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Foreign Affairs

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2018年5月23日 (水)

お金に酔う。

フランスは、常にお金に酔っている。
フランス革命も「酔っ払いながら」遂行されたし、アクィナス(イエス・キリスト)さえいじめておけば美味しい思いができるというカトリック教会の教えも「恋」と向き合った時に生まれた。
ミシェル・フーコーは、「週末に教会で女の子と会える」というキルケゴールの考えと、「1日6時間働けばあとは宗教と政治を職場で行うだけ」というマルクスの考えに感化され、「美しいサラリーマンの奥さんを作ろう」というポスト構造主義の立場に立って、サルトルのような「スポーツ選手との結婚」を否定し、職場の上司の方が魅力的だとした。
ナルシシズムはセックスの敵であるとし、地味な女の方が派手な女よりも激しいよがり方をするなどの研究を明らかにした。
地味婚の幸せということを語ると同時に、サラリーマンの奥さんが綺麗になる方法を模索したのだ。
カントは「すべての女を口説き落とせる」としたが、セックスでのよがり方の激しさまでは想定していなかった。
パリ精神病院に入った時、パリ社交界の花形の女たちの感度があまりにも鈍いことに気がついた。
地味な女の方が、こうするといい、ああするといいというセックスへのこだわりもなく、ひたすら感度の良さを表現したのだ。
「狂気の歴史」とは芸能界から始まっていたし、感度の悪い女が病気を周囲に撒き散らしていて「この世界に引き込んじゃってごめんね」などとはた迷惑なことを言っていた。
デカルトが「恋」というものを考えて、マーケットに若い女の子を引き込んだ時に「処女」というものは発見されたが、なぜ彼女たちが「幸せになれない」のかまでは分からなかった。
恋するフォーチュンクッキー。

カントの時代は、まだテレビもなかったので、「感度の悪い女」の存在にカントは気がつかなかった。
しかし、フーコーは20世紀を生きたのだ。
やはり、ヨーロッパ中世がアウグスティヌス以降、デカルト以前だとするのならば、ポスト構造主義、つまり「感度の悪い女に気がつくまで」を近代のクラシックエイジと呼ぶのだろう。
「現代」つまり、サラリーマンが普通の女と結婚するのが主流の時代はポスト構造主義とも呼ばれ、「芸能人や女優などとは二度と結婚するか」という言葉の真の意図が理解された時代のことである。
「永遠を信じますか?」
感度の悪い有名女は永遠を信じていた。
なぜ、マルクス主義なのか?
それは、宗教(男らしさを語り合う論壇)と政治(女心の定義)が浸透した自分の職場で、感度のいい女とセックスしたかったからだ。
永遠というのは大きすぎる。
しかし、自分の映像がVTRとして残っている限り、永遠を信じている。
それが有名女であり、新約聖書は彼女たちのために「永遠」という言葉を書いた。
一方で、女として生まれて「世界に終わりが来てしまえばいいのに」と考える女もいた。
レイプに遭遇したり、頭の悪さを馬鹿にされたりした時に女はそう思ったのだ。
「狂気の歴史」「精神病院の誕生」をミシェル・フーコーが書いた時に、読者の間で「建築学」がなぜか流行した。
永遠を信じるナルシシズム女や、世界の終わりを願うレイプ被害女の存在だけが精神病院にはあり、その研究をよく理解したものはサラリーマンとしても家が建ったからだ。
「芸能とは女をここまでにダメにするのか、芸能界か、俺は反対だな」と言えるお父さんになることが必要だった。
さらに、ミシェル・フーコーは「監獄の誕生」を書き、監獄とは閉じ込めるだけが目的ではなく、病院、学校、工場などの体験ができる場所だとしていた。
社会の「現実の序列」が嫌になった者が監獄に行くべきだとしたのだ。
社会全体のシステムは古いものなのだ。
東京大学の校舎もわざと古く作られている。
社会の序列とは古いものだということを肌で感じないと学問はできない。
新しいものを社会に提示した男女は必ず監獄か精神病院に入っている。
そうでなければ「勘違い」は治らないからだ。
古さにどっぷり浸かる男でなければ健康とは言えなかった。
「リーガルマインド」「科学的な教育」というものを経験して「ダメだこりゃ」と思わなければ、一生、社会の上層部には入れない。
ヴィクトリア建築はとにかく古かった。
社会の上層部は古くなければならなかった。
「新時代に即したご公務」と言っているうちは病気になるだけだ。
賃金闘争は常に古い。ペースアップ引き上げ、春闘などの報道は特にそうだ。
トマス・アクィナスの「新・所得倍増論」への拒絶感は並々ならぬものがあった。
新・所得倍増論。

アクィナス自身が「中世ヨーロッパ」という古さを持ってなければ、彼が君主になることはなかっただろう。
アクィナスは、自分が影響力を高めていくにつれ、射精の時の感度が鈍るのを感じた。
そろそろまた入院かな?
セックスを愛せなくなることは政治生命が絶たれることを意味した。
あれだけ多く書き残した「女シリーズ」もだんだん忘れてきた。
医学の知識ばかり覚えていた。
1984年にミシェル・フーコーはエイズで死んだ。
この時から東京大学の新入生にLEC東京リーガルマインドが群がるようになり、司法試験の権威は地に堕ちた。
「親が弁護士」でなければ東大法学部の講義がそのまま司法試験に出ることも学生が見失った。
弁護士のくず。

