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Foreign Affairs

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2018年6月24日 (日)

価値。

「誰と誰が怪しくない?」
これが女たちの「電話真理教」の奥義である。
答えは「イエスかノー」しかないが、「怪しい」というのがこの電話真理教が生じた背景にある。
唇がふれあえば Melody.

女たちは証拠を集めあったが、必ず矛盾点も出てくる。
そこから「一貫したストーリー」を練り上げていくさまは検事調書さながらの楽しい作業だった。
そこから女同士の「電話」というものがやめられなくなったのだ。
バスルームでキャッチホン 高橋由美子。

ストーリーの一貫性が求められたのであり、自分の力量が体系的にできてなければならないし、そのために「些細なこと」をどのように重視するかの力量も問われた。
「イクスプロード」(強烈な射精)が、あれば女はそのことになんらかのリアクションを翌朝、行う。
たいてい「セックスした」ことを否定するだろう。
これが「イクスプロード」の意味であり、私の局部が精液まみれになったことを否定しようとした。
ヘラクリトスは「他の男女と同じセックスであってはならない」と男女は考えているとした。
すべての男が「お姫様抱っこ」ができるほどの力持ちではなかった。
「お姫様抱っこができる男女ではない」というようなことから「証拠」を集めて回った。
女が「お姫様」でなければ屈辱感が残るだろうとオーディンは指摘している。
もしセックスの時に「お姫様抱っこ」されていたのならば、二人は翌日も寄り添っているはずである。
CoCo 行かないで夏休み。

ゲーデルやタルスキは、挿入よりも男を信頼できるのは「お姫様抱っこ」だとも語っている。
「タルスキ型セックス」とも言われた。


松井珠理奈。

男の肉体美と、女の華奢な体を語ればいいだけだったから「電話真理教」もそのことを語り合った。
そのようにして「誰と誰が怪しい」という議論は男の肉体美と、それにふさわしい女の体に議論に変わっていった。
なにしろ「一貫性のあるストーリー」が組めなかったし、「みんなと同じセックスをしている」のならばどうでもよかったからだ。
結婚している男かそうでない男かは「お姫様抱っこ」の意味を知っているかどうかで区別できた。
射精なんてつまらない。
安心感が欲しい。
これが女の気持ちだった。
他の男たちを押しのけて力を使ってくれた。
この気持ちが分かるかしら?
電話真理教は、主に「男の肉体美」へと議論が変わっていったのだ。
CoCo あなたといた季節。


価値という言葉は、正確な翻訳をするのであれば「お◯んこ」という意味であり、人々全員の心を掴む、あるいは仲間づくりの研究で役に立つ、さらにはフェミニズムの研究で深めていく言葉である。
価値の前では男が非常に弱くなってしまったり、そのために男性社会では語らないようにしたりするものが「価値」(お◯んこ」である。
価値論はフランス道徳哲学に遅れをとり、道徳哲学においては「話題にする人、しない人」などの多数派工作が研究された。
しかし、哲学はあくまでも「女たちを感じさせる」ことを探求する学問であり、価値というものとは常に向き合っている。
みんなでワイワイやるのが好きな女も、いずれは「価値」に目覚めていくものだ。
つまりは、セックスと真剣に向き合ったことのない女が「みんなでワイワイ」やるものであり、本当にセックスをするようになったら「まっすぐ」に価値について考えるのだ。
愛の炎 田中れいな。

セックスは健康にいいのか悪いのか?ナイフよりも切れ味がいいのか悪いのか?盗みとどう関わるのか?いい男悪い男を見抜くのは価値論なのか?
「いい、ややいい、非常にいい」「悪い、やや悪い、非常に悪い」という3段階評価も価値論から生まれている。
快楽はいいものだと女が考えているのであれば、あなたは彼女に歓迎されるであろうし、彼女と話すことができる、つまり価値は「切れ味のいいナイフ」となる。
セックスなんてろくなものではないと女が考えているのであれば、あなたは彼女に歓迎されないだろう。
社交的な女はセックスに対して極めて前向きな考えを持っている。
真っ赤に日焼けする女は特にそうだろう。
気の合う女と気が合わない女はすべて価値論に由来するものだ。
「でも」「もし」という具合にセックスに前向きな表現をする女もいる。
答えはアデュー 河合その子。

