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Foreign Affairs

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2018年10月25日 (木)

大本教。

大本教というのは、大正天皇(和辻哲郎・野口英世)が作った、非常に明るい宗教でした。
大正天皇(野口英世)は、医者として、平日は患者を診て、週末には教会で女の子たちと話をするというキルケゴールに影響を受けています。
野口英世は、哲学の世界では「和辻哲郎」として知られ、会津藩出身の「父」との関係を「神は死んだ」として、ニーチェにも影響を受けています。
昭和の時代に入ると、大正天皇グループは「権力批判」を行うために「終末思想」を撒き散らしています。
終末思想・天変地異とは「権力批判」でありまして、大本事件という弾圧を受けています。
しかし、そろそろ「本当は明るかった大本教」を大正デモクラシーとともに思い出してみようではありませんか。

【神は死んだ!】

また、和辻哲郎は、西田幾多郎や田辺元の同意を得て、「日本国は海に浮いた泡」であるとし、沖ノ鳥島をはじめ、多くの「南の島」を領有するに至っています。
尖閣諸島も例外ではありません。
そこからもたらされたのは「世界第六位」の海洋管轄権を持った日本国でありました。
大正天皇が志向したのは「海の男」であり、そのためには、西田や田辺の同意が必要でした。
また、大正天皇(和辻哲郎)は、新渡戸稲造とともに「バイロンの詩」を研究し、「神は死んだ」を強烈にアピールし、海洋管轄権に「資金面での責任」を取ろうとしたのです。
complex

また、大正天皇(和辻哲郎)は、夏目漱石とも親しく、「人生の絶望」を夏目漱石が描くことを、会津藩出身の父との関係から提案し、ひたすら「神は死んだ」(父が息子を罰する)ことから資金集めを行っています。
父が息子を認めるなんてことはありえない。
しかし、それでも「息子」には救いがなければならない。
このことから、若者・海の男として、「神は死んだ」を描き続けたのだ。
complex

1920年には東京大学で、1922年には法政大学で、1922~23年には慶応大学で、1922年~24年には津田塾大学で「神は死んだ」というニーチェの言葉の真の意図を説いて回りました。
華々しい都会に出てきて、故郷の親が仕送りもしてくれない。
そのような若者たちが、「バイロンの詩」を歌うことで資金集めをするように仕組んだのだ。
「風土」「気候と文化」という著作はタイトルは古臭いですが、このようなエキサイティングな著作でした。
complex

1919年には「古寺巡礼」を書き、1920年には「日本古代文化」を書き、「古事記と日本紀」を書き、1935年には「僧・道元」を書いています。1925年には「キリスト教の文化史的意義」を書き、1927年には「原始仏教の人生哲学」を書いています。
大正天皇(和辻哲郎・野口英世)が、仏教に回帰していった背景には「娘ができた」ということが指摘できます。
娘の恋愛事情をメッセージとして聞くことから、「禅」というものは成り立っており、永作博美の「Here and Now」というアルバムにそのことが端的に表現されています。
永作博美 信じさせてください

「風土」というのは「風と地球」という意味であるが、ヨーロッパの学問が日本国にどのように受け入れられるのかを研究したものだ。
「土壌から海まで」を含む概念であり、大正天皇(和辻哲郎)は「海の男」という立場を堅持した。
1927年から1928年にかけて、和辻は「読むだけ」ではなく、実際にヨーロッパを旅している。
この時に「偶像細工」(アイドルの復権)という著作を著し、アイドル崇拝を日本に引き込んでいる。
「万葉集」というものも和辻が書いたものであるとされ、昔には想定できなかった「姫」というものが百人一首に登場する。
また、「倫理」というものも「倫」というものを「仲間」であるとし、「理」というものを「女の体」であるとしている。
また、日本人の本質は「空」であり、他者に寛大であれば「何も知らない」でいいとしたし、キスをしたのかしていないのかを論ずること自体が「キスである」ともしている。
キスした跡は残さないで 国生さゆり

1960年に和辻(大正天皇)は没しているが、1980年代に「哲学の危機」を迎えている。
哲学なんて知らなくても生きていける時代が到来したのだ。
1950年に「鎖国」という徳川時代の研究を明らかにしているが、1980年代にふたたび日本国が「鎖国」の状態に陥ったのだ。
日本人の本質は「空」である、このことから鎖国はもたらされた。
和辻哲郎は、読者を失い(最初の否定)、80年代の「鎖国」を脱することを日本人は待望し始めた(二度目の否定)。
野茂英雄

日本国は、江戸時代の鎖国においては「禅」が主流だった。
娘の「恋愛」にお父さんとしてどのように向き合うのか?これが「禅問答」だったのだ。
天使が胸に降りるとき 永作博美

