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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2018年11月10日 (土)

自由民主党のお仕事。

本来、自由民主党の仕事は「インフレ退治」であり「感じなくなる女性」をなくすことである。
陰陽五行と呼ばれるように「髪が長い・短い」「巨乳・貧乳」だけでも男に興味のある女性かどうかは分かるが、「五行」として「女」になってくれなければ困る、それはつまり「女性として最高の存在」であるということを教わる以外にない。
男の子は学校で巨乳の女の子をチラチラ見ながら勉強している。
しかし、男の子は「髪の短い女の子」「貧乳の女の子」にも「女性として最高の存在」と言ってあげる必要がある。
「髪が長くておっぱいボーン」と言っているうちは自民党員にはなれない。
男と女のララバイゲーム モーニング娘。

クラスの輪の中心にいる貧乳女と、いじめられる巨乳女、巨乳女目当てで勉強する男の子と、クラスの話題(文化)があり、クラスの目的は「男に興味のない女をなくす」ことにある。
バーモントのコミューンなどでデューイは、多くの女性たちと語り合った。
貧乳の女は常に「神様」から「貴女は女性として最高の存在だ」というメッセージは聞いていたが、他の男には興味が持てなくなっていた。
巨乳の女の子を横目で見ながら勉強する男の子と、成績が悪く「クラスの話題」に終始する男の子と貧乳の女の子という方程式があり、変なオタクが「貧ぬう」とか言っているとますます貧乳女は男が愛せなくなっていった。
貧乳の女の子も「イケメンと恋がしたい」と考えていた。
シカゴ学派は「貧乳女をどのように"女の子"にするか?」がアメリカ合衆国の経済力の基盤になると考えていた。
イケメンに貧乳女が愛されるという「文化」は日本国においても経済力の基盤である。
この子は見ていて吐き気がしないのよね、クラスの女の子たちはそう思った。
しかし、大事なのは「イケメンに愛される貧乳女」モデルであり、髪が短いのならばなおよかった。
「文化を作るのは自由だろ」
しかし、どのように経済政策につながるのかはしっかりと理解しなければならない。
「計画」というのは共産主義の用語であるが、「多くの女の子と話す」というのが共産主義であるのならば、首相が施政方針演説で「計画」という用語を連発しても問題はないわけである。
「女として何を持って生まれたのか?」
これを理解しなければならない。
ドラマ17歳。

プラトンは「詩」を考え、デカルトは「恋」を考えた。
ヒュームは「女に金を払うこと」を考え、ロックは「略奪愛」を考えた。
その世界に「産業」(男らしさ・女心)を解き放ったのだ。
この世界に「私は資格がない」と髪の短い女や貧乳の女が考えたら国は莫大な経済的損失を被ることになる。
いつ国が「女になるって大変だな」ということに気がつくかどうかが問われる。
「陰陽五行説」とは髪の長さや胸の大きさを問わず、「1から10まで女を愛せる」文化を作ることを意味する。
1から10まで愛してほしい モーニング娘。

人間は特定の人種に「一度噛みつかれると」二度と口をきけなくなるものだ。
感じなくなる女を減らす(インフレ退治)ことが自由民主党の仕事だとしたことはデューイの偉大な発明だった。

この「陰陽五行説」によって自由民主党の存在意義は明確になったが、それを「沖縄のジュゴン」「ディズニーランド」などのエコロジーによって全てを見失わせてやろうという女たちがいた。
本ブログも「巨乳・貧乳を問わず女心を深く掘れ」というカントの立場に立ってきたが、「実際に世の中に出て話して回ることが大事」であることは私も痛感している。
「真実を知りたくありませんか?」と言われたら「的中率を高めることだよ」と答えるしかない。
皇帝カントはいまだにアクィナスとして生きているし、的中率を高める作業を行なっている。
「記憶づくりが大事」という意味では病院を出入りしなければならない。
「私とセックスするのは伝説」と考える女もいて、しかも貧乳だ。
「女として最高の存在」という言葉が、アマテラス(一般人女性)には当てはまってもマリア(アイドル)には病気しか引き起こさないことがある。
さらには、クラスの話題(文化)だけに興味があり、成績が悪くスポーツもできない男が「俺も巨乳女と付き合いたい」と言っていじめの陣形を指揮することもある。
デューイは「記憶のない人の読書はむなしい」として社会経験を要求した。
また、よく練られた芸術(ファインアート)と「処女アート」を混ぜ合わせて「記憶づくり」を助けたりもした。
しかし、宗教は「美女」が描けばいいが、現場の原稿作り(宗教的体験)は必ずしも美女を相手にしているわけではない。
クリエイターはジャージとサンダルで歩いている「アイドル」を相手に原稿を書いているのだ。
あとは世の中に「宗教」を拡散させるだけだ。


アクィナスへのいじめは、2019年の即位ののちも続いた。
金銭の都合がいじめる側にもあったし、アクィナスがいなければ暮らしていけない連中はもはや数万人にも及んだのだ。
2024年のタイムマシーン完成の知らせを受けて、アクィナスは「父親らしいことをしてやれなかった」として、子供たちを8世紀のサラセンに送ることにした。
父として、金塊を送り続けたが、一人の息子と三人の娘たちは、モスリムの祖先となった。
ここで、現在のイスラム諸国と、日本国皇室は「万世一系」ではなく、いわば「皇室循環論」とも呼ばれるべき現象を引き起こしたのだ。
サラセンの悲願は「コンスタンチノープル攻略」であったし、それは1453年に果たされている。
ピラミッドというものを「石を三つ重ねて」作ったのが、アクィナスの子供たちだったが、ピコデラミランドラやアグリッパなどの白人系ユダヤ人は「三大ピラミッド」を作って見せた。
このあたりに、イスラエルとアラブの対立の火種が生じたのだろう。
ボクシング部の監督だった吉森氏のアドバイスもあり「時間と空間を広く使ったらどうか?」ということからも、アクィナスは子供たちをアラブ社会の祖先とすることで「皇室循環論」を完成させたのだ。
「東大に入る」と大法螺吹いていた子供たちの有様を見てみるといい。
アラブ社会には世界ランキングに入るような大学はないではないか。
しかし、日本国皇室の末裔であるアラブ人(アクィナスの子孫たち)は、タイムマシーンで「レター」を受け取って、資金の裏づけを得た上で、「レター」を忠実に執行することを仕事とした。
メッカの大群衆を見ると分かる。
彼らの信仰心がアクィナス崇拝であることは明らかだ。
メッカ巡礼 皇室の威光

イスラムの教えでは「常に動き続ければいじめられることはない」とされていた。
プリンス・ナジーム・ハメド

プリンス・ナジーム・ハメドは、「タイムマシーンと真剣勝負の関わり」を否定しているが、プロスポーツである以上、「お金との関与」は認めざるを得ない。
イスラム教は「無限と循環」をその教えとしてもいる。
アクィナスの子供たちはご優秀?
それはイスラム社会を見てもらうしかない。
「自由に国をつくれ」といって資金の裏づけを与えたのはアクィナスなのだ。
アルキンディやアヴェロスという「哲学の専門家」はいたが、常に「時間と空間の循環」が念頭にあったし、日本IBMやTBSからの「レターの山」を消化しなければならなかった。
多くの日本人が「子供の頃、死にそうになった」という記憶を持っていたため、その「命の救済」こそが「時間と空間の循環」という意味でもあったし、
ジョバンニとカンパネルラの「少年二人」は、「この肉体が火になってもかまわない」と誓ったジョバンニの命を救い、独裁者カンパネルラは復活祭の日に池におぼれて死んでいる。
ジョバンニの囁き 河合その子

せめてアクィナスのように「外国語」は真面目に勉強しようというのがイスラムの教えでもあったし、ユダヤ教と何が異なるのかは明らかではないが、肌の色の違いというのは致命的なものであったし、日本国も「韓国とヨーロッパが友人」という信念のもとで動いていた。
「戦争したことがあるのか?」に根ざした信頼関係が模索されたのだ。

血圧や体重などの記録や、どこに旅行に行ったかなどの記録を企業がデータベースで保存し、そのこと自体、秘密を守るという意味においては、企業は女性たちの「神」となる。
その上で、音楽作品やゲームを楽しんでもらうというビジネスモデルは当然、考えなければならない。
運の悪いことに、最高のエンターテイメントを提供してくれる企業はまだないし、女性たちは「ダイエット記録、血圧」などを企業に委ねようとは思っていない。
株式会社DeNAは、ゲームのエンターテイメントを提供しているし、株式会社タニタは、体重計や血圧計を生産・販売している。
タニタの体重計・血圧計を、低コストで配布してもらい、データを株式会社DeNAが管理するだけで「女性たちの神」が構築され、私のブログで「アメリカ高等教育」も知ることができる。
タニタの食堂も低コストで利用できるし、女性たちが「ダイエット」で競い合うだけで株式会社DeNAは社債を発行することができるため、体重・血圧のデータの登録だけでいろんなサービスを女性たちは受けることができる。

