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Foreign Affairs

  • CFR: フォーリンアフェアーズ英語版

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2018年4月

2018年4月28日 (土)

英国国教会。

イギリス国教会には、特定の教祖はいないが、女たちが「イエスは私たちの敵」と位置づけることによって、王子を敵とみなし、それを資金力にしてきた歴史がある。
論客は多いが、特定の教義はない。
「王子さま次第」とも言える宗教である。
たとえば、デカルトの友人であるアイザック・ニュートンはF=maという式を作り、人間のエネルギーとは重力(重さ)とそれに逆らう勢い(加速度)であるとし、当然、このような男が「恋の対象」になることを想定していたものと思われる。
モーニング娘。I'm lucy girl.

ニュートンの人生は1661年にケンブリッジのトリニティカレッジに入る前と、1687年にプリンキピアを出版した時、そしてその後のケンブリッジでの教鞭をとった時代、そして「王室ソサエティを楽しんだ30年間」に区別される。
女子部屋を覗こうとした望遠鏡を作ったガリレオが死んだ一年後に生まれている(1642年)。
イギリスで1642年に内戦が始まり、1649年にチャールズ国王が即位した。
1653年から1658年までクロムウェルが君臨し、1658年から1659年にかけてクロムウェルの息子のリチャードが統治している。
1660年にチャールズ2世がイギリスカトリック国教会と名乗る王室ソサエティを作り、自らの支持基盤としている。
ニュートンはこの王室ソサエティでの時代を楽しんだのだ。
1684年にハレー彗星が来るという予測をしたことも王室ソサエティで人気を博した。
1688年に名誉革命が起き、オレンジ公ウィリアムがシティにオランダ美人を売りつけた時も、彼は王室ソサエティに残って1703年に王室ソサエティの総裁になっている。
その後のニュートンはもはや王室ソサエティの権威となっている。
彼のプリンキピアが日本国のいくつかのグループに知られるようになったのは1936年のことであり、「物理の教科書」になったのは1970年代のことであった。
ニュートンは「目で見えて回転する」ものの研究を物理学であるとしていた。
これをたたき台に「光、波、粒」の仕組みを明らかにしている。
このことによって「旧約聖書の出来事」を研究したのだ。
1905年にアインシュタインが「遠くに離れたものも同時に存在する」という特殊相対論を、1916年に「別々のものが独自の慣性の法則を持っている」という一般相対論を明らかにした時、人々は「ニュートンのどこにそんなことが書いてあるの?」と我に返った。
1730年代には「ニュートンのいう重力というものは経験に頼りすぎている」という指摘がなされた。
1740年にオイラーが「力点」というものを考えてニュートンのプリンキピアは分かりやすくなった。
男と女のララバイゲーム モーニング娘。

1750年代に再びハレー彗星がきたので、「重力ってなんだろう?」という議論が起きている。
月の方が木星よりもはるかに複雑な動き方をしていた。
ジョン・ロックは、ニュートンに詳しい男を女たちが奪い合っているとし、ニュートンは生きている、と主張した。
カントは「mv」を力とし「mv^2」をエネルギーであるとしたが、ニュートンほどの成功は納めなかった。
いずれにせよ、1660年のチャールズ2世が作った王室ソサエティの権威がニュートンであり、その教義をあえて挙げるのであれば「高校の物理学の教科書」であると言える。

アンソニー・コリンズは18世紀の最初の30年間、英国国教会を支えた人物だ。
ニュートン物理学はもはや教義として完成されていたが、「魂への罰、死後の世界」などを考え、「神」というものの議論をより深めた。
イートン校と、ケンブリッジのキングズカレッジを出たコリンズは、1703年にジョン・ロックと出会い、「略奪愛って知ってるか?」と言われている。
ニュートンのサークルはまだ王室ソサエティにあったが、「セックスは感じる」というパンフレットを配ってニュートンのサークルに対抗した。
松田聖子と郷ひろみの破局。

イギリスカトリック国教会は、コリンズのおかげで「カトリック」という看板を降ろすこととなった。
「いいからだしてるな」
このようなことを語っていたら、1707年から1708年までの一年間、サムュエル・クラークが文通を申し込んできた。
かなりいやらしい内容の文通で「女性のオーガズムの瞬間の感触を香水にしたんだ」などと書かれていた。
手紙はのちに公表され、男たちには「格闘技に関するうんちく」がウケたが、女たちはその「下ネタの才能」に喝采を浴びせた。
男の魅力と動きという2つの要素が香水にはつまっているとした。
略奪愛をしたら、二人の香水は同じになるのだろうか?などという議論をふっかけていた。
この議論によって、ニュートンのサークルとは異なった英国国教会の自由な議論ができるようになったし、「香水」というものが流行した。
田中れいな 香水。

サムュエル・クラークは、コリンズに「魂への罰が下るだろう。死後の世界で会おう」と罵声を浴びせている。
しかし、このやり取りこそがフリーメーソンのオープニングであり、香水の起源であった。
クラークは「見た目は変わらなくても、匂いでパートナーを見分けるのか?」とも言ったし「人間は好きなように行動していいはずだ」と語った。
しかし、コリンズは「人間は自由ではない。より快適な生活に縛られている」としている。
特定の香水に縛られることを「決定論」と呼んだ。
この手紙にイギリスの女たちが受けた衝撃は大きく「トマス・アクィナスってどんな匂い?」と言い始めた。
女たちは自分のオーガズムの時の匂いをばらまいて歩いていた。
Perfume Night flght.

ニュートンサークルの「固さと強さ」に緊張していたイギリス国民はこの話に大爆笑した。
「これが宗教なんだよな」
ヒュームもこの話題を好んで女たちに話した。
オックスフォードのエリートはこのような話題を考えるのが得意であるという考えはイギリス内部にとどまらず、ヨーロッパ大陸にも伝わった。

ホワイトヘッドは、19世紀末に登場した人物であるが、「女の子ってのは男がいなければ数字も数えられないんだよ」と語った。
このため、小学校における「女子校」というものは禁じ手とされた。
国語教育も「数字」から教えるのでそれは当然でもあった。
高等数学の権威であったホワイトヘッドもこのような冗談を言ってイギリス国民を喜ばせた。
いじわるねDarlin' おニャン子クラブ。

エドモンド・バークは、大英帝国の一部を構成していたアイルランドに生まれ、トリニティカレッジを出ている。
法律家だと儲からないと考えて歴史家になった。
「地主」というものに興味を持ち、もし、地主が自分の財産を増やすことにしか興味がなく、お坊さんが貧しきものからお金を巻き上げ、地主の子分が傲慢だったら暴力を使うしかないだろうと考えていた。
「このような地主がいて、人々が女の子と自由に話せないのであれば革命は成功するだろう」としている。
人間の行動原理は「痛みと好奇心」であると考え、地主に支配された連中に同情できるかどうかという力量が歴史家の力だとした。
他人の不運や落胆や孤立に同情できるように聖書は書かれている。
しかも、少数派だった人間が多数派工作に成功する物語が多い。
社会の病理面を直していく、このような物語ばかりではないか?
略奪愛が横行したため予算を割いてくれと言ったマグナカルタや、ノルマン人によるイギリス侵略などは聖書にしたがって解釈できた。
歴史を「聖書で説明できる」というのがバークの考えであった。
ローマ・カトリックが後退局面にあることは、イギリス国教会のバークのように「聖書で歴史は説明できる」という試みすらもはやなかったことからも察することができる。
すべての時代の人物の配置が聖書にはあったし、ヘンタイプレイを嫌う女たちが描かれていた。
【街に女たちが溢れていれば革命は起きない】
はっぱ隊。

引きこもりには革命は起こせない。
そう思っていた矢先に、アメリカに対して大英帝国は「税金」を課した。
まるで大英帝国は「地主」ではないか?
さらには英国議会は「地主の子分」ではないか?
もし、宗教家が貧しきものから金を巻き上げ、アメリカの街から女が消えたら革命は成功するだろう。
それはもはや「最初の経験則」であるとバークは考えた。
フランスでバスティーユ襲撃が起きた時に、バークは「フランスの女は動物みたいだ」として、街を歩く女たちがいないことから革命の成功を予測している。
日本共産党も明確にできない「革命のプログラム」をエドモンド・バークは聖書をたたき台に明らかにしていた。
のちに、世界のすべての「反共ムーブメント」がエドモンド・バークに注目している。
「特高警察・赤狩り」とは、社会に不満を持つ男への国家レベルでのデリヘルだったのではないだろうか。
エドモンド・バークは「革命のプログラムを知っている」女の敵だった。
特高警察・赤狩り。

チャールズ・ハートショーンは、英国国教会の20世紀の人物だ。
「セックスの体位は32ある」としながら、「基本は3つ」とし正常位、後背位、騎乗位を挙げ「本番では2つで攻める」としている。
2種類使われただけで、女は心のすべてを委ねてしまうのだ。
一種類だと「ベッドの上ではいたって普通」と言われる。
「胚」には「大人のコンセプト」のすべてが込められている。
ハートショーンは、男らしさもあり、ギリシャ哲学の語り部を「演じる人」でもあった。
「神はいるのか?」
それは「セックスの途中で体位を変える男」の存在にかかっていた。
女が心を委ねるのが神の条件だったからだ。
いろんな男を試す女がいたのは事実だ。
しかし、「子供ができるまで心を委ねられる」というのは案外、このようなところにあった。
松田聖子 抱いて。

アンセルムス(引間)が言っていた「神」は単純すぎる。
「デュアル」つまり「2種類」を使い分けるだけでどれほど女が固まってしまうであろうか?
デュアルを知っている男ほど国に対しても忠実だった。
やれ「暴れる」だのなんだの言っている奴は「どんなセックスしているのか?」を自分で告白しているようなものだった。
女たちはデュアルを知っている男を「水の上を歩いた」と表現している(創世記)。
問題は「男がそれを学習する時間が与えられているのか?」ということであり、天草四郎時貞のように16歳で「水の上を歩く」男もいた。
ハートショーンも「女の敵」と呼ばれ、英国国教会に名を連ねた。
モーニング娘。 リゾナントブルー。

ジョン・ノリスは、デカルトの「恋」というものをイギリスがどのように受け止めるべきかという「マレブランケプロジェクト」に参加した。
【恋と愛を統制しなければならない】
名誉革命が起きた時に、シティの株価を気にしたのは当然であったし、クェーカー教の立場からも「女は聖書を読まなくていい。男が愛を囁けばいい」という見地から、「恋=セックスは高校生には早いかな?」と考えたようだ。
「女の子は神聖な光を見ながら生きるべきだ」として思春期の心の救済を考えた。
CoCo 夢だけ見てる。

デカルトもイギリスが「恋」というものを「高校生には早い」としたことを「そうか、しかし女の子のエネルギーを勉強に生かすことは忘れないでくれ」とだけ語った。
ジョン・ノリスはしかし「偉大なガリレオ」だった。
「女の子の世界の覗き見」を芸術にしたのだ。
バスルームトラベル 欅坂46。

神・男の完成のほうが大事であるとしたのがマレブランケプロジェクトの結論だった。
「女の子たちと勉強、それは永遠ではない」
とし、女の子たちもいずれは歳をとるし、勉強もやがて忘れていくものだと考えた。
しかし「若さ」という特権が与えられたのだ。
「鏡さえ見ていれば健康だ」ということに若者はまるで太陽と月の大きさが同じであることが当たり前であるかのように気がつかなかった。
太陽と月が同じ大きさでなければ男は勃起できないとも言われる。
生命がある限り「太陽の巨大化」を人類が見ることはないのだ。
このことから「もっと太陽と月にあまえよう」とマレブランケプロジェクトは考えた。
ガリレオの望遠鏡さえあれば「男らしい男」「女らしい女」は生まれるではないか。
NMB48 Partyが始まるよ。

自己完結した「先生」がこのプロジェクトから大量に生まれた。
男は勃起する限り、自己完結した先生であり続けるだろう。
しかも、勃起する男の話を女たちは聞くだろう。
「南京大虐殺はなかった」
それで男が勃起するのならばそれでいいではないか。
愛を強化するためならば歴史など歪めたって構わなかった。
「俺、坂本龍馬っすよね」
君がそれで勃起するのならばそれでいいよ。
歴史とは勃起するための勉強であり、議論するものではなかった。
高校生にはふんだんに勉強の機会を与え、教科書も練りに練った。
高校時代の「恋」=セックスは否定しても、教育は太陽と月に最大限にあまえながら、男と女を育てることにしたのだ。
制服レジスタンス。

トマス・アクィナスは、高校時代にセックスしたために「神」「最高の知性」を見失う男を見た。
「もう望遠鏡には興味を持てない」という男もいた。
ジョン・ノリスはこのことから愛を囁けない男になるためクェーカー教の立場からも高校時代のセックスは否定せざるを得なかった。
あるいは、オレンジ公ウィリアムへのご機嫌とりだったかもしれないが、それで大英帝国の前途が開かれたのだ。

2018年4月25日 (水)

お金に困らないカップル。

最新のセット理論は「お金に困らないカップル」を目指している。
基本は「男がカッコいい」ということと。妻が夫に忠実であるということにある。
何事も「男次第」とされるようになったのだ。
妻が壊れて行きそうになっても逃げない、問題のない愛を知ってある妻を裏切らない、それもこれも「お金の都合から」そのような行動に出る、それがセット理論が目指した「男」だった。
だいたい自分は世界で27位ぐらいかな、という穏当さを持っている男だとされている。
妻を大事にするための秘訣はあった。
妻では「勃たない」と困るので、昔の妻の面影を探して若い女の子とも話をした。
男の子は、女の子と分け隔てなく育て、女の子を育てるのは喜びだった、喜びは男の子が育っていくことにあった。
これを毎日、ローテーションのように繰り返すだけだ。
男の子が何か問題を起こせば男の子の日にし、女の子が問題を起こせば女の子の日にした。
毎日のその繰り返しは「キスより簡単」とも言われた。
SPEED Another sweet field.

男の子と女の子が、自分たちの歴史を継承していくのだ。
しかし、男の子と女の子が誰かとキスをしたらそれを「問題」と呼んだ。
その度に「恋話」を話して聞かせたのだ。
ローマ帝国は滅びていく宿命だが、今の「お金に困らないカップル」はそのような感じなのだ。
職場では子供の話ばかりしていた。
「上司として書く論文」も子育てに関するものであった。
仕事でお金に変えている以上、妻を大事にするのは当然だったのだ。
SPEED All my true love.

今のプロスポーツにおいては、「いい結果」は案外、偶然に頼っている。
ボールのスピンをリリースした瞬間に見ていたら選手生命が短くなると考えて、カウントでヤマを張ったりしている。
偶然に賞金を与えるわけにはいかないので、選手生命を縮める行為をしたものに賞金を払う方向で査定しているのだ。
「偶然」にも人気があるし「いい結果」はもっと人気がある。
プロスポーツを見ていると「子供のキス」などどうでもよくなる。
家庭内での問題を忘れるために今日もプロスポーツを見た。
化ケモノ青年 エレファントカシマシ。

プロスポーツが偶然に頼りすぎていいのだろうか?そのためにデータを集めた。
プロの証券アナリストでもデータは集められるだろう。
偶然性をいかに少なくするかが大事だった。
そうでなければ夜も眠れないだろう。
下痢をするぐらい頑張った日はいい結果が出る。
「怠けてるな」というのは自分でもわかるのだ。
偶然にも人気はあるし、いい結果にも人気がある、そのためにデータを集めたのだ。
「まぐれよ」と心ないおばさんが言わないためにもアベレージは出した。
しかし、子供たちにもプロスポーツのうんちくは伝えなければならない。
いい結果に喜ぶのは当然であるが、変化球かストレートかの二択にドンピシャとハマっただけであり、次も同じ結果が出るとは思わないほうがいい。
スポーツ選手は「スイングスピードを高める」など、データによりギャンブル性をなくす努力をしている。
コイントスではなく、より根拠のある「いい結果」を褒めるべきだ。
スポーツのうんちくさえ子供たちが聞いてくれたら「キスをした」という問題も許せるようになる。
キスした跡は残さないで 国生さゆり。

背番号7というのは案外、選手もつけたがらないものだ。
努力と修練の場だということを知っているのだろう。
それでも選手は「ストレートか変化球か」という二択を迫られている。
打てなければ罵声も浴びる。
見ている方が達観するしかないだろう。
せめて、子供たちに努力と修練の場に関するうんちくを伝えよう。
男の子ならば殴った殴られた、女の子ならば「他の女の子と大げんかした」などの問題を起こすようになる。
カンターは「男の子と話す日、女の子と話す日」がまったく予想できないことを悟った。
子供たちと話したらそれを仕事に生かそう。
スポーツが嫌いな子供はいない。
スポーツで親子はつながれることになる。
分け隔てなく子供たちに接するとはこのことであるし、白黒つける世界の話をグレーな社会に持ち込むのはいいことではないか?
子供たちもやがて「自分が何をすべきか?」が分かるようになる。
「偶然だけでは生きられないんだな」「いい結果だけ出す人生なんてないんだな」ということが分かればいいのだ。
世の中の最新理論に触れる機会があれば子供たちなんてどうにでもなる。
ごめんねJAJAUMA 国生さゆり。

お母さんは子供の「勝負カン」を養うために怒るときは真剣に怒るが、お父さんは淡々とスポーツを教えてやればいいのだ。
偶然にも努力が必要だし、いい結果にも努力が必要だということが分かればいいのだ。
努力しなくても似たような結果は出るが、夜、よく眠れなくなるのがギャンブルというものだからね。
どんな人気者も最後は2割バッターになる。そのアベレージをいかに高い水準に維持するかの秘密がスポーツにはあるのだ。
壊れかけたピアノ 高井麻巳子。

カトリックは、デカルトの登場とともに「高校生の頃の恋」の問題と直面した。
この時に考えたのが「ミミズだってオケラだって」という論法である。
「自分に負けない」ということを強烈にアピールしたのだ。
恋した自分を「剣で傷ついた体」と表現した。
それは人生の冒険の始まりであり、そこに何かのお宝が眠っているものだと考えた。
6+4=10であり、恋した女は4のお宝を発信した。
「恋愛禁止」でも4は言いたいことができたのだ。
「自分に負けない」ということをどのように表現するかという問題であった。
SPEED steady.

