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Foreign Affairs

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2018年8月16日 (木)

尊敬。

尊敬という言葉は「いろんな人にいろんな理屈がある」ということを意味するが、たとえば、頭がおかしく、老いた「天皇陛下」というのも「メディカルマスターピース」(医学的傑作)という意味では尊敬に値する。
学ぶべきことがたくさんある人、という意味では医学の側もしっかりとそのメッセージを受け止めなければならない。
他人から「医学を学ぶ」行為は「自分の勝ちに賭ける」行為だとも言われる。
文字が読めない「在日・部落」ですら、我々は「なぜ文字が読めないのか?」という観点から「権力の側が彼らを口説き文句から遠ざけてきた歴史」を知る。
「セックスはみんなに対して平等である」
というキャッチフレーズのもとで、多くの行動原理が分析できるのだ。
多数派工作(サルベーション)に失敗したものは、表舞台には出れない。
「勉強する環境」を没収されたものたちは、一生「裏方」の仕事をやることになる。
人間というものは「他人にどう思われているか?」を極端に気にするものだ。
いじめも行き過ぎると「うち方やめ!」と言われてエイズの診断を受ける時代になっている。
もはやエイズになったら、医者も「メディカルマスターピース」の認定を取り下げるだろう。
「うち方やめ!」と言われるぐらい人をいじめた経験のある人は、たとえその地位を守るためであっても「もはや反則」とされている。
良きサマリア人の側から「隣人愛の限界」が提示されたのだ。
カント自身が「アフタング」という論陣を張って、「隣人愛の限界」を設定している。
アフタングがなければ、「この人はこのような業績を成し遂げた人である」という「政策面での一致」はきわめて困難となる。
他人の業績を横取りするものはカントの「アフタング」の運動に巻き込まれることにもなる。
エイズとは「アフタングが作った産物」であり、人々に「もはや尊敬できない人である」というメッセージを出すにとどまり、なんら病気ではない。
「しかし、そのことを医者は知っているのだろうか?」
カントの権力闘争は熾烈を極め、その影響力も計り知れないものがあった。
「処女」というものも、アフタングによって「もはや認められないもの」となっている。
「人間であることをやめる」
そのような問いかけがカントからなされたのだ。
「誰からも愛されない存在になる」
これが「聖母マリア」「モナリザ」の生き方であった。
マドンナ マスターピース

人間は「尊敬されること」をやめてはならない。
誰もが人生で一度は「孤独」を経験している。
「それでも王者であり続けた」
そこにカントは尊敬を見たのだ。
試されなければ分からない。
それが尊敬というものだった。
孤独、この時に「一般条項」(王者的条項)を用いてその人間をまじまじと観察した。
「あんたそれは反則だよ」
他人を動物として自分の手段として用いるものに、動物としての扱いを与える。
このことをカントは「尊敬できない」と位置づけたのだ。
「他人にしてほしいことをあなたはしてはいけない」
これをカントは「黄金ルール」と呼んで、ひとつの尺度として用いた。
人間とはこれほどまでに他人を尊敬していないものなのか?
しかし、「勉強ができる者」だけはカントはこのルールから除外している。
自分のことを理解してくれる可能性だけはカントは「尊敬」の対象であると判断したのだ。

人間は、愛されることをやめたら、多数派工作もできなくなるし、貧しくなる。
犬や猫、やがて植物だけが友達になる。
他のエイズ仲間の男を見てみても、チンパンジーにしか見えない。
カントが「アフタング」で作った「畜生界」とはこのことかと思った。
美しい処女と話ができる「王者」がうらやましかった。
自分の何がいけなかったのかは、もはや文字を読むつもりもないので分からない。
「自尊心」という言葉がどれほど人気があっただろうか?
そのようにして、キリスト教の門を叩く者が多かった。
もう、何も「生産的なことはできない」
これが畜生界だった。

