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Foreign Affairs

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2018年5月25日 (金)

中道〜仏の道。

ツォンカパ(1357〜1419)の教えは、中道と呼ばれ、1951年にチベットが中華人民共和国に侵略されるまで、その教えはダライ・ラマとともにあった。
「オーガズムの時は無我」
これをその教えの核心部分となし、タントラとも呼ばれた。
ツォンカパという名前は「西蔵」の偉大なるチベットという意味が込められている。
公明党が1991年の湾岸戦争で「中道の立場に立つ」ことを明らかにしたが、「偉大なるチベット」とは無縁ではない。
「ご開帳」など、下ネタを暗号化することを選択し、ナガールジュナや、アサンガの教えを発展させて「第八感」に訴えかける言語を考えていったのだ。
赤い川の谷間。

偉大なる中道とは、下ネタを暗号化する世界であり、共産主義(いとこと結婚する社会)や社会主義(フリーセックス)とは一線を画した「仏の道」であった。
下ネタの暗号が日常に満ち溢れていれば不老長寿が約束される、そのために「ご開帳」は尊いものとされ、みんなが見にいった。
セックスの原因と結果を、より明るく受け入れることにつながり、セックスにともなう女たちの「鬱」を緩和させることをその核心部分とするものだ。
「ご開帳」だけは女たちに強烈な屈辱感を与えたため、非常に大切な行事だとされた。
男女が対等に生きる、それは仏陀がかつて夢見た理想郷であり、そのような空気に満たされている、それがチベットの偉大な教えだったのだ。
女性に「セックスの屈辱感を与えない」となると「恋」とか「ついていく」などの表現はすべて中道の立場に立つもので、その影響力は計り知れない。
King&Prince シンデレラガール。

中道とは「女性に優しい」ものであり、女性を排除する右翼とも、女性の支持だけを見る左翼とも異なり、男女がうまく共生し、明るい性生活を楽しみ続けるものであり、主婦層の支持は根強い。
しかし、地上波はともかく、「文壇」は中道の立場に縛られていないのが今の日本の現状だ。
Twice Wake me up.

番組編集準則、放送倫理基準なども「中道」にならざるを得ないのではないか?
そのため、テレビばかり見ていると、「学術用語」に疎くなるとも言われる。
また、「仏教国はメジャースポーツに勝てない」などとも言われた。
資金集めはかなり露骨な言論によってなされるからである。
基幹放送という概念が「中道」の立場に立っているのであり、レイヤーは別の考えがある。
そのため「インターネットでその露骨な表現は多用できる」とも言われる。
ゲルクパは、仏教国において「どのようにしたら世界レベルの選手が生まれるのか?」を探求した。
「オーガズムの時は無我」
それが核心部分だと言ったであろう。
常に夢中になれる指導法を用意する。
それが仏教国のやり方だった。
「常に夢中になれる指導法」とは「留学」しかないのではないか?
あるいは「効果測定」への男女の人気を最大限に高めることなども考えられる。
大学受験もそうであろう。
ドラフト会議もそうかもしれない。
ライブを繰り返してもいい。

紀元前3世紀には、二つの流派が存在するにとどまった芸能界であるが、サクヤムニ(山口百恵)が去った後、18の事務所に分かれた。
売れる女を握ることの重要性をアブヒダルマ(りえママ)は思い知った。
ダルマというのは「女性アイドル」という意味であるが、サクヤムニのように日経平均株価を一人に背負わせることはあまりにも危険だ。
このことから18の事務所に分かれたのだ。
このことをダルマの一人は「散った」と歌っている。
彼女の当時の純潔を誇ったのだ。
三浦理恵子 この愛がバイブル。