ソクラテスは醜かった。昼と夜の服も区別せず、酒で赤い顔をしていた。
しかし、老若男女、金持ちと貧しい人、市民や奴隷など多くの人と話した。
ウサギ小屋で暮らし、先生と呼ばれることを拒んだ。
相手が生徒ならば「空っぽ」なはずだ。
しかし、みんなが様々な持論を持っていたからだ。
彼は世界が広かった。
今では医者や弁護士に話すような深刻な話ばかり人々と話し合ったのだ。
プラトンはソクラテスよりも45歳若かった。
プラトンが25歳の時にソクラテスが処刑された。
プラトンはこの時、逃げている。
逃げなければ何もソクラテスのことを書き記すことはできなかっただろう。
女たちが語った「深刻な話」とはなんだったのか?
どの女も似たような顔をし、似たようなからだをしていたが失恋することがあったのだ。
私立恵比寿中学 でかどんでん。

10の部族からなるアテネのアンティオケにソクラテスはいた。
しかし、彼の社交性が生き、アテネは帝国となっていた。
スパルタなどのデロス同盟はペルシャから侵略されていた。
ニケーアでスパルタとアテネは同盟を結んだ。
「誰とでも話す」ソクラテスの力量が評価された。
この時ソクラテスは結婚を経験した。
アテネで「400人による革命」が起きた。この時、アテネ政府から「さらに5000名」が加わっている。
いろんな名前が取りざたされたが「老若男女、金持ちと貧しい者、市民や奴隷」と話すソクラテスは常に政治生命を絶たれることはなかった。
「誰とでも話す」
それだけで生き残れるのが政治の世界だったのだ。
第一印象は常に罵倒されていた。
しかし、「誰とでも話す」その経験をプラトンは詩にしている。
アメリカ合衆国のベンジャミン・フランクリンは「ソクラテスはイエス・キリストだったのか?」と語るほど「誰とでも話す」姿勢を真似した。
心のルール 穴井夕子。

法(男らしさ)とは、国ができた後に決まるものだ。
若い男や口説き文句が「グループ1」に属し、国や年寄りが「グループ2」に属し、病人が「グループ3」に属するとしたのがプラトンだった。
法(男らしさ)で区別したのだ。
アテネを視察する者はいろいろな街にいた。
ひとえに「治安の良さ」の原因を探りに来ていたのだ。
子供に喜びと痛みを与えるのがうまく、愛や憎しみを教えるのがうまかった。
プラトンはすべてをマグネシアで実験した後にアテネに持ち込んでいた。
クレタ島のマグネシアにはノクターンセックスがあったからだ。
男女で合体したまま海の音(ノクターン)を聞くセックスは一時間も経過すれば女が腰を抜かす。
そんなクレタ島文明からプラトンは国づくりを学んでいた。
ショパン ノクターン。

「セックスが気持ちよければ治安が良くなるらしい」
これがプラトンの考えの基本となった。
国が「男らしさ」を作る。
それならば「セックスソング」をうまく作ればいい。
教育のある者は詩を好んだ。
マグネシアの統治のための委員会を作った。
つまり、マグネシアで詩を拡散させて治安の良さを確かめていたのだ。
子供たちにまで浸透する詩を研究した。
青い珊瑚礁 松田聖子。

男らしさを法と呼び、男らしさを語り合うことを宗教と呼ぶのならば、法と宗教ってどう異なるのか?と言われたが「治める」のが法であり「女たちが語って楽しい」のが宗教である。
法も宗教も「やっていて楽しい」ものである。
それさえ分かれば東京大学法学部で勉強すればいい。

ジャック・マリテインは、ベルクソンからのひどいいじめに遭ってトマス・アクィナスの研究を行っている。
自殺未遂を試みた結果、自分が英国王室に近いからいじめられたのだろうと考えるに至っている。
ここで、フランスカトリックは明確に「恋の否定」を行った。
「恋を知らないソルボンヌの学生」という路線を明確に打ち出したのだ。
もはやベルクソンもいなくなっていたので自分の持論を展開し始めた。
男たちの「若さ」は勉強するために用いられているんだ、と女の子たちに語った。
「高校時代に恋をする連中をいじめてやろう」という企画をフランスで持ち出してきた。
恋をしている男女の顔をまじまじと見てやれ、それだけで人間というものは壊れるんだ、という主張がなされた。
若い頃というのはみんなが美しさを持っているが、みんながコンプレックスを抱えていた。
「いろんな角度からまじまじと眺めるんだよ」
それだけでみんなが勉強に集中することができた。
成績の序列というものも学校に作った。
学年の順位はそのまま「男らしさ」として語られることとなった。
成績がいいといじめられると思うか?時代の教科書に恵まれていればいじめられることはないのだ。
高校生でもハーバードやスタンフォードで何を研究しているかを知っていた。
成績が悪いとそもそも文字が読めないことが分かっていたのだ。
とにかく成績がいいと「歌のモデル」にされる。
これだけでもいじめはなくなる。
酒井法子 エアメール。

マリテインは、アーティストに「高校のスターをテーマにしてくれ」というリクエストを出していた。
これがカトリックの文化だったのだ。
マリテインの「カトリックの教え」は、日本を含む20カ国の言語に翻訳されている。
「高校生ならば恋は禁止だ」
これを明確にしたのだ。
タンポポ 王子様と雪の夜。

王様は2つの出身母体を持っている。家庭と国だ。
家庭で「ヘンタイ」として育ったら、女たちの略奪愛の対象にはならない。
そのため、家庭と国の両方を監督している存在を「権威」と呼ぶ。
権威は街や国の境界線を作る。すべて「セックスサークル」を決めるためだ。
1648年のウェストファリア体制によってサックスサークルは決まったが、イギリスやフランスでは1300年頃から決まっていたようだ。
ドイツには神聖ローマ帝国があった。
ルターは、カトリックを「社会の序列を決めている」として、フランスでも何度か革命騒動が起きている。
「万人の万人による闘争」を経験した王子は当たり前のようにノンケであったが、ルソーは「教育次第だ」と考えていた。
フランスは「男らしい男」「女らしい女」を育て上げる自信があった。
カトリックが決めた「世の中の序列」「世界の序列」がなければヨーロッパ統合は出来なかった。
「男らしい男」「女らしい女」になってくれれば高校は「出席するだけで卒業」だとされたのだ。
蒼いリグレット SPEED.

【大人になりきれない女、平手友梨奈】
欅坂46 不協和音。

【男に弄ばれたら全力で潰そうと思う】
月曜の朝、スカートを切られた 欅坂46。

ニコライは詩を好んだ。


ニコライ堂。

詩というものは「みんなが分かる」ものであるが、詩を作る人と解釈する人の力に周囲は頼っているという意味では神の無限性と有限性があり、みんなが「詩」と契約を結んでいる。
神は無限だ。しかしどの人間にも理解できるものだ。
大きな円でも小さな円でも同じタンジェントが出る。
「すべてのおちんちんはそのようにして自己完結している」とアナクサゴラスは語り、詩への理解力はみな同じだとしたのだ。
地球の上に立てばどの男も同じだった。
しかし、そのためには詩のクリエイターとキュレーターがいなければならない。
イエス・キリストは、人間の性欲を利用した政治家だ。すべての人間が神に作られ性欲を持っていることを理解していたのだ。

【詩にはクリエイターとキュレーターが関わっているが、誰もが理解できる】
欅坂46 サイレントマジョリティー。

詩の世界にカトリックの救済を見出したのがニコライであり、女の子たちに純潔を求めた。
ニコライは、サイレントマジョリティーを「知っている無知」と呼んだ。
「大勢であること」「他人であること」を1つの神から出たものかと思うほどの詩への理解力はみんな持っていた。
「ひとつであること」「知的であること」が神の特徴であるが、詩のクリエイターとキュレーター次第では大勢の他者への共感を呼ぶことができる。
正教会の立場としてコンスタンチノープルに出たニコライはこのようなことを学んだ。
しかし、詩の方が「現実の心よりはいい」とされている。
世界に何が隠されているのか?を明らかにしたからだ。

【カップルには「二人の敵の女」がいる。彼女を裏切ると守ってくれる女がいなくなり、別れに追い込まれる】
瞳はダイアモンド 松田聖子。

これは、神のような予知能力であり、詩を知らなければ分からないことだった。
詩は「男女に人気のある神の心」でもあった。
イエス・キリストの世界とは「セックス政治」の世界であり、日本でも「一線」と呼ばれてセックスを特別視し、キリスト教を受け入れている。
女は「問題のない愛」を知っているはずである。
アンナカレーニナにおいて、アンナの浮気の危うさを知っていた宮廷のおばさんもいた。
女が詩をよく理解していれば「男はみな同じ」と考えて今のパートナーを受け入れるだろう。
アリストテレスの「男女共学」とアクィナスの「いじめ」を知っていれば詩心はおのずとつくものだ。
男は「ワックスをかけたレンガ」である。
色、形、音などを感じる分にはみな同じだろう。
男が女の好みにわがまま言うかどうかという「あなた次第」という部分がある。
SPEED Up to you.

詩というものは「男女からの人気」を測定して増幅させるものだ。
「これは絶対だよね」というものが必ずあるのだ。
ニコライは「生きていくための指針」を作った。
そして、カップルに「出口」も用意した。
「知っている無知」は、予測できずに痛い目に遭う男を意味した。
嘆きの壁をこの時に作ったのだ。
イエス・キリストのような予知能力がないものはみんな嘆きの壁に向かって嘆いた。
嘆くものもまた人生経験を示していた。
「神は他人ではない」
このことを嘆いたのだ。それも信仰心であったであろうし、富でもあった。
ニコライは「嘆きの壁」を作った聖人であった。
彼女や妻との「別れ」と「恐怖」そして「ハゲた理由」を嘆いたために嘆きの壁はイスラエルが譲ることのできない「富」となったのだ。
欅坂46 風に吹かれても。

ジーン・ボーディンは、女子高生がからだを売らない方が国が豊かになるということを明確にした。
しかし、「女の子の心の救済」はどうすればいいのだろうか?
「本物の信仰心」
それがボーディンの答えだった。
経済学者として、そしてファイナンスの達人としてボーディンは生きたが、女子高生がからだを売ると、「女の値段」であるロンドン株価が「女の供給過剰」になって下がることが分かっていたのだ。
このことはボーディンの人脈にも悪影響を与えたため、カトリックというものを「もっと洗練されたものに」する必要があったのだ。
「からだを売ると国王にご迷惑をおかけするぞ」
しかし、女子高生にはそれでは答えにはならなかった。
【もっとも有名な女が純潔を守らなければならない】
欅坂46 エキセントリック。

「若さって宝物じゃない?」
「女子高生の歴史を知っているのかしら?」
さまざまな批判が国王に浴びせられた。
ボーディンは、カトリック教会(神社)を熱心に作った。
国王の人脈を守るためでもあったし、女の子の心の救済のためでもあった。
いろんなアイドル崇拝があったが、何に祈ろうがそれは自由だ。
「しかし、常に多数派にいなさい」とボーディンは語った。
ローマの休日のヘップバーンは多数派だっただろう。
王室は常に「多数派とは何か?」を示さなければならない。
「女らしい女」「男らしい男」になってくれなければ困るのは国だよ。
国王は暴君のように自分の人脈だけを考えればいいというものではない。
しかし、高校生ならば、まだ「性」の問題は不安定過ぎないだろうか?
19歳になったらシルバーリングをあげようとも言われた。
シルバーリングに口づけを Melody.

「国王の深い考えが分かっていない」とも言われたし、クラスに小テストなどの勉強をさせて国王を応援する先生たちもいた。
ボーディンは、「大学に入ったら自由恋愛を許そう」というユダヤ教徒も接触したし、アイドル崇拝のプロテスタントとも関与している。
結局、援助交際をしないでアルバイトをする女子高生は「国王のため」と説明し、国王は「それで国が豊かになるのだ」という明確なメッセージを国民に送った。
自らの家族もその模範となったのだ。
すべての国民の家庭が、ローマ帝国の王室のようなものだったのは事実なのだ。
欅坂46 国境のない時代。

ジュースト・リップスは、高級官僚や医者、弁護士は戦争に行かない、とした。



ブレダの開城。

ナッソー将軍はリップスに「いかに戦死者を出して不幸になる人を減らすかを考えた」と語った。
いざとなったら「医者だ弁護士だ」と大騒ぎする連中を戦争に行かせたのだ。
これはカトリックの教えであり、娘を教会(神社)で祈らせるためには父や兄弟が戦争に行ってはならない、とするものであって、娘の純潔はもはや家族全体のものとなったのだ。
高級官僚や、医者、弁護士は給料も良かったし、国王に忠誠を尽くしやすかった。
そのために「カトリックの家庭」をお金の裏付けをともなう形で作り上げたのがリップスであった。
シーザースパレス。

2018年4月16日 (月)

髪の短い女。

中国には「お風呂」がある。
このことから「髪の短い女」(理)が生まれている。
酒井法子 男のコになりたい。
髪の短い女の男兄弟の学問が発達したのだ。
お風呂でお父さんが娘にいやらしいことをしている。
このことから女兄弟は、家庭内で権勢を誇り、男兄弟は勉強するようになっている(天人合一)。
男兄弟は「体験」と呼ばれる経験をし、おちんちん「是」や、おちんちんの意味「然」を学習していくのだ。
有名な男女(名)とその実態(実)があり、ただ続いていく日常(常)があった。
基本的には二択(是非)であり、その二択の技を「辨」と呼んだ。
約束のポニーテール。
さて、このような中国哲学によって資金集め(名理論)は可能であろうか?
男と女の違いってなんなんだろう?と考えて髪が短くなり、長い神が気持ち悪いと言って、セックスしても痛がるだけの女が果たして資金力になるのであろうか?
東林書院はこの資金集めを「実学」と呼んだ。
髪の短い女は、いくらセックスしても痛がるだけであったが、偉い人(格物)が、「初体験の時には女は痛がるものだ」という噂を流した(反省)。
勃起したおちんちん(体)を用いる(用)上で、もっとも男が喜ぶ発想を女(能)に与えたのだ。
誰とセックスしても痛がっていた「髪の短い女」であるが、格物が「初体験の時は女は痛がるものだ」ということを浸透させたことはどれほど家庭内を安定させたであろうか(道徳理性)。
髪の短い女はどの男にも「初めてなの」と言っていることを知らなければならない(良知)。
男兄弟(君子)とは姦淫を行わない、昔の男の話を極端に嫌うのが髪の短い女であることを知っているのが内聖外王であった。
【男がなぜセックスしたがるかというと、ガラクタたちが教えてくれる】
シャボンのため息 CoCo.

