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Foreign Affairs

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2018年4月16日 (月)

色。

【差別は株価を押し上げるが、有名人との出会いの機会をなくす】

「色」というものは「喜び」から区別できるようになるものだ。
女の子は本来、世界が茶色で、真面目になろうと思ったら「青」が加わり、男と向き合おうと思ったら「赤」が加わる。
男の子の場合は「少年時代特有の色盲」が指摘されていて、「女の子に興味が持てない」男の子が色の区別ができなかったりする。
「お金がなくて世界が灰色に見える」というのも案外、「女の子を口説く力量がない」ことが原因だったりするのだ。
「暗黒時代」などというものは「女の子が寄り付かない」から引き起こされるのだろう。
真っ赤な女の子 小泉今日子。

このことにスポーツビジネスも関心を寄せた。
真剣勝負で好きなプロ野球チームが優勝すると、強烈な喜びを味わい、色の区別がつくようになり、世界が輝いて見え、「好きな床屋に行ったり、近所の歯医者に行ける」ようになることから身だしなみが整ったりするのだ。
野菜や果物にも興味を持つようになり仕事運や健康運が上がったりする。
人生が「喜び」だけで好転してしまうのだ。

しかし、本来は「言葉の取り引き」をして女性を口説くべきだろう。

私は個人的に、ライターの色も「青」を選んでしまう。
横浜DeNAベイスターズが影響しているものと思っていたが、男というものは「精液が青に見える」ものなのだ。
女にとって「男は赤く見える」ものでもある。
長雨 國府田マリ子。

色というのは男性的なものであり「男らしくあるとはどういうことか?」という議論と関わっている。
男が若い時期に苦労して、やがて調子を取り戻していく「復活」とも関わる概念である。
黄色人種の男が「赤く」見える時の男は女に好意を持たれている。
「顔、赤いよ?」
そう言われた男は「復活」を迎えているのだろう。
それは単なる「肝臓の問題」とは言い切れない側面があるのだ。
自分で鏡を見て顔色が赤いのを見ても気にしない方がいい。
周囲の女性たちの「好意」が顔色に出るだけだからだ。
女たちは失恋するたびに「顔の赤い男」のことを思い出していた。
顔色というのはそれほどまでに「フィクションに近い」ものがあるのだ。
女は「戦わない」のがいちばん美白にいいとされる。
「戦わない」と決めたら勝手に男が寄って来るのだ。
むやみに争わない女は色が白い、というのもフィクションに近い。
色というのは「男が決める」と割り切るほかはないだろう。
壊れかけたピアノ 高井麻巳子。

この「顔色の意味」さえ分かれば、顔の赤い男も「行きたい床屋に行ける、近所の歯医者に行ける」し、色の白い女も「行きたい美容院に行ける」ことになる。
これらのことが理解できれば「社会ムーブメント」を引き起こすのは簡単なのだ。
コーデモイは、顔の赤い男と色白の女が結婚すると「子供に関心が向かう」とした。
喧嘩が強い顔の赤い男は女たちにモテたし、色の白い女は「ただ待っていればいい」ということが分かったからである。
S君 松浦亜弥。

セックスとは「男は女の子供の気持ちを味わうものだ」とされ、「女はその男の子供を産みたいから気持ちがいい」とされている以上、女は戦わずして男が寄ってくるのを待ったのだ。
この「女の待機戦法」は、もっとも男に大事にされる妻を作るとも言われた。
男社会のいじめの存在を見抜いている女が考えることだともされている。
文学にしたのはコーデモイが初めてだったんじゃないかな。
「美白」と関わる研究だったのだ。
3年過ぎた頃には 高橋由美子。

なぜ、顔の赤い男はここまで特別なのであろうか?
それは「勉強してくれるから」である。
女としては「綺麗なお母さんになれる」からだとも言われる。
勉強してくれない彼氏だと、喧嘩ばかりのパートナーになってしまう。
セックスというものが、子供の「時間」まで感じるものである以上、勉強してくれない彼氏だと気持ちよくないのである。
ribbon Stay with me.