中国戦国時代は紀元前479年から221年にかけて展開された。
「仁」つまり、アクィナスに代表される「いじめていい奴」「シルクロードに詳しい奴」が、いじめの対象となり、「仁」とニコマコス倫理学のどちらが先かは明らかではないが、父親が「羊を盗んだ」(お風呂で娘にエッチなことをした)ことから、アクィナスは学校などでいじめをうけ、しかし、頭脳はきわめて明晰であり、外国語に通じていた。
「盗まれた羊」は「髪が短い」という特徴を持ち、髪の長い女を見つけてきては「阿房宮」に連れてきているうちは戦争がおさまることはなかった。
秦の始皇帝は「デブ専」であったし、なぜ、男たちは争うのを止めたのかの研究にいちばん適している。
秦師範と呼ばれる男は、いったい何を考えていたのであろうか?のちの教育にも多大な影響を与えた。
「儒学の確立」がこの221年になされたし、アクィナスの騒乱を治めきれなかった日本の教師たちは「師範」という名に値しないほどの無学であった。
競馬や競艇に興じるものが「師範」であるとは思えなかったし、そもそも孤立しているものが「師範」ではありえなかった。
社会に怒りを感じている、社会と戦っている者は「師範」ではなかった。
孟子は、子供の頃のアクィナス(牛)の目を見て、「生贄を変えよ」といった王を絶賛した。「あなたは人の心が分かる人だ」と。
子路は「師は魏に仕えろといわれたらお仕えしますか?」(明日に道を聞かば夕べに死すとも可なり、の正確な翻訳)と孔子に問うた。
「師範と呼ばれるのならば師範らしい振る舞いをしなければならない」師は答えた。
「つけられた名前のとおりに生きてみればいろんなことが分かる」
アメリカ人はみんな「日本人の名前の意味」を知りたがった。
親の「願い」が込められていない名前などないと知ったのだ。
黒人で息子に「ブラックマン」という名前をつけた人はいまだいない。
みんなに愛された名前かどうかは他の同名の人に影響を与える。
「知ること」「感じること」「愛すること」「愛し合うこと」以外に名前の目的などないのだ。
「犬のように生きているのに師範になどなれるわけがないではないか?」
「乗る」「仕える」「大勢」「無」「入る」「殺す」に名前の意味は区別される。
多くの女たちが「光太郎さんを殺さないで」と言って、息子にアクィナスの名前をつけた。
「木」という名前は「自然に死ぬ」ことを意味したため「入木」などと言われたが、ただ生きているだけならば「船」という名前を与えられ「入船」などと言われた。
名前に「二」という数字が入った、ハンサムな弟は、ハンサムなアクィナスを愛さなかった。
つけられた名前はみんなのものだ。愛される生き方をしなさい。そのように「師」は語った。
サザエさん フネ

儒学にせよ儒教にせよ、聖学にせよ、生理学にせよ、理学、心学にせよ「名前」を重視したのが日本の儒学だった。
松永尺五の愛燐書において「勝負事にも名前は使える」と語っている。
ルイ14世にせよ、ライプニッツ、ボルタイヤ、ヘーゲルにせよ同じ考えを持つに至っている。
そこで、井上哲次郎は「大学」というものをよく考えて「大人へのゲートウェイ」とすることにした。
子供たち全員が一斉に走り出したのだ。
日本陽明学の哲学とも言われ「心技体」を標榜する学派と、朱子の日本学派哲学と呼ばれる「季節」を重んじる学派に分かれた。
井上はライプチヒやハイデルブルクでドイツの音楽作品を研究している。
13回目の季節 新田恵利。

清朝において康熙字典が作られており、「親に付けられる名前」が一気に多様化していたし、江戸時代の仏教のダルマは「有効性が疑わしい」とされ、日本人の名前が重視されるようになった。
紀元前1027年から256年までの周王朝において「いかに民を治めるか?」という研究は進んでいたが、道教(日本でいう神道)や墨家思想、法家などの論争が起き、音楽を愛する道教と、女を愛する墨家思想、処女を用いる法家が対立した。
前漢(紀元前206年から紀元220)において、陰陽、史記、詩記、理事、春秋などが記され、儒学は安定的統治を迎えるかに見えたが、仏教が中国に入ってきて思想の世界が大混乱に陥った。
「宋学」の時代まで思想は混乱したと言っていい。
唐の時代になってから「女の子にモテる名前がいい」という発想が生まれ、名前に「モテる」という要素が加わった。
これが「新・儒学」である。
長安で浮名を流し「君が〇〇君か?」と言われる者が科挙に合格したのだ。
新・儒学は、あらゆる言語や思想を否定しなかったし、モテる「名前」であればいいという割り切りもあった。
娘がいるのに「モテるお父さん」っていていいのかね?
座禅だけは父の仕事となった。
400年ごろのヤマト朝廷において「倭人」と呼ばれる男が儒学を体現していた。
仏だろうが儒学だろうがモテればいいんだろう?と考えていたのだ。
1912年の「神道の発明」まで事実上、この考えは変わらなかった。

後漢が朝鮮半島まで支配すると、白村を通じて日本国に儒学を伝えようという動きがでた。
仏だろうが儒学だろうがモテるんだってね、そう言われて「年号」というものが考えられた。
年号の文字はあくまでも儒学にしたがっている。
なぜ、突然「イザナギとイザナミ」「スサノオとアマテラス」が登場したかは明らかではないが、陰陽つまり「いろんな女がいるな」と思った新・儒学の結論だったのかもしれない。
古事記・日本書紀が記され、日本国というものがまとまってきた。
五行というのは木・火・土・金・水のことであるが、要するに女の髪の長さと女の胸の大きさを考慮し、女になりきれない女をなくす学問だった。
17条憲法が聖徳太子(573年〜621年)によって記されたが、論語の最初の12分の1をざっと読んだものだった。
大化改新によって、一部の権力者だけでなく土地の分配が行われた。
源平の合戦(1180〜1185年)において、臨済宗が支配権を確立したこともある。
花園天皇(1308年〜1318年)、後醍醐天皇(1318年〜1339年)によって新・儒学の復権が試みられたが、娘の心配をする禅僧の方がはるかに人気があった。
織田信長(1534年〜1582年)は、安土城を作り「はたして仏教に何ができるのか?」を問いかけた。
あくまでも新・儒学の観点からキリスト教も視野に入った。
モテる男、それが権力者だという問いかけは常になされてきた。
エアメール 酒井法子。

江戸時代に入り、朱子学は藤原惺窩、林羅山、山崎闇斎、王陽明学派には中江藤樹、熊沢蕃山、古学には山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠がいたが、新・儒学である以上、「モテる名前づくり」をしたという意味では同じようなものだった。
江戸時代を中世と呼ぶのであれば、江戸と東京を区別する分岐点は「恋」の存在にある。
臨済宗の公案が常に新・儒学の敵だったのは事実だ。
ダイヤモンドは傷つかない 東京パフォーマンスドール。

王陽明は、新・儒学を「要するにモテればいいわけだな」と解釈し、道教(垂加神道)、仏教(ゼブラ)をマスターしたことから試験官が彼と会いたがった。
しかし、王陽明は「はたして自分の出世が父と認め合うこと(最高善)につながるのか?」と悩み始め、気(タバコの息)を吐き始めたのだ。
王陽明は自分の「華々しい側面」しか明らかにはしていないが、孟子の「牛のたとえ」つまり、楊貴妃の弟がひどいいじめに遭い、黒い下痢をして失神していた
中学時代の話などは「孟子の時代の話」として好んでいた。
黒い下痢とは胃からの出血を意味したが、自然に治った。
「何だ?今の君主は?」と孟子が天を仰いだ時に、多くの年寄りも天を仰いでいた。
その経験が孟子を君主へと導いていたのだ。
王陽明は、名前を読んで字のごとく「きわめて明るい」側面を持った人物であり、「暗い自伝は誰も好まないことは知っている」と語っていた。
家族は、別格なほど優秀な私に冷たかった。
セロリのKISS ハッカの煙草

「井戸に落ちた子供は人間扱いされないんだよ」
苦しんでいる子供を目の当たりにし、視野が狭くなって思考力が下がることを「反社会性人格障害」と呼ぶ。
集団リンチする側がみんなで何かに呑み込まれたように思考力が下がっているのだ。
DSM-Vでは、「いじめる側の心理学」として「病気」と認定されている。
このように、陽明学とは、新・儒学ではあるものの、論語には一切興味なく、孟子の「悲しそうな子供(牛)の目」を見ることから始まり、道教・仏教に連なるものである。
「ようするにモテればいい」「自分と同じ下の名前を持った人に恥じない生き方をすればいい」という考えが陽明学を生み出した。
「いじめる側の心理学」は「思考力が下がる」という反社会性人格障害と認定され、いまさら「皇帝」になどなれるわけないことは「いざ」というときに散々試されることになる。