「自尊心」というものが「尊敬」の起源である。
自分のキャリアが大事である。自分の能力に磨きをかける。
すべて自尊心から始まるものであり、他者への尊敬とは「自分磨き」から始まるものだ。
「いちばんの敵は自分である」
皇族や芸能人なんてみんな生活保護なのに、みんな「マンガ、平等であること、自分であること」から憧れを抱く。
アブラハムはいろんなことを知っている。
しかし、人々に「魅力」を与えるのが「愛」であることも知っていた。
愛されている人の「化けの皮」を剥がそうなどとは思っていない。
貧しきものに必要なものは「賞賛」だけだった。
テレビや週刊誌を読んで「企画立案」するほど愚かなものはない。
「賞賛」するための媒体と、生活保護としての実生活の違いを見極めて、生活保護としての彼らに「資産」を生み出すだけの「実体」があるかどうかだけ見ている。
すでに離婚しているのに「天皇皇后」になろうとする者もいる。
しかし、実体がなければ、もはや「デリバティブ」と呼ばれる「富」を生み出すことはできない。
メディアは案外「真実を」伝えている。
基本的に「仲間が多い」か「法律に詳しい」かしか、組織で生き残る方法はない。
しかし、皇族や芸能人は「仲間が多い」というイメージを報じられている。
宗教家は「法」に詳しいからメディアで報じられるのだろう。

尊敬とは「他人の医学、他人の心」を知る営みだ。
本当に「尊敬」が成立したら多くの人たちに影響を与え、周囲の「歩く道順」まで変わる。
医者でなければ案外、「駅までの最短距離」を歩けないのが大人というものである。
やっぱり「セックスの分析」をしなければ選択するルートは分からない。
みんな「夢がぶつかり合っている」のだ。
「友達がいたから手を挙げた」という動きも必ずしも自然なものではない。
スティックで突いたビリヤードの玉にはなんの意思もないが、「情熱」が乗り移っている。
みんな「ビリヤードの玉をどのように突いたのか?」よりも玉の行方ばかり見ている。
人間は他の人間の心をとらえることで「他の人間の歩く道順」を変えてしまうことができる。
これも「尊敬」の学問である。

どこをどのように突いた(心をとらえた)かは大人のゲームなので、そこいらの東大生ならばひとたまりもなく街に居場所をなくすだろう。
空を飛びたいという女は「無人島に行きたい」と表現する。
周囲はいったいどんな玉の突き方をしたのだろうか?
とにかく「心をとらえた」のである。
周囲は「玉の突き方」にしたがって率先して「今日の行動」を決める。
「会いたくないな」と思ったら向こうが避けるようになる。
これが「町内ビリヤード」である。
駅からまっすぐ家に帰れる喜びもあるし、行きたいお店に行ける喜びもある。
「女心をとらえる」というのが「政治」と呼ばれるのはこのような側面があるからだ。
自信を持って街を闊歩する男を崇拝するのが「宗教」である。
酒井法子 友情キッス。

ダンケルク撤退も、イギリスが「ルートX」「ルートY」は使えないとして「ルートZ」を見つけたから実現できたのだ。
町内ビリヤードで負けるようならば戦争の司令官になどならないことだ。
お金がかかっても「ルート」はルートである。
タクシーを使ってもいいではないか。
書生さんが一緒だから通らせてもらおう、という時代もあったのだ。
女たちの植民地が「街」である。
堂々と駅からの最短距離を歩くのもいいし、タクシーを使ってもいい。
「クルマが欲しい」というのは「町内ビリヤードと関わりたくない」という理由が大きい。
街は「鍵がかけられた部屋」である。
女たちは街にしか話し相手はいない。
しかし、男はかなり広範囲に移動している。
女たちの意思は自由だったため、勝手に「地割」を行い始めた。
「実効支配」とはこのことだ。
ライプニッツが「ヤオロズの神」というのであれば800の地割が日本国にあることになる。
あいつにはもうこのルートは使わせない、という女たちの行動は「プロジェクトA」と呼ばれた。
女たちが「歌声」を止めるだけでもそれは遂行可能だった。
ママさんコーラスの声が聞こえているうちは街に歓迎されているのを感じたのだ。
この「プロジェクトA」の意味をよく理解してコーラスに誘ってくれる人を待っているのが専業主婦なのだ。
「何が罪か?」を明らかにする力を奥様方はもつに至ったのだ。
また、通行人を見ながらコーラスを統制する眼差しは「アイ・オブ・ザ・タイガー」と呼ばれ、その道を通ることから逃げ出してしまう男たちがいた。
アイ・オブ・ザ・タイガー。