太っていて顔の赤い男ほど、女から何かを聞き出そうとしているだろう。
そういう男の「モデル」を哲学者は作っていく必要があるのだ。

アファーマティブアクションという制度があるが、「マイノリティでもノーマルなセックスができれば差別されない」という発想のもとで教育を与え、就職でも差別しないという仕組みだ。
「異性を愛すること」はお金と関わるものである。
髪の長い女ならば朝鮮女でも中国女でも抱ける、というのが日本人なのであり、そこには何ら差別はない。
「女になり切れていない」から部落民は差別されるのだ。
1964年の公民権法はこのことを指摘しており、日本でも部落民や在日朝鮮人が「同じ文脈」に位置付けられた。
AT&Tやアラバマハイウェイパトロールなどが、ノーマルなセックスができる男女ならば排除しない、という方向性を打ち出したのだ。
しかし、カリフォルニア大学の医学部への入学に関しては「時と場所がある」とされ、日本国においても「医者は差別の対象にはならない」という認識が広まった。
黒人やヒスパニックは医者にはなれないとされた。
これは日本国においては「部落民や在日朝鮮人は医者にはなれない」と置き換えられる。
手紙 岡林信康。

「医学部入学」は、同化政策を妨げる最後の砦であり、ブレナン判事とパウエル判事の真似をしたのが日本国である。
どの組織も「セックスサークル」であり、医学部からの排除がなされ、修正第14条でも認められている。
肌の色が違ったり、名前が奇妙だったら患者も触って欲しくないだろうという観点からハーバード大学医学部もこれを認めてしまった。
しかし、テキサス大学のロースクールはマイノリティの入学を認めたのだ。
このことから「医学部と法学部は同格ではないのではないか?」と語られた。
しかし、ミシガン大学が「かなり高度な成績がロースクールへの入学の条件である」としたことから「医学部と法学部は同格」というのが日本にも伝わった。
人種でその地位を維持した医学部と、成績でその地位を維持した法学部という図式が出来上がったのだ。
ミシガン大学は、全米の心を作る集団を目指していた。
チューリップのアップリケ 岡林信康。

マイノリティでも「男らしい男」「女らしい女」であればセックスの可能性があるというところから差別の解消は目指されたが、医者、弁護士、官僚などが差別の基盤となった。
ここでマイノリティ差別の問題は固まったのであり、「我々はもう戻らない」という宣言も出され、黒人、ヒスパニックの問題や、日本における部落民や在日朝鮮人の問題は固まった。
医者、弁護士、官僚は「ストイックに」その世界を構築することが求められ、差別を助長した。
これらの職業はストア派であり、これらの優秀な職業に就けないものは「男の痛み」を経験するエピクロス派であった。
Bz もう一度キスしたかった。

エピクロス派は、女たちから「楽しいし男らしい」と言われている。
女性、障害者、在日朝鮮人・部落民差別が株価を押し上げることは分かっていたが、エピクロス派の負け犬男も株価を押し上げた。
一方で、日本国の男が差別的発言を繰り返していると「円高に振れる」という効果が指摘できる。
狼なんか怖くない 石野真子。
女の値段である株価と、男の値段である円高がどのような関係にあるかを見てみると面白いだろう。
日没時刻を調べよう。
昼夜平分線と呼ばれる時間帯に男女がどのような動きをしてあるのかを見て見ると「株と為替」というものが分かるようになる。
いかなる勢力の「思惑」をも排する時間帯が存在する。

男が強気になる瞬間(円高)と、女の値段が跳ね上がる瞬間は、日本国の文化によほど通じていなければ分からないだろう。
国民的イベント、国民的番組のみならず、国民的アイドル女性の信用力など様々な要素を考えなければならない。
日経平均株価先物と円のチャート。
夜中に女がしきりにオークションを仕掛けているのがわかる。
19:00の街 野口五郎。
万物の起源は、水なのか火なのか、空気なのか土なのかという議論はエピクロス派の男の「子供」がどのようなものなのかについての議論であった。
それほどエピクロス派はモテたのだ。
「知性で負ける」という尾を引くような経験をした男に喜びをあげる、と女たちは考えた。
遊んで暮らしていたから知性で負けたのに、痛みを感じた時だけ集中して詩を書くのかエピクロス派だった。
キケロの詩をみんな参考にしているんだよ。
「友情の輪が世界に広がっている。すべての人に幸せな目覚めを」をスローガンにキケロもルクレティウスを詩を書いた。
よくいるタイプの男だったが、そのような「遊んで暮らしていて、いざとなったら大騒ぎする男」は詩を書く才能さえあれば生きて行けた。
むしろそのような男の方が多数派であり「仲間の多い男」に女たちは熱狂したのだ。
Bz ねがい。