朱子学というのは、イエスキリストの影響を強く受け、「アレルギー専門医」として、常に「変化」に強い男が、
「アレルギーというのは歴史が変わるなどのことに免疫がないことから起きる」
「一家の大黒柱としての責任感から起きる」
「自分以外みんな罪人という発想から起きる」
などということを理解した、病気の治療を行う「年寄り」を想定していた。
自らが、アレルギーの原因を理解していたのだから、周囲に信頼されるのは当然でもあった。
Please Tell Me Mr.朱

アレルギーの治療に絞って、とにかく「名のある人」にならなければ治らないだろうと考え、さまざまな「博識さ」を探求したのが朱子学である。
「人」であることと、公正であること(間)が、アレルギーを生み出している。
多くの不正を見るたびにアレルギー患者は増えるために、いわば「人間」の探求がアレルギーの治療となった。
王陽明にせよ、朱子にせよ、よくタバコを吸ったため、中華料理店でタバコが許可されているのは、ほとんど「常識」に近かった。
「形」(体制)が変るたびにアレルギー患者は出た。
元(1271~1368)、清(1644~1911)などでも常に、王朝が変るたびに朱子学が影響力を持った。
性の問題(重要)と常に向き合ってくれる人(所在)。
これがいちばん影響力を高め、信頼感を得るためには必要だった。
当然、貧乳だったり、髪の短い女性には「男には興味ないでしょう?」と容赦なく語った(陰陽五行説)。
性倒錯を知らずしてアレルギー専門医になれるとは女たちも思っていなかったからだ。
歴史が変わるときにアレルギーを起こすということを知らない人が歴史上の人物になれるということは想定されていない。
つまり、キリスト教と朱子学だけが「歴史上の人物」の健康を保障したことになる。
朱子は「ソクラテスから学んだ」ということを公言していた。
松島奈々子 花粉症

朱子は「自分で歴史を変えておきながら、アレルギーの治療をして回ると言うのはまるでマッチポンプだな」
と考え、これを「儀式」と呼んでいた。
信頼できる人間だから新体制を委ねたのであるし、信頼できる人間だからアレルギーの治療ができるのだ。
そもそも、「愛されている男」でなければ歴史は作れないし、作りようがない。
恋愛論(感応)だけは、男として必須の学問であったし、中国において
「ソクラテスから学んだ」と公言したのは、朱子が初めてだった。

長い映画ですが、井上靖「敦煌」という映画です。
シルクロードから来る書物を守ろうとする商人がいて、まさに「アレルギー治療」が、ビジネスだったことを意味しています。
敦煌

朱子はプラトン(詩を考えた人)、アリストテレス(男女の共存を考えた人)、アクィナス(身内のいじめの研究をし、抜擢する人を間違えないようにした人)、の研究を終えていた。
あとは、カント(女心をお金に変える)、ヒューム(女に金を払う)など以外、シルクロードから来る書物をほとんど網羅していた。
そこで、恋ばな(感応)も、中国はほとんどが「ヨーロッパ頼み」になっていたことが分かる。
シルクロードの重要性を高めたのは朱子学であり、日本国も、鎖国と言っても「中国・オランダ」は例外としていたため、色白の自閉症の子供を作らないこと以外に、情報の面で世界に見劣りすることはなかったものと思われる。
そもそも、「男のコになりたい」という女性の感情(お金)を利用して国づくりを行ったのは中国とプロイセンだけだった。
世界史上でもこの二カ国だけなのだ。
女性は通常、「男のコになりたい」と思うと、タバコを止められることがあるし、逆に、思春期にタバコが吸いたくなることもある。
朱子は、「気」(タバコの息を吐くこと)へと研究を進め、聖書の「レベッカがキャメルを吸った」(らくだの議論)と同じ論陣を張っている。
また、朱子は、のちのカントやヒュームへと展開するヨーロッパと異なり、「面構え」の研究を行っている。
「勉強している俺の顔が好き」ということから、癲癇が治ることを考えると実に悠長な話しになるため、親は「盆栽」をやって、盆栽の成長と子供の成長をともに眺めようとしたのだ。
実際に野に植えると巨大な木になる盆栽も、植木鉢で育てると子供の成長を悠長に見守ろうという気持ちになれたのだ。
この「盆栽」という文化は、朱子学ではあるが、実際に定着したのは日本国においてであったとも言える。
のちに、朱子学はホワイトヘッドに影響を与え、気(タバコを吐く息)は、男を知っている女にとっては「香水」であり、オーガズムの時の匂いであるとされ、「男を変えると女は香水も変える」という具合に議論が発展している。
田中れいな 香水

朱子は、自分の情報源を「天竺」(てんじく)と呼んでいたが、実際はプラトン、アリストテレス、アクィナスなどであった。
しかし、西遊記というものは清朝末期に書かれた「日本国攻略法」であり、
「六つの都市がキントウン(飛行機)で結ばれている」
「それぞれの港にはミサイル基地(猪八戒)がいる」
などというように、脱亜入欧を果たした日本国の研究となっている。

朱子学というものは「周囲から信頼されている男がアレルギーを治す」という学問であるが、陰陽五行説に詳しかったり、父親と息子が認め合う(最高善)ために、気(タバコの息を吐く)の研究を行った。
男というものは、父親が死んだら自然とタバコは止めるものだったのだ。
のちの時代に与えた影響は大きく、1960年代に毛沢東は「カントの研究」を行い、「女心をお金に変える」作業を行っている。
中華人民共和国において、胡耀邦は「毛沢東の7割は正しかった」という見解を出しているが、長征において、沼地で手と手を取り合いながら眠って、国の問題を語り合い、屈強な男たちが出来上がったという物語のみならず、カントの研究による資金集めはすでに中国で1960年代に行われていたのだ。
どんな研究をしようが、「ハウスダストや花粉」を疑っている芸能人がいまだに日本にはいるのだ。
いかに信頼され、「アレルギーの原因」を指摘するかがビッグマネーにつながる。
科挙においては「50年前23」とだけ書いて、大金を積んだお爺さんが科挙に合格している。
さて、アメリカと中国はなぜ組めないのか?
それは、道的静(ドテチン)の問題から説き起こさなければならない問題である。
朱子がプラトンを中国に持ち帰った以上、日本人にとって全米ビルボードが憧れであり、ほとんどの音楽作品がアメリカをパクっているのと同じことが、中国文化圏でもいえるのだ。
タイ人は「アメリカと中国は同じぐらい好き」と答えるが、ベトナムは明らかに「中国の音楽シーン」に親しみを感じている。
道教が作った音楽シーン(道的静)は、地域の覇権にも関わる問題である。
世界絵図において、中国文化圏の音楽シーンは特異な存在であり、中国文化圏は、決して日米同盟などの「西洋」に心を開こうとはしていない。
「論語など分かるわけないではないか?」
そのような思いが中国文化圏には存在する。
「孔子がいちばん偉大な男だと認めないのであれば、心は開かない」それが中国音楽シーンであり、髪の短い日本人女だけが中国芸能界のアイドルとして認知された。
男のコになりたい 酒井法子

お父さんがお風呂で娘を可愛がりたいという文化は、女の子の「処女」概念と関わるし、清朝末期には「楊貴妃の弟(舜)のような悲しそうな目をした牛」を生み出してはならないとされ、「一人っ子政策」が採用されている。
中国の古典は役人になるうえでも必要な素養であったし、優秀な学生は「気」(タバコの息)を吐いた。
1980年代に、日本の国鉄で野放図にされていたタバコの「禁煙運動」が日本国の弁護士によって展開されたが、これは反中ムーブメントであった。
タバコを吸わないのであれば、日本国は、中国もキリスト教も見失う。
イギリスやアメリカ、カナダは、中国に「なぜ、中国音楽シーンはもっと心を開かないんだ?」と強い説明を中国側に求めたが、一部の官僚を清華大学に受け入れるなどしたようだ。
「舜の人生が中国男児の人生」
これを説明したかったのだ。
「娘とお風呂に入りたい」「タバコを吸いたい」
儒教信者か仏教信者かはタバコを吸うかどうかで区別できた。
いかなる宗教も、他人に「説教」などしたくはなかったし、「楽しく生きる」という教えだけが中国で生き残ったのだ。
娘からタバコを取り上げたら一万人の男と性的関係を持つんじゃないか?
儒学はこのように考えていた。
「一人で考えてもらいたいんだよ」という真の意図も儒学はアメリカなどに説明していた
Anytime smokin' cigarett

