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Foreign Affairs

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2018年11月23日 (金)

映画作りの基本。

1277年に、パリのステファン・テンピアー枢機卿が「219の単語の解釈の誤り」を指摘した。
たとえば、理性=女の体、道徳=仲間作り、商品=女の体という具合に、ローマ法王ヨハネ21世の「誤り」は実に219にも上った。
これが分からないのならば、世界が間違いに気が付かない、ということをテンピアーは明らかにしたのだ。
心=いじめられる人 体=いじめ集団、ということも知らないと動画も作れない。

神 世界
男性 女性
いじめられる人 いじめ集団
女の体 情熱
白 黒
異性愛 同性愛

この「二元論」が理解できないのであれば、いかなる動画も作れない。
神と世界から始まる「6つの二元論」を巧みに操らないと、「男女の交わり」を表現することはできないのだ。

いじめ集団から特定の「女」をクローズアップする。
AKBという「同性愛集団」が「先生(異性愛)」を歌う。
「teacher teacher」といって足を上げる瞬間、
「黒が白になる(神)」「女性から男性になる(神)」
「特定の女ではなく全体のいじめ集団を映し出す(世界)」「女の体が情熱を示す(世界)」
「同性愛を協調することで(世界)、画面全体を神にする」
という作り方をする。
AKB48 teacher teacher

結局、ステファン・テンピアーは、ローマ法王と喧嘩したものの、自分の知識を秘密にせずに、ローマ法王に伝えたことは、「カルヴァン派が得をしただけだ」とも言われた。

ハロウィンナイトでも、サビの部分で「いじめ集団」という全体像を映し出し、画面全体を「神」としていることが分かる。
AKB48 ハロウィンナイト

いずれにせよ、心=いじめられる人、体=いじめ集団
という「単語の意味」が分からなければ、「神と位置づけたいシーンで全体像を映し出す」という発想は生まれないのだ。

常に全体像を写した場合(神)、全知・全能・全知全能であるが退屈だろう。
SEXY BOY~そよ風に寄り添って

心=いじめられる人。体=いじめ集団、の区別をするだけでこれだけ違う。
SEXY BOY~そよ風に寄り添って

これさえ理解すれば、
①ナレーション。
②クローズアップ。
③フラッシュバック。
④フェードイン・フェードアウト。
だけで映画を作ってしまうツワモノもいるのだ。

なぜ、人々は「神」を必要としているのだろうか?
それは「勝負事に強くなる」ためである。
賞賛、崇拝、愛、喜びだけでなく、失敗談などの告白や嘆願なども勝負事に使う。
父親に認めてもらう(タバコを止める)という「最高善」が目的なのだ。
ブッダは「仲間作り」からドラマを作ることをはじめている。
ブラフマンは女たちにモテたし、アドヴァイタの教えを丸暗記していた。
ヴェダンタという教えも存在し、いかに「神」をスクリーンに映し出すかの研究が仏教で行われた。
「自我をなくせ」とは俳優や女優に言ったものであり、ウパニシャッド哲学である。
日常生活においても、まるで俳優のような人間になることだった。
神は妬まない(今がすべて)、しかし、さまざまな「文化」をクリエイトすることができる。
2006年のスーパーボウルでピッツバーグスティーラーズを王者にすることができた。
スーパーボウルともなると全米規模の映画が必要だ。
オーディションでは「やり残したことがある」(殺したい人がいる)という人物は排除した。
怒りは俳優・女優には必要ではない。
怒りがあるのならば仕事をしたほうがいい。
愛と喜び以外に必要がないのだ。
「すべてのスタッフのサポートとエネルギーが自分に集中される」そのためには怒りは必要ないのだ。
神という概念が一番人気があるのが「仏教」のように「役者が演じる」というものである。
役者は「自我をなくす」ことによってウパニシャッド哲学を実践する。
キリスト教においてはイエスは「おお、父よ!」といって泣いたこともあるほど「神」というものは完成度が高かったが、その道への困難さを示している。
イエスのように「おお、父よ!」と泣いて、一度は周囲に見放されている男をふたたび信じることはできるのだろうか?
「苦のない世界」というものがあると思うだろうか?
イエスの苦しみ、仏教の世界の「自我をなくす」苦しみ。
なぜ神は「悪」を容認したのだろうか。
女たちにアクセスするためには「俳優」になるか「イエスキリスト」になるかのどちらかしかない。
「演じる」か「苦しむ」かのどちらかなのだ。
どうせ苦しい人生だ。すでに完成された「神」というものはいてもいいだろう。
神なら助けてあげられる。しかし、一度信用を失ったイエスを周囲は信じるだろうか?
キリスト教社会の「神」は、メジャーな修行を経ているために、完成度が高いが、仏教の世界の「神」(仏)が断末魔で苦しんでいても「助けてやることはほぼ不可能」と言うしかない。
仏教社会の「神」(仏)にはある意味「狡さ」が存在し、イエスキリストはタバコを吸って諦めるしかないことがある。
松田聖子 赤いスイートピー
アンナにとっては「仏教界の神」である人間を、「キリスト教界の神」が「治してあげるから電話番号を教えてくれ」と言っても、仏教界は「どっちらけ」なのが現状であり、アンナは「キリスト教」的治療を仏教界の神に教えることを拒絶するだろう。
キリスト教は明らかに「メジャー」であり、イエスは「おお、父よ!」と言って泣いたことがある。
あるいは、アンナは「イエスが仏に報復する可能性」すら疑ったのかもしれない。
エリエリ、レバサバタクニ、なぜ、弟子たちを見捨てたもうか
仏なんてものは、いざとなったら駄々をこねて暴れるだけだよ。