アブヒダルマは、娘のやまかに純潔を求めるのは「もはや困難」であると悟り、ダルマの女たちを18の事務所に分けることにしたのだ。
「皇族や芸能人は処女」としたのは西田幾多郎であり遊佐道子であったが、そのクレジット(信用)が壊れた時の危険性の方が大きかった。
もはや芸能界は二大流派の時代ではない。後楽と岡倉のようなドラマは業界には期待できないのだ。
このことから「業界事情通」の発言力も弱まった。
芸能界で何が起きているのか?
その有識者がいなくなった。
アブヒダルマがサクヤムニなき後にそれを容認したのだ。
ある意味、経済政策でもあった。
「日本の株価に暴落はなくなった」とも言われた。
芸能界というものは「仏の世界」である。
性を露骨に表現しないことをみんなが身につけている。
サクヤムニが去ってからダルマたちが「彼氏がいる」「恋をしている」「キスシーン」などを表現できるようになった。
これは、芸能界が「ミクロ経済学」を語れるようになったことを意味する。
18の事務所があり、もはやどのダルマにも経済が依存していない以上、もっと「恋話」を語ってもいいのではないか?
すべてアブヒダルマが理解して行ったことだ。
アブヒダルマ(りえママ・山口百恵)が「人には言えない秘密」を抱えていて、バレたら日本経済が沈没するのではないか?という恐怖感を肌で感じたことからアブヒダルマは、のちの時代のダルマたちを楽に生きさせようとしたのだ。
「何がどう気持ちいいんだ?」という「愛の対象」にまでエスカレートしかねない発想であったが、そこまで表現した作品は「心のプラカード」しかない。
心のプラカード AKB48.

アクィナスに感じている、という具合に国家レベルの音楽作品を歌うと「近所の歯医者に行けたり、好きな美容院に行ける」つまり綺麗になれるのだ。
これが「五感の作用の扉」と呼ばれるものであり、なぜアクィナスのことを歌うのか?と言われると「綺麗になるため」であることが分かる。
「アクィナスってどんな匂い?」
周囲は女の香水にまで興味を持った。
「とにかくこの匂いを嗅ぐと賢くなれるの」
男たちは「アクィナスに夢で追いかけられた」というだろうけど、女はもっと違う夢を見ているの。
AKB48 teacher teacher.

数学という勉強も「近所の歯医者に行ける、好きな床屋に行ける」というイケメンを生み出すために勉強するものだ。
数学の成績がいいということはすぐに「噂」になり「いずれ東大にいくんでしょう」という予言と一体となる。
ああいう頭のいい男とは「虚数」つまり「片思い」だわ、という女の子もいた。
英語にせよ数学にせよ、男の子がイケメンになるためには勉強しなければならないものだった。
「私は生きている」ということを勉強は表現するのであり、アクィナスという目標が男の子たちにはあった。
松浦亜弥 絶対解ける問題。

「情報」を仕事にするのであれば、「東京大学は何を言っているの?」ということに敏感にならなければならない。
これが「暗号としての情報」というものだ。
やっぱり「法学教室やジュリスト」を愛読する時期がなければ情報は扱えないだろう。
日本では東京大学、覇権国家においてはスタンフォード大学(パワーシフト)を採用するのが一番よく、進学先の大学がアメリカの大学だというのではなかなか情報は日本国内では扱えないだろう。
「日本のアカデミズムが何を知っているのか?」を理解しなければならないのだ。
暗号というのは東大にどっぷり浸かることでかけるものであって、外務省の「暗号」というものは心理学に等しい。
実際にこれを知らない「情報」なんてものは「悪口」を集める程度にとどまるのだ。
聖なる海とサンシャイン イエローモンキー。

外国に頭のいいやつがいたらどうなるだろう?
今となっては「全米進出」でも「日本進出」でも変わらない「夢」が見れる。
法務省見解は「知的労働者しか受け入れない」という立場を頑なに守り「日本は夢が見れる国」という考えを維持している。
喫茶店やコンビニにはAKB48の曲が流され、そのような空気の中で「多数派工作」を始めるのが移民というものだ。
ニューカマーには特別な政治的背景もなく、とりわけ差別されるということもない。
日本国の富を「日本人に愛される」ことによって外国国家に配分することを意味する。
憎まれたり差別されたりするのであれば富は分配できないが、ニューカマーにはその問題がない。
日本では「日本は敗戦国だ」という立場に立つオールドカマーに分ける金などない。
日本の富を尊敬し、日本人に愛されることを喜びとしないのであれば移民ではない。
日本人に愛されることを目的としないのであれば地方参政権など与えられるわけがないではないか?
日本語が不自由であるのならばプロスポーツビジネスもその外国人には興味を持たないだろう。
外国国家に「日本のやり方」を還流してくれるのであれば移民は大歓迎だ。
ムンジェインのように韓国の大統領になる男もアクィナスとは昔、友人だった。
我々は外国国家を愛したいのだ。
トランプもアクィナスの家を訪問したことがある若者だった。
お米を食べて育ったアクィナスが世界で通用することを知りたいし、さらにはその外国国家を愛したいのだ。
トランプショックとは、全米が赤いスイートピーの詩の解釈に受けたショックだろう?
だったら誰もトランプの知性を問題にはしないよ。