女性や、障害者について語ることと、部落民・在日朝鮮人差別が株価を引き上げることが明らかになったことから、部落民・在日朝鮮人問題は「誰も解決したくない問題」となっている。
マイノリティに属しているからセックスできないという問題を解消したのがITバブルであった。
在日朝鮮人や部落民がインターネットを用いて「セックスできる女」であることをアピールして荒稼ぎをしたのだ。
どのみち差別されているのだから、と言ってセックス動画を晒すことは所得の再分配機能を持っていた。
他にも「稼げる女」というのは在日朝鮮人や部落民が多い。
自由奔放な女は「不運」を背負っているとも言われる。
男の子が「勉強の才能に恵まれる」というのは在日朝鮮人や部落民には難しい話だった。
この男優や女優が社会で孤立しようが構わないというささやかな満足が多数派にはあった。
しかし、それよりも「なぜ彼らがこのような境遇に落ちたのか」を語り合うことの方がより人気があった。
織田信長とか日露戦争の話題が出てくるからだ。
ネットポルノにこれらの歴史が関わっているのだ。
寒波や洪水などで大損害を被るのも在日朝鮮人や部落民だった。
それほどまでに日本人は急進的な「集団主義」を採用していた。
在日朝鮮人や部落民に関してテレビで報じないのか?とテレビ局にいうと「いつもやっているじゃない」と思われるだけだ。
恋をしちゃいました タンポポ。

それだけにとどまらず、同じ日本人であっても「失恋した男」は「女と向き合った証拠」として株価を引き上げる要素となっている。
B'z Don't leave me.

アスカロンは、女が振られるというのは疑わしいとしている。
女の失恋ソングを歌ったアカデメイアを「前期」と「後期」に分けて、前期では女の失恋ソングを歌ったが、後期には男の失恋ソングばかりになった。
前期のコレクションも忘れたくはないとしたのがゼノであった。
優しさに帰れない CoCo.

しかし、現実のマーケットメイクはそうは動いてはいなかったのだ。
オークションでもそれは同じだ。
医者、弁護士、官僚ばかりが得をする時間帯は確かにあった。
ストア派が勝ったのではないかとも言われた。
ストア派に「口説き文句」さえ教えれば、お金ならエピクロス派よりも持っていたのだ。
「遊んでばかりで、いざとなったら大騒ぎする」エピクロス派はここで遅れをとった。
そこで「後期」には、前の日の教訓をバネに詩を作って金を儲けるようになったのがエピクロス派だ。
翌日のマーケットメイクやオークションでストア派とエピクロス派のどちらが勝ったかはいまだ決着がついていない。
B'z 人生の快楽。

男の値段が円高だとしよう。
「二つの頭を持った人間の片方の頭を切り落とせるか?」
「最も背の高い小さな男はいるのか?」
答えは「赤ん坊ならばあり得る」ということだ。
ヘビの尻尾はどこからなのか?というと「ヘビにも肋骨がある」のだ。
ヘビにすら「五体満足」がある。当然、人間にもあるだろう。
人間の「心の限界」ってどこにあるんだろう?
これは「美しい女が体を売って何か失うものがあるのか?」という議論だ。
アルフレッド・ヒッチコックは、俳優は子供のようだと語った。
まるで「セックス」を独り占めしたように振舞っていたからだ。
どの人間も五体満足の歴史上の人物と変わらないのだ。
「セ・ッ・ク・ス」とつぶやいてみよう。
どの子供も働けない。
大人だけが働いているのだ。
生後1日の赤ん坊は子供だ。
生後3650日の子供も子供だ。
しかし、100歳の人間は子供ではない。
「いつ日本に来たのか?いつエロ本を見たのか?」が問われる。
うまくこの国で生きていけるためにはそれだけが問われる。
「国を売るのは楽しい」などという日本人などいない。
どこかで大失恋を経験しているのだ。
そのような失恋男は差別されて当然だ。
勝ち続けられなかったのだからね。
B'z Still Alive.