「勃つ男」
男にはおちんちんがあり、しかし、それが時には「勃起」するのだ。
日常的に「女たちの声」を聞いていなければ勃たないし、男女の共存の世界において「自分が頭を使った」経験がなければ勃たない。
男には勃起があるし、女には「ある種の勃起」がある。
非常に「前向き」な異性の言葉を聞かなければ男は「勃起」しないし、女も「ある種の勃起」をしないものだ。
水と水素、銅とエクトプラズムの化学反応だとも言われる。
おちんちんには「水と水素」はあるが、女の体(銅)と、女の前向きな言葉(エクトプラズム)がなければ勃たない。
女性ボーカルが無性に聴きたくなることがあるが、背景には「周囲の心無さ」があるものと思われる。
そのような意味では、女の子の「ある種の勃起」のためのジャニーズも否定するつもりはない。
パフューム エッジ

女たちの「罵声」しか聞こえなかったら、オタクカルチャーに身を投じる男もいるだろう。
フィギュアを持っているのならば「女たちからの罵声」を聞いている男だと判断するしかない。
巨乳ではあるが髪の短い中川翔子がオタクカルチャーに身を投じたのは女としての「ある種の勃起」を経験したいからであろうし、「痛い」からであろう。
父が娘に子供を産ませる事例は加護亜衣や中川翔子などが挙げられる。
「男は賢いほうがいい、女は美しいほうがいい」というのならば、いちばん身近なのが「父と娘」ではないであろうか。
しかし、「母親とクラスメート」がいるではないか。
東大に入るのは案外難しい。
おニャン子クラブ ショーミキゲン

「父と娘」が「男は賢いほうがいい、女が美しいほうがいい」という条件を満たしてしまった。
女の子は、「お母さん」がいたし「クラスメート」がいる。
この構図があったから、思春期の女の子は「恋の話」が大好きなのだ。
「ひとつ屋根の下」に暮らしていたら、学校に行くか仕事に行くしか男には手段はない。
それ以外は、女の家族の罵声しかない。
すべての家庭が改革を望んでいるからである。
「あの男は勃起するよ?」
女たちはそれだけで略奪愛をした。
勃たないから変態プレイをする男がいたのかもしれない。
愛が止まらない WINK

「舜」は家庭内の王子さまだったから、「ヨハネ」はイエスを間近に見ていたから、「源氏の君」は、王子さまであり、イエスを間近に見ていたから、カントやヒュームの研究をする余裕があった。
それ以外の人は、勉強なんてとても無理なのが「子供が育つ環境」なのである。
ヒュームは「勃起する男になるためには、幻は絶対に必要だね」と語った。
アクィナスの思春期はこのような音楽作品が「幻」となっていた。
うしろゆびさされ組 上手な恋の飲み方

この時期の「伸びしろ」を使わない指導者はどの分野にも存在しない。
幻を持っている男とそうでない男は、そもそも「伸びしろ」が違ったので、特待生になるかそうでないかの違いがあった。
父と娘の関係から、クラスメートの男子を探していた女の子は確かにいたのだ。
しかし、優秀な男は「幻」をもっていた。
CoCo メロディー