さて、「処女であること」にもバチカン市国やバチカン銀行の資金の裏付けを得て、フラメンコを踊るのにもビルバオ・ビスカヤ・アルヘンタリア銀行の資金の裏付けを得て、ママさんコーラスをやるのにも朝日新聞社の資金の裏付けを得るという発想は、アブラハムが尊敬を勝ち得るのには十分すぎる理由だった。
この「アブラハムの完全主義」は「勉強派」と「芸術派」の二つに分かれた。
本来、芸能界という「芸術派」だけが浴びていた女性達からの歓声を「勉強派」が引き戻したとでも表現されるだろう。
しかし、勉強といっても発展段階があるのだから、若い頃に成功できる芸術とも慣れ親しんでおいたほうがいいだろう。
どちらをやるにせよ「女子達にモテる」のは健康的でいい。
さらに、「いじめがなければ才能は花開かない」ということも指摘できる。
みんな案外、結果オーライで、才能の伸ばし方についての議論の必要性を感じていない。
仲間が多い方向に男の子は流れていっているようだった。
いずれにせよ「女子の相手をするのが上手くなる」という意味では勉強にせよ芸術にせよ同じことだった。
「勉強か芸術か」の選択肢そのものがエリート主義ではないか?とも言われた。
それにしても、東京大学と芸能界の相性は良かった。
ピカソみたいにイカれたら「ブラック」というペンネームで誤魔化せばいい。
女の子と話さなければ自信がつかないことが分かってくる。
太っている女子に「お母さん大好き?」と聞くこと自体、頭がイカれている。
高橋由美子 わたし。

国そのものが「女子が男子の進路妨害をしている」ということに対策を立てる必要はない。
「処女であること」「ステップを覚えること」「コーラスをやること」の資金の裏付けは政治家が考えることだ。
しかし、「それはいい企画だね」と思ったら国が政治家の仕事を取り込んでいくだろう。
民間で流行らせ、国が追認していくという発想がいちばん好ましい。
国がゼロから立ち上げるよりも、政治家に任せて、しかし、成功するようであれば尊敬をもって迎えるという立場なのだ。
また、ここまでシンプルな方程式を作ると「女心が単純すぎて鬱になるわ?」という女性達が出てくることも予測しなければならない。
彼女たちが趣味でやっていたことに何でも「意味」を与え、仕事にしてしまうという「勉強派」は、どこかで「芸術派」にその地位を譲らなければならない時期もあるだろう。
「勉強の復権」をアブラハムがやったことは認めるよ。

