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Foreign Affairs

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2018年6月27日 (水)

肖像。

「肖像」とは、「その人の人間関係の一貫性」(プライバシー)や「他人が容認することができない情報」(秘密)とは対極にある言葉だ。
リリースすると同時に「人間関係の一貫性」が壊れ、「他人が容認できない情報」を流すことになる。
どんなエッチな作家さんなの?
誰を愛しているの?
この二つが一気に社会に拡散していく。
一気に多数派工作につながったり、作品が広まったりするため、基本的には「肖像」とはその人を祝福するものである。
ここで「肖像」が「女は金になる」(カント)ということを知っているかどうかが重要だ。
その作家の作品を拡散させることによって女たちが歓声を上げるような「肖像」でなければならず、人々がその作家の作品を語ることによって「多数派工作」を競わなければならない。
市民の「心の風景」をより良いものに導いていくのが「肖像」であり、顔を晒すだけでビッグマネーが動くかどうかはカント次第なのだ。
松井珠理奈。金になる女。

「家庭」を破壊してまで「儲けよう」と思ってはならない。
CM出演によって「壊れる家庭などない」というのが基本だ。
素人目にも「なんかあるんだろうな」と思うような「肖像」でなければならない。
そうでなければCMに出るメリットなどないのだ。
「なんかあるんだろうな」という思いがあれば、一気にカントが拡散していく。
つまり「女は金になる」という発想が映像一つで拡散していき、CM効果は最大化される。
また、CMの作り手が「この男のカントへの理解力は本物だ」という評価を下していなければならない。
エッチな作品は娘までは届かないだろう。
しかし、大人たちへの経済効果は抜群だった。
これは、「カントの解釈への強烈な意思表示」であり、この「肖像」の文章を読んでおけば資金集めは最大化されるという作り手の側の考えだった。
「肖像」を目の当たりにした瞬間、人々はまずひれ伏した。
その後、その作家の作品の「疑問点」をくまなく見て回ろうと考えた。
「肖像」が自分でも自信のない部分は容赦なく指摘されたし、よく読んでるなと感心することもあった。
しかし、たった一本のCMが、ポーランドに襲いかかるのを目の当たりにした。
作り手は「お前の家庭は壊していない、読者を増やしてやった。いい作品だよ。バーカ」と言って「肖像」にはまったく金を払わなかった。
これが「作品を世に出す」ということだった。
CM出演したり、サッカー日本代表に選ばれたりすることは周囲に「俺の方がお前よりもモテる」というメッセージを発信することであり、紀州のドンファンは本にそのことを記した。
「俺の方がお前よりモテる」というのは人から金を借りる基本であり、自分のVTRを銀行に持っていくと分かりやすい。
担保〜紀州のドンファンより。

しかし、CM出演したり、サッカー日本代表に選ばれることは「実際にモテることそのものが担保」となるために人的担保である保証人が必要ないことから、紀州のドンファンはそこまでメジャーではなく、「どの女にいくら払ったのか?」までを保証人に知られることを恐れ、自殺している。
資金メカニズムと女を理解しなければあの事件は解けなかったし、実際に可愛い奥さんを大事にしていたのだろう。
CMに出たり、サッカー日本代表に選ばれることのメリットを痛感する事件であった。
保証〜紀州のドンファンより。

プロサッカーは、あくまでも「プロ」である。
監督に鉄拳制裁を食らったり、就職先を斡旋してもらう立場にはない。
実力制の世界であることから、ひとつの「教団」として混合惹起説のもとに「選手が批判の的になったり監督が批判の的になったりする」ものである。
日大アメフト部の問題はあくまでもアマチュアの問題として取り上げられている。
怒られると文字も書けなくなりポカをやらかすのが人間というものだ。
錯誤〜日大アメフト部の問題より。