お姉さんがトルコ風呂出身の男は、周囲が激しく「セックスから遠ざけよう」という行動をとる。
自分たちがセックスに近づくためである。
マンガを読んでは「セックスに近い男」に怒りを感じていたのだろう。
それが童貞坊やの「仲間づくり」であったし、アクィナスはセックスの「外に外に」と追い出されるような過酷ないじめを受けた。
知識とは素晴らしいものだとアクィナスが考えたのは、自分がセックスに近づいたことを感じた時であり、自分が周囲の女たちにチヤホヤされた時である。
アクィナスは、金と女のために誰よりも速く走ったし、しかし、それでも世界にはNFLがあって上には上が常にいた。
「あの踊り子の心を射止めたい」そう思った時に、アクィナスは自分の周りにセックスがなくなったのを感じた。
周囲が「アクィナスをセックスから遠ざけようとする」作戦はまるで成功したかのようだった。
セックスから遠ざけられたアクィナスは錯誤に陥った。
結果として錯誤に陥ったのか、モテ期に彼女を作らなかったから行為(セックス)に見放されたのかは分からないが、法律書を図書館から盗んだりした。
「知識を得るのは楽しい」
法律家というものは彼女を作って勉強する(結果無価値論)か、ただひたすらストイックに勉強する(行為無価値論)かの二つの立場しかない。
今でも「女々しい言い訳」は聞かないという行為無価値論が判例である。
映画「寅さん」においても「お前は、勉強して、適当に偉くなって死んでくんだ」と言われる女に見放された司法試験受験生がいたが、行為無価値論は司法試験の伝統だったのだ。
アクィナスも生粋の行為無価値者であったが、後の世には結果無価値論を残している。
師匠に言われたからではない。
歳をとって悟るのだ。
自分が気分のいい生き方をすることを「目的的行為論」と呼ぶが、儒学(仁)の答えは、「生き方は行為無価値論、言っていることは結果無価値論」となっていた。
「目的的行為論が不作為を生み出した」とはこのことを言っているのだろう。
「女々しい」連中ばかりと接触しているうちに、人間の「生ぬるさ」を知る。
これがアクィナスの人生だった。
高卒のまま生きていく自信など到底なかったアクィナスであるが、世の中には中卒もいれば高卒もいることを知る。
Jokeにもならない恋 三浦理恵子。

「文字をわかりやすく書く」「問題を解決してみせる」というアクィナスの才能はここから生まれたし、周囲が「セックスから遠ざけてやろう」という行動をとらなければ「知識を得ることは楽しい」という発想も生まれない。
徳川幕府や水戸学派が頑なに守ろうとしたのは「知識を得るのは楽しい」という発想であったし、明治時代になっても「神道の教義は儒学」と言われるように「知識を得るのは楽しい」というのが神道の教えとなった。
アクィナスは二度ほど人を殴り殺しているが、タイムマシーンで彼らを生かしている。
知識を得るのは楽しい、それだけが神道の教義であり「天皇を敬え」「政府にしたがえ」という以外にはアクィナスが結果無価値論の立場から「女の子たちと話しながら勉強しなさいよ」という学問体系を書き上げたのだ。
歳をとっても行為無価値論の立場に立つ学者がいるとすれば、それは儒学の立場から若者向けに書いているのであろうが、「知識を得ることは楽しい」と考えている若者に対して不親切である。
読んだことが女の子たちにまったく通じないほどつまらないからだ。
山口厚が「急進的すぎる結果無価値論者」だとされるが、果たして彼の教科書が口説き文句に満ちているかどうかは疑わしい。
平野シューレは得てして結果無価値論の意味を知らない。
「どうせ嫌われるのならば金だけもらって帰ろうか」と言われる弁護士がいまだいるほど法律学が立ち遅れている。
試験の受かり方を熟知していないと受からないし、25歳を越えたらかなりの試練が待っている。
「弁護士が書く本は面白い」と言われるような時代ではまだない。
橋下徹や丸山和也ほど政治(女心の定義)を知らない政治家はいない。
そもそも「政治」というものが「女心の定義」だということも知らないんじゃないかな?
しかし、ジャービス・トンプソンは行為無価値論を存続させた。
R・D・ロスも行為無価値論の存続を認めたのだ。
「読んだことを女性に話してもまるで通じない」
そのような行為無価値論に「人気」を見出すとすれば「硬い文章を書いたら大人たちが本当に動いてくれた」というような職人芸を生み出すことにある。
女優さんまでもが「そっか、役所とはこうやって話すのか」と言ってアクィナスを尊敬した。
「金になる職人芸」
それが弁護士や司法書士、行政書士の仕事だった。
アクィナスは、行為無価値論にどっぷり浸かった時期があった。
証人とは事前に打ち合わせをしてもいい、ワープロ打ちしてしまってもいい(陳述書)などはその時に学んだ。
心象で判断する年金の世界で陳述書は生かされた。
実務はいまだに行為無価値論を頑なに守っている。
このことから「お役所」というものは生まれ、一方でアクィナスの結果無価値論の立場に立脚する論文が歓迎されたりもしている。
固い「業界用語」と柔らかい「結果無価値論」を巧みに使いこなしてみよう。
これが企業と付き合う秘訣であるし、金になるから行為無価値論は存続を決めたのだ。
AKB48 teacher teacher.