「私」「ここ」「今日」「彼」などの言葉から「お腹すいた」という言葉につながることがある。
今、お腹が空いているのならば、将来はどうなるのだろう?
この「将来のビジョンの体系化」が政治の側からもたらされたし、女の子が「体を売っちゃおうかな?」と思うことにつながりかねないから体系化が求められた。
「あなたと一緒にいても将来が見えない」
という言葉は恋の最大の敵である。
昨日、今日、明日という用語を用いることそのものが日常(妬む神)であり、かなり悠長に女性のあり方を語ることになる。
「今の私はお腹が空いてる」
ここから宗教というものは作られている。
体系化されているようで、結構、曖昧なところもあり、「銀行」に「コウモリ」のように敏感なだけにしか見えない。
「デトロイト出身?どうりでお金の話ばかりするわけね」
こんなに簡単に私の悩みが解決してしまうの?読んだ本を教えて?
【常に凡人だっただけだよ。薬さえ飲まなければあんがい学べるね】
しかし、女の人生が「巨大な集団」になった時のことは想定しているのかしら?女の人生まで決めてしまうことはあまりにも危険よ?
歳をとって金持ち、それは全員?それともほとんど?それともその政策は否定されるのかしら?
アブラハムの企画する能力が傑出していたのは事実だ。
しかし、大人の事情でほとんど原型をとどめないぐらいボコボコにされることは覚悟しなければならない。
それでも企画が通る以上、かなり「澄んだ目」で発言していたのだろう。
妖しいニュアンス 松田聖子。

こんな「女の人生」を考えた宗教家には太っていてもらいたいわ?
美味しいものを食べて、チヤホヤされていて欲しいわ!
なぜなら女たちはそのおかげで空腹から免れるのだから。
あとは「恋して女磨いて」の世界ならアブラハムよりも私たちの方が詳しい。
「女の人生の体系化」をしてくれてありがとう。
でも、女にもいろいろあるのはご存知ね。
私が壊れていくのが怖くて主人が浮気することもあるわ?
体系化されてはいるけど、それは決して完璧ではない。
私が奔放なタイプだったら、主人は人を裏切るタイプかしら?
男の「性格」まで女次第なのよ?あまくみないで。
そこまで理解してくれるのならば「体系化」してもいいわよ。
そして最後に、タバコを吸いすぎてガンになった人がタバコ会社を訴えて勝訴する国もあるのよ?
私たちを太らせて訴えられたらアブラハムはただの凡人に成り下がる。
それほど「宗教」というものは永遠ではないの。

女の人生の体系化がなされたら「恋愛と結婚は果たして違うスポーツなのか?」が分からなくなった。
エルグレコの絵画をサザビーで買って、トレドの風景を眺めていた。
しかも、どんな男と結婚してもそのような風景を見ることができたのだ。
アブラハムの恵みだったし、この風景を見るたびに「アブラハムをいじめた醜い男たち」が嫌いになった。
どの男と結婚しても女の人生は変わらない、このことが女たちにどれほどの余裕をもたらしたであろうか?
「できない」ということから追い詰められていく女の姿はもはやどこにもなかった。
このような「夢」が見れるのもアブラハムが生きているうちだけかしら?
学校では男子の進路妨害を行い、結婚の時には「いい男選び」を年収で行なった、そんな時代ではなくなるのかしら?
女が一歩引いて男選びを考えてくれたことは、男たちにもいい影響をもたらした。
男を比べるという必要性が薄れてきたのだ。
「男になるためのハードル」を下げる効果が生じた。Fランの自宅警備員でも持ち家があったのだ。
それならばと国も自宅警備員に正規雇用の道を開くのは当然の成り行きだった。
女たちの側から「いい男選び」を見直してくれないと、男たちの競争で妥協はできなかった。
女たちはサザビーのテーブルのワインを楽しんだ。
おニャン子クラブ FENを聞かせて。

アブラハムが生きているうちだけかもね。
「誰がやっても同じ」なのが指導者なのかどうかは自分たちが男選びでガツガツしていないかどうか?という身近な問題から考えていかないといけない。
男選びに必要なのは「幼女に興味のあるヘンタイだけは勘弁してよね」というものにとどまり、大人の男性であればあまりこだわりはなくなった。
「男選びは楽しかったわ」
彼氏の年収だけではなく、美術館に行ったり海に行ったり、いろんな余裕が生まれたの。
そうね。アブラハムという偉大な政治家をいじめるのに躍起になってエイズの診断を受けた男だけは勘弁してね。
アブラハムが私たちに何をしてくれたのか?をいまだ理解できないエイズ男だけは関わりたくなかった。
何にも学ぶつもりがない、作家や古い映画のことも何も知らない、そんなのロマンティックでも何でもないから。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

