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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2018年12月

2018年12月28日 (金)

キリスト教的死生観。

天国と地獄を「男女の二元論」から解け。
ヒント:天国とは「生きている人に犠牲になってもらうための」概念。
   地獄とは「人に悪いことをさせないための」概念。
   つまり、天国とは「男の研究」であり、地獄とは「女の研究」である。

デカルトの「恋」と、マスターベーションの方法について述べよ。
ヒント:内省とは「記憶に頼らない」「女性の局部に頼らない」ものである。
   つまり、たった今、話をした女性でマスターベーション(内省)をするのが作法である。
   しかも、女性の局部に頼らない、つまり、日常生活の女の姿を想像するものだ。

解答例。
天国にせよ、地獄にせよ、「墓の向こう側になにがあったのか?」という研究である。
死せる人たちが見てきたものへの信仰に関わり、それは現代の叡智となっている。
「死は悪である」
しかし、その「究極のエクスタシー」を経験した祖先を敬うことは現代人にとっても「骨質」とまで言われる資金源になっている。
死後の世界というのはキリスト教社会の重大な関心事であり、そこには「生ける者」の経験のすべてがつまっている。
一人ひとりの「究極のエクスタシー」である死こそが、経験のすべてであり、死後の世界なのだ。
その人が「死んだ」時に、その人が抱えていたすべてのトラブルが「治まった」だろう?
キリスト教が、ユダヤ教やイスラム教をしたがえることに成功したのは「イエスキリストの死」をマスターしたからである。
「モテ過ぎたらから殺された?」
ユダヤ教やイスラム教がこのことに怖気づいた。
穴井夕子 ヘブンヘブン。

「死が怖いだろうか?」
それならば、もっとも最高の叡智からあなたがどれほど遠かったかを物語っている。
死に瀕した病人のもとに牧師さんが現れ「今から”もっともパワフルな神の力”があなたに加えられる」と宣言した。
怖いのならば学のない人だとあきらめるしかない。しかし、私はそれを見届けよう。
牧師さんは「私だって学があるわけではない」と語った。
いずれにせよ「死」というのは「究極のエクスタシー」であり「もっともパワフルな神の力」が一人の人間に加えられる瞬間なのだ。
しかも、「すべての死人のサークル」に加わることができる最高の救済なのだ。
さて、「男の世界」が天国であると言ったが、「モテすぎたために殺されたイエスキリスト」が天国の住人の第一号である。
イエスキリストは「地獄」つまり「女の世界」の研究の専門家だったのだ。
「死」には曖昧さもごまかしも一切ない。
「生きているか死んでいるか」のどちらかしか人間にはないのだ。
「モテすぎたために殺された」男に会ってみたくはないか?
それが「究極のエクスタシー」だった。
イエスさまは私たちの罪を背負って死んでくださったの。
酒井法子 秘密のガーデン

モテすぎた男(女でもそうだろう)は「死んでも生きても同じ」という側面がある。
死という究極のエクスタシーを望んでもおらず、ただ、モテる人生を生き、死んだら「自分と似たような」イエスキリストという男と会う。
キリスト教がなぜ、天国の住人第一号を輩出したのか?
それは「生きている人間が知性を愛するため」であった。
100%の恋人 酒井法子

知性のない男は「神の後継者」となるために、勇敢に働くだろう。
しかし、知性のない男は「死に至るまでに多くの障害物がある」ことを知るだろう。
イエスが見た「地獄」(女の世界)を知らないと、死に至るまでに苦しみが多くある。
どの女も彼の命の心配をしないなんてなんという苦しみだ。
死の恐怖を味わった人間をイエスキリストは「勝利の雄たけび」で迎え入れるだろう。
しかも、生きている人間で「彼の死」を予言したものへの屈辱はどうなるのだ?
「死はみんなに平等だよ」
他人の死を予言するなんて寂しい生き方ではないか。
天国の舎弟になるという宣言に過ぎない。
天国のキッス 松田聖子

イエスキリストは「ヤコブは父としての経験がある。だったら私の側にいなさい」と言ったし、「エサウは父としての経験がない。祈ったことがないのだろう」として、エサウは「地獄の住人第一号」となった。
エサウは「究極のエクスタシー」を経験した後に、あの世で「女性たちのパワー」を思い知らされた。
女たちにモテすぎたために殺されたイエスが、自分の側におきたくない男がエサウという「父に認めてもらえなかった」男だった。
「女たちのパワー」とはつまり、誰もエサウの命の心配をしなかったから経験するものであり、死ぬ前に這いつくばるように生きさせられ、最後にイエスが「私は彼を認めない」と言った者がエサウであった。
「父になる」というのはそれほどイエスキリストが重視した経験だった。
テモテ1 2:4は「女たちはあれほど、真実を教えてください、と言っていただろう」と記している。
つまり、アウグスティヌスが「全能の神」として、男女が愛し合うように誘導し、国家財政を豊かにした経験からヨーロッパ中世は始まり、アウグスティヌスのように男女が愛し合うために試行錯誤したのが哲学の歴史であり、それを理解しない者は「ほんらい子供がもてない」存在だったのだ。
アダム・スミスが「サラリーマン」というものを作り出すまでは、そのような信仰は確実に存在した。
のちに語る「デカルトの恋とマスターベーションの関係」が、国家財政のあり方を全面的に書き換えて、必ずしもセックスだけが気持ちいいものではないような究極的快楽が内省(マスターベーション)によって可能になった。
デカルトの登場でヨーロッパ中世は終わりを告げたのだ。
デカルトは「天国と地獄の区別を破壊した」とも言われた。
最高に気持ちのいい「内省」を明らかにしたため、国家財政のコントロールが困難になった。
アウグスティヌスは「地獄」「女たちのパワー」をエサウに経験させなければ、「誰も女の子の誕生を喜ばなくなる」と考えたようだ。
女の子の誕生を歓迎する文化がなければ女の子は生まれにくくなるし、財政の問題を生じさせたり、都市計画が難しくなる。
「神は誰も憎んでいなかったんだよ」
ヒトラーは、女たちにはモテたが「父親ではなかった」「祈りを知らなかった」という表現がなされた。
アウグスティヌスもカルヴァンも「若い子供の死」を憎んだために小児科が発達した。
女の子を歓迎する文化を作るために汗をかいた張本人だったために当然だろう。
ヒトラーはこのような仕事はしていない。
「父ではない」からであろう。
アダムがリンゴを食べた時に、このような「神の計画」が練られた。
胎児はお母さんのお腹の中にいても「アダムに怒っていた」とも言われる。
男の子に生まれても、女の子に生まれても「優劣をつけなければならない世界」に放り出されるからである。
とにかく、優劣を最初につけておこうと思って「ギャンギャン」泣くことから人生をはじめた。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

「女を知らない男の方が罪が少ないのではないでしょうか?」アンセルムスは問うた。
あのね、それを言うのならばアダムを批判しなさいよ。
神の計画なんだからね。
そのような答えしか考えられなかった。
アダムの林檎

とにかく、生まれた時に「勝負を仕掛けて」ギャンギャン泣いた子供は心臓がデカくなった。
のちに心臓病の原因にもなるものでもあるが、「強心臓」という取り柄がついた。
プロ野球のピッチャーにそういうのが多い。
手のかからない子は心臓は小さいが、罪深さもない。
しかし、生まれながら罪の少ない男の怖さをいずれキリスト教社会は知ることになる。
デカルトの内省(マスターベーション)は、ヨーロッパ中世の財政学をぶち壊したが、アダム・スミスが生み出した「サラリーマン」は、もはや、近代ではなく「現代」を作ってしまった。
世界が「宗教とは何か?」を見失ったのだ。
私も、東大法学部で「病気で就職を見送る」ということがなければ今のように宗教を語ることもなかっただろう。
「中年になったらあんがい人生は楽しいよ?政治家みたいなゴロツキになるけどね」そのように答えよう。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

男女の明確な区別を惜しむ声はいまだにある。
LGBTなども根強い支持を持っているのだ。
男女の間の「川」だけは、認めたくない、みんなで仲良く生きたい、と思う人もいる。
しかし、セックスしている時の「孤独」は、まるで「死」を容認しているかのようだった。
女たちは「巨乳に吐き気がするのよね。地獄は嫌い」と言ったし、白組(天国)の連勝街道は今年も続くだろう。
AKB48 river

42歳の女は人生を楽しんでいても、342歳になったら「人生に飽きる」だろう。
30歳の人間は、300歳になっても「飽きない」というようなことは想定されていない。
適当に「死とは何か?」と語れる環境が作られてきたのだ。
男女の川にその答えを求めるしかない。

「我思うゆえに我あり」というものは、いろんな女性を見てきたけど、男が女の「ランキング」をつけていることなど女たちは知らないだろうな、ということを意味する。
それほど「思う」という営みは「安全な」作業だったのだ。
「自分の内面の探求に向かった」と言っても、気になる女の子のことを考えることを意味したため、なぜその女が気になるのかまで説明が必要になる。
暖かい日に「寒気がする」と言っていた女に「仕事のしすぎで、しかも酒が足りないんでしょう?」などと会話した思い出などを思い出しながら「自分の内面は誰にも分からない」と考えるものだ。
「恋」というのはコミュニケーションがなければ成立せず、「一目惚れ」と言っても、そのあと、追っかけをやったりしてコミュニケーションを求めるだろう。
自分の「マスターベーション」(内省)をより気持ちよくさせるために、男女ともに金を払うことになる。
「我思うゆえに我あり」というのも、自分がお金を使う理由となるのだ。
テレビに出ているから、あるいは「仕事をともにしたから」などの理由から「想い」というものは生じる。
時には「キスをする」というかたちで触れてしまうこともある。
CoCo ファーストスノウ

内省(マスターベーション)というものは「記憶に頼らない」「女の局部に頼らない」ことにより「自然に湧き出てくるもの」をエネルギーにして行うのが最も気持ちがいい。
そのために「追っかけ」というものは生まれるし、追っかけられる存在は「自分の美しさ」「コミュニケーション能力」などを磨くだけで「追っかけは相変わらず存在する」ことになる。
これを理解しないと「ファンを逃がさないわよ」「前へ前へ」などと焦ることになりかねない。
デカルトは「恋」というものを、「芸能人が生き急がない」ために研究したのだ。
「自分の美しさ」はともかく「コミュニケーション力」を磨くという意味では「恋」も知性を目指した。
CoCo ライブバージョン

自分の「追っかけ」がお金を出してくれるために、男は「自分の美しさを磨く」「コミュニケーション力を磨く」ことになる。
本を出版し、人脈を広げていくのだ。
宗教家の「出題」にも自分なりの答えを示さなければならない。
芸能人と宗教家は常にキャッチボールをしている。
芸能人は「追っかけ」「お金」を維持するために「宗教家の問いかけ」に答えなければならない。
今回の私の出題した問題、

天国と地獄を「男女の二元論」から解け。
ヒント:天国とは「生きている人に犠牲になってもらうための」概念。
   地獄とは「人に悪いことをさせないための」概念。
   つまり、天国とは「男の研究」であり、地獄とは「女の研究」である。

デカルトの「恋」と、マスターベーションの方法について述べよ。
ヒント:内省とは「記憶に頼らない」「女性の局部に頼らない」ものである。
   つまり、たった今、話をした女性でマスターベーション(内省)をするのが作法である。
   しかも、女性の局部に頼らない、つまり、日常生活の女の姿を想像するものだ。

にも答えてもらいたい。
そうでなければ「追っかけ」「お金」を維持することはできないのだ。
作品力で生きているのか作家なのか分からない芸能人はたくさんいる。
筋肉少女帯 踊るダメ人間

宗教に帰依する芸能人は多いが、私は神社仏閣の人間として、常に芸能人と共存し、時には批判の対象になりながら、彼らを「マスターベーションの対象」にし続けなければならない。
美しさでは芸能人には敵わないが、コミュニケーション力で常に芸能界を挑発しなければならないだろう。
それでこその「追っかけ」「お金」「収入」であるからだ。
デカルトは、内省(マスターベーション)の方法を明らかにし、なぜ、自分に追っかけがいるのか?
ということから「生き急ぐ芸能人」に真実を示した。
マイケル・ジャクソンが、はたして「グルーピーの心理」を理解していたかは定かではない。
女を買うために値段(日経平均株価)や、国の男女が愛し合う(セックスをする)ことから生じる税収の心配よりも大事なことだと考えたのだろう。
いずれにせよ、ローマ帝国・神聖ローマ帝国は、いろんなものが制御不能になり崩壊に向かった。
国全体のあり方というよりは、より個人主義的な方向に向かったのだ。

2018年12月26日 (水)

国土交通。

王子さまは常に影響力の拡大を狙っていて、カントを学び、女の子たちと話したがっている。
しかも、高等教育を受けているのだ。
女の子たちも「王子さまの言っていることが分かる」程度の教育は受けていた。
電車の中で、王子さまが女の子に「何で黒いタイツをはいているの?話を聞いてもらいたいから?」
と聞いたり、「何でヒールの高い靴を履いているの?理想の男のゾーンを高めたいから?」
と聞いたりするのは、国土交通の行政においてはまったく問題のない行為だ。
しかし、公の場でのセックスは禁止だ(性行為非公然性の原則)。
国土交通をよりよく理解して、電車やバス、タクシーで影響力を増すことが必要となる。
SPEED Confusion

女の子が「出会いを求めるためには街に出ること」と言われるために国土交通がある。
自分の興味のあるお店に行くのも女の子にとっては自由であるし、高等教育を受けた男との出会いがあるのならばもっといい。
酒井法子 友情キッス

「お前の家で何をやろうが自由だが、タクシーで人を殴るのはよくない」(タクシードライバー)
すべて、街に繰り出す女の子の安全のために作られたルールである。
素敵な男性が私の心を教えてくれた、これが出会いというものだ。
「どんな雑誌で自分と社会の関係を決めているの?」と王子さまが女の子に聞いた。
「セブンティーンとかポップティーンとかランズキ」
こんな若い世代の女の子も出会いを求めていたのだ。
国土交通が常に意識しているのが「結婚」である。
ジョーカー引きとは訳が違う「知的な男性」との出会いの場が街には保障されているのだ。
歩きタバコ禁止とか、スマートフォンの利用の制限などの規制は当然、いろんなところで行われている。
しかし、すべて「人々が敬意を払えるもの」でなければならない。
「市民は友達である」「敵味方の関係ではない」
これが国土交通が目指したものだ。
カントを学んだ男が女の子たちに自由に話しかけられる環境が必要であり、カルト宗教や風俗の勧誘だけが、女の子たちを狙っているのではないことを知る必要がある。
「いい人生」というのはそれほどまでに人気があったし、国土交通への期待は大きい。
女の子たちは「セックスされる存在」であったが、フェアな街であることを望んでいた。
フェアではないセックスが横行するのであれば国土交通の失敗としか言いようがない。
出会いが自由で、女性たちの影響力が強いのが自由民主主義社会である。
今が楽しければ自由民主党に投票するだろう。
国土交通大臣だけは公明党が取りたい?自民党も舐められているよね。
公明党も「レイプや殺人だけは防ぎたい」と思っているのだろう。
「市民はみんな友達」
これをどの政党が推進するのかが問われる。
市民たちは語り合う用意ができている。
国土交通大臣の強烈な武器はもちろん「街を歩いている若い女の子」である。
SPEED Steady

女たちにとって、セックスがまるで人身売買のように「荷が重い」ものであってはならない。
土曜の夜はレインボー 瀬能あづさ

街がどのようなものであるかは、かなり構造的なものであり、空き缶ひとつにみんなが怯えた時代というのは確実にあったのだ。
芸術作品による周知徹底も必要になってくる。
昼の健全な街ではなく、「夜の街」に落ちていくのは敗北であるということなどを知る必要がある。
SPEED Another sweet field

「恋愛大臣」とは国土交通大臣のことだった。
モーニング娘。 恋のビクトリー

当然、権力が必要な場面もあるし、哲学書も書かなければならない。
世界の都市がライバルでもある。
恋愛の安定的な運営や、「おもてなし」の周知徹底などが仕事なのだ。

公の場においては「性行為非公然性の原則」があったが、女たちは「スタイル」で感度のよさを競い合った。
子供を産んだ女は感度が悪くなるが、独身の女の感度はスタイルで分かる。
感度がよければ「男の言葉に敏感である」「男の見た目にも敏感だ」ということが可能だ。
感度のいい女が、男の隣に座ってくることを「PHP」ではなく「PJP」と呼ぶ。
カントを学んだ者は、喫茶店でもどこでも「目の前の女と話せばいい」とされる。
女の側から「話し相手として選択している」からである。
街における「出会い」とは、これほどまでに「学んだものに都合よく」できている。
女たちの正義が基準になって街づくりというものは行われているのだ。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

アメリカの学問の進み具合を見ながら、スターバックスなどのモデルが提示され、日本に「パブリック」(国土交通)とは何かが示された。
お母さんが嫌いになり、街に出るようになると、女の子はスタイルがよくなる。
感度もよくなるのだ。
国土交通の側も、女の子の側に「多くの選択肢」を与えることになった。
高橋由美子 バスルームでキャッチホン

ゲティアーやハンプトン、カフカなどが「学んだ男と、スタイルのいい女」が出会いやすいように、国土交通というものを設計した。
電車や喫茶店を利用すると分かるが、「言葉」さえあればいろんな「期待可能性」、つまり「出会いの可能性」が都合よくできるのだ。
なぜ、あの時、「ひと言」が言えなかったのだろう、と思うだろうが、必要なのはカントだった。
若者が「多くの女の子と話ができる」という共産主義にかぶれる時期があるのは当然であった。
しかし、ゲイカルチャー(価値相対主義)や、スカーレットなどの「家柄」「ハイソサエティー」などのグラムシ主義に食い物にされるのも目に見えていた。
身分だの躾だの言う年寄りはこういう若者を標的にしているのであって、国家レベルでは「反共労務管理」の対象となり、つまりは「戦力外」ということになる。
共産主義の「ウチと外」の問題であり、「多くの女の子と話せる」という若者文化はウチにおいては「身分」「ゲイカルチャー」という病理面を見せるのだ。
CoCo 夢だけ見てる

若者中心の国土交通(パブリック)は、家庭内に問題を持ち込むことになる。
家庭内の病理面が、天皇制支持に向かい、外における「共産主義」を保障した。
共産主義の病理面を排除し、都合よく用いるためのシステムだったのだ。
それも「若者中心の街づくり」を保障した。
いずれにせよ、「外」で共産主義(女の子たちと自由に話せる)を推進しながら、「ウチ」における共産主義の病理面を排除するために、国土交通は「天皇制」を必要としていた。
ただ、「若い女の子を街づくりの資金の裏づけにする」というだけにとどまらず、その病理面と向き合わなければならなかったのだ。
「ゲイカルチャー」「身分制社会、階級社会、家柄」の二つだけはどの企業も歓迎していない。
街づくりの資金の裏づけを「若い女の子」にもとめても、しっかりと「カントは何を言っていたのか?」を理解する必要がある。
河合その子 緑のポインセチア

「ゲイカルチャー」「家柄、身分、階級」などの「ウチ」の問題を克服したアメリカ合衆国には繁栄だけが待っていた。
ムーンリバー

共産主義の病理面を克服しなければ「AKB限界説」が出てくるのは当然だった。
天皇制と「処女」は足並みを常に揃えて歩いていた。
AKBグループ、坂道シリーズは常に「天皇制のシスター」であったし、資金の裏づけも神社仏閣に頼っていた。

国土交通の最終的な目標は「若い女の子による資金力を背景に街づくりをする」「出会いの場として自然に街に出ることができるようにする」などであろうが、とにかく、男女は「三度食事をしなければ深い仲にはなれない」ということもあり、
一度目、二度目の食事では、異性は「マスターベーション(ヘルス)の対象」にとどまる。
快適な街づくりがなされたのならば、セックスに二万円払うということもなくなり、日経平均株価は下がるのではないだろうか。
パラディラタンの夜 河合その子