どの男とセックスしても「初めてなの」という女(主)と男(客)の関係を理解することを本体詮択学と呼んだ。
どの男にもそう言っているんだ。
男関係は身内には絶対秘密に決まっているではないか?
このことから「お風呂」のある文化では「家庭内にはセックスは存在しない」というような発想が形作られていった。
名実ともに処女というものは存在しなかったが、「女の子には処女膜がある」という独特の理論を有識者(格物)は広めた。
破瓜なんてものを広めたのは唯識宗や華厳宗であり、その影響力はいまだ根強い。
何度でも人を好きになれる(復性)が理解できればいい。
100年分のGlory 渡辺満里奈。

東京大学法学部は中国の影響を受けすぎている。
「天網恢々疎にして漏らさず」という女たちが周りにいるために、日本語は「女と話した経験」の少ない言語となってしまったのだ。
しかし、「初体験の女は痛がる」「処女膜」「破瓜」などという用語を強烈に浸透させた唯識宗や華厳宗にどれだけの女がお金を貢いだであろうか?
あとは「天網恢々疎にして漏らさず」さえ守れば女はいくらでも男を愛せるのだ。
しかも、「お風呂でいやらしいことをした」お父さんがいくらでもお小遣いをくれたのだ。
望月まゆ あなたを越えたい。

どのように「楊貴妃の牛乳風呂」が存在する国で生きるべきなのか?
子供の頃からの研究が中国で行われた。
ヨーロッパではソクラテスがユーサイプロに「それは殺人に近いね」と言ってシャワーを広めてしまった。
しかし、中国には「王朝」があり、牛乳風呂は禁止されなかったのだ。
父は息子にこの行いで迷惑をかけることになる。
息子に神など存在せず、「女」というものも遠いもののように思えた。
髪の長いよその家の娘が魅力的に思えたし、女を知ることが許されなかった王室の教えを「仁」と呼んだ。
仁は「男の欲望はどこに向かうべきか?」を示していた。
周の時代に「武」という王と「文」という王がいた。
髪の短い女を姉妹に持つ男は「文武両道」を目指していたのだ。
「仁」のある男は治めることを知っている。
これを「理」と呼んだ。
治めると言っても「誰よりも女に興味がある」という意味であった。
「仁」は詩でもあった。
藤本美貴 大切。

論語を読む才能というものは、論語が「エロトークにしか聞こえない」という王室の男に特有のものであったし、家が王室のようでなければならなかった。
まず、お父さんが羊を盗むという「お風呂の問題」(仁)がなければならないし、女に興味がなければならない(理)。
仁のある奴は内向的だから理系に進めとも言われた。
東大理三に入ったら宴会をやろう。
これが「勝者と敗者の和解の儀式」であるとされている。
息子が内向的な分、黙々と勉強したのだ。
「仁」のある奴しかそこまでの才能はなかったんじゃないかな?
大学に入ったら自由に「女」と向き合っていい。
これが「漢方医」である。
漢方医は、大して効かない薬を山ほど持っていたが、「話をする」だけで直してしまう手法をとっていた。
「女と話すのが得意になる」
これが漢方であった。
科挙の順位は女が決めた。
インディゴブルーラブ 。

秦以降、いろんな思想家が登場したが、みんな「仁」を理解し「理」を追い求めていた。
古くは墨子のように金集めのうまい男もいたが、王陽明のように「心技体」というような「文武両道」を目指す者もいた。
そのような苦労人男に忠誠(義)を尽くす普通の男もいた。
孟子は「助けを求めている乞食に侮辱的に食い物を与えても食わない」とし、「仁」のある男を「乞食」と呼んだ。
それほど惨めな青春時代だった。
髪の短い女をセールスに用いたのは墨子であったが、「ショートヘアがキュート」などと言っていた。
孟子は「乞食」「牛」こそが王にふさわしいと考えていたのだ。
孟子は「男の子の才能」をあえて「乞食」「牛」と呼んだ。
セックスから遠いところにいて、勉強が好きで、大器晩成するであろうことを予測したのは孟子だ。
その人生は「道」とも言われた。
能年玲奈。

大学受験に成功してしっかりと「儀式」をやったか?
だったら「勉強が趣味」になっただろう。
そのような男のためには十分すぎる教科書を残そう。
これが「漢に影響された男」という意味だ。
英語を読んでいてもアイデンティティは「漢」にある。
中国の「天」はこのように形作られていった。
中国で「仁」のある男が尊敬されているという社会心理学は21世紀になっても確認されている。
国としてはいまだに「中華帝国」を標榜しているのだ。
大学受験は相変わらず難しかった。
論語を読んで女に話す奴は危険だとも言われた。
論語を読むためには「気」が必要だったからだ。
髪の短いアイドルを愛しても「セックスできない女」だと分かるまでに時間がかかる。
姉や妹が何も話さないからだ、
やがて「法家」というものもできた。
医学部よりも法学部という伝統である。
人を治すために用いられていた「天」が金集めのために用いられるようになった。
能年玲奈。

老荘思想(道教)というのは、詩を仲間内で吟じるものであったが、韓非子は「法家」を作って、それを「男女のルール」として体系化している。
王の伝統とはこのようなものであったであろうということを体系化したのが法家であった。
21世紀に入ってから「法家は、良きサマリア人と区別がつかないな」という指摘がなされている。
男の失恋に詳しかったからだろう。
イエスキリストが聖霊を目指して病魔に侵されることとの区別は極めて困難であった。
B'z love me, I love you.

一方で、仏教の側は「仁」という用語はなく、神を持った奴に対抗するために「無我夢中になれ」と教えていた。
「大乗」は仁を否定しており、早い時期から「恋」の存在を指摘していた。
共同体は「仁」のある男が馴染みにくく、フェアな立場から天台などの仏教徒が生まれていた。

中国の医学は張易純(1866〜1933)がまとめ上げた。
漢方医学が西洋医学と向き合ったのはこの時だ。
体を鍛えることを「養生」と呼び、女性特有の病気を「本草」と呼んだ。
長生きする方法を「神仙」と呼び、神仙を知っている年寄りの真似をしていればいいというのが基本だとされた。
陰陽五行とは「年寄りを敬え」という教えである。
大自然と触れ合っていれば健康だとも言われ、陰陽五行とは自然と触れ合い、年寄りと共生するという教えである。
養生とは神人が作る中華料理を食べることから成り立ち、セックスする時も中華料理を食べることをその教えとしている(婦人之見方)。
あとは老荘思想がで合流し、詩の解釈で認知の歪みを治そうと考えているようだ。

【君が俺の子孫を残すのかと思うと緊張する】
B'z 恋じゃなくなる日。

「仁」から育まれるのは「心」である。
しかし、別の男にも「心」があることを知るのが「天人合一」である。
中国の哲学を完成させたのは清華大学とカリフォルニア大学バークレー校であった。
馬共蘭(1895〜1990)は、「秦の始皇帝以来、中国には女学はなかった」と認めた。
数学は「算」というものがあったし、言葉の計算は「律呂」によって行っていたが、宋、明、清と続いた王朝では儒学が「勉強」だとされてきた。
竹林の七賢と言ってもさほど詩のクオリティは高くなかったとされる。
陰陽五行にせよ養生にせよ気にせよ「女心からのファイナンス」はやっていなかったのではないか?と言われた。
今後、カリフォルニア大学バークレー校が中国を豊かにする可能性は十分にある。
CPOP.

陰陽が「女心からのファイナンス」をする可能性があると期待されている。
陰。
穴井夕子 フェアリーデイズ。

陽。
松浦亜弥 Yeah! めっちゃホリデイ。

これは、中国がキリスト教の影響を受けることを意味する。
今まで指摘されていなかった「神は死んだ」という問題、つまり、息子が「天使に取り囲まれても父に潰され」「母にあまえるのが下手でも父に潰される」という問題も表面化する可能性がある。
形而上学(女心)は、日本国から学習する必要性も指摘されている。
「竹林の七賢は何を歌っていたの?」という疑問も提起されている。
それが、今の中国の現状なのだ。
シルクロードから届いた尚書によって天下を争ってきた歴史はあるが、コンテンツがまったく見えないではないか?
アヘン戦争で清朝がイギリスに負けてから、徳川日本が「脱亜入欧」をしなければ日本国の繁栄すらおぼつかなかっただろう。
日本国は、欧米の言語を「漢字」に直しているが、中国がどれほど日本国に悪影響を与えたかは翻訳の「病的言語」で痛感する。
中国はもっと時間がかかるだろう。
日本から学ぶしかないのだ。
法家というのは「軍事力を持った豊かな国」(富国強兵)を目指したが、韓非子や司馬遷を輩出している。
しかし、中国の「天下」というのはシルクロードや敦煌から学んだものが争っただけなのではないか?
中国で「仁」のあるものが、ヨーロッパから学んだだけなのではないということを痛感する。
しかし、中国が壮大な「戦の場」となったことだけは高く評価できる。
シルクロード、敦煌。

中国の哲学を研究してみると「夢しか語っていない」「シルクロード頼み」が目につく。
彼らはもはや日本から学ぶしかないのではないか?
このような「中国楽観論」を指摘して終わりにしたい。

イスラムの教え。

アルキンディは、バクダットからコンスタンチノープルに出た。
いろんな女子たちに見送られて。
青いスタスィオン 河合その子。

「私」という言葉は男女ともに使うが、「神」というのは男のことだろう。
「女」には真実があるが、「男」には真実はない。

このことからアルキンディは、まず「男の完成」を目指した。
アリストテレスの「二つの石の拳」の意味の探求からボクシングレッスンは始まり、野球やバスケなどで現代でも通用する「ツーポイント」を覚えた。
体を鍛えた後に「女たちと向き合う」という営みを行なっている。
「男はひとつと言い、女はふたつと言う」
いろんな意味でね。
女の「ふたつ」には男は翻弄されまくりだよ。
川本真琴 2分の1.

「何もなかった」世界から「男になる」ことが大事だった。
「2発目3発目が欲しい」と言っているけど本当かよ?という問題意識は常にあった。
世界は無限ではないのだ。
「ツーポイント」
これだけが「男」に求められたものであり、「ひとつの」神の宿命であった。
素人ボクシングなら八方破れだろうけど、まとまってくると「ツーポイント」に絞れるものなんだ。
山崎康晃。

なぜ、神が男だと分かっているのならば、なぜ女に翻弄されるんだ?
「起きるか寝るかのどちらかだ」と言うだけで女は動けなくなることをなぜ学ばないのだろう?
「寝る」ことが身の破滅を意味するのならば、永遠にツーシームは覚えないだろう。
しかし、それがより知的な男の生き方なのだ。
女が卑怯ならば、男も学習しなければならない。
「寝る」ということが男にとってどれほど有利なことかを知らないといけないのだ。
これをアルキンディは、コンスタンチノープルで学習して、バグダッドに戻ってきた。

一方で、「神はフィクションにおいては作り出せる」という立場もある。
トマス・アクィナス、詩の世界のヒーロー。

ファーストインテリジェンス(最も頭のいい男)を神と呼ぶのであれば、それがどのような人生となるかは明らかだった。
「神さまを信じているよ」という男は謙虚であったし、まだ上を目指していることを意味した。
戦う上で「祈らないものはいない」とも言われる。
人間は考える葦である、というぐらい「勉強するのに痛みを感じない」のが神であるが「何を考えているのか?」は常に語らなければならない。
やはり、ファーストインテリジェンスというのは「女心に詳しい」という意味であって、自ずとそれは神・男に跳ね返ってくるものではないだろうか?
「迷いがない」というのが一番強い。
退屈な「創世記」を読んでみれば分かる。
神が世界を生み出したが、世界が神を生み出している。
世界を生み出した神に近づくためには「女心」を学ぶしかない。
永遠をよりシンプルに掴むために学ぶのだ。
そのことで「世界を生み出した神」の真の意図を知るのだ。
「永遠」を知っているのならば神だよ。
どのような男が「神」なのかは「詩の世界のヒーロー」でとっくに歌っている。
「量子論」ってあるだろ。
もっとも小さな「粒」にも重さがあるとする仮説だ。
埃のように宙に浮いているものよりもっと小さいものにも重さがあるとしたのだ。
真実かどうかは分からないけど、一番目立たない人間にも重さがあると考えているんだ。
証明するためには「この女の子供の気持ちが味わいたい」という男の都合や「この男の子供が産みたいから気持ちいい」などの「全てのセックスが気持ちいい」ということを証明するしかない。
大型ハドロン衝突型加速器。

ファーストインテリジェンス(トマス・アクィナス)は、すべてのセックスが気持ちいいということを証明したかったのだ。
どの子供にも「重さ」があるということに興味を持った。
「オッカムのウィリアムにも命の重さはあるのかね」とアクィナスは思った。
それが分からなければシャーロック・ホームズにもなれないだろう。
「ちょこまか動く連中」の存在を知らなければ、ケネディにもなれない。
あんな小男にも重さはあるのかね?それを見失ったらキリストは破滅に向かうであろう。
時代遅れの酒場 加藤登紀子。

頭の上に何か学問の蓄積があり、その「法則」を「今見ているもの」に応じて「落としてくる」という作業がある。
男女に人気のある「法則」を落とすことをカテゴリーと呼ぶ。
「好きなお店に行ける」というのも当たり前ではないのだ。
フッサールは「地元の有名人」であることを目指し続けた。
「何かあるんやろな」というのをカテゴリーと呼ぶのだ。
勃起すること、若さ、国との関係、情熱などを見ながら「何かあるんやろな」ということを判断している。
頭の上の法則で女たちが大騒ぎすれば、大人たちも動く。
どんな法則かは案外、分からないものなのだ。
大人の世界の論理ではインタビューを受けることもない。
「体系」にしたがって処理しているだけだからだ。
女たちが男の序列を決めている。
そのためには「多くの男女たちが作り上げてきた学問の世界」の話をしなければならない。
その世界にどっぷり浸かっているのは発言を読めばわかるのだ。
瀬能あづさ ふたつにひとつ。

大学によって「体系」が違うのならば「東大コンプレックスのない人」がいいよね。
国内でコンプレックスを持っているのならば世界は見通せないからね。
東大コンプレックスのない男は、高校で「恋」などしていないけど、いずれ分かるようになる。
オックスフォードの連中も歳を重ねてから恋の対象になる男が多い。
頭の上から何かの「法則」を落とせるようになるのには時間が必要だ。
大学が違うことは言っていることで分かる、というぐらい大学にどっぷり浸かる必要がある。
ちんちんの魅力もカテゴリー次第だね。
酒井法子 恋と愛のニュアンス。

色。

【差別は株価を押し上げるが、有名人との出会いの機会をなくす】

「色」というものは「喜び」から区別できるようになるものだ。
女の子は本来、世界が茶色で、真面目になろうと思ったら「青」が加わり、男と向き合おうと思ったら「赤」が加わる。
男の子の場合は「少年時代特有の色盲」が指摘されていて、「女の子に興味が持てない」男の子が色の区別ができなかったりする。
「お金がなくて世界が灰色に見える」というのも案外、「女の子を口説く力量がない」ことが原因だったりするのだ。
「暗黒時代」などというものは「女の子が寄り付かない」から引き起こされるのだろう。
真っ赤な女の子 小泉今日子。

このことにスポーツビジネスも関心を寄せた。
真剣勝負で好きなプロ野球チームが優勝すると、強烈な喜びを味わい、色の区別がつくようになり、世界が輝いて見え、「好きな床屋に行ったり、近所の歯医者に行ける」ようになることから身だしなみが整ったりするのだ。
野菜や果物にも興味を持つようになり仕事運や健康運が上がったりする。
人生が「喜び」だけで好転してしまうのだ。

しかし、本来は「言葉の取り引き」をして女性を口説くべきだろう。

私は個人的に、ライターの色も「青」を選んでしまう。
横浜DeNAベイスターズが影響しているものと思っていたが、男というものは「精液が青に見える」ものなのだ。
女にとって「男は赤く見える」ものでもある。
長雨 國府田マリ子。

色というのは男性的なものであり「男らしくあるとはどういうことか?」という議論と関わっている。
男が若い時期に苦労して、やがて調子を取り戻していく「復活」とも関わる概念である。
黄色人種の男が「赤く」見える時の男は女に好意を持たれている。
「顔、赤いよ?」
そう言われた男は「復活」を迎えているのだろう。
それは単なる「肝臓の問題」とは言い切れない側面があるのだ。
自分で鏡を見て顔色が赤いのを見ても気にしない方がいい。
周囲の女性たちの「好意」が顔色に出るだけだからだ。
女たちは失恋するたびに「顔の赤い男」のことを思い出していた。
顔色というのはそれほどまでに「フィクションに近い」ものがあるのだ。
女は「戦わない」のがいちばん美白にいいとされる。
「戦わない」と決めたら勝手に男が寄って来るのだ。
むやみに争わない女は色が白い、というのもフィクションに近い。
色というのは「男が決める」と割り切るほかはないだろう。
壊れかけたピアノ 高井麻巳子。

この「顔色の意味」さえ分かれば、顔の赤い男も「行きたい床屋に行ける、近所の歯医者に行ける」し、色の白い女も「行きたい美容院に行ける」ことになる。
これらのことが理解できれば「社会ムーブメント」を引き起こすのは簡単なのだ。
コーデモイは、顔の赤い男と色白の女が結婚すると「子供に関心が向かう」とした。
喧嘩が強い顔の赤い男は女たちにモテたし、色の白い女は「ただ待っていればいい」ということが分かったからである。
S君 松浦亜弥。

セックスとは「男は女の子供の気持ちを味わうものだ」とされ、「女はその男の子供を産みたいから気持ちがいい」とされている以上、女は戦わずして男が寄ってくるのを待ったのだ。
この「女の待機戦法」は、もっとも男に大事にされる妻を作るとも言われた。
男社会のいじめの存在を見抜いている女が考えることだともされている。
文学にしたのはコーデモイが初めてだったんじゃないかな。
「美白」と関わる研究だったのだ。
3年過ぎた頃には 高橋由美子。

なぜ、顔の赤い男はここまで特別なのであろうか?
それは「勉強してくれるから」である。
女としては「綺麗なお母さんになれる」からだとも言われる。
勉強してくれない彼氏だと、喧嘩ばかりのパートナーになってしまう。
セックスというものが、子供の「時間」まで感じるものである以上、勉強してくれない彼氏だと気持ちよくないのである。
ribbon Stay with me.