哲学は、人間が「楽な方に楽な方に」流れていく心理の側面と、それに逆らう「規範」の側面がある。
人を「認める」ということの背景には「規範」があり、「楽な方向」、本来哲学が想定していた人間観に逆らう存在を「認める」「偉い」とするものである。
本来、人を「偉い」と位置づけることはかなりのストイシズムを要求することになる。
しかし、偉いと言っても何が偉いのか?それはかなり「柔らかい」テキストを残さなければならない。
なぜ、彼女は乃木坂新聞に載っているのだろうか?
なぜ「偉い」のだろうか?
それは健康な女はセックスするという「心理」に逆らう「規範」の持ち主だからである。
黒人は「認めてもらうために」戦った。
日本人女性の中にも「認めてもらうために」戦うものはいるだろう。
カトリック女たちは「認められなければ」教えを守らないものなのだ。
生活保護になって「認められるのをやめたら」女はマリアではもはやない。
浜崎あゆみ M.

女同士で認め合うことはもちろん必要であるが、男たちからも「処女」というものが賞賛されなければならない。
処女にもっともふさわしい音楽作品を書いたのはフィヒテ(Johann Gottlib Fichte)である。
フィヒテの詩を離れたらAKB48も乃木坂46も夢が見れないとされる。
サルトルやラカンもフィヒテの詩を歌う処女の影響を強く受けている。
処女たちよ、時代を謳歌せよ、そのような詩がフィヒテによって多く書かれたのだ。
フィヒテは「詩」というよりも、処女に歌わせる歌を書く心構えを記している。
「女心を男に教えてあげることが可能であること」「それが世界の主流であること」などを記しているようだ。
フランスの大企業の娘やアメリカの牧場主の娘はこのような「フィヒテの詩」によって富を生み出す存在だった。
「誰のおかげで」「どのような空気で」処女として生きていけるのかを歌うのは基本だった。
そして、処女たちのおかげで「夢をかなえる」連中がいることを歌うのも基本だった。
戦いになってみれば分かる。女たちは「一生、処女を守ります」とすら言った。
処女たちは「胸」すら巧みに利用した。
リクルートメントチャンネルを維持するのも大事だった。
Winning CoCo.

この「処女のセールス」は、カントには「初体験」として利用され、ヘーゲルには「顔が可愛らしい」として利用され、その富はマルクスによって「革命」に向かうことになった。
社会人ならば当然知っていることを知らないと「反革命分子」によって主張された。
「世界が狭い」「スレた女の方が美しい」など多くの論争を引き起こしている。
そこで、日本国は「日経平均株価」という高めの値段を女たちにつけることにした。
革命エネルギーの放出であったし、一部のカルヴァン派によってセールスが仕掛けられるにとどまっている。
日本国は処女にあまりこだわらない「革命中立国」としての立場を維持した。
「愛って何?」「友情って何?」
女子たちは真剣に話し合った。
革命とはどのように起こすものなのか?
お金によって起こすものなのだから当然、「処女」を利用したものなのだ。
1990年代の中頃まで「革命ってどうやるんだろうな?」という議論は続いていた。
オウムシスターズなどもアメリカ合衆国は観察していた。
AKB48の第1章が崩壊に向かうのを見た。
「国家転覆」に使ってくれないのならば私は抜けます、というのが処女たちの考えだった。
「先生!小野光太郎先生!国家転覆してください」
「ティチャーティーチャーと言って足をあげる時にもっとも興奮する、これがパンチラインだ」
瞬間的に「女の体が情熱を表現し」「同性愛から異性愛へと切り替わる」瞬間を見て欲しい。
「黒から白」へと色のイメージも変わり、詩は「女性から男性に変わる」瞬間でもある。
「心を表現していたところから急に出身母体を使うところ」も評価できる。
完璧なパンチラインだ。
AKB48 teacher teacher.