「他人が容認できない情報」を表に出して金も払わないのかよ!と思うだろう。
しかし、「カントを広めたい」「女たちが持っている金をかき集めたい」といえば決してインスタ映えしない顔で表に出されても「肖像」はまったく不満はなかった。
なにしろ「ポーランド戦」が控えていたからね。
いわば「緊急事態条項」として顔が晒されるのがCMというものだった。
「有事」は常にカントとともにあったし、ワールドカップは「戦争準備」としての資金集めを「緊急事態条項」をもとに行う場であった。
有事が終われば顔が表に出ることはない。
みんなが忘れていくだろう。
庶民は「あれが将軍様のお顔なのね」と思うだけだ。
このようにして「女たちの金をかき集める」というカントの考えはシジウィックの「放送法」によって世界に広まった。
日本はカントが死んで2世紀もたってから、ワールドカップ、ポーランド戦で緊急事態条項を用いた。
国民が見ている方向が同じになったからこそ、多少の「おべんちゃら」を「肖像」にも与える映像となった。
「この顔が"どんな女でも口説き落とす"顔だ」というメッセージを与えたのだ。
「二人の女がこいつを狙っているぞ」というメッセージも出した。
愛が止まらない Wink.

彼は結婚している。そのようなメッセージも加えたら、女たちに彼氏ができる。
男たちは「肖像」の本を読んで見たら、女が近づいてきたのだ。
「いくらでも払おうかと思ったよ」男たちは語った。
このような資金メカニズムを発生させる「暴君」であるカントを国全体が用いることを「緊急事態条項」と呼んでいるのだ。
暴動は「女たち」が彼氏を見つけることで治った。
彼氏は「理想の彼とは違ったけれど」というカップルのモデルもすでに出来上がっていた。
西野カナ ダーリン。

ワールドカップロシア大会の時に出会った彼氏、というのはカップルの「発信力」になったし、カントを愛読したことがあることを意味した。
ポーランドは「すでに負ける予定」を組んでいた。
本当の激戦になったら果たして「肖像」に全責任を負わせられるのだろうか?
結局、「戦いを記念に家族を作りたかった」というのがCMの作り手の本音だった。
キューバやチェチェンは、いったい何度「緊急事態条項」を用いたであろうか?
そこからアメリカ合衆国が学習していた。
昨日まで彼女がいなかった男に彼女ができるんだよ。
できるだけロマンティックな男になろうと誓った。
「肖像」に全責任を負わせることはできない。
これは昭和天皇の戦争責任論とも関わる問題だった。
戦争とお金の関係を知っている関係者はのちに出世している。
「負ける予定を組んでいる」ものを負けさせ、激戦になったら戦争責任はないという、これが「肖像」の用い方であった。
有事にCMに出てきた男は、言いたいことがあったから出てきたのであり、決して混乱に陥ったり病んだりはしない。
「負ける予定を組んでいる」者にお金を差し出すだけだ。
奇跡の肖像 工藤静香。

「スポーツを誤解しないでくれ」「我々は真剣勝負で負けても構わないと思っている」という議論は確かにあった。
しかし、負けて「彼女が落胆する」のはかなりこたえた。
「プロ市民と政府」は、このようにして「真剣勝負に介入する一つの要素」に過ぎなくなった。
プロ市民と政府は「情報収集」を熱心に行い、どうにかして国民を喜ばせてやろうと考えるだけにとどまったのだ。
簡単にワールドカップの歴史を操作することなどプロ市民と政府にできる能力はないとも言われた。
そこでCMも「作家の宣伝」としてではなく「いま、最も安定した"父親のような人"」を表現するにとどめた。
それでも「男性として魅力的な人」を制作側は常に選択していた。
しかし、もしプロ市民と政府の側がワールドカップに勝ったのならば、次の選挙結果を政府の側は「プロ市民にプレゼント」する形で投票結果をコントロールするとも指摘された(シークレットバロット)。
愛国心を組織の統制に用いていたのは政府の側だったのだ。
そこで再び「スポーツってのは真剣勝負を行うものだ」という議論がなされ、ワールドイベントでの勝敗をお金で決する方が選挙より難しいという議論に方向は定まった。
なぜ、「公正な選挙結果」というのはあるんだ?
ワールドカップの方がよっぽどお金がかかるのに。
宗教マネーが幅をきかせる国ではそのように語られたが、まさか日本で起きるとはね。
「永田町の論理」よりも「プロ市民の論理」が勝ることがある。
それはメディアの圧倒的資金力によってであった。
宗教界の方が政界よりもより深刻に事態を受け止めていた。
「これがアメリカか!英語読めね」
DAPUMP USA.