【神・男の完全性を議論すると爽快感がある】
赤いスイートピー 松田聖子。

難民というのは、内戦に巻き込まれた「髪の短い女」の一族だろう。
だったら我が国にはそのような内戦は存在しない。
もし、髪の長い女の一族と髪の短い女の一族が対立する国となったのならば、そのような国に難民申請することはできないが、今の日本はそうではない。
イラク北部のクルド人なども髪の短い女の一族であり、トルコに入国できずにイラク北部に「飛行禁止区域」を作って自分たちの居場所を見つけている。
髪が短いということは「セックスが難しい」という意味である。
果たして、お金の分配の恩恵に預かったり、日本国の男に愛されたりすることが可能かどうか?
この「難民」の問題は「移民」の問題よりも少し難しくなるだろう。
アメリカ合衆国やヨーロッパは「医学の司令塔」であるが、それにしたがわない日本の医者が存在することも指摘できる。
日本人の医者も留学を経験する必要がある。
ケニアからマラソン選手を受け入れてまで、人間の体を研究しているのはアメリカ合衆国だ。
不法移民というものも、国内でセックスをしたり仲間を作ったりすることで「盗んだモナリザをルーブル美術館に戻す」作業が行われ、子供が生まれたら「市民権」が与えられた。
「言葉に馴染んで欲しい」という願いが政府にはあり、日本語ができるのであれば日本人である、と割り切る見解もある。
オーストラリアは植民地、連邦制、移民の壮大な実験場であって、本ブログもオーストラリアから学ばせてもらった。
愛のImmigration 河合その子。

王子は「女心の定義」(政治)や仲間作り・多数派工作(道徳)のために女に触れていいのだろうか?(ダーティハンズの問題)。
聖職者(teacher teacher)は教え子には触らないのではないか?
ビクトリア女王は、若い頃「レディカルバリー」と呼ばれていただろう。
非常に「綺麗な手」をしていたのだ。
ロンドンのシティは私にいくらの値段をつけるのか?をいつも気にしていた。
しかし、アクィナスは「あなた、アクィナスじゃないじゃない?お金払ってよ」という方向にクリーンハンズを用いたのだ。
しかし、なぜアクィナスはそれほどまでに影響力を持ったのだろうか?
常に有名女たちと話ができる環境(ダーティハンズ)という側面を持っていたからだ。
浄土宗や浄土真宗の「女子会」はダーティハンズである。
女子会が行われる「拠点」を狙って第二次世界大戦のナチスは爆撃を受けた。
「ダーティーである」という認定がなければできない行為だった。
ここで資金集めが行われているのであれば、市民が巻き添えになるのも仕方がない、とも言われた。
王子に罪を着せることができるからだ。
王子は女たちとセックスしたのならばもはやその手はダーティーであり、市民が爆撃で巻き添えになる。
王子(聖職者)はそのために教え子とは距離を取っていたのだ。
資金集めは暴力につながる、それならばその拠点を叩くのは敵国としては当然のことだった。
遊佐道子は、原爆投下後の広島を呆然と歩いた。
お金とは暴力である、カントを学ぶとそれが分かるようになる。
「学生や息子がいつカントと出会うか?」も問題であったが、有名女の動向も気がかりだった。
もし、王子の手が女で汚れているのであれば「ダーティハンズ」と認定して爆撃する、これが空爆の基本となった。
プラトニックな「王子と有名女の関係」は自国民に非常に人気がある。
クリーンハンズの現場を爆撃するのであれば、それは戦争における「敗北」を意味する。
「アクィナスをなんで彼氏と言った?」
他の王子は女に問いかけた。
軍事攻撃の標的になりかねない問題だったからだ。
付き合っている男女をまるで「生徒」を見るような眼差しで王子は眺めていた。
これがクリーンハンズだ。空爆の標的にならない女子会の現場なのだ。
AKB48 teacher teacher.