バーナード・ボルツァーノは、女たちの地割の800を考えたライプニッツと、10万人の処女に愛されたフレッジの間で「仕事とは何か?」を考えた。
タルスキやカルナップが100年ものちにハプスブルク家で実践することを共産党宣言の年(1848年)に殺されるまで探求した。
処女たちに与えるインパクトが奥様方の地割にどのように影響を与えるのか?をボルツァーノ・ワイヤストラス理論として提唱し、頑なな主婦層(B層)の切り崩しを計った。
お金のない女子高生の方が情報に敏感で、ローンを組めたり働いたりしている世代がどれほど盲目であるかを見せつけた。
しかも、その「お金のない」世代が「実は小学生女子であった」ことまで示したのだ。
ボルツァーノは、6年間ジムに身を置いたのちにプラハ大学に入学している。
彼の頑丈な体が、虚弱な連中とは異なり「発展」を目指したのだ。
カトリックではあったが、フランツ・ヨゼフ皇帝の家庭教師もやっている。
アリストテレスがアレキサンダー大王の家庭教師であるという噂と同じく、ボルツァーノこそがフランツ・ヨゼフ皇帝だったのだろう。
このあたりは金光教の教祖が「小野光右衛門に教えを受けた」というのと同じ論理であろう。
血筋を重んじる王室においては「家庭教師」と名乗る王が多い。
小学生処女は、スマートホンを与えられると真っ先にこのブログを読んでいた。
灘・開成・麻布・桜蔭の向こうにいったい何があるの?
それは小学生の問いかけではないか?
さらには東大の向こうに何があるの?
という答えまで知りたかったのだろう。
「お父さんってどんな仕事をしているの?」
カール・ポパーは「先生と生徒」という小説で、「皇帝と小学生」を描いていたのだ。
「プロポーズの言葉などなかった」
そのように皇帝は語った。
彼女や彼女の家族が私を必要としていただけだった、としたのだ。
多くの男たちは「プロポーズの言葉」を考えていたが、「東大の向こう側」とはそのようなものだと語ったのだ。
しかし、「私を奪おうとした女がいたから彼女は子供を産んだ」とも語っている。
結局、「王室に必要とされた」ことと、すでに構築されていた利害関係が衝突する形で、カトリックというものはヨーロッパに広まった。
実に19世紀のことであった。
女子校は、たまたまアメリカ合衆国が世界に必要としていただけだった。
ボルツァーノが「ソクラテスには知恵があった」というだけで、そのコンテンツは今まで述べてきた通りだったので、女の子たちはパンを食べた。
小学生処女たちは桜蔭・東大の向こう側を知りたかっただけだった。
欅坂46 アンビバレント。

女の子たちは「男の子の人生」から興味を持ち始め、クラス委員となること、もし女の子だけで世界が成り立っていたらどうなるのか?
自由にセックスしたら太ること、男女が対等であること、地割の存在、子供であるから自由であること、見てはいけない本、見てはいけない本のおかげで旅行もできれば洋服も買えること、などを知った。
中学生になったら、作者と話をして「恋の話を聞かせてください」などと思い切って言ってみたりもした。
勉強したらそもそも犯罪を犯さないことも知った。
セックスしたら税金を取られるということも教わっていた。
タバコから税金の入門は始まっていた。
特にこの年頃の女の子の性欲は旺盛だったために、皇帝が小学生の家庭教師になったものと思われる。
「日経平均株価」の意味を教わり30万円貯める中学生もいた。
「女の子がクラスの男子のいじめの原因になっている」
ひでえ女だな、と女の子を泣かす男子は義憤に駆られてたのだろう。
「お前がすべてを仕切っているらしいな」
いじめられている男の子のためというよりは「体を利用したパワー」に怒りを感じていたようだ。

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