勃つというのは、「女をモノにする」ために必要なことであり、「所有」の起源でもある。
「お前は俺のもの」(人格否定)とは「愛し合う」ために必要なものだ。
勃つ男ならば、「幻」をもっていた時期があるということであり、周囲はその男が「色」を変えていくのを待てばいいだけだ。
アレグロからアンダンテに変るのを待つのだ。
十代の「アレグロ」は、人生の終盤にかなり成熟したものになるだろう。
十代のうちに何も成し遂げなかったのならば、人生の終盤の「アレグロ」には期待できない。
「勃つ」ということはそれほど人生に深い影響を与える。
しょぼい十代に、しょぼい勃ちかたをしているのならば、人生の困難には立ち向かえない。
「頭の使い方」は人生において常に「十代」と比較することが可能だ。
21歳になるまでは「教わったことしか分からない」が、何に影響されたのかなどは若者によってそれぞれ異なるのだ。
いずれにせよ、十代で「勃つ」という経験をする以上、そのアレグロはのちのアンダンテやアレグロに影響を与えざるを得ない。
部下を大勢引き連れる男になるのか、一匹狼になるのか、しかも、女子たちがそれに恋したではないか?
コカコーラさえ飲み続ければ、そのアレグロやアンダンテがしぼんでしまうことはない。
ひたすらハートを強くもてばいいだけなのだ。
どういう「勃起」の仕方をしたのか?十代の経歴は非常に重要な意味を持つ。
アレグロを聴いただけで席を立つ人もいるだろう。
チャイコフスキー交響曲第五番

男は、化学の周期表では「O」(勃つ)か「H」(勃たない)かのどちらかしかない。
人生において多様性のある男でも、大雑把に区別するとこの二種類しかない。
「所有」する者とそうでない者という区別でもある。
「盗む」「借金癖」などは「勃たない」男に特有の症状である。
男は「勃起」さえすれば、「なんでもしてあげたくなる」女というのは必ずいる。
パートのおばさんなんてのはそれで働いているんだ。

【半月板損傷の方へ】
半月板損傷は、「女性の細胞を男性の細胞に入れ替えろ」という奇妙な翻訳が医学書に出てくるが、本当にそのような手術をするのであれば、最悪な結果が待っている。
実際は、「女性的な歩き方を、男性的なものに変えろ」という意味なのだ。
おばあちゃんを最近亡くした、などの心当たりのある人は試してみて欲しい。

勉強で勝つためには「歩く」」必要がある。
遺伝子は「父と母がともに螺旋のように絡み合って」できている。
モンローウォークは「遺伝子覚醒」の基本だ。
モンローウォーク

祖先からの「教え」を聞きたければ、歩く時にまるで自分の腰の周りを時計回りに何かが回転していることをイメージするのだ。
この時に、DNAとミトコンドリアが対話している。
デューク更家

遺伝というものは「歩いているだけで絵になる男」を生み出す。
この時に「エピジェネティック変異」が引き起こされているからである。
神社などの「パワースポットを歩く」だけで、人格的統治者と歩く人は「似てくる」とも言われる。

歩き方を「モンロー・更家説」にたつか「回転説」に立つかの違いが存在する。
「回転説」はこれを参考にして欲しい。
小野光太郎 腰痛の治し方

回転説は、「歩き方の基本すら禁固刑を受けるなどして忘れた」という人生経験からしか生まれず、禁固刑は「名誉刑」とも言われる。
そのような人が、「子供に伝える」というのが陸上競技の伝統だったのだ。

歩き方(走り方)で回転説を採用し、腰の周りを時計回りに何かが回転しているというイメージを持つだけでスポーツが得意になり、勉強の成績が上がった。
つまり、「異性からの声援」が変わったのだ。
しかも、神社仏閣という神聖な場所で「回転」を行なった。
「御利益とはこういうものか」と思った。
学業成就や恋愛成就などである。
「知る」ということは「男らしい営み」である。
女子たちの声援が必要なのだ。
スポーツが得意なのは必要なことだ。
いずれ「女心」にも詳しくなるのだろう。
「あいつ、とにかく変わったよな」周囲は彼のパワーをそのように語った。
うしろゆびさされ組 渚のカギカッコ。

女性たちは、「回転説」に立脚する男は「スポーツができて口説くのうまい」とし、セックスが気持ちよくなったと証言している。
これも、神社仏閣のご利益と言える。
男の歩き方と、女の歩き方が異なるのは「ハードタイプ」と「ソフトタイプ」としか言いようがなかった。
ソフトタイプのマリリン・モンローは、アスリートではなかったし、女らしくはあったが、決して、何かの実績があるわけではなかった。
しかし、ハードタイプのジョー・ディマジオとのセックスは気持ちが良かっただろう。
「モンロー・更家説」に立脚する女と、「回転説」に立脚する男がいたのだ。
「回転説」に立脚する男は「タイムを見れば明らかじゃないか?」とハードタイプの正当性を主張した。
「特殊訓練を受けたんだ」
しかし、「女らしさ」「ソフトタイプ」も一概に否定はできないのだ。
「腰の周りを時計回りに何かが回っている」
それは神社仏閣では「神からのメッセージ」ではないのか。
「の」の字に歩けと言われていたが、「腰」のことだったのかもしれない。
ボルト 世界新。