しかし、男にとって女は「エネルギー」であるが、女にとって男は「力」であるということを考えると、「真剣な交際でなければイヤ」というニーズは女の方に強いということが可能だ。
いずれにせよ、「男女の出会いの場が街にある」「若い女の子による資金力を背景にする」という街づくりをするのであれば、20世紀のマンハッタンは、21世紀にナイジェリアでもトルコでもなく、神奈川県三浦市に作られてもおかしくはない。
地理的に若い女の子の関心のある地域に都市はできるのだ。
松田聖子 マンハッタンでブレックファスト

内省(マスターベーション)は恋の「ご褒美」であり、「記憶に頼らない」「女性の局部に頼らない」という二つの要素が指摘できる。
つまり、「ついさっき目の前で見たこと」を頼りに「女性の局部を想像しないで」行うものなのだ。
しかも、「自然に心の底から湧き出てくる感情を利用する」ものだ。
メリークリスマスフォーユー おニャン子クラブ

駅前のベンチに座っていても「いい目の保養」になるし、鳩だけが友達というのは街づくりとしてはいいことではない。
場合によっては女の子に声をかけるかもしれない。
男同士の乱闘騒ぎだけは警察力に頼るしかないだろう。
警察も、自転車の信号無視を取り調べたりして退屈しているぐらい予算は充実している。
お年寄りの病気を診たりして、ヒマも潰せる。
学生さんも「駅前のベンチに行ってくる」あるいは「喫茶店に行ってくる」と言えば出会いには不自由しない。
それが健康な街づくりというものだ。
とにかく家庭内は病理面に満ち溢れている。
家庭内の病人に薬物を飲まされたりして体調が悪いのならば国土交通を最大限に利用すべきだ。
三浦海岸駅も、駅前にはベンチがあり、若い女の子が行ったりきたりしている。
やんちゃな男子中学生もいるが、なにしろ駅前に交番があるから悪さはできないだろう。
三度目のデートで「処女なんです」と告白されたりもする。
公的空間を禁煙にすることは「ふしだらな女」をなくすが、三浦海岸駅前はもちろん携帯灰皿は必要であるが禁煙ではない。
四期目に入った吉田市長の「食よし人よし気分よし」という政策も、予算の制約はあるだろうがまあこんなものだろう。
いきなり「歩きタバコ禁止条例」などと仕事をしたふりをする首長もいるからね。
「特定疾患」だけは、街づくりの敵だね。
健康的な街があるのにそのフォーラムに出ることすらできないのだ。
いずれにせよ「内省」(女の子と話して250分以内にマスターベーションをする)ということが「国土交通」を発達させ、全能の神(国民のセックスに税金をかける)こと以上に、国土交通というのは担税力を見出せるようになっていた。デカルトがヨーロッパ中世を終わらせた。出会いの機会が異なるのだ。
「市民っていうのは敵と味方ではなく友達だと思いませんか?」
こんな口説き文句もあるのだ。
恋をしちゃいました タンポポ

駅前が、歩いているカップルなど、「女を口説く」(政治)「女を愛する」(経済)という私生活を反映しているのは事実であるが、それ以外は、かなりオープンな空間となっている。
彼氏連れの女でも眺めていれば気分はいいだろう。
なぜ、駅前に集まるのだろうか?
それは、全能の神が国民のセックスをコントロールしたのと同じ原理で、デカルトが考えた「内省」を利用して、カントが「口説き文句」で交通網を充実させたからである。
他人の家の「セックス」に税金を課すよりも、トラフィック(交通)で税金を見た方がいいという私の昔の素人判断は、実はカントが考えたものであった。
国民が愛し合えば、おのずと「トラフィック」が人に満ちるであろうとカントは考えたのだ。
19世紀には、投票というものは本当に得票数を数えており、現代のようにメディアが「国家統治のバランスを取りながら選挙結果を出す」というシークレットバロットは知られていなかった。
駅前の店の閉店などを、市長の責任として重く受け止めるのがシークレットバロットであり、シャッター街のある街ではすべて、「国土交通を市長が理解していない」と判断され選挙結果に影響を与える。
国民が愛し合うことを文学者がコントロールするよりも、トラフィック(交通)を文学者がコントロールしたほうがいいと考えられるようになったのだ。
らきすたOP

デカルトの「内省」の発見以降、カントは「トラフィック以外に税収を見る方法はない」と言い始めた。
家庭内のルールのすべては、街の人の流れを見ていれば分かるとされたからである。
本当の「秘密」を抱えた都会女は、声をかけても振り向こうともしないだろう。
しかし、トラフィックは確実に「出会いの可能性」を広げた。
トラフィック以外に税収を見る方法はない。
このことは、政治家に「ステルスマーケティング」というものを学習させた。
カップルたちは秘密を抱えていた。
When a woman loves a man Rebecca

街のトラフィックは私も今まで「税収につながる」と考えて観察してきたが、内省の存在までは指摘しきれなかった。
内省は、仏教で言うと「密教」であり、男女の二元論から斬ると、密教は「女」「アメリカ型エリート」、顕教は「男」「日本的エリート」であるとも言える。
今回、国土交通の研究をしてみて、「街の女の子で内省をする」という可能性を指摘し、実際に自分で実験してみたところ、その有効性が分かった。
女の子と話すだけで、ちんちんの先が濡れてきて、あとは家に帰ってご想像に任せよう。
とにかく「夫婦関係を壊さない安全性」が内省にはあるのだ。
この「内省」の気持ちよさが分かれば、これもまた「知性を愛する男」の誕生につながる。
このご時勢においては「いよいよ平成も終わりますね」から話を切り出し、「市民は敵と味方ではなく友達だと思いませんか?」などと展開させると面白い。
あとはカントの遊び場が街となる。
女性の体力がどれほど弱いか知っているだろうか?
「話したい男の前に座る」習慣がついているのだ。
男はとにかく「目の前の女性」と話せばいい。
カントが、デカルトの内省を用いて、しかも、カント自身が女性たちの側の「内省」を狙うようになった時に、カントは「俺は暴君なんだ」と語った。
政治家としてはモンスターだったと言える。
本格的に「街づくり」をやったのはキルケゴールだ。
Maji で Koi する五秒前 広末涼子

カントは、政治家としてはモンスターであったが、女の子たちに配慮し、また、自分の都合もあって、毎日同じ時間に同じ行動をとって、女の子たちはカントを待ち伏せした。
このカントの行動は「プリズム」と呼ばれた。
広末涼子 風のプリズム

なぜ、シークレットバロットを日本国は採用し、メディアが「国家統治の適正値」を「選挙結果」として公表しているのだろうか?
それは、カントがモンスターだからだ。
カントを知っているものが重量級閣僚に9:1の大差をつけかねないのがカントのやり方だった。
閣僚や党首は落選しないという神話も生まれた。
私が、三浦市・横須賀市(神奈川11区)において「小泉進次郎が勝ったら番狂わせ」と豪語できないのもシークレットバロットがあるからだ。
オープンバロットで開票したらなにが起きるかは分からない。
いずれにせよ、メディアが開票結果の適正値を探り合っているのが現状だ。
お中元やお歳暮、お香典、ご祝儀、お見舞い、仲人などが政治家が「歳費をばら撒く」方法であるが、カントはそのような日本国の政治を破壊しかねないモンスターだ。
婦人選挙権は認めたのではなかったのか?
日本国で本当にオープンバロットが実施されると、それは「認めた」ということになる。
しかし、現実には「認めていない」「シークレットだ」という現状がある。
NHKが「オーケストラの指揮者」として民放各社をリードしながら投票結果を定めている。
適当に名前を書いた有権者が多数であり、台風が来ても公明党が勝てないときはあった。
政治の世界に挑戦する男にカントを知ってもらいたいという願いはあるが、日本国の政治家はそこまで成熟してはいない。
カントを知っているのならば、論文を書いて、プリズムに自分をさらせばいいだけだ。
毎日、ドトールコーヒーの喫煙所に通うだけでも政治家の卵なのだ。

両親を敬う、先生や年長者を敬う、学校のルールを守る、交通ルールを守る、家族の問題や文化的な情報を発信する、他者の気持ちやお金を理解する、国旗を振ったり、国の指導者を尊敬し、なおかつ「意見の違い」の敬意を払う。
歳を取ると「尊敬」というものを見失いがちだ。
そのため、国土交通とは「若者のもつ魅力」を資金源に作られるものだ。
ツラゲを見にきたのではない「職業は賭けである、自分の勝ちに賭けた」そういう奴の「本気度」を見に来たのだ。
人間の人生を語り、マイノリティに属してしまった自分を時には語り、性倒錯や、宗教的少数派、破局などの経験を「みんながいつかは少数派になる」ということから発信する。
少数派であるからこその真剣勝負であり、「多数派に属する私」は常にこのようなイベントを見に来ていたのだ。
少数派なんて「めったに見れないものでしょ?スターじゃないの」
モテないこと、抑圧されていること、それでも生きていること、マンガに描かれたこと。
あしたのジョー2最終回

落ち込んだ時にどのようにしたら立ち直れるかが分かったため、ジョーの前で帽子を取った男もいた。
ジョーを「彼も人間である」と認めた瞬間だった。
「多数派に属する私」は常に「マイノリティに力をもらっている」のである。
少数派によるイベントに「多数派に属する私」が参加するのも国土交通である。
周囲の「多数派に属する男たち」も、「多数派に属する女たち」も、お互いが「人間」を見に来ていた。
天皇陛下はおことばすらままならない、それでも義務を果たそうとしていた。
了見は狭く、人々に尊敬を求めていた。
「尊敬に値するのだろうか?」
人種差別、性差別、ポルノ、プライバシー、犯罪者、テロ、父親の病気、文化の違い、すべてが、「了見が狭い」男を尊敬に導いていた。
天皇誕生日

国民と苦楽を共にするというのはあながちデタラメではなかった。
天皇は普段は生活困窮者(元アイドル)とマージャンをやっていたし、近藤真彦は生活に窮して強盗を働いたこともある。
スターというのはそういうものだ。
田原俊彦は、公の場でスパゲティを食べることの罪悪感に震えていた。
田原俊彦ビッグ発言

田原俊彦が見せたくないプライベートとは何だろうか?
精神病院の医者に「このクラスなら30年コースだな」と言われ、タバコも制限され、看護師に暴力を振るわれ、喫煙所で泣きをいれ、薬を吐いたと言って頭を叩かれ、暴力を極端に嫌い、トラブルがあるたびにオセロでわざと負け、畑の大根を200本抜き、時限開放が田原のせいで禁止されたのだ。
国土交通で、大観衆の集まる場で、ど真ん中に立つ。
それはもはや「30年コース」だった。
脇役でも「12年コース」だ。
みんな「真っ白な灰」をみるために、国土交通の巨大イベントに集まっていたのだ。
アイルトンセナ死亡

国土交通が、道路や鉄道網を整備した以上、スタジアムやコンサートホールを必要としていた。
スターが「真っ白な灰」になっても、出会いの場を増やしたかったのだ。
真っ白な灰は、のちの人生を生活保護として過ごすだろう。
「お客様は神さまです」
その意味が分かるだろうか?
「客であること」の人気を高めていく作業はまだ発展途上である。
国土交通が作り出した「スタジアムやコンサートホール」のステージに上がりたいなどという跳ねっ返りがいたおかげで、出会いの場は確実に増えた。
イベントの後には、多くの人々が「失恋」していたが、女の子を口説くことを知っていたものだけが国土交通の優等生だった。
スター軍団にもサロンはあったが、決して豊かではなかった。
東大法学部出身のナベツネさん以来だろうか。
私が、元アイドルたちの「神」と位置づけられる新カント派の立場に立ったのは。
キルケゴールが「街づくり」をやってから、新カント派は「カントによって女の子を口説く」ことを強烈に推進し、イベントを作り、客に「カント」を大流行させた。
そのような仕組みの「全体像」を理解し、病院に出入りして「真っ白な灰」たちと交流する「神」は間違いなく「新カント派」だった。
病院に出入りしていると、LGBTばかりであることに気が付く。
ほんらい差別されるべき人を、国土交通は舞台に上げていたのかと思うね。
「GIANTS PRIDE」
それは、ノンケであれば、女の子を口説き、酒を飲むだけで「健常者に戻れる」スターたちのことを言った。

住宅地を作り、鉄道を作り、デパートを作り、野球場を作る。
かつては鉄道会社がプロ野球球団を経営することが多かった。
なぜならば、野球場には「鍛え上げられた」尊敬すべきプレイヤーがいたからである。
神社仏閣にも「尊敬すべき宗教家」はいた。
女の子たちも彼を尊敬していた。
しかも、地元の女の子たちは美しかった。
地元で仲間を作り、鍛え上げられた「尊敬すべき人のためにお金を払う」ということは、自分が地元の女の子たちにモテることにつながった。
同じチャンステーマを歌い、同じルールにしたがった。
国土交通の最後に「尊敬すべき人」が出てきたのだ。
アメリカ大統領は「球団経営と宗教家」の二つを兼任しなければなれない。
人間の「人気」が尊敬の背景にあったからである。
なにしろ、翌日のスポーツ新聞の一面に載るものであったし、大統領は一般紙の一面に載った。
大統領が言っていることが分かったときに横浜市民には自尊心が芽生えたし、尊敬というものが野球場を国土交通の延長線上に位置づけた。
DeNAベイスターズ チャンステーマ

イエスキリストというのが「女にモテすぎて殺された男」ならば、それは田原俊彦や近藤真彦だろう。
病院に出入りしていれば「どのように殺されたのか?」が分かるようになる。
サラリーマンというものはアダム・スミスが作ったが、政治家(新カント派)の話をよく聞いて、いざとなったら「医者だ弁護士だ」と騒いでいればいい。
医者や弁護士も「病んでいる」からである。
病んでいない「求道者」などいない。
病理面をよく理解しているから「プロフェッショナル」なのだ。
オンとオフをメリハリつけるサラリーマンはとにかく健康なのだ。
しかし、政治家(新カント派)の書く本は面白いだろう。
不幸な「プロフェッショナル」を笑いものにしながら、「健康」というものを強烈に志向したのがサラリーマンである。
「健康税」とも言える「源泉徴収」もなされている。
プロフェッショナルの書く本をよく読んで社長さんになる人もいるだろう。
サラリーマンとは「健康的な生き方とは何か?」をとことんまでに追求した存在であり、労働安全衛生法などという法律もある。
病気休職も半年は認められているし、それ以上続くようであれば「政治家」(新カント派)の仲間入りだ。
植木等 サラリーマンは気楽な家業ときたもんだ

アダム・スミスが「諸国民の富」においてサラリーマンに求めたのは「仲間作り」だけだった。
そもそも、ライン工ができたおかげで集団主義は成立したのだが、
ホワイトカラーには独特の文化が形成された。
ブルーカラーがあったからこそ、「最大多数の最大幸福」という言葉も考えた。
他人の痛みに共感できるのならば立派なサラリーマンである。
仲間作りとはそういうことから始まるからだ。
女を買う金もふんだんにあった。
「殺し、レイプ、盗み」を極端に嫌った。
また、「LGBTならば芸能人になりなさい」とも考えていた。
他人の痛みに共感できる能力があったために「わろてんか」や「はんぶん青い」などが広まりやすかった。
「サラリーマンは愛されなければならない」
このことから国策として映画も作ったのだ。
メディアの「争点提起機能」はサラリーマンや主婦層にむけて発信されていた。
「芸者をあげる金がある」
ここに「健康税」としての源泉徴収は存在した。
親の年金に頼らないで生きていけるという意味ではかなりリバタリアン的ではあるが、ニーチェもカントも克服したのがアダム・スミスであった。

中世ヨーロッパは「全能の神」により「国民が愛し合う(セックスをする)」ところに税金を課してきた。
しかし、国民は「パンとサーカス」を求め、セックスのみならず「関係」という概念を作って、「セックスこそが友達と恋人の境界線である」とし、「都合のいい女」としての「男友達」「女友達」というものを構築した。
もちろん、「境界線」があるために浮気にはならないし、国土交通が発展する前の中世ヨーロッパにおいては、「非常に頭を使う」営みが「男友達」「女友達」を持つということであった。
このことを「関係」と呼んでいたのだ。
モーニング娘。 男友達

やがて、「聖母マリアでマスをかく奴がいる」ということが明らかになり、宗教改革に向かうのは必然であった。
すべては、国土交通により発達した「内省」ではなく、「関係」の研究から始まった。
「ものみの塔」とは男女の「関係」を見張るものであった。
キスを女の方から一方的に行ったら、「ものみの塔」が、「関係」から「恋人」へと変えるように迫った。
ribbon 太陽に火をつけて

ものみの塔が「関係」の研究を深め、「友達と恋人の境界線はセックスにある」ということを明らかにしたため、芸術が発展した。
ハイドン・ベートーベン・バルトーク・ストラビンスキーなどがクラシック音楽を完成させたが、人々は「関係」を歌にしたのだ。
ribbon サイレントサマー

「妻がいる、彼女がいる」
そのような男に都合のいい概念が「関係」であり、境界線を越えることなく知恵を磨くことができたのだ。
頭のいい男は「関係」をうまく使って家庭生活を守ったし、マスターベーションもできた。
関係がない男は頭が悪くなったし、夫婦円満でもなかった。
女の方が「問題の少ない愛」を知っていた。
男の側が「関係」というものをうまく利用しなければ、「別れ」だけが待っていた。
続・赤いスイートピー 松田聖子

東大に合格したら、ものみの塔に「首ったけの彼女を連れてくるように」頼めばいいのだろうか?
私は財務省に就職します。そのような学生時代であれば楽しかったろう。

胚というものは初日は30~34の細胞からなるが、5日で200~250の細胞になる。
これを「壊してはならない」というのが、ものみの塔の「統治体」の専権となる。
抱いて 松田聖子

いくら、「首ったけの彼女を連れてきてくれる」と言っても、王国会館はあくまでも「問題の少ない愛」を探求したのだ。
女は「モノ」ではないし「子供を産む装置」でもない。
女性として生まれることが歓迎される文化を作るのはキリスト教の掟だったはずだ。
そのためには「卵子」の研究を行わなければならない。
精子は「他のライバルを蹴散らす力は卵子に向かう力の十倍」
「精子が熾烈な争いを生き残って卵子を攻撃する」
女の側の都合を逆なでしたのでは王国会館も存立できないだろう。
イヴの卵 酒井法子

「胚」を破壊することは、「罪のない男」の存在を抹殺する行為だ。
妊娠14~15日目には「胚は双子」と言われ、他の男の精子すら受容できるぐらい「男は他の男と区別がつかない」ものとなる。
妊娠16日以降、「この男の子供である」ということが確定する。
王国会館は「首ったけの彼女を連れてくる」という仕事をする上で「命の研究」は当然、行わなければならない。
「意志の強い男が勝つ」とも言われ、どの道、男の失恋をともなう研究であるため、この、「命の研究」はしっかりと行わなければならない。
SPEED Deep blue & truth

親の金は「成人するまでは子供のものでもある」とされるため、命をおろそかにするわけにはいかないのだ。
「首ったけの彼女を連れてきてくれる」
それでも、王国会館は「家族を壊してはならない」という仕事は行うのだ。
独身女の「危うさ」は、聖母マリアにまでさかのぼって研究した。
シルバーの腕時計 モーニング娘。

女が妊娠中に「セックスの問題で混乱する」ことはよく知られているが、あまりにもふしだらで混乱が大きいと「胚は産まれることを拒絶する」とされ、流産する。
安定期に入った妊婦さんには、「社会全体が親切にする」のは当然とも言える。
この問題をクリアーしないと「独身女をどこかから連れてくる」のは危険なことなのだ。