太っていて顔の赤い男ほど、女から何かを聞き出そうとしているだろう。
そういう男の「モデル」を哲学者は作っていく必要があるのだ。

アファーマティブアクションという制度があるが、「マイノリティでもノーマルなセックスができれば差別されない」という発想のもとで教育を与え、就職でも差別しないという仕組みだ。
「異性を愛すること」はお金と関わるものである。
髪の長い女ならば朝鮮女でも中国女でも抱ける、というのが日本人なのであり、そこには何ら差別はない。
「女になり切れていない」から部落民は差別されるのだ。
1964年の公民権法はこのことを指摘しており、日本でも部落民や在日朝鮮人が「同じ文脈」に位置付けられた。
AT&Tやアラバマハイウェイパトロールなどが、ノーマルなセックスができる男女ならば排除しない、という方向性を打ち出したのだ。
しかし、カリフォルニア大学の医学部への入学に関しては「時と場所がある」とされ、日本国においても「医者は差別の対象にはならない」という認識が広まった。
黒人やヒスパニックは医者にはなれないとされた。
これは日本国においては「部落民や在日朝鮮人は医者にはなれない」と置き換えられる。
手紙 岡林信康。

「医学部入学」は、同化政策を妨げる最後の砦であり、ブレナン判事とパウエル判事の真似をしたのが日本国である。
どの組織も「セックスサークル」であり、医学部からの排除がなされ、修正第14条でも認められている。
肌の色が違ったり、名前が奇妙だったら患者も触って欲しくないだろうという観点からハーバード大学医学部もこれを認めてしまった。
しかし、テキサス大学のロースクールはマイノリティの入学を認めたのだ。
このことから「医学部と法学部は同格ではないのではないか?」と語られた。
しかし、ミシガン大学が「かなり高度な成績がロースクールへの入学の条件である」としたことから「医学部と法学部は同格」というのが日本にも伝わった。
人種でその地位を維持した医学部と、成績でその地位を維持した法学部という図式が出来上がったのだ。
ミシガン大学は、全米の心を作る集団を目指していた。
チューリップのアップリケ 岡林信康。

マイノリティでも「男らしい男」「女らしい女」であればセックスの可能性があるというところから差別の解消は目指されたが、医者、弁護士、官僚などが差別の基盤となった。
ここでマイノリティ差別の問題は固まったのであり、「我々はもう戻らない」という宣言も出され、黒人、ヒスパニックの問題や、日本における部落民や在日朝鮮人の問題は固まった。
医者、弁護士、官僚は「ストイックに」その世界を構築することが求められ、差別を助長した。
これらの職業はストア派であり、これらの優秀な職業に就けないものは「男の痛み」を経験するエピクロス派であった。
Bz もう一度キスしたかった。

エピクロス派は、女たちから「楽しいし男らしい」と言われている。
女性、障害者、在日朝鮮人・部落民差別が株価を押し上げることは分かっていたが、エピクロス派の負け犬男も株価を押し上げた。
一方で、日本国の男が差別的発言を繰り返していると「円高に振れる」という効果が指摘できる。
狼なんか怖くない 石野真子。
女の値段である株価と、男の値段である円高がどのような関係にあるかを見てみると面白いだろう。
日没時刻を調べよう。
昼夜平分線と呼ばれる時間帯に男女がどのような動きをしてあるのかを見て見ると「株と為替」というものが分かるようになる。
いかなる勢力の「思惑」をも排する時間帯が存在する。

男が強気になる瞬間(円高)と、女の値段が跳ね上がる瞬間は、日本国の文化によほど通じていなければ分からないだろう。
国民的イベント、国民的番組のみならず、国民的アイドル女性の信用力など様々な要素を考えなければならない。
日経平均株価先物と円のチャート。
夜中に女がしきりにオークションを仕掛けているのがわかる。
19:00の街 野口五郎。
万物の起源は、水なのか火なのか、空気なのか土なのかという議論はエピクロス派の男の「子供」がどのようなものなのかについての議論であった。
それほどエピクロス派はモテたのだ。
「知性で負ける」という尾を引くような経験をした男に喜びをあげる、と女たちは考えた。
遊んで暮らしていたから知性で負けたのに、痛みを感じた時だけ集中して詩を書くのかエピクロス派だった。
キケロの詩をみんな参考にしているんだよ。
「友情の輪が世界に広がっている。すべての人に幸せな目覚めを」をスローガンにキケロもルクレティウスを詩を書いた。
よくいるタイプの男だったが、そのような「遊んで暮らしていて、いざとなったら大騒ぎする男」は詩を書く才能さえあれば生きて行けた。
むしろそのような男の方が多数派であり「仲間の多い男」に女たちは熱狂したのだ。
Bz ねがい。

女性や、障害者について語ることと、部落民・在日朝鮮人差別が株価を引き上げることが明らかになったことから、部落民・在日朝鮮人問題は「誰も解決したくない問題」となっている。
マイノリティに属しているからセックスできないという問題を解消したのがITバブルであった。
在日朝鮮人や部落民がインターネットを用いて「セックスできる女」であることをアピールして荒稼ぎをしたのだ。
どのみち差別されているのだから、と言ってセックス動画を晒すことは所得の再分配機能を持っていた。
他にも「稼げる女」というのは在日朝鮮人や部落民が多い。
自由奔放な女は「不運」を背負っているとも言われる。
男の子が「勉強の才能に恵まれる」というのは在日朝鮮人や部落民には難しい話だった。
この男優や女優が社会で孤立しようが構わないというささやかな満足が多数派にはあった。
しかし、それよりも「なぜ彼らがこのような境遇に落ちたのか」を語り合うことの方がより人気があった。
織田信長とか日露戦争の話題が出てくるからだ。
ネットポルノにこれらの歴史が関わっているのだ。
寒波や洪水などで大損害を被るのも在日朝鮮人や部落民だった。
それほどまでに日本人は急進的な「集団主義」を採用していた。
在日朝鮮人や部落民に関してテレビで報じないのか?とテレビ局にいうと「いつもやっているじゃない」と思われるだけだ。
恋をしちゃいました タンポポ。

それだけにとどまらず、同じ日本人であっても「失恋した男」は「女と向き合った証拠」として株価を引き上げる要素となっている。
B'z Don't leave me.

アスカロンは、女が振られるというのは疑わしいとしている。
女の失恋ソングを歌ったアカデメイアを「前期」と「後期」に分けて、前期では女の失恋ソングを歌ったが、後期には男の失恋ソングばかりになった。
前期のコレクションも忘れたくはないとしたのがゼノであった。
優しさに帰れない CoCo.

しかし、現実のマーケットメイクはそうは動いてはいなかったのだ。
オークションでもそれは同じだ。
医者、弁護士、官僚ばかりが得をする時間帯は確かにあった。
ストア派が勝ったのではないかとも言われた。
ストア派に「口説き文句」さえ教えれば、お金ならエピクロス派よりも持っていたのだ。
「遊んでばかりで、いざとなったら大騒ぎする」エピクロス派はここで遅れをとった。
そこで「後期」には、前の日の教訓をバネに詩を作って金を儲けるようになったのがエピクロス派だ。
翌日のマーケットメイクやオークションでストア派とエピクロス派のどちらが勝ったかはいまだ決着がついていない。
B'z 人生の快楽。

男の値段が円高だとしよう。
「二つの頭を持った人間の片方の頭を切り落とせるか?」
「最も背の高い小さな男はいるのか?」
答えは「赤ん坊ならばあり得る」ということだ。
ヘビの尻尾はどこからなのか?というと「ヘビにも肋骨がある」のだ。
ヘビにすら「五体満足」がある。当然、人間にもあるだろう。
人間の「心の限界」ってどこにあるんだろう?
これは「美しい女が体を売って何か失うものがあるのか?」という議論だ。
アルフレッド・ヒッチコックは、俳優は子供のようだと語った。
まるで「セックス」を独り占めしたように振舞っていたからだ。
どの人間も五体満足の歴史上の人物と変わらないのだ。
「セ・ッ・ク・ス」とつぶやいてみよう。
どの子供も働けない。
大人だけが働いているのだ。
生後1日の赤ん坊は子供だ。
生後3650日の子供も子供だ。
しかし、100歳の人間は子供ではない。
「いつ日本に来たのか?いつエロ本を見たのか?」が問われる。
うまくこの国で生きていけるためにはそれだけが問われる。
「国を売るのは楽しい」などという日本人などいない。
どこかで大失恋を経験しているのだ。
そのような失恋男は差別されて当然だ。
勝ち続けられなかったのだからね。
B'z Still Alive.

コンテク派は、自分の文脈を独自のものにして、間違えたと思ったら政治生命を失う。
地平線が10億メートル先になったらおしまいなのだ。
独自の文脈を間違えたら、失恋ソングを作って生きるしかない。
「星が目の前に見える」のならば問題はないけどね。
先生を選ばなければならない理由はここにある。
ラッセルは"The"のあとに単数形を用いようが複数形を用いようが自由だとしたが、「複数の男で一人の女を抱くことはできない」としていた。
「物語になるセックス」でなければ女は高い値段はつけないと考えたのだ。
「我々」と名乗る男は凡人であると見透かしていたようだ。
「我々は部屋に入ってテレビをつけた」という表現に女は存在しなかったのだ。
アリストテレスを「アレキサンダー大王の先生」と呼ぼうが「トマス・アクィナスの理論的指導者」と呼ぼうが勝手だが、アリストテレスほど「大勢の男たちが作り上げた」一人の男はいなかった。
生きていた時も死んだ後にもである。
女たちの「お金を持っていて頭のいい」「一人の」男というニーズに応えたのだ。
大の大人が「我々」というのは「フランス国王はハゲだ」(そんなの関係ねぇ)というほど滑稽なことだ。
そんなの関係ねぇ。

セックスの監督はルイ16世だけでいい。
ほかに先生は必要ない。
明日のニュースの一面トップはルイ16世が決めればいい。
通学列車 モーニング娘。

本来、ラテンアメリカは「奥さんを大事にする」というスペインやポルトガルの影響を受けていた。
しかし。1910年から1940年にかけて「暴動」が起きている。
「すべての女を口説き落とせる」と言ってラテンアメリカをオルテガは講演して回った。
経済発展がこれにともなったので、1910年世代というものが生まれている。
日本では「大逆事件」と呼ばれて「天皇はそんなことはしていないはずだ」と呼ばれたムーブメントだった。
1960年代にはラテンアメリカも成熟してきて、マルクス主義の台頭などもあった。
島でマルクス主義を実践してブルーマウンテンを栽培する連中もいた。
「原住民は勉強ができないから奴隷だ」という文化と向き合わなければならず、「アフリカ人並み」の扱いを脱するようになったのは1990年代になってからだ。
ラテンの女たちにとって「フロイトは新しすぎる」として、「女心」を男から見えなくしてしまったという特徴が見られる。
日系ブラジル人も「女心」を研究することによる財務というものを知らないし、カナリアイエローのサッカーブラジル代表も、女性サポーターをあまり重視していないようだ。
コーヒールンバ 荻野目洋子。

男が女を差別的発言(円高)に誘導する。差別的発言は女の魅力(株高)につながらない。
女はセックスアピールをしたがる(株高)
しかし、「女である」ことばかりを強調することはできない(株安)。
女であることをアピールすると友達もなくす(株安)。
男の差別的発言を批判する分には友達は失くさない(円安)
男は差別的発言で女に遠慮するようになる(円安)。
女は差別的発言をする男とセックスしなければならない(円高)。
差別的発言をしない方が女らしい(円安・株高)。
女らしくあることはいけないことなのかしら?(株安)

株はひたすら上がることはない。
男女の関係があったり、女友達の関係があるからだ。
男も女に遠慮することがあるので円がひたすら高くなることもない。
ガスライティング、友達としての忠告、しかめっ面、罵声などが為替と株の値動きを取り巻いている。
この世界を「操る」ことの難しさを知らなければならない。
男は女にモテたいし、女は「女友達」をなくしたくないのだ。
為替と株の値動きはこの複雑な世界を循環している。
山口百恵さんのように「女友達もいない、男は三浦友和だけ」というわけにはいかないだろう。
いい日旅立ち 山口百恵。

答えは【男と女がもっと話をすることなんだよ】
差別的発言で自己アピールしていないで、もっと「ロマンティック」な話をするんだ。
男が「男らしければ」円は高くなる。
口説き文句がうまい男は男らしいだろう。
女が友達を失わないのも「キャリーオーバー」というロマンティックな話題を伝えることだ。
哲学を男が女に語るというのはそれほど「単純に」株高・円高・土地高のトリプル高を引き起こすのだ。
「女が綺麗になることのどこが悪いのか?」
でも、部落民や在日朝鮮人を差別することにはメリットがあるんだよね。
円と株が「貿易」でつながっている以上、差別は日本国にメリットをもたらす。
瞬間的には「円高・株安」になるけれど長い目で見ると日本国に恩恵をもたらすのだ。
まるで「日本国には悪はない」というような雰囲気が作られるのだ。
マーケットコントロールは可能なのだろうか?
いろんな女が目立ちたがっているのは事実であるが、男との関係や女友達との関係がある生活者である以上、「職業芸能人」として食べてはいけない今日では、かなり難しいね。
むしろ「文学」に期待されている。
作家はロマンティックなことを書いても敵は作らないからね。

【神・男の完全性を議論すると爽快感がある】
ハートをロック 松田聖子。

目立ちたがり女を言論で用いたのならば、彼女が孤立しないように、「個人的にご挨拶」する必要がある。
赤の他人を言論で用いることはない。
作家が「暴君」でなくなるためには、社交性がなければならない。
いろんな芸能人と交流のある作家ならばマーケットコントロールは「可能である」とされている。
しかし、昔の人から今の人まで芸能界を網羅することは無理かな?
テレビに影響されるのならば作家ではないからね。
難しいのがマーケットコントロールなのだ。

デリダは「女たちを美しくしよう」と考えてインターネット時代にブログなどで「愛妻弁当」「子供のお弁当」を写真で公表して「行きたい美容院に行ける、近所の歯医者に行ける」ようにしたが、毎日毎日続いていく日常の中で、「秘密の数」だけが女たちに増えていくことを感じていた。
「乳首や局部の色」などは秘密の中の秘密だった。
男もその「秘密」に口を割らないことが「男らしさの力」だとされた。
rebecca when a woman loves a man.

株価はタイムトラベルでもしない限り、予測はできない。
しかし、タイムトラベルは「昔の男や女を思い出す学問」である現状がある。
タイムトラベルをしておじいさんを殺しに行ったら自分はどうなるのか?とも言われるが、遠回しの「自殺願望」であり、人生に悔いを残しているのであろう。
「過去に影響を与えよう」という発想は「現実を認めたくない」から引き起こされる。
しかし、「過去に影響を与える」可能性を指摘して将来を変えることは可能なのだ。
松田聖子 時間旅行。

日経平均株価は、「女の相場」である3万円を超えない限り、「男が女を愛する気持ちを利用する」「恋愛論」などのミクロ手法が有効であり「北朝鮮問題」などの「国際法の国内法化」というようなマクロ手法は3万円を超えてから考えればいいだろう。

男が「神」と関わる上では、人類の歴史と向き合わなければならない。
古典を読まなければ「神」と接する機会はない。
「神の時代は終わらない」(詩篇102:27)。
「季節、日にち、時間、それぞれに女たちの興奮の意味を与えよう」(創世記1:14)。
「彼の時代が始まる前に神は約束をしている」(テトス人への手紙)。
「男たちに紛れていても彼の時代が始まるのが分かる」(コロサイ1:17)。
それはやはり「女心とどう向き合うかという才能に恵まれているか?」で判断されている。
アウグスティヌスの「告白」でそれは明らかにされ、ヨーロッパ中世は始まっている。
中世の王たちにはすでにギリシャ哲学があったのだ。
「女たちが胸を隠した」
これがギリシャ哲学の結論だった。
男が「神」と関わるようになってセックスが気持ちよくなったのだろう。
松浦亜弥 Love train.

神には時間があるようでいて「ない」のだ。
人類の歴史を簡単に俯瞰するためにはいい先生がいなければならない。
また、「娘と息子」に恵まれなければならない。
「お父さんがこう言っていた」と語る娘と息子がいなければ神にはなれない。
神は全知全能であるはずであるが、神は変わるものだ。
神に時間がないのは学習するためである。
「できないことのない男」でも常に学習し続けなければ神ではなくなるだろう。
広瀬香美 ピアニシモ。

それでは「神」というのはなぜ必要なのだろうか?
それは我々に「安全」を約束するためである。
組織の序列もそのようにして出来上がる。
昔は「女心に詳しい人」が神であるとされていたが、今は「安全を約束してくれる人」という具合に発想が変わっていた。
女ばかり相手にしていないで「男社会で勝つ男」が必要とされたりもした。
男社会で生きているという「証拠」を必要としたのだ。
証拠を見せて 工藤静香。

女の子を「よく見て話せ」。
セックスする可能性を感じながら話すのだ。
「可愛いね」と言ったら言葉が循環して意味がなくなるので言わないことだね。
私服を褒めるのは常識でも「可愛いね」という言葉は循環しすぎるのだ。
パンは好きですか?だけではとどまらす、「小麦の出来はいいらしいね。AP通信が言ってた」というだけで「世界の中の私」を演出できる。
パン用の小麦粉はタンパク質が多い方が良く、AP通信が報じる小麦粉の方が「濃くて重い」とされる。
AP小麦粉を嫌うパン職人もいるのだ。
「世界が私を育てている」という意識は必要であり、「お米」よりも「パン」の方がナンパに向いているのだ。
小麦だけでも「情報源の違い」が分かるのだ。
そこからいろいろな話題が膨らむことを女は知るだろう。
ロマンティックな話を女に話すと自分に酔う必要がある。
「もっともっと読もう」という気分になるのだ。
結局、女の子と話すのは「読むのが目的かな?」とヒュームは考えた。
乙女パスタに感動 タンポポ。

テレビのニュースになるネタというのは「階級格差について考えてもらいたい」というところから作られている。
「どんなセックスしてるの?」というところまで深読みする人もいる。
「階級格差による心の状態は?」ということを報じているのだ。
周囲の反応は?どんな言葉を話しているの?何に悔いを残してるの?
ニュース深読みをやるのであればここまで読まなければならない。
「つまらないニュースだな」とは思わない方がいい。
我々は常に階級格差について考えているからだ。
交通事故はどこでも起きるが「部落民や在日朝鮮人の荒っぽい運転」をあえて報じている。
ニュースというのも「ギリシャ哲学からの伝統」があるのだ。
ソフィズムの伝統では「女心に詳しい人はニュースにならない」とされている。
「万人の万人による闘争」で鍛えられた男はそこにはいない。
のらりくらりと生きている奴がニュースになる。
本当に人々の心を掴んだ宗教家はテレビには出ない。
Forever Sensei.