しかし、儒学が「禅」を圧倒して行き、開国を迎えている。
だが、京都学派は「空」つまり、哲学など知らなくてもいいという1980年代の「鎖国」を経験し、ふたたび「禅の復権」がなされた。
哲学を知らなくてもいいという「空」の世界では、お父さんは娘の動向に右往左往させられたのだ。
永作博美 このままでもう少し

京都学派は、アメリカ合衆国などの西洋を「向こう」と呼んで、「絶対的空」という鎖国の状態に国を陥れた。
「すべては禅のため」でもあった。
恋愛論に疎いということは「娘の性」に翻弄されることを意味する。
恋と微笑みと花 永作博美

日常は仕事をしていて、「有名な名前」(とおり)を持つというのは、仏教だっただろう。
そもそもが、アレキサンダー大王が、インドに持ち込んだ「フィロ」でもあった。
一部の哲学者にファイナンスを委ねて、庶民は「空」の中を生きる。しかも「とおり」をもちながら生きていくことになるのだ。
京都学派は、庶民に「空」を求めて、禅の道を生きさせ、自分たちだけで「仕掛け人」「フィクサー」を努めようと考えた。

和辻哲郎・野口英世・大正天皇などの「とおり」はあっても、現実には「小野達郎」と名乗って医者をやっていた。

21世紀に入って、京都学派の藤田正勝や大橋良介は「我々京都学派が東京のテレビを支配する」と位置づけた。
そうだ京都へ行こう


禅寺で娘の「性」について考える。つまり、禅寺(曹洞宗)のセールスと京都学派の資金力がここで結びついたのであり、京都学派は「娘の性の問題」になやむ「絶対的空」の世界にいるお父さんを資金源としたし、アメリカのメジャースポーツへの憧れそのものも資金源とした。
このことから、京都学派は、日蓮系の「フィロ」とは異なるルートで東京のメディアを支配した。
エアメイル 永作博美

1965年に「大島メモ」というものが公表され、「禅こそが海軍の資金源であった」とされた。
浄土真宗のように、王子が女の子と話して回ることが軍事力を高めるという発想に対して、「哲学のことは何も知らないお父さん」「女の子たちのロマンティックサークル」が海軍力の背景にあったとしたのだ。
永作博美の「Here and Now」に限らず、娘たちが自由恋愛を謳歌する音楽作品を量産し、お父さんが禅を組むことに資金力があったのだ。
逢いにきて 永作博美

この島国(日本国)が西洋とどのように異なるのか?
それは、娘が家で「オーイェー」と言わないところにある。
「向こう」(西洋)が何を考えているかは分からない(絶対的空)が、日本国のお父さんはみんなそう思って禅を組んでいたのだ。
「大島メモ」が、禅の資金力を海軍の軍拡に向けた、とするのならば、21世紀には「戦艦大和」を作ったお金で東京のテレビ局が支配されていることになる。
without you 永作博美

西田幾多郎という人物は、遊佐道子にとっては、勉強が大好きな男が心を病んでしまい、それでも精神論を磨き上げて勉強に立ち向かっていく人物に写っただろう。
それは、遊佐道子が見た「幻の恋人」であり、「善の研究」も遊佐道子が書いた精神論だった。
遊佐道子は西田幾多郎に「23歳まで健康的に生きて幻のように消えた人」と詩をしたためている。
エアー~サラダデイズ

遊佐道子は、その三年後に、自分で自分に「西田からの返事」を書いている。
「私は今のまま悲しみの底に沈んでいたいのです」
悲しみを選んで 瀬能あづさ

西田幾多郎の「善の研究」は、遊佐道子が小野家に残した「家訓」であり、大正天皇=野口英世=和辻哲郎=小野達郎の息子の鉄之助に嫁ぐことになってから、まとめ上げた精神論であった。
近衛文麿を通じて昭和天皇に献上している。
昭和天皇は、アクィナス(小野光太郎)が28歳の時に会っているが、「こいつは本当に西田幾多郎だな」と確信するに至っている。
遊佐道子が、アクィナスを天皇にするために描いた「幻の恋人」が西田幾多郎であって、小野家の家訓であった。
その精神論は、昭和天皇が戦争の時に「周囲や国民にもっとも期待した」ものであったために、アクィナスと昭和天皇の面接はあっという間に終わった。
クリスタルアイズ 瀬能あづさ