アメリカのトクヴィルは「一人で考えてもらいたいか。自分の祖先のことも忘れそうだな」として、ガンの危険性を指摘した。
おばあちゃんのことすら忘れるのならば当然、ガンの心配はしなければならない。
猿に「朝、ナッツを3つやり、夕方、ナッツを4つやる」ことにしていたのを、「朝、ナッツを4つやり、夕方、ナッツを3つやる」というと大喜びするというのと同じ原理が「タバコを吸う」という行為ではないのか?とも指摘された。
いずれにせよ、人生でタバコを吸ったことのない人などいない。
キリスト教は「タバコ代」を献金してもらいたいがためにあらゆる研究を行っている。
タバコ訴訟も起きたが、宗教論争であった。
仏教の側は「何かに没頭していればタバコなんか吸わないだろう」としていた。
没頭すればタバコは吸わないというのもひとつの美学ではあったが、儒学とは「見解の相違」としか言いようがなかった。
赤いスイートピー 松田聖子

中国の仏教は「父が死んだことも含めて、人生の成功者だけがタバコを止めているではないか?」という指摘を行っている。
レベッカがキャメルを吸った、という「らくだの議論」は、中国では儒学と仏教の対立となっていた。
孟子は、周王朝(紀元前1040~221)の時代に、「天」がだんだんダメになっていくのを目撃した。
暗殺の横行や、重い税金にそれが見られたのだ。
キング牧師やガンディーのように、「俺が女の子たちと話さないと国に金が回らないぞ」という特権的地位を占めたのが孟子(孟先生)であった。
何の「強要」もなく、うまく導くことを「徳」と呼び、「食べ物とワイン」でそれを行った。
「記憶のない読書は敗北につながり、経験だけで生きるのは危険だ」としている。
「記憶のある読書」こそが「いい論文」につながり、「食べ物とワイン」をもたらすのだ。
すべての家族に「六畳一間」を与える。
孟子は「論語の読書と、悲鳴を上げる周王朝」からそれを実践したのだ。
孟子は「寛大さとお金に満ちていること」から家族と向き合った。
しかも「儀礼的なもの」つまり「食べ物とワイン」は賄賂からは外したのだ。
人間は外では紳士なんだ(性善説)。見たこと聞いたことをまめに調べたらいろんなことが分かる。
孟子の悲願は「唐」王朝以降に、多くの書物が作られたことで、「読めば家庭に寛大さとお金をもたらすことができる」時代となった。

そもそも、中国においては「家庭内の食べ物やワイン」の話から、「客人」が来る話、そして、社会や国に自分の考えが伝わる方法というアプローチを取っている。
今まで述べたような儒学、女を愛する墨家思想、音楽を愛する道教、処女を用いる法家、仏教などに「自分の考え」は分かれている。
紀元前6世紀ごろには「娘とお風呂に入ったら死罪」とされていたが、父の気持ちを慮った息子はそのことをもみ消した。
「ハードケース」と呼ばれる問題になり、孔子は一躍有名人になっている。
「父は子のために隠し、子は父のために隠す。しかし、子は苦労するだろう。時期が来たら、思いのたけを話してよい」
法家は「それで、娘は処女なのか?」と語ったし、墨家思想は「髪の短い女を愛せるのか?」と語った。
道教は「髪の短い女はジャニーズを愛せるのだろうか?」と論じた。
しかし、この「ハードケース」を支配したのが儒学だったのだ。
まだ、中国に「神さま」がいない時代の話であった。
彼ら、彼女らに初めて「神さま」を紹介したのが儒学だった。
神の名は「舜」と呼ばれた。
この「ハードケース」に一定の解決案を示した孔子は「まあ、穏便に済ませましょうや」と王に語りかけた。
これで、中国の思想がまとまることを確信したからである。
父であること、母であること、息子であること、娘であることなどが議論できるようになったのだ。
父は、息子を「ときには親族相盗罪で警察に通報するほど」弱りきっていた。
息子(孔子)は、父が警察を門前払いされることを熟知していたが、父は弱っていた。
父がどれほど偉大な「王子」であっても、この「ハードケース」が原因で、息子にとって父は「組しやすい」ものとなったのだ。
息子は「女を愛することもできる」「処女を愛することもできる」「学校で勉強をすることもできる」立場に置かれていた。
孟子は「悲しそうな牛の目をしていた」と語った「息子」であったが、家庭内で「自由気まま」に過ごしていたのが現状だった。
「学校よりも家が好き」という意味では仏教徒ではなかった。
学校に行くと「悲しそうな牛の目」をしていただけであり、家庭内では「信用できる長男」として過ごした。
学校ではいじめられ、家庭内では「信用できる長男」だったため、自分の居場所は自ずから「家庭内」となっていた。
孔子は「儒学」を「家庭内で学ぶ物事」とし、墨家思想、道教、法家、仏教など「何でも勉強していい」とされていた。
1972年にヘルベルト・フィンガレッテが「息子の暮らしぶりはもっと明るかったではないか?」と指摘している。
昼夜逆転したり、昼間から風呂につかったり、はたから見ると楽しそうにしか見えなかった。
「家庭内ってもっと不自由なものだよ?」
他の男子たちはそのように考えていたのだ。
さて、「舜」という神はこのように人生をスタートさせたのだ。
「昼間から風呂につかっている王子がいる」というのはそれだけで噂になり、客人がそれを社会や国に伝えたため、首相までが「自伝」でそのような記述を書いた。
首相は「王子の周りの女たちのリアクション」に影響されたようだ。
「私たちも家庭内ってそんなに自由ではないと思う」
首相まで伝わるエピソードの持ち主であった舜は、「お風呂」の問題だけで、予備校に行こうが大学に行こうが、一挙手一投足が注目された。
客人の噂話のおかげで国の中枢と一度は対話したからである。
「なんでも勉強していいよ」
これがつまりは儒学なのだ。
儒学における「道」とは「人間の発明」だった。
いろんな人物の「思想」を自分に集中させてもいいと周囲が言ったからだ。
しかし、若者に「なんでも勉強していいよ」ということほど酷なものはなかった。
やがて、父や弟などの反撃が始まり、母は王子への可愛さがあまってことごとく縁談を破談に持ち込んだのだ。
舜が考えていたのは「愛」などという不完全なものではなかったために、それは「仁」と呼ばれた。
さて、ここからが苦しいのが「舜」の人生であり、最後に学ぶべき課題は「敬意」だとされた。
ある程度成熟してから「学ぶべき課題」が課されたのは幸運だったとしか言いようがない。
孟子は、ある程度成熟してからふたたび「悲しそうな牛の目」を見たことになる。
ディズニーランドへ

舜王のその後の人生を「牛」と呼んだのが孟子であり、「水が色を変えるのを待った」のである。
孟子は、成熟した舜王に寄り添ったのであり、「水の色を変える」のは「医事」という書物によって行った。
本来、法家として「処女」を愛していたのではなかったのか?
医事は舜王を中国の神と位置づけるに十分な書物だった。
孟子も荀子も「人間ってのはどこから来るのかね」と語り合っていた。
中国の神は「舜王」である。
父は「尭」という。
これを確立したのは儒学であり、あとはそれぞれの学派があることないこと書き立てたのだ。
晩婚化したのならば若い子を狙えといったのが墨家思想である。
お前の好きな「法」(処女)ならばいくらでもいるだろう。
「敬意」を求める旅路にはさすがにみんな遠慮するだろうとしたのだ。
舜の人生はのちの若者にとって「ゴースト」になるとも言われた。
墨子も「俺に敬意を持ってくれた」として「舜」の神格化に協力した。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ

儒学の側が「舜はデブ専だよ」と言ったが、道教が「コイツなら歌にしていい」としたので議論が混乱した。
道教は「これほどパーソナルディテールが明確な男はいないんだ」としたのだ。
ハートをロック 松田聖子

西洋では「デレ」と「デディクト」と呼ばれている問題だったが、中国では「ソフトスタイル」と「ハードスタイル」と呼ばれている。
つまり、「女目線から見た舜」と「男目線から見た舜」の二種類が生まれた。
マリオネットの涙 松田聖子

法家も、舜が「敬意」を持ってくれたとし、「舜は処女の憧れだ。犯罪は犯すな」とむしろ舜に語りかけた。
女にモテれば犯罪は犯さないことを見越してこのように語ったのだ。
中国の仏教は「私」「俺」とは「舜」のことであるとしている。
まだ、中年の舜に「悩みがあったらいつでも言って」と言って、老境の学問を仏教は引き受ける形となった。