しかし、プロ市民が「女性や子供たちへの配慮」に通じていなければ政府の心に響かないし、より「分かりやすく」物事を書き記し、眠っていた人たちを叩き起こすようなエネルギーが「父親のような人」に求められた。
「政府に通じる」プロ市民がいればの話であるが、語感の問題から果たして人々に「プロ市民」が「プロスポーツ選手」と同じ扱いになるのかはまだ不明である。
結果を見て、人々は「とにかくあいつのワイ談は最高なんだ」と語り合った。
ビッグイベント請負人と陰口を叩く人もいたけど、結果には圧倒された。
勝てるとは思わない相手だったからね。
本田圭佑インタビュー。

「カントは常備軍を否定していません」(長谷部恭男)。
これは、カントが自らの学問(女たちをお金に変える)の拡散を狙ったものであり、一気にドンと広めることを「緊急事態条項」と呼んでいるものと思われる。
長谷部恭男と石田勇治・緊急事態条項について。


【AKBグループや坂道シリーズとカトリックについて知りたい方はここから読んでください】
女が「肖像」になった場合は、規模が大きくなるほど政府からの強要で「彼氏はいるの?」聞かれ続ける。
なぜならば国の豊かさの指標である日経平均株価を任せなければならないからだ。
政府は11歳の時から珠理奈(21)を見ていた。
危険な女が出てこないように。一人の女に国が頼りきることのないように仕切りに男を与えようと「国が」試みてきたのだ。
「彼氏がいます」と言えたらどんなに楽だろう。いろんな男を撃退できるのに。
オンエアで「彼氏はいません」と言ったらどれほどの男が押し寄せてくるだろう。
実は8位の大場美奈(26)いちばん優秀だった。
体力的な限界を人気とナルシシズムがうまくフォローしてくれたという側面もある。
松井珠理奈に頼りきる日本政府。

幾多の強者どもをのしてきた王子や、略奪愛の存在や、教育、そして「どんな女も口説き落とす学問」が国家レベルで大場美奈や松井珠理奈に襲いかかるのは目に見えている。
「この国の男たちと契約を結びたくないのか?」
国家レベルで男たちの力が高まるのを感じた。
ブラックマンデーもクレジットクライシスももう勘弁してくれ。
適当に彼氏を作ってくれ。
国はまるで大場美奈や松井珠理奈に哀訴嘆願しているようだった。
円安(男安)は簡単すぎる政策だ。
男が弱くなるとインフレになる。
政府も円安(男安)を望んでいるような発言もあるが、王子は明らかにトミズムの立場から男たちに情報を流し、日本はデフレという「先進国の優等生」にまでなっている。
つまり「感じなくなる女が増える」(インフレ)か「激しく女が喘ぐ」(デフレ)かと言われると、女たちは「やっちゃいました」という立場に立っている。
口説き文句の取引は東京証券取引所で毎日、行われているが、日本はすでにデフレであり、特定の女が「自分の体のパワー」を楽しめる状況にはない。
円高(男高)は外国との兼ね合いもあるが、どの国も妥協の余地はないはずである。
ワールドカップで日本の男が弱いことを証明しようなどとは誰も思っていない。
AKB総選挙。ニュース。

円高になれば男と女は自然と惹かれ合うものだ(ガウスの定理)。
女はナルシシズムに浸ると太る。適当に凹んで錯誤を引き起こしていないと痩せないのだ。
「リベラル」とは「セックスした男の数を数える」という立場であるが、「ゼロ」というのもそもそも国全体がリベラル国家になっているものである。
「三人目の男と別れた」と言うように、セックスと真剣な交際を完全に区別する保守的な女もいる。
政府の考えは「アイドル処女女に男を与えた方がいい」というものだったが、人々の間では「女の次元を菩薩界にまで上げること」はとにかく人気があった。
「文春砲」の洗礼を経た上で、女たちは有名になり、歌って踊ることを「取引」にかけて、人気を背景に「政府の考え」に立ち向かっていく。
寂しい想いなどどのアイドルもしたくはなかった。
「取引」がうまくいかないと、政府の考え通りに男に走った。
「レイプに遭ったか、男にバカにされた」
これだけで女は「くたびれた女」になり、世の中を知るようになる。
世間知らずの女に国の命運を預けたくない、これが政府の考えだった。
「政府の力に負けた時に私は存在感を増した」
指原莉乃。