コンテク派は、自分の文脈を独自のものにして、間違えたと思ったら政治生命を失う。
地平線が10億メートル先になったらおしまいなのだ。
独自の文脈を間違えたら、失恋ソングを作って生きるしかない。
「星が目の前に見える」のならば問題はないけどね。
先生を選ばなければならない理由はここにある。
ラッセルは"The"のあとに単数形を用いようが複数形を用いようが自由だとしたが、「複数の男で一人の女を抱くことはできない」としていた。
「物語になるセックス」でなければ女は高い値段はつけないと考えたのだ。
「我々」と名乗る男は凡人であると見透かしていたようだ。
「我々は部屋に入ってテレビをつけた」という表現に女は存在しなかったのだ。
アリストテレスを「アレキサンダー大王の先生」と呼ぼうが「トマス・アクィナスの理論的指導者」と呼ぼうが勝手だが、アリストテレスほど「大勢の男たちが作り上げた」一人の男はいなかった。
生きていた時も死んだ後にもである。
女たちの「お金を持っていて頭のいい」「一人の」男というニーズに応えたのだ。
大の大人が「我々」というのは「フランス国王はハゲだ」(そんなの関係ねぇ)というほど滑稽なことだ。
そんなの関係ねぇ。

セックスの監督はルイ16世だけでいい。
ほかに先生は必要ない。
明日のニュースの一面トップはルイ16世が決めればいい。
通学列車 モーニング娘。

本来、ラテンアメリカは「奥さんを大事にする」というスペインやポルトガルの影響を受けていた。
しかし。1910年から1940年にかけて「暴動」が起きている。
「すべての女を口説き落とせる」と言ってラテンアメリカをオルテガは講演して回った。
経済発展がこれにともなったので、1910年世代というものが生まれている。
日本では「大逆事件」と呼ばれて「天皇はそんなことはしていないはずだ」と呼ばれたムーブメントだった。
1960年代にはラテンアメリカも成熟してきて、マルクス主義の台頭などもあった。
島でマルクス主義を実践してブルーマウンテンを栽培する連中もいた。
「原住民は勉強ができないから奴隷だ」という文化と向き合わなければならず、「アフリカ人並み」の扱いを脱するようになったのは1990年代になってからだ。
ラテンの女たちにとって「フロイトは新しすぎる」として、「女心」を男から見えなくしてしまったという特徴が見られる。
日系ブラジル人も「女心」を研究することによる財務というものを知らないし、カナリアイエローのサッカーブラジル代表も、女性サポーターをあまり重視していないようだ。
コーヒールンバ 荻野目洋子。

男が女を差別的発言(円高)に誘導する。差別的発言は女の魅力(株高)につながらない。
女はセックスアピールをしたがる(株高)
しかし、「女である」ことばかりを強調することはできない(株安)。
女であることをアピールすると友達もなくす(株安)。
男の差別的発言を批判する分には友達は失くさない(円安)
男は差別的発言で女に遠慮するようになる(円安)。
女は差別的発言をする男とセックスしなければならない(円高)。
差別的発言をしない方が女らしい(円安・株高)。
女らしくあることはいけないことなのかしら?(株安)

株はひたすら上がることはない。
男女の関係があったり、女友達の関係があるからだ。
男も女に遠慮することがあるので円がひたすら高くなることもない。
ガスライティング、友達としての忠告、しかめっ面、罵声などが為替と株の値動きを取り巻いている。
この世界を「操る」ことの難しさを知らなければならない。
男は女にモテたいし、女は「女友達」をなくしたくないのだ。
為替と株の値動きはこの複雑な世界を循環している。
山口百恵さんのように「女友達もいない、男は三浦友和だけ」というわけにはいかないだろう。
いい日旅立ち 山口百恵。

答えは【男と女がもっと話をすることなんだよ】
差別的発言で自己アピールしていないで、もっと「ロマンティック」な話をするんだ。
男が「男らしければ」円は高くなる。
口説き文句がうまい男は男らしいだろう。
女が友達を失わないのも「キャリーオーバー」というロマンティックな話題を伝えることだ。
哲学を男が女に語るというのはそれほど「単純に」株高・円高・土地高のトリプル高を引き起こすのだ。
「女が綺麗になることのどこが悪いのか?」
でも、部落民や在日朝鮮人を差別することにはメリットがあるんだよね。
円と株が「貿易」でつながっている以上、差別は日本国にメリットをもたらす。
瞬間的には「円高・株安」になるけれど長い目で見ると日本国に恩恵をもたらすのだ。
まるで「日本国には悪はない」というような雰囲気が作られるのだ。
マーケットコントロールは可能なのだろうか?
いろんな女が目立ちたがっているのは事実であるが、男との関係や女友達との関係がある生活者である以上、「職業芸能人」として食べてはいけない今日では、かなり難しいね。
むしろ「文学」に期待されている。
作家はロマンティックなことを書いても敵は作らないからね。