トマス神学(トマス・アクィナス)は長いこと誤解されてきた。
なにか高尚な学問であるかのように考えられてきたが、実際は「叔父や弟」のように自分を殺したいと思っている人間が身内にいる、ということを明らかにしたのだ。
アクィナスは「二重効果論」において、「彼らのことを克明に記録に残しなさい」としている。
それは、人類学でもあり、多くの学習を己にもたらすであろうと考えられた。
また、そのような男こそが「抜擢されるべきである」と芸能や各業界が考えたのだ。
トマス神学は、あくまでもカトリックの立場から、「勉強ができる男だったのか?」「女と愛し合う可能性があった男なのか?」を克明に精査し、もしそうであるのならば、そのような男を殺すのは「戦争において敗北である」とした。
たとえ、その地を占領しても、統治や財政などが困難をきたすと考えたのだ。
とにかく、「一人の命」であっても、芸術的に昇華できる、富を生み出す、税収につながるのであれば、五人を助けるためであっても割に合わない。
何が争点なのだろうか?
人間には個性があり、勉強ができる男できない男がいて、国の命運を担うようになる男が確実に存在するのだ。
そのような男を「殺してはならない」し、占領しても「割に合わない」犠牲者を出すことになる。
つまり、殺したのならば「その人のディテールをよく調べ上げなければならない」「処女たちが愛せる男だったのか?」「みんなで死を悼むことができる男だったのか?」を、「人が死んだ」ということから説明しなければならないのだ。
精霊流し さだまさし

「芸能界至上主義だな」「悲しい世界観だな」「人の死を肯定している」などと二重効果論は批判された。
なにしろ、人を殺してしまったことの効果を「倍増」させようという議論だったからだ。
死にたくない男は「とにかく団結すること」を覚えた。
結局、二重効果論は「孤立」を批判していたのだ。
女の子としか話さないナンパ男だけが、カントが目指したものであったが、アクィナスは、「同性の仲間」を多く持てば殺されないことを知っていたのだ。
アリストテレスは「男女の共存」を志向したが、アクィナスは「同性の仲間」同士の団結を主張した。
同性の仲間を多く持っていれば「殺されない」という効果を「二重効果論」と呼ぶ。
無縁坂 さだまさし

国土交通は、住宅地を作り、鉄道を作り、スタジアムを作り、コンサートホールを作ったが、あしたのジョーのように「真っ白な灰になる」ステージの上の人間を健康にする方向に向かった。
ステージの上の人間の「顔を変えてしまう」というコンピューティングシステムを考えたのだ。
昔は本当に可愛かった(ステージ上のカメラ映像あり)。

この「コンピューティングシステム」は、静止画にしてもいい「結論問題」と、そうではない「仮定問題」を計算している。
オンエアしたり、ステージの上でパフォーマンスするために「顔を変える」ことを「問題」と呼び、無事に家に帰すことを「家庭」と呼ぶ。
21世紀においては、1980年代1990年代のアイドルと自由に出会える「精神病院」が、今後は必要性を失っていくことになるし、誰が誰だか分からなくても問題はないことになる。
最近のアイドルや芸能人に疎くても、私のような中年のおじさんは精神病院で幅をきかせることができるのだ。
瀬能あづさがいちばん可愛い表情をしていた集合写真を使う時代はもう終わったのだ。
みんなが都合よく写真写りをよくすることができるようになった。
ファーストスノウ CoCo

秘密は「本当に可愛い女の子の光線を照射する」とイメージしたらいい。
真ん中の子、リアルではかなり危ない。
パフューム 紅白練習

ワイドショー番組でも、収録は「音に乗りながら行う」という方法を取っており、「完成」したあとにも、もう一度「拒絶」を行い、「拒絶完成」と呼ばれる動画をオンエアしている。
こういうことを行っていたら、芸能人も政治家も「実物がまったく違う顔」になり、「儲からなくなった」のである。
AKBグループの「握手会」はそのような技術への挑戦であり、もっと感謝されてもいいのではないだろうか。
APR-1400という原子力発電の研究からこのような「芸能界」は生まれるようになった。
去っていく人は病気による限界であっても、新しく入ってくる人は病気の心配はない。
しかし、「芸能界や政界は儲からない」ということは理解しなければならない。
タッキー&翼

昔の人は美しかった。しかし、その美しさも衰えている。
庶民が庶民を愛するのがいちばんの正解のように思える。
アイドルと結婚したいなどとは思わない方がいい。
ジャニーズも最近は「女の子の顔」を照射するようになっているね。

2018年12月23日 (日)

老人福祉元年。

年寄りは、もはや色恋沙汰から縁遠くなっており、若者が異性のために使うお金の使い道をよく知っている。
しかも、「他人を助けなければ儲からない」ということをよく知っている。
そのために「豊かなシルバーライフ」を国は保障した。
酒井法子 おじいちゃんis watching TV.

「己を犠牲にする者にお金を残したい」
ここに、豊かなシルバーライフの出口がある。
「俺が俺が」という姿は年寄りはもはや愛してはいない。
1971年の福田赳夫の「老人福祉元年」の資金源は、公益法人への寄付の非課税から成り立っていた。
介護や医療の現場には「人助けをする妹たち」に満ち溢れていたからだ。
年寄りを大事にすることや友情を大切にすることのためにお金を残すため、電車でも「お年寄りに席を譲るように」というアナウンスがなされる。
とにかく「団結」のためにお金を残すのは事実であり、それが身内であるのか、それとも公益法人であるのかは人それぞれである。
特に、人生を夫に奉仕してきた女性への同情は強く、「俺が俺が」という者は相続から排除される。
団結が人々に何をもたらすのかも考えなければならない。
母に生贄にされた息子なども当然、救済の対象になる。
とにかく「孤立」を憎むのが年寄りなのだ。
中年になったら年相応に人の輪の中で笑っていなければ「子育てに失敗した」という思いが残る。
そういう者に限って遺産目当てで生きるためになおさら嫌われるのだ。
遺産目当てで「遊び人風情」を演じる人もいる。
仕事なんて覚える気はないのだ。
仲間が電話してくれれば仕事をしているふりができる。
源泉徴収票を見られるけど、仲間さえいてくれれば稼ぎがなくても人として認められる。
最後に年寄りは聞いてくるだろう。
「白人をどう思っているのか?」
この答えを間違えてはならない。
尊敬の念を示さなければ年寄りは絶望し、公益社団法人に遺産を寄付するだろう。

寄付金募集。
日本赤十字社。

老人福祉元年の限界を細川政権は迎え、その「資金源」の目測を誤った細川護熙は国民福祉税構想を打ち出し、退陣に追い込まれている。
このあたりは「官僚を掌握しきれなかった」という理由がありそうだ。

国は、「神は死んだ」という父と息子の関係に介入することがある。
①父親が薬物を息子にも強要した場合。
②シートベルトを着用していない父がいた場合。
ヘルメットを着用しないでバイクに乗ったり、ライフセーバーのいない海で泳いだりするのであれば、「年金が欲しくないのか」とみなして放置するしかない。
薬物で父と息子がともに壊れていくのはダメだ。
父がシートベルトを着用しないのもダメだ。
しかし、若者が危険な行為を行うのは仕方がない。
「神を殺してはならない」「父が祈りを知らなければならない」
このことだけのために「年金」という制度は作られている。
父と息子の関係から「祈り」「神」を感じて欲しいというニーチェの願いからのみ、年金という制度は成り立っている。
父親が社会生活を送っているのであれば、社会人としての体面があるだろう。
「祈り」と「神」の二つが成立しない無神論国家ならばそもそも年金制度などないのだ。
そもそも、父が「祈りたい」時ってどういう時かを知らないといけない。
「病気が治った」
これしかないだろう。
息子が「医者よりも優れた力量で」父親の病気を治す、こんなとき以外に父が「祈り」「神」を知るわけがない。
「どれだけ多くの女性患者を診てきたんだ?」
そう思って祈るのだ。
それだけのために「父親を生かす必要がある」と考えたのがニーチェだった。
高齢社会とは日本国が神を信じた結果だったのではないだろうか。
男社会で生きている証拠を見せるしかない。
銀行口座をパソコンで操作して息子をコントロールしようとしている父親が存在することを見失わないでもらいたい。
ニーチェは生きていることを教えてもらいたいのだ。
これが年金制度の奥義である。
証拠を見せて 工藤静香

また、父親にコントロールされている息子が「カントを学んでお金儲けをする」ことも証明してもらいたかった。
ニーチェが作った年金制度を「カントによって卒業する」という仕組みが想定されているのだ。
ニーチェは「父に」社会に出ることを求めたし、カントは「息子に」社会を知ることを求めた。
ひきこもりなどどの哲学者も歓迎していない。
カフェテリアがあること。仲間に加わったり離れたりすることがあること、貯蓄ができること、たくさん食べること、交通が安全であること。
藤本美貴 大切

さて、このようなニーチェやカントを見ていると、年金の仕組みは分かるが、「働いている若者」にはピンと来ないものがあることが分かる。
「働く」ということそのものが「自分を持つ」というリバタリアン的なものであることを示している。
学歴社会というのは「恋愛の低年齢化」という「鉄」に反発したものであるが、その後、アダム・スミスの立場から就職しようが、カントの立場から「政治家になろうが」自由である。
しかし、年金ぐらいは納めたらどうであろうか?
親としての「最初の祈り」ぐらいは果たしたほうが好ましいだろう。
酒井法子 サンクチュアリ

「医学」
自分の病気を治すためには、まず「自分の痛み苦しみを有名にする必要がある」ということが指摘できる。
しかし、現代においては「高血圧」という何の自覚症状もない病気が「有名」なのだ。
このことを考えると、現代医学においては「解決不能な痛みなど存在しない」ということが指摘できる。
「俺の痛み有名になってくれ!」
これが病気を治す基本なのだ。
酒井法子 All Right

妻が妊娠したりしても、医者にかかるが、目的は「異性に愛されたい」からであり、不定愁訴を医者がジャンル分けしてきた歴史がある。
本当に気分がよくなってようやく「この病気だったんだ」ということが明らかになると考えたほうがいい。
男は、女性に取り囲まれると気分がいい。
これが健康の最大値だと考えてもいいぐらいだ。
社会全体をそのように誘導しなければならない。
意味を感じない研究など止めてしまえ。
どのみち予算が下りないし、社会が不健康になる。
夏目漱石も「三四郎」において東大の研究をそのように表現しているだろう。
それと、「同性の同世代」を大事にすることも健康の秘訣だ。
「普通って何だろう?」ということが分かる。
内臓が普通であるかどうかも「同性の同世代」の振る舞いを見ていればおのずと分かる。
1974年のDSMにおいて「ホモセクシャル」が病気だとされた。
男が「女たちに囲まれて」ようやく自分の健康の最大値を知ることからそのようにジャンル分けしたのだ。
成績が伸びて周囲の女の子にもてはやされないのであれば、これも勉強する意味がない。
そもそも「男として、女として」遺伝子が正常なのか?が問われる問題である。
ふたなりなど病気に決まっている。
とにかく「病人は他人に危害を加える」ということも指摘していい。
「女たちに取り囲まれる男」が健康であるとするのならばそのように表現できる。
内臓が悪ければそもそもモテないと思う。
松田聖子 赤いスイートピー

「もっと女の子たちと自由に話そうよ」という共産主義体制において、犯罪とは病気であるとされたことを決してバカにできない現状が医学の世界にはある。
女性に取り囲まれた時の男がもっとも健康的だとされたからだ。
ベトナム戦争の評判の悪さもここに由来するものだ。
精神医学は精医連の頃から共産主義にシンパシーを感じていた。
お金を払う男も当然いるだろう。
お金を払わない男は「垂加神道」の専門家だけじゃないか?
「女たちに囲まれていれば男は健康だ?」
当然、世の中には硬派な男がいて、それを批判的に見る文化はある。
しかし、遺伝子にまでさかのぼって「そのうち分かるよ」と答えるしかない。
うしろゆびさされ組

本などの情報に触れる機会がないと当然、このような男は出てくるし、それを否定することもできない。
なにしろ、国の体制や文化に関わる問題だからである。
遺伝子と文化を見ながら「失敗国家」であるのかどうかを見定める必要がある。
エビデンスというのは「病気の理由を話しただけで気分がよくなる」ものだ。
そこから治療が始まるし、あるいは「認知行動療法」として、エビデンスだけで治ってしまう病気もある。
まずは、病名ではなく「原因・理由」を話すことが必要だ。
このあたりの力量は法学部を出ても身につくが、女たちが取り囲むのもここに理由がある。
また、「客人がお茶を交換しただけで大慌てするご婦人」がいることも病気の原因としてしっかりと理解しなければならない。
毒物というのは、「医学の敵」であるからだ。
不定愁訴がここから始まるのであれば「買った緑茶」を勧めるしかない。
また、モルモットを人間の健康のために利用することを恐れてはならない。
あとは、何か言っても殴り返してこない「女性」を多く診ることだ。
その後で男を診たほうがいい。
あとは「診断のパターン」を自分なりに確立しなければならない。
それは「患者の喜ぶ顔」で自然に身につく。
医学のプロになるためには「常に病院にいなければならない」ということと、医者の格付けの対象になっていなければならないということが挙げられる。
チーム医療ではない。
個人の力量の「腕比べ」の対象にならなければならないのだ。
それさえ分かれば「医学書はいいお友達」になってくれるだろう。

2018年12月19日 (水)

鉄。

鉄というものは、第二次世界大戦中にオーストリアで発展した技術である。
ヒトラーに組しなかったヘンペルなどが、ウィーンサークルの女子(ハプスブルグ家)の支持を得て、「仕事がどんどんはかどる」「聖書の物語が現実のものとなる」ということを背景に研究を進めた。
仕事がどんどんはかどる、聖書の物語が現実のものとなるということは、「学生・生徒は未婚である」という常識を覆すものだ。
高校生夫婦第一話

なにしろ、学生・生徒にまで「女に払うお金」が行き渡ったからだ。
「鉄の人気」の基本はここにあると言っていい。
子供がサンタクロースを見失わなくなったと表現することも可能だ。
サンタクロースは常に「鉄」とともに人気を広げていった。
鉄を操る男を見る女の側と、機械いじりが好きな男の側に立場は分かれた。
成績の悪い男でも工業高校に行けば立派な「男」になれたのだ。
CoCo 冬の微粒子

しかし、クインの登場で、お金集めがうまい男が結局「いいもの」を作るものだとされた。
立派な「男」も結局は、女の子たちが憧れる「恋ばな」に飲み込まれる形となった。
仕事がどんどんはかどる、聖書の物語が現実のものとなるといわれた「鉄」も「学生結婚」「サンタクロース」は生み出したが、クインのおかげで、子供たちは「恋」の世界に身をとどめたのだ。
学生・生徒が「女に金を払うことは可能か?」と言われれば「可能だ」とは言える。
しかし、子供たちの側が「文化」にブレーキをかけた。
「鉄」がなければ、中学・高校の男女共学の世界はどれほど貧しいものとなっただろうか。
聖書の「低年齢化」は確実に進んだ。
CoCo NEWSな未来

スクリュービンもアブラハムセンも「子供たちの文化をうまく構築しなければならない」と考えるほど、子供たちにとって「セックス」が身近なものとなっていたし、鉄のおかげで「恋」というものがよりロマンティックなものとして描けるようになった。
ユーゴスラビアのように「子供のセックスが止められない」という破綻国家も現れた。
キスした跡は残さないで 国生さゆり

日本国においては「文化の側」が鉄を迎え撃つ形となった。
「女子高生の頭の中は恋の話でいっぱい」になっていた。
お金ならば「イケメン彼氏」ですら持っていたからだ。
AKB48 No Way Man

もはや「男らしさ」と「女言葉」は、幼児の世代にまで波及し、「鉄さえあれば、お父さんは娘とお風呂に入らなくなるだろう」とも言われた。
しかし、女の子が「教科書が読めない」と言い始めた。
ベンサムは「理解しているふりをしてくれればいいからね」と女の子に言った。
しかし、世界は「女にも分かる学問」を志向するようになった。
これが「鉄」のもたらした帰結であった。
AKB48 希望的リフレイン

「言葉をバラバラにさせよう」という神の計画は、鉄によって「男女の言語の違い」としても表現された。
私も個人的には、アメリカ人女性の「英語」+「嘘」は見抜く自信はない。
女子たちは「教科書が読めない」と言い始めたが、ベンサムは「勉強もお金だけど、仲間もお金だよ」と答えた。
1950年代から1960年代にかけて「鉄」はますます磨かれていったが、このことを、ヴィトゲンシュタインは「写真」に記録した。
「女性が実に女らしいじゃないか?」
「勉強もお金だけど、仲間もお金だよ」
そうやって、女は「ディスイズヤクザOK?」などといっては仕事をしていた。
ポーランドで「男を磨こう」というムーブメントが起きたり、イタリアでも「男を磨こう」という動きはあった。
日本よりも過激に「恋を追い越していく男」が生まれたのだ。
恋と愛のニュアンス 酒井法子

「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済」であるという基本を踏まえたうえで、「鉄」というものが「経済をあまりにも簡単にしすぎる」ことから、ポーランドやイタリアで「男を磨こう」という経済への反逆がなされたのだ。
日本国でも「学歴社会の誕生」が行われた。
うしろゆびさされ組 偏差値BOY

学歴社会のことを「法の支配」と表現するようにもなった。
そもそもコンプレックスがあれば「情報」「知識」から遠のくことが分かっていたからだ。
大人になれば分かる話であるが、学歴を示すだけで「道路の修復」「住民票の登録」が簡単になる。
大都会では当たり前だったことが、故郷ではそうではないことを知るのだ。
鉄で傷つけた道路は学歴で修復しよう、ともたとえられる。
もちろん、学歴コンプレックスがないのであれば、そもそも「女性にモテる」というのは後からついてくる問題だ。
金本位制の元では「世界は乗り物さ」と言い放つ男は「シルバーリング」という自動車重量税を女に贈って、女を口説いた。
シルバーリングに口づけを Melody

哲学を学ぶと「女」「車」に困らなくなる。
そのあたりが「鉄」が一気にセックス世代を下げたことに「車」が反逆したとも表現できる現象があった。
「大学とのご縁を大事にしよう」というのをプラグマティズムという。
「話し方で学歴が分かる」と女たちは噂しあった。
ハートをロック 松田聖子

どの大学の先生も「限界」を感じながら「言葉」を作っている。
権力から遠い大学はどうしてもあるのだ。
一方で、権力のど真ん中の大学もある。
それぞれの大学で「訛り」のようなものはあるものなのだ。
偏差値ランキングのなせる技のようなものだった。
そのようにして「車」は「鉄」に反逆した。
「あなたにとって男らしさって何?」
女は問いかける自由があった。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

アメリカの大学は少なくとも、ガーナー対バーにおいて、偏差値よりも「大学のカラー」が大事である、という結論を出している。
この時に、「車が鉄に勝利した」とされて、日本の鉄鋼業界は世論から心を閉ざした。
「大学のカラー」を押し出せば道路が修復されるようになったのだ。
同窓会というのが意味を持つようになった。
「道路を修復してくれるのならば、東大にはこだわらないわ?」
女たちは言ったが、しかし、大学のカラーの研究が残された。
コンプレックスや上下関係は根強く残ったのだ。
「大人社会へのエントリー」が大学入試だったはずだったが、大学の厳しさは世界共通のものとなった。
松井珠理奈 総選挙 スピーチ

「鉄」のおかげで子供たちにまでお金が行き渡るようになると、逃げ場を失った「お金」は子供たちを「アイドル」にする方向に向かった。
それはプロテスタンティズムの「十字架は縄である」というような作品力を背景にしており、カトリックの農場や大企業の娘のような「十字架蛇説」に立脚するアイドルもいた。
いずれにせよ、「アイドル女たちの間の王子さま」を新カント派は志向したのだ。

十字架は縄であるという立場

十字架蛇説

アイドルが存在したことも、受験生がストイックに「鉄の檻」に入れる環境を整えた。
しかし、それは「十字架は縄である」という立場に立つアイドルがいなければ「時間の無駄」になりかねない。
(プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神)
いずれにせよ、「鉄」は、スターリンが「誰が鋼鉄を鍛えたのか」などというように、若者たちの恋愛を保障するものであったし、チャーチルが「鉄のカーテン」を引いて、キリスト教文化圏を死守しようとした構図をのちにもたらしている。

「車」
車内は「芸能界の話題」に満ちている。
違う世界にいる「女」の話題は男女を問わず、みんなが愛した。
カーステレオもあった。
東京の存続が芸能界にかかっているのだとすると、それは「車」が走っている限り永遠のものとなる。
タクシー運転手に「景気の話」をしてもウケないだけだ。
「違う世界にいる女」の話をしなければ、お互いに不愉快になるだけだろう。
マツコデラックスが明菜や聖子を語る