これは「オックスフォードに行くと親が離婚するぞ!」という伝統とも関わり、人々の心をつかむような男は報じないことにしたのだ。
ドイツでも「全体主義につながる」からではなく、本人の家庭を守るためであったり、病気にさせないために報じないことにしたのだ。
ダークハイムは1894年に、これを否定し、家庭を持たないアドルフ・ヒトラーを登場させている。
【社会の人気者は差別されなければならない】
これは、ムハンマドが「市場を歩くただの人」というイスラムの教えですでに実践されていた。
理解できない者は、病院に送られている。
ツレちゃんの憂鬱。

本当の「女心」は放送コードにかかるし、読んでもらいたいというのが国策だった。
もし、お父さんが「祈りを知っている」人であり、自由に勉強できるのであれば読んでもらいたい、しかし簡単には教えないのがビジネスの世界でもあった。
どこかの社長さんがなぜ偉いのか、はほとんど心理学であり、実際は本ブログに書いてあるようなことを仕事にしている。
アドルノもホルクハイマーも「テレビで見たことを話す男は社長にはなれない」ということを明確にしたし、法学部の学生のテレビ評論など聞くに耐えなかった。
【なぜ差別を知らないんだ?】
政治家志望の法学部の学生は父親に叱られた。
下層階級が「国家のため」というのは分かるが、中産階級でそんなこと言うのならば愚か者だろう。
テレビは差別するためにある。
「お前の不倫など知るか?」と言うものではなく差別なのだ。
ベッキー不倫。

こういう連中の「女心」を作家に語ってもらいたいんだよね。
誰も表には出たくないから。
テレビの「精神科医づくり」は確実に進んでいたし、「社長さんへの道」も自然と出来上がっていた。
すべては精神科医や社長さんの「分からない」をなくすためだった。
経済大国としての日本国もこの体制を選択している。
実際に会ったら「ゾンビーだ」と思うような女もいたし、芸能人に恋をするのは社会を知らない頃だけにしてもらいたかったのだ。
社会そのものが「男女に人気のある」ものでなければならない。
このことを「チャチャ」と呼んだ。
理想と現実のギャップや、世の中を知ること、そしてそれを白日のもとに晒して庶民だけで踊り狂ったのだ。
「男が女を愛する気持ちを利用するのが経済」だとするのならば「成熟経済」とは「チャチャ」のことではないであろうか。
「開かれた皇室は閉じよ!」という主張も見られた。
人種・性差・障害について、精神科医と社長さんに知ってもらいたかったのだ。
精神障害の世界に「東大生」をあえて送り込むような連中もいたが、その「特権」も教授たちは深く理解していた。
しかし、差別的発言ばかりしていると「有名人との出会いを逃す」ということは指摘しておきたい。
石井明美 cha-cha-cha.

マイノリティは、二人一組でのいじめを得意とする。
しかし、万能の「父」と聖霊を目指す「子」はたどる運命が違う。
聖霊の「復活」を目の当たりにして、「子なるイエス」は磔となるのだ。
聖霊の復活はしっかりとした学問にもとづくものであったため、「子なるイエス」もその境地を目指し始め、失明するものあり、狂牛病になるものあり、それが「いじめ」の結末であった。
「聖霊のように愛されたい」
それが「子なるイエス」を磔にしていた。
聖霊の復活とはそのようなものであり、所属をしっかりと選ばないと子なるイエスは悲惨な末路をたどる。
いじめをやった「子なるイエス」は知識に飢えていて、パンの夢を見る。
パンとはイエスの肉体であった。
「父」はただ生きているだけであり、いざとなったら医者だ弁護士だと大騒ぎするため、みんな父のために祈った。
しかし、「聖霊の復活」の後は「子なるイエス」のために祈った。
いじめっ子が「もういじめないであげようか?」「私はあれほど人気者だったのに・・・」という無様な姿を晒すだけだった。
ribbon deep breath
いじめられて損をする男などいない。
「いじめの世界で神が見えている人などいない」とも言われる。
いざとなったら大騒ぎする「父」と、磔になる「子」が聖霊の復活の時に存在した。
なぜ無様な思いをさせられるのが分からないのだろうか?
スーパースターが生まれるたびに二人の犠牲者が出た。
「オリジン弁当」とはそのような「聖霊」に力を与えるために出来たものだ。
栄養バランスが極めていい作り方になっているのだ。
「聖霊」はヒーローになる前は必ず「父と子」のために祈った。
「復活」とは罪深いものだ。
しかし「父と子」がなぜこのような恥ずかしい生き方ができるのだろう。
「もともと差別されていたから」である。
しかし、いじめを恥じ、聖霊の境地をもっとも強い目的意識を持って目指したのは「子なるイエス」であった。
イエスも復活できればいいね、と考えるのがキリスト教であり、いじめの救済と、時代の学問の犠牲者のために祈る宗教となっている。
コサイン(続いて行く日常)だけを研究していじめから抜け出したリンカーンメカニックインスティチューションのブールーなどもいた。
何がウケるかは「大人の世界」で生きてみないとわからない。
いじめを抜け出すためには「笑い」など必要ないのだ。
雨のちスペシャル 國府田マリ子。

女は「お金のある男」と社会契約(結婚)を結ぶだろう。
しかし、「仲間が多い」というのはお金があるのと変わらないではないか。
「万人の万人による闘争」を経験した男は仲間が多い。
奔放な女は「女心が定義できる」つまり「政治を知っている」男と結婚している。
少し太った以外には、過去の男などまったく見えないのが女というものだ(無知のヴェール)。
政治が得意な男と結婚する奔放な女はあながち「お金目当て」とは言い切れない部分がある。
「喧嘩の絶えないカップルにはなりたくない」などの動機が、お金にともなっている。
「私の喜びは誰かの痛み」ということも知っている男ならば結婚にふさわしい。
お金目当てだけだと亭主関白で苦労するよ?
「女心の定義」に詳しいというところも見ていかないとね。
お金目当てだと大抵、女心に詳しい男と出くわすけど、10%は外れる可能性がある。
お金につられて男を選ぶのは基本的には間違いではない。
しかし、戦術爆撃は仲間を失う。つまり、男選びは女友達を切り捨てながら行うものなのだ。
結婚は女にとって祝福だけではないことまで知っている男がいい。
金を持っているだけのオタクならば結婚相手に選ぶだろうか?
しかし、結婚のハードルを女が上げる必要はないとも言われる。
金を持っているだけのオタクも物分りが良くなることがあるからだ。
暴力は結婚の敵だけどね。
結婚式で痛みを感じている女がいるということを知っているならばだいたい合格じゃないかな。
ウェディングベル シュガー。

女が男に「質問する」というのも「告白」を待っているからだとされる。
1978年のアメリカ大統領は?と女に聞かれて、カーターかフォードが悩んでも、フォードでしたということになれば「1978年にはアメリカには一人の大統領しかいなかったのね」という結論になる。
あるいは、ジョンはスペインとイタリアとドイツのどこに住んでいるの?という質問も、宗教アイデンティティに関する質問であり、「私に告白する可能性はあるのか?聖母マリアを信じているのか?」という質問だ。
今日のディナーには誰が来るの?と聞かれて「パウロだよ」と答えるのは告白であるが、「クラスの女の子かな?」「パウロとニーナだよ」「知らない」というのは告白ではない。
「大勢の男を巻き込むのが告白である」とするのであれば、「パウロだよ」というのは告白だろう。
「だったらアンもビルも来るの?」という具合に話が発展するからだ。
恋はくえすちょん おニャン子クラブ。

女は常に「失恋したらお金を払って美容整形しなければならない」というリスクを負っている。
だから、男の「告白」を待つためには「質問」をするのだ。
「1つの答えを導き出すのか?」「大勢の男を巻き込むのか?」どちらかの質問をして来る。
なぜこんな質問をするのだろうか?それは男が「何かに熱中しているから」である。


女の夢は常にぶつかり合っている。
壊れかけたピアノ 高井麻巳子。

女の「質問」の意味は正確に理解しなければならない。
女たちの夢はそれほどまでにぶつかり合っているのだ。
「洋服は全然ないのに今日着る服がある」
そういう熱中の仕方をする男もいる。
そういう奴ほど噂だけが先行して「〇〇って誰?」と女に名指しされたりするものだ。
長雨 國府田マリ子。

これが「恋の入り口」だとするのならば、「恋は楽しい」と言える男は、哲学を学びながら彼女に話をしているのだ。
「二人が信じる世界」が恋愛空間であるが、教祖さまを信じる空間でもある。
ニューヨークから船が出港する「証拠」のようなものを二人は探しているのだろう。
教祖さまが二人を良い方向に導いているのならば「楽しい」と言える。
エリザベスはデカルトに恋をした。
このことから近代が始まっている。
デカルトは「エリザベスが信じるもの」をひたすら人々に語って回ったのだ。
医者のようなものだった。
エリザベスの恋の「証拠」を示したかったのだろう。
八月、最初の水曜日 渡辺満里奈。

もちろん「ヤリマン女だから恋の強度を高める必要はない」という立場や、「他の男に負けたら彼女を大事にできない」という立場から「証拠」を欲しがらず「恋の楽しさ」を感じない男もいる。
しかし、信者が「恋は楽しい」と言ってくれる宗教はその力を見せつけることを意味し、もはやマイノリティ宗教ではないことを意味する。

カントは、中年男と若い娘の恋を描いたが、デカルトに遠慮してこれを芸術作品にすることを拒絶した。
カントを揶揄して芸術にしたのはヒュームだ。
しかし、カントが「年上の男との恋」と「若者たちの恋」のどちらが男女に人気があるのかをデカルトと競い合ったのは事実なのだ。
ヒュームは「年上の男との恋」ならばサークルに属せないではないか?としている。
しかし、妻子もちの男も妻で勃つために若い女の子と話したがった。
あとは女の子の「私は恋をした」という気持ちに委ねられている。
男は学問を謳歌できるし大人になっても男女の人気を維持できるが、女の子は歳をとったらそうはいかない。
世界での位置付けも男は大人になったら明確になるが、女はそうではない。
すべて「男女の人気」に支えられているのだ。
「心の風景」が子供じみた年配の女にニーズはない。
年配になったら女も「多数派工作」を行い始める。
しかし「読まなければ分からない」ことに男女に人気がある理由があるのであり、年配の女の多数派工作などたかが知れている。
目の前で見たことを「読んだこと」を思い出して語る女はほとんどいないと言っていい。
嘘だけつき続ける女は場当たり的に生きているし、いざとなったら逃げるだけだろ。
愛の倫理社会 おニャン子クラブ。

男運に恵まれないで歳をとるのは悲しいことだ。
男の言葉は胸に刻まれているはずだ。
しかし、カントは「愛の倫理社会は真理であるが、デカルトに配慮して芸術作品にしないでくれ」と語っている。
女の子が若い頃に「一時的に」作られた男の序列に過ぎないからだ。
女の子がどのように「大人」になるかというプロセスに過ぎない。
男女の「時間」をビデオカメラにおさめただけなのだ。
男と女の「時間の違い」を幻覚のように感じただけだった。
中国の理論的柱であるカリフォルニア大学バークレー校も「愛の倫理社会」を支持している。
女は「広い空間」が好きなのだ。
学問をやるのは男の仕事であり、「広い心の風景」は年配の男にしか生まれない。
夢芝居 梅沢富美男。

2018年4月12日 (木)

気持ちいい。

実績のある男の方が気持ちいい。女たちがそう言ったことから男たちは「実績」を求め始めた。
実績とは「世界を広げる」ことであり、「没頭」することであり、「知る」ことである。
セックスが好きな女は「男の日常」を見ているのだ。
悲しいニュースを見た後に、世界の広い男に抱かれたがった。
サルトルはこのように考えた。
「右翼の街宣車が動いたら政権はアウト」
というような「学歴のない連中」を応援する報道もあった。
女心を学ぶよりも、実績を残すことに全力を注いだために「右翼」と呼ばれたのだ。
男同士でぶつかりあったら反発しあうだけだけど、そのような厳しい世界に身を置いていた。
そのような世界で実績があれば、クラブのお姉ちゃんにもモテた。
女心なんて知らなくても自慢話だけで通用したのだ。
「俺は女心を知らない。実績が何よりも大事だ」
これがサルトルの立場だった。
これから奪いにいくもの「for itself」とすでに築き上げた記録「in itself」があり、すでに築き上げた記録がなければハートが強くはならなかった。
クラブのお姉ちゃんの反応から学習したのだ。
「番狂わせを起こすと化けることがある」
「王者になると練習する姿勢が変わる」
など、すべて女性たちの反応を見て言っているのだ。
実績ができると家が建つ。そこには王子もいた。
実績とは「数字」であった。
デカルトの「処女の発見」があってから近代は始まったが、ニーチェの「父と息子の関係」「神は死んだ」ということが分かってからポストモダンの時代になった。
夢だけ見てる CoCo 。

スタープレイヤーの実績を語ることは、他の男にとってもいじめられないことにつながる。
自分の「存在」はどれほど自分を「無」にしたかにかかっていたのだ。
そのため「知識」というものは私にとって最高の贈り物となった。
実績は「無」にならないと生まれない。
実績はみんなが共有できるものであるが、これがないと女は「夜郎自大」に抱かれることになる。
「Itと呼ばれた子」は父の実績に参加する男の子である。
実績とは「ブームになる効果」を持つものだ。
スポーツのメジャー化を推進した論客がサルトルだった。
スポーツがメジャーになると「言語の統一」が起き、よりパワフルな言語作りに世界を巻き込むことができた。
「打席に立つ」「マウンドに立つ」など世界中の人間を同じ意識のもとに置くことができたからだ。
女たちはユニバーサルな競技をやっている男に「我思う故に我あり」と言って恋したのだ。
檸檬の年頃。

ひたすら会社で「無」になって働くこともプロスポーツと同じだった。
サルトルは「会社」というものも作ったことになる。
自分の会社が作った車が街を走っているだけでも、女たちを気持ちよくさせるのには十分だった。
女たちにモテれば、女にも分かるように話さなければならないだろう。
メジャースポーツや会社は「男言葉」を発達させていたし、しかし、それを「女にも分かるように」覚えているものが偉かった。
男の実績を自分のものにするために女は感じたのだ。
「受け」が好きな女とはこのようなものだ。
「世界が広い人ならば家の前のお店にも行ける」
これが女の考えであった。
世界が狭い男ならば歯医者すら遠くに通わなければならない。
これを「現象学」と呼んだ。
近所の歯医者に行けないことと「愛」という言葉は深く関わっている。
スポーツ選手のように「目指してあるものが明確な」男だと近所の歯医者にパートナーの女も通えるが、サラリーマンだと女たちは「目指している方向が明確でない」ために愛の議論に巻き込んでしまい、近所の歯医者に行けなくなる。
ここで女は「美しくなる」という選択をする。
女が美しければ、近所の女たちも「綺麗な人ね」と噂して、男も近所の歯医者に行けるようになる。
「男のためにお化粧するのでしょう?」と言われて「自分のためです」と女が答える理由はここにある。
パートナーができて女が綺麗になる理由は「近所のお店に行きたい」からだったのだ。
お店の主人は「男の方向性が明確かどうか」「女たちがなんて言っているか」しか見ていない。
幸せにいちばん近い席 酒井法子。

女たちは「行きたい美容院に行きたい」からブログを書く。
男がサラリーマンとして成功するかどうかは歳をとって見ないとわからないが、スポーツ選手ならば若い時期に結果は出る。
女がなぜ「将来の見えないスポーツ選手と結婚するのか」というと「若い時期に好きな美容院に行ける」からなのだ。
「若いお母さんだね」と言われるのはどの女も夢見ている。
しかし、そのためには若い時期に男が大成できる職業がなければならない。
オフィス北野の社員が給料が良くて、所属タレントがアルバイトしている理由は「奥さんが好きな美容院に行けるんだからいいだろう」という女の事情があるのだ。
女は「派手」か「地味」かの二つの選択肢を迫られている。
スポーツ選手や芸能人と結婚して派手に生きるか、サラリーマンと結婚して地味に生きるかである。
お金の問題というよりは「好きなお店に行けるかどうか」という問題なのだ。
ジャック・デリダの「脱構築」とは「派手なサラリーマンの奥さんを作ろう」というムーブメントであった。
インターネットやブログなどもデリダがいなければ作られなかっただろう。
好きな美容院に行ける、それだけのために全米市民は全員が作家になったのだ。
言葉の起源が「じっと見つめる瞳」だとすれば、美の起源はプロスポーツにある。
プログを書く秘訣は「自信を持って投げ込む」ことだよ。
自信次第で行きたい美容院にも行けるようになるのだ。
「詩の解釈の力量が抜群だ」などはいいブログの方向性だけど日本では主流ではないね。
「心を知られる」という意味では詩の解釈をやるサラリーマンの奥さんがもっといてもいい。

「女は恋愛をしていると、私は仕事ができない。彼氏が子供に興味を持ってくれるのかな?家庭に縛られるのかな?と追い込まれていく」
中森明菜 禁区。

「男の立場としては、この女が俺の子孫を残すのか、と思い緊張する」
恋じゃなくなる日 Bz.