彼氏ができた時に、市民になれたし、仲間ができた。
男の影がちらつく女の方が力があるのかな?とも思った。
カトリックのシスターはなんで人気があるのだろうか?
バチカン市国が証券取引所を運営しておらず、国の命運を女たちに託していない。
だからこそ、カトリックはバチカン市国のもとでは「次元を上げる」という同調行動が起きた。
「イタリアとは別の国」としなければ無理だっただろう。
「クルーガーランド金貨を地の底に落とせる」とも言われる力を持った。
バチカン市国出身のAKBというのも可能性としてはあるだろう。坂道シリーズにもいるかもしれない。
8億人の信者がいて、世界を地獄に落とせるバチカンのシスターがどこまでAKBに食い込んでいるかは明らかではないが、すでに一位になっている可能性もある。
しかし、カトリックのこの力に対しては、周りの女たちが何をいうかはともかく、少なくとも男たちは「有名女を守る」発言をした。
しかし、ほとんど直感に等しいため、株価大暴落を避けるためには「より統制の取れる形で」女を守らなければカトリックの影響力はとどまることを知らないとも言われた。
処女たちは自分の大勝利を喜んだし、男たちは「俺たちのコミュニティ」に仲間が加わったことを喜んだ。
そこで「統制を取る」というのは極めて困難な作業だった。
高度な政治意志が自己都合で「俺のアイドル」を破壊したことに怒りを隠さないものもいた。
有名処女女を狙った男が偉いのか?それを文春砲に狙わせた男が偉いのか?という男同士の喧嘩もあり、なかなか困難な問題が付きまとうのがカトリックの世界であり、高度な政治意志の乱用は決して自分に有利には作用しないことも学習したのだ。
プロダクション尾木は、少なくともCoCoの三浦理恵子と羽田恵理香を守った。
背景には潤沢な資金力がなければならない。
カトリック学校連合会やバチカン市国との連携も必要だ。
アメリカの牧場主や、フランスの大企業の資金を引き出す可能性がある。
「私たちが助けた男」はシスティナ大聖堂に描かれている。
AKB48 teacher teacher.

【統制を取るという軍隊の発想は全員の恐怖心をなくす】
NMB48 欲望者。

【音楽作品づくりというものは、一組のカップルを重視する保守的な営みである】
SKE48 いきなりパンチライン。


ロールズは「無知のヴェール」をかけてみよう、と言った。
いろんな文脈を抜きにして、女の子を可愛いと感じる心があれば、男たちの失望など消えて無くなると考えたのだ。
「自分の目で見て判断する」
そのためには握手会をやらなければならなかった。
自分の目で見て判断し、マスターベーションをすれば、「女の復権」がなされることが分かったのだ。
ジョン・ロールズの「正義論」とは「目の前の女の美しさ」を強烈にアピールして、カトリックに対抗しうるアメリカ合衆国の強さを見せつけた。
女社会で孤立して街をうろついていた「以前の憧れ」の女が自分の部屋に来るかもしれない。
そう思ったら、なぜか女を許せる気がした。
勉強すればカネになる、そのように大学が指導しているのであれば、孤立した「以前の憧れ」の女と出会ってもおかしくはない。
株価を大暴落させようというカトリックの教えはロールズを震え上がらせ、「その後の展開」を予想せざるを得なくなった。
「どうするんだ?勉強したら金持ちになれるって証明してくれ」
これがジョン・ロールズが全米のアカデミズムに出した要求であった。
中森明菜 セカンドラブ。

学校や部活、課外活動のはぐれ者になってもいいのか?
カトリックは痛烈な反撃を試みた。
「処女・非処女論争」はそもそもが「文春砲によって自分の立場をよくしよう」とした高度な政治意志が引き起こしたものだった。
教科書を書く王子様と、略奪愛をする女たち、そして教科書を影響されやすい若者たち、そして「すべての女を口説き落とせる」力量を持つ男たちのいる社会と契約を結ぶ、これが「セカンドラブ」だった。
セカンドラブならば「誰でもいいわ」と女が思うために合同結婚式を考えた者もいただろう。
避暑地のアンニュイ 河合その子。