時には「悪意のある真実」も語った。
オンエアでは言えないことも「車の中」では自由に語れた。
ETCの金額すら割りにあう話題が車内の話題(MTC)には満ちている。
運転手がスポーツ新聞を読むのは常識とも言える。
タクシー運転手にウケる「違う世界の女の話題」はスポーツ新聞をチェックするしかない。
スポーツ新聞の記事の「女の話題」の真相を語るだけでいいのだ。
車のバッテリーが上がった場合も、どうすれば周囲の車に「リードスタート」させてもらえるかが分かるようになる。
とにかく「違う世界の女の話題」をみんながスポーツ新聞で共有しているのだ。

「聖子」の話をするとどの男も「紳士」になった。
まるで、「違う世界の女の話」をタクシーの運転手に話すと、その女を「譲る」ような行為であるように思えた。
男同士は「プラスとプラス」であり、バッテリーが上がったら「女を譲る」しかないだろう。
「どうでもよくて、しかし、可愛らしい女を譲る」
これが基本だ。
「石原さとみが脱ぐんだってね」
石原さとみセクシー

自動車重量税を自分で払う個人タクシーの運転手もいるのだ。
客が運転手に「女を譲る」しかないだろ。
「鉄鋼マネーがAKB総選挙で大場美奈に流れるらしい」
このような情報がいちばんいい。
安いタクシー料金で割に合わない仕事をしている運転手にせめて「女を譲る」行為ぐらいは共通認識にしたほうがいいのではないだろうか。
AKB総選挙にビッグマネーが動く時代になるだろう。
昨年は、日本銀行が大場美奈を「8位」という番狂わせに導いた。
タクシーを快適に乗るためにもAKB総選挙は続けたほうがいい。
「神推し」ならば手の内はすべてタクシー運転手に語ろう。
客の「心配り」次第でETCは安くなるのだ。
毎年6月のAKB総選挙を「タクシー料金」「ETC料金」を安くするために使おう。
運転手に「女を譲る」つまり「AKBの処女を譲る」だけでも、これだけの効果があるのだ。
タクシー運転手も一生そこで人生を終えるつもりかもしれない。
AKBの「神推し」のビジネスの方法を学びたいだけなのだ。
「鉄鋼マネーがAKB総選挙で大場美奈に流れるらしい」
そのような話題をタクシーや車で話すだけで「CO2排出削減」につながる。
AKB総選挙の話題をするだけで「風景がよくなる」のは事実であるし、「神推し」は世の中の動脈硬化を巧みに円滑にしてくれるのだ。
鉄は確実に恋愛マーケットの世代を下げた。
しかし、それに反発したのが「車」であったし、AKBのメンバーは「鉄鋼マネー」「日銀マネー」を奪い合っている。
昨年、私はありとあらゆる「予想」をくつがえして大場美奈を8位にランクインさせたが、これは「日銀マネー」を背景にしたものだ。
今年は、「鉄鋼マネー」の動向がAKB総選挙に影響を与える。
鉄道網が充実していないと暑苦しいが、男ばかりの社会も暑苦しい。
6月のAKB総選挙が白熱すると、クールビズのような役割を果たす。
小泉改革がタクシー業界できわめて評判が悪い。
「民の力にゆだねるべきはAKB総選挙ではなかったのか?」
毎年、6月はタクシー業界は熱気を帯びていなければならない。
AKB総選挙なくして「規制緩和」など行ってもナンセンスである。
どこかからタクシーを持ってくるのがディレクターの力量だったのがバブルの時代だった。
個人的に運転手と友達なのだ。
すべて、今後はAKB総選挙に委ねられるだろう。
大場美奈風呂を浴びる

サミュエルソンは「違う世界の女の話」をタクシー運転手にすることにより「女を譲る」のであれば「供給は尽きない」ことを明らかにした。
初乗り730円が高いか安いかはともかく、客の共通認識次第では「ゼロ円」になってもおかしくないのが「違う世界の女の話」の供給を利用することだったのだ。
北朝鮮の兵士が横須賀に上陸しても「日本の芸能界の話」を知るわけがないため、「ゼロ円」にしても国防にも響かない。
「タクシー初乗り運賃引き下げ」などという夢物語は発信力のある王子様にしかできない芸当だった。
AKBの「神推し」は「どのようにお金をかき集めたのか?」を運転手に語らなければならない。
運転手に支持を訴えかけるのではない。
「どのようにお金をかき集めたのか?」を語るのが運賃「ゼロ円」にするためには必要なのだ。
小泉改革は規制緩和を行った。
しかし、「何を民の力に委ねたのか?」を語らなければ意味がない。
答えは「AKB総選挙である」と言うしかないのだ。
「すべての男が、自分で投票券を購入しなくなったらどうなる?」
AKBメンバーが自分でお金を使って投票券をかき集めるだろう。
それが選挙の理想なのだ。
神推しとは、AKBメンバーに金融を教える存在であり、私は昨年は大場美奈に日銀を教え、今年は鉄鋼を教えた。
タクシー料金次第では来年は「自動車業界」を教えるかもしれない。
大場美奈ラジオ

タクシー運転手は、セックスには飽き飽きしていた。
それよりも、女の品定めや男たちのファイナンスを趣味としていたのだ。
AKB総選挙に関する情報はタクシー運転手の間で共有され、1位が公表された時にクラクションを鳴らした。
来年はラジオでもAKB総選挙は放送しようと考えている。
クラクション TPD DASH

股間を刺激するのはもはや古女房ではなく、若い娘とお金の話であったし、情報を持っていれば、飲み物も好きに買えた。
野郎は風俗に行くけど、AKBはみずみずしい。
神推しの力は恐ろしいのだ。
鉄鋼を味方につけた大場美奈でも一位にはなれないだろう。
タクシーの乗客は運転手に「AKB総選挙はどうなるんでしょうね」と話しかけ、その「神推し」の資金集めの方法を明らかにした。
タクシー料金が安くなり、AKB総選挙のファイナンスの方法が知られるようになるだけで台風は来なくなる。
男と女の間の「川」で儲ける、これが政治家の仕事なのだ。
AKB48 river

デキシー(ニューオリンズ)がこのことを学ぶのにも時間がかかった。
雨のニューオリンズ 国生さゆり

日本国も本格的に「台風撲滅」を行うのであれば、AKB総選挙をラジオでも放送しなければならないだろう。
小野光太郎が「鉄道網の充実」から本当に台風を撃退した時に、スタンフォードは「それはタクシーでできるではないか?」と気がついたのだ。
しかも、AKB総選挙のラジオでの放送にまで思い至った。
金と若い女の話に関する情報を集めているうちに、勃たなくなっていたタクシー運転手がいつの間にか勃つようになっていた。
奥さんは喜んだし、パートにも出てくれるようになった。
「これが男の仕事なんだよな」
そう思って、AKB総選挙を活用する以外に台風を撃退する方法はないだろう。

「有機=カーボン」
組織とは「有機的一体性を持ったもの」であり、ゴルフのカーボンアイアンも「お前もそろそろ身を固めてくれないと困る」という結婚を背景にしている。
恋愛ならば、浮気をしてもお金は動かない。
しかし、結婚したのならば「不貞を働く」ことにはお金が動く。
この「お金」を背景にしたのが組織でありカーボンアイアンである。
結婚した男こそが、組織を構成し、雇用の継続を望み、カーボンアイアンを開発する。
ピンクのモーツァルト 松田聖子

無機というものは、ときにはかなりのヘンタイも含めた概念であるが、有機というものは「ノンケ」から構成されており、富の裏づけが強いものだ。
カーボン=有機というものは「ノンケによって資金力が強化された」という意味でもある。
傷つけても傷ついても恨みっこなしという独身男女は「無機」の世界にいるといえる。
バツいちバツ2を繰り返すのであれば「無機」であるとも言える。
家庭を大事にすることから富の裏づけは得られ、ゴルフのシャフトも強化される。
独身男性には有機化学の研究は向いていない。
固く結ばれた絆はもはや壊れないことを知っている既婚男性にしか有機化学は分からないのだ。
遊びだと約束したのであれば無機である。
雨のコニーアイランド 松田聖子

こいつが俺の子孫を残すと思うと緊張する、男は有機に属する時にそう考える。
しかし、浮気がお金の問題となってしまう結婚=有機の世界に属さないとなにも強化されない。
有機的一体性をもつ組織に属するとはそのようなものであり、ノンケであることからカントも理解できるし、資金力が異なる。
カーボンという研究はそういう世界の話である。
恋じゃなくなる日 B'z

いろんな女に関心を持ってキョロキョロしているのが男だろう。
しかし、結婚は人生の墓場ではない。
確実に産業を強くしたのだ。
それが「カーボン」である。
炭素が女であり、水素が男であるのであれば、結婚を取り巻く男女が多いと結婚生活の「すれ違い」がなくなる。
ここに安定感を見出すことが必要になる。
Melody You are only my love.

「浮気をしたらお金の問題になるよ?」
ここに「カーボン」の奥義がある。
鉄は明らかに国民の恋愛マーケットの世代を引き下げたが、チタン(CH3-CH2-CH2-CH3)のような「超合金」は、開発する側に結婚を求めた。
恋愛の低年齢化と、それに反発する学歴社会の葛藤の中で生み出されたものだ。
シェークスピアの英語と現代の英語は明らかに異なる。
明治時代の日本語と現代の日本語も明らかに異なるだろう。
現代文を作ったのは「ロマン主義文学」である。
有機農法にせよ、有機野菜にせよ、「有機」というものは現代文が作ったものであり、ロマン主義文学がなければ作り出せなかったものだ。
夏目漱石の時代には有機というものはなかった。
愛の炎 田中れいな

結婚しているエリートが、恋愛の低年齢化を見越して、よりロマンティックに「恋愛」というものを芸術に昇華する、ここに「有機」の魅力はある。
有機農法、有機野菜、超合金などを作る仕事とはこのようなものなのだ。
ドイツ、イギリス、フランスのロマン主義文学が「有機」を作り出した。
「有機野菜は高すぎる」と思うのであれば、現代文によるファイナンスがうまく機能していない、あるいはビジネスを誤解していると考えて買わないほうがいい。
あるいは、恋愛の低年齢化を見越して「言語をより明瞭にする」努力がロマン主義文学によってなされたことから、ファイナンスが成功したのが「有機」だとも言える。
カーボンシャフト、カーボンアイアン、有機野菜などの作り方はこのようなものだ。
インディゴブルーラブ モーニング娘。

「真実は美しい、美しい真実」
これを探求したのが有機である。
女はパートナーがいても力や知識を生み出すために他の男の声を聞きたがっている、これをキューリー夫人は明らかにしている。
SPEED Deep blue & truth

美女の美しさを讃える、これがロマン主義文学であり、結婚している男が「落とせない女などいない」という境地に達するものでもある。
生きていることへの喜びが住友化学の文系組にはあったのだ。
「詩を作ろう」
どうせ芸能界に依存しているのがこの国のビジネスなのだ。
「あなたは女として最高の存在だ」という口説き文句は「絶対」の部類に属する。
「絶対」を美女にぶつけてみるのが仕事なのだ。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

一部上場企業は戦いなのだ。
芸術を戦いに用いない企業などない。
すべての女を口説き落とす力量を持ったロマンスグレーの男がいるということをいかなる企業も心理として用いている。
男女の二元論を男社会の一元論に持ち込まない男もいないだろう。
しかも、結婚に至るまでの過程がどのようなものであったかを、若い連中に教えない男もいない。
有機的一体性をもった組織で、有機を扱っているのであれば、当然、資金集めに若い連中の支持を必要としているはずだ。
松浦亜弥 Love train

美しさというのは芸術の基本である。
美しい女が音楽作品を歌うのも当然であろう。
そして、その「詩」に企業の大人たちが思いを託すのも当然の成り行きである。
文系組として、産業に属したのであれば、当然、行わなければならない作業である。

2018年12月18日 (火)

風俗営業としてのパチンコ。

パチンコというものは、セックスを経験したことから、おのずと自分の境界線が円形に治まり、その中を「球」が落下することによって、セックスの快感を思い出させるものである。
球が泳ぐさまはまるで愛液のようなものであり、眺めているだけで「エネルギー」になる。
女にとって男は「力」であるが、男にとって女は「エネルギー」である。
人差し指を月の横に持ってきて眺めてみるといい。
二つのイメージが重なって月と指の遠近感が分かることを知るだろう。
二元論は常に「男女」を示していて、セックスの興奮もこの「二つのイメージ」から引き起こされているのだ。
指を常に男性器と触れさせるようにレバーに触れさせる。
あくまでも自分でレバーをコントロールさせながら、男女の交わりの世界を眺めるのだ。
レバーに指を触れないのであれば、もはやそれは「パチンコ」(ちんこ)ではない。
セックスこそが私有財産であり、そのような快感を提供しないのであれば巨大産業は成立しない。
男にとって「エネルギー」(mv^2)である女と、女にとって「力」(mv)である男の関係から男の側によりニーズがあるのがパチンコであるとも言える。
しかし、女の場合も、セックスの翌日の「欝の解消」のために「自分のセックス映像」を見る必要性があり、女にとっても、セックスの屈辱感の解消のためのニーズがある。
「より人間らしくあるために」
パチンコというものはあるのだ。
パチンコをやる際には「女を口説く言葉」を学習しやすい。
そこに「小野スタイル」「丸山スタイル」が介入する余地がある。
パチンコAKB3

なにしろ「エネルギー保存の法則」があるために、m(重さ)は重いほうが快感が増す。
有名なパートナーとのセックスが気持ちいいのと同じ原理がここにある。
オイラーが「運動量(力)保存の法則」を明らかにした時に「女にとってもパチンコはニーズがある」ことが分かった。
とにかく「最高のサウンドで」愛液を通り抜ける必要がある。
どのみち、一度セックスしてしまえば自分の「サークル」は見える範囲内に限られるのだ。
パチンコをやる男は「痛み」を抱えているため、「私は歴史よ!撮影しているんでしょ?」という騎上位を楽しむ女の気持ちも味わえる。
パチンコエルドラ

なにしろ、快感が「時間との相談」となるために、消費者金融も「パチンコ産業」を想定して構築されているのだ。
消費者金融はマックスプランク研究所が作った。
「カントを学んだら世の中でこのような夢が見れる」ということを示したのがパチンコであり、どうしても「小野スタイル」「丸山スタイル」などの「言葉」を覚えてくれないと、「なんら学習することのない」パチンカスと呼ばれることになってしまう。
このあたりが今後の課題となるだろう。

2018年12月14日 (金)

天皇家の真実。

小野家系図。
そもそも、私は小野鐵之助の三男の重五郎の長男として生を授かりましたが、曽祖父の達郎が、野口英世として、あるいは別のペンネームを和辻哲郎として知られた医者・哲学者でありました。
このことは「万葉集を一人で書いた人物である」ことから裏付けを取りました。
百人一首を全部暗記していて、「上の句を詠んだだけで目をつぶって足で札を取るおじさん」として知られていたのです。
このことから「小野達郎=大正天皇」という発想が生まれました。
すると、その長男の鐵之助は昭和天皇であるということはすんなりと導き出されます。
鐵之助は広島県尾道市で産婦人科医をやっていました。
長女に佐紀子というのがいて、これが現在の「皇后美智子」となっています。
なぜこのようなことが起きるのでしょうか?
答えはアレキサンダー大王にまで遡らなければなりません。
「お金さえ出してくれればどんな映像もテレビで作り出せる」
このことをアレキサンダー大王はペルシャやインドにまで持ち込んでいます。
それを日本に持ち込んだのが空海なのか日蓮なのかは明らかではありません。
しかし、日本のメディア論を知る上で「お金さえ出せばどんな映像でも作ってくれる」というメディア論を理解しなければとんでもない「エラー」をやらかしかねません。
佐紀子は、すでに没したことになっていますが、近藤という政治家に嫁いで、自分に投票しなかったものを部落民と呼ぶ土地柄に身を置きました。
部落民の中から養子を取る習慣があったようです。
養子にとったものたちを屋敷に集めていたのです。
1990年に私が東大文一に合格し、1992年には力士・佐田の山が天皇として「くにつくりのおはなし」を確立させ、皇統譜というものを明らかにしています。
そこには天皇と皇后がいて、長男に徳仁親王(徳島登氏)がいて、次男に文仁親王(阿部洋氏)がいて、三人目の娘さんとして清子内親王がいました。
佐紀子(美智子皇后)は、鐵之助の妻の道子の力を背景に活動していたのです。
松田聖子や志村けんの実母でもあります。
アレキサンダー大王とメディア論を理解しないとなかなか「皇室とは何か?」が見えてこないのです。
皇族というものは「佐紀子が養子にとった部落民である」ということを冷静に見抜かなければなりません。
政官要覧にも「国家統治に責任を負うもの」として天皇家のメンバーの名前は掲載されておらず、これが佐紀子の限界だったのだろうと考えられます。
佐紀子と近藤家の関係は明らかですが、天皇である元力士・佐田の山の関係は明らかではありません。
すべて「メディアのなせる技」としか言いようがないのです。
画家の高橋朋子は鐵之助の四女です。
画家・高橋朋子。


子供だって人間である。しかし、仲間作りを苦手としていて、巨大組織を率いる子供などいない。
男の子にはおちんちんがあり、周囲には成長していく女の子もいる。
しかし、「大人に許されていること」が子供には許されていない。
痴話喧嘩の裁判を苦手とするために、シャイになる男の子もいるし、選挙権もない。
これらの能力がないのならば軍務につく必要もない。
しかし、身体能力は年寄りをはるかにしのぐ。
「子供の喧嘩に大人が出て行くな」と言われるが、私の祖母(遊佐道子)は独自の方法で「子供の喧嘩」に介入してきた。
1989年に「国連世界子供資金会議」というものが開かれた時に、それは露骨になった。
「子供の個性のある振る舞いを歌にしていい」(12条)
などが記されたため、遊佐道子は最先端の手法を私に取り入れたのだ。
酒井法子 秘密のガーデン

この時、「子供」とは18歳以下のことを言うとされ、大学入試でも現役ならば「歌で応援してもいい」ことになった。
遊佐道子は、国連の会議に出席する資格があったため、それを実践した。
酒井法子 エアメール

なにしろ「絵になる子供」をお金を用いて「詩」にすると、税金を納めることにつながり、国も文句がなかったのだ。
そのために「お金に満ちた子供」は浪費癖もなく生み出すことが可能となった。
実父が息子を詩にすることはないだろう(神は死んだ)。
そのため、「おばあちゃん」としてやるべきことを遊佐道子は見つけたのだ。
私は、道子が作ったCDを五枚程度、書斎に持ち込んで勉強した。
東大文一には一年8ヶ月の勉強で合格している。
しかし、「子供の喧嘩に大人が介入した」のは認めざるを得ない。

1989年の東大入試は、私は事実上の「飛び級」で受験したため、
泡を食った母方の祖母・小野元(はじめ)も曲を作った。
この時に私に「大人たちの喧嘩」が介入し始めたのだ。
1990年に文一12位合格という記録が残った。
Wink 涙を見せないで

「大人たちの喧嘩」も、18歳以下の子供にとっては、あんがい紳士的なものであり、「女をもてあそんではならない」というあたりに公約数的見解が見られる。
なにしろ「一回三万円」などというセックスとは距離を置かないと、子供の側が「値崩れ」を引き起こしかねないからであろう。
もうすぐの予感 酒井法子

国立大学には裏口入学はない。
しかし、音楽作品を作って税金を納める、というのは大人たちのフェアな喧嘩だった。
とにかく、私も東大に入って「みんな童貞なのが当たり前」だったのが印象的だった。
Wink 淋しい熱帯魚

子供に現金を与えると「悪い遊びに使う」ということと、それでも「お金に満ちた子供にしたい」というおばあちゃんの思いがあり、さらに「サヴァイヴ」つまり「死んでも私のことを覚えておいてもらいたい」という女としても考えが音楽作品に表現されたのだ。
真夜中のエンジェル Wink