ダーティハンズを持った王子は君主にはなれない。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
女子会で資金集めをする楽しさを知ることが大事だったのだ。
今は戦時中ではない。国連平和維持軍を組まなければならない状況でもない。
平時には平時にふさわしい君主がいる。
それよりも「プロフェッサーK」と呼ばれる王子がモテるのが憎かったのだ。
プライベートではよそよそしい、それが王子の「ルール」となった。
「空爆を受けるから」
女にそう説明すればプライベートでは近寄ってこなかった。
空爆は大量虐殺だった。
しかし、王子をどの地域で生活させて、どのような国防を行うのかも国策であったであろう。
大阪都構想、中京都構想も「クリーンハンズを持った王子」をお城に必要としていたはずだ。
第二次世界大戦で「金の出所を叩く」しかも「汚れた手を」という考えが浸透したのだ。
万人の万人による闘争を経験し、周囲を説得した王子は女の子と話すのも得意だった。
しかし、手を女で汚したら空爆を覚悟しなければならない。
それが国際法だ。
お金でできないことなどないのだ。
資金の出所を止めれば子供の虐待の問題や教育の問題まで解決してしまうのだ。
「お金のかかった子」に優秀でない子などいなかった。
真昼間から風呂に浸かり、勉強するような金のかかる子供はみんな優秀なのだ。
価値相対主義などとは言わないよ。
とにかく「レベルの違う女」に通用した話は「絶対」なのだ。
「相対」レベルの女を相手にしているのか?と思われるだけであるのが価値相対主義だ。
妻への義務を果たせ。祈りたいほど女ともめた時は「空爆が起きる」と言え(他力本願)。
浄土宗は、皇室とのつながりを持つことで浄土真宗となっているのだ。
他力本願が空爆や爆破テロにつながったのだ。
aiko ストロー。

大学や、病院、企業などの社会システムは「アクィナスの言葉の再生産」のために存在する。
女の子たちがいるからだ。
女たちがいる以上、豊かさが約束される。
アクィナスの言葉の再生産が行われる以上、アクィナスは傑出していなければならない。
「女心の定義」を行う政治結社や、「男が女を愛する気持ちを利用する」経済結社、そして「痴話喧嘩を裁く」法結社が成立するのはアクィナスがいるからだ。
学校、店、郵便局、警察にそれぞれの「結社」が存在する。
なぜ、山崎闇斎やフロイトの音楽作品(垂加神道)は、詩の世界のヒーローにその地位を奪われたのだろうか?
「男」を歌った方が女たちも気分がいいし、「女の単純さ」を歌われても吐き気がするし、鬱になるだけだったからだ。
アクィナスの言葉が再生産される組織に属していれば「近所の歯医者に行けるし、行きたい美容院に行ける」という方向に組織は向かった。
事務次官や社長そのものが「昨日、アクィナスは何を言ってた?」と朝、部下に聞いていたのだ。
ウィンストン・チャーチルはそのようにしてイギリスの首相になっている。
神社の世俗化は、多くの企業に影響を与えた。
父と子、聖霊と言われていたものが日本でも知られていたが、覚醒剤でもやっていない限り、「聖霊」を「超自然的・超人間的なもの」と考えるのは仕方がなかった。
しかし、その答えは「3人組のいじめ」にあったし、ダライ・ラマの「シャングリラ」もそのことを言っていたのだ。
ダライ・ラマは、自分がいじめられることで国づくりを行なったチベットから、「発想を同じくする」チャイニーズカトリックの女を北京で犯しても中国メディアは顔をしかめるだけであったが、湾岸の石油を最大限に掘るためにはアクィナスという指導者による「言葉の周知徹底」が必要だった。
チャットモンチー シャングリラ。