空海は17歳から18歳まで長岡京の大学に属していたが、儒学に嫌気がさしてドロップアウトしている。
その後に曼荼羅と触れる機会があり、20代の時はずっと四国にいた。
31歳の時に唐の長安に国費での留学が許されたために、インド仏教と接している。
インドと接することはアレキサンダー大王と接することを意味し、お金さえ平安京に送ればどんな政界地図も評論家やメディアが描いてくれるという「フィロ」を日本に持ち込んだことになる。
「本体」「曼荼羅」「耶蘇」を「三密」と呼び、芸能界や政界においてはこの三つが常にメディアを彩っていた。
人々の心を感化させることを「即身成仏」と呼んだ。
「相」というのは自分がどのような姿でメディアに映るかを意味した。
発心説法とは「人を励ます」という意味であり、「ギャーテーギャーテーシャラソーギャーテー」というような意味で、愛の世界の深さはない。
CoCo 夢だけ見てる。



100%デッドコピーは延暦寺までご連絡ください。
曼荼羅

曼荼羅の深い世界を知りたくて唐まで来た空海であるが、そこでお金の使い道として建築学を学んだり、人々の「相」を記録するために木彫りの彫刻を学んだりした。
それらの世界はすべて1980年代以降に日本国の歌謡曲に表現されており、私も垂加神道として述べてきたが、デリダやメルロ=ポンティ、ドゥルーズなどの最新の哲学者の言っていることになんら引けを取ることはなかった。

さて、バイロンの詩が「理想の男」を描いていて、ヨハネとは日本国においては「西田幾多郎である」とされているが、バイロン自身は西田幾多郎ではなく「ヨハネ」を描いていた。
しかし、万葉集や百人一首を彩る男たちはバイロンが描いたのである。
松田聖子 夏の扉。
ヨハネというのは「詩の男のモデル」である。
男を詩のモチーフにする分には女たちも吐き気がしない。
ヨハネの黙示録を書いたヨハネ・フィリポノスは、エルメスの息子として生まれ、アテネやアレキサンドリアで哲学を教わり、「ABC」つまり、キス・胸・セックスの順番を学習した。
男女共学を経験し、530年に哲学の世界を引退してからは、師であるアンモニウスの後も継がず「男らしさを語り合う論壇」を「宗教」とし、宗教の世界に身をおいた。
実際は、詩の世界のヒーローとはアブラハムでもイエスでもない。
しかし、最後の晩餐で師匠のアンモニウス(イエス)が語ったことに身近に接したことから、「イエス様、イエス様」という爽快感を女たちに与え、自身は常に「イエスの教えにいちばん詳しい男」として、「ヨハネ様」ではなく「イエス様」と呼ばれることを好み、女子たちの歓声を浴びる立場に身を置いた。
ダンシングカフェ 松田聖子

ヨハネ・フィリピノスの本職は「文法家」であった。
言語の文法を熱心に研究し、のちにエラスムスが、「文法家さえいれば、女たちの失恋空間を利用して言語が自在に生み出せる」とした基盤となる研究だ。
現在でも、外国語を勉強するためには「文法」から入るが、それらの知識はギリシャ語やギリシャ文学の研究から生まれたものである。
「頭が良くなければ文法は分からないのは事実だよ」
そのようにして、女の子たちとの「ABC」を学習プロセスに組み込んだ。
100回のKISS 松浦亜弥

しかも、女の子たちが「男である自分のことを歌う」こともいい学習効果が得られることが分かった。
のちのルターやエラスムスのように「外国語を生み出して、女性たちが共存できる楽園を作る」ことまでは6世紀には想定されていなかった。
「光よあれ」と神が6日目に言ったときに「女たちは動物ではなくなった」とされ、男たちの間にいじめが生まれるようになった。
どんな「外国語通」も「文の構造」を考えたことがあった。
しかも、異国に憧れる女の子たちの声援があった。
「文法を学ぶためには、女の子たちが詩を歌い、男らしさを語り合い、ABCをさせてくれないと無理だ」
そのように、ヨハネは考えていた。
デカルトも「恋」というものを、「外国語の文法を男が学習するために使おう」と考えた。
のちの時代にフッサールが「人間の心とは文法からできているのではない」としているが、実際は、「意思」「可能」「強い意思」「受け身(受動態)」など、
「人間の心と似ている」「世界の生い立ちが分かる」のが文法であった。
ユダヤ教は、エル(覇権国家)・ヤーヴェ・エロヒム(覇権国家の先生たち)の三位一体を想定していたが、イエスは「文法という世界の生い立ちを考えた父」「学ぶ男」「人間社会」を三位一体と考えていた。
「四つだ」というのは「女には文法は学べない」という意味であった。
東方教会においては、故郷からお金を引き出すために、このイエスの三位一体をまとめて「知性」=「聖霊」としている。
いずれにせよ、「セックスをする前に学んでおくべきことがあるのではないか?」というのがプラトニズムであり、学業が壊滅したらキリスト教異端の謗りは免れない。
チョコレート魂 松浦亜弥

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