中国とヨーロッパ・アメリカは「漢と洋」とも言われるように「二つの異なる種」からなる文化圏であった。
中国女は髪が短かったし、西洋の女は髪が長かった。
中国では「致知在格物」と呼ばれて、「お父さんのおちんちんをクラスメートの男子の中に探してはいけない」とも言われた。
「女心などそもそもないんだよ」と語られ、毛沢東がカントを背景に推進した
「女心をお金に変える」という文化大革命は失敗だったのではないか?と言われた。
中国女たちは「勉強が苦手」「男心が知りたい」という立場に立っており、文化大革命の失敗によって、中国はヨーロッパやアメリカ合衆国に心を閉ざした。
この頃に、東京大学法学部も「高度な男性社会」を志向し始めている。
男の数を「算」と呼び、男同士が乱闘騒ぎになることを治めることを「律」と呼び、
自分の男性遍歴を「歴」と呼び、「高度な男性社会」を「天文」と呼んだり「医」と呼んだ。
住む場所は「風水」と呼び、「高度な男性社会」で稼ぐことを「養生」と呼んだ。
養生することで天文を学び、いい風水を手に入れる。しかも、それは算や律、歴を知ることでもあった。
髪の短い女は「とにかく痛がる」ために、何人目の男と結婚したかは、将軍の妻や兵士の妻などの研究が「孫子」によってなされたりしている。
「勉強が嫌い」「男心が知りたい」
それが、中国女が「痛いのを我慢する」理由であり、髪の長い女は「王宮」に召された。
「髪の長い女といいセックスがしたい」
それが、男が「王」を目指して、「六藝」「六経」「諸子」「兵書」「天文」「詩賦」「数術」「方枝」「歴譜」「五行」などを勉強する理由だった。
お婆さんたちは、書生さんに「養生してください」と言っていた。
窓際の恋飛行~水曜五時限目 酒井法子

中国語ができる人はチャレンジしてみてください。
中国古典。

道教

赤松の息子
農家には雨が必要であり 彼は雨を降らせるのが仕事
自ら護摩を焚き 崑崙山の上まで上っていた
母の墓の前に立つと 雨雲が一気に立ち上っていった
少女は火を追いかけていた
美しい少女だった
やがて大人になり 美しい女となっていた
女はご飯を炊いた 雨が二人の食事を作った
長崎は今日も雨だった

寧封の息子

いまをときめく 黄帝寧封
息子は 残酷な殺され方をした
五色の煙を上げて 寧北山に
葬られた
これで人間の名声は自然に帰ったのだ
人々が 寧北山を参拝することが後を絶たなかった
テレサテン。

馬師皇

馬を治療した馬師を 黄帝は王宮に招いた
「お前は馬を治すのか?それだったら人間も治せるな?」
馬師は 馬も人も同じです
と答えた
病人の病が癒え 黄帝は 病人一人の治療ができないと噂され
庶民として生きたようだ
竹内まりや 駅。

イケメンが男女の共存の中で暮らしているが、彼が女たちに「あなたは女として最高の存在である」と語ることは必ずしも民主的なものではない。
社会には秩序というものが必要であり、しかも、男にはパートナーがいる。
ソビエト圏が崩壊したのも、アメリカ合衆国が「あなたは女として最高の存在」とさえ言ってやれば病気が治ることからもたらされたし、フランシス・フクヤマは「歴史の終焉」を書いた。
イケメンが美女にこのように語っても、セックス目当てではなく、家族を養うために言うのであるのならば民主的な発言ではないのだ。
日本の指導者は、いち早く「臭いセリフ」とも呼ばれる「あなたは女として最高の存在」という言葉を採用している。
アジアの黄色人種特有の悩みがあったことから、日本でウケたのだろう。
1980年代に「可愛い」という言葉が浸透した。
日本人は「可愛い女の写真」を競い合ったし、可愛いとは思えない女には「人間としての傑作」と呼び、「お医者様」を崇拝させた。
「女として最高の存在」という言葉をアメリカ合衆国が作った時に、ソビエト圏は崩壊したし、一方でアメリカ合衆国の都会で犯罪が蔓延したり、離婚率が上がったりした。
「女たちがどのような言葉をイケメンに期待しているのか?」が明らかになったのは事実である。
女たちのニーズは分かっても、ゲマインシャフト(家庭内)ではどうしても言えないことだった。
女たちが「聖書」を読む最大の理由も明らかになった。
シンガポールも香港も「金融」の奥義を知ったし、しかし、「聖書」という権威に頼るか、「論語」という権威に頼るかの違いは見られる。
女としての「髪の長さの違い」からどうしてもアメリカ合衆国と中国は「違う教科書」を必要としていたのだ。

中国は、思想は150年前には出揃っていたが、日本の「聖書」の翻訳もかなり中国に影響されている。
たとえば「主」とは「他人」のことを意味し、「主」と平和的に共存する(和)が求められた。
カップルがいるとすると、男は「主」に話しかけるべきであり、女の方に話しかけてはならないなどの研究である。
「天命」とは、そのような「政治」(女心の定義)が体系化されたものである。
女の「女心」を語りたくても、必ず「主」人を通して話せと言うのが中国の教えなのだ。
この法則はもはや「天命」であり、理解しないものは影響力を増すことはない。
正確に理解していたのは毛沢東ぐらいじゃないかといわれ、影響力が異なった。
周の時代から「場」を支配するのは常に「主」(他人・男)であるとされていた。
人々を飼いならすためには「ご主人!」という言葉を口癖にしなければならないほど、男が、カップルの「女の方」に話しかけるのは禁じ手とされている。
給料やオフィスはこれを知るだけで生み出されるのだ。
「天命」とは、「男が知恵や知識で他の男に勝る場合に、どのように男は他のカップルにアプローチするか?」という問題を知ることにあった。
これだけで、人々は「最高の英知」を見るために「天」を仰いだのだ。
中森明菜 デザイアー

墨子も「女を愛するのは自由だが、天命を知らないのならば大喧嘩になるだろう」としている。
指導者、つまり「天の息子」は、かならず「主」に話しかけることを心がけていた。
戦国時代には、女の奪い合いがまかり通っていて「天命」が分からなかったのだ。
叡智が積み重なれば「天」が形成される。
人々が「天を仰いで」そこに叡智が見えなければならないのだ。この「主」という概念を明確にしたのが儒学(論語)であり、墨家思想のように「女を愛する」
思想と手を取り合うように、天が形成されていった。
「なぜ人は殺しあうのか?」という問題意識から「主」というものが作られたのだ。
ましてや、女が処女(法)であるのならば、ますます「主」を理解することは必要となる。
道教の道的静(ドテチン)も散々、このことを歌っていただろう。
SPEED Deep Blue & Truth

荘子も、権威であるのならば「主」という概念ぐらい理解しておいてくれ、と言って、「政府よりも大事なもの」と考えていた。
それを「舜」が理解してくれないと、歌のモチーフにもできないだろうと考えたのだ。
学生さんは、踊り子ではなくお兄さんを狙ったはずだ。
これが、処女とのうまいかかわり方なのだ。
行政権というのは「天命」を知ることから行われるものだ。
荀子も「天命」に関しては同じ考えだった。
韓非子も「知識の伝わり方に関しては"主"という概念はどうしても必要だろう」と考えていた。
「唐」や「宋」の時代を経験して「王とはどのように作られるのか」が経験からも明らかになった。
「名のある人から"ご主人"と言われても悪い気はしないものだよ」
聖書における"Load"という単語にも「主」という文字が当てられた。
彼女連れの「男」という意味である。
しかし、朱子にせよ王陽明にせよ「解決したい問題があるから話しかけるんだ」としている。

中国の哲学を注意深く読んでみると、ドイツ理想主義や、フランスポストモダニズムなどの影響を受けていることが分かる。
しかも、ドイツ理想主義やフランスポストモダニズム、ギリシャ哲学には中国哲学のような、「明確な入り口」がないのである。
しかも、女が「主」人と家内と名乗ってもなんら失うものが女にはないことが分かった。
「主」に話しかけるのが男というものであり、女はそれを聞いていればいいだけだ。
むしろ、女は「主」にどう思われているのかを気にしていた。
なにしろ、旧字体で書かれているので、プロトサンスクリットが分かったし、朝鮮や日本に影響を与えた「アジアの文化」(シノロジー)が明らかになった。
ヒンドゥーの火の神(アグニ)とは何かも分かった。
「主」人に連れ添っている「家内」の研究が「アグニ」の研究であり、男同士では「女の話題」以外に、話すことは何もなかった。
しかし、「主」の「昔の女」の話はしてはいけないことは分かるな?
工藤静香 FUJUTSU