18歳以下の「子供」を詩のモチーフにするメリットは果たしてあるのだろうか?
すくなくとも、子供はお金を持っていない。
1989年の「会議」以前は、しきりに裏口入学が模索された。
しかし、子供に現金を与えることは、子供がスポイルされてしまうという問題点があったのだ。
そこで、「歌謡曲のモデル」「納税」という方向性が定まった。
父や叔父・弟は「男」をモデルにした作品がガンガン流れることが面白くはないだろう。
(三位一体)
三位一体が真理であるのならば、「詩を作ってくれ」とレコード会社と掛け合うのは「おばあちゃん」しかいない。
1989年の、留学経験のある事実上の飛び級東大受験を経験した私は、その後、特待生で予備校に入ったが、大人たちの喧嘩が展開され、秋には模試で「合格可能性80%」という数字を出し、異様な雰囲気で受験を迎えている。
この時、不合格だったら次はないとすら思った。
Wink セクシーミュージック

子供には意外と「個性」というものがないとされている。
なんだかんだ言って「大人たちの導き」にしたがっているのだ。
そこに介入するのも「大人たちの喧嘩」だとされる。
幕府側(酒井法子)と朝廷側(Wink)のどちらに影響されたかというと幕府側だといわざるを得ない。
朝廷側の方が「髪の長い美女」に満ちているし、現代では主流となっている。
十代の子供が書く答案に「個性」など必要ないともされる。
「正確性」が求められ、大人たちの喧嘩を眺めていたほうが楽しいという人もいた。
Wink ニュームーンに逢いましょう

「医者一人育てるのに五千万円かかる」「国立大学医学部に受かるのは宝くじに当選するのと同じ」と言われるように、本来は「よきサマリア人」つまり、東大理Ⅲでこのようなことが想定されていた。
子供が「強烈な義務感」を身につけるであろうことは事実であり、
私も、父が「俺、こんなに勉強したかな?」と首を傾げるほど大学に入ってもよく勉強した。
お金のかかった子供が「自分は特別だ」として傲慢になってしまい、友達をなくすこともある。
ときには「家族のメンバー」として家族が受け入れるのも困難になる。
必要なのは「大学を大事にすること」「大学を体現するほど大学が発信する情報に通じること」であり、私は法学教室やジュリストを愛読した。
おばあちゃんが考えていたような「医者を育てる」という発想をもとに展開されたことであったが、医学に興味を持つようになったのはおばあちゃんが亡くなってからであったし、医師免許もない。
このようにして「家族のメンバーでもっとも重たいものを背負った人間」として、大学に入ったからと言って彼女も作らない「理Ⅲ・文Ⅰ」男は生まれた。
女性差別・朝鮮人差別にも疎く、おばあちゃんとしても「かなり長い目で」子供を見ていかなければならない。
同じ人間として、お金をかけた子供に「裏切られた」という思いを抱くこともあるだろう。
Wink 背徳のシナリオ

いずれにせよ、大学受験がどれほどおばあちゃんにとって大きなイベントであるのかを知る必要がある。
そのあとは、淡々とした研究生活が続いていく。
あれほど、英雄扱いした「子供」だったのに、研究生活においては「人生の後輩」として位置づけられることになる。
そのため、「大学の講義」「大学とのご縁」を大事にしないのであれば致命的な悪影響を人生に与えることになる。
Wink 私たちらしいルール

しかし、一度このような「お金のかかった子供」としての経験をすると、それは、おばあちゃんには敵わないまでも、他の子供に比べると「晩成型でありながらかなり多くの物事に精通した」大人になるとされる。
それほど、周囲の同級生は鈍さを見せることがあったのだ。
語学の才能からして根本的に異なった。
おばあちゃんも、晩年を「才能のある若者」とともにあんがい楽しく暮らしていた。
Wink エンジェルラブストーリー

青春時代の「薄さ」と、大学人としての「厚さ」が、大人になって「仲間の多さ」につながった。
つまりは「お金持ち」になることになった。
その「儲けたお金」をソープランドに用いるほど女にも困っていなかった。
「大学人であること」からこのようなことになったが、そもそも、おばあちゃんも「曲を作った」と言っても、「お金を払った」というだけに過ぎないことが分かる。
なにしろ、音楽作品のクオリティはあまりにも高く、大学人としての見識とほとんど変らないものがあったのだ。
Wink マイティマイティラブ

大学人として、東京大学の情報をこよなく愛したら、「次」のブレイクまで時間はかからなかった。
ボクシングのマジソンスクエアガーデンでのビッグイベントの盛り上げ役をやって、28歳で「カリスマ」と呼ばれた。
このとき、おばあちゃんの家にふたたび招かれたが、おばあちゃんは熱心に真言宗の仏壇に手を当てていた。
周囲は「仏壇の威力」を知る由もなかった。
Wink スカーレットの約束

現在、私はスタンフォード大学に軸足を移し、熱心に学んでいる。

そもそも、酒井法子さんが「ホワイトガールで楽になった」と語っているように、大学受験というのは「大人たちが鬼気迫るもの」となるために、入学以前と入学以降はこれほどまでに雰囲気が違うものなのである。
酒井法子 100%の雨が降る

子供は高校までは、「大学に入るための指針」を教わるが、それはあくまでも「学校知」であり、大学に入ってようやく「大人と肩を並べる研究」を行うようになる。
当然、「子供が大学に入った親」もモテるようになる。
11歳や12歳以前は「子供の存在により親がモテるようになる」ことはほとんど想定されていない。
中学受験あたりが「親としてのデビュー」となるのだ。
6歳児「お父さん。この世界のすべては夢なのかな?」
5歳児「寝ている間に時計は二周していないのかな?」
4歳児「飛行機に乗るとおしっこしたくなる」
なぜ、子供が11歳や12歳になると「親がモテる」ようになるのだろうか?
「歌謡曲を歌い始めるのだ」
失恋の悲しみを知った時に「親が子供の喧嘩に介入」できるようになる。
8歳から11歳の間に「テレビのチャンネル権争い」からこれを学習するとされている。
優しさに帰れない CoCo

8歳から10歳までは「2対1のスプリットディシジョン」に泣くだけだが、10歳から11歳までは「なぜそのチャンネルが見たいのか?」を30分間話し合うようになる。
歳の近い子供同士でチャンネル権争いをさせるだけでもかなりの「戦術」を学ぶとされる。
どんな議論をさせても最後は「神」(全能)の話になり、チャンネル謙を委ねるのは「セックスを知っているお父さんやお母さん」となるのだ。
セックスを知るとは偉大なものだという発想が根付く。
冬の微粒子 CoCo

この、数人のチャンネル権争いを「教室」にまで拡大させたのが小学校である。
「国語、算数、理科、社会」
この世界に争いを拡大させたのだ。
「成績がよければ家庭内での立場が違う」
これが基本となる。
このような「子供の喧嘩」に大人が介入できるようになる、あるいは「大人と肩を並べる研究をするようになる」頃には、親もテレビを二台も三台も買えるようになる。
テレビというものはこのようにして、子供に影響を与え、時には「自分のことを歌っている曲」を目にすることもある。
おニャン子クラブ メリークリスマスフォーユー

私の母方の祖母・小野元(はじめ)は、私が23歳(1994年)の時に再会しているが、私は心を病んでいた時期であり、それでも「復活」を予言して「あのご病気いかが?」と揶揄している。
年寄りの貫禄ということが可能だ。
結婚しようね Wink

情報というものは「経験論」から始まっている。
なにがウケて、なにがウケないのかはまるで、人々は恐る恐る凍りついた坂道を歩くように探ってきたのだ。
冬の微粒子 CoCo

そのあと、イエスキリストに立ち返り、「あなたは女として最高の存在だ」という言葉に集約されるような、「女が泣き出す情報」(涙=媚薬)へと研究は進んだ。
ときにはコンピューターも使ったが、あくまでも「大勢の女たち」を研究対象とした。
千年の媚薬 CoCo

これが分かれば、政治学が分かる。
丸山システムなり小野システムをノートにまとめて「女の子に話してみる」こと、そして「決して負けないこと」を確認するのが「情報学」となるのだ。
ノートをまとめるにあたって、常に自分の「おちんちん」の動きに敏感にならなければならない。
男にも「痛みを感じる側面」(女性的側面)があるからである。
女子たちの支持が根強ければ「不確実性」は確実に減っていく。
どのみち、「情報」というものはエントロピー(log)にかけられてわけが分からなくなるものだ。
そこで、本やブログを書いて「拡散」させる必要がある。
あるいは「θ」(角度)をなくして「時事問題」を冷静に見ていく必要もある。
主婦層にバカウケすると磐石な基盤になるとも言われる。
そして、人々は常に「セックス」に関心があることも知らないといけない。
これらのことが分かってくると、女が「落とし穴」(ハニートラップ)と化すことも分かってくる。
女に不自由しないことが必要であるし、子供にも「男の子」「女の子」がいることを知る。
ハートのイヤリング 松田聖子

ノートが膨大な量になってくると、まるでスマホやパソコンの操作方法を電話で聞くようなマニュアル的対応でも、女にとっては「わけが分からない」世界となってくるのでマニュアル的対応が哲学の仕事となった。
複雑すぎるのだ。
イワンは「クレムリン広場の群衆の中に放置しておいても自分だけ生き残る奴」と言われたが、周囲の女性たちの支持を着実に取り付けるという意味だ(カラマーゾフの兄弟)。
「哲学の知識だって情報だ」と言ったのは1967年のエドワーズ百科事典である。
やがて、略奪愛の存在や、「全能の神」(税収)が上がるのが確認できる。
男を奪われた女が「美しく」なることも街で確認できる。
次男三男の嫁は楽だとか、長男の嫁は辛いとか、いろんなことを確認した。
次男三男は一生、頭が悪いことも分かってきた。
自分のおちんちんにいちばん素直にノートが書けるのは長男だったのだ。
処女(十字架蛇説)か、非処女(十字架は縄である)かを問わず、髪の長い女に「19歳になったらポルシェをあげる」という政策を採ったとする。
なにしろ、女の声は、ギターの弦の真ん中を押さえるように「いちオクターブ高い」のだ。
父としては、娘がポルシェに乗ることは、娘のセックスを容認することを意味する。
なにしろ「男が車目当てで近づいてくる」からだ。
とにかく、男としては「歩くなり運動するなりして」体を鍛えるしかない。
女の声が、ギターの一番下の弦の真ん中を押さえるようにいちオクターブ高い。
CoCo ムーンライトエクスプレス

それだけで「処女の証明」とするしかないではないか?
十字架蛇説やカトリックはそのような「割り切り」を行ったのだ。
大学一年生は大人の仲間入りをするが、「おちんちんと計算」以外すべて白紙(タブララサ)なのだ。
政治学を学ぶ才能に満ち溢れている。
教育というのは「勉強すれば女の子にモテる」ということを背景に行われるが、政治学は「研究」つまり、学んだことを直接女の子に話す、というものであり、成績を出すものではない。
大人へのゲートウェイ(大学入試)をくぐったら、あとは、女の子のポルシェ目当てに男は政治学を学ぶしかないだろう。
日銀の「イングランド銀行の金塊」は、日本国の政治学を発展させる。
瀬能あづさ ふたつにひとつ

東大生なら誰でも(ポルシェに)乗せる女というのは確実にいる。
しかし、そこからが「政治学のビッグバン」の始まりであろう。
政治家に東大法学部卒が多いというのは、言い伝えでもあったが、今後は現実に影響力が変ってくるだろう。
見た目良し、頭良し、それが東大法学部の学生だった。
広瀬香美 ロマンスの神様

男の「値踏み」なんてものは「女にやらせる」しかないだろう。
経験不足な男、政治音痴な男は女に判断させるのだ。
どんな「強者」にも動じないのは丸山システムなのか小野システムなのかの判断は男たちに委ねよう。

2018年12月11日 (火)

仏教の論理、八幡ネットワークの論理。

浄土真宗セクトは、明治時代に宗教界独占を狙って「神道は宗教ではない」といったんだけど、その思想的基盤は「聖徳太子カルト」なんですよ。
聖徳太子崇拝が親鸞の思想的基盤なんです。
浄土真宗セクトは本地垂迹という立場だ。これは聖徳太子を神と位置付けるために唱えられている。
皇室の流れと仏教の流れから生じたものだ。
聖徳太子の研究を深めたのが親鸞であり、天皇の次男の研究と信仰からカリスマとなったのだ。
専修念仏という思想は阿弥陀仏陀の名前を唱えるものだが、この簡素に集約された思想が末法思想を背景に一気に広まり、比叡山の嫉妬を買った。
比叡山はもともと念仏を唱えるという思想を始めたところだが、この「専修念仏」の弾圧を後鳥羽天皇とともに行ったのだ。
親鸞はこの専修念仏の弾圧を回避するために聖徳太子に注目したとも言われる。
朝廷とのつながりを必要としていたのだ。
親鸞を語るうえで「末法」は欠かせない。
末法とは仏陀の入滅から時間が経ちすぎると人々が悟れなくなるのではないかという思想だ。
この思想が、比叡山の僧が秘技を用いて資金を得ていることなどの現状から広まり、親鸞が阿弥陀仏陀に頭を下げる理由になる。
親鸞は、48回頭を下げるときに18回目だけに集中して深く頭を下げることなどを提唱している。
聖徳太子は「観音」の化身とされた。
法然の念仏カルトも弾圧されたが、親鸞は「天皇家の次男」としての聖徳太子をカルトにすることで念仏カルトの弾圧を防いだのかもしれないね。
浄土真宗は「太子信仰」を基盤にしているのだ。
親鸞の夢
親鸞は個人的に原体験をもっていた。
六角堂に百日間滞在した時に聖徳太子の夢を見たのだ。恵信尼の夢も見たとされる。
そのあとに法然の念仏カルトに帰依している。
六角堂で見た夢がのちに聖徳太子カルトとして浄土真宗の核心を形成していくのだ。
太子信仰の歴史
平安時代は、後期に入って権力構造が変わった。
地方に荘園ができて武士がそこを資金源に台頭してきたのだ。
寺は皇室を資金源にするようになった。
仁和寺などは、皇室を支持し、アンチ藤原を標榜した代表格だ。
藤原道長は、自分を聖徳太子の化身としている。
この頃から太子信仰はあったようだ。
頼朝が鎌倉幕府を作った時には、頼朝も「聖徳太子の生まれ変わり」と言っている。
武士にとって聖徳太子は権力の正統性に関わる存在であり、それは天皇の次男としての立場にとどまらず、彼の作った十七条憲法が権力腐敗を戒める強烈な意味をもったからだ。
鎌倉の大仏は「菩薩観音」「聖徳太子」「聖武天皇」の意思で作られたと位置づけられた。
荘園ができて、武士が出てきて、「聖徳太子」という正統性を必要とした連中がいたんだよ。
聖徳太子がなぜ「仏教の父」と呼ばれるようになったかというと「カルマの法則」と「本正話(ほんじょうわ)」について語ったからだ。本正話とは「ブッダが生まれ変わる前の話」という意味だ。この話を聖徳太子は行っている。
本正話について書いておきたい。
ヒマラヤボーイが悪魔の掌の上に落ちて、マハーサットバ王子が飢えた虎の上に落ちて、両者が似たような姿勢をしていて仏陀として生まれたという話なのだ。
聖徳太子は、うまやどの王子という名前は知られているが、宮殿の南ウィングで推古天皇の職務のすべてを代行したために「上宮太子」とも言われている。
実は「虎」というのは「本能のままに生きた人」を意味するし、
「悪魔」=閻魔大王というのは「権力を利用して部下を顧みずに天上界に戦争を仕掛けては敗北する人」を意味します。
ゴータマはお父さまとお母さまをそのように見ていたのでしょうか。
専修念仏というのは「念仏を唱えるだけで悟りが開ける」という思想だ。
仏陀が入滅してから時間が経ちすぎるともはや悟りが開けないのではないかという末法思想を背景に阿弥陀が愛したピュアランドで念仏を唱えればその土地に生まれ変われるという思想が広まったのだ。
空海は「大日如来の語った言葉を唱えれば悟りを開ける」と言ってお経を唱えさせたが、念仏というのは「自分が今いる土地に生まれ変われる」から唱えるという違いがあるのだ。
五木寛之の「親鸞」も読んだんだけどね。
「浄土」(ピュアランド)の解釈がちょっと違う。
現在生きている土地のことを「浄土」と言って、その土地で念仏を唱えればそこに生まれ変われるという思想が親鸞の思想だ。
そういうあたりから議論しないといけないだろうね。
「浄土往生」とは「今いる場所に生まれ変わる」という意味なのだ。
人が死んだら「南無阿弥陀仏」といって「俺はこの土地にとどまるよ」というのだ。
法然上人の死との向き合い方について書きたい。
我々は死ぬときには悪魔に魂を売り渡してでも生きたいと思うだろう。しかし、そのあとに平穏が訪れ、阿弥陀仏陀が深く頭を下げて、ファーストランクの扱いで船に乗せるだろう。
そうやって浄土に導かれると法然は説明した。
この「浄土」というのが「我々が今まで生きていた土地」と親鸞は言っているのだ。
法然上人は、子供の頃に母に言った。
「私は生まれ変わって栄光に包まれる宿命だ。父の言いつけもあって比叡山にのぼらなければならない。
朝起きて夕方に生活は高揚する。これがすばらしいことだ。
親に感謝することはいいことだけど、自分の名前を永遠にすることはもっといい親孝行だ」
法然の母は、夫の忘れ形見である法然の言葉を「合理性を失っている」として、床のわきで泣いた。
修行のために作られた寝苦しい寝床だった。
母は息子が比叡山に行くことを認めたのだ。
法然は言った。
「あなたは自分の将来すらわからないでしょう? 他の人の将来なんてなおさらわからないよ。
座ってみなさい。そんなことすらわからないのが人間なんだよ」
法然の語る言葉に理があったからこそ、日蓮の立正安国論で旅人は先生に「法然の悪口を言っていると殺されんぞ」と言っているのだ。
法然の言葉を書いていきたい。
法然がなぜ比叡山にのぼれたかというと、僧「寛学」の紹介状があったからだ。
紹介状には、天台宗の元弘あてに「文殊の聡明さと偉大さの肖像をここに送る」と書かれていた。
自力と他力
念仏を一度か二度唱えて念仏だけで救いを得ようとするなら「自力」だ。
何千回も唱えたり、たった一度でも心を込めて唱え、阿弥陀の救済を得るなら「他力」だ。
この区別を法然は行っている。
法然は、魚を食べると浄土に行けないのではないかという議論にも答えを与えている。
彼は「猿は魚を食べない」ということに注目し、猿は猿として生まれ変わるとした。
そこで、やはり念仏という神聖な名前を唱えると浄土に行けると論じたのだ。
念仏を唱えるということは「阿弥陀を信頼する」ということだ。
他の仏陀や菩薩があなたに慈愛に満ちた頭を下げてもそれは一方的だし、あなたが頭を下げるのも一方的だ。
つまり、阿弥陀を信頼してさえいれば他の宗派とは関係をもたないとしたのだ。
法然は、経典のページをめくるたびに「阿弥陀」のことしか頭に入らなくなった。
寝ても覚めても阿弥陀のことが頭にあった。
仏陀が入滅してどんなの時間が経過しようともひたすら阿弥陀にすがろうという発想につながり、他の宗教のあらゆる実践を捨てて念仏を唱えたのだ。
「南無阿弥陀仏」というのは「ああ!阿弥陀仏陀。私を救ってください」という意味だ。
法然は、みんなが唱えている念仏を唱えれば、自分だけが特別だという感情がなくなり、傲慢さが消えて、罪が消えるとしたのだ。
そうすれば、自分が今いる場所に生まれ変われるよと言ったのだ。
我々は他人からの賞賛や名声を望みがちだ。しかし、都会を離れた小さな場所に案外住んでいるものだ。
お寺を見てみよう。
寺のまわりには見栄も何もない惨めな花がたくさん咲いているはずだ。
他者からどのように見られようとも、そのように咲いている花を見ればおのずと往生の秘密が分かると法然は言った。