文鮮明は、女をできるだけ美しくさせて「無知のヴェール」をかぶせれば、最高のイベントができると考えた。
男も「略奪愛」の対象となる結婚であったために、よっぽどのヘンタイではないんだろうと考えられた。
合同結婚式は「童貞マザコン坊や」の行く場所ではなかった。
セカンドラブは誰でもいいと考える女と、お金をたくさん納めることができる社会経験の持ち主が参加するものだったのだ。
ジョン・ロールズを朝鮮半島に持ち込んだ文鮮明は「これはもはや洗脳である」と語られた。
日本のように「学歴があってもあまり儲からない」という社会ではなかったからだろう。
カップルにさえなってくれれば、「教えにしたがって欲しい」と言えるだけの自信が文鮮明にはあったようだが、日本にその「教義の真実」が伝わることはなく、アメリカを見るしかないだろう。
パートナーさえいれば男は金持ちになれる、これが文鮮明がカントから学んだことであり、学歴がモノを言う韓国という国だった。
日本では蛇のように嫌われた朝鮮の「学歴社会」であるが、日本ではFランなどと言われるように、大学に入ったからといって豊かな生活や文化が保証されるわけではなかった。
日米安全保障条約を締結してから、日本はプレビシットに陥り、大学で学ぶ機会が失われていた。
しかし、「アメリカへのリスペクト」は日本の方がより柔軟に持っており、ハーバードやスタンフォードの学問を「洗脳である」などとは誰も思っていなかった。
キリスト教社会は「髪の長い女」を資金源とするものであるが、韓国とは異なり、北朝鮮はいまだに「仁」つまり朱子学(主体思想)がメインストリームにある。
儒学とキリスト教という根深い対立が、韓国は国際社会に認知されても、北朝鮮は世界から孤立するという構図を作った。
「髪の長いキリスト教女」を量産した文鮮明は、西郷どんでは「宮様のお考え」であり、北朝鮮は徳川日本をかつて指導したイデオロギーをいまだに持ち続けている。
西郷どんとキリスト教対儒学。

文鮮明がカントやロールズから学んだことを見て、世界は「やはり処女の力ってのは凄えな」と思い直した。
女たちの団結が物凄かったのだ。
AKB48なんて見てないで、クラスの女の子をまじまじと見つめ直して見た。
偶像崇拝の事実上の否定という意味ではカトリックはやはり正しかったのだろうか?
ロールズは迷いの跡をひたすら書き綴った。
テレビに出ていない女の子にも「無知のヴェール」をかけてみなよ。

「良心」というものは「自分の内面を覗き見ることと、自分の彼女の性格」から形作られるものだ。
自分の内面がいろんな事情でゴタゴタしていたり、自分の彼女の性格も「カトリック殉教者」のようでなければ、「敗者に寄り添う男」にはなれない。
ヨゼフ・ゲッペルスには良心というものがあったと言えるだろう。
雄弁なだけがゲッペルスではない。
ヨゼフ・ゲッペルス自殺。

しかし、ゲッペルスでなくても、「指導者の知性を愛して側に寄り添う」者はいる。
周囲の人の内面のゴタゴタと、その人のパートナーの性格、そして指導者の知性の三つが合わさってオフィスというものはできている。
人が離れていっても周囲の「良心」だけを責めるわけにはいかない。
自分の知性次第で人が離れていかないすべは身につくものだ。
最後まで修羅場を凌ぎ切ったら、それは大変な「仲間」となるだろう。
ヒトラーは孤立したが、スターリンは孤立しなかった。
指導者レベルの「知識への渇望」はもはや「スーパーエゴ」とも呼ばれた。
カトリック殉教者のような女を大勢作ろうという方向にまず「スーパエゴ」は向かった。
戦争での孤立ほど寂しいものはなかったからだ。
パートナー次第で男の「良心」は変わる。
「人を裏切るものは俺をも裏切るからな」というのは自分(俺)の知性に自信がないか、あるいは「内面のゴタゴタを抱えている奴で、パートナーに恵まれていない奴」という意味であろうことが分かる。
「知識」とは、修羅場を乗り越えたら世界全体を見通すことができたというレベルのものが指導者には求められる。
他人の良心というものは、自分の知識の問題でもあり、他人のパートナーの問題でもある。
一概に「その人の良心」という語り方は出来ないものだ。
カトリック殉教者のような女に「豊かさ」を約束する必要がある。
だったら俺のアイデンティティってなんだろうな?と周りは考えるだろう。
「内面のゴタゴタ」のことを「思想」と呼ぶ。
しかし、思想以外にも、仕える指導者の知識やパートナーの性格に左右されるのが良心というものだ。
敵がいるから戦争というものは行われる。
当然、敵にも同じ図式が成立しているはずだ。
果たして首脳陣のパートナーに豊かさが約束されているであろうか?
カトリックの良心とは、かつてバチカン市国のシスターであり、世界に配置され、裕福な夫と結婚した女であった。
日本国の「恋愛と結婚は違うスポーツ」という女はカトリックの豊かさが約束されない。
日本の性文化は「彼女の性格」にはほとんど期待できない「知識のアスリート」でなければ指導者は務まらない。
緑のポインセチア 河合その子。

