那」「彼氏」を「神」とするための教えだったし、ギリシャ哲学は詩を中心に形成されていた。
キリスト教は「セックス崇拝」を基盤にしていたのだ。
なぜ、アウグスティヌスは「財政の達人」になれたのか?
それは彼の「強烈な意思」が背景にあったとしか言いようがない。
「男は賢いほうがいい、女は美しいほうがいい」とするのであれば、彼の皇帝の器は「十分」だったと言って問題はない。
国家財政が悲鳴を上げたときに終末思想や権力批判が起きるため、それを封じ込める力量は群を抜いていた。


 


アウグスティヌスが「全能の神」つまり「国家財政とは何か?」を確立する前(古代ローマ帝国)には、君主制や寡頭制、不完全民主制などがあり、どのみち「女性たちの支持」がなければ指導者にはなれなかったので「理論がなくても財政は安定する」というのが国のあり方であった。
アウグスティヌスによる「国家財政の確立」は「中世の始まり」であり、のちのデカルトの「恋の発見」つまり「イングランド銀行に金塊が積める」という理論が形成されるまでを「ヨーロッパ中世」と呼ぶのだ。
ギリシャ哲学というのは「誰が金集めがうまかったか?」という歴史学や、「性欲はあるのか?」というコメディー、「死の恐怖をなくす」という悲劇、他にもレトリックなどが発展していた。
ラテンウェストと呼ばれるローマ帝国もその恩恵を受けた。
やはり、ポリス(都市)ごとに競い合うというのは非常に大事なことだった。
スパルタなどのように奴隷制を採用する都市もあれば、アテネのようにディズニーランドのような遊園地を持っていて女性たちにやさしい都市もあった。
いずれも官僚制を採用しており、政治家のように「いくら男の学問が発展しても、あなたの胸は絶対だよ」と女の子に言えるような政治家は重宝された。
しかし、政治(女心の定義)が発展しても、全能の神(国家財政を統括する者)がいなかったため、税収はまるで偶然に頼ったかのようにドンと出てくるので苦労した。
政治というのは「女心の定義」を行うものであるが、人間が欲望のままに行動するのならば「治めるのが政治」という側面はあった。
しかし、人間の欲望をより巧みに駆り立てることが、政治家の地位を高めたし、君主になるものもいた。
さらには国家財政も安定した。
「モテない男」はとにかく「盗み」を働いたため、しっかりとレトリックで調整する必要もあった。
国家財政やイングランド銀行の金塊にまでは頭は回らなくても「女性たちの支持を集める」という発想はすでに出揃っていたのだ。
ソクラテスはとにかくモテたし、民間ビジネスの仲介役をやったために特別背任罪に問われた。
いくらモテるからと言って「企業と企業を引き合わせる」というのは反則だ。
アリストテレスのように「お風呂」の研究をして、シャイな男を君主にしようという計画を練った哲学者もいた。
酒井法子 秘密のガーデン


 


ラテンウェスト、つまり、ローマの始まりはロムルスとレムスと言う「伝説上の双子」が作ったことになっている。
まずは、王政から始まり、しかし、カエサルをブルータスが殺した時に「貴族院」というものができた。
ローマの貴族院は常に「キケロ」のイデオロギーを共有していた。
日本の参議院が不要であるという論陣があるのであれば、「キケロを見失っている」としか言いようがない。
「土地を持っていること、弁護士であること、雄弁家であること」
この三つがあれば多くの叡智が集まり、貴族院というものはギリシャの時代にはなかったものだ。
パンフレット(今でいうブログ)を出して、自分の考えを公表してもらいたかったのだ。
ポリティシャンとステーツマンの違いは「土地を持っている弁護士で雄弁家」であればステーツマンであり、女たちの支持が根強い政治家をポリティシャンと呼んだ。
ステーツマンならば「すべての人を幸せにするのが仕事」であるのは当然であった。
名声などもともとあったのだ。
土地を持っていて勉強家であるのならば政治家になる資格は十分だった。
ポリティシャンのように「女心」によほど精通しなければならない連中はのちに衆議院を作った。
しかし、ローマ共和制は貴族院しかなかったのだ。
「土地を持っていて、弁護士で雄弁家」の貴族院議員は、自分の仕事の延長に「事務所」を作って、他の人々の相談に乗った。
選挙の時だけ「事務所開き」などといっている参議院議員がいるから「不要論」が出るのだ。
裸一貫で政治家を志す若者は、女たちの支持を得て「衆議院議員」になるべきだ。
しかし、内科医や外科医としての腕を持ち、「彼の恋ばなならば信用してみようかな」と言われるような連中が多い。
土地を持った家庭に生まれた連中が法学部に進んだが、土地がないのならば医学の素養が必要になってくる。
法学部でも、「人間の体も法だろう」という境地になる必要がある。
誰もが衆議院議員になれるわけではない。


 

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