1670年代に、ヨーロッパのキリスト教圏が、中国への伝道を「鍵」(キー)と呼んでいる。
「アグニ」(家内)の話なら、我々もいくらでも提供できる、と考えたのだろう。
それ以来、150年間、ヨーロッパは「中の国」(中央の王朝)に関心を持ち続けた。
「主」人だけが、この伝道活動の安全を約束したのだ。
まるで、「天」を作る作業に似た「主」を作る作業が始まったのだ。
五万を越える「中国古典」から、中国語を丹念に学習し、「天」「主」はヨーロッパが作り上げるという構図が出来上がり、男を「木」と呼び、女を「日」と呼び、子供を「子」と呼ぶなどの「言葉の作法」を中国に合わせていった。
中国人はとにかく赤(朱)が好きだったため、これは男のことだろうとされたり、虫を愛したことからこれは女のことだろうとされたり、蜘蛛は子供のことだろうとされた。
中国人の感覚に耳を澄ませなければ、ヨーロッパ人は「天」「主」を作れなかった。
日本にものちのキリスト教社会の形成のために大きな影響を与えた。
嘘とは「無」と呼ばれ、学んだ男は「巫」と呼ばれ、話を「言」と呼んだ。
朱子のようにシルクロードから来る書物に学ぶものはいたが、ヨーロッパが中国への伝道を「鍵」をしたのは1670年代の話だったのだ。
一世紀に作られた「書文解字」から説き起こす作業をキリスト教社会は行った。
この、「天」「主」を作る作業があったからこそ、日本人は「天」を仰いだし、「主」を偉大な男と考えるに至った。
中国の「7千曲の歌」を一緒に歌うことも、中国の心を開かせるためには必要だった。
「子曰く」のように「先生」としての「子」はすでにいたが、ヨーロッパが作る「主」の方がより男性的だとも言われた。
「主」と「子」はどう違うのかと言われると、キリスト教か儒教かの違いだと言わざるを得ない。
日本国は「主」人を完全に受容するに至った。
中国人はとにかく「食べる飲む」が好きだった。
そのために「富」を保障しなければ、キリスト教を受け入れることはない。
「者」「也」などの文字の解釈に苦労したことは覚えている。
いずれにせよ、日本国にキリスト教がもたらされた時には「主」はあまりにも偉大な男になっていたし、「天」ははるか遠い場所にあった。
キリスト教社会は、いわば「社会学」とも言えるような「知の伝達メカニズム」を中国で実験したのであり、「主」人がいなければそれは不可能であったし、逆に「主」さえ理解すれば「天」にまで達する知の伝達が可能であることが分かった。
さらに、「中国さえつかめば」周辺国にまで波及することも明らかになった。
日本でも「論語の素読」で育ったインテリがキリスト教を受け入れていったのだ。
日本国においても、「中国の影響」を語らずに、キリスト教を語ることは困難であるし、中国で「主」は育ったことを知らないといけない。
もちろん「天」もそうだ。
日本国に「天」国がもしあるとするのならば、それは中国で育ったものだ。
「女の話ばかりしていたキリスト教社会」はこのようにして、偉大な「主」を作り上げたし、「天」国を完成させた。
髪の長い女ばかりいる社会が、髪の短い女ばかりの社会を経由して、日本国進出への活路を切り開いたのだ。

この、「ヨーロッパの知の伝達メカニズムが中国大陸を見た」という話で思い出すのが「コミンテルンが孫文を見た」という20世紀の話だ。
ジョージ・ルーカクスは、コミンテルンのメンバーとして「小説上の男」などの「男の研究」をやっており、また、「近代ドラマの歴史」などを書いている。
イケメンで、女たちに囲まれ、女たちは元アイドルであり、男を「神」と崇拝する、そのような新カント派ともいわれる「男」をコミンテルンは「実在するんだよ」として中国大陸に売り込んだのだ。
ドイツではハインリッヒ・リッカートが、ロシアではイェレナ・グラベンコが、このような男として名前が挙げられ、ハンガリーのベラクンなどに影響を与えた。
ルーカクスは、日本国にも「王子」と呼ばれる芸能人を作ったが(名前は周知のとおり)、中国にも「王子」と呼ばれる芸能人はいる。
両刀遣いで、発達障害の持ち主だった「王子」は、破廉恥な「共産主義の広告塔」となっている。
キリスト教の「知の伝達メカニズム」の研究を参考に、「もっとも危ない男とは何か?」を広めたのがコミンテルンであり、中国や日本に影響を与えたのは事実であるが、あくまでも、1670年代の「主」人、「天」国の研究ほどの大規模なものではなく、キリスト教が作り上げた「大人の世界」のちゃぶ台をひっくり返してやれという無神論の側面がある。
もし、「しゃぶらせるだけの男」を「神」と呼べないのならば無神論だろう。
「危ない男」というのは「俺も俺も」と男たちが言い出すために「全体主義の克服」とも言われた。
しかし、ミッドナイト・カウボーイのように、女たちも「クリエイトするのが楽しかった」と語っている。
しかし、祭り上げられるほうの男は「僕、このままじゃダメになると思った」「一歩間違えば人を刺していた」などと語っていて、本当の危険性を持っていた。
一気に「暴力の引き金」を引く危険性があったため、この力を「革命の原動力」と呼んだ。
参考にしたのは「危険な経済学者・マルクス」であったが、のちの時代は「新カント派」つまり、女性芸能人たちの「王子」を「暴力革命への突破口」にしようとしたのだ。
ミッドナイトカウボーイ

「ぶっ壊したい体制」があるとするのならば、理論は整備されていたが、なにしろ「現在、仕事がうまく行っている」などの連中が広範囲に存在した場合に憎まれてしまうことも分かっていた。
しかし、「女心を定義する」ことを「政治」と呼ぶのであれば、それはキリスト教であり、「ご主人」に語っていればいいが、それを「男らしさ」(宗教)に変えてしまうと、これだけの、影響力をもつことも分かった。

曹操と、彼の息子が漢を滅亡させたのち、317年に「南京」が作られている。
この時に、中国は「南北」という区別が生じている。
南の方で「女性ボーカル」「アマテラス」「マリア」というものが生まれたと考えられている。
「女心を赤裸々に歌う」ことは「ピュアトーク」と呼ばれ、かなりセンセーショナルなものであった。
そもそも、「魏」という国そのものが「ピュアトーク」による資金力を背景に作られたという側面もあり、女性ボーカルは「上流階級」であるとも言われた。
当然、魏志倭人伝にある卑弥呼にも影響を与えたことになる。私は、新井白石なども「いい匂いのする女は九州にいる」という発言などと同様に、
邪馬台国は九州にあったと考えている。
日本でいう紅白歌合戦が、中国では「南北」で区別されたことにもなる。
曹操の軍事攻撃は「速くて広かった」と言われているが、そのお金は「ピュアトーク」から捻出されていたのだ。
中国南部で「髪の長い女をセールスにかける」ことが行われたのだ。
これは「論語」とは距離を置いた、「子供の頃にお父さんとお風呂に入らない」文化が中国南部に生まれたことを意味する。
ファンビンビン CM

中国南部で「お父さんのおちんちんすら見たことがない」女が生まれ、
これを「無」と呼んだ。
男の子も同様だった。
「世界新書」と呼ばれる書物も記された。
「無名」と呼ばれる「四文字」も考えられた。
アイドルのイベントで「四文字」を叫ぶとボコボコにされるのは「魏」の影響である。
いずれにせよ「新・道教」と呼ばれたのがこの「ピュアトーク」であった。
日本国でも、おニャン子クラブの時代は「中国南部」の影響が強かったが、90年代の「アイドル冬の時代」は、中国北部の影響が強まったものと考えられる。
タバコを吸う(気)ようになったらアイドルに興味がなくなったという男が多かった。
アイドルは「男の子になりたい」などとは思っていなかったので、タバコを否定したのだ。
CoCo メロディー

いずれにせよ「ひとつ」とは、男の言う「セックス」のことであり、女から見ると「ふたつ」に見える。
男が「ひとつになろう」ということは「女の局部」を見たことがないという意味であった。
髪の長い女をセールスにかけるのにはもっともふさわしいメンタリティーであり、曹操の軍事力を支えた。
南から北に風が流れることを「自然」と呼んだため、勉強というのが本来の意味である「ネイチャー」という用語が日本では混乱した。
北部の男も「南からの風」の影響を受けながら勉強したからだ。
三国志においては「張飛」が「ピュアトーク」に詳しいとされている。
一騎当千とはあくまでも「論客」という意味であった。
富家とよばれる劉備に仕えたのだ。
富家は「北と南」の双方を睨んでいた。
魏は、確かに中国北部にあっただろう。
しかし、「ピュアトーク」を巧みに用いたことから、呉や蜀と対立したのだ。
「我々の方向に風が吹くのは"自然"である」という立場であった。
呉には「ただのオタク」しかいなかった。
高橋由美子 ときめき