このような力量をサラリーマンの奥さんが身につければ「私は私よ!」と言って行きたい美容院に行けるとしたのが脱構築だった。
いろんなレベルの悪意があるために、発展段階によって住み心地のいい街、悪い街はあるだろうが、どの街が住みづらいかは実は学習さえしていれば分からなくなるものなのだ。
脱構築の時代にはみんなが「神」を探して回っている。
「信用できない奴」を山ほど見る機会があったからだろう。
学問で下痢をしたことがあるのは覚えているが、本当に住みづらい街があるのかどうかは思い出せない。
学習途上だったからね。
そりゃ、悪意のある女たちはいっぱいいたけれども、今から思えば人間として当然のリアクションだったのかなとしか思い出せない。
いろんな街でいろんな教会に行ったけど、適応能力が大事だった。
3世紀にマケドニアの大学に出るような連中の教義もあった。
街の地政学を知ることは神と関わるものだったよ。
街が重視している年齢層は確かに違いがあるね。
いずれにせよ、大学で外国語を学んでおかないと他に学ぶチャンスはほとんどないということは指摘していいだろう。
ポアンカレが「話す聞く」よりも「読む」ことを重視したことも指摘できる。
青いスタスィオン 河合その子。

「経験論」と「読んだ方がいい」という発想が交差したのはカントの登場の時だね。
それまでは、「あの歯医者や美容院はお引き取り願うらしい」ということを経験から学んでいたのだ。
しかし、カントは女性を美しくしたかったのだろう。
ヘーゲルは「イケメンのインテリならば何でも許される」と考えたし、イギリスは「英国紳士」を生み出していた。
すべて経験論だ。
しかし、イギリスの覇権は確実に斜陽を迎え、1956年にその地位をアメリカ合衆国に譲り渡している。
「女心は読まなければ分からない」のだ。
紳士であればなんでも通るという発想は限界を迎えていた。
オックスフォードがとうとう経験論を放棄したのだ。
女たちが「好きな美容院に行きたい、近所の歯医者に行きたい」という考えを持つ限り、なんらかの研究がイギリスでも必要だとされたのだ。
経験のまま丸腰で生きる奴はどの国にもいるよ。
しかし、アメリカ合衆国はフランスやドイツにシンパシーを感じていたのだ。
紳士であるのならば「女たちと話してみろ」と経験論は痛烈な指摘を受けた。
「お引き取り願う」という用語が当たり前のようにあったからだ。
この「行きたい美容院に行けない」という問題が文学になったのは20世紀の言論の自由の賜物だった。
人間の心の探求に学問が向かった以上、行きたい美容院に行けるかどうか、近所の歯医者に行けるかどうかという研究(現象学)に関心が向かうのは当然だったのではないだろうか。
現象学は「女たちの研究」だったから楽しかったのだ。
フッサールもこの問題を「学問の危機」と言って煽ったしね。
リゾナントブルー モーニング娘。

学問の三段階は「経験論」と「女心の探求」と「この問題をどうにかしなければいけないな」というものだ。
女たちが「行けないお店」を作り出している以上、現象学は当然のごとく登場したものなのだ。
理想と現実から解決法を学ぶものであるとも表現できる。
綺麗な格好をしたお姉さんは当然のようにいるのではない。
やりたいことをやる、というのは神話であり子供じみている。
すべての男は対等であるとは言い切れない学歴社会の現状があるのだ。
大人として「綺麗になる方法」を探求しなければならない女たちがいたのだ。
「どの女も射精を愛している」ということからこの問題と向き合うのであれば、詩の解釈をさせてみるしかない。
「世の中を変えたい」とは本来、このことを言っていたのではないだろうか。
「現象学」の登場によって、すべての学問が一斉に同じ方向を見たのだ。
この現象学のおかげで「高学歴男」が良いのかプロ野球選手が良いのかが分からなくなってきた。
テレビに出ただけでは割に合わない、ブログをやらなければならない理由が現代においてはあるのだ。
それは「恋」とも関わる発想だった。
本来、「勉強が得意だっただけ」の男が現象学によって大化けすることも分かった。
「言葉の考え方」を数学であるとしたのはカントであったが、言論の自由はこの計算能力を絶対的に支持した。
hiro delicious.

すべての人の「直感」に訴えかけ、すべての人が「真理である」とし、「これは歴史に残るだろう」と感じるのは食べ物ではなく「詩の解釈」なのではないかとも言われた。

【神・男の完全性を議論すると爽快感がある】
松田聖子 赤いスイートピー。

経験から語っているのではないんだよ。計算され尽くされた「英語」を読んでいるんだ。
日本語の計算能力も高まってきているのが現状だ。
JSミルは、英語を「利益を求める方向へ」とそのまま誘導した。
英語だけでなく数学にもこの計算能力を仕組んで勉強させたのだ。
「学歴社会」というのはこのような道のりをたどっている。
数学では「解を見つける喜び」さえ分かってもらえればよかった。
「心はオーガズムを感じるためにある」
これを悟る必要がある。
マスターベーションをする上では、記憶よりも「今見た風景」に案外、男女は頼っているのだ。
プロ野球は、このような「目の前の風景」を与えてくれるが、「学歴男」も大して変わらない影響力を持ち始めた。
女のオーガズムという観点からは大して変わらなくなったのだ。
「オーガズムの導く方向へ」とJSミルは言論の自由を導いたが、「言論弾圧」というものは確実にあった。
国の王子が率先してやってくれないとついて行くのが怖いとみんなが考えたのだ。
それが正解だという自信はあるのか?というのも案外、立場に頼ってみんなが判断していたからだ。
そうでなければ社会の序列のバランスが変わってしまう意味を持った。
これらの「言論の自由」がなければ学歴だけの男は入りたい店にも入れない。
果たして平成に言論の自由はあったのか?と疑いたくなるような権力者の言動が見られた。
男と女のララバイゲーム モーニング娘。

高学歴なのに病気になるとはどういうことだ?
情報にもっとも敏感な男が病気になるとは東京大学の恥とみなされた。
一方で、言論の自由の機能不全をも恥じていた。
高学歴の判事が援助交際することも恥とみなされた。
言論弾圧が存在したのに、高学歴男に罰を与えざるを得なかったのだ。
女たちは「私は男について知っている」という必要があったし、「男の子と女の子は同じ時期にマスターベーションを覚えている」ということを認める必要があった。
記憶に頼らない、今見たものをネタにする、自然に湧き上がってくるというのがデカルトが明らかにした内省というものだった。
「女心」とはこのようにして生まれたし、「好きなことにしか興味ない」というのもここから生まれている。
少女A 中森明菜。

男に「ついて」知らないと「神」を語る宗教サークルにも入れなかったし、女にも分かる話ならば男にも分かるという知識の世界も開かれなかった。
ハードカバーの本も本来は「女にも分かる」が話題になっていたのだ。
女性的であることと男性的であることが同じになった時に「知識」というものは得られた。
「要するに」と言って知識を整理するときは男も女性的になっている。
すべては「射精するときの男は女性的である」ということから知識の整理は始まっている。
これが「考える」ということの意味だったのだ。
プロ野球選手も、女の子と話すと「考え」がまとまり、その日のゲームの不確実性にも対応しやすくなる。
男はヘンタイプレイを行わないほうがいい。
かなり生産的な話し合いを女の子としやすくなるからだ。
少女時代 gee.

女は日常の出来事を語るのが得意だ。
これは女たちの「メシア信仰」が背景にあったのだろう。
「男を比べる」という発想も持っていた。
頭のいい男とは比べられることから生まれている。
プロ野球選手というのも比べられる宿命にあるし、すべて「行きたい美容院に行ける、近所の歯医者に行ける」という問題と同じ議論になった。
男が「若さをどのように用いたか」などを案外、奥様方は冷静に見ていた。
崖っぷちで恐怖のどん底にいる男も冷静に見ていたのだ。
あの男は時間が解決するわね、と思った時に「近所の歯医者にも行けなくしてやろう」と奥様方は考えた。
若さと可能性というものはそういうものだったし、時間が与えられた男に周囲ができることはそれだけだった。
どん底を乗り越えたら奥様方の態度はガラリと変わって追っかけみたいなこともした。
奥様方は「男が真実を目指しているのかどうか?」しか見ていなかった。
奥様方にとって「私」とは「世界に通用する」「優れている」ものでなければならなかった。
そこには「身分」など存在しなかったのだ。
しかし、追っかけをやるためには「実績は十分」と判断できるだけのものがなければならなかった。
「父と息子」の関係から「権力への意思」を持った男を周囲の奥様方は一定程度の実績を見ながらこのように見ていた。

【出来事だけを歌った曲】
ホワイトラビットからのメッセージ。


目標を持った男は「何かを突破するまで邪魔する」というのが女たちの考えだった。
哲学の世界は「周囲のすべてを敵にしないセックス」を目指し始めた。
道徳哲学の誕生だった。
道徳哲学がキス、胸、セックスのABCを区別した。
セックスで周囲のすべてを敵にしない、これが分かれば仲間づくりが分かる。
パートナーへの義務を果たすだけでどれだけ得をするだろうか?
これがフランスの問題意識だった。
略奪愛の方が安全だわ、と考える女たちにフランスは著作権法第1条で「周囲のすべてを敵にするようなセックスをするな」と記した。
アメリカ合衆国においてもUCLAのフランス寄りは広く知られている。
イギリスカトリックも考えは同じだった。
フランス文学はそのため「仲間ができるのは楽しい」という方向に発展している。
「男女に人気がある」方向に言論を発展させることに成功したという意味ではフランスは独特の憲法を持ったことになる。
「行きたい美容院に行ける、近所の歯医者に行ける」という現象学の観点からは当然だったであろう。
工藤静香 奇跡の肖像。

カントは「落とせない女などいない」という悟りの境地を探求したが、フランスはそれとは異なる言論フォーラムを作った。
しかし、特定の女性を大事にすることは「極めて前向きな考え方」(ボジティビズム)と呼ばれた。
男が浮気をする理由は「壊れていく妻が怖かった」などが理由だが、特定の女性を大事にすることは、そのことにも動じない男の力量を意味したからだ。
仲間が多いというのはもはやお金であって、すべてを敵にするセックスなんてバカげているという声が多数派だった。
「悟りっていったいなんだったのかな?」という境地を世界が共有するに至ったのだ。
ルソーも社会契約論で「永遠の愛を誓えるのか?」と強く迫った。
「悟りの否定」が行われてから、学問は危機に陥った。
仲間さえ多ければ行きたい美容院に行けるし、近所の歯医者に行ける、というのであれば、パートナーへの義務、愛妻弁当をブログで晒すことが正解なのであろうか?
学問は方向性を定めようと必死だった。
アメリカ合衆国では「どの女も同じ」という無知のヴェールをかぶせることにより、学問の発展を模索した。
口説き文句の発展を止めたくなかったのだ。
「学問は楽しい」ということを忘れたくなかったのだろうね。
カリフォルニア工科大学は、「もはや女を口説くのはプロジェクトである」と位置づけ、世界ランキング一位に躍り出た。
カリフォルニア工科大学では「無法地帯では詩の解釈をするしか治める方法はない」という決断を下していた。

【友達と恋人の境界線はセックスをしたかどうかだ】
グッバイフレンズ 三浦理恵子。

神は何を知っているのだろう?
それをカリフォルニア工科大学は解明しようとしたのだ。
女心は金になるではないか?という立場でもあった。
「なんでもやっていいよ」
カリフォルニアでは神がそう言っていた。
野球やサッカーなどのメジャースポーツは全米・全ヨーロッパに広まっていたし、「なんでも研究していい」というカリフォルニア工科大学はスポーツの聖地ともなっていた。
もう一度、ホッブスの「万人による万人への闘争」を思い出そうと考えたし、言論の自由を最大限に生かそうと考えたのだ。

【エロビデオを見て、女性が嫌がっているではないか?と考える政治的弱者に悩む女性がいる】
CoCo メロディー。

女たちはカリフォルニア工科大学の男に「この人、これでも奥さんがいるの」と笑っていたが、一流のスポーツビジネスマンであることを知らなかった。
「東大生」という言葉をまるで一流アスリートであるという意味に変えてしまうようなものだった。
英国紳士も、呆然とカリフォルニア工科大学を見ていたが、オックスフォードが経験論を捨てるのは時間の問題だった。
イギリス経験論などもはやどこにもないのだ。
愛妻弁当を撮影していた初期のヴィトゲンシュタインの面影は後期にはもはやなく「女たちの写真」ばかりになっていた。
美女が写真を公表するようになると美容院や歯医者の問題は簡単に解決することが分かった。
一方で、「彼女を口説こう」と考える男も出てきて、スポースビジネスは飛躍的に発展した。
「ただ、綺麗になりたかった」という若い女の子たちが大人を翻弄したという側面がある。
ラッセルは、この「言葉の計算能力」を子供の研究にまで引き下げている。

【女の子が神に失望するのは、レイプか女嫌いだけ】
CoCo 冬の微粒子。

スポーツビジネスに使えるのならば子供まで用いたのがラッセルだった。
これで、哲学が見ていないものはなくなったのではないか?とも言われた。
女の子に、強烈な男性らしさ(雪の結晶)をぶつけるのが原子爆弾だという研究にのちに発展している。
JSミル(ゴッドファーザー)は、言葉の計算能力を容赦なく子供にまで向けた。
「子供は行きたい床屋にも行けるし、近所の歯医者に行けるよね」という方向へと議論は進んだ。
大人は子供たちに「夢を持て」と語った。
これは「お母さんが子供のお弁当をブログで晒すことによりお母さんが綺麗になれる」という効果を持つのではないか?と言われた。
子供たちに夢を持てというアスリートは主婦層の支持を狙っていたのだ。
ラッセルも「美容院と歯医者」の問題は共有していたし、スポーツビジネスに関心があったのだ。
「大人の権威の中に見える驚き」に笑うのが子供であり、「フランス国王はハゲている」などと噂し合う子供たちがいたおかげで、お母さんが綺麗になれたのだ。
そんなの関係ねぇ。

「美容院と歯医者」の問題をスポーツビジネスに活用するために、最後にラッセルが向かったのは「子供たち」だった。
ママさんたちは綺麗になるために複雑な子供の問題と向き合った。
「経験で子供と向き合うことはできない。国が責任を持つ」というのが文部科学省の立場だ(国家教育権説)。
国民教育権説は、ママさんたちに有利なように聞こえるが「そんな子に育てた覚えはない」というようなことをママさんたちに押し付けるようなものなのだ。
子供は「親のために勉強している」という側面は否定できない。
「もう勉強やめる!」というようなわがままを言って親子ゲンカをしたりするのだ。
ママさんは、「親のために勉強している」ということを悟られないために「女の嘘」をつき続けるだろう。
ヴィトゲンシュタインは、現在のインスタグラムのような写真に「もっと写真の哲学的解釈を加えてもいいのではないか?」と考えていたようだ。
「詩の解釈」だけではなく「写真の解釈」をあくまでも哲学者として考えていたのだ。




お父さんに「未成熟な膣」にちんちんを挿入され、中学に入って、男子のうなじの毛がトラウマになり、「男と女ってどう違うんだろう?」と考え、アニメを見ることで「髪の長い女」になることを覚えた中川翔子。
【悔いを残した男の男らしさ】
【仲間づくりのための女の局部】
【終末思想への悪意】
中川翔子 Ray of light.

人間は「セックスに関する真実」を探求している。
写真の世界にも「キュレーターが必要」としたのはヴィトゲンシュタインだった。
版権を自分で握っているうちは写真は売れない。
キュレーター(評論家)がいなければ、美容院と歯医者の問題は写真からでは解決できない。
「性行為非公然性の原則」は私有財産である。
そのために「ブレイクする写真」は生まれないのだ。
写真を語るのならば「心」を語らなければならない。
メンタルピクチャーとは常にセックスのことを語っている。
名誉毀損なのかどうかは、人気投票をして見なければわからないが、誰も「売れる写真」を撮りたいとは思っていないのではないか?と思うことがある。
インスタグラムは、「評論されることを待っていて、お金の山なのではないだろうか?」と私は考えている。
名誉毀損にならないためには「淡々と哲学を語る」と言う姿勢が必要だ。
個人情報を経験だけで晒すキュレーターには悪意しかない。
言論の自由は「写真の登場」を大歓迎した。




無防守都市への無差別攻撃であるが、敗戦国としての立場上、賠償請求権は放棄する宿命にある。
「親に愛されていたのに殺された。悲しむ男女が大勢出るだろうな。殺すなら親や女たちに憎まれている兵士を殺してくれ」
【悔いを残した男の男らしさ】
【仲間づくりのための女の局部】
【終末思想への悪意】

写真の登場で、哲学産業が大盛り上がりしたのだ。
しかし、今までの「女の子と話してきた」伝統を大事にして欲しかったのだ。
特定の女性を大事にするポジティビズムは写真の評論には向いていない。
写真は「緑は緑」としか写らない経験論にもとづくものだ。
しかし、これも哲学と合流した。
フランス派とドイツ派に解釈が分かれることから始まっている。
人々が「哲学してんな」と感じるような明晰さをもって評論しなければならない。
一般論としては「悔いを残した男の男らしさ」が写真になっていることが多い。
また、「仲間づくりのための女の局部」であることも多いとされる。
男が「写真を撮りたくなる時」と言うものを考えるとこのような動機だろう。
しまいには、そもそも「命」というものが発明していなかった「死」を撮影し始めるだろう。
写真家ほど「死後も生き続けたい」と考える人種も珍しい。
自分の撮りたい写真を撮って「美容院や歯医者に行ける」かどうかは明らかではない。
しかし、「終末思想への悪意」をもって撮影しているのは共通認識にしておいていい。
ヴィトゲンシュタインは、これらのことを明らかにしたのちに哲学の世界を離れて戦場に向かった。
Duran Duran Rio.