Nennbutu


ロータススートラ(法華経)の意味
ロータスの花というのは最も美しい花であり、それを語ったスートラが法華経だ。
たとえ世界が汚染されていても白い花を咲かせる。
それは真理ではなくとも不朽のものであり、結局、仏教はそこに収斂して行くものと考えられた。
ブッダが、インド北部の山で8万人に囲まれてロータススートラを唱えた時に、世界で8万人だけが光に包まれた。
これがロータススートラの意味だ。
立正安国論
日蓮が北条時頼に献呈した書物だが、内容は、旅人と先生の対話だ。
旅人が世の中の天変地異への不満を先生に語る。
先生は法然の浄土宗を批判した。
旅人は「法然を批判して殺された人を大勢見た。お前も気を付けろ」と言う。
先生は「間違った法が跋扈した事例は中国で山ほどある」と主張する。
旅人は「仏教は複雑すぎてよく分からない。有名な経典を引用してくれ」と言う。
先生は好きな部分を引用する。
結局、立正安国論のテーマは「天変地異と正しい法」を語った書物だと言っていい。
ロータススートラの記述は興味深い。
ブッダは自分の乗り物を三つに分けたのだ。
「弥勒」「菩薩」「弥勒菩薩」の三つに分けた。
この三名と山で語り合ったのを8万人の人間が聴いて「光に包まれた」と言う記述がある。
結局、ブッダの教えは「インドチベット」「中国・日本」「南伝」の三つに分かれているのだから日蓮がそのように理解していても不思議ではない。
以下にスタンフォード大学の研究を書いておきました。
「インド・チベット仏教の倫理」
http://hougakukyoushitu.cocolog-nifty.com/thirdroundthriller/2011/07/post-4bab.html
竜の口の処刑
1271年9月12日に日蓮は裸馬にまたがり、鎌倉に向かった。
これは軽犯罪であり、自らの退路を断つ行いだった。
八幡神社に至り、日蓮は叫んだ。
「八幡大菩薩!お前は本当に神か?伝教大師がお前にロータススートラを教えた時になぜわからなかった?今、日本では私が最も忠実なロータススートラの実践者だ。私には何の過ちもない。私は、沈みかけたこの国を救うために真実を主張している。モンゴルがこの国を侵略しようとしている。お前は天照大神とだけでやっていけるのか?ロータスの集会を思い出せ。インド・中国・日本から仏陀のもとに聖なる者たちが集まったではないか。今すぐ天照大神に頭を下げるか別の方法を考えろ」

周囲の人間は「あいつは頭がおかしいのか」「正気ではないのではないか」「いや、神聖なものを感じる」と語りあった。その日の夜に、日蓮のもとに衛兵が突入し、日蓮をとらえた。そうやって由比ガ浜に連れて行かれたのだ。
日蓮は「鷹に襲われる人や猫に襲われるネズミ、財産を盗んで処刑される人しかいないこの場所でロータススートラのために死ぬのは私だけだろう。かねてから予感していたことだ」と言った。彼のために周辺の住民は泣いた。彼のために祈ったものは逮捕され投獄された。日蓮のために泣いている子供に日蓮は言った。
「仏陀の法のために死ぬのだから泣くな。笑ってくれ」
そうやって竜の口の刑場に日蓮は連れて行かれたのだ。
竜の口刑場での出来事
日蓮は自分が殺害される茣蓙の上に座った。
その時に唱えたのが「神聖な名前」である「南無妙法蓮華経」である。
これは「神聖な名前」であり、「法華経」ではない。
その時に何が起きたかは周知だろう。
処刑は停止され、混乱の中で、幕府側に議論が投げ返された。
僧を処刑した歴史があるのか?
手続きは適正だったのか?
死刑に値する罪なのだろうか?
そんな中で、北条時宗が権力を奪い、日蓮を救う命令を出した。
幕府も民衆も、頭にあったのは「モンゴル」だけだったのだ。
庶民や幕府は「深刻さ」と「欲望」と「出口がない」という三つに要素があったから日蓮のために泣いた。
頭にあったのは中央アジアやインドを支配したモンゴル帝国であった。
モンゴルの侵略におびえていたから日蓮があった。
日蓮はロータススートラで「仏陀のもとに日本や中国やインドから聖なる者が集まって会議をした」という記述に注目していた。
このロータススートラの記述こそがモンゴルから日本を救うと考えたのだ。
「南無妙法蓮華経」というのは「神聖な名前」であって、処刑されそうになった時に日蓮が唱えたものだ。
このへんを混同してはいけないようだ。
私は、日蓮が法華経に注目したのは、モンゴル帝国に対抗するためにインド・中国・日本の「仏教連合」を構想したのだろうと考えている。
これはあくまでも「史観」であって、不都合な記述に目をつぶってはならないが、研究者の研究に委ねたいと思っている。
文永の役を退けたあとの日蓮の人生は平和に満ちていた。
身延山に上り「まるでここはインド北部で人々を集めた山のようだ」と語った。
「妙法蓮華経」という神聖な名前は「私はロータススートラに避難します」という意味だ。
ロータススートラは中国の南学大師が常に携帯していたもので、「世界に目を向ける」という思想を描いている。
聖徳太子は「南学大師の生まれ変わり」とも言われ、南学大師(Hui-ssu)の研究と切り離せないのだ。

「八幡ネットワーク」
最初に国は三つあった。
凍った国と火の国と緑の国。しかし、毒の川が流れることで、それを純粋な水にする必要があり国ができた(鶴見川)。
川の安定からエリートを生み出す国ができた。
エリートは巨人であったが、百姓とその子孫がそれに立ち向かい国ができた。
美しい娘たちがさらに国を作った。
【なぜ東京から千葉方面ではなく横浜方面に都市が広がったかというと鶴見川の氾濫を抑えるのに成功したからだ。】
【氾濫した水を農地に誘導するのも横浜市のバックアップがなければ農林水産省が許さなかったとされる】
【横浜スタジアムの大株主が横浜市だ】
そして、兄弟が国を分けた。

処刑も資金集めに利用した。
Nazi Executions (Hang) War Crimes (WWII)/ Nurembe…

「夢」
夢は嘘をつかない。 
目的が実現する最短距離が、夢の錯乱を経験することだ。
退屈な時間の長さと、深刻な時間の長さは同じ重要性を持つ。
空腹と疲れから理想の男が逃げていく気がして目が覚める。
男も女も「理想の男を追いかけている」という観点が重要だ。
合宿や修学旅行で「待て~」と言って起きた人を見たことがある。

多くの男の声を聞きたがり、ペルシャのクイーンは、「これがお前の欲しかった金塊だ」と遺体の口に金の塊をぶちこんだ。
(夢判断)

蟻に霊魂があったら霊界はひどいことになるだろう。
このことから、蟻には霊魂がないと考えられる。
蜘蛛はどうだろう。
蟻ほどおびただしい数はいない。
蜘蛛の子を散らすように産まれる蜘蛛。
しかし、人間から分け与えられた劣った魂だと悟ったものだけが生き残っている。
殺しても構わないだろう。
朝ほど蜘蛛は悟っている。
朝蜘蛛には慈悲を。

女の夢なんかにしたがっていると男は仕事ができねえな。
夢は「喜び」を表現するのではない。「欲しいもの」を表現する。
退屈は時間のエネルギーの合計が短時間で現れる。
現実社会の出来事は「夢へのクーデター」である。
夢は覚めるものだ。永遠へのゲートは閉じられてしまう。
サイキックエネルギーの幻覚的な攻撃である。
アブノーマルな形で願いが叶う、それが夢だ。
「夢はアブノーマルな願い」(wish)
ribbon "WISH!" '92 日比谷野音
「悔いが残ったこと」も夢に出てくることを知らないといけない。
蒼いリグレット/SPEED
しかし、マジカルパワーを女性がもっていることを認めた。
兵士のエクスタシーに満ちた死に方を検証した。そうでなければ祈れないとしたのだ。
死んだものの最もハンサムな顔を表示する。
兵士は死に方を考えるようになる。
死に方のパターン。
「勇敢」
「炎の目」
「神の犠牲」
「賢い」
「神殺し」
「墓守り」
「自滅」
「勝利の父」
「恐怖」
シャーマンが祈れる死に方がある。
死に方には贈り物などない。名誉だけ与える。
すべての父よ、変な死に方をした兵士を叱ってくれ。 
背が高くてハンサムな弟がいるオーディン。オーディンはそれよりもはるかに優れていたことが分かる。
妻もオーディンを他の女と奪い合って勝っていた。
オーディンの武器。
「子供の頃の誓い」
「弟とその友達」オーディンに、輝くとは何か?腕の太さとは何か?力とは何かを教えた。
「高い塔」九つの国で何が起きているかを教えた。インターネット。
「知的な馬」高度な交通手段。
「考えることと記憶すること」
「貪欲であること」
「いろんな恋人たちの歌」
「戦いの歌」
「選ばれし者の歌」

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「相手の力をMAXにして潰す」(小野光太郎)
オーディンというのは、片目の見えない戦争の王で、九つの世界を支配したのだが、
八幡ネットワークが崇拝する応神天皇(ボディサットバ八幡)の教義だと思う。


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北の神話というのがあり、詩人エッダが色んな世界を提示した。
独眼竜政宗がこれをフルに活用したことは想像に難くない。



ボルスパ:ボルバの予言を行うもの。
ハバマル:女の声。
バフスランディスマル:敵の巨人。
グリンミニスマル:革命のテキスト。
ハーバーズルジョット:ハーバードの叡知。
ホールダードラムーア:妻の見た夢。

ハバマル(女の声)はファイナンスに役立つ。
レディチャペル
垂加神道

ホールダードラムーアは妻の見た夢。理想の男を語る。逆らって生きて後悔したら敦姫を踊る。
夢判断

ハーバードの叡知

予言者エッダは、シュノーリ・シュトローソンという政治家(1179~1241)であり、日蓮が鎌倉の神社で「アマテラスとだけでやっていけるのか!」と叫んだ頃の政治家だ。
あの頃に鎌倉で宗教の再編があったと見た方がいいかもしれない。
予言者エッダ

「宮内庁と小野光太郎」の関係が「総社と一宮」。
「神祇神社」が、宮中。
「22社」が、皇太子や秋篠宮グループ。
「八幡ネットワーク」が、それらを取り巻く政治的エネルギー。
「第二次世界大戦」の宗教。

シュトローソンは、三代にわたって王を見た。
ギリシャ神話においてトロイを攻め、贈り物を寄越した国を侵略して、その仕組みを学び、北欧を支配した。
これが神を生んだ。
ハー(高い)、ジャヌハー(高いものに似ている)、サード(三世)という王。

最も勝利に値するファイターをヒーローにする。これがオーディンのやり方だった。
そして、女性たちにも武器を持たせた。
歌のセールスも利用した。

作曲の極意。

The effortless way to compose music.という本の翻訳です。

玄のど真ん中(二分の一)をおさえると音が一オクターブ上がる。
男女の世界は数学であり、玄の真ん中を押さえるだけで男の世界が女の世界になる。
Moonlight Express - CoCo Ranma


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メロディ:音符の流れ、リズム:音符に命を与える、ハーモニー:メロディを豊かにする。
宇宙に魂を、心に翼を、想像力に旅を、すべてに命を。
バイブレーションファイブという五線譜に表現される。
サウンド、節、音部記号、音符、リズム。
バーラインがあり、二つに割るとダブルバーラインになる。
トレブルクレフ(ト音記号)は右手で弾き、バスクレフ(ヘ音記号)は左手で弾く。
リズム:時間の流れのエネルギーの多様性、情報の断片。季節のサイクル、月のサイクル、昼と夜。
「詩:強いシラブルにサウンドを合わせる」
ビートを打つ、体を動かしムードを感じる、好きな詩、言葉のリズム、話してみる。
メインビート。
ビートの数/クォーターの長さ。
ビートを二つにわける(シンプルタイム)。
ビートを三つにわける(複式タイム)。
ファスト、アレグロなどをメトロノームで決める。

4/4は、クォータの長さが4で、ビートの数も4だ。
その後、4つのビートがシンプルタイム(8)になり、さらに複式タイム(12)になっているのに注目してほしい。
Perfume edge⊿-mix センターアングル

ワルツはダンスである。
18世紀のウィーンで流行した。
ビートの数が3で、クォーターの数が4である。
つまり3/4だ。
すべてのバーに3ビートがのる。

ビートが3でクォーターが4。
4拍子で3回ジャンプがウィーンで流行した。
一部をハーフ(8分音符)にする。
やがて、ビートの数が4でも踊れることがわかる。
課題:ビートの数が4でも踊れるかどうかやってみよう。
Michael Jackson - Thriller
「私は海沿いを歩いて、貝を拾った」ひとつのセンテンス。

「私は海沿いを歩いて」ひとつめのフレーズ。
「貝を拾った」二つ目のフレーズ。
つまり、「私は海沿いを歩いて、貝を拾った」は二つのフレーズからなる。
そのため、バーラインを二つに分け、ダブルバーラインに入れる。

私 は 海沿い を 歩いて 貝 を 拾った
は、8単語。

8単語、二つのフレーズ、ひとつのセンテンスとなる。

「詩とは強いシラブルにサウンドを合わせるものだ」

全音符はゆっくりで、16分音符は速い。
バーラインごとに同じリズムをつけるか、異なるリズムを用いて変化をつけるかの違いがある。
COMPLEX - NO MORE LIES
ドットで音符のビートを1.5倍にして歌詞と合わせる(イェスタデー)。
間に黒い鍵盤があれば、鍵盤と鍵盤の間は「トーン」、
なければ「セミトーン」。
終盤に1と二分の一トーン上がっていることに注目してほしい。
CoCo~優しさに帰れない
メロディのコツ:反復を怖れるな、ドラムがエネルギーを与える。
いいメロディは方向性が優れており、結論を人々は知りたがる。
楽譜のバーの最初の音は強く、最後は伸ばす。
リズミックアイデアをシンプルに。
浅井健一 ペピン
女性の声は、トレブルクレフ(ト音記号・ピアノの右手)の「ド」から高い「ミ」まで。
男性の声は、バスクレフ(ヘ音記号・ピアノの左手)の「ド」から「レ」まで。
メロディは、音楽を忘れられなくし、メロデイックカーブがいい跳ね方をしていると非常に印象的だ。
何度も反復することも大事だし、いいムードを醸し出す。
メロディを作り出すときは「とりあえず歌ってみる」ということが重要だ。
I Remember / SPEED
オープニングでは5音符以上音が跳ばないようにする。
音が跳ねると不協和音になる。協和音にとどめなければならない。
「ラ」→「シ」まで7つ跳ぶ。
4つ跳んでも協和音だ。
五つ跳ぶと不協和音になることを「議論のある4つ」と呼ぶ。
二つ目で四つ跳んでいるこの曲を聞いてほしい。
Seikima II - Rock in the Kingdom (new version)
しかし、ひとつ(同じ音符)、3つ、5つの場合、次の展開に期待が持てる。
1オクターブ「ド」→「ド」に跳ぶのも有効だ。
OPERA NIGHT-オペラナイト-/小室哲哉
ビートの数/クォーターの長さがひとつのバーにある。
4/4であったり色々ある。
これを、前半の4つのバーと後半の4つのバーのに分ける。
前半の4つのバーでリズムとフレーズを決める。反復が大事だ。
後半の4つのバーでバラエティをつけ、最後の音符に息を与える。
反復のバランスが大事だ。
Melody(アイドルグループ)- いちばん好きと言って -
上の概念(カテゴリー)を大事にする。 速すぎるものは遅く、単調な反復には変化を与える。どのサウンドが好きかが問われる。
シャープ、フラット、ナチュラルを時に使う。
Yasuhiro Abe (安部恭弘) - Cafe Flamingo
バイナリー。
AのあとBがついていく。
AとBは、同じキーでスタートし終わりは異なる。
セカンドパートは、異なるキーで始まり同じオリジナルキーで終わる。
キーを変える意味は、継続したい、強調したい、戻ってきたいというあたりにある。
パートを分ける意味は、反復したい、バラエティをつけたい、欲しいものがあるあたりにある。
ribbon 「Deep Breath」 PV
バイナリーがABだとすると、ターナリーはABAだ。
人間の耳は繋がりを求めている。
落ち着かないと満足できない。
ドレミファソラシドは完璧な純粋さを持っているとシューベルトは言った。
実験を怖れてはならない。
和音。音は波で伝わり、波はエネルギーを伝える。
高さと低さでピッチを決め、音の大小を決める。
ピアノではハーモニックシリーズを生み出す。
そしてコードが生まれた。
ドミソ(トニック)
ドファラ(サブドミナント)
シレソ(ドミナント)
West Side Story - [Full Audio]
ピアノの左手の和音はトニック(ドミソ)、サブドミナント(ドファラ)、ドミナント(シレソ)を使うが、悲しみを表現するためにはいろいろなパターンがある。
黒い鍵盤をはさんで1音上げることを「トーン」と呼び、半音上げることを「セミトーン」と呼ぶが、
「ハーモニックマイナー」
トーン、セミトーン、トーン、トーン、トーン、セミトーン。
「メロディックマイナーアセンディング」
トーン、セミトーン、トーン、トーン、トーン、トーン、トーン、セミトーン。
と上に向けて音階を上げていく方法と。
「メロディックマイナーディセンデインク」
トーン、トーン、トーン、セミトーン、トーン、トーン、セミトーン。
という具合に音階を下げていくと悲しい和音が出来上がるようだ。
夜明けのMew 小泉今日子。

スカイダイビングをすると、雲を突き抜けて、陸地が案外近いことが分かる。
この時に、雨の雫が「男にだけ集まり」雨になっていることも分かる。
男がいなければ雨は降らないのだ。
女社会には雨というものがそもそも存在しない。
晴れた日のマリーン 後藤真希

雲というものは「美しい女の上」に現れる。
しかし、男がいなければ雨にはならない。
このような原理は明らかになっているが「誰が天気をコントロール」しようと考えるだろうか?
各自がそれぞれの予定を持って行動しているため、どうしても「ゲリラ豪雨」というものは生まれざるを得ない。
それに雲があると「美しい女」がいることを示している。
しかし、雨が降るかどうかは「男がいるかどうか」で決まる。
天気予報は、実は「人間の行動の研究」であり、富士山レーダーで見ているのもこのような行動予測なのである。
作曲をするうえでは、このような「天気」にまで思いをめぐらせ、思想を深める必要がある。
人間社会と戦わなければならない高橋尚子。

ブサイクな女からは雲が逃げていく。
美しい女の上空に雲はある。
それが、人間社会の公約数的見解として天気というものは作られる。
自分なりに社会の動向を分析することは可能だろう。
雨粒は優しくて 酒井法子

雲を集めるのは美女であり、雨を降らせるのは男である。
これを理解しなければ「詩心」は生まれない。
レイニーデイ×3 高橋由美子

このような「空を見る楽しみ」は石原良純も指摘していない。
さらには「人口が多すぎる」ことからも、本人なりの大雑把な予測しかできなくなっている。
ブサイクな女からは雲は逃げていく。
美しい女の上空には雲がある。
男が雨を降らせる。
この現象は明らかになっているが、なにしろ人間社会は複雑だ。
「お母さんの墓参り」をする男が雨を降らせるという中国の古典もある。
どのようなストーリーを組んで、どのように仕事につなげるかは、人それぞれだし、それを「詩」にするのも音楽家の才能だろう。

他にも、子供の頃から、自分が通る信号が青になったり、コマーシャルが自分の言ったとおりになることがある子供の存在が指摘されている。
「嵐を呼ぶ男」とも呼ばれるが、実際は「平均点男」だと言っていい。
嵐を呼ぶ男 石原裕次郎

このような男は「保守的」であり、平均点男(嵐を呼ぶ男)が、急にモテはじめると強烈な風が吹いたりする。
このような時は「平均点男」が「奥さんを大事にします!」と誓うしかない。
奥さんを放置して、他の美女と会うと「雨と風」が一緒に吹く。
ゆるせない ribbon

このことには、「雲と女の関係」「雨と男の関係」ほどの説得力はないが、国全体を保守的にさせ、あるいは「エリート」を輩出したり、あるいは「凡人が失脚」したりする効果はあるだろう。
すべての男が必ずしも「嵐を呼ぶ男」(平均点男)ではないが、他人を説得するのに「雨と風が一緒に吹くぞ」という口実は成り立つ。
そもそも「考え方のない天気などない」とも言われ、実際にそのとおりになるのだから、あんがい怖い話だ。
嵐を呼ぶ男(平均点男)も、自分の記憶を頼りに、大人たちの助けを得ながら生きていけるのが「天気の話」なのだ。