【神・男の完全性を議論すると爽快感がある】
ハートをロック 松田聖子。

目立ちたがり女を言論で用いたのならば、彼女が孤立しないように、「個人的にご挨拶」する必要がある。
赤の他人を言論で用いることはない。
作家が「暴君」でなくなるためには、社交性がなければならない。
いろんな芸能人と交流のある作家ならばマーケットコントロールは「可能である」とされている。
しかし、昔の人から今の人まで芸能界を網羅することは無理かな?
テレビに影響されるのならば作家ではないからね。
難しいのがマーケットコントロールなのだ。

デリダは「女たちを美しくしよう」と考えてインターネット時代にブログなどで「愛妻弁当」「子供のお弁当」を写真で公表して「行きたい美容院に行ける、近所の歯医者に行ける」ようにしたが、毎日毎日続いていく日常の中で、「秘密の数」だけが女たちに増えていくことを感じていた。
「乳首や局部の色」などは秘密の中の秘密だった。
男もその「秘密」に口を割らないことが「男らしさの力」だとされた。
rebecca when a woman loves a man.

株価はタイムトラベルでもしない限り、予測はできない。
しかし、タイムトラベルは「昔の男や女を思い出す学問」である現状がある。
タイムトラベルをしておじいさんを殺しに行ったら自分はどうなるのか?とも言われるが、遠回しの「自殺願望」であり、人生に悔いを残しているのであろう。
「過去に影響を与えよう」という発想は「現実を認めたくない」から引き起こされる。
しかし、「過去に影響を与える」可能性を指摘して将来を変えることは可能なのだ。
松田聖子 時間旅行。

日経平均株価は、「女の相場」である3万円を超えない限り、「男が女を愛する気持ちを利用する」「恋愛論」などのミクロ手法が有効であり「北朝鮮問題」などの「国際法の国内法化」というようなマクロ手法は3万円を超えてから考えればいいだろう。

男が「神」と関わる上では、人類の歴史と向き合わなければならない。
古典を読まなければ「神」と接する機会はない。
「神の時代は終わらない」(詩篇102:27)。
「季節、日にち、時間、それぞれに女たちの興奮の意味を与えよう」(創世記1:14)。
「彼の時代が始まる前に神は約束をしている」(テトス人への手紙)。
「男たちに紛れていても彼の時代が始まるのが分かる」(コロサイ1:17)。
それはやはり「女心とどう向き合うかという才能に恵まれているか?」で判断されている。
アウグスティヌスの「告白」でそれは明らかにされ、ヨーロッパ中世は始まっている。
中世の王たちにはすでにギリシャ哲学があったのだ。
「女たちが胸を隠した」
これがギリシャ哲学の結論だった。
男が「神」と関わるようになってセックスが気持ちよくなったのだろう。
松浦亜弥 Love train.

神には時間があるようでいて「ない」のだ。
人類の歴史を簡単に俯瞰するためにはいい先生がいなければならない。
また、「娘と息子」に恵まれなければならない。
「お父さんがこう言っていた」と語る娘と息子がいなければ神にはなれない。
神は全知全能であるはずであるが、神は変わるものだ。
神に時間がないのは学習するためである。
「できないことのない男」でも常に学習し続けなければ神ではなくなるだろう。
広瀬香美 ピアニシモ。

それでは「神」というのはなぜ必要なのだろうか?
それは我々に「安全」を約束するためである。
組織の序列もそのようにして出来上がる。
昔は「女心に詳しい人」が神であるとされていたが、今は「安全を約束してくれる人」という具合に発想が変わっていた。
女ばかり相手にしていないで「男社会で勝つ男」が必要とされたりもした。
男社会で生きているという「証拠」を必要としたのだ。
証拠を見せて 工藤静香。