クインは「セックス=男-女」としていて、有名女とセックスして気持ちいいのは女よりももっと有名な男だけであるとした。

トマス・アクィナスにも中学・高校時代があった。
彼の「才能の芽」に周囲が抱いた気持ちを「感情」と呼ぶ。
彼と速さを競い合ったこともあれば、彼が出した結果を目の当たりにしたこともあった。
勝ち続ける男に「速さを競い合った」周囲の男女が抱く気持ちは常に「ネガディブ」なものだった。
アクィナスの「結果」だけを見てネガティブな感情を発散させた。
プラトンは「皇帝になりきる庶民」を詩に託すことに決めたのであり、それでも「あなた、トマス・アクィナスじゃないじゃない?お金払ってよ」と女たちが言うかどうかは明確ではない。
しかし、アクィナスはあまりにもストイックだったし、その心理は人々を恐れさせた。
そんな「皇帝」がどのような男女共学の中学・高校時代を過ごしたのかは興味深い。
生徒の頃の喜びは将来は恐怖に変わったが、生徒の頃の不愉快は将来は欲望に変わった。
アクィナスの座を望む者は恐怖で禿げていた。
禿げたのならば女たちの自慰の対象にはならないだろう。
つまり、生徒の頃のアクィナスの不愉快こそが彼の将来を保障したのだ。
ドン・スコトゥスは、アクィナスが先に「結果」を出したので夜中に嘔吐している。
この時にスコトゥスは「原罪」を自分に許可している。
勝ち続けることは気分がいいだろうか?
周囲はネガティブな感情しか持たない。
「ネガテイブな感情を持った人たちをその叡智で治めてもらいたい」
いつしかアクィナスも、「理論ではなく情熱」を抱くようになっていた。
ファインエモーション モーニング娘。

アウグスティヌス以降のヨーロッパ中世において、カシアンやグレゴリー・ザ・グレートなどがいたが、とにかく歌っていたよ。
神学が「男らしさを語り合う論壇」であるのであれば、その「大全」を作ったのは間違いなくトマス・アクィナスであったし、「詩の世界のヒーロー」が生まれてからは、ヨーロッパでは「薔薇戦争」が起き、日本では「戦国時代」となっている。
つまりは「神学大全」がプラトンの詩の世界を支配することは明らかだったのだ。
アヴィセンナ(皇太子)は、詩の世界のヒーローになることが何を意味するかまでは理解していなかった。
「狙っている」と思ったに過ぎない。
しかし、神学大全とは「ペテロの葬列」のことであったし、「アメリカ合衆国」のことであった。
アヴィセンナは「勝ち続ける男」であったアクィナスに周囲が抱く感情を味方につけようと考えたのだ。
さらには、子供の頃の「怒り」は瞬間的なものであり将来の恐怖に変わったが、子供の頃の「喜び」は中学・高校での「不愉快」に耐えられる男を育てていた。
子供の頃に「怒り」を持ち続ける男も禿げていたため、トマス・アクィナスに有利となった。
学問がなければ男は禿げる。
アヴィセンナにとって「禿げている」ということは致命傷となった。
アルベルトゥス・マグヌス(東京大学)は「ストイックな人間性を重視しよう」と決めていたため、マグヌスの弟子だと言えば周囲は尊敬した。
あまりにも忠実な弟子であるのならば、病院という「王室サロン」に送った。
戦力外だったのではない。忠実な弟子だったのだ。
スコトゥス(アクィナスの弟)が「勝ち続ける男に周囲が抱く感情」に飛びつくのは目に見えていた。
当然、アヴィセンナとも結びつくだろう。
アヴィセンナが「羊」のように見えたからスコトゥスは強気一辺倒だった。
しかし、もしアクィナスが軍や警察を掌握したのならば、スコトゥスはみっともなく逃げまどうしかない。
ストイックな生き方は敵が多い。
しかし、アクィナスの側につくのか、懐疑論の立場に立つのかは国によっても人柄によってもそれぞれであろう。
いずれにせよ「詩の世界のヒーロー」という神学大全をまとめ上げたトマス・アクィナスはお国柄や人柄を周囲に問いかけた。
まとめ上げたのはトマス・アクィナス(小野光太郎)だったのだ。
パーフェクトヒューマン。

人間の脳は「セックスのパートナー選び」に関してだけはスーパーコンピューター並みだとされる。
これは「脳の中のコウモリ」と呼ばれるものだ。
Perfume kiss and music.

オカマの中には「脳の中のコウモリ」がある男がいるため、「脳の中のコウモリ」がない男こそが「男らしい」と語られるようになった。
要するに「ノンケである」ことを「脳の中のコウモリがない」と歌っているのだ。
松田聖子 赤いスイートピー。


【具体例】
「最近、心が大きくなりすぎていて射精の時の感度が落ちたんですよね」
「有名女は感度が悪くて、地味な女は感度がいいですね」
勃つ勃たないではなく「感度」の話をするとなぜか女に(オカマにも)モテる。
「私の方がうまくやれるのに」という心理学があるようだ。
松浦亜弥 S君。

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