中絶は良心に反するか?それはカトリック女の魂への配慮の問題であり、指導者が中絶禁止という主張をすることはあるだろう。
指導者は家臣のパートナーの「心」を理解しないといけない。
中絶禁止をすることは「どの男に触られても文句は言えない」という意味であるが、生殖を女がコントロールしないことは「恋愛と結婚は違うスポーツ」と公言するわがまま女をなくすことであり、ここでもかなり胎児が大きくなっても中絶を認めている日本国においては「指導者の孤立」というのは起きやすくなっている。
「触らないで?子供ができるから」というセリフも女にはあるが、これはカトリックの立場であり、指導者が周囲への「良心」を求めるためにある表現である。
中絶禁止とは指導者が煽るムーブメントであり、人々はその本当の意味を戦争などで体感することは難しいのではないだろうか?
アメリカ合衆国もロー対ウェイドで中絶を認め、不人気な戦争による指導者の孤立というものが起きやすくなっている。
「知識のアスリート」でなければ君主は務まらない。
ベルギーの国王はフィリップであり、カトリックの指導者である。
ベルギーに中絶薬をばらまいたり、「結婚と恋愛は違うスポーツ」などという言論を広めることはもはや「戦争」と言っていいぐらいワールドカップサッカーを有利にする。
「触らないで」ということを女が言うことを認めたロー対ウェイド以来、指導者は中絶というものを理解しないと孤立するようになった。
YADA 米光美保。
敵との知恵比べではあるが、勝ってみて「世界が見渡せる」爽快感は連合国側はノルマンディー上陸作戦で果たしている。
そもそも、指導者と家臣は女をめぐって争っていてはならず、「己を知らない」男は「ワールドクラスの戦争」を一度経験させてみるしかない。
すぐに孤立が訪れるからだ。
メジャースポーツから選挙、司法試験、あるいは大学入試など規模の大小はあるだろうが、必ず「陣営」というものは組まれる。
「知識のアスリート」でなければならないお国柄で、戦ってみなければ君主の器は分からないのだ。
「戦いを好まない体重0キロ」などスーパーマンでもなんでもない。
戦わないのに空を飛べても意味がない。
「選民思想」というものは「知識のアスリート」以外が用いる言葉ではない。
日本が世界最大のスポーツの祭典であるワールドカップに四年に一度巻き込まれるのだ。
四年ごとに隠れて生きるのは君主の器ではない。
家臣もだんだん世界が見通せるようになる。
「永遠の友情」などという言葉は世界全体を見渡してから言ってもらいたい。
指導者はあのとき何を言っていたのか?
家臣はよく理解していた。
「良心」というものはのちの人生に役に立つものだ。
赤いスイートピー 松田聖子。

ノルマンディー上陸作戦において、アイゼンハワーは「世界の宗教の王」となって部下たちは世界を見渡した。
「I like IKE!」という言葉も生まれた。
のちに大統領になっている。
永遠の友情とは「世界の指導者と知恵比べをした」ことがあるから生まれるものだ。
世界各地で人々が集まって熱狂しているとすれば、ひたすら顔を出して「彼らの論理」を学習していくしかない。
永遠に友達 瀬能あづさ。