女の子を「よく見て話せ」。
セックスする可能性を感じながら話すのだ。
「可愛いね」と言ったら言葉が循環して意味がなくなるので言わないことだね。
私服を褒めるのは常識でも「可愛いね」という言葉は循環しすぎるのだ。
パンは好きですか?だけではとどまらす、「小麦の出来はいいらしいね。AP通信が言ってた」というだけで「世界の中の私」を演出できる。
パン用の小麦粉はタンパク質が多い方が良く、AP通信が報じる小麦粉の方が「濃くて重い」とされる。
AP小麦粉を嫌うパン職人もいるのだ。
「世界が私を育てている」という意識は必要であり、「お米」よりも「パン」の方がナンパに向いているのだ。
小麦だけでも「情報源の違い」が分かるのだ。
そこからいろいろな話題が膨らむことを女は知るだろう。
ロマンティックな話を女に話すと自分に酔う必要がある。
「もっともっと読もう」という気分になるのだ。
結局、女の子と話すのは「読むのが目的かな?」とヒュームは考えた。
乙女パスタに感動 タンポポ。

テレビのニュースになるネタというのは「階級格差について考えてもらいたい」というところから作られている。
「どんなセックスしてるの?」というところまで深読みする人もいる。
「階級格差による心の状態は?」ということを報じているのだ。
周囲の反応は?どんな言葉を話しているの?何に悔いを残してるの?
ニュース深読みをやるのであればここまで読まなければならない。
「つまらないニュースだな」とは思わない方がいい。
我々は常に階級格差について考えているからだ。
交通事故はどこでも起きるが「部落民や在日朝鮮人の荒っぽい運転」をあえて報じている。
ニュースというのも「ギリシャ哲学からの伝統」があるのだ。
ソフィズムの伝統では「女心に詳しい人はニュースにならない」とされている。
「万人の万人による闘争」で鍛えられた男はそこにはいない。
のらりくらりと生きている奴がニュースになる。
本当に人々の心を掴んだ宗教家はテレビには出ない。
Forever Sensei.

これは「オックスフォードに行くと親が離婚するぞ!」という伝統とも関わり、人々の心をつかむような男は報じないことにしたのだ。
ドイツでも「全体主義につながる」からではなく、本人の家庭を守るためであったり、病気にさせないために報じないことにしたのだ。
ダークハイムは1894年に、これを否定し、家庭を持たないアドルフ・ヒトラーを登場させている。
【社会の人気者は差別されなければならない】
これは、ムハンマドが「市場を歩くただの人」というイスラムの教えですでに実践されていた。
理解できない者は、病院に送られている。
ツレちゃんの憂鬱。

本当の「女心」は放送コードにかかるし、読んでもらいたいというのが国策だった。
もし、お父さんが「祈りを知っている」人であり、自由に勉強できるのであれば読んでもらいたい、しかし簡単には教えないのがビジネスの世界でもあった。
どこかの社長さんがなぜ偉いのか、はほとんど心理学であり、実際は本ブログに書いてあるようなことを仕事にしている。
アドルノもホルクハイマーも「テレビで見たことを話す男は社長にはなれない」ということを明確にしたし、法学部の学生のテレビ評論など聞くに耐えなかった。
【なぜ差別を知らないんだ?】
政治家志望の法学部の学生は父親に叱られた。
下層階級が「国家のため」というのは分かるが、中産階級でそんなこと言うのならば愚か者だろう。
テレビは差別するためにある。
「お前の不倫など知るか?」と言うものではなく差別なのだ。
ベッキー不倫。

こういう連中の「女心」を作家に語ってもらいたいんだよね。
誰も表には出たくないから。
テレビの「精神科医づくり」は確実に進んでいたし、「社長さんへの道」も自然と出来上がっていた。
すべては精神科医や社長さんの「分からない」をなくすためだった。
経済大国としての日本国もこの体制を選択している。
実際に会ったら「ゾンビーだ」と思うような女もいたし、芸能人に恋をするのは社会を知らない頃だけにしてもらいたかったのだ。
社会そのものが「男女に人気のある」ものでなければならない。
このことを「チャチャ」と呼んだ。
理想と現実のギャップや、世の中を知ること、そしてそれを白日のもとに晒して庶民だけで踊り狂ったのだ。
「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済」だとするのならば「成熟経済」とは「チャチャ」のことではないであろうか。
「開かれた皇室は閉じよ!」という主張も見られた。
人種・性差・障害について、精神科医と社長さんに知ってもらいたかったのだ。
精神障害の世界に「東大生」をあえて送り込むような連中もいたが、その「特権」も教授たちは深く理解していた。
しかし、差別的発言ばかりしていると「有名人との出会いを逃す」ということは指摘しておきたい。
石井明美 cha-cha-cha.