いくら「モンローウォーク」が女らしいといっても、「回転説」は、高度な学習であり、財産であり、お金である。
「女らしさ」も必要な女性もいるだろうが、それは、財産でもお金でもない。
「技術的に発見されたもの」が「回転説」なのだ。
なにしろ、スポーツができる人は勉強ができる。
「モンローウォーク」をする女性が勉強ができるなどとは思っていない。
1847年にジョージ・ブールが「男女の明確な違い」を男女共学の学校で見つけている。
運動ができない女の方が男に人気があるという現象も見られた。
女性アスリートは、そうでない女よりもセックスから遠ざけられたのだ。
回転説とは何か?
貴乃花 感動した!!(40分過ぎから)
貴乃花みたいな根性は通常の人間にはないから、痛み止めを飲むしかないだろう。それも「オペ」だね。
チャールズ・パースも、キスをしただの何だのと「運動ができない」女たちが語り合っているとしている。
女性芸術は「モンローウォークをする女たち」から生まれていたし、当然、「回転説」に立脚する女性アスリートも、お金の出所は女性芸術にあったため、運動ができる女とできない女は共存せざるを得ない。
フレッジは、しかし、「運動ができない女は、性の問題で運動ができる女の足を引っ張っている」と指摘している。
しかし、シュレーダーは、大会とかがあってそんなことは女性アスリートは気にしていないとしている。
女性アスリートは「男たちの声援すら気にしていない」としたのだ。
「男目当てで走るのではない」
このことをシュレーダーが指摘している。
自転車通学 森高千里

「タイムがこの世界のすべて」だと思わせることが女性アスリートには必要だったし、ホワイトヘッドは「香水をつけた女が回転説をとることは想定していない」と語った。
特殊な空間でこそ、才能は「爆発」するものであり、そこには男などいないとも言われた。
黄色い声援に力をもらえる「男性アスリート」とは異なる「事情」が女性アスリートにはある。
ゲーデルは「数字的にも男の都合でスポーツの世界は作られているといわざるを得ない」としている。

20世紀にフィリップ・アリエスが「子供の世紀」という著作を著し、子供が「勃つ過程」で、自分の属する「人種」概念を明らかにしているとした。
進学校であったり、そうでなかったりなどの「人種」というものがあるとしたのだ。
自分にストイックさを求め、高潔な「人種」であることを選択したのであれば、鈍さをともなった大人になるし、そうでない「ずる賢さ」をともなう低俗な「人種」を選択したのであれば「障害者」となる。
デカルトは「恋」というものを重視したし、ロックは「女たちの奪い合いの対象」になってみるまでは、男の子は「白紙」(タブララサ)の状態であるとした。
「来るときは二人いっぺんに来るよ」
言われてみなければ意味は分からないだろう。
愛が止まらない Wink

いろんな授業を受けること。自分から動いてみること。偶然と遭遇すること。最後に「体が朽ちてもいいから学びたい」と思うこと。
若さとはそのようなものであった。
その世界にはいろいろな「指導者」がいたからだ。
スポーツでも勉強でもそれは同じだった。
サッカースーパープレイ集

幼児とは「生まれてから二歳まで」を示すし、喜びの時代とは「三歳から12歳まで」を示す。
女の子たちの奪い合いの時代とは「13歳から性的成熟まで」を示すし、感傷的な時代とは「性的成熟から20歳まで」を示す。
21歳以降は「結婚、社会契約」と真剣に向き合うようになる。
13歳以下でのセックスは「絶対に禁止」であるとも言われる。
どの段階でも「仲間」を必要としているのが子供であるが、
①罰を当然のごとく受け入れる段階。
②素朴にセックスとは無縁の段階。
③いい子でいること。周囲から認めてもらいたい段階。
④世の中の何が権威かを知る段階。
⑤所属をつくり、お金と男らしさを受け入れる段階。
⑥女性と率直に人生について語り合う段階。
を、コールバーグは想定していた。
松田聖子 抱いて