テーマソングがある組織に属するのは気持ちのいいものだ。
これが「ジョイントベンチャー」となると、12の流派があるが、どのみち「真理は同じ」という開かれた絶対主義のもとでは仕事は楽しいものとなるのだ。
政府、大学、企業、軍もミュージックステーションしか音楽番組がないのだ。
かなり平和的な「植民地主義」にテレビ朝日が何を考えているかは不明であるが、「セールス競争」「視聴率競争」をやっているという側面があり、本当に説得力のあるアクィナスにならば党派を超えた立場をとるというスタンスのようだ。
子供たちの心配をしているのが朝日新聞系列であり、すべての音楽作品のパワープレイを統括する立場として「売れているものに対してはかなり受け身」になっている。
決断プロセスが「旬ジャンル」なるものに飛びついたのだ。
数多くの少女マンガ、数多くの従業員の人生、そして「一番売れているマンガ」の公約数的見解が「いとこの女の子との恋愛」を描いたのであり、「決して結婚しない関係」を描いたのだ。
妻や子を歌うと「冷めることがある」ことから計算尽くされたアクィナスの自伝とそして音楽作品を追認した。
「決して冷めない関係」こそが仕事をする上でのエネルギーであり、それは妻や子ではないことはマルクスの指摘にあった。
「季節もの」の出会いしかなかった従姉妹の方がウケたのだ。
ジョイントベンチャーでも同じ音楽作品を聞いているのであれば、仕事は楽しい。
一方で、政治(女心の定義)は、社長の趣味があって12の流派が存在する。
しかし、「垂加神道の別バージョンが聞ける」と思って馴染んでしまった方がいい。
DAPUMP USA.

朝日新聞(仏)が、全国の子供たちに格差のない教科書を与えようと考えているのは事実だろう。
しかし、「親から聞かされた一曲」の意味が子供に理解できるのかは明らかではなく、夜眠って、朝起きる、その時に時計が一回りしかしていないのをどのように確かめたのか?などを子供は「周囲の子供たち」を見て確かめている。
さらには、飛行機がなぜ飛ぶのか?なども地上の人や建物が小さくなったから、と答える。
他の子の腹を刺してはいけないことも「向こうだって刺さなかっただろう」と説明している。
酒井法子 平気平気。

太陽があるね。砂があるね。風が吹くね。しかし、砂は数えられないから木を数えよう。
そうやっているうちに地球になるものだよ。
「自分と同じ言語や思考回路で」私を攻撃してくる者は人間だということも分かる。
「言語や思考回路」が分からないのならばこちらが勉強しなければならないね(人類学)。
それだけを教えて学校に送り出した。
この「クラウドカリキュラム」は1960年代中頃まで明確にならなかった。
しかし、6-3-3制は採用され、世界の潮流と足並みをそろえた。
K-12と呼ばれるシステムだった。
子供に、数学を教え、国語を教え、すべての科目の「文法」を教える。
流行している音楽作品を聞き、それに論評を加える。
それができれば理科も社会も分かるようになる。
それがトマス・アクィナスの教えだった。
なぜ、トマス・アクィナスは先生なのか?
自分の人生と照らし合わせ、訳の分からない人間の「論理」を知る、これは非常に大切なことだった。
哀しい方の嘘 ribbon.

「伝説」から電話がかかってくると沈黙してしまう。
目の前にいる凡人が伝説だ。
これが「腐敗」の研究だ。
話が短くて心に響く、これが「伝説」になるための基本なのだ。
賄賂なんて贈らないよ?
話をコンパクトに、そして心に響くように話すだけなんだ。
警察、司法、政治、学術で「話がコンパクトで心に響く」という「伝説」が生まれた。
全員、アクィナスの弟子で、伝説というものを「腐敗」と呼ぶのだ。
そういう人とは結ばれないと思う。
100%の恋人 酒井法子。