マイノリティは、二人一組でのいじめを得意とする。
しかし、万能の「父」と聖霊を目指す「子」はたどる運命が違う。
聖霊の「復活」を目の当たりにして、「子なるイエス」は磔となるのだ。
聖霊の復活はしっかりとした学問にもとづくものであったため、「子なるイエス」もその境地を目指し始め、失明するものあり、狂牛病になるものあり、それが「いじめ」の結末であった。
「聖霊のように愛されたい」
それが「子なるイエス」を磔にしていた。
聖霊の復活とはそのようなものであり、所属をしっかりと選ばないと子なるイエスは悲惨な末路をたどる。
いじめをやった「子なるイエス」は知識に飢えていて、パンの夢を見る。
パンとはイエスの肉体であった。
「父」はただ生きているだけであり、いざとなったら医者だ弁護士だと大騒ぎするため、みんな父のために祈った。
しかし、「聖霊の復活」の後は「子なるイエス」のために祈った。
いじめっ子が「もういじめないであげようか?」「私はあれほど人気者だったのに・・・」という無様な姿を晒すだけだった。
ribbon deep breath
いじめられて損をする男などいない。
「いじめの世界で神が見えている人などいない」とも言われる。
いざとなったら大騒ぎする「父」と、磔になる「子」が聖霊の復活の時に存在した。
なぜ無様な思いをさせられるのが分からないのだろうか?
スーパースターが生まれるたびに二人の犠牲者が出た。
「オリジン弁当」とはそのような「聖霊」に力を与えるために出来たものだ。
栄養バランスが極めていい作り方になっているのだ。
「聖霊」はヒーローになる前は必ず「父と子」のために祈った。
「復活」とは罪深いものだ。
しかし「父と子」がなぜこのような恥ずかしい生き方ができるのだろう。
「もともと差別されていたから」である。
しかし、いじめを恥じ、聖霊の境地をもっとも強い目的意識を持って目指したのは「子なるイエス」であった。
イエスも復活できればいいね、と考えるのがキリスト教であり、いじめの救済と、時代の学問の犠牲者のために祈る宗教となっている。
コサイン(続いて行く日常)だけを研究していじめから抜け出したリンカーンメカニックインスティチューションのブールーなどもいた。
何がウケるかは「大人の世界」で生きてみないとわからない。
いじめを抜け出すためには「笑い」など必要ないのだ。
雨のちスペシャル 國府田マリ子。

女は「お金のある男」と社会契約(結婚)を結ぶだろう。
しかし、「仲間が多い」というのはお金があるのと変わらないではないか。
「万人の万人による闘争」を経験した男は仲間が多い。
奔放な女は「女心が定義できる」つまり「政治を知っている」男と結婚している。
少し太った以外には、過去の男などまったく見えないのが女というものだ(無知のヴェール)。
政治が得意な男と結婚する奔放な女はあながち「お金目当て」とは言い切れない部分がある。
「喧嘩の絶えないカップルにはなりたくない」などの動機が、お金にともなっている。
「私の喜びは誰かの痛み」ということも知っている男ならば結婚にふさわしい。
お金目当てだけだと亭主関白で苦労するよ?
「女心の定義」に詳しいというところも見ていかないとね。
お金目当てだと大抵、女心に詳しい男と出くわすけど、10%は外れる可能性がある。
お金につられて男を選ぶのは基本的には間違いではない。
しかし、戦術爆撃は仲間を失う。つまり、男選びは女友達を切り捨てながら行うものなのだ。
結婚は女にとって祝福だけではないことまで知っている男がいい。
金を持っているだけのオタクならば結婚相手に選ぶだろうか?
しかし、結婚のハードルを女が上げる必要はないとも言われる。
金を持っているだけのオタクも物分りが良くなることがあるからだ。
暴力は結婚の敵だけどね。
結婚式で痛みを感じている女がいるということを知っているならばだいたい合格じゃないかな。
ウェディングベル シュガー。

女が男に「質問する」というのも「告白」を待っているからだとされる。
1978年のアメリカ大統領は?と女に聞かれて、カーターかフォードが悩んでも、フォードでしたということになれば「1978年にはアメリカには一人の大統領しかいなかったのね」という結論になる。
あるいは、ジョンはスペインとイタリアとドイツのどこに住んでいるの?という質問も、宗教アイデンティティに関する質問であり、「私に告白する可能性はあるのか?聖母マリアを信じているのか?」という質問だ。
今日のディナーには誰が来るの?と聞かれて「パウロだよ」と答えるのは告白であるが、「クラスの女の子かな?」「パウロとニーナだよ」「知らない」というのは告白ではない。
「大勢の男を巻き込むのが告白である」とするのであれば、「パウロだよ」というのは告白だろう。
「だったらアンもビルも来るの?」という具合に話が発展するからだ。
恋はくえすちょん おニャン子クラブ。