精液まみれの「価値」(お◯んこ)はアクィナスにとっては実績でありお金を意味した。
多数派工作の秘訣は精液まみれの「価値」にあったし、その写真をインターネットで見るまではアクィナスは「仲間づくり」ということそのものを知らなかった。
「お金は何のために使うの?」
そんな基本すら学習できないのだ。
金持ちと貧乏人はここから生まれている。
精液まみれの「価値」を毎日、見ている男は貧しいだろう。
なんら文学を書けないのだからね。
なんだこれは 岡本太郎。

食べ物や飲み物の存在理由が精液まみれの「価値」にはあったし、その「ありがたみ」が分からなければ金持ちになる理由もない。
親父に認めてもらうことを「最高善」と呼ぶのであれば、精液まみれの価値とは少し距離を置いたほうがいい。
毎日、そのような「価値」を眺めるよりは、多くの男女たちが残した芸術作品と親しんだほうがいい。
その「喜びと痛み」のすべてを詩にするのに2000年かかったのだ。
イエスキリストから始まり、だいたいすべての論点が出揃ったかな?とロールズが言うまで2000年かかった。
今は「残された論点はない」とも言われている。
岡本太郎記念館。

川崎岡本太郎美術館。

ハードコアが露骨になって伝説になる女が30名ぐらいいた。私の唇はプラスティックになった。
プラスティックの唇 篠田麻里子。

「なんで気持ちいいふりをしたの?」
「やあねえ、食べ物、飲み物、お金のためよ」
しかも、世の中全体の豊かさのために気持ちいいふりをしたのだ。
そうやって精液まみれの価値は、閉じた唇として日常に帰って行った。
男によく考えてもらいたいの。
「なんだこれは!」ってね。
女がなぜ「哀しい方の嘘」をつくのかも、社会全体の豊かさのためだろう。
哀しい方の嘘 ribbon.

孤独な男はお金を持っている。
なぜなら音楽作品をよく聴くから。
毎日、セックスしまくったら一週間で一文無しになるとも言われる。
キシュロムは、「男が金持ちになる可能性」を「なんだこれは!」の中に見出していた。
人生ゲームとして成立しているかどうかはまだ明らかではないが、就職するということは「セックスサークルに属する」ということであり、決して「巨万の富」が約束されるわけではない。
精液まみれの「価値」を「面白いな」と思って芸術に変えていけるかどうかは文芸も含めて人それぞれだろう。
カントは「落とせない女などいない」という学問を発達させたが、貧困層で毎日見ていたとしたらそのような学問は生まれないのだ。
「価値ニヒリズム」は女たちの支持は得ていない。
どんなババアの「価値」でもありがたみを持って接する男の方が好感度が高い。
さて、ここで「彼女と過ごしながら法律を勉強する結果無価値論」よりも、よりストイックに法律を勉強する行為無価値論が「よりお金持ちを生み出す」可能性があることが指摘できる。
人生の若い時期に行為無価値論と共に歩むことは、のちに金持ちになれる才能を育む。
岡本太郎は「なんだこれは!」から変な作品を大量に作って金持ちになっただろう。
rebecca trouble of love.

ネット上における「人気の秘訣」は、「価値」について語るか「利益」について語るかしかない。
「利益」というのは「医学情報」のことであるという割り切りも必要だ。
価値(お◯んこ)について、芸術や哲学に昇華して語る人に健康相談に乗ってもらいたいのが人間というものだ。
恋話を知らない医者の言うことなど聞きたくない。
「そんなのがドロドロ離婚裁判?」と言うような弁護士の話も聞きたくない。
マウスを利用すれば精子が出ない人でも子供が作れる。
しかし「いじめ」というものは容赦なく襲ってくるだろう。
マウスで作った子というのは「お姉さんがトルコ風呂出身」というのと同じようないじめを招くことになった。
まるで「価値」と「利益」が一つになったように「いじめる口実」が生じたし、いじめることそのものに人気があった。
「運転、タバコ、排泄」の三つを健康的に行うための医学情報は人気がある。
100ドルも「1万ドルの1%のチャンス」も金額は同じだが、医学はひたすら100ドルを与え続ける仕事なのだ。
その世界に「ナース」がいれば8000億円産業は成立する。
しかし、治ってくれないのならばどんな美人ナースがいても病院にいるメリットはない。
この100年から50年前よりも、現代の病院ははるかに「入院するメリット」が生まれた。
しかし、ギャンブル性の高いものを100ドルという現金で返してくれる知識は必ずしも十分ではない。
「価値」(恋話)にかなり精通している医者でなければ信用してはならない。
踏ん反り返っていて恋の話もできない「カリスマ」なんてあてにならないのだ。
いちばん人々にわかりやすい「情報格差」は恋話にある。
それを理解しない医者はいないか腕が悪いかのどちらかだろう。
AKB48 teacher teacher.