「私の心を分かってくれる領土の内部の男性」
ウェストファリア体制は、女たちが失恋空間を背景に自由に言語が作れるようになったため、「性の経験」で国を分けた。
「私の心」と言ってもいろいろあったので、男たちによりシンプルな「宿題」を出したことになる。
「文春砲」の威力を残存させたフランスと、それをなくしたドイツはヨーロッパ中世からの争いごとをなくすことになった。
「私の心を分かってくれる男性」はいろんな国にいていいでしょう?
parisが聞こえる 河合その子。

州政府の男よりも連邦政府の男の方が女心に詳しいとも言われる。
一つの領土に一つの言語で、発信してくれる男がいればいちばん良かった。
領土内には独特の空気があった。
王子さまがみんなからいじめられていて支持を拡大させようとしていたのだ。
しかも、王子さまは生きていて、この国の同じ空気を吸って同じニュースを見ていなければならなかった。
アクィナスが自伝をまとめた時に、それぞれの家が「アクィナス自伝」を自己流に解釈し、「旬ジャンル」はバラ戦争を迎え、「私の家は高貴な血筋」と呼ばれる貴族が生まれ、その貴族たちが30年戦争を行いウェストファリア条約で国を分けたのだ。
最初からフランスやドイツに「王子さま」がいた訳ではなかった。
100年は待たなければならなかった。
神聖ローマ帝国(ドイツ)はヨーロッパの中心でありながら、文春砲を飛ばすカトリックや、アラゴン、スイスなどに分割されたのだ。
処女の力に頼りすぎない、それはヨーロッパの中心である神聖ローマ帝国にとっては当然のことであった。
処女には文化的豊かさがないとも言われ、ドイツは豊かな資金力を手にした。
インディゴブルーラブ。

ルターは「魔女裁判」などをやってきた「処女・非処女論争」を経て、国を処女に預けることの危険性を察知し、「恋愛ソング」「失恋ソング」を王の詩として拡散させ、「領土」というものをもはや譲れないものであるとした。
アクィナスがインフラを作ったカトリック国は、文化的成熟がなされていなかったけれど、処女が大人たちを震え上がらせた。
ヘビーローテーション AKB48.

金儲けの方法や仕事は「30種類ある」とも言われ、すべて憲法に書いた。
6つのノーベル賞ではすべての仕事を覚えることはできないのだ。
しかし、「鉄と石炭」で動いているこれらの「仕事」には確実に女たちが関わっていた。
仕事は6時間はみっちりとやって欲しかったが、残りの3時間は職場の男女で話がしたかった。
ベネディクト16世は「職場とはセックスサークルである」とし、30歳を迎える前にすでに戦力となれるような「仕事」と、あとは果てしない「女心の探求」の世界を社会に構築した。
「主権はどこにあるのか?」
それは王子が育つまでに100年かかることから、永続的に「天皇主権」とも言えないし、「女心を知らない方が気持ちいい」という女もいることから「国民主権」とも言えない。
国の男が「どのように育つのか?」という国際関係論を見ながら、「国家主権」を視野に入れながら「国のピンチを救ってくれた力の存在」を判断していくしかない。
最後には君主に丸投げされるのが主権であるが、それに応えられるかどうかは君主の力量次第であり、女たちの落胆などを見ながら領土のあり方を探っていかなければならない。
文鮮明の朝鮮での活動を見ていると、もはや韓国はどこの国も落とせないのかな?と思うこともある。
中国に泣きついたこともある。バチカン市国に泣きついたこともある。
そのようにして国際社会で生きていくしかない。
ワールドカップは厳しい戦争だった。
異なるエネルギーを持った者同士を一本の線に乗せるとどちらかのエネルギーが減殺されるが、ワールドカップの線形代数に6月に行われた「AKB48総選挙」のエネルギーを出来るだけ「角度をなくす形で」乗せることが大事だった。
西郷どんも角度をなくす形で乗せようと考えたが、線形代数というのは「異なるエネルギー」と「角度」を相手にするものであり、ポーランドが得意とするものだ。
今回はポーランドのワルシャワスクールに学ばせてもらい、西郷どんも「角度をなくす」努力を文鮮明・キリスト教と絡めて行ってみた。
どうせ敵はみんなキリスト教国家だからね。
ベルギーがFIFA世界ランキング3位だと聞いて、「次の試合」を想定することはできないと考え、紀州のドンファン事件や日大アメフト部の問題も「角度をなくす」努力を行なったがどうなるかは分からない。
ベルギー国王のフィリップ自身がスタンフォード大学にいて、私と同じ情報を持っているであろうことから「お国柄」の勝負になると思う。
スィートミリタリー 渡辺美奈代。