話を「美容院と歯医者」の話に戻そう。
特定の女を大事にするフランスの立場が「子供たち」に関心を持つ方向に向かうのは当然であった。
ブログの「育児ママ部門」である。
そもそも「仕事として子育てをする」というのはイギリスの王室やハプスブルク家を起源としている。
これらの「育児ママ」たちは哲学の専門家であり、自分たちの問題を庶民に「トリクルダウン」させようという発想があった。
王室の男たちにとって「離婚」は破滅を意味したので、「大事にされる妻」は存分に育児ママとしての生活を満喫できた。
「皇室の美しい女性たち」という写真集は日本にもある。
庶民の女たちは「共感」することもあれば「私の方が正しい」と思うこともあった。
果たして「皇室特番の話題さえ共有すればママさんたちが綺麗になれる」かは分からないし、今後の課題であろうが、今はブログで自分が「王室の女」を演じることができる時代だ。
綺麗事ばかりの「育児ママ」は上位にはなれない。
「悩んだ時の肉声が非常に頭がいい」
これが育児ママ部門の上位になる秘訣だ。
哲学者が育てた娘たちが王室に嫁いでいたのだから当然であるとも言える。
丸腰の「育児ママブログ」がどれほどの悪意にさらされるかは想像に難くない。
他のママさんたちの悩みの答えの鍵が「鉄でできている」から王室の支持率は高い。
【娘にシカトされるのが教祖の仕事ですよ、と夫が言ってました】
ANAK息子。

大人までもが「タイムマシーンに乗ってこんなお母さんに育てられたかった」と思わせるような「育児ママ」がいちばん人気があった。
本当にうまい育児ママブログを書く女性は「行きたい美容院に行けるし、近所の歯医者にも行ける」ものだ。
しかし、「母は間違いを犯すのが当たり前である」ということを知らないと娘がブクブク太ってくるだろう。
このことと向き合わなければならないのが王室だった。
そのため「ママの小言」という具合に多様性を持った表現を用いなければならないことがある。
高橋由美子 わたし。

夫婦喧嘩は犬も食わないので、夫の言葉は「神」の言葉として表現する必要もあった。
それも「育児ママ」の力量というものだろうね。
「高学歴の女は綺麗になれる」と王室を見て女たちは語り合った。
だいたい「育児ママ」のブログの作り方はこんな感じであるが、実はこれが分かっただけでも「これを宣伝してください」という依頼がくるレベルなのだ。
特定の男をパートナーにしたのならば、もう「恋話」は聞けないな、という意見もあった。
また、子育ても「読んだだけのこと」ならば多くの人の共感を呼ぶが、「共感だけを狙う」という姿勢は批判された。
擬装結婚していても言えるようなことばかり言っていると「神・男の肉声」が聞こえなくなるとされたのだ。
「神・男の思考形態」まで知りたいと思われるのが育児ママ部門だった。
「どんな男に大事にされているのかしら?」という関心が寄せられたのだ。
「男って素晴らしいね」と言うのはもはや宗教だった。
子供の人生の進路を決めるような言葉を妻と夫は奪い合っている。
しかし、育児ママブログではそれも妻が握ることができた。
だが、これも「男の言葉」とした紹介する必要があり、「言語ゲーム」と呼ばれた。
この世界に「ママ友」は喜んで写真に写りに来た。
「男に大事にされている」というのはママたちにとってそれほど大事なことだったのだ。
王室支持率の高さはこれらのことが分かっていたからもたらされたのだ。
Wink 結婚しようね。

男の心に「真実」はなくても、女心には「真実」が見つかったのだ。
このことを男が「仕事」に生かすのは当然の流れだった。
当然、スポーツビジネスにも活用されるわけだ。
複雑すぎるとも言われるが、それでも「真実」が見つかった以上、学問が「女心の定義」に向かうことになった。
「常識を知って?」という女は、男に「女心の方が男よりも簡単だ」と言っているに等しい。
女と向き合わない「書斎人」に特に言いたかったのだろう。
女心に真実が見つかったことは、スポーツビジネスに「男女を問わず人気のある」サプライズを引き起こした。
これは金になると思ったスポーツビジネスの世界はギリシャ哲学まで遡って「総復習」を終えた。
その結果、「詩というのは女心から来た」ということも真理として確定している。
スポーツビジネスだけではなく、そもそも「男女を問わず人気のある」ものそのものが「女たちの支持を得た」ということが明確になった。
「私」という言葉は男女が使うが、「神」というのは男のことだった。
ここから「神に真理は存在しない」ということに気がつくべきだったのだろう。
キルケゴールはこのような「明確な」モデルを理解しない哲学者を歴史から抹殺して、のちの世代にいい先生だけを残した。

【女は快楽主義に浸っても、失うものはほとんどない】
中森明菜 2分の1の神話。

すぐれた「男」は、これらの学問体系を理解したのならば腐ってる場合ではなくなるだろう。
哲学とは仕事のデパートだったからだ。
また、哲学は「女の嘘」を相手にすることに決めたのだ。
女たちは「フランス国王はハゲだ」(そんなの関係ねぇ)というような笑いを求めていたし、スカートを履いた。
スカートを履くと「神の姿を真似していない」ことを意味したし、真実を持っていることを意味したため、行きたい美容院や近所の歯医者に行けたのだろう。
「女であることを愛している」というメッセージを出すことが大事だった。
スカートを履くだけでも、男たちの「政治」の対象になることを意味したし、ある意味「挑発的な服装である」と言えた。
色、音、形を想像させるためにこのようなことが語られたのだ。
女がスカートを履くと、まるで雨が降ったかのように男たちは同じ行動をとった。
夫に大事にされていて、夫のおかげで好きな美容院に行けて、近所の歯医者に行ける女はスカートは履かないだろう。
「女の嘘」というものは時には男の世界を狭めてしまうこともある。
「あの女と寝たという噂は本当ね」という女が、わざと男の世界を狭めている。
しかし、「男の勇敢さを讃える」という女の考えは男の世界を狭めてやろうという発想とぶつかり合っている。
「勇敢な男と」「寝た」という女の永遠の嘘は「彼は素敵な人ね」という意味だとしか思えない。
その男が今後生み出す「結果」とお金に興味があるのだろう。
ribbon 哀しい方の嘘。

「女の嘘」のおかげで世界が狭くなって絶望的になってはならない。
「言葉にする」だけで爆発的に世界が広まるのだ。
フレッジはこのことから「10万人の女と寝た」と豪語していた。
東大法学部は「男社会の用語」に満ちている。
それは「守り」の学問であって「攻撃力」がない。
「女と話した経験」が少なければスポーツビジネスには使えない。
国家統治のために「独自の言語」を発達させたのが東大法学部である。
しかし、女性芸能人を口説く力が東大生にあるであろうか?
このことはチョムスキーが指摘していた。
官僚用語と永田町用語を巧みに使い分けることを本ブログは目指している。
政治家は「女性たちに人気がある」という点で官僚とは異なるのだ。
ジャック・デリダの「脱構築」とは「派手なサラリーマンの奥さんを作ろう」というムーブメントであると同時に、「政治力のある官僚を生み出そう」というものでもあった。
女と話した「経験値」を高めるのが政治力である。

【略奪愛の方がヘンタイプレイをされないから安全ね。私は神の子だから】
Wink 愛が止まらない。

哲学の将来を語るのであれば「好きな美容院に行ける、近所の歯医者に行ける」という現象学と、「女の嘘」に関する分析哲学の二つの方向性が指摘できる。
女流作家が「これが面白い」と思うようなことを、より細かく研究していく必要がある。
なにしろ、女流文学は作家が「より綺麗になりたい」と思って書いているのだからね。
英語圏の強さと、その覇権の攻略をうかがうヨーロッパ大陸の関係も大事だし、アメリカ合衆国内部でも権力により近い東部の男性社会と、女たちとより多く話している西部の関係を見ていかなければならない。
どの国のどの地域でも言えることは「美しい女を眺める」ことが哲学の仕事だということだ。
「どんなブログを書いているのか?」「どのようなパートナーに恵まれているのか?」などを女の美しさから見ていかなければならない。
ただ指摘していいのが「今はキリストの庇護が強烈な時代だ」ということだろう。
覇権を争っている連中がみんなキリスト教(セックス政治)を信じているんだよ。
財務というのはそのようにやるものであると歴代大統領や将軍たちが信じているのだ。
これほどキリストが強いと、「プロレスでキリストが負ける」方向を世界が見てしまう可能性もあるね。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

2018年4月 4日 (水)

じっと見つめる瞳。

女の仕事は「男をじっと見つめる」ことだ。
杏里 Sweet Emotion.

【神社では女は一種類になっていてね。ニャンニャンというメイドカフェが通説だね】

この時、彼女は男をじっと見つめた。
まるで「何か他に言葉は生み出せないのか?」を見ているようだった。
ソシュールは、男がメイドカフェの話をした時の女のリアクションを「言語の起源」としている。
本来、女の失恋ソングから言語は生み出されたが、ソシュールは、それらの言語を「女がじっと見つめる」ことによって男がどのように言葉を発展させるのかを見ているようだと考えた。
言語は本来「女言葉」(デレ)である。
しかし、女が男を「じっと見つめる」ことから男言葉(デディクト)というものは生まれた。
マリオネットの涙。

スポーツの技術論は常に「女言葉」で伝わっている。
「ピッチャーがリリースするまでテイクバック以外にすることがない」
「リリースした瞬間のボールのスピンを見ろ」
「前の目を閉じても後ろの目で投手を捉えているかを確認しろ」
など、いかに女言葉を充実させるかが問われる世界だ。
女言葉は詩であって、男もコンパクトに頭に叩き込むのに都合がいい。
セックス目当てで女に技術論を教えたときに覚えた言葉がいちばん男にとっても有効なのだ。
野球理論大全。

私たちの失恋ソングは、男社会でどのように用いられているの?
そのことをじっと見つめていたのだ。
さて、言葉の起源は「女の失恋ソング」にあるが、言葉は決して「女たちだけのもの」ではない。
これを「記号論」と呼ぶ。
男が「女言葉をものにする」だけで、どれほど女たちは興奮するであろうか?
あるいは、男がどれほど「ボールが止まって見える」であろうか?
スローモーション 中森明菜。

男と女は歯の数が違うし、唇の形も異なる。
しかし、女たちの失恋ソングは確実に男たちのものとなっているのだ。
メソポタミアは言語の発祥の地だ。
そこまで遡って研究した結果、ベースボールテキストは作られたし、他にもいいテキストは作られていった。
スポーツ大国アメリカの理論。

バビロニアで作られたアルファベットによってできたスポーツは当然、理論も50音に翻訳しなければならない。
ここに、スポーツ理論の翻訳が日本を席巻する理由がある。
だいたい、ゼロの発見(ゲームセット)があってから、スポーツ理論を作り上げたのはチョムスキーだとされている。
テープレコーダーを担いで、「理論のセールスマン」の話を聞いてから、女たちに話してみたのだ。
英語はスポーツを押さえることで覇権を目指した。
英語媒体を好む学者はみんなチョムスキー信者だとも言える。
ウェストファリア体制以降の英語はこのようにして虎視眈々と覇権を待っていた。
「誰よりも、どの国よりも、女たちに話した」という自信があったのだ。
神聖ローマ帝国を滅ぼすためにスポーツ理論は発展していた。
神聖ローマ帝国攻略を経験していない日本語の理論はどうなのだろうか?
チョムスキー信者はみんな英語の素直さを肌で感じていた。
日本国はかつて「中華帝国攻略」を楽しんだだろう。
英語による神聖ローマ帝国攻略を真似したんだよ。
どの言語も神聖ローマ帝国を倒すことを悲願としていたが、それを成功させたのは英語だ。
理論の正確性は、「女たちにどれほど多く語ったか」という勝負だということを悟っていたのだろう。
9世紀にカール大帝が作り上げた「スポーツの王朝」はこのようにして滅亡し、日本にも影響を与えた。
カール大帝は、「競技人口の多い地域」を旅する機会が多く、そこにローマ帝国復活の夢を見たのだろう。
「俺の旅の歴史に勝てるか?」
そのような勝負を仕掛けていた。
ヨーロッパの街は、その街の規模を大きくするために「王の息子に何を教えることができるのか?」という文書を提出してきた。
ドイツのアングロサクソンやユダヤ、ノルマンがイギリスを侵略したが、イギリスは確実に英語というものを磨き上げてきた。
神聖ローマ帝国のラテン語に勝てる力を身につけるのに500年以上かかった。
フランスもイギリスを侵略しようとしたので、イギリスの強度は極めて高くなった。
「英語は素直な言語だ」という印象を私も受けたが、その「誤魔化しのなさ」は大陸や北欧からの侵略が原因であり、イギリスのケルト人(セルティクス)が磨き上げたものだ。
高校でアメリカに行くとその進度の遅さにビックリする。
しかし、確実にアメリカ人の方が伸びるのだ。
小学生の時にはホメーロスの詩を勉強し、戦争のやり方を教わるだけであり、初等教育は受験など想定していない。
しかし、高校大学と確実に彼らの学習の速度は上がって行く。
それが、神聖ローマ帝国を滅ぼした理由でもある。
大学でも高い授業料をとるが、それ以上に金になる学問を教えている。
この「英語のスポーツ理論を日本語に翻訳する」以外にアスリートとしての夢が見れない現実は日本人のトップアスリートほど理解しているし、作家としての私も理解している。
思い切りアメリカン 杏里。

本ブログにおいては「女心の定義」(政治)も英語の翻訳によって行ってきた。
野球を見た後に「お兄さん、真剣勝負を見た感想はどう?」と言って球場の周りをうろついている男に声をかけるプロの野球ファン女の存在も指摘した。
女が英語の言語からなるスポーツの感想を、アメリカの導きのまま聞きたがるのも当然であった。
女には「野球理論」は分からないのだ。
ボールの投げ方も知らない女たちが野球を見にきているのだからね。
イギリスの覇権は200年で終わった。アメリカは1956年のスエズ動乱以降200年は覇権が続くだろう。
【アメリカの恋愛論で口説いてごらん?】
夜は長いのよ?
そのために女は男をじっと見つめた。
BBCやボイス・オブ・ロンドンはクォリティコンテンツと呼ばれた。
真剣勝負をいかに正確に、しかも飾らずに伝えるかを心がけていたのだ。
真剣勝負を正確に伝える、それが男女の深い愛につながることを知っていたから勝っても負けてもひたすら冷静に戦いを報じた。
そこには日本のスポーツ新聞のような「ドラマ」はなかったし、そうでなければ業界通とは言えなかった。
女性問題を抱えている選手は結果が出せない。
1492年にコロンブスはアメリカ大陸を発見した。
そこには「金の山」とインディアンがいた。
今、世界ランキング上位を独占しているのはアメリカの大学ではないか?
英語を「最も優れた言語」とするためには充分すぎる大陸だった。
フランスもトスカナもアメリカ大陸は見ていたが、ここでも神聖ローマ帝国を滅亡させた英語が大陸を支配するのを見ただけだった。
これはBBCやボイス・オブ・ロンドンの勝利であり、アメリカにメジャースポーツが根付く理由となった。
【本場の口説き文句で口説いてごらん?】
愛の倫理社会 おニャン子クラブ。

子供は4歳5歳6歳になったら言葉を作り始めるし、アフリカには2000の言語があり平和を維持しようとしている。
日本語や英語といったメジャーな言語を正確に学習することは非常にパワフルな力を身につけることを意味する。
600万年前には言語はなかった。つまり、人間に「心」がなかったのだ。
馬と兵士と武器が生まれて、「戦利品」のコレクションが行われた時に「言葉」というものは生まれた。
プラトンはそれをギリシャに持ち帰り、詩を作ったし、JSミルは言論の自由を作った。
戦利品が化学反応を起こして言葉が発達したのだ。
その化学反応というものが女の子の「じっと見つめる瞳」から引き起こされている。
本当に必要な「財産」の言語化が始まったのは実に1920年代になってからだとされ、それ以前はプロスポーツも本当に発展することはなかったのだ。
団結の方法が変わったからだろう。
女の子に見つめられなければハードカバーの本が読めない理由も言葉の起源に遡らなければならない。
化学反応をうまく利用しなければ何事も上達しないのだ。
歴史上の哲学者も1920年代以降に「弟子たち」が大幅に加筆している。
アボガドじゃねーし。








「議論する理由」がなければ女心に「爆発」は起きない。
男が女を「よく見る」ことから議論は始まる。
話はコンパクトに「激しさと集中」をもって話すのだ。
男のおしゃべりは良くない。
その空間の「見えない真理」を見つけ出す作業だよ。
私は「女の子と話さなければ世の中の何もわからない」と言ったヒュームを支持し続けてきたが、ヒュームも芸術を愛していた。
それでいて、ヒュームは真剣勝負を愛していた。
芸術によっていろんな女の子の心を学び、真剣勝負に利用したのだ。
女心を愛するということは木や山や宇宙を愛することでもあった。
話すということそのものがお互いのボールの衝突であり、方向を変えるので「セックスの可能性」がなければ相手は怒るだけだろうとヒュームは考えていた。
歴史を作った男たちはこのことを理解していた。
男社会は暴力に満ちていたのだ。
女の子を見て「議論する理由」が見つかったら、「物事の考え方」を示さなければならない。
考え方はひたすら「激しく」「男女に人気のある」ことを心がけなければならない。
親父に潰されかけた息子でなければ分からないことが多い。
セックスの可能性と子供が生まれる可能性がなければぶつかって喧嘩になるだけだ。
自称「軍師」というのは「天国や理想」を描くのが上手いだけであり、女と話した場数が少ないとすぐに「話が違う」ということになり、女の子との間にある真実は全く見えていない。
真実が見えないから「天国や理想」を語るのだろう。
ナンバーワン型は女とよく話し、右腕型は女を苦手としている。
集めたお金がどこを目指すべきかは右腕が示すのだ。
恋のジャンクション。

男は女の子の前では「生きたマンガ」のように振る舞う必要がある。
ガリレオは女子部屋を覗くための望遠鏡を作ったし、ケプラーは女の子の取り巻きの行動分析をした。
ロバート・フックは労働者であり、機械いじりが好きだったが、ガタリは精神科医だった。
いろんな男が「生きたマンガ」であったし、王室サイエンスは太陽のように輝いていなければならなかった。
野球は男同士でぶつかり合うものだ。お互いにセックスの可能性などない。
しかし、王室サイエンスはそうではない。女たちの太陽なのだ。
親父との「激しい戦い」の何が違ったのかを女たちは見ていた。
王室はとにかく「親父たち」がひどかったからだ。
激しい戦いを雄弁に物語っている老成した顔も女たちに愛された。
王位継承においては「なんでお前が生きているんだ?」というようなことが公然と語られたからだろう。
男も動物ではありたくなかったから「女心」を愛したのだ。
この経験をしなければ法律家(男らしい男)とは言えなかったであろう。
カスティリャ朝などもあったかもしれないが、英国王室が一番優秀だったよ。
実際に殺されかけたこともあったからユニークな男になったのだろう。
周囲の嫉妬深い男たちが「実験!実験!」と言って虐待めいたことをしてきたので「バカか?実験というのはこうやるんだよ」と言って読んだ文献を女たちに話した。
化学と呼ばれた。
Fantasyが始まる。

どうやって数学を覚えた?女子たちに囲まれて覚えただろう。
他の男にこの正解を取られるな!と言って女を奪い合う行為だ。
野球の「美女の奪い合い」男同士のぶつかり合いはもっと酷い。
八百長や連覇なんてとても無理なんだ。
すべては、女の子が男を「じっと見つめる」ことから始まっている。
あとは男のエネルギー次第だね。
「面白い」「クリエイティブ」な振る舞いはすべて王位継承から生まれている。
ロバート・フックは機械いじりが好きな労働者として、重さが二倍になればバネの伸びも二倍になるということなどを明らかにしたために王室サイエンスのメンバーとされたが、公務は受け身のものではない。
「面白い」「クリエイティブ」なものなのだ。
核兵器すら「男女のぶつかり合い」を爆発の原理として採用し、キノコ雲はその範囲を示した。
「なんでお前が生きているんだ?」と言われた男のポテンシャルの表現が核兵器であり、強度な「男性らしさ」を女たちにぶつけるものだと表現するとわかりやすい。
Complex1990.