中国で「舜」が神とされたと語ったが、多くの人の「心」と接すると、モテる男から「女」(理)を遠ざけてやれという周囲の思惑が明らかになる(天人合一)。
女を周囲から遠ざけられた舜が、「南からの風」の影響を受けないわけがない。
無駄にマスターベーションをする「是」と、周囲の女から見える男の魅力(然)はここで大きくかけ離れた。
この「是」と「然」が歳月を経て和解し、セックスすることを「物」と呼んだ。
「唯物論」というのは「セックス至上主義」という意味であり、アイドル崇拝も含むし、かなり老成してからセックスする男が取る立場であった。
セックスしたからといって「僕はもうアイドルは愛せない」というようなものは「唯物論」とは呼ばない。
芸能の生み出す「富」に常に神経を研ぎ澄ませているのが将軍なのだ。
11世紀ごろには、だいたいこのような「勉強と資金集めの方法」はまとまってきて、安定した国家統治が可能になっていた。
昼間から風呂に入っている王子がいるという「名」に、一流大学に合格したなどの「実」がともなうようになる。
舜でないものは勝手に恋でもしておけばいいだろうし、舜にとっては、あたりまえ(常)のことが、学業を成し遂げることであった。
無駄にマスターベーションをする「是」と、周囲が女を遠ざけようとする「非」は、周囲の男のお洒落(辮)などでコントロールされた。
舜が「お洒落をしないからいじめる」などという口実が作られたのだ。
名家は「いつ、舜は現金を動かし始めるのか?」を見ていた。
音楽作品の解説(言意)を知るのは中年になってからじゃないか?と言われたのだ。
音楽作品の「名理論」は読まなければ分からない。
しかし、「南からの風」はすでに生まれていたのだ。
中国北部にとってもいい知らせだった。
恋と愛のニュアンス 酒井法子

王陽明は、恋話を女の子たちに話して聞かせられるような腕を磨くことを「知行合一」と呼んだ。
心を知るという意味では「心学」とも呼ばれた。
17世紀には「東林書院」という学校もでき、「実学」を教えた。
毛沢東も東林書院出身である。
舜はそのようにして資金集めをすればいいだろうが、華厳宗にせよ唯識宗にせよ天台宗にせよ「娘はこんな恋愛をしているのか」という「お父さんの立場」から芸能と向き合っていた。
「誠」とは真摯に娘と向き合うお父さんのことを言った。
太極などもその教えを基盤にしている。
いずれにせよ、「南からの風」は、中国古典の「漢代以降」の書物で明らかにされている。

日本国の「国学」は、「日本国は中国よりも優れている」という立場に立つ。
契沖・賀茂真淵・本居宣長・荷田春満・平田篤胤の五名が「ソフトパワーが違う」ということを強烈にアピールした。
美少女戦士セーラームーン

契沖は「和歌」を書き、七五調を生み出した。
国学の伝統は七五調にある。
荷田春満は、林羅山ファミリーが幕府で実権を握ったことに対抗するために儒学ではなく「神道」の確立を行おうとした。
和歌と神道に力を貸したのが賀茂真淵である。
中国語とはまったく異なる「現代日本語」を提示したのだ。
「漢文」から離れることはかなり野心的なことだった。
本居宣長は「女神」というものを作った。
平田篤胤も「真(まこと)の神道」とよばれる「ソフトパワー」を作るのに尽力した。
あおしまメグ

アニメの力によって日本国だけが「貧乳」「髪が短い」女性を「女」にすることを知ったのだ。
お風呂という文化との共存がこのことから可能となり、お風呂は欧米の医学でいう「ステロイド剤」つまり、脳腫瘍には効くわ、疲れは癒えるわ、失明をなくすわ、多くの恩恵を日本国にもたらした。
アニメを女の子が見るだけで周囲は長生きが保障された。
これが「国学の奥義」である。


本居宣長は、古事記という日本で最も古い書物を参考に、女性たちの支持を集めて回る「帝の息子」を源氏物語によって描いた。
万葉集が、まるで「中国北部」のように男性的であったのに対し、「新古今集」においては「中国南部」のように女性的な詩を描いている。
新古今集においては、女たちは「源氏の君」のことを歌にしたため、キリスト教における「ヨハネ」、中国における「舜」とならぶ「歌のモチーフ」が源氏の君となった。
万葉集に比べて、新古今集は「雅やか」であるとも言われた。
木や鳥、猛獣、惑星、海、山といった「男たち」のすべての「序列」を作るのが「女神」だった。
女神に「女として最高の存在」と言わないと、世の中の男社会での序列が上がらなかったのだ。
源氏の君の「神の道」に、800人の男たちがしたがった。
見る目、聞く耳、話す口、歩く足、作業をする手があれば、あとは「女たちの支持」があればいい。
もっとも「アマテラス」に詳しかったのが「天皇」であり、太陽神であるアマテラス(女神)の支持を集めた。
本居宣長は「漢心なしと思えど、文ら読む人の心はなおぞ漢なり」とし、儒学の排除をすることは日本国にとっては困難であると考えていた。
「汚国、黄泉の国辺いなしこめ、地よとことわにこの世のもがも」と詠み、まるで、泥にまみれた世界に蓮の花が咲いたような「女性観」を政治の世界で表現した。
男だけでは序列が決まらないという現実的な問題があったのだ。
松田聖子 夏の扉

本居宣長が死んで2年後に、平田篤胤は本居宣長のことを知った。
宣長の息子の春庭に頼み込んで「宣長学派」に入門を許してもらい、「源氏の君のように生きるんだ」と決めた。
豊かな食事と、酒、そして「愛と情熱」があった裕福な家庭に生まれた篤胤ぐらいしか真似をすることはできない生き方だった。
平田篤胤は健康にも恵まれたため「人の心」を知りたいという欲求もあった。
平田篤胤(1776~1843)が、「源氏の君」としての生き方を真似しなければ、新井白石や逢沢正志斎が「将軍家の統治権は天皇に由来する」と考えることはなかったであろう。
宮負定雄(みやひろさだお)が、京都の「平田篤胤の生き方」を関東地方に広めた。
「宮さまってモテるんだってね」
農業葉集というものが作られ、農業をやる若者も、女たちとの共同作業で「モテる」ことを目指し始めた。
イタリアにその「日本の農業の実態」が紹介されている。
苦い米

黒船来航とは、実際は「港を開いた」から船が来たのであり、高須藩の松平義健や、津和野藩の福羽美静、平田鉄胤をの三名を三条と呼び、岩倉具視が主導する形で、美しい女を松尾大勢子が演じる形で「国のカタチ」を変えていった。
松尾大勢子が見たのも「詩のセールス」であった。
松田聖子 天国のキッス

明治維新のプロセスの中で「神道」というものが形成されてきたのであり、「政治ってこうやるのか」ということを人々が認めていく過程でもあった。
大国隆正や福羽美静などが、平田篤胤の人生や松尾大勢子の詩に影響され、明治維新以降も、「常に詩のモチーフ」にされる男が「時代の寵児」であり「源氏の君」であるとし、しかも、源氏の君は「詩のセールス」を常に引き受けなければならなかった。
「本学」「本つ学び」とも言われ、「勉強する男を褒め称えよう」という意味でもあった。
アマテラスと御金(おみかね)は政治の世界では区別できない。
女心を明らかにしたものがお金を手にしていたからだ。
王子様と雪の夜 タンポポ

中国戦国時代(紀元前453~221)の後半に、影響力を持ったのが「法家」である。
法といっても法律を作ったぐらいで治まる連中ではなかったため、「処女がセックスさせてくれなくなるぞ」というところに秩序の源を求めた。
王は、贅沢をしてわがままを言っては孤立していたが、庶民はそうではなかった。
暴れん坊の王に「処女がセックスさせてくれなくなるぞ」というのは非常に有効だったのだ。
韓非子などの論客がおり、漢の時代に司馬遷が、その有効性を高らかに歴史書に記した。
混乱した時代や、無秩序な状態が存在する時には「処女がセックスさせてくれなくなるぞ」というのは非常に有効な立論だった。
春秋(紀元前770~453)と戦国の区別は「法家」の影響力で区別される。
孔子(紀元前551~479)、墨子(紀元前460~390)、老子(紀元前4世紀)も、常に「処女」というものが念頭にあった。
お父さんとお風呂に入った女は処女と言えるのかと孔子は考えたし、処女を愛する気持ちを利用しようと墨子は考えたし、処女に歌を歌わせてやれと老子は考えた。
これらの議論が成熟していくのを踏まえた上で、法家という学派が誕生したのだ。
処女を口説くのは難しいぞ?ということからも学問が発達している。
恋するフォーチュンクッキー AKB48

孔子や墨子は「処女ではなくなる女たち」に柔軟に対応できたが、法家は柔軟性に欠けた側面があったことは指摘していい。
しかし、男たちが処女に抱く「情」というものを利用したことは非常に高く評価できる。
国を強くすると民が弱る(富国強兵)。
しかし、飛ぶ鳥や走る動物のように自由な男たちを「弱らせる」のは処女への「情」だった。
王はともかく、庶民は処女とセックスすることが自由であった(愛民・利民)。
これらの法家の教えが、アメリカ合衆国や日本国で再認識されたのは実に21世紀に入ってからであった。
なにしろ、中学校でもその他の医療施設においても「暴力を使ったものが群れの主」という発想が抜けきらず、有効な立論が困難な場面が多かったからだ。
「処女がセックスさせてくれなくなるぞ?」と言える政治家を「公」と呼んだ。