「大人」は恋愛遍歴で存在感を高めているのだ。
それを、凌駕するほどの知識がなければ医者や弁護士として信用はされないだろう。
女の子たちとよく話した方がいい。
それも修行なのだ。
ハゲたのならば「しくじり先生」だ。
若い医者はそれができないから「薬事法の裏付けのある臨床医療」つまり「高価な薬」を処方できるようにしたのだろう。
どんな医学書を読んでいる医者なのか知りたければ「あっちの方はどうなんですか?」と女の話を聞いてみるしかない。
果たして「オテロー」を知っているかどうかを聞いてみればいい。
恋話で相手を引きつけて体を治す、これが医学なのだ。
体重をコントロールする方法を知っているというのも医者の力量だね。
「いい痩せ方はありませんか?」と聞いて「ウォークマンやiPodを聞くこと」というような楽しい方法を知っているならば情報が違う医者だ。
大勢の患者を診るのはいいことだが、みんなリアクションが違う。
「公約数的見解」を自分なりにまとめておく必要がある。
肝臓が悪くても太りたい人はいる。
適当に気分の良くなる方法を探るしかないのが治療というものだ。
数珠を首にぶら下げて気分がいいのならば、それを肝臓の治療として否定する必要もあるまい。
血を流してどうしょうもないなという患者を治療するだけが医者ではない。患者を惹きつけて治療するのが内科医であり精神科医だ。
「陽性反応」などといっても10年以上たって「緩やかに回復」などと言っているほど人生は長くはない。
情報が必要な人ならば、より良質なコンテンツを与える必要がある。
スポーツや映画、ドラマなどいろんな情報はあるだろうが「価値」と「利益」の2つからお金を集めて作っている世界だ。
医療というのは民法上の「準委任契約」であり、この人と契約を結ぼうと考えて治療してもらうものだ。
「ムカつくからガンと診断してやった」などという医者がいる現実を「準委任契約」という観点からもう一度考えてみる必要がある。
月光花。

人々が「個人的関心事」としている女性の人体に詳しいのも医者の強みであろう。
みんな病気を「悪」と考えている。
いじめられる原因は「病気だから」という側面があり、会社の健康診断の結果を受け取るときに手が震える。
みんな楽しく社会生活を送りたいし、病人をいじめることで「効率のいい」社会を作りたがった。
社員がキャリアを全うするというのは「健康ギャンブル」であり、会社もそのことにお金を払いたがったし、医学情報を上げてくれるのであれば企業としても割にあった。
クォリティー・オブ・ライフは「ただ日常生活を送る」ことにあったし、上層部も「何が最も優先順位が高いのか」ということを理解しなければならなかった。
「重役会議がある」というのは日本軍が世界に広めたものであり、それが「社員の効率性につながっているのか?」をよく考えなければならない。
毎朝、出社したら「何か面白い話はないか?」と部下に聞いて社内で起きた出来事を聞き「生物学的・医学的に」アプローチするのが社長というものだ。
医学というものは「いじめの元をなくす」ものだし、生物学とは垂加神道のように色恋沙汰を裁く司法のようなものだろう。
トップダウンの影響力は極めて弱く、末端まで行き渡るのは「医学か生物学」しかない。
「何か面白いこと」を知りたければ社長もわざわざ出社しなくても、馴染みの病院に出入りして「見解」をまとめるだけでいいのだ。
日本は戦争に負けた ロト7CM.