文部科学省は「異性を愛する大人たち」の制約を受けている。
アメリカでは、12歳の「グレゴリーK」と呼ばれる少年が、義理の両親の離婚に反対するという家庭裁判所の事例が紹介されている。
「大人の事情」を12歳の少年は理解しているのかが問われた。
義理の両親は「あなたにはそう見えるの?」と言って離婚を取りやめた。
愛する子供が「自分たちをどう思っているのか?」を両親は重視していたのだ。
「いい両親を演じる」
それは大人たちの喜びでもあったのだ。
いずれにせよ、「自分で学んだことを実践する」
つまり、医学を学んだのであれば、自分や子供を治療してみせる、法律を学んだのであれば、有効な立論を行って社会で有利な立場に立つ、という境地になるのがいちばん好ましく、自分の病気を治療できる医者や、企業のボッタクリから無縁の法律家などになるのが好ましい大人であり、あとは「子供を愛せれば」大人としては問題がないわけである。

「中世魔女裁判」
ニコマコス倫理学において「プロネーシス」つまり、お父さんが娘にエッチなことをするという問題が提起され、男兄弟が父に対して非常に優位な立場に立ってしまうことから、幼女(理性)に対して、大人たちはどう接してきたのかが論争となった。
神の短い女は売り物にならないとも言われ、髪の長い女たちは「処女」と呼ばれた。
髪の長い女の生い立ちは「いい大人たち」に囲まれてきたことを意味し、それらの大人たちは「神」と呼ばれた。
「彼氏が欲しくない」
髪の短い女は周囲の男たちが通常想定していないことを考えていた。
中世魔女裁判は、神の長い女たちの周りに「神」と呼ばれる大人たちがいたことを明らかにし、「女心」という贈り物をのちのカントに贈っている。
カントは「実践理性批判」において、中世魔女裁判への感謝の意を表明するにとどまり、実践理性批判は「市民であった」と神を位置づけ、非常に薄い本になっている。
カントの真髄は「女心」の探求、つまり「純粋理性批判」にあった。
セックスが気持ちいい(甘美なるもの)としなければ、政治(女心の定義)が困難になる。
髪の短い娘に対しては、母親すら「何を考えているのか分からない」と語った。
河合その子 涙の茉莉花LOVE

トマス・アクィナスが「男の勃起したおちんちんに恐怖を感じる髪の短い女」を、「自然法に反する」とし、排除することを決めたのだ。
中世魔女裁判とは「髪の短い女」を取り巻く「大人たち」を裁くものであり、現在でも、精神科においては「おじいちゃんに謝るように言ってよ!」と魔女裁判を求める女の子は存在する。
女子かしまし物語2

「痛い」「勃起したおちんちん怖い」
それでも東大に入る女はいたが、「男目当てではない」ことが指摘できる。
女が男にエネルギーを与えるのであって、男は女にエネルギーを与えていない。
エネルギーと「力」は異なるものだ。
男の知識は女に「力」を与えることはできても、エネルギーにはならない。
「溜めること」ができなかったのだ。
女は「力」をくれた男にストーカーのように何度も会いたがった。
真夏のフェミニスト ribbon

「金本位制」
それは、19歳まで処女だった女子高生たちを作れるようになったことから成立した。
背景には魔女裁判の成功とカントがいた。
シルバーリングに口づけを Melody

19歳で「髪の長い女性」になってくれれば、国は「フィアット」を女にプレゼントしても国庫としては割に合うものだった。
「女心は金になるんだよな」
脱亜入欧により、イングランド銀行に日本国の金塊が積まれた。
もっとも、日本政府首脳にとっては「所詮わが国は英国に命運を握られているのか」という思いがあったようだ。
そもそも、イギリスにおいては「エンクロージャー」(囲い込み運動)が行われており、幼女(理性)が守られていたのだ。
英国国教会の「神」とは何かが問われた。
カントはドイツ人でありながら、イギリス経験論を重く見ていた。
イギリス経験論の没落と、大陸合理論の上昇がある時期、交錯し、「髪の短い女」が認知され、ヨーロッパ圏というものは成り立っているものと思われる。
冬の微粒子 CoCo

アクィナスの忠実な生徒となったスコトゥスは「娘にだけは神として接しよう」と考えたし、オッカムは生涯独身であったが、髪の長い女と遊んだ。
髪の短い女は「男社会」への憧れが強く、「それじゃ女心とはいえないんだよ」という問題を残した。
東京大学も、大学院まで残る女はみんな髪が短かったので、決して、シカゴ大学のような豊かな学問は約束されていなかった。
実力主義を貫いた結果だろう。
オッカムは「ホモ」としての側面を持っており、なかなか「髪の長い女」に国運のすべてを委ねる気にはならず、大陸合理論(男らしさ=合理)の立場も根強い。
しかし、共産主義に親和性を持っていることも忘れてはならない。


NPOなので寄付は非課税です。
スルガ銀行三浦海岸支店
3550342
オノコウタロウ

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