しかし、「伝説」はなんだか人生に満足したようだった。
歩いているだけで周りに「賄賂」を渡すようなものだったのだ。
実績が違うから「結果」の出方も違うのだろう。
女たちは「持っていないお金」まで要求してくるので会社で働かなければならない。
苦のつながりを「十二縁起」と呼び、いろんな人間の研究をしたが、12使徒と同じ意味だと知った。
「伝説」はとにかく「肉声がなければならない」し、仲間を作らなければならない。
お金だけもらって殻に閉じこもってはならない。
極端な話、「伝説」こそが裁判官でなければならない。
人間がぶつかり合う理由を誰よりも知っているからだ。
「有名人同士をぶつけてみよう」
そうすればどっちが腐っているかが分かる。
日常生活を送っている者が勝つようになっているのだ。
子供たちは「伝説」に騙されてヒトラーユーゲントに入るだろうけど、大人たちはそうではない。
日常が充実していない大人はマリファナをやり始めるだろう。
将来のある子供たちは詩を聞いて、やる気を出すだろうが、そうでない大人はマリファナに手を染めるのだ。
「女心の定義」(政治)を見失ったらそれはもはや「伝説」の腐敗だと言っていい。
薔薇戦争(戦国時代)の後に「貴族とは何か?」が明らかになったが、彼らはすでに「政治」を見失っていた。
巨大政治家である王族が政治を見失って貧しくなり、警察がささやかなテープカットなどの謝礼を渡す程度に貧しくなる。
これが腐敗というものであり、常に女たちと話ができないのであれば、「家柄」などを持ち出す嫌われ者になる。
これが「詩の世界のヒーロー」を生み出したファミリーの末路であり、腐敗とは何かをしっかり理解して、「女心の定義」(政治)というものはどの組織でも行われているものだということを知らなければならない。
「働いたら負け」というような生活保護世帯になって貴族制は消滅したのだ。
3代目 J Soul brothers 恋と愛。

多文化共生というものも、オーストラリアから学んだ。
選挙権が異なる、音楽作品が生み出す富が異なる民族同士の話し合いにおいては「女の話」という「なんでも溶かしてしまう鍋」を用いるしかないことが分かったのだ。
1980年代に「なんでも溶かしてしまう鍋」を作る作業が進められ、「世界で音楽作品が遅れている国はない」という構図をアメリカ合衆国は作り上げ、マイノリティの連中の歌を暗記する多数派による外交も行われた。
アメリカ合衆国自身が、日本人の歌に「溶け込む」ことに苦労したし、女の話でなければ「なんでも溶かしてしまう鍋」にはならないことを悟ったからである。
ごんべさんのあかちゃん。

龍樹は「射精する時はみんな空虚だ」としたが、60種類の「女に関する詩」を残し、70種類の「射精に関する詩」を残した。
白組の方が紅組よりも10ポイント上回っていることを意味した。
女のオーガズムではなく、男の射精でセックスが終わる、このことを空虚(スーンヤター)と呼んだのだ。
あとはその世界をどれだけ豊かで意味のある世界にするのかが問われた。
友達と恋人の境界線は「スーンヤター」(セックス)をしたかどうかだ。
グッパイフレンズ 三浦理恵子。

「ドピュッとやって終わるのが人生だ」なんて言っていたら芸術も発達しないし、そもそもが戦えないではないか?
「原因があるから結果がある」のではない。
「射精という後悔があるから芸術の世界が花開いたのであり、戦いができるようになった」のである。
彼や彼女たちの論理、そして多くの男たちから龍樹は詩を作ったのであり、龍樹自身はお坊さんであった。
「ロック」とはマスターベーションをする男たちが作った音楽ジャンルであり、しみったれた「射精という後悔から芸術の世界が花開いた」という立場には立っていない。
マスターベーションをする他の男たちをも巻き込む形で、とにかく「射精という後悔」のない世界がロックであった。
矢沢永吉 時間よ止まれ。

龍樹とは矢沢永吉のようなものであり、自分自身はマスターベーションしかせず、強い立場にありながら、忘れたいことと覚えていることを巧みに使い分けて詩にした。
自分はマスターベーションしかしないというのが自らの地位を確立していたし、女の問題でくよくよしないロックの世界を形成していった。
エロビデオを見て作り上げた女性観だったので常にポジティブだった。
アイラブユーOK 矢沢永吉。

お坊さんというのはそのような存在であり、自分は惚れた腫れたの渦中に身を置かず、しかし、文献学によって多くの男女の論理を学び、強い立場で人々の人生相談に乗るものなのである。

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