「誰に言えば動くのか?」
それはいちばんモテる「男」に言えばいいんだよ。
バランスシートや損益計算書と社長が「どんなゲームをやるか?」が問題であるが、利益とは「医学であり生物学の知識である」ということを理解する必要がある。
利益が出ないのならば「人が集まっても何一つ学ぶことがなかった」という意味だ。
社長が出版する「宗教学・政治学・経済学の本」のセールスが全てだろう。
雇用というのは職場に異性がいて毎朝「出社しよう」という気になれば成り立つ話であって、あとはどのような「宗教」(男らしさを語り合う論壇)。政治(女心の定義)、経済(男が女を愛する気持ち)をメンバーが学習し、本にするかが問われる。
「売上高」を見るのは当然かもしれないが、人が集まって「何を学んだのか?」というところからくるゲームであり、そのような大局的な見方が求められるのが企業経営というものだ。

すべての王は「父の遺骨を食べる」と言われている。
ペルシャのダリウス王がギリシャ人を招いた時に、ダリウスはそのように教わった。
「エジプト人は妹と結婚する」と言われて、哲学発祥の地はエジプトではなくギリシャであるというダリウスは判断している。
ISISのように「エジプト起源説」を取る連中はとにかく働き者だったし職業が保障されていた。
父親を息子の方が出世させる力を持っていたのはギリシャ人であったし、息子は父の遺骨すら食べた。
一方でエジプト人はお父さんに守られていてなんら進化しようとしていなかった。
父親を出世させて骨まで食べる、その学識にダリウスはギリシャ哲学をゾロアスター教にしようと考えた。
父の遺産目当てで死を望む奴には学がなかったし、父を逆に出世させて死を悲しむような学問体系がよりペルシャが欲していたものだった。
そのようなハートに自ずと人望は集まった。
カントもヒュームもこの境地に「学問を悟った」と言われる。
中国や日本の「王朝の滅亡」は「親の骨を食べない」ことから来ているとゾロアスター教は考えていた。
「五人殺してまで助けたい一人の男」はこのハートから生まれたし、それがペルシャの王の伝統となった。
ペルシャは世襲制ではなく、このようなハートを見て「王の器」としていたのだ。
ゲッペルスの「ミヒャエル」もこのような英雄物語を記していた。
それは、どのような「アカデミズムの空気」に触れていたかにかかっていた。
親の遺骨(ピスタチオアイスクリーム)が美味しいと思う男とそうでない男がいたのだ。
それだけで「0割5分」のアベレージは一軍レベルに跳ね上がる。
CoCo 横浜BoyStyle.

【新保守主義】
岡本太郎美術館に依頼して、第三者に絵画を送るように依頼するとする。
他人の資金で自らの影響力を高めることを意味するため、これは「新保守主義」と呼ばれる。
絵画を贈られた第三者は電話をしても「女が欲しかったのに男が来た」というリアクションをし、絵画が届いたことを否定するのだ。
大事なことは「岡本太郎美術館から絵画が届いたことを否定させる」ということであり、「ハイハイ、リップサービスね」という反応をさせないことだ。
これは「他人の資金で自らの影響力を高める新保守主義」にいつもつきまとう問題なのである。
電話をするだけでもそれだけは理解しておかなければならない。
電話やファックスだけで人をマニピュレートしようとするから起きる問題であり、それを「完全にお見通し」の境地になると仕事もしやすい。
こんなありがたいものを送ってくれる人、の他の部分にも興味があるのだろう。
「女が欲しかったのに男が届いた」と端的に表現される。
岡本太郎の絵画が届いたのがバレたら完全に「コントロール下」に置かれることからも当然「どちらにお届けになりましたか?」というリアクションをする。
「ハイハイ、話半分に聞いておきますよ」という反応でないのならば新保守主義はうまく機能しているということだ。
第三者の資金はあまりにも大きい、そのためにこのことを理解する必要がある。
この時に、相手側は「男らしい判断力」をもはや失っていることも見通さなければならない。
第三者からのビッグプレゼントの前には、みんな「どちらに送られましたか?」という狼狽にも似たリアクションをすることを知らなければならない。
本当にこれが理解できれば、相手に「食べさせて」仕事を続けるしかない。
スマートホン一つで世界を「一定の方向」に向けようとしているのだ。
みんな「その方向に何か危険なものはないのだろうか?」という心配をしているら、
「人を操るのは常に間違いなのだろうか?」という指摘もあるほど新保守主義は強さを持っていて、美術品のポテンシャルを発見して、人に贈るという営みを行う上では常に理解しておかなければならない。
「息子が迷惑をかけた」のならば相手は品物を受け取るであろうが、なにしろ「一定の方向に誘導しようとしている」のである。
これさえ理解できれば「状況を好ましい方向に」誘導できる。
岡本太郎はいまだ色褪せぬスターだった。
酒井法子 エアー〜サラダデイズ。

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