黒い雨雲が二人の間を消すのが見えた。
瞳はダイヤモンド 松田聖子

2018年12月10日 (月)

相撲界の不祥事ではいいスピンがかからない。

男らしさと経験を実績にする。しかも、「勝負事」という出口のない世界にそれを求める。
これが実存主義である。
若さを無駄にする時期にこの世界を与えるのだ。
国を相手にすることなど到底できない年齢でも、メジャースポーツの世界がここに開かれた。
しかし、何しろ若すぎる。
いじめもあれば、物事を治めることも学ばなければならない。義務もあれば、魅力的な性格も問われる。
女の問題でのトラブルにも気をつけなければならない。
自分と「国」はあまりにも遠い。
しかし、実績さえ残せばなんでもできると思っている。
ここにトラブルの元がある。
貴の岩 引退

人間的にまだ未成熟でも「大人たちが熱狂する」世界をハイデガーは「存在と時間」において構築した。
若者も、実績さえ残せば、好きな美容院にも歯医者にもいけることを知った(現象学)。
現象学はフッサールが提供した。
勝負事の「意図が明確であり、意味に満ちている」ことが重要であり、芸能活動でもそれは実現できる。
実存主義にくっついてきたのが現象学であり、若くて未熟な存在でも、周囲がその意味を認めるのならば美容院にも自由に出入りが可能となるものなのだ。
ニーチェは「父と息子の関係」から「神は死んだ」といって「息子を叩き潰す父親」の存在を指摘していたが、キルケゴールはその解決法として、若者に「活躍の場」を与えた。
「法科、法科といってろくに勉強もせず」という若者もいたが、法科は一番偏差値が高かった。
女心を探求するためには「父親に潰されてはならない」とカントも考えていた。
文学部や経済学部にはない学習環境が法学部には与えられていたし、メジャースポーツのアスリートと同格の扱いがなされていた。
ユダヤキリストとは法学部のためにあり、アスリートも「女心」を知らないのならばいじめられたり、父親に潰されたりしたのだ。
貴の岩

女を寝取られたから暴力事件が起きるんだよ。
カラマーゾフの兄弟のイワンならば、冷静にそのように語るだろうね。
「父親に潰された無神論者」としての見解なのだ。
「病んだ動物は将来に教訓を残すために生きている」
金銭のやり取りには運営は介入できないとか、女の問題には気をつけろとか、将来への教訓はいろいろある。
大ニュースになっても「二人の女の体比べ」になってうやむやにならないのはさすが相撲協会だね。
「あの女は誰?」ということを世論は常に気にしている。
ひとりの女が出てくれば、もうひとりの女が出てくる。
しかし、男社会である相撲界では「女がヒロイン」になることは許されず、問題の本質は見えてこない。
何度も何度も「暴力事件」が引き起こされて終わっている。
貴の岩は少なくとも「見ず知らずの私」には暴力は振るっていない。
ヒロインが踊ってくれなければワイドショーも「うまいスピン」がかからない。
相撲界ネタもいつ「女」が登場するのであろうか。
土俵上での「完璧なパフォーマンス」すら侮辱されかねない。
貴の岩 完璧な取り組み

そうやって、結局、メジャースポーツの世界でも「神は死んでいる」んだよね。
未熟者ならば潰されるんだ。
ようするに「女は欲望と交換の対象」なのだ。
先輩の女を後輩が寝取っているんだ。
それだけの問題を延々と繰り返している。

2018年12月 1日 (土)

天台宗。

ポーランドのワルシャワスクールと「角度」の関係はカメオのコンパクトに表現されている。
カメオのコンパクト 渡辺美奈代

天台宗は、中国において作られた宗教である。
基本的に、「完璧なコンテク派」であり、髪の長い女たちの話で僧たちは盛り上がった。
「法界」というのは「処女」「髪の長い女たちの世界」という意味であり、「法界対法界は法界からくる」(法界対法界起法界)とされ、女同士の「ひとりの男の奪い合い」を論じた。
軽い気持ちのジュリア 酒井法子

女をメインに論じても吐き気がしなかったのは、僧の世界が「男社会」であったからであり、
コンテク派というものは、男社会で「誰が最も女に詳しいのか?」を競い合うものだった。
男だけの社会で「女の話」をしない男は序列が低く、よく練られた「女の話」ができなければ出世はおぼつかない。
一日中、女たちと話すぐらいの余裕と読書量が求められ、「男と女」という「二つの真実」の立場に立つか、「男と、セックスできる女、できない女」という「三つの真実」の立場に立つかが考えられ、「三つの立場を知っている男の方が面白い」と言われた。
「髪の長い女二人が一人の男を奪い合っている」
法界対法界起法界は絶対の原則であり、髪の短いセックスできない女は「だからフラれるんだ」と語り合った。
セックスさえしっかりできていれば男は心変わりしないものなのだ。
悲しみが止まらない 杏里

男社会では「炎」つまり「セックスできる女」と「嵐」つまり「セックスできない女」の存在を語る必要があり、「勃たない男」はそもそも想定していない。
炎のように嵐のように

周囲の大人たちは「神」として髪の長い女に育てたのに、なぜ「セックスできない女」が生まれるのだろうか?
貧乳ばかりはどうしようもない。
巨乳を揉みたいという男の願望があったり、抑圧を受けていたために「胸が感じない」などの理由があるのだろう。
髪の長さだけでは測定できない「三つの真実」が存在し、そのことに詳しいと男社会でも恐れられた。
セックスとは「女が胸を見せる」ものだ。
そこで、女を芸能界デビューさせて、男社会で「エクスタシー」を感じさせて、胸を性感帯とすることにより、女を「セックスできる体」にする方向が模索された。
しかし、この仏教界のムーブメントは、「女の膣の感度が悪くなる」という結果をもたらした。
感度が悪い女は「笑わない」という特徴をもっていた。
貧乳女の感度の悪さには「諦めが肝心」と言われている。
よく笑う女を相手にした方がいいとされたのだ。
男社会で「セックスできる女」(炎)と「できない女」(嵐)を語って、影響力をつけ、女を芸能界デビューさせて胸を性感帯にし、最後に、お坊さんが「女を笑わせる」ことにより、膣も性感帯にするという「諸法実相」という方法は考えられた。
ようするに、いかなる性倒錯にも詳しくなることが必要だったのだ。
経典(論文)を読む必要があり、動画で研究しようなどと安易なことを考えると自分までおかしくなる。
経典(論文)で研究する必要がある。
女の「性欲」の発信源は「子供を産みたい」というところにある。
しかし、自分の「性倒錯」を理解してくれない男の子供など産みたくはない。
胸が貧乳、抑圧を受けていて感じない、獣姦をした、いろんな話をして、女を笑わせるという姿勢がお坊さんには求められる。
膣が感じないのは胸から来る。
「一念三千」
「男と、セックスできる女、できない女」の世界には、「三千」のパターンがある。
世の中の男が必ずしも皆、お坊さんだとは限らない。
セックスに失敗してどっちらけになっている男の存在があるから、女たちは自分のフェティシズムに収斂されていったのだ。
女に詳しい男を天台宗においては「ゼロ」と呼び、深刻な経験をしたことのある男たちにはウケたのだ。
深刻な経験をした男たちが下ネタで盛り上がることを「開灌顕実」と呼ぶ。
優しさに帰れない CoCo

化法四教と言われ、処女との初体験の失敗談が「貧乳女」「髪の短い女」との間に残された場合は秘密(蔵)であり、みんなに言えること(通)、悲しい思い出(別)であり、完璧(園)だった。
お坊さんがいやらしい話をするのは、みんなが深刻な経験をしていたからこそ場を和ませるためだったのだ。
「初体験の女と結婚したのか?」と言われると、みんなが沈黙した。
初恋の人と結婚することは、笑いのセンスを失うこととなるために、お坊さんとしては失格なのだ。
何かが道をやってくる CoCo

男たちが「下ネタ」で笑うことそのものが「すべての瞬間を永遠にする」ものであった。
おちんちんは「蛇」かと思ったら「縄」だったわ。
女たちも笑うことでそう思った。
牧師さんは芸人ではなかったが、お坊さんは芸人に近い。
女たちも「十字架蛇説」を否定するのが天台宗だったのだ。
Union of the snake

とにかく、いろんな人の「性」概念を聞いて回る必要があった。

グローバル化を迎え、しかも、グローバル化は「異性を愛する」ことの意味を主張するにいたり、「半端な男」はどうしても生まれざるを得ない。
詩で歌われるのか?犯罪を犯さないのか?女たちに囲まれるのか?
グローバル化した社会においては「完璧な男」と「半端な男」が区別される。
グローバル化は「男が女を愛する気持ち」(経済)を最大限に利用する経済至上主義の立場に立つ。
それは「お金の起源」からさかのぼった考え方でもある。
「髪の短い女」でも「貧乳女」ですらも「抱かれたがる」男というのは確実に存在する。
「すべてを理解してくれた時」
性倒錯の「複雑なパズル」を彼氏が解いたときに、すべての女が「女」になると言われる。
これが「経済至上主義」の正体である。
秋の貝殻 クレア
お金の起源。女を買える、金額を数えられる、すべての女に通用する。

この、ケインズ主義に立つ「お金の起源」の発想はいまだに有効性を見せており、誰も「ケインズを殺して」はいない。
むしろ、ケインズ主義の立場から「人工知能の爆発」という実験を行い、哲学が構築されたのだ。
それは1960年代から現在までへと続いている。
ニクソンショック(ドルの金兌換制廃止)も、社会契約論から説き起こす金本位制の放棄であって、ケインズの復権と哲学の世界の自信を示している。
ケインズ主義は「愛されたい女」を大勢出したし、「美の探究」の病理面も見せる。
金兌換制のシンプルさも魅力であったし、優劣はつけがたい。
ribbon Be my diamond

一方、経済政策を「メディアにおいて行う」ということの有効性をケインズ主義は示した。
「女の美しさとは何か?」「愛される女とはどのようなものか?」というモデルは必ず必要であることがわかったのだ。
サミュエルソンが「メディア」を巧みに用いることを考えた。
「美しさ」「愛される女」を政府がコントロールできることも分かった。
今夜もニュースホリック 酒井法子

一方、メディアを用いると「女が比べられる」という、「女の命がけ」が公然と行われるようになる。
本来、告白の時の命がけが、オンエアで行われるようになるのだ。
こわれかけたピアノ 高井麻巳子

そこには「髪の短い女」もいたし、「貧乳女」もいた。
経済は「天台宗が直面した困難さ」と同じ問題に直面した。

金本位制が社会契約論に基づくものだとすると、その魅力はいまだに色あせないものがある。
学校というものが「権威である」ことからこのような理論が生まれたのだ。
しかも、みんなで同調行動を取るというのが学校である。
PTAや子供達の同意のもとで成立している世界でもある。
19歳になるまでセックスしてはいけないことから生まれた「卒業」がまず、なんでも吸収できる時期に中学で行われる。
松田聖子 制服。

かなり集団主義的に同調行動を取らなければ、みんなが共感できる音楽作品は生まれない。
女子を排除しないという発想も大事である。
高校時代にはセックスしてはいけないことから「切ない夏休み」が生まれる。
夏休みは終わらない おニャン子クラブ。

勉強する場であること、そして人生のスタート地点であることなどが社会契約論の基盤であり、青春の一コマに「このまま時が止まればいいのに」と思うような子供達が日本銀行に富をもたらしている。
仲間内でのルールを決めたり、そのことにより男らしさを磨いたりするのだ。
しかし、学校生活という日常にはセックスなど存在しない。
もちろん、憧れの異性は男女を問わずいるのは当然である。
仲間内でのルールほど疑わしいものはない。しかし、子供たちはそれを楽しんでいるのだ。
権威が作る「卒業」「夏休み」というルールには到底かなわないことも知っていた。
怖い奴がいたから多数派工作もやった。
しかし、最後の出口である「進路」にうまく繋がらなければならない。
乾杯 長渕剛。

世論の支持や、女の子たちの気持ちを配慮しながら、通貨のあり方というものを考えなければならない。
ベトナム戦争のような「悲しい知らせ」つまり、共産圏という「女たちともっと自由に話ができる文化圏」の連中と戦争をした時に、しかもベトコンを殺した時にニクソンは金本位制の廃止の決断を迫られている。
NEWSな未来 CoCo。

この金本位制の本当の意味を明らかにしただけで、日本銀行は金塊の山をイングランド銀行に持つことになる。
女たちにポルシェを配るのはのちの話となるだろう。
免許を取ろう 高橋由美子。

そもそも金本位制(社会契約論)は、女たちのスターだったエピクロスにまで遡ることが可能だ。
その後、王子であるホッブスやルソー、カントにまでその影響は及んだ。
大人たちに守られた小学生女子は、やがて中学高校でいろんな男子と話をする。
その中で自分の「女であることの違和感」をなくしてくれる男子が必ずいるとしたのが金本位制(社会契約論)である。
アメリカ合衆国も州の中でだけでなく、連邦政府にまで「越境」する男子の存在を作り出した。
男の境界線を全米レベルまで最終的には広げたのだ。
同じ家庭内に閉じこもっていたのならば男は伸び悩むことがある。
そのために連邦政府を作ったのだ。
本をよく読む男子と読まない男子がいたが、クラスでの多数派工作は本を読まなければできなかった。
当然、現代文なども先生の言うことをよく聞いていた男子が仲間が多かった。
なぜ、男子は仲間が必要なのか?
それは女子が憧れるからだ。
通学列車 モーニング娘。

家庭内での主導権は常に「仲間の多さ」にしたがっている。
東大文一にまで受かったのに伸び悩むのならば、家庭内で薬物を飲まされているとしか思えない。
書斎人であることよりも、もっと「仲間づくり」を考えたほうがいいのではないだろうか。
いずれにせよ、日本の学校というものは「大学入試を大人へのゲートウェイと考えている」ものだ。
王子であるホッブスや、略奪愛をする女の信教の自由を認めたロック、さらにはポルノの顔にすらモザイク処理を施したロールズなどが政府の考えを構築し、大人へのゲートウェイをトップレベルで通過した男であるのならば、ポルシェの馬車をもった女が近づいてくるだろうとしたのが金本位制(社会契約論)である。
なにしろ、女は男が男らしくなければ「女」になりきれないのだ。
ポルシェの馬車という「持参金」がなければ東大生の中には女に見向きもしない男が出てくる。
クリスマスシンデレラ 酒井法子。

処女のまわりに男たちの「序列」は作られる。
まるで「親衛隊」のように序列は作られるが、必ずしもトップが処女とセックスできるとは限らない。
詐欺がここに契約の問題として出てくるし、序列に誠実であることも契約の問題として指摘できる。
詐欺と誠実は「処女」のまわりで起きる出来事である。
銀行は常に「誠実さ」を売り物にしているため、処女のまわりにいる男たちの「序列」を見ているのだ。
なぜ銀行が「誠実」なのかはやはり「貝殻の値段」を見ているからであろう。
ここで、社会契約論から、よりプライベートな「契約」の話をするとケインズ主義が「学校」のような公の約束事など相手にしていないことがわかる。
「知らぬは男ばかりなり」とでも言わんばかりに女は貝殻の値段を高い水準に保った。
中島美智代 天文台と海岸。

公の社会契約論はたしかに金本位制の基盤となり、日銀がイングランド銀行に金塊を積める。
しかし、女が「貝殻の値段を高値に維持しようとする」というケインズ主義とはどう関わるのだろうか?
男が女をめぐって殴り合ったなどの記録を丹念に残すしかないだろう。
つまりは「進路に悪影響を与える」情報となる。
誠実さがあれば中堅クラスの高校には誰だって行ける。
詐欺が存在するのならば進路には致命的な情報となる。
貝殻の値段などもはや存在しない女を相手にしたのならば、もはや先生も「前向きな返事」はできなくなる。
男の序列を認め、処女を取り囲む、これをエストッペルと呼び、コツコツと階段を登っていかない男は財産すら保障されなかったのだ。
1960年代にエストッペルは構築が進んだ。
女が処女でなくなるとその周りのエストッペルは崩壊する。
そのため、必ずと言っていいほど女の「信用情報」は周りの女が正確に発信していた。
ハロウィンナイト AKB48 。

男社会の序列をコツコツと登っていこうとする男を「誠実」「頑張り屋」と呼んだ。
詐欺というものは「女」というものをより正確に理解していたのかもしれない。
しかし、誠実な人間ほど女を愛したし、経済力に勝っていた。
ハードコアが蔓延すると、エストッペルは機能しなくなるかもしれない。
しかし、よりオーソドックスな「女との約束」がエストッペルにはあった。
CoCo メロディー。

カントは「お金とは貝殻である」という立場であり、「髪が長くて巨乳のお姉さん」を口説く研究をしたが、しかし、「誰もが学校生活を経験しているのは事実だ」としてのちのケインズ主義と金本位制の同居を念頭に置いていた。
なにしろ「学校で勉強しなければ口説き文句は覚えられない」ことからこのような結論となっているのだ。
「勉強は金になる」「しかし、女子たちもクラスにいてくれるだけで金になる」そのように考えていた。
どんなに成績が悪くても、そもそも高校というものの趣旨が「国の豊かさ」にあったので留年など想定されてはいなかった。
「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」という立場から「勉強だけが学校の目的ではない」と先生は語るだろう。
読まなければできない「多数派工作」などを念頭にクラスというものを考えていたのだ。
19歳で女らしいお姉さんにはどの男も魅力を感じるだろう。
問題は「お金」の裏付けをどこに与えるのかである。
女は美しければお金がもらえるのか?男は勉強ができればお金を手にできるのか?
そもそも「女の子目当て」で男の子は勉強したのだ。
そこにどのようにお金を絡ませるかは、国の大きな富の動きを背景に子供達に与える必要がある。
人間は、異性の問題に関しては他の友人に対しては譲れないことばかりだ。
男らしさと女らしさをうまく学校としては作り出す必要があるし、そこに国全体の富が委ねられているのであれば、貝殻(女を買える、値段が数えられる、どの女にも通用する)を認めながらも、より大きな視点で金本位制(社会契約論)と向き合っていかなければならないだろう。
そもそも、社会契約論といっても「卒業」「夏休み」だけでなく、男女は「家族のメンバーとして生まれる」ものである。
家庭内でのお金の循環を無視しては男らしさ、女らしさは生まれない。
家庭内には夫婦生活もあり、税金が課されている。
しかし、「19歳のきれいなお姉さん」が誕生すると日銀は金塊をイングランド銀行にもてるのだろう。
なぜ、税金を課すのだろうか?
そのあたりは「夫婦生活の安全を警察に守ってもらうため」と説明する以外にないだろう。
人間の半数は女である(民主主義)。
しかも、セックスそのものが財産であり、お金が動くものだ。
どのような「豊かさ」を持って男女が「結婚」という社会契約に至るのかも考えなければならない。
「男は賢い方がいい、女は美しい方がいい」ということにお金がともなうようになったら「モテない男」は犯罪でも犯して罰せられるだろう。
なにしろ「貧しくなる」からである。
しかし、カントはこのような趣旨で「刑罰とは復讐に起源をもつ」という応報刑論を過去の遺物としている。
「女子たちの支持を再び取り戻せるように」
それを刑罰の基本に据えたのだ。
高橋由美子 Will you marry me.