コーヒーやスポーツドリンクばかり飲みすぎて、耳の鼓膜が破れたと思っていないか?
酸性の飲み物を飲めば耳は治る。
「違うコンビネーション」を飲むだけでも耳に「爆発」という名の自然治癒が起きる。
女の局部へのしびれを与えるのが核兵器であるのならば「純粋な男らしさ」を炸裂させるだけでいい。
その研究をアインシュタインは行ったのだ。
固体の水(雪や氷)は男性であり、女性は「爆発」を引き起こす。
アインシュタインは、あくまでも「男と女のこすりあい」(相対性理論)をとことんまで追求して核兵器を作っている。
それはロックコンサートの会場と原理は同じだった。
雪は氷と異なり、六角形の結晶の状態を維持している。
冬の微粒子。

アメリカ合衆国においては、東部の寒さ、西部の暖かさ、西北部の高気圧がぶつかり合って、南東部にハリケーンや竜巻を引き起こしている。
これも「爆発」であると言える。
どの地域でどの「太陽」を燃料にするのか?を心がければいい。
アメリカ合衆国全体を見渡していると「男と女が引き起こす爆発」の意味がよく分かるんだ。
原爆に興味を持つ「繁栄教」も実は「激しさを持った男」と「甘やかされて育った女」のカップルの探求を志向している。
「東大生ならば誰だって乗せる女」はこのことを楽しんでいるわけだ。
太陽からの授かりものとは「卵」だろう。
あとはボイルの言うとおりに卵に熱を加えて「濃縮」させていくだけなのだ。
男らしさを語り合った男の前でだけレンジにかけた卵が爆発するのはもはや宗教だね。
おそらく「その男のまわりに人々が集まるであろう」から卵は爆発しているんだろう。
雨のニューオリンズ。

雪の結晶は極めて男らしいが、濃縮できないだろう。
しかし、タバコを吸うと「速度が増す」ことを知るべきだ。
ガウスやリーマンは「坂道の傾斜では速度が違う」ということを微分としたが、アインシュタインは太陽の周りにも「傾斜」があることを証明してスーパースターになっている。
光の屈折というよりも「太陽の恵み」を証明したのだ。
「なんでお前が生きているんだ?」と言われた王室の太陽は国の恵みである。
空間を変える力を持っているんだよ。
ポアンカレは、傾斜の加速をぐるぐる回転させるイメージでダイナマイトを作った。
小麦粉をぐるぐるとスイングさせたんだよ。
黒光りするほど小麦粉を振るんだ。女の子に見つめられるとはそのような意味だ。
水素と酸素以外はみんな「女」だと言っただろう。どんな化学物質を用いるかまではわからないよ。
ハロゲンみたいなヤリマンよりもトルエンのような身持ちの堅い女の方が「じっと見つめられたい瞳」なのかもしれないね。
すべての男が「女に見つめられてやる気を出す」のがダイナマイトだ。
コロンブスがアメリカ大陸を発見してから、ペンキの塗り方から楽器の弾き方まで多くの「爆発」が起きた。
すべては「じっと見つめる瞳」のようなものが大陸全体で存在したからだ。
苦労した男をあまやかされて育った女の子が見つめる、それが爆発の基本なのだ。
「女心を語れる男がいる」このことからフリーメイソンのようなコミュニティが多くできたのだ。
カント以降であろうか。
社会と接点のない人などいない。友達の友達はみな友達だ。
坂道の傾斜には「最も加速するポイント」がある。
そこにいるのならばどの男とも話をするけれど「どのような思考形態で」そこに立ったのかを聞くために見つめたのであり、分かってないなと思ったらバイバイするのが女の子というものだ。
ローラースケートをはいた猫。

20万人ぐらいの「街」が出来上がるし、居住や移転の自由もある。
すべては「じっと見つめる瞳」から生まれている。
20世紀に入って、女の子が日経平均株価でからだを売ることを容認してカリスマになるリーダーが出てきた。
オサマ・ビン・ラディンやカストロなど、それで支持を集めてきたのならば「後継者がいない」という問題と直面する。
学問が発達していないと生まれない発想だからだ。
綺麗事を言っているうちは指導者にはなれないだろう。
チャールズ皇太子のような「肉声のない」王族はなかなか周囲も後継者としては認めないのだ。
カネ集めが下手で、権力闘争も知らない、それが後継問題である。
この時に、後継問題はいったん「官僚」に委ねられる。伝統的支配だ。
伝統的支配のもとでは「災害報道」などにすら後継者は翻弄されるだろう。
「市民の恋愛論は自分が握っている」という正統性を指導者が見失うだけでこれほどまでに指導者は自信を失うのだ。
メデイアや官僚たちは喜んで「災害」をでっち上げた。
王朝が交代するたびに職場を失うものは、その地位を失わないために暴力まで使った(スポイルズシステム)。
そのために1982年にこのシステムは廃止されている。
政権が変わるたびにオフィスが総入れ替えになるというのはアメリカ合衆国の昔の話だ。
伝統的支配のもとで「台風カモン!」と言っていた連中の暴力は目に余った。
そのために、いい学校を出て、女たちの支持を集めたカリスマがまた登場することになった。
指導体制の混乱が起きるためにスポイルズシステムは廃止されたのだ。
「なんでお前が生きているんだ?」と言われた王子がどんな化け物になるかが分かってきたのだ。
代々、つづく官僚一家ほど「代替わりと権力」に詳しい。
すべて「コミュニティ単位」で暮らしているから、このような「お上」の自信のあり方が異なってくるのだ。
発言や性格はもはや修正は効かない。
「じっと見つめる瞳」は王朝のあり方をも変えていた。
気まぐれプリンセス モーニング娘。

19のファイバーから構成される官僚組織のどこと親しいかは重要な問題だ。
災害に大騒ぎする連中か、もっと柔らかい連中なのかはしっかりと見極めないといけないし、王朝のあり方次第で辛酸を舐めるファイバーもあるからだ。
市民の災害で、君主を翻弄してやろうと考える役所は確実に存在する。
どの役所も「お金を使いたい」のだ。
「組織にも色々な人間がいる?」それはそうだがコミュニティというのはかなり確信を持って王朝との接し方を考えている。
「いろんな人間」もその場に収まれば先例踏襲だよ。
カリスマ的リーダーの存在は、女の子たちは喜ぶかもしれないけど、辛酸を舐める役所を作ったら社会の変革に適応できないのではないか?とも言われる。
私は深くは考えたことはないが、カリスマ的リーダーは商人でもある。
たしかに「こんな下ネタに付き合ってられるか!」と言って仕事を放り出したくなる連中はいる。
しかし、カントやヒュームを否定してもらいたくないのだ。
19のファイバーの中にはカントやヒュームすら容認できない連中はいる。
人間が集まった理由をどう説明するのか?しかも男女に人気のある説明が求められる。
組織と付き合う上では、あまり人間の個性や階級にとらわれないほうがいい。
階級というものは「上の人は何月何日に来ると言ったら来る」程度の社会的意味しか持たない。
いつでも電話に出てくれる人は確実にいるだろう?
約束を破った時の「罰」も違うのかもしれないけどね。
コミュニティに属していたら大都会には出れないとは思わない方がいい。
大都会ではアイデンティティを失うだけなのだから。
レベッカ ボトムライン。

17世紀から18世紀にかけて、女たちによる「社会的セックス」運動、つまり偶像崇拝ムーブメントが起きただろう?
このアイドル崇拝は、教育がない女でも各省庁を横断することができることを示した。
二つの組織を動かすことは40人の人間を動かすことだ。
しかし、アイドル崇拝がフィデル・カストロを生み出した。
なぜならば、パーソナルディテールを知られていたからだ。
都道府県警察は、別の県警と直面したら「別の組織の強さ」を見始めて喧嘩を始めるだろう。
しかし、パーソナルディテールを知られた大統領の下にあるFBIは、偶像崇拝のおかげで仕事ができるのだ。
マルクス主義は、5カ年計画において「女心の定義」を複雑に行った。
日本でも、歌謡曲が作られ、首相の演説において「計画」という言葉が多用されている。
ゼネラルモーターズなどの巨大組織においては、リーダーの肉声は5年で消えてなくなる(腐敗)。
しかし、イタリアの車はいろんな街でそれぞれの部品を作っている。
その分、イタリアではデザインのコンペが頻繁に行われているが、アメリカにおいてはMITなども常に新しい「女心の定義」を模索し続けている。
グーグルやスカイプなどの大企業が零細企業を傘下に収める理由は「新鮮な略奪愛」を女たちに認めているところにある。
巨大組織では男同士の競争がフェアなものになりやすいんだよ。
愛が止まらない Wink.

巨大組織ではコンテナを使うだろう。あれも社内の「女心の定義」(政治・企画立案・財務)があるからできるんだ。
中小企業では財務が難しい。
シリコンバレーのアップルなどの大企業のクリエイエィブさも政治や財務がうまくいくから生まれるんだ。
アップル社が本当に「財務」の意味を学習したのは1985年から1987年にかけてだろう。
歌謡曲と哲学の掛け合わせ方が分かったんだよ。
男女にシリコンバレーという職場に出てきてもらうことが大事だったし、皆がガレージで仕事をしているうちは発展しなかったんだ。
ふたつにひとつ 瀬能あづさ。

フランスとドイツは400年間も「処女非処女論争」をやって疲れ果てたよ。
二つの大戦ではアメリカ合衆国や日本も巻き込んだ。
国というものはかなり全体主義的に財務を行うが、アメリカ合衆国においては州があり州都がある。
小さな街から州都の大学に出る若者もいる。
いろんな街があるが「キリスト教」でつながれている。
さまざまな街が記憶を持っている。
バプティスト系もあれば、そもそもが大規模な街であることもある。
いろんな街が「ヨーロッパの国のアイデンティティ」を参考にかつて「王のような人」が作ったものだ。
街の繁栄が「男次第」だったのは事実だ。
銀が女たちを喜ばせることも分かっていたので街ごとに交流を持った。
14世紀のジェノアの財務は銀を念頭に置いていた。
男がどれほど銀を集めるかが中世ヨーロッパの財務だったのだ。
それぞれのヨーロッパ都市は銀の蓄積によってウェストファリア体制を待った。
17世紀にはヨーロッパ各都市は、銀によって中国や日本、インド、フィリピン、ニューヨークとつながっていたのだ。
デカルト以前(処女の発見以前)はシルバーリング目当てで哲学は研究されていたことになる。
シルバーリングに口づけを。

30年戦争ののちウェストファリア条約で初めて「法的文書」が作られ、国家が分かれた。
その国の哲学者がどれほど財務の才能に優れていたかで戦争を終わらせることを国際社会が学んだのもこの時だ。
今でもアメリカではFRBの力量がリビア、イラク、アフガニスタンでの戦争の終わらせ方を考えている。
中央銀行の財務能力が領土を決めることが分かったのだ。
国境を閉じている以上、それぞれの国がアイデンティティを持っていた。
中国やイスラムで作られた印刷機がヨーロッパに入ってきたこともウェストファリア体制を支えた。
どの国も「男によってのみ成り立つ」国ではなかった。
聖母マリア(女性アイドル)を必要としたのだ。
しかし、リーマンショックのように「一人の女の純潔」に頼りすぎることの危険性を感じたこともあった。
リゾナントブルー モーニング娘。

マルクスは女を買う値段(日経平均株価)は常に「買い叩かれている」としている。
また、女の局部を「機械によって作り出すことは無理だった」としているのだ。
どんな機械でも無理だったために、「これで男は仕事ができる」と思った。
資本主義の「奥義」はまさにここに存在するのだ。
「女の局部を作り出す」
これほど儲かる機械があるだろうか?しかし、無理だった。
マルクスはこのことから「巨人」となった。
「学歴社会」がこの時に誕生したのだ。
むしろ女性の局部を攻めるウェポンが発達した。
人工知能が最終的に何を目指しているのかは明確であるが、マルクス主義は「ウェポン」の発達を笑って見ていたのだ。
アイボ。

「セックスとは男をコミュニティから離さないためにやる」ものであるが「本能の発露」と言っても間違いではない。
洋服や、温かさ、音、匂いなどを「すべての記憶を忘れて」感じるものだからだ。
あまやかされて育った女が「男の激しさ」を感じるものだ。
父と息子の関係に耐えた男には激しさがある。
この時だけは女は「人類の祖先」となっている。
男同士はボールが激突して反発しあうだけだが、男女の場合はボールがおもちゃにぶつかっておもちゃが壊れるのだ。
女たちに「どのウェポンが一番素晴らしかったか?」と聞いても「男の繰り返すリズムだった」と答えた。
マラソンや箱根駅伝の視聴率も良かった。
perfume ポリリズム。
おちんちんがなくて鬱になるというのは核家族化が進んでから見られた現象だ。
鬱になるからわざとコンパニオンなどをやってナルシシズムに浸った。
女であることへの侮辱などないということを感じたかったのだ。
侮辱はいつしか「セクシャルハラスメント」へと形を変えた。
しかし、セクシャルハラスメントも女にとっては「ロウソクを垂らされる」ようなナルシシズムになっていた。
セックスには「生きるか死ぬか」という相手選びと、よりロマンティックな相手選びの二つがある。
生きるか死ぬかというセックスの相手選びは「私が一生わからない知識を持っている男」と行うが、ロマンティックなセックスは「どのように?」という方法が知りたくて行う。
「例の方法」を覚えるのはロマンティックなものだった。
「じっと見つめる瞳」はよりロマンティックで哲学的なものを見ている。
哲学の考え方には「自転車に乗るコツ」のようなものがあった。
一流の真似をしていれば分かるようになるのが哲学だった。
どの「デキる女」も研修などで先生をじっと見つめている。
哲学はよりロマンティックさを志向したが、「私が一生分からない知識を持っている男」との生きるか死ぬかのセックスも気持ちが良かった。
しかし、なぜこの指摘を行ったかというと「生きるか死ぬか」「私が一生わからない知識を持っている男」(たとえば外国人)とのセックスを行っても気持ちいいだろうが「哲学が育たない」ということを語りたいからだ。
二つの方向から「気持ちいいセックス」へのアプローチがなされたのであり、日本人でロマンティックでない男は外国人男とセックスする女を罵倒することしかできない。
しかし、ロマンティックな哲学からのアプローチを学ぶ才能を日本人男は存分に持っていることになる。
愛してジャスティス ribbon.

哲学、そして日本人男のあり方は20年も経てばガラリと変わる。
時間が与えられているのだ。
どのように「正確な言語」を話せるようになるかは、ちんちんにかかっている。
デカいちんちんを持っていたら「暗号」を話し始めるだろう。
ソクラテスも、カントもヘーゲルも時代に応じて「正確な言語」を生み出した。
知性も「どこの大学から来た?」という話題もあるし、一方でコネクショニズムと呼ばれる「コネ作り」のためだけに大学に行く人もいる。
ちんちんのサイズで自覚しなければならないだろう。
「抱かれたい」と思ったらちんちんのサイズなんて関係なく「じっと見つめる」のが女の子というものだ。
ギルバート・ライルは黒人の巨大なちんちんを見てこのように論点を整理した。

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