天台宗は「教義はないが神聖な場所に顔を出すように」という教えをもっている。
国内の様々なイベントを「同一線上に乗せる」ことでワールドカップを戦うことは比叡山延暦寺の教えでもある。
比叡山延暦寺。

オペレーションの総括。
日本対ベルギー。

日本が外国と戦ったことから、日本国が「女たち」をどのように扱っているのかの真実を見た。
男社会で、フランス大会以前は出場さえ許されなかった国だっただろう?
もはや女中やOLだけの国ではない。
彼女たちに「贈り物」を届けようと大人たちは必死になった。
なぜならば彼女たちがお金を出すだけの十分な資力を持つに至っていたからだ。
1981年のパットナムや、1995年のヤングなどが「女子たちへの贈り物」こそが国際試合の真実であることに気がついていた。
宮前真樹 笑顔でノーサイド。

ホテル日本閣事件で小林カウという女が「女性で初めて」死刑になった時に、日本国は露骨な「男女別コース」の解消に向かって動き始めていた。
ヨーロッパでは1807年にジェーン・オースティンという女が死刑になっていたが、国が民間人女を処刑するということをやらなければ、民間での「男女別コース」は解消されなかった。
林真須美や麻原彰晃の妻などが出てくると国の強度はむしろ高まる。
もちろん「毒婦」の存在には批判も多い。
しかし、女が「立証責任」を負うことは国にとっては好ましいことだった。
すれ違いざまに女に「バーカ」と言われるのは「毒婦」に会ったような気もするが、これがワールドカップでの日本の立場を強くした。
はっぱ隊 やった。

1970年代に女子たちが東大進出を始めた。
第1の波が「お金持ちと結婚したい」というものだったとすれば1970年代の「第三の波」は「触らないで」とか「恋愛と結婚は違うスポーツ」などというものだった。
1980年代に関してはすでにこれらのムーブメントは着々と進行しており、マツコデラックスがコメントを残している。
処女性について。マツコデラックス。

女心の定義(政治)を、男に奪われる前に女が学習して暗号化してやろうという女たちが多く、男が体力にモノを言わせて公然流布させたのは2015年の垂加神道が初めてだったんじゃないかな?
それまでは「上野千鶴子詣で」が政治の側から行われていた有様だった。
女心の定義(政治)を女たちが男たちの無関心を背景に先に手にしたのは事実だった。
第1の波と第三の波の間に「私たちがフェミニズムを先に覚えるのよ!」という第2の波が存在したであろうことは想像に難くない。
しかし、第2の波と第三の波はほとんど時期が重なっている。
「女心の定義」(政治)を女たちが握ってからたちまち「触らないで」「恋愛と結婚は違うスポーツ」というムーブメントは始まっている。
とにかく1970年代に東大に進出した女たちの迫力は物凄かった。
上野千鶴子が「女帝」となってから、男の側がその座を奪い返すのは苦労したよ。
政治的無関心が広まった時期もあった。
垂加神道〜スタンフォードとJPOPの出会い。

「良心」の問題から三角大福中以降の指導者が孤立感を高めたのも事実だ。
「女の抑圧」というものは指導者に権力を集中させるのに都合が良かった。
しかし第2の波は、容赦なく「政治とは何か?」「指導者への忠誠心とは何か?」を男たちに見失わせるのに十分過ぎた。
男たちの失脚と、3万9千円で女を買うというようなバブル経済も引き起こされた。
しかし、「本屋から面白い本が消えた」ことから女たちまでもが値崩れを起こし、バブルは崩壊したのだ。
上野千鶴子は、一部の「商売女」や芸能界に情報を流すにとどまった。
米光美保 YADA.

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