女は常に「失恋したらお金を払って美容整形しなければならない」というリスクを負っている。
だから、男の「告白」を待つためには「質問」をするのだ。
「1つの答えを導き出すのか?」「大勢の男を巻き込むのか?」どちらかの質問をして来る。
なぜこんな質問をするのだろうか?それは男が「何かに熱中しているから」である。


女の夢は常にぶつかり合っている。
壊れかけたピアノ 高井麻巳子。

女の「質問」の意味は正確に理解しなければならない。
女たちの夢はそれほどまでにぶつかり合っているのだ。
「洋服は全然ないのに今日着る服がある」
そういう熱中の仕方をする男もいる。
そういう奴ほど噂だけが先行して「〇〇って誰?」と女に名指しされたりするものだ。
長雨 國府田マリ子。

これが「恋の入り口」だとするのならば、「恋は楽しい」と言える男は、哲学を学びながら彼女に話をしているのだ。
「二人が信じる世界」が恋愛空間であるが、教祖さまを信じる空間でもある。
ニューヨークから船が出港する「証拠」のようなものを二人は探しているのだろう。
教祖さまが二人を良い方向に導いているのならば「楽しい」と言える。
エリザベスはデカルトに恋をした。
このことから近代が始まっている。
デカルトは「エリザベスが信じるもの」をひたすら人々に語って回ったのだ。
医者のようなものだった。
エリザベスの恋の「証拠」を示したかったのだろう。
八月、最初の水曜日 渡辺満里奈。

もちろん「ヤリマン女だから恋の強度を高める必要はない」という立場や、「他の男に負けたら彼女を大事にできない」という立場から「証拠」を欲しがらず「恋の楽しさ」を感じない男もいる。
しかし、信者が「恋は楽しい」と言ってくれる宗教はその力を見せつけることを意味し、もはやマイノリティ宗教ではないことを意味する。

カントは、中年男と若い娘の恋を描いたが、デカルトに遠慮してこれを芸術作品にすることを拒絶した。
カントを揶揄して芸術にしたのはヒュームだ。
しかし、カントが「年上の男との恋」と「若者たちの恋」のどちらが男女に人気があるのかをデカルトと競い合ったのは事実なのだ。
ヒュームは「年上の男との恋」ならばサークルに属せないではないか?としている。
しかし、妻子もちの男も妻で勃つために若い女の子と話したがった。
あとは女の子の「私は恋をした」という気持ちに委ねられている。
男は学問を謳歌できるし大人になっても男女の人気を維持できるが、女の子は歳をとったらそうはいかない。
世界での位置付けも男は大人になったら明確になるが、女はそうではない。
すべて「男女の人気」に支えられているのだ。
「心の風景」が子供じみた年配の女にニーズはない。
年配になったら女も「多数派工作」を行い始める。
しかし「読まなければ分からない」ことに男女に人気がある理由があるのであり、年配の女の多数派工作などたかが知れている。
目の前で見たことを「読んだこと」を思い出して語る女はほとんどいないと言っていい。
嘘だけつき続ける女は場当たり的に生きているし、いざとなったら逃げるだけだろ。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ。

男運に恵まれないで歳をとるのは悲しいことだ。
男の言葉は胸に刻まれているはずだ。
しかし、カントは「愛の倫理社会は真理であるが、デカルトに配慮して芸術作品にしないでくれ」と語っている。
女の子が若い頃に「一時的に」作られた男の序列に過ぎないからだ。
女の子がどのように「大人」になるかというプロセスに過ぎない。
男女の「時間」をビデオカメラにおさめただけなのだ。
男と女の「時間の違い」を幻覚のように感じただけだった。
中国の理論的柱であるカリフォルニア大学バークレー校も「愛の倫理社会」を支持している。
女は「広い空間」が好きなのだ。
学問をやるのは男の仕事であり、「広い心の風景」は年配の男にしか生まれない。
夢芝居 梅沢富美男。

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