実際の、自由民主党の政治家の仕事は「女と話して回る」、時には「ご主人」(主)と話して回ることである(支持者めぐり)が、表のテレビの画面で見える「政治家像」を真似しようとするのは「新左翼」と呼ばれるものだ。
新左翼が選挙の当選者を出すことはないが、いわば「自由民主党の犬」として、文藝春秋や論座、世界などの読者層になることになる。
新左翼は「俺でも政治家が務まる、でもどのようにしたら当選できるのかは分からない」という男を生み出し、いわば「政治家の卵」と呼ばれて女たちの「恋」の対象となった。
「大人になっても大言壮語を吐きたい」という保守の論壇もマーケットは新左翼の若者なのだ。
しかし、若者は「ヘーゲルからマルクスへ」「新左翼から本物の政治家へ」と変わっていけるだけの時間があった。
政治家が演説する話を聞くというのはソビエト的、共産主義的、ナチズム的なものであったが、「スターリンになりたい」というのが雑誌の起源だとも言われる。
トルストイも「パルチザンレビュー」でぼろ儲けした。
「俺、秦の始皇帝ですよね」「坂本龍馬ですよね」「上杉謙信ですよね」というような新左翼は嫌われ者でもあったが、大人たちがこのような「新左翼」のニーズを狙わないわけがなかった。
逆に、「女の子たちと話して回る」「ご主人と話す」よりも「新左翼のニーズ」を狙った方がカネになるという現象も起き、天下国家を語る政治家もいた。
しかし、「恋の話が抜群にうまい」男を「政治力のある方」として恐れていたようだ。
「個と公」を区別すると政策から女が排除される。
つまり、個でも公でも女たちとよく話をする男が資金集めが得意だったのだ。
新左翼のマーケットを狙った論文が国に衝撃を与えることはない。
新左翼(政治家の卵)の世界は「若さ」がモノを言う世界だ。
「ヘーゲルからマルクスへ」さえ覚えておけばいい。
偏差値BOY うしろゆびさされ組。
金融の起源は、ミレトゥスのテールズにある。
オリーブ栽培を職業とし、「オリーブは来年は豊作だ」と少しのお金を払ってマスコミに書かせ、本当に豊作だったらマスコミから多額のお金をもらうというものだった。
一方、イエスも「神聖な書物を書いているのだから、宮殿を掃除してくれ」というファイナンスの方法をとった。
「世の中の論点がまだ議論尽くされていない」と考えた財務省が、お金を出したのだ。
お金の役割は「女に食べ物を与える」「金額が数えられる」「他の女にも通用する」というものだ。
高価な金属でも、貴重な貝殻でもいいが、この三つの役割を果たすのは難しい。
1700年代にイングランド銀行が「銀」を用いてコインを作った。
1936年のケインズはこの程度の理解だった。
秋の貝殻 クレア

一方で、お金というのは「社会契約」つまり、「女子高生のうちはセックスはしない」などに由来するものではないかという議論もある。
19歳になったらシルバーリングをあげるという言い伝えがあるのだ。
シルバーリングに口づけを Melody

1971年のアメリカ合衆国の「金兌換制廃止」まで、このような「フィアットマネー」、つまり、19歳になったらフィアットを買えるという女の子がいるという立場が存在したのだ。
「制服を着た女の子は処女」という絶大な信用がなければ成立しない話だ。
あるいは、「注目すべき人物にお金は集まる」というより現実的な議論もある。
そののちに「有効に支払うとは何か?」「効率的なお金の使い方とは何か?」が研究されただけなのだ。
貯金をする人もいれば投資をする人もいる。
借りる人もいれば会社もある。
銀行もあれば株式市場・債券市場がある。
「注目すべき人物」から、商業銀行・保険会社・投資ファンドが生まれた。
中央銀行や財務省のような「統制」を行う存在もできた。
銀行口座や債権、株式、将来を見据えた資産などが生まれた。
人々が言動に注目するイエスのために「不動産」は作られたし、このような金融メカニズムを通じて周囲に拡散して行ったのがお金なのだ。
将来、支払うお給料を全額CDOという担保にしてしまう企業もできた。
値段というのはどうしても「彼女が喜ぶ」かどうかで決めてしまうだろう。
世の中全体が「美」を探究し始めたら、バブルが起きる。
やはり、イエスは「女たちの相談に乗るのがうまかった」から世の中の注目を集めた。
女社会では「パンが食べたいよね」という表現に端的に表現される。
信用レーティング会社の信用が高かったのだ。
2008年にクレジットクライシスが起き、「今現在、イエスが誰なのかは不明です」と世界が言った。
「支払う」「有効に使う」お金の発信源が誰だか分からなくなったのだ。
恋愛マーケットに効率性を求めるのは危険だ。
恋愛マーケットが複雑だからこそ、イエスはシカゴブルズの監督みたいな「複雑なフォーメーション」を実践できるのだ。
「誰もが似たり寄ったり」ならば、世界は金融危機に陥るだろう。
債権やオプションは「イエス」「注目すべき人物」「医学・哲学の専門家」がいなければ成り立たない。
「お金があれば自分への批判をすべて封じ込めることができる」
これが、お金が「諸悪の根源」とされる理由だ。
自分のフェティシズム次第で女をとっかえひっかえというのが諸悪の根源だとされる。
しかし、医学というのはどの男に対しても平等だった。
いつか「ギャンブル」をやらかすのが「時代の寵児」というものだった。
だんだん「自分のリスク」が高くなるのを感じるものだ。
女の子と話して「幻の恋人」の対象になることで満足したカント以来、時代の寵児は短命に終わるようになった。
カントが「最後の皇帝」だったのだ。
「イエスが興味を持っていること」に家族や友人は身近に接している。
しかし、それではイエスの命が危険にさらされるだろう。
インターネットで公表しているうちは命は安全だ。
インターネットの世界が2008年に「覇者」を見失ったのは事実だ。
しかも、有名になる人がたちまちフェティシズムに走ったり、ギャンブルをやったりしてきたのだ。
最後には東京地検特捜部に狙われて終わっている。
「信用できる男」がかなり頑丈ならば、お金というのは「為替の安定」「雇用の安定」をみながら「自由に刷れる」ものだ。
日本国が今後、世界のGDPランキングを下げていくとは誰も思っていない。

日本の「美」というものは「無常」つまり「常に変りつづけていくこと」を発信源とする。
松田聖子 制服

そこで、最初に出てくるのが「もののあわれ」である。
もののあわれとは「パトス」つまり、男を殺そうとすると何か面白いことをやるというところにある。
紫式部の源氏物語も、平家物語も「もののあわれ」つまり、男たちが「死に直面して」いろんなことをやったという物語だ。
祇園精舎の鐘の声にすべての男たちが怯えたのだ。
化野(あだしの)の露や、鳥辺山の煙にたとえられた。
その日その日、生きていることに喜びを感じるのが「もののあわれ」であり、充実した男に「美」を見出したのだ。
小津安二郎は、父と娘がたたみの部屋に眠っていても「何も起きない」ところにもののあわれを見出した。
源氏物語の紫の上のように源氏の君は、毎日が充実していたし、女に困っていなかった。
一方で、満開の桜を待つように紫の上は眠っていたのだ。
アンブレラエンジェル

「ワビ」というものは、単純さを意味し、シンプルな部屋で、「有名な」家族と食事をともにし、時には酒を飲むことを意味した。
偶像崇拝と呼ばれるキリスト教文化は、日本においては「当たり前のように家族にいる」ものであり、ごく日常に、そのような人と食事をともにしているというところにある。
倉木麻衣 Secret of my heart

ワビというものは、非常に楽しいものであり、デジタルイメージが作られた有名人が素に戻って日常生活を共にすることにある。
時には「有名人の面影」を見せることもあるし、逆に、世の中には知られていない有名人の側面を知ることもある。
「サビ」というものは、有名だった家族が、やがて月が陰るように人気がなくなっていくことを意味する。
日本とアメリカほど「電気を無駄遣い」する国はないとも言われ、その電気の輝きが失われていく有名人を目の当たりにし、家庭内が大きな学習をすることをサビという。
幽玄というものは、有名人が人気がなくなった姿を「秋の紅葉」にたとえて、誰もがうろたえることなく、ひたすら山のように動じない姿を言う。
女たちはヒステリックにわめいたりするが、男はまったく動じない。
その幽玄さえあれば再起の可能性はいくらでもあるのだ。
「イキ」とは、ヨーロッパやアメリカと関わるものだ。
甘味と渋み、上品と下品、派手と地味、すべてはヨーロッパやアメリカと日本を比較している。
外国への憧れがなければ、つまり「イキ」がなければ生きていけない日本国の宿命を示しているし、「イキ」が日本の「美」であるからこそ、アメリカ高等教育を受けた人間を「洗脳である」とする朝鮮半島と、「美である」とする日本は国力が異なった。
音楽作品の完成度が異なるとも言われる。
「キレ」というものは、家庭内の有名人が「初体験」を利用していることを示している。
アメリカやヨーロッパに精通していないと、日本人はこれ以外に「他人との違い」を表現できないのだ。
高橋由美子 ときめき

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