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2018年6月21日 (木)

国学。

儒学は、「お父さんが羊を盗んだ」(お風呂で娘にエッチなことをした)ということから、「髪の短い女」と「勉強のできる男兄弟」を研究する学問であった(仁)が、本居宣長は「髪の長い日本人女」を量産することを選択し、儒学と決別しようとした。
これを「国学」と呼ぶ。
寿司やラーメン、カレーだけで生きていこうという学問ではなく、日本の「髪の長い美女」を生み出す学問だったのだ。
古事記(712年)、日本書紀(720年)、万葉集(8世紀後半)で、「髪の長い女はすでに描かれていたであろう」とし、平田篤胤は、「仁」にこだわる将軍家よりも「髪の長い女」を愛する天皇を「お上」と仰ごうとしたのだ。
契沖は徳川光圀に雇われて和歌を研究し、アマテラスとは髪が長かったのだろうとしていた。
朱子学は17世紀に相変わらず「偏差値BOY」を歌っていた。
偏差値BOY うしろゆびさされ組。

儒学の世界では、お風呂というものが、家庭内でかなり開放的に「いつでも入れる」という文化があったため「環境」という観点からも男兄弟は勉強ができるようになったのだろう。
儒学が憲法判断を仰いでも「環境」という問題はクリアーできるだろうが、国学はもっと研究が必要だ。
賀茂真淵は万葉集から「50音」というものを考えた。
50音だけでなく「髪の長い女たちの失恋」「他の女とのぶつかり合う空間」を利用して18世紀に日本語を整えていった。
CoCo 優しさに帰れない。

本居宣長は、日本語というものを考えた賀茂真淵(1730〜1801)を「師匠」として選んでいる。
古文と現代文は「賀茂真淵」を境に区別されることとなった。
山崎闇斎(1610〜1682)は、あくまでも古文の世界の人物であることから、髪の長い女と髪の短い女の共存という日本の伝統を「神聖な時代」と呼んでいた。
新井白石も「髪の長い女に差別される男の子」(仁)を皇統であると考えていた。
中国のように「髪の短い女ばかり」という世界ではなく「共存という神聖な時代」があったとしたのだ。
「より強烈な天皇を」
それが新井白石の考えだった。
自宅のお風呂を息子に好きなように入らせるという考えに抵抗感を持つ主婦は多いだろう。
「環境権」という名称を「つかうかはともかく」「明確ではない」などと判例では語られている。
最大の争点は、主婦たちが預かる「お風呂」の問題だったのだ。
漢心(からごころ)という言葉は、国学の定義によると「髪が短い女からはエネルギーがもらえない」という中国への批判が込められていた。
真心(まごころ)の方が髪の長い女兄妹がいて家庭内が落ち着いているとしたのだ。
中国人の「闘争心」を家庭内から排除しようとしたのが国学だった。
しかも、そのイデオロギーを「現代文」に載せることにした。
本居宣長の「プロジェクト」とは、賀茂真淵が考えた50音・日本語に「髪の長い女たちの国にする」という教えを混ぜ込むことだった。
百人一首に髪の短い「姫」など1人もいない。
古事記伝の奥義はここにあった。
時雨殿。

本居宣長は、女を「ナオビ」と「マガツヒ」の2種類に分けた。
しかし、髪の長い女が与えてくれる力(ナオビノミタマ)と、玉くしげ(髪飾り)、クズバナ(髪にさす花)などの表現で髪の長い女を讃えた。
本居宣長の「プロジェクト」は「いじめのない世の中を作る」というところにあった。
水戸学派も、「髪の長い女」と「頭のいい男」の共存を望んでいた。
「玉ぐし料」とは髪の長い女のために納めるものだ、
頭のいい男が髪の長い女のために玉ぐし料を納めるという慣習は1930年代に丸山真男や西郷信綱などが資金集めとして考えたものだ。
ナオビとマガツヒは共存しているのだ。
「仁」のある男のお金目当てという意味では国学も儒学とは切っても切れない縁があった。
「髪の長い女」によるファシズムは1930年代に確実に存在したし、西田幾多郎は「処女・非処女論争」を煽った。
私の16歳 小泉今日子。

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