カントはこのような世界がうまく機能することを「永久平和のために」で記したし、外国国家は「自分の国はカントの教えにより忠実である」ということを競い合い「おもてなし」と呼ばれる観光客誘致の政策を練った。
カントにどれほど詳しく豊かな国なのかを外国人は見に来ていたのだ。
ルソーはエミールにおいて、「カントの理論が子供達の噂になるのには時間はかからないだろう」としている。
ゼロ年代は、少子化に悩んだ時代だった。
「子は宝」という研究が世界レベルで立ち遅れていたのは認めざるを得ない。
「資金面で少子化対策をする」というものではなく、そもそも女の子が育てば日銀がイングランド銀行に金塊を持ったり、男の子であれば女の子の扱いに上手くなって金持ちになるという発想がなかったのだ。
学問が「子供」と向き合う姿勢が金融によって全く異なるものに書き換えられたのは少子化問題という「危機」に直面したからだ。
「家庭に入る女の方が野心がある」という発想が「働く女性」にはなかなか理解困難な側面もあった。
永劫回帰(親子の永遠の繰り返し)は、宗教の発展と祈りのためには絶対に必要なものだ。
また、子供が歳をとってから両親に「両親の人生とはこのようなものだったんでしょう?」と語り合うこともない。
親の人生を正当化するのは息子しかいない。
そのようにして親子で認め合い、お金の面でも助け合うという、つまり、より死に近くて国からお金をもらえる両親から息子が資金を引き出すという学問も少子化問題は「危機」を迎えていたのだ。
カール・シュミットは「家庭によりけり」ということは理解していた。
母親に逆らえないマザコン坊やのいる家庭もあれば、母が尊敬の眼差しを向けるようになる息子のいる家庭もある。
少子化の問題は「家庭によりけり」ということは理解しなければならない。
マザコン系とイエスキリスト系の家庭が存在するからだ。
マザコン系の息子はニュートン物理学で「加速度」を研究したが、イエスキリスト系の息子は「重力」つまりアイドルが詩のモデルにして歌うことを研究した。
いじめられた美女はイエスキリスト系の孤独な男に近づいてくる。
マザコン系の息子はみんなの輪の中心にいるだろう。
輪の中心にいればお母さんがお金をくれるというのもひとつの考え方であり、否定はできない。
しかし、キリスト教が想定していた永劫回帰はイエスキリスト系の男によって実現されるだろう。
ヘイジュード ビートルズ。

本ブログを読んだら、女性と話そう。
人類の半数の「眠っている命」について感じることがあるだろう。


女を口説く上では「ポルノに出たことある?」という問いかけには慎重にならなければならない。
本当に「セックス可能な」女は、女になれた喜びでポルノに出る事例が多いからだ。
男は「当該ポルノ作品」を特定するために目を皿のようにしかねない。
このあたりは、女を買う、金額を数えられる、どの女にも通用するという「お金」を割安にしたいからであろう。
ポルノは明らかに、「女の特定」「株価の暴落」をもたらすだろう。
なにしろ「3テラ」もデータを持っている男もいるのだ。
グローバル化に対応した男にはない習性を「半端な男」は持っている。
詩で歌われる、犯罪を犯さない、女たちに囲まれる、この三つが「グローバル化に対応した男」の条件だ。
モテる男でなければ「ポルノに出たことある?」という問いかけにはかなり厳しい現象が女に襲いかかるだろう。
そのため、「ポルノに出たことある?」という質問にはレズビアンであるなどの確証がない限り慎重にならざるを得ない。
ましてや、小学生などの「ピアノ算数」をやっている段階の女の子は、髪の長さや胸の大きさに関係なくポルノに出演させてはならない。
このへんも「グローバル化」の課題となるだろう。
なにしろ「女を愛する」ことを至上命題とするものだからである。
制服を着ている間、処女ならば19歳になったらフィアットを買ってあげる、
という金本位制は、「幼女に優しい」「国の教えに忠実な紳士を作り出す」というメリットがある。
ケインズ主義の限界は「幼女」の扱いにある。
シルバーリングに口づけを Melody

1950年代とは異なり、ポルノビデオはもはや「貴重品」ではない。
3大テレビネットワークをもしのぐ富を生み出すポルノも、安価で3テラもデータを蓄積させている男がいるのだ。
友達を増やすためにやっているという側面もある。
本人にとっては「特定するのは楽しい作業」であろうし、「満足の行く回答」を人々に与えたがっている。
ニーズを確かめてから商業ベースに乗せる「女」もいる。
女たちは「ニーズの高い女」になりたがっている。
紀州のドンファンの妻は訴訟など起こしてはいないのだ。
しかし、ひとりの男には「ポルノに出たことある?」とは聞かれたくないだろう。
膨大なニーズを確認してから公表している。
この議論は「飛べる昆虫」と「飛べない昆虫」にたとえられ、飛べない昆虫は鷹に狙われるという意味であり、女たちは「飛べる」ようになるまで、ポルノに出たことがあるかどうかは秘密にしておきたいのだ。
ポルノに出演したという問題は「男たちの熱烈な支持」がなければ、女も割に合わない。
しかし、「昆虫理論」さえ理解しておけば、ポルノも「三大テレビネットワーク」以上の富を維持し続けるだろう。
プラスティックの唇


 


日本シリーズでもワールドカップでも、まず最初に日程が組まれる。
その後に、「職業運命論」つまり「女性たちの支持を集める活動」が始まる。
その後に、「宗教運命論」つまり「男らしさをセールスに出す活動」が始まる。
我々哲学者は「2100年1月1日に巨大な海戦が起きる」ことを想定しているのだ。
1900年に世界地図を決めた海戦(日露戦争か?)と比較して、「次の世界地図」は2100年に書くつもりだ。
これは世界の運命論であり、世界各国が「哲学」「ファイナンス」を学び始めた。
哲学では「女性たちの支持を集める活動」が始まり、「男らしさをセールスに出す活動」はそのときになったら全面的に売り出すつもりだ。
今は「女性たちの支持を集める」活動しかなされておらず、2100年のヒーローが誰かは分からない。
しかし、2100年にそのような計画を世界が練っているとしても、オリンピックやワールドカップなどの「戦争ポテンシャル」は4年ごとに行われることになる。
スポーツで戦争ポテンシャルの全体像が明らかになれば、2100年1月1日の戦争は「そもそも行われない」こともあるが、哲学の世界の計画は目的を見失ってはならない。
松田聖子 天国のキッス


 


我々は、2100年1月1日の海戦の勝敗の予測も逐一行っていて、ファイナンスが可能となっているし、核戦争ではないことも知っている。
「お金・哲学が勝敗を決める」というフェアな計画を練っているのだ。
地震や噴火で滅びる国はないし、ひたすら「女性たちの支持を集めて回れ」と世界に発破をかけている。
2100年にどんな男前がいるかまでは心配する必要はない。
「宗教運命論」までは我々は介入できないのだ。
オリンピックやワールドカップを何度経験すればいいかもすでに決まっている。
殺人ではなく「レッドラムRedrum」が勝敗を決めるという意味では「キリスト教の世界制覇」が2100年に予定されている。
なぜなら、世界で噴火や地震が起きるたびに、世界の宗教センターはその地域に「信仰心」を求め、人工地震・人工噴火を諫める活動を行うだろうからである。
政治(女心の定義)が破滅したら国の指導者は地震や噴火でごまかしている。
そのために、2100年1月1日までには「キリスト教は世界の真理」と確定するとされている。
とにかく「宗教運命論」を行うたびに「分派行動」が起きるのだ。
真理が世界に広まるためにはこれほどの時間がかかる。
勝負に強かった哲学を拾い集めて世界が集中するためには「宗教運命論」つまり、「ヒーローとしての男前」を前面に出すのは勝負の時だけにしたほうがいい。
それ以外は「女性たちの支持を集める活動」だけに専念したほうがいいのだ。
さて、「我々は何のために仕事をしているのか?」がこれで明確になるだろう。
2000年1月1日の「ノストラダムスの大予言」を解決した男がいただろう。
日本国の君主が動揺したのだ。
2100年にも同じことがおきるだろう。
いざという時に逃げ出す男は哲学の世界には必要ないし、国は仲良しサークルではないことも分かる。
これを哲学の世界は求めているのだ。
松田聖子 夏の扉


 


宗教とは「若い男前」をプロデュースするために存在する。
大の大人が宗教論争するなどバカげている。
サッカー選手でも野球選手でもいい。
とにかく「政治」(女心の定義)が、「男らしさを語り合う論壇」(宗教)に介入するのだ。
青年の国を作るためという意味はここにある。
くそくらえ節 岡林信康


 


では、どのような「若い男前」に政治は奉仕すべきだろうか?
「この孤独をお月さまは見ているのだろうか?」と考えてトレーニングを終えて家路につくような男を見ている。
若さと孤独こそが、宗教にはふさわしいのだ。
女たちの話題は政治の側に任せておけばいい。
宗教の側は「ひたすら男らしさを」磨いてくれればいいのだ。
ゲーテもフィヒテもそのような「男」を詩にしている。
自然と、音楽作品を聞くようになっているのだ。
フランス革命の時に、女たちの支持をひとりの男に集中させた。
ナポレオンである。
このとき、フランスはライン川を越えた。
ワーグナー ラインの黄金


 


ゲーテやフィヒテ、カントやモーゼス・メンデルスゾーンなど、神聖ローマ帝国はすでに「難攻不落の要塞」と化していた。
ナポレオンはこのとき、英語と英国を理論資源として選択し、「本物の男は800人いる」として、イギリス経験論と800人の男という戦術を取った。
冬の微粒子 CoCo


 


皇帝カントを取り囲んだのは「800人の男たち」であり、自分しか知らない理論を振りかざすカントに対して「800人が理解できる言語に書き換える」という作業をナポレオンは終えていた。
今でも、カントを理解したければドイツ語ではなく英語をやったほうがいいとされる。
「800人の男たちが理解できる言語に書き換える」
これがナポレオンの力量であり、ラインの黄金と呼ばれた。
ナポレオンは「哲学者はおじいさんである」という既成概念を打ち破って、わりと若い時期にその素養を身につけられるようなシンプルな言語を作ったのだ。
「イケメン哲学者」
それもまた、ドイツのヘーゲルから学んだものだった。
「800人に分かるように書くだけで神聖ローマ帝国は滅ぼせる」としたのはスピノザであり、散々、ナポレオンのもとにスピノザからの手紙が届いた。
「我々は誤魔化さない。しかし、体力勝負だよ」
英語という言語のコンセプトがここに完成したのだ。
「英語が出来る人は五万といる」と日本国でも語られているが、はたして「誤魔化し」のなさまで見抜ける人がいるかどうかは明らかではない。
スピノザは「ドイツの女子高生はスカートが短い」というところまで見ていた。
「先生が何を言っているか分からないんだよ」
スピノザからの手紙にはそのように書かれていた。

カントは実績を自分だけのものにした。
しかし、ナポレオンはそれを「800人」に分けることで神聖ローマ帝国を滅ぼしたのだ。
ゲーテの詩までがナポレオンのような人物を待望していたかのように、ドイツ語は病んできていた。
ヒュームがこの話に乗ってきた。
哲学者としては「女には金を払え、長話を聞いてもらえ」と言うようなことしか業績にはないヒュームであったが、ドイツの哲学の蓄積を「よりシンプルに」解釈し、
独自の理論としてではなく、「大衆化」することで「カントを殺した」のは間違いなくヒュームだった。
「ヒュームがカントを殺した」
と考えるのであれば、それは「英語信者」のセリフである。
「あなたと私」
つまり、ドイツ語を英語に翻訳して「仲間が多い、何かやってくれそう」という期待感をもたせるのが大事だった。
運命95 Melody


 


「我と汝」
このようにドイツ語は病んでいたため、スピノザはさらに「愛国心」でも「自己欺瞞」でもいいから、わけの分からない言語を「よりシンプルに」説明してみろ、とさらに手紙をよこした。
英語圏に学を志す男たちが群がってきたのだ。
このことから「あなたの国はこのように見える」というメッセージまで世界に発信し始めた。
いろんな国が「英語という鏡」を通して自分の国を見た。
「我と汝」
これをいかに噛み砕くかだけを考えていた。
国生さゆり あなたよりも愛していたい


 


のちにインドではタゴールが、日本国では小野光太郎が気が付いた問題であるが、発信源はナポレオンにあった。
「哲学の大衆化」
それをやればよかったのだ。


 


聖アウグスティヌスは、五賢帝時代の後を受けたアフリカ人であり、幸福の科学が五賢帝の最後の人物を「聖アントニウス」と呼ぶのもなんとなくうなずける話である。
「出会い」「別れ」「キス」などと記してあったプラトンの詩をすべて「セックスがともなうもの」とし、「全能の神」とは「世の中のセックスすべてを許す存在」であるとした。
しかし、セックスに税金をかけることにしたのだ。
全能の神とはアウグスティヌスのことであり、後期ローマ帝国の財政を支えた。
アフリカ人としては異例の賢さがあり、ローマとミラノを行ったりきたりしてすごした。
詩において「セックスとは神聖なものである」ということを強烈にアピールしたため、だれも「セックスに税金をかける」といっても逆らうものはいなかった。
全能の神とは今でいう財務省であろうが、当時はローマ皇帝であり、「税収見通し」は庶民でも普通に接することのできる情報だ。
「世の中の男女がどれほど愛し合っているのか」を知り、さらにはコントロールするのが「全能の神」の仕事だった。
プラトンの詩の「出会い」「別れ」「キス」などに「神聖な意味」を与え、国を豊かにした。
SPEED I Remember


 


アウグスティヌスは「告白」において、どんな女たちでマスターベーションしたかを赤裸々に語ったが、その理由は「女たちを美しく描きたかった」という動機があった。
「女たちは美しいものだ」
それさえ描ければ、ローマ帝国の財政が安定することが分かったのだ。
男が優しくなる、そのような効果も認められた。
hiro confession


 


女たちを美しく描いてなんら損するものはない。
しかも、税収を把握しコントロールする「全能の神」というものを明らかにして皇帝になり、46年後に死んだ。
一方、「彼氏」「旦那」が「神」であるということも明確にした。
「美しい女と神」が担税力となったのだ。
酒井法子 涙が止まらない


 


彼女連れの男にちょっかい出してはならないなどの「常識」が生まれたし、国全体の税収につながるものだったために、特に「子供連れのお父さん」はもはや「聖域」ともいえる「神」として尊重しなければならないとした。
「告白」(コンフェッション)において、アウグスティヌスは「なぜ、自分が皇帝になれたのか」をすべて語った。
今でいうシャウプ勧告以来の日本国の税法にも影響を与えた。
江戸幕府のお決まりの「質素倹約」などという発想はそこにはなかった。
アウグスティヌスは「告白」において「未亡人と結婚した」と記していたが、名前は特定できず、それも彼なりの「税収目的の作り話」だったのだろうとされている。
奥村チヨ 恋の奴隷


 


「皇帝は純潔」
そのような既成概念を打ち破った。
なぜ、皇帝になれたのかは「後期ローマ帝国の財政を確立した」からであった。
一緒にカラオケに行くとどんな女も魅力的になるとして、作曲も行った。
旋律を詩篇に加えるだけで、ローマ帝国の財政は豊かになったのだ。
愛の炎 田中れいな


 


ひとりの女をめぐって男二人が乱闘騒ぎになるという側面がセックスにはあり、その「悪」を排除する効果が「女を美しく描く」ことに認められた。
「女の子を歓迎する文化」が女の子の出生率を上げたのだ。
ギリシャの頃から知られていた現象をアウグスティヌスは実践した。
SPEED Deep Blue & Truth


 


伸び盛りの時期に「女の話」が苦手で才能を潰されたアスリートも多く見た。
そのためにテキストも書いた。
「皇帝は純潔」というポリシーのあった五賢帝時代にはない側面がアウグスティヌスにはあったが、誰も損をしなかった。
とにかく賢かったのはアウグスティヌスの方だった。
ローマ法、ギリシャ哲学、キリスト教の三つの川が、後期ローマ帝国に流れ込んだ。
ローマ法は「旦那」「彼氏」を「神」とするための教えだったし、ギリシャ哲学は詩を中心に形成されていた。
キリスト教は「セックス崇拝」を基盤にしていたのだ。
なぜ、アウグスティヌスは「財政の達人」になれたのか?
それは彼の「強烈な意思」が背景にあったとしか言いようがない。
「男は賢いほうがいい、女は美しいほうがいい」とするのであれば、彼の皇帝の器は「十分」だったと言って問題はない。
国家財政が悲鳴を上げたときに終末思想や権力批判が起きるため、それを封じ込める力量は群を抜いていた。


 


アウグスティヌスが「全能の神」つまり「国家財政とは何か?」を確立する前(古代ローマ帝国)には、君主制や寡頭制、不完全民主制などがあり、どのみち「女性たちの支持」がなければ指導者にはなれなかったので「理論がなくても財政は安定する」というのが国のあり方であった。
アウグスティヌスによる「国家財政の確立」は「中世の始まり」であり、のちのデカルトの「恋の発見」つまり「イングランド銀行に金塊が積める」という理論が形成されるまでを「ヨーロッパ中世」と呼ぶのだ。
ギリシャ哲学というのは「誰が金集めがうまかったか?」という歴史学や、「性欲はあるのか?」というコメディー、「死の恐怖をなくす」という悲劇、他にもレトリックなどが発展していた。
ラテンウェストと呼ばれるローマ帝国もその恩恵を受けた。
やはり、ポリス(都市)ごとに競い合うというのは非常に大事なことだった。
スパルタなどのように奴隷制を採用する都市もあれば、アテネのようにディズニーランドのような遊園地を持っていて女性たちにやさしい都市もあった。
いずれも官僚制を採用しており、政治家のように「いくら男の学問が発展しても、あなたの胸は絶対だよ」と女の子に言えるような政治家は重宝された。
しかし、政治(女心の定義)が発展しても、全能の神(国家財政を統括する者)がいなかったため、税収はまるで偶然に頼ったかのようにドンと出てくるので苦労した。
政治というのは「女心の定義」を行うものであるが、人間が欲望のままに行動するのならば「治めるのが政治」という側面はあった。
しかし、人間の欲望をより巧みに駆り立てることが、政治家の地位を高めたし、君主になるものもいた。
さらには国家財政も安定した。
「モテない男」はとにかく「盗み」を働いたため、しっかりとレトリックで調整する必要もあった。
国家財政やイングランド銀行の金塊にまでは頭は回らなくても「女性たちの支持を集める」という発想はすでに出揃っていたのだ。
ソクラテスはとにかくモテたし、民間ビジネスの仲介役をやったために特別背任罪に問われた。
いくらモテるからと言って「企業と企業を引き合わせる」というのは反則だ。
アリストテレスのように「お風呂」の研究をして、シャイな男を君主にしようという計画を練った哲学者もいた。
酒井法子 秘密のガーデン


 


ラテンウェスト、つまり、ローマの始まりはロムルスとレムスと言う「伝説上の双子」が作ったことになっている。
まずは、王政から始まり、しかし、カエサルをブルータスが殺した時に「貴族院」というものができた。
ローマの貴族院は常に「キケロ」のイデオロギーを共有していた。
日本の参議院が不要であるという論陣があるのであれば、「キケロを見失っている」としか言いようがない。
「土地を持っていること、弁護士であること、雄弁家であること」
この三つがあれば多くの叡智が集まり、貴族院というものはギリシャの時代にはなかったものだ。
パンフレット(今でいうブログ)を出して、自分の考えを公表してもらいたかったのだ。
ポリティシャンとステーツマンの違いは「土地を持っている弁護士で雄弁家」であればステーツマンであり、女たちの支持が根強い政治家をポリティシャンと呼んだ。
ステーツマンならば「すべての人を幸せにするのが仕事」であるのは当然であった。
名声などもともとあったのだ。
土地を持っていて勉強家であるのならば政治家になる資格は十分だった。
ポリティシャンのように「女心」によほど精通しなければならない連中はのちに衆議院を作った。
しかし、ローマ共和制は貴族院しかなかったのだ。
「土地を持っていて、弁護士で雄弁家」の貴族院議員は、自分の仕事の延長に「事務所」を作って、他の人々の相談に乗った。
選挙の時だけ「事務所開き」などといっている参議院議員がいるから「不要論」が出るのだ。
裸一貫で政治家を志す若者は、女たちの支持を得て「衆議院議員」になるべきだ。
しかし、内科医や外科医としての腕を持ち、「彼の恋ばなならば信用してみようかな」と言われるような連中が多い。
土地を持った家庭に生まれた連中が法学部に進んだが、土地がないのならば医学の素養が必要になってくる。
法学部でも、「人間の体も法だろう」という境地になる必要がある。
誰もが衆議院議員になれるわけではない。


 

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